静岡

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百七十七弾:伊豆八十八ヶ所霊場観光
2019年5月18日−19日
  

静岡県伊豆半島に足を運び、伊豆半島には、山も海も温泉もあり、美味しくて新鮮な食べ物も豊富、風光明媚で、富士山も眺められる場所も沢山あります。伊豆半島の13市町を巡りながら、美味しい料理を食べ、美しい景色に出会い、巡礼で歩き疲れた足を温泉で癒すことができる、四国に引けを取らない素晴らしい遍路道伊豆八十八ヶ所霊場の44箇所を巡りました。

18日13:43新大阪駅新幹線ひかりで出発
15:55三島駅到達、レンタカーで霊場巡り

龍澤寺:1761年3月に白隠によって開山したとされますが、それ以前から臨済宗の寺院として在り、空海によって開創とも伝えられています。 一時期荒廃したものの、大正期に山本玄峰によって修行のための寺として再興されました。

宗福寺:1590年に豊臣秀吉が小田原を攻めた際、出城となった山中城で出た戦没者を追悼するために創建された寺院です。

蓮馨寺:1289年に、浄土宗の僧である星誉によって開創された由緒ある寺院です。 しかし、豊臣秀吉の小田原征伐の際の三島焼き払いで焼失した他、類焼や震災、明治期の大火による火災を重ね、沿革は不明となっています。

宗徳寺:延暦年間(901〜902年)に空海によって創建されました。 伊豆に流刑されていた源頼朝が挙兵後、鎌倉に入るまでの100日間、本尊の延命地蔵菩薩を祈願佛として詣でたと云われています。 後に、境内で自刃した甲斐武田の2人の家臣を弔うために、荒廃した堂宇を再興し、その際に真言宗から曹洞宗へと改宗しました。 1814(文化11年)8月に火災で寺宝や過去帳などが焼失しましたが、本尊の延命地蔵菩薩は無事でした。

泉福寺:火災により焼失したため、創立年代等は不明です。 しかし、初めは元屋敷にあったものを1206(元久8)年に中ノ坪に遷移し、更に1742(寛保2)年に現在地へと移転したと伝えられています。

興聖寺:延徳元年、南渓によって創建された寺院という以外の沿革は不明です。

北条寺:源頼朝の正室・北條政子の弟である北條義時が創建した寺院です。

長源寺:2005(平成17)年で創建500年を迎えた寺院です。 かつては真言宗であったと云われています。

慈光寺:かつては真言宗の無住寺院だったが、1510(永正7)年に曹洞宗に改宗し、再興されました。

高岩寺:五山十刹のひとつとされた国清寺に隣接し、かつては79あった塔頭のうちの一寺です。

養徳寺:1387年に用固という僧によって開創されました。 1789(寛政元)年10月に火災によって堂宇や記録などが全て焼失したため、詳細な沿革は不明となっています。

18:00三島駅付近のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
19日6:00レンタカーで出発、霊場巡り

長温寺:1562(永禄5)年、僧・瓶山により開創されました。 本尊の薬師如来は、かつてこの地近くで討ち死にした豪族が守護仏として常に護持していたものと言われています。 その後衰微していたが、1620(元和6)年に再興され、曹洞宗として開山しました。

蔵春寺:1438(永享10)年に起こった永享の乱で、主君の足利持氏を死に追いやったことに責任を感じた関東管領の上杉憲実が、菩提のために建立した寺院です。 また、憲実から寺院建立を懇請された宗能禅師がその造立の際に、この地に棲んでいた悪龍を鎮めたという龍神伝説が残ります。 1947(昭和22)年に全山の七堂伽藍を焼失しましたが、1978(昭和53)年11月に本堂が再建されました。

澄楽寺:791(延暦10)年に、弘法大師によって開創されたと伝えられています。

王洞寺:焼失の為、沿革等は一切不明となっています。

益山寺:空海の創建と伝えられています。

泉龍寺:1500(明応9)年開創の寺院で、かつては真言宗でした。 洪水被災により、現在地に移転となりました。

金剛寺:沿革等は不明です。

修善寺:807(大同2)年に弘法大師によって開かれ、真言宗の寺院として栄えた後、鎌倉時代からは臨済宗となりました。 1489年に隆渓繁紹により曹洞宗に改宗されました。 1863(文久3)年に火災によって堂宇を焼失しましたが、数年をかけて再建されました。

大行寺:1576(天正4)年に三誉上人によって開かれました。 火災で詳細な記録は焼失しています。

安楽寺:663年にこの地を訪れた行基が自ら薬師如来を彫り、医王山大泉寺としたのが始まりであると言い伝えられています。 1534(天文3)年に現在の寺域が整えられました。

大聖寺:文覚上人の伝説があり、不動尊が有名。創建は1300年代と言われ、文覚上人の伝説があり、別名「波切不動」と呼ばれているそうです。安政の大地震の時、大津波が大聖寺の前で止まったとの言い伝えがあるとか。

法眼寺:かつては仁科の安城山麓にあった法眼庵という小さな庵でしたが、海濤により大破、荒廃しました。 享保年間にこの地を修行で通りかかった僧・幽厳が法眼庵と堂ヶ島の走嶋山長平寺の荒廃を嘆き、二院を合併して正島山法眼寺としました。

東福寺:1233(天福元)年に仁科字浜に創建された寺院で、当初は天福寺と言いました。 1309(嘉元2)年に移転、更に1395(応永2)年に再興された際に真言宗から臨済宗へと改宗されました。 後に現在地に遷移し再建した際に、寺号を東福寺と改めました。

慈眼寺:始祖といわれる復岩が1494(明応3)年入寂であることから、開山はそれ以前と思われます。 1644(正保元)年に再興されました。

禅海寺:寺の由緒書きに依ると、1192(建久3)年に栄西禅師がこの地を訪れ一宇を造り、祥雲山禅海寺と名づけたとありますが、住職に依ると栄西禅師は勧請されて始祖になったもので、実際は弟子の建立とのことです。 後に1252(建長4)年にこの寺院の本尊釈迦如来を夢に見た鎌倉幕府の6代将軍・宗尊親王と執権・北条時頼が堂宇を再建し、寄進をしたために、宗尊親王が開基とされています。

浄泉寺:1414(応永21)年に及歎によって開かれた寺院です。 1648(慶安元)年には徳川家光による御朱印状を受けて、1758(宝暦8)年には増上寺の交代寺となりました。

円通寺:古くは弘法大師作と云われる観音像を安置したという、妙智山円通寺という名前の真言宗の小庵でした。 その後、東林友丘によって臨済宗に改宗となりました。 当時は那賀川の岸辺に沿って堂宇が建てられていましたが、今より200年ほど前に現在地に遷移しました。 その際、1179(治承3)年に僧文覚がこの寺院に滞在していたことから、山号が文覚山となりました。

建久寺:建久年間(1190〜1198年)に創立された寺院です。 後に安山という僧が再興、那賀村にあったものを現在地に遷移し、檀徒も移住したと云います。 しかし、1507(永正4)年に焼失し、詳細は不明となりました。

帰入寺:1301(正安3)年に開かれた寺院で、当初は帰一庵と称していました。 後に帰一寺と名称を改めます。 1848(弘化5)年に現在の本堂が建立されました。

宝蔵院:800(延暦19)年に、27歳であった弘法大師が伊豆で修行中に仁科を訪れた際、森の中で六条の光を放つ六本の巨木を見つけました。 大師はこれを六道衆生の苦しみを救済する地蔵菩薩に縁のあるものだと考え、ここを富貴野山地蔵金剛法蔵密院と名づけました。 後に57歳となった830(天長7)年に再びこの地を訪れ、庵を修復し、お堂を建て、密法修行の地としました。

天然寺:1468(応仁2)年に雲誉文公によって創建されました。 しかし、1705(宝永2)年8月に大洪水によって流失、4年後の1709年に再建された。

永禅寺:1167(仁安2)年に文覚上人がこの地を訪れた際、持っていた釈迦如来像を安置して堂宇を建てた、永善寺という真言宗の寺院が始まりです。 後に再興された折に、永禅寺と改称し、臨済宗となりました。

常在寺:古くから小さな釈迦堂があったところに、1429(永享元)年に無範という僧が留まり、喜捨によって堂宇を建立し、常在寺という臨済宗に属する寺を開きました。

報本寺:1323(元享3)年に富貴野山宝蔵院(第81番札所)に向かっていた真言宗成就院の阿闍梨が、風岩峠付近でこの地が霊地であると感じ、1326(嘉暦元)年3月に婆娑羅山神護寺として開堂しました。 しばらく無住の時期がありましたが、臨済宗として再興しました。

太梅寺:1046(寛徳3)年に行脚中の真言宗の僧が、この地に至った際に求めていた霊地だと感じ、人々から浄財を集めお堂を建てました。 明星山満珠寺と名づけ、地蔵尊を本尊として奉りました。 寺院の裏山には寺の鎮守として、稲荷神社が勧請されました。 後に寺名を改めて太梅山深居庵とし、臨済宗に改宗しました。 更にその後の1557(弘治3)年には曹洞宗に改宗し寺院名は深居山太梅寺となり、1852(嘉永5)年に現在の山号に変わったと伝えられています。

龍門寺:1099(康和元)年6月24日、保月嶽頂上の老松に光を放つ仏像が発見され、龍が降臨すると言われていたこの地に庵を建てて安置することとなりました。 後に行脚の僧が「この像は青面金剛明王である」と言い、奉るようになりました。 当時は真言宗の寺院でしたが次第に衰退し、1593(文禄2)年に太梅寺四世法山宗禅が復興して曹洞宗に改めました。

米山寺:733(天平5)年にこの地を訪れた行基が「寺を建てるのに良い所である」と言ったことから、人々がその意に従い、程なくして寺が建てられたと伝えられています。 本尊の薬師如来も行基の作で、同年10月20日に入仏点眼し安置されたといいます。

?足寺:1319年に、徳瓊覚照によって開山された寺院です。 現在の本堂などは、明治19年に5年の歳月をかけて、再建されたものです。

三養寺:創立年代は不明ですが、開山の竺仙宗僊が1511(永正8)年に没していることから、それ以前と推測されます。 開山当時は千手院という寺号でした。 後に、豊臣秀吉が小田原城を攻めた際、下田の鵜島城も攻撃され、時の城主であった清水上野介は降伏し、妻と息子とともにこの千手院に身を隠しました。 この3人を養いおいたことから三養院と改めたと伝えられています。

