滋賀
飛行機で国内&海外の観光地巡り第六百七十弾
2023年6月10−11日滋賀県大津市歴史博物館、大津市科学館、草津宿街道交流館、伊吹山文化資料館、国友鉄砲ミュージアム、長浜市長浜城歴史博物館、彦根城博物館、滋賀県立安土城考古博物館、西堀榮三郎記念探検の殿堂、滋賀県平和祈念館、滋賀県立琵琶湖博物館観光
近畿地方の滋賀県に足を運び、滋賀県に位置する滋賀県大津市歴史博物館、大津市科学館、草津宿街道交流館、伊吹山文化資料館、国友鉄砲ミュージアム、長浜市長浜城歴史博物館、彦根城博物館、滋賀県立安土城考古博物館、西堀榮三郎記念探検の殿堂、滋賀県平和祈念館、滋賀県立琵琶湖博物館を観光しました。
10日13:00車で出発、京滋バイパス経由して山科インター下車大津市方面に向かう。
大津市歴史博物館:先人たちが残した数多くの文化財を収集、保管、調査研究し、広く公開している。常設展示では、6コーナーから成るテーマ展示と歴史年表展示で構成されており、日本の東西を結ぶ交通の要地である大津の歴史と文化を映像、さまざまな縮尺で当時の町並みや風俗を再現した復元模型、各種資料で分かりやすく紹介する。さらに毎年、数回開催する企画展では、日本全体の歴史を語るものから地域に密着したものまで、多彩なテーマを取り上げる。他にも、講座、講演会、現地見学会などを随時開催している。
大津市科学館:2020年度プラネタリウム観覧者数ランキング全国第3位
小さな科学館ですが、琵琶湖畔に建つだけあり琵琶湖に関する展示が多いのが特徴です。大津市科学館では平成24年にリニューアルしたプラネタリウムが大人気!プラネタリウム用に作られたアニメ番組や、大人も楽しめるダイナミックな映像など、子供から大人まで楽しめ、2020年度プラネタリウム観覧者数ランキングでは全国第3位(近畿第1位)になりました。またデジタル地球儀「ビッグアース(さわれる地球)」も好評。さまざまな体験や実験を通して科学について触れることができる博物館です。
草津方面に向かう。
草津宿街道交流館:江戸時代へタイムスリップ
東海道と中山道が出会う宿場として発展してきた草津宿をはじめ、多くの人や物が行き交い、情報や文化の交流が行われてきた街道や宿場の姿を、さまざまな視点からわかりやすく紹介している。街道や宿場を中心としたテーマ展を定期的に開催するほか、草津の歴史や文化に関連する図書の閲覧などもできる。
野洲方面に向かう。
16:30野洲市駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
11日8:00車で出発、名神経由して伊吹山方面に向かう。
伊吹山文化資料館:伊吹山を中心とする伊吹山地は伊吹の歴史と文化の源泉であり、その雄大な自然は学術研究の宝庫です。伊吹山との関わりを抜きにして伊吹を語ることはできません。
伊吹山に関連する自然・歴史・民俗などの資料と、山麓に暮らした人々が必要に応じて生み出した生活用品、伊吹山地の恵みを生活の糧にするために使われてきた生産用具を展示しています。
長浜方面に向かう。
国友鉄砲ミュージアム:火縄銃を見るならここ!
鉄砲伝来により鉄砲鍛冶の村として発展した歴史や製法を紹介する資料館。建物は、江戸時代の商家風外観の2階建てである。
長浜市長浜城歴史博物館:豊臣秀吉が初めて築いた城址
“秀吉の出世城”とも呼ばれた長浜城址。戦国時代にこの地を治めていた浅井(あざい)氏攻めの功績で、織田信長から北近江を与えられた羽柴(豊臣)秀吉が初めて築いた居城です。 現在は一帯が豊(ほう)公園として整備されており、昭和58年(1983)に復興された城内部は歴史博物館として公開されています。秀吉と長浜に関連する歴史的資料が展示されているほか、秀吉と信長の家臣の一人・柴田勝家(しばたかついえ)と戦った賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いについての紹介も。 またお城の5階は展望フロアとなっており、琵琶湖をはじめ、竹生島や伊吹山の眺望を楽しめるほか、浅井氏との合戦の場「姉川古戦場」や「賤ヶ岳古戦場」も眺めることができます。絶景とともに戦国時代の雰囲気を味わってみては。
彦根方面に向かう。
彦根城博物館:井伊家にゆかりのある品々を展示しています
昭和62年(1987年)に、彦根市の市制50周年を記念して、彦根城表御殿跡地に、復元を兼ねて建てられた博物館です。館内には彦根藩主井伊家に伝来した美術工芸品や古文書を中心に、甲冑・刀剣、茶道具、調度や書画など様々な品を展示。そして博物館の中央には、廃藩置県による取り壊しを免れた江戸時代の能舞台があり、毎年「彦根城能」や「狂言の集い」を開催しています。
近江方面に向かう。
滋賀県立安土城考古博物館:特別史跡安土城跡をはじめ、史跡観音寺城跡、史跡瓢箪山古墳、史跡大中の湖南遺跡で構成される「近江風土記の丘」の各史跡を紹介する博物館。2つの常設展示室があり、第1常設展示室では、滋賀県内の古代遺跡と出土品を紹介、第2常設展示室では、安土城と織田信長など、近世の城郭をテーマにした展示を行っている。その他、期間限定の特別展などが企画され、その時代の歴史や文化の理解を深める展示や講座、講演会などが開催される。
西堀榮三郎記念探検の殿堂:探検の殿堂は、近江商人の流れを継ぐ西堀榮三郎とともに、未知の世界に挑み、人類の知的財産となるレポートを残した日本の探検家を顕彰することで、探検に不可欠な「パイオニア精神」と「創意工夫の心」を21世紀を担う若者に伝え、青少年の探検・探求心の涵養の場とすることを目的として建設されました。
滋賀県平和祈念館:戦争体験を語り継ぐ! 平和や未来について考えられるスポット
滋賀県東近江市にある歴史施設です。入館無料で駐車場も完備されています。
館内には滋賀県内の戦争中の出来事や、戦争の資料、体験談、直接手に取ることができる資料などあります。自分で調べたり、知ることで当時の悲惨さや平和の尊さを学ぶことができます。見る、触る、知る展示方法はお子さんたちにも分かりやすく、印象にも残りやすいです。
歴史を知ることで、戦争の悲惨さや平和、未来について考えるきっかけになる施設です。
草津方面に向かう。
滋賀県立琵琶湖博物館観光:国内最大級の淡水の生き物展示も!琵琶湖のほとりにある日本有数の総合博物館
琵琶湖とその周辺の自然や生き物、人々の暮らしや歴史を大人も子供も楽しく学べる博物館。3期6年にわたるリニューアルを終え、令和2年10月にグランドオープン。400万年に及ぶ琵琶湖の歴史と大地、気候がわかるA展示室と、自然と人々の暮らしの歴史についてのB展示室。琵琶湖博物館の水族展示室は展示面積が約2000平方メートルで、淡水生物の展示としては国内最大級。生き物に触れることができる水槽などがある。鳥の目で樹木を眺められ、琵琶湖が一望できる空中遊歩道の「樹冠トレイル」、本物のはく製や標本に触れたり、スケッチしたりできる「おとなのディスカバリー」など、見どころ満載。
15:30帰路に向かう。
今回の旅行、近畿地方の滋賀県に足を運び、滋賀県に位置する滋賀県大津市歴史博物館、大津市科学館、草津宿街道交流館、伊吹山文化資料館、国友鉄砲ミュージアム、長浜市長浜城歴史博物館、彦根城博物館、滋賀県立安土城考古博物館、西堀榮三郎記念探検の殿堂、滋賀県平和祈念館、滋賀県立琵琶湖博物館を観光し楽しみました。
滋賀県大津市歴史博物館、、草津宿街道交流館、、長浜市長浜城歴史博物館、彦根城博物館、滋賀県立安土城考古博物館は以前訪れたことがあります。他は初めての訪れでした。
滋賀県立琵琶湖博物館はおすすめの博物館です。滋賀県の歴史、考古のみならず、琵琶湖に生息している数多くの水生動物が展示しており、他の水族館には見られない淡水魚が数多く展示し堪能できます。入場料も安いです。
