山形

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百八十二弾:山形県小京都重要伝統的建造物群保存地区観光
2019年6月22−23日
 

東北地方の山形県に足を運び、山形県に点在する小京都重要伝統的建造物群保存地区9か所(上山、樽下宿、米沢、山形、谷地、肘折温泉、酒田、金山、銀山温泉)を訪れました。

22日16:20伊丹空港出発
17:35山形空港到達、レンタカーで山形市方面に向かう。

18:30山形市内のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。
23日5:00レンタカーで出発、上山方面に向かう。

上山:かみのやま温泉駅から徒歩約15分の場所にある上山城。戦国時代には最上氏の最南端の城壁としてそびえたちました。1692年に幕命によって取り壊されてしまいましたが、1982年に現在の城郭風の郷土歴史資料館として再現されました。展望台までのぼると、かみのやま温泉の町並みや、蔵王連峰を一望できますよ。城内にはかみのやまの歴史や文化を紹介する展示があるので、そちらもぜひご覧になってください。
春には城周辺に桜が咲き誇り、桜の名所としても知られるスポットです。

樽下宿:羽州街道の宿場町として、江戸時代には参勤交代や出羽三山詣で賑わいをみせた楢下宿。現在も残る茅葺屋根の古民家や石造の眼鏡橋など街道の歴史を感じさせる景観が広がります。
宮城県七ヶ宿から金山峠を越え、上山にぬける羽州街道の宿場町が楢下宿です。江戸時代の参勤交代の際には、新庄藩や庄内藩、秋田佐竹藩、遠くは津軽藩など、日本海側の十三藩がこの宿場町を利用したといわれています。

米沢方面に向かう。

米沢:米沢市は山形県の最南端に位置し、山形の母なる最上川の源流、吾妻連邦のすそ野に広がる米沢盆地にあります。冬は寒さが厳しく特別豪雪地帯に指定されていますが、スキーと温泉が楽しめます。その他の季節は恵まれた大自然をたっぷりと楽しめますし、イベントも多く開催され、1年を通して人気の観光エリアです。
現在のまちの原型は上杉家臣の直江兼続によって作られました。戦国のスーパースター上杉家ゆかりの地としても有名ですね。伊達正宗も米沢で生まれ、24歳までこの地で過ごしたそうです。人気の観光名所も上杉家と米沢城が中心となっています。ゆかりの人物のファンも満足のスポットが多くありますし、戦国時代を知るにはとても良い処だと思います。もちろん田んぼアートと温泉でただただまったりするのもお勧めです。

山形市方面に戻る。

山形:戦国大名の最上義明が、五十七万石の城下町として整備したのが山形。駅の近くにあり、今は博物館や郷土館のある霞城(かじょう)公園は明治維新までのお城だった。ただし、藩として山形は江戸末期のころの石高はわずか五万石程度にまで落ち込んでいた。古くからの特産は染料となる紅花で、これが京都へ送られ、西陣織りなどに使われて縁を深めた。
山形には近世の建物も残っており、ルネッサンス様式の文翔館(旧県庁舎・議事堂)、山形市郷土館、教育資料館が見所。特に、文翔館は重厚な雰囲気を持つ。山形市郊外にあり、松尾芭蕉が「閑さや?」と歌ったことでも知られる山寺(立石寺)は、慈覚大師により千百年前に創建されたもの。近くにはには山寺芭蕉記念館もあり、多くの観光客が訪れる。
石段を登り始めると、次第に移り変わる景色がある。夏の五穀豊穣を願う田植え踊りから始まった「花笠まつり」は、東北を代表するお祭り。冬になると蔵王の樹氷が見事だ。

酒田方面に向かう:

谷地:山形県,山形盆地の西部,河北町の中心集落。旧町名。寒河江川扇状地の北部にあり,最上川の船着場として栄え,ベニバナや米の取引が盛んであった。かつては全国一の草履表の集散地であり,現在ではスリッパの製造が地場産業となっている。

肘折温泉:出羽三山のひとつに数えられる月山の麓から流れる銅山川沿いに、共同浴場や温泉宿が立ち並ぶ。温泉街一帯には、遥か昔に湯治場として栄えていた当時の様子を偲ばせるような、ひなびた雰囲気が漂う、趣きのある景観が魅 力。 長い年月を経て愛されてきた肘折の湯にまつわる名所も点在しており、名所を巡るのも楽しみのひとつ。

酒田:江戸時代、酒田が北前船の港として栄えた歴史を持つのは、庄内地方が米の一大産地だったことによる。最上川の河口に港町だった酒田は、川村瑞賢が北前船の西回り航路を整備したことで、一気に江戸時代の主要港町に踊り出ることになり、それは「西の堺、東の酒田」と謳われたほどだ。
北前船による交易では、人や荷物の往来だけではなく、京文化も一緒に運ばれてきた。日本一の大地主として、藩主以上の力を持った豪商・本間家などが登場するのもそのころだ。井原西鶴の「日本永代蔵」に北国一の米商人として登場する鎧屋も実は酒田の商人。今はやや閑散とした雰囲気のある中心部だが、市内を歩くと随所に繁栄の跡を感じることができる。
また、当時の豪商が収集した文化財は、今では美術館などで公開されている。
港町としてのシンボルとなるのが、山居倉庫(さんきょそうこ)で、百年を経た今でも実際に使われているから驚く。
市内には港町の面影をあちらこちらに見ることができる。六角灯台も自慢のひとつで、至る所で六角形をモチーフにしたモノを見かける。
「古寺巡礼」などで知られる写真家・土門拳の出身地でもあり、氏の業績を記念して作られた土門写真記念には遠方より訪れるファンも多い。

新庄方面に向かう。

金山:金山町の中心部をめぐる農業用水路の大堰は町のシンボルであり町民たちの憩いの場としても利用されていて、辺り一体を大堰公園といいます。夜にはライトアップも行われ幻想的な世界へ連れて行ってくれます。春から秋にかけては堰に鯉が200匹放流されていて眺めているだけで満足できます。

銀山温泉:銀山温泉は、山形県の北東部・尾花沢(おばなざわ)市にある人気の観光温泉地です。銀山川の両岸に、大正時代の洋館ムードあふれる旅館が建ち並ぶ銀山温泉。そのノスタルジックな街並みが注目を集め、訪れる観光客が増えています。奥羽山脈の山麓にある銀山温泉は、16世紀の初めに栄えた延沢(のべさわ)銀山で働いていた鉱夫が発見したといわれています。昔ながらの湯治場の情緒が、今もなお色濃く残っています。

