山梨

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百三十三弾:山梨県お城・城下町巡り観光
2018年5月19日−20日


南アルプスをはじめ、多くの山々が自然の障壁となり、他国と交戦することは珍しく、安定した時代が長く続いたが、武田氏滅亡後に起きた天正壬午の乱では、甲斐も大規模な戦闘舞台となった山梨県に足を運び山梨県に点在する比較的マイナーなお城10か所を訪れました。 

19日15:43新大阪新幹線ひかりで出発
17:55三島駅到達、レンタカーで甲府方面に向かう。
20:30甲府市内のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。
20日7:30レンタカーで出発、お城巡り。

勝山城:築城年代は定かではない。
永正年間(1504年〜1521年)に武田信繩の異母弟油川彦八郎信忠が籠もり、武田氏の家督を巡って信繩と争った。
永正5年(1508年)武田信虎のときに油川氏が滅亡して信虎が甲斐を平定するが、永正12年(1515年)には大井信達が反乱を起こし、これに呼応した駿河の今川氏の軍勢が勝山城に入っている。
大永元年(1521年)今川氏の武将福島正成が一万五千の軍勢を率いて甲斐へ侵攻、勝山城へ移り布陣したが、信虎はこの軍勢を撃退した。
天正10年(1582年)天正壬午の乱では徳川家康の軍勢が右左口から侵攻して勝山城を占拠し、修築している。

躑躅ヶ崎館:永正16年(1519年)武田信虎によって築かれた。信虎の時代に石和から躑躅ヶ崎に館を移し、甲斐守護の館として政治の中心地となった。
武田氏は武田信玄の時代に甲斐・信濃を中心に勢力を拡げたが、武田勝頼の時代に織田信長・徳川家康連合軍と長篠で戦って大敗北を喫し、天正9年(1581年)に新府城を築いて居城を移したものの、天正10年(1582年)には織田信長の軍勢によって攻められ滅亡した。
武田氏が滅亡すると甲斐には信長の武将川尻秀隆が入部したが、本能寺の変が起こると蜂起した甲斐国人一揆によって討たれてしまう。空白となった旧武田領を巡り、徳川氏と北条氏が戦った(天正壬午の乱)。この戦いで甲斐は徳川家康の所領となり、平岩親吉が入った。しかし、徳川家康もまた関東へ移封となり、豊臣秀吉の家臣羽柴秀勝、加藤光泰、浅野長政と次々と領主が代わっていく。この間に甲府城が築かれ、政治の中心も躑躅ヶ崎から甲府城へと移り躑躅ヶ崎は廃城となった。

要害城:永正17年(1520年)武田信虎によって築かれたと云われる。 信虎は永正16年(1519年)石和から躑躅ヶ崎館に居城を移し、翌年詰の城として要害山城を築いた。
大永元年(1521年)今川氏の部将福島正成が甲斐国に侵攻する。このとき信虎の正室大井の方は懐妊中で、躑躅ヶ崎館を離れ要害山城に籠った。この時生まれたのが武田晴信で後の信玄である。
天正3年(1575年)長篠合戦で大敗した武田勝頼は、翌年要害山城の修築を開始する。 しかし、天正9年(1580年)方針を転換して新たに新府城を築いた。
武田氏滅亡後も改修し維持されたが慶長5年(1600年)廃城となった。

於曾屋敷:逐次幼年代は定かでは内が於曾氏によって築かれたと云われる。 於曾氏は古代の豪族三枝氏の支族であったが、応保2年(1162年)の八代荘を巡る争いで没落し、その後は加賀美遠光の四男と五男が於曾に入って加賀美氏系の於曾氏が出てくる。
於曾氏は武田信玄の時代には於曾左京亮信安が一族の板垣氏の名跡を継いでいる。

連方屋敷:連方屋敷は東山梨駅の東にあり、一辺約100m程のやや不整形な方形の区画となっている。現在は県指定史跡となっているが、内部は畑や民家もある。
ほぼ全周を土塁が巡っているが、北東や南の一部は土塁が欠損している。堀は北から西に掛けて良く残っている。入口は南の道路に面して案内板がある。

勝沼氏館:築城年代は定かではないが勝沼氏によって築かれた。 勝沼氏は甲斐国山梨郡勝沼郷発祥で、武田信縄の子で武田信虎の弟である次郎五郎信友が勝沼に住んで勝沼氏を名乗ったことに始まる。
天文4年(1535年)勝沼信友は北条氏綱との合戦で敗北して討死した。 跡を継いだ嫡男信元は永禄3年(1560年)逆心の企ありとされ、武田信玄によって成敗された。

岩殿城:築城年代は定かではない。 また、築城者に関しても武田氏とも小山田氏ともいわれているが定かではない。
天正10年(1582年)新府城にいた武田勝頼は、織田氏の進軍に対して、小山田信茂の進言により新府城に火をかけ、岩殿城を目指して退去した。 しかし、小山田信茂は勝頼を受け入れず、勝頼は天目山で自刃、甲斐国武田氏の嫡流は滅亡した。

駒宮城:駒宮城はさして大きな城郭ではないが、急峻な山上にあり、明瞭な堀切と城塁を有しているので、そこそこの要害であったと思われる。岩殿山城の有力支城の1つだったと見るべき城郭である。

谷村陣屋:元禄17年(1704年)谷村藩主秋元喬知(朝)が武蔵国川越に転封となり、谷村藩は廃藩となって宝永2年(1705年)天領となった。 この都留郡の幕府直轄地を管轄したのが谷村陣屋である。

