海外観光

 今まで訪れた外国
アジア:バリ、プーケット、シンガポール、タイ、香港、マカオ、中国、台湾、ベトナム、ラオス、カンボジア、韓国、インド、フィリピン、ミャンマー、マレーシア、ウズベキスタン、カラカルパクスタン

ヨーロッパ:フランス、スイス、イタリア、ヴァチカン市国、スペイン、スウェーデン、デンマーク、フィンランド、ノルウエー、イギリス、オーストリア、チェコ、スロバキア、ハンガリー、ドイツ、オランダ、ベルギー、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビンナ、ギリシア、ロシア、ポルトガル、アゼルバイジャン、ジョージア、アルメニア、エストニア、リトアニア、ラトヴィア、アイスランド、ポーランド

中近東:ドバイ、トルコ、キプロス、マルタ島、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ自治区、イラン、カタール

アフリカ:ケニア、エジプト、モロッコ、南アフリカ、ジンバブエ、ボツワナ、ザンビア、エチオピア

アメリカ:ハワイ、カナダ、アメリカ東海岸、グアム、サイパン、ロタ、テニアン、ペルー、アルゼンチン、ブラジル、グアテマラ、ホンジュラス、ベリーズ、メキシコ、キューバ、ニカラグア、コスタリカ、パナマ

オセアニア:オーストラリア、ニュージーランド
飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百五十二弾:中国無錫観光
2018年11月3-4日
  

アジアの大国、中国に足を運び、上海から高速鉄道で45分の位置にあり、中国南部に位置し、上海から130km離れた街、かつて錫鉱石の採掘量が多い土地でしたが、漢代初期のころまでに採掘し尽くしてしまい、そこから「錫の無い街」と呼ばれるようになりました。三国志に登場する呉の発祥の地であり、3,000年の歴史を持つ「江南の名城」と中国では呼ばれていますが改革開放以降、日本企業の進出も目覚ましい、太湖を中心とした風光明媚な観光地から霊山大仏や水滸城、三国城など中国ならではのスケールを持つテーマパークまで、あらゆる観光客が楽しめる無錫を訪れました。

3日10:10関西空港日本航空で出発
12:05上海浦東空港到達。リモーターカー、メトロで上海駅下車。
15:00上海駅高速鉄道で出発。
15:42無錫駅到達。メトロで南禅寺下車、清名橋古運河景区散策。

南禅寺:無錫でお土産探しをするならここ。古刹「南禅寺」を中心に広がる繁華街で、伝統工芸品店から無錫の中高生に人気のアニメショップ、ファッション雑貨店などがずらり。地下にもお土産屋さんが並んでいます。

清名橋古運河景区:昔ながらの街(老街)がある。別名は清名橋古運河景区。運河の周囲には昔ながらの建物が広がっている観光スポットだ。この運河から一歩、道を入ると、飲食店を中心に商業街が展開されている。清名橋古運河景区は、2014年6月に世界文化遺産に認定された京杭大運河(黄河、長江など、全長1,797km)の一部。
この清名橋古運河景区は全長5.5km。2010年6月、中国歴史文化名街に認定され、観光スポットして多くの人が訪れている。清名橋古運河景区の歴史は古く、10世紀ごろにできたようだ。派手な商業街のようなところではなく、独特の雰囲気ただよう観光地だ。

18:20市内のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
4日7:30タクシーで蠡園に向かう。
8:00蠡園観光、その後歩いて黿頭渚公園に向かう。

太湖:江蘇省と浙江省にまたがる湖・太湖は、琵琶湖の3倍の面積を有する巨大湖。蘇州側の湖畔よりも観光地が集中しているのが無錫側太湖の特徴で、テーマパークや史跡も湖沿いにあります。もっともよく知られている観光地点は「鼋頭渚」。遊覧船や山の上から広大な風景を眺めることができます。無錫きっての桜の名所でもある。

黿頭渚公園:無錫のシンボルでもある二つの山、錫山と恵山に挟まれた公園です。緑豊かで、地元のお年寄りたちとのんびりなごめる(現地の60代以上は入場無料だそう)だけでなく、史跡めぐり、登山、古鎮散策、お寺めぐり、庭園めぐりも楽しめるんです。明代に建てられたお寺や古民家、庭園、宋代に架けられた橋など、数100年から1000年の歴史を持つ見どころがいっぱい。

9:30タクシーで恵山古鎮に向かう。

恵山古鎮:まるで昔の中国にタイムスリップしたような、古い建物が建ち並ぶ観光スポットです。格安でグルメを楽しめる屋台がずらりと並んでいたり、お土産屋さん、旧家が連なっています。食べ歩きを楽しんだり、お買い物をしたり、ぶらりと散策するのに適している場所です。
徒歩とメトロで無錫駅に向かう。
12:00無錫駅到達。
12:57無錫駅高速鉄道で出発。
13:40上海駅到達。メトロ、リニアモーターカーで上海浦東空港に向かう。
15:30上海浦東空港到達。
17:45上海浦東空港日本航空で出発。
21:00関西空港到達。
今回の旅行、アジアの大陸、中国に足を運び、上海から高速鉄道で45分に位置する無錫を訪れ、水郷の町を散策して観光いたしました。
毎回中国旅行、アクシデントが付き物でしたが今回は問題なく観光できました。
強いてあげると黿頭渚公園を散策中、市民マラソンに出くわし、さすが中国2万人のランナーでした。大勢のランナーのため橋を通過するのに30分待たされました。

一方ラッキーなことがありました。帰りの飛行機、特典航空券を利用していましたがビジネス席に空きがあったため無料でアップグレードしていただきました。ビジネス席、快適で立派なフランス料理も出てきました。
ビジネス席を利用しますとエコノミー席利用できなくなりますね。
海外旅行の飛行機の旅はアウトドアスポーツと考えています。
体力のある限りエコノミー席で頑張ります。






















 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百四十八弾:中国紹興観光
2018年10月6-8日
   

アジアの大陸、中国に足を運び、上海から高速鉄道で1時間30分に位置し、浙江省の北東部にある古都。中国十大名酒の一つである紹興酒でも有名。また多くの偉人を輩出しており、作家魯迅、清末の女性革命家秋瑾や教育家蔡元培の生家がある紹興を訪れました。

6日16:10関西空港全日空で出発
17:25上海浦東空港到達、リニアモーターカー、メトロで伊梨路駅下車
19:20駅前付近のホテル到着後就寝。
7日6:00出発、メトロ伊梨路駅乗車上海虹橋駅に向かう。
6:40上海虹橋駅到達。
7:37上海虹橋駅高速鉄道で出発
9:05紹興北駅到達、タクシーで紹興駅に向かう。
9:30紹興駅到達、観光名所歩いて回る。

紹興:中国・浙江省に位置する紹興は、「紹興酒」で有名な水郷の街です。また、日本でも有名な小説家・魯迅の故郷でもあります。日本人にはあまりなじみのない観光地かもしれませんが、実は上海から新幹線に乗って1時間半で行くことができ、気軽に街歩きや食べ歩きを楽しめる穴場スポットなんです。

中国黄酒博物館:紹興といえば、やっぱり紹興酒ですよね。黄酒博物館は、2007年にできたまだ新しい博物館です。

紹興博物館:紹興の歴史を学びたいならこの紹興博物館がおすすめ。1993年にオープンした紹興博物館にはたくさんの紹興文化や風土に関する展示物があります。近くにバス停もあるのでアクセスも便利です。

秋瑾故居:清末の女性革命家秋瑾の実家跡。役人であった祖父の任地、福建アモイに生まれた秋瑾は16歳のとき、 家族とともに紹興に帰郷、ここで少女時代をすごした。その後、21歳で結婚、夫にしたがって北京へ出たものの、 1900年に起こった義和団事件を目の当たりにし、革命家となることを決意。夫と子供を置いて日本へ留学した。帰国後は、 再び紹興に舞い戻り、体育学校の校長という身分を隠れ蓑に同志の徐錫麟らとともにひそかに革命運動を推し進めた。だが、 1907年夏、徐錫麟の安慶蜂起が失敗すると、共同謀議のかどで逮捕、処刑された。なお伝えられるところによれば、 処刑の際、「秋雨秋風人を愁殺す」という絶命詞を残したとされる。実家跡は現在、秋瑾故居および秋瑾記念館として 一般公開されている。館内には彼女の書簡や詩文、生前愛用していたショールや日本刀、さらに外出の際、 常に身につけていたという拳銃などが展示されている。市内解放南路を南にくだり、応天塔を右側にはいった 和暢堂22号にある。

魯迅故里:もう江南水郷の雰囲気が溢れている街に建設された。魯迅の作品の中で描写された小さい頃の楽園百草園、三味書屋、小説中の咸亨酒店、魯迅が住んでいた家など全部見られる、街を歩きながら、当時の環境を実感することができる。魯迅記念館の陳列館には魯迅小説の原稿、写真、手紙など600点余りが展示されている。

魯迅記念館:虹口公園内にある魯迅の記念館。建物は故郷の紹興の民家を模して造られ、入口の題字は周恩来の筆によるもの。館内には魯迅の写真や直筆原稿、生前愛用した品々、美術作品等が展示されている。


魯迅故居:魯迅故里の中にあり、魯迅が17才まで暮らした旧居。当時の名家の屋敷構えを今に伝えている。部屋、食堂、台所などの他、彼が随筆の中で子供時代の楽園だったと書いた裏庭「百草園」も必見。

三味書屋:近代中国を代表する小説家・魯迅が12歳から17歳まで勉強していた清朝末期の封建的な塾で、魯迅故里の向かいに位置している。魯迅は遅刻して叱られた際に自分を戒めるため机に「早」という文字を刻んだといわれ、その文字がそのまま残されている。

沈園:沈氏園とも呼ばれ、浙江省紹興市の東南側の洋河弄に位置している。敷地面積が3.8万?、古跡区、東苑と南苑三つの部分に分かれており、孤鶴亭、半壁亭、双桂堂、八咏楼、宋井、射圃、門梅?、琴台と広耜?などのスポットもある。もともとは沈家の私的花園で当時は今より更に大きかった。園内に楼閣、東屋、築山、池などが多く見られ、たくさんの文人墨客がここを訪ねていた。 2002年11月、「国家3A級観光地」に選ばれ、紹興にある古典園林の中で現存している唯一の宋代園林である。また、 夜の沈園を楽しむのなら、「沈園の夜」が見逃せない。宋代の町並みを再現した沈園の中に入ると、小売り人の叫び声、様々な宋代衣装、見物人にお辞儀する家来や女中、空に響く民間音楽の演奏など全てが宋代の雰囲気を作り出しており、あの時代に戻ったような勘違いをしてしまうほど、とても見る甲斐のあるところである。

八字橋:急激な経済発展によって、どんどん街並みが近代化しています。紹興の八字橋周辺なら、昔の水郷の街の雰囲気が味わえるでしょう。八字橋周辺にある家は、基本的に白壁ばかりです。

16:00紹興駅から東に位置する新都市に位置するホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
8日9:00歩いて紹興駅に向かう。
10:00タクシーで紹興北駅に向かう。
10:30紹興北駅到達。
12:05紹興北駅高速鉄道で出発。
13:25上海虹橋駅到達、メトロ、リニアモーターカーで上海浦東空港に向かう。
15:30上海浦東空港到達。
18:20上海浦東空港全日空伝統的建造物群保存出発。
21:35関西空港到着

今回の旅行、アジアの大陸中国に足を運び、上海から高速鉄道で1時間30分に位置する紹興に足を運び、ひたすら歩いて観光名所を巡りました。

至る所に運河が張り巡らされており、点在する歴史的建造物が運河に沿って位置し、又高層ビルが至る所に聳え、新都市と旧都市が交じり合って存在し、又運河で形成された水郷の町でもありました。

今回も中国旅行、トラブル続出、上海から紹興北までの高速鉄道のキップをインターネットで予約していましたが、6日当日の朝、確認したら日が間違って予約していました。慌てて再度インターネットで予約しなおすと発車が30分前の切符が1枚だけ残っていました。ラッキーでひやひやでした。
日本と違って高速鉄道の切符は中国ではすぐ満席になります。残っていてよかったです。

次に関西空港に向かう列車に乗車中、急に停止、アナウンスで線路に落下物を認めたとのこと、17分後に出発しました。

次に関西空港から全日空機で出発、機体が滑走路に向かう途中、機長からアナウンス、計器類の不備を認めたためゲイトに戻って修理するとのこと機内待機、しばらくしてなおらないとのことで機外に出てゲイトに待機とのアナウンスあり、結局代替え機が出発するのに3時間30分遅れのフライトとなりました。

次に上海浦東空港からリニアモーターカーに乗車のための切符、割安のため往復券を購入しました。
しかしリニアモーターカーから改札口で出るためチケットを挿入しましたが戻ってこない。近くに駅員がいないし、説明するのに中国語、大変とのことで、あきらめました。40元損しました。

すんなりいかない中国旅行、今年もあと2回中国旅行(無錫、アモイ観光)予定しています。頑張ります。






















飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百四十七弾:台湾台北近郊観光
2018年9月22-24日
  

中国大陸の東に位置し、かつて日本の植民地でありながら、限りなく日本に愛着と憧憬を持ち続けている人が多く、訪れたならば彼らのあたたかい気持ちにふれることができるだろう。グルメ王国ともいわれる美味しい食べ物と寛ぎのお茶文化、トロピカルな自然とハイテク産業が同居し、漢民族文明と先住民族の文化に触れる島。心からの癒し、エネルギッシュな活力を与えてくれる台湾に足を運び、台北の近郊の新北投温泉、烏来、鶯歌、三峡、新竹を訪れました。

22日16:00関西空港ピーチで出発
17:50台北桃園空港到達、MRTで台北市内に向かう。
19:30台北駅付近のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就職。
23日8:00出発、地下鉄で烏来に向かう。

烏来:温泉・トロッコ・ロープウェイ・白糸の滝・タイヤル族など、様々な観光スポットがある「烏来(ウーライ)」温泉街から滝までを繋ぐトロッコは、自然の景色を楽しみながら移動できる乗り物として人気を集めています。急な斜面を大きな音を出して駆け抜けるトロッコはスリル満点!他にも美人湯温泉やタイヤル族の料理など、観光スポット盛りだくさんの烏来に足をのばしてみてください。

地下鉄で台北駅に戻る。
鉄道で鶯歌に向かう。

鶯歌:湾最大の陶器の街「鶯歌」には、伝統的なものからモダンなデザイン、人気作家の作品まで、さまざま陶磁器のお店が集まっています。とっておきの逸品から、お土産まで是非お気に入りの品を探してみて下さい。

タクシーで山峡ぬ向かう。

山峡:赤煉瓦の美しい趣を持つ人気の観光地「三峽老街」は、台湾の文化とヨーロッパの雰囲気が入り混じり風情溢れる街です。名物の台湾クロワッサン「金牛角」も是非お試しください。

タクシーで頂捕に向かう。

頂捕から地下鉄で新北投に向かう。

新北投到着

新北投温泉:温泉スポットが多くあり、その中でも有名なのが「北投温泉」。台湾屈指の温泉リゾート地となっており、緑に囲まれた山々の間に広がる温泉街は日本人に馴染み深い光景です。台北から電車で30分というアクセスの良さも嬉しいところ。観光に疲れたら温泉に浸かって、ゆっくり過ごすのもおすすめです。

地下鉄で中山に向かう。

中山下車徒歩で数分のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。

6:00出発、地下鉄で台北駅下車、バスターミナルで新竹に向かう。

新竹:1875年淡水庁の廃止とともに、竹塹は新竹城と改められました。1982年に新竹市は台湾省の直轄市となり、周辺を合併して面積も49平方キロから104平方キロと拡大されました。近年では台湾のシリコンバレーと呼ばれる"新竹科学園区"の設置により、エレクトロニクス、化学工業、軽工業が発展し、新竹市の発展の原動力となっています。
新竹市は新竹県西北の新竹平原の中心に位置し、海抜120メートル、東南は十八尖山、牛埔山などの山に囲まれ、西は海に面しています。このため、ここの地形は西の海に面した塵取りに喩えられ、平地は全体の3/4を占めています。

台北桃園空港、鉄道、地下鉄で向かう。

13:40台北桃園空港到達。

24日18:30台北桃園空港出発
22:15関西空港到達


今回の旅行、中国大陸の東に位置する台湾に足を運び、台北近郊の都市、新北投温泉、烏来、鶯歌、三峡、新竹を訪れ楽しみました。

派手さもなく、比較的マイナーな観光名所、鉄道、地下鉄、バス、タクシー、あらゆる交通手段を使って訪れ堪能しました。

新竹から鉄道で東北方面の基隆に行く予定でしたが、台風24号の影響で大雨雨とのこと、早々と台北桃園空港に向かいました。


















飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百四十六弾:中国鎮江観光
2018年9月15-17日
 

アジアの大国、中国に足を運び、長江下流の南岸に位置する古都で、水陸交通の要衝となっている。美しい自然に恵まれ、「森の都」と呼ばれる。「白蛇伝」で知られる金山、「三国志」の甘露寺など歴史的見どころも多い鎮江を訪れました。

15日15:55関西空港全日空で出発
17:10上海浦東空港到達、リニアモーターカー、地下鉄で上海駅に向かう。
19:10上海駅前のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
16日8:10上海駅高速鉄道で出発
9:51鎮江駅到達、散策

金山公园 :金山寺の観光のために公園に入場するといった感じです。広大な湖があって、一周するにはかなりの広さです。対岸に渡りたかったのですがショートカットはなく、ボートしかなさそうでした。 公園内はよく整備されていていろんな花が咲います。

镇江金山寺 :黄色の禅寺が目に入ります。かなり立派なお寺で、中の仏像なども圧倒されますが金山という小山に建っていますので、上に上ると絶景を眺めることができます。

天下第一泉 :金山のすぐわきに有る「天下第一泉」 唐の時代にお茶を沸かすのに最も最適な
船室として認められた場所、今でも湧いてます。

古西津渡街:鎮江の港に近い場所にある古い風情を感じられるエリアです。帝国列強の脅威にさらされたいた19世紀に栄えた町のようで、昔を想像しながら散策すると楽しいです。

镇江博物馆 :観光地・西津渡古街の隣、元は英国領事館だった建物です。 街の規模に合わせた、地方の資料館という感じでした。

北固山 :中国の江蘇(こうそ)省鎮江(ちんこう)(チェンチアン)の長江河畔に立つ山。絶壁が険しく堅固なため、この名がついた。頂上には甘露寺が、三国時代の256年に建てられたと伝えられていて、『三国志』を知る上では重要な場所といわれる。梁の武帝がこの山に「天下第一江山」の名を与えたといわれ、山の中腹には石刻がある。正殿や老君殿、観音殿、江声殿などもあるが、規模はそれほど大きくない。

北固山公園:山を丸ごと使ったような広大な公園で、園内には三国志にゆかりのあるお寺もありました。三国志ファン以外の方でも、長江や鎮江風景を楽しむこともできるので訪れても良いでしょう。
ここには呉の軍師の魯粛の墓と将軍の太史慈の墓が有ります。 最近作った感は否めませんが、三国志好きな人は来て見てはいかがでしょうか。

甘露寺:劉備と孫権が同盟を結んだ寺 近くに劉備と孫権の妹が見合いをした建物もあります のんびりと散歩さながら観光できます

鉄塔:甘露寺の入口近くにある鉄塔です。北宋時代に伝統的な石塔を鉄製で作ったものだそうで、もともとは9層の鉄塔だったのが、今は破損して4層になってしまってます。確かに、9層あれば、石塔らしく見えますね。
 それでも、鉄の貫禄があって、なかなか風格があります。

梦溪园 :北宋時代の科学者で、随筆「夢渓筆談」を書いた沈括の邸宅。 マンションの並ぶ住宅街の中にあるので、ちょっとわかりにくいかもしれません。 庭園が見事なので、街歩きの途中に寄ってみるとよいでしょう。


16:00鎮江駅前のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
17日9:34鎮江駅高速鉄道で出発
11:24上海駅到達、地下鉄、リニアモーターカーで上海浦東空港に向かう。
14:00上海浦東空港到達。
18:20上海浦東空港全日空で出発
21:35関西国際空港到達。

今回の旅行、アジアの大陸、中国に足を運び、上海から高速鉄道で1時間半の西に位置し、長江下流の南岸に位置する古都で、水陸交通の要衝となっている鎮江を訪れ歴史的建造物に触れ楽しみました。ひたすら歩いて巡りました。

今回も中国旅行、トラブルあり、2日目の鎮江での宿泊、駅前のホテルで立派な大きなホテル、チェックインのためドアを開けて入ろうとしたら鍵がかかっていては入れない、室内は電気が点いてなくて暗い、近くの方に聞くと、クローズしているとのこと、つぶれているみたいですね。仕方なく、近くのホテル探し、運よく、空き室があり宿泊する。

17日朝、起きると大雨、香港に向かっている台風の影響か、高速鉄道が遅れると困るので早めに上海に向かいました。

今までもそうですが、中国旅行すんなりいきません。トラブル多発の国ですね。

懲りずに今年もあと2回中国旅行予定しています。幸運を祈ります。

















 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百四十三弾:ポーランド観光
2018年8月8-15日
 

ヨーローッパのEUに属し10世紀に建国。15~17世紀には東欧の大国。18世紀末には3度にわたり,ロシア,プロシア,オーストリアの隣接三国に分割され,第一次大戦終了までの123年間世界地図から姿を消す。
第二次大戦ではソ連とドイツに分割占領された。大戦での犠牲者は,総人口の5分の1を数え,世界最高の比率。大戦後は,ソ連圏にくみ込まれたが,「連帯」運動(1980年代)など自由化運動が活発で,東欧諸国の民主化運動をリードした。1989年9月,旧ソ連圏で最初の非社会主義政権が発足した。「欧州への回帰」を目標に,1999年3月にNATO加盟,2004年5月にはEU加盟を果たしたポーランドを訪れました。

8月8日10:05関西国際空港ルフトハンザ・ドイツ航空で出発。
15:00フランクフルト到達。
16:40フランクフルトルフトハンザ・ドイツ航空で出発。
18:10クラクフジョンポールパリツェ空港到達、バスで市内のホテルに向かう。
19:00ホテル到達、就寝。

9日9:30徒歩でクラクフ市内観光

クラクフ:ポーランドの第三の都市クラクフは、首都のワルシャワ、ウッチに続く第三の都市。

11世紀中ごろから16世紀末までポーランド王国の首都として栄えた古都で、日本では「ポーランドの京都」なんて例えられることも。
第二次世界大戦中にドイツ軍の司令部が置かれており、戦火を逃れた世界遺産の街並が世界遺産に登録されています。
クラクフから日帰り観光でアウシュビッツ強制収容所やヴィエリチカ岩塩抗を訪れることができます!

ヴァヴェル城:ヴィスワ川沿いにそびえ立つ、ゴシックルネッサンス様式のお城です。ワルシャワに首都が移る16世紀まで、このヴァヴェル城に歴代のポーランドの王様が住んでいました。敷地内には大聖堂や旧王宮、王の墓など、歴史的な建造物が数多くあります。
特に旧王宮には調度品や美術品、宝飾品、武器などが展示されていて、当時の王族の生活を垣間見ることができるので、おすすめです。

ヴァヴェル大聖堂:ヴァヴェル城の敷地内にある大聖堂です。1364 年に設立されたローマ カトリック教会の大聖堂で、ポーランド国内で最も大切にされている宗教施設といっても過言ではありません。歴代のポーランド王の戴冠式は、1764年までヴァヴェル大聖堂で行われていましたし、現代でも全45代の王様のうち、41名まではこの聖堂の地下に葬られています。
堂内には、美しい彫刻が施された棺が数多く安置されています。一つ一つ趣が異なるので、芸術品として鑑賞するのもいいですね。またヴァヴェル大聖堂で忘れず見ていただきたいのが、鐘楼につられたジグムントの鐘。1520年製の巨大な鐘で、国家の重要な慶事でのみ鳴らされるものですが、なんと手で触れられます。

聖マリア教会:織物会館の向かい側にあるのが、聖マリア教会です。13世紀初めに建造されたゴシック様式の建物で、その歴史的価値から1978年には「クラクフ歴史地区」として世界遺産にも登録されています。
教会内部にある聖壇は、ヨーロッパで第2位の高さをもつ木造彫刻で国宝に指定されています。また彫刻家ファイト=シュトゥースが手がけた高さ13メートルというヨーロッパ最大級の祭壇画もあって、まさに見所満載!

中央広場:クラクフ旧市街の中心にある中央市場広場は、中世から残る広場としてはヨーロッパ最大の規模を誇っています。

織物会館:中央広場にあるのが、織物会館です。中世時代、東西の物品が集まる貿易の拠点であったクラクフで、その中心的な役割を担ったのがこちらの織物会館。当時は、中国から来た絹やイギリスのウールなどが取引されていたそうです。
ルネサンス様式の建物は、外から見ているだけでも美しく、訪れる価値があります。さらに館内には、民芸品やアクセサリー、革製品などの小さな店がぎっしり並んでいて、クラクフ土産を買うのにもおすすめ。クラクフ観光では絶対にハズせないスポットです。

旧市庁舎:ポーランドのクラクフの中央広場にあり、なおかつクラクフのランドマークになっているのが高さ70mの旧市庁舎の塔。
建てられたのは13世紀の終わりの頃に建てられた市長舎の一部です。地下は刑務所として使用されていました。
建物はレンガや石を用いてゴシック様式で作られました。しかし1680年の落雷により崩壊し、バロック様式で再建されました。
現在は、クラクフの歴史博物館、広場の展示場として常設展示なども行われています。塔の上に登ることもできるので、是非解放された展望台に行ってみてください。塔の頂上からは、世界遺産であるクラクフの街を一望できますよ。

昼食:ゴウォンプキ:ポーランド料理のひとつで、簡単に言えばロールキャベツです。
お肉をキャベツの葉で巻いて煮込むのは日本式のロールキャベツと同じですが、大きな違いは、お肉にお米がたっぷり混ぜ込んであることです。あらかじめかために茹でておいたお米を(ポーランドではお米は“炊く”ものではなく、“茹でる”ものです)、豚挽き肉・卵と混ぜ合わせてタネを作ります。玉ねぎを入れる場合は、いためたものではなく生のままをみじん切り、もしくは摩り下ろして加えます。家庭によってはマジョラムやにんにく、パセリの葉を加えることも。先に火を通しておいたキャベツの葉に適量のタネを置き、空気が入らないように巻いていきます。ちなみにポーランドではキャベツに火を通す時は葉を一枚一枚はがしてから茹でるのではなく、大きいお鍋にお湯を沸騰させ、そこにキャベツを丸々ひとつ入れて、火が通ったものを順番にはがしていきます。

午後散策

クラクフ国立博物館:レオナルド・ダ・ヴィンチの数少ない女性画「白貂を抱く貴婦人」は、現在ここで鑑賞できる。

19:00ホテルで夕食
21:00就寝。

10日8:00バスで出発アウシュビッツに向かう。

アウシュビッツ博物館:。収容所内には28棟の囚人棟があり、最大で28,000人もの囚人が収容されていたといいます。
第二次世界大戦が始まり、ポーランドがドイツの支配下に置かれていた1940年、ポーランド人の政治犯を収容するためにこの場所が作られました。しかし次第にユダヤ人や軍の捕虜をも収容するようになり、施設は拡大され、あの恐ろしい虐殺の場所となっていきました。戦後は当時のままの状態が保存され、博物館として公開されるようになりました。
2キロほど離れた場所にはビルケナウというもう一つの収容所があります。ここはアンネフランクが収容された場所としても知られています。見渡す限り草の茂った広大な敷地に、点々と木造のトラックが立っています。奥には大きな国際追悼碑が建ち、いかに多くの国の人々が犠牲になったかを物語っています。

昼食:ブラツキ・ジェムニャチヤーネ:ポーランド語でPlacki Kartoflane(プラツキ カルトフラーネ) 又はPlacki Ziemniaczane(プラツキ ジェムニャチャーネ)といいます=じゃがいものパンケーキです。

バスでクラクフに向かう。

クラクフ着後市内散策。

カジミエシュ地区:クラクフ旧市街やヴァヴェル城の南に位置するカジミエシュ地区は、かつて多くのユダヤ人が暮らしていた地区。
14世紀にユダヤ教徒の保護に熱心なカジミエシュ大王の手により作られた町で、かつてはユダヤ人地区として繁栄しましたが、第二次世界大戦時のユダヤ人迫害により住民が消え、長らく廃墟となっていた歴史を持ちます。
カジミエシュ地区を歩きながら、ヘブライ文字の看板やユダヤ教のシンボルが残されているのに注目してみてください。
現在は古い建物がお洒落なカフェやレストランにリノベーションされ、若者に人気のスポットとして生まれ変わりました。

マンガ日本美術・技術博物館:ポーランドの大地主の家に生まれたフェリクス・ヤシェンスキはヨーロッパ各国を旅する間にジャポニスムに触れ、大の日本美術マニアとなり、浮世絵、掛け軸、屏風、鎧、兜、刀剣、漆器、着物、印籠等の日本美術品を15000点も収集したというのです。
彼は批評家、作家として活躍しましたが、ペンネームを北斎漫画から採ったマンガ(Manngha)とし、1920年、彼の収集品をクラクフの国立博物館に寄贈します。しかし国立博物館には既に作品を展示するスペースがなく、死蔵。
ここで登場するのが、坂東玉三郎主演の「ナターシャ」の舞台演出や映画監督で日本でも名の知られたアンジェイ・ワイダ監督。
1987年、人類の精神的深化・高揚に著しく貢献したとして、京都賞を受賞した彼はその賞金4500万円を基金として、「若かった私が初めて日本の美術に触れた時に得たあの幸福感を、他の人々にも味わってもらいたい」と、死蔵されているマンガの寄贈品を常設展示する美術館を建設する事を決意。
ワイダ監督の呼びかけに答え、JR東日本労働組合が100万ドル、日本政府も300万ドルを寄付。クラクフ市も建設地を無償提供。磯崎新が無償で設計を手掛け、1994年、ヴィスワ川を挟んだヴァヴェル城の対岸にマンガ館が完成したのです。
開館式にはワレサ大統領と高円宮も出席。入口入って直ぐの所には2002年に訪館された天皇皇后両陛下の署名額が
掲げられていました。
この美術館ではポーランドで唯一、日本語、ポーランド語、英語併記で種々の案内表示がされています。

11日8:15バスで出発ヴェリチカに向かう。

9:00ヴェリチカ岩塩:ポーランドの古都クラクフ(Krakow)の近くには、世界遺産のヴィエリチカ岩塩坑があります。この岩塩坑は地中約330mの深さまで掘られており、世界最古でありながら現役の採掘場です。ここでは、採掘で使われていたトロッコや坑道のほかにも、地下深くに築かれた美しい礼拝堂や地底湖が見られ、地底探検をしているようなドキドキ感が味わえます!

昼食バルシチとカツレツ:バルシチ(barszcz)はバルシチ・チェルヴォヌィ(barszcz czerwony)とも呼ばれるポーランドの伝統的なスープで、鮮やかな赤色が特徴です。この色は材料であるビーツ(burak)の色素によるものです。ロシア料理のボルシチと名前はそっくりですが、あちらは肉や野菜がたっぷり入っているのに比べ、こちらのバルシチは基本的にスープだけを頂きます。

午後市内観光

ヤギェウォ大学のコレギウム マイウス : クラクフ旧市街西端に校舎群を持つヤギェウォ大学(Uniwersytet Jagiello?ski)の最古の校舎
ヤギェウォ大学は中欧で二番目に古い名門大学で、設立は14世紀。地動説で有名なコペルニクス、作家のスタニスワフ・レム、先代ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世もここの出身

バルバカンとフロりアンスカ門:19世紀までクラクフは城塞に囲まれていましたが、現在は大部分が取り壊されています。旧市街地に建つバルバカンは城塞の一部で、建設当時はフロリアンスカ門とは橋と通路で繋がっていました。
各国の国王や要人たちが市内へ入る際にくぐったと伝えられているフロリアンスカ門とフロリアンスカ門を守るために建てられたバルバカンを目の当たりにすると、歴史の流れを肌で感じることができますよ。

スォヴァツキ劇場:クラクフの旧市街地内の北東部分に位置する立派な劇場です。パリのオペラ座を模してデザインされたと言われており、完成したのは1893年との事。ちなみにスウォヴァツキという名前は、ポーランドの偉大なロマン派詩人らしくその名にちなんで命名されたようです。

16:55列車でワルシャワに向かう。
19:30ワルシャワ到達、バスで市内のホテルに向かう。
20:10ホテルで夕食就寝。

ワルシャワ:ポーランドの首都であるワルシャワは、南北に縦断するヴィスワ川を有する町。観光の名所は川の西側に集中しており、見どころやカフェ、みやげ物店が集まるクラクフスキェ・プシェドミェシチェ通り~ノヴィ・シフャト通りまでの約2kmのエリアは歩いて回ることもできる。ワルシャワの街の始まりは13世紀。1596年以降はポーランド王国の首都として急速に発展したが、1795年の第3次ポーランド分割により、国全体が完全に滅亡してしまう。1918年に分割時代を終え首都として復活を遂げるが、第二次世界大戦時には再びナチス・ドイツ軍の圧政支配を受ける。戦後はワルシャワ条約機構に加盟するなど、社会主義国家の中心として復興し、1989年には民主化、ワルシャワはかつて「北のパリ」と呼ばれるほど洗練された美しい街でした。しかしドイツ戦略群に対して市民が一斉蜂起を起こしたことによって殆どの建物が跡形もなく破壊されてしまいました。現在の旧市街に広がる一見古い街並みは、戦後にワルシャワ市民が過去の絵や写真、記憶を元に忠実に再現して復元されたものと言われています。

12日9:00バスで出発、ジェラゾヴァ・ヴォラ観光

ジェラゾヴァ・ヴォラ:ワルシャワから西に約54kmのところに、ジェラゾヴァ・ヴォラという村があります。車だと1時間半ほどの距離ですが、ワルシャワの喧騒とは全く違うのどかな田園風景が広がっています。ここはポーランドが誇るピアノの詩人、フレデリック・ショパンが生まれたところです。

ショパンの生家:ショパンは、ポーランドの前期ロマン派音楽を代表する作曲家です。当時のヨーロッパではピアニストとしても有名であり、作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占めているため、「ピアノの詩人」ともいわれています。
彼の生家は、広大な緑溢れる庭園の中にひっそりと建っています。残念ながら、19世紀初頭の当時の建物は消失してしまっていますが、家具や内装は、彼が生まれ育った当時のまま忠実に復元され、一般公開されています。生家の周りは、ポプラ並木の続く長閑で美しい公園として整備されていて、訪れた人々を癒してくれる空間になっています。

ワルシャワに向かう。

ワルシャワで昼食:和食

午後市内観光

王宮:「ワルシャワ王宮」は、ワルシャワ旧市街にあるバロック様式の宮殿です。ポーランド王ジグムント3世の居城として16世紀末に建造されました。他の建造物と同様に、ワルシャワ王宮も戦後市民の手によって復元されたものです。
しかし調度品類などの貴重な物は国外で保管されていたため戦禍を免れ、現在でも当時のものを見物することができます。ヨーロッパの名匠達によって生み出された数々の美術品や装飾品は、豪華絢爛そのものです。

聖アンナ教会:ポーランド、ワルシャワの旧城広場に隣接し歴史的中心部にある教会で、新古典主義のファサードを持つポーランドの最も著名な教会の一つです。この教会は、1454年マゾフシェ公爵夫人アンナ・フョードロヴナが、ベルナルド会のための修道院として設立しました。ワルシャワで一番重要な教会で、カトリックの祝日に行う行事はすべてここで行われています。教会のタワーの上からはワルシャワの美しい景色が一望できる人気スポットです

プライベートコンサート:『ショパンサロン』は、1910年に建てられた歴史あるコンサートサロンで、かつてポーランド大統領や政治家も住んでいた歴史ある建物にあります。
演奏するのはコンクール入賞者などポーランドで活躍する音楽家達。彼らが奏でるショパンの曲を中心とした素晴らしい演奏を破格でお楽しみいただけます。
かのショパンは大きなコンサートホールでの演奏会よりもサロンコンサートで演奏することを好んでいました。サロンコンサートの文化はショパンの気持ちを継承しているとも言えます。

ホテル到達後就寝。

13日9:00歩いてワルシャワ市内観光

ワジェンキ公園:「ワジェンキ公園」は、ワルシャワ市中心部よりもやや東側にある公園で、池のほとりに建設されたワジェンキ宮殿が公園の名前の由来となっています。
この公園は、ヨーロッパの公園の中でも美しさが有名で、バラの庭園やショパン像などがあります。中でもショパン像はワルシャワを代表するシンボルの1つとしても有名で、夏の間は毎週日曜日には1日2回、このショパン像の下にてショパンコンサートが行われます。

ワジェンキ宮殿:ワジェンキ公園内の池のほとりにたたずむ宮殿です。まるで、池の水に浮かんでいるような美しい景観から、別名を「水上宮殿」とも呼ばれています。
現在、宮殿は国立博物館の分館として使用され、一般公開されています。もともとこちらの宮殿は、ポーランド王家が夏に過ごすための宮殿として建設されましたが、第二次世界大戦により破滅的な被害を受け、現在の美しい宮殿の姿はワルシャワ市民が精密に復元したものです。

キューリ夫人博物館:「キュリー夫人博物館」は、ノーベル賞を受賞した、キュリー夫人にまつわるものを展示している博物館です。
キュリー夫人は、放射線に関する研究で、ノーベル物理学賞とノーベル化学賞を受賞しています。この博物館はそのキュリー夫人の生家であった建物で、キュリー夫人が実際に使用していたとされる、実験に用いた機材や、机など様々なものが展示されています。

ワルシャワ歴史博物館:14世紀初頭から今日までの、ワルシャワの歴史に関する貴重な資料が展示されている。館内の映画室では第二次大戦当時の記録映画も上映されている。

バルバカン:ワルシャワの建設は13世紀頃より始まり、その発展はめざましく、北のパリと呼ばれていました。しかし、第二次世界大戦によりワルシャワの約8割は消失してしまいます。
その後、ワルシャワ市民が復興に立ち上がり、煉瓦のヒビに至るまで精密に再生し、見事に当時のワルシャワを復元したのです。その功績が認められ、ワルシャワは現在世界遺産に登録されています。
また、そのワルシャワには16世紀に作られたバルバカンと呼ばれる外敵との戦いのために造られた要塞を見ることができます。

旧市街市場公園:旧市街市場広場は王宮に面していて、王宮広場とも呼ばれるようです。ワルシャワ中央駅から北東方向に30~40分程歩いた位置にあります。

洗礼者ヨハネス大聖堂:14世紀に建てられた洗礼者ヨハネ大聖堂は、ワルシャワで最も古い教会で、レンガ造りのファザードが印象的な建物です。
洗礼者ヨハネ大聖堂は、歴代の王の戴冠式やヨーロッパ初の成分国民憲法5月3日憲法(1791年5月3日に採択されたため)の発布式が行われた場所でもあり、その他ポーランドにおける国家的行事が数多く執り行われてきました。また、ポーランド王国最後の王スタニスワフ2世アウグストやポーランドの著名な歴史人も埋葬されているポーランド国内において重要な場所の一つとされています。
洗礼者ヨハネ大聖堂もワルシャワ歴史地区の他の建造物同様、第二次世界大戦中にナチス・ドイツ軍によって破壊されてしまいます。現在の建物は、大戦後再建されたもので、ネオ・ゴシック様式で再建されています。
現在、聖堂内ではオルガンのコンサートが開かれており、観光客だけでなくワルシャワ市民も足を運ぶ、観光スポットとなっています。

クラクフ郊外通りから新世界通り:「クラクフ郊外通り」は、ワルシャワのメインストリートです。王宮広場から南に伸びる道になっています。聖十字架教会やワルシャワ大学などの歴史的な建造物がのきを連ねていて、おしゃれなショップやカフェも立ち並ぶ観光を楽しめるストリートになっています。ピアノの詩人と呼ばれるショパンも、かつてはクラクフ郊外通り付近に居住していたと言われていて、聖十字架教会にはショパンの心臓がまつられています。
「クラクフ郊外通り」をさらに南下すると、現地の方にワルシャワの銀座として親しまれている「新世界通り」があり、ワルシャワ観光の際は必見でしょう。

大統領官邸:ポーランドの主都ワルシャワにある大統領官邸には英雄ユーゼフ・ポニャトフスキ像が立っています。ユーゼフ・ポニャトフスキは、ナポレオン1世の下で将軍として活躍した人物。
プロイセン王国によりポーランドは分割されてしまいましたが、ナポレオンがプロイセンに戦争で勝つのを見て、彼なら祖国を再興してくれると思い、ポーランド軍を率いてナポレオンの指揮下に入りました。
その後、ナポレオンがワルシャワ公国を建国した際に、ユーゼフ・ポニャトフスキは軍司令官となります。
現在は大統領官邸として使われているこの建物は、もともとは貴族ラジヴィウ家の館でした。1765年に館の一部が劇場として開放されるようになり、ポーランドで初めてのオペラが上演されることとなります。
ちなみに、ポーランド出身の天才ピアニストであるあのショパンも、ここで演奏会開いたそうです。
ポーランドの大統領官邸として使用されるようになったのは1994年と最近の事になります。

ヴィジトキ教会:ワルシャワ大学の隣、18世紀、バロック様式の教会。大戦の被害にあわず、学生時代のショパンが、日曜のミサでオルガン演奏をしていたことで有名です。

ワルシャワ大学:ワルシャワ大学は市内の最高学府です。この近代的な学術拠点には数万人の学生が籍を置き、敷地内には多くの歴史的な建物が並びます。キャンパスのネオクラシカルな建物を見学して、長い並木道を散策し、優美な中庭や手入れの行き届いた庭園を鑑賞しましょう。
1816 年に設立されたワルシャワ大学の卒業生には、フレデリック ショパン、ジョセフ ロートブラット、ダビド ベングリオンなど著名人が並びます。第二次世界大戦中は大学の敷地がドイツ軍の兵舎として利用され、多くの建物が破壊されました。
現在の平和なキャンパスは、ポーランドの頭脳明晰で元気いっぱいの若者たちと触れ合える場所です。講義や授業に出席し、晴れた日には屋外で勉強する学生たちの姿が見られます。
中央キャンパスの敷地を歩いて、バロック様式のウルスキ家の宮殿など豪華な建物を見学しましょう。ほかにも一見の価値のある建物に、旧図書館やその正面のエレガントな庭園と壮大なカジミエシュ宮殿があります。17 世紀に王室の別荘として建設されたカジミエシュ宮殿は、大学内最古の建物であり、現在は学長室として使われています。館内には、大学の歴史に関する博物館があります。
ワルシャワは有名な英雄の記念碑があちこちにありますが、大学の敷地内にも、ある謙虚な学生を讃える銅像があります。ベンチに腰掛けるこの銅像の隣に座って日光浴をしましょう。
ワルシャワ大学図書館のインパクトの強い建築には目を奪われます。外壁を伝って伸びる草花や、ぜいたくな屋上庭園を堪能しましょう。ここではエキゾチックな植物に囲まれて一休みをしたり、ワルシャワ市内を一望できる眺めを楽しめます。

チヤプスキー宮殿:チャプスキ宮殿はワルシャワ大学の正面、聖十字架教会の隣に位置しています。現在は美術大学となっていますが左側3階にはショパンが1827年からポーランドを離れる直前まで住んでいた場所として知られています。
17世紀のバロック様式の建物は、クラシンスキ宮殿とも呼ばれていますがこの宮殿も第2次世界大戦中に破壊されてしまい、戦後に再建されたものです。

聖十字架教会:「聖十字教会」は、ピアノの詩人として名高いショパンの一家が通っていた教会として、世界的に有名です。
この教会は、ユゼフ・ベロッティによって17世紀後半に建てられました。その後第二次世界大戦によって被害を受けましたが、戦後に再現され、現在に至っています。
教会の前には、地動説で有名なポーランドの偉人、コペルニクスの像が設立されています。
そしてこの教会には、本堂左の石柱の下にショパンの心臓も安置されていて、音楽ファンにも大人気の教会となっています。

コペルニクス像:ポーランドの歴史的な有名人として、どんな人物が思いつくでしょうか?世界史の教科書に出てきそうな人物としては、コペルニクス、ショパン、キュリー夫人、といったところでしょうか?やはり、コペルニクス像もありました。地動説で有名なコペルニクス(1473~1543)です。
天球儀を持ったこのコペルニクス像は、1830年に建てられています。ナチス・ドイツ時代にはこの像も取り払われていますが、戦後元の場所に戻されました。ポーランド、特に、ワルシャワは、なにかにつけ、ナチス・ドイツの痕跡が刻まれています。 背後の建物は昔の貴族の館でしたが、現在はポーランド科学アカデミーとなっています。

ショパン博物館:「ショパン博物館」は、ポーランドを代表する作曲家であるショパンにまつわるの楽譜や生活用品などの展示がしてある博物館です。
ショパンは、本名をフレデレック ショパン(F ショパン)という19世紀の音楽家で、ピアノの詩人と呼ばれています。ショパン博物館は、ワルシャワの歴史地区(旧市街地)よりもやや南側に位置し、地下鉄二号線(東西線)のUniwersytet駅、バスを使用する場合、Ordynackaというバス停が最寄り駅になります。

国立博物館:ワルシャワ国立美術館は、戦争の合間を縫って建設された巨大な建物。80 万点以上の膨大なコレションを収蔵しています。古代の遺物、彫刻、版画、写真、装飾デザイン品などあらゆるものがコレクションに含まれています。中世美術の代表作、ヨーロッパの巨匠の作品、ポーランドおよび周辺国の肖像画、さらにはヌビア族の絵画まで幅広い作品を見ることができます。
館内へ入って多くの展示室を見て回りましょう。館内はしゃれた現代的なデザインで、LED 照明が絵画に光を当てています。さまざまな作品を解説する英語の情報パネルを読んだり、インタラクティブな展示を楽しんだりできます。
ヨーロッパをテーマにした展示室では、何世紀にもおよぶポーランド美術の発展の歴史をたどりましょう。展示品の中でも特に有名で人気がある作品は、ヤン マテイコの 1878 年の作品グルンヴァルトの戦いで、高さ 426 cm、長さ 987 cm という大作です。ポーランドの国民的名作ですが、第二次世界大戦中はナチスの格好の標的となり、ポーランド地下組織の一員はこの絵の隠し場所をドイツ人に明かさなかったために殺されたといわれています。この作品をはじめ、いくつもの略奪された名画が戦後この博物館によって回収されました。
一休みするなら中庭へ。この快適な空間は戦時中の館長スタニスワフ ロレンツ博士にちなんで名付けられています。ロレンツ博士は戦時中に秘密工作を組織して、コレクションの中の多くの名作を安全に守り通したと言われています。静かな池の隣にあるカフェでコーヒーとケーキを楽しんだり、建物の裏にあるかつて王室の庭園だった公園でのんびりしたり。

軍事博物館:ポーランド軍事博物館は、ワルシャワの中心地にあるポーランド博物館に隣接した、第二次世界大戦以降に採用された戦車や軍用機が敷地の庭一面に敷き詰められた世界的にも珍しい軍事専門の博物館。施設内には中世から現代までの軍事的資料が展示され、列強に挟まれ常に戦火に見舞われてきたポーランドの軍事的な一面を学ぶことができる。

文化科学宮殿:「文化科学宮殿」は、ワルシャワのちょうど中心部に位置する時計台で、42階建てと超高層になっています。入場にはチケットが必要で、30階には展望テラスがあり、天気の良い日にはワルシャワの街並みを一望できます。
また、夏季の特別期間には入場料が少し値上がりしますが、20時以降にも入場することができ、夜のワルシャワを見渡すことが可能です。
ワルシャワ中央駅から歩いて行くことができ、交通の便も良いため、ワルシャワ観光の際はぜひ訪れてみて下さい。

サスキ公園:手入れの行き届いた芝生、花の咲き乱れる花壇、優美な彫刻のあるサスキ公園は、エレガントで丹念に管理されている市内最高の緑地帯のひとつ。かつての王室の保養地は、現在では市の中心部にある公園として閑静な憩いの場になっており、犬を散歩する人や家族連れ、散策をする人に人気です。
園内を歩き回って、その歴史に思いを馳せましょう。そもそもはアウグスト 2 世モツヌィ国王が王室の庭園として選んだ場所で、18 世紀に公園として開園しました。旧市街の郊外に位置するこの辺りはかつて “Saxon Axis” と呼ばれ、いくつもの公園がありました。
地元の人々に混じって、公園の心地よく格式ある雰囲気を満喫しましょう。整然とした栗の木の並木道を散策して、精緻なバロック時代の彫刻を鑑賞しましょう。それぞれ美徳、科学、元素をあらわす寓話的人物を表しています。この公園の中心的存在は巨大なマルコーニ噴水。19 世紀に増設された優美な噴水です。子供たちには噴水の近くにある大きな日時計を見せて、ありあまるエネルギーは園内の遊具で発散させてあげましょう。ピクニックの用意をして園内で食べたり、芝生にただ寝転んでも。
第二次世界大戦によって破壊される前のサスキ公園周辺、さらにはワルシャワ市全体の景観は、今とはまったく違ったものでした。無名戦士の墓は、戦争で失われたすべてのポーランド人の命を追悼する記念碑。公園の隅にあるこの記念碑は、かつては壮大な建物だったサスキ宮殿の唯一現存するアーチに守られています。この宮殿自体も第二次世界大戦の戦禍で失われました。宮殿に代わって、今はピウスツキ元帥広場という広場になっており、抗議運動、デモ行進、イベントのために人々が集まる場所です。

夕食は歴史的建造物でのレストラン

就寝

14日7:10ワルシャワ空港ルフトハンザ航空で出発
8:55フランクフルト空港到達
13:45フランクフルト空港ルフトハンザ航空で出発
15日7:45関西国際空港到達。

今回の旅行、中欧に位置するポーランドに足を運び、11世紀中ごろから16世紀末までポーランド王国の首都として栄えた古都で、日本では「ポーランドの京都」と呼ばれ、第二次世界大戦中にドイツ軍の司令部が置かれており、戦火を逃れた街並が世界遺産に登録されているクラクフ、ホロコーストでの最大の強制収容所アウシュビッツ、当時のヨーロッパではピアニストとしても有名なショパンの生家、クラクフ(Krakow)の近くの、世界遺産のヴィエリチカ岩塩坑、
ポーランドの首都であるり、南北に縦断するヴィスワ川を有する町、街の始まりは13世紀。1596年以降はポーランド王国の首都として急速に発展したが、1795年の第3次ポーランド分割により、国全体が完全に滅亡し、1918年に分割時代を終え首都として復活を遂げるが、第二次世界大戦時には再びナチス・ドイツ軍の圧政支配を受け、戦後はワルシャワ条約機構に加盟するなど、社会主義国家の中心として復興し、1989年には民主化、かつて「北のパリ」と呼ばれるほど洗練された美しい街でしたがドイツ戦略群に対して市民が一斉蜂起を起こしたことによって殆どの建物が跡形もなく破壊されてしまいました。現在の旧市街に広がる一見古い街並みは、戦後に市民が過去の絵や写真、記憶を元に忠実に再現して復元されたものと言われていますワルシャワを訪れ楽しみました。

ポーランドで最も世界的に有名なアウシュビッツ、大量虐殺の収容所、当時の悲惨な光景を目の当たりにし、このような恐怖の出来事は二度と起こしてほしくないですね。

ショパンの生家、広大な敷地の公園にある生家、ポーランドでショパンの」偉大さを物語るものでした。

ヴェリチカ岩塩、地下深く広範囲に掘られた採石場、かなり観光化され、テーマパークのような楽しめる観光名所でした。

ポーランドの歴史を物語る2大都市ワルシャワとクラクフ、郊外の観光名所アウスピッツ、ショパンの生家、ヴェリチカ岩塩の観光、8日間の旅満喫しました。






































 
飛行機で国内&海外の観光地巡飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百四十弾:中国天津観光
2018年7月14日-16日


アジアの大国中国に足を運び、北京、上海、重慶と共に中央直轄市の一つ。港湾都市で、行政・産業・交通上の重要な位置を占める。英・独・日・仏・露の租界があった街並は異国の雰囲気が漂う天津を訪れました。

14日14:30伊丹空港日本航空で出発
15:40羽田空港到達。
16:50羽田空港日本航空で出発
19:45北京空港到達。タクシーで北京市内のホテルに向かう。
20:35ホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
15日6:30タクシーで北京南駅に向かう。
7:15北京南駅到達。
8:00北京南駅高速鉄道で出発
8:35天津駅到達、観光

天津:天津は、中国の華北地区北部、北京の南東約120kmに位置する港湾都市で、渤海湾に面する華北地方最大の貿易港を持っています。北京、上海、重慶とともに中央政府の直轄市で、面積約11,700km2、人口約1,115万人の大都市。市区6つ、沿海区3つ、郊外4つ、県5つによって構成されています。
天津は、古くからの港町で、交通の要衝として発展。19世紀以降は外国のさまざまな侵略を受け、イギリス、フランス、ロシアなどの圧力で結ばれた1860年の北京条約で開港させられ、1899年の義和団事件により、8ヵ国の外国の租界地が設けられました。海河と並行して解放南路から天津駅近くの解放橋まで北西に伸びる解放北路の両側には、租界時代の面影を残すヨーロッパ風の建物が並んでいます。

租界建築群<市区>:中国には「北京の四合院(中国北方の伝統家屋)、天津の小洋楼(洋館)」という言葉があるように、租界時代の洋館は天津のシンボル的存在になっています。当時の列強諸国が建築したものだけでなく、国内の富豪が外国人デザイナーを招いて作らせたものもあり、建築様式はルネッサンス、ゴシック、ロマネスクなどなど多種多様。数千あるといわれている洋館から、必見スポットをピックアップです!