17:00山形空港に向かう。

17:30山形空港到達。

18:05山形空港出発。

19:25伊丹空港到達。

今回の旅行、東北地方の山形県に足を運び、山形県に点在する小京都重要伝統的建造物群保存地区9か所(上山、樽下宿、米沢、山形、谷地、肘折温泉、酒田、金山、銀山温泉)を訪れ楽しみました。

何回か訪れた観光名所も多く、散策し再確認しながら観光し癒されました。

広範囲のドライブ観光、車少なく、信号も少ない、渋滞なく、ストレス感じなく巡り堪能しました。























 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百三十ニ弾:山形県東北三十六不動霊場&お城・城下町巡り観光
2015年10月17−18日

東北山形県に足を運び東北三十六不動霊場3箇所、南北朝時代の内乱の際、北朝方の欺波兼頼によって、一定の基盤が築かれ、兼頼の子孫は最上氏を名乗り、庄内地方の武藤氏、陸奥国伊達郡の伊達氏と争う。又江戸時代になって入った上杉氏ゆかりの城もあるお城・城下町6箇所をめぐりました。

17日16:15伊丹空港出発
17:30山形空港到達、レンタカーで新庄方面に向かう。
18:20新庄駅前のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。

18日7:30レンタカーで出発、鶴岡、酒田方面に向かう。

松山城:天明元年(1781年)酒井忠休によって築かれた。
慶安2年(1649年)中山支藩として陣所が置かれていたが三代忠休のとき築城が許可され松山城を築いた。
現在も大手門が現存し土塁と堀の一部が残る。

新田目城:築城年代は定かではない。 十一世紀後半に出羽留守所職に任ぜられた須藤氏が築いたのが始まりとされる。

平形舘:
築城年代は定かではない。この辺りには出羽国府および国分寺が置かれていたと考えられてたが、発掘調査によっても奈良時代まで遡る遺物は発見されていない。

平形館は平賀館、金野館とも呼ばれ、天正18年(1590年)上杉景勝が太閤検地を実施したとき、これに抵抗して藤島城に立て籠もった平賀善可が館主と推測されている。

尾浦城:築城年代は定かではないが天文年間(1532年〜1555年)頃に(大宝寺)武藤晴時によって築かれたと云われる。 武藤氏は晴時の時それまでの居城であった大宝寺城から尾浦城へと居城を移した。天正11年(1583年)武藤義時は最上義光の誘いに乗って裏切った家臣前森蔵人の奇襲を受けて自害した。家督を継いだ武藤義興は天正15年(1587年)最上義光と東禅寺筑前守によって攻められ落城し自害した。この時義興の養子となっていた義勝(本庄繁長の子)は城を脱出して繁長のもとへ逃れた。天正16年(1588年)越後国の上杉景勝の家臣本庄繁長・義勝父子が庄内へ侵攻し、関根城・清水城などの諸城を落として尾浦城に迫ると、東禅寺氏は十五里ヶ浜でこれを迎え撃ったが敗れ、尾浦城代中山玄蕃は最上へ退いた。義勝は武藤氏を再興して上杉景勝を通じて豊臣秀吉に臣従したが、天正19年(1591年)大和国へ配流となり、所領は上杉氏に渡された。慶長5年(1600年)出羽合戦で最上義光が尾山城を攻め落城、上杉方の城将松本信濃父子が討死した。義光は家臣下治右衛門秀久を一万二千石で尾浦城主とすると、尾浦城を修復して大山城と改めた。この改修によって山城から平城に近い形に改められたという。慶長19年(1614年)下治秀実が暗殺されると義光の六男大山光隆が二万七千石で城主となった。元和8年(1622年)最上義俊が改易となると庄内に入部した酒井忠勝の所領となり、正保4年(1647年)七男酒井忠解に一万石を分地して大山藩を立藩させたが、寛文8年(1668年)忠解は嗣子なく没したため改易となり後は天領となった。

龍覚寺:羽黒山の登山口に龍覚寺は在る。一千年前の羽黒山は峨々たる剣山であって、老幼婦女の登山には適さないので、その祈願所として仁安年中(1166年)鶴岡城下の一隅三ツ曲輪南側に一宇を建立した。羽黒の御分身である正観音菩薩を勧請して龍覚寺と命名した。その後当時の大名の命によって浜中街道に移転したが、慶長十七年(1612年)に高畑土提上(現在地)に移された。
 元和八年(1622年)酒井忠勝公御入国の時に御城の鬼門に当たる祈願所として、特別の思召によって指定されたので、一躍酒井藩筆頭の地位を占め、禄高百五十石を賜り、三百年間に亘りその地位を保ち、本尊大聖不動明王を奉り、更に正観音菩薩を本尊として安置されている。

正善寺:荒沢寺の境内は羽黒山登山口の近くにある。
 由来は、崇峻天皇の代(587年)聖徳太子の従兄、蜂子皇子の草創と伝え、羽黒山の奥ノ院として女人禁制の聖域であった。皇子は、能除照見大菩薩と称され、南都諸大寺の法門に帰依し、法名を弘海と号した。諸国修行の途にあって怪鳥に案内され、羽黒山に登り、出羽三山を開いたという。
 その後、白鳳年間に役行者小角が入峯、大同元年には弘法大師が掛錫されたことを伝えている。

大日坊:
遙かに月山を望む湯殿山は出羽三山の奥ノ院と称し、その昔に弘法大師が開山したと伝えられている。女人禁制の札を守り、山岳信仰の道場として敬信されてきた、東北屈指の霊山である。
 湯殿山総本寺大日坊は、女人の湯殿山詣の悲願を以て開基し、本地法身の大日如来を安置して成就せしめたという。
当初は、「慈悲心寺金剛院大日坊」と称し、湯殿山女人遥拝所であった。
 一方、近世に大日坊が有名になったのは、「木食行者・真如海上人即身仏」が安置されていることであろう。


丸岡城:築城年代は定かではないがj丸岡兵庫頭義興によて築かれたと云われる。 義興は尾浦城主大宝寺義氏の弟で、丸岡城の前身である備前館の押切備前守が永正10年(1513年)に横山城へ移った後、丸岡城を築いて丸岡氏を称したという。元亀2年(1571年)大宝寺義氏が藤島城の土佐林禅棟を攻め滅ぼすと、義興は藤島城主となった。
大宝寺氏が滅亡した後は上杉氏、最上氏の支城となったが元和元年(1615年)の一国一城令によって廃城となった。
寛永9年(1632年)肥後国熊本藩主加藤忠広は改易となり、庄内藩酒井忠勝にお預けの身となり一代限りの禄として一万石が与えられた。庄内藩は忠広の居所として丸岡城跡に忠広館が建設された。正保3年(1646年)火災によって焼失したが再建され、承応2年(1653年)忠広が没すると廃館となった。

