富山

 飛行機で国内&海外の観光地巡飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百四十一弾:富山県お城・城下町巡り観光
2018年7月21日−22日


北陸地方の南北にのびる日本列島の中心、本州の中央北部に位置し、東は新潟県と長野県、南は岐阜県、西は石川県に隣接しています。三方を急峻な山々にかこまれ、深い湾を抱くように平野が広がっており、富山市を中心に半径50kmというまとまりのよい地形が特徴です。
また、日本海側の中央に位置する本県では、アジア大陸や朝鮮半島など対岸諸国との古くの交流の積み重ねを活かし、環日本海地域の中央拠点として活発な取組みを展開しています富山県に足を運び、、富山県に点在する比較的マイナーなお城7か所を訪れました。
21日15:42大阪駅サンダーバードで出発
18:26金沢駅到達。
18:40金沢駅新幹線つるぎで出発。
18:53新高岡駅到達、駅前のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。
22日8:00レンタカーで出発、城めぐり。

守山城:築城年代は定かではないが南北朝時代に桃井直常によって築かれたと云われる。

室町時代には守護畠山氏の守護代神保氏の居城放生津城の詰城としての役割があり、永正16年(1519年)越後の長尾為景が越中に侵攻した際に、神保慶宗はこの城に籠って対抗した。神保氏は天正年間(1573年〜1592年)に神保氏張が上杉謙信に降り、謙信没後は佐々成政に従った。

天正13年(1585年)佐々成政が羽柴秀吉に降ると、前田利長が入城し慶長2年(1597年)富山城に居城を移すまで在城した。

阿尾城:築城年代は定かではない。 天正年間(1573年〜1592年)の城主は菊池右衛門入道武勝・十六郎父子であった。菊池氏は肥後国の菊池氏の末葉という。

上杉謙信没後、菊池氏は織田信長の家臣佐々成政に従っていたが、成政が前田利家と対立するようになると利家の勧誘を受けて前田氏に通じた。これに対して成政の家臣で守山城主の神保氏張は阿尾城に攻め寄せたが、前田軍と菊池軍でこれを撃退した。

菊池氏は一万石を安堵され前田氏に従い、その末裔は一千五百石で加賀藩に仕えた。

森寺城:築城年代は定かではないが永正年間(1504年〜1521年)に能登国守護畠山氏によって築かれたと云われる。

元亀年間(1570年〜1573年)から天正年間(1573年〜1592年)はじめ頃の城主は長沢(長曾)光国と伝えられ、天正5年(1577年)には上杉謙信に属して能登国穴水城の守将となっていたが、翌年討死している。

天正5年(1577年)上杉謙信は有坂備中に湯山城を攻略させたが、このときの城主は湯山左衛門続甚という。謙信はその後河田主膳を城主としたが、天正7年(1579年)長連龍によって攻められ落城した。

佐々成政が越中に入部した後は、湯山城主として斎藤氏が城主であったが、豊臣秀吉に降伏した後は前田利家の所領となり、廃城となったと見られている。

木舟城:築城年代は定かではない。 石黒荘を本拠とした石黒氏が南北朝時代以前に進出して木舟城を築いて居城とし、木舟石黒氏となったと云われる。

本流福光石黒氏が文明13年(1481年)山田川で一向一揆との戦いで滅亡したのに対し、木舟石黒氏は戦国時代まで続き、石黒左近蔵人の時代には一大勢力を築いていた。

石黒氏は上杉氏に属していたが上杉謙信が急死した後は織田信長に通じ、天正9年(1581年)上杉氏によって攻められ落城した。石黒氏は織田信長に呼び寄せられ近江国長浜にて討たれた。木舟城を手に入れた上杉氏は吉江宗信を城将として守らせていたが、後に織田信長に奪われ佐々成政の支城となった。

天正13年(1585年)羽柴秀吉による越中平定で佐々成政が降伏すると、前田利家の弟前田秀継が入城したが、同年十一月の大地震によって秀継夫妻は没し、子の利秀は翌天正14年に今石動城に居城を移し廃城となった。

一条寺城:築城年代は定かではない。応安2年・正平24年(1369年)室町幕府に反抗した桃井直常方の軍勢が立て籠もっていた一乗之城を、幕府方の吉見氏が攻め落としたことが知られている。

天正12年(1584年)佐々成政が加賀の前田利家を攻めたときには、佐々成政の家臣杉山小助が城主であった。

瑞泉寺城:築城年代は定かではないが文明年間(1469年〜1487年)に瑞泉寺によって築かれた。

文明13年(1481年)福光城主石黒右近光義は、医王山惣海寺と組み井波瑞泉寺と山田川にて戦ったが敗れて滅亡した。これにより山田川の東は瑞泉寺領、西は安養寺領(勝興寺)となった。これにより勢力を拡大した瑞泉寺は要害を構えこれが井波城の前身となった。

天正9年(1581年)佐々成政は越中の一向宗の二大勢力となっていた瑞泉寺を攻め、これを攻略した。その後井波城には成政の家臣前野小兵衛が城主となったが、天正13年(1585年)前田利家によって攻略された。

増山城:築城年代は定かではないが戦国時代に神保長職によって築かれたと云われる。 南北朝時代に築かれたとされる和田城は、この増山城の北方にある亀山城と見られている。

天文12年(1543年)頃に神保長職は富山城を築き新川郡の椎名氏を圧迫するようになった。椎名氏を支援する越後の上杉謙信は永禄3年(1560年)富山城を攻め落とし、居城であった富崎城を攻め落とされ、長職は増山城に逃れた。上杉氏はなおも追撃して長職は再び城を捨てて逃れた。

永禄5年(1562年)頃に神保長職は上杉氏に降伏し、後に増山城に居城を移したが、元亀3年(1572年)頃に没した。

長職没後、増山城には一向一揆が籠ったが、天正4年(1576年)上杉謙信が攻め落とした。 謙信は家臣吉江宗信を増山城に置いて拠点とした。

天正6年(1578年)上杉謙信没後、織田信長に仕えていた神保長住が織田軍を率いて越中に入国し、天正9年(1581年)には佐々成政の軍勢が増山城下を焼き払い増山城は落城した。

天正13年(1585年)羽柴秀吉の越中征伐によって佐々成政は秀吉に降った。成政は新川一郡に減封となり、砺波・婦負・射水三郡が前田利家に加増され、増山城には利家の娘婿中川光重が入った

16:00終了、新高岡駅に向かう。
16:30新高岡駅到達。
17:07新高岡駅新幹線はくたかで出発。
17:20金沢駅到達。
17:31金沢駅サンダーバードで出発。
20:09大阪駅到達。

今回の旅行、北陸地方の日本海に面した富山県に足を運び、富山県に点在する比較的マイナーなお城7か所をおとずれ楽しみました。

案内板がしっかりあり、山城が多かったですが、すんなり訪れることができました。
道も広く、渋滞もなく、ストレスを感じないドライブお城巡りでした。

















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百九十九弾:富山県お城・城下町巡り観光
2017年6月3−4日