御坂城:天正10年(1582年)北条氏によって築かれたと云われる。ただし、これ以前に武田氏によって烽火台のような施設があったとも云われる。
天正10年(1582年)武田氏は織田信長によって攻め滅ぼされ、織田の武将河尻秀隆が甲斐の大半を統治した。しかしそれもわずかな期間で、織田信長が本能寺の変で倒れると国一揆が起こり河尻秀隆は討死して甲斐は空白地となった。この武田氏の旧領を巡って徳川氏と北条氏が争うこととなる。北条方は北条左衛門が御坂城に陣取りると、徳川方の鳥居彦左衛門が小山城に陣取って対峙し、御坂の黒駒で合戦となると徳川が勝利して北条は御坂城へ退いた。その後、北条氏と徳川氏は和睦となり、御坂城も廃城となった。

16:00終了、三島駅に向かう。
17:30三島駅到達。
17:48三島駅新幹線ひかりで出発。
20:00新大阪駅到達。

今回の旅行、山梨県に点在する比較的マイナーなお城10か所をおとずれ楽しみました。
館と名の付く城跡は公園等で整備されていましたが、山城は今回も地味で探すのが一苦労でした。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百七十八弾:山梨県お城城下町巡り観光
2016年10月22−23日
 

南アルプスをはじめ、多くの山々が自然の障壁となり、他国と交戦することは珍しく、安定した時代が長く続いたが、武田氏滅亡後に起きた天正壬午の乱では、甲斐も大規模な戦闘の舞台となった山梨県に足を運び、比較的マイナーなお城9か所を巡りました。

22日13:40新大阪駅新幹線ひかりで出発
15:55新三島駅到達、レンタカーで甲府に向かう。
18:30甲府駅前のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
23日7:30レンタカーで出発、お城巡り。

湯村山城:大永3年(1523年)武田信虎によって築かれた。 信虎は永正16年(1519年)石和から躑躅ヶ崎館に居城を移し、翌年詰の城として要害山城を築いたが、引続き湯村山城を築いた。

白山城:築城年代は定かではないが武田信義によって築かれたと云われる。 信義の武田信義館の要害城として築いたものだと云われる。
その後、この地は信義の子一条忠頼の遺領を継いで一条氏を名乗った信長の末裔である時光が青木氏を名乗り、さらに青木信種の次男信明が山寺氏を名乗って領地とした。
この山寺氏は武田氏滅亡後も徳川氏の家臣となって甲府城番を勤めたという。

新府城:天正9年(1580年)二月、武田勝頼は真田昌幸を普請奉行とし韮崎市にある七里岩と呼ぶ絶壁の上に築城を開始、同年九月にはほぼ完成し躑躅ヶ崎館を破棄して移った。
しかし、織田軍の進撃の前に在城わずか二ヵ月余りで、小山田信茂の進言により新府城に火をかけ、岩殿城を目指して退去した。

若神子城:築城年代は定かではない。 若神子城はこの古城と北の若神子北城(大城)、南の若神子南城らを総称した名称である。
武田氏の祖である新羅三郎義光あるいはその子源義清(武田義清)の居城であったとも伝えられるが定かではない。
天正10年(1582年)武田氏が滅亡し、織田信長が本能寺の変に倒れると旧武田領は北条氏と徳川氏によって争われた。この天正壬午の乱で北条氏の軍勢は信濃佐久から大門峠を越えて諏訪へ出て、新府へ退いた徳川軍を追って若神子周辺に布陣、本陣は若神子城に置かれたという。

獅子吼城:築城年代は定かではない。元応2年(1320年)に信田小右衛門実正・小太郎実高父子が討死した記録が見性寺の寺記に残っている。
永正6年(1509年)小尾弥十郎が江草城を乗っ取った記録が「高白斎記」に記されている。 応永年間(1394年〜1428年)には武田信満の三男江草兵庫助信泰の居城で、見性寺に位牌と木像が安置されている。
天正10年(1582年)本能寺の変の後、旧武田領を巡って北条氏と徳川氏が争った天正壬午の乱では、北条軍が獅子吼城を占拠したが、服部半蔵率いる伊賀組と小尾衆など周囲の国人の夜襲によって落城した。

旭山砦:天正10年(1582年)北条氏によって築かれたと云われる。 武田氏の時代に烽火台があったとも伝えられるが、現在の遺構は武田氏滅亡後、その所領を徳川氏と北条氏が争った天正壬午の乱のときに北条氏が築いた陣城である。
北条氏は佐久から甲斐へ侵攻して若神子城を修築して本陣を構え、新府城に入った徳川氏の軍勢と対峙した。しかし、徳川氏の依田玄蕃が佐久で北条氏の兵道を断ったことから、信濃から撤退している。

深草城:詳細不明。「甲斐国志」によれば城主は堀内下総守とされ、元亀・天正年間(1570年〜1572年)頃の武田家臣とされ、その子主税助の時に落城したという。

谷戸城:築城年代は定かではないが鎌倉時代に逸見清光によって築かれたと云われる。 清光は常陸国から大治5年(1130年)甲斐国巨摩郡市河荘に配流となり、逸見(へみ)に住んで逸見氏を名乗った。後に甲斐源氏武田氏となる系統はこの清光の次男で武田信義館に住んだ信清の系統である。
天正10年(1582年)武田勝頼が天目山で自刃して武田氏が滅亡すると、織田氏の勢力下となったが、織田信長が本能寺の変に倒れたことにより、徳川氏と北条氏が甲斐に侵攻して草苅り場となる。この天正壬午の乱で谷戸城は北条氏方の城となり、この北条氏によって城が改修されたとされる。