解放橋:かつての名称は万国橋、フランス租界にあったことからフランス橋とも呼ばれていました。この橋は真ん中が開閉する跳開橋なのですが、現在はめったに開くことはありません。夜は夜景の美しいデートスポットです!

解放北路:租界建築群を代表するメインスポット。各国の金融機関が集まっていた場所で様々な様式の建物が並んでいます。

五大道:天津旧城の東南に位置する旧イギリス租界。かつて多くの西洋人や中国の著名人が暮らしたエリアで、今でも当時をしのばせる洋館が数多く残されています。五大道観光馬車は天津観光の目玉の一つ。民園体育場から洋風馬車に乗って周辺の町並みを優雅に見学できるのです。

近代天津博物館:この博物館は、天津の近代歴史に関する写真資料を展示している。近代天津の貴重な写真が、教育・軍事・金融・郵便・建築・鉄道・司法・海洋化学工業・港湾・農場・科学技術・医学・思想文化・社会団体・宗教・商業・娯楽業・ニュースメディア・スポーツ・芸術などの分野に分かれてたくさん展示されている。

天津広播電視塔:高さ415.2メートルのテレビ塔で、天津市のランドマーク的存在です。ここの展望室に上れば天津の街を360度見渡すことができます! 中には回転式のレストランもあり。天津ビューを堪能したい方、おすすめのスポットです。

周恩来穎超紀念館:中華人民共和国初代首相の周恩来と、その夫人・穎超の記念館。周恩来生誕百周年の1998年2月28日オープンしました。周恩来夫妻が出会い恋に落ちた思い出の地として天津が選ばれたのです。館内には幼少期から日本、西洋へ留学した青年時代、マルクス主義と出会い、共産党に入党し、建国後の総理としての業績などが年代順に展示されています。

静園:1921年、北洋政府駐日公使・陸宗輿の私邸として建設。当初は乾園という名前だったのですが、1927年に張園から引っ越してきた溥儀の希望で静園と改名されました。最後の皇帝一家は1931年に天津を去るまでここで暮らしていました。現在、公開されているのは2007年に修復工事を終えたばかりのもの。外観は西洋風なのですが、内部のところどころに日本風のインテリアを見ることができます。

張園:赤レンガの高い塔がシンボルの旧日本租界にあった洋館。清朝陸軍第八鎮統制で豪商の張彪の私邸として建てられたもので、後に紫禁城を追われたラストエンペラー・溥儀が天津に移ってから最初に暮らしたところとしても知られています。現在は中国企業が利用しており内部は非公開、外観だけの見学となります。

天津旧城:現在の北馬路、東馬路、南馬路、西馬路に囲まれたエリアで、かつては城壁に囲まれていました。ここの見所はかつて時を知らせる役目をしていた鼓楼。現在ここは南北に伸びる清時代の 街並みを再現した商店街となっています。

古文化街:清代の民間建築の様式を再現した町並み。長さ約600メートルのストリートにはアンティークや民芸品が売られています。天津土産を物色するのにぴったりのスポット!

天后宮:古文化街に位置する天后娘娘を祀る廟。天后娘娘とは台湾や東南アジアの華人に信仰されている女神。ここ天后宮は1326年に建設され、その後修復・改築を繰り返してきたもの。内部には天津民族博物館も併設されています。

望海楼教堂:1869年、フランス人宣教師たちの手によって創建されたカトリック教会。当初は聖母得勝堂と名づけられたのですが、協会の敷地にはかつて清朝皇帝の望海楼があったことから、望海楼教会と呼ばれるようになったのです。幾度も内乱が起こり、破壊と修復を繰り返してきた協会で、現存するものは1904年に再建されたものです。

16:00終了ホテルに向かう。
17:00ホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
16日7:30地下鉄で天津駅に向かう。
8:15天津駅到達。
9:04天津駅高速鉄道で出発。
9:39北京南駅到達、地下鉄で北京空港に向かう。
11:00北京空港到達。
16:20北京空港全日空で出発。
20:20関西空港到達。

今回の旅行、アジアの大国中国に足を運び、英・独・日・仏・露の租界があった街並は異国の雰囲気が漂う天津を訪れました。

数か国の租界があった街並みはヨーロピアン風の景観、中国とは思えない街並み散策癒されました。
歴史ある中国、城跡、歴史的建造物の多さ圧倒され又感動いたしました。

過去に何回も訪れたことのある、中国、今回は10回目、またまたトラブルの連続、北京空港からタクシーでホテルまで移動しましたが、チェーンホテルが安心と思い、ホリディインのホテルを予約していましたが、北京に沢山のホリディインがあり、タクシの運転手、ホテルを間違えて到達、何とかホテルのカウンターで別のタクシーを呼んでもらい予約していたホテルに何とか到達。

二つ目のトラブル、北京南駅であらかじめ日本でインターネットで予約したeチケットを本チケットに交換できる場所を駅の係人に尋ねると親切に誘導していただいて無事に本チケットに交換できましたが、100元催促されました。日本では考えられません。きちんと制服を着た係員でした。

三つ目のトラブル、帰国に飛行機に乗車、これから飛行すると思っていましたがパイロットがフライトの許可が出ません。しばらくすると上空悪天候のため、穏やかになるまで機内待機を告げられました。
結局2時間待たされたフライトでした。

尚物価は日本よりまだまだ安い、食事も交通費も断然安い。タクシーで移動しても日本の3分の1以下、現地ではあまりお金がかからないのはアジア旅行の特権でしょうね。





















飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百三十一弾:ニカラグア&コスタリカ&パナマ観光
2018年4月28日-5月6日
 

中米の南に東西に細長く繋がる3カ国、ニカラグア、コスタリカ、パナマを訪れました。

ニカラグア:公用語はスペイン語。国民の70%以上がメスティソと呼ばれる混血で、グアテマラなどと比べると先住民の比率は低いです。日本との時差は-15時間、通貨はコルドバですが、どこでも米ドルが通用します。首都はマナグア。雨季(5月~10月)と乾季(11月~4月)がある熱帯性気候で、首都の平均気温は27度ですが、北部および中部山岳地帯はより低く、東部カリブ海沿岸は高温多湿です。治安は周辺諸国と比べれば格段によく、首都マナグアでは注意が必要ですが安全です。
湖と火山の国と言われるニカラグアには、西部太平洋岸に沿って火山帯があり、活火山も多いです。活火山でもっとも有名なのはマサヤ火山で、火口まで行ってマグマを覗くこともできます。中米で一番大きいニカラグア湖に浮かぶオメテペ島も2つの火山でできています。

コスタリカ:中央アメリカ南部に位置する共和制国家。北にニカラグア、南東にパナマと国境を接しており、南は太平洋、北はカリブ海に面している。首都はサンホセである。
1949年に常備軍を廃止する憲法を成立させ常備軍を持たない国となったが、同じく憲法によって非常時徴兵を規定している[2]。
チリやウルグアイと共にラテンアメリカで最も長い民主主義の伝統を持つ国であり、中央アメリカでは例外的に政治的に安定が続き、かつ経済状態も良好な「中米の楽園」と呼ばれるほどの国家であったが、1990年代以降は麻薬の横行により治安の悪化と社会の不安定化が進行している[3]。

パナマ:北アメリカ大陸と南アメリカ大陸の境に位置する共和制国家である。北西にコスタリカと、南東にコロンビアに接し、北はカリブ海に、南は太平洋に面する。首都はパナマ市。

南北アメリカと太平洋、大西洋の結節点に当たる地理的重要性から、スペイン人の到達以来貿易や人の移動や国際政治において大きな役割を果たす場所となっており、その役割の重要性のため、中米地峡を貫くパナマ運河が通っている。また、いわゆるパナマ文書が注目を浴びている。

4月28日8:00伊丹空港日本航空で出発
9:18成田空港到達。
14:25成田空港アエロメヒコ航空で出発。
12:55メキシコシティ空港到達。
15:40メキシコ空港アエロメヒコ航空で出発。
17:25:マナグア到達、バスで近くのホテル到達、就寝。
29日8:00バスで出発、マナグア市内観光。

マナグア:6000 年前、人間の足跡がマナグア湖ほとりの火山泥に残されました。何世紀ものあいだ保存され、現在この足跡はニカラグアの首都マナグアにある、アカウアリンカ足跡博物館で観ることができます。足跡以外にも、街の博物館には立派なプレコロンビアの工芸品があり、マナグアは多くの魅力があります。ティスカパ ラグーン自然保護区は街にある水辺の避暑地です

カテドラス廃墟:2本の鐘楼が特徴的な大聖堂ですが、現在は使われていません。というのも、1972年の大地震で一部が崩落してしまったからです。とはいえ、外観は大聖堂の名にふさわしく、堂々としたたたずまい。中南米の各地にある大聖堂と比べても、まったく引けを取らない美しさです!

国立宮殿:マナグアの共和国広場に建てられています。マナグアの人たちにとっては、重要な場所で、革命の舞台となった建物です。元は、政府の機関として使われていたようですが、現在は、国立博物館や公文書館などいくつかの複合の文化施設として公開されているようです。共和国広場は、カテドラルもライトアップされていて、陽が落ちても、家族連れなどで賑わっていました。

共和国広場:旧マナグア大聖堂の西にある共和国広場には、大統領邸や国立博物館があり、いくつか市バスの路線が通っています。

ルベン・ダリオ国立劇場:収容人数はニカラグアで最大規模。およそ1100席です。場内の展示スペースでは、ニカラグアを代表する現代アーティストの作品が展示されています。絵画なら、スペイン語が分からなくても問題なし。積極的に中をのぞいてみましょう。ヨーロッパでもアメリカでも見られない、オリジナル色あふれる作品に出会うことができるはずです。

マナグア湖:マナグアは湖畔に位置する都市。周辺にはマナグア湖をはじめ、ニカラグア湖もあります。琵琶湖より大きいマナグア湖からは、噴煙を上げるモモトンボ山(Momotombo)の雄姿が! マナグア周辺には、スペイン人が到来する以前から先住民が暮らしていたとか。マナグア湖の別名は、先住民の言語に由来する「ショロトラン湖」(Lago Xolotlan)。この名前を聞くだけで、マナグアの歴史の深さをうかがい知ることができるでしょう。

バスでニカラグア第二の都市レオンに向かう。

レオン:ニカラグア第2の都市レオン。1851年まで200年以上、ニカラグアの首都として栄え、保守的なグラナダに対して、革新的なレオンと呼ばれた街。

レオン・ピエホ:ニカラグアにあるレオン・ビエホ(レオン旧市街)は、アメリカ大陸で最も古いスペイン植民都市の一つで、征服者エルナンデス・デ・コルドバによって1524年に建設されましたが、1609年にレオン・ビエホから約3kmしか離れていないモモトンボ火山の相次ぐ噴火と地震に見舞われたことで放棄されました。更なる噴火によって人命や財産に再び甚大な被害が出るのを避けるため、現在の場所に町を移転させることを決めたのでした。
新しい町はスブティアバと名付けられ、アメリカ先住民の町になった一方で、放棄されたレオン旧市街は1960年に発掘されました。火山灰の下から先のスペイン植民地時代の博物館、大聖堂、古い砦などの基礎が発見され、2000年にはエルナンデス・デ・コルドバの遺骸が発見されました。また、同じ2000年にはレオン・ビエホ遺跡群という名でユネスコの世界遺産に登録されました。

レオン大聖堂:レオン大聖堂は2011年に登録された、ニカラグアにある世界遺産です。1747年から19世紀初頭にかけて、グアテマラの建築家ディエゴ・ホセ・デ・ポレス・エスキベルの設計によって建設されました。
レオン大聖堂はバロック建築から新古典主義建築へと様式が変容していく時期に、両様式の折衷ともいえる建築様式でデザインされました。スペイン建築とラテンアメリカの地域的特性のが上手く融合されています。ニカラグアは地震が多発するため、低く太い塔などで建てられました。

中央公園:世界遺産レオン大聖堂は、1946年から実に100年もの年月をかけてつくられた建物です。グアテマラの建築士、ディエゴ・ホセ・デ・ポレス・エスキベルが設計したもの。正面には中央公園があり、レオン出身の詩人ルベン・ダリオの博物館があります。レオン旧市街の真に中心に位置する Parque Central は、早朝から夜遅くまで多くの人々で賑わっている市民の憩いの場です。

レコレクシオン教会:1786年に建てられたメキシコ風バロック様式のこの教会は、そのデザインと外壁の黄色い塗装の具合から、市内で最も美しいと言われています。

カルバリオ教会:レオン大聖堂の東200mほどのところに建つ18世紀前半に建てられた Iglesia El Calvario です。

ホテルで夕食、就寝。

30日バスでグラナダに向かう。
グラダナ市内観光
グラダナ:グラナダは中米最大の湖であるニカラグア湖に面した湖畔の町であり、1524年にスペイン人によって現在のニカラグア領内で最初に建設された。ニカラグアの古都として知られており、訪れる観光客も多い。現在でも伝統を重視した生活を営む人が多く、町全体にもどことなく落ち着いた雰囲気が漂っている。

コロン公園:ニカラグア湖に面した観光都市グラナダ。町の中央にあるコロン公園から湖までの道路は整備されている。グラナダの中心部にある広場が セントラル公園 Parque Central。コロン公園 Parque Colon と呼ばれることも。
見所はここを中心に半径800m以内に集まっているので、公園を起点に街歩きすれば迷うことは無さそうです。ホテル、ゲストハウス、レストラン、カフェ、土産物屋が並び、夜には大道芸なども見られる。

カテドラル:広場の北に建つ立派な建物は カテドラル 、ここに小さな教会が建てられたのは1583年のことで、その後何度か再建されています。グラナダは北米出身のウィリアム・ウォーカー率いる傭兵団の攻撃を受けており、カテドラルも1856年に完全に破壊されます。その後資金難で修復が中断されていたそうですが、1915年に現在の姿に再建されます。

サンフランシスコ修道院:サンフランシスコ修道院は元々1529年に建設されたが、1685年に火災の被害を受けた。その後再建されたが、ウォーカーが1857年に町へ火を放ったため、修道院は再び甚大な被害を受けた。現在の姿に修復されたのは1939年の事で、修道院博物館として歴史的な遺物を展示している。

コスタリカに向かう

モンテベルデ自然保護区に向かう。

モンテベルデ:世界一美しい鳥と呼ばれるケツァールが棲息しエコツーリズムとしても紹介されるコスタリカで最も有名な観光地の一つです。モンテベルデ生物保護区や隣接する保護区には熱帯雲霧林と呼ばれる独特の生態系の森が広がり雲や霧に覆われることが多く、木にはコケ、シダ、着生植物がビッシリと覆い鬱蒼とした神秘的なジャングルを造り出しました。密林でありながら蚊などの害虫も少なく、マイナスイオンをふんだんに浴び快適な森林浴を五感で満喫できます。

カエル博物館:コスタリカに棲む約25種類のカエルをガラスケース内に見学。人気のアカメアマガエルや矢毒カエルにも出会えます。夜行性の種が多く午後6時以降が活発になるのでお勧めです。

モンテベルでホテルで夕食、就寝。

5月1日朝食赤飯風ピラフ、カージョ・ピント:

モンテベルデ自然保護区:世界一美しい鳥と呼ばれるケツァールが生息する、熱帯雲霧林と呼ばれる独特の生態系を持った森です。熱帯雲霧林とは、雲や霧に覆われた湿度が高い密林のことで、多種多様な動植物を目にすることができます。なかでも鳥類は多く、ケツァールをはじめ、オオハシやハチドリなど400種類以上が生息し、野鳥の楽園としても有名です。保護区内には複数のトレッキングコースのほか、地上50メートルの高さにかけられた7本の吊り橋を渡るスカイウォークや、ケーブルを滑車で渡るキャノピーなどのアトラクションがあり、いろんなシチュエーションで森林浴や植物観察を楽しめるようになっています。バタフライ・ガーデン、カエル園、ヘビ園などの見どころも満載。自然保護区はコスタリカの民間NGO「熱帯科学センター」によって管理されています。

ハミングバードギャラリー:モンテベルデ自然保護区入口近くにあるハミングバードギャラリー、大きな温室のような所で飼っているのかと想像していましたが違いました。小さな建物の軒先にエサ台というか、ランタンのような容器で砂糖水が吊られています。この砂糖水につられて周辺に暮らすハチドリがやってくるようです。屋根があるのは有難いです。
ハチドリの好きな砂糖水が吊られている。いろんなハチドリが入れ代わり立ち代わりやって来ます。ハチドリと言えば目にも見えない程の羽ばたきでホバリングするのが有名ですね。あまりに早すぎて、コンデジのオートでは羽の様子なんて写せません。
次々とやってくるハチドリたち、それどころか、じっとしてないのでカメラによってはピントすら合わせられない人も多いようです。シャッター押してもピンボケばかりという人や、背景にしかピントが合わないという人も。写真撮影の腕はもちろんの事、カメラの性能も試されます。私のカメラは比較的優秀かも知れません。
砂糖水を飲みに来たハチドリ、ハチドリは体調が5~10㎝くらいしかないとても小さな鳥です。小さいので肉眼で見ているととてもかわいらしく見えます。色も結構きれいで、いろんな種類がいるようです。

バタフライ・ガーデン:世界一美しい蝶とされるモルフォ蝶を始め、珍しいと蝶がわんさかといる。コスタリカでまだモルフォ蝶を見ていなかったら是非訪れたい場所。

スカイウオーク:ジャングルの木々は高いものでは40mを超えます。その上部に、計8個の吊り橋が掛かっていて、一周約3kmのトレイルコースが作られています。吊り橋から見渡す森はまさに鳥の目線。霧の立ち込める森だけでも非常に神秘的ですし、木々の上部にいる鳥やサルたちも観察しやすいです。

サルチー村:サルチー村はそのカレータの製造で有名な観光スポット。町中には多くのカレータの工房やお土産屋がたくさんあります。

サンホセに向かう。

サンホセ:中米のスイスと呼ばれる非武装中立国コスタリカの首都。標高1150メートル。この町の歴史は1737年の入植に始まります。最初は小さな集落でしたが、コーヒーやタバコの産業で急速に発展しました。1823年には当時首都だったカルタゴと対立。戦いに勝利し、新たな首都となりました。コロニアル調の落ち着いた町並みは、ヨーロッパの雰囲気を漂わせています。
中米一安全とも言われる国ですが、人口の2割が集中するサン・ホセではやや注意が必要です。いろいろな国立公園や自然保護区へのサン・ホセ発エコツアーがほとんど毎日催行されています。スペイン語学校もたくさんあり、中南米で最も発音が美しいと言われるスペイン語を学習することができます。

夕食、オジャ・デ・カルネ:

就寝

2日サン・ヘラルド・デ・ドタに向かう。

サン・ヘラルド・デ・ドタ:サン・ヘラルド・デ・ドータの目的と言いきって良いのがケツァール。モンテベルデなど、他の場所では写真撮影は勿論の事、肉眼で確認するのも難しい場合が多い。
しかしサン・ヘラルド・デ・ドータには当てはまらない。時期によって普通のデジタルカメラでの撮影すら可能。

ケツァル探し

ケツァル: ケツァールは世界で最も美しい鳥だ。この鮮やかな鳥は中米の熱帯林に生息し、果実や昆虫、トカゲをはじめとする小さな生き物をエサとしている。繁殖期になるとオスのケツァールには、尾のように長い2本の羽が伸びてくる。この飾羽を含めるとケツァールの全長は1メートルにもなる。メスには長い飾羽はないが、オスと同じく鮮やかな青と緑と赤の羽を持っている。一般的にはオスのほうが色合いが鮮やかだ。
派手な外見を持つケツァールのつがいは、丈夫なクチバシで腐った木や切り株をくり抜いて営巣する。巣の中ではつがいが交代で2~3個の卵を温める。オスの抱卵中には、長過ぎて入りきらない飾羽が巣の外に飛び出ていることもある。ケツァールのヒナは、孵化してから約3週間で飛べるようになる。しかし、オスの長い飾羽が生えてくるのは3年経ってからである。
今も昔も人々は、ケツァールを崇拝の対象としてきた。古代のマヤ人やアステカ人もこの鳥を神聖な鳥として崇拝し、王族や聖職者は儀式の際にケツァールの羽毛を身に付けていた。また、グアテマラの国鳥に指定されており、その名前「ケツァル」はグアテマラの貨幣単位になっている。
彼らは全分布域で絶滅の危機にさらされている。原因は捕らえられたり殺されたりするためでもあるが、一番はこの鳥の生息地である熱帯林の減少が挙げられる。そのため一部の地域では、ケツァールの生息地を確保するために保護区をもうけ、エコツーリストや熱心な野鳥観察者が世界各地から訪れられるようにしている。特にコスタリカの雲霧林の取り組みはよく知られている。

カルタゴに向かう。

カルタゴ:カルタゴ (Cartago) は、サンホセ近郊にあるコスタリカ第3の都市である。16世紀に建設された、コスタリカ最古の都市であり、地震での壊滅的な被害の結果、19世紀に首都がサンホセに遷都されるまで、約250年間コスタリカの首都だった町としても知られている。

中央公園:中央公園の一角に1823年のイラス火山の噴火で破壊された教会の1部が残っている。

サンチアゴ教会跡:同じ地震国の国民として、凄く神妙な気持ちで観ざるを得ないスポットがカルタゴ市内には残されていて、それがこちらの教会跡です。カルタゴという町はコスタリカ最古の町として16世紀半ば(1563年)に建設され、当初は首都でもあった町でもあるのですが、首都がサンホセに移動後、1841年と1910年に大地震に見舞われ、町全体が壊滅的な被害を受けたとされています。こちらの教会跡は今となっては基部が残されているだけなのですが、それにしても規模が相当に大きくて、この教会が現存していればさぞ素晴らしい建築だったろうにと思わせてくれる、そんな歴史的価値の高い”遺跡”だと思います。

ロス・アンへレス大聖堂:カルタゴ市街地で最大の観光スポットといっても過言ではない、とても美しいビザンチン様式の教会で、外観を見るだけで圧倒されますが、内部も自由に見学できますので是非ご覧下さい。ここは「黒いマリア像」が安置されていることで有名な教会ですが、内部の立体感ある構造や美しいステンドグラスなど、どれをとっても素晴らしいです。サンホセにあるどの教会よりも見応えがあり、ここを観るためだけにもカルタゴを訪れる価値が十分にあるといえる、そんな素敵な教会です。

サンホセに向かう

サンホセ:アコスタリカの首都サンホセは標高1,150mに位置する高原の町で、18世紀半ばに遷都されたため他のラテンアメリカの首都と異なり、スペインの植民都市の雰囲気が全くないのが特徴です。
このためか、おだやかな気候とも相まって中南米の他の都市とくらべてもとても過ごしやすいのが特徴です。 コスタリカはとても小さい国なので、首都サンホセより主要観光地へは容易にアクセスできます。

昼食は中華

国立博物館:建物は陸軍の拠点として使われていたところで、現在でも弾痕が生々しく残っています。内部は考古学展示室やコスタリカ歴史展示室などがあり、原住民の生活から現代までの移り変わりを詳しく知ることができます。注目は、1930年代の初めに先住民の墓の近くで発見された石の球体。現代の技術を持っても造るのが難しいとされる正確な球体で、現在までに200個以上が発見されていますが、作成年代や作成目的はいまだ不明です。

文化広場:サンホセの市民も観光客も多くの人が集まる文化広場にあります。サンホセの中でも最も重要な建物の一つでもあり、市民の誇りの建物のようです。1965年に国の歴史的建造物に指定されています。公演も行われていますので、内部を見学するのであれば、午前中に行った方が、良いかも知れません。外部とロビーを見学するだけでも、充分素晴らしさを感じられます。

国立劇場:コスタリカ国民が戦争をしないのはこの劇場が壊されることを嫌っているからというほど、美しく歴史のある劇場です。 随時コンサートやバレエなど色々な催しをしています。
サンホセ中心街、Htel Gran CostaRicaの前に位置するこの劇場はサンホセのシンボルでもあります。

アベニーダ・セントラル:アベニーダ・セントラルのこの辺りは歩行者天国になっています。

国会議事堂:国立博物館の向かいにあるブルーの建物は国会議事堂です。地震の多いコスタリカ、国会議事堂もトタン屋根です。元は大統領官邸だったそうで、ちょっとしたきれいなお屋敷という印象です。

パナマシティに向かう。

パナマシティ:パナマ共和国の首都。国名と同一名称のため、各言語で「市」に該当する単語を付けて区別するのが通例となっており、パナマ共和国の公用語であるスペイン語でもそうされている。また、パナマシティとも呼ばれる。以下の解説では「パナマ市」とする。
太平洋に面しパナマ運河の入り口である。国の政治、経済、文化の中心だけではなく、中米有数の世界都市でもある。また、中米有数の金融センターとしても評価されており、世界各国の銀行が進出している。
また旧市街地はパナマ・ビエホとパナマ歴史地区として世界文化遺産に登録されており、多くの観光客を集めている。

パナマシティのホテル宿泊

3日4WDでパナマ地峡を横断、カリブ海へ

パナマ地峡:南北アメリカ大陸を結ぶ地峡部の南東端をなす最も幅の狭い部分。コスタリカ東境付近から東へ,南アメリカ大陸本土まで,S字形に約 650kmにわたって延び,北のカリブ海と南の太平洋を分ける。全体がパナマ共和国をなし,ほぼ中央にパナマ運河が通じ,両大洋を結ぶ。チリキ地峡 (西部) ,最狭部 (幅約 50km) をなすサンブラス地峡 (中部) ,ダリエン地峡 (東部) を含む。狭義にはパナマ運河地域をさすこともある。

ボートでサンブラス諸島に向かう。

サンブラス諸島:カリブ海一のリゾート地「サン・ブラス諸島」。サン・ブラス諸島は、パナマの北東部のカリブ海に浮かぶ約350以上の島からできています。
1周百メートルくらいの小さな島から、ヤシの木が1本しかない島、ホテルが1件しかない島まで多種多様な島がサン・ブラス諸島を形成しています。
サン・ブラス諸島の特徴は、何と言ってもコバルトブルーのカリブの海。
一度この海を見てしまったら、もう並大抵の海では満足できないほど。まさに楽園。
島には、先住民族のクナ族の人々が生活しており、土着の文化や生活習慣が今も尚残っており、原始的な島の暮らしを体験することができます。
クナ族の女性が身に着けているのは”モナ”と呼ばれている刺繍を施したブラウス。
魚や鳥、植物などの自然をモチーフにしたデザインが特徴的。ちなみに、島の人々は、島と島の間を小舟で移動します。

イスラ・ペロ:白いビーチ、透明な海、ヤシの木が広がるこの島は、「犬の島」という愛称で呼ばれ、観光客に大変人気があります。ビーチバレーやシュノーケリングをお楽しみいただけ、夜にはテントを張って泊まることも可能です。

クナ族の集落:サンブラス諸島の先住民はモンゴロイド系統の民族なのです。 先住民クナ族は丸木船で小島を行き交っており、 集落がある人口250人ほどの島にも上陸しました。
クナ族の男は漁に出て、女性達はモラという独特の刺繍を売って生活をしています。 刺繍デザインはじっくりと眺めると実にユニーク。 魚や鳥、植物などの自然をモチーフにしているのですが、
そのエキゾチックなデザインはマヤ遺跡のレリーフを思わせ、 その鮮やかな色彩はアンデスの織物を思い出させます。 顔立ちもカリブ海で良く見られるアフリカ系の混血ではなく、
明らかに南米アンデス山中の先住民や中米マヤ系統の、モンゴロイド人種である事がわかります。

モラ工芸:クナ族の女性達が着ている民族衣装(ブラウス)に部分的に縫い込まれている、刺繍が入った飾り布をモラと言います。クナ族の女性が一枚一枚手作りし、作る人の感覚の表現、種族の信仰、野生の植物や動物を表し、優れた伝統美術として世界的に評価されています。このモラの販売はクナ族の人々の大きな収入源となっており、サンブラスの多くの島で販売され、お土産としても人気です。

昼食:シーフード

夕食ホテル

就寝

4日2016年完成パナマ運河新アグアクララ閘門ビジターセンター訪問

パナマ運河:中央アメリカのパナマ地狭にパナマ運河はあります。パナマ運河は、太平洋と大西洋をつなぐ、全長80キロメートルの国際運河です。年間の通航数は、1万4000隻前後と多く、行き来する船は、アジアやアメリカへ移動する船が多いです。
パナマ運河ができるまでは、南アメリカ大陸の大西洋に沿って南下してから北上したため、ニューヨークからサンフランシスコに行くための移動距離は2万キロメートル以上もありました。パナマ運河ができたことで、短縮できた距離は、8000キロメートル以上にもなりました。パナマ運河のおかげで、距離と時間が大幅に短縮されたのです。

ビジターセンター:ミラフローレンス閘門の前には、ビジターセンターが建てられていて、こちらは見学が可能です。ビジターセンター内には、パナマ運河に関する展示物や資料があります。その他に、パナマ運河に関する映画を観ることができたり、運河を眺めるための展望台もあります。パナマ運河のおすすめ観光名所として頭に入れて頂けたらと思います。
2007年から始まった拡張工事は、2016年に終了しました。拡張工事が終わり、新しくなったパナマ運河は、横幅49メートルの貨物船が通過できるようになり、液化天然ガス(LNG)も輸送できるようになったのです。アメリカ産の物を輸送する際、南米からぐるりと回るよりも、パナマ運河を通る方が、輸送にかかる日数とコストがカットされることが予想できます。

パナマシティ旧市街(カスコ・ビエホ)観光

パナマシティ:旧市街(カスコ・ビエホ):旧市街の世界遺産に登録されている歴史的地区を、「カスコ・ビエホ(Casco viejo)」という。ちなみにカスコとは「住宅地」という意味で、ビエホとは「古い」という意味である。
カスコ・ビエホはサン・フェリペ地区ともいわれ、スペインの植民地時代に機能していた町並みが残っている歴史的・文化的に重要な地区である。

エレーラ広場:パナマシティの旧市街、カスコビエホにはパナマの英雄、トーマスエレーナの像が建つ、エレーナ広場がある。周辺の建物は高級住宅街が立ち並ぶ。 広場にはカスコヴィエホ(旧市街)を海賊たちから守ったかつての城壁が残っているので一見の価値あり。

サン・ホせ教会:「はサン・ホセ教会」は「パナマシティ」の「カスコ・ビエホ(旧市街)」に位置する「カトリック教会」です。

「カスコ・ビエホ」は「1997年」に「パナマ・ビエホとパナマ歴史地区」として「世界遺産」に登録されています。

フランス広場:カスコ・ビエホ地区の南東にあるフランス広場。パナマ運河を手掛けたフランス人レセップの胸像や、運河の建設に携わった労働者たちをマラリアなどの疫病から救ったキューバ人医師など、パナマの歴史に重要な人物の胸像が並びます。

15:00パナマシティアエロメヒコ航空で出発メキシコシティ乗り継ぎ帰国
19:15メキシコシティ到達
5日0:15メキシコシティアアエロメヒコ航空で出発
6日6:20成田空港到達。

今回の旅行、中米の3カ国ニカラグア&コスタリカ&パナマを訪れ9日間満喫しました。

ニカラグアの首都マナグアのカテドラス等の歴史的建造物、マナグア湖、第二の都市レオンの歴史的建造物、古都グラダナの歴史的建造物、コスタリカのモンテベルデ自然保護地区の散策、首都サンホセ観光、中米の大都市パナマシティ観光、パナマ運河の訪れ、盛り沢山の観光堪能しました。
3カ国みなさんそれぞれ個性があり飽きが来ない記憶に残る旅行でした。お勧めです。









































飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百二十三弾:香港観光
2018年2月10日-12日

5回目の訪れである香港に足を運び、香港島の郊外に点在する観光名所、ビクトリアピーク、浅水湾、赤柱、香港仔、海洋公園を訪れました。

香港は、正式名称を『中華人民共和国香港特別行政区』と言います。
第2次世界大戦後150年以上イギリス統治国家だった香港は、1997年に中国に返還され、現在は特別行政区として独自の文化や通貨を持っています。
そのため、言語は中国語と英語が通じます!
日本人にとっては漢字で意味が分かり、英語でもコミュニケーションが取れるのは旅先としては安心ですね。
香港とはビクトリアハーバーを挟んで、北側の九龍半島と南側の香港島、230以上の島々のことを言います。
観光客が一般的に訪れるエリアは、九龍半島南端と香港島の北側になります。

10日16:50関西国際空港香港航空で出発
20:10香港空港到達、メトロで紅磡方面に向かう。
21:15紅磡駅前のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
11日8:00出発、メトロで中環駅下車、徒歩、ピークトラムでビクトリアピークに向かう。

ビクトリアピーク:香港と言えば、「百万ドルの夜景」というフレーズを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
香港の定番夜景スポット「ビクトリアハーバー」です。
毎晩20時から行われる光と音のファンタジーショー「シンフォニー・オブ・ライツ」を見るために、この時間前になるとビクトリアハーバーに訪れる観光客で溢れかえっています。
香港島サイドや九龍サイドのハーバー沿いの高層ビルから、夜空にサーチライトが放たれ、七色の光が乱舞するこのショーは絶対に外せませんよ。
この13分間の壮大なスケールのショーはなんとギネス記録にも認定されているとか。
ショーもさることながら、ここから見る夜景は「香港」を感じることが出来るスポット。

11:00中環に戻りバスで淡水湾に向かう。

淡水湾:香港で最も美しいビーチといわれる、淺水灣(レパルスベイ)。香港島の南に位置するレパルスベイは、11月頃まで海水浴を楽しむことができ、多くの人で賑わうビーチです。ここは、ハリウッドの名作映画『慕情』(1955年 ジェニファー・ジョーンズ、ウイリアム・ホールデン)の舞台としても大変有名です。白い砂浜と美しい海は、まるでヨーロッパのリゾート地に来たよう。香港の喧騒から少し離れて、澄んだ空気の美しいビーチで、リッチなリゾート気分を味わってみませんか。

バスで赤柱に向かう。

赤柱:香港島最南端に位置する「スタンレー(赤柱)」は、美しい海や自然に囲まれ、オシャレなレストランやパブが軒を連ねる、まさにヨーロピアンリゾート。中国雑貨や衣料品など、思わぬ掘り出し物に出会える「スタンレーマーケット」やコロニアル調の洋館「マレーハウス」など、香港に来たからにはぜひ立ち寄ってみたい観光スポットもいっぱいです

16:00バスで中環に戻る。
メトロで紅磡駅に向かう。
18:00紅磡駅前のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。

12日7:30出発、メトロで中環に向かう。
8:30中環駅前のバスターミナルでバスで香港仔に向かう。
9:00香港仔到達、散策。

香港仔:香港島南側にある漁師町 香港仔(アバディーン)をご紹介します。中環(セントラル)からバスで20分ほどのところにある香港仔は、山と海に挟まれた本当に小さな小さな町ですが、香港島南側にある町の中で一番にぎわっている場所と言っても決して言いすぎではないぐらい、いつも多くの人でにぎわっています。 「香港」という地名の由来になったといわれている「香港村」というのが、香港仔対岸にある鴨脷洲(アプレイチャウ)という島にあったため、その後この町を含めこのあたり一帯が香港仔(ヒョンコーンチャイ、アバディーン)と呼ばれるようになりました。

10:00歩いて海洋公園に向かう。
10:30海洋公園到達。

海洋公園:1977年にオープンして以来、香港の人びとの週末のおでかけスポットとして、また観光スポットとして大勢の人が集まるテーマパーク。動物園、水族館、遊園地が集結した、大人にも子どもにとっても夢のようなテーマパークはただ遊ぶだけでなく、「人と自然をつなごう」をモットーに自然保護や動物保護に対する理解を深めることに力を入れています。2012年には世界ベストテーマパーク賞を受賞しました。

16:00メトロで中環に向かう。香港駅から機場快速で空港に向かう。
17:00香港空港到達。
18:15香港空港香港航空で出発。
22:35関西空港到達。

今回の旅行、5回目の訪れである香港に足を運び、香港島の郊外にに点在する観光名所
ビクトリアピーク、浅水湾、赤柱、香港仔、海洋公園を訪れ楽しみました。

初めて訪れた香港は大学生で両親と訪れましたが、ビクトリアピークの記憶が残っており、高層ビル群の眺望の思い出があり、今回も昔と同様感動いたしました。かなり進化していました。
又以前は治安も悪く、至る所でスリを見かけましたが、現在は全くありません。
町の発展と治安の良さは伴うものなんでしょうか。
中国は現在も発展続けてしています、5年前のガイドブックを持参しましたがメトロが進化し、以前はバスでしか行けないところがメトロでスムーズにいけるようになっています。便利になっています。ただし物価が高いですね。特に土地の高騰によりホテル代がべらぼうに高い。
観光王国香港旅行満喫しました。
















飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百十八弾:キューバ観光
2017年12月28日-2018年1月4日
  

全長1250kmあるカリブ海最大の島、内陸には山脈が走り、東部のシエラ・マエストラ山脈のトゥルキノ山は標高2005mあるキューバの最高峰、カリブ海沿岸には美しいビーチリゾートが点在、1959年の革命以来社会主義国であり、カリブのほかの島にはない独特の魅力に溢れているキューバを訪れました。
28日14:00伊丹空港全日空で出発
15:10羽田空港到達。
18:40羽田空港エアカナダで出発。
16:40(時差ー14時間)トロント到達。
18:55トロントエアカナダで出発。
22:30ハバナ到達、バスでハバナ市内のホテルに向かう。就寝。
29日9:00バスで出発、ハバナ市内観光。

オールド・ハバナ(ハバナ旧市街):カリブ最強の砦と言われた要塞に守られた旧市街には、立派なコロニアルな建築がたち並びます。“オールド・ハバナと要塞群”は1982年に世界文化遺産登録されました。

ハバナ新市街:カラフルなクラシックカーや黄色の可愛い個々タクシーが名物の「ハバナ新市街」は観光スポットとして訪れておいて間違いなしです。レストランやカフェが多く、ショッピングも楽しめる新市街では陽気な雰囲気が漂っておりリゾート気分を味わうことができるでしょう。

革命広場:新市街の中心地にある、チェ・ゲバラのモニュメントが有名な内務省がある革命広場。キューバを代表する風景のひとつで、撮影スポットとしても人気です。キューバを訪れた人が一度は立ち寄る場所と言ってもいいでしょう。

ホセ・マルティ記念博物館:革命広場に面した高さ109mのかつての共産党本部。館内ではキューバ建国の父として国民的英雄のホセ・マルティのスペインとの独立戦争から革命戦争にいたるまでの歴史を展示。

モロ要塞:対岸のプンタ要塞と向かい合うように立っているモロ要塞は、かつて、外敵が間近に迫る と両者は太い鉄の鎖を渡して敵の侵入を防いでいました。 高さ20mの城壁を有するモロ 要塞は、大船団を率いるイギリス人の海賊ヘンリー・モーガンの襲撃も退け、17世紀 前半には3度にわたる海賊の襲撃からもハバナの街を守りました。モロ要塞は、カリブ海 最強の砦といわれ、その名に相応しい活躍を見せます。 現在、要塞内部は、コロンブス の旅の軌跡や歴史などを展示する博物館となっており、レストランも併設されています。

カバーニャ要塞:革命政権発足後、チェ・ゲバラは国立銀行総裁および工業大臣に就任。ここカバーニャ要塞にある執務室で仕事をした。

第一ゲバラ邸宅:ハバナの旧市街とは運河を挟んだカバーニャ要塞の南側の白いキリスト像の近くにあります。黄色味を帯びた白っぽい外装の二階建ての家で、キューバ革命前は前大統領の兄弟が住んでいたそうです。部屋のあちらこちらにチェ・ゲバラの絵が飾られており、会議室のような部屋や、意外に小さなベットの置かれた寝室、あとは写真などを展示する数部屋。

支倉常長の像:ヨーロッパとの貿易を求めていた伊達政宗藩主の命を受け、遣欧使節として送り出された支倉常長は、キューバの地を踏んだ最初の日本人であり、彼の礼儀正しく誠実な人柄は「至誠の人」「熱誠の使節」として異国の人々から信頼され、尊敬された人物として広く知られています。

カテドラス:18世紀に完成した大きな教会で、左右に異なる形の塔があるのが特徴的です。ハバナの中でも大きな教会として有名で沢山の旅行者の観光ポイントになっています。キューババロック様式の大聖堂の右の塔には重さ7tの大きな鐘が吊り下げられているのが印象的です。

カテドラス広場:16世紀に作られたサンティアゴ・デ・クーバからハバナに首都が移された時から最大の信仰を集めるカテドラル(大講堂)のある広場。17世紀の石畳が敷き詰められた荘厳な雰囲気のある広場で、周囲の家々も18世紀に建てられた、歴史を感じることのできる広場です。

フェルサの要塞:ハバナには世界遺産に登録されている要塞が4つあり、そのうち最古のものがこの観光スポットです。当時は木造でしたが、後に珊瑚石を使った現在の姿に生まれ変わりました。堀がグラされた堅牢な要塞からの眺めはおすすめで、キューバの首都ハバナが一望できます。

コロニアルアート博物館:カテドラル広場に隣接するミュージアム。中には植民地時代の家具や調度品、食器や壺などが展示されており、スタッフが説明しながら案内してくれます。欧州で作られたお皿や家具は美しく、スタッフの説明もあって理解が深まりました。また、カテドラル広場を上から一望できるのも素晴らしいポイントです。

市立博物館(旧総督官邸):1776年に立てられ、1791から1898年まではスペイン総督官邸として使われた後、1920年までは大統領官邸だった歴史ある建物。今は市立博物館になっています

アルマス広場:キューバの世界遺産にも登録されているハバナ旧市街の中心となるのがこの観光スポットです。中央には独立戦争の父カルロス・マヌエル・デ・セスペデスの銅像が立ちます。

ホテル・アンボス・ムンドス:世界的にも有名な小説家であるヘミングウェイが”誰がために鐘は鳴る”など、こちらのホテルの一室で執筆していた事で有名なホテル。赤レンガの壁が優雅なホテルです。ホテル名のスペイン語名の"Ambos Mundos"は直訳すると「両方の世界」という意味なんだそう。

ビエバ広場:16世紀頃に作られた「ビエハ広場」にはコロニアル様式の建物に囲まれており、レストランやカフェ、バーなどがあり沢山の旅行者で盛り上がっています。カフェなどでは生演奏のライブが行われていることも多く、キューバの音楽に触れることができます。

ラム酒ハバナ・クラブ博物館:お酒好きなあなたにオススメ!「ラム酒ハバナ・クラブ博物館」では、ラム酒の最初の製造過程の1つである圧搾を見学することができます。またその他、工場を再現したセットや、ラム酒の原料となるサトウキビを運ぶ蒸気機関車などを鑑賞でき、しかも試飲もできるそう!