飛行機で国内&海外の観光地巡り第六百十七弾: 2022年5月14−15日滋賀県坂本駅、堅田駅、近江高島駅、安曇川駅、近江今津駅、木之本駅、高月駅、醒ヶ井駅散策観光 近畿地方の滋賀県に足を運び、滋賀県に位置する坂本駅、堅田駅、近江高島駅、安曇川駅、近江今津駅、木之本駅、高月駅、醒ヶ井駅周辺を散策観光しました。 14日13:35新大阪駅新快速で出発。 14:05坂本駅到達、散策観光。 坂本駅:旧竹林院庭園について 約千坪の庭園は国の名勝指定で、大宮川の清流を取り入れた曲水を主体とし、八王子山を借景としています。地形を巧みに利用した滝組と築山や、天の川席と呼ばれる全国的に珍しい茶室が風情を演出しています。大正年間に建てられた2棟の茶室と四阿(あずまや)は市指定の文化財です。 日吉大社について 全国各地にある3,800余りの「山王さん」の総本宮で、古事記にも登場する古社。広大な境内には国宝の東本宮・西本宮の本殿をはじめ、21社が祀られており、日本最古の石橋といわれる日吉三橋など重要文化財も多くある。湖国屈指の紅葉の名所であり、春の「山王祭」は湖国三大祭のひとつで見応えがある。 坂本の穴太衆積み石垣群について 延暦寺の門前町、坂本に居住地を置く石工集団が積んだ石垣のことを穴太衆積みと呼びました。安土城をはじめとする城郭や寺院などの石垣を積んだことで知られ、延暦寺の麓に広がる坂本の町には今も至る所で穴太衆積みの石垣を見ることができます。大小の自然石を加工せずにがっしり組む堅固な構築となっており、滋賀院門跡のものは特にみごとで、平成9年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。 滋賀院門跡について 江戸期末まで天台座主となった皇族代々の居所であった格式の高い寺院で、1615年に京都・北白川の法勝寺を移築したものといわれている。穴太衆積みの石垣は坂本の町に多く残るが、その中でもひときわ背の高い石垣と白壁に囲まれた見事な外構えである。江戸時代初期の小堀遠州作とされる国指定名勝庭園や、狩野派の襖絵も鑑賞できる。 15:30坂本駅出発。 15:45堅田駅到達、散策観光。 堅田駅:堅田について 琵琶湖岸に位置し、湖上交通の要衝でもあった堅田は、平安時代から中世にかけて航行権や湖水利得の独占権を有し、大いに繁栄しました。町は湖水を引いた堀割で区画され、一種の環壕城塞都市であり、町並みは浮御堂、本福寺、祥瑞寺を中心に伝統的景観をとどめています。繊細な格子の平入家屋の並ぶ一画や、対照的に台格子の妻入家屋の集まる一角もあります。 琵琶湖大橋(滋賀県守山市)について 全長1,400m、幅6.5m、守山市・大津市に架かる有料橋。 滋賀県の湖東と湖西を連絡し、県政の均衡のとれた発展と琵琶湖観光の開発を図るため建設された。 時速約60kmで走行するとタイヤの振動音で琵琶湖周航の歌が流れる仕組みの「メロディーロード」が約600mに渡り設置されている。橋での設置は全国でも初めてで、設置されている中でも最も長い距離である。 17:10堅田駅出発。 17:20近江高島駅到達散策観光。 近江高島駅:白鬚神社について 琵琶湖畔に浮かぶ湖中の大鳥居が目印。 18:30近江高島駅出発。 18:35安曇川駅到達、駅前のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。 15日5:30安曇川駅周辺散策。 安曇川駅:藤樹書院・良知館について 「近江聖人」中江藤樹が研究にいそしんだ書院の跡。現在建て直され、遺品も保管されている。 6:45安曇川駅出発。 7:10近江今津駅到達散策観光。 近江今津駅:今津ヴォーリズ資料館は、大正12年(1923)、当時の彦根町に本社があった百三十三銀行(現在の滋賀銀行)今津支店として、ヴォーリズ建築事務所の設計によって建てられました。鉄筋コンクリート造、2階建で、昭和8年に百三十三銀行が八幡銀行と合併して滋賀銀行が設立されると、本建築は滋賀銀行今津支店となり、その後、昭和53年に銀行が移転したため、町が買い取り、昭和54年から平成13年まで町立図書館として使用されました。 建築様式は、同時期の銀行建築と同様に、西洋古典様式を継承した意匠でまとめられ、正面中央の玄関をはさむ2本の柱は略式のトスカナ式柱頭を付けています。 図書館時代に大幅な改修が行われましたが、平成15年4月、ほぼ建設当初の姿に修復され、今津ヴォーリズ資料館として新たな保存活用がはかられることになりました。 この建物の近くには、同じくヴォーリズの設計による今津教会や旧今津郵便局があります。今津ヴォーリズ資料館と今津教会は、平成15年、国の登録有形文化財に指定されました。 8:15近江今津駅出発。 9:05木之本駅到達散策観光。 木之本駅:木之本地蔵院について 眼病平癒の仏さまとして知られる時宗の寺。境内に立つ6メートルの地蔵像は秘仏である本尊を模しており「木之本のお地蔵さん」が全国から訪れる参拝客を出迎えます。寺の歴史は古く、白鳳時代に遡ります。空海、木曽義仲、足利尊氏、足利義昭も参拝した記録があり、賤ヶ岳の合戦では秀吉が陣を置いたといわれています。 庭園は書院の北側にあり、北方に芝生に覆われた築山を設け、右手に枯滝石組を、池中に亀島を作っています。正面にある出島は鶴島を意匠し、一種の蓬莱様式の庭となります。 冨田酒造について 賤ケ岳の七本槍にちなんだ清酒「七本槍」の蔵元。450有余年の歴史を経た酒蔵。北大路魯山人が当家に残した扁額「七本鎗」が店にある。 山路酒造について 古くから百薬の長として珍重されてきた伝統の桑酒を作ってきた。桑の葉のさわやかな風味があり、リキュールのような口あたりで女性にも人気。 10:15木之本駅出発。 10:20高月駅到達散策観光。 高月駅:高月観音の里歴史民俗資料館 長浜市高月町渡岸寺にある資料館。「観音の里」として知られる高月の歴史や民俗に関する資料展示や、観音信仰をはじめ観音菩薩に関する展示、また江戸中期の儒学者・雨森芳洲などの郷土の偉人に関する展示などを行っている。 渡岸寺観音堂(向源寺) 長浜市高月町渡岸寺にある寺院。日本全国に7体存在する国宝指定の十一面観音像の内の1体を安置しており、7体の中でも特に美しいものとして名高い。周辺地域にはこれを含め多くの観音像が祀られており、10月に行われる「観音の里ふるさとまつり」では町内の観音堂が一斉に開帳される。 11:26高月駅出発。 12:02醒ヶ井駅到達、散策観光。 醒ヶ井駅:滋賀県米原市に位置する醒ヶ井は、清流・地蔵川沿いの風景が美しい小さな街。江戸時代には五街道の一つ・中山道の61番目の宿場町として栄えていました。その当時に大名が利用していた施設は現在に至るまで大切に保存・復元され、歴史を今に伝えています 12:41醒ヶ井駅出発。 14:05新大阪駅到達。 今回の旅行、近畿地方の滋賀県に足を運び、滋賀県に位置する坂本駅、堅田駅、近江高島駅、安曇川駅、近江今津駅、木之本駅、高月駅、醒ヶ井駅周辺を散策観光し楽しみました。 いずれも訪れたことのある観光名所、散策観光で楽しみました。 歩行数56000歩歩行距離39km堪能しました。 |
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飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百四十七弾:滋賀県大津駅、浜大津駅、膳所駅、彦根駅、長浜駅、草津駅散策観光 2020年11月7−8日 日本一大きいびわ湖が位置する滋賀県に足を運び、大津駅、浜大津駅、膳所駅、彦根駅、長浜駅、草津駅周辺の観光名所を散策して巡りました。 7日13:13新大阪出発 14:01大津駅到達、散策 大津駅:天智天皇が近江大津宮に遷都して以来、1350年以上の歴史を有する古都である。戦時中の被災や自然災害が少なかったことにより、世界文化遺産の延暦寺、園城寺(三井寺)、日吉大社、石山寺などの古社寺をはじめ、多くの文化財や史跡、名勝が現存する。市町村単位での国指定文化財保有件数は、京都市、奈良市に次いで、全国で3番目に多い。県下随一の規模と歴史を有し、第1回地域ブランドに認定されたおごと温泉や、日本三名橋の一つ瀬田の唐橋、かるたの聖地として知られる近江神宮、松尾芭蕉の墓(義仲寺)、明智光秀一族の墓(西教寺)、都市近郊型高原リゾートびわ湖バレイも所在する。また、夏はウォータースポーツやトレッキング、冬はスキーなどのアウトドアが盛んである。 大津湖岸なぎさ公園の周辺にはカフェレストラン・オペラハウス・リゾートホテルが建ち並び、地元市民や観光客の憩いの場となっている。 古くから多くの和歌や俳句に詠まれたり、近江八景に描かれるなど、風光明媚な地としても世に知られる。特に湖畔エリアは、比叡山と琵琶湖に囲まれて自然と都市が融合した景観であり、文化施設が整備された大津湖岸なぎさ公園が、都市景観100選および関西自然に親しむ風景100選に選ばれている。また、ラ・フォル・ジュルネ創始者のルネ・マルタンは、「水辺の風景としてウィーンやプラハに共通する美しさがある」と語った。 京阪電鉄大津線のびわ湖浜大津駅付近は併用軌道となっており、種々のラッピング車両が運行されている。 市域は、琵琶湖の主要な港湾である大津港を擁し東海道の宿場であった大津を中心に、膳所藩の城下町であった膳所、比叡山の門前町や港湾として栄えた坂本、湖上交通の拠点であった堅田、近江国庁があった瀬田などからなる。滋賀県の県庁所在地かつ最大の人口を抱える都市であるが、県の南西端に位置し京都市に隣接し、同市の衛星都市としても発展してきた。また、東レ創業の地であり、現在も主要な研究開発および生産拠点となっている。 浜大津駅:元は東海道本線の初代大津駅として開業した。その後東海道本線のルート変更により支線(後に大津線と改称)の駅となり、駅名も「浜大津」に改称される。石山坂本線の前身・大津電車軌道の開業に伴い国鉄は旅客営業をやめ(大津線も支線として東海道本線に再編入)、国鉄駅は貨物駅となった。 1925年に江若鉄道と京阪京津線が相次いで乗り入れ、駅の位置と構造はその後数度の変化を遂げる[2]。