真篠城:詳細不明。『南巨摩郡誌』に原大隅守、後に真篠勇太夫が城主であったと伝えるが、何れの人物も不詳である。

17:00新三島駅到達
17:48新三島駅新幹線ひかりで出発
20:03新大阪駅到達。

今回の旅行、富士山をはじめ自然いっぱいの山梨県に足を運び、比較的マイナーなお城9箇所を訪れました。
自然の観光名所は多いが文化遺産は地味で今回も案内板が整備されておらず見つけるのが苦労いたしました。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第百九十四弾:山梨県勝沼&大月観光
2012年6月9ー10日
  

富士山や八ヶ岳、南アルプスなど美しい山々に囲まれた山梨県に足を運び、桃の花に彩られる桃源郷と一面のブドウ畑と甲州ワインの産地勝沼、甲州街道の旅情に触れる町と多摩川源流の手づかずの自然、大月を訪れました。

9日13:40新大阪新幹線のぞみで出発
15:32静岡駅到達
15:40静岡駅ワイドビューふじかわで出発
17:57甲府駅到達、繁華街を散策し、食事を済ませて甲府駅付近のホテルで就寝。

10日6:00レンタカーで出発、石和方面に向かう。

石和温泉駅北側の山裾にある、花の多いことで知られる名刹。開山は722年(養老6)。1370年(応安3)、足利義満の命により武田信成が再建。江戸時代には、甲斐国真言宗七檀林の一つとして栄えた。境内にはアジサイのほか、四季ごとに花が咲き誇る大蔵経寺を訪れる。

本社は鹿児島県の焼酎メーカー。マルスブランドの名で知られる。工場は白壁に赤い屋根が印象的な建物。工場限定銘柄では「甲州スイートセレクション」、「カベルネベリーA穂坂収穫」が好評。工場見学は樽貯蔵庫、醸造場、屋外貯蔵タンク、ビン詰行程を回るが、コースに沿って案内板があり、通路にはガイドアナウンスが設置されている本坊酒造 山梨マルスワイナリーを訪れる。

ワインやリキュールを製造・販売している。売店にはワイン・リキュール・ブランデー・ウイスキーなど数種類の酒のほか、ジュースも並ぶ。赤と白の「ワインの旅」、お茶のお酒「玉露リキュール」がおすすめのモンデ酒造を訪れる。

周囲に桃の果樹園が広がるのどかな公園。園内には、芝生広場や季節の花々を観察できる散策路などがある。4月上旬には、一面に咲くピンクの桃の花を前景に甲府盆地や残雪の南アルプスの景色が楽しめる。子どもが遊べる遊具のほか、夏には水遊びができる人工の小川もあるみさか桃源郷公園を訪れる。

勝沼方面に向かう。

中央自動車道の建設に先立ち発掘された、釈迦堂遺跡の出土品を展示する施設。釈迦堂遺跡から出土した大迫力の縄文土器やかわいらしい土偶など、どれも魅力的な展示。展望ロビーや喫茶では、南アルプスの絶景を満喫できる釈迦堂遺跡博物館を訪れる。

勝沼のブドウとワイン作りの歴史を紹介する博物館。リアルな蝋人形やビデオで解説され分かりやすいぶどうの国文化館を訪れる。

1904年(明治37)に建てられた、蔵造りの日本最古の醸造所を、メルシャン勝沼ワイナリーが資料館にしたもの。明治初期、勝沼に初めてワイン作りを広めた高野正誠と土屋龍憲の書簡、日誌を始め、日本のワインの歴史資料や道具などを展示している葡萄酒資料館を訪れる。

江戸中期に幕府の命を受け、薬用植物・甘草を栽培した高野家の旧屋敷。200年を経た建物は、正面中央に突き上げ屋根が2段ある切妻造に甲州の古民家の特徴が見られる。古くから「甘草屋敷」の名で呼ばれ、館内には生活道具のほか、薬草に関する様々な文書や道具類も展示。周囲には薬草園もある旧高野家住宅(甘草屋敷)を訪れる。

丘陵地帯に、総面積32万平方mにも及ぶ敷地をもつ大規模な公園。果樹園を中心に園内にはアクアアスレチック、フルーツアドベンチャーなどがある。中心に立つ巨大なドームのトロピカル温室とくだもの館がある笛吹川フルーツ公園を訪れる。

武田信玄の菩提寺。夢窓国師が1330年(元徳2)に開山した古刹。樹木の茂る境内は広く、豪壮な本堂や参道の赤門(四脚門)(重要文化財)のほか、宝物館などもある。本堂裏手の池泉回遊式庭園(名勝)も有名で、上段は枯山水、下段は心字池と築山の2段構えの美しさを見せている。本堂の左手奥に立つ多層塔が信玄の墓の恵林寺を訪れる。

恵林寺近くにある甲斐源氏ゆかりの古寺で、開創は1184年(元暦元)。宝物殿には本尊の大日如来、天弓愛染明王、金剛力士像(仁王門内)と不動明王の仏像(重要文化財)が納められている。境内には早春に梅、6月に花菖蒲紫陽花が咲く。春と秋には昼に予約で精進料理が味わえる。四季折々に花が咲くため、花の寺とも呼ばれている放光寺を訪れる。

緑豊かな樹林の中、花崗岩の川床を清流が激しく滑り落ちる渓谷で、次々と目の前に迫る滝の眺めは壮観だ。渓流沿いの探勝路は西沢渓谷入口バス停から30分ほど歩き、二俣の吊り橋から川の左岸を遡る。三重の滝、竜神の滝、母胎淵、カエル岩などさまざまな滝や奇観を見て、クライマックスは7つの滝と5つの滝壺からなるみごとな七ツ釜五段の滝に至る。ここから道は対岸に移り、帰路コースへ。渓谷から少し離れるものの、かつての森林軌道跡などを見ながらバス停に戻る。1周約9.5km、往復3時間半〜4時間。新緑、紅葉の時期はもちろん、シャクナゲの群落が花をつける5月中旬〜下旬も美しい。冬期は七ツ釜五段の滝で通行止めとなる西沢渓谷の入り口にたどり着くが一周にかなりの時間を要するため散策は今回断念する。