小国城:築城年代は定かではないが南北朝時代に小国氏によって築かれたと云われる。南北朝時代に小国兵庫頭は南朝方として活躍しており、この頃には小国城が築かれていたと考えられている。天文6年(1537年)〜天正6年(1578年)まで城主であった小国因幡守は五百石を領し、この因幡守の時代に本郭的な城館へと改修された。その後の動向は定かではないが、庄内地方は大宝寺氏から上杉氏、そして最上氏へと領主が替わり、元和元年(1615年)の一国一城令によって廃城となった。現在残る遺構は上杉氏の時代に改修されたものと推測されている。

14:50山形空港に向かう。

16:30山形空港到達。
18:00山形空港出発。
19:20伊丹空港到達。

今回の旅行、東北山形県に足を運び東北三十六不動霊場3箇所、お城・城下町6箇所をめぐり楽しみました。

天候は快晴、絶好の観光日より、田畑が一面に広がっている山形平野、広くて真っ直ぐな道も多く、ドライブしながら霊場、お城巡り癒やされました。

尚、飛行場で台湾から多くの台湾人がチャーター便で訪れていました。外国観光客も日本の観光地を網羅してきてるみたいですね。今回は山形県の観光地のどちらを訪れたのでしょうね。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百十八弾:山形県東北三十六不動尊霊場&城・城下町巡り観光
2015年6月27−28日

サクランボ、蔵王で有名な東北の山形県に足を運び、山形県内の秋田・青森・岩手・宮城・福島の東北6県をそれぞれ六波羅蜜の道場に見立て、各県で6つの札所を巡る東北三十六不動霊場3箇所、城・城下町12箇所を訪れました。

27日16:15伊丹空港出発

17:30山形空港到達、レンタカーで天童方面に向かう。霊場巡り。

大樹院:
山形盆地の東端に位置した青野郷は、大岡山から南に広がる農業地域で、丘陵には果樹園が営まれている。大樹院はこうした中に在り、裏山一帯ではリンゴの栽培が行われている。本尊不動明王には、このような話しが伝わっている。「請雨瀧不動尊は、往古、弘法大師湯殿山を開基し給いしのち下山の砌り、最上荘大早魃に罹れ、雨を乞うとて諸俗あつまり西根より東根に至るまで其の趣き成る故、悉くそれを憐み給い、弘法大師辰己の方につき、山に下りて雲を発し候故に此処に山篭し玉いて雨を乞うに、則ち雷不動尊あらわれ給い、弘法大師、請雨瀧に勧請せらる」と。

光明院:温泉と将棋の駒で有名な天童市で、光明院は上山口村に伽藍を鎮め、高瀧不動尊の本坊として、土地の信仰を集めている。
 不動尊利益和譛から縁起を見ると、「聖武天皇の御宇、行基菩薩が開眼した景勝無双の霊地にて、その霊験は世々に赫灼なり」と記す。不動尊の影現は滝の魔崖仏である。峻厳な山の気を分けて千仞の谷に降りると、幽邃境に瀑布がひびき、屏風岩に不動明王と阿弥陀仏の影向を拝することが出来る。

慈恩寺:寒河江市は最上川と支流の寒河江川に挟まれた農畝地帯で、慈恩寺の文化を中心に発展してきた地域である。
 草創は神亀元年(724)に遡り、行基菩薩が諸国遊錫に訪れ、都に帰った折り、この地の景勝を奏上された。時に天平18年(746)印度の波羅門僧上が勅宣を以って開山し、勅願寺と定められたのが始まりと伝えられている。
 往古は天台宗・真言宗の二宗兼学によって護られてきた。近年に山内を統一し、最上院、華厳院、宝蔵院とこれに属した十七坊で一山組織を形成し独立した。

17:00天童駅前のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。

28日7:00レンタカーで出発、お城巡り。

天童城:天童城は、天授元年に天童頼直によって築かれた。 南北朝時代に北畠天童丸が築いたとも云われているが、定かでない。
天童頼直は、山形城主斯波(最上)直家の二男で里見氏の跡を受けて天童に入り、天童氏を称した。 天童氏は、『最上八楯(天童・延沢・飯田・尾花沢・楯岡・長瀞・六田)』と呼ばれる村山地方の館主の盟主として、惣領家最上氏に匹敵する勢力を誇った。
天正12年、天童頼久は最上義光に天童城を攻められ落城し、城は廃城となった。 尚、天童頼久は、国分氏を頼って逃れ、のち伊達氏に仕えた。

寒河江城:寒河江城は、嘉禄年間に大江親広によって築かれた。 親広は、鎌倉幕府創世記の重臣大江広元の嫡男で、建久3年に父より寒河江荘地頭職を譲られ、承久の乱で敗れた後に寒河江に逃れて土着する。 
8代時氏から寒河江氏を称した。 寒河江氏は、戦国時代になると最上氏の勢力拡大により都度攻防を繰り返したが、天正12年最上義光によって寒河江高基は滅ぼされた。

山形方面に向かう。

畑谷城:築城年代は定かではない。 城主は江口五兵衛光清で、上杉領との境に位置する要所の為、武勇の誉れ高かった江口氏が長岡城より八千石を領して移封されたという。
慶長5年(1600年)関ヶ原合戦前、上杉討伐のため北上中の徳川家康は石田三成の挙兵により西へ引き返す。最上氏は南部氏などの諸将を最上へ集結し米沢口より会津領へ押し寄せる予定であったが、石田三成の挙兵を聞いた諸将は領内の安定をはかるために領国へ退いてしまう。上杉氏は周辺大名の動向を見たうえで、直江兼続を主将とする大軍を最上領へ侵攻させる。これに対して最上軍は各出城を破棄して兵力を集中させることを目指すが、畑谷城主江口光清は、敵を目の前にして城を明け渡すのは武士として末代までの名折れとして上杉軍を迎え撃った。義光は飯田播磨守・谷柏相模守などを援軍として派遣したが、到着する前に落城、勝ちに乗じた上杉軍は軍勢を二手に分け長谷堂城・上山城へと向かった。

長谷堂城:長谷堂城は、築城年代や築城者については定かでない。 永正11年に伊達氏が最上方の長谷堂城を落としたとの記録があり、この頃には既に最上氏の城として機能していた。
慶長5年、直江兼続に率いられた上杉軍2万が米沢から東軍に与した山形城の最上義光を討つべく北上して、長谷堂城を囲んだ。 城主志村光安は上杉の猛攻から長谷堂城を守り通し、上杉勢の山形盆地進入を阻止した。
翌年、志村光安はこの戦功により東禅寺城3万石の城主となった。 その後坂紀伊守が城主となったが、元和8年に最上義俊改易となり、長谷堂城も廃城となった。