弘道寺:天正年間(室町時代)に福寿庵と称し創建された古刹で、本尊は行基作と言われる聖観世音菩薩です。 何度かの火災により、詳細な縁起は焼失しています。

嶺松院:発願寺です。 寺の言い伝えによれば、延暦年間(782〜805年)に旅の途中であった弘法大師がこの地を訪れた際、多くの人々が難病に苦しんでいる様子を目にしました。 弘法大師はここに庵を建て、薬師三尊(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)・十二神将(薬師如来の眷属)を安置し、真言秘法百万遍を修法し、病気平癒を祈願して人々を苦しみから救ったとされています。

最勝院:吾宝宗?を開祖とし、1433(永享5)年に創建された歴史ある寺院です。 五哲と呼ばれた優れた門下僧らにより、門派の寺は1400を超えます。

城富院:1542(天文12)年に最勝院七世笑山によって開かれた寺院です。 北條五代の祈願所でもありました。 1655(明暦元)年に火災で焼失、また1671(寛文11)年に山崩れで被災しましたが、1681(延宝9)年に再興され、現在に至っています。

18:30終了、三島駅に向かう。
19:00三島駅到達。
19:46三島駅新幹線ひかりで出発
22:13新大阪駅到達。

今回の旅行、静岡県伊豆半島に点在する伊豆八十八ヶ所霊場の44箇所を巡り楽しみました。

関西の霊場と異なり、派手さはないが、奇抜で斬新な建物が多く、特に屋根が流線状で鶴状に跳ね上がっている霊場が多く独特でした。多くの霊場は参拝人が少なく、寂れていましたが、中にはクローズいているのか全く人気のない霊場も見かけ、他方面の霊場巡りと違った寂しさを感じましたが車が少なく、田園風景をドライブ観光気分で癒されました。


































飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百二十八弾:静岡県お城・城下町巡り観光
2018年3月31日−4月1日
  

中部地方の太平洋に東西に広く位置し、駿河、遠江の守護職となった今川氏の影響力が、南北朝時代から大きかったエリア、残る伊豆は北条氏が治め、今川氏真が徳川家康の攻撃を受け困窮すると、駿河、遠江の支配をあきらめて北条氏を頼った静岡県に足を運び静岡県伊豆半島に点在する比較的マイナーなお城8か所を訪れました。

31日18:03新大阪新幹線のぞみで出発、名古屋にこだまに乗り換え
20:43新富士駅到達、駅前のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
1日8:00レンタカーで出発、伊豆半島のお城巡り

深沢城:築城年代は定かではないが今川氏によって築かれたと云われる。

その後、小田原北条氏の所領となり、北条綱成が在城していたが、元亀元年(1570年)武田氏が侵攻し城を取り囲んだ。武田氏は金山衆を使って攻めたて「深沢城矢文」として有名な矢文を送ると、綱成は開城して相模国玉縄城へ引き上げた。

武田氏は駒井昌直を置いて城を改修したが、天正10年(1582年)武田氏が没落すると昌直は城を焼いて退いた。

天正12年(1584年)徳川家康が三宅康貞を置いて小田原北条氏に備えたが、小田原北条氏が滅亡すると廃城となった。

葛山城:築城年代は定かではないが葛山氏によって築かれた。 葛山氏は藤原北家大森氏の支流で、大森惟康の次男惟兼が駿東郡葛山に住んで、葛山氏を名乗ったことに始まる。

伊勢宗瑞が伊豆の堀越御所を急襲して足利茶々丸を討った時、今川氏から援軍として駆けつけたのが葛山氏で、その後、伊勢宗瑞の次男氏時を養子に向かえた。

今川氏が没落すると武田氏に属し、武田信玄の六男が葛山氏の名跡を継いで葛山信貞となのった。しかし、武田氏も滅亡すると葛山氏も没落した。

山中城:築城年代は定かではないが永禄年間(1558年〜1570年)頃に小田原北条氏によって築かれたと云われる。

その後、豊臣秀吉による小田原征伐軍を迎え撃つ為に急ピッチで城の改修が行われる。天正18年(1590年)3月29日北条氏勝を主将とする山中城に、豊臣軍が押し寄せ美濃国軽海西城主一柳直末が討死するなど激戦となったが、圧倒的な兵力によって次々と新手を繰り出し袋崎砦が陥落、それを足掛かりに三の丸、二の丸も陥落し、北条氏勝は城を脱して松田康長が最後まで抵抗したが討死した。落城まで僅か数時間であったという。

興国寺城:築城年代は定かではない。 伊勢宗瑞(北条早雲)は、妹婿今川義忠が文明8年(1476年)戦死した後、家督相続争いをまとめた功によって、はじめて城主となった。

宗瑞は堀越御所の内乱に付け込み、堀越公方足利茶々丸を滅ぼして伊豆の領主になると、伊豆国韮山城を築いて居城を移した。

天文18年(1549年)に今川義元によって、小規模な城郭から改修され、武田、北条、今川によって度々争われた。今川義元が桶狭間合戦によって織田信長に討たれた後、武田氏は駿河国に侵攻すると、それに対して北条氏も駿河国に侵攻し興国寺城を落としたが、元亀2年(1571年)武田氏と北条氏は和を結び、武田氏一門の穴山梅雪の家臣保坂掃部介が城主となった。

武田氏が織田氏に滅ぼされると徳川家康の所領となり、関ヶ原合戦後は天野康景が一万石で城主となったが、康景は百姓を殺害した家臣の引渡しを拒んで西念寺に蟄居し改易となり、興国寺城は廃城となった。

沼津城:築城年代は諸説あり定かではない。 天正7年(1579年)武田勝頼が城を修築して小田原北条氏に備え、香坂昌信を城主としたが、この頃は三枚橋城と呼ばれていた。 天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると徳川家康は松平康親を派遣して守備させた。

江戸時代になると大久保忠佐が二万石で三枚橋城に入封したが、慶長18年(1613年)忠佐が嗣子なく没すると大久保家は断絶となり、三枚橋城は廃城となった。

その後は天領となっていたが、安永6年(1777年)水野忠友が三河国大浜一万三千石に七千石を加増され、三枚橋城跡に沼津城を築いた。水野氏は以後八代続き明治に至り、明治元年(1868年)徳川家達が駿河国に入国すると、上総国菊間に転封となった。

韮山城:延徳3年(1491年)伊勢宗瑞(北条早雲)によって築かれた。 小田原北条氏の祖、駿河国興国寺城主伊勢宗瑞は、堀越御所の内乱に付け込み堀越公方足利茶々丸を滅ぼして伊豆の領主になると韮山城を築いて居城を移した。 宗瑞は明応4年(1495年)相模国小田原城を奪い、小田原北条氏の祖となり、永正16年(1519年)韮山で没した。

天正18年(1590年)小田原北条氏は豊臣秀吉の小田原征伐を迎え討つ為、山中城と韮山城を最前線として兵を集めた。 韮山城には北条氏政の弟氏規が城主となり兵三千余で豊臣勢四万余を迎え討った。 豊臣方の軍勢は上山田城、本立寺付城など周囲に付城を築いて包囲する。北条氏も天ヶ岳砦などに支城を築いて守りを固めこれに対抗した。山中城をはじめ、関東の諸城が攻略されるなか韮山城は落城せず、朝比奈泰勝を使者として開城を促し、氏規は開城し退去した。 この氏規の家系が江戸時代に河内国狭山に大名として続いた。

氏規が城を退くと徳川家康の家臣甲斐国浄古寺城主であった内藤信成が城主となったが、関ヶ原合戦の後、駿河国府中へ移封となり韮山城は廃城となった。

長浜城:築城年代は定かではないが室町時代に小田原北条氏によって築かれたと云われる。

天正7年(1579年)北条氏はこの長浜城を普請して駿河湾の水軍の拠点とし、武田氏に備えて梶原景宗が長浜城に派遣された。天正17年(1589年)頃には大川兵庫が城番となっていたが、天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で、北条氏は水軍を下田城や小田原城に集めたため、長浜城の機能は低下していたようである。

下田城:築城年代は定かではないが北条氏によって築かれたと云われる。 天正16年(1588年)には豊臣秀吉に備えて大改修され、伊豆衆の一人清水上野介康英を城主とした。

天正18年(1590年)豊臣水軍は長宗我部元親・脇坂安治らを大将とする一万余りの軍勢で城を囲んだ。対する北条方は清水康英を大将としてわずか六百余名の兵力であった。 五十日余りに及ぶ籠城の末、開城勧告を受け入れ降伏した。清水康英は当初林際寺に謹慎し、のちに三養院へ移り隠棲し、翌天正19年に没した。

17:30終了。
18:20新富士駅到達。
18:39新富士駅新幹線こだまで出発、名古屋でのぞみに乗り換え
21:05新大阪駅到達。

今回の旅行、中部地方の太平洋に東西に広く位置する静岡県に足を運び静岡県の伊豆半島に点在する比較的マイナーなお城8か所をおとずれ楽しみました。
生憎桜の花見時期に当たり観光の車が多く、帰りの下田から 新富士に向かう道路は大渋滞、かなりの時間を要しました。
お城はマイナーだけあって遺跡遺残も地味で訪れるのに時間を要しました。今回もですが観光名所の多い県はマイナーなお城の案内板も少なですね。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百十三弾:静岡県お城・城下町巡り観光
2017年11月11日−12日
 

中部地方の東西に広く太平洋に面し、駿河、遠江の守護職となった今川氏の影響力が、南北朝時代からおおきかったエリア、残る伊豆は北条氏が治め、今川氏真が徳川家康の攻撃を受け困窮すると、駿河、遠江の支配をあきらめて北条氏を頼った静岡県に足を運び、静岡県に点在する比較的マイナーなお城10か所を訪れました。

11日16:00車で出発、第二京阪京滋バイパス、新名神高速道路経由して浜松下車。
19:30浜名湖西部のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。

