山口

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百五十六弾:山口県お城・城下町巡り&小京都重要伝統的建造物群保存地区観光
2018年11月24−25日
 

角島、秋吉台、錦帯橋などの観光スポット、関門海峡花火大会、萩焼まつり、七夕ちょうちんまつりなどの観光イベント、ういろう、瓦そば、夏みかん菓子などのご当地グルメがあり、山陽地方の県で、かつて周防国と長門国であった土地は毛利家に支配されていました。江戸時代には長州藩と称して幕末の動乱を主導している山口県に足を運び、山口県内に点在する比較的マイナーなお城6か所、小京都山口重要伝統的建造物群保存地区2か所を訪れました。

24日16:05新幹線のぞみで新大阪駅出発
18:34徳山駅到達、駅前のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
25日8:00レンタカーで出発、お城、小京都伝統的建造物群保存地区巡る。

徳山城:慶安元年(1687年)毛利就隆によって築かれた。 就隆は毛利輝元の二男で元和3年(1617年)周防国都農郡を中心に三万石を分地されたことに始まる。
就隆は寛永2年(1625年)に下松に陣屋を構え、寛永11年(1634年)四万五千石の大名として正式に諸侯に列した。慶安元年(1648年)に野上村に居館を移し、慶安3年(1650年)に地名を徳山と改め徳山藩となった。
正徳5年(1715年)三代元次のとき、宗家である萩藩との境界にある松の木を巡って騒動となり、幕府から「本家に対する非礼」を理由に元次は改易、出羽国新庄藩へお預けとなって徳山藩領は萩藩に還付された。
享保4年(1719)領民の藩再興運動もあり、元次が家督を次男の元堯に譲って新たに三万石が与えられ徳山藩が再興となった。天保7年(1836年)就馴のとき幕府より城主格を賜り、石高も四万石に改められた。これによって「御館」と呼ばれていた居館は「御城」や「御殿」と呼ばれるようになった。

鞍掛城:築城年代は定かではない。 大内氏の重臣杉隆泰は鞍掛三万石を与えられ鞍掛山城を居城とした。
弘治元年(1555年)厳島合戦によって陶晴賢が毛利元就に破れると一度は毛利氏に降った。 しかし再び大内氏に従うべく内通したが密書を奪われると毛利氏によって攻めら落城、隆泰は千数百名の城兵と供に討ち死にした。

岩国:豊かな自然に恵まれ、山口県最大の河川である錦川が美しい景観をかたちづくりながら瀬戸内海に注いでいます。市の中心地域には、都市機能が集積し、南部の玖珂盆地では、交通の利便性を生かした工業団地が形成されています。観光都市としての一面も持ち、岩国城跡や錦川に架かる錦帯橋など、多くの観光資源に恵まれ、市域中央から山代地域には、温泉や自然景勝地などを生かした観光、交流施設があります。

東郷山城:詳細不明、東郷峠付近

柳井:柳井は、瀬戸内海交易の要衝として中世の時代から商業都市として栄えました。江戸時代には、岩国藩の御納戸と称され、その商圏は、近隣の各藩領だけでなく、九州一円から瀬戸内海の各地に及んでいました。
その商家の家並みが残る同地区は、柳井津でも最も早く開かれた旧町の西半分にあたり、東西方向の本町通りの両側に続く約200メートルの家並みと、 このほぼ中央から南側の柳井川に通じる掛屋小路からなります。
明治以降もこの地域は中心街として栄え、現在もなお江戸・明治期の商人の家系を継ぐ者が所有し、一部は現在も営業されています。
柳井市のもっとも重要な観光資源であり、年間多くの観光客が訪れます。 

上関城:築城年代は定かではないが室町時代に村上吉敏によって築かれたと云われる。能島村上氏の村上義顕の子村上吉敏によって築かれ、代々村上氏によって上関を通行する船舶から通行税を徴収するための拠点となった。
天文20年(1551年)大内義長から将軍家への進納の米二千石を積んだ船は、宇賀島水軍の警護を受け通行税を払わずに航行すると、三島村上水軍はこれを安芸国蒲刈にて迎撃した。大内義長は上関より村上氏を追い出して宇賀島水軍に守らせたが、間もなく村上氏が奪還して再び村上氏の所領となった。

若山城:築城年代は定かではないが文明2年(1470年)に陶弘護が吉見氏に備えて築城されたものと考えられている。天文19年(1550年)には陶晴賢が大内義隆を攻撃する前に大改修したという。厳島の合戦後、晴賢の子長房が守衛していたが、晴賢によって殺された杉氏の一党杉重輔が挙兵して押し寄せ、味方と間違えて城門を開いたところ攻められ落城した。

敷山城:敷山城跡は矢筈ケ岳の8合目あたりに位置する。ここはもともと敷山験観寺という山寺である。南北朝時代に足利尊氏が九州から反転して湊川の戦いで楠正成に勝利し上京、天皇が逃げた比叡山攻略に取り掛かった。そのとき周防国衙の役人清尊、教乗、大内弘道、小笠原長光などが挙兵しここに籠城する。しかし、尊氏によって派兵された大軍によりわずか10日あまりで落城する。

山口:山口市は、豊富な緑や清澄な水を有する自然に満ちた都市となっています。また、大内氏時代や明治維新関連の歴史や文化資源が今に残されており、湯田温泉などを含めて、観光地としての魅力も備えた都市となっています。

17:00帰路に向かう。
18:00徳山駅到達。
18:34徳山駅新幹線のぞみで出発
20:18新大阪駅到達。

今回の旅行、山口県に足を運び、比較的マイナーなお城6か所、小京都山口、重要伝統的建造物群保存地区2か所をおとずれ楽しみました。
今回もお城は地味で案内板も少なくたどり着くのに苦労を要しました。中には城址公園に変貌し整備されていた城跡もあり散策を楽しめました。

小京都山口、伝統的建造物群保存地区、岩国、柳井は何度か足を運んだことがあり、再確認できました。
 






















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百九十三弾:山口県お城・城下町巡り観光
2017年3月4−5日
 

中国地方の最西端、周防、長門からなり、周防の大内氏が力をつけ、防長両国に基盤を築き、大内氏の勢力拡大は北九州にまで及んだが、尼子氏との戦いで衰退し、やがて防長の支配は毛利氏に移り変わった山口県に足を運び、比較的マイナーなお城10か所を訪れました。

4日17:05新大阪新幹線のぞみで出発
18:57新山口駅到達、レンタカーで防府に向かう。
19:30防府駅前のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
5日7:00レンタカーで出発、反時計回りで山口県西エリアに点在するお城を巡る。

築山城:室町時代に大内教弘によって築かれたと云われる。 大内氏は守護大名として次第に勢力を伸ばすにつれ大殿大内氏館だけでは手狭となった為、別邸として築山館を築いた。
もともとは大石を積み上げた石垣で周囲を囲っていたが、江戸末期に毛利氏が長門国萩城から山口城に居城を移したときに大石を運び出した為、現在の土塁のようになったと云う。

大内氏館:正平15年(1360年)頃に大内弘世によって築かれたと云われる。 弘世は京に似た山に囲まれた盆地として山口を選地しここに館を築いた。大内義隆が重臣陶晴賢によって討たれ、その後、陶氏を滅ぼした毛利氏によってこの館跡に龍福寺が建立された。

山口藩庁:元治元年(1864年)毛利敬親によって築かれた。 防長二カ国三十六万石の大名であった萩藩毛利十三代敬親によって築かれた。
毛利敬親は文久3年(1863年)湯田温泉への日帰り湯治と称して萩城から山口へと拠点を移した。 これは保守派に取り囲まれた萩では攘夷を実行できないことと、北に偏った萩では交通の便、海からの防御の面で不都合があったためである。 幕府に対しては山口屋形として申請していたが、背後には中世大内氏の詰城であった高嶺城があり、表には水堀を配していた。

高嶺城:弘治3年(1557年)大内義長によって築かれた。
弘治元年(1555年)陶晴賢が厳島合戦で毛利元就に敗れると、義長は毛利氏に備えて急拠築城することとなったが毛利氏の侵攻が早く完成を見ないまま籠城することとなる。 大内氏に属してした諸将が毛利氏に寝返るなど次第に不利となり義長は城を捨てて長門国且山城に逃走し長福寺で自刃した。
その後毛利氏は市川経好等を城番として置き城を補修した。 永禄12年(1569年)毛利氏は豊後国大友氏と筑前国立花城にて対峙したが、大友氏は大内義興の弟高弘の子大内輝弘に兵を与えて山口に侵攻させた。このとき高嶺城は市川氏の留守兵がわずかに守るだけであったが、市川経好の正室市川局が籠城兵を指揮して毛利の援軍が来るまで持ちこたえた。 輝弘は茶臼山に退きそこで自刃して果てた。

荒滝城:築城年代は定かではない。大内氏の重臣で後に毛利家臣となった内藤隆春の居城と伝えられる。 内藤隆春の姉が毛利元就の嫡男毛利隆元の正室尾崎局であった。陶晴賢による大内義隆への謀叛には同調せず、厳島合戦の後は毛利氏に従って各地を転戦し、大内義長滅亡後は長門守護代となった。隆春には嫡子がいなかったことから宍戸元秀の二男元盛を養子に迎えている。この元盛が佐野道可と名乗って大坂城に籠城した人物である。

清末陣屋:万治2年(1659年)毛利元知によって築かれた。 長府藩毛利綱元は承応2年(1653年)毛利秀元の遺言により秀元の二男元知を一万石で分地し元知は万治2年(1659年)陣屋を築いた。
享保3年(1718年)元平の時、長府藩元矩が嗣子なく元平が匡広と改名して長府藩を継ぎ清末藩は長府藩と合併した。
享保14年(1729年)匡広の二男正苗に一万石が再分地され清末藩が再興した。

勝山城:築城年代は定かではないが永和4年(1378年)大内氏の家臣永富上総介嗣光が在城したのが始まりとされる。続いて応永15年(1408年)に相良民部少輔が在城したと云う。
大永7年(1527年)には内藤興盛の居城となり、この興盛の時に南の尾根続きにある青山城主高森内膳之助と「青山くずれ」と呼ばれる争いが起こった。(「青山くずれ」に関しては青山城を参照)。内藤興盛は後に長門国守護代となり櫛崎城へと移った。
陶晴賢を厳島合戦で敗った毛利元就はすぐさま周防国・長門国へ侵攻し、弘治3年(1557年)には周防国高嶺城に攻め寄ると、大内義長は内藤隆世(内藤興盛の孫)を頼って且山城へ逃れた。毛利氏の軍勢は且山城を取り囲んで攻め寄せ、外城を落とし本丸を残すのみとなったところで城内に矢文を放ち「内藤隆世は毛利父子に遺恨があるので自決すれば、義長のことは問わぬ」と伝えた。 隆世は切腹し義長は城を出て兄である大友義鎮を頼って九州を目指したが、叶わず長福院(現在の功山寺)にて自刃した。
その後は南条宗勝、山田重直が在城したという。

勝山御殿:勝山御殿は南を除く三方を山に囲まれた谷間の奥地に築かれている。 北に且山城、西に青山城、北東には四王司山城と中世城郭に囲まれた地である。
以前訪れたときは公園整備中であったが、現在は公園も完成しきれいに整備された御殿跡と案内板が設置されていた。
北から南にかけて本丸(奥)、本丸(表)、二ノ丸、三ノ丸と並び、西と南面が石垣となっている。

