栃木

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百五十一弾:栃木県お城・城下町巡り観光
2018年10月27−28日
 

今回は北関東地方に位置し、県庁所在地は宇都宮市、県内には日光国立公園が立地し、日光・那須などの観光地・リゾート地を有する栃木県に足を運び、栃木県に点在する比較的マイナーなお城10か所を訪れました。

27日13:50新大阪新幹線のぞみで出発
16:25東京駅到達
16:35東京駅新幹線やばびこで出発
17:26宇都宮駅到達、駅前のホテル到着後友人と食事を済せる。
23:00就寝。
28日8:00レンタカーで出発、城めぐり。

西明城:築城年代は定かではないが益子氏によって築かれたと云われる。 益子氏(ましこ)は「下野国誌」によれば「康平年間(1058年〜1065年)に紀正隆が益子那流山の山麓に益子城を築き、のち山上に住した」とある。つまり始め益子城を築き、その後に西明寺城を築いて住んだと解釈されているが定かではない。

益子氏は紀伊姓で、同じく宇都宮氏の家臣の清原姓芳賀氏とともに、紀清両党と呼ばれ鎌倉時代から南北朝時代にかけて宇都宮氏の重臣として活躍した。

天正17年(1589年)益子氏は笠間氏を攻めるなど主家宇都宮氏に叛いたとされ、宇都宮国綱は芳賀高定らと謀って益子氏を誅伐して所領は没収され、益子氏は滅亡したという。

茂木城:築城年代は定かではないが建久年間(1190年〜1199年)に茂木三郎知基によって築かれたと云われる。 茂木氏は八田知家が源頼朝より得た下野国茂木保の地頭職を三男知基に譲り、茂木氏を名乗ったことに始まる。

建武3年(1336年)茂木知貞・知世父子は北朝方として各地を転戦するが、留守中に南朝方の北畠顕家に攻められた。

天正13年(1585年)北条氏政によって茂木城は一時奪われたが、佐竹義重によって奪い返された。文禄3年(1594年)茂木治良は佐竹義重の命によって常陸国小川城に転封となり、代わって佐竹家臣の須田盛秀が茂木城代となったが、慶長7年(1602年)佐竹義宣が秋田へ転封となり廃城となった。

村上城:永和4年(1378年)村上新助良藤によって築かれたと云われる。 村上氏は益子氏の一族で、良藤が築城したのち村上丹波守則光、村上丹波守光義と三代にわたる居城であったと伝えられる。

烏山城:築城年代は定かではないが那須氏によって築かれた。築城に関しては応永24年(1417年)那須資重が烏山城を築いて稲積城より移った説と、明応年間(1492年〜1501年)に那須資実が築いたとする説がある。

那須資氏の二男資重は沢村城主沢村氏の家督を継いで八代沢村五郎資重と名乗ったが、福原城の本家を継いだ兄那須資之との不和により応永21年(1414年)沢村城を攻められ、資重は烏山に逃れた。 資重は当初興野氏の館に住み、その後稲積城を修築して移り、応永25年(1418年)には烏山城を築いて居城とした。(烏山築城は資重の孫資実との説もある)資重の子資持が那須に復姓して下那須家となり、那須家は本家上那須家と下那須家に分かれて争うようになった。その後、那須家は下那須房資の代に上那須家が滅亡して(亀山城を参照。)下那須家が本流となっている。

天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐で那須資晴は参陣せず、小田原城落城後にようやく秀吉に参謁したが遅参により所領を没収された。那須氏はその後、資晴の子資景が五千石を賜り福原要害城を居城として再興している。また晴資自身も所領が与えられ文禄元年(1592年)には肥前国名護屋に二百五十の兵を引き連れて参陣している。

那須氏が改易されると天正18年(1590年)尾張国清洲から織田信雄が二万石で転封となるが、二ヶ月程で天正19年(1591年)秋田へ転封となった。

那須神田城:天治2年(1125年)須藤権守貞信によって築かれたと云われる。 須藤権守貞信は那須氏の祖とされる人物であるが、その出自については山内首藤氏や那須国造後裔など諸説あって定かではない。

那須資高の十一男は、かの有名な那須与一宗隆で、元暦2年(1185年)源平合戦では源義経に従い、屋島合戦で舟の先端の竿に付けられた日の丸の扇を馬上より弓で見事に射落としその名を轟かせた。その後、源頼朝より那須家の惣領を継ぐよう命じられている。この時、与一は兄弟に所領を分知し那須十氏となった。

・長男太郎光隆は森田の地を与えられ森田城主森田氏を称す。
・二男次郎乗隆は佐久山の地を与えられ、佐久山城主作山氏を称す。
・三男三郎朝隆は芋渕の地を与えられ芋渕氏、その後裔は梁瀬に移り梁瀬氏を称す。
・四男久隆 ・五男五郎之隆は福原の地を与えられ福原城主福原氏を称すが、与一宗隆の跡を継いで宗家となり、那須氏が上下に分かれた時は上那須氏となった。
・六男六郎真隆は滝田の地を与えられ滝田城主滝田氏を称す。
・七男七郎満隆は沢村の地を与えられ沢村城主沢村氏と称す。那須家が上下に分かれた時には下那須家となり烏山城を居城とした。
・八男八郎義隆は堅田の地を与えられ山田城主堅田氏と称す。その後、片平へ移り片平城主片平氏を名乗った。
・九男九郎幹隆は稗田の地を与えられ稗田氏を称す。
・十男十郎為隆は千本の地を与えられ千本城主戸福寺氏を称す。後に千本氏を名乗る。

武茂城:築城年代は定かではないが正応・永仁年間(1288年〜1299年)頃に武茂泰宗によって築かれたと云われる。武茂氏は宇都宮城主宇都宮景綱の三男泰宗が武茂郷を領して武茂氏を称したことに始まる。