革命博物館:革命博物館は、オールド・ハバナに位置する博物館。マリオ・ガルシア・メノカルからフルヘンシオ・バティスタまで大統領官邸として使用され、キューバ革命後に革命博物館になる

ガルシア・ロルカ劇場:1837年にバロック様式で建てられたキューバ国立バレエ団の本拠地で、ライトアップされる夜が美しいです。昼間は劇場前にカラフルなクラシックカーが並んでお洒落な雰囲気があります。

旧国会議事堂(カピトリオ):アメリカのホワイトハウスをモデルにしたと言われるカビトリオ。キューバ道路の基点ゼロ地点でもあるといいます。入り口にあるキューバの国旗をまとった女性の像は共和国の象徴であり、世界で3番目の大きさという。多く人々が賑わう、人気の観光地のひとつです。

サン・ホセ民芸品市場:ラム酒博物館からも歩いて10分かからないくらいの距離、フェリーターミナルと鉄道駅の間あたりの海沿いに、倉庫をリノベーションして作った民芸品市場がある。外国人旅行者向けのおみやげ屋さんということ。

昼食

ココタクシー乗車体験:ココタクシーはせいぜい排気量50cc位のエンジンを搭載した、ココナットの形をした黄色い色の小さな三輪車です。

コッペリアにてアイスクリーム試食:コッペリア公園の中にあります。公園に入ってすぐ左に観光客用のコッペリアがあります。

クラシックカー乗車体験:キューバでは、アメリカと国交が断絶される以前の1940~1950年代に輸入されていたアメ車が、この現代でも黒い排気ガスをブンブン吐きながら走っています。
そのため、ハバナの空港から市内へ出るとレトロなアメ車に興奮する反面、息苦しいほどの排気ガスに驚く人も多いと思います。

17:30ホテル到達。
19:00キューバ音楽を聴きながら夕食
21:00就寝
30日8:00バスで出発、シエンフエゴスに向かう。

シエンフエゴス観光:キューバの中心部南岸にある植民都市の先駆けとなった美しい街。フランス人が多く移住したことで、他のスペイン風の街並みとはことなる雰囲気です。

ホセマルティ広場:「ホセ・マルティ広場」は「シェンフェゴス都市歴史地区」にある「19世紀」の「スペイン植民地時代」に築かれた街並みの中心に位置する「キューバ建国の父」である「著名な革命家ホセ・マルティ」から名付けられた「公園」です。
「ホセ・マルティ広場」は「2005年」に「シエンフエーゴスの都市歴史地区」として「世界遺産」に登録されています。

昼食

昼食後トリ二ダ―へ向かう。

トリ二ダ―市内観光:世界遺産にも登録された、キューバの古都トリニダ-ド。歴史あるこの街では植民地時代の雰囲気を色濃く残すコロニアル様式の建造物群を目にします。旧市街には丸石の敷き詰められた街路や、パステルカラーの家、宮殿や広場で知られ、歩くだけでも楽しめる街です。

カンテーロ博物館(市立歴史博物館):トリニダの街にはサトウキビ農園で巨万の富を得て、豪華なバロック風の邸宅が何軒も残っています。ここの住人は革命後国外に逃亡しましたので、残った家は博物館として何軒か紹介されています。
この邸宅はイスナガ氏の邸宅でしたが、夫に先立たれたイスナガ夫人はその後、同じくサトウキビ農園を営むドイツ人のカンテーロ氏と再婚。当時の生活していたままが博物館となってカンテーロ博物館と呼ばれていますが、日本のガイドブックには市立博物館となっています。

サンティシマ広場:小さな街の小さな広場です。中心には可愛らしい教会があります。周囲にはロマンティコ博物館、建築博物館考古学博物館などがあります。
サトウキビで成功した農園主のお屋敷跡がそれぞれ博物館になっています。オレンジの瓦屋根や半円アーチの柱など、街並みがきれいです。

サンティシマ教会:旧市街の中心、マヨール広場のランドマーク的存在。19世紀に完成するまでに比較的長い年月を経て建てられたネオクラシック様式の美しい教会です。

ロマンティコ博物館:キューバを訪問し、トリニダーを訪れてトリニダー旧市街散策の途中に、マヨール広場に面しているサンティシマ教会横のロマンティコ博物館を見学しました。
かってのサトウキビ農園主のニコラス・ブルネット・ミニョスの屋敷をそのまま博物館にしたもので、砂糖産業で大成功した農園主らの所蔵していた家具調度品などが展示されており、当時の生活ぶりをうかがい知ることが出来ます。

建築博物館:マヨール広場に面してある水色の建物がコロニアル建築博物館。1750年築の大農園主の邸宅を利用しており、トリニダーに残るスパニッシュ・コロニアルの特徴を理解するのに役立つ。実際に模型も用意し、梁の組み方、漆喰壁の構造、ファサード(門)のデザイン、ドアの装飾、蝶番の種類など、実に具体的でわかりやすく展示している。

グアムアヤ考古学博物館:生命、自然科学的な内容で、先住民の土器、食器などが展示されていました。出土した、先住民のお墓も再現されてました。

革命博物館:1984年に建てられたサン・フランシスコ修道院だったもの。CUC25¢コインに描かれているのはこの風景。

カンチヤンチャラにてラム酒入りのレモネードいただく。

ロスインヘニオス渓谷:18世紀末から19世紀末まで砂糖生産の中心地であり、最盛期には渓谷において50以上の製糖工場が稼働していたと言われています。

マナカ・イスナガの塔:高さは45.5m、7階建てで塔の上までは136段の階段を上ります。「マナカ・イスナガの塔」には、かつて各階に違った音のする鐘が取り付けられていたそうで、その音で労働者たちに終業の合図などを送っていたのだとか。

18:30ホテル到達。
19:00夕食ホテルで。
22:00就寝。
31日7:45バスで出発。サンタ・クララへ向かう。

サンタクララ市内観光:キューバの首都ハバナから東に約300㎞に位置する都市『サンタクララ』。キューバ革命の後、チェ・ゲバラによって解放された都市として知られ、キューバの歴史、革命史を知る上で外せないところです。

チェ・ゲバラ記念霊廟:チェ・ゲバラ霊廟、チェ・ゲバラ廟とは、マルクス主義革命家、チェ・ゲバラの霊廟である。キューバのサンタクララにある。 遺骨は1997年10月17日に収められた

革命広場:毎年5月1日メーデーなどに、国家評議会議長の演説が行われる。数十万人もの人が集まることもある。

列車襲撃跡:1958年12月29日、ゲバラの指揮する革命軍はバティスタ政権の列車を襲撃し、多くの武器を奪うことに成功しました。バティスタはこの3日後の1959年1月1日、キューバからドミニカ共和国に逃亡し、キューバ革命は成功しました。従って、この列車襲撃の成功はバティスタ政権に最後のとどめを刺した事件と言えるでしょう。

共産党本部前:屋上に、comite provincial(地方委員会)とあります。この地域の共産党の地区委員会本部です。何の変哲もない建物ですが、壁に Che とあります。チェ・ゲバラです。そして、この手前には 子どもを抱くゲバラ像

カピーロの丘:サンタ・クララは、ビジャ・クララ州の州都なので存外大きな街でした。 街の外れのカピーロの丘の頂上にはモニュメントがありましたが、革命戦争当時には砦があったようそうです。カピーロの丘の頂上にはキューバ国旗と7月26日運動の旗が掲げられていました。
7月26日運動は、1959年にバティスタ政権転覆を行った、フィデル・カストロにより率いられた革命運動組織だそうです。

昼食レストランで

昼食後バラデロに向かう。

バラデロ:もとは欧米のVIPの別荘地として愛されたリゾートでしたが、近年は開発が進み、デラックスクラスホテルやアクティビティーが充実したキューバ最大のビーチリゾートとして知られる様になりました

16:00バラデロのホテル到達。
20:30ホテルレストランで夕食
22:00就寝。

1日10:00ビーチ散策。

パラデロビーチ:大西洋に面したキューバ随一のリゾート地バラデロにある白砂が約30km続くビーチです。コロンブスが残した「人間の目が見た最も美しい島」という言葉に納得です。

12:00バスと徒歩で名所めぐり。

パラデロ市民博物館:キューバ最大のビーチリゾートの町らしく、華やかさと楽しさが感じられる町で、その町の一角に、パラデロ市民博物館になっている青と白のカリビアンスタイルの建物がありました。博物館の1階は、パラデロの歴史についての展示があり、2階はパラデロのスポーツの歴史に関するコーナーがあるそうです。

マンシオン・ザナドゥ―:アメリカの財閥デュポンの大邸宅跡。キューバ人建築家により設計され建てられたスパニッシュ・コロニアル・スタイル。

アンブロシオ洞窟:1961年に発見された洞窟で、全長約200m。洞窟内には赤と黒の絵の具で描かれた線や渦巻きのような47個の岩絵が残されている。

バクナヤグア橋:ハバナとマタンサス州の境に位置する全長8kmのユムリ渓谷にかかる橋。キューバ最長で地上からはなんと112m。

17:00ホテル到達。

18:00夕食はホテルでビュッフェ
20:30バーでキューバキューバ音楽
21:00バーでミニコンサート
21:30シアターでショウ鑑賞
23:0就寝。

2日9:00バスで出発、ハバナに向かう。

コヒマル観光:海とレトロな街並みが美しい「コヒマル地区」は観光スポットとして非常におすすめです。昼間は海岸沿いを散歩するのが気持ちよくリラックスできます。夜はパーティーなどが開かれて周辺はライトアップされカラフルで賑やかになります。昼と夜のギャップが面白くキューバらしい体験をすることができるスポットになっています。ヘミングウエイゆかりの漁村

ヘミングウェイの胸像:コヒマル漁港の海の近くには、ヘミングウェイが自殺した後に地元の漁師たちが自分たちの船のスクリュー等の金属を使って作ったと言うヘミングウェイの胸像が、彼の好きだった海を眺めているかのように建っています。

ヘミングウエイ博物館:ノーベル文学賞を受賞した「老人と海」を書いたのが、このFヒンカ・ビヒア邸。広大な敷地をもつ邸宅内には、ヘミングウェイを知ることのできる数々の品が残されている。

昼食レストランでキューバ風パエリア

昼食後キューバ人の家庭訪問

ラ・フロリディータ:キューバのお酒といえばラム酒ですね。キューバを愛したノーベル賞作家 アーネスト・ヘミングウエイが通ったというバーでカクテルを一杯いかがでしょうか。
旧市街にあるヘミングウェイ御用達のバー&シーフードレストラン。ダイキリ発祥の地とも言われています。ヘミングウェイの指定席だったカウンターの一番奥には彼の実物大の像が置かれています。お酒が強かったヘミングウェイは通常のダイキリでは飽き足らず、ラム酒ダブルで砂糖抜きのスペシャルダイキリを好んで飲んでいたそうです。


夕食レストランで

革命広場のライトアップ鑑賞

ホテル到着後就寝。
3日5:00バスで出発、空港に向かう。
7:0ハバナエアカナダで出発。
10:30トロント到着
13:35トロントエアカナダで出発
16:55(時差+14)羽田空港到達。
19:20羽田空港全日空で出発。
20:35伊丹空港到達。

今回の旅行、中米の島国キューバに足を運び、キューバの首都ハバナの新都市と旧都市の歴史的建造物、キューバに残る古い街に一つ、トリニーダのスペイン植民地時代の歴史的建造物、フランス人に移民により造られた都市的歴史地区シエンフエゴス、ゲバラ指揮する革命軍のゲバラ霊廟、ヘミングウェイゆかりの漁村コヒマル、バラデロリーゾート6泊8日の旅、満喫しました。それぞれの歴史的建造物はこじんまりして圧巻できる場所は少なかったですが、リゾート地バラデロの広大な敷地に位置するホテル感動しました。広大な敷地にいくつものバンガロータイプの部屋、室内はスイートルームのような広さで豪華、ホテルに敷地に面してキューバ最大のビーチ、敷地内には劇場、ゲームセンター、プール、エステ、数多くのレストラン、バーがありすべて飲み放題、食べ放題でした。今までの旅行は、できるだけ多くの観光名所を巡るのが目的でしたが、今回のような広大な敷地にあるリゾートホテルでのんびり過ごすのもいいいいかもしれませんね。年とともに今回のような楽しみ方に変わっていくかもしれませんね。












































飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百九弾:中国青島観光
2017年9月23-24日
  

アジアの大陸、中国に足を運び、中国山東省にあり、発達した港湾都市。近頃では観光都市としても、人気、人気のある理由として、ドイツの風情を感じさせる街並みがその一つにあげられ、ドイツの占領時代という歴史がある青島を訪れました。

23日10:45関西国際空港全日空で出発
12:35青島空港到達、リムジンバスで青島市内に向かう。
14:30青島駅前到達、散策。

青島:1894~1914年はドイツの租借地。その前は小さな漁村。1914~1921年、1938~1945年は日本の支配を受けた。中国4番目に大きな不凍港。市内にはヨーロッパ風の建物が多く、中国で有名な避暑地や別荘が点在。

青島桟橋:1891年に清政府が軍需物資の供給のために埠頭を建設したのが始まりで、それから増改築を繰り返して現在に至ります。
1931年に国民党政府が桟橋南端に半円形の防波堤を作って、「回瀾閣」という八角亭を建設したものが残っています。

天主教:ドイツ軍がこの場所に来るようになった頃に青島に伝えられました。
1925年には青島教区が設立され、1932年から1934年にかけてこの協会が建設されました。ヨーロッパ風の協会で、塔高は60米、塔上には4.5米の巨大な十字架があり、正面は青島花崗岩から作られた重厚な建築物です。

基督教堂:鐘楼とホール両部分を含んで、最初はヨーロッパ貴族が青島で礼拝に行く場所である。クリスマスの時無料で参観でき、大勢の人が集まった。

ドイツ総督官邸 迎賓館:青島は従来“万国建物博覧会”と呼ばれ 、その中に一番魅力ある建物は迎賓館。 もともとドイツ総督屋敷で、皇居の古典風格を受け継いでいます。高さ30m、建築面積4,080平米の建物は、100万ドイツマルクを費やした。内装は絢爛豪華で、ダンスホール、食堂 が完備。1934年 “迎賓館”と名づけられた後 国内外の首脳の接待場所に。1997年一般開放へ 。

天后宮:1467年に建造された建物で、青島市に最も歴史の古い建築物です。山東省重点文物保護場所にも指定されており、現在は青島市民俗博物館として利用されています。

魯迅公園:文豪魯迅を記念するため開設された公園。中には魯迅の像がある。園内の紅の暗礁とても有名で、静かな名所である

小魚山公園:1985年2月に建設された比較的新しい公園です。頂上には「覧潮閣」と呼ばれる建物が立っています。ここから青島の浜など遠くを眺める事ができます。

市の東部にある、欧米や日本などの様々な建物が建ち並ぶ一帯で、名称に関がつく道路が八つあったので「八大関」と名づけられた。別名"万国建築博覧区"と言われる別荘地である。

八大関:別荘区には、ロシア、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、ギリシャ、スペイン、スイス、日本など20以上の国の建築スタイルを持つ立派な洋館が立っている。今は、撮影現場としてもよく使われている。また、"道に植えられた花木を見ると道の名が分かる"という特徴もあり、"花街"とも呼ばれる。ここには砂浜の美しい第二海水浴場がある。岩場に立つ美しい石組みの花石楼は、帝政ロシアの領事館だったが、のちに蒋介石の別荘となった。現在は一般公開され、屋上からの第二海水浴場の全景が素晴らしい。

花石楼:ビーチ,芝生,洋館が錯綜し,青島散策する絶好場所。[万国建築博覧会]と呼ばれる。
30年代24カ国の領事館や外国貴族住宅団地。区内8本の道路は万里の長城の八つの関所の名前で名付けられたので、 八大関と呼ばれる。風格の違い200軒の建築があり、近年結婚アルバムのロケ地として有名、新人がいっぱい。木造遊歩道(海浜木桟道)完成し、新旧市街を結ぶ40キロの遊歩道が出来た。

18:30ホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。

24日7:30散策。

五四広場:新市街地のシンボル。毎日市民や観光客でにぎわう。土日は様々なイベントが行われる。市役所前広場の五四広場から徒歩10分でオリンピックセンターへ入 る。新市街地のビル群や海辺への眺めがいい。

10:00地下鉄で青島北駅に向かう。
11:00青島北駅到達、タクシーで青島空港に向かう。
11:40青島空港到達。
14:00青島空港全日空で出発
17:30関西国際空港到達。
今回の旅行、アジアの大陸、中国に足を運び、多くの日本企業が進出し、発展著しい、港町、ドイツ風情を感じさせられる街並みの青島を訪れ散策し楽しめました。
地下鉄が急速に進化し、青島駅から東方面はホテルやマンションの高層ビルが立ち並び近代都市として進化続けています。海岸線は公園が多く、遊歩道が整備され、絶好の散策コース癒されました。














飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百八弾:中国杭州観光
2017年9月16-18日
  

アジアの大陸、中国に足を運び美しい水をたたえる西湖を中心とした観光都市、名画の中から抜け出たかのような景色が人々を魅了し続けている杭州を訪れました。

16日16:10関西国際空港全日空で出発
17:25上海空港到達、リニアモーターカー、メトロで上海虹橋駅に向かう。
19:50上海虹橋駅到達。
20:37上海虹橋駅新幹線で出発
21:40杭州東駅到達、メトロで杭州駅に向かう。
22:05杭州駅到達、駅前のホテルで宿泊。
17日7:30出発、メトロで杭州駅出発
7:50鳳起路駅下車、西湖の周辺を反時計回りで散策。

杭州:蘇州と並ぶ中国の景勝地。周囲15km、広さ5.6平方km、水深2.7mの西湖が有名。13世紀にはマルコ ポーロも訪れ、「世界で最も華やかな都市」と讃えた。絹織物、治金、機械、化学工業が盛ん。

西湖(せいこ)は、中国浙江省杭州市の西部にあり、風景の美しい湖と山、豊富な名所旧跡と文化芸術が一体になった国家級の風景名勝区として国内外に名を馳せています。「天下第一湖」と呼ばれ、「この世の天国」とも称されます。2011年6月24日の第35回世界遺産委員会で世界文化遺産として登録されました。中国の世界遺産登録リストの中で唯一の湖沼文化遺産で、これは現在の世界文化遺産の中でも数少ない数か所の内の1つです。
西湖は昔、武林水、銭唐湖、西子湖などと呼ばれました。宋代になって始めて西湖と呼ばれるようになりました。西湖は三方が山に囲まれ、湖の面積が約6.5平方キロです。南北長さはおよそ3.2㎞あり、西東は約2.8㎞幅があります。山紫水明が西湖の基調であり、山水と文化の融合こそ西湖の名勝を格調高くしています。

西湖十景:杭州市の西に位置する西湖は中国十大美景の一つです。西湖の最も著名な景観は南宋時代に作られた「西湖十景」です。「十景」とは断橋残雪、平湖秋月、柳浪聞鶯、三潭印月、曲院風荷、蘇堤春暁、南屏晩鐘、双峰挿雲、雷峰夕照、花港観魚のことです。南宋時代の西湖十景は西湖の周りに分布しており、湖上にあるものもあります。

断橋残雪:断橋は冬、雪景色を観賞する最高のところです。断橋は伝説の「白蛇伝」にも登場し、とてもロマンチックで有名です。唐の時代には木の橋で「段家橋」と呼ばれましたが、南宋時代、「断橋残雪」と名づけられました。

平湖秋月:平湖秋月は白堤の西端の外西湖側にあります。湖に向かって佇めば平野が広がり、一年中、天候にかかわらず湖の景色を満喫できる最適の場所です。唐代には望湖亭が建てられ、南宋時代には「平湖秋月」と名付けられました。

浙江省博物館:1929年に開館した浙江省最大の博物館。当初は浙江省立西湖博物館といった。孤山館区、文瀾閣、西湖美術館、武林館区、黄賓虹紀念室、沙孟海旧居など7つの景区で構成されている。
その中心となるのが1993年の改修・拡張工事で完成した孤山館区。陶瓷陳列、黄賓虹書陳列、常書鴻油画陳列、漆器陳列などの常設室で収蔵物を展示している。近くには清代に編纂された四庫全書を収蔵する文瀾閣や1997年に開館した西湖美術館がある。
武林館区は2009年に竣工した展示館。隣接する浙江革命歴史紀念館と合わせ、歴史を中心にした展示を行う。

西冷印社:は、中国で金石、篆刻を研究する著名な学術団体として、浙江省の重点文物保護単位です。篆刻家の丁仁、呉隠らが1904年に創設し、篆刻の大家である呉昌碩が主任、社長となりました。現在、後漢『三老諱字忌日碑』と名家たちの石刻、摩崖題記などがあります。印社内の園林、建築はいずれも自然の地形を利用して作られ、独創性に富む。柏堂、竹閣、仰賢亭、四照閣、観楽楼、華厳経塔などの古跡風景は、山林の景色と金石の雰囲気が一体となっていて、西湖園林の精華が示されています。

岳王廟:は、西湖の棲霞嶺の南側の麓に位置し、金の侵略と戦った宋の名将、岳飛を祭る廟です。岳廟は、南宋嘉定十四年(紀元1221年)から作られ始め、最初の名は「褒忠衍福禅寺」と呼ばれ、明天順間の時に「忠烈廟」と改称されました。その後、岳飛は鄂王の称号を与えられたので、「岳王廟」と呼ばれました。歴代の興廃を経た現存の建物は、清代に再建され、墓園、忠烈祠と啓忠祠の三つの部分から構成されたものです。

曲院風荷:曲院風荷は「蓮」をテーマにした大型公園です。曲院は宋の時代にはお酒を作る工場でした。洪春橋近くの湖面には蓮が植えられ、清の康熙皇帝は岳湖の畔に石碑を保護するための東屋を建てました。ここには小さな建物と湖面に浮かぶ蓮の花だけが残っています。

蘇堤春暁:蘇堤は蘇東坡が杭州を治めた時の功績の一つで西湖を疏浚した泥で作った長い堤です。蘇東坡は北宋時代の杭州知事の任期中に、杭州の軍民を動員し西湖の泥を掘り出しました。後に蘇東坡を記念して蘇公堤と名付けられました。

三潭印月:島の陸地は「田」の字のように分割されています。湖の中に島があり、島の中にさらに湖があります。西湖最大の風景区として評価も高く、島内外の湖には鏡のようにきれいに月が投影され、満月の夜に船から見る情景は最高です。

花港観魚: 南宋の時代、ここは内侍官盧允昇の個人の庭園で、彼は池を作って鯉を育て、ここを「盧園」と名付けました。南宋の画家は「花港観魚」と呼んでいました。5つの部分で構成された公園で、花と鯉を鑑賞するには最高の場所です。

雷峰夕照:北宋の975年に建立、後に呉越王は王妃黄氏が男の子を産んだことで黄妃塔とも呼ばれました。しばしば「雷峰塔」と呼ばれています。

南屏晩鐘:西湖の南、「雷峰塔」の向かいにある「浄慈禅寺」の鐘の音と西湖の夕日とが作り出すすばらしい情景をこう言います。

柳浪聞鶯:公園の見どころは柳です。春の庭園は新緑の柳の葉で覆われ、鶯がさえずり安息の地のようです。公園の「百鳥の天国」には酔柳、浣紗柳、獅柳などのしだれ柳が約500本植えられています。ここでは大型提灯祭も開催されます。

西湖天地:2003年の誕生以来、流行に敏感な杭州っ子に話題のスポット。自然との共生をテーマに開発されたエリアで、西湖の東湖畔に面した庭園のような環境のなかに、レストランやショップなど10店舗が点在している。どの店も緑に包まれた瀟洒な邸宅風で、光が降り注ぐ心地よい空間。モダンチャイニーズを堪能したり、またカフェでまどろんだりと、おしゃれな一日を過ごすのにぴったり。

清河坊(河坊街):は、宋の時代の杭州の街並みをイメージして作られたショッピング街で、観光客にとっては杭州ならびにその周辺の特産品を一箇所で買える便利なエリアです。もともと清河坊という街を再開発して宋の時代を再現しようとしたもので、最近は「清河坊」よりも「河坊街」という呼び方をされることが多いようです。

17:00ホテル到達
18日9:00杭州散策
14:00杭州東駅新幹線で出発
15:05上海虹橋駅到達
15:15メトロ、リニアモーターカーで上海空港に向かう。
16:30上海空港到達。
18:20上海空港全日空で出発
21:35関西国際空港到達。

今回の旅行、アジアの大陸、中国に足を運び、西湖を主として周辺に点在する歴史的建造物、公園を散策し癒されました。

ほぼ10数キロ歩き、西湖の周辺の名所をほぼ制覇しました。

中国は何かとトラブルが多い、飛行機は遅れませんでしたか、ホテルの位置が、案内図と異なっておりました。地図では杭州駅西500m程に位置に存在していましたが、見当たらず、現地の人に尋ねたら、杭州駅の上にあるとのこと、振り返ってみますと、杭州駅の上に大きな建物が聳えたっていました。杭州駅に戻ると、今度はエントランスがわからず、駅員に聞いて教えていただきました。
駅の上に位置してたにもかかわらず、地図での位置が違っていたためホテルに到着するのに30分かかりました。
 



















飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百六弾:アイスランド観光
2017年8月10-17日
 

ヨーロッパの外れにある、小さな人口密度が非常に低く、手つかずの自然が多く残っている北大西洋に浮かぶ小さな島、ヨーロッパとアメリカ大陸の間にあり、近くにはグリーンランドがあり、北海道と四国をあわせた程の面積、大きく4つのエリアに分けられ、レイキャビクを中心とした首都エリアは、最も人口が多く、経済・産業・政治の中心。人口約33万人、人口のほとんどは沿岸部、特に首都エリアに集中しているため、内陸部には無人のエリアが広がっている。首都レイキャビク「煙が立ち上る湾」という意味があり、ひとつの町の大きさほどしかない国には、溶岩の大地や氷河といったほかの国々では見られない自然が広がっているアイスランドを訪れました。

8月10日10:45関西国際空港フィンエアー航空で出発。
14:55(時差ー6時間)ヘルシンキ空港到達、バスでヘルシンキ中央駅前のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。
11日5:15ホテルをバスで出発。
6:00ヘルシンキ空港到達。
7:45ヘルシンキ空港フィンエアー航空で出発。
8:45レイキャビックケフラヴィーク空港到達、レイキャビック市内に向かう。

ケフラヴィーク:アイスランドの首都レイキャヴィークから西に約50kmに位置する都市である。南西アイスランド地方に属する。人口は10,944人。

レイキャヴィーク市内観光
北緯64度08分に位置するレイキャヴィークは世界最北の首都です。北極圏まで250km、オーロラベルトの直下にあるため、街中でオーロラが見られる稀有な街です。人口12万人を有するアイスランド最大の都市で、全人口の約3分の1がこの地域に集中しています。

ペルトラン:レイキャビクの小高い丘の上にある、ドーム状の建物。ペルトランとはアイスランド語で『真珠』の意味。ここからレイキャヴィークの街並みを望む。
近隣の地熱発電所から送られて来た熱水を一旦ここに貯め、ここからレイキャビク市全体にお湯を供給している。アイスランドでは、各家庭で水を暖めてお湯を沸かすのではなく、温水が供給されている。まさに温泉大国、アイスランド。ペルトランは1991年に改築し、目立つ建物になった。貯湯タンクだけでなく、レストランやショップ、展望デッキやサガ博物館があり、レイキャビクの観光地となっている。最上階は回転式の展望レストランとなっていて、2時間ほどで1周し、レイキャビクの街を一望できる。

ハトルグリムスキルキャ教会:ハットルグリムス教会(hallgrimskirkja/ハットルグリムスキルキャ)は、レイキャビクのシンボル的な教会。高い建物があまりないレイキャビク市内では、よく目立つ大きな建物。
ハットルグリムス教会の前に立つ銅像は、レイフ・エイリクソン。アメリカ大陸を発見したのは、実はこのレイブル・エイリークソン。アルシングの発祥1,000年を記念して、アメリカより彼の銅像が贈られた。
高くそびえ立つ白い外観は、正面から見ると、まるでスペースシャトルのよう。
ハットルグリムス教会内は、シンプルな内装だが、目を引くのは、ステンレスの巨大なパイプオルガン。有料だが、夏季にはコンサートがあるので、タイミングが合えばぜひ聞いてみたい。
エレベータでハットルグリムス教会の展望台に上ることもできる。地上から70mの高さ(外から見た時計があるあたり)まで上る。階段を少し上ると展望台。四方に窓があり、美しいレイキャビク市街が360度見渡せる。

ホプジーハウス:海岸近くにある小さな白い2階建ての建物。1986年6月にレーガン大統領とゴルバチョフ書記長の話し合いがもたれたところ。内部は見学できないが玄関ドアのところまでは行ける。

チョルト二ン:アイスランドのレイキャヴィークにある浅い湖沼である。 数多くの野鳥が生息しており、冬には水面が凍って市民のスケートの場となる。

市庁舎:チョルトニン湖と一階が同じ高さに設計されています。中に入るとガチョウが窓際に。楽しい市庁舎です。中のスペースもゆっくりしていて、またアイスランドの巨大地図が設置されていて、アイスランド全体のイメージを掴むのに最適てす。

国会議事堂:930年にシングヴェトリルで始まったアルシングという国会は1844年にここに移されました。
アイスランドの玄武岩で建てられた建物です。2008年、米国のサブプライムローン問題に端を発した世界金融危機により経済危機に陥ったアイスランド。市民の多くがこの国会議事堂に押しよせ、内閣崩壊になった舞台でもあります。

ロイガーヴェーグル通り:観光のスタートは市内の中心部近くにあるチョルトニン湖でした。少し歩くとバンカ通りという通りがあるので昇っていきます。途中で大きな分かれ道がありますが、真っ直ぐ昇っていくと街の一番ホットスポットであるロイガーヴェーグル通りです。そこを右に進みます。まぁ教会がどすんと建っています。

ハルバ:ベイエリアの近くにハルバ・レイキャビーク・コンサートホールがあります。総ガラス張りで、使用したガラスが1万枚といいます。アイスランドの各地で見ることが出来る「柱状節理」をイメージしているそうです。
設計したのはデンマークの建築家、ヘニング・ラーセン。「光の巨匠」と呼ばれ、たいへん有名だということです。夜のイルミネーションは万華鏡のようで美しいとか。

ホテル到着後自由行動
就寝
12日8:00バスで出発、南アイスランドに向かう。

南アイスランド観光
南アイスランドは、アイスランド南部に位置する地方である。人口は23,311人、面積は24,256km2。人口密度が1人/km2にも満たない、自然の多く残る地域である。広大な平地に草原が広がり、牧畜が行われる

セリャランスフォス:アイスランド一美しい滝と言っても過言ではない、セリャラントスフォスの滝を訪れます。滝壺の裏側がくり抜かれたようにへこんだ地形なので、空をバックに迫力大で流れ落ちる滝を撮影することができます。ベストショットを狙うならこのスポットが一押しです!

スコゥガフォス:スコゥガフォスの滝は、氷河に挟まれた山稜フィムヴォルズハゥルスに源を発するスコゥガアゥ川の最下流にあります。滝の落差は60mを超え、その水量と迫力に圧倒されること間違いなし、滝の右側の丘からは、滝の姿を見下ろすこともできます。上からは海岸線まで見渡すことができるので、途中まで登ってみるのもオススメです。晴天時には大迫力の滝と虹のコラボレーションに期待が高まります。

スコゥガフォス民族博物館:1949年オープンのこの博物館では、アイスランド人の生活の歴史を展示しており、古く漁業で使われた独特の船を初めとして、この地でどのような生活が営まれていたかを実際に使われていた道具を見ながら感じることが出来ます。また、屋外には当時の建築法で建てられた家屋が並び、当時の生活を体感することが出来ます。

レイニスドランガル:ヴィーク村の手前の海岸線には奇岩・奇景が多く、色々な景色を一度に楽しむことができます。この地帯はブラックサンド・ビーチと名付けられ、真っ黒な砂と石が特徴的な不思議スポットです。見事な柱状節理や、レイニスドラゥンガルと呼ばれる岩柱などの奇形に目を奪われます。

パフィン:北極周辺に生息する鳥で、ペンギンのような姿がとても愛らしい鳥です。北欧では、5つぬいぐるみがあれば、そのうちのひとつはこの鳥であると言われるほどポピュラーな鳥のようです。この場所で鑑賞する。

岬ディルホゥラエイ:ディルホゥラエイは、アイスランド南端のヴィークの村近くにある野鳥保護区。全体が岩で出来た台地状になって大西洋に面しています。ここでは夏場にはパフィンなどの野鳥の群れが見られるほか、ブローホールと呼ばれる二つの穴が開いた岬が見所。

オライビのホテルで夕食
オーロラ観賞に最適な立地のホテル、フォスホテル・グレイシャーラグーンに宿泊。
13日8:30バスで出発

ヴァトナヨークトル国立公園ハイキング観光:ヴァトナヨークトルは、ヨーロッパ最大の氷河で、その総面積は約8,100平方メートル、アイスランドの国土の約8%を占めている。
アイスランド語では、ヴァトン=湖、ヨークトル=氷河、を表し「湖の氷河」という意味。
氷河の下には多くの火山があり、1996年の噴火では、大量の氷を溶かし、大洪水を引き起こした。大きな橋や鉄塔も流され、国道1号線も寸断される事態になったが、住民の避難は済んでいて、死傷者は出なかったそうだ。
今ではヴァトナヨークトルで、4輪駆動車やスノーモービル、スーパージープで氷河の上を走るツアーや、氷河の上を歩くトレッキングやハイキングのツアーなど、多くのツアーが行われており、氷河観光を楽しむことができる。

スヴァルティフォス:柱状節理の地層の大地に滝が出来るとどうなるか。無数の六角柱の崖の、一番下、滝壺から削られて、無数の六角柱が崖上から垂れ下がる形状になっています。アイスランドの「スカフタフェットル国立公園」内にある「スヴァルティフォスの滝」です。

スカフタフェットル国立公園:レイキャビクからは、東へおよそ330kmほど車を走らせた場所にあります。アイスランドの南海岸です。南海岸は点々と観光名所が続くアイスランド旅行のメインですね。この辺りも、延々草原というか、荒れ地というか、原野が広がっています。夏場は地面をそこそこに覆う緑がかなり美しい感じ。その奥に、アイスランド特有の、ぎざぎざとした山肌が地面からズバッと立ち上がっている感じの荘厳な風景。

ヨークルスアゥルロゥン氷河クルーズ:このボートツアーでは、ヨークルスアゥルロゥン氷河湖(Jokulsarlon)の美しい景色を眺めるだけでなく、実際にラグーン内を漂う千年もの年月をかけて生まれた氷河の塊を間近でご覧いただくことができます。また、その氷河のかけらのテイスティングもできます。運が良ければ氷河湖で遊ぶアザラシの姿も見ることができる。

セルフォスに向かう。

セルフォス:アイスランド南西部のオルフス川のほとりにある町。首都レイキャビーク南東 53km,大西洋岸から 11kmに位置する。町の東部は広大な平野で同国第1の温暖肥沃な農地をなし,牧畜,農業 (ジャガイモ,オオムギ) が盛ん。町の近代的な酪農工場では同国南部一帯の牛乳を処理する。バターとチーズの大部分が輸出される。人口 3951 (1991推計) 。

セルフォスのホテル到達夕食就寝。
14日9:00バスで出発ゴールデンサークルに向かう。

途中スカルホルト教会:かつてアイスランドの宗教・政治の中心地であったスカルホルト(Skalholt)のスカルホルト教会

ゴールデンサークル観光:アイスランド観光の定番ともいうべき、ゴールデンサークル。実はこれ、ひとつの観光スポットではなく、3か所の名所、シンクヴェトリル国立公園、グトルフォスの滝、ゲイシールの間欠泉を巡るルートの名称なのです。

ストロック間欠泉:ゲイシールの間欠泉とそのエリアは様々な名前で呼ばれています。ホイカダールル渓谷(Haukadalur Valley)という場所にあり、ゲイシールという巨大な間欠泉が噴出していた場所です。この巨大な間欠泉のため、単にゲイシールと呼ばれれることが多いですが、ゲイシール間欠泉は現在は活動を休止し、その隣にあるストロックル間欠泉のみ噴出しています。また、このエリアでは多くの地熱活動が見られるため、ゲイシール地熱地帯とも呼ばれます。
間欠泉の周囲には高温のお湯の湧き出る沼や、蒸気の噴出する穴などがあり、地熱活動の様子を様々な形で観察することができます。地中のミネラルやガスによって変色した地面の色も、不思議な光景です。

瀑布グトルフォス:ゲイシールの間欠泉エリアを過ぎ、さらに進むと轟々と音を立てて流れ落ちる滝が現れます。グトルフォスの滝は高さ32mで、2段になっています。夏の水量の多い時には毎秒140立方メートルもの水量となります。
この力強く流れ落ちる滝も晴れの日には美しい虹が現れ、強さと美しさを兼ね備えた滝でもあります。上流の川の両側には草や苔の生えた大地が広がり、遠くには白く輝くラングヨークトル氷河を望みます。

シンクヴェトリル国立公園:シンクヴェトリル国立公園(Tingvellir、または英Thingvellir)はアイスランドに3か所ある国立公園のひとつであり、ユネスコの世界遺産にも登録されています。
一つ目の特徴は、地表に現れた大西洋中央海嶺の割れ目です。この割れ目の大部分は大西洋の海の下にあり、目にすることはできません。しかしアイスランドではその割れ目が地表に現れており、特にシンクヴェトリル国立公園では、その大陸プレートの境目の様子をはっきりと見ることができます。

ギャオ(Gja)又はアルマンナギャオ(Almannagja)と呼ばれるこの割れ目は、この中央海嶺・割れ目の部分は地下変動により、毎年2.5㎝づつ、広がっています。盛んな地熱活動、火山活動もこのためです。シンクヴェトリル国立公園の西側が北米大陸プレート、東側にユーラシア大陸プレートとなります。

シンクヴェトリル国立公園周辺ではギャオの他にも、溶岩の跡などが見られますが、このエリアでは2000年以上も火山の噴火がなく、木立や苔で覆われた緑豊かな場所となりました。
また、プレートの境目には氷河の溶け水が流れ、シルフラの泉(Silfra)を作り出しています。ラングヨークトル氷河から溶け出した水は、溶岩の地下層を流れると同時に濾過され、やがてシルフラの泉に湧き出します。水中の視界は100mにもなり、吸い込まれてしまいそうな美しい青色の世界はシュノーケリングやダイビングの人気スポットとなっています。

途中地熱を利用した温室見学、トマト試食:豊富な火山の熱を利用し、発電量の約4分の1が地熱という「地熱先進国」なのだ。河川にも恵まれ、水力と地熱で発電量のほぼ100%をまかなう。
温泉の直接利用もさかんだ。南西部の町レイコルトにあるフリードヘーマル社の温室農園は、床や壁面に縦横に張り巡らされた温水パイプにより室内を26度に保っている。外は気温0度前後の雪景色だが、室内には授粉用のミツバチが飛び交い、真っ赤なトマトが実っていた。

セルフォスに向かう。

ホテル到着後夕食済ませて就寝。 
15日8:30バスで出発レイキャネス半島に向かう。

レイキャネス半島観光:アイスランド随一の温泉地、レイキャネス(Reykjanes)半島。「町の数よりも灯台の数の方が多い地域」として有名です。ケフラヴィーク(Keflavik)国際空港のすぐ近くにある、アイスランドで最も有名な観光スポットとして知られている、世界最大の露天風呂Blue Lagoon(水着着用)は、自然が作り出す水色の温泉。
レイキャネス半島には高温の温泉地帯が多く存在し、温泉の高温を利用し発電する地熱発電所が3カ所あります。ヘットリスヘイジ(Hellisheidi)地熱発電所ではアイスランドの地熱発電の歴史、取り組みを学ぶ事ができます。


クリスヴィーク:最も有名な地熱地帯の一つ。 一歩足を踏み入れると、そこは煮えたぎり泡立っている池塘のように小さな温泉が連続し、水面から高温の蒸気が白くたなびいている。
板張りの遊歩道になると周辺からの高温蒸気に囲まれる。硫黄泉独特の腐った卵のようないやな臭いが鼻をつく。水面のブルー、白い蒸気、地面のこげ茶、黒い岩、僅かに生える青草の緑、硫黄の黄と様々な彩りが楽しめる。

アゥルファギャウ:「大陸の割れ目」を意味するアゥルファギャウは、その名の通り、アメリカ大陸とユーラシア大陸の境目。
アイスランドには、レイキャネス半島から北部ミーヴァトンの近くまで境界が通っており、世界でも珍しい、「大陸が生まれる場所」を地上で見る事の出来る場所である。
現在でも移動を続けており、東西に毎年数センチずつ広がっている。
また、ここに掛けられた橋を渡ったことを申告すれば、レイキャネスインフォメーションセンターにて、2大陸横断証明書(有料)の発行をする事が出来る。

午後ブルーラグーン体験

ブルーラグーン:レイキャネス半島で、いやアイスランドでも最も有名な観光施設、ブルーラグーンは世界最大級の露天風呂で、年間40万人を超える観光客を集める。 神秘的な青色の湯は地下から湧き上がり、地熱発電に使われた水蒸気と海水が織り成すコントラスト。 約5000㎡という広大なラグーンの中で入浴が可能なのは約半分の広さだが、それでもその広さには目を奪われるでしょう。 アトピーをはじめとした皮膚病にも効果があり、2005年には湯治を目的とする病院も併設されています。 また、温泉に身を浮かべて楽しむスパはブルーラグーンならではで、体験の価値あり。

ブルーラグーンのホテルで夕食就寝。
16日早朝バスでケフラビークに向かう。
7:30レイキャビークケフラヴィーク空港アイスランド航空で出発
13:50ヘルシンキ空港到達
17:25ヘルシンキ空港フィンエアーで出発
17日8:55関西国際空港到達。

今回の旅行、ヨーロッパの外れにある、小さな島国人口密度が非常に低く、手つかずの自然が多く残っているアイスランドに足を運び、首都レイキャビークから南部の自然豊かなエリアを訪れ癒されました。

火山の多い国、至る所に溶岩が流れ大地を築いた風景、氷河、滝、温泉が多く、日本ほど多くない山波、土壌、高緯度により低木がほとんど、高山植物の茂りで障害物が少なく、溶岩大地、地平線を見ながらの移動、感動しました。

隠されたネイチャーランド、極め付きは大氷河による氷河湖の流氷のボートクルージング、地球上とは思えない風景、圧巻でした。

次回訪れたときはレンタカーで北部南部全域をドライブ観光で満喫したいですね。   

























飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百九十七弾:ウズベキスタン観光
2017年4月28日-5月5日
 

古都サマルカンドとシルクロードの国々の中央アジアに足を運び、青の都、イスラーム世界の宝石、東方の真珠など、多くの異名を持ち、常にシルクロードの中心都市としての道を歩んできた古都サマルカンドで有名なウズべキタンスを訪れました。

28日7:30関西空港ジェットスターで出発
8:55成田空港到達。
11:05成田空港ウズベキタンス航空で出発
16:35タシケント到達
18:40タシケント国内線で出発
21:00ウルゲンチ到達、バスでホテルに向かう。
21:50ヒヴァのホテル到達、就寝。

29日9:00バスで出発、カラカルパクスタンに向かう。
11:00カラカルパクスタン到達観光

カラカルパクスタン:カラカルパクスタン共和国の面積は約16.5万km2。ウズベキスタン国土の37%を占めている。
独自の憲法を持ち、国旗、国章、国歌を制定しているほか、国歌語として、カラカルパク語とウズベク語を規定している。人口の約3割がチュルク系カラカルパク人で、最多はウズベク人、他にカザフ人やトゥルクメン人、ロシア人が住んでいる。
共和国の北部には縮小する湖と呼ばれるアラル海が位置し、20世紀最大と言われる環境問題を抱えている。経済は綿花、米、メロンなどの農産物の生産に支えられ、かつては盛んだったアラル海での漁業は行われていない。
首都のヌクスは、カラカルパク語でノキス(Nokis)。町の作りは広くて平面的でソ連的である。ウズベキスタンを旅行する終点又は始発点と言える。サラトフやアルマトゥからの電車が開通し、モスクワへ定期便も運航している。
ヌクスは砂漠の中の環境危機地域であるが、花や緑があるオアシスでもある。町には色々なホテルも数多い。カラカルパク料理には、ジュゲリ・グルトゥック(肉の小団子が入ったスープもの)、ジズ(羊肉の料理)、雌馬の乳から作られた酸乳の入ったスープなどがある。
ヌクスの町は、他の都市に比べると歴史はまだ75年と浅いが、賑やかである。ヌクス地下に文化層があり、紀元前4世紀~紀元4世紀に相当する物だと考古学者が明らかにした。ホラズムのオアシス研究に大きな貢献した民俗学者のI.サヴィツキーが知られている。
また共和国内には、アヤズ・カラをはじめとする遺跡が1,000ヶ所以上あると言われている。古代ホラズム文化を生み出したアムダリヤ川が、流れを変える度に人々は城を造り替えなければならかったのだ。現在、ヒヴァのイチャン・カラを含め、古代ホラズム地方の遺跡を囲む“ゴールデン・リング”の道は始まる。考古学研究、観光開発も期待される地域である。

トプラク・カラ:1940年代にアムダリヤ川の下流に東側に、数百mに渡って点在する多数の都城跡がる発見された。カラとは城塞の意味。トプラク・カラ(1~4世紀)直角形に近い形をした8~9mの土の防壁がある。注目するのは、都市の存在時に絶え間なく増築されていた寺院。宮殿の大部分は華麗な施設や文字模様の壁の聖堂から成り立っている。

12:00昼食、伝統的な移動式住居、ユルタで食事。

13:00アヤズ・カラ:アヤズ・カラ(6~7世紀)四角い形をし、平たい丘に日が当たるように三方に高い断崖がある。土を固めて日干ししただけの焼いていない煉瓦で建てられている。

14:00バスでヒヴァに向かう。
16:00ヒヴァ到達。
18:00ヒヴァの夕景鑑賞
19:00夕食
21:00ホテル到達就寝。

30日ヒヴァ観光
ウズベキスタンの都市ヒヴァ(ヒワ、ヒバ)は、首都タシケントの西約750km、ウルゲンチ市から南西に35kmのアムダリヤ川の下流のオアシスの町です。古代ペルシャ時代からカラクム砂漠への出入口として繁栄しました。
町は外敵を防ぐために外壁と内壁の二重の城壁に守られており、内側の城壁に囲まれた内城イチャン・カラには20のモスク、20のマドラサ、6基のミナレットなど多くの遺跡が残されています。
1969年には全体が『博物館都市』に指定されて、1990年にはユネスコ文化遺産に登録されました。
『中央アジアの真珠』とも謳われるヒヴァは、いかにも古いイスラムの町という印象を受けますが、ペルシャなどの周辺諸国の攻撃によって何度か破壊されているので、現在見ることができるのは17世紀から18世紀に整えられた建造物です。

オタ・ダルヴァザ門(西門):ヒヴァのイチャン・カラの正門かつ観光バスの入り口、アタ・ダルヴァザ門(西門)です。
アタとは『お父さん』の意味で、直訳すると『父の門』です。
1920年にヒヴァが赤軍によって解放されたのちに壊されましたが、1975年に修復されました。
門は2本のミナレットのような塔で造られていて、門をくぐる城壁に土産屋やガイドの詰め所がある。

ムハンマド・アミン・ハーン・メドレせ:ヒヴァのイチャン・カラの西門を入ってすぐ右手の、カルタ・ミナルのすぐ近くにあるムハンマド・アミン・ハーン・マドラサ(ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ)です。
ムハンマド・アミン・ハーンの命で1852年に完成した、中央アジアで最も大きな規模のマドラサです。
広さは71.7m×60m、中庭の広さは38m×38mあります。

カルタ・ミナル:カルタ・ミナルのカルタとは『短い』という意味で、直訳すると『短い塔』になります。
アタ・ダルヴァザ門(西門)を入ると、すぐ右手に見えます。
青の彩紬タイル模様で覆われた、ヒヴァで一番カラフルな美しい塔ですが、残念ながら未完成品です。
当時のムハンマド・アミン・ハーンが中央アジアで最も高い109mのミナレットを建てようと、1852年に着工されました。

タシュ・ハウリ宮殿:ヒヴァのイチャン・カラの東門近くにあるタシュ・ハウリ宮殿です。
タシュ・ハウリとは『石の庭』の意味で、アラクリ・ハーンによって1830年から1838年にクフナ・アルクに匹敵するものとして建てられた宮殿です。
ヒヴァの中でも最も豪華なタイルや柱で飾られているそうです。
宮殿は公務を行なう謁見や儀式の場、宴会やお客を接待する場、アルズ・ハウリと呼ばれる裁判所とハーレムに分かれています。
また、中庭にはユルタという丸テントを建てて、遊牧民族のお客さんたちをもてなしていたそうです。

クフナ・アルク:ヒヴァのイチャン・カラの西門近くにあるクフナ・アルク(キョフナ・アルク)です。
17世紀に建てられた、ハーンの居城です。
クフナ・アルクとは『古い宮殿』という意味で、新しくタシュハウリ宮殿が完成した後に区別する意味でこう呼ばれるようになりました。
クフナ・アルクは要塞で囲まれており、この中にハーンたちによって建てられた執務のための公邸、くつろぎの間、夏と冬のモスク、ハーレム、兵器庫、火薬工場、さらに造幣所まであったそうです。
入ってすぐの場所には、罪人に行われた刑罰を再現した絵や、拷問に使われた道具が展示されています。

昼食
ヒヴァ観光

パフラヴァン・マフムド廟:ヒヴァのイチャン・カラにある、一番大きな青いドームが鮮やかなパフラヴァン・マフムド廟です。
パフラヴァンとはペルシャ語で『英雄』『力士(レスリング選手)』という意味です。

ジュマ・モスク:ヒヴァのイチャン・カラのほぼ中心に位置するジュマモスクです。
ジュマとは『金曜日』のことで、イスラム教では金曜日が休日に当たるため、多くの人が礼拝に集まります。
10世紀に建てられたモスクですが、何回もの修復工事を繰り返し、18世紀末頃に現在の形になったそうです。
広さは55×46m、高さは5mで、3.15mの間隔で212本の柱が立っていて、明かり窓付きの天井とシンプルな漆喰の壁に囲まれています。
この間隔と本数は、説法者から全員の顔が見えるように、計算されて決められたそうです。

イスラーム・ホジャ・ミナレット:北側の正面入り口は高さ33mのミナレットに面しています。
ミナレットの中には81段の階段があり、上まで登ることもできます。

夕食:ヒヴァ王朝の夏用宮殿「トザボーグ・パレス」
バスでウルゲンチに向かう。
21:00ウルゲンチ空港出発。
22:00ブハラ到達、ホテルに向かう。
22:30ホテル到着就寝。
1日8:30バスで出発、ブハラ観光

ブハラ:ウズベキスタンの都市の一つブハラは、サンスクリット語で『修道院』を意味しています。
イスラム王朝の庇護の元、優秀な宗教家や科学者が集まって、一大都市を形成しました。
しかし、1220年のチンギス・ハーンの来襲でほぼ壊滅してしまいました。
その後、16世紀のシャイバニ朝の時代にブハラは復興し、再び多くのモスクやマドラサが建築されました。
そして20世紀の初頭までブハラ・アミール国(ブハラ・ハン国)の首都が置かれていて、中央アジアのみならず、イスラム世界全体の文化的中心地として繁栄を誇っていました。
ブハラは、ザラフシャン川下流域のオアシス地帯に位置し、その中心の都市になっています。
ブハラの町は新市街と旧市街とに分かれ、旧市街は2000年にユネスコ世界文化遺産に認定されました。
よって、観光の見所は旧市街に集中していると言えます。

イスマイール・サマニ廟:ウズベキスタンはブハラにある、イスマイール・サーマーニ廟(イスマーイール・サマニ廟)です。
中央アジア最古のイスラム建築で、どれくらいの古さなのかというと、建造されたのが892年から943年にかけてだそうです。
9世紀の終わりにブハラを占領して都としたサーマーン朝のイスマイール・サーマーニが、父親のために建てた霊廟でしたが、後で彼や彼の息子も葬られたので、結局サーマーン朝の王族の霊廟となりました。
サイズは9m四方の可愛い大きさで、壁の厚さが1.8m、日干しレンガを積み上げた構造です。
モンゴル軍が来襲した時はほとんどの部分が土に埋まっていて、周囲がお墓だったこともあって、モンゴル軍に気付かれることはありませんでした。
おかげで他の建築物の大部分が破壊されたブハラにあっても、壊されること無く残る事ができました。
発掘されたのはソ連時代の1925年です。

アルク城:ウズベキスタンはブハラの旧市街に位置しているアルク城です。
このアルク城辺りが古代ブハラの発祥の地だと言われ、少なくとも紀元前4世紀頃から存在していたようです。
アルクというのは『城塞』を意味し、歴代ブハラ・ハーンの居城でした。
7世紀にはフタ・ハウタンという女王が、このアルク城砦でアラブと戦ったそうです。
モンゴル軍が襲来してきた時は、多くの住民がアルク城に立てこもって抵抗しましたが、結局チンギス・ハーンによって大虐殺され、城も破壊されてしまいました。

カラーン・ミナレット:ウズベキスタンはブハラのシンボル、カラーン・ミナレット(カリャン・ミナレット)です。
1127年にカラハーン朝のアルスラン・ハーンに建てられたミナレットです。
カラーンとはタジク語で『大きい』という意味で、その名のとおり高さは46mもあり、土台部分は10mも地下に埋められています。
色はほぼ茶色一色です(灯火用窓の下の一層だけ青いタイル)が、日干しレンガの積み方を変えて14層の帯状に模様が付けられていて、とても手の込んだ凝った作りの建物です。
ブハラの町を徹底的に破壊したチンギス・ハーンも、このカラーン・ミナレットだけは壊さずに残しました。

カラーン・モスク:カラーン・ミナレットとつながっているカラーン・モスクは、1514年のシャイバニ朝時代に建造された、ブハラで最大のモスクです。

ミル・アラブ・メドレせ:ウズベキスタンはブハラにあるミル・アラブ・マドラサ(ミル・アラブ・メドレセ)です。
カラーン・モスクの真正面に位置していて、1536年にウバイドゥラ・ハーンによって建てられたマドラサです。
青と白のモザイクタイルからなる植物文様と文字文様を組み合わせた、典型的な末期ティムール様式の装飾のマドラサです。

丸屋根で覆った交差点のバザール「タキ」自由散策

ウルグベク・メドレせ:ウズベキスタンのブハラにあるウルグ・ベク・マドラサ(ウルグ・ベク・メドレセ)です。 ティムールの孫のウルグ・ベクが1418年に建設したマドラサで、中央アジアでは現存する最古のマドラサです。
ブハラでは唯一のウルグ・ベクゆかりの建築物です。

アブドゥールアジス・ハ―ン・メドレセ:ウズベキスタンのブハラにあるアブドゥールアジス・ハーン・マドラサ(アブドゥールアジス・ハーン・メドレセ)です。
ウルグ・ベク・マドラサの向かいに位置していて、ウルグ・ベク・マドラサが建てられてから200年以上も経って建設された神学校です。

昼食
ホテルに戻って休憩
17:00バスで出発
ラビハウズ:ウズベキスタンのブハラのオアシス、ラビハウズです。
ハウズとは石垣でキレイに四角く取り囲んだ『池』のことです。
ブハラは200近くのハウズがあった水の都でしたが、改革の後にソ連時代にほとんどが埋められてしまって、現存するハウズは6つだけだそうです。
なお、水の都というワリには水がキレイでなく不衛生で、よく疫病が流行っていたそうです。
このラビハウズは1620年に作られた46m×36mの大きさの池で、『力ずくのハウズ』と呼ばれていました。

ナディール・ディヴァンべギ・メドレせ:ウズベキスタンのブハラにあるナディール・ディヴァンベギ・マドラサ(ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ)です。
1622年にブハラ・ハーン国の大臣ナディール・ディヴァンベギによって建てられたマドラサで、ラビハウズの前にあります。

マゴキ・アッタリ・モスク:ウズベキスタンのブハラにあるマゴキ・アッタリ・モスクです。
地中に埋もれていたのを1936年に発見され、今でも周囲の地面よりも5mほど低い位置にあります。
マゴキとは『穴の中』という意味です。
モスクの中ではブハラで最古だそうです(全部の建物の中ではイスマイール・サーマーニ廟が最古)。

夕食。ブハラ民族舞踊ショーを鑑賞しながら食事
20:00ホテル到達、就寝
2日7:00バスで出発
シャフリサーブスに向かう

シャフリサーブス:『緑の街』と言う意味を持つシャフリサーブス(シャフリサブス)は、遠くにザラフシャン山脈が見える谷間の小さな町で、かつては緑豊かなオアシス都市でした。
古くから『ケシュ』という名で知られており、7世紀には三蔵法師も訪れたことがあるそうです。
シャフリサーブスはゾグディアナの古都で、ティムールの生まれた場所として有名です。
ティムールはサマルカンドにも劣らない雄大な建築物をシャフリサーブスに建てましたが、16世紀後半にブハラのアブドゥール・ハーンによってほとんどの建物が破壊されてしまったそうです。
そのせいか、あまり派手さはないですが、静かで落ち着いた観光地だという印象を受けました。
なお、シャフリサーブス歴史地区は、2000年にユネスコ世界文化遺産に認定されています。
昼食
シャフリサーブス歴史地区観光

アクサライ宮殿跡:ウズベキスタンのシャフリサーブス観光で、まず目にすることになるであろうアク・サライ宮殿跡です。
ティムールが夏の離宮として建てさせた物です。
『アク・サライ』とは『白い宮殿』と言う意味ですが、実際は青と金色のタイルで装飾されていて、白かったわけでは無いです。
白という色に高貴なイメージがあったため、『アク・サライ』と呼んでいたそうです。

ドルッサオダット建築群:シャフリサーブスにあるドルッサオダット建築群の一つに、ジャハンギール廟があります。
ドルッサオダットとは『大いなる力の座』という意味です。

ドルティロヴァット建築群:シャフリサーブスにはドルッティロヴァット建築群と呼ばれる、ティムールゆかりの建築物が3つあります。
コク・グンバス・モスク、グンバズィ・サイーダン廟、シャムスッディン・クラル廟です。
ドルッティロヴァットとは『瞑想の家』と言う意味です。