大月方面に向かう。

三条の湯から約3時間。標高2017mの東京都の最高峰だ。頂上からは奥多摩、奥秩父、富士などが展望できる。山頂には山小屋が立ち、中級登山者向きの雲取山を望む。

甲府に戻る。

途中「山梨の自然と人」を基本テーマとし、地元の歴史や文化・産業などを自然との関わりの中で解き明かす。「メイン展示」では実物資料に加え、映像・音響・ジオラマで「甲斐の誕生」「甲斐源氏と武田氏の隆盛」「甲府城下町のにぎわい」「甲州財閥の活躍」など、多彩なテーマをわかりやすく紹介。様々な体験を通して五感で歴史が学べる「歴史の体験工房」、国宝や重要文化財など山梨を代表する資料を期間限定で展示する「シンボル展」などがある山梨県立博物館を見学。

17:30甲府駅到達。
18:05甲府駅スーパーあずさで出発、八王子で横浜線に乗り換え
19:52新横浜駅到達
19:58新横浜駅新幹線のぞみで出発
22:16新大阪駅到達。

今回の旅行、美しい山々に囲まれた山梨県に足を運び、百軒あまりの旅館・ホテルを数える温泉郷石和温泉、サクランボ・ブドウ・モモの生産が全国有数、ワイナリーめぐりを抜きには語れない勝沼、大菩薩嶺や大弛峠などへの登山の玄関口として週末はにぎわい、周辺には武田信玄の菩提樹である恵林寺がある塩山、豊かな緑と清流が残る奥秩父最後の秘境西沢渓谷、甲州街道の宿場町全45か所のうち12の宿場町があった大月を訪れ、ドライブ観光楽しめました。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六弾:山梨県富士山麓観光
2010年8月7ー8日


富士山や八ヶ岳、南アルプスなど美しい山々に囲まれ、忍野八海、三分一湧水など、名水の里としても知られる山梨県に足を運び、富士山の麓には魅力的な湖が点在し、周辺には富士急ハイランドをはじめ、レジャー施設が満載、富士山の裾野に広がる青木ヶ原樹海や、富士山からの伏流水が湧く忍野八海も必見の富士山麓を訪れました。

7日13:40新大阪新幹線ひかりで出発、浜松でこだまに乗り換え
16:01新富士駅到達、レンタカーで観光

富士山南麓に広がる総面積74万平方mの高原のサファリ。雄大な富士山を背にクマゾーン、ライオンゾーン、トラゾーン、チーターゾーン、ゾウゾーン、一般草食ゾーン、山岳草食ゾーンの7つのゾーンに分かれ、車や園内バスで巡る。子供たち向きの小動物がいるふれあいゾーンもあるので家族で楽しめる富士サファリパークの前で写真撮影。

富士山の成り立ちや気象、山麓に生息する動・植物などのほか、富士山をテーマにした文学や芸術に関する資料が充実。さまざまな道具類を展示し昔の生活ぶりを紹介する郷土資料室もある裾野市立富士山資料館前で写真撮影。

富士山スカイライン沿いの標高1500m一帯に広がる自然公園。草原広場や遊歩道があり、遊歩道の途中にある腰切塚展望台は、駿河湾と伊豆半島が一望できるビューポイントの水ケ塚公園を訪れる。

石がグニャッと曲がるコンニャク石、石の下の字や絵が浮きあがって見えるテレビ石など、石と名のつくものが勢揃い。収蔵標本約1万5000点の中から、常時約1800点を紹介。石に触れられる解説コーナーもある奇石博物館の前で写真撮影。

全国に1300余りある浅間神社の総本宮。806年(大同元)、坂上田村麻呂が最初に社殿を建立したと伝わる。境内は広く、長い参道の向こうに立つ現在の本殿(重要文化財)は徳川家康が造営。全国で唯一2階に神座がある、浅間造の見事な建物だ。本殿横手にある湧玉池(天然記念物)は、かつて富士山信仰の信者たちが登山の前に身を清めた神聖な池。富士山の雪解け水が湧き出したものだが、現在も水量豊かで、市内を流れる神田川の水源の富士山本宮浅間大社を訪れる。

17:00吉原駅付近のホテル到達、市街地を散策後食事を済ませてから床に就く。

8日5:00レンタカーで出発、東名自動車道経由して御殿場インター下車

乙女峠への道の途中、高台に広がる公園で、白亜の仏舎利塔がひときわ目を引く。塔の前には金色の、なでかんのん像や狛犬が立つほか、富士を望む展望台や林間の遊歩道も整備されている平和公園を訪れる。

807年(大同2)、富士の噴火を鎮めることを願って創建された古社。境内は杉の古木に囲まれ荘厳な雰囲気。江戸時代後期に再建された社殿が歴史を感じさせる。県天然記念物の神木・ハルニレの巨木、溶岩に鎮座する狛犬、信しげの滝など見どころが多く、「浅間の杜」には水流が巡らされ、野鳥のさえずりと富士山の草花に心和む。社宝や富士信仰関係の資料を保存・展示する資料館あり。須走口登山道の起点でもある東口本宮冨士浅間神社を訪れる。