応永14年(1407年)武茂綱家は子の持綱を宗家宇都宮満綱の養子とし、宗家の家督を継がせた。応永30年(1423年)宇都宮持綱は、持綱が宗家を継いだことに不満を持っていた川崎城主塩谷教綱によって梨木坂で討たれた。持綱の遺児等綱はわずか四歳で、家臣に添われて佐竹を頼って逃れたが、永享10年(1438年)祖父武茂綱家が後見人となって等綱は宇都宮の家督を継いでいる。

持綱が宇都宮宗家の家督を継いだため武茂氏は断絶していたが、寛正3年(1463年)持綱の曾孫にあたる芳賀兵衛成高の子正綱が、武茂太郎を称して武茂氏を再興した。しかしこの正綱も宇都宮明綱(等綱の子)が嫡子なく没した為に、宇都宮氏の家督を継ぎ武茂氏は再び断絶した。

永正3年(1506年)正綱の子兼綱が武茂氏を再興した。この兼綱は武茂右衛門五郎と称して武茂郷一万石を領した。

その後、武茂氏は佐竹氏と那須氏の対抗の狭間にたち、永禄3年(1560年)頃に佐竹氏に属した。文禄4年(1595年)武茂豊綱・堅綱は久慈郡大賀村に八百石を与えられて所替えとなり、代わって佐竹家臣太田五郎左衛門資景が武茂城主となった。 関ヶ原合戦後、佐竹氏は秋田へ転封となり、武茂堅綱もそれに従って秋田へ移った。

黒羽城:天文12年(1543年)大田原資清によって築かれた。 大田原氏は那須七騎の一つに数えられ、資清のときに水口館から大田原城を築いて居城を移しており、それまでの「大俵」から「大田原」氏へと名を改めた。

天正18年(1590年)大田原晴清は、豊臣秀吉の小田原征伐に際して、大田原氏は主家那須氏に先んじて小田原に参陣し、沼津の陣営で豊臣秀吉に謁見、本領七千石余を安堵された。

慶長5年(1600年)関ヶ原合戦においては、上杉氏の動向を探り、また上杉氏に対する備えとして徳川氏の支援を受けて城を拡張した。慶長7年(1602年)には四千五百石余を加増され、併せて一万二千石余となって大名に列した。

大田原藩は寛文元年(1661年)三代大田原高清が家督相続したとき、弟為清に一千石を分与して一万一千石余となり、以後代々続いて明治に至る。

芦野城:築城年代は定かではないが芦野氏によって築かれた。 築城に関しては二つの説があり、一般的に前者の方が有力とされている。 天文年間(1532年〜1555年)に芦野資興が太田道潅に兵法を学び芦野城を築いたという説と、天正18年(1590年)に芦野盛泰が築いた説である。

芦野氏は正平年間(1346年〜1370年)に那須資忠の三男(あるいは二男)資方(あるいは資宗)が芦野家を継いだことがわかっているが、それ以前については詳らかではない。しかし、吾妻鏡の建長元年(1256年)6月2日の条に「奥の大道を警固するべき路次の地頭」として芦野地頭があり、芦野館を居城とした人物がいたことは確かなようである。

天正18年(1590年)那須七騎の一人芦野盛泰は、主家烏山城主那須資晴には従わず、那須衆として豊臣秀吉の小田原城攻めに参陣し本領を安堵された。

慶長5年(1600年)関ヶ原合戦では徳川家康に属して上杉景勝の南下に備え、その功によって加増され約三千石を領して交代寄合の旗本となった。この時、芦野城の二の丸に陣屋が構えられ芦野陣屋として代々芦野氏が続き明治に至る。

大田原城:天文12年(1543年)大田原資清によって築かれた。 大田原氏は那須七騎の一つに数えられ、資清のときに水口館から大田原城を築いて居城を移しており、それまでの「大俵」から「大田原」氏へと名を改めた。

天正18年(1590年)大田原晴清は、豊臣秀吉の小田原征伐に際して、大田原氏は主家那須氏に先んじて小田原に参陣し、沼津の陣営で豊臣秀吉に謁見、本領七千石余を安堵された。

慶長5年(1600年)関ヶ原合戦においては、上杉氏の動向を探り、また上杉氏に対する備えとして徳川氏の支援を受けて城を拡張した。慶長7年(1602年)には四千五百石余を加増され、併せて一万二千石余となって大名に列した。

大田原藩は寛文元年(1661年)三代大田原高清が家督相続したとき、弟為清に一千石を分与して一万一千石余となり、以後代々続いて明治に至る。

御前原城:築城年代は定かではないが、伝承によれば治承・寿永年間(1177年〜1185年)頃に堀江左衛門尉頼純によって築かれたと云われる。 堀江氏は源姓塩谷氏(しおのや)ともいい、八幡太郎義家の後裔で頼純が祖という。

五代塩谷朝義は宇都宮頼綱の弟朝業を養子に迎えて家督を譲った。塩谷朝業は正治・建仁年間(1199年〜1204年)頃に川崎城を築いて居城を移したという。その後も塩谷氏の支城となっていたようで、四郎左衛門尉泰朝が城主となっている。

17:00終了。宇都宮駅に向かう。
17:30宇都宮駅到達。
17:58宇都宮駅新幹線やまびこで出発
18:48東京駅到達
19:00東京駅新幹線のぞみで出発
21:37新大阪駅到達。

今回の旅行、北関東に位置する栃木県に足を運び、栃木県に点在する比較的マイナーなお城10か所をおとずれ楽しみました。

各城跡は、遺残物は少なかったが、案内板がしっかりあり、たどり着くのが容易でした。ほとんどが城址公園に変貌しており整備され散策が気持ちよくできました。

今回で東日本の城跡、ほぼ制覇しました。残るは西日本の5都道府県の城跡を残すのみとなり、年内に制覇予定です。


















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百九十四弾:栃木県お城・城下町巡り観光
2017年3月11−12日
 