串崎城:天慶3年(940年)に藤原純友の配下稲村平六景家が在城していたと伝わるが定かではない。
戦国時代には大内義隆の家臣内藤隆春が在城していた。
関ヶ原合戦後、毛利輝元は防長二カ国に減封となり萩城を居城とした。これによって毛利秀元は六万石を分知されて櫛崎城を居城とし長府藩となった。 毛利秀元は毛利元就の四男穗井田元清の長子で、長らく嫡男に恵まれなかった毛利輝元の養子となった人物である。後に輝元に嫡男秀就が誕生したことから別家をたてた。
元和元年(1615年)幕府による一国一城令によって櫛崎城は廃城となり、長府藩は現在の豊浦高校の敷地に居館を構えて藩庁とした。元治元年(1864年)十三代毛利元周のとき勝山御殿を築いて居城を移している。

霜降城:治承3年(1179年)七代厚東武光によって築かれたと云われる。 厚東氏は物部氏の末裔を称し、初代厚東武忠が棚井の地に住んだことに始まるとされ厚東氏館を居館としていた。
十四代厚東武実は長門守護職となり勢力を拡げるが、その後大内氏と争うようになり、十七代厚東義武のとき延文3年・正平13年(1358年)大内弘世によって霜降城は攻め落とされ、厚東義武は城を逃れて九州へ落ちていった。

18:00終了。
18:46新山口駅新幹線のぞみで出発
20:38新大阪駅到達。

今回の旅行、山口県の西エリアに点在する比較的マイナーなお城10か所を巡り楽しみました。
山口県は道も広く、車も少なく、渋滞に絡まずスムーズに走ることができました。
次回は東エリアに点在するお城を巡りたいと思います。













 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百五十九弾:山口中国三十三所観音霊場巡り観光
2016年5月28日ー29日
 

山陽路から山陰路へとつづく三十七の観音霊場、四季折々、それぞれに美しい変化を見せる自然環境と、素朴な風土の中に待ち受ける古寺、名刹の山口県に点在する8か所を訪れました。

28日14:20新大阪新幹線のぞみで出発、広島でこだまに乗り換え
16:20新山口駅到達
17:00レンタカーで新山口駅北口のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
29日7:30レンタカーで出発、霊場巡り。

宗隣寺:宝亀8年(777年)唐より来朝した為光(威光)和尚が、故国に似たその景観を愛すると共に、山ふところの湧泉に霊感をうけて一寺を開き、松江山普済寺(ずんごうざんふさいじ)と名付けたのが創まりと寺伝はつたえた。

功山寺:元応2年、虚庵玄寂禅師開創で金山長福寺と号した。足利尊氏、足利直冬、長門守護厚東氏、大内氏等の帰依を受け隆盛を誇った。
 弘治3年大内義長が毛利元就に敗れ仏殿で自刃をした大内氏終焉の地であり、その後の戦乱で寺も荒廃し中世に誇った大内文化も衰退する。慶長7年毛利秀元が修復、寺門を興隆し、慶安3年功山寺と改称する。元治元年三条実美等七卿が潜居中に高杉晋作が門前で義兵の旗挙げをした維新発祥の地でもある。

観音寺:観音院は古くより"玉江観音"と呼ばれ、海の護り観音として崇められていた。また、大道無門に境内を開放していたので、幕末には志士たちが会合所として頻繁に利用、激論を交わしていたという。
  萩は三方を山に囲まれた盆地で、阿武川下流が岐れて松本川・橋本川となり、その三角洲に、毛利輝元が四年の歳月をかけて1604年に完成させた典型的な城下町である。維新前夜までの260年間毛利36万石の拠点であった。萩が辺境僻地であったために、幕末に藩庁を山口に移した後も、維新以後の大きな社会変革からも影響を受けることなく、城下町往時の面影遺構をそのままよく残している。

大照院:下克上による大内氏の悲劇の減亡(1551年)は戦国時代の真只中。大内氏の後を継いだ毛利元就は中国地方一帯10ヶ国を制した。元就嫡男輝元の頃は祿高121万石、豊臣五家老の一人であった。しかし、関ヶ原の戦(1600年9月15日)に敗れ、居城を広島から外寇防禦(がいこうぼうぎょ)の名目で辺境であった萩に、領国も周防・長門の防長二州、祿高36万9000石に減封、更に責任を問われて輝元は隠居、その子秀就が僅か6才で家督を継ぎ、萩毛利藩初代藩公となった。

洞春寺:山口は14世紀中頃から約200年間、戦国大名の雄として中国地方に割拠した大内氏の本拠地で、西の京と謳われるほど栄え、今尚大内文化の面影を色濃く残す街である。その中でも特に多くの文化遺産が見事に集積されたゾーンの中心をなす臨済宗の巨刹が洞春寺である。

龍蔵寺:龍蔵寺の創建は、奈良時代の文武2年(698年)神変大菩薩(しんぺんだいぼさつ)と崇められていた僧・役(えん)ノ行者小角(おづぬ)が豊後の彦山から飛来し、岩窟に熊野大権現を勧請(かんじょう)して秘法の護摩供を厳修したと寺縁起は伝える。その後、天平13年(741年)行基菩薩がこの霊窟に留錫(りゅうしゃく)し、草庵を結び自ら千手観音を謹刻(きんこく)し『龍蔵寺』と称したという

漢陽寺:漢陽寺は中国自動車道・鹿野ICから直ぐの所に位置する。寺裏山の潮音洞(ちょうおんどう)より流れ出る遺り水を活かし、古庭園を模して築庭された閑雅な雰囲気の『曲水の庭』に代表される様々なタイプの庭園(蓬莱山(ほうらいさん)池庭、九山八海の庭、地蔵遊化の庭など)と、精進料理が好評を得て名を馳せ、今では訪れる人も多く、マスコミに紹介されることも再々の有名寺である。

般若寺: 般若寺は、その名が示しますように用明天皇(聖徳太子の御父君)の勅願で、若くして亡くなられた般若姫の菩提を弔うため、姫の父である豊後の国(大分県)の満野長者が聖徳太子の師、恵慈和尚という方を開山として創建した真言宗の古いお寺です。

今回の旅行、中国地方に点在する、中国三十三箇所観音霊場の山口に位置する8か所を訪れ楽しみました。

今回も立派な寺院が多く、圧倒され、また癒されました。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百七十四弾:山口県柳井&離島(野島・八島)観光
2014年5月24−25日
   

本州の最西端山口県に足を運び室町時代から水陸交通の要衝として栄え、白壁と格子窓の商家が連なる白壁の街並みは国の伝統的建造物群保存地区に選ばれ、レトロで風情ある街並みには新旧のさまざまな店が立ち並ぶ柳井、瀬戸内に点在する離島(野島・八島)を訪れました。

24日14:09新大阪新幹線のぞみで出発
15:53徳山到達、市内を散策し食事を済ませてホテルで就寝。

25日7:30レンタカーで出発防府方面に向かう。
8:10防府三田尻港到達。
8:30三田尻港フェリーで出発。
9:00野島到達、散策。

野島:防府市三田尻港の南東約15kmの瀬戸内海海上に位置し、島のほぼ全域が瀬戸内海国立公園の区域に指定されています。島に人が住み始めたのは、鎌倉時代末期とする節と安土桃山時代とする説がありますが、いずれにしても島の歴史は古く、今に伝えられている降誕会、神舞神事、盆踊りなどの行事に島の伝統を見ることができます。島の周囲には、断崖が続いていますが、北側には、漁港が整備され、人家が集中しています。また、島の北東部には、海水浴場が整備され、本土から多くの来島者を集めています。また、島内の小中学校では、「茜島シーサイドスクール」と称して本土からの児童、生徒の渡船通学を受け入れるなど、島の振興に向けた先進的な取組を行っています。


9:30野島フェリーで出発
10:00三田尻港到達、レンタカーで柳井に向かう。
11:30柳井到達、散策。

柳井:柳井市、古市・金屋地区は、約200mの町筋に、江戸時代の商家が立ち並び「白壁の町並み」と言われています。中世の町割がそのまま残り、妻入形式、本瓦葺、入母屋型の屋根、白漆喰・土蔵作りの商家の家並が続きます。かつて岩国藩のお納戸としてさかえ、岩国錦帯橋建設を支えました。

柳井川沿いに中世からの町割をほぼ残し、街路に面して妻入り形式で本瓦葺き、入母屋造の屋根をもつ二階建ての町屋が立ち並ぶ。いずれも昔ながらの商家で、敷地割は間口が狭く奥行きが深いのが特徴。家の庇も同じ高さで軒線が揃う。国森家住宅と商家博物館むろやの園は、この古い町屋を一般に開放している柳井白壁の町並みを訪れる。

18世紀後半の建築で、入母屋造、本瓦葺きの土蔵造2階建ての油商の家。1階の正面にある「蔀帳」とよばれる板戸は上の1枚を吊り上げて、その上にふとんを収納。残り2枚を全開して店とする建具で、商家独特の機能的な造りだ。また一本引きの土戸や袖壁など、防災の工夫も随所に見られる。1階座敷の天井板には当時ご禁制の品であった屋久杉の丸太が使われており、豪商ぶりが偲ばれる国森家住宅を訪れる。

白壁の町並みの中にあり、室屋の屋号を持ち、最盛期には50隻もの帆船を抱えた豪商・小田家の屋敷を利用した民俗資料館。元禄14年(1701)の建築はこの町で最も古く、屋敷面積2561平方m、建坪1500平方mは現存する町屋で国内最大級。館内には小田家が使用していた商いの道具や生活用品をを多数展示する商家博物館むろやの園を訪れる。

『武蔵野』『少年の悲哀』などの作品で知られる国木田独歩が22歳のころに住んだ家を移築した記念館。見学は外からだけだが、ガラス窓越しに文机やランプが置かれた居室や、年表、写真、独歩の胸像などが見られる独歩旧宅を訪れる。

国木田独歩は柳井在住時代、自宅から北東の光台寺へ向かう道を好んで散策したという。真山青果編の『独歩病床録』によると、柳井が舞台とされる『少年の悲哀』のヒロインの娼婦は、この散歩道で出会った少女がモデルという。独歩は彼女を「ほとんど毎日のごとくこの山上にて会いたる女あり。十六七の、顔青ざめて背のすらりと高き少女なりき」と言っている。一目でいかがわしい商売の女とわかったものの、少女は強い印象を独歩に与え、10年後、小説に登場することになる。光台寺山門前には石碑「独歩曽遊の地」が立っている独歩曽遊の道を訪れる。

14:00柳井レンタカー出発
14:15やまぐちフラワーランド到達散策
14:45やまうちフラワーランド出発
室津スカイライン走行、途中般若寺訪れる。
般若寺散策。

室津港に向かう。
16:00室津港到達。

明治12年(1879)に建てられた、県内最古の擬洋風建築。外国との海上交通で栄えた地ならではの凝った造り。窓にはフランス製のステンドグラス、3階の壁には唐獅子牡丹の漆黒彫刻、4階天井には鳳凰漆黒彫刻が残る。併設の上関町郷土史学習館では四階楼に関する資料の展示のほか、上関町の歴史をパネルや映像で紹介している四階楼を訪れる。