上山城:上山城は、天文4年に武衛義忠によって築かれた。 羽州街道の要衝の地である上山城は、慶長5年に西軍に与した直江兼続率いる上杉の大軍に攻められたが、城主里見民部以下の奮戦により撃退した。
関ヶ原以後、城主は里見・坂氏、次いで最上義光の五男義直(上山光弘)が城主となり、21,000石を領した。 
元和8年、最上義俊改易になり、義直も筑前黒田氏へお預けとなった。
同年上山へは遠江横須賀より松平重忠が入封し4万石を領した。 松平−蒲生−土岐と城主が変遷したが、元禄5年に土岐頼殷が越前野岡へ移った後、上山城は幕命により破却された。 その後、金森頼時、元禄10年には備中庭瀬から松平信通が3万石で入り、以後松平(藤井)氏が10代続いて明治に至った。

中山城:中山城は、戦国時代の永禄から元亀年間に米沢城主伊達輝宗の家臣中山弥太郎によって築かれた。
天正18年、蒲生氏郷が会津若松に入ると、中山城は蒲生領となり、氏郷は、重臣蒲生郷可に13,000石を与え城主とした。 この蒲生時代に城の修築と拡張がなされたと考えられている。
慶長3年、上杉景勝が越後春日山から会津へと移封され、中山城へは横田旨俊が城代として入った。 慶長5年に関ヶ原の役後、中山城は廃城となったが、その後も山麓には御役屋陣屋が置かれた。

米沢方面に向かう。

館山城:築城年代は諸説あるが天正15年(1587年)頃に伊達政宗によって築かれたとの説が一般的である。 天正12年(1584年)伊達輝宗が隠居所として館山へ移つり、隠居所の普請が完了するまで家臣鮎貝宗重宅に住み、翌13年に移ったという。天正15年(1587年)には政宗自身が地取・縄張して築城を開始、しかし天正19年(1591年)には領地替えで岩出山城へ居城を移し廃城となった。また一説には、伊達氏が米沢を居城としていたのは米沢城ではなく、この館山城という説があり、政宗の普請はそれを改修したとする説がある

最上方面に向かう。

延沢城:天文16年(1547年)野辺沢(延沢)薩摩守満重によって築かれたと云われる。 野辺沢氏の出自は詳らかではないが天童氏に従っており、満重のときに野辺沢城を築いて本町館より移ったとされる。
満重の子が野辺沢(延沢)能登守満延で、天正12年(1584年)嫡男又五郎(後の光昌)に最上義光の娘松尾姫を迎え、最上氏に従ったことから天童氏は滅亡した。天正19年(1591年)満延が没すると光昌が家督を継いだ。
野辺沢(延沢)遠江守光昌は長谷堂城の戦いや庄内退治などに参加し、二万石を領したが、元和8年(1622年)最上氏が改易となると肥後国熊本藩加藤氏にお預けの身となり、熊本にて病没した。
最上氏に代わって鳥居氏が山形へ入部すると家臣の戸田玄蕃が城番として延沢城に入ったが、寛永7年(1667年)に廃城となった。

小国城:築城年代は定かではないが、細川氏が岩部館(小国城)を築いて富沢館より移ったのが始まりとされる。
細川摂津守直元は天童城主天童頼澄に娘を嫁がせるなど天童氏と結んで最上氏に対抗する。 天正12年(1584年)天童城は最上義光によって落城、城主天童頼澄は陸奥へ逃れ天童氏は滅亡する。この勢いに乗じて最上軍は山刀伐峠を越えて小国郷へ侵攻し、細川直元はこれを馬騎原で迎え撃ったが敗れ滅亡した。この戦いで格別の功があった蔵増城主倉津安房守は小国郷八千石を得て、嫡子が小国日向守光基と名乗って小国城を改修し居城とした。
元和8年(1622年)最上氏が改易となると陸奥国仙台伊達氏によって城は接収され破却、廃城となった。小国光基は肥前国佐賀鍋島氏にお預けとなり、小国郷は新庄藩の所領となって、小国城の麓に代官所が設けられた。

新庄方面に向かう。

新庄城:天正8年、日野有祐によって築かれたと言われている。 日野氏は山形城の最上氏に臣従して、「最上四十八館」の一つに数えられている。  しかし、元和八年に最上義俊の改易と共に廃城となった。
同年、常陸松岡より戸沢政盛が六万石で新庄の北方真室城に入封した。 政盛は、寛永2年に新田分を加え67,000石を領し、翌年に新庄城を再築した。 戸沢氏は、明治まで11代この地を動くことなく明治に至った。

鮭延城:築城年代は定かではないが佐々木綱村によって築かれたと云われる。 佐々木氏は近江源氏佐々木の一族と云われ、佐々木綱村のとき近江国より出羽国へ下向し、仙北の小野寺氏の客将となったという。
鮭延城の築城に関しては諸説あり定かではないが、佐々木氏は当初岩鼻館を居城としていた。しかし、庄内の大宝寺氏との戦いで敗れ、当時幼小であった秀綱は大宝寺氏に捕らわれて庄内へ連れ去られ、岩鼻館周辺の所領を失った。その後、佐々木氏は真室郷へ退き鮭延城を築き居城としたと云われる。
天正9年(1581年)鮭延秀綱のとき最上義光の攻撃を受けて降伏、その後は最上氏に従った。鮭延秀綱は以後、最上氏北方の拠点として小野寺氏などとの戦いで戦功を挙げた。
慶長5年(1600年)上杉景勝が最上領に侵攻した長谷堂城の戦いで、鮭延秀綱はその武勇を大いに知らしめ、重臣として一万一千五百石を領した。 しかし、元和8年(1622年)最上氏は改易となり、秀綱は下総国佐倉藩主土井利勝にお預けとなった。その後、秀綱は客分として五千石を領し、土井氏の古河転封にも従い天保3年(1646年)に没した。
その後、常陸国松岡より戸沢政盛が六万石を領して入封すると、当初は鮭延城を居城としたが、寛永元年(1624年)新たに新庄城を築いて移り廃城となった。

清水城:築城年代は定かではないが文明10年(1478年)頃に清水満久によって築かれたと云われる。 清水満久は最上の祖である斯波(最上)兼頼の曾孫で、鳴沢城主鳴沢兼義の次男である。 最上氏は北方の守りを固める為に鳴沢満久をこの地に封じ、清水氏を称した。
満久は当初白須賀の元館を築いて居城としていたが、文明10年(1478年)頃に清水城を築き、以後代々清水氏の居城となった。
長年にわたり庄内の大宝寺氏と争っていたが、永禄10年(1567年)頃には大宝寺氏によって清水城は落城した。
六代清水義氏には嫡子なく、最上義光の三男義親を養子に迎えた。この頃には清水氏は二万七千石余りの所領を持っていたという。
最上義光には三男の男子がいたが、嫡男義康は山形城に置いたものの、次男家親は徳川家、三男義親は豊臣家に近侍として奉公させていた。嫡男義康は義光より早く没し、家督は次男家親が継いだ。徳川家康の諱を受けた家親と、豊臣家に仕えた過去を持つ清水義親は氏第に対立が深まり、慶長19年(1614年)家親の命を受けた延沢遠江守光昌らが清水城を急襲し落城、清水氏は滅亡した。