サマルカンドに向かう
サマルカンド:古来、シルクロードの要衝として栄えながら、13世紀にモンゴル軍の侵攻によって廃墟と化したウズベキスタンの古都サマルカンド。この地を甦えらせたのが、一代で大帝国を築き上げた英雄ティムールでした。ティムールは世界のどこにもない美しい都市を目指し建設しようと、各地の遠征先から優れた技術者や芸術家たちを連れ帰りました。建物を飾る「サマルカンド・ブルー」と呼ばれる鮮やかな青色タイルは、中国の陶磁器とペルシアの顔料が出合って誕生したもの。まさに「文化交差路」のサマルカンドは2001年、世界遺産に登録されました。
グリ・エミール廟:グリ・アミール廟(アミール・ティムール廟、グル・エミール廟、グーリ・アミール廟)はウズベキスタンのサマルカンド旧市街にあります。
グリ・アミールとは、タジク語で『支配者の墓』の意味で、ティムールをはじめとして息子のシャー・ルフ、孫のウルグ・ベクら、ティムールの一族が眠っている霊廟です。
1996年に修復されたばかりで、サマルカンドブルーの丸屋根がひときわ輝く建物です。
夕食
サマルカンドリ・エミール廟夜景観賞
就寝
3日8:30バスで出発
レギスタン広場:サマルカンドの象徴、さらにシルクロードの象徴とも言えるレギスタン広場です。
レギスタンとは『砂地』という意味です。
向かって左からウルグ・ベク・マドラサ、ティラカリ・マドラサ、シェルドル・マドラサの3つのマドラサがコの字形に並んでいます。
チンギス・ハーンが今のアフラシャブの丘にあったサマルカンドの町を滅ぼした後、このレギスタン広場を中心にして復興が進められました。
そして14世紀のティムールの時代には大きな屋根つきのバザールが造られ、ウルグ・ベクの時代に最初のウルグ・ベク・マドラサが建てられました。
現在のように3つのマドラサが並んだ姿になったのは、17世紀にヤラングトシュ・バハドールによって建築された後になります。

レギスタン広場は、他の土地から来た隊商が始めに到着する場所であったり、謁見式・閲兵・催し物が行われる場所でもありました。
昼食
シャーヒ・ジンダ廟:サマルカンドのアフラシャブの丘の南にあるシャーヒズィンダ廟群です。
サマルカンド隋一の聖地で、ティムールの関係者のお墓がズラッと並んでいる、まさしく『死者の通り』です。
11世紀から20世紀にかけて、多くの霊廟が建てられました。

ビビハ二ム・モスク:サマルカンドにある、サッカー場がすっぽり入ってしまうほど大きい、中央アジア最大のモスク、ビビハニム・モスク(ビビハヌム・モスク)です。
敷地面積は167m×109mもあります。
始めはサマルカンド金曜モスクと呼ばれていましたが、市民によってビビハニム・モスクと名づけられたそうです。
なおビビハニムとは『第一婦人』という意味です。

シヤブ・バザール:ビビハニム・モスクのすぐ近くにある、サマルカンド最大のバザール、シヤブ・バザール(シヨブ・バザール)です。
古くから開かれているバザールで、大きなアーケードの下では野菜・果物をはじめとして、香辛料や穀物、生活用品などが所狭しと並べられています。

夕刻
サマルカンド発高速鉄道「アフラシャブ号」で出発
タシケント到達
夕食
ホテル到達就寝
4日タシケント市内観光:ウズベキスタンの首都タシケント(タシュケント)は、ウズベキスタンの北東部に位置する人口約210万人の中央アジア最大の都市です。
タシケントとはテュルク語で『石の町』を意味します。
1964年に起こった直下型大地震によって、一度はタシケントの街は壊滅状態になりました。
しかし 懸命な復興努力の結果、見事に近代的な街に生まれ変わることができました。
道路の道幅も広く、たくさんの自動車や路面電車が走り、また中央アジアで唯一地下鉄が走っている都市でもあります。
町を行く人たちの格好も、イスラム風の人はほとんど見かけず、洗練された都会的なファッションが多いです。
またシルダリヤ川から大量の生活用水を引き込んでいるので、非常に水が豊富な場所でもあり、街の各地に噴水が見られます。

バラクハーン・メドレせ:ウズベキスタンの首都タシケントの郊外にあるバラク・ハーン・マドラサ(バラク・ハーン・メドレセ)です。
1531年にシャイバニ朝のバラク・ハーンによって建てられた、めずらしい一階建ての神学校です。
このマドラサには、ソ連時代に中央アジアのイスラムの本庁が置かれていて、イスラム教全般を管轄していました。
ソ連からの独立後は、中央アジアの国々はそれぞれにイスラムの本庁を持っています。

チョルスー・バザール:タシケントの地下鉄チョルスー駅を出てすぐの場所にチョルスー・バザールがあります。

タシケント地下鉄乗車体験
昼食

日本人墓地:タシケント市南東地区、ヤッカサライ通りに位置する公営墓地の一角が日本人抑留者墓地として整備されている。太平洋戦争終結直後(ポツダム宣言受諾後)、8月8日に参戦したソヴィエト連邦により、中国東北地方、樺太や北方領土にいた日本兵約57.5万人(平和祈念展示資料館)がスターリンの指示により強制的にソヴィエト連邦内のシベリアや中央アジアへ移送され、厳しい環境の下、強制的に労働力として徴用され、その間に約6万人の命が失われた。
ソヴィエト連邦を構成するウズベキスタンでは、日本人抑留者のうち2万3千人が移送され、強制的に労働力として使役され、817名(在ウズベキスタン日本大使館)が帰らぬ人となっている。
タシケント市営ヤッカサライ墓地には、タシケント市より79名、タシケント地区墓地より8名、計87名の日本人が 眠る。ソヴィエト時代は土を盛っただけであったがウズベキスタン独立後、遺族関係機関の支援やウズベキスタン政府の協力により、現在のような戦没者名と出身県を刻印した墓石が設けられ、敷地内にはウズベキスタン各地に点在する日本人抑留者墓地の共同慰霊碑が設営されている。隣接してドイツ人抑留者墓地がある。

ムスタキ―リク広場(独立広場):ウズベキスタンは1991年8月31日にソビエト連邦から独立し、それを記念して作られた広場が、首都タシケントにある独立広場です。

ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場:1947年に完成した1500人も収容できる劇場で、6つの休憩ロビーは、タシケント、サマルカンド、ブハラ、ホレズム、フェルガナ、テルメズの6地方のスタイルで装飾されているそうです。
淡い茶色の落ち着いた感じの外観をしていて、玄関正面の大きな噴水が特徴的です。

ウズベキスタンス歴史博物館:ウズベキスタン歴史博物館は、ウズベキスタンの首都タシケントの新市街にあります。
中央アジアでは最も大きい博物館で、ウズベキスタンの歴史を大まかに知ることができます。
古くは石器時代から、最近ではロシア帝国の征服以後の歴史までです。
夕食
22:00タシケントウズベキスタン航空で出発
5日9:55成田空港到達。
11:50成田空港出発
13:35関西国際空港到達

今回の旅行、中央アジアに位置するウズベキタンスに足を運び、シルクロードに関連した種々の都市古都を訪れ、モスク、城跡、廟等を見学しました。イスラム系の国ですが旧ソ連の影響も強く、ロシアとイスラムが混在した国でした。
青系のモスクなどの歴史的建造物、世界遺産も数多く登録され、見るべきものが多く、堪能したしました。
ここ数年、旧ソ連の国々を訪れましたが、それぞれ共通するものが多く、中世の街並み感動でした。
ウズベキスタンはまだまだ発展途上国ですが、親日で、世界遺産など観光名所も多く、これから楽しみな国でもあります。



  


































飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百九十五弾:中国南京観光
2017年3月18-20日
  

アジアの大国中国に足を運び、雄大な長江と明代の城壁が自慢で北京、西安、洛陽と並ぶ中国四大古都の一つで人口密度が高い大都市、長江の河口から360kmさかのぼった盆地に位置する南京を訪れました。

18日16:15関西国際空港全日空で出発
17:50上海浦東空港到達、リニアモーターカー、メトロ経由して上海駅下車
17:00上海駅駅前のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
19日9:00上海駅高速鉄道で出発
11:00南京駅到達、散策。
南京の歴史は三国志の時代から始まります。北京、西安、洛陽に並ぶ中国4大古都の一つとして栄え、紫金山には明代の皇帝の陵墓が築かれています。三国志ファンは必見の場所なんですよ。近代には、孫文のお墓(中山陵)が築かれました。また、戦時中は旧日本軍による南京大虐殺があった場所として世界的に知られています。

南京総統府 (天王府跡): 辛亥革命から国民党の民族主義政誕生にいたるまで、近代中国の激動の政治史において重要な役割を果たしてきた宮殿です。600 年以上に渡って南京総統府 (天王府跡) は、中国国家における政界の要人たちの執務室として使用されてきました。今日では 20 世紀中国の歴史をテーマにした博物館になっています。皇帝時代の建物群をめぐりながら骨董品や写真、資料などの展示品を見学し、広大な庭園を散策してください。

梅園新村記念館:1946年5月から翌年の3月まで、周恩来らの共産党代表団が国民党との交渉を行うために滞在した場所です。構内には、当時の建物に周恩来の執務室等が再現されているほか、史料陳列館があります。

南京博物館:多くの中国王朝の都が置かれた南京の歴史を知ることが出来る充実した展示内容です。上海の博物館も見学したことがありますが、やはりいくつもの中国王朝の都が置かれた南京だけあって、出土文物など国宝クラスの展示品が多く、見所満載の博物館です。

中山陵:日本人に馴染み深い中国の近代政治家といえば孫文。日本にも留学経験のある革命家です。彼のお墓があるのも南京なんですよ。明孝陵と同じ紫金山内にあり、392段の石段を登って見学します。夏場はかなり厳しい見学コースかも。中国では修学旅行で行く定番スポットらしく、いつ行っても学生の団体さんであふれています。

霊谷寺:中国人には寺として知られ、中山陵の東にあります。6世紀には、今の明の初代皇帝の墓に本来ありました。14世紀後半に現在の場所に移されたのです。梁を使わずに建設された無梁殿がここの名所です。ブロックを組み合わせて陶製の瓦屋根を支えています。全部で5つのアーチがあり、中央にある最

明孝陵:明朝を造り上げた朱元璋と皇后が眠る陵墓。世界文化遺産の一つです。棺や周辺エリアはまだ発掘されていないそうで、発掘の申請を出してはいるものの許可が下りていない状態なんだそう(2012年3月現在)。どんな歴史ミステリーが解明されるのか、ナビも気長に注目していきたい場所です。ユニークな動物の石像はもちろん当時作られたもの。周囲は梅の名所としても有名です。

美齢宮:中国の江蘇省南京の、東部にあり、蒋介石が建てた主席官邸。紫金山の南麓に位置し、孫文の陵墓である中山陵と世界文化遺産である明孝陵の南隣に位置する。◇1931年に建造され、当時の名称は国民政府主席官邸だったが、蒋介石と夫人の宋美齢がしばしば宿泊していたので美齢宮と呼ばれるようになった。現在は資料館として再現され、入り口には宋美齢が使用していたクラシックカーが展示されている。1992年3月、南京市文物保護単位に指定された。

18:00南京南駅付近のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
20日8:00歩いて北に向かう。

雨花台風景名勝区:中華門から南へ、南京市郊外の高台に、広大な雨花台風景名勝区があります。この日は日曜日で、大勢の市民や観光客で賑わっています。ここは、国民党が統治した中華民国時代に、敵対していた共産党員等が処刑された場所で、国共内戦に勝利した解放後の1950年代になって、革命戦士の冥福を祈るため建設されたのだそうです。

中華門:明代に築かれた城壁の一部。数々の戦乱をくぐり抜けてきた門が当時のまま残されています。城壁としての強度を保証するため、不良品対策として積まれているレンガ一つひとつに制作者の名前が刻まれているんですよ。しかも、中国全土、異なる年代のレンガが使われているため、刻まれている文字の書体がバラバラなのも興味深い点。生々しい歴史を間近で見ることができます。

太平天国歴史博物館:太平天国に関する資料を集めた歴史博物館。天王洪秀全の胸像をはじめ、洪秀全の玉衣や玉璽、また太平天国軍が使用した大砲など当時の遺品や資料を数多く展示している。なお、当所は清朝なか ばまで「瞻園」と呼ばれていた庭園で、太平天国時代、東王楊秀清の宮殿(東王府)として使われていた。

夫子廟:上海でいえば豫園にあたる下町観光スポット。孔子を祀る「夫子廟」と、その周辺一帯の繁華街のことで、廟は合格祈願に訪れる若者でにぎわっています。周辺には食べ歩きやお土産探しができるお店もいっぱい。オープン100年以上を超える老舗も見かけます。地元の人いわく、来るなら夜がベスト。ライトアップされて、夕食やお酒を楽しむ人たちでにぎわうんです。 」と、その周辺一帯の繁華街のことで、廟は合格祈願に訪れる若者でにぎわっています。周辺には食べ歩きやお土産探しができるお店もいっぱい。オープン100年以上を超える老舗も見かけます。地元の人いわく、来るなら夜がベスト。ライトアップされて、夕食やお酒を楽しむ人たちでにぎわうんです。

メトロで西に向かう。

侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館:南京大虐殺の記念館です。遺骨や元日本兵から寄贈された資料、パネルなどで旧日本軍が起こした惨劇を展示。ここを訪れたことがある日本人は、考え方の違いを問わずほぼみんな「一度見ておいたほうがいいかもね」という感想を持つようです。ニュースやネットで見聞きしたことに頼らず、一度自分の目で見て、自分がどう思うのかについてじっくり考えてみましょう。平和について改めて考えさせられるはずです。

12:00南京南高速鉄道駅到達。
13:10南京南駅高速鉄道で出発
14:20上海虹橋駅到達、メトロで上海浦東空港に向かう。
16:30上海浦東空港到達。
19:05上海浦東空港全日空で出発
22:00関西国際空港到達。

今回の旅行、アジアの大国、中国に足を運び、中国四大古都の一つ、南京を訪れ、散策し楽しみました。
南京大虐殺で有名な南京、反日感情が強いと思われがちだが、町の人々は結構親切、親日の様に感じました。
侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館は新しくなり立派、日本の多大な寄付でも成り立っています。日本は南京市に多大な援助を行っているみたいです。現在の南京の人々は理解し過去の事件を忘れ日本人と温かく接しているようです。

今回の2つのホテル、両方とも日本から持参した地図の位置が異なっており、タクシー運転手、町の人々に聞いて何とかたどり着くことができました。
過去何回も中国を訪れたことがありますがホテルの位置、日本で十分調べておくことが賢明です。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百九十一弾:中国上海水郷古鎮(朱家角・楓涇・七宝)巡り観光
2017年2月11-12日
  

日本に一番近場の上海に足を運び湖水地方に点在する古民居が保存され、伝統的な生活様式が残る古鎮と呼ばれる町や村があり、特に江南地方は昔から水利に恵まれたため、運河の走る小さな水郷古鎮の朱家角・楓涇・七宝を訪れました。
11日9:30関西空港全日空で出発
11:15上海浦東空港到着、リニアモーターカー、地下鉄経由して
14:00地下鉄徐涇東下車、タクシーで朱家角に向かう。
14:30朱家角到達、散策

朱家角:
朱家角は三国時代には既に存在していたという広さ4.7km2の古い小さな町で、『小橋と流水の天然風景、正真正銘の明清時代の町』と言われているそうです。伝承によると、宋、元代から朱家角には市が形成され、町全体を貫く運河によって近隣の産物が集められ、川岸に定期市が形成されたそうです。こうして商業が栄え、明・清代には江南でも比較的規模の大きな町に成長したためか、朱家角には明・清代以降の建物が多いようです。確かに町中を縦横無尽に河が流れ、36個もあるという石橋が架かっている『これぞ水郷』といった町です。

朱家角の家の多くは川を背にして道に間口を開いています。両岸の民家は川側に勝手口を設けており、商店まで行かずに荷を運ぶ舟から直接物を購入するそうです。

17:00バスで出発
18:00上海広場到達、地下鉄でホテルに向かう。
18:40地下鉄金京路下車、ホテル到着後食事を済ませて就寝。

12日8:00地下鉄金京路で出発
9:40地下鉄錦江楽園下車、
10:30バスで
楓涇に向かう。
11:30楓涇到達、散策。

楓涇:かつて呉の国と越の国の境に位置する為、呉越名鎮と呼ばれた。現在、楓涇は上海市と浙江省五つの県、区(金山区、松江区、青浦区、嘉善市、平湖市)の境に位置し、上海市から中国西南部各省への窓口になっている。また、金山農民画の発祥地として国内外に広く知られている。典型的な江南水郷古鎮で、周りには縦横に水路が走り、52本の橋がある。現存する最古の橋は、元の時代の致和橋で、700年余りの歴史がある。広大な敷地に29箇所の街道、坊があり、84本の路地があり、上海で現存する最大級の水郷古鎮の一つである。

13:30楓涇バスで出発。
14:30地下鉄錦江楽園出発
15:15地下鉄七宝下車、散策。

七宝:
七宝古鎮は上海市内から一番近い古い町で、上海市郊外の西南部に位置し、江南水郷の自然景色と悠久な歴史や深い文化を有する古い町であり、今まで1000年余りの歴史を持っています。

古鎮には南北を貫く明清時代の古い街があり、肩を並べて三人しか通れないほど狭い通りです。両側には赤い色の門の老舗が立ち並んでいます。街は南大街と北大街からなり、南大街は特色のある小吃店を中心として、北大街は観光工芸品、骨董、書画作品の販売店を中心として分かれています。今の古い街はもうすでに「休養、旅行、買い物」三つのファクションを一体化した繁華街になりました。


16:30地下鉄七宝出発、地下鉄、リニアモーターカー経由して
17:30上海浦東空港到達。
19:05上海浦東空港全日空で出発。
22:00関西国際空港到達。

今回の旅行、日本に一番近い上海に足を運び、湖水地方に点在する
水郷古鎮の朱家角・楓涇・七宝を訪れ楽しみました。
水郷地帯の町、村の散策癒されます。お店もたくさんあり、人も多く、にぎわっており、時間を忘れてしまう散策でした。湖水地方の水郷古鎮は今回以外に多数存在します。次回訪れたいと思います。

2つ目の
水郷古鎮楓涇は地下鉄駅からバスですんなり訪れることができましたが、帰りのバス、バス停がなかなか見つからず、楓涇は経由場所であり、別のバスで先方のバスターミナルに行ってからでないとバス乗り場がなく、周囲の人に何回か尋ねて何とか帰るることができました。

  
 







飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百八十六弾:メキシコ観光
2016年12月28-2017年1月4日

東はカリブ海、西は太平洋に面し、国土は日本の約5倍、標高差や地質により気候や自然環境が多様で訪れる場所によってはまったく異なる印象を受け、弓状に伸びる広大な国土に歴史、文化、自然の魅力が詰まったメキシコを訪れました。
28日8:30伊丹空港出発
9:35羽田空港到達
10:35羽田空港シャトルバスで出発
11:45成田空港到達
15:25成田空港アエロメヒコ航空で出発
12:15(時差ー15時間)メキシコシティ到達

メキシコシティ:世界遺産を数多く擁する南米観光の人気都市、メキシコシティ。世界遺産の中でも広大な規模を持つテオティワカン遺跡には世界中から多くの遺跡好きが集まります。メキシコを発祥の地とするプロレス、ルチャリブレ観戦や、テオティワカン、アステカ、マヤ、3つの文明の発掘物が揃う国立人類学博物館も外せない観光名所。優れたアートも発達していて、独特なスタイルの女流画家フリーダ・カーロ、メキシコ人建築家「ルイス・バラガン」のゆかりの地としても有名です。

バスでメキシコ国立人類学博物館に向かう。
13:30メキシコ国立人類博物館到達見物。

メキシコ国立人類学博物館:
チャプルテペック公園の中に位置するメキシコ国立人類学博物館は、マヤ文明以前からスペイン侵略までの古代メキシコの芸術作品の数々が並び、その規模は世界一です。メキシコで最も訪れられている博物館としても有名です。地上階には古代メキシコの文化、そして2階には現在メキシコに住む先住民族の暮らしが展示されています。まず、博物館に入ると、右手に中央アメリカで繁栄した文化が時系列に並んでいます。その後、四角く囲まれた建物を反時計回りに進んでいくと、メキシコでどのように文明が発展していったのかを見てとることが出来ます。
展示室は23あり、それぞれ特定の地域や文化の展示がされています。メソアメリカ文化のテオティワカン、トルテカ、アステカ、ミステク、サポテカ、オルメカ、およびマヤ文明などがその例です。最も有名なアステカ・カレンダーの「太陽の石」は必見です。1400年後半ソカロの下に埋まっていたところを発見され、約3.6メートル、25トンの玄武スラブ岩です。こちらはオリジナルの作品で、とても貴重なものです。ぜひお忘れないようにしてください。その他の見どころは、8世紀のマヤ文明の墓の復元と完璧な保存された骨組み、テンプロ・マヨールのミニチュア模型、アステカ君主モクテスマ2世の羽が付いた頭飾りのレプリカや、オルメカ文明の巨頭像があります。

16:00バスで近くのホテルに向かう。
16:15ホテル到達、
周囲を散策。

独立記念塔:日本大使館やオフィスが並ぶレフォルマ通りにそびえ立つ塔があります。これはEl Angel(エル・アンヘル)と呼ばれる、「天使」の名を持つ独立記念塔です。
この塔は1810年に始まったメキシコ独立戦争の100周年を記念して1910年に建設されたものです。塔の高さは48mあり、アンヘルの部分だけでも6.7mあります。アンヘル像は、ギリシャの勝利の女神ニーケーをかたどったものです。この像は銅製で、24金で覆われており、重量にして7トンもあります。右手には勝利を象徴する月桂樹、左手には自由を表すちぎれた鎖を持っています。
塔の足元には、メキシコ独立革命の父であるイダルゴ神父の像のほか、メキシコ独立戦争の英雄であるモレーロス、ゲレーロ、ミナ、ブラーボの像が立っています。さらに四方には、「法」、「正義」、「戦争」、「平和」を示す黒い像が配置されています。
ちなみにこのレフォルマ通りや独立記念塔は、イベントやお祭り、抗議運動などが行われる際に、多くの人が集まることでも知られています。

18:30ホテルで夕食就寝。
29日8:00バスで出発プエブラに向かう。
10:30ブエブラ観光

ブエブラ:メキシコシティより東へ約100km(車で約2時間)ほどの観光都市、プエブラ州都プエブラ市。正式名称はエロイカ・プエブラ・デ・サラゴサ(Heroica de Puebla de Zaragoza)。1862年5月5日にイグナシオ・サラゴサ将軍が指揮したメキシコ軍が、プエブラでの会戦でフランス軍に打ち克ったことから、その名がつけられました(アメリカで毎年盛大に祝われる「シンコ・デ・マヨ」は、プエブラ戦勝日にちなんでいます)。人口約149万のメキシコで4番目に大きな都市で、プエブラ市中心部にある歴史地区のセントロ・イストリコ(Centro Historico)は1987年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。
16世紀のスペイン入植によって築かれ、カトリック教の繁栄や、メキシコシティとベラクルス港を結ぶ重要な中継点として発展してきたこの町。天使たちが生んだという伝説があり、プエブラ・デ・ロス・アンヘルス(Pueblas de Los Angeles=天使たちのプエブラ)と呼ばれ、市内のいたるところに天使の像やモチーフが散りばめられています。コロニアルな町並みには、特産の陶器、タラベラ焼きのタイルをふんだんに使い装飾された美しい建造物が多く見られます。プエブラは宮廷料理から発展したメキシコ料理の発祥地であり、グルメ好きなら避けては通れない場所でもあります。また、プエブラ市中心部から西へ8kmの町チョルーラは、5~8世紀頃の世界最大級のピラミッドの上に教会が建てられた独特な場所で、古代文明とコロニアル文化の両方を堪能できます。

ブエブラ大聖堂:70m近い高さを誇る二つの鐘楼を持つのが、街の中心的建造物の一つであるカテドラル。天使の街の由来を持つカテドラルで、16世紀から17世紀にかけて建築されたものだ。外側は地味な石煉瓦造りだが、内部はまばゆいばかりの白と金。当時のキリスト教勢力の強大さを思い知らされる。

サント・ドミンゴ教会:教会の外装はえんじ色の壁と石煉瓦の組み合わせのシンプルなものだが、やはり贅沢を極めた教会であるのは、一歩中に入ればすぐにわかる。16世紀から17世紀に75年以上かけて建造された教会で、白に金箔をあしらった内装は豪華絢爛。内部にあるロサリオ礼拝堂が有名で、メキシコ・バロック様式の最高傑作といわれるだけあるきらびやかさを持っている。教会にも礼拝堂にも像が多いのが特徴的。幼子を抱いた聖母像は微笑ましいが、傷ついたキリスト像などは目を背けたくなるような写実感がある。

タラべラ焼き工房:陶器づくりに適した土が取れ、陶器づくりも行っていた歴史を持つところへ、スペインの陶器職人が移り住み、さらに質の良い陶器が作られるようになったという。多くの製造業者があるが、本物のタラベラ焼きを作れるのは認定業者だけ。購入する時には、そのあたりも要チェックだろう。白地に青が主だが、黄・赤・緑の華やかな絵付けをした陶器も多く出回っている。形は、カップ、皿、壺、そしてタイルなどさまざま。大きさもいろいろだ。

パリアン市場:プエブラ土産を買うなら、時間が余ったなら、食べ物や飲み物が欲しくなったなら、迷わず向かうのがエルパリアン市場。道沿いの商店だけでなく露天的な店もたくさん出ていて、見ているだけでも楽しい。また購入には値引きのためのやりとりが必須。市場内には観光用の工場があり、ロクロを足で回しながら手作業で陶器を作り、棚で乾燥させ、焼いて、絵付けをするという一連の作業を観察できる。

ソカロ広場:アステカ帝国時代神殿が立ち並んでいた重要な場所であり、現在もなおメキシコの政治的、宗教的な中心地。正式名は「憲法広場(PLAZA DE LA CONSTITUCION)」。毎朝夕に行われるフラッグセレモニーは観光の名物。

ポポカテペトル山:中米,メキシコ市南東約70kmの成層火山。標高5465m。万年雪を抱き山頂に直径約600mの火口がある。16-18世紀に活動したが,1927年の噴火後は活発な活動をしていなかったが再び噴火活動が繰り返されている。

ウェホツィンゴフランシスコの修道院:ポポカテペトル山腹の16世紀初頭の修道院群 そのひとつの「ウェホツィンゴフランシスコ会の修道院」を訪れました。先住民への布教を促すために、前庭で礼拝が行われたといいます。

バスでメキシコシティに向かう。
18:00ホテル到達。

マリアッチ音楽を聞きながらメキシコ料理、就寝。

マリアッチ音楽:メキシコ音楽の小編成の楽団。弦楽器のアンサンブルに金管楽器を加えた編成で,昔は婚礼の席や,野外パーティーなどで演奏していたが,のち一般化した。大小のギター類,バイオリン,マンドリン,コントラバス,トランペットなどによる7~12人ぐらいの編成が多い。
メキシコ料理:、アステカ族の料理やマヤ族など先住民族の料理を母体とし、コンキスタドールのもたらしたスペイン料理の影響を受けて成立した料理で、土着の作物トウモロコシ、インゲンマメ、多様なトウガラシ(チレ)を用いた、辛味の効いた料理でよく知られている。

30日9:00バスで出発

三文化広場:トラテロルコ(TLATELOLCO)の広場にアステカ時代の神殿の遺構、植民地時代のサンティアゴ教会(IGLESIA DE SANTIAGO)、現代の高層ビルという3代に渡る建築様式が集まっている。

グアダルーペ聖堂:メキシコのカトリック総本山であるグアダルーペ寺院。褐色の聖母が祀られていることでも有名ですが、一番はバチカン公認のカトリックの三大奇跡が起こった場所として有名です。
その奇跡とは、1531年にこの地に教会を建てるように聖母からお告げを受けた先住民のディエゴ。ディエゴは司祭にそのことを話しますが、信じてもらえずにいました。そこに再び聖母が現れて、その季節に咲いていないバラを渡し証拠とするように言いました。
そしてディエゴはそのバラを司祭に見せ、このグアダルーペ寺院が建てられたとされています。

テオティワカン:テオティワカン遺跡は、2世紀頃に栄えた世界最大の宗教都市の遺跡です。
世界遺産にも登録され、2㎞以上にわたる広大な遺跡がしっかりと残っているとして有名です。
ここには太陽と月の2つのピラミッドがあり、どちらのピラミッドにも登ることができます。太陽のピラミッドはテオティワカン遺跡内で最も大きな遺跡で、登るのは大変ですが、頂上からの景色は格別ですので是非登ってみて下さい。
また、太陽のピラミッドの頂上は人気のパワースポットになっていて、安倍首相や小泉全首相も訪れるなど、首相達の定番スポットになっているようです。メキシコシティ一の人気の観光スポット。

昼食後

メキシコシティ歴史地区「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ」は、人口2000万を数えるアメリカ大陸最大の都市メキシコシティーにある行政区の一つであるソチミルコと、メキシコシティーの地下に眠る古代文明の遺跡から構成される世界遺産です。
南アメリカにはかつてアステカ帝国が栄えていましたが、16世紀にこの地を征服したスペイン人によりその文化、建築物は全て破壊されてしまいました。ところが、1978年になって中南米最大の大聖堂の地下から偶然アステカ帝国時代に作られた石積みが見つかり、メキシコシティーはアステカ帝国の遺構の上に建設された都市であることが分かったのです。
その後の発掘ではアステカ文明の大神殿が姿を現し、失われたアステカ帝国の文化が地上に復活することとなりました。謎多きアステカ帝国の首都テノチティトランはテスココ湖内の島の上に建設されたのですが、メキシコシティーの南に位置するソチミルコはその湖の一部であり、今も残るアステカ時代の農業の名残が、アステカ帝国繁栄の当時を偲ばせます。

メトロポリタン大聖堂:メキシコシティを代表するこの大聖堂は、奥行き109m、幅59m、高さ65mと巨大でアメリカ大陸で最大級の教会です。1573年に建設が開始され、1800年代まで完成が延びたことから、ルネサンス、メキシコ風バロック、新古典主義様式が採用されています。元々はアステカの戦争の神ウィツィロポチトリの神殿があった場所で、スペイン人の征服者がやってきて神殿の基礎の上に大聖堂を建設したものです。現在は柔らかい土壌のため、1990年代に安定化工事をしたものの、建物自体は傾いています。
中には16の礼拝堂と、祭壇、金で覆われた装飾品、絵画や彫刻を見ることが出来ます。そして大聖堂の上には何トンもする25もの鐘が取り付けられていて、11時45分ごろから5分間に渡ってソカロ広場が鐘の音に包まれます。

ソカロ広場:メキシコ各地にはスペインの建築家達によって作られたコロニアル都市があり、セントロ・イストリコは、その中でも代表的な歴史的中心地区で世界文化遺産に登録されています。そんなセントロ・イストリコの中心にあるのが、世界最大のソカロと呼ばれる広場。
ソカロの周りには重要な機関がまとまっていて、大統領の演説など政治的な場所として使用される他、コンサートやイベントが行われることもあります。普段は地元の人達の憩いの場として愛されている広場です。

テンプロ・マジョール遺跡:メキシコシティは、元々、古代アステカ帝国の首都テノチティトランがあった場所で、ここには古代文明の壮麗な宮殿や寺院が立ち並んでいた。そこにやってきた侵略者スペイン人たちは古代都市を破壊し、その上に自分たちの植民都市を築いた。このため、現在のメキシコシティ中心部の下にはアステカの首都の土台が埋もれているわけだ。
1978年2月、メキシコシティの中心にある大聖堂の近くで工事を行っていた電力会社の作業員が、地下部分でレリーフが施された石を見つけた。これをきっかけに、地下の調査が行われ、この周辺に大規模な古代遺跡が埋まっていることが確認された。その後、古代遺跡の保全作業が進められ埋もれていたアステカ帝国の大寺院であるテンプロマヨールの基盤部が姿を現すととともに、アステカの神を彫刻した巨大な石版をはじめとする、様々な遺物が発見されたのである。

国立宮殿:メキシコシティにある中世建築物で、ソカロの一画を占める大きな建物です。現在は大統領の国務室、大蔵省として使用されています。中には、ベニートフアレスの記念室もあります。
特に独立の鐘と正面入り口の奥にあるディエゴ リベラによって描かれた大壁画「メキシコの歴史」は見事!

レフォルマ大通り:メキシコシティへ来たら、車か、徒歩かはともかく、必ず一度は通るであろう道がレフォルマ大通り。並木道のフランスのシャンゼリゼ通りに例えられる(実際にそれに似せて作られたのだが)。時間の余裕があったら、絶対お勧めしたいのは、ゆっくりこの通りを散歩してみる事。実に楽しい!歩道はまさに、無料のギャラリー。常設の彫刻がある他にその時々でテーマがあってメキシコの芸術家の色々な彫刻の展示がある。チャプルテペック公園の辺りは随時、野外写真展、芸術家製作の芸術ベンチもユニークで、お気に入りベンチに座って、記念写真を撮って散歩の一休み。

メキシコ国立自治大学:メキシコ国立自治大学の中央キャンパスは、1551年に建てられたアメリカ大陸で2番目に古い大学であり、ラテンアメリカ最大の敷地面積を誇る大学です。
この中央キャンパスは、オリンピックスタジアムと、40個の学部、研究所、文化センター、中央図書館、博物館、生態系の保全区域があり、それがまるで1つの街のようであることから大学都市と呼ばれています。
また、この都市は建築家たちが統一性を持って作りあげ、その素晴らしさから2007年に世界文化遺産に登録されました。
キャンパス内の建物の壁には、有名な作家であるフアン・オゴルマン、アルファロ・シケイロス、ディエゴ・リベラ達による絵が至る所に描かれています。
重要なメキシコ芸術に触れることができ、メキシコの学生生活も垣間見ることができるので、メキシコシティのおすすめの観光スポットです。

空港へ

22:00メキシコシティ出発
23:56メリダ到達

31日1:00ホテル到達就寝

9:00バスで出発

マヤパン遺跡:マヤパンは1220年代から1440年ころまで栄えた、マヤ文明の古代都市の中でも新しい時代に属する都市だ。それ以前のユカタン地方北部は強大な勢力を持ったチチェン・イッツアの支配下にあったが、この支配者に対する反乱が起きてチチェン・イッツアは衰退、放棄されてしまった。その後、反乱を起こした者たちを中心に、チチェン・イッツアから100kmほど離れた場所に新しい都の建設が進められた。これがマヤパン(マヤの旗)だ。

カバー遺跡:「カバー遺跡」はウシュマル遺跡同様の”プウク様式”の建築技法が用いられ、神殿に施された物凄い数の”雨神チャック”と呼ばれるマヤの神の顔が装飾されておりその装飾はまさに圧巻。装飾の細かさに目が釘付けです。雨神チャックの顔で装飾されたその神殿は、別称「仮面の神殿」とも呼ばれております。

ウシュマル遺跡: 「ウシュマル遺跡」といえば、他のマヤ遺跡では見かけない丸みを帯びたピラミッドがとても目を引きます。このピラミッドは”魔法使いのピラミッド”と呼ばれ、小人達が一晩で作り上げたという伝説が残る謎のピラミッドです。
ウシュマル遺跡は装飾が特徴的なプウク様式という造りになっており、ピラミッドや尼僧院など壁が装飾で覆われており、その装飾も一見の価値あり。この様式に代表される「マヤアーチ」と呼ばれるアーチ型の通路・入り口も必見。ウシュマル遺跡はこうした建築様式にも注目したい場所です。

メリダ市内観光:メリダはメキシコにある都市で、ユカタン州の州都です。1542年、スペイン人入植者フランシスコ・デ・モンテーホによって都市が開かれ、中央広場の南側にあるモンテーホの宮殿は現在、銀行として使われています。市の中心部には美しいコロニアル様式の町並みが。街中には観光兼移動手段であるトロッコ馬車が走っています。

18:00ホテル到達
夕食就寝

1日8:00バスで出発
チチェンイッツァ―遺跡:紀元後6世紀頃からの、マヤ独自の旧チチェン・イッツァ時代と
10世紀以降のトルテカ文明と融合した新チチェン・イッツァ時代とに分かれる。
旧チチェン・イッツァ時代は、マヤ文明特徴の定期的な遷都で、終了する。
10世紀頃に再びこの地に移り住みだしたが、その時は、中央高原のトルテカ文明の影響を受けていた。
生贄の心臓を捧げるチャックモール像、戦士、生贄の頭蓋骨、ククルカン、、とトルテカの特徴が顕著。
この時代を、新チチェン・イッツァ時代とする。
ウシュマルと同盟し権勢を誇るが、13世紀には、マヤパンを中心とした反乱にあい、滅亡する。
シケケンセノーテに向かう。

シケケンセノーテ観光:セノーテ・イキルは地底湖の事。
川がないメキシコのユカタン半島で降った雨は、石灰岩の大地を溶かし、やがて鍾乳洞となります。
そして雨水は地下で川となって、流れているのですが、その天井部分となっている地層が没落してできた井戸のような泉がセノーテ・イキルです。
真水を蓄えているセノーテ・イキルは貴重な水源でもあり、雨の神チャックが宿る聖なる泉として、マヤ時代から信仰されています。

バシャドリ市内観光:VALLADORIDはカンクンがあるQuintana Roo(キンタナ・ロー)州の隣のYucatan(ユカタン)州に位置しています。カンクンはビーチリゾートと言う事もあって、昔ながらのコロニアルな感じが全くありません。でもVALLADORIDは昔のままで、建物なんかも古いけどヨーロッパ調です。コロニアルな町と言うのはいったいどういう町?と思う方もいらっしゃいますよね。通常町の中心に大きな公園があり、公園に面して教会や市庁舎があります。少し行くと必ずメルカド(マーケット)があります。

カンクンに向かう。途中夕食。

カンクン:カンカンクンは、カリブ海に臨む世界屈指の超豪華ビーチリゾート。
その魅力はなんといっても、真っ白なパウダーサンドビーチ・極彩色/サファイヤブルーの美しい海、そしてどこまでも高く青い空。メキシコ政府の肝いりで開発されただけに、カンクンほど信じられないほどの美しさと利便性を両立しているリゾートは他には見当たりません。そして何より、カンクンが他のリゾート地と一線を画す特徴はそれらにとどまらない多様性!!ではないでしょうか?
世界中のセレブを魅了してきたビーチに始まり、カンクンが位置するユカタン半島は古代マヤ文明の遺跡が数多く残された場所。少し足を延ばせば世界遺産のチチェン・イツァや美しい城塞都市トゥルムなど悠久の歴史に触れることができますクン市内のホテル到達就寝。

2日9:00自由行動、市内バスで遺跡。博物館巡る。
エルレイ遺跡:漁村としては先古典期には既に存在したようですが、マヤセンターとしての繁栄は後古典期後期 1200年頃からで、 16世紀半ばのスペイン人によるマヤ征服まで、交易の拠点として重要な位置を占めました。

カンクン・マヤ博物館:2012 年 11 月にオープンしたマヤ カンクン博物館では、最新式の広い展示スペースに古代の遺物を収蔵。30 年間にわたる何百万ドルもの規模のプロジェクトで収集したマヤ工芸品 350 点があります。マヤ カンクン博物館での魅惑的な数時間は、この地域の伝統文化に興味のある方や、雨の日のアクティビティを探している方にぴったり。この地域のエル メコ遺跡やエル レイ遺跡を見学予定の方には、ここでしっかりと基礎知識をつけてから行くことをおすすめします。

12:00ホテルに戻りショッピングセンターに向かう。
16:00ホテルに戻る。
16:30カンクン空港に向かう。
19:27カンクン空港出発。
21:10メキシコシティ空港到達。
3日00:35メキシコシティ空港出発。

4日6:20成田空港到達。
空港バスデ羽田に向かう。

10:30羽田空港出発
11:40伊丹空港到達

今回の旅行、太平洋の遥か東、アメリカ大陸に足を運び、日本の約5倍の国土面積をもつ大国。西側は太平洋が広がり、東側は大西洋につながるメキシコ湾やカリブ海に面している。首都メキシコ・シティをはじめとした中央高原地帯は標高2000m級の大地に都市が点在する、温暖で過ごしやすいエリアだ。一方で海岸沿いや南東部のユカタン半島などの低地は年間を通じて暑い日が続く。そんな地形や気候の起伏に富んだメキシコは各地に多様な文化があり、遺跡や古都、ビーチリゾートなどの観光要素が盛りだくさんなメキシコを訪れ
国内に点在する遺跡、テオティワカン、ウシュマル遺跡、チチェンイッツアー遺跡、世界的に有名なリゾート地カンクンを訪れ楽しみました。
多くのピラミッド遺跡はエジプトのミラミッドは砂漠の中に点在し聳えていましたが、メキシコのピラミッドはジャングルの中に点在し重厚でがっちりした容貌で迫力があり圧巻でした。又
世界有数のリゾート地カンクンはカリブ海とラグーンに挟まれた20㎞の細長い洲に純白のビーチが広がりその美しさに感動しました。
メキシコに点在する巨大なピラミッド含む遺跡巡りと世界的有名なリゾート地カンクン観光、5泊8日の旅満喫しました。
 

























飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百七十六弾:韓国慶州観光
2016年10月8-10日
  

近場の外国韓国に足を運び、三国時代の新羅の古都で1000年も栄え、町の至る所に古墳に出会い、屋根のない博物館と呼ばれる慶州を訪れました。

8日19:15関西空港大韓航空で出発
20:40釜山金海国際空港到達、地下鉄で西面に向かう。
21:20西面駅付近のホテル到着後就寝。
9日7:00出発、地下鉄で老圃下車。
9:30釜山総合バスターミナルから出発
10:30慶州バスターミナル到達、慶州市内散策。

金庾信将軍墓:新羅時代第27代の善徳女王から第30代の文武王まで歴代の王に仕え、三国統一に生涯を挙げた新羅の英雄、金庾信(キム・ユシン/AD595~673年)将軍の陵墓。
将軍は百済や高句麗との戦いで活躍し、司令官として新羅による全国統一に尽力したといわれます。
墓は美しい円墳で、どんな王陵にも引けを取らない立派なもの。雄壮で封墳の基部には屏風のように板石を護石として設置しており、円墳の周りを囲む護石には武器を持った十二支神像が刻まれています


太宗武烈王陵:太宗武烈王陵(新羅第29代、AD654~661年)の古墳。慶州市の西南、仙桃山の麓に位置し、大きな土盛りと柔らかな稜線の円形墳と亀の形をした石碑の土台が残っています。
太宗武烈王(金春秋・キムチュンチュ)は、金庾信(
キム・ユシン)将軍とともに三国統一の基礎を作った英雄であり、新羅黄金期を開いた名君として知られています。王位に就く前は日本・唐・高句麗などを歴訪し、巧みな外交手腕を発揮しました。
王陵の規模は円周114m、高さ8.7mで、比較的大きい方であり、陵の下は自然石で築き上げ、ところどころに大きい石で支えましたが、現在は土の中に埋められています。


大陵苑:慶州の皇南洞にある大陵苑は古墳群の中で最も大きい規模です。正式名は大陵苑といい、およそ12万5,400坪の敷地に23基の古墳が保存されています。
昔、園内には180余棟の民家が住んでいましたが1970年代浄化作業後、いまのようにきれいに整備されました。被葬者がわかっているのは新羅第13代味
鄒王陵(在位262年~284年)の古墳だけ。古墳はどれも大きく、新羅時代の王様もしくは王族の古墳と見られています。夫婦で合葬された双子山型の古墳もあります。古墳の周囲は青々とした松林

瞻星台:新羅時代天文を観測した瞻星台は東洋最高の天文台で、新羅善徳女王(西暦632~647年)に築造されました。瞻星台は、陰暦の数と同じ361.5個の花崗岩を材料にして積み上げ、基壇は12個の長方形、真ん中の窓へりから上と下の石段をそれぞれ12層で組み上げた巧妙な造り。
瞻星台の頂上の井型の石の囲い部分は、新羅の子午線の標準となって各面はちょうど東西南北の方位を示します。又、真ん中の窓は真南に向いてあり、春分と秋分の時には日の光が瞻星台の底辺まで照り、夏至と冬至の時には瞻星台の下の部分から日の光が完全に消えて、春夏秋冬を分ける区分点の役割をしました。


雁鴨池:雁鴨池は、新羅の文武大王が三国統一を達成した後、宮城内に造成した池であります。新羅の宮廷である半月城の東に位置し、当時は月池と呼ばれましたが朝鮮時代以降雁鴨池と呼ばれました。
半月城から歩いて5分の距離にある雁鴨地は、統一新羅時代の王族たちの宴会、会議場及び貴賓の接待場所として使われた所です。王子が住む東宮としても知られており、文武王19年に宮廷を非常に華麗に創建されました。
雁鴨池は哀荘王、文聖王、景文王の時に臨海殿を改築され、3個の島と12個の峰を造って珍しい動物を飼い、美しい花と木を植えた新羅原地の代表的なものです。
池には舟を浮かべて風流を楽しんだと言われています。

国立慶州博物館:新羅千年の都である慶州にある国立慶州博物館は、新羅の文化遺産を一目で見ることができる韓国を代表する博物館であります。1945年に国立博物館として開館し、1975年に現在の位置に移転した国立慶州博物館は、先史時代から朝鮮時代に到る遺物21万点あまりを所蔵してあり、その中で3000点あまりを展示しています。

善徳女王陵:この陵は新羅第27代王である善徳女王(在位:632~647年、金徳曼)が祀られた場所であります。慶州市東南側にあるナンサン(狼山)の南側稜線の中腹に位置しています。
全周74mの円墳で、高さ6.8m、直径24mになるこの陵の外形は土を丸く積み上げた形態をなし、下部には陵を保護するために2~3段からなる自然石の石築があります。他の陵に比べて規模が小さくなっています。

芬皇寺:芬皇寺は善徳女王3年(634年)に創建された統一新羅四大寺の一つで、偉大な高僧元暁と慈蔵が経ったお寺としても有名です。
今は小さな法堂と井戸、石塔が残っているだけです。
慈蔵が中国の唐から持ち帰った大蔵経の一部や重さ180トンの薬師如来仏があったと伝えられるが、後世の仏教弾圧の影響などで今は跡形もないのです。

16:00慶州バスターミナル出発
17:00釜山総合バスターミナル到達
17:15地下鉄老圃出発
17:50西面到達、ホテル到達後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
10日7:00出発、地下鉄で釜山駅下車。
7:30釜山駅高速鉄道で出発
7:57新慶州駅到達、タクシーで仏国寺方面に向かう。
8:50石窟庵到達、散策

石窟庵:新羅千年の歴史と息遣いがこもた石窟庵は、統一新羅の文化と科学、宗教的な情熱の結晶体であり、国宝の中でも最上なものとして見なされる文化財です。
石窟庵は、吐含山の麓に位置して、仏国寺から山頂に車で約7.5km向かう途中にあります。新羅の景徳王10年(751年)、仏国寺の創建と同様、宰相金大成によって石仏寺という名前で創建されますが、彼が亡くなった後、国が工事を引き受けて完成させたものです。


10:00シャトルバスで仏国寺に向かう。
10:15仏国寺散策
仏国寺:慶州の吐含山の麓にある仏国寺は石窟庵と共に、護国の念願を達するために新羅第35代景徳王10年(751年)、当時宰相である金大成によって設計、創建されたお寺です。
世界文化遺産に指定されている仏国寺は、現在もスケールの大きな寺院ですが、最盛期の8世紀には総2000間の60余棟の木造建物に成り立った壮大なスケールを誇っていたといいます。


11:00タクシーで慶州に向かう。
11:30慶州到達、昼食
13:00慶州バスターミナルから出発
14:00釜山金海国際空港到達
16:55釜山金海国際空港出発
18:15関西空港到達。

今回の旅行、近場の外国、韓国に足を運び、三国時代の新羅の古都慶州を訪れ、数多く点在する円墳の町中を散策し楽しみました。
2日目はタクシー、バスを利用して郊外に位置する世界遺産仏国寺、石窟庵を巡りました。

2泊3日の慶州の旅、比較的派手さはなく地味ですが点在する多くの古墳の町、散策して巡り満喫しました。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百六十九弾:バルト三国&ヘルシンキ観光
2016年8月7-14日
 

ヨーロッパの北東部に足を運び、バルト海に面し、それぞれ独自の歴史をもっていたが、ロシア革命で独立の機運高まり、1918年にリトアニアとラトヴィア、20年にエストニアが独立を達成したバルト三国、フィンランドのヘルシンキを訪れました。

バルト三国:バルト海の東岸に、北からエストニア・ラトヴィア・リトアニアと並ぶバルト海に面した三国をバルト三国という。リトアニア人・ラトビア人はインド=ヨーロッパ語族、エストニア人はウラル語族と民族系統の違いはあるが、その地理的共通性からバルト三国と総称されることが多い。その地理的環境から、東方からのゲルマン人、西方からのスラブ人の圧力を受け、その歴史は自立の困難さが常につきまとっていた。中世にはリトアニアが大国になった時代があるが、近代においては長くロシアの支配を受け、一時独立したものの、第二次世界大戦後はソ連に組み込まれることとなった。ソ連のペレストロイカの中で独立の志向が強まり、1990~91年に分離独立を宣言、ソ連解体の導因となった。バルト三国といわれるエストニア、ラトヴィア、リトアニアは、1917年にロシア帝国が滅亡して以来、独立国となっていたが、第二次世界大戦が始まると1940年にソ連に併合された。独ソ戦が開始されると、一時ドイツに占領されたが、ソ連軍が解放し、1944年から再びソ連邦を構成する共和国として存続することとなった。その後ロシア人が多数移住し、ロシア語が強制されるなど、民族意識は押さえつけられていた。1985年、ソ連にゴルバチョフ政権が成立、ペレストロイカの時代となり、新思考外交によって東欧諸国のソ連離れが始まると、バルト三国でも急速に自立の気運が起こってきた。

7日10:45関西国際空港フィンエアー航空で出発

14:55ヘルシンキ空港到達

16:30ヘルシンキ空港フィンエアー航空で出発

18:15ビリニュス空港到達

バスでホテルに向かう。就寝。

8日

リトアニア:バルト三国の一番南にあり、3つの国の中では一番大きい国です。それでも国土は北海道の8割程度です。北はラトビアと南はポーランド、東はベラルーシと国境を接しています。一部飛び地となっているロシアのカリーニングラード州とも接しており、間を結ぶクルシュ砂州は世界遺産にも登録されています。
歴史的にはポーランドとともにバルト地域を支配している時代もありましたが、ロシア、ドイツ等の影響も大きく受けてきました。1991年に現在の独立国になる前はソ連に併合されていました。

8:30ヴィリニュス市内観光

ヴィリニュス:首都ヴィリニュスは人口約54万人(2013年現在)を有するリトアニア最大の都市です。バルト三国の中では唯一内陸にある首都で、ベラルーシとの国境に近い南東部に位置しています。リトアニア大公国の首都として歴史に登場するヴィリニュ首都ヴィリニュスは人口約54万人(2013年現在)を有するリトアニア最大の都市です。リトアニア大公国の首都として歴史に登場するヴィリニュスはその後、ポーランド、ソ連の支配下に入ることになります。現在のヴィリニュスは様々な歴史と文化が入り混じった魅力のある都市です。スはその後、ポーランド、ソ連の支配下に入ることになります。現在のヴィリニュスは様々な歴史と文化が入り混じった魅力のある都市です。