12日7:00車で出発、お城巡り。

三岳城:築城年代は定かではないが南北朝時代に井伊道政によって築かれたと云われる。

暦応2年(1339年)井伊道政は後醍醐天皇の皇子宗良親王とともに三岳城に籠もり、南朝方の拠点となっていた。暦応3年(1340年)北朝方の高師泰・仁木義長らによって三岳城は落城し道政と宗良親王は大平城へ逃れて立て籠もったがこれも落城した。

永正11年(1514年)引馬城主大河内貞綱が尾張斯波義達と結んで反今川の兵を挙げたとき、井伊直盛はこれに呼応して三岳城に籠もったが、今川氏の武将朝比奈泰以の猛攻を受けて落城し奥山城へ逃れ後に今川氏に降った。

二俣城:築城年代は定かではないが文亀年間(1501年〜1504年)二俣昌長によって築かれたと云われる。

桶狭間合戦で今川義元が敗死すると今川氏の勢力は衰え徳川氏の支城となる。 元亀3年(1572年)武田信玄は遠江に侵攻、武田勝頼を大将として二俣城を囲んだ。 武田氏は猛攻を仕掛けたが城は堅固で籠城兵もよく守っていた。しかし、城内の水之手が天竜川に井楼を組んでくみ上げていることを知った武田勢は、上流から筏を流してこれを破壊した。水之手を断たれた城内は水不足となり開城した。

天正3年(1575年)長篠の合戦で武田氏を敗った徳川家康は、武田氏の家臣依田信守・信蕃父子が守る二俣城攻略に懸かり鳥羽山城に本陣を構えて、その周囲に毘沙門堂砦、蜷原砦、和田ヶ島砦を築いて包囲した。 父信守が病死するなか信蕃が指揮して奮戦し、諏訪原城が攻略されても抵抗を続け、ついに武田勝頼の勧告により、全ての城兵を助けることを条件として開城、信蕃は堂々と城を出て高天神城へ退去した。

家康は家臣の大久保忠世を二俣城主とした。天正7年(1579年)家康の嫡男松平信康は、織田信長から武田氏に通じて謀叛の疑い有りとされ、家康に信康と生母築山殿の処罰を命じた。岡崎城から二俣城に幽閉されていた松平信康は、この地で自刃させられた。

天正18年(1590年)徳川家康の関東移封にともない、大久保忠世も相模国小田原四万石の城主として移り、替わって浜松城主となった堀尾吉晴の弟堀尾宗光が城主となり、関ヶ原合戦後、堀尾氏が出雲国広瀬へ転封となると廃城となった。

高根城:築城年代は定かではないが南北朝時代に奥山定則によって築かれたと云われる。

その後、奥山氏は今川氏に属して水巻城、大洞若子城、小川城を築いて一族で固め勢力を広げたが、桶狭間合戦後に今川氏が没落すると、今川・武田・松平のどこに属するかで一族は内部分裂となった。

元亀年間には遠江国に武田氏が侵攻し、高根城も武田氏の手に落ち、この頃に改修されたといわれるが、武田氏が没落すると廃城となった。

久野城:築城年代は定かではないが、明応年間(1492年〜1501年)久野宗隆によって築かれたと云われる。

宗隆の子元宗は元禄3年(1560年)今川義元に従って桶狭間合戦に従軍して討死し、宗能が継いだ。その後徳川氏に属して、天正12年(1590年)徳川家康が関東へ転封となると下総国佐倉に一万三千石で転封となる。

その後、松下之綱が遠江国頭蛇寺城より一万六千石で入封したが、慶長8年子重綱の時に、幕府に無断で石垣を築いた罪によって常陸国小張に転封となる。

替わって久野宗能が万石未満の旗本として旧領へ戻ったが、元和5年(1619年)宗成の時、徳川頼宣の重臣となって和歌山へ移った。

替わって元和5年(1619年)下野国富田より北条氏重が一万石で入封したが、寛永17年(1640年)下総国関宿へ転封となり、廃藩となった。

横須賀城:天正6年(1578年)大須賀康高によって築かれた。 天正2年(1574年)武田勝頼に高天神城を奪われた徳川家康は、高天神城奪還のため、馬伏塚城の大須賀康高に命じて横須賀城を築かせ、康高を城主とした。

天正16年(1588年)康高は嗣子なく没した為、康高の娘を生母とする榊原康政の長男(一説に次男)忠政が大須賀家を継いだ。 天正18年(1590年)徳川家康の関東移封に伴い、忠政は上総国久留里へ転封となった。

代わって渡瀬繁詮が三万石で入封するが、文禄4年(1595年)豊臣秀次事件に連座して改易となると、家臣有馬豊氏が領地を継いだ。

高天神城:築城年代は定かではない。永正10年(1513年)頃に今川氏親の重臣福島正成が城将として高天神城に入城したことが初見とされる。

『高天神を制するものは遠州を制す』と称されるほど重要な城であり、武田氏と今川・徳川氏によって攻防が繰り広げられた。

今川氏没落後、高天神城主小笠原長忠は徳川氏に属していた。元亀2年(1571年)武田信玄は二万越える大軍で高天神城を包囲したが、これを落とすことができず撤退した。天正2年(1574年)信玄の跡を相続した武田勝頼は二万余の軍勢を率いて再び高天神城を包囲、力攻めと降伏勧告を繰り返し、小笠原長忠はついに支えきれず降伏開城した。高天神城を手に入れた勝頼は岡部真幸(元信)、横田甚五郎尹松らを城将として守らせた。

天正3年(1575年)武田勝頼は長篠・設楽原合戦で織田・徳川連合軍に大敗を喫してしまう。好機と見た家康は諏訪原城を攻略し、天正6年(1578年)横須賀城を築いて高天神城への備えとする。高天神城を攻略できない家康は小笠山砦など六つの砦を築いて付城としこれを包囲した。籠城する岡部氏らは武田勝頼に援軍を求めたものの、北条氏と対峙していた勝頼は援軍を送ることができず、天正9年(1581年)にはついに兵糧が尽きた。城将岡部真幸は籠城兵を従えて打って出ると大久保忠教によって討ち取られ、ついに高天神城は落城した。このとき横田甚五郎は秘かに城を脱して甲斐へ戻った。家康は高天神城を焼き払って廃城とし、以後は横須賀城を拠点とした。

諏訪原城:永禄12年(1569年)武田信玄が砦を築いたのが始まりとされるが定かではない。 本郭的な城が築かれたのは天正元年(1573年)武田勝頼によるもので、縄張りは馬場美濃守信房によるものである。

武田勝頼は翌天正2年に高天神城を攻め落とすなど遠江に勢力を伸ばしていくが、天正3年(1576年)に長篠・設楽原合戦で織田・徳川連合軍に大敗を喫してしまう。好機と見た徳川家康は諏訪原城を取り囲んで攻め立て、二ヶ月に及ぶ攻城戦の末、城兵は降伏開城して小山城へ退去した。

諏訪原城を奪った家康は改修して牧野城と改め、今川氏真、松平家忠、松平康親らを在城させ、遠江攻略の拠点とした。

天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると諏訪原城の役目も終わり、天正18年(1590年)に徳川家康が関東へ転封となった頃には廃城となったと推測される。

小山城:築城年代は定かではない。 今川氏が没落し、大井川を国境に駿河国を武田氏、遠江国を徳川氏が領することとなったが、武田氏は大井川を越えて遠江国に侵攻し小山城を修築した。

元亀元年(1570年)徳川氏が小山城を落としたものの、元亀2年(1571年)再び武田氏によって奪還された。この時、武田氏は城を改修し大熊長秀を城主として守備させた。

信玄が没し勝頼の代になると高天神城などを落とし遠江国に勢力を伸ばしたが、天正3年(1575年)長篠の合戦で織田・徳川氏に大敗すると高天神城も奪還され小山城も徳川氏の手に落ちた。

丸子城:築城年代は定かではない応永年間に斉藤氏によって築かれたと云われる。 今川氏親の頃になると丸子城は府中館を守る城郭群の一つとして今川氏に接収され、福島安房守を城主とした。

永禄年間(1558年〜1570年)に武田信玄が駿河に侵攻すると、山県昌景を丸子城に布陣して西側からの防御にあたらせた。 駿河国を手中に収めると、諸賀兵部大輔、関甚五兵衛、後には屋代勝永を城番として置いた。

久能山城:南北朝時代に南朝方に属した入江駿河守が中野掃部助とともに北朝方の今川氏と戦ったが敗れ、久能山城に退去したことが知られるが、当時は本格的な城郭ではなく、城郭寺院に着眼して代用したものと考えられている。

永禄12年(1569年)頃に武田信玄によって築かれた。永禄11年(1568年)駿河国に侵攻して今川氏真を破った武田信玄は久能山にある久能寺を移設して久能山城を築いた。

武田氏は今福閑斎・今福丹波守を守将として兵350、馬上40騎を与えて守らせた。 天正元年(1573年)今福丹波守は遠江国諏訪原城の城番を命ぜられたが、天正3年(1576年)徳川家康によって攻められ落城すると再び久能山城に籠もった。しかし、天正10年(1582年)2月27日に持舟城が徳川家康によって落城すると、久能山城も徳川軍によって包囲され今福丹波守は開城して甲斐国へ逃れた。

天正11年(1583年)松平源三郎勝俊が城主となったが天正18年(1590年)徳川家康の関東移封に伴い、駿府城主となった中村一氏の家臣松下吉綱が城主となった。慶長6年(1601年)大久保弥一郎忠政が入り、慶長11年(1606年)以降榊原清政・照久父子が在城したが、元和2年4月17日徳川家康が駿府城にて没するとその遺言により久能山城は廃城となり、愛宕曲輪に埋葬され久能山東照宮が造営された。

16:00帰路に向かう。

今回の旅行、静岡県に足を運び、静岡県に点在する比較的マイナーなお城10か所を訪れ楽しみました。
今回は城跡としては立派な建造物が多く、再建天守閣、石垣、なかなかの遺残で、整備され城跡公園と利用されているところが多く見られました。案内板もしっかりありスムーズに訪れることができました。
静岡県のお城、レベルが高い、感心しました。









 