雄大に聳える立山連峰と国内最深の富山湾、越中守護の畠山氏の家督争いをきっかけに、各地で群雄が基盤を築くようになり、その後、上杉謙信が越中を平定し、能登国も支配するが、織田信長の勢力に敗れ、江戸時代は富山藩として前田氏が治めた富山県に足を運び、富山県に点在する比較的マイナーなお城、7か所を訪れました。

3日大阪駅18:12サンダーバードで出発
20:56金沢駅到達
21:06金沢駅新幹線つるぎで出発
21:29富山駅到達、駅前のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
4日7:30レンタカーで出発、お城巡り

宮崎城:築城年代は定かではないが寿永年間(1182年〜1185年)に宮崎太郎長康によって築かれたと云われる。
寿永元年(1181年)源義仲は都落ちした北陸宮の御所を八幡山(城山)に築き奉じたといわれ、このとき在地豪族の宮崎太郎・南保二郎・入善小太郎などの名が見られる。
宮崎城の名が史料に現れるのは南北朝時代で、越後守護上杉憲顕の家臣長尾景忠が南朝方の籠もる宮崎要害で勝利を得たとあるのが唯一という。
越後との国境にある宮崎城はその後も重要視され、椎名氏の家臣や越後の上杉氏の家臣などが在城した。戦国時代末期になると越中へ侵攻した織田軍は松倉城や魚津城を落とし、越中に入国した佐々成政の家臣が在城した。成政の後は前田氏の家臣高畠織部が在城したが、後に廃城となった。

魚津城:築城年代は定かではないが、室町時代に守護畠山氏の守護職椎名氏により築かれたと云われる。
椎名氏は松倉城を居城としいるが、北陸道の押えとして築いたものと思われる。
椎名氏は上杉氏が越中に侵攻するとそれに降ったが、後に武田信玄と結び上杉氏に背いた。 これに対して上杉氏は越中に侵攻し、魚津城を落とし河田長親を置いた。
天正10年(1582年)柴田勝家を大将とした織田軍が侵攻し取り囲んだ、これに対して上杉氏は天神山城に後詰めとして着陣したが、これを救う事はできず中条景泰をはじめことごとく討ち取られた。
この後、本能寺の変の急報を聞いた織田軍は撤退、すぐさま上杉氏が奪還に成功し須田満親を守将として置いた。
天正11年(1583年)佐々成政が侵攻、満親は開城して退去した。

松倉城:築城年代は定かではないが南北朝時代に井上俊清によって築かれたと云われる。戦国時代には守護畠山氏の守護代椎名氏の居城であった。 椎名氏は上杉氏が越中に侵攻するとそれに降ったが、後に武田信玄と結び上杉氏に背いた。 永禄12年(1569年)上杉謙信によって攻められ落城、椎名康胤は逃亡した。 上杉氏は後に金山城にいた河田長親を移し拠点として重要視するが、天正10年織田氏に攻められ落城した。

弓庄城:築城年代は定かではないが土肥氏によって築かれたと云われる。 土肥氏は相模国土肥郷を本貫とする土肥実平を祖とするといわれ、南北朝時代頃に越中に入部し土着したという。弓庄系の土肥氏がいつ頃弓庄城を居城としたのかは定かではない。戦国時代にははじめ上杉謙信に属し、謙信没後は織田信長の勢力下に収まったが本能寺の変の後、再び上杉氏方となり、天正10年と天正11年の二度にわたって佐々成政の攻撃を受けたが落城しなかった。しかし越後の上杉景勝からの来援もなく孤立したため開城し、土肥氏は越後に去ったという。

猿倉城:飛騨の塩谷秋貞が元亀年間〜天正初期に越中攻略のひとつの拠点として築城されたようです。塩谷氏は当初上杉方で謙信死後は織田方となりますが、天正十一年(1583年)に城生城を攻略中に上杉景勝の軍に攻められ討死し塩谷氏は断絶しているようです。

安田城:築城年代は定かではないが天正13年(1585年)頃に築かれたとみられている。天正13年(1585年)羽柴秀吉による佐々成政征伐で、秀吉が白鳥城に本陣を布いた際に、白鳥城にいた前田氏の家臣岡島一吉が安田城に移っており、築城もこの頃と見られている。岡島一吉が金沢へ退いた後は代官平野三郎左衛門が居城し、後に廃城となった。

白鳥城:築城年代は定かではない。古くは寿永2年(1183年)源義仲の部将今井兼平が御服山に陣を張るなど要害として活用されていた。
天正6年(1578年)には神保八郎左衛門が居城としていたとも云われるが定かではない。神保氏は越中国中央部に勢力を持った国人で、天文12年(1578年)頃に神通川を越えて富山城を築き、新川郡を支配していた椎名氏と対立していた。
永禄3年(1560年)頃から越後の上杉謙信は圧迫された椎名氏を援助して神保氏を攻め、永禄5年(1562年)神保長職は呉増山に立て籠もってこれに抵抗したが敗れて城を去った。
天正13年(1585年)羽柴秀吉の佐々成政征伐では、秀吉の本陣が白鳥城に置かれ、白鳥城に籠もっていた前田氏の部将岡島一吉は南麓の安田城に出城を築いて移った。 この頃に現在に残る縄張に改修されたと見られている。
佐々成政が降伏すると成政は新川一郡に減封となり、砺波・婦負・射水三郡が前田利家に加増された。利家は越中三郡を支配するため守山城に前田利長、木舟城に前田秀継、増山城に山崎長鏡、白鳥城に岡島一吉、城生城に青山佐渡を置き、佐々成政に備えた。天正15年(1587年)佐々成政は肥後に転封となると、慶長2年(1597年)には前田利長が守山城から富山城に移り、岡島一吉は白鳥城から安田城へ移ったという。

17:00終了、富山駅に向かう。
17:30富山駅到達
18:11富山駅新幹線つるぎで出発
18:33金沢駅到達
18:42金沢駅サンダーバードで出発
21:23大阪駅到達

今回の旅行、北陸地方の富山県に足を運び比較的マイナーなお城7か所を訪れ楽しみました。
今まで多くのマイナーなお城を訪れましたが、地味な城跡が多かったですが、今回の城跡、遺残が見るべきものが多く、感動いたしました。城跡も今回のような立派な遺残が あれば訪れた価値があります。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百十弾:立山黒部アルペンルート
2012年10月13ー14日


富山県に足を運び立山は古来、富士山、白山とともに日本三霊山の一つとして栄えました。 1971年に立山黒部アルペンルートが全線開通したことにより、長野県大町市と富山県立山町を縦貫する世界でも有数の山岳観光地となり、四季折々の変化に富んだ雄大な自然が人々を魅了し、脚光を浴びています。 3,000m級の山々が連なる立山連峰と後立山連峰の峡間に、山と水の相対する自然の妙を一つに貫き、今、立山黒部アルペンルートが走っています。トロリーバス、ケーブルカー、ロープウェイなどアルペンルートならではの乗り物を乗り継ぎ、安全で快適な体験をお届けできるようになりました立山黒部アルペンルートを訪れる。