聖ペテロ・パウロ教会:ロシアからの解放を記念して17世紀後半に建造された、ヴィリニュスを代表するバロック様式の建築物です。旧市街の外れにあるこの教会は外装に7年、内装には30年も費やされたという美しい教会で、ここにある2000以上もの漆喰彫刻は見るものを圧倒します。「天使の漆喰彫刻」の裏には「死神の彫刻」があります。

杉原記念碑:首都ヴィルニュス ネリス川の河畔に建つ杉原モニュメント。桜の木が植えられ、傍らには広島で被爆した線路の敷石も展示されている。この記念碑は2001年に母校の早稲田大学により建立された。

3つの十字架の丘(展望台):旧市街東側にある丘です。その昔、ヴィリニュスで7人のフランチェスコ修道会の僧が殉教しましたが、うち4人が川に流され、そして3人がここで磔にされました。17世紀初頭、彼らの死を悼みこの丘の上に十字架が建てられました。十字架はスターリンによって破壊されましたが、1989年に再建。ここからはヴィリニュスの街が一望できます。

ゲディミナス城:リトアニアの首都ビリニュスの旧市街にあった城。14世紀に大公ゲディミナスがトラカイから同地に遷都した際に建設が始まったとされる。先に、丘の上に「上の城」が築かれ、16世紀頃までに「下の城」が完成した。19世紀に帝政ロシアにより大部分が破壊され、現在、ゲディミナス塔と呼ばれる監視塔の一つが残っている。。

ゲディミナス塔:14世紀、大公ゲディミナスがトラカイからヴィリニュスに遷都した際に、城が築かれた場所です。19世紀に帝政ロシアによりその大部分が破壊され、現在は監視塔として使われていたゲディミナス塔のみが残っています。ここからは新市街と旧市街が一望できます。「下の城」と呼ばれる王宮は、大聖堂のある広場にあります。塔は丘の上に建っており、丘の上にはケーブルカーで上れます。

ヴィルニュス大聖堂:1251年、十字軍の弾圧から逃れるため、ミンダウガス王がキリスト教を受け入れて最初に建造した主教座教会です。建物は18世紀に大改築が行われ、現在見られる姿となりました。正面の屋根にある聖スタニスラウス、聖ヘレン、聖カジミエルの3聖人の像は、旧ソ連時代には撤去されていましたが、1996年に再設置されました。

カテドゥロス広場:リトアニアの首都ビリニュスの旧市街にある中央広場。ゲディミナス城の丘の下に位置する。ビリニュス大聖堂に隣接し、高さ53メートルの鐘楼が建っている。

王宮:リトアニアの支配者のために15世紀に建てられた、ヴィリニュスにあるリトアニア大公国の宮殿である。長年にわたって追加築造され、16世紀から17世紀半ばの間に栄えたロウアー王宮で、4世紀にわたるリトアニア大公国の政治行政、文化の中心地であった。元の宮殿は1801年に取り壊された。新宮殿は、元の建物の敷地内に2002年から建設され、2009年7月6日にオープンしました。

聖アンナ教会:旧市街の東側にあるこの教会は、15世紀末に建造されたゴシックの秀作といわれている建造物です。フランボワイアン式の華やかなファサードを持つ、この赤レンガ造りの教会は、その美しさからナポレオンが持ち帰りたがった、という逸話も残されています。

ベルナルディン教会:聖アンナ教会の裏手にある16世紀建造の教会です。ゴシック様式とバロック様式がうまく溶け込んだこの建造物は「炎の教会」とも呼ばれ、北側の壁面は16世紀のフレスコ壁画で覆われています。教会はリトアニア人が帝政ロシアに対して蜂起した1863年に閉鎖。ポーランドに占領された1919年以降はポーランド将校の宿舎として、また旧ソ連時代には芸術アカデミーとして使用されていました。礼拝堂や側廊は当時のまま残されています。

聖ミカエル教会:リトアニア大公国の最高位であったレオ・サピエカの命により、一家の廊として1594年から1604年にかけて建造されたルネッサンス様式の教会です。1655年にはコサックの襲撃を受け建物の一部は破壊されましたが、その後何度か改修が繰り返され現在に至っています。旧ソ連時代は、建築博物館として使用されていました。

ヴィリニュス大学:1579年に創立されたこの大学は、中央ヨーロッパでもクラクフのヤギェウォ大学、ケーニヒスベルクの大学に次ぐ古い歴史を誇る大学です。1700年以降、ロシア帝国の領地になったヴィリニュスで、大学は反対運動の本拠となりました。そのため大学はロシアにより、およそ1世紀もの間封鎖されてしまいました。敷地内には12の中庭があり、またバロック様式の建物にはフレスコ画が残されています。このヴィリニュス大学のメイン・キャンパスは、100リタス紙幣に描かれました。

聖ヨハネ教会:ヴィリニュス大学の中にある教会です。旧ソ連時代、ここは科学思想博物館として使用されていました。内部には有名な学者たちの肖像画も飾られています。

旧市街に向かう。

旧市庁舎:市庁舎広場にあり旧市庁舎はそもそもゴシック様式の建物でしたが、18世紀の終わりにクラシックな建物に改装されました。かつては裁判所、財務室や武器弾薬庫などが置かれ、地下には刑務所もありました。現在は様々なイベントが年中開催されています。

聖カジミエル教会:17世紀初頭に建造されたイエズス会の教会です。ここにはリトアニアの守護聖人である聖カジミエルが祀られています。ロシア=ポーランド戦争の時に火災に見舞われ、その後18世紀中頃にバロック様式で再建されました。後にロシア正教、そしてプロテスタントの教会となりますが、宗教が禁じられていた旧ソ連時代には博物館として使用されていました。独立回復後の1991年、イエズス会の教会として復帰。内部には聖カジミエルの生涯を描いたフレスコ画や後期バロック様式の祭壇が3つあります。

トラカイにむかう。

昼食:キビナイ(ミートパイ)

キビナイ(ミートパイ):リトアニア料理のキビナイです。日本風に言えば、ミートパイです。ジャンクフードのような感じがしますけど、塩加減、肉の風味など総合して美味しいです。

トラカイ:ヴィリニュスの西28キロの場所にある、リトアニアのもう一つの古都です。この周辺には200を超える湖や、14世紀に築城された城などの見どころがあります。ボート遊びやハイキングも楽しめる行楽地の一つとして、リトアニアでも人気の観光地となっています。

トラカイ城:ガルヴェ湖の島に建てられた、14世紀に建造の赤レンガの美しい古城です。地元では「小さなマルボルク城」と呼ばれ、有名なリトアニア君主、ヴィタウタスの出生地となったことでも知られていています。かつて牢獄としても使用されていたことがあるこの城は、17世紀に巻き起こったモスクワ大公国との戦争で損壊し、その後廃墟の一途を辿りましたが、現在は改修され、ハイテクを駆使した映像で城やリトアニアの歴史を紹介する博物館としてして一般公開されています。

夕食:ツェペリナイ

ツェペリナイ:(飛行船)の形をした、もっちもち食感のいもだんご。中には肉だんごが入っています。リトアニアの名物料理。

就寝

9日

8:30バスでカナウスに向かう

カナウス:トラカイから車で1時間ほどの場所にある、リトアニア第2の都市です。その歴史は町が建設された11世紀にまで遡り、その後は交通の要所として栄えました。15世紀にはハンザ同盟に加わり、17世紀から18世紀にかけてはロシアやスウェーデンの侵攻という歴史を歩んできました。また、第二次世界大戦中には、ここにリトアニアの暫定首都が置かれました。このカウナスは「リトアニアの博物館街」と呼ばれるほど、多くの博物館が集まっています。リトアニアで最も有名な画家チュルリョーニスの美術館もここにあります。

カナウス城:ドイツ騎士団の侵攻に備えて13世紀に建造された要塞です。1363年に騎士団により幾度もの攻撃を受け破壊。その後、15世紀に再建されるものの、ビタウタス大公の時代に防衛拠点としての役割を終え、17世紀から18世紀にかけて戦争により、再び城の大部分が破壊されました。現在は、塔と城壁の一部が残されるのみとなっています。

旧市庁舎:市庁舎広場にあり、中世には市場が立った市民広場にある、18世紀のバロック様式の建造物です。その外観の美しさから「白鳥」とも称されています。帝政ロシア時代には政治犯の牢獄として、その後は皇帝の別宅としても使用されていました。現在は市の結婚登記所となっており、館内の一部は陶器博物館になっています。高さ58メートルの塔が何とも印象的です。

ベルクーナスの家:15世紀にハンザ同盟の商人によって建造され、その後16世紀になってイエズス会の手に渡された、赤煉瓦造りのゴシック様式の建物です。ここには昔、雷神ペルクーナスの神殿があったとされていますが、現在は図書館として使用されています。

ヴィタウタス大公教会:15世紀前半に建造された、赤煉瓦造りのゴシック様式の建造物です。またの名を「聖母被昇天教会」と言います。リトアニア大公であるビタウタスが、ボルスクラ川の戦いで難を逃れたことを神に感謝するために捧げられたカトリック教会です。ナポレオン戦争の際は弾薬庫として使用され、1850年から1899年には東方正教会が置かれました。また、作家のJ・トゥマス=ヴァイジュガンタス司教は、ここに埋葬されています。

聖ペテロ&パウロ大聖堂:カウナスの旧市街にある15世紀前半に建造された、カトリック教会の大聖堂です。当初、赤煉瓦造りのゴシック様式で建築されましたが、17世紀半ばにロシア=ポーランド戦争の際に一部が破壊され、その後修復されルネサンス様式の建物となりました。内部には18世紀後半、ポーランド=リトアニア共和国の最後の国王、スタニスワフ2世アウグストにより施された装飾が残されています。

旧日本領事館観光

旧日本領事館(杉原記念館):第二次世界大戦中、外交官であった杉原千畝氏が領事としての任務にあたっていた旧日本領事館です。当時、杉原領事はナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、生命の危機にさらされたポーランドに住むユダヤ人のシベリア鉄道経由での亡命を手助けするために、当時のオランダ領事であったヤン・ツバルテンディックと連携し、日本政府の意に反して「命のビザ」とも呼ばれた日本通過ビザの発給を行いました。領事館だったこの建物は現在、その杉原千畝氏の記念博物館として一般に公開されています。残された執務室からは、杉原氏の勇気とその大いなる決断が感じらます。大勢のユダヤ人を救った杉原氏は「日本のシンドラー」とも呼ばれ、日本人として唯一イスラエルから「諸国民の中の正義の人」として表彰されています。

昼食:コルドゥナイ

コルドゥナイ:リトアニア風水餃子

リガに向かう

十字架の丘:シャウレイの北12キロの場所にある、おびただしい数の十字架が立つリトアニア最大の巡礼地です。その発祥については明確にされていませんが、初めてここに十字架が立てられたのは、1831年のロシアに対する蜂起の後と考えられています。これらの十字架は、ロシアの圧制により処刑された人たちや、シベリアへ流刑されたリトアニア人たちを悼んだ人々が、一つ一つ持ち寄ったもので、大きさは小さなロザリオから高さ数メートルもある芸術的な十字架まで実に様々です。途中、旧ソ連軍が撤去を試みたものの再び十字架が集まり、いつしか現在のような数になったそうです。すでにその数は5万にもおよび、現在も日々増え続けています。この十字架の丘は「リトアニアの十字架の手工芸とその象徴」として、2008年にユネスコの世界無形文化遺産に登録されました。

夕食:魚料理

リガ市内のホテルで就寝

10日

9:00リガ市内観光

リガ:リガはバルト3国最大の都市です。13世紀初めにドイツ騎士団が領有し、17世紀には都市として確立。そして、18世紀後半に大規模な港湾都市として発展を遂げました。街の中心をダウガワ河が流れ、その東岸にユネスコ世界遺産に登録された旧市街が広がっています。19世紀後半、人口の増加に伴い公共交通網の整備やアール・ヌーボー建築などの大規模プロジェクトが行われ近代都市に生まれ変わったリガは、2001年に建都800周年を迎えました。

ユーゲントシュティール建築群:ユーゲントシュティールとは、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動のことで、リガにもこの様式の建築物が多く建造されました。現存するユーゲントシュティール建築の多くは、旧市街からも歩いて行けるアルベルタ通りやエリザベテス通り周辺に多く見られます。アルベルタ通りのラトビア人建築家、コンスタンティーンス・ペークシェーンスによって作られた建物には、2010年夏に「リガ・ユーゲントシュティール博物館」がオープンしています。

ドム大聖堂:1211年にアルベルト司教の下、ラトビア・チュートン騎士団によって建造された、通称「ドーム教会」として知られる大聖堂です。およそ5世紀に渡って増改築が繰り返され、1776年にローマ様式、初期ゴシック様式、バロックおよびアールヌーボー様式が融合した荘厳な聖堂となりました。聖堂内には6768本ものパイプを持つ壮大なパイプオルガン(1884年製)があり、世界で第4番目にパイプの多いオルガンがある教会として世界的にも有名です。ここでは毎日12時からパイプオルガンのコンサートも行われています。また、リガの歴史を刻んだステンドグラスも見逃せません。

三人兄弟の家:世界遺産、リガ旧市街にあるそれぞれ違った時代の建築が3つ並ぶ観光名所。「長兄」と呼ばれている白い建物は15世紀に建てられたというリガ最古の建築。一部は現在、建築博物館となっている。

聖ヤコブ教会:リガの旧市街の中心から、やや北東方向にありラトビア国会とは道を挟んで反対側なので、すぐに分かります。
見上げる方向により観えない事もありますが、とんがり屋根の塔に小さな鐘がつるされています。
旧市街には複数の教会が点在しますが、温かみのある外観と明るい内装です。

スエーデン門:ラトビア、リガ旧市街にあるかつての城門。17~18世紀初頭にかけてスウェーデン統治下のラトビアで、スウェーデン人との交際は禁じられていたリガの娘が、見つかって門の内側に埋められてしまったという伝説が残る。ラトビア人ガイドの方によれば、近年、特殊カメラで撮影してみたところ、確かに若い女性の骨が埋められているのが映ったとか。
なかなか悲しい場所だったりします。
内部には、黄色い「スウェーデン兵舎」の建物が残り、ブティックやお土産、おしゃれなレストランなどが連なっています。

城壁:かつては2kmにわたって城壁が築き上げられていたとのことですが、現在は一部のみ残存している状態です。非常に重厚な作りで要塞都市であったことを思い浮かばせます。現在残存しているものは火薬塔の裏にあり、城壁沿いの旧スウェーデン軍兵舎にはバーやショップが入っています。

火薬塔:ラトビア軍事博物館:プルヴェルトルニス(火薬塔)にある、20世紀の独立の戦いに焦点を当てたラトビアの軍事に関する博物館です。

猫の家:ラトビア、世界遺産リガ旧市街でも、とびきりかわいい観光名所。屋根の上に二匹の猫がいます。実はこの猫、かつてドイツ人ではないという理由からギルドへの入会を断られた腹を立てたリガの商人が、大ギルドのほうにおしりを向けた猫を屋根において、怒りをデモンストレーションした、という反骨精神の証。視察に来てこの猫を見たドイツ人の偉い人がリガの担当者に「仲間に入れてやれよ」と言ってくれたおかげで、無事にギルドに入ることが出来たとか。
この猫はリガのお土産雑貨にも度々描かれる、町のアイコン的存在です。
なお、猫だけに注目されがちですが、1909年建築のアール・ヌーヴォー(ユーゲント・シュティール)建築も見事です。

リーヴ広場:リガ旧市街中心部にある広場で多くのオープンカフェやレストラン、露店、お店が位置しています。たくさんの石像が陳列されており、しかも販売されています。

自由記念碑:ラトビア共和国の独立を記念し、1935年に市民からの寄付金を集めて建造された高さ約50メートルの記念碑です。上部には当時のラトビアの主な3つの地域を表した星を掲げた「ミルダ」と呼ばれる女性像が立っています。毎年独立記念日には、独立の象徴であるこの記念碑に大統領や政府の要人、そして市民が献花しています。

聖ゲオルギ教会:かつては1204年にリヴォニア帯剣騎士団の城として建てられ、後に聖ゲオルギ教会となった現存するリーガ最古の建物にある博物館。タペストリーや木製品、陶芸品、琥珀のアクセサリーなどラトビアの民族工芸品を展示している。 聖ペテロ教会の裏、スカールニュ通りにある。
1204年に帯剣騎士団の城の一部として建てられた、現存するリガで最も古い建物。13世紀終わりに住民たちによって破壊され、この南側の部分のみが残された。後にここは聖ゲオルギ教会として使われ、宗教改革以後は倉庫となった。現在は工芸博物館となっていて、教会の面影はない。

聖ペテロ教会:1209年に建造されたルター派の教会です。1523年まではカトリック教会として機能していました。リガのシンボルにもなっている高さ約123メートルの塔は、17世紀にはヨーロッパ一の高さを誇る木造の塔でしたが、1721年に落雷により消失し1764年に再建されたものの、1941年に第二次世界大戦の爆撃を受けて再び破壊されてしまいました。現在は鉄筋の塔に建て替えられており、約70メートルの高さまでエレベーターで上ることができます。塔の上からはリガの旧市街のパノラマが望めます。また、不定期ですが教会ではコンサートなども催されています。

聖ヨハネ教会:ドミニコ修道院の礼拝堂として使われていた、1297年に初めて文献に登場する教会です。15世紀には、2人の修道僧が自らすすんでここに幽閉され、窓を通じて食料と水の受け渡しがされていと言われています。宗教改革の後は武器庫として使われましが、1582年にはルター派教会となりました。修道僧が閉じこめられていた場所には、十字型の穴があります。

市庁舎広場:リガ旧市街で最も人気スポットである市庁舎広場です。旧市街の入り口にもなっており、ガイドツアーの待ち合わせ場所としても使われています。ブラックヘッドハウスや聖ペトロ教会、リガ市庁舎をここから見ることができます。
ここの目玉はブラックヘッドハウスです。1300年代から数百年にわたって独身男性のギルドメンバーのためのパーティホールとして使用されていたという記録が残っていますが、その後1940年代にドイツ軍の空爆等により崩壊、その後リガ市建設800年記念事業として再建されました。旧ハンザ同盟の象徴でもあります。

ブラックヘッドのギルド:ブラック・ヘッドとは、中世のバルト海沿岸諸都市にあった独身男性の集まりです。美しいゴシック様式のこの建物は、1334年に初めて文献に登場する中世ギルドメンバーのパーティー・ホールとして使われていました。1941年にドイツ軍の空襲で破壊されましたが、2001年のリガ市建都800周年祝賀記念事業として1999年に再建。現在もパーティー会場やコンサートホールとして使用されています。

昼食:ロールキャベツ

ルンダーレ宮殿に向かう

ルンダーレ宮殿:リガの南60キロの場所にある、ビロン公の夏の宮殿として1736年から1740年にかけて建造された、ラトビアの中でも特に見事なバロック=ロココ様式の記念建造物です。フランスのベルサイユ宮殿を思わせるバロック様式の建造物であることから、「バルトのベルサイユ」とも呼ばれています。この宮殿はサンクト・ペテルブルグの冬の宮殿を建築した、イタリア人建築家ラストゥレリが設計を手がけました。ここでは毎年夏にバロック音楽フェスティバルが開催される他、パーティーなどにも使用されています。

ホテルで夕食、就寝。

11日

8:30シグルダに向かう

シグルダ観光:森と丘に囲まれた国立公園の中にあるスィグルダは、「ラトビアのスイス」と呼ばれる人気のリゾート地です。平坦な地形のラトビアでは珍しく起伏の多い地形であることから、冬にはスキーやボブスレーなどが盛んに行われ、国際大会で活躍するボブスレー選手はここから輩出されています。また、夏には人気の保養地として国内外からたくさんの観光客が訪れています。交通至便なリゾート地として発展してきたこの町には、旧ソ連時代の1973年にガウヤ川国立公園が設立されました。

シグルダ城址:ラトビア、ビゼメ地方の町スィグルダにある城址。ガウヤ川東岸に位置し、13世紀初めにリボニア帯剣騎士団により建造。18世紀の北方戦争で破壊され、現在は城門と城壁の一部が残っている。

トゥライダ城:バルト系諸部族やリーブ人がドイツ人を相手に戦いを繰り広げ歴史の舞台となった、スィグルダ近郊にある赤レンガの古城です。この城は現在修復され、博物館として公開されています。周辺には42ヘクタールのトゥライダ博物館保護区があり、そこにラトビアの民謡をテーマにした公園や木工職人の工房などがあります。 また、この場所では9世紀からの様々なイベントが開催されています。

昼食:ツーカス・ツェペティス

ツーカス・ツェペティス:ラトビア料理でローストポークのこと。

タリンに向かう

夕食:エストニア料理

エストニア料理:バルト沿岸諸国としてドイツ料理の影響を強く受けているが、後の支配者であるスウェーデン料理の影響も強く、長くスウェーデンの支配下にあった同じフィン・ウゴル語派の隣国フィンランドと似通った食文化を共有している。
フィンランド料理との相違点としては、ドイツの影響を受けてビールを使った料理が好まれること。料理の嗜好にとどまらず、フィンランド人に比べてエストニア人は酒好きと考えられている。他のバルト沿岸の国家との違いは、魚類を好んで料理に使うこと。特に、イワシは主要な食材の一つである。煮込む料理が多く、牛乳とジャガイモは欠かせない。

就寝

12日

9:00タリン市内観光:タリンは中世の町並みが残る、パッチワークの様な都市です。800年もの歴史を誇るこの町には、ロシアのツァーリ時代に栄えたカドリオルグ地区など、旧ソ連時代を思い起こさせる遺跡や自然も多く残されています。そうした歴史的建造物が保存されたタリン旧市街は、1997年にユネスコ世界遺産に登録されました。

歌の広場:5年に1度ここで開催されるユネスコ無形遺産「歌と踊りの祭典」の会場となる広場です。ここにはエストニア人建築家が設計した、美しいアーチ型の屋根が印象的な野外音楽堂(1万5000人収容)があります。丘の上からはアーチの向こうに旧市街やフィンランド湾が望めます。また、音楽堂の脇に建つ灯台の上には、「歌と踊りの祭典」の開幕に合わせて点灯される聖火台があります。

カドリオクル公園:エストニアがロシア領になってから、ピョートル大帝がエカテリーナ皇妃のために造った離宮が残されている公園です。イタリア人建築家のミッケチが設計したこのバロック様式の宮殿は、1718年から完成までに5年の歳月が費やされました。この建物は現在美術館として使用されています。手入れが行き届いた宮殿の中庭は大変美しく、日本庭園もあります。また、この向かい側には大統領官邸があります。

トームペア:エストニアの首都タリンの山の手地区。旧市街西部、城壁に囲まれた丘の上に位置し、13世紀建造のトームペア城、タリン大聖堂、帝政ロシア時代のアレクサンドルネフスキー大聖堂などがある。1997年、旧市街は「タリン歴史地区」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。

トームペア城:町を見下ろす高台にある、かつてこの地方を納めていた領主の館です。城の一角には「のっぽのヘルマン」と呼ばれる高さ50.2メートルの塔が、15世紀の建造当時のまま残されています。この塔の上にはそれぞれの時代の支配者の旗が掲げられていましたが、現在はエストニア国旗が掲げられ、独立を果たしたエストニアの象徴となっています。この城の原型は13世紀のものですが、現在見られるのは19世紀に再建された姿です。ここは現在エストニア国会議事堂として使用されているため、内部の公開はされていません。城の脇には見晴らしの良い公園があります。

のっぽのヘルマン塔:町を見下ろす高台にある、かつてこの地方を納めていた領主の館です。城の一角には「のっぽのヘルマン」と呼ばれる高さ50.2メートルの塔が、15世紀の建造当時のまま残されています。この塔の上にはそれぞれの時代の支配者の旗が掲げられていましたが、現在はエストニア国旗が掲げられ、独立を果たしたエストニアの象徴となっています。

城壁:タリンの街を中世の世界そのままに守ってきたのがタリン城壁です。1.85Kmの塀沿いには塔の広場、トーンペア城、ヴィル門、セーターの壁など、絵になるスポットがいっぱいです。
アレクサンドル・ネフスキー聖堂:議会議事堂の真正面にある、1900年に建造されたタマネギ型のドームを持つロシア正教の教会です。ロシアのツァーリの権力を示すために建てられたと言われています。独立を長く切望していたエストニア国民にとっては、決して喜ばしい建物ではありませんでしたが、現在はエストニアに住むロシア正教の信者にとって重要な教会となっています。

観光郵便局:トームペアの、アレクサンドル・ネフスキー教会の横にあるエメラルドグリーンの建物が観光郵便局です。普通の郵便局との違いは外壁やポストの色くらい?内部は普通ですが、とても綺麗で居心地の良い作業机もありました。

大聖堂(トームキリク):地元では「トーム教会」と呼ばれている、トーンペアの丘に建つルター派の教会です。13世紀に建造されたこの純白の教会は何度も修復が繰り返され、随所に様々な建築様式を見ることができます。教会の床には13~14世紀前半のものと見られる墓石が横たわり、北欧戦争でスウェーデン軍を率いたポンタス・ド・ラ・ガーディ、ロシアの最初の世界探検を率いたドイツ人のアダム・ヨハン・フォン・クルーゼンステルンや、エカテリーナ女帝の愛人と噂されたスコットランド出身のサミュエル・グレッグ将官などが埋葬された教会としても知られています。バロック調の塔は1770年代に増築されたものです。

展望台:絶景ポイントが パットクリ展望台

展望台:Kohtu通りの奥にある絶景ポイントのコフトウッツァ展望台 Kohtuotsa Vaateplats です。

デンマーク王の庭:1219年にデンマーク軍がトーンペアを征服する際に基地として利用し、はじめて国旗を手に入れたと伝わる場所です。その結果、デンマークがタリンと北エストニアを100年に渡って支配することになったと言われています。

ネイツイントルン:乙女の塔、処女の塔とも呼ばれています。
町の娼婦を収容した牢獄だったことがあるそうです。このデンマーク王の庭園に隣接した、14世紀に建造された四角い塔です。かつて娼婦を収容した牢獄として使用されていた建物で、ここでは怪奇現象が起こると町の人々が噂をしています。

キ―ク・イン・デ・キョク:「台所を覗く」という意味の、高さ38メートルの塔です。かつて兵士らが塔の上から、下に見える家の台所を覗き見できると冗談をいった事からこう呼ばれるようになりました。1470年に建造されたこの塔はすぐに補強され、壁の厚さは4メートルにもおよびます。上階をイヴァン皇帝の軍にを吹き飛ばされたものの建物はそのまま残され、現在はタリンの軍事・防衛博物館として使用されています。

聖ニコラス教会:旧市庁舎の南西、ニグリステ通りにある13~15世紀に建造された大きなゴシック様式の教会です。第二次世界大戦で空爆を受け建物は破壊。その後、1980年に再建されました。中にはベルント・ノットが描いた奇怪で神秘的な作品「死の舞」があります。この建物は現在、14世紀のレリーフや建築用具が集められた博物館として使用され、また週1回の割合でオルガンコンサートも催されています。

アダム・ソンエリック博物館:画家アダム・ソンエリックの絵画と工芸品を集めた美術館。

ラエコヤ広場&旧市庁舎:町の中心であるラエコヤ広場。かつて、市場や祝い事に使用されていましたが、ここで処刑が行われたこともあると記録に残されています。広場の中央には、バラのコンパスが彫られた丸い石があります。ラエコヤ広場にあるゴシック様式の建物がタリンの旧市庁舎です。旧市庁舎は1402年から1404年にかけて建造され、北欧最古のゴシック建築と言われています。この建物に付随した塔の高さは65メートル。その先端には、旗を持った番兵の像があります。この像は「トーマスおじいさん」と呼ばれ、タリン市民に親しまれています。

市議会薬局:旧市庁舎広場の角にある、1422年に創業したヨーロッパ最古の薬局です。ここには中世の治療薬だった「焼き蜂」や「ユニコーンの角の粉末」はもうありませんが、裏の部屋には昔の道具や薬が展示されています。

大ギルドの会館(エストニア歴史博物館):1410年に建てられた「大ギルドの会館」を利用した博物館です。獅子頭のノッカーの付いた厳めしい扉と、その裏に現れる巨大なホールです。ここは当時、ギルドの中でも最高の富と権力を誇った建物で、そのメンバーはドイツ人の既婚者のみで結成されていました。彼らは、町議会を仕切っていたと伝えられています。現在はエストニアの先史時代からの歴史的資料

聖霊教会:旧市庁舎広場の近くに建つ、14世紀に建造された内部、外観ともに壮観な教会です。八角形をしたこの純白の教会の正面には、タリンで最も古い公共の時計がかけられています。また、バーント・ノトケによる聖餐台や木製のインテリアも必見です。

昼食

午後:自由行動

市庁舎監獄:旧市庁舎のすぐ裏には今はカメラ博物館になっているがその昔は監獄だったという「市庁舎監獄」の跡

子供ギャラリー:観光案内所のすぐ近くにある、いかにも歴史ありそうな可愛い建物です。中はギャラリーになっています。

ヴィル門:ヴィル通りの端に建つ、2つの小さな円柱の塔から形成された門です。その昔、この門の後ろには大きな四角い塔を含む城壁がありましたが19世紀に交通整理が行われ、門の大部分が取り壊されました。現在残っているツルで覆われたこの2つの塔は、タリンのシンボルとなっています。

ドミニコ修道院:1246年に建造されたタリン最古の建造物です。ここには美しい中庭があり、夏の間博物館として使用されています。また、この中庭へは隣接するピーター・アンド・ポール・ローマンカトリック教会を通って入ることもできます。

聖カタリーナの小径:かつてあった聖カタリナ教会の裏手にある小径です。ここには工芸品の作業場が集まり、アーティスト達が伝統的な手法でガラス器や帽子、キルト、セラミック、宝石類、手塗りの絹などを作成・販売しています。オープンスタジオでは、ガラス吹きや機織り、陶器の製作などの製作風景が見られます。

タリン市の博物館:14世紀に建造された商人の館を改造した博物館です。ここにはタリンの始まりから、1991年の「歌の革命」までの歴史が展示されています。

ブラックヘッドの会館:街の防衛と春の祭典を任されていた、ドイツの未婚商人で結成された組合の館です。組合の守護聖人であったモーリシャスが、色黒であったことからこの名がつけられました。1597年に建造されたルネッサンス様式の建造物で、赤、緑、そしてゴールドの色みが美しいドアは1640年に作られました。

聖オレフ教会:旧市街の北側、ライ通りとピック通りの間にある13~16世紀に建造されたゴシック様式の教会です。ここにはタリンで最も高い、高さ124メートルの尖塔があります。塔は夏季に開放され、上からは見事なタリンの町並みが望めます。

三人姉妹:旧市街にある建物のうちいくつかは名所となっており、ここは 三人姉妹 Kolm Õde という愛称で知られています。
もとは1362年に商人の館として作られたもの。内部を改装して2003年からは「Three Sisters Hotel」というホテルになっています。

スール・ランナ門:城壁の北端に位置するスール・ランナ門。
この外側は砲塔で、太ったマルガレータという愛称が付けられています。

ふとっちょマルガレータ&海洋博物館:海からの攻撃を防衛するため、1511年から1530年に建造された塔です。この「ふとっちょマーガレット」とは、かつてここに置かれていた大砲のこと。以前は沿岸に建つ外壁の門の一部でしたが、今ではタリンに残る唯一の外門となっています。現在は海事博物館の建物として使用されています。

ウクライナ・カトリック教会:この宗派の儀式は正教とカトリックの折衷となっている。

自然史博物館:エストニアの動植物の標本が集められています。博物館の入り口はフクロウの看板が目印です。展示は海、川、森などフィールド別に分かれていて、それぞれの生態系が分かるように工夫されています。

タリン市立劇場:建物はソ連時代に改装されたようですが
中世の商人の館だったそうです。

工芸とデザインの博物館:ライ通りを南に進んで、Aida通りとのT字路を過ぎた辺りに、壁が紅白二色に彩られた建物があります。内部は「エストニアの工業芸術とデザインの博物館(Eesti Tarbekunsti- ja Disainimuuseum)」です。様々なデザインの商品ラベルやクリスタル・ガラスの工芸品、革製品、アクセサリーなどが展示されていて、お土産としてエストニアの手工芸品をお土産として買う前に目を肥やしておくことができます。

キリスト変容教会:簡素な外観からはわからないのですがロシア正教の教会でした。後で調べると、聖ミカエル修道院の教会を18世紀初めにロシア正教教会に建て替えたのだそうです。豪華な祭壇があり、ちょうどミサが執り行われていました。

修道女の塔(城壁入口):スール・クローストゥり通り
このゴチック様式の門は後から開けられたか、大きく修復されたものと思われる。

人形劇場:ライ通りにあります。ここは1952年に創立された人形劇場です。ちなみにNUKUはエストニア語で人形という意味です。
世界の操り人形が展示されていました。

リンダの像:のっぽのヘルマン近くの森の中にあるエストニア神話に登場する女王リンダの像。
神話ではカレフ王の墓陵を作ろうと考え、エプロンを使用し石を運んでいたが疲れ果て悲しみの涙を流したそうです。
像もうっすらと涙を流しています。

占領博物館:旧ソ連による占領初期から独立回復までの資料を収蔵した博物館です。時代ごとにまとめられたドキュメンタリービデオを中心に、資料が展示されています。また、ここには盗聴器や有刺鉄線など、市民抑圧に使われた道具も展示されていて、旧ソ連占領下にあった当時の様子が垣間見られます。

ロシア劇場:ロシア語による劇場、建物は20世紀初頭の映画館で、その内装の美しさは有名。

演劇と音楽史の博物館:エストニアの民族楽器などを展示。

エストニア・ドラマ劇場:かつてのドイツ劇場で、西欧の古典劇ほかエストニア作家の劇が上映されている。

エストニア劇場:ヴィル・センターからTammsaare公園を通って南西に行くとあります。1913年に完成したネオクラシック様式の建築で、当時のタリンでは最大級の建物だったとのことです。現在はオペラ座と、エストニア国立歌劇場管弦楽団のコンサートホールの複合施設となっています。

就寝

13日

10:30バルト海クルーズ:北ヨーロッパ、ユーラシア大陸とスカンディナヴィア半島に囲まれているバルト海におけるクルージングのこと。また、単に海上交通手段としてのクルーズも含まれる。

12:30ヘルシンキ到達

ヘルシンキ:フィンランド共和国の首都ヘルシンキは、人口約60万人のバルト海に面するモダンな都市です。2012年はヘルシンキが首都になり200周年を迎えた年でもあり、ワールド・デザイン・キャピタルに選ばれた年でもありました。
ヘルシンキは近隣の自治体エスポーEspoo、ヴァンターVantaa、カウニアイネンKauniainenと共に人口約百万の首都圏を形成しています。

ヘルシンキ散策

元老院広場:ヘルシンキ大聖堂の前に広がり、大晦日にはカウントダウンが行われることでも知られる広場。中央にはロシア皇帝アレクサンドル2世の像が、市内を見守るように建つ。広場から大聖堂への広い階段は、市民の憩いの場となっている。

ヘルシンキ大聖堂:白亜の外壁と緑色のドームのコントラストが美しい大聖堂。ドイツ人建築家のカール・ルートヴィッヒ・エンゲルが設計し、1852年に竣工した。当初はニコライ教会とよばれていたが、1959年に大聖堂が正式名称に。現在も福音ルター派の総本山として機能している。
マーケット広場:エスプラナディ通りを東に抜けると、4匹のオットセイが周りを囲む乙女の像、ハービス アマンダ像が立っている。その先の港に面しているのがマーケット広場。北側には野菜や果物、港側にはさまざまな魚、東側には革製品などのみやげ物が並んでいる。

ウスペンスキー寺院:北欧最大規模を誇るロシア正教の教会。スラブ・ビザンチン様式の建物で、赤レンガ造りの重厚な外観と、黄金色に輝くクーポラが印象的だ。内部の天井には青地にたくさんの星が描かれていて、神秘的な雰囲気。礼拝客もいるので静かに見学を。

アテネウム美術館:80を超える美術館・博物館のあるヘルシンキ。シティセンターから歩いて行ける範囲内だけでもたくさんの美術館があります。ヘルシンキ中央駅の向かいにあるアテネウム美術館は18世紀半ばから1950年代までの作品を中心にフィンランドで最大のコレクションを所有しています。

ヘルシンキ中央駅:ヘルシンキ中央駅は、メインストリートのエスプラナーディ通りから歩いて5分ほどの距離にあります。
ここにはフィンランドの鉄道VRや地下鉄、トラムの駅、バスターミナルなどが集まり、ヘルシンキの交通の玄関口として、毎日多くの人々に利用されています。
ヘルシンキ中央駅の個性的な建築は、日本でもよく紹介されています。現在の駅舎は、エリエル・サーリネンが設計し1919年に完成したもの。正面玄関には左右に2体ずつ、ランプを持った石像が鎮座しています。

国立劇場:ヘルシンキ中央駅の隣にあるフィンランド国立劇場(1902年築)もまたヘルシンキの民族ロマン主義的な建物として知られており、建築家Onni Tarjanneにより設計されている。

郵便博物館:郵便博物館は、ヘルシンキ中央郵便局の隣りにあります。大きな走る切手マークが目印です。大きな郵便局の中に、博物館が併設されています。

国立現代美術館キアズマ:モダンアートの専門美術館として1998年にオープン。「キアズマ」とはギリシャ語で「交差」を意味し、フィンランド人作家を中心に50年代以降のアートを紹介している。アメリカ人建築家のスティーブン・ホールが設計した建物も斬新。

17:25ヘリシンキ空港フィンエアー航空で出発

14日8:55関西国際空港到達

今回の旅行、ヨーロッパの北東部に足を運び、バルト海に面し、それぞれ独自の歴史をもっていたが、ロシア革命で独立の機運高まり、1918年にリトアニアとラトヴィア、20年にエストニアが独立を達成したバルト三国を訪れました。

前回のアゼルバイジャン・ジョージア・アルメニアの旧ソビエトの国々の観光も同様に観光名所は、3カ国とも、お城と教会が主で、自然の観光名所はほとんどなく、文化遺産巡りの観光旅行でした。

最近国内での旅行は、霊場とお城巡りに嵌っていますが、今回は外国版お城、霊場巡りのような気がします。

最終日はヘルシンキ市内観光、2回目の訪れで、ブログを確認し記憶を復活させながら巡り7泊8日のバルト三国&ヘルシンキ観光満喫しました。
































































飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百六十六弾:韓国釜山観光
2016年7月16-18日
 

アジア大陸北東部に位置する朝鮮半島南部にあり北部は北朝鮮と北緯38度にある軍事境界線で接している韓国に足を運び、韓国の第二の都市、世界有数の湾港都市として知られ、活気あふれる魚市場をはじめ、小高い山々や弓形の海岸線など、風光明媚な景観も風情もある釜山を訪れました。

16日19:15関西空港出発
20:40金浦空港到達、軽鉄道、メトロで釜山駅に向かう。
21:15釜山駅付近のホテル到着就寝。
17日7:00歩いて出発

四十階段文化観光テーマ通り、四十階段:40階段文化観光テーマ通りは、国民銀行中央洞店から40階段を含めた40階段文化館までの約450mほどの通りのことです。韓国戦争当時の避難民の哀歓と郷愁がこもった由緒ある40階段の周辺には、50~60年代の雰囲気に合わせて当時の思い出が回想されるよう再現され、新しい観光名所として育成しようと造られました。


釜山近代歴史館:建物は日本統治下で東洋拓殖の釜山支店だったもの。独立後はアメリカ領事館などとして使われた。館内展示はメインが釜山の近代史に関する写真や実物資料で、そのほかに東洋拓殖や戦後の米韓関係に関するものがある。日本統治下の釜山中心部の模型もあり、現在の釜山と対比させると興味深い。

ポスドンチェッバンコルモク:街自体がレトロで観光地というわけではなく、本屋通りという名の通り、現在でも約50軒を越える本屋さんがズラーと通り一面に並んでいます。種類も新書から古書まで、また幼児向けから小説、辞書まであり、そして韓国語だけではなく英語や日本語の本までと、活字となった本なら何でもあり

臨時首都記念館:赤レンガが美しい洋館で、元は日本統治下の1926年に建てられた慶尚南道知事公舎。韓国独立後、1950年に起きた朝鮮戦争で釜山は臨時首都となり、この建物が李承晩大統領の官邸として使われた。館内は大統領官邸時代を復元し、執務中の李承晩を人形で再現してある。日本間を韓国式に改装した方法なども興味深い。

富平市場:国際市場とは違い、主に食べ物や輸入品のお店が多く、観光客だけではなく、地元の釜山の人も利用する在来市場、富平市場。昼間は地元の人の台所として、夜になれば静かな市場に活気を!と2013年からスタートした夜市場のおかげでにぎやかに。長い歴史を持つ富平市場は別名カントン市場とも呼ばれています。

国際市場:地下鉄チャガルチ駅近くにある市場です。道の真中も両側もお店だらけ。路地と路地の間に店舗が密集しています。電化製品の通り、マーケット通り、雑貨、化粧品などそれぞれの通りで扱う商品が異なり、日常生活で必要な物は全部ここで買い揃えることができる賑やかな市場です。こちらでは韓国伝統食器や寝具、民族工芸品が有名です。

釜山タワー:龍頭山公園にそびえ建ち118mの高さを誇るタワーは釜山のランドマークになっている。高速エレベーターで上階の展望台まで行くと眼下には釜山港と市内中心部の全景が広がる。昼間の景色も見応えがあるが、特に夕方から夜にかけての夜景はすばらしく

メトロ1号線中央駅乗車

佐川駅下車

釜山鎮市場:釜山最大の繊維市場として知られる釜山鎮市場。地上4階、地下1階建ての建物には、約8000坪の売り場があり、2005年現在、1800の店舗数が入居する大規模な市場です。

佐川駅乗車

釜田駅下車

釜田市場:全国でも有数の規模を誇る、釜山随一の在来市場!東京ドーム約4個分に相当する敷地内には、多種多様の店が並んでいます。

釜田駅乗車

東菜駅下車

福泉博物館:福泉博物館は、福泉洞古墳群の出土品を中心とした三韓時代から三国時代までの釜山の歴史が見られる考古専門博物館で、1996年10月5日に開館しました。7次に渡って行われた発掘調査で明らかになった169基の遺構や各種の土器・鉄器類などの遺物が展示されています。これらの出土品や様々な墓の様式は、伽倻の神秘を解き明かすのに重要な情報を提供しています。また、日本の古代文化の源流を探るための重要な資料としても評価されています。

メトロ4号線寿安乗車

東菜駅でメトロ1号線に乗り換え

蓮山駅でメトロ3号線に乗り換え

水営駅でメトロ2号線に乗り換え

セントムシティ駅下車

映画の殿堂:釜山国際映画祭のメイン会場として作られた映画館となっています。国費1678億ウォンをかけ、地下1階から地上9階の高さとサッカー場の2.5倍の面積の広さを持ち、42600個のLED照明で建物自体を幻想的に演出する世界屈指の映画館となっています。

セントムシティ駅乗車

海雲台駅下車

釜山アクアリウム:海雲台ビーチの地下に設けられた巨大水族館。熱帯魚からジンベイザメ、クラゲ、ペンギンまで総合的な展示が楽しい。海底探検気分を味わえるシミュレーターのほか、ダイバーによる大水槽でのサメの餌付けショーが人気。

海雲台ビーチ:韓国を代表する港町の「釜山(プサン)」。ここには国内、海外にも知られている、韓国内屈指のリゾートビーチがあります!弓なりのビーチラインが1.8km続く美しい海雲台ビーチは、韓国八景に数えられるほどの景勝地。潮の満ち干気の変化も激しくなく水深も浅いので、海水浴するのにはぴったり!

海雲台駅乗車

広安駅下車

広安里ビーチ:地元の夜景&デートスポットと知られている、人気の「広安里ビーチ 」!
広安大橋の開通をきっかけに更に注目を浴び始め、 白い砂浜が広がるビーチ沿いには、若者向けのオシャレなカフェ、遊園地、丸ごとが刺身屋というグルメスポット「民楽センター」などがあり、海雲台よりも少し庶民的な雰囲気ですが、昼夜問わず遊べるビーチです。
美しい夜景とライトアップされた広安大橋を目当てに訪れる人が多い、人気スポットです!