16:35室津港高速艇で出発。
17:00八島到達。

八島:瀬戸内海へ突き出た室津半島(熊毛半島)の上関港から南へ12km、八島は山口県最南端の地です。南北に細長く中央部分がくびれているので角度によっては幾つもの島が重なっているように見えることから八島と呼ばれるようになったものと思われますが、古くは屋嶋や矢嶋と記されていたこともあり案外違うところからの由来かもしれません。島内からは弥生式土器などの古代の遺物が発掘されており、古くから生活の場があったものと思われます。源平合戦(治承・寿永の乱:1180〜1185年)で敗れた平家の落人が住みつき開拓したという伝説があり、「船隠し」や「与崎」など平家にまつわる地名も残されています。集落の路地の両側に並ぶ家々は賑やかだった頃の八島を思い起こさせてくれます。漁業の発達で江戸時代末期に人口増加が始まり、明治期にはハワイへの漁業移民を出すほどになっていました。恐らく昭和30年代まではかなりの人口があったものと思われますが、その後徐々に流出が始まり、昭和61年3月で八島小学校が廃校。近年まで行われていた牛の放牧も途絶え、2009年には八島キャンプ場が営業休止となっています。そして、集落には空き家、廃屋が目立つようになり、島民のほとんどがお年寄りという過疎の島となっています。

17:10八島高速艇で出発。
17:30室津港到達、レンタカーで徳山に向かう。
18:40徳山到達。
18:54徳山新幹線さくらで出発。
20:45新大阪到達。

今回の旅行、本州の最西端山口県に足を運び2回目の訪れである室町時代から水陸交通の要衝として栄え、白壁と格子窓の商家が連なる白壁の街並みは国の伝統的建造物群保存地区に選ばれ、レトロで風情ある街並みには新旧のさまざまな店が立ち並ぶ柳井、防府沖の離島、野島、室津沖の離島、八島を訪れ楽しめました。

今回で山口県の離島はほぼ制覇しました。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百五十二弾:山口県柳井沖離島平郡島巡り
2013年11月9−10日
 

本州の最西端に位置する山口県に足を運び、瀬戸内海の温暖な気候に恵まれ、室町時代から水陸交通の要衝として栄えた柳井沖の離島、周防大島(屋代島)の南約7kmに位置し、山口県では屋代島に次いで二番目に大きな島の平郡島を訪れました。

9日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
15:06広島駅到達
15:23広島駅こだまで出発
16:02徳山駅到達、レンタカーで市内のホテルに向かう。
16:00ホテル到着後繁華街散策し食事を済ませて就寝。
10日7:20レンタカーで出発、柳井方面に向かう。
8:15柳井港到達
8:30柳井港フェリーで出発
9:40平郡島平郡東港到達、西に向かって散策する。

平郡島は周防大島(屋代島)の南約7kmに位置し、山口県では屋代島に次いで二番目に大きな島です。中央の深山(468m)を中心に険しい山脈が続き、急斜面が海岸線まで落ち込んでいます。東西に離れて二つの集落があり、斜面の段々畑では温州ミカン、海ではタコ漁が盛んで、この辺りで捕れるタコは「平郡ダコ」と呼ばれ特に美味しいと評判です。平安時代末期、源頼朝に討たれた木曾義仲(源義仲)の子・平栗丸(平群丸・平郡丸)がこの島に落ちのびて暮らしたという話が島名の由来として残されています。義仲に平栗丸という子が居たかどうかは不明ですが、浄光寺の木造薬師如来坐像や重道八幡宮の棟札は鎌倉時代ものだとされ島の歴史の深さを証明しています。また創建が14世紀前半だとされる曹洞宗海蔵院には根周りが2mもある巨大ソテツが生えており、訪れる人を驚かせています。

14:05平郡島平郡西港到達
14:40平郡島平郡西港フェリーで出発
15:40柳井港到達、レンタカーで徳山に向かう。
16:45徳山駅到達
17:15徳山駅新幹線のぞみで出発
19:55新大阪駅到達。

今回の旅行本州の最西端山口県に足を運び、室町時代から水陸交通の要衝として栄えた柳井沖の離島、平郡島を3時間15km散策しました。
船便が少なく平郡島のみの散策となりましたが、東から西にかけて、島をほぼ半周まわり堪能しました。
 
 




行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十三弾:山口県萩沖離島大島・相島観光
2013年9月7日ー9月8日
  

史跡めぐり、SLの旅、海の幸など、楽しみ方が盛り沢山の本州の最西端山口県に足を運び、13代に渡って続いた、毛利氏の長州35万石の城下町として栄え、吉田松陰のもとで学んだ若者たちが後に維新の志士として活躍した維新胎動の地としても知られ、今も城下町の風情を残す町並みが残り、武家屋敷跡に実るみかんが特産品として知られている萩と萩沖の離島大島・相島を訪れました。

7日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
15:38新山口駅到達
15:50新山口駅前バスで出発
17:23東萩駅前到達、近くのホテル到着後、周辺のレストランで食事を済ませて就寝。

8日7:30出発、萩港に向かう。
8:00萩港高速艇で出発
8:40相島到達、散策。

相島は萩港から高速船で40分、距離にして港から北西へ約14kmの海上に浮かぶ有人島で、標高157mの大山から続く斜面には多くの段々畑が作られ、さつまいもや葉タバコ、そして萩西瓜の最大の生産地として知られている島です。
水が豊かでないことから稲作は行われず、昔から畑作に力が注がれてきました。昭和の始め頃は蚊取り線香の原料になる除虫菊の栽培が盛んで、花が咲く初夏の頃には島全体が白く輝いていたといいます。

9:10相島高速艇で出発
9:50萩港到達、萩散策

藩主の御座船を格納した倉(史跡)。玄武岩を積んだ壁に本瓦葺きの屋根をのせた、梁間8.8m、桁行27m、高さ8.8mの堂々たる建物だ。現在は川から約130m離れているが、かつてはこのあたりまで松本川の河畔だったという旧萩藩御船倉を訪れる。

江戸時代の牢獄跡で、野山獄が士分の者、岩倉獄が庶民用だった。安政元年(1854)、下田からアメリカに密航を企てて失敗した吉田松陰は野山獄に、門弟の金子重輔は岩倉獄につながれた。岩倉獄跡には、重輔絶命の碑と松陰が重輔に贈った詩碑が立つ野山獄跡・岩倉獄跡を訪れる。

江戸屋横町にある、木戸孝允(桂小五郎)の生家。当時としては珍しい木造2階建て桟瓦葺きで、14室もの部屋があり、父が藩医を務めていたために患者用と来客用の2つの玄関がある。孝允は天保4年(1833)に誕生し、約20年間をここで過ごした。誕生の間や勉強部屋などがあり、勉強部屋では後年、名筆家として知られた孝允の少年時代の習字も見られる木戸孝允旧宅を訪れる。

菊屋家は毛利輝元に従って山口から移ってきた藩の御用商人で、大年寄格でもあった家。江戸初期に建てられたという主屋は広い座敷をもち、幕府からの使者が泊まる本陣として使われた。5470平方mという広い敷地内にはなまこ壁の蔵が立ち並び、主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場などが国の重要文化財に指定されている。各部屋には藩主からの拝領品や古書、民具、衣装など約500点を展示。家の西側のなまこ壁が美しい小路は、菊屋横丁とよばれている菊屋家住宅を訪れる。

萩港に向かう。

11:00萩港高速艇で出発
11:25大島到達、散策。

萩港から無人島の羽島、肥島を見ながら高速船で25分、平たい台地状の大島に到着します。沖縄の隆起珊瑚礁の島にはよくある形ですが、大島は19万年前の火山噴火で出来た台地が島になったもののようです。
集落は南側に集中し、台地の上には歯タバコやブロッコリーなどの畑が広がります。農業も盛んですが、漁業は山口県の島の中では有数の水揚げを誇る漁業の島です。
島の起源として壇ノ浦の戦い(1185)で敗れた平家の落人7人が流れ着き開拓したという伝承があり、今でも島民の大半はその子孫と言われる長岡、池部、国光、刀禰、豊田、吉光、貞光の7つの姓の人で占めています。

13:00大島高速艇で出発
13:25萩港到達、萩散策。

萩城跡から萩商港にかけて続く、白砂青松の浜。指月山の眺めがよく、夏は海水浴場としても賑わう。もとは阿古ケ浜とよばれていたが、江戸時代に菊屋家が藩士や足軽衆のためにここに小屋を建てたので、菊ケ浜の名が付いたと伝えられている菊ケ浜を訪れる。

慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、別名指月城とも呼ばれる。山麓の平城と山頂の山城とを合わせた平山城で、本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっていた。明治7年(1874)、天守閣、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめ、ここ一帯は国の史跡に指定されている。旧本丸跡に歴代藩主を祀る志都岐山神社が創建された際、総面積約20万uの境内が指月公園として整備された。城跡の構造をよく残していることが特徴で、園内には天守閣跡、梨羽家茶室、旧福原家書院、万歳橋、東園などの旧跡がある。また、幕末13代藩主毛利敬親が安政年間に藩主別邸・花江御殿に増築し、家臣とともに茶事に託して討幕の密議を凝らした茶室「花江茶亭」が明治22年に園内に移築され、現在、抹茶の接待を行っている。春には県の天然記念物に指定されているミドリヨシノを始め、600本余りのソメイヨシノが咲き誇り、桜の名所となっている萩城を訪れる。

厚狭(現山陽町)に領地を持っていた厚狭毛利氏の屋敷の一部で、安政3年(1856)に建てられた入母屋造本瓦葺きの長屋。梁間5m、桁行51.5mの長大な建物は、萩に残る最大の長屋で、当時の武家屋敷の姿をよく伝える遺構として重要文化財に指定されている。室内は座敷や中間部屋が横一直線上にいくつも連なり壮観。内部には、毛利家の姫が使った駕籠や道具類などを展示している旧厚狭毛利家萩屋敷長屋を訪れる。

敵を迷わせ、あるいは追いつめやすいように工夫して造られた鍵曲。別名「追廻し筋」ともよばれ、道が鍵の手に曲がり、左右を高い土塀で囲むなど見通しが悪くなっているのが特徴だ。藩政時代に多くの重臣たちの邸宅があった堀内や平安古などで見られる。一帯は重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、近くに国の重要文化財の口羽家住宅がある堀内エリアの鍵曲は、道がカラー舗装されており、往時を彷彿とさせる堀内鍵曲を訪れる。

上級武士の屋敷があった堀内地区に立つ施設。萩の歴史や自然、文化、また吉田松陰、高杉晋作ら明治維新期の偉人について楽しみながら学べる。季節ごとに企画展も開催。瓦屋根が開閉する天体観望室もあり、レストランではランチや夏みかんソフトなどが味わえる。毛利家のお姫様が使った駕籠も展示する萩博物館を見学。

もとは大内氏の祈願寺として山口にあったが、毛利氏とともに萩に移った古寺。山口市には現在も円政寺町という地名が残る。境内には十二支の彫刻が施された珍しい形式の金毘羅社があり、神仏混合の名残が見られる。伊藤博文や高杉晋作などが遊び、学んだ場所でもあり、幼い晋作が肝だめしをしたという大きな天狗の面や、遊んだ木馬(神馬)などが残る。県下最大の石灯篭もみどころの円政寺を訪れる。

石の造形をデザインに取り入れた、近代的な外観が印象的な美術館。萩出身の実業家・浦上敏朗氏が所蔵していたコレクションを山口県へ寄贈したことを契機に開館。歌川広重や葛飾北斎をはじめとする浮世絵約5200点、中国・朝鮮などの東洋陶磁約500点などがあることでも有名。2010年に増築された陶芸館では、萩焼をはじめとする陶芸の作品も見られる。1階には美術書が閲覧できるレファレンスコーナーやミュージアムショップ、喫茶がある。1階の和風展示室(茶室)では、現代芸術家の作品展示なども行われる山口県立萩美術館・浦上記念館を見学。

享保4年(1719)に毛利吉元が開き、嘉永2年(1849)に毛利敬親がここに移した藩校跡。敷地は約5万平方mもあり、藩校としては水戸の弘道館、鹿児島の造士館と並ぶ大規模なものだった。萩の下級武士の次男として生まれた吉田松陰が、19歳でここの兵学教授となった。敷地内には現在の明倫小学校があり、坂本龍馬が試合をしたという剣・槍術場の有備館、水泳や水中騎馬の練習が行われた石垣で囲った水練池、観徳門などが残る旧萩藩校明倫館を訪れる。