13日14:00新大阪新幹線のぞみで出発
14:51名古屋駅到達
15:00名古屋駅ワイドビューしなので出発
17:03松本駅到達
17:56松本駅大糸線で出発
18:53信濃大町到達、駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
14日6:15信濃大町をバスで出発
6:45扇沢到達
7:30関電トロリーバスで出発

黒部ダム到達、散策。

黒部ダム駅からトンネル内の220段の階段を上ると、標高1508mの展望台に出る。展望台からは黒部ダムが、眼下に広がり、正面には立山の雄姿が迫る。このすぐ下には、放水をより間近に見られる黒部ダム新展望広場がある黒部ダム展望台[黒部ダム]を訪れる。

黒部ダムレストハウスの3階にあり、ダムの縮尺模型、断面立体図のほか、地下水が多量に吹き出す破砕帯の掘削風景のジオラマなどを展示している。掘削工事の現場を模した映写室では、ダム建設の記録映画『くろよん物語』(所要11分)が常時上映され、黒部ダムが完成するまでの苦闘の歴史を語るくろよん記念室[黒部ダム]を見学。

186mの高さを誇るアーチ式ドーム越流型ダム。展望台から眺める観光放水は見もの。黒部湖を周遊する湖上遊覧船や黒部湖左岸からブナの原生林を通りぬけて岬へ出る黒部湖畔散策道なども観光ポイントの黒部ダムを訪れる。。

北アルプスの雪解け水を集める黒部湖はブナなどの原生林に囲まれ、エメラルドグリーンの湖水が印象的。西岸からは湖を30分で一周する黒部湖遊覧船ガルベが運行している。湖面標高は1448mあり、湖を渡る風は夏でも冷たい。9月末〜10月上旬は湖畔のブナ林が黄色となり、神秘さに鮮やかさを加える黒部湖を訪れる。

黒部湖黒部ケーブルカーで出発
黒部平到達、散策。

黒部平駅の前に広がるテラスのような小平地が黒部平庭園。東側には黒部湖を見下ろし、赤沢岳、スバリ岳、針ノ木岳といった後立山連峰が堂々とした姿で控える。西側には立山連峰が屏風のように迫り、大観峰に向かって吸い込まれるように上るロープウェイが眺められる。広場にはベンチや湧き水があり、記念撮影や休憩によい黒部平庭園を訪れる。

黒部平庭園から階段を降りた一角にある。遊歩道沿いにはクルマユリ、ミヤマキンポウゲ、ハクサンフウロ、ゼンテイカ(ニッコウキスゲ)など約100種の高山植物が植えられている。花は6〜9月にかけて咲き、一番の見ごろは7月。名札が付いているので、花の名前を覚えることもできる高山植物観察園[黒部平庭園]を訪れる。

立山連峰東面のなだらかな大斜面がタンボ平とよばれる。黒部平から全景が見渡せるが、より印象的なのはロープウェイからの眺めだ。ダケカンバ、ナナカマド、ミネカエデなどの落葉樹林が季節ごとに彩りをみせる。特に6月のみずみずしい新緑、10月上旬の鮮やかな紅葉は見逃せない。また、その年の気候によって冠雪と紅葉、緑の三段染めが見られることもあるタンボ平を望む。

黒部平立山ロープウエイで出発
大観峰到達、黒部湖を望む。

後立山連峰に対峙するようにそびえる、立山東絶壁で、標高2316m。ここに立つ立山ロープウェイ駅舎の屋上からは、赤沢岳や黒部湖を一望できる。立山ロープウェイは動く展望台とも呼ばれ、後立山連峰をバックに黒部湖を見下ろす景観は壮大な大観峰を訪れる。

黒部平からロープウェイで上った大観峰駅は急斜面の岩峰に張り付くように立ち、屋上が展望台になっている。標高2316mからの展望はアルペンルート随一で、はるか眼下に黒部湖、正面に北アルプスの後立山連峰、四季折々の彩りが美しいタンボ平が広がる。中央の赤沢岳やスバリ岳、針ノ木岳をはじめ、その右には燕岳、大天井岳、左には爺ケ岳、鹿島槍ケ岳、五龍岳といった名だたる山々の大パノラマを一望にできる。ここから眺める御来光もすばらしい大観峰展望台を訪れる。

大観峰立山トロリーバスで出発
室堂到達、散策。

アルペンルートの最高所で、標高2450m。立山登山の基地で、眼前に主峰雄山[おやま](標高3003m)がそびえる。一般的な室堂一周ハイキングコースは、湖畔にお花畑の広がる周囲631mの火山湖みくりが池や、地獄谷などを回り約2時間30分。スニーカーが必要な室堂平を訪れる。

過された水は、2〜5度と冷たく、飲みやすい。全国名水百選にも選ばれる立山玉殿の湧水を訪れる。

立山の火山活動で生まれた火口跡に水がたまった湖。周囲631m、深さ16mと室堂平では最大。一年の半分は氷結しており、初夏でも残雪を浮かべている。名前は、「神様の台所」という意味の「御厨」から。法師が池を泳いでいて、三周したところで水底に引き込まれてしまったという伝説もある。池の縁に整備された遊歩道は、約1時間で一周可。池の周囲に生えたハイマツの間に、クロユリ・コバイケイソウなどの高山植物が見られ、ライチョウが姿を現すこともあるミクリガ池を訪れる。

りが池を出て石畳を下れば、緑のない灰色の地肌に覆われた別世界。荒涼とした地肌から硫黄の臭気、白い噴煙が噴き上がり、火山活動の様子を垣間見ることができる。鍛冶屋地獄や地下から湯が湧く紺屋地獄など136もの「地獄」がある地獄谷を訪れる。

立山地獄の1つで血の池地獄ともいわれる。伝説では、ここは女性が落ちる地獄で、池にたまった血を飲み干すよう、地獄の鬼に責められると恐れられていた。池とはいっても、湿地帯の水たまりのようなもので、水深は浅く、水の色は酸化鉄によって赤味がかっている。池のそばまで近付くことはできないが、遊歩道から眼下に一望できる血の池を訪れる。

カール(圏谷)とは氷河の浸食でできた谷状の地形で、スコップでえぐったような丸い底が特徴。雄山山頂の西側にある山崎カールは幅約400m、長さ約600mの小さな圏谷。1905年(明治38)、地理学者山崎直方博士により日本で初めて発見され、日本に氷河時代が存在したことが証明された。圏谷内は立入禁止だが、エンマ台から眺めるとその形がよく分かる山崎カールを望む。

みどりが池よりも小さな池で、水深は1m、湖底の岩が水面の所々に露出している。その名が示すように、周囲の斜面には7月中旬〜8月末になると、リンドウの花が咲くりんどう池を訪れる。