 
北関東地方の源頼朝、木曾義仲、そして平家が争う渦中で、頼朝についた小山氏が力をつけ、下野守護となる。宇都宮氏、那須氏と領地を分け合うが、度重なる争いで衰退し、小規模な勢力が割拠する時代に突入した栃木県に足を運び比較的マイナーなお城10か所を訪れました。

11日13:50新大阪新幹線のぞみで出発
16:30東京駅到達、タクシーで帝国ホテルに向かう。
17:00帝国ホテルタクシーで虎ノ門ヒルズに向かう。
17:30講演会参加
21:00タクシーで帝国ホテルに向かう。
21:30帝国ホテル到達、就寝。
12日7:30帝国ホテルタクシーで八重洲に向かう。
8:00レンタカーで出発、栃木県佐野方面に向かう。
9:00佐野市到達、栃木県宇都宮から南エリアに点在する比較的マイナーなお城10か所を訪れる。

佐野城:慶長7年(1602年)佐野信吉によって築かれた。 信吉は新たに佐野城を築城して唐沢山城より城下町を移したが、城は完成を見る事無く、信吉の実兄の伊予国宇和島藩主富田信高の改易に連座して所領没収となった。

唐沢山城:天慶3年(940年)藤原秀郷によって築かれたのが始まりとされる。 秀郷は平将門が関東を制圧した天慶の乱を鎮圧した功によって、下野に勢力を張った。
延徳3年(1491年)佐野氏中興の祖といわれる佐野盛綱が城を修築した。 戦国時代には小田原北条氏と越後上杉氏の狭間にあって苦慮しながら、上杉謙信による攻撃を10回にわたって退けるなど堅城ぶりを発揮した。
しかし、天正13年(1585年)当主佐野宗綱が長尾顕長の足利に攻め入ろうとして、須花坂を越えようとしたとき、鉄砲に当たって討死した。その後家中は動揺し北条氏康の五男氏忠が佐野家の養子となって家督を継ぐことで北条氏と和解する。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐では、先の当主宗綱の弟房綱は豊臣方となり唐沢山城の城代大貫氏を討って唐沢山城に入った。 これにより秀吉から所領三万九千石を安堵される。 その後、房綱は秀吉の家臣富田左近将監の次男信種を養子に迎え、信種は佐野信吉と改名した。
慶長7年(1602年)信吉は佐野城を築いて居城を移したため、唐沢山城は廃城となった。

皆川城:築城年代は定かではない。寛喜年間(1229年〜1232年)に皆川宗員によって築かれたと云われるが、これは近くにある白山台であったとも考えられている。この先の皆川氏は元享3年(1323年)には断絶している。 永享12年(1440年)には長沼秀宗が皆川城を本拠にしてしたことから、この頃には築かれていたようである。
皆川広照は宇都宮氏に従っていたが、北条氏政・氏直父子が大軍を率いて北上してくるとそれに降った。天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で、皆川広照は小田原城に籠城したが、徳川家康を介して秀吉に降り助命された。
天正19年(1591年)皆川広照は栃木城を築いて居城としたが、家康の六男松平忠輝の家老となり、忠輝が信濃国川中島へ移るに従い信濃国飯山へ転封となっている。

多気城:康平6年(1063年)宇都宮宗円によって築かれたと云われるが定かではない。 「天正4年(1576年)の12月2日に着工して同月25日に落成した」との記載が残っているが、その期間からすると改修工事と思われる。
戦国時代末期の宇都宮国綱は北条氏の脅威から一時的に宇都宮城を離れ多気山城に居城を移し、天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐の後に、宇都宮城に戻ったともいわれる。

石那田城:石那田館は田川と赤堀川に囲まれた平地に築かれている。長方形に近い館で北東側がやや斜めになった五角形の館であったようだが、現在北側は日光宇都宮道路によって消滅している。土塁は西側に残っており、南は田川に面した崖地になっている。詳細不明。在地豪族の小池氏の館と推測されている。

宇都宮城:築城年代は定かではないが宇都宮氏によって築かれた。 鎌倉時代には館として機能していたが南北朝時代に城郭として拡張されていく。
宇都宮氏は慶長2年(1597年)22代国綱の時、突然豊臣秀吉によって改易された。 改易の理由は諸説あり定かではないが、国綱の養子問題について、内乱を引き起こし秀吉の命に背いたことが要因とされる。
宇都宮氏の後は城代として浅野長政が入城するがすぐに会津若松から蒲生秀行が入封する。 蒲生秀行は4年後に会津若松に復帰して替わって大河内氏、奥平氏と替わる。
元和5年(1619年)本多正純が十五万石で入封し近世城郭へと大改修された。 元和8年(1622年)本多氏は有名な「宇都宮城釣天井事件」の俗説が巻き起こる程、突然の改易となり、正純は出羽国本荘に流された。その後は譜代大名が目まぐるしく入れ替わる。
元和8年(1622年)下総国古河より奥平忠昌が十一万石で入封、寛文8年(1668年)昌能の時、出羽国山形に転封。
寛文8年(1668年)出羽国山形より(奥平)松平忠弘が十五万石で入封、天和元年(1681年)陸奥国白河へ転封。
天和元年(1681年)陸奥国白河より本多忠平が十一万石で入封、貞享2年(1685年)大和国郡山へ転封。
貞享2年(1685年)出羽国山形より奥平昌章が十万石で入封、元禄10年(1697年)昌成の時、丹後国宮津へ転封。
元禄10年(1697年)丹後国宮津より阿部正邦が十万石で入封、宝永7年(1710年)備後国福山へ転封。
宝永7年(1710年)越後国高田より戸田忠真が七万八千石で入封、寛延2年(1749年)忠盈の時、肥前国島原へ転封。
寛延2年(1749年)肥前国島原より松平忠祗が六万六千石で入封、安永3年(1774年)忠恕の時、肥前国島原へ転封。
安永3年(1774年)肥前国島原より戸田忠盈が七万八千石で入封、以後明治に至る。