静岡県大井川鉄道SL&南アルプスあぷどライン観光
2012年12月9日


静岡県大井川沿いエリアに足を運び、静岡県榛原郡を大井川に沿って南北に駆け抜ける路線。「C11227」(昭和17年製造)の他「C108」等のSLも現役で走行中。河川や茶畑、山々など、車窓を流れる景色の多彩な変化を楽しめる大井川鉄道SL、大井川の上流部奥大井の渓谷を、ゆっくりと走る鉄道で、千頭〜井川までの25.5kmを結びます。井川線区間は、水力発電所建設の資材運搬用トロッコとして建設され、山あいを縫うようにカーブ箇所が多く、トンネルも小型です。列車サイズもそれに合わせて、小さな車両を使用しています。
また、一部区間では「国内唯一のアプト式機関車」を使い、「鉄道日本一の急勾配」を登り降りしています南アルプスあぷとラインを訪れる

8:40新大阪駅新幹線ひかりで出発
10:05浜松駅到達
10:10浜松駅JR東海道線で出発
10:49金谷駅到達
11:01金谷駅大井川鉄道で出発
12:15千頭駅到達

千頭駅に付属した大井川鐵道の資料館。SL模型や鉄道ジオラマのほか、ピストンリングなどの部品類を陳列しているSL資料館を見学。

13:15バスで長嶋ダムに向かう。
13:34長嶋ダム到達
13:42長嶋ダム駅南アルプスあぶとラインで出発
14:32千頭駅到達
14:50千頭駅大井川鉄道SLで出発
16:10新金谷駅到達
16:32新金谷駅大井川鉄道で出発
16:37金谷駅到達
17:16金谷駅JR東海道線で出発
17:30掛川駅到達
17:42掛川駅新幹線こだまで出発
18:43名古屋駅到達
18:53名古屋駅新幹線のぞみで出発
19:43新大阪駅到達

今回の旅行、日帰りで静岡県の大井川沿いに走る大井川鉄道に足を運び、大井川鉄道SLと南アルプスあぷとラインに乗車し大井川の上流部奥大井の渓谷に接し、秘境大自然に接し楽しめました。

当日寒波で雪もちらつき、かなりの寒さを耐えしのぎながらの静岡県大井川沿いに走る大井川鉄道SLと南アルプスあぷとライン乗車でした。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第百七十七弾:静岡県熱海タウン&初島観光
2012年1月21日ー22日


静岡県の日本三大温泉場の一つであり、エステに美食に町歩きの魅力の熱海に足を運び、昭和のレトロな町にひたれるスポットが点在する熱海タウン、豊かな自然に囲まれ風光明媚で首都圏から一番近い有人の島、初島を訪れました。

21日13:40新大阪駅新幹線のぞみで出発、浜松でこだまに乗り換え
16:30熱海駅到達、駅付近のホテル到着後繁華街を散策、食事を済ませて就寝。
22日7:30歩いて熱海港に向かう。途中数箇所の点在するレトロなお店を訪れる。

8:30熱海港到達
8:50フェリーで初島に向かう。
9:15初島港到達、散策する。

島の美しい娘の悲恋の物語が遺された松、お初の松を訪れる。

鎌倉時代に時の将軍実朝が二所権現参拝の折に、初島を詠んだ歌の歌碑、源実朝歌碑を訪れる。

林芙美子の小説『うず潮』は初島港から熱海の夜景を眺めるシーンで締めくくられます。初島港の熱海を見渡す高台に記念碑が残されています林芙美子記念碑を訪れる。

島の漁師が営む、朝も夜も、盛りだくさんの海の幸が楽しめます民宿街を訪れる。

島の漁師が営む、文字通り“朝獲れ”の魚介類が楽しめる食堂街を訪れる。

島内に4箇所あるダイビングポイントのキーステーション初島ダイビングセンターを訪れる。

小田原城から島流しにあい、島でも様々な伝説を残した侍、磯内膳の墓を訪れる。

江戸時代に、江戸城修築の為に石を切り出した跡地、江戸城石切り場跡を訪れる。

何百種類もの亜熱帯の植物が生い茂るアジアンガーデン、湯船に浸かりながら海に溶け込み、海の丸さを感じる、島だから実現できた海岸線ぎりぎりの露天風呂、夏季限定の、海水を利用した海辺のリゾートプール、海を見下ろす丘の上に立つコテージタイプの宿泊施設などがある初島アイランドリゾートを訪れる。

日本で15番目の登れる灯台。晴れた日には富士山や、伊豆諸島・房総半島まで360度見渡せるダイナミックな眺望を楽しめます初島灯台を訪れる。

初島周辺の眺望が楽しめる3Dパノラマビューや、初島の歴史、灯台の仕組みに関する展示を楽しめる灯台資料展示館を見学。

平成18年3月に完成した島内周遊道路。1周4kmの島なので、ちょっとした散歩に最適な初島周遊道路をひたしら歩く。

テニスコート・パターゴルフ・プール・露天風呂などスポーツとリラクゼーション機能を備えた、会員制のリゾートホテル、グランドエクシブ初島クラブの前を通過する。

海中展望船「ノア」では、“天然の漁礁”と言われている初島の豊かな海を楽しめます初島フィッシャリーナを訪れる。

新鮮な海の幸が味わえるシーフードバーベキューハウス初島ピクニックガーデンの前を通過。

島の海岸沿いの森の中にひっそりと立つ海の守り神。社殿には海中から現れたといわれる剣が納められています竜神宮を訪れる。

島内の各所に点在する8つの縄文遺跡の出土品や、深海探索船「しんかい2000」のスケールモデルなどの展示があり、初島南東沖約6km水深1174mの海底にある深海底総合観測ステーションからの映像も見ることが出来ます初島海洋資料館を見学。

孝昭帝の御代に島に漂着した初木姫が祀られており、初木姫を巡る様々な物語が残されています初木神社を訪れる。

11:10初島港フェリーで出発
11:35熱海港到達、熱海タウンを散策する。

非公開の岩崎邸、現存しない住友邸と並び、「熱海の三大別荘」といわれた名邸。日本家屋の母屋と離れは大正後期、洋館と広大な庭園は昭和初期に造られたもの。戦後は旅館として賑わい、太宰治ら多くの文化人も投宿した。現在は市の所有となり一般公開されている。館内にはゆかりの文豪たちの資料展示室や喫茶室もある起雲閣を訪れる。

かつては熱海の源泉の一つであったが、1924年(大正13)に噴出が止まったため、現在では人工的に間欠泉を作り出している。熱湯が約5分ごとに岩の間から吹き上げる。熱海市の史跡に指定され、近くには湯の神を祭る湯前神社がある大湯間欠泉を訪れる。

尾崎紅葉の小説『金色夜叉』の舞台となり、主人公の間貫一と鴫沢宮が散歩したのが熱海の海岸。熱海サンビーチ沿いに立つお宮の松は、小説ゆかりの地のシンボルといえる。現在の松は2代目で、近くに初代の幹の輪切りと「貫一・お宮の像」があり訪れる。

13:30熱海駅到達
13:46熱海駅新幹線こだまで出発
16:45新大阪駅到達

今回の旅行、3回目の訪れである静岡県の熱海に足をはこび、レトロな熱海タウン、熱海港から高速艇で25分の豊かな自然に恵まれた初島の散策楽しめました。

今回で静岡県ほぼ制覇しました。


















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百七十弾:静岡県伊東・伊豆高原&東伊豆観光
2011年11月26−27日


静岡県の伊豆半島に足を運び、昔ながらの温泉街情緒を色濃く残し、湯治場として古くから栄えた温泉地伊東、伊豆きっての高原リゾート、断崖絶壁の城ヶ崎、大室山などの自然に囲まれ、美術館やオーベルジュが点在する伊豆高原、海岸線に沿って温泉地が連なり、絶景露天の宿が多数ある東伊豆を訪れました。

26日13:40新大阪新幹線ひかりで出発、浜松でこだまに乗り換え
16:30熱海駅到達、駅近くのホテル到着後繁華街散策し食事を済ませて就寝。

27日6:00レンタカーで東伊豆方面に向かう。

2月上旬に開花する早咲きの桜として知られ、河津町の町の木となっている。開花期間は約1カ月あり、ほかの桜より長い。河津桜まつり期間中はライトアップも。花の色はソメイヨシノなどより濃いピンクでモモに近いほど。早咲きオオシマザクラとヒカンザクラの自然交配種と考えられている。河津川下流の川沿いに約800本の桜並木が続き、原木が河津町役場の近くにある河津桜並木を通過する。

国際バラ新品種コンクールの開催地である、パリのバガテル公園を忠実に再現したバラ園。5〜11月に、約1100種6000本が咲き競う。香水の調香体験工房や、フランスの工芸品・食品を扱う店、フランス料理店、カフェなどもある河津バガテル公園を訪れる。

稲取灯台近くにある小さな神社。社の中に神輿が祭られており、この神輿にくくり付けられた大きな男性のシンボルが御神体。毎年6月第1火・水曜に行われるどんつく祭りでは、町の人や観光客などがかつぎ町を練る。「どんつく」の名称は子孫繁栄、夫婦和合、無病息災を願いドンと突くというのが語源のどんつく神社を訪れる。

豊富な熱川の温泉熱を利用した施設。ブーゲンビリア・ハイビスカス・パパイヤなど、9000種に及ぶ熱帯植物や果物を栽培・展示。世界に分布するワニ30種のうち20種を飼育している。本園の熱帯植物園は熱帯性スイレンや野生のランが種類・数ともに多く、本園に隣接のワニ園では大小のワニ約200頭を見ることができる。本園から500mほど離れた分園では、温室内で球根ベゴニアやバナナなどの熱帯果樹を展示。ミシシッピーワニが泳ぐ、ワニの放流池もある熱川バナナワニ園を訪れる。

伊豆高原に向かう。

1920年代を中心とした、ヨーロッパやアメリカの自動演奏楽器120点ほどを展示。手まわしオルガン・蓄音機など、各種体験もできる。手作りオルゴールは、小さな部品を組み立て音を調整後、ケースに入れて完成させる伊豆オルゴール館を訪れる。