みくりが池の東側にある火口湖。水深は浅く、約1.6m。岸に立つと水底の岩が見え、透明度の高さを実感することができる。静かな水面には立山の姿がくっきりと映り、残雪や紅葉の頃はさらにその美しさを増す。また、この水で、修行者たちが写経に使う墨を摺ったと伝えられている。池のほとりに遊歩道が通り、山の展望図やベンチを設置した園地もある。周辺にはイワイチョウやヨツバシオガマなどの湿生植物、高山植物も見られるミドリガ池を訪れる。


立山信仰登山の基地となった、古い宿泊・礼拝施設(重要文化財)で、信者はここから雄山山頂の神社を目指した。日本最古の山小屋ともいわれ、最初の建物ができたのは、少なくとも15世紀末より以前と考えられている。建物は2棟に分かれ、北室は1726年(享保11)、南室は1771年(明和8)に再建されたものを、1992〜94年の解体調査後に復元した。屋根は切妻造で、柱はタテヤマスギの太い角材を等間隔に並べた堅牢な構造。内部には解体調査で出土した陶器などの貴重な遺物を展示する立山室堂を訪れる。

室堂平の西端、雄山を望む岩場に口を開けた洞窟。玉殿岩屋は立山開山伝説の聖地で、佐伯有頼が阿弥陀如来と不動明王に立山の開山を命じられた場所とされている。立山室堂が建設される前は、宿泊にも使用されたともいわれる。洞窟の天井は低く、奥行きも4m程度と狭い。薄暗い奥に小さな石仏が数体安置されている。虚空蔵窟とよばれる洞窟も隣接し、内部には石地蔵や十六羅漢が十数体祭られている玉殿岩屋・虚空蔵窟を訪れる。

室堂高原バスで出発
弥陀ヶ原到達、散策。

立山の西麓に広がる溶岩台地の高層湿原。1周約2時間の遊歩道沿いには、大小3000もの池塘が点在、ワタスゲなどの群落がみられる。バス停から500mの地点に、旧火口とカルデラを一望する、立山カルデラ展望台がある弥陀ケ原を訪れる。

弥陀ケ原のおだやかな風景とは対照的な立山カルデラを一望できる展望台。立山カルデラとは、立山連峰の南東側の斜面が、南北4.5km、東西6.5kmにわたって大きくえぐれた地形。一般的なカルデラは火山活動でできる地形だが、立山カルデラは常願寺川の浸食によって土砂が大量に流出してできた浸食カルデラと考えられている。この浸食は現在も進行しており、下流の富山平野を水害や土砂災害から守るために、砂防事業が明治時代から現在も行われている立山カルデラ展望台を訪れる。

弥陀ヶ原高原バスで出発

日本一の落差を誇る滝で、国の名勝・天然記念物。落差は350mで、上から70m、58m、96m、126mと4段に分かれている。エメラルドグリーンの水をたたえる滝壺は深さ6m、直径60m。この巨大な滝の豊富な水は弥陀ケ原から流れてくるもので、雪がとける春から初夏の頃が最も多くなる。立山を訪れていた法然上人が迫力満点の滝の轟音のなかに、「南無阿弥陀仏」という称名念仏を聞いたことから、称名滝と名付けられたという滝をバスから望む。

称名滝の右側に春から初夏の雪どけの増水時に現れる滝で、真夏や秋の渇水期には涸れてしまう。ネハンの滝、阿吽の滝ともよばれる。この滝の最大落差は、増水時には500mに達し、称名滝以上の落差となる。称名滝と同じ滝壺に流れ落ち、称名滝とともにVの字を描く姿は壮観なハンノキ滝をバスから望む。

美女平到達、散策。

美女平駅の駅舎の前に立つタテヤマスギの大木で、根元には石仏が安置されている。この木に伝わる伝説は立山の女人禁制にまつわるもので、掟を破って立山に向かったお姫様がここで動けなくなり、杉の木に変わってしまったとも、若狭の止宇呂という尼の侍女が変身してしまったとも伝えられている美女杉を訪れる。

美女平立山ケーブルカーで出発
立山駅到達
立山駅富山地方鉄道で出発
富山駅到達
17:47富山駅サンダーバードで出発
21:08大阪駅到達

今回の旅行、富山の標高2000mの行程を6つの乗り物を乗り継いで横断する立山黒部アルペンルートを訪れました。

アルペンルートは5回目の訪れですが今回は各名所を時間をかけて散策し大自然を深く触れることができました。

迫力のあるビッグな黒部ダム、大観峰からの黒部湖とタンボ平の眺望、室堂の絶景、弥陀ヶ原の湿原散策、美女平の立山杉やブナ林の散策、どれをとっても大自然でスケールが大きい、何回も訪れたい立山黒部アルペンルート巡りでした。






















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百四十九弾:富山県富山タウン&神通狭&立山山麓観光
2011年7月2−3日


雄大にそびえる立山連峰と国内最深の富山湾、それらが育む豊富な食材の数々、自然と味覚の宝庫、富山県に足を運び、富山藩10万石の城下町として栄え、現在も県の政治・産業・文化の中心地富山タウン、おわらの風の盆の舞台として全国的に有名な八尾、越中と飛騨を結ぶ旧飛騨街道沿いのエリア神通狭、県内随一の観光スポット立山黒部アルペンルートへのアクセスエリア、立山山麓を訪れました。

2日12:42大阪駅サンダーバードで出発
16:04富山駅到達、レンタカーで富山タウン観光

富山城址公園内にある博物館。館内では戦国時代の築城から現在に至るまで、400年にわたる富山城の歴史を模型や映像を用いてわかりやすく紹介している富山市郷土博物館(富山城)[富山城址公園]を訪れる。

1532年(天文元)に豪族水越勝重が建てた富山城は、たび重なる焼失や明治維新での取り壊しなどでほとんどの建物を失った後、1956年(昭和31)に城址公園として整備された。緑豊かな公園には天守閣が建設され、夜はライトアップされた姿が美しい。また、桜の名所でもあり、春には多くの花見客で賑わう富山城址公園を散策する。

ピカソやシャガールら近代の巨匠の作品を系統だてて展示し、20世紀美術の流れがわかりやすく解説されている。近・現代美術の特徴としてデザインにも目を向け、国内外の優れたポスターや、椅子のコレクションの展示スペースも設置する富山県立近代美術館を訪れる。

富山の家庭配置薬の元祖、廣貫堂がその歴史を紹介する資料館。薬の入った柳行李を背負う売薬さん人形や、行商時に得意先へ配った紙風船、色鮮やかな版画などを展示している。映像で売薬の歴史や製造工程を解説するコーナーのほか、常時100種のレトロな小袋パッケージ薬も展示・販売する廣貫堂資料館を訪れる。

いたち川沿いにあり病を平癒するといわれている延命地蔵は、「川底に沈んだ地蔵尊を供養せよ」というお告げにより建てられたもの。延命地蔵のある、いたち川の水辺と清水は名水として知られている。境内の御手洗い水は万病に効く名水として知られ、水を汲みに多くの人が訪れる石倉町の延命地蔵を訪れる。