飛山城:築城年代は定かではないが永仁年間(1293年〜1299年)に芳賀高俊によって築かれたと 云われる。 芳賀氏は下野国芳賀郡大内荘の発祥で、清原高澄の子高重が花山天皇の怒りに触れて寛和元年(975年)芳賀郡大内荘に配流となって居住したことに始まる。南北朝時代には宇都宮氏に従って北朝方として南朝方と対峙、暦応4年(1341年)南朝方の春日顕国によって攻められ、飛山城は落城、しかし康永年間(1342年〜1345年)頃には再び芳賀氏の手に戻った。天正18年(1590年)の小田原征伐の後に廃城となった。

児山城:築城年代は定かではないが建武年間(1334年〜1338年)に児山朝定によって築かれたと云われる。 多功朝定は宇都宮頼綱の四男で多功城主の多功宗朝の二男(または三男)で、児山郷を領して児山城を築き児山氏の祖となった。
永禄元年(1558年)上杉謙信が多功城を攻めた際、児山兼朝が上杉方の佐野豊綱と戦って討死し、児山城は廃城となった。

祇園城:築城年代は定かではない。一説に平安時代末期に小山政光によって築かれたとも云われるが確証はない。 小山氏(おやま)は藤原秀郷の末裔太田政光が下野国都賀郡小山を領し小山氏を名乗ったことに始まる。

南北朝時代には小山朝氏・氏政は北朝方に属す。康暦2年(1380年)小山義政の時には宇都宮氏との領地争いが起こり、鎌倉公方足利氏満の再三の制止しにもかかわらず、河内郡裳原で宇都宮基綱と戦い基綱は討ち死にした。これに対して鎌倉公方は義政を討つよう関八州に命を下し、義政は各地で応戦するも好転せず永徳2年(1382年)祇園城を焼き払って櫃沢城へと逃れるも更に攻められ義政は自害し、子の若犬丸は奥州へ逃れた。若犬丸も奥州で挙兵したが再興はかなわず応永4年(1397年)会津で自害し小山氏は滅亡した。この時代の小山氏の本城は祇園城ではなく鷲城であったという。

その後小山氏は同族の結城泰朝が継ぎ祇園城を本城として代々続く。戦国時代には北条氏に属していたが、豊臣秀吉による小田原征伐後に所領を没収され、所領は結城秀康に与えられた。

徳川家康が関東へ移封となると本多正純が三万三千石で入封したが、元和5年(1619年)宇都宮へ転封となり廃城となった。

鷲城:築城年代は定かではない。小山氏の居城で小山義政は祇園城、長福城、中久喜城などの支城を配して鎌倉公方足利氏満と戦った

17:30東京駅到達。
18:10東京駅新幹線のぞみで出発
20:30新大阪駅到達。

今回の旅行、北関東の栃木県に足を運び、宇都野宮から南のエリアに点在する比較的マイナーなお城10か所をおとずれ楽しみました。
土曜日は東京で講演会に出席し、翌日はレンタカーで栃木県に向かいました。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十六弾:栃木県那須・塩原観光
2013年9月29−30日

那須連山や日光連山などに囲まれ、自然豊かで、古くから発展した歴史情緒残す街並みや季節を感じながら散策できる自然スポットがいっぱいの栃木県に足を運び、那須山麓に広がり、自然に囲まれ、リゾート気分を味わえる那須高原、箒川沿いに温泉が連なり、多くの文人に愛され、渓谷にはいくつかの吊り橋が架り、散策路も整備している塩原を訪れました。

29日13:50新大阪新幹線のぞみで出発
16:23東京駅到達
16:40東京駅新幹線やまびこで出発
17:29宇都宮駅到達
駅付近のホテル到着後友人の車に送迎してもらい、宇都宮市内のステーキハウスで食事を済ませる。
23:00ホテルに戻り就寝。

30日8:00レンタカーで出発、那須方面に向かう。
9:00過ぎ那須高原到達

那須で温泉が発見された、奈良時代の創建。源平の合戦の折、那須与一が屋島で扇の的を射る際に命中を祈願したという伝えが残り、ここを訪れた松尾芭蕉が残した句碑もある那須温泉神社を訪れる。

正体を見破られ、那須野ケ原で退治された狐が、石に姿を変えた。狐の怨念は、石から吹き出す有毒ガスによって、人や動物を殺すほどだったので、「殺生石」の名が付いたとされる「九尾の狐」の伝説で知られる殺生石を訪れる。

那須湯本を起点に奥那須温泉郷全長約10.4kmを一周するルートで、正式名称は那須高原有料道路。那須岳をほぼ全線から望むことができ、ボルケーノ(火山)の名にふさわしいダイナミックな景観が楽しめる。途中には展望台もある。春にはツツジ、秋には紅葉が彩る名所でもあるボルケーノハイウェイを走行する。

3つの礼拝堂を飾る色鮮やかなステンドグラスが見られる。ティファニーやウィリアム・モリスなど有名作家の手によるもの。ライムストーンを使った石積の壁や、ステンドグラスを通して差し込む陽光が優雅な空間をつくり出している。毎時30分にパイプオルガンの演奏も行われている那須ステンドグラス美術館を訪れる。