14:30山形空港に向かう。

15:25山形空港到達。
18:00山形空港出発
19:45伊丹空港到達。

今回の旅行、東北の山形県に足を運び、山形県内の東北三十六不動霊場3箇所、城・城下町12箇所を訪れ楽しみました。

霊場は歴史深く立派な歴史的建造物でした。一方お城は、戦国時代戦いのために築かれた山城が多く、山頂にこじんまりした城跡を確認できました。

平城は権力者の住まいとして立派住まいを想像できる城跡でした。

比較的マイナーな城跡めぐり、見つけるのが一苦労要しますが、どんな城跡か、歴史的意味はなにか、楽しみなお城巡り満喫しました。




















飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十二弾:山形県山形・蔵王観光
2013年8月31日ー9月1日
 

雄大な景観の蔵王ドライブや、最上峡の舟下りのほか、芭蕉ゆかりの山寺、港町・酒田の倉庫街歩き、銀山・天童などの名湯も魅力。サクランボ産地としても名高い山形県に足を運び、松尾芭蕉が奥の細道で訪れた山寺、江戸時代初期に最上家57万石の城下町として栄えた山形市、トレッキング、スキー、温泉と1年を通じて賑わう蔵王を訪れました。

31日16:15伊丹空港出発
17:30山形空港到達、レンタカーで山形市内に向かう。
18:30山形市内のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
9月1日7:00山形城跡を散策する。

山形城跡を整備した、約35万平方mの都市公園。園内には日本古来の伝統的建築様式で、二ノ丸東大手門が復原されている。山形市郷土館や山形県立博物館、広場には11代藩主・最上義光[よしあき]の騎馬像が立つ。春には約1500本の桜が咲き乱れる、桜の名所でもある霞城公園(山形城跡)を散策する。

11代山形城主義光公と最上家の資料館。義光が身につけた兜や鉄製指揮棒、上杉勢との戦いを描いた長谷堂合戦図屏風などを展示している最上義光歴史館を見学。

3階建て多層民家風の建物。ルノワールやモネなどの印象派の作品をはじめ、ピカソ、シャガール、与謝蕪村など国内外の巨匠の絵画・彫刻を常設展示している。さまざまな企画展も開催する山形美術館を見学。

蔵王に向かう。

ドッコ沼など大小の沼や原生林をめぐり、高山植物や野鳥を見られる散策路。スカイケーブルの中央高原駅と中央ロープウェイの鳥兜駅間、1周約6kmが整備されている蔵王中央高原を散策する。

山寺に向かう。

860年(貞観2)比叡山延暦寺の別院として慈覚大師(円仁)により創建された天台宗の古刹。室町末期に戦禍にあい、建物の多くが焼失したが、1543年(天文12)に復元された。山門から苔むした石段が奥の院まで続き、頂にそそり立つ凝灰岩に堂宇が張りつく姿は、一幅の水墨画をおもわせる立石寺(山寺)を訪れる。

立石寺境内にある、1300年代に再建された単層入母屋造の堂。開山以来、比叡山から移した不滅の法燈が1千年以上燃え続ける。国の重要文化財の根本中堂[立石寺]を訪れる。

立石寺の数々の寺宝を安置。1144年(天養元)の如法経所碑は国の重要文化財。ほかに木造伝教大師座像、木製曼陀羅懸仏などの山寺宝物殿[立石寺]を訪れる。

立石寺の山門から仁王門への途中に立つ。芭蕉の句をしたためた短冊を納めた記念碑。芭蕉が山寺を訪れたのは1689年(元禄2)のことのせみ塚[立石寺]を訪れる。

16:00山形空港に向かう。
16:30山形空港到達。
18:00山形空港出発。
19:20伊丹空港到達。

4回目である山形県、今回はまだ訪れていない山寺と蔵王を時間をかけて観光いたしました。

スカイケーブルと蔵王中央ロープウエイ2回にわたって蔵王中央高原に訪れ散策しました。

スキーシーズンに訪れたことのある蔵王、夏の高山植物が咲き乱れる自然の宝庫、樹氷で有名な冬とは違った、絶好の森林浴を楽しめました。

開山から1100余年の歴史を持つ古刹・山寺立石寺、山全体が霊山となったその姿は東北屈指の名勝地として知られている、1015段の石段を登り切り訪れました。

今回の山形旅行で、ほぼ山形県を制覇しました。





 






飛行機で国内&海外の観光地巡り第百九十六弾:山形県新庄・最上&天童・上山観光
2012年6月23ー24日
  

山あり、川あり、海あり、その豊かな自然は、季節ごとに美しい景色やおいしい味覚などを引き出している山形県に足を運び、県内でとりわけ豊かな自然が残るエリアで最上川舟下りや日本最大級の巨木を訪ねての癒しの時を過ごせる新庄・最上、サクランボをはじめとするフルーツが楽しめ、大正ロマンの情緒を味わえる天童・銀山、県内屈指の規模を誇る温泉、上山城や斉藤茂吉記念館など見どころがたくさんある上山を訪れました。

23日16:15伊丹空港出発
17:30山形空港到達、レンタカーで山形市内に向かう。
18:30山形市内のホテル到達後市街地を散策し食事を済ませて就寝。

24日6:00レンタカーで出発、赤湯方面に向かう。

南陽市出身で日銀総裁や大蔵大臣を務めた、結城豊太郎の業績を紹介。結城が教育振興施設として設立した臨雲文庫の敷地内に立つ。館内には、王義之をはじめ中国書家・原拓など、貴重な書道資料や遺品を多数展示している南陽市立結城豊太郎記念館の前で記念撮影。

上山方面に向かう。

江戸時代、奥州諸大名の参勤交代の宿場町として栄えた楢下宿。一帯は国の歴史国道の選定を受け、史跡にも指定。当時の面影を残す4棟の建物が復元され、街道中央を流れる金山川には石造りのめがね橋が2本架かっている。脇本陣滝沢屋は歴史民俗資料館も兼ね、貴重な資料を展示。他の古民家は、無料で見学できる楢下宿を訪れる。