16:20東萩駅前バスで出発
17:42新山口駅前到達
18:05新山口駅新幹線のぞみで出発
19:58新大阪到達。

今回の旅行、本州最西端に位置する山口県に足を運び、毛利氏の長州35万石の城下町として栄えた萩、萩沖の離島大島・相島を訪れ車を使わずひたすら散策して巡り楽しめました。

2つの離島は漁業と農業で賑わってる実用的な島で、あまり観光に力を入れてないようで、観光名所は少なく、もっぱら萩の城跡と周囲に点在している武家屋敷を巡る観光でした。
















飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百三十二弾:山口県下関沖離島観光
2013年6月8ー9日


本州の最西端山口県に足を運び、関門海峡に面した下関沖の離島(長州出島、彦島、竹ノ子島、蓋井島、六連島)を訪れました。

8日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
15:57小倉到達、レンタカーで下関に向かう。

関門海峡沿いの港湾整備は、背後地の不足や船舶航行上の制約等により限界があることから、国際コンテナ貨物の増大や船舶の大型化に対応するため、関門海峡内に比べて制約が少なく、将来への発展可能性が高い新港地区に沖合人工島【長州出島】の整備を進めています。長州出島を訪れるが関係者のみ上陸のため入り口で島を望む。。

山口県南西端、下関市にある島。旧彦島町。関門海峡の西口に位置し、本州側には小瀬戸、北九州側には大瀬戸の海峡が通じ、交通上の要地を占める。高度100メートル前後の丘陵状の島で、面積10.60平方キロメートル。下関市街地とは関彦橋、彦島大橋などで結ばれている。また、JR山陽本線も本島を通過、関門鉄道トンネルで門司に至る。『日本書紀』に「引島」とみえ、平安末期には源平合戦の舞台となった。明治以降、化学、金属、造船などの諸工業が発達し、さらに下関漁港周辺に水産関連産業が立地し、下関工業の核心地区を形成している。早くから近郊農業が盛んで、第二次世界大戦前知られた温室メロンは現在では花卉栽培にかわった。南風泊漁港には下関を代表する味覚フグの市場がある。サイ上り神事で有名な彦島八幡宮の境内には縄文時代前期・中期の宮ノ原遺跡があり、老ノ山公園は関門港外、響灘の展望に優れる彦島を訪れる。

本州の西端・関門海峡に向って垂れ下がるようにのびているのが彦島。彦島と本州は2つの橋で結ばれている。

彦島の西にあるのが竹ノ子島。下関市彦島竹ノ子島は、彦島とは竹ノ子島橋という小さな橋で結ばれている。竹ノ子島と入江を挟んだ対岸には、ふぐの水揚げ日本一の南風泊市場がある。竹ノ子島で目立つのは、西岸の台場鼻潮流信号所と東岸の関門造船である。西岸から北岸にかけては、美しい海岸風景が展開されている。沖に目をやると、六連島、馬島が見え、若松から小倉に至る北九州工業地帯も指呼の間である竹ノ子島を訪れる。

18:00下関駅前のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

9日7:30レンタカーで吉見港に向う。
8:00吉見港到達。
8:30吉見港、渡船で蓋井島に向かう。

9:05蓋井島到達、

蓋井島は下関市街地から国道191号線を15kmほど北上した所にある吉見港から定期船で渡ることができます。くねくねとした島の形。大山(252m)、金毘羅山(城山:145m)、乞月山(こいづきやま:149m)等の山々が連なり、南側の湾内に集落と港があります。

島の歴史は古く島内からは古墳時代から平安時代にかけての集落遺跡(筏石遺跡)が発掘されています。また、島名や地名に神功皇后にまつわる話が残されていることから古い時代の大陸との関係を連想させてくれます。

周囲の海岸は荒波に侵食され磯釣りファンを誘う岩場が続き、一の岩門、二の岩門などと名付けられた洞窟も見られます。また、集落から遊歩道「やまどりの散歩道」を進むと灯台へと至り、さらに金毘羅山(城山)、大山方面へと絶景を望みながらのハイキングを楽しむこともできます。大山や乞月山には昭和10年代に造られた砲台やトーチカの遺構が残されています蓋井島を散策。

12:10蓋井島港、渡船で出発
12:45吉見港到達、レンタカーで下関竹崎港に向かう。
13:30竹崎港到達。
14:30竹崎港渡船で出発、六連島に向かう。
14:50六連島港到達

六連島は本州と九州を隔てる関門海峡の響灘側(日本海)に浮かぶ離島で、横から見ると平たい円盤のような形をしています。南西に並ぶ馬島は福岡県に属し、間の瀬戸は山口県と福岡県の県境になります。島の南西にある音次郎遺跡は縄文から平安時代にかけての遺物が見つかった場所で、古くからの人の営みが窺われ、また、『日本書紀』に「没利島(もつりじま)」と記されていたことから、古い時代から「ぼつり」「もつり」「むつり」「むつれ」等と発音される島だったようです。

島名の由来としては、周囲に小島が6つ連なって見えたから。最初の入植者が島を6等分した。あるいは韓国語の「モッアール(集落)」が語源だとする説、等々諸説あります。また、島の形が蟹の甲羅に似ていることから"かに島”と呼ばれていたこともあるようです。島内には海上自衛隊の施設や六連油槽所、明治4年に初点灯した六連島灯台などがあります。六連島灯台は現在では最も古い様式灯台の一つとなりましたが、造られた当時は近代的な灯台として明治天皇が見物に訪れています。

六連島はおよそ120万年前の噴火で出来た玄武岩の島ですが、中央の小高い丘からは世界でも3ヵ所しかないという雲母玄武岩が見らます。これは海底で噴出した溶岩が雲母を含んだまま急速に冷やされて出来たもので、世界でも珍しい雲母玄武岩が見られる場所として、国の天然記念物に指定されています。島では漁業よりも農業が盛んで、かつてはキャベツが特産のようになっていましたが、今ではハウスによる花き栽培が主です。また、アルコール漬けの瓶詰ウニの発祥地として特産になっています六連島を散策。

17:30六連島港、渡船で出発。
17:50竹崎港到達、レンタカーで小倉に向かう。
18:30小倉駅到達。
18:46小倉駅新幹線のぞみで出発
20:58新大阪駅到達。

今回の旅行、本州の最西端山口県に足を運び、下関沖の離島(長州出島、彦島、竹ノ子島、蓋井島、六連島)を訪れ楽しめました。

比較的都会に近い島であるにもかかわらず蓋井島、六連島、両方とも島の住民が100人余り、際立った観光名所もなく、素朴な島でした。若者は都会に移り、他の日本の多くの島と同じ様に過疎化しています。

蓋井島で休憩していましたら島の住民が話しかけてきました。村には小学校があり生徒は3人、学校の職員が5人、生徒を上まっていました。又最近小倉から若い親子が引っ越してきました。珍しいですね、何か訳があるのでしょうかねとおっしゃっていましたね。

他の日本の島と同様に名所な少ないが、離島は都会の雑踏から切り離され、すべてを忘れ没頭でき癒されますね。癒し系山口県下関沖離島めぐり観光でした。











行機で国内&海外の観光地巡り第二百十二弾:山口県周防沖離島観光
2012年10月27ー28日


本州最西端の山口県に足を運び、岩国の南に位置する古市・金屋白壁の街並みとして重要伝統的建造物群保存地区に選定されている周防柳井沖の離島(佐合島、馬島、牛島、祝島)を訪れました。

27日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
15:06広島駅到達
15:21広島駅新幹線こだまで出発
15:37新岩国駅到達、レンタカーで錦帯橋に向かう。
16:05岩国城ロープウエイ到達
16:20岩国城ロープウエイ出発
16:26岩国城到達

吉香公園背後、標高200mの城山山頂にそびえる白亜の天守は、桃山風南蛮造で3層4階の上に物見を置く珍しいもの。初代藩主・吉川広家が1608年(慶長13)に築城したが、1615年(元和元)幕府の一国一城令により、完成からわずか7年で取り壊された。現在の城は1962年(昭和37)に再建されたもの。内部は武具、甲冑類が展示されており、4階は展望台。城山山頂までロープウェイが通う岩国城を訪れる。

17:00岩国城ロープウエイ出発
17:06岩国城ロープウエイ乗り場到達、レンタカーで岩国駅付近のホテル到達、食事を済ませて就寝。
28日5:30レンタカーで柳井方面に向かう。
6:30麻里府港到達
7:05麻里府港渡船で出発

7:13熊毛郡田布施町の尾津漁港から南へ約1kmの瀬戸内海海上に位置し、瀬戸内海国立公園の区域に指定されています。島の名の由来については、平安時代から馬を飼育する馬牧として島が利用されていたため「馬飼い島」と呼ばれたといわれていますが、異説もあります。本土とは、公営渡船で約10分間の距離で、比較的便数も多く、気軽に楽しめるレジャーの島として人気があります。島内には、炊事場などを含めたキャンプ場やゲートボール場、遊歩道、海水浴場などのレジャー施設が整備され、多くの来島者を集めています馬島到達。
7:20馬島出発

7:31熊毛郡平生町佐賀から南西へ約2kmの瀬戸内海海上にあり、瀬戸内海国立公園の区域に指定されています。小さい島にもかかわらず北と南に100mを超える山があり、丘陵地が多く、平坦地はわずかでが、島全体が自然が豊かで、東側海岸線では 潮干狩りが、岩場では釣りが楽しめます。また海岸線に沿ってはハマボウフ、ツルナ、アシタバ、オカヒジキなどの薬草が自生しています。本土とは、渡船で約10分間の距離で、比較的船便も多く、島内へはUターン者や都会からの移住者もあります佐合島到達。

7:35佐合島出発
7:43佐賀港到達
7:50佐賀港出発
8:33麻里府港到達、レンタカーで長嶋方面に向かう。途中名所を2か所巡る。

田布施川河口に面した標高39mの神花山の頂上部に築かれた前方後円墳です。五世紀後半のもので全長30.3mです。後円部石棺の中から、ほぼ全身の女性人骨が発見されました。古墳の女性被葬者の埋葬例は少なく、古墳時代にこの地方に君臨していた豪族の首長であったと考えられます神花山古墳を訪れる。

飛鳥時代、聖徳太子の師・恵慈和尚の開山とされる真言宗の古刹。用明天皇の勅願で恋人般若姫の菩提寺として建立された。本堂には鎌倉時代初期の仁王尊像も安置する般若寺を訪れる。

10:00四代港到達
10:25四代港渡船で出発

10:40瀬戸内海有数の漁場とされる周防灘と、伊予灘の境界に位置する山口県熊毛郡上関町の島である。瀬戸内海の海上交通の要衝に位置し、万葉集にも登場、古代から栄えた歴史を持つが、高度経済成長期から人口が流出。現在は漁業と有機農業で生計を立てる過疎地域。対岸・上関町四代田ノ浦に建設が予定されている上関原子力発電所(上関原発)に反対する島民がいる祝島到達、散策。

12:30祝島出発
12:45四代港到達、レンタカーで室積方面に向かう。
13:35室積港到達
14:00室積港渡船で出発

14:20光市室積漁港から南東約8.4kmの瀬戸内海海上にある島です。島の名の由来は、平安時代に垣島牛牧として牛が放牧されていたことから「牛島」と呼ぶようになったといわれています。このためか島内には牛に関連した民話がいくつか残されています。島内には、豊かな自然が残されており、瀬戸内海では唯一のカラスバトの生息地として、島の全域が鳥獣保護区特別保護地区に指定されるとともに、島の南側には天然記念物に指定されているモクゲンジが群生しています牛島到達、散策。