富士五湖方面に向かう。

富士五湖の最も東にある湖で、面積は6.67平方kmと五湖中最大。周囲を山に囲まれているが、木立の中には別荘地やペンションが続き、湖畔には旭日丘を中心に宿やさまざまな店、観光施設が立ち並んでいる。特に南岸は文学館や美術館が多く点在する文化の香りが高いエリア。東岸の山の途切れた一帯には、一面にテニスコートが広がる開放的な光景も見られる。年間を通じて白鳥がいる「白鳥の湖」でもあり、水上スポーツも人気の山中湖を訪れる。

標高1000メートルの高原に、約30万平方mの広大な敷地に季節ごとの花々が咲き誇る公園。園内には、ポピー、百日草、コスモスなど50種以上が次々と花を開く。清流の里には幅80mの明神の滝や三連大水車、溶岩樹型地下観察施設、全天候型温室フローラルドームなどがある山中湖花の都公園を訪れる。

自然豊かな公園内に、徳富蘇峰館と三島由紀夫文学館が立つ。徳富蘇峰館は徳富蘆花の兄でジャーナリストの蘇峰の資料を始め、勝海舟・横井小楠・徳富蘆花・伊藤博文らの肉筆資料を展示。三島由紀夫文学館では直筆原稿・創作ノート・著書のほか、肖像写真・演劇資料など約300点を展示。三島文学の真髄に触れることができる。周囲には歌碑・句碑19基が点在し、木々の間をぬって石碑巡りができる山中湖文学の森を訪れる。

忍野村一帯はその昔、山中湖とつながった巨大な宇津湖の湖底だったといわれる。その後干上がって現在の盆地になったが、この時残った8つの湧水が八海で、全国名水百選にも選ばれている。いずれも忍草地区に湧き、湧池、濁池、鏡池、銚子池、菖蒲池、底抜池、お釜池、出口池がある。なかでも、池へ向かう道にレンガが敷き詰められた湧池の周辺が、探勝の中心になっており、草葺き屋根の水車小屋や資料館のほか、食事処などもここに集まる。出口池は少し離れた場所にある忍野八海を散策する。

富士吉田方面に向かう。

さかな公園にある、川や湖にすむ淡水魚を展示する水族館。富士山の湧き水を使った二重回遊水槽では、内側に小魚が、外側に大型魚が泳ぐ姿を見ることができる山梨県立富士湧水の里水族館[さかな公園]を見学。

さかな公園にあり、体験コーナーや図書コーナーで自然を調べることができる森の学習館[さかな公園]を訪れる。

市の東郊を流れる桂川の、上流部にある唯一の滝。水量は豊かで高さ10mから2筋になって流れ落ち、滝壺近くは迫力満点。滝を見下ろす位置に、あずま屋を設けた富士見公園がある鐘山の滝を訪れる。

富士吉田市の歴史・民俗・産業資料を展示する博物館。明治時代の参道沿いの家並み模型や織物道具の展示など、富士山信仰と甲斐絹織の資料が充実。廃れてしまった吉田歌舞伎の衣装など、貴重なものも少なくない。一帯はサンパークふじと名付けられた公園で、古い農家や御師の家が移築・復元されている富士吉田市歴史民俗博物館を訪れる。

788年(延暦7)、現在地に創建された古社。左右に老杉の迫る参道に立ち並ぶ苔むした石灯篭、高さ18mの大鳥居、古色蒼然とした神楽殿、重厚な本殿(重要文化財)など、境内には荘厳な雰囲気が漂う。本殿の左右に東宮本殿(重要文化財)、西宮本殿(重要文化財)があるが、東宮は武田信玄が寄進したものの北口本宮冨士浅間神社を訪れる。

富士山の絵画を一堂に集めた美術館。生涯に多くの富士山を描いた横山大観をはじめ、奥村土牛、片岡球子、小倉遊亀などの大家から、片岡鶴太郎などの芸能人画家まで、様々な作品が観賞できるフジヤマミュージアムを訪れる。

標高2305m。富士スバルラインの終点で、山頂が手にとるほどに見える好展望地。一帯は富士山の前身の山・小御岳の山頂だったところ。守り神の小御岳神社が立ち、みやげ物店やレストランも多い。この先で吉田口登山道と合流する、富士登山のベースキャンプともなっている富士山5合目に向かうが交通規制のため途中で戻る。

河口湖方面に向かう。

海抜830mと、富士五湖ではいちばん低いところにある湖。面積5.7平方kmで山中湖には及ばないが、湖岸線が入り組んでおり周囲は20.94kmと最も長い。特に北岸は複雑な湖岸線が続き、正面に富士を望む景勝地も多い河口湖を訪れる。

河口湖畔にある広大な公園。対岸の大石公園と共に河口湖ハーブフェスティバルの会場になる。特にラベンダーが有名で、6月下旬〜7月にかけて薄い紫の絨毯を敷き詰めたような光景が楽しめる八木崎公園を散策する。

人形作家・与勇輝氏の作品、約80体を展示する美術館。日常の生活ぶりや子どもたちをテーマにしたものが多く、その独特な作風から「布の彫刻」ともいわれる。八木崎公園内にあり、ラベンダーの開花期には薄紫色の花に包まれる河口湖ミューズ館・与勇輝館[八木崎公園]を見学。

国内唯一の宝石専門博物館。館内には、500種3000余点の世界の宝石類や美術工芸品が並ぶ。ブラジル産の1270kgの巨大水晶を始めとする水晶の原石のコレクションは特に見事。原石と、それを研磨してできた宝飾品を隣合せに展示するコーナーも興味深い山梨宝石博物館を見学。