世界のテディベアを数多く展示。20世紀初頭のアンティークベアや、アーティストベアとよばれる世界のテディベア作家の作品が並ぶ。なかでも1904年作のテディガールは貴重なものの伊豆テディベア・ミュージアムを訪れる。

イギリスのビクトリア王朝時代(1837〜1901年)を中心とした装飾品を展示。620個のダイヤで飾られたダイヤモンドティアラなど、装飾品であるとともに貴重な美術品を展示している伊豆高原アンティーク・ジュエリーミュージアムを訪れる。

樹齢約500年という「やんもの木」が目印の美術館。古代人の手により生まれたという色鮮やかな「とんぼ玉」をはじめ、陶器のおもちゃや清朝貴族の香水瓶など約3000点もの中国美術が展示してある陶磁・ガラス美術館やんもの木を訪れる。

マザーグースで知られる絵本作家ブライアン・ワイルドスミスの絵本原画を展示するワイルドスミス絵本美術館を訪れる。

20万平方mの敷地に世界のサボテン1500種が植えられ、100種類の小動物が遊ぶ自然公園。サボテンは南・北アメリカなど生育地帯ごとに分けられ、5棟の温室に展示。クジャク・リスザル・ペリカンなどが放し飼いにされ、園内を自由に歩き回っている伊豆シャボテン公園を訪れる。

伊豆高原のシンボル的な山で、お椀を伏せたような形のよい山容を伊豆高原の各地から望むことができる。山肌はカヤに覆われ、標高は580m。リフトで山頂へ登ることができ、頂上からは天城連山や富士山、海上に伊豆大島を望む、すばらしい展望が楽しめる大室山を眺望する。

天城山と大室山の噴火で流れ出した溶岩が東の相模灘に達し、冷えてでき上がった海岸。典型的なリアス式の海岸線で、海面から切り立った数十mの断崖が北の富戸から南の八幡野まで約9kmにわたって続く。屈曲が多く変化に富む海岸線だけに、海と岩が織り成す名所も多い。海岸沿いのハイキングコースを歩けばそれらを見ることができる。大島など、紺碧の海上に浮かぶ伊豆の島々の眺めも魅力のひとつの城ケ崎海岸を散策する。

城ケ崎ピクニカルコースの途中にある、コース上一番のハイライト。真下に波が踊る入江を見て吊り橋を渡る。吊り橋の南に門脇灯台が立つ門脇吊橋を訪れる。

周囲4kmの湖。湖畔は森に覆われ、湖面に天城連山を写す様子が見事で「伊豆の瞳」という別名もある。北東岸に宿泊施設や数軒の飲食・みやげ物店が集中。ボート乗り場もあり、ボート遊びのほかブラックバスやフナなどの釣りも盛んだ。湖畔には桜が多く、花見の名所でもある。南岸に与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑が立っている一碧湖を訪れる。

標高321mの小室山を中心とした自然公園。山頂からは伊豆諸島や天城連山、富士山など360度の雄大な眺望が広がる。麓から片道3分のリフトで上れる。園内には恐竜の模型を置いた恐竜広場やレストハウス、テニスコートなどがあり、800種4000本ものツバキ、40種10万本のツツジも植栽されている小室山公園を訪れる。

伊東に向かう。

伊東では数少ない、昭和初期の建築様式を残す木造3階建ての和風旅館だった建物。1997年(平成9)の廃業後に伊東市へ寄贈され、現在一般公開されている。書院の欄間や客室の飾り窓など、当時の職人が腕を競った美しい彫刻は必見の東海館を訪れる。

松川は伊東の町並みに大きな変化をつける川。大川橋近くの木造旅館街は静岡の町並み50選のひとつだ。遊歩道は岡橋から河口まで全長約1km。柳など樹木が植えられ、藤棚も造られている。石を敷いた風情ある道には木下杢太郎の解説パネルが立ち、浴後の散策によい松川遊歩道を訪れる。

松川の河口、伊東港に面した小公園。伊東の市政30周年を記念し、1977年(昭和52)に造られた。芝生園地が整備され、「家族」など、伊東在住の彫刻家・重岡建治氏のブロンズ彫刻が置かれている。港に出入りする船が見られ、海上には初島、真鶴半島をはじめ、遠く房総半島なども望めるなぎさ公園を訪れる。

ウィリアム・アダムスの功績をたたえたもので、松川河口に架かるなぎさ橋のたもとに立つ。イギリス生まれのアダムスはオランダ商船隊の水先案内人を勤めていたが、1600年(慶長5)に船が難破して九州に漂着。その後、徳川家康の信任を得て日本に帰化。三浦按針と名乗り、伊東で日本最初の西洋式帆船を建造した。英文を刻んだ横長の石碑と、胸像が立っている按針碑・按針像を訪れる。

木下杢太郎は明治、大正、昭和期の詩人・文学者で、医学者でもあった。記念館の建物は杢太郎の生家で呉服・雑貨商を営んでいた「米惣」の母屋を利用。1835年(天保6)に建てられた生家は、現存する伊東市内の民家では最も古い。館内には杢太郎の生まれた4畳半も残されており、杢太郎の詩集や評論集、自筆原稿、花のスケッチ、手紙などを展示。生い立ちコーナーには学生時代の写真があり、業績を紹介するビデオが流されている木下杢太郎記念館を訪れる。

熱海方面に向かう。

網代の町なかからトンネルを2つ抜けて海岸線を回り込んだ山の中腹にある。本尊は奈良時代の僧行基の作と伝わる木造の聖観音像で、33年ごとに開帳(1996年開帳)。境内は竹林が美しく、石造りの33観音像が並ぶ。相模湾や初島の眺めがよい長谷寺(長谷観音)を訪れる。

絵本作家・戸田幸四郎氏の絵本原画が展示されている。太宰治の『走れメロス』、宮沢賢治の『竜のはなし』など名作を絵本にしたものや、環境問題を扱ったもの、楽しく学べる知育絵本などがあり、収蔵原画は約500点。絵本と原画の両方を鑑賞できる戸田幸四郎絵本美術館を訪れる。

広大な敷地に10の美しい庭園が広がる。150種類2000本のバラが咲き誇るローズガーデンやイタリア式ハーブガーデン、世界最大の盆栽「鳳凰の松」が見事な日本庭園などが楽しめるアカオハーブ&ローズガーデンを訪れる。

熱海の名勝・錦ケ浦山頂にそびえ立ち、海抜160mの天守閣展望台からは熱海市街や、晴れた日には大島・初島まで一望できる。城内には鎧興や刀剣などを展示した武家文化資料館や城郭資料館などがあり、武家文化に関する資料が充実。ほら貝・手裏剣などの体験や昔のおもちゃを集めたコーナーもある熱海城を訪れる。

来宮駅の南にある坪内逍遥の邸宅。屋敷は1920年(大正9)に建てられたもの。逍遥は、ここでシェークスピアの全訳を完成させた。建物は木造2階建ての日本家屋。庭先には名前の由来となった2本の柿の木と書斎がある。また、100m南の海蔵寺には逍遥夫妻の眠る墓がある双柿舎を訪れる。

1886年(明治19)、横浜の資産家が出資してつくった梅園が始まり。初川沿いに広がる約3万4000平方mの園内に、冬至梅・八重寒紅など各種の梅が約450本植えられ、12〜3月にかけて咲き継ぐ。毎年1月中旬〜3月中旬には梅まつりを開催。多くの花見客で賑わう熱海梅園を訪れる。

日金山の南斜面に広がり、明るい芝生の斜面や木々の緑が美しい公園。サクラ、アジサイなど四季を通じて花々が咲き、特に4月中旬〜5月にかけて咲く7万5000本のツツジは見事。渓流や人工の滝があり、フィールドアスレチックコースも作られている姫の沢公園を訪れる。

絵画・書跡・工芸など東洋美術を中心に、約3500点の収蔵品をもつ充実した美術館。収蔵品のうち国宝は尾形光琳筆「紅白梅図屏風」(毎年2月公開)、野々村仁清作「色絵藤花文茶壺」、手鑑「翰墨城」の3点で、重要文化財は65点に及ぶ。レンブラントの「自画像」やモネの「睡蓮」など西洋絵画のほか、能楽堂では能や狂言も開催。建物は熱海市街や相模湾を見下ろす眺めのよい高台に立ち、瑞雲郷と呼ばれる約23万平方mの庭園が広がっている。ほぼ毎月展示替えを行うMOA 美術館を訪れる。

伊豆山大権現とよばれ、平安時代の延喜式にも載る古社。源頼朝が源氏再興を祈願し、鎌倉時代には関八州総鎮守となって崇敬された。頼朝と政子が逢瀬を重ねた場所といわれ、境内にある梛の木の葉は男女の仲を結ぶお守りになっている伊豆山神社を訪れる。

発見は養老年間(717〜724年)にさかのぼり、走り湯権現ともよばれた。伊豆山温泉の発祥となった湯で、長さ5mほどの洞窟の奥に、いまも毎分170リットル、約70度の湯が湧いている走り湯を訪れる。

17:30熱海駅到達。
18:43熱海駅新幹線ひかりで出発
21:05新大阪駅到達。

今回の旅行、静岡県の伊豆半島の東海岸沿いに点在する自然とアートと寺社を訪れドライブ観光楽しめました。

伊豆半島の観光名所は古くから賑わい、歴史ある観光地としての風格が感じられました。

東京から近場の観光地、たくさんありますね。
関西と違った自然を主とする観光名所盛たくさんの東京近郊ドライブ観光でした。

















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百二十二弾:静岡県浜松&遠州&三河観光
2010年12月11ー12日


3回目となる静岡県に足を運び、静岡県西部に位置する浜松駅を中心に広がるオシャレタウン、個性派ショップや浜松っ子御用達の飲食店がひしめく浜松タウン、全国的にうなぎの名産地として知られ、温暖な気候と豊かな自然が織り成す景勝地として人気のスポット浜名湖エリア、東の大井川、西の天竜川に挟まれた自然豊かなエリア、東海道沿いに賑わった磐田や袋井、かつて城下町として栄えた掛川などには史跡が残り、見所が多い遠州エリア、浜松に隣接する愛知県東部、手筒まつりで知られる豊橋や豊川、三河湾沿いに個性豊かな都市が集中している三河エリアを訪れました。