300年の歴史をもつ富山売薬業に関する資料が保存展示され、国内でもまれな売薬資料館。当時の薬の製造に使われた道具、170種類もの薬の原料、麝香鹿などが展示されている。母屋は明治初期の商家、新屋は総檜造りの豪華な建物の薬種商の館金岡邸を訪れる。

海商の町、岩瀬にある北前船回船問屋で、国の重要文化財に指定されている。1878年(明治11)に建てられ、最盛期の繁栄を偲ばせる豪壮な構え。玄関から裏の船着き場に通じる土間廊下に沿って母屋、土蔵などが配され、船荷はこの土間を通って土蔵へ運ばれた。また、道具蔵の扉に施された家紋と竜虎の鏝絵も見事な北前船回船問屋森家を訪れる。

とやま都市MIRAI計画のシンボルゾーンとして整備されている9.7haの親水文化公園。展望塔を備えた天門橋や水のカーテンや湧泉で構成される泉と滝の広場などがある。また、夜間は22時までライトアップを行なっている。ここを基点に伸びる富岩運河は昭和初期に建設され、中島閘門(重要文化財)(パナマ運河方式)を経て、富山港へとつながっている。早春には岸辺の桜並木が美しく、晴れた日には南東に立山連峰を遠望できる富岩運河環水公園を散策する。

水墨画をはじめとする、日本文化の美を紹介する美術館。横山大観、前田青邨、菱田春草など、近代日本を代表する作家の作品を収蔵している富山県水墨美術館を訪れる。

19:00富山駅付近のホテル到着後市街地を散策し食事を済ませて就寝。

3日6:30レンタカーで出発、呉羽山方面に向かう。

市街の西の呉羽丘陵一帯には富山市民俗民芸村などのみどころが集まり、桜の名所としても有名。展望がよく、市街や立山連峰などが望める呉羽山公園を訪れる。

富山市の西北、呉羽山の中腹から麓にかけて、郷土の歴史文化や美術を伝えるミュージアムが点在。富山の薬売りを紹介する売薬資料館、国の登録文化財である陶芸館や先人の暮らしぶりを伝える民芸館、民俗資料館などがある富山市民俗民芸村を訪れる。

富山市民俗民芸村の施設。江戸末期、市内の山田数納地区に建てられた合掌造民家を移築。豪雪に耐える巨大な柱や梁を使った頑健な構造に注目したい富山市民芸合掌館[富山市民俗民芸村]を訪れる。

富山市民俗民芸村の施設。江戸時代以来の歴史を持つ富山の売薬関係の資料を収蔵。売薬の歴史、行商の用具、製薬の道具などテーマ別に展示されている富山市売薬資料館[富山市民俗民芸村]を訪れる。

富山市民俗民芸村の施設。普段使いの染織品や木漆器、金工品など素朴で味わい深い民芸品が鑑賞できる。板蔵を移築した格調高い建物もみものの富山市民芸館[富山市民俗民芸村]を訪れる。

富山市民俗民芸村の施設。江戸後期築造の茅葺き民家を利用し、富山市周辺から収集した民俗資料や農耕・養蚕用具などを展示している富山市民俗資料館[富山市民俗民芸村]を訪れる。

富山市民俗民芸村の施設。当館は、明治27年大地主の農家住宅として建てられ、富山平野部では切妻造りの「アズマダチ」と呼んでいる。正面から見上げる大屋根、壮大な線をえがく破風板、それを支える貫と束の直線的な構成、室内に入ると巨木を幾層にも組み合わせた井桁組(セイロ組)など、多くの見所が随所に見受けられる。平成9年11月、国の登録有形文化財に登録された。陶芸品は全国各地から収集され、日常雑器類で生活の温もりが伝わってくる。年に一度、館蔵品展などを開催している富山市陶芸館[富山市民俗民芸村]を訪れる。

富山市民俗民芸村の施設。郷土の水墨画家・篁牛人の画業を紹介する美術館。所蔵する篁牛人の作品約700点の中から展示。日本や中国の故事・伝説を題材にした作品は、大胆な構図と生き生きとした描写が特長の富山市篁牛人記念美術館[富山市民俗民芸村]を訪れる。

富山市民俗民芸村の施設。富山市で発掘された先土器時代から平安時代までの考古資料を展示する富山市考古資料館[富山市民俗民芸村]を訪れる。

富山市民俗民芸村の施設。1920年(大正9)に、富山の茶人・金子宗峰が建てた茶室を移築した茶室円山庵[富山市民俗民芸村]を訪れる。

約25haの園内で、国内外の植物約4700種を育成・展示。池の周囲を散策しながら観察できる。なかでも中国雲南省の植物コレクションは日本最大。屋外の雲南コーナーと雲南温室で見ることができる。90本のソメイヨシノがトンネルを作る桜並木があり、満開時には夜間開園が行われる富山県中央植物園(ドリアス)を訪れる。

八尾方面に向かう。

おわら中興の祖と呼ばれ、おわら保存会初代会長川崎順二氏の生家跡に伝統的な町屋を再建、おわらを紹介する。映像展示室では、コンピュータによる大型スクリーンと音響によっておわら風の盆を再現。ほか、おわらの歴史やおわらに関する文化交流などの資料を展示している八尾おわら資料館を訪れる。

絢爛豪華な曳山が町中を練り歩く5月3日の越中八尾曳山祭は、八尾二大祭りのひとつ。祭りで使用する6台のうち3台の曳山を展示しており、その華麗な姿を間近に見学できる。彫刻、彫金、漆工、人形と江戸時代の名工が腕をふるった装飾は見ごたえがある越中八尾曳山展示館を訪れる。

国内をはじめ、韓国など世界の珍しい紙や紙工芸品を展示する紙の博物館、桂樹舎和紙文庫を訪れる。

神通狭方面に向かう。

中部山岳に発する高原川と宮川が神通川に合流して刻まれた約15kmの峡谷美。穏やかなダム湖からV字型の造形をみせる片路峡まで景観は変化に富み、とくに庵谷峠展望台からの眺めがすばらしい神通峡を訪れる。

立山山麓方面に向かう。

常願寺川の支流、和田川を堰きとめてできた人造湖。このダム湖・有峰湖を中心に有峰森林文化村が広がる。ブナやミズナラの自然林の中には5つの遊歩道が整備され、自然観察を楽しめる。また、周辺の自然や歴史を紹介する有峰ビジターセンターやレストランが併設された有峰記念館、有峰ハウスなどもあり、湖畔からは東に薬師岳が眺められる有峰湖を訪れる。

有峰ダムによってできた有峰湖に面した自然公園。有峰ビジターセンターやアドベンチャートリムコース、探勝路などが整備されている。標高1100mの高原盆地の様相を呈する周辺はブナやミズナラなどの原生林が広がり、自然観察や薬師岳、有峰湖などの展望を楽しめる有峰森林文化村公園を訪れる。