16:30牛島出発
16:50室積港到達、レンタカーで岩国に向かう。
17:45新岩国駅到達
18:36新岩国駅新幹線こだまで出発
18:51広島駅到達。
18:56広島駅新幹線さくらで出発
20:27新大阪駅到達。

今回の旅行、本州の最西端の山口県に足を運び、周防沖の離島(佐合島、馬島、牛島、祝島)訪れました。
瀬戸内海の島々は過疎化が進み、島の住民は数十人、ほとんどがお年寄り、学校は閉校、空き家が多いが人は少ない、近い将来無人化する島が増えるでしょうね。

瀬戸内海の島々、派手さはなく素朴であるが、本土から離れ、雑踏から逃れられる離島めぐり満喫しました。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第百九十二弾:山口県周防大島離島島々観光
2012年5月26日ー27日


本州の最西端に位置する山口県に足を運び、海上に浮かぶ、金魚のような形をした島、瀬戸内海では淡路島・小豆島に次いで大きな島でミカンの産地として有名な周防大島を訪れ、周囲の離島、樽見観音の観音像は、難破船の帆柱で作られたといわれ、天日干しイリコの名産としても有名な浮島、野鼠退治のため、5年ごとに神楽を舞った伝説があり黄幡神社通夜堂は、商売繁盛の神として崇拝されている前島、屋代島の東端瀬戸ケ鼻の北約400mに浮かぶ有人島で、薬研岳(173m)を中心に斜面が海岸線まで続き、平地は少なく東側の入り江に本浦、大畑、伊の浦、佛の浦の4つの集落があります情島、昭和58年、屋代島間に沖家室大橋によって架橋、17世紀には瀬戸内海の海上交通の要塞として繁栄した沖家室島、かつては柳井周辺の塩田用薪の供給地でした笠佐島を訪れました。

26日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
15:06広島駅到達。
15:13広島駅山陽本線で出発
16:04岩国駅到達。

岩国駅市街地を散策し市内のホテル到着、就寝。

27日7:00レンタカーで周防大島方面に向かう。
8:00日前港から渡船で出発
8:14浮島江の浦港到達、浮島を時計回りで散策し一周する。

浮島北端に浮島大橋で渡れる頭島を訪れる。

江の浦港に戻る。

10:16江の浦港渡船で出発
10:30日前港到達、レンタカーで久賀港に向かう。
11:20久賀港渡船で出発
11:40前島港到達
11:45前島港出発
11:55久賀港到達、レンタカーで伊保田方面に向かう。

かつて世界最強の戦艦とされたが、昭和18年に東和町沖で謎の爆発を起こして海に沈んだ旧日本海軍の戦艦陸奥。ここは後年引き上げられた陸奥艦内の備品や艦首の一部を展示した記念館で、戦艦とともに命を絶たれた1121人の将兵の冥福を祈って、乗組員の遺品などを展示、戦争の悲惨さを訴えている。陸奥が爆沈した6月8日には毎年慰霊祭が行われる陸奥記念館を見学。

13:40伊保田港渡船で出発
13:55情島港到達、散策。
14:30情島港出発
14:45伊保田港到達、レンタカーで沖家室島に向かう。
15:30沖家室島到達、散策。
16:00レンタカーで笠佐島に向かう。
17:00小松港渡船で出発
17:07笠佐島港到達
17:10笠佐島港出発
17:17小松港到達、レンタカーで岩国に戻る。
18:30岩国駅到達。
18:33岩国駅山陽線で出発。
19:25広島駅到達
19:43広島駅新幹線のぞみで出発
21:04新大阪駅到達。

今回の旅行、本州の最西端の山口県に足を運び、周防大島周辺の離島を巡りました。

意外と知らない山口県の離島、素朴で派手さはなく、有名な名所もないが訪れるとなんとなく癒される離島、瀬戸内海エリアと日本海エリアに数多く点在し、何回かに分けて制覇していきたいと思います。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十一弾:山口県柱島群島観光
2012年3月3日ー4日


山口県の瀬戸内海に位置する柱島群島に足を運び、漁業が盛んで、自然とのんびりさがいい島、猫密度が高いの有名な端島、標高262mの金蔵山を中心に斜面が海岸線まで続き、東側に集落があり、近海での漁業と畑作やみかんの栽培などの半農半漁で、釣りなどで訪れる人が多い柱島、南側の樫山を最高点として全体的に山がちで平地は少なく、海岸線は岩場が続いており、農業は振るわず、漁業を中心とした生活が営まれてれている黒島を訪れました。

3日13:29新大阪新幹線のぞみで出発
14:45広島駅到達、山陽線で岩国に向かう。
15:06岩国駅到達、バスで錦帯橋に向かう。
15:35錦帯橋到達、散策する。
17:10錦帯橋バスで出発
17:40岩国駅到達、繁華街を散策し、居酒屋で食事を済ませて岩国港手前のホテル到達、就寝。
4日7:00岩国港に徒歩で向かう。
7:40岩国港高速艇で出発
8:31端島港到達、散策。

北にタコウ山(102m)、南に見壁山(むかべやま)(128m)があり、その間の平坦なところに集落があります。主に漁業が中心で、タイ、トラフグ、メバル、カレイなどが水揚げされています端島を散策する。

漁港と小学校の間にある。立派な石鳥居がたっている端島神社を訪れる。

小学校の手前の坂を上ったところにある。桜の季節には桜が咲き並び大変美しい景観となる桜並木を訪れる。

桜並木を少し登ったところに池がある。多少塩分を含んでいて、蛇の池は平郡島の蛇の池と底が続いているという伝説がある蛇の池を訪れる。

10:51端島港高速艇で出発。

10:59柱島港到達、散策。

北は広島県の倉橋島、南は山口県の屋代島、二つの大きな島の間にはいくつもの小島が点在しています。そしてそのほぼ中央に位置する島、柱島を散策する。

集落の外れにあり島の産土神として古くから信仰を集めてきた神社ですが、御神体には神武天皇をはじめ88柱の神々が祀られています。時代とともに色々な神が合祀されていったのかもしれません賀茂神社を訪れる。柱島という名はこの御柱の多さから名付けられたと言われています。

中世になると瀬戸内海では水軍が勢力を振るうようになり、柱島は長い間その拠点となっていたようです。島の頂上に水軍の城があったと言われていますが、今ではその痕跡はほとんど残ってはおらず、付近には太平洋戦争当時の見張り塔の跡や貯水槽が残されています。

島の南端の洲鼻に塔があります。昭和18年6月8日12時10分、戦艦陸奥が柱島南西沖約2kmの地点で謎の爆沈を遂げ、1,121人の犠牲者を出すという事件が起きています。この時多くの遺体が洲鼻や続島に流れ着き、事実が敵方に漏れないように秘密裏に荼毘に付されたと言います。後に柱島の人達が残された遺骨を拾い、犠牲者を悼んでこの地に墓を建てたものの戦艦陸奥英霊の墓を訪れる。

港から南へ向かう坂道を少し登った所にある西栄寺には赤禰武人の墓が残されています。赤禰武人は高杉晋作の奇兵隊でも活躍した長州藩士で尊皇攘夷の活動家でしたが、高杉などの倒幕急進派と対立、そして幕府のスパイとの嫌疑をかけられ長州藩によって処刑された人物です。武人はこの島で育ち、この島に潜伏しているところを捕らえられ山口市の出合河原において斬首されています西栄寺を訪れる。

14:15柱島港高速艇で出発
14;38黒島港到達、散策。

桂島群島に属し周防大島(屋代島)の北約7km、岩国港の南南東約23kmに浮かぶ漁業の島です。無人島の時代が長く、江戸時代に牛の放牧地として利用されるようになった後、天保11年(1840)に桂島からの移住で開拓が始まったと言われています黒島を散策する。

毎年7月中旬には大漁と安全を祈願して島民総出の三島神社大祭が催されます三島神社を訪れる。

三島神社の近くにあり、昭和20年の終戦間際に空襲を受け亡くなった島民19人の御霊を供養するためのものです。犠牲者の大半は幼児を含む子供達でした供養塔を訪れる。

16:38黒島港高速艇で出発。
17:14岩国港到達、歩いて和木駅に向かう。
17:38和木駅出発。
18:28広島駅到達。
19:06広島駅新幹線のぞみで出発。
21:30新大阪駅到達。

今回の旅行、山口県の瀬戸内海沖に点在する柱島群島に足を運び、戦艦陸奥で有名な柱島、自然豊かな、素朴な島、端島・黒島を訪れ、都会から逃れ癒されました。

ほとんどの離島は人口が減り過疎化し、学校も閉鎖、住民のほとんどがお年寄り、近い将来、離島に住む人がなくなるのではないかと心配するさまです。

都会の雑踏からのがれ、自然いっぱいの素朴な癒し系の離島観光でした。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六十五弾:山口県見島観光
2011年10月22−23日


本州最西端の山口県に足を運び、山口県萩市の沖、北北西に約45kmの海上に浮かぶ、人口約1,300人の小さな離島。古くから海上交通の要所として、大変重要な島で、今では、グルメブームで見島牛ばかりが有名になった感がありますが、海の幸や天下一品のコシヒカリなどもおすすめ品です。また、本土では見られない特異な文化もこの島ならではのものがある見島を訪れました。

22日13:25新大阪新幹線ひかりで出発
15:27新山口到達
15:38新山口駅バスで出発
17:22東萩駅前到達
17:30東萩駅前付近のホテル到達後市街地を散策し食事を済ませて就寝。

23日7:30歩いて萩城下町を散策して
8:30萩港到達。
9:05萩港高速艇で出発
10:15見島本村港到達、散策する。


青銅製で直径39cm、表面に陰刻の銘文があります。銘文によると南北朝時代(1331〜1391年)に当桙フ地頭と推定される永裕が寄進したとあります。優れた工芸品であり、讃岐坊の釣鐘と並び当時の見島の文化の高さを物語る貴重な資料として、市指定有形文化財に指定されています鰐口(市指定文化財)がある見島神社を訪れる。

ナバ石とも呼ばれ、男性シンボルを表したもので、原始宗教の遺物とみられています。この笠石の笠の上に小石を乗せて拝むと子宝に恵まれると言われています。島内には7つあったとされていますが、形をとどめているものは駐在所横や発電所横などで見ることができます笠石
を訪れる。

明治7〜16年(1874〜1883)まで干ばつ、冷害等に見舞われ、島民は生存すら困難な状態に陥りました。そのため、萩の商人や銀行から現在の金額で50億円もの借金をしてしまい、担保の家や田など全てを手放す寸前となりました。しかし、窮状を知った県知事が派遣した役人の下、13年間、一切の娯楽(行事、酒、鬼ようず作り)を禁止、節約し、島民の共同一致の努力で全ての負債を返しました見島還債碑(見島総合センター)を訪れる

見島はかつて本州の一部で、第4紀(1万〜200万年前)に日本海陥没によって島になりました。そのため、本土と45qも離れていても本土と同じような生き物がみられます。イシガメ、クサガメもそのひとつで、「片くの池(大池)」にはこれらのカメが生息しているので国指定天然記念物に指定されました
カメ生息地(国指定天然記念物)を訪れる。

島にダムと驚かれることでしょう。平成13年に堤頂の長さ300m(西日本一)のダムが完成しました。堤頂から見た景色は、目下に八町八反(広大な田園)、目前に広がる日本海、水平線の先には本土が見え、すばらしい景観ポイントです。また、堤頂の端には緊急用のヘリポートがあり、島を感じることが出来るおもしろい所でもあります見島ダムを訪れる
        