11日12:30車で第二京阪名神新名神東名阪東名自動車道経由して音羽蒲郡インター下車
14:40三河到達。

商売繁盛・福徳開運の神様として、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑や大岡越前も信仰したという中部地区では有名なお稲荷さん。境内の寺賓館には、地蔵菩薩像(重要文化財)などを展示。書院西には妙厳寺庭園がある豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)を訪れる。

約3万平方m、季節ごとに約250種類の植物が群生する低層湿原で、モウセンゴケなどの食虫植物やミカワバイケイソウ、シラタマホシクサなどこの地でしか見られない貴重な植物も多い。湿原内は木道が整備され散策できる葦毛湿原を訪れる。

「のんほいパーク」と呼ばれて親しまれている総合公園。動物園ではライオンなど約160種類の動物が飼育され、植物園では2700平方mの大温室内で熱帯植物を観察することができる。11種類の乗り物が楽しめる遊園地も人気の豊橋総合動植物公園を訪れる。

東海道五十三次33番目の宿場町だった二川宿。ここでは江戸時代の旅が体験できる。「東海道」「二川」「本陣」をテーマに、江戸時代の街道や宿場、大名行列などについて分かりやすく紹介。大名の宿・本陣と庶民の宿・旅籠屋が復原され、浮世絵摺りや双六ゲームの体験コーナーもある豊橋市二川宿本陣資料館を見学。

浜松に向かう。

18:00浜松駅付近のホテル到達後繁華街を散策する。

アクトシティ浜松の象徴である地上45階建ての多目的ビルで、低層部にはレストランなどの商業施設、中層部にオフィス、上層部にはホテルが入っている。最上階には遠州灘や日本アルプスなど、360度の風景を見渡せる展望回廊があるアクトタワー[アクトシティ浜松]を訪れる。

アクトシティ浜松内にある、世界中の楽器約1200点を展示する博物館。楽器が作られた時代背景や、音の出る仕組みをわかりやすく紹介。付属のヘッドホンで楽器の音が聴けるほか、体験ルームでは自由に楽器にふれられる浜松市楽器博物館[アクトシティ浜松]を訪れる。

食事を済ませてから宿に戻り就寝。

12日6:30車で出発

1570年(元亀元)、徳川家康が遠州攻略の拠点に築城。徳川の治世はここから始まったともいえ、その後代々の譜代大名が居城としたことから別名「出世城」とも呼ばれる。城跡は浜松城公園として整備。築城当時の姿を残す石垣の上には、1958年(昭和33)再建の天守閣がそびえる。天守閣内部では鎧や刀剣などを展示。最上階の展望回廊は浜松市内が一望できるビュースポットだ。桜の名所でもある浜松城を訪れる。

航空自衛隊浜松基地の敷地内にある施設。体験とコミュニケーションをテーマに、展示や映像などを通じて航空自衛隊を紹介している。館内には本物の戦闘機やパイロットの携行品といった展示のほか、パネルなどで自衛隊についてわかりやすく解説。さらに、航空機のコックピットからの眺めを約10分の映像で体験する全天周シアター15、コックピットに乗り疑似操縦ができるフライトシミュレーターなどがある航空自衛隊浜松広報館(エアーパーク)の前で記念撮影。

佐鳴湖を中心に広がる緑豊かな公園。46.85万平方mの広大な園内には、散策コースや芝生広場、遊戯広場などがあり、さらにサイクリングやボート、釣りなどスポーツも楽しめる。春には桜が美しいことで有名。冬には渡り鳥が訪れ、バードウォッチングもできる佐鳴湖公園を散策。

佐鳴湖の東岸にある国指定史跡。約3000〜4000年前の縄文時代の遺跡で、住居跡や墓、貝塚が見つかっており、現在は史跡公園として整備されている。園内には5棟の復元家屋が立つほか、江戸時代の民家も移築されている。また、発掘当時のまま保存された第一貝塚では、貝殻の堆積状態が観察できる蜆塚遺跡を訪れる。

館山・浜名湖に向かう。

桜・バラ・ツツジ・ハナショウブなど、約3000種10万本の植物が栽培されている公園。約30万平方mの広大な敷地には、噴水とその周りの花壇を中心に、大温室、ローズガーデンや桜並木、梅園、ハナショウブ園などがあり、四季折々の花と緑を楽しめるはままつフラワーパークを訪れる。

舘山寺温泉の一角にあり、園内は自然の地形を活かし、ゾウやトラ、ライオンなど約130種450頭の動物がのびのびと生活している。中でもサルの仲間が多く、27種の猿が見られるサルのアパートや、サル山が人気の浜松市動物園を訪れる。

徳川家康が小出播磨守へ送った『小出播磨守宛書状』や、葵の紋が入った茶器など、徳川家のコレクションが中心。館内には色鮮やかな蒔絵、書画、工芸品があり、なかには尾形光琳の『十二ケ月図屏風』、歌川広重の『名所江戸百景』など貴重な作品も多い浜名湖舘山寺美術博物館を訪れる。

庄内半島の西、高さ50mほどの小さな山、舘山の中腹にある曹洞宗の禅寺。舘山寺温泉の名前の由来でもある。もとは810年(弘仁元)、弘法大師が開いた真言宗の中嶺山舘山寺という古刹で、鎌倉時代に兵火で一度は焼失したものの、源頼朝が自らの祈願寺として再建。明治の廃仏棄釈で廃されたが、明治中期になって曹洞宗の寺として再び興された。周囲には浜名湖を見ながら一周できる遊歩道もある舘山寺を訪れる。

舘山寺温泉街の対岸にある標高113mの山。山頂の展望台からは、眼下の浜名湖をはじめ、遠くに遠州灘、快晴の日には富士山まで見渡せ、360度の大パノラマを楽しめる。浜名湖パルパルから山頂展望台までを、かんざんじロープウェイが所要4分で結んでおり、簡単に頂上まで行くことができる。山頂一帯は公園として整備されている大草山を望む。

遠浅で波の静かな弁天島南岸は、海水浴ができる海浜公園として整備されている。園内には舞阪町観光シンボルタワーがあり、7月下旬〜8月下旬には子ども用プールがオープン。ヤシの木が立ち並び南国ムードあふれる遊歩道では、海辺の散策が楽しめる弁天島海浜公園を訪れる。

1600年(慶長5)、徳川家康により、東海道の通行人を調べるために創設された関所。「入鉄砲に出女」といわれ、鉄砲と女性は特に厳重な取り調べを受けた。当時の建物が現存する全国で唯一の関所跡で、国の特別史跡に指定されている新居関跡を訪れる。

新居関所跡の隣にあり、旅道具や通行証、関所で使用した武具や責め道具など、関所の資料が展示されている新居関所史料館[新居関跡]を見学。

1383年(永徳3)の創建とされる法華宗の古刹。大書院にある谷文晁の15面におよぶ壁画や襖絵が有名で、別名「文晁寺」とも呼ばれる。大書院の庭は小堀遠州が手掛けた池泉鑑賞式の庭園で、境内は春の桜やツツジ、秋の紅葉など、四季折々の表情をみせる。また境内には本堂や約10の堂宇が立ち並ぶ本興寺(文晁寺)を訪れる。

726年(神亀3)、聖武天皇の勅願寺として建立された古刹。「優れた教え」という意の梵語が寺名の由来。木造の千手観音像(重要文化財)や、不動明王像(重要文化財)などの寺宝が安置されている。鎌倉時代初期に造られた庭園は、東日本では珍しい平安様式の名園。桜や杉などの古木が四季折々の美しさを見せる摩訶耶寺を訪れる。

1371年(建徳2)、後醍醐天皇の皇子無文元選禅師によって開かれた。杉の老木が茂る鬱蒼とした境内に、本堂・半僧坊真殿・開山堂・三重の塔など、60あまりの堂宇が立ち並ぶ方広寺を訪れる。

方広寺境内にある鎮守堂。中国各地で修行した開山禅師を帰国途上、海難の危機から救ったという半僧坊を祀った半僧坊真殿がある奥山半僧坊[方広寺]を訪れる。

竜の爪痕を残す大岩があると伝わる、竜ケ石山にある洞窟。東海地方で最大級の鍾乳洞で、約1kmのうち一般公開されているのは約400m。何万年もの歳月をかけて形成され、マリア観音や鳳凰の間、石柱の宝などの鍾乳石が並ぶ。なかでも、落差30mの黄金の大滝は圧巻の竜ケ岩洞を訪れる。

733年(天平5)、行基が開山した古刹で、井伊家代々の菩提寺。本堂のうぐいす張りの廊下、竜の彫刻は左甚五郎作と伝わる。織田信長の遺品や井伊家ゆかりの品々などがある。国指定名勝小堀遠州作龍潭寺庭園、県指定文化財龍潭寺本堂等が見どころの龍潭寺を訪れる。

遠州森方面に向かう。

704年(慶雲元)、文武天皇の勅願で行基が創建したという。15代まで法相宗、16代から天台宗になり36坊を有した。萩の寺として有名で、秋には見物客で賑わう。徳川家康のご朱印目録や、今川義元の寄進状などが拝観できる。山内一豊ゆかりの寺、蓮華寺を訪れる。

蓮華寺の入口にある。1885年(明治18)に建てられた周智郡役所の建物を移築し利用した資料館。館内では昔の看板や農耕具、生活用品、古文書などを展示する森町立歴史民俗資料館[蓮華寺]を見学。

桃山時代から続く庄屋、加茂家の門前に広がる花菖蒲園。5月上旬〜6月下旬にかけて、約1500種100万株もの花菖蒲が白壁・土蔵・長屋門などを背景に咲き乱れる。温室ではベゴニアなども鑑賞可の加茂花菖蒲園を訪れる。

掛川に向かう。

1994年、全国初の木造天守閣として復元された3層4階建ての城。戦国時代に今川氏の家臣・朝比奈泰熈によって築城され、天守閣は山内一豊の時代に築かれた。城内では鎧兜や装身具などを展示。最上階の天守台からは周囲が一望できる掛川城(雲霧城)を訪れる。

掛川城公園内にある市立美術館。江戸時代の煙草道具や刀装具など近代工芸品2340点余り、伊東深水や横山大観などの日本画約45点を中心に収蔵。年8回、企画展を開催している掛川市二の丸美術館[掛川城]を訪れる。