常願寺川のほとり、芦峅寺の集落には、雄山神社、江戸時代に信者たちが宿泊した宿坊が現存。集落自体が一つの博物館となっている。展示館・遙望館・まんだら遊苑と集落内に点在する施設を歩いて巡れば、立山信仰の世界を体感可。江戸時代に布橋灌頂会の舞台となった閻魔堂と布橋は、展示館と遥望館の間にある富山県 立山博物館を訪れる。

立山博物館の中心施設。ジオラマ・標本・模型による、立山の自然と人間との関わりについての紹介や、立山曼荼羅や開山伝説ゆかりの矢疵阿弥陀如来像の展示がある。期間限定の特別企画展も開催。隣には、かつては38あったという宿坊の一つである教算坊があり、内部の見学もできる富山県 立山博物館展示館[富山県 立山博物館]を訪れる。

立山連峰・弥陀ケ原の南側にある大きなくぼ地「立山カルデラ」。その立山カルデラの自然・歴史と砂防をテーマにした博物館。館内に2つある展示室には立山カルデラを再現した大型ジオラマ、工事用トロッコ列車の実車などがある。大型映像ホールでは安政の大地震をCGで再現した「崩れ」と、立山カルデラの自然を紹介する「立山カルデラ大地のドラマ」の2本を3Dハイビジョン映像で上映している立山カルデラ砂防博物館を訪れる。

日本一の落差を誇る滝で、国の名勝・天然記念物。落差は350mで、上から70m、58m、96m、126mと4段に分かれている。エメラルドグリーンの水をたたえる滝壺は深さ6m、直径60m。この巨大な滝の豊富な水は弥陀ケ原から流れてくるもので、雪がとける春から初夏の頃が最も多くなる。立山を訪れていた法然[ほうねん]上人が迫力満点の滝の轟音のなかに、「南無阿弥陀仏」という称名念仏を聞いたことから、称名滝と名付けられたという称名滝を訪れる。

称名滝の右側に春から初夏の雪どけの増水時に現れる滝で、真夏や秋の渇水期には涸れてしまう。ネハンの滝、阿吽の滝ともよばれる。この滝の最大落差は、増水時には500mに達し、称名滝以上の落差となる。称名滝と同じ滝壺に流れ落ち、称名滝とともにVの字を描く姿は壮観のハンノキ滝を訪れる。

13:30立山駅をケーブルカーで出発

約1300年前に山岳信仰の山として開き、富士山・白山[はくさん]とともに日本三霊山の一つとして栄えた立山は、1971年(昭和46)立山黒部アルペンルートの全線開通により、長野県大町市と富山県立山町を縦貫する世界でも有数の山岳観光地になっている。バス、ケーブルカー、ロープウェイなどの、バラエティに富んだ乗り物を乗り継ぐこのルートは、3000m級の山々が連なる北アルプスと急峻な黒部渓谷が織りなす雄大な景色を楽しむぜいたくな山旅の立山黒部アルペンルートを訪れる。

13:37美女平到達、散策

美女平駅の駅舎の前に立つタテヤマスギの大木で、根元には石仏が安置されている。この木に伝わる伝説は立山の女人禁制にまつわるもので、掟を破って立山に向かったお姫様がここで動けなくなり、杉の木に変わってしまったとも、若狭の止宇呂[とうろ]という尼の侍女が変身してしまったとも伝えられている美女杉を訪れる。

14:00美女平高原バスで出発
14:30弥陀ヶ原到達、散策

立山の西麓に広がる溶岩台地の高層湿原。1周約2時間の遊歩道沿いには、大小3000もの池塘が点在、ワタスゲなどの群落がみられる。バス停から500mの地点に、旧火口とカルデラを一望する、立山カルデラ展望台がある弥陀ケ原を散策する。

15:15弥陀ヶ原高原バスで出発
15:45美女平到達
15:50美女平ケーブルカーで出発
15:57立山駅到達
16:05レンタカーで富山駅に向かう。
17:05富山駅到達
17:56サンダーバードで出発
21:25大阪駅到達。

今回の旅行立山黒部アルペンルート、宇名月トロッコ電車で有名な富山県に足を運び、まだ訪れていない富山藩10万石の城下町富山タウン、越中と飛騨を結ぶ旧飛騨街道沿いのエリア神通狭、県内随一の観光スポット立山黒部アルペンルートへのアクセスエリア、立山山麓をドライブ観光で大自然に接し満喫しました。

時間的に余裕があり、いままで何回か訪れたことのある立山黒部アルペンルートの美女平、弥陀ヶ原を訪れ散策し時間を費やしました。

大阪から比較的時間の掛かる富山県、日本でも指折りのビッグな観光名所が点在し、大自然真っ只中に突入できる富山県ドライブ観光でした。



















飛行機で国内&海外の観光地巡り第九十八弾:富山県高岡・氷見・砺波観光
2010年5月29ー30日


雄大にそびえる立山連峰と国内最深の富山湾、それらが育む豊富な食材の数々、自然と味覚の宝庫、富山県に足を運び、城下町で千本格子や土蔵造りの町並みの高岡、キトキトの本場で海の幸を味わえる氷見、チューリップの砺波、自然美豊かな庄川、彫刻で有名な井波を訪れました。

29日13:14大阪駅サンダーバードで出発
16:53高岡駅到達、高岡市街地散策

奈良、鎌倉と並んで有名な、大仏寺(尼寺)所有の大仏。創建は1745年(延享2)だが、幾度かの焼失を経て現在の大仏は1933年(昭和8)に建立された銅造阿弥陀如来座像。総高15.85m、総重量65トン、4.54mの大円輪光背がそびえる堂々とした姿は、高岡銅器職人の傑作といえる。歌人・与謝野晶子が「鎌倉大仏より一段と美男」と誉めたたえたことでも知られる。台座下に設けられた回廊には、1900年(明治33)の火災に焼け残った先代の木造大仏の尊顔を安置している高岡大仏を訪れる。

加賀藩2代藩主前田利長が1609年(慶長14)に築城した高岡城。その城跡21万平方mを1875年(明治8)に整備。全面積の3分の1が水濠という、全国でも珍しい水濠公園の高岡古城公園を散策する。

金屋町は加賀藩2代藩主・前田利長公が、1611年(慶長16)に鋳物師7人を招いて工場を開かせた高岡鋳物発祥の地。金屋町通りには千本格子の家並みと、銅片の敷き込まれた石畳が美しい佇まいを見せている金屋町通りを散策する。

高岡の基礎を築いた3代藩主前田利常が前田利長の菩提寺として1663年(寛文3)に建立した曹洞宗の巨刹。総門、山門(国宝)、仏殿(国宝)、法堂(国宝)が一直線に並び、回りを300mの回廊で結んだ典型的な禅宗伽藍形式。仏殿は鉛で屋根を葺いている瑞龍寺を訪れる。

19:00高岡駅付近のホテル到達、市街地散策後食事を済ませてから床に就く。

30日5:00レンタカーで出発、小矢部方面に向かう。

子撫川沿い、約6kmにわたって続く景勝地。滝や12体のブロンズ像が点在。親水公園での水遊び、渓谷を望む宮島温泉と多彩な楽しみ方ができる。ロックフィル式の子撫川ダムには小さな公園があり、その昔龍が住んでいると恐れられた龍宮淵も今は公園に。小ナイアガラとよばれる一ノ滝がある宮島峡を散策する。