楢下宿にある江戸期の建物で、民具などを展示している脇本陣滝沢屋を訪れる。

上山で製糸業を営んでいた長谷川家の私設博物館。中国の明、清時代の漆工芸コレクションは国内屈指の質と量で、中国堆朱は有名の蟹仙洞を訪れる。

月岡公園内にあり、1535年(天文4)築城、1982年(昭和57)再建後は郷土資料館。蔵王の四季や上山の歴史を紹介。最上階から蔵王と市街を一望にできる上山城(月岡城)を訪れる。

上山市出身で、近代文学史上に大きな足跡を残したアララギ派の歌人・斎藤茂吉の遺稿や書画、遺品を展示。箱根から移築された茂吉の勉強部屋のほか、晩年を過ごした自宅の一部も再現・公開している斎藤茂吉記念館を訪れる。

天童方面に向かう。

1879年(明治12)竣工の洋風木造建築。玄関ポーチやステンドグラスが印象的。幕末から大正にかけての郷土資料を展示する天童市立旧東村山郡役所資料館を訪れる。

「東海道五十三次」で知られる江戸時代の浮世絵師、歌川広重。江戸詰めの天童藩士らと交遊があり、財政難の天童藩に「天童広重」と呼ばれる肉筆画を描くなど天童とゆかりがある。ここでは錦絵・版本・肉筆画など、毎月テーマを替えて展示している広重美術館を訪れる。

708年(和銅元)、行基菩薩創建の古刹。860年(貞観2)、慈覚大師が現在地に移した。正式名は、鈴立山若松寺。入母屋単層造銅板葺きの観音堂に安置されている金銅聖観音像懸仏は、観音堂とともに国の重要文化財に指定。昔から縁結びの観音として親しまれ、西の出雲大社、東の若松観音として有名。めでためでたの若松さまと、花笠音頭でも歌われている若松寺(若松観音)を訪れる。

1940年創業の老舗家具メーカー。薄い板を何枚も重ね合わせ、型に入れて形をつくる「成形合板」技術を日本でいち早く家具に取り入れ、実用化させたメーカー。2階に設けられたショールームでは、海外の有名な美術館にも収蔵されている柳宗理のバタフライスツールをはじめ、成形合板の技術を活かしたデザイン性と機能性を兼ね備えた家具の名作を数々見学することができる天童木工を訪れる。

1888年(明治21)創業の横尾酒造店の酒蔵を利用した歴史民俗資料館。縄文時代晩期の異形注口土器をはじめとする市内の遺跡からの出土品、室町末期に作られた黒塗頭形冑、紅花の栽培や出荷の様子を描いた紅花絵巻、明治から昭和30年代にかけて使われた生活用具や農具などを展示している東根市東の杜資料館を訪れる。

750品種2万株ものバラが咲き誇る、日本有数のバラ園。村山市オリジナルの「むらやま」をはじめ、世界各国のバラが集められている。見ごろは6月上旬〜9月下旬。初夏と初秋には、バラまつりも開催される。園内には、ミズバショウ園(見ごろ4月中〜下旬)や児童遊園もある東沢バラ公園を訪れる。

最上川をテーマに油彩画を描いた戸沢村生まれの画家・真下慶治の作品約200点の中から、テーマを定めて常時20点ほどを展示する美術館。最上川を見下ろす高台にある真下慶治記念美術館を訪れる。

江戸時代に紅花商で財を築いた堀米家から寄贈された屋敷跡を利用した資料館。約1万平方mの敷地に、武者蔵や御朱印蔵、座敷蔵などが立ち、古文書や享保雛、小鵜飼舟など貴重な資料を展示している河北町紅花資料館を訪れる。

746年(天平18)開基の古刹。山門をくぐって境内に入ると、桃山時代の彫刻絵模様が施された重要文化財の本堂や薬師堂、三重塔などが立ち並ぶ。阿弥陀如来坐像、薬師三尊像、十二神将、普賢菩薩など、平安・鎌倉時代制作のものを中心に重要文化財30躯を含む75躯の貴重な仏像が収蔵されている慈恩寺を訪れる。

尾花沢・銀山温泉方面に向かう。

芭蕉と、尾花沢の豪商で俳人だった鈴木清風の出会いを偲んでつくられた資料館。建物は、江戸時代末期の民家を清風宅の隣に移築・復元したもの。館内には芭蕉の句や2人の交遊資料、尾花沢の歴史、民俗資料などが展示されている芭蕉・清風歴史資料館を訪れる。

新庄・最上方面に向かう。

二十七曲りといわれた難所。封人の家を出発した芭蕉はこの峠を越えて尾花沢へ向かった。芭蕉がたどった「歴史の道」は整備された山刀伐峠を訪れる。

江戸時代、仙台領との封人(国境を守る役人のこと)を務めた、堺田村の庄屋・有路[ありじ]家住宅(重要文化財)を公開。建物は築300年余りの茅葺き寄棟造りで、家屋の中に厩があるのが特徴。館内の資料展示室では、芭蕉に関する資料や馬具類を展示している。芭蕉はここで「蚤虱馬の尿する枕もと」という句を残している封人の家を訪れる。

雪国の生活民具約2万点を展示。城下町として栄えてきた新庄の歴史や文化を紹介している。お祭りホールでは、新庄まつりコンテストで優秀だった山車を常設展示。まつりの様子も上映している新庄ふるさと歴史センターを見学。

古口から草薙までの16kmにわたる最上川随一の景勝地。仙人堂や、白糸の滝などの景色を楽しめる最上峡を訪れる。

幻想の森は、神代杉や山ノ内杉ともいわれる土湯杉の群生地。直幹の巨木はほとんど見られず、幹や枝が湾曲しながら折れ曲がり、それぞれが個性的な形をしている。豪雪地帯のため、雪の重さや強風、最上峡沿いの湿気などの影響で変形したともいわれているが、なぜそのような形になったのかは、いまだによく分かっていない。森の中央には、巨大な根のような主幹から何本か幹を伸ばしている「幻想大杉」がある。主幹が折れ、地上1.5mから複数の幹や枝が空を突いて伸びている姿はまさに圧巻。春には巨木の間にユキツバキの花を見ることができる幻想の森を訪れる。

大蔵村の豊牧、滝の沢、沼の台、平林の4集落から成る、世帯数100戸ほどの四ケ村地区。約120haの棚田が広がり、農林水産省の「日本の棚田百選」にも選ばれている四ケ村の棚田を訪れる。

16:00山形空港に向かう。
17:10山形空港到達
18:00山形空港出発
19:20伊丹空港到達。

今回の旅行、東北のサクランボ・蔵王で有名な山形県に足を運び、自然豊かで原生林が数多く残る全国屈指の巨木の里、国内三大急流にも数得られている最上川舟下りで有名な新庄・最上、山形県屈指の温泉郷、天童・上山を訪れ癒されました。