横浦海岸一帯にある積石塚古墳群で、その数は約200基もあります。7世紀後半〜10世紀初めに作られた古墳で、高度な文化をもった指揮官クラスの墓ではないかと考えられています。名前の由来は、台湾語で地公墓という共同墓地の意味か又は、じいさんのことをジーコーという名残があるので両者のどちらかではないかと言われていますジーコンボ古墳群(国指定史跡)を訪れる

和牛の原型と言われる牛で、室町時代に朝鮮半島から渡来した当時の姿をそのままに伝えています。成長はおそく3歳で繁殖年齢に達し、7〜8歳まで成長し続けます。雌は20歳以上になってもなお分娩するものもいます。近年では、霜降りでとてもおいしい肉質をもつ牛として、TVや雑誌などでも紹介され脚光をあびています見島ウシの産地(国指定天然記念物)を訪れる

宇津港方面に向かう。

明治38年(1905)5月、見島沖で日本海海戦が行われ、撃沈されたロシアのバルチック艦隊の乗員55名(内重傷者10名)がボートで宇津海岸に漂着しました。島民は同じ海に生きる者として、治療と救護に尽くしました。 当時は共同負債を抱え苦しい生活をしていましたが、島民でも食べられない白米のおにぎりなどを食べさせたという記録も残っています
露兵漂着記念碑を訪れる

全国で三カ所といわれる正観音が祭られ、昔からご利益が多いといわれています。そのため、島民をはじめ北浦一帯、遠くは四国、九州からも参拝客があります。堂の崎には仏石の積まれた賽の河原もあり、独特の雰囲気があります。周囲は赤褐色の溶岩崖に囲まれ、崖下の海も美しく、天気の良い日には本土を眺めることもできる絶景の観光ポイントとしてもおすすめです 観音崎(宇津観音堂:市指定文化財)を訪れる

13:30宇津港到達。
14:10宇津港高速艇で出発
15:25萩港到達、歩いて東萩駅に向かう。
16:00東萩駅到達
16:25東萩駅前バスで出発
17:40新山口駅到達
18:06新山口駅新幹線のぞみで出発
19:58新大阪到達。

今回の旅行、中国地方の本州西端にある山口県に足を運び、萩沖45kmにある見島を訪れました。

めだった名所は無いが離島特有の素朴で自然いっぱいの風景、癒されました。
この島に訪れる観光客の目的は見島牛と海の幸、黒マグロでも有名であるグルメとバードウオッチングでしょうね。あとは釣り人とダイバーです。

見島には船便が少なく滞在時間は4時間しかとれなかったが十分に島を散策でき、新たな発見も有り楽しめました。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第百三十七弾:山口県長門・萩&秋吉台観光
2011年3月26ー27日


本州の最西端山口県に足を運び、日本海に面した港町でダイナミッックな景観が楽しめる青海島がある長門、毛利輝元が築いた城下町を中心に、情緒豊かな町並みが残る萩、山口の北西部に広がるカルスト台地とその地下に広がる鍾乳洞で自然の神秘に触れることができる秋吉台を訪れました。

26日13:18新大阪新幹線のぞみで出発
15:15新山口でこだまに乗り換え
15:47新下関到達、レンタカーで観光

関の綾羅木郷遺跡で発掘された土器などが多数展示されており、郷土の歴史を楽しく学ぶことができる。屋外に竪穴式住居の復元する下関市立考古博物館を見学。

18:00下関駅付近のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

27日6:00レンタカーで出発、長門方面に向かう。

日本海に浮かぶ山口県西端の島。周囲約17km。海岸線の美しさはすばらしく、海岸は磯釣りのメッカ。古くから牧畜が盛んで、牛がのんびり草を食む放牧風景も見ることができる。西側の夢ケ崎には、1876年(明治9)に英国人技師R.H.ブラントンの設計で立てられた御影石製の角島灯台と角島灯台記念館が立つ角島を訪れる。

島の西端に位置する公園。園内には明治初期に建てられた灯台や記念館、休憩所などがある。1876年(明治9)、初点灯した洋館造りの灯台は高さ29.6m。らせん階段を上って踊り場まで行くと響灘が一望だ。朝日や夕日を背景に立つ美しいシルエットは一見の価値がある。職員の宿舎だった退息所を利用した灯台記念館では、角島の歴史や日本各地にある灯台を紹介。灯台長の部屋などが復元されている角島灯台公園を訪れる。

標高333mの高台に広がる草原。眼下に紺碧の日本海を見下ろし、晴れた日には萩の島々まで一望できる。周辺には風力発電の風車も見られる千畳敷を訪れる。

金子みすゞの実家跡に「金子文英堂」を再現し、当時のみすゞの生活をうかがうことができる。本館では、みすゞの作品と生涯を中心に展示し、みすゞの世界の魅力を分かりやすく紹介している金子みすゞ記念館を訪れる。

青海大橋で仙崎とつながる、周囲約40kmの島。島全体が天然記念物に指定され、特に北側の海岸は日本海の荒波に浸食された海食洞窟や断崖、奇岩が多く見られ、「海上アルプス」の別名もある。南西部に位置する青海湖は周囲4km、日本海と幅20〜30mの砂州で隔てられた、山口県最大の湖だ。砂州には松林が広がり、波の橋立てとよばれている青海島を訪れる。

青海島観光汽船一周コースの見どころのひとつ。海上に屹立する大小の岩が16人の羅漢のように見える、北海岸屈指のビューポイント十六羅漢[青海島]を訪れる。

くじら資料館裏手の清月庵境内にある、鯨の胎児を葬った墓。1692年(元禄5)、通浦鯨組の漁師たちによって建てられた。通の漁師たちにとって鯨漁は生死を賭けた戦いだったため、鯨に対する思いは真摯で、海を見ずに逝った胎児の鯨は丁重に供養されたという。近くの向岸寺には、捕殺された鯨の戒名を記した「鯨位牌」や「過去帳」がある。くじら資料館には古式捕鯨用具(重要有形民俗文化財)をはじめ、新旧捕鯨船や捕鯨の歴史資料を展示する鯨墓を訪れる。

青海島の通で江戸初期から明治時代まで、盛んに行われた古式捕鯨の歴史を紹介する資料館。鯨の標本や捕鯨船の模型のほか、実際に漁に使われていた縄や銛などが展示され、勇壮な漁の様子を知ることができる長門市通くじら資料館を見学。

湯本温泉方面に向かう。
1410年(応永17)、大内氏の支族の鷲頭弘忠が創建したと伝わる曹洞宗の古刹で、西の学府として栄えた。しかし1551年(天文20)、陶晴賢の謀反にあって山口を追われた大内氏31代義隆がここで自刄し、堂宇を焼失。現在の建物は毛利元就が再建したもので、広い境内に本堂、開山堂、観音堂などが立つ。境内を流れる大寧寺川に架かる盤石橋は、2枚の石盤を大小の石で支えた橋で防長三奇橋のひとつ。本堂裏手の山の中腹には、大内義隆主従の墓がある大寧寺を訪れる。

萩方面に向かう。

笠山の北端、虎ケ崎周辺約10万平方mの範囲には、60余種約2万5000本の椿群生林が広がっている。笠山の椿は一つの切株から乱立する幹が特徴的。江戸時代に城からみて鬼門にあたるため、この地の立入りが禁じられ、かえって手付かずの豊かな自然が残された。開花シーズンの2〜3月には、真紅の花が色鮮やかに咲き乱れ幻想的な光景に包まれる。毎年行われる椿まつりでは郷土芸能や特産市など多彩なイベントを楽しめる椿群生林を訪れる。

に生まれ、日展を舞台に作品を発表、枠にとらわれない芸術性の高い萩焼を作り続けた文化功労者・吉賀大眉の記念館。白萩釉の上に鉄釉をかけて焼き、美しい雲を描き出した陶壺『彩雲』や細口花瓶『雪峰映雲』などは必見。魯山人や金重陶陽など昭和の巨匠の作品、氏の古陶磁コレクションも見られる吉賀大眉記念館を訪れる。

1890年(明治23)に創建された、吉田松陰を祭る神社。はじめは松陰の兄の家に祭られていたが、1955年(昭和30)に現在地に移転。社殿が新たに造営された。学問の神として庶民の信仰が厚く、本殿の北隣には門下生を祭る松門神社が立つ。境内には松陰ゆかりの松下村塾などの史跡や展示館などが点在。毛利重就公が建てた茶室「花月楼」も立つ松陰神社を訪れる。

松陰神社境内にあり、吉田松陰の叔父、玉木文之進が開いた私塾。もともとは松陰の実家の物置だった建物で、和室2間に土間が付いただけの簡素なもの。松陰が指導にあたったのは、謹慎していた1856年(安政3)から通算2年半だが久坂玄端、高杉晋作、伊藤博文など、明治維新の原動力となった逸材を多く輩出した松下村塾[松陰神社]を訪れる。

松陰神社にあり、松陰の生涯を誕生から安政の大獄での刑死まで、20のシーンに分けてロウ人形で紹介している吉田松陰歴史館[松陰神社]を訪れる。

わが国の初代総理大臣・伊藤博文が、14歳の時に山口県東部の光市から移り住んだ家(史跡)。博文は約13年間をこの家で過ごし、17歳の時、松下村塾に通って吉田松陰の教えを受けた。建物内には入れないが勉強部屋が見られ、庭には母に叱られて立たされたという出世石が残る。隣接地には伊藤が東京郊外に建てた別邸が移築・公開されている伊藤博文旧宅・別邸を訪れる。

1691年(元禄4)、3代藩主・毛利吉就が創建した黄檗宗の寺。毛利家の菩提寺のひとつで大照院に偶数代の藩主が葬られているのに対し、ここには3代から11代までの奇数代藩主とその夫人が葬られている。墓前には大照院同様、藩士が寄進した500余基の石灯籠が老杉・檜に囲まれて立つ。境内には中国風の建物が並び、1693年(元禄6)ころの建築と伝わるベンガラ塗の総門や純唐様の三門、4代藩主・吉広が寄進した梵鐘がかかる鐘楼、本殿である大雄宝殿など重要文化財に指定された建物が多数。伽藍配置は中国の明時代末期〜清時代の様式で、龍の形を表したものと伝えられている東光寺を訪れる。

1925年(大正14)に建てられた洋館建築の旧萩駅舎を改装した資料館。今では珍しいドーマー(屋根窓)も復元された。旧待合室では萩の自然や歴史、観光名所などをビデオなどで紹介。旧事務室では、萩出身でわが国に初めて鉄道を敷いた井上勝をパネルで紹介し、鉄道関係の資料を展示している萩市自然と歴史の展示館を見学。

萩駅の西にある毛利家の菩提寺。萩藩初代藩主毛利秀就と、2〜12代の偶数代藩主を祭る。藩主夫妻の墓前には、重臣らが献上した603基の石灯籠が整然と並び、荘厳な雰囲気。書院には鎌倉末期に作られた檜の寄木造、玉眼に水晶入りの赤童子立像(重要文化財)が安置され、庭園から拝観できる大照院を訪れる。

永代家老に次ぐ寄組という役職にあった口羽家の屋敷で、旧三の丸の、橋本川と常盤島を望む一等地に立つ。毛利家江戸藩邸の門を移したという表門(重要文化財)は桁行22.2m、梁間4.9mのなまこ壁が美しい長屋門で、萩に現存する屋敷門の中で最大のもの。両脇部分には馬小屋や門番所などがある。主屋(重要文化財)は桟瓦葺き屋根の平屋で、座敷と奥座敷の間に武者隠しと見られる2畳の「相の間」が設けられているのが特徴の口羽家住宅を訪れる。