金蓮山駅乗車

大淵駅下車

釜山博物館:実物のほかに写真や人形、模型などを使った日韓関係や近・現代史の展示は見学の価値あり。朝鮮通信使の行列や日本統治時代の街並みといった模型展示が特に目を引く。

大淵駅乗車

沙上駅で軽鉄道に乗り換え

首露王陵下車

首露王陵:首露王(スロワン)は加羅国の始祖と伝えられる王でもあり、金海金氏の始祖でもあります。インドのアユタ国の王妃「許黄玉」と結婚した「首露王」。 王陵は宣祖13年(1580年)に嶺南観察使であった許曄が首露王陵(スロワンヌン)と王妃陵を改築して床石や墓標などを設置し、王陵らしい姿で登場しました。御陵の境内には首露王や首露王妃の神位を祀る崇善殿や安香閣、典祀官など様々な建物と神道碑などの石造物があります。首露王陵の正門の墓碑は朝鮮仁祖25年(1647年)に建てられた物で、崇善殿は高宗21年(1884年)に王から捧げられた名前です。

国立金海博物館:1998年 7月 29日, 国立金海博物館は古代国家のひとつとして知られる伽耶文化遺産を集大成するために開館されました。伽耶の建国説話が込められた金海市旧地峰(亀旨峰) 脇にある国立金海博物館は伽耶の文化財を展示してあり、 同時に釜山・慶南地域の先史時代の文化と伽揶の成長基盤になった弁韓の文化遺産を展示しています。また、伽耶の歴史は他の古代国家に比べて歴史記録が残されてなく、伽耶の実体の大部分は、発掘調査などの考古学的方法で発掘した遺跡と遺物を通じて修復したものが多いんだそうです。このようなことから、国立金海博物館は他の国立博物館と違い考古学中心の専門博物館とした特色を持っている博物館になっています。また、博物館の建物にも凝っていて、黒瓦が使われた博物館の外観は鉄鉱石と炭のイメージを醸し出し、「鉄の王国」伽耶を象徴的に表しています。

博物館駅乗車

軽鉄道メトロで釜山駅に向かう

釜山駅到達

釜山駅付近のホテル到着後就寝

18日7:00出発

メトロ1号線釜山駅乗車

温泉場駅下車

金剛ケーブルカー乗車

金井山城南門:釜山北西に広がる金井山城は東莱邑城と並ぶ山城。東莱温泉の金剛公園ともつながっていて、そこからハイキングを楽しむ市民も多い。山城の中央部には名物の黒ヤギ料理店が集まっている金城洞がある。金剛公園からはロープウエイで昇ることできる

金剛ケーブルカー下車

メトロ1号線温泉場駅乗車

梵魚寺駅下車

バスで梵魚寺に向かう

梵魚寺:金井山の麓にある静かな山寺。創建は新羅時代だというが、当時のものは境内に残る石塔のみ。本堂は国宝に指定され、極彩色の柱などもなるべく原型のまま保存されている。ひなびた感じが味わい深く、新緑や紅葉の時期は特に美しい。韓の国三十三観音聖地第二十五番。

バスで梵魚寺駅に向かう

梵魚寺駅乗車

メトロ軽鉄道経由して金浦空港に向かう

金浦空港到達

16:55金浦空港出発

18:15関西空港到達

今回の旅行、隣国の韓国に足を運び、世界有数の湾港都市として知られる釜山をおとずれ歩きとメトロを使っての2拍3日の観光巡り堪能しました。

この時期韓国は蒸し暑く、ソウルと同様にメトロが発達した都市て釜山内の観光名所はほとんどがメトロの利用で訪れることができ、メトロの室内で涼みして一服してからの観光巡りでした。

2日目は金井山城ハイキングコースをトレッキングを考えていましたが時間が十分でなく、2大名所であるケーブルカーで金井山城南門とバスで梵魚寺をおとずれ満喫しました。

次回は古都慶州を訪れる予定です。
   























飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百五十六弾:アゼルバイジャン・ジョージア・アルメニア観光
2016年4月28日ー5月5日
  

ヨーロッパのコーカサス地方に足を運び、カスピ海に突き出たアプシェロン半島の南に位置する首都バクーからなりシルクロードの中継地区として隊商たちが行き交わったところで、城壁に囲まれた旧市街には、イスラームのモスクやミナレットが建ち、当時の面影を伝えているアゼルバイジャン、トルコから流れてくるムトゥクヴァリ川の流域に開けた町、三方を山に囲まれ、斜面には家々が肩を寄せ合うようにびっしりとへばりついている首都トビシリが位置するジョージア、トルコ国境近く、南に万年雪を頂くアララト山を望み、町の歴史は紀元前8世紀まで遡り、世界でも最も古い街の一つ首都エレヴァンが位置するアルメニアを訪れました。

28日16:05関西空港出発
17:30成田空港到達
22:20成田空港カタール航空で出発
29日4:05ドーハ到達
6:40ドーハカタール航空で出発
10:25アゼルバイジャンバクー空港到達

 バクー市内観光:カスピ海の小さな港町だったアゼルバイジャンの首都バクー。今や第二のドバイと言われるほどの開発が進み、コーカサス地方の最大都市へと生まれ変わりつつあります。その開発の資金源とは油田、天然ガス、鉱石、キャビアといった天然資源。2018年には世界一高いアゼルバイジャンタワーが開業見込みです。一方でバクーの旧市街は世界遺産。伝統的な街並みを足元に、富める都会が形成されたユニークな街バクー。

殉教者の小道:殉教者の小道(Martyrs' Lane)、ここは、バクー市街やカスピ海を一望するハイランド・パーク(Dagustu Park/Highland Park)にある追悼モニュメントで、1990120日のソ連軍の侵攻による犠牲者のための墓地がある。

旧市街:バクー旧市街は、城壁に囲まれた一角で世界遺産に登録されています。城壁の中は石畳の街並みに日干しレンガ造りの民家、小さな商店、チャイを出すお店・・・どんどん発展をとげるバクーの中で、ここだけは昔の姿をそのままに残している場所です。

アジアとヨーロッパを結ぶシルクロードの中継都市でもあったバクー。旧市街のいろいろなところでその面影を伝えています。旧市街の北にある「シェマハ門」。13世紀からあるこの門は、シルクロードを行き交う旅人を見つめてきた旧市街への入り口です。2つある入り口の一つは人間、一つは旅人や荷物を背負ってきたラクダが検疫を受けた門です。門には今も旅の安全を祈る言葉が綴られています。

シェマハ門からほど近くには「キャラバンサライ」もあります。キャラバン(隊商)のサライ(宿)として、15世紀頃からシルクロードを移動する隊商によって宿として使われました。中庭の周囲を囲むようにある小部屋にはそれぞれブハラ、ムルタンなどの近隣諸国の都市名がついており、当時のバクーがシルクロードの中心都市として近隣の国や街との経済的な関係があったことを感じさせます。現在は「キャラバンサライレストラン」として使われており、伝統的なアゼルバイジャン料理をいただくことができます。

シルバン・シャフ・ハーン宮殿:15世紀に建造されたアゼルバイジャン初の世界遺産です。ディワンハーネ、ハーレム、ハマム、そしてモスクなどから形成され、16世紀までこの地を支配したシルヴァンシャー朝の王宮として使用されていました。2000年のバクー大地震により一時は危機遺産となりましたが、その後の復旧工事が行われ危機遺産リストから脱しています。現在、1920年に改修された宮殿部分が、博物館として一般に公開されています。

乙女の塔:「乙女の塔」は高さ28メートルの石壁の塔。12世紀頃の建造物で、望まぬ結婚を申し込まれた王女がこの塔からカスピ海へ身を投げたとの伝説に由来し、名付けられました。

レストランで夕食
ホテル到達後就寝
30日バクー市内観光

コブスタン遺跡:ゴブスタン(Gobustan)とは「ravine land」 すなわち「峡谷の地」という意味。 大コーカサス山とカスピ海が接続している所にあり、大コーカサス山地の支脈の一つが、長い年月をかけて、 柔らかい粘土質の土壌が地殻変動や浸食作用により、 多くの峡谷が誕生した。 こうしできた多くの渓谷の洞窟が、 石器時代の人々の住居として長期間使用され続けた。4000ha以上であるこのコブスタン保護区域には、4,400の岩壁画があり、ゴブスタン全体が当時の生活を知る貴重な野外博物館のような場所となっている。保護区とはなっているが、比較的フリーに見学できた。

ゴブスタンには無数の古代の岩絵が残されていて、主として女性や男性など、そして野牛や山羊、鹿やライオンなどが刻まれている。

排火教寺院:バクーの東30、車で約40分の所にあります。

この寺院は拝火教の寺院ですが、イスラムの流入によってこの地を追われたゾロアスター教徒がインド西北部に逃れ、その地でシヴァ女神信仰と混合するなど、ヒンズー教の影響を受けつつ引き継がれた拝火教が、パールシーと呼ばれるその信者によってアゼルバイジャンに再びもたらした拝火教の寺院です。 彼らは隊商としてこの地を訪れており、宗教センターとしてだけでなく、商業活動センターとしての機能も併せ持つのがその特徴です。建物は18世紀のもので比較的新しいですが、ゾロアスター教の寺院として、地中から吹き出る天然ガスにより赤々と灯された炎が人々の信仰を守ってきた場所です。現在、ゾロアスター教寺院としては機能していませんが、その炎が絶やされることはありません。

レストランで昼食

バクー空港に向かう。
18:50バクー空港出発
20:05ジョージアのトビリシ到達
レストランで夕食
夕食後ホテルで就寝
51日ジョージアの古都ムツヘタヘ

ムツヘタ到達後観光:トビリシから北西へ約25キロ、車で約30分のところにあるグルジアの古都。ムトゥクヴァリ川とアラグヴィ川が交差している場所に位置し、グルジア軍道の通過点の町。ムツヘタの町は1994年にユネスコの世界遺産に登録された。紀元前35世紀、グルジア南東部にあったイベリア王国の首都として栄えた。4世紀にミリアン王が聖ニノによりキリスト教に改宗し、グルジア正教の総主教座が置かれた。 5世紀に王ヴァフタング1世によって都は移されトビリシが首都となった。

ジュワリ聖堂:6世紀(586-604建)建立。ジュヴァリとは十字架の意味。伝説によれば、現在ジュワリ寺院が建っている丘に異教徒の神殿があったが、聖ニノがその場所に大きな木製の十字架を立てたと言う。その場所に小さな教会を経て、6世紀に現在の形の教会が建てられた。教会の中には、大きな十字架が立っている。入口の上部には天使が十字架を支えている浮彫細工(The Ascent of the Cross)がある。 また、十字架型(cross-type)の教会として初めて建築された教会で、後に建てられた十字架型教会の見本になっている。

スベティツホベリ大聖堂:4世紀に、ミリアン3世がグルジア最古の木造聖堂を建立。ミリアン王夫妻はここで洗礼を受ける。5世紀にヴァフタン1世によって再建、10101029のギオルギ2世の下グルジアの建築家アルスキスゼ(Arsukisdze)によって現在の石造の教会が再建、18世紀にエレクレ2世によっても再建されている。要塞としても使用されていたため、石塀には銃眼がある。

トビリシのサメバ大聖堂の次に2番目にグルジアで大きな教会。4世紀~17世紀までグルジアの総主教座が置かれていた。グルジア王国の代々の戴冠式も行われ、ヴァフタン1世やエレクレ2世など王たちのお墓もある。1014日には建都を祝うお祭りが催される。

スヴェティツホヴェリは「生きている柱」という意味であり、名前の由来を伝える話がある。キリストがエルサレムで磔で処刑されたときに、ムツヘタ出身のグルジア・ユダヤ人のエリアスEliasが居合わせ、キリストの着衣の一部をムツヘタへ持ち帰った。彼の妹(姉)シドニアSidoniaがこの衣に触ると,神聖な力によって彼女は衣を握ったまま失神してしまう。彼女は衣を握ったままこの大聖堂の立っている場所に埋葬される。その後、その場所に杉が生える。4世紀に聖ニノがここに教会を建立することを決め、杉7本を伐採する。6本を立て、最後の1本を立てようとすと、木が宙に浮いて立てられない。聖ニノが一晩祈り続けると,最後の木は自ら地に戻り立ってしまう。この木からは聖油が流れ出て、この油により民衆の病を救うことができたという。

 現在もキリストの着衣が教会の下に眠っていると信じられ、教会の前では「聖なる油」が販売されている。

グルジア軍用道路を北に向かう。

アナヌリ教会:ジンヴァリ湖畔に建つ17世紀の教会。他のグルジアの教会と同じように要塞としての役割もあった。城塞の中には2つの教会があり、山側(道路側)がイエスキリストに捧げた教会、湖畔側が聖母マリアに捧げた教会(The large cupola church ghvtismhobeli, Mother of God)となっている。

畔側の教会は1689年建立。教会内部には見ごたえのあるイコノスタシス(障壁)がある。大部分のフレスコ画は18世紀の火事により損傷を受けているが、南側の壁には少しフレスコ画が残っている。また外部の壁には保存状態の良い浮彫細工の装飾が残っている。

山側の教会は17世紀初頭に創建され、湖畔側の教会より古いものになる。鐘楼から眺めるジンヴァリ湖の景色も素晴らしい。

レストランで昼食
トビリシへ

トビリシ到達後トビリシ市内観光:トビリシはジョージアの首都。シルクロードの町としてムトゥクヴァリ川Mtkwari(英語ではクラ川Kura)沿いに栄えた。東西南北から様々な民族が行き交いし、数々の他民族による侵略もあったため、現在も多文化を感じる街並みをもっている。トビリシにはグルジア正教の教会、アルメニア正教の教会、ユダヤ教のシナゴーグ、イスラム教寺院、カトリックの教会などがあり、トビリシの町の大きさでこれほど様々な民族が居住している町は世界でも少なく,他では味わえない雰囲気を楽しめるだろう。

メテヒ教会:旧市街のムトゥクヴァリ川沿いにある丘の上の教会。シルクロードを往還するキャラバン(隊商)が、安全を求めて逃げ込む要塞の役目も果たしていた。1235年のモンゴルの侵略によって破壊され、1289年デメテル2世によって再建。しかし、その後もオスマン帝国、サファヴィー王朝によって破壊されては再建されている。帝政ロシア時代には監獄として使用され、革命運動で検挙されたゴーリキーもここに幽閉された。また、ソヴィエト後期には劇場として使用されていた。1991年から再び教会として使用されている。

教会の横には1958年にトビリシ遷都1500年の記念に立てられた騎乗姿のゴルサゴリ像がある。

教会からはナリカラ要塞、旧市街、ムトゥクヴァリ川が見下ろせ、トビリシの景色を満喫することができる。

シナゴーグ:アハルツィヘからトビリシへ移り住んだグルジア・ユダヤ人によって1895-1903年に創建。「アハルツィへの人々のシナゴーグ(synagogue of the people of Akhaltsikhe)」とも呼ばれている。

シオニ教会:グルジア正教の総本山。575639年の間に創建されたが、メテヒ教会同様度重なる破壊と再建を繰り返した。シオニの名はエルサレムの聖シオニ山(Mt.Zion)に由来する。現在も聖ニノの十字架が納められている。内部はたくさんのイコンや壁画で美しい。

ナリカラ要塞 Narikala ნარიყალა:オリジナルの要塞は5世紀に新しい町トビリシを守るため創建された。現在はナリカラ城内に聖ニコロズ教会が建てられている。ナリカラからはトビリシの景色を見渡せ、メテヒ教会やハマムが見える。

ハマム(硫黄温泉大浴場):17世紀からある硫黄温泉の大浴場。フランスの小説家アレクサンドルデュマやロシアの詩人プーシキンもトビリシを訪れた際温泉を楽しんだ。浴場は2つあり、一つはロイヤル浴場(Royal Bath)。もう一つは青色のモスクの形をしたオルベリアニ浴場(Orbeliani Bath House)。個室もある。

グルジア母の像 Kartlis deda ქართლის დედა町のシンボルになっている像。ソロラキの丘の上に立っており右手に剣、左手にワインの杯を持っている。敵が来れば剣で戦う誇りをもち、友が来ればワインで歓迎するというシンボル的な意味がある。ナリカラ要塞から見える。

ワインを飲む人(タマダ)の像:トビリシ博物館の近くの路上にある。グルジアで出土した紀元前7世紀の「ワインを飲む人」のレプリカ。ワイン発祥の地と言われるグルジアならでは。

 平和橋 Peace Bridge/Mshvidobis hidi მშვიდობის ხიდი 201056日に開設されたムトゥクヴァリ川にかかる歩行者用の新しい橋が建設。イタリアの建築家ミケーレ デ ルッキ(Michel De Lucchi)のデザイン。

ムトゥクヴァリ川 Mtkvari river მტკვარი:トビリシの真ん中を流れる川。トルコからカスピ海まで続くこの川に沿ってシルクロードが通っていたため、この川を中心に町が栄えた。

ルスタヴェり通り Rustaveli Street რუსთაველის გამზირი:トビリシのメインストリート。オペラハウス、国会議事堂や多くの店が立ち並んでいる。散歩しながら、観光もできる大通り。

自由広場 Freedom Square თავისუფლების მოედანი(Tavisuplebis):ルスタヴェリ通りの東端にあり、広場の北側には噴水のある小さな公園、南側には美しい市庁舎がある。ソヴィエト崩壊後に起こった軍事クーデターや2003年のバラ革命の舞台となった。最寄り駅はダヴィズプレヴィスモエダニ駅。

旧市街 Old Tbilisi ძველი თბილისი:メテヒ教会、ナリカラ要塞、サメバ大聖堂辺りのエリア。古い町並みが残っており、ペルシャ統治時代の面影を残すバルコニーが見られる。

レストランで夕食
夕食後ホテル就寝

2日バスでアルメニアに向かう

アルメニアは「ノアの方舟」伝説で有名なアララト山の麓に広がる、世界最古のキリスト教国です。このアララト山は現在トルコ領となっていますが、紀元前1世紀にアルメニア高原を中心に繁栄した大アルメニアの中心に位置していたことから、アルメニア民族のシンボルもなっています。アルメニア最大の見どころは古い教会。古代宗教の神殿遺跡なども数多く見られます。首都エレバン近郊にあるアルメニア正教の総本山「エチミアジン大聖堂」は、世界各国に散在するアルメニア人の心のよりどころとなっています。

アルメニア首都エレバンへ

アララト平野の南東に位置するアルメニアの首都です。その歴史はアルギシュティ1世によって要塞が築かれた紀元前8世紀にまで遡り、バグラト朝の中枢として栄えました。イルハン朝の中心都市となった後は、オスマン帝国とサファヴィー朝の角逐の場となり、サファヴィー朝ではエレバン・ハン国に編入されました。1679年に見舞われた大地震により多くの建造物が倒壊しましたが、エレバンの街にはそうした歴史を感じさせる重要な建造物が数多く残されています。また、郊外には、エチミアジン大聖堂、リプシマ教会、ズヴァルトノツ古代遺跡の3つのユネスコ遺産があります。

ハフパト修道院:聖ニシャンによって10世紀に創設された、ハフパットにある修道院です。アルメニア史上において、最も美しく壮麗な修道院の一つに数えられており、アルメニア国内にある聖十字架の中でもハフパットの聖十字架が最も有名です。「ウラルトゥ王国ハフパットの聖十字架」とも呼ばれるこの修道院には、最盛期に500人ほどの学僧が集まっていました。近くにあるサナイン修道院とともに、アルメニア教会の中心的な役割を果たしたこの修道院は、1996年にユネスコ世界遺産に登録されました。

レストランで昼食

途中アラガツ山を望む。

アラガツ山:アルメニア西部にある山。標高 4090mの火山で,噴火口は圏谷となっている。山頂部には氷河が発達。高山地域は牧場に利用され,山麓は農業地帯で,果樹,茶の栽培,養蚕が盛んである。

ホテル到達、夕食、就寝

3日ホルビラップ修道院:ノアの方舟で有名な美しいアララト山を望む修道院です。その歴史は4世紀にまで遡り、キリスト教の布教に勤めていた聖グレゴリウスが、13年もの間捕われていた場所として知られています。結局、時のアルメニア王ティリダテス3世がこれに屈し、301年にキリスト教がアルメニアの国教として定められました。また、カルタゴの将軍がここで晩年を過ごしたという伝説も残されています。

アララト山:聖書によるとノアの方舟が漂着したと伝えられる「アララト山」 大(5,137m)小(3,896m)二つの富士山より高い円錐型の綺麗な山容が平地から眺められます。

エチミアジン:アルメニア中西部、アルマヴィル・マルツ地方のアララト山とアラガツ山に挟まれたアララト平野に位置する、アルメニア使徒教会発祥の地です。後にヴァガルシュ王により、町の名はヴァガルシャパトと改称されました。ここには総本山となるエチミアジン大聖堂があり、アルメニア教会歴のクリスマスには、世界中から信者が集まります。エチミアジンの大聖堂と教会群ならびにズヴァルトノツの考古遺跡は、この地方の聖堂建築に大きな影響を与えたとされ、2000年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。

エチミアジン大聖堂:ガルニ村アルメニア使徒教会の総本山として知られる、アルメニア最古の大聖堂です。4世紀初頭に基礎部分が築かれ、その後幾度となく増築が繰り返されてきました。アルメニア風の中央ドームや十字廊の建物からは、その歴史が感じられます。この聖堂の建築を機に、アルメニア高地に次々と珠玉の宗教建築が建てられるようになりました。ここにはカトリックの法王庁に相当する大司教座が置かれ、神学校なども併設されています。また、聖堂の奥には、聖遺物や祭礼に使用される十字架などを集めた宝物館もあります。敷地内に並べられたハチュカル(十字架の碑)も必見です。

ガルニ神殿:ガルニ神殿はアルメニアに残る唯一のヘレニズム建築。紀元前3世紀から後3世紀ころまで太陽神の神殿・ミトラ神殿として使用されていたもので、1年に1度太陽が神殿の中を照らす構造になっているそうです。現在の神殿は16世紀の地震で壊れたものを20世紀に修復したもの。青みを帯びた玄武岩で作られた神殿は美しく優美です。かってはブロンズの像といけにえ台が置かれていました。

ゲガルト洞窟修道院:エレヴァンの南東約30キロ、アザート川の上流にゲハルト修道院があります。ゲハルトとは「槍」の意味。キリストが十字架に磔になった時、キリストの脇腹を刺したと言われる槍が、ここに隠されていました。修道院の創建は4世紀に遡るという古いもので、現在の建物は13世紀に造られたもの。しかし、なんと言ってもこの修道院の特徴は岩山を彫り抜いて造られたということにあります。外から見ると一見普通の石造りの修道院ですが、修道院は岩場に張り付く形で作られており、洞窟寺院のようになっています。なお、聖槍は現在、エチミアジン大聖堂に保管されています。

エレバン市内に向かう共和国広場:エレバンの中心地にある共和国広場を散策する。

民族音楽ショーとともに夕食

ホテルに向かう

4日エレバン市内観光

カスケード:・カタラクトなどに通じる言葉で滝とか階段状のものを指す。ソ連・アルメニア共和国成立を記念して建てられたそうだ。内部にはエスカレーターがあり、楽に頂上部まで行ける

ジョージアのトビリシへ、途中

セバン湖:セヴァン湖はアルメニア・ゲガルクニク地方にある湖。アルメニア最大の湖で、大規模な湖としては世界で最も高地にあるものの一つ。

セバン修道院:セヴァン湖畔にある、9世紀に創建されたいくつもの建物からなる複合宗教施設です。現在は聖使徒教会と、聖書の物語が十字架を囲むようにして彫られている、珍しいハチュカル(十字架の碑)のある聖母教会のみが残されています。この2つの教会の横には、6本の木製の柱でできたガヴィト(回廊)の遺跡があります。このガヴィトや柱の一部は、エレバン歴史博物館で見ることができます。

レストランで昼食

トビリシ到達

21:05トビリシ空港カタール航空で出発
5日1:10ドーハ到達
2:40ドーハ空港カタール航空で出発
18:40成田空港到達
55日20:20成田空港出発
2150関西空港到達

 今回の旅行、ヨーロッパの旧ソビエトの国々、コーカサス地方に位置する、アゼルバイジャン、ジョージア、アルメニアの三カ国を訪れ楽しみました。

観光名所はほとんどが教会で岩窟教会を含めて歴史深い歴史的建造物に触れ8日間の観光旅行満喫しました。

教会等歴史的建造物以外でアラフト山は3000m級の山と5000m級の山の総称で圧巻でした。

大アラフト山は5000mを超える山で迫力がありましたが小アラフト山は日本の富士山にそっくり、区別がつかないほどよく似ていました。

ジョージアとアルメニアの教会群をメインで訪れましたが、最初に訪れたアゼルバイジャンの首都バクはきれいな街で最新の建築技術で建てられた建物が多く、未来都市様な風貌を見受けられました。カスピ海の底に多くの油田が存在しオイルマネーでドバイに匹敵するように未来建築ラッシュで将来が大きく変貌する期待が膨らむ街になるでしょうね。数年後に訪れてみたいです。

比較的日本人にはなじみの少ないヨーロッパコーカサス地方の三つの国アゼルバイジャン、ジョージア、アルメニア8日間の観光旅行でした。











































飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百五十ニ弾:台湾台中・台南観光
2016年3月19ー21日

日本の九州の大きさと同じ程度の土地に約2350万人弱の人々が暮らし、人口の98%は漢民族、残り2%が14の原住民系民族と言われています。主要都市は「台北」や「高雄」で、話されている言語は中国語と台湾語が主になります。日本と台湾の関係は、1972年の日中共同声明が基本となっていますので、「非政府間の実務関係」として維持されていると言われています。また民間レベルでの交流は、極めて親日的として知られており、台湾から日本への訪問人数、日本から台湾への訪問人数は非常に高い水準で維持されている状況の台湾に足を運び、台北、高雄に次ぐ台湾第3の都市で、台湾の西部中心部よりやや北に位置しています。近年の台湾経済の発展を支える成長の著しい地ですが、現在の台湾経済や文化面でも重要な役割を担っている新しい都市でもあります。新都市らしく街並みも整備され道路も広く、いまだ街のあちこちで都市作りの工事が続く活気のある街です。また、暑い夏と冬の温度差はわずかに10度ほどと年間を通し温暖で、台湾の人々の間でも、台湾中で最も気候の良い街と言われています台中、日本でいえば京都のような古い町並みと歴史を持つ街で億載金城や赤嵌楼など数多くの古跡や歴史的建造物が残っており、また、郊外には、曾文ダムや関仔嶺、月世界、南部横貫道路など有名な景勝地があり滝や渓谷、森林、渓流、高山などレジャーに適した自然が豊富にあり、ハイキングやトレッキングにも適した滞在地の台南を訪れました。

19日19:00関西国際空港、チャイナエアラインで出発
21:20台湾桃園国際空港到達、タクシーで台北市内のホテル到着就寝

20日7:00台北高速鉄道で出発
9:04台南到達、タクシーで台南タウンに向かう。
9:20台南タウン散策

国立成功大学:成功大学の「成功」は、台湾の英雄「鄭成功」からとったもの。台南には鄭成功にまつわる史跡がたくさんあります。構内で是非見ていただきたいのは昭和天皇のお手植えと言われているガジュマルの巨木です。

台南公園:

立入国小:

神農老街:清時代の街並みが残るエリア。築200年以上の古民家が並ぶ。夜にはライトアップされるので、夜に訪れるのもよい。神農街とは「神農廟」へと続く参道である。

大天后宮:1684年に建てられた。祀られているのは、「媽祖」である。大天后宮周辺は、昔の街並みが残っており、散策が非常に楽しいエリアである。

祀典武廟:赤嵌楼の真向かいにあります。お参りセットなども売っている、三国志の武将・関羽を祀った廟です。

赤崁楼:オランダ人によって築かれた。元の名前は「プロヴィンティア」(Provintia)である。鄭成功が台湾を占拠すると、プロヴィンティアは東都承天府と改名すると同時に、台湾の最高行政機関として使われるようになる。

天壇:神格が最高位の玉皇大帝を祭る廟で、一般に天后廟ともよばれている。必見は正面に掲げられた「一」の文字で、台湾で最も美しい「一」といわれている。地元の人は旧暦の毎月1日と15日に、家内安全祈願のお参りをします。

呉園:

台湾府城隍廟:1669年建造の台湾最古の城隍廟。地域の守護神であり、また死後の世界を管理する神とされる城隍爺を祭っており、地獄の裁判官ともよばれる。そろばんをはじいて死者の生前の善悪を計算し、天に昇るか地獄に落ちるかの評価を下すと考えられています。

国立台湾文学館:台湾語や客家語で記された作品をはじめ、台湾の文学と歴史に関する展示を行う博物館。建物は日本統治時代の1916年に台南州庁として建てられた西洋建築で、建築家は日本人の森山松之助。雰囲気の良いオープンエアのカフェが併設されています。

孔子廟:1666年に開かれた、台湾で初めての孔子廟とされる。清の統治時代の末期までは、台湾全島でもっとも格の高い教育機関であった。入り口には「全台首学」と書かれており、その名残がみられる。なお、現在の建物は日本統治時代の1917年に再建されたものである。

大南門:台南の城市をぐるりと囲む城壁と城門は1730年代に造られ、なかでも南門は正門としての威容を誇っていた。二重構造で外壁の石垣が半月形をしているので月城というロマンチックな名前もある。内門の上には燕尾瓦の屋根も美しい櫓が立つ立派な城門だが、大南門以外に当時の遺構はほとんど残っていないといいます。

延平郡王祠:オランダ支配から台湾を解放に導いた民族的英雄・鄭成功を祭る廟。1662年の創建で、古くは開山王廟と呼ばれ日本統治期には開山神社と改称されました。

大東門:台南の東の防衛の門です。迎春門とも呼ばれていました。大南門と同様に18世紀初めに建てられました。現在の門は20世紀後半に復元された門です。現在は広い道路の中央にあります

14:30タクシーで台南駅に向かう。

15:01台南高速鉄道で出発
15:46台中到達、タクシーで台中タウンのホテルに向かう。
16:05ホテル到達。
17:00散策

国立台湾美術館:アジア一の規模を誇る美術館で、原則的に入館無料で楽しむことができます。定期的に様々なテーマの美術展が開催され、館内は子どものための絵本センターや美術関係の図書館など施設が充実しています。

中華路夜市:台中で一番歴史のある夜市。創業50年以上続くという屋台も多く、蛇料理やすっぽん料理、鵝肉(がちょう肉)料理や臭豆腐などの珍しい食材がいっぱいです。ほとんどの屋台では後ろにテーブルが用意され、台湾ビールを飲みながらゆっくりと食事ができるようになっています。中華路夜市は生活に密着した夜市で、服や雑貨のお店よりも圧倒的に飲食店が多いのが特徴です。

19:00ホテル到着、食事を済ませて就寝

21日台中散策

国立自然科学博物館:1986年に設立の台湾初の科学博物館です。宇宙ホール、鳥瞰ホール、立体ホール、環境ホールの4つのテーマに別れ、全部見て回るには丸一日かかります。一番人気はコンピューター制御で動く恐竜の親子と、それを2回から眺める葉っぱの服を着た恐竜のおじさん。3分に1度、現代の環境破壊について嘆き、ぼやいているというユニークなものです。

精明一街:

文心玉市:

宝覚寺:台中大仏とも呼ばれる金色に輝く弥勒大仏像(布袋)で有名なお寺です。高さは約30mで台湾では2番目の大きさ。この大仏の耳を触ると幸福に、へそを触るとへそくりが増えるのだとか。大きすぎて触れないので、代わりに近くの小さな大仏を触ります。その大仏を触ると同じご利益が得られるのだそうです。大きな大仏の内部は台湾民族文物館になっていて、おへそが窓にあたるという凝った造りになっています。また、円覚寺には日本人戦死者の慰霊碑があり、毎年11月には台湾で物故された日本人の慰霊祭が行われます。

孔子廟:台湾の学問の神様、孔子廟。1726年に建立された由緒あるお寺です。受験シーズンが近くなると多くの受験生が合格祈願に訪れますが、それ以外は市民の憩いの場として利用されています。台湾では珍しい宋式のデザインで、美しい装飾が施されています。

台湾伝統版印特蔵室:

中山公園:1903年、日本統治時代に市民の憩いの場所として整備された公園です。公園の中心にある日月湖は初夏から初秋にかけて、蓮の花が水面に花を咲かせます。日月湖に浮かぶ島に建てられた東屋は日本の親王の休憩場所として建てられたもので、台中公園にはこのような日本と関わりの深いものが随所に見られます。

市議会:街中でパッと目を惹く白い洋館の「台中市政府庁舎」。実はこちら、日本統治時代に作られた歴史ある建物なのです。

元は、旧台中州庁でしたが、現在は市役所の事務所として使用。日中、建物内の見学も可能なので、足を運んでみる価値はありますよ。中庭が広く、芝生は手入れが行き届いてとっても綺麗。また、暗くなるとライトアップされた姿もうっとりする美しさです。

台中駅:台中駅は台中市の中心駅です。日本統治時代にオープンした駅舎は、赤レンガを使った英国風のデザインが特徴的で、築70年以上を経過しています。レトロな雰囲気のある駅ですが、駅舎内にはハンバーガー屋やコンビニ、土産物店などがありとても便利です。食堂やレストランはないので、名物の駅弁「排骨弁当」を楽しみましょう。

11:30タクシーで高速鉄道台中駅に向かう。
12:07台中高速鉄道で出発
12:55桃園到達、シャトルバスで台湾桃園国際空港に向かう。
13:20台湾桃園国際空港到達
21日17:25台湾桃園国際空港チャイナエアラインで出発
20:50関西国際空港到達。

今回の旅行、東南アジアの日本と親日の台湾に足を運び、台北、高雄に次ぐ台湾第3の都市で、台湾の西部中心部よりやや北に位置しています。近年の台湾経済の発展を支える成長の著しい地、台中、日本でいえば京都のような古い町並みと歴史を持つ街で億載金城や赤嵌楼など数多くの古跡や歴史的建造物が残っている台南を訪れ、散策観光して楽しみました。
今回で3回めの訪れの台湾、西部地区はほぼ制覇、次回は東部の花蓮・台東を訪れる予定です。

狭い台湾、東部を訪れたら、最終的には、レンタカーで秘境を含めくまなく巡りたいと考えています。























飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百四十ニ弾:中国深セン観光
2016年1月9日ー11日 

アジアの大国中国に足を運び、小さな漁村であったが、1979年に深セン市に昇格し、その翌年に中国初の経済特区となり、数年で中国でも有数の近代的な都市に生まれ変わり、中国各地から人々が集まる都市となった深センに香港を経由して訪れました。

9日18:15関西国際空港、キャセイパシフィック航空で出発
21:45香港空港到達、メトロで香港市内に向かう。
23:05油麻地駅下車、近くのホテル到達、就寝。

10日8:00出発、メトロ利用して深センに向かう。
9:10深セン到達。歩きとメトロを利用して観光名所をめぐる。

深セン:深?は、 大きく3つのエリアに分けられます。
香港とのイミグレーションや深?駅がある繁華街・羅湖地区、テーマパークがある観光エリア・華僑城、そして工業地区と港がある蛇口。

老街:深?の渋谷と呼ぶべき場所です。多くのレストランや飲食店が軒を連ねています。食べ歩きもできます。日本のチェーン飲食店(牛丼屋やファミレス)もいくつかありました。深?一の繁華街ともあり深夜まで多くの人がいます。

深セン博物館新館:深?市の大型シンボル建築となる市民センターの構成部分として深?市民センターの東側に位置しており、市民センターの全体造型が翼を広げた鵬の如き、威風堂々としています。2008年12月に開館された新館は、歴史博物館として、主に深?の歴史と民俗文化等を展示しています。そのうち深?改革開放歴史展は重点的な常設展示として、多くの芸術的手法及びハイテク手段で我が国が改革開放を実施して以来実現した歴史的な変革と偉大な業績を生き生きとして示しているが、勢いが雄大で、人々の心を揺り動かしています。

中国民俗文化村:錦繍中華の西隣にあり、敷地内には21の民族の24の村が復元されています。各村には実物大の住居があり、民族衣装を着た少数民族が迎えてくれます。貸し民族衣装を着ての記念撮影や民族料理の販売などもあり、ナイトパレードでは歌や踊りのアトラクションが催されます。

錦繍中華:30haという広大な敷地は中国の形をしており、万里の長城・故宮・秦の兵馬俑・三大石窟などの建築物、長江三峡・漓江山水・西湖といった自然景観などが地図上の位置とほぼ同じに配されています。また、白族民居・豪古包など民族に関する展示から、生活、風俗などを垣間みる事ができます。

世界の窓:中国民俗文化村から西へ徒歩15分。世界の名所、旧跡、自然景観を集めたテーマパークです。敷地内には世界広場、アジア区、大洋州区、ヨーロッパ区などの9つの景区に分かれ、118のミニチュアがあります。複製品の縮尺は等倍から25分の1まであり、一番大きいものは108mのエッフェル塔です。世界広場巡遊大表演という夜のショーで世界各国の歌や踊りが見られます。

歓楽谷:1998年10月にオープンした遊園地。中国の空想上の動物、麒麟をモデルにしたマスコットキャラクターが出迎えてくれます。北極探検、漂流河といった体験アトラクション、ショーや曲芸の催しがあります。

深セン博物館旧館:深?博物館の前身であった深?市博物館は1981年11月設立で、深南中路に位置し、?枝公園と隣接していますが、繁華街の中のオアシスのような静かなところとなっています。博物館旧館は1988年11月1日に開館され、現在、古代芸術博物館として、主に博物館の収蔵文物、自然標本及び民間収蔵文物等を展示しています。

18:10大劇院駅付近のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。

11日9:00歩いて出発

地王大廈:南中路にある中国で一番高いビル。このビルの周辺や、駅前広場から北側の人民南路一帯、鉄道の西側などは、未だ発展し続ける深?をひしひしと感じます。

10:30メトロで香港に向かう。
13:30香港空港到達。
16:35香港空港キャセイパシフィック航空で出発
21:00関西国際空港到達。

今回の旅行、アジアの大国中国に足を運び、発展著しい深センの町を歩いて観光名所を巡り楽しみました。
各地で多くのビルの建設ラッシュが見受けられ、著しく進化している町に感動しました。

際立った観光名所はなく、日本で言うリトルワールド、リトルチャイナのようなテイマパークが存在し、外国人向けよりも中国本土の人々のための名所のような気がしました。外国人も少なく殆どが中国人でした。
企業が進出する町、その影響が工業発展が著しく思われます。地王大廈の69階展望台からの眺望が物語っています。

2泊3日の中国深セン巡り満喫しました。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百四十一弾:ポルトガル&スペイン&トルコ観光
2015年12月26日ー2016年1月5日 

ユーラシア大陸の最果て位置し、1543年にポルトガル人が種子島に漂流し、鉄砲を伝来して以降、日本と交流し多大な影響を与えたポルトガル、イベリア半島のほぼ80%を占め、北はピレネー山脈を隔ててフランスと接し、南は地中海を挟んでアフリカと向かい合い、古くから多くの民族が侵入し盛衰を繰り返してきたスペイン、東西文化の交差点に位置し、4000年以上の歴史を誇り、広大な国土を有し、古代遺跡をはじめとする大自然が生み出す雄大な景観を有するトルコに足を運び、ポルトガルの首都リスボン、第二の都市ポルトを含む世界遺産10か所を訪れ、スペインの北西部に位置しキリスト教三大聖地の一つサンチアゴ・デ・コンポステーラ、又黒海とマルマラ海を結ぶボスポラス海峡を隔ててヨーロッパサイドとアジアサイドにまたがる大都市のイスタンブールを訪れました。

12月26日23:00関西国際空港ターキッシュエアラインで出発
27日5:20(時差ー7時間)イスタンブール空港到達
7:30イスタンブール空港ターキッシュエアラインで出発
10:25(時差ー9時間)リスボン空港到達。

専用バスで昼食レストランへ

昼食後リスボン観光:大西洋に面するポルトガルの首都リスボン。15~16世紀の大航海時代に栄華を極めたこの街も、今はどこかのんびりとして、そこはかとない郷愁感を漂わせている。「7つの丘を持つ都」の別名どおり地形は起伏に富み、街歩きにはケーブルカーやエレベーター等の交通手段が活躍。サン・ジョルジェ城など高台のビューポイントからは美しい家並みが一望のもとだ。観光名所としては、中心部から5kmほど西のベレン地区が必見。世界遺産でもあるジェロニモス修道院やベレンの塔、発見のモニュメントなど大航海時代の記念物が残されている。

アルカンタラ展望台からリスボンの街並みを望む。

ジェロニモス修道院:エンリケ航海王子を称えて建設されたのがこのジェロニモス修道院です。入口の上部にはエンリケ航海王や聖ジェロニモスの生涯が刻まれています。

ベレンの塔:発見のモニュメントからテージョ川沿いに1kmほど河口にあるのが要塞ベレンの塔です。ジェロニモス修道院と共にマヌエル様式により建てられた、大航海時代を代表する建物です。世界遺産に指定されています。

発見のモニュメント:ジェロニモス修道院の前にあるのが発見のモニュメントです。エンリケ航海王の500回忌を記念し建てられました。広場のモザイクで描かれたモザイクと年表があり、豊後に着いた1541年が刻まれています。

人気の老舗店パスティス・ド・ベレンのエッグタルト召し上がる。

観光後ホテルへ

18:30ホテル到達、夕食、就寝。

28日7:45専用バスで出発、ロカ岬へ

ヨーロッパ大陸最西端ロカ岬散策:ヨーロッパ大陸の最西端、ロカ岬。高さ140mの断崖の上には灯台があり、その向こう側には大西洋が広がります

専用バスでシントラへ

シントラ観光:自然豊かなシントラではかつて王侯貴族たちが贅をつくした荘園や館を建てました。王宮、ペナ宮殿を中心に自然と街の景観全体が世界遺産となっています。

シントラ王宮:イギリスの詩人バイロンが“エデンの園”と呼んだ、緑豊かな木々に包まれたシントラの町。美しいその町で、ひときわ目立つトンガリ帽子のような2本の巨大な煙突をもつ建物が王宮だ。特に16世紀にマヌエル1世が増築した、正面に向かって右端の一画は、絢爛豪華な室内の装飾で、大航海時代のポルトガルの繁栄ぶりを目の前にすることになる。

観光後リスボンへ戻る。

12:15リスボンで昼食

リスボン市内観光:リスボン市内のリベルダーデ通リを散策する。ロシオ広場、サンタ・ジュスタのエレベーター、コメルシオ広場、

観光後オビドスへ

中世の城壁都市オビドス散策:なだらかな丘の上で、中世の城壁に囲まれてたたずむ“谷間の真珠”オビドス。石畳の細い道、白壁に青や黄色のラインを引いた可愛らしい家々、そしてその軒先を飾る鮮やかな花々…、どこを切り取ってもまるで絵葉書のよう。1228年にこの村を訪れた王妃イザベルはその美しさにすっかり魅了され、以降オビドスを王妃直轄の地に定めたというが、通りを歩けばその逸話にもつくづく納得だ。人口わずか800人のオビドスはとても小さく、一周するのに時間はかからない。ショップや美術館を覗いたり、城壁の上から家並みを眺めたりと、思い思いに過ごしてみよう。なお、村の一番奥にそびえる城館は、現在ポルトガルでもっとも人気の高いポウザーダになっている。


散策後専用バスでナザレのホテルへ

19:00ホテル到達、夕食、就寝。

29日8:00専用バスで出発

ナザレシティオ地区展望台:ナザレは、リスボンの北に位置する漁業と観光の町。フランス映画『過去を持つ愛情』に登場した町だ。大西洋に面した美しい浜辺は、夏はリゾートとして多くの観光客を集めるが、それ以外の季節は、網の手入れをする漁師の姿やたくさん並んだ魚の干物など、静かな漁村の顔を見せる。民族衣装を身につけている人も多い。海風と明るい太陽の中で、自分たちのペースを崩さず、でも決して閉鎖的にならずに訪れる人をやさしく迎え入れてくれる、そんな素朴な雰囲気をもち続けている。北の高台シティオ地区からの海岸線の眺めが素晴らしい。

アルコバサへ

アルコバサ観Alcobaca(アルコバサ)という名前はアルコア川とバサ川の合流地点があることから来ており、その小さな川がどこかほっとさせる雰囲気を持つ町です。 アルコバサといえば、世界遺産にも登録されているMosteiro de Santa Maria(サンタ・マリア修道院)です。
サンタマリア修道院:初代ポルトガル王がレコンキスタに協力したことを感謝して建造させた初期ゴシックの巨大な修道院。


バターリャへ

バターリャ観光:バターリャとは、ポルトガル語で「戦い」の意味。1385年、近郊のアルジュバロタでカスティーリャ軍を破り、ポルトガルの独立を守った歴史的な戦いがあった。その勝利を神に感謝するために、ジョアン1世が建てたのが、バターリャ修道院だった。この修道院の正式名称は、「勝利の聖母マリア修道院」。ゴシック・マヌエル様式の壮大かつ華麗な建物は、アルコバサの修道院をモデルにつくられた。この修道院を中心としたバターリャの町は、名前のもつ勇ましさとはうらはらに、緑の木々に彩られ、穏やかな雰囲気の町である。

バターリャ修道院:スペイン軍に奇跡的に勝利をもたらした聖母マリアに感謝して建てられたヨーロッパ屈指の建物。

トマールへ
トマールで昼食
トマール観光:イスラムからテンプル騎士団がトマールを奪回し、Convento de Cristo(キリスト修道院)を建設しました。 このConvento de Cristo(キリスト修道院)は非常に有名な歴史のある建物で世界遺産にも登録されています。 テラスにある大窓が有名で必見のポイントです。
キリスト修道院:エンリケ航海王子のキリスト教騎士団の拠点となり発展した修道院。マヌエル様式の「天窓」は大傑作。

観光後大学の町コインブラへ

コインブラ観光:リスボン、ポルトに続くポルトガル第三の都市がコインブラ。モンデゴ川のほとりに広がる美しい街で、13世紀に首都がリスボンへ移るまではここがポルトガル王朝の都だった。街のシンボルは、丘の上に建つコインブラ大学だ。13世紀に創設された国内最古の大学で、王宮跡を利用した敷地内には豪華な装飾の図書館など多くの見どころがある。5月の学生祭の時期には伝統の黒マントに身を包んだ学生の姿がそこかしこで見られ、この町独特の学生ファドが聴けるのでお見逃しなく。その他おすすめの観光名所としては、要塞としての役割も兼ねていた旧カテドラル、「静寂の回廊」があるサンタ・クルス修道院など。近郊にはイベリア半島最大の都市遺跡コニンブリガもある。
コインブラ大学、新・旧カテドラル。

観光後ポルトへ

19:00ポルトのホテル到達、夕食、就寝。

30日8:00専用バスで出発

ポルト歴史地区観光:ポルトガルで最も古い歴史を持つポルト。ワインと坂の町としても有名です。ポルトガルの北部、ドウロ川の北岸の丘陵地に築かれた町。起伏が多いため、坂道が多く、独特な景観をもつ。工業、商業が中心の町で、ポルトガル第2の都市でもある。ローマ時代、ドウロ川の左岸をポルトス、右岸をカーレと呼んでいた。この2つを合わせたポルトカーレが、ポルトガルの語源であるといわれている。市内には、内部を金で装飾した中世の教会サン・フランシスコ教会など、歴史的な建物も多い。また、ポルトは、ワインでも世界的に有名な町。ワイン工場の集まるヴィラ・ノーヴァ・デ・ガイアでは、工場見学と試飲が可能。
サンフランシスコ教会、サンベント駅、ドンルイス1世橋。

ドウロ川クルーズ:ドウロ川クルーズで船、川からポルトの歴史的地区を望む。


ポートワイン試飲:ドウロ川上流にあるぶどうの段々畑とそれを支える石壁が幾十にも続く美しい地域。・甘口ワイン ポートワインとして 知れわたる。

その後専用バスでギマランイスへ

ホテルポサーダにて昼食:
ポサーダとは、古城や修道院などを改装した国営ホテルです。ポルトガル全土に45軒ほどありますが、歴史的建築物を改修して認定された第1号のポサーダがオビドスの「ポサーダ・ド・カステロ」です。陶器の名産品で有名な町だけあって、青い装飾が施された白い家々、狭い路地、美しい石畳など絵のように美しい町オビドスにあり、15世紀の城を改修した人気のポサーダです。落ち着いた内装とアンティークな家具が居心地のよい空間を作り出しています。何よりすばらしいのはポサーダからの眺望です。
昼食後

ギマランイス歴史地区観光:この国初代国王アフォンソ1世が誕生したことで「ポルトガル発祥の地」と称される由緒ある街。アフォンソ王が生まれた城など見るべき史跡が多い地区。
ブラガンサ公爵館:15世紀の初めに初代ブラガンサ公爵ドン・アフォンソが築いた大きな館。カシとクリの木を用いた天井の大広間やレンガの煙突などに、特徴をもつ建物だ。ゴブラン織やペルシャ絨毯などのカーペット、数々の絵画や家具、調度品など、中世ポルトガルの貴族の生活をかいま見ることができる。現在は政府の公館として国賓などの接待に使われているが、一般も見学可能。この公爵館のあるギマランエスの町は、ポルトガルの建国を実現させたアフォンソ・エンリケスの誕生の地でもある。彼ゆかりの城や礼拝堂も人気があり訪れる人が絶えない。
トウラル広場。

サンチアゴ・デ・コンポステーラホテル(スペイン)へ

20:00ホテル到達、夕食、就寝。

31日9:00専用バスで出発、ア・コルーニャへ

ア・コルーニャ観光:スペイン北西部、ガリシア地方に位置します。重要な海洋生態系を有するコスタ・ダ・モルテには、切り立った崖、砂丘そして伝統のある灯台や海岸がある海辺の村々が見られます。内陸部はその山々と緑の渓谷が特徴です。アス・マリニャス・コルニェサス・エ・テラス・ド・マンデオ生物圏保護区、フラグアス・デ・エウメ自然公園、コルベド砂丘群およびカレガル湖とビシャン湖自然公園などの自然地帯が特筆に値します。県都ア・コルーニャ市では、ユネスコ世界遺産に指定されているヘラクレスの塔が必見スポットです。
ヘラクレスの塔、マリーナ大通り、サン・アントン城。

12:15昼食ガリシア料理
ガリシア風クレープフィジョアスを召し上がる。

昼食後サンチアゴ・デ・コンポステーラに戻る

サンチアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の道、歓喜の丘。

サンチアゴ・デ・コンポステーラ旧市街観光:ここはサンティアゴ巡礼道の最終目的地であり、この巡礼道はサンティアゴ・デ・コンポステーラの旧市街と共にユネスコの世界遺産に指定されています。この地方の祭りといえば、国際的観光名物に指定されているオルティゲイラのケルト世界国際フェスティバルや使徒サンティアゴの祭りがあげられます。ガストロノミーでは、海産物の質には定評があり、特にカメノテに似た「ペルセベ(percebe)」、小ぶりのカニ「ネコラ(necora)」そして「セントーヨ(centollo)」と呼ばれるヨーロッパケアシガニなどが有名です。
大聖堂、アラメダ公園。

19:00レストランで夕食
20:30ホテル到達、就寝。

1日9:00旧市街散策

その後サンチアゴ・デ・コンポステーラ空港へ

13:00サンチアゴ・デ・コンポステーラ空港到達

イスタンブール悪天候のため飛行機到着せず、急遽空港近くのホテルで2泊する。

14:45サンチアゴ・デ・コンポステーラ空港ターキッシュエアラインズで出発

又も天候不順で途中経由予定のビルバオに着陸できず、一旦マドリードで着陸し、天候が回復してからビルバオに着陸する。その後イスタンブールに向かうが予定より大幅に遅れる。
4日2:20イスタンブール空港到達、大阪行きの便に乗り遅れる。
空港近くのホテルで宿泊しする。
12:00イスタンブールのヨーロッパサイド旧市街地を散策する。

18:00イスタンブール空港到達。

5日1:00イスタンブール空港ターキッシュエアラインズで出発
19:10関西国際空港到達。

今回の旅行、ヨーロッパのポルトガルとスペインの北西部に足を運び、11個の世界遺産を訪れ楽しみました。
日本と交流し多大な影響を与えたポルトガルの10箇所の世界遺産の街並み、キリスト教の聖地スペインサンチアゴ・デ・コンポステーラの街並みの礼拝堂、お城など数多くの歴史的建造物に触れ、日本には見られない光景を目の当たりにして感動いたしました。
治安もよく、市街地の散策も自由に、気持ちよくでき、気軽に買い物を楽しめ満喫しました。

尚最終日アクシデント有り、イスタンブール行きの飛行機がイスタンブール空港雪で悪天候のため飛べず、仕方なく、サンチアゴ・デ・コンポステーラ空港付近のホテルに2泊する。
又2日後のフライトは途中経由するビルバオに天候不順で着陸できず、マドリードに着陸して天候回復してから再度ビルバオ経由したため大幅に遅れ、イスタンブールから大阪行きに乗り遅れ、イスタンブールに宿泊観光してからの帰国になりました。

ポルトガルからスペインの北西部m又トルコイスタンブールのヨーロッパサイドの旧市街に点在する世界遺産、歴史的建造物巡り11日間の旅、予定より3日間延長し、疲れましたが堪能し楽しい観光旅行でした。































飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百三十七弾:台湾高雄観光
2015年11月21ー23日 

中国大陸福建省の東側に浮かぶ、日本の九州よりやや小さい本島と周辺の島々から構成される台湾に足を運び、台北に次ぐ台湾第二の大都市で南部台湾の中心地で経済と貿易の都市で、高雄港は巨大コンテナ船が行き交う平野が広がっている平らな町、高雄を訪れました。

21日16:30関西国際空港マカオ航空で出発
19:45マカオ空港到達
21:55マカオ空港マカオ航空で出発
23:20高雄空港到達、タクシーで市内に向かう。
23:50市内のホテル到達、就寝。

22日7:30ホテルを歩いて出発

三鳳宮:

高雄願景館:

鄧麗君(テレサ・テン)紀念文物館:

客家文物館:

高雄市立美術館:高雄市立美術館は台北美術館、台中国立美術館についで台湾第3の公立の美術館です。現在、高雄美術館の本館と一部の彫塑公園は市民に開放されています。かつては台湾文化界の注目も集めていたほどです。1994年6月に開館し、台湾本土の歴史や地域住民の意見を踏まえながら建てられたこの美術館は環境にもうまく溶け込んでいます。この建物の外観は水平方向に細長く、前には長い廊下で囲まれた屋外劇場があります。大型の彫塑作品も展示されており、市民の憩いの場となっています。ここの三大作品は台湾彫塑の父と言われた黄土水の最後の作品「水牛群像」、フランス彫塑家ボーデル(Bourdelle.1861~1929)の「蒙托邦(モントバーン)紀念碑」(Montauban)の一つ大戦士、丸い石で彫られた仏の立像です。


鳳山県旧城:

左営蓮池潭:高雄市の郊外にある有名な観光地で、孔子廟や啓明堂、龍虎塔、中国の宮殿を彷彿させる「春秋閣」があります。夕方は、夕陽が湖面に映り、この区で最も美しいひとときです。近隣には第一級古跡に指定されている鳳山区の城壁や城門があります。

瑞豊夜市:

新堀江:城市光廊から五福路を隔てた向かいには、「新堀江街」があります。若者たち向けのファッショングッズの店舗や屋台が密集し、雰囲気はまさに「夜市」の賑わいです。ブランド品から高校生にも使える小物類までなんでもそろいます。堀江という名は、高雄の人たちには懐かしいです。日本時代から開けた舶来品街というからアメ横のような存在だったのでしょう。いまは新堀江街として新しい歴史を刻んでいます。

東帝士85ビル:高雄85大楼は台湾南部で一番の高さを誇るビルで、高雄市のシンボルと言えましょう。高さ378メートルで、世界で2番目に高速のエレベーターが設置されています。分速600メートルの超高速で、75階の展望台まで43秒で上ります。高度120メートルに達したとき、照明が落ちていき、満天の星を望め、輝く星空に突入するような体験が味わえます。75階にある「85観景台」に着くと、高雄のオーシャンビューとシティビューの両方が一望できます。「85観景台」まで上れば、目の前に美しい港の都、高雄が広がっています。

愛河:高雄市とともにいくつもの歳月を過ごしてきた愛河は、清代には「打狗川」(犬たたき川)と呼ばれていました。しかし、日本統治時代には名称があまりにも無粋なため嫌われ、「高雄河」と改称され、高雄運河とも呼ばれました。台湾が主権を回復してからは、河原の両側に河川敷公園が整備され柱も立てられました。ケーブルで囲まれた沿岸は緑あふれる美しい公園へと生まれ変わり、そこは愛を語り合う恋人たちのデートスポットになりました。これが愛河という名たついた由来です。のちに、蒋介石前総統が夫人の誕生日祝いにと、仁愛河に改名しましたが、愛河の名はいまもなお人々の間で愛され続けています。

高雄市立歴史博物館:高雄市塩埕区にある高雄歴史博物館は、有名な高雄愛河の近くに佇んでいます。旧高雄市政府によって再建され民国87年(1998年)10月25日に正式にオープンしました。建築物そのものは1938年に建てたれ、今日にいたるまで60年以上の歴史を誇ります。日本統治時代末期に建設され、当時は高雄市市役所として使用されまた台湾光復後は高雄市政府所在地となり、そして現在では国内において初めて地方政府よって建設された博物館となっています。この博物館は現在、高雄市が21世紀の海洋都市として発展に努める象徴となっています。館内は先住民が苦労を重ね山林を開拓した過程を主に記録展示し、展示されている貴重な文物と各方面における研究とプロモーション活動を通じて、多くの人々に高雄市の發展の軌跡に触れてもらうことを期待しています。過去への追想から未来への更なる発展をめざして高雄市立歴史博物館は大変重大な責務を背負っているといえましょう。

駁ニ芸術区:

打狗鉄道故事館:

衛武営都会公園:

六合国際観光夜市:現在の高雄市新興区大港埔近くの空き地に屋台がぽつぽつと出たのがこの夜市の始まりです。その後、屋台はどんどん増え続け、あっという間に「小吃」(B級グルメ)で名を馳せる「大港埔夜市」を形成していました。そして、規模はどんどん拡大し、いまの六合夜市になりました。この夜市は高雄駅から目と鼻の先のところにあります。中山路沿いにほど10分歩き、右に曲がると六合夜市に突き当たります。昼間はなんの変哲もない大通りですが、日が傾く頃ともなれば、行き交う人々でごった返すにぎやかな集落へと変貌します。軒を連ねるおよそ138の屋台のほとんどは「小吃」、娯楽ゲームなどです。洋服や雑貨などを売る屋台もぼつぼつだが出ています。

17:30ホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

23日8:00ホテル出発

打狗英国領事館邸:西子湾風景区にある「打狗英国領事館」は1865年、英国人によって建てられ、台湾に現存する洋館の中で最も古いです。同時期、台南の安平領事館や淡水紅毛城の領事館も建てられており、3カ所とも近代台湾の洋館建築を代表する観光スポットになっています。