今回で山形県はほぼ制覇できました。

数多く残る原生林巨木、国内三大急流最上川、山形県屈指の温泉郷、天童・上山、癒し系のドライブ観光旅行でした。














飛行機で国内&海外の観光地巡り第百十二弾:山形県酒田&飛島観光
2010年9月22ー23日


山有り、川有り、海有りの広く豊かな自然がいっぱいの東北地方山形県に足を運び、江戸時代、西の堺、東の酒田といわれ、西回りの航路で発展し、贅や工夫で凝らされた江戸や明治時代の建物が残る酒田、周囲10,2km、面積約2,7kuの小さな島で酒田港より北西に約39km、山形県と秋田県の県境より西に約28kmの日本海に位置し、国指定の天然記念物カラストバトなど珍しい野鳥の宝庫である飛島を訪れました。

22日16:50伊丹空港遅出の出発のため梅田近辺を散策し時間を費やしました。

阪急百貨店の東側、富国生命ビルとOSビルとの間から東へ広がるアーケード街。扇町通より1本北を並行して走り、途中、新御堂筋が縦断。レストラン・バー・スナック・カラオケ・ゲームセンターなど、夜遊びにはこと欠かないスポットが立ち並ぶ。お初天神商店街・阪急東中通商店街も交差する、一大歓楽街の阪急東通り商店街を通過。

感性をフルに使って遊べる、子供のための博物館。パソコンや手作り体験ができるフロア、不思議な空間「こどもの街」や展示物、ワークショップなどがあり、一日中楽しめるキッズプラザ大阪を訪れる。

日本一長い商店街。堂島川にかかる天神橋たもとの1丁目から北端の7丁目まで、総延長が約2.6km、600軒ほどの店が所狭しと立ち並ぶ大商店街だ。この商店街の端から端歩いた人には、それを記念するものとして「満歩状」を発行している天神橋筋商店街を1丁目から6丁目まで歩く。

近世〜現代の大阪の暮らしを紹介するミュージアム。大阪市立住まい情報センターの8〜10階にあり、実物大のスケールで復元された江戸時代の大坂の町並みの中を実際に歩くことができ、近代の大阪の住まいもジオラマで上映している大阪くらしの今昔館を訪れましたが休館でした。

地下鉄で天神橋6丁目から東梅田に向かう。
東梅田到達、丸ビル前で空港バスに乗車。
16:00伊丹空港到達
16:50伊丹空港出発
18:05山形空港到達、レンタカーで山形自動車道経由して酒田方面に向かう。
2015酒田駅付近のホテル到達、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
23日5:30酒田市街地を散策する。

1947年(昭和22)に本間家が清遠閣とよばれていた書院造2階建の別荘を美術館として開放、本間家に伝わる東北諸藩からの拝領品や美術品を展示する。別荘として築造した庭園・鶴舞[かくぶ]園と本館、企画展を開催する新館がある本間美術館の前で記念撮影。

日本最古級の白亜の木造六角灯台と方角石や常夜灯などがあるほか、木立のなかに29基の文学碑が点在する歴史公園。酒田港の眺めや、最上川と夕日がすばらしい日和山公園を散策する。

酒田を代表する廻船問屋。石置杉皮葺屋根などの酒田の典型的な町家造りの様式で、建物のなかには、人形や料理などで当時の暮らしぶりが再現されている旧鐙屋の前で記念撮影。

1768年(明和5)、本間家三代三丘が幕府巡見使宿舎として建造し、庄内藩主・酒井家に献上した長屋門構えの武家屋敷。旗本二千石の格式をもつ。その後拝領し本邸として使用、武家造りと商家造りが一体となった珍しい建物だ。戦後は公民館としても利用された。別館「お店」では帳場を再現し、商人としての本間家を紹介している本間家旧本邸と別館「お店」を訪れる。

ホテルに戻り、レンタカーで酒田周辺を巡る。

1997年に開館。広大な敷地にゆったりと立つ近代的な建物が印象的だ。洋画の森田茂、酒田市出身の高橋剛と斉藤長三を中心とした作品を展示。一般展示のほか、特別展も開催する酒田市美術館の前で記念撮影。

酒田市出身の写真家・土門拳の記念館。『古寺巡礼』『筑豊のこどもたち』など、市に寄贈された約7万点の作品を収蔵。保存を図りながら、順次公開している。谷口吉生設計の建物は、建築から25年以上経った今でも斬新。庭園は勅使河原宏、銘板は亀倉雄策による。中庭にあるイサム・ノグチの彫刻も見どころの一つの土門拳記念館の前で記念撮影。

銘酒「初孫」を醸造する、東北銘醸の工場に隣接して立つ酒造資料館。醸造工程や日本酒の特徴を紹介する展示室のほか、きき酒コーナーやフィルム映写による解説もある蔵探訪館の前で記念撮影。

9:00酒田港到達
9:30定期便で飛島に向かう。
10:50飛島勝浦港到達、反時計回りで島を一周する。

勝浦港近くにある観光情報施設。飛島の特産品・イカをイメージした三角形の建物内には、島の自然や歴史に関する資料展示室や物産販売コーナー、喫茶室、休憩コーナーなどがある。1階は定期船の乗船券発売所。4階は展望台になっていて、晴れていれば鳥海山などが遠望できるとびしまマリンプラザを訪れる。

桟橋の先端に海中展望塔があり、窓から海中が見える。桟橋や展望塔の屋上で釣りもできる飛島海づり公園を訪れる。

ウミネコの繁殖地、スカシユリ、トビシマカンゾウが附近一帯に咲きみだれる。謎の古代文字が刻まれた岩が残っている館岩を訪れる。


古代の絵文字が刻まれていると言われている石。近くには大きな石塁もあり、海賊の砦だったとも言われています刻線刻画石を訪れる。

沖合にある烏帽子群島の六角の玄武岩が波でもまれて出来た、こぶし大の玉石がうず高く積まれています。ここは霊の拠り所となっている賽の河原を訪れる。

自然のままの美しい海岸。西の彼方の御積島、烏帽子群島を背後に沈む夕日は絶景である。「日本の渚・百選」に選ばれている荒崎海岸を訪れる。

昭和39年に平安時代のものとおもわれる人骨が土器と共に発見され、昭和44年に発掘調査が行われました。現在、鶴岡市にある致道博物館に保存されています
テキ穴を訪れる。

紙塑人形製作者として人間国宝第1号に選ばれ歌人としても有名な鹿児島寿蔵が大正13年に飛島を訪れた時に詠んだ「鳥海山の山すそかすむ海のうへ かぎりも知らに秀波たちみゆと刻んだ歌碑が昭和60年に建立された鹿児島寿蔵歌碑を訪れる。