江若と国鉄の浜大津駅は1969年に廃止され、現在の京阪の浜大津駅は1981年にびわこ国体に絡む大津市の都市計画事業の一環として、石山坂本線の駅(旧・浜大津(東口)駅)の北隣に当たる同駅の跡地に建設されたものである。 17:15膳所駅到達 膳所駅:滋賀県大津市にある「膳所城」(ぜぜじょう)は、その昔「瀬田の唐橋、唐金擬宝珠[からかねぎぼし]、水に映るは膳所の城」と美しい姿が謳われ、風光明媚な名城として東海道を行き交う旅人の観光名所となっていました。 現在、膳所城の姿を観ることはできませんが、歴女におすすめなのは、その跡地。桜の名所として親しまれている膳所城跡公園や、膳所焼で抹茶が頂ける美術館などがあります。 17:25膳所駅出発 18:30彦根駅到達、駅前のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。 8日散策。 彦根駅:伊勢神宮内宮の親神を祀る、由緒正しき大社「多賀大社」,小江戸情緒が漂う町並み「夢京橋キャッスルロード」,緑美しい大名庭園「玄宮園」,井伊家の貴重な資料を所蔵「彦根城博物館」,補陀落の庭がある井伊家の菩提寺「龍潭寺」,ノスタルジックな人気ゾーン「四番町スクエア」などがあります。 彦根城は彦根井伊氏の居城として、慶長9年(1604)から譜代大名の城を幕府主導で築城するという、異例の公儀普請で開始されました。天守は大津城、天秤櫓は長浜城から移築されたものです。井伊家は徳川四天王、井伊の赤備えとして知られ、徳川家康の天下統一にその初期から尽力した譜代中の譜代と言える家柄です。彦根城は江戸時代14代にわたり井伊氏が転封もなく居城とし続け、事実上の幕政最高職となる大老に3名、4回も就任したという名家の名城です。 10:22彦根駅出発 11:05長浜駅到達、散策 長浜駅:長浜は滋賀県の北東部に位置する町。羽柴(豊臣)秀吉が戦国時代に初めて城を築いた場所で、城址をはじめ、戦国武将ゆかりの寺社や古戦場が点在しています。また北国街道の宿場町として栄えており、長浜駅から北東に広がる黒壁スクエアでは明治時代に建てられた建物が残されており、レトロな雰囲気を感じながら散策を楽しめます。 14:10長浜駅出発 14:55草津駅到達、散策 草津駅:滋賀県の草津市は、県庁所在地である大津市に次いで人口の多い都市です。にぎやかに楽しい時間を過ごしたい方の観光地として人気があります。 草津宿本陣は寛永12(1635)年から明治3(1870)年まで諸国大名や公家、幕府の役人の休泊施設だった本陣。現存する本陣の中では最大規模。宿帳に浅野内匠頭や吉良上野介らが名を連ねる。 15:30草津駅出発 16:40新大阪駅到達。 今回の旅行、日本一大きいびわ湖が位置する滋賀県に足を運び、大津駅、浜大津駅、膳所駅、彦根駅、長浜駅、草津駅周辺の観光名所を散策して巡り楽しみました。7万2000歩、46km、土曜の昼から日曜日の夕方まで歩き堪能しました。 何回か訪れたことのある観光名所、散策観光して位置ずけを確認し、マップを記憶できました。 |
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滋賀県びわ湖多景島&沖ノ島観光 2011年7月27日 滋賀県の日本一の水瓶びわ湖に足を運び、彦根彦根市街地の沖合い約6.5kmに浮かぶ周囲約600mの小さな島で、島全体が日蓮宗見塔寺の境内となっています 、近江八幡市から琵琶湖の沖合約1.5qに浮かぶ沖島は、琵琶湖最大の島です。周囲約6.8q、面積約1.53kuで琵琶湖最大の島です。約400人の人が住んでいます。湖沼の島に人が住む例は世界的にも少なく、学術的にも注目されています沖島を訪れました。 13:00車で第二京阪名神自動車道経由して彦根インター下車 14:30彦根港到達 15:10彦根港観光船で多景島に向かう。 15:30多景島到達、散策する。 島を眺める方向により多様な島影をみせるところから島名が付けられたと言われています。彦根市街地の沖合い約6.5kmに浮かぶこの島は、周囲600mあり、古く弥生時代から島そのものが御神体として崇められてきました。 「南無妙法蓮華経」と彫られた高さ10mの「題目岩」や、高さ20mの五箇条の御誓文が刻まれた「誓いの御柱」、「日蓮上人像」等がそれぞれ意味深い歴史を物語っています多景島を散策する。 明暦元年(1655年)に、琵琶湖に沈んだ人々と魚介類の供養の為に慈雲院日靖上人が開山した日蓮宗のお寺です。日靖上人は、越前の国大野の出身で、長浜の妙法寺で修行中の明暦元年、夢のお告げでこの島に渡り、石の宝塔と庵室を建立されたそうです。第3代彦根藩主の井伊 直澄は、法華経の信仰が篤く、彦根藩裏鬼門の祈願所としました霊夢山見塔寺を訪れる。この岩は、高さ約6間(10.8m)、幅約4間(7.2m)あり、「南無妙法蓮華経」の文字が彫られています。元禄5年(1692年)に、命綱にぶら下がりながら三年の歳月をかけて日靖上人によって刻まれました。
題字は京都妙顕寺・勝光院日曜上人の筆で、一文字に米一俵が入ると言われています。また、桜田門外の変での井伊大老横死の際に、鮮血をにじませたとも伝えられています題目岩を訪れる。 大正13年(1924年)に建立され、島の一番高いところににあります。五角形の柱の五面それぞれに明治天皇の五箇条の御誓文が刻まれています。当時、滋賀県の警察部長だった水上七郎氏の呼びかけで、約70余万人から寄付を受け、紛争などが絶えない時代を巨ウすべく日本の中心地であるこの島に建立されました。皇室からも下賜金を賜ったそうです誓いの御柱を訪れる。
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滋賀県竹生島観光 2011年6月22日 日本最大の湖、びわ湖がある滋賀県に足を運び、琵琶湖の長浜市葛籠尾崎沖約2kmに位置し、周囲約2kmの針葉樹で覆われた島です。西国第三十番札所の竹生島宝厳寺や都久夫須麻神社(竹生島神社)があり、古くから「神を 12:30車で第二京阪名神北陸自動車道経由して長浜インター下車 13:55長浜港到達 14:00長浜港フェリーで出発 14:30竹生島到達、散策 竹生島には、南側にこの島唯一の港があります。港に着いて上陸すると、琵琶湖周航の歌の一部を記した石碑があり、それを横目に進むと土産物店の気さくな店員さん達に迎え入れられました。 |
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滋賀県高月・木之本&奥びわ湖観光 2011年6月8日 滋賀県に足を運び、里人に守られてきた観音の里、戦国大名浅野氏のふるさと高月・木之本、美しいびわ湖風景が望める奥琵琶湖周辺を訪れました。 12:30車で第二京阪名神北陸自動車道経由して 14:00木之本インター下車 江戸中期、朝鮮半島との外交や貿易に尽力した高月町出身の儒学者・雨森芳洲の業績を顕彰するため、芳洲の生家跡に建てられ、彼の著書の『交隣提醒』など、300点以上の貴重な資料を収蔵している雨森芳洲庵を訪れる。 固く結んだふくよかな唇に、わずかに朱が残っている愛らしい姿の十一面観音立像(重要文化財)を本尊として安置している。作家・井上靖が、小説『星と祭』の中で当時の観音像の姿を村の若い娘にたとえたことで有名な石道寺を訪れる。 |
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滋賀県伊吹山周辺・長浜観光 2011年5月25日 近畿の水瓶、日本一のびわ湖を中央に抱く滋賀県に足を運び、花々が咲く伊吹山周辺の自然に囲まれたエリア、城下町でレトロモダンな町並みの長浜を訪れました。 12:30車で第二京阪名神自動車道経由して米原インター下車 13:30伊吹山周辺に到達。 聖徳太子が創建し、後に一向上人が再興した。鎌倉幕府崩壊とともに自刃した北条仲時と家臣の墓(史跡)が境内にあり、彼らの名前を記した「陸波羅南北過去帳」(重要文化財)も残る。長谷川伸作の『瞼の母』で有名な、「番場の忠太郎」の地蔵も祀られている蓮華寺を訪れる。 1570年(元亀元)、約3万の兵力を誇った織田信長・徳川家康連合軍に対して、1万8000人の浅井長政・朝倉景健連合軍が挑んだ。姉川付近で激闘が繰り広げられ、結果は信長の勝利に終わった。現在の野村橋が架かる姉川一帯は血に染まったといわれ、今も供養塔が残る。多数の戦死者を出した浅井方はこの戦いの後、1573年(天正元)の小谷城落城とともに終焉を迎えることになる姉川古戦場を訪れる。