河口湖東岸に突き出した小さな岬で、波のない早朝に湖面に映る逆さ富士の展望地として有名。ここを訪れた松尾芭蕉の句碑、富士の写真家として知られた岡田紅陽の胸像などが立つ。突端の岩の上にある小祠には、富士の祭神・木花開耶姫命が祀られている。姫がこの地で出産をしたとの伝説から岬の名が付いた産屋ケ崎を訪れる。

主に富士山をテーマにした絵画や写真作品を収蔵、展示し、さまざまな富士山を観賞できる河口湖美術館を見学。

2万5000平方mの敷地内に美術館2棟を中心に、レストラン、ミュージアムショップが点在。美術館棟には高級オルゴールや自動演奏楽器のコレクションが並んでいる。豪華客船タイタニック号のサロンに置かれる予定だったオーケストリオン、世界最大規模の自動ダンスオルガンなど貴重な展示品も多い。園内は池や庭園のある中世の貴族の館を再現した造り。散策も楽しみのUKAI河口湖オルゴールの森を訪れる。

瀟洒な洋風の個人住宅を改装したもので、展示は絵本作家池田あきこの原画が中心。ねこのダヤンを主人公にした一連の作品原画が並ぶほか、舞台となった「不思議の国・わちふぃーるど」も再現されている。短編アニメののぞき穴劇場などもある河口湖木ノ花美術館を見学。

1000年の伝統をもつ、周防猿まわしの会がつくった全天候型の常設劇場。調教師と猿がコンビを組み、竹馬などさまざまな芸を披露する河口湖猿まわし劇場を訪れる。

室町時代に人気のあった縫締絞の辻が花染めを復活させた染色家、久保田一竹の着物作品を展示。富士山と四季をテーマにした連作など、作品はいずれも雅やかだ。一竹が収集した、ガラス玉に色模様を施した蜻蛉玉を展示する新館もある久保田一竹美術館を訪れる。

西湖・鳴沢方面に向かう。

周囲9.87km、面積2.1平方km。富士五湖では精進湖の次に小さい湖だが、水深は71mと深く、透明度も高い。水面が濃い藍色をしているためか、どことなく神秘的な雰囲気。周囲には手つかずの自然が残り、四季を通じて楽しめる西湖を訪れる。

西湖南西岸の樹海の中にある溶岩洞穴で、かつて多数のコウモリが冬眠の場所として生息していたことからこの名でよばれる。横穴式で、入口付近の広いドーム状部分と、その奥の複雑に入り組んだ洞からなっており、総延長386mの大規模なものだ。足場が整備され安全に探勝できるほか、入口から穴までの樹海を通る道も散策に適している西湖コウモリ穴を訪れる。

氷穴とともに代表的な溶岩洞穴のひとつ。横穴式で総延長は201mと規模が大きい。溶岩棚や溶岩鍾乳石面が見られるほか、最奥には明治時代に蚕の卵などを貯蔵した跡も残されている富岳風穴を訪れる。

富士山側火山である長尾山[ながおやま]の噴火でできた溶岩洞穴。竪穴式で総延長は153m。洞穴内に氷柱のほか、天井部分の溶岩鍾乳石が見られるなど溶岩洞穴の特徴的な部分が多く、樹海中を代表する洞穴の鳴沢氷穴を訪れる。

864年(貞観6)に富士の寄生火山の一つ、長尾山が大噴火した時に流れ出した溶岩地帯。その後の長い年月を経て約30平方kmにも及ぶこの溶岩の原が原生林に変わった。常緑樹が多く、高台から眺めると樹林がまるで木の海原を思わせることから樹海の名がついたものだ。現在も未踏の部分がほとんどで、決められたコースをはずれ、森の中へ入り込むのは危険。通り抜ける道は国道やかつての開拓道路、東海自然歩道のみ。溶岩の造り出した洞穴が多いのも特徴で、多数の洞穴が確認されており、うち氷穴、風穴、西湖蝙蝠穴は入洞できる青木ケ原樹海を訪れる。

精進湖・本栖湖方面に向かう。

周囲5kmで富士五湖では最も小さい。しかし1895年(明治28)に、湖畔にホテルを建てたイギリス人ハリー・スチュワート・ホイットウォーズによって、ヨーロッパに「ジャパン・ショージ」の名で紹介され、いち早く国際的なリゾート地として知られるようになった。裾野に寄生火山の大室山を抱き込んだように見える、北岸からの「子抱き富士」の眺めは有名の精進湖を訪れる。

富士五湖の西のはずれにあり、周囲13km、面積4.7平方km、最大水深138m。北岸は富士の好展望地で、ここからの景色は1000円札のデザインに採用されている。五湖の中では観光開発がそれほど進んでおらず、特に西岸は手付かずの自然が守られている本栖湖を訪れる。

朝霧高原方面に向かう。

1年中花いっぱいの大温室は、雨の日も傘なしで見学ができる。園内はバリアフリーで、車椅子・ベビーカーの無料貸し出しもあり、花いっぱいのレストランで食事も楽しめる。世界中の珍しいフクロウを間近で見たり、大人気のフクロウショーを楽しんだり、インコやエミューの餌付け体験などもできる富士花鳥園を訪れる。

富士山西麓に広がる標高700〜1000mの高原で、牧草地が多い。雄大な富士山をバックに春から夏はまぶしいほどの緑に、秋は一面のススキに覆われ、どの季節に訪れても美しい眺めが広がる。国道からは牛や馬がのどかに草を喰む、開放感に満ちた光景が見られる朝霧高原を訪れる。

周囲4kmの人造湖で、湖畔には木々が茂り、湖に映る逆さ富士が美しい。北岸にはバンガロー村、南岸にはキャンプ場が設けられ、湖上ではボート遊びやヘラブナ釣りが楽しめる田貫湖を訪れる。