13:40飛島港定期船で出発
15:00酒田港到達、レンタカーで山形空港に向かう。
17:00山形空港到達
18:35山形空港出発
19:55伊丹空港到達

今回の旅行、夏と冬とで4回目の訪れである自然いっぱいの東北地方山形県に足を運び、江戸時代には西回り航路の拠点として栄えた港町、江戸や京都の文化が流入し、今も方言に雅さが残り、交易で巨額の財を成した豪商の屋敷や庄内米を蓄えや山居倉庫など見所が多い酒田

酒田より北北西約39.3kmの沖に位置し、面積2.32ku、周囲10.2km、海抜50mの小さな島で、暖流と寒流がまじりあい、春夏秋冬を通して緑が濃く、年間の平均温度が12℃と山形県では最も高温の地であります。島内には勝浦、中村、法木の3つの集落があり、昭和25年4月に酒田市と合併、昭和38年7月国定公園に指定されました。産業は、漁業を中心として、恵まれた環境を生かした観光のほか採種等の育種栽培も行われています飛鳥

を訪れ1泊の日の旅、楽しめました。

自然そのもの素朴な島、飛鳥はほぼ島を反時計回りで一周しましたがコースの道は草がぼうぼうであまり整備されておらず道がわかりにくいところもありました。又コースの一部が海岸で石有り、サンゴありで歩くのに結構苦労、おまけに天候が雨、雨に濡れ、服装がドロドロ、かなりきつい島一周の散策でした。しかし離島特有ののどかさ、いっぱいの自然に接し、記憶に残るたびとなりました。メジャーな観光名所が少ない離島ですが違った意味で楽しめる離島観光旅行でした。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第三十九弾:山形鶴岡&米沢観光
2008年9月7−8日


過去2回山形蔵王、冬のスキーシーズンと夏の観光に訪れたことがありましたが今回は3回目で蔵王以外の山形の広い範囲での車のドライブ観光巡りしてきました。

7日15:00伊丹空港出発、
16:15山形空港到達、レンタカーで山形タウンに向かう。

市街地中心部に位置する広さ約36万uの総合公園、江戸時代、最上義光が築いた山形城の跡地、霞城公園を散策。
公園に隣接する山形県の自然や歴史に関する資料を展示する山形県立博物館、館内には郷土の医学や医療、郷土史に関する資料を展示する山形市郷土館、山形城11代城主、最上義光を中心に最上家代々の愛用品や資料を展示する最上義光歴史館、与謝野蕪村や渡辺崋山ら江戸時代以降の日本美術を集めた長谷川コレクション、モネやルノワールらフランス印象派の作品を集めた吉野石膏コレクションなどが見られる山形美術館を訪れる。
19:00市街地内のホテルに到達。
山形タウンを散策、食事を済ませてからホテルに戻り床に就く。

8日5:00出発、天候曇り、112号線で北西、鶴岡方面に向かう。途中月山湖の高さ112mまで吹き上がる巨大噴水、月山湖大噴水に立ち寄る。

7:00鶴岡市街地に到達、鶴岡城の本丸、二の丸跡を活用した公園、鶴ヶ岡公園を散策、隣接する鶴ヶ岡城三の丸にあたり庄内藩の誤用屋敷だった場所、庄内地方の歴史、民俗、考古、美術資料などを公開している致道博物館、国の史跡に指定されている江戸時代、多くの逸材を育てた藩校、国指定史跡、庄内藩校致道館、東北最古のロマネスク様式の教会、天主堂には市の重要文化財に指定されている黒い聖母マリア像がある鶴岡カトリック教会天主堂を訪れる。

日本海沿岸方面に向かい奇妙な人形面のいるお寺、鶴岡の名刺、善宝寺、15から20種類のクラゲを観察することが出来るクラゲプラネタリウムがある鶴岡市立加茂水族館、鶴岡市大山にある老舗名門酒蔵の酒造資料館、渡會本店出羽の雪酒造資料館を訪れる。

日本海沿岸を南下して噴火によってできたともいわれている小島、シンボルの白山島を一周し又日本海に沈む夕陽の名所、由良海岸、屹立する大きな奇岩、立岩、を通過して夕陽の風景が見事な日本海の海岸のそばに面した道の駅、道の駅あつみ夕陽のまちしゃりん、奥羽三大古関のひとつ念珠関址を訪れ、鼠ヶ関灯台のある弁天島を一周散策してから県内初の人工海水浴場、マリンパークねずがせきを訪れる。

さらに日本海岸線を南下して新潟県に入り約11kmにわたって続く海岸の景勝で、海に突き出した数々の奇岩と美しい白浜の光景が広がっている笹川流れ、又笹川流れで最も大きな岩の山、蓬莱山を通過して三面川の湖畔に整備された鮭公園内にある日本で初めての鮭の博物館、イヨボヤ会館を見学。

113号線を東に米沢方面に向かう。
上杉謙信公を祭る上杉神社、上杉家の宝物を収蔵する稽照殿などが位置する松が岬公園を散策する。

北に向かい高畠方面にて高畠町出身の泣いた赤おになどの作品で知られる児童文学者、浜田広介の作品や生涯を紹介する浜田広介記念館、高畠町の中心部にある昭和縁結び通りには、昭和30年代を思わせる懐かしのグッズを展示している店が多く並び通り全体が資料館のようになっている昭和ミニ資料館、慈覚大師が阿弥陀堂を建てたのが始まりといわれる三重塔を有する神社、安久津八幡神社、安久津古墳や復元された竪穴式住居、縄文文化を紹介した資料館などがあるまほろば古の里歴史公園を訪れる。

周辺の地域の民話や伝統を紹介する、民話鶴の恩返しをモチーフにした民族資料館、夕鶴の里語り部の館資料館、日本三熊野の一つに数えられる東北の伊勢神宮、熊野大社を訪れる。

16:00帰路に向かう。
17:30山形空港到達。
18:30山形空港出発。
19:50伊丹空港到達。

今回の旅行、今まで何回か訪れたことのある山形、有名な蔵王以外の観光名所を広く訪れました。
江戸時代に最上家が城下町として栄えた山形タウン、庄内藩14万石の城下町として発展した鶴岡タウン、日本海に沿って新潟県まで及ぶ美しい砂浜と日本海に沈む夕陽スポット、多くの奇岩、上杉家が城下町として栄えた米沢タウン、山あり、川あり、海あり、文化あり、広い山形をドライブ観光、堪能しました。

尚当日は天候があまり芳しくなく、朝方は曇りでしたが昼前から雨が降り出し、特に米沢市街地を観光巡り中の昼過ぎから雨が強くなり、かなりの豪雨の中を注意しながら結構大変でしたが雨の中の観光巡り無事終了致しました。