東京・銀座の資生堂ギャラリーでの芸術文化支援活動を通じて収集された絵画・彫刻・工芸品などが一般に展示公開されている資生堂アートハウスを見学。

資生堂アートハウスに隣接し、創業1872年(明治5)以来の企業文化の歩みを紹介。ポスターや商品のパッケージ、テレビCMなど創業当時から現代までの懐かしい商品に再会できる資生堂企業資料館[資生堂アートハウス]を見学。

袋井に向かう。

孝謙天皇の勅願寺で、701年(大宝元)に行基が創建。境内には、孝謙天皇の眼病を治したといわれる薬師様が祀られ、目の霊山として信仰されている。油山寺山門(重要文化財)や朱塗の三重塔(重要文化財)、本堂内の薬師如来厨子(重要文化財)など多くの寺宝がある医王山油山寺を訪れる。

可睡斎に隣接するユリ園。5月下旬〜6月下旬には、約150種200万本のユリが咲く。園内には芝生広場や東屋、お茶席、ユリ苗の直売所もある可睡ゆりの園を訪れる。

磐田に向かう。

面積7.43ha、周囲1.7kmの日本一のとんぼの生息地。68種類の生息が確認されている。野鳥や水生植物の宝庫でもあり、静岡県自然環境保全地域に指定されている桶ケ谷沼を訪れる。

1875年(明治8)に建てられた、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎。1922年(大正11)までは小学校として、その後は裁縫女学校、病院などとして使われ、現在は教育資料館になっている。館内には、明治から大正にかけて使われた教科書や石盤、オルガンなどを展示。等身大の人形を置き、授業風景も再現されている磐田市旧見付学校を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回旅行、3回目の静岡県西部に足を運び、浜松駅を中心に広がるオシャレタウン、個性派ショップや浜松っ子御用達の飲食店がひしめく浜松タウン

全国的にうなぎの名産地として知られ、温暖な気候と豊かな自然が織り成す景勝地として人気のスポット浜名湖エリア

東の大井川、西の天竜川に挟まれた自然豊かなエリア、東海道沿いに賑わった磐田や袋井、かつて城下町として栄えた掛川などには史跡が残り、見所が多い遠州エリア

浜松に隣接する愛知県東部、手筒まつりで知られる豊橋や豊川、三河湾沿いに個性豊かな都市が集中している三河エリアを訪れ点在する多くの史跡を巡り、満喫しました。

今回訪れた浜松タウン、驚いたことに、町は洗練され、浜松駅を中心にひろがるオシャレタウン、なかなか散策、楽しめました。
又浜松郊外に点在する多くの寺院を巡り、珍しく茅葺き寺院が数多く目立っていました。
今まで知らなかった、今回数多く発見した浜松周辺の観光旅行でした。
















飛行機で国内&海外の観光地巡り第七十七弾:静岡県西中伊豆半島観光
2009年10月17−18日


今回は静岡県の伊豆半島に足を運び、夕日の美しさの堂ヶ島や黄金岬、なまこ壁の町並みが残り明治時代の面影を留める港町、松崎など富士山を望む海岸線に観光スポットが点在する西伊豆、白砂が美しいビーチが数多く、のんびり町歩きが楽しめる港町下田が位置する南伊豆、伊豆半島の中央部に伸びる緑豊かなエリア、三島から湯ヶ島まで山に囲まれ、修善寺温泉、伊豆長岡など由緒ある温泉地や川端康成の伊豆の踊り子など、文学作品の舞台として有名な中伊豆を訪れました。

17日13:15新大阪新幹線ひかりで出発
15:54新幹線三島駅到達、レンタカーで観光

見晴らしのよい、富士山麓の丘陵地にある複合施設。園内には花・アート・食をテーマに、自然公園や美術館・文学館、有名シェフのレストランなど点在している。5〜6月にはクレマチスの花が開花。美しいガーデンの散策、アート鑑賞、おいしい空気を感じながらの食事と、いろいろな楽しみ方ができるスポットのクレマチスの丘を散策する。

三島駅付近のホテル到達後、繁華街を散策して食事を済ませてから床に就く。

18日6:00レンタカーで出発、天候曇りのち晴れ

伊豆国の一宮。旧官幣大社。祭神は事代主神と大山祇命。創建は不明だが、1300年以上の歴史をもち、伊豆諸島の噴火・造島を司る神として朝廷から特別な尊崇を受けた。源頼朝が源氏再興を祈願したことでも知られ、頼朝発給の古文書(重文)、北条政子奉納の「梅蒔絵手箱」(国宝)などゆかりの品も遺る。幕末再建の豪壮な社殿(重文)、キンモクセイ(天然記念物)も見どころの三嶋大社を訪れる。

富士山の伏流水が湧く楽寿園小浜池を水源地としており、上流は自然河川、下流は戦国時代に開削された灌漑用水路である。昭和30年代まで豊富な水量を誇ったが、周辺部の都市化や富士山麓への工場進出等により、湧水量が減少し危機的な環境悪化に陥った。このような状況を何とかしようと住民と行政、企業が一体となって、定期的な清掃活動や工場の1次冷却水を流してもらうなどの河川再生に向けた取り組みを行った。結果、水辺環境が向上し、現在では、市民の憩いの場となっている源兵衛川を訪れる。

約8500年前に富士山の爆発で大量に噴出した三島溶岩流層とその下の火山表層の性質により、この地方に降った雨や雪は地下水となって流下し、三島市や柿田川の地表に湧き出ている。その中でも最大のもで、水量は極めて多く、日量約100万トン。水温も一年を通して一定で約15℃、水質も大変よい柿田川湧水群を散策する。

南西の西伊豆方面に向かう。

伊豆半島の北端に位置する、井田地区にある展望台。見事な景観が楽しめる。井田集落と青い海、その向こうに富士山が一望できる煌きの丘を訪れる。

江戸時代に幕府直轄の金鉱として繁栄した金山。1965年(昭和40)に廃坑となるまで、100km以上も採掘され続け、金40トン、銀400トンが産出された。実物大の人形を置いて江戸時代の採掘風景を再現した約400mもの長さのある坑道の見学、砂金採り体験などが楽しめる。資料館となっている黄金館には、ギネス認定の世界一の巨大金塊を展示している土肥金山を訪れる。

高さ5m、座像では日本一大きい達磨大師像があり、病気平癒のご利益があるといわれる土肥達磨寺を訪れる。

バス停から岬の突端までは、林の中の遊歩道を歩いて約15分。展望台にはラブコールベルがあり、思う人の名前を呼びながら3回鳴らすと永遠の愛が叶うという恋人岬を散策する。

宇久須港と、安良里港の間に突き出した岬。突端部の切り立った断崖が風化して黄褐色となり、夕日を浴びると黄金色に輝く。三島由紀夫の小説『獣の戯れ』にもその美しさが描かれており、一節を刻んだ文学碑が立つ。松林の続く遊歩道を10分ほど行くと、1万7000平方mもの広大な黄金崎公園がある黄金崎を散策する。

象島・中ノ島・高島の3つの小島を総称して三四郎島と呼ぶ。干潮時、島と陸地の間に幅約30mの磯が出現して道となり、歩いて渡れるようになる、珍しいトンボロ現象が見られることで有名な三四郎島を海岸から眺める。

らんの里堂ケ島に隣接する俳優・加山雄三の記念館。誕生から現在までを写真で紹介するほか、愛用のギターや直筆の楽譜、映画で使われた小道具、自作の絵画などを展示している加山雄三ミュージアムを見学。

明治中期の呉服問屋で、松崎の大地主だった中瀬邸を利用した町営資料館。当時の呉服商の様子を再現し、なまこ壁造りの土蔵や太い柱が見事な母屋など、明治の重厚な木造建築の粋を見られる明治商家中瀬邸を見学。

壁面に四角い平瓦を並べて張り、その継ぎ目を白漆喰でかまぼこ型に盛り上げたなまこ壁。江戸時代に防火・防湿建築として普及したもので、伊豆各地で見ることができるが、ことに松崎には数多く残されている。なかでも、かつて薬問屋だった近藤家横の路地が、江戸時代末期の立派な壁が保存されているなまこ壁通りを訪れる。

入江長八の代表作約50点を展示する美術館。1815年(文化12)、松崎に生まれた長八は江戸に出て修業し、各地に漆喰鏝絵の名作を残した。漆喰鏝絵は、壁に塗る漆喰を材料に鏝だけを使って描いた絵画のこと。作品はどれも精緻をきわめ、入口で渡される虫眼鏡で見るとそのすばらしさがよくわかる。モダンな現代建築と、なまこ壁や漆喰鏝絵が調和したユニークな建物も興味深い伊豆の長八美術館を見学。

漆喰細工の名人とうたわれた左官職人・入江長八の菩提寺が浄感寺。その本堂が長八記念館となっており、長八の傑作として有名な天井に描かれた『八方睨みの龍』や、『飛天』など約20点の作品が残っている。境内には長八の墓と胸像、記念碑が立つ長八記念館を見学。

1880年(明治13)に建てられた小学校で、国の重要文化財。伊豆で現存する最古の学校建築物である。なまこ壁を生かした白亜の社寺風建築様式にバルコニーなど、和洋折衷となっている。内部は郷土館で、往時の授業の様子などを再現している岩科学校を見学。

南伊豆方面に向かう。

相模灘と遠州灘を分ける伊豆半島最南端の岬。海から高さ60mの断崖が切り立ち、青い海、褐色の岩、木々の緑が見事なコントラストを見せる石廊崎を訪れる。

石廊崎の先端に立つ灯台。1871年(明治4)、英国人技師ブラントンの設計で建てられ、当初は木造だったが1933年(昭和8)に現在のコンクリート造物原型に建て替えられた。高さ11.4m、光達距離38kmの石廊埼灯台を訪れる。

石廊埼灯台のすぐ下、岬の崖の途中にある神社。千石船の帆柱を利用した簡素な造りの社殿は1901年(明治34)の建築だが創建は701年(大宝元)と古く、海上の安全を守る伊波例命を祭っている石室神社を訪れる。