養老2年(718)創建と伝えられる名刹。木曽義仲が倶利伽羅合戦の戦勝を祈願して以来、武将の崇敬を受け、前田利長や佐々成政から社領を寄進された。義仲戦勝祈願書、武田信玄書状などを社宝とし、境内入口には、義仲の騎馬像と源氏軍が鳩の案内で得たという名水がある埴生護国八幡宮を訪れる。

ヨーロッパや日本の有名建築をモデルに造られ、市内に35棟点在。すべて公共施設として使われている。荒川公民館の場合、本体はバッキンガム宮殿、塔屋はノートルダム寺院を模している。また、ベルサイユ宮殿などの外観を取り入れた中学校もあり、見ているだけで楽しいメルヘン建築を訪れる。

総面積115haの広大な森林公園。約20kmにも及ぶ遊歩道をたどれば、四季折々の山野草や小動物にめぐり合える。水生植物園には600品種70万株の花菖蒲が育てられており、毎年6月中旬には花しょうぶ祭りを開催。森林の役割、効用を学べる森林科学館もある県民公園頼成の森を訪れる。

鉢伏山の標高433mの場所に建てられた展望台。眼前に広がる砺波平野には、カイニョと呼ばれる屋敷林に包まれた家々が、平野一帯に点々と散らばり、典型的な散居集落を形作っている散居村展望台を訪れる。

明治42年(1909)に建設された中越銀行を砺波チューリップ公園の敷地内に移築した資料館。砺波市の文化財に指定されており、特に小杉町出身の鏝絵職人、竹内源造氏の鏝絵や、和紙に唐草模様を浮き彫りにした金唐革紙張りの天井には目を奪われる砺波市立砺波郷土資料館を見学。

4月下旬〜5月上旬、となみチューリップフェアを開催。広さ約7haの広い敷地で、約450種100万本以上のチューリップが咲き競う。公園中央のチューリップタワーからは、眼下に色とりどりの花畑を一望可。直径5.5m、日本最大級の五連揚水水車では、水力を利用してからくり人形が砺波子供歌舞伎を演じる。散居村の形態を写真などで紹介する砺波郷土資料館、昔の農家住宅を移築した旧中島家住宅などもある砺波チューリップ公園を散策する。

花に関する情報を総合的に提供している植物園。四季ごとの花々が美しいモデル花壇やバラ花壇、年間を通じて洋ランや亜熱帯性植物が鑑賞できる展示温室があり、花の香りに包まれてのんびりできる。早春から春にかけては、200品種のスイセンが咲き誇る富山県花総合センター(エレガガーデン)を散策する。

高さ36mの大噴水を囲んで、特産の木工品の展示・販売施設などが並ぶ公園。庄川水資料館では、昭和初期まで行われていた流木作業の様子や利水の歴史を紹介。松村外次郎記念庄川美術館では、庄川出身の彫刻家・松村外次郎の作品を見ることができる。庄川挽物の展示・販売、特産のゆず製品も販売する庄川ウッドプラザや足湯もある庄川水記念公園を散策する。

日本の優れた工芸作品、ロベール・ドアノーなど世界の写真家の作品をはじめ、地元出身の日本画家、下保昭や洋画家、清原啓一ほか郷土作家の作品も展示する砺波市美術館を見学。

温室による温度調節で、一年中チューリップの花が観賞できる施設。また、日本にチューリップが伝来して品種改良が行われてきた歴史をパネルで紹介しているチューリップ四季彩館を訪れる。

井波、城端方面胃向かう。

1946年(昭和21)、板画家・棟方志功が疎開のために一家で移り住み、1951年(昭和26)まで創作活動を行った愛染苑。館内には「紫袂の柵」「四天雄飛の図」など、この地で彫った作品を数多く展示している。民芸館・青花堂では、河井寛次郎の陶芸作品も見られる。住居兼アトリエの鯉雨画斎も公開する棟方志功記念館愛染苑を見学。

1471年(文明3)創建の浄土真宗の寺。蓮如の書画、数珠などゆかりの品々を所蔵。また、棟方志功が戦時中この寺に疎開した際、華厳松などの襖絵を残している。浜田庄司、河井寛次郎の焼き物のほか、世界の民芸品も展示する光徳寺を訪れる。

日本画家の石崎光瑶、板画家の棟方志功、彫刻家の松村秀太郎など、福光ゆかりの作家の作品を常設展示している南砺市立福光美術館を見学。

1390年(明徳元・天中7)、本願寺5世綽如上人が浄土真宗の布教の拠点として創建。何度かの焼失を経て、現在の本堂は1886年(明治18)に再建されたもの。間口46m、奥行43mの単層入母屋造。大きさは全国で4番目ともいわれる建物だ。このほか井波彫刻の技術の高さを見ることができる太子堂、山門、式台門、文化財修復中の太鼓堂・台所門・太鼓堂など北陸随一の伽藍を誇る。宝物館では、瑞泉寺の発展や歴史を感じさせる法宝物を展示する瑞泉寺を訪れる。

瑞泉寺の山門。間口20.3m、奥行15.5m、高さ17mの総ケヤキ重層伽藍造。1801年(享和元)、京都の大工・柴田新八郎によって再建された。正面の竜の彫刻は、京都の名工・前川三四郎によるもの。2階天井には、岸派森間材(寒峯)作の『天女と瑞雲』が描かれている。花紺青(顔料)を使い鍮泥地技法により描かれたという国内でも珍しいもの。山門楼上全体は日光東照宮陽明門など数例という、鉄漿染が施されている。富山県重要文化財の山門[瑞泉寺]を訪れる。

瑞泉寺の式台門(勅使門)。南北朝時代の北朝の天皇、後小松天皇(在位1382〜1412)の勅願所だったことから、門扉に菊の紋章がある。扉の両脇には、前川三四郎の弟子で井波彫刻の祖・番匠屋七左衛門の代表作、獅子の子落としが彫られている。2005年(平成17)の蓮如上人500回御遠忌・浪化上人300回忌大法要の記念事業として、約200年前の姿に復元された式台門(勅使門)[瑞泉寺]を訪れる。

瑞泉寺の太子堂。1918年(大正7)再建。後小松天皇から下賜されたと伝わる、聖徳太子像を安置している。特に堂宇の籠彫り彫刻は必見の太子堂[瑞泉寺]を訪れる。

井波彫刻の発祥から現代まで、優れた彫刻作品を200点以上展示・販売。井波彫刻は瑞泉寺の再建時、京都本願寺の御用彫刻師前川三四郎から井波拝領地大工が技法を学んだことに由来。作品は楠やケヤキなどを材料に荒彫りから仕上げ彫りまで、200本以上のノミ、彫刻刀を駆使して仕上げる井波彫刻総合会館を見学。