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滋賀県湖西北観光 2011年4月6日 日本一のびわ湖を中央に抱く滋賀県に足を運び、美しい湖水風景が展開し、比良山系の麓に自然風景が残る森と湖の静かな美観エリア湖西北を訪れました。 12:30車で第二京阪京滋名神湖西道路経由して 13:40和哉インター下車 飛鳥時代から平安時代にかけてこの地方で隆盛を誇った、小野一族ゆかりの地を訪ねる散歩道。JR湖西線小野駅と和邇駅を結ぶエリアに地図や道標が整備され、3kmの歴史散策が楽しめる。小野神社はわが国初の遣隋使・小野妹子が創建したといわれ、日本で初めて餅つきをしたと伝わる米餅搗大使主命を祭神とすることから、現在では菓子づくりの神様としてあがめられている。境内には摂社として、一族で漢詩文の名手として名高い小野篁を祭った小野篁神社や小野道風神社がある歴史の散歩道を訪れる。 |
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滋賀県大津周辺観光 2011年1月12日 近畿の水瓶日本一のびわ湖を中央に抱く滋賀県に足を運び、県庁所在地の大津、世界遺産比叡山延暦寺、源氏物語紫式部ゆかりの石山寺が位置する大津周辺を訪れました。 12:30車で第二京阪京滋バイパス経由し 13:15石山インター下車 立木山の中腹に位置し、境内まで約750段の石段が続く立木観音。平安初期の創建で、弘法大師が42歳の厄年に開基し、厄除けの観音様として信仰を集める立木観音を訪れる。 |
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滋賀県湖南観光 2010年12月1日 湖と山々の自然豊かな地で日本一の近畿の水瓶びわ湖を中央に抱く滋賀県に足を運び、江戸時代には東海道五十三次の52番目の宿場町として栄えた草津、日本六古窯のひとつに数えられる信楽焼きで有名な信楽、甲賀忍者の発祥地として知られる甲賀を訪れました。 12:30車で第二京阪自動車道経由して草津インター下車 13:20草津到達 江戸城を築城した太田道灌を先祖にもつ、太田酒造伝来の資料を展示。酒造りの道具や工程をビデオで紹介するほか、自慢の地酒の試飲や販売も行っている道灌蔵を訪れる。 旧草津川トンネルの南側脇にある石造りの道標。旧東海道と旧中山道との分岐・合流点にあたり、街道を往来する諸国の飛脚仲間らの寄進によって1816年(文化13)に設置された追分道標を訪れる。 |
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滋賀県湖東観光 2010年10月20日 近畿の水瓶、日本一のびわ湖を中央に抱く滋賀県の湖北に足を運び、彦根藩井伊家の居城であり、風情ある史跡がいっぱいの城下町彦根、近江商人の発祥の地、八幡堀周辺は白壁土蔵が建ち並ぶ古き佳き風情を残す近江八幡、五個荘を訪れました。 12:30車で第二京阪名神自動車道経由して 13:45彦根インター下車 彦根藩・井伊家30万石の居城。1622年(元和8)、井伊直継・直孝によって、約20年の歳月をかけ完成。琵琶湖から直接引き込んだ堀をめぐらし、小高い山に立つ。3重3層の天守(国宝)を中心に、長浜城から移築された天秤櫓(重要文化財)、城内の合図のための太鼓が置かれていた太鼓門櫓(重要文化財)、近江八景を模した庭園の玄宮園など見どころが数多く残る。天守の内部は見学可。最上層からは琵琶湖が一望の下に見渡せる彦根城を訪れる。 |
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滋賀県湖北観光 2010年7月24日 びわ湖を中央に抱く滋賀県の湖北に足を運び、里人に守られてきた観音の里、戦国大名浅井氏の郷土、高月・木之本、天女伝説の余呉湖、桜並木の奥びわ湖パークウエイの奥琵琶湖周辺を訪れました。 12:30車で第二京阪名神北陸自動車道経由して長浜インター下車 13:45高月方面到達 能装束や能面など多彩な能楽資料を展示。この地は江戸時代、養蚕業が盛んだったことから、光沢のある良質の絹糸で将軍家の能装束や衣服が織られたという浅井能楽資料館を見学。 琵琶湖の北端・滋賀県伊香郡は、国宝や重要文化財など仏教文化財が数多く残されている。なかでも観音像が多く、高月町・木之本町は「観音の里」と呼ばれている。向源寺に隣接するこの資料館では、指定文化財11件を含む展示をはじめ、観音像の変遷や信仰の歴史、湖北地方のあゆみ、民俗・宗教的文化的特質などを様々な資料で解説している高月観音の里歴史民俗資料館を見学。 滋賀県内で唯一、国宝に指定されている十一面観音立像(平安初期作)(国宝)を祭る。頭に配置された菩薩の配列や、鼓胴形の大きな耳飾りが特徴的だ。736年(天平8)に僧泰澄が、都に流行していた疫病除けの奇岩を込めて刻んだと伝えられる。織田信長の小谷攻めのときに堂宇は焼失したが、観音像は村人らが運び出して難を逃れたという向源寺を訪れる。 肩幅が広くお腹の肉付きも豊かで、表情もふっくらとしているため、見ている人を穏やかな感情にさせる十一面観音立像(重要文化財)を安置する西野薬師堂を訪れる。 固く結んだふくよかな唇に、わずかに朱が残っている愛らしい姿の十一面観音立像(重要文化財)を本尊として安置している。作家・井上靖が、小説『星と祭』の中で当時の観音像の姿を村の若い娘にたとえたことで有名な石道寺を訪れる。 己高閣は、1963年(昭和38)に県が建てた文化財収蔵庫。かつて山岳信仰の霊場として栄えたが無住・廃寺となった、己高山諸寺の寺宝を安置。素朴な容姿の鶏足寺十一面観音立像(重要文化財)をはじめ、七仏薬師など約90躯の貴重な仏像と資料が収められている。世代閣には、戸岩寺本尊薬師如来立像や十二神将像など5体の重要文化財を収蔵。紅葉の名所として人気がある己高閣・世代閣を訪れる。 古くから眼の仏として信仰を集める寺。寺には眼を患った人の身代わりに片目を閉じたカエルが棲むといわれ、境内のいたるところに「身代わり蛙」というカエルのお守りが奉納されている。境内の大地蔵は本尊の地蔵菩薩(秘仏)を写したものの木之本地蔵院を訪れる。 奥琵琶方面に向かう。 大箕山山中にある真言宗の寺。余呉湖に残る伝説の天女が産んだ子といわれる菅原道真が、京に上る11才まで勉学に励んだと伝えられている。山門の前には道真が植えたという樹齢1000余年、高さ約15mのケヤキの大木がそびえている。境内にある銅鐘(重要文化財)は鎌倉時代のものの菅山寺の近くに寄る。 賤ケ岳の北に位置する周囲約6.4kmの湖。羽衣伝説が残る地として知られ、水面が穏やかで周辺の山々を映すことから「鏡湖」とも呼ばれている。湖を囲むように遊歩道があり、サイクリングやバードウォッチングが楽しめる。コイやフナ釣りのほか、冬はワカサギ釣りもできる余呉湖を訪れる。 1582年(天正10)、本能寺の変で死去した織田信長の跡目を巡って、羽柴秀吉が柴田勝家と争った戦場跡。そのとき奮戦した福島正則や加藤清正ら7人の武将は、「賤ケ岳の七本槍」と呼ばれている。七本槍の武士像が立つ賤ケ岳山頂からは、余呉湖、竹生島など奥琵琶湖周辺が一望できる賤ケ岳古戦場を訪れる。 琵琶湖の最北に突き出した葛籠尾半島の山並みを縫うように走る、全長18.8kmのドライブウェイ。四季折々の美しいパノラマが楽しめるが、沿道の約4000本の桜が咲き誇る春は特に美しい奥琵琶湖パークウェイを走行する。 16:30終了。 今回の近場の名所巡り、びわ湖の湖北に足を運び、戦国大名浅井氏の郷土、平安時代作の像をはじめ、戦国時代より里人によって守り伝えられてきた観音像が、現在も数多く安置されている高月・木之本、天女の羽衣伝説や龍神・菊石姫伝説など、数々の神秘的な伝説が残っている余呉湖、桜並木の奥びわ湖パークウエイの奥びわ湖周辺を訪れ自然と歴史文化に触れ有意義な日々を送ることが出来ました。 |
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滋賀県米原・伊吹・長浜観光 2010年6月30日 近場のびわ湖を中央に抱く滋賀県に足を運び、滋賀県最高峰伊吹山、中山道と北国街道の宿場町米原、情緒あふれる城下町で黒壁スクエアで有名な長浜を訪れました。 12:30車で第二京阪名神自動車道経由して彦根インター下車 13:45米原到達 太尾山西麓にある曹洞宗の禅刹。もとは不動山米泉寺といい、南北朝の初期、京極道誉による関基と伝えられています。本尊の聖観音像は、南北朝時代に佐々木六角氏頼が、諸堂の再建とともに造立したものです。秘仏とされており、その胎内には、氏頼の持念仏であった高さ約20cmの観音像が納められています。この観音像は「お腹籠の観音」あるいは「旗竿の観音」と呼ばれ、氏頼はこの観音像を必ず旗竿に祀って、出陣したといいます青岸寺を訪れる。 戦国時代に、観音像一駆を残して寺は焼失しましたが、江戸時代前期、彦根藩主井伊直澄の命を受けて入山した、彦根大雲寺の要津(ようしん)禅師よって再興しました。それを機に、現在の寺名に改めました。その19年後に造られた枯山水の庭園は、国の名勝に指定されています。 JR東海道本線柏原駅のあたりを中心に、かつて柏原宿が広がっていました。