19世紀末フランスを代表する芸術家、エミール・ガレの作品約100点を展示。代表作『トリステスの花器』をはじめとする、パリ万博出品作数点も常時見られる。なかでもジャポニズムの先駆者・ガレの日本文化への深い解釈を示す一端として、作品を茶器として見立てたコーナーは興味深い。手紙やデッサン、写真などの資料も展示。ミュージアムショップも充実し、ガレと同時代を共にしたダニエル・スワロフスキーのアンティーククリスタルのアクセサリーコーナーは必見のガラスの芸術 エミールガレ美術館を訪れる。

世界中で愛されているテディベアのコレクションを展示。歴史的価値の高いアンティーク・テディベアのほか、世界中のアーティストの手による個性豊かなベアが並ぶ。館内はぬいぐるみの温もりが伝わってくるような、やさしい雰囲気に包まれている那須テディベア・ミュージアムを訪れる。

日本におけるオルゴール収集の草分け、故・佐藤潔のコレクション。ディスク式オルゴールをはじめ、オルゴール付き自動人形などアンティークオルゴールが約100点展示されている。1時間ごと正時に約20分間、展示品のオルゴールの演奏があり、その音色を楽しめる。また、館内にはオルゴールの歴史を表すジオラマや、手作りオルゴール教室など、大人だけではなく、子供も楽しめるコーナーもある那須オルゴール美術館を訪れる。

紀元前4世紀のテラコッタ天使像や19世紀のブロンズ像など、ヨーロッパ各地で集められたかわいらしい天使とキューピッドの美術装飾品約80点を展示。オールドローズを中心に四季折々の花々が楽しめる英国式庭園なども併設し、ブルーベリー園では摘みたての果実が楽しめるダイアナガーデン エンジェル美術館を訪れる。

世界各国から集めた、クラシックカーやビンテージバイクを展示。昭和5年(1930)、750ccクラスの世界スピード記録保持車となったMGEX120、実際にシートに座れるロンドンタクシーをはじめ、ジャガーやMGなど50〜60年代の名車が吹き抜けの格納庫風の館内に並ぶ那須クラシックカー博物館を訪れる。

白笹山から湧いた水が、沢名川に流れ落ちる落差10mの滝。名の由来は、流れ落ちる滝が乙女の髪を連想させるからとも、美しい少女がここで髪を洗っていたからともいわれる。小さな滝ではあるが、滝見台まで下りると、滝壺を間近に見ることができる。新緑と紅葉はとりわけ美しい乙女の滝を訪れる。

塩原方面に向かう。

塩原ダム湖に架かる全長320mの大吊橋。太いワイヤーロープを支える主塔の高さも26.2mという堂々たるもの。橋や対岸の公園からは雄大な塩原渓谷の四季折々の自然が楽しめるが、特に紅葉の時期が美しいもみじ谷大吊橋を訪れる。

長さ50mの鍾乳洞。治承4年(1180)、平家との合戦に敗れた源三位頼政の孫である有綱[ありつな]が、再起を期して身を隠していた場所。洞内には、落人の生活ぶりを表現した武者人形が置かれている。併設の武具資料館には、洞内より発見された、ヨロイ・カブトをはじめ、多数の武具が陳列され、洞窟と併せて見学できる源三窟を訪れる。

園内にある塩原湖成層から現在も産出される動植物・昆虫など約220種類の化石と国内外より収集した化石・鉱物約1200点を展示する木の葉化石園を訪れる。

15:30宇都宮に向かう。
17:05宇都宮駅到達
17:58宇都宮駅新幹線つばさで出発
18:48東京駅到達
19:00東京駅新幹線のぞみで出発
21:33新大阪駅到達

今回の旅行、4回目の訪れである、栃木県に足を運び、標高1900m級の山々が連なる那須連峰の主峰、茶臼岳の裾野に広がる高原、酪農が盛んで、メインルートにはテーマパークやアートスポットなどが多数揃う那須高原、明治から昭和にかけて、夏目漱石や谷崎潤一郎など多くの文人に愛され、渓谷沿いにはいくつもの吊り橋が架り散策が楽しめる塩原をおとずれ楽しめました。

那須高原は栃木県の近場の避暑地なのか、自然に接し、テーマパークやアートスポットなどでも楽しめるエリですね。栃木県北部エリアのドライブ観光でした。

次回は真岡SLに乗車し、また時間の都合で訪れることができなかった湯西川温泉、川俣エリアを考えています。
 










 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百十四弾:栃木県真岡&益子&烏山観光
2012年11月10ー11日


那須山や日光連山などに囲まれ、自然豊かな栃木県に足を運び江戸時代から伝統工芸・真岡木綿や落花生栽培で知られ、蒸気機関車がモクモクと煙をたなびかせながら走る真岡鐵道沿線の中心都市真岡、全国でも有数の焼き物町、人間国宝の陶芸家・濱田庄司により芸術品にまで高められて発展した益子焼の益子を訪れました。

10日13:50新大阪新幹線のぞみで出発
16:23東京到達
16:40東京駅新幹線やまびこで出発
17:29宇都宮到達、駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
11日8:00レンタカーで出発、真岡・益子方面に向かう。

民芸運動を進め、世界に益子焼の名を知らしめた、人間国宝・濱田庄司。彼の工房や登り窯をそのまま美術館として公開している。館内には濱田の作品のほかに、僚友、河井寛次郎やバーナード・リーチの作品、さらに彼が世界各地で蒐集した美術品生活工芸品なども展示されている益子参考館を訪れる。

烏山方面に向かう。

坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に戦勝を祈願し、千手観音を安置。その後848年(嘉祥元)に慈覚大師が開創したという古刹。境内には風神・雷神像が並び、川口松太郎の小説で知られる蛇姫様の墓もある太平寺を訪れる。

高さ20m、幅65mに渡って流れ落ちる大きな滝。昔から、この滝の滝壺には巨大な怪物が住むといわれていた。その怪物の姿を確かめたいと思った滝近くの太平寺の53代住職が、21日間一心不乱に祈り続けたところ雷雨になり、滝壺の中から巨大な龍が現れたという。これが滝の名前の由来となった伝説の龍門の滝を訪れる。