田貫湖北岸の高原地帯に広がる湿原。周囲は深い森だが、ここだけは別世界のように開放的な景色が続いている。大小120を越える池が点在し、珍しい昆虫も見られる。特に蝶は約70種、トンボは約30種もが生息しているという。東西を貫くように木道が整備され、ワレモコウ、ノハナショウブなどの湿原植物を間近に観察することができる小田貫湿原を訪れる。

白糸の滝の東側、芝川の本流にかかる滝で、高さ25mの絶壁から、太い水柱が轟音とともに流れ落ちる様子は豪快。曾我兄弟が滝の近くで工藤祐経を討つ相談をした際、滝音で互いの声が聞こえなかった。そのため天に祈ったところ、その間だけすさまじい滝音が止んだことが「音止」の由来という音止の滝を訪れる。

溶岩断層から、富士山の雪解け水が長い年月の末湧き出し、滝となったもの。幅200m、高さ20mのU字型をした崖の全面から流れ出す水量は毎秒1.5トン。これが無数の滝となって落ちる様子が、絹糸を垂らしたように見えるところからこの名がある。滝壺まで遊歩道が整備されており、水辺から見上げることができる白糸の滝を訪れる。

新富士駅に向かう。

17:00新富士駅到達、
17:42新富士駅新幹線こだまで出発、静岡でひかりに乗り換え
20:00新大阪到達。

今回の旅行、富士山や八ヶ岳、南アルプスなど美しい山々に囲まれ、忍野八海、三分一湧水など、名水の里としても知られる山梨県に足を運び、反時計回りで富士山を一周し、富士五湖を含めて富士山麓の点在する名所を巡りました。

天候晴れ、絶好の観光日和、点在する多くの富士山のビュースポットから運よくクリアな美しい富士山を望むことが出来ました。

富士山麓には多くの神社、博物館、美術館、植物園、動物園、遊園地、富士山のビュースポットなどがありすべてを周るには時間を要し、興味のあるポイントのみ見学し、あとは訪れましたが外観の写真撮影のみとしました。

360度どこからも富士山を望むことができる富士山麓観光、あらためて富士山の高さ、広大な裾野、圧巻で感動しました。

何回も訪れたい富士山麓コース、観光客も多く人気のドライブ観光旅行でした。






















飛行機で国内&海外の観光地巡り第七十一弾:山梨県甲府&南アルプス観光
2009年8月29−30日


今回は富士山や八ヶ岳、南アルプスなど美しい山々に囲まれた山梨県に足を運び、山梨の中心都市、戦国武将・武田信玄のお膝元や水晶の産地として名高い昇仙峡が位置する甲府タウン、歴史ある門前町・身延、信玄の隠し湯として名高い下部、豊かな緑と清冽な渓谷が織り成す南アルプスを訪れました。

29日13:07新大阪新幹線のぞみで出発、名古屋駅でこだまに乗り換え
16:01新富士駅到達、レンタカーで甲府方面に向かう。

18:30甲府駅北口近くのホテルに到着後、甲府タウン市街地を散策し食事を済ませてから床に就く。

30日5:30レンタカーで出発、天候晴れ、甲府タウンの史跡を早朝巡る。

甲府城の北側入口だった場所にあたり、かつて甲府城にあった山手御門を復元した。北門だった山手門、見張り台などに使われていた山手渡櫓門を、絵図をもとに柳沢吉保が城主だったころの姿を再現した甲府市歴史公園を散策する。

豊臣秀吉が天下統一した後、秀吉の命で羽柴秀勝と部下の加藤光泰らによって築城され、浅野長政・幸長父子によって1600年頃までに完成させた。享保年間に大火により本丸御殿などが焼失した。明治時代に入って廃城になり主な建物は取り壊された。1904年(明治37)に本丸周辺を公開された舞鶴城公園を散策する。

1969年(昭和44)に、武田信玄公銅像建立奉賛会からの寄附により甲府駅前に設置された武田信玄の像、信玄公像を訪れる。

信玄の手厚い保護を受けた名刹、甲府五山(長禅寺、能成寺、東光寺、法泉寺、円光院)を訪れる。
長禅寺は信玄の母、大井夫人の墓があり、円光院には信玄の妻、三条夫人の墓がある。

武田信玄が1558年(永禄元)に川中島の合戦で長野の善光寺の焼失を怖れ、本尊以下諸仏寺宝類を移したのが始まり。境内には多くの木造建築物が立っているが、特に江戸時代に再建された撞木造の高さ27mもある金堂(重要文化財)と、朱塗りの山門(重要文化財)は必見の甲斐善光寺を訪れる。

戦国時代、武田信虎・信玄・勝頼の三代が住んだつつじが崎館(武田館)の本丸跡に、1919年(大正8)に建立された神社。祭神は信玄で、境内には重厚な造りの社殿、武田家ゆかりの武具や資料を収めた宝物殿などが立つ。館跡(史跡)は土塁の外側に堀が巡らされ、中世の領主の館としては規模が大きい武田神社を訪れる。

天正元年(1573)4月12日、信玄公は信州伊那の駒場の陣中にて、53歳で逝去されました。信玄公の死は3年間秘密にされましたが、その間ひそかに荼毘に附され、埋葬されたのが土屋右衛門の邸でした。この場所は後の安永8年、代官中井清太夫によって発掘され、今に残る法性院大僧正機山信玄之墓の墓石が建立されました信玄公墓を訪れる。

湯村温泉の北郊外にある、808年(大同3)に弘法大師が開山したと伝わる古刹。厄除け地蔵として有名で、本尊の収められている地蔵堂(重要文化財)は、室町時代末期の建築様式を伝えるものとして貴重。門前一帯の湯村温泉の湯は弘法大師が当時の寺域内で発見したといわれる。平成20年には開創1200年を迎える塩澤寺を訪れる。