東西13町(約1.5km)にもおよぶ中山道の中でも大規模な宿場町で、344軒の家があったと伝えられていますが、現在では、常夜灯や街道沿いの宿場町特有の2階建の軒の低い数軒の家が面影を伝えています中山道・柏原宿を訪れる。 米原市柏原は、江戸時代中山道60番目の宿として、たいそう賑わった宿場町です。長さが1.5kmと近江国最大級の宿場であり、昔ながらのまちなみを残しています。中でも柏原宿の特産である伊吹山の薬草を原料とした伊吹艾を商う「伊吹堂亀屋佐京商店」は、今も昔と変わらぬたたずまいで日本一大きい福助とともに旅人を迎えてくれます。昔の民家を改造した施設で、柏原宿をはじめ周辺の歴史文化を紹介する柏原宿探検コーナーや伝統文化の実演が行われています。ビデオシアターでは、国の特別天然記念物に指定され市民の宝物である源氏ボタルの姿を紹介しています柏原宿歴史館を見学。 伊吹山方面に向かう。 滋賀県の最高峰(標高約1377m)。日本百名山のひとつで、がっしりと構えた山容は男性的である。岐阜県との境界をなし、山頂からは眼下に琵琶湖、比良、比叡の山々や日本アルプス、伊勢湾まで一望の大パノラマが広がる。古くは『古事記』や『日本書記』にその名が記され、日本武尊の伝説にも登場する歴史的な山で、古来より著名な薬草や亜高山植物、野鳥、昆虫の宝庫としても有名である。山頂のお花畑は、国の天然記念物に指定されています伊吹山を眺望する。 長浜方面に向かう。 1574年(天正2)、豊臣秀吉が初めて一国一城の主となった城。大坂の陣の後に廃城となったが、1983年(昭和58)に天守閣を再興。現在は長浜市長浜城歴史博物館として公開されている。館内では琵琶湖の湖底遺跡などから発見された縄文土器や、「賤ケ岳合戦図屏風」などの資料を交えて湖北地方の歴史を紹介。周辺は桜が名所の豊公園として整備されている長浜市長浜城歴史博物館を見学。 鉄道に関する3つの施設がある複合施設。旧長浜駅舎は、1882年(明治15)に建てられた現存する日本最古の駅舎。当時の新橋駅をモデルに造られたモダンな英国式建築で、待合室や駅長室などを再現展示している。鉄道文化館では66mの鉄道模型レール上を鉄道模型車両が走り、北陸線電化記念館にはSLや交流電気機関車の実物を展示している長浜鉄道スクエアを見学。 江戸時代に栄えた北国街道周辺に、今なお残る歴史的建造物を利用して構成される複合観光スペース。江戸〜明治時代に造られた蔵や商家を生かしたショップ、レストラン、カフェ、ガラス工房など約30軒が点在している黒壁スクエアを散策する。 黒壁スクエアにある美術館。ヨーロッパを中心としたガラス作品を展示している黒壁美術館を見学。 17:00終了。 今回の近場の名所巡り、びわ湖を抱く滋賀県に足を運び、江戸時代に栄えた中山道と北国街道の宿場町の姿が今も残る米原、四季折々の草花を楽しめる標高1377mの滋賀県最高峰の伊吹山、古い町並みを利用して、ガラス文化を集めた黒壁スクエアが有名な情緒溢れる城下町長浜を訪れ湖北の歴史を触れることが出来ました。 |
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滋賀県湖西観光 2010年6月9日 近畿の水瓶、日本一のびわ湖を中央に抱く滋賀県に足を運び、湖畔ドライブに最適な道路が続き、大鳥居で知られる白鬚神社、美しい湖水風景が展開し、畑の棚田など、比良山系の麓に自然風景が残るエリアでもある湖西を訪れました。 12:30車で出発、第二京阪自動車道経由して 13:40湖西到達。 琵琶湖の湖上に立つ朱塗りの大鳥居が目印。猿田彦命を祭り、長寿や縁結びの神様として信仰を集め、その歴史は2000年を過ぎていると伝える。国道161号を挟んで鳥居と向かいあう本殿(重要文化財)は、豊臣秀頼と淀君の寄進を受け、1603年(慶長8)に再建されたもの。境内には絵馬殿、若宮社、外宮、内宮が立ち並んでいる白鬚神社を訪れる。 1553年(天文22)、近江半国守護職にあった佐々木六角義賢が、母の菩提を弔うため建立したと伝えられる48体の石仏群。室町時代の作風を示す花崗岩質の阿弥陀如来坐像で、高さは約1.6m。現在は48体のうち33体が残る鵜川四十八体石仏群を訪れる。 築150年の江戸時代の商家や蔵を改装した観光施設。1〜7号館まであり、お食事処も充実のたかしまびれっじを訪れる。 琵琶湖西南部の湖畔には、昔ながらの里山風景が残されている。大津市八屋戸、栗原や大津市仰木など比良山系を背景とする高低差の大きいこの地域では、今も谷に沿って連なる棚田を見ることができる。どこか懐かしい、四季折々の季節感あふれる風景は、写真愛好家にも人気が高い。棚田が黄金に色づくころや、刈り入れの後にこの地域特産の干し柿作りが行われる秋は特に美しい琵琶湖西南部の棚田を訪れる。 宇治川の合戦に参加した佐々木信綱の子、高信ゆかりの神社。高信が出陣のときに神前に祈り、勝利後再び訪れて12本の的と12頭の馬を奉納したことにちなんで、毎年5月4日に七川祭が催される。神輿渡御や傘鉾行列、流鏑馬のほか、奴の姿をした若者が的や酒樽などをかついで練り歩く奴振りなどが行われる大荒比古神社を訪れる。 夏は子育てするカイツブリ、冬には数千羽のカモやオオバンなどの渡り鳥と、高島の豊かな自然を楽しめる施設。館内には「旅のカフェ」があり、コーヒーを飲みながら望遠鏡でじっくり鳥たちの仕草や暮らしをみることができる。ミニシアター、木造船工房併設。ツリーイング技術により樹上で過ごす、「ツリーカフェ」の拠点でもある高島市新旭水鳥観察センターを訪れる。 大崎観音の名で親しまれる寺。702年(大宝2)に泰澄大師が開山。近江四国第9番札所に指定される県内有数の観音札所で、琵琶湖八景の一つに数えられる景勝地として多くの参詣者が訪れる。境内の展望台から眺める琵琶湖の景観は見事な大崎寺を訪れる。 琵琶湖八景の一つとして有名な「暁霧・海津大崎の岩礁」。天狗の鼻に似た天狗岩や八畳敷の広さを誇る八畳岩など、紺碧の湖面から突き出る奇岩群と岩壁に生い茂る緑が織り成す風景は豪快だ。また湖岸沿い約4kmにわたって約600本の桜並木が続き、その見事な様は「日本のさくら名所100選」にも挙げられるほどで、奥琵琶湖に春の訪れを告げる代表的な風物詩となっている海津大崎を訪れる。 18:00終了。 今回の近場の名所巡り、近畿の水瓶、びわ湖を中央に抱く滋賀県に足を運び、びわ湖の北東に広がるエリア。福井県若狭と京都を結んだ歴史的名称の鯖街道をはじめ、日本さくら名所100選にも選定されているマキノ町の海津大崎。また、日本100景にも選ばれたメタセコイア並木、畑の棚田など、多くの自然と歴史文化が楽しめるエリアでドライブコースとしても気持ちがよい湖西を訪れ、自然と文化を学び楽しめました。 。 |
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滋賀県比叡山観光 2010年5月19日 近畿の水瓶、日本一のびわ湖を中央に抱く滋賀県に足を運び、滋賀県唯一の世界遺産の延暦寺、門前町として栄えた坂本など比叡山周辺に点在する歴史的建造物を訪れました。 12:30車で第二京阪名神自動車道経由して京都東インター下車 13:30比叡山方面に到達。 大津京を開いた天智天皇を祭神とする。約20万平方mの境内には、朱塗りの楼門のほか、昭和造や近江造と称される拝殿、本殿が立ち並ぶ。また楼門を入った左手には、漏刻(水時計)を設けて初めて時刻制度を確立した天智天皇にちなんで造られた、時計博物館もある近江神宮を訪れる。 比叡山南麓の田ノ谷峠から、延暦寺東塔や比叡山頂を結ぶ約8.1kmの有料道路。仏教の霊地として厳かな雰囲気を見せる比叡山の山ひだを走る。琵琶湖を望む絶好のポイントは、約140台の駐車スペースがある夢見が丘。大津市街をはじめ、琵琶湖の南湖周辺が一望できる。終点の根本中堂からは、仰木方面へ抜ける奥比叡ドライブウェイが走る比叡山ドライブウエイ走行。 天台宗の総本山。東塔・西塔・横川に、約200余りの堂塔が点在する。785年(延暦4年)に伝教大師最澄が小堂を建て、一乗止観院と称したのが始まり。国宝・重文も多数所蔵し、1994年(平成6)、世界文化遺産に登録された延暦寺を訪れる。 最澄が開基した、延暦寺の中心地区。根本中堂(国宝)をはじめ、戒壇院(重要文化財)、大講堂(重要文化財)、國寶殿、延暦寺会館などがある東塔[延暦寺]を訪れる。 延暦寺東塔地域にあり、延暦寺に伝わる仏像や書跡などの寺宝を展示している國寶殿を訪れる。 |
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滋賀県瀬田&大津観光 2010年4月14日 近畿の水瓶、日本一のびわ湖を中央に抱く滋賀県に足を運び、県庁所在地の大津周辺の観光名所、源氏物語の紫式部ゆかりの石山寺エリアの観光名所を訪れました。 12:30車で第二京阪自動車道経由して石山インター下車 749年(天平勝宝元)に良弁僧正が開いた名刹。珪灰石(天然記念物)が露出した境内には、本尊の如意輪観音像(秘仏)(重要文化財)を安置する本堂(国宝)、1190年(建久5)に源頼朝が寄進した多宝塔(国宝)、桃山時代に再建された入母屋造の東大門(重要文化財)などの堂宇が並ぶ。本堂には紫式部が『源氏物語』を執筆したという源氏の間がある石山寺を訪れる。