映像による山あげ祭の紹介のほか、祭りの時に使用される彫刻屋台も展示。実際の5分の1サイズの動くミニチュアで祭を再現し、ロボットの人形が解説するコーナーもある山あげ会館をおとずれる。

奈良時代から1200年以上の歴史を持つ烏山特産の和紙。その和紙を現在でも製造販売している福田製紙所の和紙製品を展示販売している烏山和紙会館を訪れる。

馬頭方面に向かう。

さくら市出身の実業家・青木藤作氏が、大正から昭和初期にかけて収集した歌川広重の貴重な肉筆画、広重や歌川派の浮世絵版画、明治期の版画などを収蔵する那珂川町馬頭広重美術館を見学。

絵本作家いわむらかずおの作品世界を体感してもらおうというコンセプトに立った美術館。代表作『14ひき』シリーズをはじめ、絵本の原画やスケッチなどを展示。隣接する絵本の丘フィールド、絵本の丘農場では、自然観察や農作業など、作品の背景にふれることができる体験型イベントも行われるいわむらかずお絵本の丘美術館を訪れる。

宇都宮に戻る。
15:05宇都宮駅到達。
17:58宇都宮駅新幹線やまびこで出発
18:48東京駅到達
19:00東京駅新幹線のぞみで出発
21:33新大阪駅到達。

今回の旅行、3回目の訪れである関東圏北部の栃木県に足を運び、SL・伝統工芸で有名な真岡、焼き物で有名な益子を訪れ楽しめました。

次回は北部の那須エリアと真岡のSLの乗車を考えています。

関東北部の栃木・茨城・群馬は関西からは遠いですね、飛行機手段はなく、鉄道のみです。頑張って又
訪れたいと思います。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第百九弾:栃木県栃木・佐野・足利観光
2010年9月4ー5日


那須山や日光連山などに囲まれ、自然豊かで、古くから発展した歴史情緒残す街並みや季節を感じながら散策できる自然スポットなど魅力いっぱいの栃木県に足を運び、巴波川沿いに蔵の町並みが続く、江戸時代の宿場町、栃木、足利氏発祥の地として知られ歴史情緒あふれた町の散策を楽しめる足利を訪れました。

4日13:17新大阪新幹線のぞみで出発
15:56東京駅到達
16:20東京駅新幹線やまびこで出発
17:02小山駅到達、レンタカーで観光。

享保2(1717)年に建立された日蓮宗の寺院。当時の風情を今なお残す本堂には、天井に百人一首の絵が碁盤の目状に描かれている。境内に見事な枝垂桜が咲くことでも知られる妙建寺を訪れる。

原始古代から現代に至る当地域の歴史・文化を実物資料を中心に展示する小山市立博物館を訪れる。

渡良瀬遊水地の北西に位置する公園。園内には陸上競技場、野球場、サッカー場、テニスコート、子供広場などが点在。春には桜祭り、バルーン大会(熱気球)も開催の渡良瀬運動公園を訪れる。

18:30小山駅付近のホテル到着後JA宇都宮線で小山駅から4つ目の雀宮駅到達し友人と出会い、車で宇都宮方面に向かい食事を共にする。

24:00車で小山のホテルに送ってもらい就寝。

5日6:00レンタカーで出発、壬生方面に向かう。

ブリキのおもちゃから最新のゲームまで集めた博物館。5万点の収蔵品の中から、約3000点をテーマごとに常設展示。ドレスやアクセサリーを選び自分だけのリカちゃんが作れるコーナーや、ジェットコースターなどの疑似体験ができるミーブ、N・HOゲージが走る「鉄道模型の部屋」など、家族みんなで楽しめる。3階のパノラマ展望室にはこどもに人気の「ボールプール」があり、晴れた日には日光連山も一望できる壬生町おもちゃ博物館による。

栃木方面に向かう。

地元で500年以上の歴史を誇る旧家、岡田家の土蔵を公開した資料館。3棟の土蔵には武具や着物など価値ある美術品などが展示されている。また、徒歩2分の所に、銘木を使って建てた2階建ての翁島別邸もある岡田記念館を訪れる。

江戸時代から続く呉服問屋、安達家の収集美術品などが展示されている。土蔵倉庫を利用した展示室には歌川広重の東海道五十三次版画、全55枚をはじめ、狩野常信の屏風絵など書画、彫刻、仏像などがあるあだち好古館を訪れる。

『路傍の石』『女の一生』などの名作で知られる、栃木市出身の作家、山本有三の生い立ちや業績を紹介する資料館。館内には、愛用した机、椅子などの遺品をはじめ、直筆原稿や、各種の資料、作品を展示。さらにビデオ資料や、山本有三研究者の編纂した史料なども展示されている山本有三ふるさと記念館を訪れる。

1900年(明治33)に共立銀行を創立した横山家を資料館として開放した施設。横山家はもともと地元、下野の特産品、麻を扱っていた麻問屋だったため、建物も向かって左側が銀行、右側が麻問屋と、特別な造りになっている。内部には当時の帳場や銀行事務所などが再現されており、興味深い横山郷土館を訪れる。

人間国宝による陶芸作品のほか、田中一村の日本画など栃木市ゆかりの作家の美術工芸品を収蔵。展覧会では国内外の優れた美術作品を紹介している。建物は約200年前に建てられた善野家土蔵(通称・おたすけ蔵)を利用したもので、館内は漆喰の壁や天井を走る巨大な梁が織り成す空間。展覧会ごとに変化に富んだ表情を見せる。蔵に関する史料展示コーナーもあるとちぎ蔵の街美術館を訪れる。