敵の侵入に備えて道を鍵の手にし、両側を高い塀で囲んだ平安古の鍵曲。堀内地区の鍵曲と並んで、重要伝統的建造物群保存地区に指定。現在も武家屋敷や長屋門などが残り、当時の面影をよく伝えている。橋本川沿いのこのエリアも夏ミカンの木が多く、土塀の上から顔を除かせる黄色い実が古い町並みによく似合う平安古の鍵曲を訪れる。

厚狭(現山陽町)に領地を持っていた厚狭毛利氏の屋敷の一部で、1856年(安政3)に建てられた入母屋造本瓦葺きの長屋。梁間5m、桁行51.5mの長大な建物は、萩に残る最大の長屋で、当時の武家屋敷の姿をよく伝える遺構として重要文化財に指定されている。室内は座敷や中間部屋が横一直線上にいくつも連なり壮観。内部には、毛利家の姫が使った駕籠や道具類などを展示している旧厚狭毛利家萩屋敷長屋を訪れる。

指月公園内にあり、標高143m、すっきりとした円錐型をした山。うっそうと茂る樹林は、藩時代に城内林として保護されていたため巨木が多く、幹回り5mを越すクスノキや樹齢600年以上の古木が見られ、天然記念物に指定されている。萩城詰丸の石垣や矢倉跡が残る山頂へは、志都岐山神社から20分ほど。晩秋は自生北限地とされるサザンカが美しい指月山[萩城跡指月公園]を訪れる。

関ケ原の戦いで敗れた毛利輝元が築いた城。中洲上にあるため工事は難行し、1604年(慶長9)から4年の歳月をかけて完成した。指月山麓の平城[ひらじろ]と山頂の山城を併せた平山城で、本丸には5層の天守閣があったが、1874年(明治7)にすべての建物を解体。現在は石垣と堀のみが残されている。石垣は自然石を使った野面積みで、戦時には素早く駆け上がれるように、城内側が階段状になっているのが特徴。旧本丸エリアは指月公園として整備されており、春は600本余の桜の名所として知られている萩城跡指月公園を訪れる。

周布家は萩藩の大組で、1530石取りの上級武士。旧三の丸北の総門筋に立つ長屋門は桁行21m、梁間4mという大きなもの。石積みの上に下見板張り、白漆喰、本瓦葺きのがっしりとした建物が立ち、出窓の飾り金具や懸魚などの意匠も格調高い旧周布家長屋門を訪れる。

菊屋家は毛利輝元に従って山口から移ってきた藩の御用商人で、大年寄格でもあった家。江戸初期に建てられたという主屋は広い座敷をもち、幕府からの使者が泊まる本陣として使われた。5470平方mという広い敷地内にはなまこ壁の蔵が立ち並び、主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場などが国の重要文化財に指定されている。各部屋には藩主からの拝領品や古書、民具、衣装など約500点を展示。家の西側のなまこ壁が美しい小路は、菊屋横丁とよばれている菊屋家住宅を訪れる。

江戸屋横町にある、木戸孝允(桂小五郎)の生家。当時としては珍しい木造2階建て桟瓦葺きで、12室もの部屋があり、父が藩医を務めていたために患者用と来客用の2つの玄関がある。孝允は1833年(天保4)に誕生し、約20年間をここで過ごした。誕生の間や勉強部屋などがあり、勉強部屋では後年、名筆家として知られた孝允の少年時代の習字も見られる木戸孝允旧宅を訪れる。

幕末の当時、日本屈指の蘭学医であった青木周弼は、13代藩主・毛利敬親[もうりたかちか]に召し出され、敬親の侍医を務めた人物。周弼宅には、全国から教えを乞う門下生が続々と集まったため、1859年(安政6)にこの家が新築された。主屋は来客用と内向きに分かれ、北側の6畳間が周弼の居間として使われていた青木周弼旧宅を訪れる。

もとは大内氏の祈願寺として山口にあったが、毛利氏とともに萩に移った古寺。山口市には現在も円政寺町という地名が残る。境内には十二支の彫刻が施された珍しい形式の金毘羅社があり、神仏混合の名残が見られる。伊藤博文や高杉晋作などが遊び、学んだ場所でもあり、幼い晋作が肝だめしをしたという大きな天狗の面や、遊んだ木馬(神馬)などが残る。県下最大の石灯篭もみどころの円政寺を訪れる。

熊谷家は萩藩7代藩主・毛利重就に所帯方御用達に抜擢されて以来、問屋・金融・仲買などを業として栄えた豪商。1768年(明和5)に建てられた主屋と離れ、本蔵、宝蔵が重要文化財に指定されている。初代坂高麗左衛門の茶碗や雪舟の掛軸、円山応挙の屏風など貴重な美術工芸品や古地図など約3000点を所蔵。蔵を改装した展示室で約100点を常時展示している。4代主人が親交を結んだ、ドイツ医師シーボルトから贈られた日本最古のピアノも見られる熊谷美術館を訪れる。

秋吉台方面に向かう。

壇之浦の戦いで敗れた、平景清が隠れていたという伝説が伝わる鍾乳洞。総延長約1.5kmの水平洞窟で、入口から約700mは、車椅子でも利用できる平坦な観光コース。さらに先には闇の中をヘルメット着用で歩く、400mの探険コースがある。洞内は水平天井、かすり天井などの鍾乳石が見事。化石の宝庫ともいわれる景清洞を訪れる。

秋吉台の自然を地質や地形から学ぶ「台麓」、鍾乳洞を解説した「洞内」、カルスト台地の成り立ちを学ぶ「台上」と3つのフィールドに分けて解説している自然館。大型映像ルームでは秋吉台の四季を美しい映像で楽しめる秋吉台エコ・ミュージアムを訪れる。

縦横に洞窟が発達した、5層からなる立体的な構造の鍾乳洞。見学できるのは約800m。上層の方が鍾乳石が発達し、各層は上から高天原(2層)・極楽・地獄・奈落と名付けられている。みどころは獅子岩や雪中の松などの大正洞を訪れる。

日本最大のカルスト台地。4502haが国定公園に指定され、そのうち1384haが特別天然記念物の指定を受けている。広大な草原には白い岩肌を見せる石灰岩の石柱群「カレンフェルト」や、雨水に侵食されて擂り鉢状になった窪地「ドリーネ」、「ドリーネ」が連合した「ウバーレ」、地下に雨水を吸い込む井戸状の深い穴「ポノール」などが点在。特に大小さまざまな石灰岩柱が数多く見られる地獄台や、原生林が茂る長者ケ森では、典型的なカルストの風景が広がる秋吉台を訪れる。

秋吉台の生い立ちや洞窟の形成など、自然の資料を展示している博物館。秋吉台が太古、珊瑚礁であり、石灰岩の中から発掘されたサンゴやフズリナ、ウミユリなどの化石が見られる秋吉台科学博物館を訪れる。

秋吉台バス停近くにある、円形2階建ての展望台。2階からは360度カルスト台地のパノラマが堪能でき、望遠鏡(有料)で迫力のある眺めが楽しめる秋吉台カルスト展望台[秋吉台]を訪れる。

秋吉台の地下約100mにある、わが国最大級の鍾乳洞。約3億5千万年前〜2億2千万年前に誕生したサンゴ礁が地殻変動によって陸地化。地下で石灰化したサンゴ礁が、長い間に地下水などに溶け洞窟となった。総延長は約10km。洞内では6種類のコウモリ、アキヨシミズムシなどの固有種や珍しい生物が見られる。公開されているのは約1km。正面口、黒谷口と秋吉台展望台から約300mのエレベーター口からも入洞できる秋芳洞を訪れる。

カルスト台地にしみ込んだ水が湧き出す池。環境省の「日本名水百選」に選定。水深が最深部で4m、面積310平方mの小さな池に、澄みきった水がこんとんと湧き出ている別府弁天池を訪れる。

17:30新下関に向かう。
18:30新下関到達
18:46新下関新幹線こだまで出発、広島でみずほに乗り換え
21:43新大阪到達

今回の旅行、本州最西端山口県に足を運び、日本海沿いの湯本温泉をはじめ、かまぼこで有名な仙崎地区や迫力のある海上アルプス楽しめる青海島などがある長門エリア、藩政時代の面影が随所に漂う城下町、吉田松陰など明治維新の原動力となった人物が生まれ育った町萩エリア、山口の北西部に広がるカルスト台地とその地下に広がる鍾乳洞で自然の神秘に触れることができる秋吉台エリアをドライブ観光して堪能しました。

観光名所が多い山口県、日本海側の自然と歴史的建造物に触れ、内陸の秋吉台では神秘的な大自然に触れ、今回でほぼ山口県を制覇しました。

東日本の大震災の影響で関東からの観光客も多く、結構、賑わっていました山口県長門・萩・秋吉台観光でした。




















飛行機で国内&海外の観光地巡り第八十二弾:山口県山口タウン&周南観光
2009年12月12−13日


今回は本州最西端の山口に足を運び、日本三名塔と知られる瑠璃光寺五重塔や約800年の歴史を持つ湯田温泉のある山口タウン、海の幸に恵まれ、市内にはフグをはじめとする活魚が味わえる店が多く又徳山港の西南約10kmに浮かぶ大津島は太平洋戦争末期に人間魚雷回天の発射訓練基地があったことでも知られている周南を訪れました。
12日13:22新大阪新幹線ひかりで出発
15:28新山口に到達、歩いて観光。

4つある展示室のうち、ぜひ見たいのが、小郡で7年間を過ごした俳人・種田山頭火のコーナーだ。山頭火が使っていた机などの遺品や遺作など約30点が展示されており、その人となりを偲ぶことができる。このほか小郡ゆかりの彫刻家・河内山賢祐の作品展示室、小郡周辺の民具を紹介した生活文化展示室も興味深い。その他ふるさと文化(歴史文化など)を紹介する山口市小郡文化資料館を見学。

昭和7年から13年まで種田山頭火が住んでいた草庵。山頭火はこの間にも各地を旅したが、放浪の人生にあって、最も長く結んでいた庵が、生まれ故郷の防府に近い其中庵だった。跡地に立つ現在の建物は、平成4年に復元されたもので、四畳半と三畳二間などからなる間取りは、当時の記録に基づき再現。室内に置かれた袈裟や火鉢などからも、質素な暮らしぶりがうかがえる其中庵を訪れる。

18:00新山口駅付近のホテルに到達後、繁華街を散策し食事を済ませてから床に就く。

13日7:00出発、今回の観光名所は各駅に集中しているため車を使わず、電車と歩きで観光巡りしました。

山口駅方面に向かう。

古都の風情が残る市街地を穏やかに流れる川。大内弘世が京都を模して山口の街造りを行った際、京の鴨川に見立てたといわれる。川岸の桜並木も美しく、3月下旬から4月上旬の開花の時期にはライトアップも実施。初夏はゲンジボタルが幽玄の世界に誘う一の坂川を散策する。

京を模した街造りを行った大内24代弘世が、1369年(応安2)京都の八坂神社を勧請した神社。本殿(重要文化財)は30代義興が1519年(永正16)に再建したもので、室町時代の様式をよく伝えている八坂神社を訪れる。

瑠璃光寺の周辺一帯を整備した公園。園内には、幕末に毛利敬親が茶事にことよせて藩士と討幕の策を練ったといわれる露山堂や、薩長連合の志士が集った沈流亭、明治時代以降の毛利家墓所、瑠璃光寺資料館などがある香山公園を散策する。