歌川広重の浮世絵版画の中に描かれた近江八景「瀬田の夕照[せきしょう]」で知られる橋。古くから、東方から京都へ入る関所の役割を担う地で、軍事や交通の要衝であったことから戦場となり幾度も焼き落とされた歴史をもつ。現在の橋は1979年(昭和54)に完成したもので、旧橋の擬宝珠[ぎぼし]が欄干に取り付けられ、昔の面影を残している瀬田の唐橋を訪れる。 源義経の軍勢に敗れ、この地で討死にした木曽義仲を弔うために、義仲の側室だった巴御前が建てた草庵が始まりという。松尾芭蕉がたびたび滞在したことでも知られ、芭蕉と義仲の墓が並んで立つ。境内(史跡)には芭蕉の句碑もある義仲寺を訪れる。 長等山の麓にアトリエを構え、35歳の若さで亡くなった日本画家・三橋節子。館内では遺族や所蔵家から寄贈された収蔵品約70点のうち、近江の豊かな自然や歴史をテーマにした30数点を展示している。ガンで利き腕の右手を失った後、筆を左手に持ちかえて描いた『三井の晩鐘』は晩年の力作。定期的に展示替えを行う大津市立三橋節子美術館を見学。 686年(朱鳥元年)創建、1300年以上の歴史をもつ湖国を代表する名刹。正式には長等山園城寺と呼ばれ、当寺を建立したと伝えられる大友与多王は、壬申の乱で近江朝を率いて敗れた大友皇子(弘文天皇)の皇子にあたる。度重なる戦火に見舞われ焼失したが、徳川家康や豊臣秀吉の正室である北政所などにより復興された。本尊弥勒菩薩像を安置する金堂(国宝)をはじめ、家康が移築した入母屋造の仁王門(重要文化財)や三重塔(重要文化財)、天正年間(1573〜92)に建立された釈迦堂(重要文化財)など見所は多い園城寺(三井寺)を訪れる。 |
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滋賀県守山&草津史跡巡り 2010年3月3日 近畿の水瓶日本一のびわ湖を中心に抱く滋賀県に足を運び、湖沿いのリゾート施設、巨匠作品の豊富な佐川美術館が位置する守山、旧東海道の宿場町、花と緑の鳥丸半島のある草津を訪れました。 12:30車で近畿名神自動車道経由して栗東インター下車 13:50守山到達 日本画家の平山郁夫、彫刻家の佐藤忠良、陶芸家の樂吉左衛門の作品を中心に収蔵・展示。館内には情報コーナーをはじめ、平山氏のシルクロード取材時の資料を公開するコーナー、水庭を眺めながら休憩ができるカフェもある佐川美術館を見学。 三方を豊かな琵琶湖の自然に囲まれた植物園。四季を彩る珍しい草花やハンギングバスケットが美しく、他では見られない様々な水生植物もある。中でもスイレンの種類は日本最多。温室では、冬でも熱帯スイレンや熱帯花木が鑑賞できる草津市立水生植物公園みずの森を散策する。 「人と湖」をテーマに、琵琶湖の生い立ち・人と生き物との関わりについて楽しみながら学べる体験型の博物館。古代の湖周辺の様子を再現した原寸大ジオラマ、かつて湖上交通の主役だった丸小船、昭和30年代の移築した民家のほか、ビワコオオナマズをはじめ琵琶湖にすむ様々な生き物、世界の代表的な淡水魚が見られる日本最大級の淡水水族展示などがある滋賀県立琵琶湖博物館を見学。 聖徳太子の開基と伝えられる天台宗の古刹。石垣と堀で囲まれた城郭のような外観は、中世から近世にかけて湖上交通の管理(船奉行)に携わった寺勢を物語る。境内には檜皮葺きで禅宗様式の阿弥陀堂(重要文化財)や、江戸初期に移築された書院(重要文化財)がある芦浦観音寺を訪れる。 旧草津川トンネルの南側脇にある石造りの道標。旧東海道と旧中山道との分岐・合流点にあたり、街道を往来する諸国の飛脚仲間らの寄進によって1816年(文化13)に設置された追分道標を訪れる。 草津宿にあった本陣のひとつ、田中七左衛門本陣(史跡)を公開。公家や大名などの宿泊所として1635年(寛永12)に開設された。268.5畳の広さに部屋が30室余あり、大名が休んだ座敷や湯殿などを修復展示している草津宿本陣を見学。 草津の歴史が、コンピューターゲームや草津宿を再現した模型でわかる。道中合羽や脚はんなどの旅装束を着て駕籠に乗ることができる体験コーナーもある草津宿街道交流館を見学。 17:00終了。 今回の近場の観光巡り、滋賀県の江戸時代には東海道五十三次の52番目の宿場町として栄え、現在でも草津宿本陣や追分道標、石灯籠などが残り、往時の雰囲気を今に伝え、植物公園や博物館がある鳥丸半島も見所の草津。 湖沿いのリゾート施設、巨匠作品の豊富な佐川美術館が位置する守山。 自然有り、美術館博物館有り、江戸時代の宿場町有り、十分楽しめました。 |
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滋賀県日野&水口&土山観光 2010年1月13日 今回は近場の滋賀県の南東部、近江商人で有名な日野、東海道の宿場町水口、土山に足を運びました。 12:30車で近畿名神自動車道経由して八日市インター下車 13:45日野到達。 日野椀の行商で財を成した日野商人・山中兵右衛門の邸宅を利用した資料館。館内には行商品や道中具、代々伝わる家訓10カ条などを展示する近江日野商人館を見学。 滋賀県・日野町の丘陵を生かしたドイツ風の農業公園です。 門・遊・花・街・村・牧の6つのエリアには、自然と遊ぶ・自然を学ぶ、 さまざまな施設がいっぱいの滋賀農業公園ブルーメの丘を訪れる。 水口方面に向かう。 天平年間、勅命を受けた行基が4つの貯め池の中央に本堂を建てたのが始まり。美しく刈り込みまれたサツキが印象的な蓬莱庭園は禅味豊かな観賞式枯山水庭園で、小堀遠州が築いたといわれる。サツキと白砂で大海をゆく宝船を表現しており、紅白の花で彩られる5月下旬〜6月中旬が見ごろ。また前庭にある樹齢350余年の開山臥龍の松も見逃せない大池寺を訪れる。 水口城は徳川3代将軍家光の京都上洛にあわせ、1634年(寛永11)に東海道水口宿の西に築城。その美しい水堀から碧水城と呼ばれた。現在は出丸部分に角櫓が修景され、水口城資料館として公開している水口城跡を訪れる。 水口町の歩みをうかがい知ることのできる資料館。ぜひ見ておきたいのが水口曳山祭の曳山で、実際に巡行する「二層露天式人形飾屋台」の構造をもった豪華なものが展示されています。歴史コーナーでは古墳時代の出土品や水口藩の関係資料、古文書などを展示。また、民俗コーナーでは農家の伝統的ななりわいを紹介し、当時の生活様式を伝える民具や、水口町の代表的な工芸品である籐細工、八田焼などを展示しています水口歴史民俗資料館を見学。 土山方面に向かう。 古くより交通の要衝であり東海道49番目の宿場町でもあった土山は、人と物資の交流により経済や文化の発展を遂げてきました。伝馬館は、街道や宿場、宿駅伝馬制を再考し、今後の発展に寄与していくために平成13年にオープンしました。建物は江戸後期に造られた土山の民家を改装。建物自体が貴重な展示品となっており、土山まつりのメイン会場として、また地域のイベントやボランティア活動の会場として活用されている東海道を見学。 17:00終了。 今回は近場の観光巡り、滋賀県南東部に足を運び、近江商人で有名な近江日野、東海道の宿場町で水口藩の城下町の水口と東海道宿場町の土山を訪れ、江戸時代の歴史的建造物に触れることが出来ました。 |
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滋賀県信楽・甲賀観光 2009年11月11日 今回は近場の滋賀県に足を運び、たぬきの置物で有名な信楽焼、世界的建築家によるMIHO MUSEUM、甲賀流忍者の忍者屋敷を訪れました。 12:30車で近畿名神第二名神自動車道経由して信楽方面に向かう。 14:00信楽の穏やかな山並みに抱かれた美術館。ルーブルのガラスのピラミッドで知られるI.Mペイ設計による、自然と同化した建物が印象的。美術館棟へは枝垂れ桜の並木道、一条の光を映す銀色のトンネル、深い谷を渡る吊り橋を渡って行く。所蔵品はシルクロードの沿って、エジプト、ギリシア・ローマ、ペルシア、西アジア、中国などの古代美術と、仏教・茶道などの日本美術からなり、常時約250点を公開しているMIHO MUSEUMを見学。 陶芸に関する文化施設が小高い丘陵地に集まる。陶芸専門の美術館である陶芸館では、古信楽をはじめとし、滋賀県ゆかりの陶芸作家の作品や、世界の現代陶芸を中心に収蔵。年に数回、国内外の陶芸文化を紹介するテーマ展や収蔵品展で公開している。信楽産業展示館では信楽の陶器産業について知ることができる。信楽焼の始まりは鎌倉中期ごろといわれ、「日本六古窯」のひとつにも挙げられている。