「とちぎ秋まつり」を華やかに彩る、人形山車を展示している。館内に収蔵する6台のうち、常時3台を展示。実際の秋まつりを映し出すスクリーンを背景に山車が動くようになっていて、祭りの様子が分かる。資料展示室には歴史資料、祭の小道具なども展示するとちぎ山車会館を訪れる。

栃木県内でも有数の豪商井筒屋重兵衛が公設質屋業を営んでいた土蔵を改装した資料館。館内には市内から出土した土器や石器をはじめ、栃木の産業、瓦や下駄造りの道具、民俗資料などを展示している。外観が平屋風だが、内部は2階建てという商家の土蔵造も見ものの栃木市郷土参考館を訪れる。

弘化年間(1844〜48)から木材回漕問屋を営む塚田家の往時の資料を展示。巴波川沿いに映える8つの白壁土蔵と黒塀が美しい。巴波川の悲話を人形ロボットが演じる人形劇が見ものの塚田歴史伝説館を訪れる。

平安初期、慈覚大師の創建とされ、1200年以上の歴史を持つ。梅雨の頃には麓から1000段もの石段が続くあじさい坂を、可憐なアジサイが彩る太平山神社[太平山]を訪れる。

栃木駅の西約4Kmにある桜やアジサイの名所。標高345mの山頂には太平山神社が立ち、謙信平からは関東平野や秩父連山が見渡せる。その眺めは田園に点在する丘や林が小島に見えることから、陸の松島にたとえられている太平山を訪れる。

平安時代末、真言宗の寺として創建。後に荒廃し、室町時代に曹洞宗の寺として再興された。寺には七不思議の伝説が語り継がれ、寺建立の際、禅師が地に刺した杖から藤が成長したという「根なし藤」の伝説は、上田秋成作『雨月物語』の「青頭巾」にも記載。伝説の題材となった、藤の古木や井戸などが今も残る大中寺を訪れる。

佐野市、岩舟町、藤岡町にまたがる標高229mの三毳山。北斜面の万葉自然公園かたくりの里から尾根づたいに南に1時間30分のハイキングでみかも山公園へ。カタクリや桜をはじめ、四季の花が楽しめるみかも山公園を訪れる。

約1200年前、日光山を開いた勝道上人によって創建されたといわれ、板東17番札所として今も多くの信仰を集めている。本尊は弘法大師作と言われる、千手観音像。釘を一本も使っていない本堂も一見の価値あり。奥の院の岩窟(鍾乳洞)も見どころの出流山満願寺を訪れる。

佐野市・岩舟町・藤岡町にまたがる、標高229mの三毳山。その北斜面に広がる自然公園。約1500平方mのカタクリ群生地では、3月中旬〜4月上旬になると約200万株ものカタクリが紫色の可憐な花を咲かせる万葉自然公園かたくりの里を訪れる。

佐野方面に向かう。

川崎大師、西新井大師と並ぶ関東三大師の一つで平将門の討伐を命ぜられた藤原秀郷の戦勝祈願により937年(承平7)創建された。正式名称は春日岡山惣宗寺といい、比叡山18代座主慈恵大師を祭っている。正月などには、厄除を願う大勢の参拝客で賑わう惣宗寺(佐野厄よけ大師)を訪れる。

鎌倉時代に佐野氏が唐沢山に築いた城を慶長年間(1596〜1615)に移した跡地を公園にしたもの。桜やツツジの時期は特に賑わう。園内には佐野の歴史や文化を紹介する万葉の里城山記念館がある城山公園を訪れる。

足利方面に向かう。

鎌倉時代初期の1196年(建久7)、足利義兼により建立された足利氏の氏寺。大日如来を本尊とし、山門、鐘楼(重要文化財)、本堂(重要文化財)、経堂(重要文化財)などの七堂伽藍を備えた東国の密教の代表的な寺。境内は足利氏宅跡(国史跡)でもあり、周囲を水堀と土塁で囲んでいる鑁阿寺を訪れる。

日本最古の総合大学。隆盛期の天文年間(1532〜54)には全国から学徒3000人を集め、儒学・医学・兵学などの授業が行われたという。その様子はフランシスコ・ザビエルによって海外に紹介された。1872年(明治5)に廃校になったが、1990年(平成2)江戸中期の姿が復原された史跡 足利学校を訪れる。

足利市内在住の鈴木栄太郎氏により寄付された田崎草雲の遺作・遺品を一般に公開する美術館。田崎草雲は足利が生んだ幕末の文人画家で、金井烏洲に絵を学ぶほか、明治維新には足利の治安維持にあたり、足利の文化財を守るために尽力した草雲美術館を訪れる。

江戸時代に日本で最初に作られた磁器・伊万里と、鍋島藩窯で藩主の献上品として特別に制作された鍋島を所蔵する、世界屈指の陶磁美術館。小高い丘を利用した約3万坪の自然庭園に4つの展示館を中心に建物が点在する栗田美術館を訪れる。

2本で約1200畳の大藤棚や八重の大藤棚、170cmもの花房をもつ藤など、季節になると約8万8000平方mの敷地に300本以上の藤が花をつける。普段あまり見かけないきばな藤や、長さ80mのトンネルをつくる白藤も観られるあしかがフラワーパークを訪れる。

小山方面に向かう。

17:15小山駅到達。
18:01小山駅新幹線マックスで出発
18:46東京駅到達
19:00東京駅新幹線のぞみで出発
21:36新大阪駅到達。

今回の旅行、北関東の那須山や日光連山などに囲まれ、自然豊かで、古くから発展した歴史情緒残す街並みや季節を感じながら散策できる自然スポットなど魅力いっぱいの栃木県に足を運び、

室町地代末期に栃木城が築かれ城下町として発展、江戸時代には日光例幣使街道の宿場町、巴波川の舟運による商人町として栄え、白壁の蔵屋敷や民家が残り、柳の並木道が続く巴波川沿いは、小京都の面影を今に伝え、散策すればどこかノスタルジーを感じさせられる栃木、