北の昇仙峡方面に向かう。

荒川が、約4kmにわたって作り出した渓谷。入口に当たる天神森から上流の仙娥滝までが最も美しい。渓谷の中ほどに位置する能泉までトテ馬車に乗り、そこから遊歩道の散策が楽しめる。奇岩が多く、天狗岩・鎧岩などそれぞれに名が付けられ、なかでも約180mもの高さを誇る巨岩の覚円峰は見もの昇仙峡を散策する。

昇仙峡の仙娥滝上近くから、昇仙峡ロープウェイに乗って約5分の標高1058mの展望台。360度の眺めが楽しめるビューポイントで、特に南アルプス連峰や富士山の眺望は見事。昇仙峡沿いにそびえる羅漢寺山の峰続きにあり、天神森までのハイキングコースもあるパノラマ台(昇仙峡)をロープウェイで訪れる。

昇仙峡にある美術館。影絵の第一人者・藤城清治の代表作約54点を中心に展示。山下清の貼り絵原画19点、女優東ちづる作「マリアンナとパルージャ」の展示もあり、コレクションは幅広い昇仙峡影絵の森を見学。

甲府タウンに戻る。

平成11年10月、印傳屋本店2階に開設され、鹿革に漆で模様を付ける甲州印伝は、古くから山梨に伝わる伝統工芸品です。この甲州印伝の技法を守り伝える唯一の老舗印傳屋は、時代時代の職人たちによって製作され、人々に愛されてきた過去の印伝作品の保存・収集に努めてきました。この貴重な収蔵品を広く公開し、日本の革工芸文化を後世に伝えるとともに、伝統技術の研究・普及に資することを目的としている印傳博物館を見学。

巨大なアメジスト(紫水晶)などの宝石の原石や、カットグラスの工芸品をメインに展示する、石とガラスの博物館、クリスタル・ミュージアムを見学。

世界的な名画など約1万点の美術品を所蔵。特に、『種をまく人』をはじめとする絵画・版画など約70点のミレーのコレクションは有名。ほかにも、コロー、ターナー、シャガール、横山大観などの作品が揃い、見ごたえがある。周辺は花や木々が美しい芸術の森公園として整備され、散策にいい山梨県立美術館を見学。

美術館と同じく芸術の森公園の一角にあり、山梨県にゆかりの深い近代文学者のコレクションを展示。俳人の飯田蛇笏、作家の芥川龍之介、太宰治、樋口一葉、山本周五郎らの自筆の原稿や手紙など興味深い資料が揃っている山梨県立文学館を見学。

約三百年前の建物で、山梨県立保存民家であり国の重要文化財に指定されています。武田家の家臣を祖先に持ち、江戸時代は西南湖村の名主を務めた旧家。民家は一般公開されています安藤家住宅を訪れる。

南アルプス方面に向かう。

南アルプス市小笠原出身の名取春仙の画業を広く紹介することを目的に開館し、収蔵作品には、名取春仙の役者絵版画を中心に、日本画や、挿絵・装幀など春仙芸術の真髄に迫る作品を収蔵しています。また、さらに春仙と同時代に新版画を制作し活躍した山村耕花・吉田博・川瀬巴水らの作品と、自画・自刻・自摺により制作された笠松紫浪の作品、そして櫛形町出身で現在スペインで活躍している山本正文の銅版画の作品などを所蔵しています南アルプス市立春仙美術館を見学。

下部・身延方面に向かう。

下部川左岸の下部リバーサイドパーク内にある施設。戦国時代に毛無山にあった金山の様子を、実物大の人形や映像、模型展示物などで再現。砂金採り体験も楽しめる湯之奥金山博物館を見学。

日蓮宗の総本山。1274年(文永11)に日蓮聖人が山中に庵を構えたのが始まりで、後の1474年(文明6)に日朝上人が大伽藍を建立。門前通りから巨大な三門を抜けて境内に入り、287段の石段・菩
提梯を上りつめた山の中腹に豪壮な堂宇が立ち並ぶ。ほとんどが明治の大火後の再建だが、格式を感じさせる建物ばかり。大本堂横からロープウェイで上がった身延山頂は日蓮が父母を偲び、ふるさと南房総の方向を眺めるため登頂した場所。手植えのスギと伝わる巨木が林を作り、富士山・駿河湾の眺めも楽しめる。祖師堂前の樹齢約400年のシダレ桜も見事な身延山久遠寺を訪れる。

17:30新富士駅到達
18:13新富士駅新幹線こだまで出発、名古屋でのぞみに乗り換え
20:46新大阪駅到達

今回の旅行、富士山、八ヶ岳、南アルプスなど美しい山々に囲まれた山梨県に足を運び、武田信玄の時代から山梨の中心都市として賑わい、信玄ゆかりの武田神社など歴史が息ずく街であり、名勝・昇仙峡の渓谷美もすばらしく、国内の宝石加工シェア3割を誇るジュエリー王国である甲府。

甲府の南方に位置し信玄の隠し湯として名高い下部温泉、日蓮宗の総本山身延山久遠寺が位置する門前町として栄え、今なお歴史を感じさせられる建物や古樹が佇む身延町。

自然と歴史的興味ある山梨の観光名所、満喫しました。

山梨は富士山を筆頭に八ヶ岳、南アルプス等の美しい山々の自然観光名所だけでなく武田信玄のお膝元甲府を中心とした歴史建造物、史跡の多いのに驚きました。

山梨県に訪れ、山梨の見方が変化した山梨自然歴史観光旅行でした。