西子湾:西子湾は高雄市の西側、壽山西南の麓に位置し、旗津半島も望めます。また夕陽見物の名所でもあり、天然の礁石もよく知られています。西子湾では早朝と夕方、それぞれすばらしい光景が見られます。特にここの夕陽は高雄八景の一つとなっています。そして西子湾と言えば長い防波堤です。この上に腰掛け、海に浮かぶ大小それぞれの船を見ながら、やさしい海風に吹かれていると、時間の経つのも忘れてしまうほどです。

旗津半島:旗津は細長く延びる島で、かつては「旗後」と呼ばれていました。市内からはフェリーが就航し、また海底トンネルも開通しています。旗津は小さいながらも見所沢山の島です。廟前路にそびえる天后宮は300年の歴史を誇ります。廟前を唐装をした車夫が引く人力車が行き交う様子も見所のひとつとなっています。また昔ながらの通りには海鮮料理店が立ち並び、美味な海の幸を廉価で存分に味わうことができます

11:30高雄空港に向かう。

12:30高雄空港到達
15:55高雄空港チャイナエアラインで出発
19:35関西国際空港到達。

今回の旅行、台湾の第二の都市、高雄に足を運び、歩きとメトロで高雄市内の観光名所をほぼ巡りました。
市内は人も車も程々で、自転車は少なく、バイクの多さにびっくりしました。

大きな観光名所は少ないですが、点在する寺院、歴史的建造物を巡り楽しめました。

378mの高層ビル東帝士85ビルの展望台からの360度の眺望は圧巻で高雄市内の町を見渡せ把握することが出きました。

大阪から3時間ほどのフライトでたどり着ける台湾、気軽に訪れることができます。これからも頻繁に訪れて台湾をくまなく把握し制覇したいと思います。
















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百三十四弾:マレーシア観光
2015年10月31日-11月3日 

海上貿易の要衝として希有な発展を遂げて、大航海時代から太平洋戦争が終結するまで、世界の列強の侵攻にさらされて、独立後は、民族間問題、金融危機などを乗り越えて、躍進を続けているマレーシアに足を運び、マレーシアの首都、約165万5000人が暮らす大都会のひとつ、KLのシンボルタワー、KLタワーとペトロナス・ツイン・タワーや植民地時代の建造物、民族色あふれる町並みと、見所多いクアラルンプールを訪れました。

10月31日13:30関西空港シンガポール航空で出発
11月1日5:40シンガポール空港到着
7:10シンガポール空港シンガポール航空で出発
8:05クアラルンプール空港到達、高速鉄道でKLセントラル駅に向かう。
KLセントラル駅到着後タクシーでKLCC方面に向かう。

KLCC周辺散策:KLCC周辺には近代的なビルやホテルが立ち並び、KLセントラル駅付近とは逆にクアラルンプールが近代都市である事を物語っています。KL市内中心部に位置する開発地区・クアラルンプール・シティ・センター(Kuala Lumpur City Centre)の頭文字を取ってKLCCと呼ばれる一帯は、KLのシンボル・ペトロナスツインタワーを中心にショッピングセンターやホテルやビルが立ち並ぶ地区です

KLタワー:世界で4番目に高いテレビ塔で、ツインタワーと並ぶKLのシンボルです。「パイ ナップルの丘」を意味する、ブキッ・ナナスに建つ地上421mのタワー。タワー自体、パイナップルをモチーフにして建てられています。展望台からは360度でKLの市街を見渡せます。木曜日から日曜日の午前11時半から午後4時までは伝統舞踊や音楽のパフォーマンス、また展望台では民族衣装を着ての写真撮影(有料)のサービスもあります。また回転レストラン「スリ・アンカサ」では、食事をしながらKLの市街を見渡す事が出来ます

マレーシアツーリズムセンター:1935年に建てられたゴム園実業家の私邸跡を利用したコロニアル風の建物。
現在は旅行者の為の観光案内所として、ツアーやホテル予約、インターネットアクセスやツーリストポリスカウンター等を設置しています。また敷地内には民族舞踊ショーも楽しめるレストラン「サロマ・シアターレストラン」があります。

ペトロナス・ツイン・タワー:地上88階建て、452mの世界で一番高いツインタワー。KLのシンボル。イスラム教の「5柱」からインスピレーションを得た近代イスラム建築でもあります。41階に架けられたスカイブリッジと86階の展望デッキへの入場が可能です(定員制)。ツインタワーの周りには公園やショッピングセンター、水族館などがあります

KLCC公園:

KLCC水族館:


15:00チャイナタウン内のホテル到着、休養後
周辺を散策、食事を済ませて就寝。

2日8:30チャイナタウン周辺散策:Rapid KLパサール・セニ駅周辺には、チャイナタウンが広がっています。
いつ訪れても多くの買い物客で賑わっていますが、夕方からは歩行者天国になり露店やレストランのテーブルが道を埋め尽くします。特に露店では値切り交渉も可能で、値切り体験をしてみたい方にはお勧めです。

スリ・マハ・マリアマン寺院:チャイナタウンに隣接するヒンドゥー寺院で、KLで最も古く精巧な建物のひとつです。
22mの壮麗な門塔とポーチは複雑に彫られたヒンドゥー教の神々の像で飾られています。中にいは金と宝石で装飾されたヒンドゥー教の女神・マハ・マリアマンが祀られています。

関帝廟:

マスジェット・ジャメ周辺散策:1909年、クラン川とゴンバック川の合流点に建設された市内最古のモスク。白いタマネギ型のドームと赤レンガの壁がヤシの木の緑に映え、王宮のような美しさ。

国立織物博物館:

クアラルンプールシティギャラリー:

クアラルンプール記念図書館:

スルタン・アブドゥルサマドビル:1897年に建てられた旧連邦事務局ビル。完全なるレンガ造りの建物は、ムーア様式をとりいれており、当時イギリス領マラヤでの最高傑作と言われました。現在は文化省管轄の建物となっています。夜はライトアップされ、夜空に美しくその姿が浮かび上がります。ツインタワーと並ぶKLのランドマーク的存在です。
ビルの向かいには、ムルデカ広場があります。

ムスデカスクエア:1957年8月31日に独立が宣言された場所。世界一高い約100mの掲揚塔に国旗がはためき、広場周辺にはイギリス統治時代の歴史的建造物が多く見られます。

セントマリー聖堂:

市立劇場:

マスジッドシャメ:クアラルンプールの名前の由来となったクラン川とゴンバック川の合流点にあるモスク。1909年に建設されたクアラルンプールで最古のモスク。ムーア様式を取り入れた建築物で、国立モスクが完成するまでKLで最も重要なモスクでした。
ヤシの木に覆われた外観はまるで王宮のような美しさです。

レイク・ガーデン周辺散策:KL市内中心部から車で10分ほどの場所にあるレイクガーデンは、2つの湖の周囲 を利用して作られた公園です。敷地内にはオーキッドガーデンや、バードパークなど幾つかの公園があります。

国家記念碑:レイクガーデンの北端エリアに建つ高さ約15mのブロンズ像。
190年代の共産主義ゲリラとの戦いで国を守るために戦死した勇敢な兵士たちに捧げる為に建てられました。像は硫黄島メモリアルで有名なフェリックス・デ・ウェルドンの作品です。

バタフライパーク:120種、6000匹以上の蝶が飼育されています。パーク内は蝶の種類の色の花によって蝶の自然の生態環境が再現されています。珍しい「アカエリトリバネアゲハ」も見る事が出来ます。

マスジェドヌガラ:独特な星型のドームと天にのびる光塔が印象的な現代イスラム建築。伝統的なイスラム芸術・飾り文字・装飾を現代的にアレンジした建物は見ごたえがあります。

マレーシアイスラム美術館:世界各地から取り寄せたコーランや陶器、ガラス製品、金属細工や織物、硬貨など貴重な品々が展示されています。世界各地の有名なイスラム建築のミニチュアを展示した建築ギャラリーは様々なイスラム建築を一度に見る事が出来ます。

国立博物館:レイクガーデンのはずれにある博物館。マレーシアの歴史・文化・慣習・手工芸品等に関する貴重な芸術品や資料が展示されています。建物はミナンカバウ風の屋根と正面の2つの壁画が印象的です。館内にはクリスと呼ばれる短剣、屋外には昔のマレー王宮の復元模型が展示されています。

プラネタリウムヌガラ:

バードパーク:鳥が自由に飛び回る世界最大の鳥類飼育場です。20.9エーカーの施設の中では様々な種類の鳥が約3000羽飼育されています。

オーキッドガーデン:800種類以上の熱帯の珍しい蘭の花が咲き誇っています。隣接するハイビスカスガーデンでは500種類以上の「熱帯の女王」ハイビスカスがご覧いただけます。

ハイビスカスガーデン:500種類以上の「熱帯の女王」ハイビスカスがご覧いただけます。

王宮:2011年11月に完成したマレーシア国王の王宮。白いアーチが南国の空に映えるモダンなデザイン。内部の見学はできませんが、外観を見るだけでも一見の価値。

陳氏書院:

ホテルに戻る。
ホテルで食事を済ませて就寝。
3日8:00ホテル出発
高速鉄道でクアラルンプール空港に向かう。
9:00クアラルンプル空港到達
12:00クアラルンプール空港シンガポール航空で出発
12:45シンガポール空港到達
14:05シンガポール空港シンガポール航空で出発
21:20関西国際空港到達。

今回の旅行、東南アジアの経済成長が著しいマレーシアに足を運び、首都大都会クアラルンプールを散策観光して楽しみました。

首都クアラルンプールはいたるところで建築工事が進められ、先進国の仲間入りを目指しての急速な発展はめまぐるしく感じさせられます。

土地に起伏が有り緑も多い、道路も広く整備されています、東京を小さくした町のようでした。しかし首都人口は約165万人で少なくはないが車の渋滞なくスムーズに流れており、人も多く感じされなかったです。
大きな観光名所はなく、主となる観光地はリゾートアイランドペナン、ランカウイ島、世界遺産の古都マラッカが有名です。又マレーシア人はおとなしく感じされられました。中国とちがって電車の中は静かで皆さんおとなしいです。

日本人の移住のナンバーワンの国がマーレシアで、治安がよく、物価が日本の3分の1、消費税、相続税、贈与税がなく、医療技術も高レベル、多民族の集まりで民族差別もなく、親日で、気候も一年中温暖で長期ビザ(10年、更新可)収得がたやすく、時差なく、直行便で6時間、日本人に人気があるのが伺えます。

住み心地の良い日本人に人気のあるマレーシア首都クアラルンプール3泊4日の観光旅行でした。




















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百三十一弾:中国蘇州観光
 
2015年10月10-12日

アジアの大国中国に足を運び、2500年前の春秋時代、呉の国の王が築いたことで始まる古都で、運河や水路を利用した水運により繁栄した蘇州を訪れました。

10日16:10関西国際空港出発
17:25上海空港到達、リニアモーターカー、メトロ、高速鉄道経由して
20:30蘇州駅到達、タクシーで蘇州市内の繁華街付近のホテル到着後繁華街散策し食事を済ませて就寝。
11日7:30徒歩で出発、ホテルを中心として反時計回りで観光地巡る。

蘇州:白壁と黒瓦の町並みを縦横に巡る水路、その上を静かに小舟が行き交う。水郷ならではの古跡や名刹、世界遺産に登録された江南式庭園

怡園:明代に造られた庭園を清代に再建したもの。面積は9畝と、蘇州の庭園のなかでは小さいほうだが、東西に分けて池や築山をそれぞれに配した設計がバランスよくまとまっている。比較的新しい庭園であるため、各年代の庭園や建造物の良い部分を凝縮したような造りが鑑賞のポイント。繁華街・観前街から徒歩圏内だが、それほどガイドブックなどで紹介されていないため、観光客が少なく静かに散策を楽しめるのが最大の魅力。

滄浪亭:唐代末期956年、呉越広陵王の銭元僚により造園された蘇州最古の庭園。後の宋代に詩人の蘇舜欽が別荘として改築し、滄浪亭と呼ばれるようになった。自然に寄り添うようなシンプルな造りを特徴とし、園前に流れる運河もまた蘇州らしい風情を醸し出している。池や川、樹木が茂っていることから「都市の中の山林」という言葉もあり落ち着いた雰囲気がある。

盤門:かつての城門8つのうち現存する唯一の物。創建は蘇州城が歴史に登場する紀元前514年だが、1351年に再建された。検問所と水位調整の役割を兼ねるなど水都らしい特徴も。城壁内にある瑞光塔と盤門、さらに運河に架かる呉門橋は「盤門三景」と呼ばれる蘇州でも有数の景勝地。瑞光塔が建つ城壁内は広い公園になっている。

網師園:十全街の路地奥に位置する古典園林。1174年に造られ、1765年に現在の名前と形になった。私邸に作られた庭園の傑作と言われ、世界文化遺産の一つに登録されている。面積は約5400平米。邸宅と庭園が一体になっているのが特徴で、蘇州の庭園としては小さめ。だが、見どころが多く変化に富んだ造形が人気を集めている。池の周りの回廊や白壁の建築物は、どこから眺めても絵になる美しさ。

双塔:ふたつ並んで建つ高さ30m、八角七層の舎利塔は、まったく同じ構造をもっている。それぞれ舎利塔、功徳舎利塔と呼ばれ、982年に建立された当時は羅漢院内にあったが、現在その建物はなくわずかに石柱などが残るのみ。塔の両側を囲む回廊にその一部が展示されている。これらの遺跡は双塔とともに重点文物保護単位に指定されている。一対の塔は、遠くからも確認できる。

平江路:

藕園:蘇州の地下鉄1号線「相門」駅から延びる通り・倉街エリアの古典園林。世界遺産の蘇州園林のなかの一つで、1876年に造られた。持ち主は清代の蔵書家・沈秉成。最愛の妻とともに過ごす私邸として造られたため、数ある蘇州の庭園のなかでももっともロマンチックなデザインといわれる。建築物や、屋内に飾られた書画など専門家の評価も高い。観光客が少なく静かに散策できるのも魅力。

獅子林:城内の園林路にあり「蘇州四大名園」のひとつ。太湖産の奇石、太湖石で埋め尽くされた摩訶不思議な造形美で知られる。回廊には宋代の名家の書を中心とした石刻60枚余りがはめ込まれている。創建されたのは元代1342年、天如という僧侶による。太湖石が林立する築山にはまるで迷路のように通路が巡らされており、ちょっぴり冒険気分で散策を楽しめる

拙政園:明代の16世紀初頭、高官を失脚した王献臣により造られた「蘇州四大名園」のうち最大の庭園。水をテーマとし、5ヘクタールの敷地のうち池や堀が約7割を占める。園内は東園、中園、西園の3つに分かれている。また拙政園の名は、庭が賄賂で造られたとの噂から「拙き者が政治を為す」という詩句から皮肉ったもの。中国の古典『紅楼夢』の舞台にもなっている。

忠王府:建物の創建は、三国時代にまでさかのぼる。1860年、太平天国軍による蘇州攻撃の際に、忠王李秀成がここに王府を定めた。建物は呉の郁林太守の邸宅だったもので、かつては隣にある拙政園とつながっていたという。太湖石や池をあしらった庭があるほか、西隣には2006年に新装オープンした蘇州博物館があり、忠王府と直結。青銅器や絹織物なども展示され、一般公開されている

蘇州博物館:2006年10月6日に蘇州博物館の新館がオープンした。新館設計は、蘇州出身の世界的に有名な建築大家貝律銘。ルーブル美術館のガラスのピラミッド、ボストン美術館東館、香港中国銀行ビル、日本では魅力ある美術館として名高いMIHO美術館など、世界で名だたる建築物の設計に携わったきた貝律銘85歳の、まさしく故郷に錦を飾る最後の大舞台となった。

北塔報恩寺:蘇州を見守るように建つ高さ76m、8角9層の巨大な塔は町のシンボルになっていて、遠目にも確認できる。三国時代に呉の名将・孫権が母親の恩に報いるために建てた報恩寺の境内にあり、その姿は威風堂々とした存在感に満ちる。内部の階段を9層まで登ると、人民路をはじめ蘇州の町を遠望することができる。

蘇州絲綢博物館:蘇州の特産品として知られるシルク産業の歴史と技術を紹介した博物館。皇帝に献上された絹織物や皇帝たちの衣装コレクションなど、その艶やかな収蔵品の数々には思わずため息が出る。ここでは伝統的な養蚕道具の展示のほか、実際にシルクロードの交易を支えた、蘇州シルクの機織りをしている人の作業風景も見学できる。

16:00ホテル到着。
17:00繁華街を散策し食事を済ませる。

観前街:蘇州市街地の中心にある歩行街をメインにした観光ストリート。高級ブランドを扱うモールから若者向けカジュアルファッションの店舗、ローカル雑貨店、ファストフード店などがならび、休日や祝日は大混雑する。商店街としては150年以上の歴史を持ち、一本入った平行して延びるストリート・太監弄には、「松鶴楼」「得月楼」など蘇州を代表する老舗蘇州料理店が並んでいる。食事やショッピングの拠点として利用したい場所。

玄妙観:西晋時代に創建された道教寺院。町の中心、観前街に面した山門をくぐると正面に見えるのが現存する「中国三大木造建築」のひとつ三清殿である。山門と三清殿のみ創建当初の姿を留めている。内部には宋代のレリーフとともに、太清、玉清、上清の三清が祭られ、香を焚き無心に祈る人々の姿が絶えることはない。玄妙観一帯は、蘇州有数の繁華街で、寺の周囲は自由市場となりにぎわっている。

20:00就寝。
12日8:00徒歩で西北方面に向かう。

環秀山荘:景徳路に位置する古典園林。世界遺産に登録されている蘇州古典園林の一つで、蘇州刺繍博物館の敷地内にある。元は五代時代の金谷園の旧跡で、その後お寺としても使われた敷地を清代に庭園として再建。現在のものは近代に修復されたもの。こじんまりとした庭園だが、ダイナミックな築山の造形は中国一とも言われている。観光客が少なく、静かに散策できるのも大きな魅力。

芸圃:明代(1522〜1566年)に造られた古典園林。世界遺産に登録されている。多くの文人が住み次いできた庭園で、白壁に囲まれたエントランス、ハスの咲く池など、規模は小さいながらも歩を進めるごとに変わる景観を楽しめる。園内の茶館は地元の常連客でいつもいっぱい。場所がわかりにくいため観光客が少なく、のんびり静かに散策することができる。周辺には庶民的な住宅街が密集しており、車が入れない場所に入り口が佇んでいる。

山糖街:別名七里山塘とも呼ばれている山塘街は、蘇州市の西部、運河沿いに延びる長さ4km足らずの通り。近年、旧市街寄りの一部が観光用に開発され始めた。明清時代の古い街並みを再現しており、水辺に連なる白壁の家々は風情豊か。老舗レストランや茶館で休憩でき、画廊、印材店なども点在するので、みやげ物探しにも最適。また、夜は水路に船が浮かび、建物の灯が幻想的に揺らめく。

留園:「蘇州四大名園」であるばかりか「中国四大名園」としても名高い、清代の建築造園様式を今に伝える傑作。創建は16世紀にさかのぼるが、清代18世紀に劉恕が改築後、劉園となり後に留園と改名された。園内は楼閣や回廊で4つの景区に分かれている。高さ6.5mの太湖石、廊壁を飾る透かし彫りの花窓が連なっているほか、名書家の墨跡『留園法帖』も見事。

西園:楓橋路に位置する古刹。元代に創建された歴史ある仏教寺院で、7万平米に及ぶ広大な境内に鐘楼や鼓楼、観音堂などが配置されている。一角にある羅漢堂は明代末期に作られたもの。さまざまな表情、ポーズ、持ち物が特徴のユニークな五百羅漢は必見。運河が流れる正門前の風景も美しい。

虎丘:越王との戦いに破れた呉王・闔閭が葬られた小高い丘。葬儀の3日後に墓に現れたという白い虎の伝説からこの名が付いた。現在の虎丘は泉や庭園をちりばめた市民の憩いの場。のんびり散策も楽しめる。丘の上にそびえ建つ961年建立の高さ47m、八角七層の雲巌寺塔は、地盤沈下により3.5度傾いた東洋の斜塔として名高い。

12:00タクシーで蘇州駅に向かう。
12:15蘇州駅到達。
13:00蘇州駅高速鉄道で出発、メトロ、リニアモーターカー経由して
15:30上海空港到達。
18:20上海空港出発
21:35関西国際空港到達。

今回の旅行、アジアの大国中国に足を運び、運河、庭園で有名な世界遺産の町蘇州を訪れ2日間、しっかり歩いて歴史的建造物を巡り楽しみました。

大阪の町の御堂筋に似た南北に縦走する大通りを中心として周囲は運河に囲まれ、大阪に似た風景を見受けられるが歴史的建造物世界遺産の庭園が数多く点在するのは京都に似た町にも受け止めれれます。水の都大阪と古都京都がミックスした蘇州の町並み散策満喫しました。

市内は車は殆ど中型から大型、軽自動車は見かけないがバイクと自転車は数多く見受けられ、北京や上海と違ってまだ田舎の風を物語っています。

古都、世界遺産庭園、運河の蘇州散策巡り観光でした。

 

















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百二十八弾:ミャンマー観光
2015年9月19-23日

5つの国と国境を接し、アンダマン海とベンガル湾に面した広大な国土を有し、エーヤワディー川流域に肥沃な大地が広がり、そこでは仏教に帰依し慎ましく暮らす人々の生活を垣間見る事ができ、複雑な歴史をたどりながらも、パゴタや僧院などの歴史的建造物が)色褪せることなく輝き続けるミャンマーに足を運び、ミャンマーの最大の都市、2006年にネービードーに遷都されるまで首都として栄え、シュエダゴン・バゴダなどの仏教建築スポットのほか、近年はホテルやショッピングセンターの建設が盛んで都市として発展し続けているヤンゴン、ミャンマーで最も人気のある観光地、エーヤワディー川中流域に広がる平原には無数のバゴダが点在するバガンを訪れました。

19日23:35関西空港エアアジアXで出発
20日5:20クアラルンプール国際空港到達
6:55クアラルンプール国際空港エアアジアで出発
8:00ヤンゴン国際空港到達、市内観光。

ヤンゴン:シュエダゴンパゴダ、チャウタッジーパヤー、ボウタタウンパゴダ、スーレーパゴダなどの寺院や、イギリス植民地時代に建てられたコロニアル様式の建築物が多く残る下町散策など、また、一歩路地裏に入れば、多くの屋台街やミャンマー人の生活スタイルなどを垣間見ることもできます。

シュエダゴ・バゴタ:ミャンマー仏教の総本山。高さ99.4メートル、シングッタヤの丘にそびえる黄金色のパゴダです。2500年以上前、ある商人が入手した仏陀の頭髪を収めたのが始まりという言い伝えが残っています。度重なる改修を経て現在の姿になりました。全体が金箔で覆われ、上部には6000を超えるダイヤモンドやルビーなどの宝石がちりばめられ、最も大きいのは76カラットのダイヤモンドという豪奢なパゴダです。境内には重量23トンのマハガンタの釣り鐘や仏足石などさまざまな見どころがあります。

人民公園:シュエダゴン・パゴダの眼下に広がる公園という立地もありますが、最近では欧米人観光客が木陰て涼んでいる姿が目立ちます。少し離れた角度から見るパゴダも良いのは言うまでもありませんが、公園内には大人も子供もわくわくするような仕掛けが点在。例えば、年代もののミャンマー国際航空のプロペラ機が置かれ中に入ることができます。蒸気機関車、プラネタリウム、自然の大木と大木をつなげた吊り橋。暑気に入ると猛暑のヤンゴン。公園の木陰はかなり快適です。

カンドージ湖:ヤンゴン市民の憩いの場所。周辺には、高級ホテルやレストランが並ぶ。インヤ-湖を水源とする人造湖。遊歩道からカラウェイ・パレスを眺められる。

国立博物館:ミャンマ-最大の博物館。ミャンマ-の歴史、文化を学ぶことができる。マンダレ-王宮にあった「獅子の王座」は必見。

イギリス植民地時代の建物が建つエリア:市庁舎、元移民局、元最高裁判所、中央郵便局、港湾局、英領時代のオフィスビル、ヤンゴン地裁

本屋通り:

映画プロダクション通り:

パソコン通り:

ボータタウン・バゴダ:2500年前に、8人の僧侶がインドから仏陀の遺品を持ってきたことが始まりと伝えられています。寺院の中にある金箔で飾られた小部屋には仏陀の遺髪とされる毛髪が展示されています。

バンソダン埠頭:

スレー・バゴダ:ダウンタウンの中心にある高さ48メートルのすらりとした八角形のパゴダ。スーレーとは「聖髪」の意味で、仏陀の遺髪が収められていると言われます。街の中心にあるため、常に市民の参拝客でにぎわっています。

水道工事通り:

判子通り:

インド人街:

玩具・文具市場:

手芸用品通り:

チャイナタウン:

タン市場:

18:00ヤンゴン市内のホテル到着就寝。
21日7:00ヤンゴン国際空港到到達
8:00ヤンゴン国際空港エア・KBZで出発
9:20バガン空港到達、バガン専用車で観光

バガン:国土の中央、エーヤワディ川の東岸に位置するバガンが都として栄えたのは11世紀から13世紀にかけて。41平方キロの王都にはおびただしい数のパゴダ(仏塔)が建設され、その数は数十万に及んだという説もあります。現存するのは2000ほどですが、それでもアジア最大規模の仏教遺跡群、見渡す限りの茶色い大地にパゴダが点在する様は荘厳です。アンコール遺跡(カンボジア)、ボロブドゥール遺跡(インドネシア)と並んで「世界三大仏教遺跡」と称することもあります。遺跡観光の中心となるのはオールド・バガンと呼ばれる考古学保護区で、観光客は交通のターミナルとなるニャウンウーを基点に車や馬車で遺跡を巡ります。

ニャウンウーマーケット:ニャウンウーは交通のターミナルで有るばかりでなく、バガン周辺の交易の中心地で、衣料、日用雑貨、調味料、野菜、果物、肉、魚などを扱う規模の大きいまーケット。

シュエジーゴンバヤー:ニャウンウーにある黄金色に輝く仏塔で、アーナンダ寺院と並ぶバガンを代表するパゴダです。11世紀、アノーヤター王によって建立が開始され、次代のチャンシッター王が完成させました。3層の基部と釣り鐘の形をしたドームの組合せは、ビルマ式仏塔の典型です。アノーヤター王は内部に仏陀の遺骨と歯を奉納したと伝えられ、仏教徒の厚い信仰を集めています。

オールドバガン:壮大な仏教遺跡群。カンボジアのアンコール・ワット、インドネシアのボロブドールと共に世界3大仏教遺跡に数えられているバガン遺跡のある街。11世紀から13世紀にかけて都として栄えたバガンには約400万のパヤーと寺院があったと言われる。現在残っているのは2,300程。広大な平野の上に遺跡が点在しており、間違いなく世界最大、最高の仏教遺跡群です。街の中心、オールドバガン自体には、遺跡意外には何も無い。ホテル、レストランはニャンウーのマーケットから、シュエージーゴン・パヤー付近に多く点在する。街の交通手段は馬車かサイカー、自転車が便利。買い物は、マーケットか、シュエジゴン・パヤー付近の露天がお勧め。

アーナンダ寺院:1091年建立、バガンの中心的寺院。63メートル四方の大伽藍の東西南北それぞれに高さ20メートルほどの美しい仏像が安置されます。その中でも南北の仏像2体は、建立時のものと伝えられる貴重なものです。

タラバー門:タラバ門は、9世紀にピンビャー(Pyinbya)王が城を守るために気づいた城壁での跡が、残ったものが現在の門としてあります。写真の門を見ると、それぞれ左右の門には、城跡が残っているのがわかると思います。 また、左右の門には、精霊の像が祀られています。この門をくぐるといよいよオールドバガンへ。

戦没者慰霊碑:タピニュー寺院の境内にいくつかの慰霊碑が建てられている。ビルマに日本軍が最初に入るのは昭和17年1月19日、タイ南部だ。その後1月30日には第33師団がサルウィン河畔に進出、3月7日第55師団がペグーを占領し、翌8日、第33師団がヤンゴンを無血占領する。33師団は中国戦線から、太平洋戦争開戦後、ビルマ戦線に投じられた部隊で「弓」の通称をもっている。
後にインパール作戦に参加し多くの犠牲者を出した。その多くは補給物資欠乏からくる病死や餓死で、生き残った兵士たちの手記はインパール作戦を企画した15軍牟田口廉也司令官に対する恨みに満ちたものが多い。バガンにも遺族や戦争参加者たちの慰霊碑が建てられていた。あの戦争から60年近い年月が過ぎたが、周囲はきれいに清掃されており、「慰霊」や「鎮魂」の文字も鮮明だった。


タビニュ寺院:12世紀中ごろの建立。2階建てで、バガンでは最も高い寺院です。寺院の向かいには日本人戦没者慰霊碑を祀る「タビニュ僧院」があり、特に日本人には感慨深いところです。

ナッフラウン寺院:バガンで唯一のヒンドゥー寺院です。

昼食

ティーローミンロー寺院:ティーローミィンローはニャウンウーの町からオールドバガンへ向かう途中に建てられています。 バガンの中でも大きなパヤーで、1218年にナダウンミャ(Nantaungmya)王が王位継承に選ばれたことを記念して建てられました。高さは約47mあります。 外壁の痛みが激しく、またそれが古さを感じられていいのかもしれません。内部の天井にはフレスコ画も描かれています。 また、このパヤーはミャンマーで、「バガンスタイル」としてのお寺としても知られています。

スラマニ寺院:スラマニ寺院は、ナラパティシートゥー(Narapatisithu)王により1174年~1211年の間に建てられました。この寺院は、ティーローミィンロー寺院(Htilominlo Pahto)やゴドーパリィン寺院(Gadawtpaling Temple) を超える造りとしても知られています。 したがってバガン1のレンガ造りの寺院といっても過言ではないでしょう。

ダマヤンジー寺院:非常に形のいいパゴダとして有名です。その形の良さゆえに観光客にも人気のある寺院です。ピラミッドのような形をしており、内部は迷路のような造りとなっています。 1165年にナラトゥ(Narathu)王によって建立されました。王の次男であるナラトゥは、自分が王になるために父王と兄の皇太子を暗殺しました。   ナラトゥ王は自分の罪を後悔し、罪滅ぼしのためにそれまでで最大の寺院を1165年に建て始めました。 しかし、寺院が出来上がる前に王は暗殺され未完成のままとなっています。それ故、この寺院は幽霊パゴダとしても有名なのです。

ローカティバン祠堂:シュエサンドーパゴダの北にあります。大きなシュエサンドーパゴダの近くにあり、その大きさはシュエサンドーに比べると見劣りはしますが、宝石で造られた寺院はバガンの中でも非常に綺麗なパゴダとして知られています。また、内部にはフレスコ画が良い状態で保存されています。

シュエサンドーパヤーにて夕陽鑑賞:見晴らしのいい上部に登ることができ、夕日見物の名所として人気です。5層のテラスを持つ仏塔で、1057年、アノーヤター王によって建立されました。内部にはモン族が所有していた仏陀の遺髪が収められていると伝えられます

18:00バガンホテル到着就寝
22日9:00専用車でパヤトンズ遺跡観光

ペッレイパヤー:東側にアシャペッレイ(Ashae Petleik)、西側にアナーペッレイ(Anauk Petleik)が並んで建っています。11世紀にアノーヤタ(Anawrahta)王により建てられた仏塔です。

ダマヤッズィカ・パヤー:1059年にアノーヤタ(Anawrahta)王によって建てられました。このパゴダには仏陀の歯が収めれれています。エーヤワーデ(Ayeyarwady)川のほとりに建つため、バガンの”南の入り口”、船着場としても有名な場所です。場所はニューバガンにあります。 また、ローカーナンダー・パゴダ祭りが7月31日~8月1日まで開催され、多くの人々が訪れます。

アベヤダナ寺院:アベヤダナ寺院は、1102~1103年に建てられました。ナガーヨン寺院の反対側にあります。王の妻アペヤダン(Abeyadana)王妃が、王を待つためにこの寺院を建てたといわれています。 寺院の外壁、内壁には、インドラ、シヴァ神やビシュヌ神のようなヒンドゥー教徒の画を見ることができます。

ミインカバー村:オールドバガンの南側、エーヤワディー川の畔に広がり、バガン王朝初期から中期に建てられた貴重な遺跡が集まるエリア、村を歩けば、漆器工房など伝統的な人々の生活に触れることもできる。

ブーパヤ・バコダ:エーヤワディ川を見下ろすように立つ小さな仏塔。川の夕景を楽しむ人気スポットとしても知られています。この仏塔は8世紀頃に建立されたと伝えられていますが、35年前の大地震で瓦解してしまい、現在のものはその後に再建されたものです。

エーヤワディー川遊覧:ブーパヤー船着場から乗船し、エーヤワディー川を遡上、その後エンジンを止川の流れにまかせて戻るルート、エーヤワディー川に浮かびながら静かに暮れていく古都の情景をじっくり眺めれる。

ブレディ登楼:

昼食、

ナンダピンニャ:

タンブラ寺院:タンブラ(タンブラー)寺院は、ミンナントゥ村にあり、パヤトンズ寺院の北にあります。寺院の名前の由来として、10代目のウザナー(Uzana)王の妻の名前とされています。 タンブラ寺院、南に位置するパヤトンズ寺院ともに、王妃の寄進であります。内部にはフラスコ画が描かれています。

パヤトンズ:パヤトンズという名前の意味は「3つのパゴダ」という意味を表します。パヤー(Paya)は仏塔をもつ寺院を指す言葉で、トンズ(thonzu)は3を意味します。この寺院は王妃の寄進でもあります。 建てられた時期は13世紀の後半にあたり、この時代はモンゴルによるバガンへの侵攻があったため、パヤトンズは完成を見ることがなかったとされています。寺院内部には、壁画を見ることができますがかなり傷んでいます。

タヨッピー寺院:タヨッピィ寺院(Tayoke(Tayok))は、ミンナントゥ村の集落にあります。あまり有名な寺院ではありませんが、遺跡らしい古さを感じさせるパゴダです。穴場のパゴダとしては有名な場所です。ここからの景色は非常に綺麗で訪れる価値があるでしょう。

ミンナントゥ村訪問:パヤトンズ遺跡群の南側にミンナントゥ村という人口500人の小さな村があります。
この村は多数のパゴダがあちこちにある村で、バガン遺跡の中でも例外的な居住地区です。
訪れるといっても茶屋が1軒と漆器などを売る民家が1軒あるだけでごく普通の集落です。

ピューイングタワー入場:大小の仏塔が林立するバガン平原を360度にわたって眺望できる展望塔。

16:30バガン空港到達
17:30バガン空港出発
18:50ヤンゴン国際空港到達、タクシーでヤンゴン市内のホテルに向かう。
19:30ヤンゴン市内のホテル到達就寝

23日6:00ホテルタクシーで出発
6:30ヤンゴン国際空港到達
8:30ヤンゴン国際空港タイ・エアアジアで出発
10:15バンコクドムアン国際空港到達
17:20バンコクドムアン国際空港タイ・エアアジアXで出発
24:20関西国際空港到達。

今回の旅行、アジアの発展途上国、ミャンマーに足を運び、ヤンゴンのバゴパとイギリス植民地時代の建物を歩いて周り、又ミャンマーの最大の観光地バガンを現地ガイドと共に巡り4日5日の旅、満喫しました。

ミャンマーはいとるところにバゴパ(仏塔)が点在し、特にバガンのバゴパと寺院の数3000を超える建造物、偉大な古都、歴史深さを物語り、展望台からの360度の眺望は圧巻でした。

初日はヤンゴンを巡りましたが、いたるところでインフラ整備、ビル建設が進行中でこれからのミャンマーの発展が期待できそうです。現状では鉄道、バスの交通が十分に整備されていなく、便数が少ないため、もっぱら交通手段はタクシーになります。走行中の車の半数以上はタクシーで気軽に掴まてて乗車っすることが出き、又料金が安く30分走行して700円、日本の6-7分の一やすさで、多くの方が利用されていますが、その反面、全体の車の台数が多くなりすぎて交通渋滞を巻き起こしています。

日本人観光客はまだ少ないようですがこのシルバーウイークは休日日数がちょうど良かったのか各地で日本人に出会しました。この国が進化するに連れて観光客も増え続けるでしょうね。未開拓地がまだまだいっぱい有ります。これから楽しみですね。

最近の一人旅行はトラブルが続出していましたが、今回は大きなトラブルではないが小さなトラブルが2つ出会しました。
一つはエーヤワディー川のボート遊覧、エンジンが中国製、大丈夫かなと心配していましたが、川の真ん中に到達するやいなやエンジンがストップ、携帯電話で助けの連絡を要すると思いましたが、船長がエンジンを弄くり、なんとか動き、無事に帰ることができました。

二つ目は帰りのバンコクから関空に向かう飛行機でのトラブルです。
定刻の時間に出発せず、アナウンスが流れ荷物の数が合わない、予定よりも多いため、安全のためにすべての荷物をチェックするのに二時間かかり、出発が二時間遅れとなりました。爆発物が含まれてたら大変です。最近バンコクで爆発テロが発生していましたので航空関係者は神経がピリピリしています。

日本の企業も中国からタイ、ベトナム、これからは人件費の安いミャンマーに工場をシフトしていくでしょうね。
5年10年後のミャンマー楽しみですね。治安もいいし、観光名所も多い、日本からの観光客の増加も期待できるミャンマー、ヤンゴン、バカン観光旅行でした。































飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百二十三弾:アメリカ合衆国ダラス&中米(グアテマラ、ホンジュラス、ベリーズ)観光
2015年8月9-16日

北アメリカのアメリカ合衆国のテキサス州で3番目に人口が多く商業や経済の中枢として機能しジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された土地として知られているダラス、中米の古代マヤの都市遺跡が点在するグアテマラ、ホンジュラス、カリブ海に大規模なサンゴ礁ブルーホールが広がるベリーズを訪れました。

8月9日7:05関西国際空港ピーチで出発
8:30成田空港到達。
10:40成田空港アメリカン航空で出発
8:50(時差ー14時間)ダラス空港到達、タクシーでダウンタウンダラスに向かう。
10:00ダウンタウンダラスに到達、散策

ダラス:テキサス州北部に位置する巨大都市。人口124万人でヒューストン、サンアントニオに次ぐ規模。オイルビジネスの中心地であり、また、ケネディ大統領のゆかりの地として、毎年多くの観光客が訪れる。

ダラス美術館:2002年にオープンしたこの美術館は、日本の名建築家、安藤忠雄氏の設計によるもので、建物自体が石とガラスとスチールの美術作品であり、パブロ・ピカソ、マーク・ロスコ、ロバート・ラウシェンバーグ、アンディ・ワーホール、ロイ・リヒテンシュタイン、ロバート・マザーウェルなどによる傑作が収められています。
ウエストエンド歴史地区:ダウンタウンの北西にあるエリアで、赤いレンガ造りの古い建物が建ち並ぶ。うらぶれた倉庫街を、建物の外観を残したまま再開発した場所で、現在では、健全な歓楽街として市民に親しまれている。Market St.沿いをメインに飲食店が連なり、18時以降は特ににぎやかになる。最近ではレストランやホテルも増えている。
シックススクエア博物館:ケネディ大統領暗殺の狙撃現場であり、事件の背景を映像や音声で詳細に知ることができるシックスス・フロア博物館。
ディーリープラザ&J.F.Kメモリアル:出発シックスフロアの南側、Elm、Main、Commerceの3車線が合流していく小さなデルタ地帯。ケネディ大統領を乗せたオープンカーが予定していたコースを変えて通ったために射殺されてしまったといういわくつきの地点だ。南東に位置する公園の南にはJ.F.K.メモリアルがあり、シンプルながらも重厚な碑が鎮座している。
リユニオンタワー:ダラスのシンボル的タワーです。50階にダラスとフォートワースが一望できるザ・ルックアウトと呼ばれる展望デッキがあります。この上の階に位置する回転展望レストランは、フロアが55分で1回転し、ダラスのスカイビューを360度楽しむことができます。

13:30タクシーでダラス空港に向かう。
14:00ダラス空港到達。
プライオリティパスラウンジで寛ぐ。
17:05ダラス空港アメリカン航空で出発。
19:31(時差ー1時間)グアテマラ空港到達、専用車でホテルに向かう。
18:30グアテマラシティ内のホテル到着後就寝。
グアテマラシティ:旧市街は治安に問題がありますが、高級ホテルやレストラン、大使館のある新市街、特にソナ・ビバと呼ばれるエリアは問題ありません。ここにはマヤ遺跡からの出土品が多く展示されている国立考古学民族博物館、ウィピルという先住民の民族衣装を集めたイスチェル民族衣装博物館などがあります。

10日7:00ホテルを専用車で出発、コパンに向かう。
12:00グアテマラとホンジュラスの国境エル・フロリド到着、出入国手続き。

12:30コパンルイナスのホテルで昼食。
コパンルイナス:コパン・ルイナス市は、中米ホンジュラス共和国の西、グアテマラ国境近くの緑豊かな山間部に位置しています。すべてのマヤ遺跡の中で最も美しいといわれる世界遺産のコパン遺跡があり、これを一目見ようと世界各国から多くの観光客が訪れています。
しかし、コパン・ルイナス市の魅力は遺跡だけにはとどまりません。親日家が多く人情味あふれるホンジュラス人との触れあいや、石畳の町の散策、ティピコやアナフレという郷土料理や有機農法栽培のコーヒー、そして豊かな自然、澄んだ青空、色鮮やかなオウム公園、天然温泉や乗馬ツアーなど魅力がいっぱいです。
13:45専用車でコパン遺跡に向かう。
13:50コパン遺跡観光。
マヤ遺跡は中米のホンジュラス、メキシコ、グアテマラ、ベリース、エル・サルヴァドルの5カ国に渡り数多くあります。 コパン遺跡は紀元後400年頃から800年頃にかけて栄えたマヤ王朝の神殿遺跡です。マヤ遺跡の中でもコパン遺跡は全体の美しさとその芸術的価値から、最も美しい遺跡の一つと言われています。数千人を収容したグランプラザの大広場、王たちの彫像とその業績を記したステラと呼ばれる石碑、マヤ王朝の歴史を刻んだ約2200の象形文字の階段、建物全体に刻まれた芸術性豊かな彫刻の数々などから1980年ユネスコの世界文化遺産に登録されました。 現在も考古学者中村誠一先生とそのスタッフにより調査、発掘、保全作業が続いています。

大広場 Gran Plaza グラン プラサ:コパン芸術の粋を凝縮した美しいステラ(石碑)が立ち並んでいます。 高浮き彫り、丸彫り様式の石碑群は、コパン独特のものです。これらの記念碑の大半は、王朝13代目の王である「ワシャクラフーン・ウバーフ・カウィール」(通称18ウサギ王)によって8世紀前半に建立されました。

球技場跡 Campo de Pelota カンポ デ ペロタ:マヤ遺跡に見られる球技場遺跡の中で、コパンのものは古典期のものとしては最大規模です。
18ウサギ王によって738年に建設されました。球技場の両側が斜面になっており、その上に観覧席と思われるアーチの建造物が建っています。斜面の上部にはゴールと思われるオウムの頭部の石像が配置されています。 重いゴム製のボールを肘、腰、足だけを使い地面に落とさないようにするペロタと呼ばれる球技で、トウモロコシの豊穣と天体の運行を正常にすることを願って行われていた奉納球技と考えられています。

神聖文字の階段 Escalinata Jeroglifica エスカリナータ ヘログリフィカ:階段に約2200以上のマヤ文字が刻まれています。先コロンブス期(16世紀以前)におけるアメリカ大陸最長の文字記録です。18ウサギ王が建設を開始し、15代目の王「カック・イピヤフ・チャアーン・カウィール」が755年に完成させました。コパン王朝の栄光の歴史が刻まれています。

祭壇Q AltarQ アルタ クー:コパン王朝史の解明に多大な貢献をした最重要記念碑の一つです。 16代目の王「ヤシュ・パサフ・チャン・ヨアート」の時代に建造された祭壇Qは、祭壇の4つの側面にそれぞれ4人ずつ 16人の王が自分の名前を意味するマヤ文字の上に座する形で彫刻されています。祭壇の正面は初代王の「キニチ・ヤシュ・クック・モ」が16代王に王杖を手渡している構図となっています。上面碑文にはコパン王朝の創始とこの祭壇の製作(776年)に関する記述があります。なお祭壇Qのオリジナルは、 コパン遺跡公園の石造彫刻博物館に展示されています。

トンネルとロサリラ神殿 Tuneles y Templo Rosalira トゥネレス イ テンプロ ロサリラ:古代マヤの王達は過去に造られた神殿を埋め、その上に新たに自分の神殿を建て加えていったようです。現在見えている建物の下に何代にも渡る過去の神殿が眠っているという訳です。1989年の調査により発見された考古学者の掘ったトンネルに入ると、千数百年間埋もれていたロサリラ神殿の一部を見ることができます。遺跡公園内の博物館には、このロサリラ神殿の実物大の複製があり、見ごたえがあります。

17:00ホテルに戻る。
19:00ホテルで夕食、就寝。

11日
7:30ホテル専用車で出発、キリグア遺跡に向かう。
11:00キリグア遺跡観光。
グアテマラ南東部のカリブ海まで約100kmのところ,マヤ文明圏では南部低地のコパンから直線距離で50kmのところに位置し,コパンの衛星都市として紀元3世紀頃から創建が始まり,西暦455年に初代王が即位,コパンの影響を受けつつ独自の歩みをみせます。724年に「嵐の空王」が即位すると,737年のコパンとの戦争により,コパン13代目「18ウサギ王」を捕らえ斬首した後は,完全にコパンから独立し,モタグア川流域の水運を押さえます。モタグア川は,グアテマラ高地とカリブ海を結ぶ黒曜石と翡翠の交易路で,その支配権を得た後,繁栄を謳歌しますが,9世紀初頭には衰退します。
 キリグアの見所は石碑と獣形神(後述)にあります。コパンの技法と芸術性の影響を多分に受けつつ独自の発展をみ,繁栄を極めた8世紀後半に優れたものが集中しています。731年から810年までに5年ごとに石碑を建てる習慣があったことが判っています。
 1981年,世界遺産に登録されています。 

12:00キリグア遺跡出発。
13:00リオ・ドゥルセ到達。昼食。
グアテマラの東、カリブ海とドゥルセ川がぶつかる領域の名称。
ここはフローレスやホンジュラスのコパン遺跡を観光するときにツアーで訪れる休憩ポイント。
リオ・ドゥルセのほとりに建てられたいくつかのリゾートホテルでのんびりすることが出来ます。
また、近くにはサン・フェリペ要塞なども見所があり便利な場所です。

14:00リオ・ドゥルセ出発、フローレスに向かう。
19:00フローレス到着、
フローレス(Flores)とは、フローレス島(Flores Island)とサンタ・エレーナ地区、サント・ベニート地区をまとめた地域の総称です。ペテン県の中心都市であり、グアテマラの観光産業の要であるフローレス空港があります。

フローレスからティカル遺跡まで約60キロ、この間の道はよく整備された立派な舗装路になっています。

19:30フローレスのホテルにて夕食。就寝。

12日8:00専用車で出発、
ティカル遺跡に向かう。
9:00ティカル遺跡到達、見学。

ティカル遺跡:数多いマヤの遺跡の中でも最大の規模を誇るのが「ティカル」。グァテマラの密林の中に巨大な5つのピラミッドが聳え、周辺には無数の古代の都市の跡が散在している。ティカルは紀元4世紀ころに最初の王朝が誕生し、次第に勢力を強めたが、6世紀になってカラクムルやカラコルといった周辺の有力な都市との対立が激化して一時は衰退。しかし、7世紀の末にカラクムルを破って復興を遂げた。その後、人口増加による環境破壊が進み、深刻な干ばつが重なることによって9世紀ころから衰退していったとされている。

13:30ティカル遺跡内のレストランで昼食。
14:30ティカル遺跡博物館見学。
ティカル遺跡の入口に博物館がふたつあり、ひとつはティカル博物館 (Museo Tikal) 、もうひとつがこの石碑博物館 (Museo Litico)で、  ビジター・センターのティカルの立体模型の奥にあり、発掘の過程で見つかった石造物が集められています。
風化した石ばかりで見た目には地味ですが、ティカルの歴史解明の手掛かりとなる多くの情報を提供してくれる貴重な資料である。

16:30ティカル遺跡、専用車で出発。
17:30ティカル内のホテル到達。
19:00ホテルで夕食、就寝。

13日7:30ホテル専用車で出発、ベリーズに向かう。
9:30グアテマラとベリーズの国境メンチョル・デ・メンコス到達。グアテマラ出国手続きとベリーズ入国手続き後、アルトゥンハ遺跡に向かう。
12:30途中レストランで昼食
14:00アルトゥンハ遺跡見学。

アルトゥンハはBC300~AD1000年頃まであった都市で、特に栄えたのはAD 250~900年頃で、当時の人口は約1万人強。1世紀後半には祭事場として栄え、その後カリブの沿岸と内陸を結ぶ交易の中心として栄えました。1963年に発見、64~70年にかけ発掘され、7つの墓が発見されました。ベリーズでこの遺跡を有名にしたのは、7番目の墓から4・4kgもの太陽神の翡翠の頭部像が発見されたことによります。

遺跡内に全部で7つの墓がありますが、はA地区、B地区に分類されA地区には5つのピラミッドがあります。入り口付近からでもある程度全体が見渡せはしますが、やはり、翡翠の発掘されたメインであるピラミッドの頂上から遺跡全体を眺めない手はありません。4~50段の階段を登り頂上へ到着すると、中央には巨大な石の円形台がありました。これは、太陽神に生贄を捧げた時に使用した祭壇であると言われています。
15:30アルトゥンハ遺跡出発。

17:00ベリーズ・シティホテル到着、夕食、就寝。
ベリーズ・シティ:ベリーズ川の河口に位置し、ベイリーズ東方にあるベリーズシティは、カリブ海に突き出す半島にあります。ベリーズの主要港としてクルーズ船の拠点となっており、カヨ州の洞窟、マカル川、ベリーズ川沿いのマヤ遺跡など多くのベリーズの名所へ行く際の出発地ともなっています。ベリーズシティの目玉は、世界で唯一の手動で回転するスイング橋と、中央アメリカ最古の英国国教教会です。

14日11:00専用車で小型機専用飛行場に向かう。
11:10小型機専用飛行場到達。
11:30セスナ機にてブルーホール遊覧飛行。

ベリーズシティの東約100km,カリブ海に浮かぶライトハウス・リーフの中にひときわ深い青い色をたたえた穴のようなところがある。これが世界的に有名なブルーホールである。直径300m以上、深さ約130mの規模を誇り、周囲を平均3mのさんご礁で囲まれている。
ブルーホールの近くにあるノーザン・キーには飛行場や新しいホテルなどもあり、リゾート基地として注目されている。
ブルーホールは”海の怪物の寝床”と呼ばれるように、美しくまた神秘的である。イルカが住み着いていて初心者でもスノーケリングで一緒に泳ぐ事が出来る。

12:30着陸。
12:30国内飛行場出発
13:390国際空港到達。
15:00ベリーズ空港アメリカン航空で出発。
19:10ダラス空港到達、タクシーで空港付近のホテル到達、夕食後就寝。
15日8:00ホテル、タクシーで出発。
11:20ダラス空港、アメリカン航空で出発。
14:20成田空港到達。
18:00成田空港ピーチで出発。
19:30関西国際空港到達。