現在は、大型陶板やタイルといった建築資材を生産するなど、伝統を生かしながら時代のニーズに即応した製品作りが進められている滋賀県立陶芸の森を訪れる。 信楽駅の近くにあり、信楽焼の歴史や作品を紹介する施設。左手に徳利、右手に大福帳、あみだに笠をかぶり、白くてぽっちゃり突き出ているおなかが愛らしいタヌキの焼き物でおなじみの信楽焼。館内は信楽焼に関する資料室やギャラリーなどで構成される甲賀市信楽伝統産業会館を訪れる。 甲賀方面に向かう。 甲賀武士53家の筆頭、望月出雲守の住宅として元禄年間(1688〜1703)に建築されました。外見は一般的な日本建築の住宅そのものですが、建物内部には忍者の住まいにふさわしく、侵入者から身を守る為のさまざまな工夫が凝らされている甲賀流忍術屋敷を訪れる。 792年(延暦11)、この地を訪ねた最澄が霊夢を感じたことから、イチイの木に刻んだ十一面観音菩薩(重要文化財)を本尊として祭る。高さ3.3mの日本最大級の木造坐像がある櫟野寺を訪れる。 草創は古く、聖徳太子が社壇を建立し油日大明神を祭ったと伝承されている。朝野の崇敬篤く甲賀の総社と敬い祭られ、油の神として全国油業者の信仰を集めています。県下でも数少ない現存する本格神社建築で、本殿・拝殿・楼門・回廊はいずれも重要文化財。また、境内にある高野槇(コウヤマキ)は樹齢700年以上と推定され、県の自然記念物に指定されている油日神社を訪れる。 17:00終了。 今回の近場の観光地巡り、滋賀県に足を運び、狸で有名な信楽焼、桃源郷のような誘惑の空間で癒しのひとときを過ごせる雄大な大自然に抱かれた美術館、MIHO MUSEUM、甲賀忍者の発祥の地と日本有数の木造坐仏がある甲賀、いくつかの歴史的建造物の訪れと歴史的芸術に触れ有意義な日々を送ることが出来ました。 |
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滋賀県五個荘史跡巡り 2009年9月9日 今回は近場の滋賀県の近江商人の発祥の地、白壁、舟板張りの豪商の屋敷が建ち並ぶ五個荘に足を運びました。 12:30車で近畿名神自動車道経由して八日市インター下車 14:00五個荘到達、散策する。 五個荘の観光拠点となる場所、生き活き館に車を留めて散策する。 五個荘町の古い町並みが続く静かな金堂地区に、堂々とひときわ高くそびえ立つ浄土真宗大谷派の古刹。この寺を開基した愚咄坊は那須与一の嫡子で、本願寺三代の覚如上人が関東へ下る際に弟子となり、犬上郡石畑に一宇を建立しました。正応5年(1292)には現在の寺号を受け、その後神崎郡躰光寺村に移り、天正9年(1581)には現在地の金堂に永住することになりました。敷地は移転してきましたが、本尊と祖師親鸞上人真影(御裏書に安食庄石畑(あんじきのしょういしはた)云々とある)は、代々受け継がれてきています。現在の建物は宝暦5年(1755)、高木作右衛門によって建てられたもので、国の重要文化財に指定されている弘誓寺を訪れる。 近江商人とは、近江(現在の滋賀県)に本拠を置いて全国で商業活動をしていた人々のこと。五個荘商人は江戸後期ごろの登場で、江戸初期から活躍している同じ近江商人の八幡商人より遅かった。ただ、商人の数が多いこともあり、明治時代には呉服や麻布などの繊維製品を中心に商いを進めて商業範囲を広げていった。そんな五個荘商人の屋敷が、五個荘金堂地区にあり、今でも舟板塀の蔵屋敷3軒が一般公開されている近江商人屋敷を訪れる。 近江商人をテーマにした小説を発表し、野間文学賞を受賞した外村繁氏の生家。父・吉太郎は根っからの近江商人で、東京の日本橋と高田馬場に呉服木綿問屋を開いて活躍した。家族や番頭が生活した母屋や蔵が残る。外村繁の直筆原稿や書簡を展示した外村繁文学館も併設している外村繁邸を訪れる。 東京や横浜、京都などで呉服などの販売を手がけ、明治時代に全国の長者番付にも名を連ねた豪商・外村宇兵衛の本宅。往時には母屋や納屋、米蔵など10数棟の建物があった。屋敷の一部は取り壊されたが、市によって復元された外村宇兵衛邸を訪れる。 昭和初期、朝鮮半島や中国大陸などで20数店舗の百貨店を経営し、「百貨店王」と称された三中井一族の本宅。約1000平方mの敷地に木造2階建の本宅や蔵、庭園がある。蔵では小幡人形や全国の土人形を展示している中江準五郎邸を訪れる。 北は北海道から南は九州まで、天秤棒を肩にかけて全国各地を行商した近江商人たち。江戸時代、湖東地域から多くの近江商人を輩出した。ここでは映像やジオラマを通して地域の歴史、近江商人の暮らしや文化、商法や家訓、教育などさまざまな角度から近江商人を紹介している近江市近江商人博物館を見学。 藤井彦四郎は、明治9年に三代目藤井善助の次男として北五個荘村大字宮荘に生まれ明治32年23歳で分家して明治42年に藤井糸店を創業しました。「鳳凰印の『絹小町糸』」の販売や「スキー毛糸」の製造販売を行い、また、日本で最初に化学繊維を輸入し、「人造絹糸」として販売するなど時代を敏感にとらえて、一代で成功しました。当家は、敷地面積8,155m2、建物面積710m2にもおよぶ。屋敷内には、彦四郎自身の構想による琵琶湖を模した池泉回遊式の庭園をはじめ、主屋、客殿、洋館、土蔵が立ち並んでいる藤井彦四郎邸を訪れる。 東近江方面に向かう。 町の中央部にある大きな鎮守の森にあり、近郷一帯33カ村にわたって氏子を有し、33年に一度行われる大祭は有名であ、社殿の多くが国宝や国の重要文化財に指定されている苗村神社を訪れる。 野洲方面に向かう。 市内で出土した銅鐸を中心に展示。野洲の歴史と文化を紹介している。日本最大という、高さ134.7cmの銅鐸の輝く復元品は必見。隣接する弥生の森歴史公園には竪穴住居や高床倉庫があり、古代の村を復元する野洲市歴史民俗博物館を見学。 近江富士とも呼ばれる三上山をご神体とする神社で、頂上に奥宮がある。檜皮葺き入母屋造の鎌倉後期の本殿(国宝)や拝殿(重要文化財)のほか、楼門(重要文化財)や摂社である若宮神社(重要文化財)などが立ち並ぶ境内は厳粛な雰囲気の御上神社を訪れる。 足利尊氏や源頼朝など、武人から厚く崇拝された古社。平安期の池泉回遊式庭園(名勝)、白絹包腹巻(重要文化財)など数々の社宝を展示する収蔵庫がある兵主大社を訪れる。 17:30終了、帰路に向かう。 今回の史跡巡り、滋賀県は東海道など多くの街道が通り、昔からたくさんの物質が行き来した近江、多くの豪商を排出した湖東の中でも、近江商人の発祥の地として知られ、白壁、舟板張りの豪商が建ち並ぶ金堂地区、水路に錦鯉が泳ぐ風情の町並みは、国の重要伝統的建築物群保存地区に選定されている五個荘をおとずれ江戸時代以降の近江商人の歴史学習できました。 又野洲地区にある銅鐸博物館に展示している市内で出土した銅鐸24個、中には高さ134.7cmという国内最大の銅鐸が出土した地で実物の展示があり、見る価値がありました。 今回の地域を含めて、滋賀県はなかなか歴史的興味ある建造物、史跡が多いのに感心させられた歴史学習史跡巡りでした。。 |
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滋賀県近江八幡史跡巡り 2009年7月25日 今回は近場の滋賀県、16世紀に豊臣秀次が築いた八幡山城の城下町として開かれ、その後、商業都市へと発展した近江八幡、織田信長の歴史ロマンを語る安土に足を運びました。 12:30車で名神自動車道経由して滋賀県近江八幡方面に向かう。 14:00近江八幡到達。 城の防御のため、八幡山を囲むように築かれた堀。琵琶湖水運にも利用されていた。両岸には今でも白壁土蔵や旧家が立ち並び、当時の面影を色濃く残している。重要伝統的建造物群保存地区、重要文化的景観地区に選定する八幡堀を散策する。 991年(正暦2)に宇佐八幡宮を勧請して以来、近江商人の信仰を集めてきた古社。エノキやムク、杉などの古木が生い茂る境内には、どっしりとした拝殿や本殿が静かに佇んでいる。社宝の安南渡海船額(重要文化財)は、安南(ベトナム)貿易で活躍した豪商・西村太郎右衛門が1647年(正保4)に奉納したもの。1636年(寛永13)に出された鎖国令で帰国できなくなり、望郷と鎖国解禁の思いを込めて自らの姿を描かせた。絵馬殿で複製を拝観できる日牟禮八幡宮を訪れる。 八幡山城趾にある日蓮宗唯一の門跡寺院。豊臣秀次の菩提を弔うために生母・日秀尼が創建したもので、当初は京都にあった。境内からは近江八幡市街や琵琶湖を一望することができる。石で妙法と書かれた庭や、八幡山城時代の石垣などが山門の左右にある。山頂までは八幡山ロープウェイを利用して到達できる瑞龍寺を訪れ八幡山城趾を散策する。 江戸時代からの地場産業である八幡瓦。かつて、八幡堀には数十軒の瓦工場が軒を連ねたという。八幡瓦を中心に、日本各地や世界の瓦を展示。風土に適した瓦の美しさなどを紹介しているかわらミュージアムを見学。 近江八幡の町は、1585年(天正13)に豊臣秀次が開いた八幡山城の城下町として築かれたのが始まり。