応永の乱で戦死した大内25代義弘の菩提を弔うため、弟の26代盛見が建立を計画。1442年(嘉吉2)ごろに完成した。高さは31.2m。大内文化を伝える貴重な建造物で、国宝に指定されている。上層にいくに従って細くなる塔身と、優雅な反りを見せる檜皮葺きの屋根が優美な調和を見せている瑠璃光寺五重塔を訪れる。

1572年(元亀3)創建後幾度もの変遷をへて、1868年(明治元)萩城内から移した毛利元就の菩提寺。もともとここは1404年(応永11)大内盛見が建立した国清寺の跡で、どっしりとした四脚門の山門(重要文化財)は当時の遺構。桟唐戸や花頭窓が美しい観音堂(重要文化財)は大内氏ゆかりの滝の観音寺の仏殿を移築したもの洞春寺を訪れる。

1863年(文久3)、毛利敬親[もうりたかちか]は萩から山口に長州藩庁を移し、新時代の到来に藩を上げて取り組んだ。1867年(慶応3)その藩庁の正門として建造された。松とケヤキを用い黒瓦屋根をのせた切妻造で、その重厚な趣がかつての藩の威信を伝えている旧藩庁門を訪れる。

1916年(大正5)に建てられた、旧山口県庁舎と旧県会議事堂を公開した施設。武田五一らの設計による大正建築の粋を凝らした後期ルネッサンス様式の建築で、国の重要文化財に指定。玄関ホールや正庁会議室、議員控室の天井など、随所に凝ったデザインが見られる。議場、知事室などが見学できる山口県政資料館を見学。

山口の自然、地理、歴史などを総合的に紹介する博物館。2階には理工、地学、天文の各展示室があり、3階の体験型理工展示室では、山口線運転シミュレーターでリアルな運転体験ができる山口県立山口博物館を見学。

フランシスコ・サビエルは1549年(天文18)に来日、日本に初めてキリスト教を伝えたイエズス会の宣教師。西国一の大大名だった大内義隆を頼って山口を訪れ、本格的な布教活動を行った。わずか5カ月ほどの滞在であったが、受洗者は500人を越えたといわれる。サビエルの来訪400年を記念して建てられた聖堂は1991年(平成3)に火災で焼失。その7年後、高さ53mの2本の塔を持つ斬新なデザインの聖堂として再建された。1階はサビエルの足跡と日本のキリスト教の歩みを紹介する記念館、2階は光と水をテーマにしたステンドグラスが美しい礼拝堂になっている山口サビエル記念聖堂を訪れる。

雪舟や狩野芳崖の日本画、香月泰男のシベリアシリーズなど、山口ゆかりの作家の作品を中心に所蔵。特に雪舟の『牧牛図・渡河』『牧牛図・牧童』は、国の重要文化財に指定されている名品だ。絵画のほか、写真や彫刻などのコレクションを年に数回展示替えして紹介している山口県立美術館を見学。

湯田温泉方面に向かう。

温泉街の一角、明治の元勲・井上馨の生家跡を公園としたもの。幕末に京都の政変で都落ちしてきた、三条実美ら七卿の宿舎にもなった。園内にはその記念碑や井上馨の銅像のほか、湯田温泉生まれの詩人・中原中也の詩『帰郷』の一節を刻んだ詩碑、一時湯田温泉に住んだ俳人・種田山頭火の句碑などが立つ高田公園を散策する。

近代を代表する詩人、中原中也の生誕地に立つ記念館。常設展示のほか、企画・特別企画展示コーナーがあり、さまざまな角度から中也の世界にふれられる中原中也記念館を見学。

徳山方面に向かう。

12:30徳山到達。

徳山港からフェリーで大津島に向かう。

大津島にある、太平洋戦争末期に特攻兵器として開発された人間魚雷・回天の記念館。記念館から徒歩12分のところには回天発射訓練基地跡が残る。特攻隊員の遺書や遺品の展示ほか、回天の歴史や時代背景をパネルやビデオで紹介。また、映画「出口のない海」で使用した全長3.5mの回天操縦室の模型を展示している。館脇には回天の実物大の模型もある回天記念館を見学。

フェリーで徳山に戻る。

周南ゆかりの洋画家・宮崎進、詩人まど・みちお、画家岸田劉生の作品や、毛利家資料など郷土の歴史資料を収蔵している。なかでも周南が生んだ日本の代表的な写真家・林忠彦の記念室は、作品だけでなく、愛用のカメラや機材も展示。有名な太宰治のポートレートのオリジナルプリントや、その撮影場所であるバー「ルパン」の再現コーナーもあって興味深い周南市美術博物館を見学。

18:00新幹線ひかりで出発
20:09新大阪到達。

今回の旅行、各駅に集中して観光名所が位置していたため、あえて車を使わず電車と歩きで観光巡りしました。

西ノ京と呼ばれ多くの寺や寺院が点在する風情ある町並みを歩く、山口タウンの散策、約800年の歴史をもつ湯田温泉、新幹線やSLやまぐち号が発着する鉄道交通の拠点、新山口、徳山港の西南約10kmに浮かび、太平洋戦争末期に人間魚雷回天の発射訓練基地があったことでも知られる負の遺産を訪ね、平和の尊さを心に刻む大津島のある周南、ローカルな電車と歩きでゆったりと訪れることが出来ました。

車を使っての観光は移動時間のロスが少なく、短時間で多くの名所を回ることが出来ますが、今回のローカル線を利用して歩きの観光巡りものんびり出来、又違った意味で楽しめることが出来ました。

たまにはこのような旅行も楽しいですね。次回又計画します。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第五十四弾:山口岩国&柳井観光
2009年3月7−8日


今回は山口県の日本三名橋の一つでもある木造五連の橋、錦帯橋とその麓に広がり今でも当時の町並みが残る城下町の岩国と江戸時代の豪商の屋敷が残るレトロな通りの白壁の町並みの柳井に足を運びました。

7日13:00新大阪新幹線のぞみで出発
14:31広島駅到達
14:40JR山陽本線経由して
15;30岩国駅到達、レンタカーで錦帯橋方面に向かう。

日本三名橋の一つでもある木造5連の橋、吉川家三代目藩主・広嘉の時代に完成された錦帯橋をわたる。
吉川氏の居館跡などが整備されてできた広大な公園、大噴水を中心にして多彩な植物や芝生が植えられている吉香公園を散策する。
江戸中期に建てられた入母屋造の中級武家屋敷で国の重要文化財である旧目加田家住宅、国の天然記念物、岩国でしか見られないシロヘビの白蛇横山観覧所を訪れる。

1608年、吉川広家が標高200mの横山山頂に築き、岩国市街を見渡せる山城、岩国城を訪れる。

18:00岩国駅付近のホテル到達。
岩国市街地繁華街散策、食事を済ませてから床に就く。

8日6:00天候曇り、レンタカーで山陽自動車道経由して徳山方面に向かう。
徳山駅周辺の市街地には、西緑地公園、中央緑地公園、東緑地公園の3つの緑地公園があり、総称して周南緑地公園とよばれている。その中の一つ、西緑地公園の一角にあり、ここには万葉集に詠まれている植物を集め、歌とともに紹介されている万葉の森を散策する。

桜の名所としても知られ、開運厄除や交通安全の神として信仰を集める古社、花岡八幡宮を訪れる。

瀬戸内海方面に向かい島巡り。
粭島、笠戸大橋を通過して笠戸島を巡る。
柳井方面に向かう。
途中、海の守り菩薩として広く信仰を集めている寺、雪舟作の枯山水の庭園も有名な普賢寺を訪れる。

室津半島、長島を巡り、室津半島の中央に位置する標高438mの大星山は、約1200万年前に瀬戸内火山帯の活動によって誕生し、山頂にある展望台からは、瀬戸内のエーゲ海とも称される南瀬戸内海を一望できる大星山展望台 を訪れる。

柳井到達。
柳井川沿いに中世からの町割をほぼ残し、街路に面して妻入り形式で本瓦葺き、入母屋造の屋根をもつ二階建ての町屋が立ち並び、いずれも昔ながらの商家で、敷地割は間口が狭く奥行きが深いのが特徴。家の庇も同じ高さで軒線が揃う白壁の町並みを散策する。

18世紀後半の建築で、入母屋造、本瓦葺きの土蔵造2階建ての油商の家国森家住宅、古市・金屋地区にあり、室屋の屋号を持ち、最盛期には50隻もの帆船を抱えた豪商・小田家の屋敷を利用した民俗資料館、商家博物館、むろやの園を見学する。

武蔵野、少年の悲哀などの作品で知られる国木田独歩が22歳のころに住んだ家を移築した記念館、独歩旧宅を見学し、国木田独歩は柳井在住時代、自宅から北東の光台寺へ向かう道を好んで散策したという独歩曽遊の道を歩く。

柳井で生まれて200年以上の歴史をもつ甘露醤油、その伝統が息づく醤油蔵の一部を資料館として公開する甘露醤油資料館、大正時代に醤油蔵として建設された蔵で歴史的文化遺産としてそのまま保存されているやない西蔵を見学。

1400年前の伝説が残る柳井の地名の発祥の地、柳と井戸を訪れる。

周防大島方面に向かう。
大島大橋を通過し、北側、大多満根神社境内を整備した公園、大島大橋と大畠瀬戸を一望するビュースポット瀬戸公園を散策する。

周防大島を左回りから巡る。
町衆文化伝承の館を中心に、歴史民俗資料館、生活の館、陶芸の館、久賀の諸職用具収蔵庫などの施設が集合する歴史文化ゾーン、古代の人々の暮らしをうかがい知ることができる八幡生涯学習のむらを見学。

周防大島の先端に向かい、かつて世界最強の戦艦とされたが、昭和18年に東和町沖で謎の爆発を起こして海に沈んだ旧日本海軍の戦艦陸奥、後年引き上げられた陸奥艦内の備品や艦首の一部を展示した記念館で、戦艦とともに命を絶たれた1121人の将兵の冥福を祈って、乗組員の遺品などを展示、戦争の悲惨さを訴えている陸奥記念館、約200種の海の生物を展示する水族館、タッチングプールでは、見るだけでなく実際にプールに入って海の生き物にふれることができるなぎさ水族館を見学。

島内における代表的なリゾートスポット、約1.5km続く白い砂浜をもち、波も穏やかな海水浴場は全国屈指の水質を誇る片添ケ浜海浜公園を散策する。

周防大島は1885年(明治18)に開始されたハワイへの官約移民で、1894年(明治27)までに3900人もの人を送り出し、夢を抱いて出発した彼らだったが、生活は決して楽なものではなかった。その移民の歴史を写真や生活道具など豊富な資料で紹介している日本ハワイ移民資料館を訪れる。

岩国に向かう。
17:30岩国駅到達、
17:55岩国駅出発、JR山陽本線経由して
18:45広島駅到達。
19:33広島駅新幹線のぞみで出発
20:58新大阪駅到達。

今回の旅行、山口県の日本三名橋の一つでもある木造五連の橋、四季折々に味わい深い表情を見せる錦帯橋と岩国城を中心とする、その麓に広がりに今でも当時の町並みが残る城下町の岩国と瀬戸内の温暖な気候に恵まれ、室町時代から水陸交通の要衡として栄え、白壁と格子窓の商家が約200m連なり、江戸時代の豪商の屋敷が残るレトロな通りの白壁の町並みの柳井、種々の橋で渡れる瀬戸内の島巡りドライブ、多くの歴史的建造物と自然いっぱいな島々を訪れ、堪能しました。

今回で3回目の訪れの山口県、次回は下関方面を攻めてみたいと思います。