渡良瀬川が群馬の県境を流れ、唐沢山や万葉集にも詠まれた山毳山、歴史深い史跡、旧跡がまちを彩る佐野、

室町幕府を開いた足利氏寺・鑁阿寺界隈は歴史情緒が漂い、平安時代初期に創設された日本最古の総合大学といわれる足利学校が位置する足利を訪れ、多くの歴史的建造物にふれ歴史学習できました。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第三十三弾:栃木県日光&鬼怒川&那須高原観光
2008年7月5−6日


今回は北関東の栃木県の世界的有名な世界遺産の日光、関東では指折りの温泉町、鬼怒川、多くの美術館、博物館が立ち並ぶ那須高原に行ってきました。

5日14:20伊丹空港出発。
15:25福島空港到達。
レンタカーで宇都宮に向かう。

宇都宮市の西にある大谷町付近で産出される緑色凝灰石、約2000万年前、火山が噴火して、火山灰や軽石が堆積してできた大谷石の街、大谷景観公園を散策。古代ローマ神殿を思わせる採掘場跡、間口150m×奥行140m、深さは地下30mある巨大な地下採掘場、大谷史料館、本堂の奥に日本最古の磨崖仏が佇む大谷観音、第二次世界大戦後、6年の月日をかけて造られた高さ27mの大観音、平和観音を見学。

市街地南部の宇都宮城跡に、かつての関東七名城である宇都宮城を復元、土塁、堀と清明台、富士見櫓、土塀を再現し、歴史展示を行っている清明館を持つ宇都宮城址公園を散策。

宇都宮駅付近のホテル到着後繁華街を散策して食事を済ませて宿を取る。

6日5:00レンタカーで出発、天候晴れ。奥日光に向かう。
奥日光の三岳の噴火で湯川がせき止められて作られ、標高1478mの高所にある静けさ漂う山間の湖、湯の湖を訪れる。
湯の湖の南側に位置する落差75m、幅は最大で25mのスケールを誇り岸壁を末広がりに一気に流れ落ちるダイナミックで迫力がある湯滝を見学。

男体山の西麓に広がる、男体山の噴火によって湯川がせき止められ、土砂がたまって出来た広大な湿地地帯、戦場ヶ原を散策。
湯の湖から中禅寺湖へと流れる湯川が作り出す、岩肌を滑り落ちるように流れる美しい滝、竜頭滝を見学。
標高1269mの高所に位置し、男体山の麓に広がる、周囲25km、最大深度163mの湖、レジャーや避暑地としての最適な中禅寺湖を訪れて、中禅寺湖の北岸にそびえ、二荒さんとも呼ばれ、標高約2500mから麓に向かうなだらかな斜面を描く男体山を望む。

日本三大瀑布の一つに数えられ切り立った崖を一気に水しぶきを上げて流れ落ちる直下型の滝、高さ97mの断崖から一気に滝壺まで落下する姿はダイナミックな華厳の滝を訪れる。

日光に戻る。
日光東照宮、日光山輪王寺、輪王寺、大猷院、二荒山神社からなる日光山内を散策、1999年世界遺産に登録され、その起源は766年にさかのぼり、勝道上人が二荒山神社の前身になる四本龍寺を建立して日光信仰の始まりで、江戸時代で徳川家康の霊廟・東照宮を創建、徳川家の力を誇示するかのように、当時の技術の粋を集め、絢爛豪華に飾られいた。

近くの大谷川の自然の流れでつくられた、エメラルドグリーンの水をたたえる憾満ヶ淵、日本三大奇矯のひとつに数えれれる、日光観光のシンボル的存在の神橋を訪れる。

北に向かい霧降高原方面へ、日光三大瀑布のひとつに数えられ、水が岩にあたって霧のように飛び散るような落差75m、幅15mの大滝、霧降滝を見学してから標高2010mの赤薙山の東南斜面に広がる霧降高原のキスゲ平に到達。
下山して鬼怒川方面に向かう。

テレビでおなじみの日光猿軍団の常設劇場を見学、お猿の珍芸、妙芸をまのあたりに出来、お笑い芸だけでなく、空中ブランコなどのアクロバティックな技も披露してくれた。
鬼怒川港から鬼怒川大瀞までの全長6kmを船で下る鬼怒川名物で数々の奇岩が見ものな鬼怒川ライン下りを体験。
北に向かい長い長い日塩もみじラインを通過して塩原温泉を経由して那須高原に向かう。

自然だけでなくアートスポットを数多く持つ那須高原、今回は時間がないため見学できず通過して、茶臼岳の麓に広がる温泉郷、那須温泉に向かう。
ボルケーノハイウエイを通過して展望台から標高1900m級の山々が連なる那須連山の主峰、茶臼岳を眺望する。
那須甲子道路を通過して東北自動車道経由して福島空港18:00到達。

19:00福島空港出発。
20:10伊丹空港到達。

今回の旅行、日光は修学旅行以来2回目、栃木県は3回目の訪れとなりました。
常時混雑が予想される、日光、奥日光を早朝に観光、おかげで空いていてゆっくり、華厳の滝、日光山内を見学することが出来ました。その後霧降高原、鬼怒川温泉郷、那須高原を車で走り回り、快適なドライブを満喫できました。
又鬼怒川での日光猿軍団のお笑い芸を間近で味わい、有名な鬼怒川ライン下り、貴重な体験をして楽しめました。

栃木県は自然と文化が豊富で、東京方面から多くの人が訪れる関東屈指の人気スポット、日光、関東屈指の温泉郷、鬼怒川、アートスポットと自然がマッチした人気の避暑地、那須高原、なかなか満喫できて楽しめる観光地でした。