八幡掘をはさんだ北側が武士の居住地域、南側は町人の町。町人が住む地域はさらに西が商業地域、東北が職人地域に分けられた。現在の新町通りはかつての商業地域。畳表などを扱う豪商の邸宅だった、旧西川家住宅などが公開。邸宅には卯建があがり、家並みの塀越しに松がのぞくなど、情緒ある風景が続く。重要伝統的建造物群保存地区に選定する新町通りを散策する。 メンソレータム(現メンターム)で知られる、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の記念館。1905年(明治38)、キリスト教伝道のため来日。英語教師として近江八幡に赴任し、その後全国で教会や学校、ホテルなど1600件にものぼる建物を設計。医療や教育、社会事業などの幅広い分野で活躍した。記念館はヴォーリズ氏の木造2階建ての自邸を公開したもので、内部には愛用したピアノや資料を展示。広い居間や応接室のほか、畳の和室もあり、氏の住宅建築観もうかがえるヴォーリズ記念館を訪れる。 健康長寿のご利益があるといわれる、西国三十三カ所第31番札所。長命寺山の中腹に立つ。聖徳太子の創建とされ、山を登ると本堂(重要文化財)や護摩堂(重要文化財)、三重塔(重要文化財)などの諸堂が並び、本堂には本尊の千手観音立像が祀られている。境内からは琵琶湖が一望できる長命寺を訪れる。 中世ヨーロッパの教会建築を思わせる外観。吹き抜け部分は安土城の天主をモデルに設計された。弥生時代から戦国時代にかけての出土品、安土城の復元模型、信長に関する歴史資料などを展示している滋賀県立安土城考古博物館を見学。 織田信長の居城。安土山に1576年(天正4)に築城を開始し、1579年(天正7)に信長が入城した。外観5層内部7階(地上6階地下1階)の華麗な天主をもっていたとされる城は、本能寺の変の数日後、完成からわずか3年で焼失。今は石垣が残るのみの安土城跡を訪れる。 聖徳太子が建立したと伝わる古刹。平安時代になると、万事吉祥縁結びの祈祷道場として広く信仰を集めた。参道の石段が険しいことで知られ、西国三十三カ所の中でも最大の難所といわれてきたが、現在は車で山頂近くまで行ける。1993年(平成5)に本堂・本尊が焼失し、2004年(平成16)落慶。インド政府の特別許可で輸入した白檀香木で造立した、丈六千手観音座像が現在の本尊だ。寺の奥には、戦国武将佐々木六角氏の居城・観音寺城跡がある観音正寺を訪れる。 18:00近江八幡駅到達、駅付近の居酒屋で食事を取る。 19:30出発 21:00解散。 今回は近場滋賀県の織田信長居城の安土城跡、16世紀豊臣秀次が築いた八幡山城の城下町として開かれ、商業都市として発展し江戸時代以前の風情が残る碁盤目状の町並みが国の重要伝統的建物保存地区に選ばれた近江八幡を訪れ歴史文化学習できました。 滋賀県は有名な琵琶湖、延暦寺だけでなく、湖東、湖西、琵琶湖周囲にはたくさんの歴史的建造物、史跡が目白押しです。これから徐々に攻めて行きたいと思います。 |
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滋賀県湖東三山&多賀観光 2009年5月23日 今回は比較的近場の滋賀県湖東の鈴鹿山脈西麓の深い山々に抱かれた天台宗の古刹、湖東三山と永源寺、多賀大社で有名な多賀エリアに足を運びました。 12:30車で名神自動車道に経由して八日市インター下車 14:00 1361年(康安元)創建の禅寺。本堂は全国でも珍しいヨシ葺き屋根の建物。紅葉の名所として知られる永源寺を訪れる。 聖徳太子が百済人のために創建したと伝わる、近江の最古級寺院。近江西国三十三所の第16番札所でもある。1000余の僧坊を構える壮大な寺院だったが、織田信長の焼き打ちに遭い焼失。江戸時代初期に本堂と仁王門、山門などが再建された。境内には往時をしのぶ伽藍や塔の跡などが数多く残り、「天下遠望の名庭」といわれる庭の紅葉は特に見事な百済寺を訪れる。 741年(天平13)に行基が開いた寺。本堂(国宝)をはじめ二天門(重要文化財)や三重塔(重要文化財)などの文化財が並ぶ金剛輪寺を訪れる。 834年(承和元)、仁明天皇の勅願によって開創された天台宗の古刹。本尊の薬師如来(重要文化財)、十二神将を安置する本堂(国宝)と総檜造りの三重塔(国宝)が境内に並ぶ。室町時代初期建立の二天門(重要文化財)や、池泉観賞式庭園の蓬莱庭(名勝)、秋・冬・春と咲き続ける樹齢250年の不断桜(天然記念物)などみどころも多い西明寺を訪れる。 多賀方面に向かう。 長寿と縁結び、厄除けの神様として古くから信仰を集める社。伊勢神宮の祭神、天照大神の親にあたる伊邪那岐命と伊邪那美命を祭る。境内には延命のご利益があるとされる寿命石や、安土桃山時代に作庭された池泉観賞式の奥書院庭園(名勝)がある多賀大社を訪れる。 青龍山の巨石信仰が起源とされる神社、寿福、延命にご利益があると伝わり、眺めのよい丘に立ち、社務所庭園は国の名勝である湖宮神社を訪れる。 滋賀県多賀町とその周辺の自然や人々の文化をテーマにし、180万年前のアケボノゾウや約3万年前のナウマンゾウの化石,2億8000万年前の海の生き物の化石や現在の動植物,石灰岩の洞くつの生き物,本物と同じ作り方で再現された仏像など,多賀町の豊かな自然から生まれた実物標本を中心とした展示が特徴な多賀町立博物館を見学する。 17:00八日市方面に向かう。 17:30八日市駅、市街地に到達、町を散策してから駅の近くの居酒屋で食事を取る。 18:30帰路に向かう。 今回の史跡巡り、近場の滋賀県湖東の紅葉の名所で国宝や重要文化財に指定されている建造物や名勝庭園など、みどころの多い4つの名刹、竜応山の西明寺、松峰山の金剛輪寺、釈迦山の百済寺、総称して湖東三山、臨済宗永源寺派の大本山・永源寺と、お多賀さんの呼び名で親しまれている多賀神社が位置する多賀エリアを訪れ、鈴鹿山脈の西麓に点在する関西屈指の紅葉スポットとして人気を集めている天台宗の古刹の新緑の春の姿も又違った観点でのしっとりした美しさを味わうことが出来ました。 次回は近江八幡、五個荘を攻めてみたいと思います。 |
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滋賀彦根観光 2009年5月9日 今回は滋賀県の湖東にある江戸時代は旧彦根藩主井伊家35万石の城下町、近世は湖東地域の経済や文化の中心的存として発展した彦根に足を運びました。 12:30車で出発、近畿名神自動車道経由して彦根インター下車 14:00 1811年(文化8)、彦根藩第11代藩主・井伊直中が建立した寺、羅漢堂に並ぶ五百羅漢は京都の名工駒井朝運作で、会いたい人の面影が必ず見つかるといわれる天寧寺(五百羅漢)を訪れる。 遠州井伊谷から移された井伊家歴代藩主の菩提寺。白砂の上に48の石を配置した枯山水の「ふだらくの庭」をはじめとした名庭で名高く、樹齢の400年の沙羅の古木もある龍潭寺を訪れる。 俳句をテーマにした資料館、大正時代の建物を改築した館内では、俳句に関する展示のほか、彦根の歴史や観光も紹介する俳遊館を見学する。 彦根藩の政庁であった表御殿を、発掘調査をもとに復元した博物館。能舞台や茶室、藩主の居間のほか、庭園の樹木までも遺構や古絵図から再現した。井伊家伝来の大名道具約6万5000点を順次展示している彦根城博物館を見学。 彦根藩・井伊家三十五万石の居城。1622年(元和8)、井伊直継・直孝によって、約20年の歳月をかけ完成。琵琶湖から直接引き込んだ堀をめぐらし、小高い山に立つ。3重3層の天守(国宝)を中心に、長浜城から移築された天秤櫓(重要文化財)、城内の合図のための太鼓が置かれていた太鼓門櫓(重要文化財)、近江八景を模した庭園の玄宮園など見どころが数多く残るり、天守の内部は見学可で最上層からは琵琶湖が一望の下に見渡せる彦根城を訪れる。 彦根城の北東にある池泉回遊式庭園。1677年(延宝5)、彦根藩4代藩主の井伊直興が造営した。池を中心に中の島や入江に架かる6つの橋など、変化に富んだ趣が楽しめる玄宮園を散策する。 江戸時代の城下の町並みを再現し、建物を白壁・いぶし瓦・格子戸などモノトーンの世界に統一し、江戸期の風情ただよう新名所となっている夢京橋キャッスルロードを散策する。 17:00観光終了、彦根駅前の居酒屋で食事を済ませてから帰路に向かう。 今回は近場の滋賀湖東にある世界遺産に推奨されている彦根城のある城下町、彦根の歴史的建造物を訪れました。 天候、快晴、絶好の観光日和とゴールデンウイークの最週末、又井伊直弼が日米修好通商条約を結んで150年の節目に当たるため新たな観光事業が企画されて、江戸時代の城下町を再現した夢京橋キャッスルロード、大正モダンをコンセプトにした四番町スクエアなどエリアが充実しかなり賑わっていました。 近場の名所巡り、京都、奈良だけでなく、これから滋賀、三重、和歌山をも攻めてみたいと思います。 |