全長2km、幅200mにわたって広がる十二町潟は、大伴家持が万葉集で布施の海と詠んだところ。潟の一帯は公園になっており、オニバスを植栽した池がある十二町潟水郷公園を散策する。

浄土真宗大谷派の寺。蓮如上人が1471年(文明3)に加賀で開山し、1559年(永禄2)に城端へ移転。境内には龍の彫刻を施した山門や鐘楼などが並ぶ。本尊の阿弥陀如来像は行基の作とされる城端別院善徳寺を訪れる。

城端別院善徳寺の式台門。東本願寺勅使門に模して1850年(嘉永3)に建造。門扉飾りの菊花の大紋章と、緻密な彫刻が特徴の式台門[城端別院善徳寺]を訪れる。

豪華絢爛な曳山を、四面ガラス張りの室内に展示。彫刻・金箔・漆塗りの粋を極めた屋形式二層人形山曳山3基、京都祗園の一力茶屋を模した風流な庵屋台3基、傘鉾などが並ぶ。館内には祭り囃子とともに江戸情緒あふれる端唄が流れ、曳山に提灯が灯った夜の情景を演出。ビデオで、城端曳山祭(重要無形民俗文化財)の様子も見ることができる城端曳山会館を見学。

豪商の4つの蔵を復元して回廊で結んだ博物館で、城端曳山会館に併設している。展示品には、1693年(元禄6)に制作された元禄品々帳とよばれる戸籍簿9冊のほか、城端蒔絵、城端焼などがある土蔵群・蔵回廊[城端曳山会館]を見学。

北の日本海方面、氷見に向かう。

国内外の約300種類の海浜植物が揃う植物園。温室には日本一の規模を誇るマングローブの再現林のほか、ヤシ類やハイビスカスなど、お馴染みの熱帯植物が植えられている。4階にある全面ガラス張りのスカイラウンジからは、青く広がる海が一望できる氷見市海浜植物園(アロマガーデン)を訪れる。

氷見市教育文化センター内にある博物館。氷見地域を中心とする歴史・考古や民俗分野の資料を展示している。大境洞窟ジオラマや明治期の民家や民具のほか、大敷網模型や漁撈具、富山県内で最も古い藁網、井戸側に転用された中世の丸木舟なども見学可。氷見の獅子舞コーナーでは実物と写真で氷見獅子を紹介、農家を移築した民家の中では「氷見弁」で語りかけてくる仕掛けもある氷見市立博物館を見学。

東の射水方面に向かう。

古代・中世から栄えた、射水地域の歴史と伝統文化を紹介する博物館。この地に生まれた江戸時代の測量学者・石黒信由以下4代が使った、測量術・天文暦学などに関する高樹文庫資料(重要文化財)1万2000点余りを所蔵。常時約100点を展示している。地元出身の陶芸家で、人間国宝の石黒宗麿の作品も必見の射水市新湊博物館を見学。

17:00高岡駅到達。
18:09高岡駅サンダーバードで出発
21:22大阪駅到達。

メジャーな観光名所、黒部、宇奈月などが富山県の東に位置し、今回の旅行は比較的マイナーな富山県の西部エリア方面に足を運びました。

加賀藩二代藩主・前田利長によって開かれ、城下町として発展し、鋳物で知られる金屋町と土蔵造りの家々並ぶ山町筋の歴史を感じさせる町並みが残る高岡。

全国有数の漁獲高を誇る氷見。

北陸有数の港町、新湊(射水)。

色とりどりのチューリップ、独特の景観、カイニョと呼ばれる屋敷林と伝統的家屋のアズマダチも特徴的は散居村の砺波。

井波別院、瑞泉寺の門前町として開かれ木彫りの里として有名な井波。

城端別院善徳寺の門前町として開かれ、城端曳山祭りやむぎや祭など伝統ある行事を今に伝え、昔風情の町家が並ぶ西町通りや古い蔵が連なる小路のある城端。

一泊二日でドライブ観光、富山県の西部エリアをほぼ制覇しました。
















飛行機で国内&海外の観光地巡り第二十八弾:富山宇奈月&魚津観光
2008年5月10日−5月11日


今回は北陸、富山に向かい、宇奈月のトロッコ電車に乗ってきました。

5月10日13:42大阪駅サンダーバードで出発
17:06富山駅到達、市内散策、城下町の富山市内、富山城が位置する富山城北公園を散策してから近くのホテルに着く。
繁華街にある居酒屋で新鮮な日本海の海の幸、特に富山で有名なホタルイカをいただいてから床に就く。

11日8:00レンタカーで宇奈月に向かう。天候は小雨、肌寒い。

9:00黒部峡谷鉄道宇奈月駅到達、9:21発、トロッコ電車で欅平に向かう。
黒部峡谷鉄道は宇奈月駅から終点欅平まで距離約20kmで41のトンネルと22の橋を通り深い谷間や峡谷は見所。
途中、出発して直ぐ、周囲の美しい景観を伴う赤い大きな鉄橋、新山彦橋を通過、しばらくすると城郭のようなユニークな建物、新柳河原発電所、沿線で最も深い谷に架かる後曳橋を通過して10:30終点欅平駅到達。

早々散策、駅の近くの周囲の景に赤い橋が映り、高い山や深い峡谷を間近に見ることが出来る奥鐘橋を渡り、歩道を作るために岸壁が抉り取られ様子が人を飲み込むように見える人食い岩を訪れる。

11:20トロッコ電車で宇奈月駅に戻る。

宇奈月を散策、平山郁夫ら7人の日本画家による黒部がテーの作品を展示しているセレネ美術館を見学、宇奈月温泉から宇奈月ダムまで続く約1kmの散策路、山彦橋からの眺めは抜群のやまびこ遊歩道散策。

14:00レンタカー魚津方面に向かう。

蜃気楼とは空気中で光が屈折し、遠くの景色が実際とは異なる形に見える現象で魚津港から経田漁港を結ぶ約4kmの蜃気楼が望める富山の有名なスポット、しんきろうロードを通過して約2000年前に水没し、昭和5年に発見された国の特別天然記念物の魚津埋没林を展示保存、周囲12km、樹齢500年を超える樹根もある魚津埋没林博物館を見学、西に向かいアザラシから富山湾に生息する淡水魚まで、幅広く飼育している魚津水族館を訪れる。

富山駅に向かう。17:00富山駅到達、17:55サンダーバードで出発。
21:22大阪駅到達。

今回の旅行、蜃気楼、埋没林、ホタルイカ、チューリップで有名な富山県を訪れ、発電所建設のために敷設した鉄道を利用した黒部鉄道、日本一深いV字峡谷を小さなトロッコ電車が縫うように走る様子は迫力たっぷり、雄大な景色や素朴な温泉も楽しめる黒部峡谷、蜃気楼が見られる町として全国的に有名でホタルイカなどの新鮮な魚介も魅力な魚津、富山城をシンボルに城下町を面影に偲べる富山タウン等を巡り充実した観光巡りでした。