下田方面に向かう。

下田の開港に関する歴史資料約1000点を中心に展示。ペリーの写真や唐人お吉の肖像画、黒船の模型、ロシア使節のプチャーチンが使っていたグラス、蒸気船の錦絵などが見られる。下田太鼓祭の解説、民具の展示コーナーで下田の民俗・歴史の紹介もしている下田開国博物館を見学。
1854年(嘉永7)、日米和親条約付録下田条約が締結された場所として国の史跡に指定。境内にある宝物館には、ペリー直筆の公文書や黒船来航絵巻など3000点を超える国内最大の黒船コレクションを収蔵・展示している了仙寺を訪れる。

日米交渉のために了仙寺へ向かうペリーが歩いた道。石畳の道に整備され、かつての遊郭を利用したものなどレトロな雰囲気の店が並ぶペリーロードを散策する。

お吉の菩提寺。本堂の右横に唐人お吉記念館があり、お吉の遺品や写真を展示。墓は記念館裏手に、供養の石灯籠や鶴松の塚と並んで立っている宝福寺を訪れる。

然の入江を利用した水族館。イルカのショーやユーモラスなアシカショーが人気をよんでいる。25m×21mの大水槽では50種3000点の海の生物を飼育展示している下田海中水族館を見学。

北上して中伊豆方面に向かう。

直径80m、総延長1100mの巨大ならせん道路。ぐるりとふた回りして、落差45mの急傾斜を登り下りする。1981年(昭和56)、国道414号の大滝・七滝温泉脇に完成。緑濃い山あいにひときわ目立つループラインは、七滝エリアの目印、名所となっている河津七滝ループ橋を通過する。

河津川沿い約2kmに点在する釜滝、エビ滝、蛇滝、初景滝、カニ滝、出合滝、大滝の大小7つの滝の総称。なかでも、『伊豆の踊子』の像が立つ初景滝は絶好のシャッターポイント。滝壺に温泉が湧く、高さ27mの大滝は迫力満点の河津七滝を散策する。

落差25m、幅7mの滝。原生林が生い茂り、静寂な雰囲気の中、激しい音を立てて流れ落ちる姿は迫力がある。滝への道は明治末期に開かれ、昔は人も近づかぬ神秘的な場所であったという。周辺は夏でも涼しく、滝の周りや滝壺の岩肌には県指定天然記念物のジョウレンシダが群生。「日本の滝100選」のひとつに選ばれている浄蓮の滝を訪れる。

湯ケ島温泉にある。川のせせらぎを聞きながら温泉内をめぐる散策道。かつて地元の人々が共同浴場に通った道を散策道として整備した道で、井上靖や若山牧水らも歩いたといわれる。川の合流地点の出会い橋には男橋と女橋があり、ここで男女が出会うと幸福になれると人気の場所の湯道を散策する。

暗殺された源頼家の冥福を祈って実母、北条政子が建てた経堂。お堂の中心には鎌倉期の作品である釈迦如来坐像が安置され、県の文化財に指定されている。指月殿の横には源頼家の墓がある指月殿を訪れる。

807年(大同2)、弘法大師の開山と伝わる古刹。ここで源頼朝の弟・範頼が自刃し、長子頼家が暗殺された。岡本綺堂の戯曲『修禅寺物語』はこの史実を題材にして書いたものとして知られる修禅寺を訪れる。

18:00三島駅到達。
18:26三島駅新幹線こだまで出発
19:38浜松駅新幹線ひかりに乗り換え出発
21:03新大阪到達。

今回の旅行、伊豆旅のゲートタウン、三島から伊豆半島の西半分をドライブ観光してきました。

三島大社の門前町として発展、富士山の伏流水が市内各地で湧くことから、水の郷百選に選ばれている三島。

夕日の美しさで知られる恋人岬、黄金崎、大田子海岸が位置する西の海岸線、数々の奇岩の島が浮かぶ堂ヶ島、なまこ壁の家や蔵が点在するレトロな町、松崎などが位置する西伊豆。

温暖な港町らしい景色のなかにレトロな町並みが溶け込んだ下田、伊豆最南端に位置し、相模湾の荒波が打ち寄せる石廊崎などがある南伊豆。

川端康成の伊豆の踊り子の舞台となった天城湯ヶ島の散策、美しい竹林や源氏ゆかりの史跡がおなじみの古都の風情が薫る温泉地修善寺など観光名所が点在する中伊豆。

一泊二日で東の伊豆は以前訪れたことがありますが西南中伊豆は今回初めてで天候も良く、多くの自然と史跡を巡り有意義な日を送ることが出来ました。














飛行機で国内&海外の観光地巡り第五十七弾:静岡&清水&焼津&大井川観光
2009年4月11−12日


今回は徳川家康ゆかりの駿府公園やB級グルメの代表格静岡おでんで有名な静岡タウン、日本平など海を望めるスポットが目白押しの清水、遠州灘の雄大な自然を満喫でき日本の夕日百選に選ばれた御前崎、SL列車で旅を満喫できる大井川エリアに足を運びました。

11日13:40新大阪、新幹線ひかりで出発
15:30静岡駅到達、静岡タウン散策

静岡新聞社の創設者、大石光之助氏が集めたコレクションを展示する博物館、近代日本画を代表する橋本雅邦、横山大観、川合玉堂、伊東深水などの作品のほか、徳川家康や勝海舟の書などを収蔵する駿府博物館を見学。

家康の居城として造られた、駿府城跡を整備した市民公園、堀に囲まれた広い園内には、家康の銅像や家康の手植えといわれるミカンの木などがあり、城の面影を伝える東御門、木造2層3階建ての巽櫓も復元、4つの回遊式庭園が美しい紅葉山庭園が存する駿府公園を散策する。

神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の3神社の総称、家康が14歳の時に元服した神社として知られる静岡浅間神社を散策する。

静岡一の繁華街として、明治から大正にかけて七ぶらとよばれ親しまれてきた七ぶらシネマ通りを散策する。

静岡駅の南側に位置するホテルに到達後、静岡駅南側のタウンを散策して食事を済ませてから宿に就く。

12日6:00レンタカーで出発、天候晴れ、北方面の秘境梅ヶ島、大井川方面に向かう。

元禄年間に梅ケ島、コンヤ温泉の西にそびえる大谷嶺の山崩れの際、安倍川が堰き止められてできた滝、崩落時、赤く染まった水が流れたことから名付けられた赤水の滝を訪れる。

井川方面に向かう。
1957年(昭和32)、井川ダムの完成によってできた人造湖、東西2km、南北10km、堰堤をはさみ、湖の反対側は切り立った山肌が谷底まで続く井川湖を訪れる。

南に下り御前崎方面に向かう。
中部電力浜岡原子力発電所の敷地内にあり、高さ22mの実物大原子炉模型をはじめ、直径18mのドーム状スクリーンでの大迫力オムニマックスシアターが楽しめる浜岡原子力館を見学。

御前崎から天竜川河口まで30km続く遠州大砂丘のなかでも、最も雄大なのが浜岡砂丘を散策する。
御前崎沖合を行き交う船の安全を守るために設置された灯台、1635年(寛永12)に常夜灯台が置かれたのが始まりで、その後、イギリス人技師ブラントンの指導によって1874年(明治7)に現在の西洋式灯台となって生まれ変わり、高さ17mの展望デッキに上ると、太平洋の大海原が正面に広がり、水平線まで見渡すパノラマは見事な御前埼灯台から眺望する。

東名自動車道経由して静岡、清水方面に向かう。
1943年(昭和18)に発掘された、弥生時代後期(2〜3世紀)の住居跡、高床式倉庫や水路、水田、木製農具なども多数発見され、当時の生活解明に大きく寄与し、一帯は登呂遺跡公園として整備、復元された竪穴式住居や穀物を貯蔵する高床式倉庫、水田跡などが見られる登呂遺跡を散策。

迫力あるシロワニ(サメ)をはじめ350種1万匹を展示する水族館、体長18.5mのピィグミーシロナガスの完全骨格標本があるマリンサイエンスホール、ロボット魚が泳ぐ機械水族館の3つの展示部門で構成。巨大マンタが頭上に大接近の3Dハイビジョンシアター、世界のクマノミを集めたクマノミ水族館、クラゲギャラリーなど、又、全長26mのディプロドクスやトリケラトプスなどの巨大恐竜、マンモスの全身骨格標本計15体が揃う東海大学海洋科学博物館・自然史博物館を見学する。

駿河湾から突き出た半島一体を指し、約7kmの海岸線に松が並び、謡曲「羽衣」にも謡われ、天女が羽衣をかけたという樹齢およそ650年の羽衣の松は見事な三保の松原を散策する。

日本平山頂と、静岡市街を結ぶ道路、一帯は県立自然公園に指定されており自然と眺望が楽しめるドライブコース、日本平パークウェイを通過して標高約307mの山頂から、駿河湾から伊豆半島、富士山、南アルプスと続く大パノラマを眺望。国指定の名勝で、かつて日本観光地100選平原の部1位にも選ばれた日本平山頂を訪れる。

緑に囲まれた高台の美術館。東西の風景画をテーマに、モネやゴーギャン、横山大観などの名品を収蔵・展示。ロダン彫刻32点を常設展示する、国内唯一の美術館としても知られている静岡県立美術館を見学。

16:30静岡駅到達、食事を済ませてから
17:12新幹線ひかりで出発
20:53新大阪到達。

今回の旅行、静岡は富士山周辺エリア、伊豆方面は何回かは訪れたことはありますが、静岡タウン、焼津、清水、御前崎は初めての訪れで、徳川家康ゆかりの駿府公園やB級グルメの代表格静岡おでんで有名な静岡タウン、豊かな自然に触れ合える秘境と呼ばれる梅ヶ島、大井川エリア、遠州灘の雄大な自然を満喫できる御前崎、日本平など海を望めるスポットが目白押しの清水、一泊二日で横長の静岡中央部を巡り無事観光旅行終了いたしました。

次回の静岡旅行、浜松方面を訪れたいと思います。

尚今回天気もよく、比較的視界も保たれており、どこからも富士山を望むことが出来ました。目線をかなり高くしての富士山眺望、あらためて富士山のすばらしさ、壮大スケールの大きさに感心させられた観光旅行でした。