今回の旅行、北アメリカのアメリカ合衆国のテキサス州で3番目に人口が多く商業や経済の中枢として機能しジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された土地として知られているダラス、中米の古代マヤの都市遺跡が点在するグアテマラ、ホンジュラス、カリブ海に大規模なサンゴ礁ブルーホールが広がるベリーズを訪れ8日間の旅、満喫しました。

中米に点在する多くのマヤ遺跡、紀元前から紀元900年頃までのマヤ文化、歴史深い意義を探求できました。

一方世界的な有名なサンゴ礁ブルーホールをセスナ機で空からの鑑賞、圧巻でした。

一人旅で、高級リゾートホテルに滞在し、日本人のガイドと運転手を付き添いで貸し切りの専用車で観光地を訪れ、贅沢な旅でした。

治安がいいとは言えない地域でしたので万全の体制を整えた豪華で贅沢、今までにはない観光旅行でした。

現地で解ったことですが、治安が悪いのは一部の地域で、国全体ではありません。その場所を把握し避ければ問題ありません。中東、アフリカ等のいつテロがおこるかわからいない地域よりは安全です。

豪華で贅沢な中米一人旅観光旅行でした。























飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百二十一弾:中国北京観光
2015年7月18-20日

アジアの大国中国に足を運び、元、明、清はじめ歴代王朝の都であり、現在も 中華人民共和国の首都であり、悠久の歴史と新しい中国の顔が両方見られる北京を訪れました。

7月18日定刻2時間遅れの21:20関西国際空港、深セン航空で出発
19日00:15北京空港到着、タクシーで北京市内中心地に向かう。
00:45市内のホテル到着し就寝。
8:00歩いて市内観光。

中国美術館:常設展は中国絵画と書。いずれも独立以後の作品。社会主義国らしく、プロレタリアート絵画(労働者、解放闘争等をテーマ)もそれなりにあります。

景山公園:北京の北西郊外にある香山の東側に広がる公園。最高峰の香炉峰は、「枕草子」にも登場する盧山の香炉峰に似ていることに由来する。秋は紅葉狩りの名所として有名で、その時期になると多くの中国人が行楽に訪れる。また、山上にそびえ建つ琉璃塔は、各階に鈴が取り付けられており、ときおり美しい音色を響かせている。

北海公園:景山公園の西側に位置しているのが総面積約71ヘクタールにもなる北海公園である。西暦10世紀に建造されたという美しい島と宮殿は、中国に現存する王宮庭園の中では最古のものである。この公園の中心になっているのが北海といわれる巨大な人口湖である。この湖(北海)を取り囲む形で、北岸、東岸、瓊華島、団城、北海植物園と大きく5ヶ所にわかれている。以前は宮廷庭園であったため、もちろん一般公開はされておらず、もっぱら歴代王朝が長い歳月をかけて作り上げてきた宮廷庭園だった。金・元・明・清代を通じ皇室の御苑「皇家園林」として発展し、清の乾隆年間にはほぼ現在のかたちになった。しかし、清朝が滅亡した後の1925年に市民に公開されて以来は、北京をはじめとする国内外の観光客を惹きつける公園となった。  北海の中央に浮かんでいる島は瓊華島という。そこの中央に建てられているチベット仏教様式の白い塔にちなんで、一般的には「白塔山」と呼ばれている。この島の中央にそびえている印象的な白塔は1651年チベット仏教を信仰していた順治帝によって建てられたものだ。  周囲880mの瓊華島は北海公園の中心であり、南側の白塔山と万歳山、島上の建造群が複雑な景観を織り成している。仏教建築が並び、白塔山に建つ清の順治帝が建造したチベット式仏塔「白塔」が特に目を惹きつける。白塔の南側にはチベット仏教寺院「永安寺」がある。島の北側にも全長300mの回廊「長楼」や宮廷料理を出すレストランなどがある。  北部湖エリアには清皇帝の書斎であった庭園「静心齋」、皇族が釣りや月見を楽しんだ石造りのあずまや「五龍亭」、9体の龍が描かれた鮮やかな巨大レリーフ「九龍壁」等があり、清・乾隆帝時代を偲ばせる建造物が多い。  南部エリアは全長276mの城壁で囲まれた小高い丘は「団城」と呼ばれている。そこには南北を軸に左右対称構造の建築群と庭院があり、中央の主殿「承光殿」は康熙年間の建造物で白玉製の仏像が奉納されている。

故宮:1406年に明の永楽帝が建設し、清朝最後の皇帝薄儀まで皇帝の居城だった紫禁城、即ち、故宮がそのまま博物館として一般公開されている。故宮全体は故宮の北にある景山公園の山上にある「万春亭」から見渡すことができる。故宮の規模をガイドブック風に記載すると次の通りである。

故宮は北京市の中心に位置し、またの名を紫禁城という。これまで明と清の時代(西暦1368~1911年)の24人の皇帝がこの地に住んだ。明の時代、第三代皇帝朱棣(永楽帝)が帝位を奪い、南京から北京に遷都を決める。そのときから、この大きな宮殿の建設がはじまった。中国古代の星象学にもとづいて造られ、1420年に完成している。故宮の面積は72万平方メートル、建築面積は15万平方メートルになり、部屋は9000を越えるという。レンガと木で造られ、屋根には瑠璃瓦がしかれ、贅沢の限りを尽くして造られた。 
故宮の周りは10メートルになる城壁で囲まれている。城壁は南北961メートル、東西は753メートルになる。また城壁の外には幅52メートル、長さ3800メートルになる河に囲まれている。このことからも故宮の防衛システムはかなり整っており、左右対称に作られた配置で、万全の警備体制を敷いている。故宮は世界五大王宮のひとつに数えられていて(故宮のほか、ベルサイユ宮殿、バッキンガム宮殿、ホワイトハウス、クレムリン)、国連のユネスコによって世界遺産に認定されている。評議委員会の話によると、「この地は中国を五世紀にわたって支配してきた最高権力の中心地であり、庭園と工芸家具の納められた9000にのぼる部屋がある。ここははかり知ることの出来ないほどの価値があり、歴史の証人といえるだろう」と語っている。
何故、中国の皇帝はこんな大きくて、しかも守りの堅固な居城を造ったのだろうか?単に権勢を誇示し、謀反者から身を守るためだけだったのだろうか?有名な天安門をくぐり、北の方角に進むと故宮の正門に相当する「牛門」がある。そこをくぐると太和殿にあたり、故宮最大の宮殿につきあたる。故宮の正殿といわれるところだ。また、現存する中国最大の木造建築物でもある。ここは、即位の式典、祝日の祭典、政令の発布など重要な儀式が行われた所であり、中央奥に皇帝の玉座がある。 
太和殿の北側にいくと三大殿の残りの二つ、中和殿、保和殿が順に建っている。三大殿の北側は内廷とよばれ、皇帝の執務場所であり、住居するところでもあった。また皇后や妃もここに住んだ。この地ではさまざまなドラマが繰り広げられたことだろう。また内廷の東側にある宁寿宫は乾隆帝が退位した後に養生するために修復されたところである。
展示物の多くは、内廷にある絵画館、珍宝館や陶磁館などで展示されている。絵画館の前には九龍壁があり、皇帝の象徴である龍が描かれた見事な壁面を鑑賞することができる。故宮の北の出口は神武門とよばれており、門の上部には大きな字で「故宮博物院」と書かれている。

中山公園:中山公園中央にある社稷壇は土神(土地の神)と穀神(五穀の神)を祀ったところで、1421年に建造された。1914年に公園として改造され中央公園と名付けられたが、1928年に孫中山(孫文)の遺体が一時ここに安置されたのにちなんで中山公園と呼ばれるようになった。公園内は緑いっぱいで、音楽堂やボート乗り場もあり市民の憩いの場となっている。毎年春にはチューリップ展も開かれ多くの人が訪れる。

人民大会堂:天安門広場の西にある中国の国会議事堂。国会にあたる全国人民代表大会や中国共産党大会などの重要会議が開催される。重要会議のない時は一部の部屋を見学できる。

天安門:北京の中心部にある皇城の正門で、中華人民共和国のシンボル。紅い城壁の上に、黄色い瑠璃瓦の屋根を持つ朱塗りの2階建ての宮殿建築様式の楼閣が建っている。総高は33.7m、間口は54.1mの大きさを誇る。正面から見ると、その存在感に圧倒される。中央の門口上部には、毛沢東の肖像画が掲げられており、楼閣の上部には国章が飾られ、夜になるとライトアップされる。

労働人民文化館:労働人民文化宮は天安門のすぐ東側に位置している。清朝の皇室廟であり、もとの名を太庙と呼ばれていた。王朝の皇室であった位牌が祭られており、明代からの建築物が完全な形で残っている。太庙は南北に長く延びた長方形の形をしており、面積は139650平方メートルになる。当時の建築士の巨匠が心砕いて造ったのが見て取れる。

天安門広場:北京天安門広場は世界で一番広い広場。中華人民共和国のシンボル的存在の広場で、 広場中央に建つのが人民英雄記念碑で、西に人民大会堂、東に中国革命歴史博物館、南には毛主席記念堂が建っている。いつも観光客で賑わっているが、20世紀の歴史舞台としてその役割を果たしてきた。
広場中央の国旗掲揚台では毎朝、日の出とともに人民解放軍の兵士により五星紅旗が掲揚される。

正陽門(前門):天安門広場の南側に位置し、故宮を中心とした「内城」を囲む城壁に設置された9つの門のひとつで、内城の正門。1420年に建造され、当時は城内で最も高い建造物であった。かつては皇帝や皇族たちの専用門として使用されていた。1949年の中華人民共和国成立後、次々と城壁や城門が取り壊されたが、正陽門は、現在でも保存が完全な数少ない城門楼のひとつである。

中国国家博物館:中国国家博物館は、希少な青銅器や磁器、ヒスイの工芸品や芸術品など非常に価値のある宝物を所蔵する、世界最大級の博物館です。

中国鉄道博物館正陽門館:中国の首都、北京にある鉄道博物館は2箇所、天安門広場の南、前門大街に昔の北京駅を再現した建物にある中国鉄道博物館正陽門館と、北東の郊外にあり歴代の車両を展示している中国鉄道博物館東郊展館です。

北京市規画展示:北京の過去、現在、未来を紹介する展示館。圧巻は3階フロアを埋める面積302平方mの巨大な北京市模型。市街地を750分の1に縮小した立体模型で、広大なマスタープランは壮大。全館バーチャルリアリティーを駆使している。

天壇:天壇は北京市の南端に位置し、明の永楽帝の十八年(1420年)に建てられたところだ。天と地の神を祭り、五穀豊穣を天に向かい祈りがささげられた場所である。1998年11月に世界文化遺産に登録されている。
天壇は東西1700m、南北1600m、総面積は約273万㎡にもなる。天壇は圜丘壇と祈年殿からなり、周囲は外塀と内塀の二重の塀に囲まれている。北側の塀は弧を描く半円型の形をしており、その他の塀は直線になっている。南側の壁は東西の壁と直角に交わることで、全体として「南方北圓(南は四角く北は丸い)」という形になる。これは「天は丸いもので、地上は四角いもの」という考えを表している。
外壇の塀の東、南、北には門が設置されておらず、西に圜丘壇門と祈年殿門(天壇門とも言う)の二つに大きな門が設置されている。それに対して、内壇の塀には東西南北の全ての方角に天門が設置されている。内壇に祭壇や斎宮や東西を横切る塀があり、その南は「園丘壇」、北は「祈穀壇」と呼ばれている。
天壇の中の祈年殿はとても壮大だ。そして民族的な風格を備えた独特な建物になっている。3重の屋根には金メッキの宝頂と呼ばれる飾りが施され、「天」を象徴する青い瑠璃瓦が敷かれている。祈年殿のひさしの下には美しい彫刻が刻まれ、3層にされた漢白玉石の台座の上に聳えている。遠くから見ると、色彩の対比が強烈でありながら調和がとれている。また、上下の形は統一感がありながら、それでいて変化に富んでいるのである。
三音石:皇穹宇殿の外におおきな長方形の石が敷かれた通路がある。三枚目の石板の上に立ち、門を開け、全ての宮殿の窓を固く閉じ、門から宮殿の中心の神龛まで障害物が無い状態で門に向って話すと、はっきりと三回、こだまが返ってくる。そのためこの名が付けられたのである。また、宮殿のどの場所にいてもその声が聞こえてくるという。

回音壁とは皇穹宇を囲む円形の土塀のことである。高さ3.72m、厚さ0.9m、一周の長さが193.2mになる。壁は磨いたレンガを積み上げて造られ、屋根は青い瑠璃瓦で覆われている。壁面は滑らかで規則的なアーチ型をしており、音が反響されるようにできている。2人がそれぞれ東西の両端に立って、耳を壁面に当てて話をすると、音は壁面を通して200m離れたもう一人のところまで届くようになっている。声がいくら小さくても、相手ははっきりとその声が聞き取れる。なんとも不思議な感じである。
祈年殿は天壇の北部にあり、「祈谷殿」とも呼ばれる。ここは天壇の中で最初に造られた建物である。光緒帝15年(1889年)、雷によって一度焼失しているが、数年後に再建されている。今の祈年殿は直径32.72メートル、高さ38メートルの円形の建物になっている。
屋根には金メッキが施され、三層の瑠璃瓦は次々に中心にむかって収縮していっているのがわかる。その台は円型の祈谷壇で、三層になっており、高さは6メートルにもなり、雄大で迫力がある。壇の周りは低い塀で囲まれ、南東の角に燔柴炉、瘗坎、燎炉、具服台などがある。壇の北には皇干殿が横方向に五つ並んでいる。元々は祖先の位牌が置かれていたところであったが、今は太廟に移されている。壇の近くに祈年門、神庫、神チュウ、宰牲亭、走畜路や長廊などの建物もある。長廊の南の方には「七星石」と呼ばれる7つの石があって、鎮石の役割を果たしている。天壇は世界においても天を祭るための最大の古代建築群であり、独特の建築構造と優美な装飾により、中国に現存する古建築群のなかでも最も美しい古代建築物と人々に褒め称えられている。

南鑼鼓巷:南鑼鼓巷は北京で一番古い大規模な元代の建築物である。町は北側の鼓楼東大通りから南へ続き、地安門東大通りまで全長786メートルになっている。元大都(1267年)に工事が完了し、基盤のような並び方をして古い住宅地として現在まで保存されてきた。

茅盾故居:故宮の東北、東城区交道口南大街後円恩寺胡同13号にある作家茅盾(1896‐1981)が以前住んでいた旧居。前圓恩寺小学校裏門の真向かいにあたる。寛街の北,交道口南大街側に道標もある。
茅盾の本名は沈雁冰で中国の有名な作家だ。魯迅らとともに文学革命を推進した。1974年に引っ越してきてから1981年になくなるまでここに住んだ。
現在は当時の生活空間がそのまま展示場となり、遺品や豊富な資料で茅盾の多彩な文学活動の足跡を紹介している。伝統的な北京の文人の暮らし向きを知るうえでも貴重なみどころだ。入口西側には「子夜書屋」とレンガ塀に書かれた書店があり、茅盾の生涯に執筆した多数の作品や記念品が販売されている。書斎や寝室、応接間などが生前のままに復元されており、彼の写真やその他の資料が展示されている。

16:00ホテルに戻る。繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

20日7:30歩いて市内観光

孔廟・国子監博物館:北京安定門東側に位置する国子監は元・明・清時代の最高学府で、1306年に孔廟と共に建築されたものだ。現在は首都図書館として知られている。いわば国立施設のようなところだろうか。また、元代、明代、清代の科挙試験の会場でもあった。建立は元の大徳10年(1306年)で、明代初期には“北平郡学”と呼ばれていたが、同永楽2年(1404年)に再び国子監と改められた。

国子監の正門の両側には二つのあづまやがあり、あづまやの北側には太学門がある。太学門の東側には190の石碑があるが、そこに中国の13人の儒家の経典「十三経」の全文が刻まれている。これらの石碑は清の時代の書道家・蒋衡が12年をかけて、乾隆9年(1794年)に完成させたものだ。文字数は3万字という中国最長の「十三経」となっている。
以来、国子監で学ぶ者を号と称し、清代には外国からの留学生も受け入れた。国子監は中国の古代学制を研究するたいへん重要な場所であり、現在は首都図書館となっている。
当初はモンゴル族の学校だったが、明・清時代には皇帝の下で政治を司る高級官僚を養成するための大学になった。学生は全国各地の府、州、県の学校から送り込まれた優等生ばかりで、「監生」と呼ばれていた。最も優秀な「監生」は科挙に関係なく官僚として採用されたが、ほかの多くの監生は科挙の受験準備に明け暮れていた。ここでは多くの貴族の子弟を教育したばかりでなく、当時の高麗、ロシア、日本からの留学生も受け入れていた。清の時代には、皇帝が即位すると、ここで学問の講義を受けることになっていた。また、外国人留学生と会ったりするところでもあり、国内外の人材が集るところであった。
国子監の中にある辟雍殿は1784年(乾隆49年)に竣工したもので、皇帝が勉強した所として、清時代の歴代皇帝の即位も行われた。その奥にある古風な平屋は彝林堂で、明の時代に建てられた。その後、清の時代には大学図書館として使われた。西側の一番奥にある「乾隆石碑」には191本の石碑を収蔵している。国子監の敷地の庭にはコノテガシワが高く生い茂り、しっとりとした静かなたたずまいになっている。孔廟と隣合ってることもあって、全体が落ち着いた雰囲気に包まれている。
国子監の周りの胡同は、樹木もよく茂っていて自然にも恵まれている。北京に来たならば、長城や天安門、故宮だけでなく、この辺りをぶらぶら散策することもお勧めである。胡同の中でもこの辺は、観光客が良く歩いている方なので、比較的安心して歩けるだろう。

雍和宮:北京最大のチベット仏教の寺院群。6万6400m2もの広大な敷地に漢、満州、蒙古、チベットの各民族の建築様式が融合し、一体となった建築が並び、独特の雰囲気を持っている。かつて清代乾隆帝の皇太子時代の邸宅で、主要な建物は南北一直線上に並び、最南部には立派な琉璃牌楼が建つ。最北部の万福閣は、高さ約18mの一木造りの弥勒仏で有名。

地壇公園:明の嘉靖9年(1530年)に建てられ、方沢壇、皇祗室、神庫、祭器庫、方沢亭、斎宮、神馬殿などの建物を備えました。中華民国1925年に市民に開放 され、京兆公園と名づけられ、後、名称を市民公園に変更し、1957年に今の地壇公園と改名されました。1981年から修繕され、1984年再オープン以後、現 在の地壇公園の姿となりました。

10:00北京空港に向かう。
10:30北京空港到着。
16:20定刻3時間遅れで北京空港中国国際航空で出発
20:15関西国際空港到達。

今回の旅行、アジアの大国中国に足を運び、中国の首都北京を訪れ、紫禁城とも呼ばれ、清の歴代皇帝と皇后が暮らし、広大な中華帝国の中心となった故宮、世界最大級の広場天安門広場、明、清時代の皇帝が五穀豊穰を願って祭祀を行った場所天壇などの歴史深い、建造物をひたすら歩いて訪れました。

今回も前回に続いてアクシデント頻発の中国旅行、中国の飛行機はよく遅れると聞いていましたが、正にその通り、行きは2時間遅れ、帰りは3時間遅れでした。
又空港の対応も悪く、掲示板で確認しチェックインカウンターに向かうと空港スタッフが別のカウンターに指示され向かうとこのカウンターも別のカウンターを支持されました。振る舞わされて案内のスタッフに尋ねると最初のカウンターが正解でした。出発の3時間以上前でしたのでスタッフが把握できていなかったのかもしれませんね。

出発に時間が十分でしたので、レストランと喫茶店で時間を過ごしましたが、どちらもウエイターがのんびりしておりメニューを提供するもなかなか注文を聞いてこない、食事、ドリンクもかなり待たされました。時間が十分ありましたので結果的に良い休養場所になりました。

次にアクシデントは、空港に到着したのが未明でしたのでタクシーでホテルに向かいました。ホテルの名前と住所、地図を確認してタクシーの運転手は向かいましたが、なかなか見つからず、通行人に聞いてなんとかたどり着きましたがホテルのスタッフが予約していないと断られました。ホテルの予約チケットを提出しましたが、名前が少し違う、こんなホテルは聞いたことがないと言われました。日本でインターネットで予約しましたが詐欺にあったのかもしれません。ホテルの名前は似てるし、ホテルの写真も似てるが違う、電話しても出てこない。
ホテルスタッフに近くのホテルを世話していただき、無事就寝。

北京市内を散策すると、まず気になるのはPM2.5の影響か、視界がどこも悪い。前回の上海も同じでした。いつになったら綺麗になるんでしょうね。発展が続けいている以上無理かもしれませんね。

大国中国の首都北京の観光、ヒヤヒヤでしたが面白い国、中国観光旅行でした。





























飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百十一弾:イラン&カタール観光  2015年4月28日-5月6日 

アジアとヨーロッパを結ぶシルクロードの中継地として栄え、高原には多くの王朝が興亡した世界史的にも重要な地であり、東西の多くの文化を吸収し、現在の国家が作られたイラン、ペルシャ湾の中央に、ニョキニョキと突き出した半島、大きさは秋田県とほぼ同じだが国土の大部分は平坦な荒野が広がり、半島の南部には白砂の砂丘が広がり、人口の約8割が集中するドーハを除けば、点在する町々は閑散とした雰囲気が強く、特に暑い夏の季節の昼間の町を歩くとゴーストタウンのような静かなカタールを訪れました。


4月28日23:15関西国際空港、カタール航空で出発。
29日5:35ドーハ到着。
7:20ドーハカタール航空で出発。
10:15テヘラン到達、バスで市内観光。

イラン:悠久なる歴史とペルシャ帝国の栄華を偲ぶイラン。近代都市として生まれ変わる首都・テヘランをはじめ、バラの都シラーズや、イランの真珠と讃えられる魅惑の都市・イスファハン、ゾロアスター教の聖地・ヤズドなど、魅惑の都市が満載です。さらに、アケメネス朝の栄光がうかがえる巨大遺跡・ペルセポリスなど、魅力満載のイラン。

テヘラン:4,000m級の峰が連なるアルボルズ山脈の麓に広がるイランの首都・テヘラン。交易の主要都市として栄え、のちに砦を壊し近代都市として生まれ変わりました。

タジリッシュバーザール:迷路のように所狭しとお店が立ち並び、香辛料や絨毯などイランならではの商品が並ぶタジリッシュ・バザール。まるでひとつの町のように、銀行や寺院のほか、消防署などもあります。

ゴレスタン宮殿:首都テヘランで現存するもっとも古い建築物。増改築を繰り返しガシャール朝時代に絶頂期(19世紀)。ペルシア式のモザイクタイル・庭園、キリスト教式のステンドグラス、インド式の鏡の間などを取り入れた色彩豊かな建物。

イラン考古学博物館:建物はイスラム化以前と以降の展示物で構成されたイラン考古学博物館。本館ではペルセポリスから運ばれた壁画のレリーフなど、古くからの歴史を感じることができます。

絨毯博物館:イラン各地の有名産地から100以上の美しいアンティーク絨毯が集められている。

15:00バスでカーシャーンに向かう。

カーシャーン:テヘランとエスファハーン、2つの大都市のちょうど真ん中に位置するカシャーン。タバータバーイーの邸宅や、可愛らしいフィーン庭園が見どころ。

19:00カーシャーンのホテル到達。
20:00ホテルで夕食。
21:00就寝。
30日8:00バスで出発、ヤスドにむかう。

12:00昼食

ヤスド: イランのほぼ中欧に位置し、乾いた熱風と強烈な日差しが振り注ぐ砂漠都市・ヤズド。迷路のように入り組んだ小路と、日干しレンガを土で塗り固めた家々が印象的。


ドラウト・アーバード庭園:町一番の高さを誇るバードギールが残る旧市街の西にある庭園。建築物内にはステンドグラスの凝った飾り窓が見事。

マスデジェ・ジャーメ:空高く天を刺すメナーレが印象的な、ヤズドのシンボル的寺院。正面入口やドームには美しいタイルワークが残り、イスラム建築の傑作のひとつとして数えられています。

ゾロアスター教寺院アーテシュキャデ:古代イランの宗教、ゾロアスター教の寺院。随所にペルセポリスの建築様式が取り入れられています。1500年以上前から絶えず燃え続ける聖火は一見の価値あり。

鳥葬の地・沈黙の塔:ゾロアスター教徒を埋葬する為に使用されていた岩山の塔。一般的には「鳥葬」で知られますが、実際は風葬にたまたま鳥が来てしまっただけ…とか。

アミール・チャクマーク広場:空高く天を刺すメナーレが印象的な、ヤズドのシンボル的寺院。正面入口やドームには美しいタイルワークが残り、イスラム建築の傑作のひとつとして数えられています。

19:00ホテル到着
20:00ホテルで夕食
就寝

5月1日8:00バスで出発、古都シラーズに向かう。

途中パサルガタエによる。

パサルガタエ:紀元前546年頃に建設された、アケメネス朝最初の都。現在では、広大な敷地に点々と残る遺跡が、都市の栄華を物語ります。

王墓ナグシェ・ロスタム:アケメネス王朝の4人の王が眠る墓。下部には馬に乗った騎士のレリーフが施され、中には高さ7mのものもあります。

昼食

シラーズ到達

シラーズ:「ペルシャの顔」とも言える街で、バラと詩で知られるシラーズ。四季を通じて穏やかな気候で、街には花と緑があふれ、例年5~6月にはバラが咲き誇ります。

クルアーン門:イラン南部の都市シーラーズにある歴史的な門である。 クルアーン門はシーラーズの街の北東の入り口に位置し、ファールス州のマルヴダシュトやエスファハーン州のエスファハーンからシーラーズへと入る際の玄関口となっている。

エラムガーデン:ペルシャ語で「楽園」を意味する「エラム」を名に持つ庭園。5~6月頃には一斉にバラが咲き乱れ、まさしく楽園のような輝きをみせます。心地よい風を感じながら散歩すると優雅な雰囲気が漂います。

18:20ホテル到達

19:30ホテルで夕食

就寝
2日8:00バスで出発。

マスジェデ・ナスィーロルモスク:1887年に完成した、南北ふたつのエイバーンのある中庭を持つ小さな寺院、ステンドグラスの光が美しい。

シラーズ郊外に位置する古代都市ペルセポリス遺跡に向かう。


ペルセポリス遺跡:イラン最大の見どころ・ペルセポリス遺跡。ヨルダンのペトラ遺跡、シリアのパルミラ遺跡と並んで「中東の3P」と呼ばれ、アケメネス朝の栄光がうかがえる大遺跡です

クセルクセスの門:クセルクセス1世によって建てられた「万国の門」と称され、控えの間の役割を果たしていました。現在は高さ約10mの円柱や側柱、見事な牡牛像などのレリーフが残ります。

謁見の間:ペルセポリス宮殿の中心部にある謁見の間。使者との謁見祭儀のために使われていたといわれており、数千人を収容できる壮大な空間です。高さは20m、円柱は72本あったといわれます。

使者たちの彫刻:東階段の横にある基壇壁面には、 ペルセポリスに貢物を運んできた使者たちの様子が彫刻されています。

百柱の間:歴代の大王が公式行事を行った玉座殿。その名の通り100本の柱で支えられていた事から「百柱の間」と呼ばれています。

王墓:ラフマト山の向かって右側にアルタクセルクセス2世の王墓、その南方にはダレイオス3世の岩窟墓があります。ペルセポリスの遺跡が一望できる、山の中腹に位置しています。

ホマ:幸福の鳥を意味する双頭鷲像。ペルセポリスのスフィンクスとも呼ばれ、イラン航空のロゴにも使われています。

市内で昼食

イスファハンに向かう。

途中ペルシャ絨毯専門店による。

ホテル到達。

ホテルで夕食。

就寝。

3日8:00バスで出発

イスファハン観光:「イランの真珠」とたとえられるイランの古都。17世紀に建造されたチェヘルソトーン宮殿の水と緑があふれる美しい庭園は、サファヴィー朝最盛期の姿をそのまま残しています。

ハージュ橋:長さ133m、幅12mのザーヤンデ川の橋の中でも優美な姿が美しいハージュ橋。

スィーオーセ橋:イラン中部の都市イスファハーンを流れるザーヤンデ川に架かる石造橋。長さ約300メートル。幅14メートル。17世紀初頭、サファビー朝アッバース1世が進めた都市計画に基づいて建造された。ペルシア語で「33」を意味し、橋の上部に33のアーチがあることに由来する。


アルメニア正教バーンク教会:アルメニア使徒教会の聖堂のひとつ・ヴァーンク教会。内部の壁には「最後の審判」などの聖人の画などが描かれており、荘厳な雰囲気。アルメニア博物館も併設しています。

マスジェ・ジャーメ:さまざまな時代の建築様式が随所に見られる、エスファハーンで最も古い歴史を持つモスク。重厚な造りの回廊や、中庭、繊細なレリーフなど、さまざまな見どころがあります。

イマームモスク:イマーム広場内に隣接し、サファヴィー朝時代を代表する建築物。エヴァーンの天井の鍾乳石飾りは見事で、その造形美は息をのむほどの美しさです。


昼食

イマーム広場:エスファハーンの中心に位置する広場。「世界の半分」と讃えられたイスラム文化が花開いた町で、訪れる人すべてを魅了する美しさで、世界遺産にも登録されています。

アリ・カプ宮殿:イ長さ133m、幅12mのザーヤンデ川の橋の中でも優美な姿が美しいハージュ橋。ランでは初となる高層建築で、18本の柱が屋根を支えています。緻密な計算がされている音楽ルームも必見です。

マスジェデ・シェイフ・ロトフォラー:説教師シェイクロトフォラーを迎えるために作られた寺院。彩色タイルでできた繊細で美しいモザイク模様が見どころ。

チェヘルソトゥン庭園:サファビー朝時代にアッバース2世にとって建造された迎賓館・チェヘルソトゥーン宮殿。実際の柱は20本ですが、正面の池に映り、あわせて40本に見えることから「40の柱」を意味するこの名がついたといわれます。

チャイハネペルシャの喫茶店でお茶をする。

バザール:イマール広場のバザールを散策する。


市内のレストランで夕食

イマール広場のライトアップ鑑賞

20:40ホテル戻る。

就寝。

4日8:00バスで出発、アビヤネ村に向かう。

アビヤネ村:渓谷に囲まれたペルシャの伝統が息づくペルシャの原風景とも言われるアビアネ村

市内レストランで昼食

カーシャーンに向かう。

フィーン庭園:イラン中部の都市カーシャーンの南西郊にある庭園。その起源は16世紀にさかのぼるが、現在見られる庭園はサファビー朝アッバース1世により建設され、以降も拡張工事が続けられた。19世紀半ば、カージャール朝の宰相アミール=キャビールが暗殺された地としても知られる。2011年、「イランのペルシア式庭園」の名称で国内にある他の八つの庭園とともに、世界遺産(文化遺産)に登録された。

テヘランに向かう。

ホテル到達。

ホテルで夕食。

就寝。

5日8:00バスで空港に向かう。

9:00空港到達。

11:55カタール航空でドーハに向かう。
12:30ドーハ到達。
ドーハ市内観光。

ドーハ:世界最先端の新都市と独特な民族性を楽しめる。

アル・アハリ・スタジアム:1993年のワールドカップアジア予選でのドーハの悲劇は有名。
ラクダ市場:食肉用のラクダ牧場
ハリファー・インターナショナルスタジアム:2022年ワールドカップスタジアム
競馬場:ドーハで人気の競馬場
スークワキーフ:スークには市場の意味があり、様々な商店街が軒を連ね、古い商店街のようなところで、近年は観光のために改装し、古めかしい感じを残しながらリニューアルされています。

16:30ドーハ市内のホテルで休憩。
22:00空港に向かう。
22:30空港到達。
6日1:35カタール航空で出発。
17:25関西国際空港到達。

今回の旅行、中東のイランに足を運び、テヘラン、カーシャーン、ヤスド、シーラーズ、エスファハーンの6つの都市を巡り歴史的建造物、遺跡を訪れ9日間の旅満喫しました。

特にエジプトのアブシンベル、ヨルダンのぺトラに匹敵するアケメネス朝の王墓と広大なペルセポリス遺跡は圧巻でした。

出発前から周囲から危険な旅行と指摘ありましたが、イランは中東では安全な国、治安が良く、親日で日本人には優しい国です。個人旅行者も多く安心して旅行を楽しむことができました。

ドーハでトランジェットの時間に余裕があったためカタールのドーハ市内観光もでき楽しめました。
発展続けるドーハの世界最先端の街並み、近い将来ドバイに似た、匹敵する又は越える町に変貌するでしょうね。

カタール&イランの9日間の歴史的建造物巡り観光旅行でした。




























飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百六弾:韓国済州島観光  2015年3月21-22日

韓国南端に浮かぶ島、中央に標高1950mの韓国最高峰の漢拏山がそびえ、景勝は変化に富む、14世紀までは耽羅国という独立国だったため、今なお残る独特の風習や文化も興味深い、温暖な気候、豊かな自然美を誇る国際的なリゾートとして人気が高い済州島を訪れました。

21日9:00関西国際空港大韓航空で出発
10:50済州空港到達、レンタカーで観光

済州島は韓半島南に位置する韓国最大の島。温暖な気候と手つかずの美しい自然が残されており、アジアを代表する休養地として人気のリゾートアイランドです。
漢拏山を中心に360余りの寄生火山と海岸地帯の滝や柱状節理など、美しい火山帯の地形が島全体に広がっており、春は鮮やかな黄色に染まる菜の花畑、夏には周囲の島と海、秋にはススキ畑、冬には漢拏山の樹氷など、四季折々の美しさが楽しめるのも済州の魅力。また、済州独特の風土に根ざした文化や新鮮な魚介類が楽しめる済州の味、ゴルフや海水浴、乗馬などのレジャーなど、いろいろな楽しみ方ができる魅力満載の島です。

旧済州エリアに向かう。

旧済州エリア:旧市街地の意味で旧済州(クチェジュ)と呼ばれます。龍頭岩(ヨンドゥアム)や古代神話が伝わる三姓穴(サムソンヒョル)の観光や、済州島で最大規模の在来市場、東門市場(トンムンシジャン)でのショッピングが人気。有名ホテルや飲食店も多く済州島観光の拠点に最適です。なお、新市街地の新済州(シンチェジュ)では車で約10分程度離れています。

龍頭岩:龍頭岩(ヨンドゥアム)は200万年前に溶岩が噴出して固まった形状岩で、高さ10メートル、長さ30メートルの大きさです。昔、龍宮に住んでいた龍が天に昇ろうとして、固まって岩になってしまったと言われています。台風で龍頭岩の頭の部分が雷に打たれなくなってしまい、現在は体の部分だけが残っています。龍頭岩から東側200メートルくらいの距離にある龍蓮(龍の蓮池)は、龍が遊んだというところから付いた名で、水底が見える程水が澄んでいます。

済州牧官衛址:牧官衙は1991年と翌1992年に行われた発掘調査により確認された遺跡で、観徳亭(クァンドッチョン)を中心に、東軒(トンホン)、政務亭(チョンムジョン)、弘化閣(ホンホァガク)、愛梅軒(エメホン)、橘林道(キュルリムド)、清心堂(チョンシムダン)などの建物が並んでいた跡が確認され、1999年に外大門をはじめとして各施設の復元に着工。
現在はそのほとんどが復元され、耽羅時代から朝鮮王朝時代に至るさまざまな文化を伝える重要な施設となっている。
外門の前にある観徳亭だけは、復元したものではなく現存する島内最古の建物で、1448年に地方官吏が青少年の訓練場として建てたもの。夜には美しくライトアップされ、門前の広場とともに市民の憩いの場ともなっている。観徳という名前は、一生懸命弓を習えば、徳を磨くことができるという故事にならってつけられたという。

三姓穴:三姓穴は、かつて済州島が独立国であった頃の「耽羅(タムナ)」を創始したといわれる高、梁、夫の三神人の誕生伝説が伝えられている国家史跡。伝説によると、この3つの穴から三神人が現れ、海のかなたから遣わされた三姉妹と結婚して国を繁栄させたとされる。敷地内には資料館があり、年に2回行われる祭祀についての展示がある。済州島のパワースポットとしても知られる。

東方面に向かう

萬丈窟:万丈窟(マンジャングル)は天然記念物に指定されている世界最長の溶岩洞窟です。溶岩洞窟というのは火山が 噴出するとき、土の中に深く隠れていた溶岩が火口から噴出し地表に流れてできたもの。万丈窟は70センチメートルにもなる溶岩石筍や溶岩チューブトンネルなど、様々な形態を持っています。
長さが13,422メートルありますが観光客に公開されているのは石柱がある洞窟の約1キロ程度であり、洞窟内部は年中11~21度を維持しています。万丈窟では、石柱と鍾乳石が2重3重に同じ方向に成長する姿が見られます。

城山日出峰:海抜182メートルの城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)は10万年前、海底噴火によってできた火山です。城山日出峰は済州道の東側の一番端にそびえ立つ大きな岩の塊で、日出峰頂上には巨大な噴火口があります。噴火口は直径600メートル、高さが90メートルで、面積が8万坪にもなります。大きな王冠を連想させる99個の鋭い岩が、噴火口の周りを囲んでいます。東・南・北側は絶壁で、西北面だけが芝が稜線に生えており、それが城山村まで続いています。西北面は散策路として造成されており、そこで馬に乗ることもできます。地方天然記念物として管理してきましたが2000年7月19日に天然記念物に指定され、2007年には世界文化遺産に登録されました。

16:30戻って新済州市方面に向かう。

新済州エリア:済州国際空港のすぐ南に新しく開発された新都市で、旧市街地の旧済州(クチェジュ)と区別して新済州(シンチェジュ)と呼ばれます。高級ホテル周辺に免税店やレストラン・ショップが集まっていて、島内で最も都会的です。また新済州の中心街は歩いて回れる広さなので、ホテル周辺の散策も楽しめます。旧済州までは車で約10分程度の距離です。


18:00新済州エリアのホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
7:00レンタカーで出発、観光、南部方面に向かう。

漢拏山:標高1950mの漢拏山は韓国の最高峰であり、智異山(チリサン)、金剛山(クムガンサン)と並び、三大霊山とされる代表的な名山のひとつ。朝鮮半島の別称「三千里」は、北の白頭山からこの漢拏山までの距離をいう。済州島の中心にあり、島はこの山の噴火によってできた火山島。島の随所に溶岩洞窟や、オルムと呼ばれる寄生火山などの特徴的な地形が見られ、国立公園に指定されており、2007年には韓国初の世界自然遺産に登録された。
山は雲に隠れていることが多く、山頂まで眺められるチャンスが少ないが、姿を現したときには、角度により長い髪の女性が横たわっているようだといわれている。自然保護のために入山にいくらかの規制はあるが、登山コースも整っている。ただし、日帰りが原則で季節や時間による制限もある。半日以上かかる本格登山になるので充分な装備で臨みたい。

中文:済州島最大のリゾートエリアが中文(チュンムン)で、中文観光団地とも呼ばれています。南国ムードが漂い、美しい海を眺める高台の高級ホテル周辺にはゴルフやマリンスポーツなどのレジャー施設のほか、博物館や植物園、渓谷や滝などの観光スポットが点在。アクティブに過ごすも良し、のんびりと過ごすも良し、多くの観光客が余暇を満喫します。

天帝淵瀑布:「神の蓮池」という意味を持つ天帝淵(チョンジェヨン)は、3段の滝からなっています。天帝淵瀑布の周辺の林には松葉蘭などの珍しい植物が自生しています。第1瀑布(高さ22メートル、水深21メートル)から流れ落ちる東側の岩洞窟の天井からは冷たい水が流れ出していますが、現在は水泳が禁止されています。瀑布から流れ出る水は第2瀑布、第3瀑布になり海に流れ込んでいます。
天帝淵渓谷には「仙臨僑(七人の仙女を彫刻したアーチ型の橋)」と「天帝楼」と呼ばれる8角の楼閣が建てられています。七仙女と呼ばれる仙臨僑は天帝淵と中文観光団地に続く橋で128メートルにもなります。天帝楼の外壁には天帝淵の伝説がこめられた仙女図と神仙図が描かれています。毎年、偶数年の5月には、七仙女祭りが開かれています。

柱状節理帯:地上に露出したマグマが海水との温度差などにより結晶して形成された多角形の柱のような岩が連なっているものを柱状節理と呼ぶ。まるで職人技のような自然の作り出したアートは圧巻。さらに深い紺碧の海と、高さ20mもの絶壁に当たって砕ける波の白さがなおいっそうその美しさをひきたてて、絶景となっている。

山房山:島の南西の海岸近くに立つ山房山は標高395mの、安山岩でできた丸い形の岩山。山の中腹には洞窟があり、ここに高麗時代、慧日法師によって開山された山房窟寺(サンバングルサ)がある。洞窟には、天井から落ちてくる薬水の滴を集めた水飲み場があり、この水は長寿の水として知られている。寺までは400段の石段を上るが、その途中にある休憩所からはヨンモリ海岸と、17世紀にここに漂着して『朝鮮幽囚記』を書いたオランダ人、ハーメルの漂着350周年を記念して開館されたハーメル商船記念館が望める。

龍頭海岸:「龍頭海岸(ヨンモリヘアン)」は、山房山の山脈が海岸の侵食作業を受け、龍の頭が海に入るような形になっているところです。ここは数千万年の間に堆積した砂岩層の一つです。へこんだ洞窟や広い岩壁の侵食地帯が、幾重にも重なる美しい単層曲線を作り出しています。海岸に下る道には1653年、オランダ人のハメルが漂着して留まったことを記念して建てられた「ハメル漂流記念碑」が建てられ、海岸の右側には柔らかく黒い砂浜が広がっています。

松岳山:『松岳山(サンアクサン)』は、日本でも大人気だった韓国時代劇ドラマ“宮廷女官 チャングムの誓い(大長今)”のロケ地として一躍有名になったところです。クライマックスの最終回の名場面、妊婦のお腹を帝王切開して赤ちゃんを取り上げ、妊婦と赤ちゃんを助ける場面を撮影した場所です。『松岳山』の崖の下には15本の洞窟がありますが、これらは天然の洞窟ではなく日帝時代、人工的に掘られた洞窟です。第2次世界大戦当時、日本軍が軍事物資を隠すために海岸の絶壁にいくつもの洞窟を掘った名残です。また、ここは韓国最南端の島『馬羅島(マラド)』行きの船着場でもあり、海抜104メートルの『松岳山』の頂上に登って海の方を見渡すと馬羅島・加波島(カパド)・兄弟島(ヒョンジェド)が臨め、また近くは山房山(サンバンサン)、遠くは漢拏山最終回頂上まで限りなく見渡せる展望台のような所となっています。

西帰浦方面に向かう。

西帰浦:済州島の南部に位置する漁港で、ミカンの産地としても知られるのが西帰浦(ソグィポ)です。市内中心部にある「天地淵瀑布(チョンジヨンポッポ)」、「正房瀑布(チョンバンポッポ)」という2つの有名な滝を観光したり、沖合いをクルージングする遊覧船や、海底に潜る潜水艦などのマリンレジャーが人気。有名グルメ店や大きな在来市場もあるので、観光、グルメ、ショッピングと3拍子そろった街です。

天地淵瀑布:うっそうと茂る亜熱帯植物の林を抜けた所にある天地淵瀑布(チョンジヨンポッポ)。その名の由来は、天と地が出会ってできたという説のほか、滝壷の深さが滝の高さと同じだけあるためともいわれ、その深みのある色合いが美しい。天然記念物に指定されている夜行性の大ウナギが生息していることも、その神秘的な雰囲気をさらに高めている。

正房瀑布:正房瀑布(ジョンバンポッポ)は海に直接流れ込むアジア唯一の海岸瀑布で、高さ23m、幅8mにも達します。正房瀑布の絶壁には、徐福が秦の始皇帝(BC.259~BC.210)の命を受け、不死薬を探しにここを訪れたという意味の 「徐福過此」という文字が刻まれています。そして徐福が西側から帰ったということで、西帰浦という地名がつけられたそうです。
正房瀑布には海浜をはさんで 高くそびえ立つ絶壁があり、古い松が今にも海に倒れるかのように立っています。ここから東に300m程行くと小正房という5mの小正房瀑布があり、夏にはリゾート地としても有名なところです。海岸絶壁の上には展望台があり、海岸が遠くまで眺められます。

北東部に向かう。

サングムブリ:サングムブリは、周囲が2kmを超える噴火口で、天然記念物に指定されています。噴火口の直径は650メートル、深さ100メートル、周囲が2,070メートルにも達します。サングムブリを空から眺めると、人工的に造られた円形運動場のように見えます。植物の種類が多様で、北側は暖帯性の樹木(アカガシ、ホオノキなど)と希少植物のフユイチゴが生えています。噴火口の南側の斜面には温帯林の代表的な樹木(アカシデ、カエデなど)が森をつくっています。限定された空間である噴火口の中に、それぞれ違う性質の樹木が共存しており、学術的にも注目を集めています。サングムブリでは石で作られた入口と壁、噴火口などが見どころです。

16:30済州空港に向かう。

18:00済州空港到達。
19:30済州空港大韓航空で出発。
20:55関西国際空港到達。

今回の旅行、韓国の南端に浮かぶ済州島に足を運び、世界遺産の漢拏山、萬丈窟、城山日出峰など大自然にあふれる観光名所と旧済州に点在する歴史的建造物をドライブ観光で巡りました。
左ハンドル、右側通行は問題なかったですが、ナビがハングル後、操作がわからず、結局地図を頼りにして巡りましたが、道路が広く整備され、車も少なく、主たる名所は案内板がわかりやすく、なんとか辿り着けることが出来ました。

新済州市街地の繁華街は立派で高いビルが建ち並び、大きな都市で、沖縄の那覇市ぐらいを想像していましたが、はるかに規模が大きく活気に満ち溢れていました。

1時間30分で行ける、近場の外国、済州島、ネイチャーアイランドである自然に満ち溢れた島、ドライブ観光満喫しました。




















飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百九十六弾:中国広州観光  
2015年1月10日-12日
 

中国に足を運び、羊城とも呼ばれ、2200年以上の歴史を持つ文化都市として悠久たる歴史と現代の息吹が同時に感じられるところでまた嶺南文化の中心地、中国国内で三番目の経済規模を誇る都市として、近年著しい発展を遂げました広州を訪れました。

1月10日18:15関西国際空港キャセイパシフィック航空で出発。
21:45香港空港到達、メトロで尖沙阻駅到達、駅付近のホテルで宿泊。
11日6:00出発
メトロ尖東駅乗車、紅磡駅下車。
7:25紅磡駅香港広州直通電車で出発
9:24広州東駅到達、広州観光。

広州: 広州は東シナ海に面した華南最大の都市です。珠江デルタの北部に位置し、羊城とも呼ばれています。夏から秋にかけては時折台風に見舞われますが、気候は温暖で年中緑が絶えることなく過ごしやすいです。
 広州は2800年余りの歴史があり、すでに紀元前2世紀頃には海外貿易の拠点としての記録が残されています。唐代には海のシルクロードの起点として黄埔港が栄えました。こうした背景もあり、広東人は古くから海外で活躍するものが多く、華僑として知られています。
 珠江の分岐点に開かれた人工島、沙面は、今世紀前半まで外国人の移住区でした。今もなお多くの洋館が残っており、異国情緒を感じさせます。中国製品が全て揃う北京路から、高級ブランド品のショップが多い環市東路まで、広州ならではの買い物もできます。古くから「食は広州に在り」と言われるように、広東料理を食べるのも楽しみのひとつです。その他、主な見どころとしては西漢南越王墓博物館、陳氏書院、中山記念堂などがあげられます。
 広州は桂林をはじめ、海南島、雲南など中国南部の有名観光地を結ぶ拠点として、重要な役割も担っています。

メトロ3号線で広州タワー駅下車

広州タワー:広州塔は広州新テレビ塔とも呼ばれ、愛称は「くびれ」です。広州市の新中軸線と珠江スポットラインが交差しているところにそびえ立っています。広州塔は「海心沙」島や広州市21世紀CBD区という珠江新城と、珠江を挟んで相対しています。現在、中国で一番目、世界で三番目の観光タワーになっています。2010年10月1日、広州塔は正式に開放され、観光客を迎えられるようになりました。2010年第十六回アジア競技大会の開会式で、広州塔の色とりどりの夜景や美しい花火は世界中の注目を集めました。

APMで広州タワー駅乗車、歌劇陰下車

広東省博物館新館:広東省博物館は広州の新市街、珠江新城中心区南部の文化芸術広場にあり、広州タワーとは珠江を挟んで向かい合っており、西隣りは広州の新しいランドマーク、広州歌劇院(オペラハウス)です。同博物館はかつて越秀区文明路にあった施設を2003年に移転新築したものです。広東博物館は香港のデザイナーによる「珍宝容器」というデザインを採用しました。上部の巨大なスチールメイントラス梁を、鉄筋コンクリートで支える構造で、中に柱は一本もありません。展示エリアをはじめ館内はすべて広々として明るく、特に展示エリアの大型展示物をより効果的に見学することのできる構造です。建物の外観、内装ともに独創的で美しく、インターネットやオーディオ設備が整えられた、現代的な空間です。

メトロ5号線珠江新城駅乗車動物園駅下車

広州動物園:1955年開園の動物園。中国四大動物園のひとつ。動物園というより南国の公園といった感じ。他都市の動物園と異なり、動物たちものんびりしている。43haの敷地内に、430種約4000頭の動物たちが飼育されている。 なかでもパンダ(大熊猫)は人気者で、日本と異なりじっくりと間近で見られるが、なんと言っても暑い広州、パンダもぐったりとお昼寝をしていてお尻しか見えないことが多い。その他、東北虎、金絲猴(孫悟空のモデルとなったサル)など、中国ならではの珍しい動物にも会える。

メトロ5号線動物園駅乗車小北駅下車

越秀公園:越秀公園は、街のシンボルである有名な五羊石像のあるところです。1959年に造られ、五色の衣をまとった仙人が五頭の羊にまたがり街にやってきた言い伝えに基づいています。また、公園には明時代の古典建築物鎮海楼があり、塔内には博物館があります。

広州博物館:広州博物館は1929年2月11日に落成し、地方史の研究と陳列を主とする総合的な博物館で、広州に関する歴史と文物を保存し、展覧し、科学研究する専門的な施設です。当館は景色が美しい越秀山に位置し1380に建てられた明の時代の建築―鎮海楼を主体としています。博物館が落成した時、「広州市立博物館」と称され、華南地域で初めての公立博物館で、全国で最も早く創建された博物館の一つです。

中山記念館:中山記念堂は偉大な革命家-孫中山氏を記念するために広州の市民や海外の華僑の寄付で建てられました。記念堂は総統府の旧跡に位置しています。中山記念堂は最も広州を代表する建物の一つで、広州市で大型のイベントや演出が行われる場所です。

三元宮:越秀山の南麓、応元路に位置する。広州市に現存する道教の建築物の中で最も歴史があり、規模も最大である。東晋南海太守鮑静によって建てられ、当初は越崗院といったが、唐代に悟性寺となり、明代の修築後(一説には清の順治年代)に三元宮と改名された。

西漢南越王墓博物館:西漢南越王墓は広州市解放北路の象崗山にあり、今から2100年前に建てられた、西漢初期(日本では前漢と呼ばれています)の南越国君主であった文帝趙昧の墓です。1983年に発掘調査が始まり、中から15人の殉死者と、玉器、青銅器を中心とする1000件以上の埋葬品が発見され、10年をかけた遺跡の保存とともに博物館を建設しました。西漢南越王博物館は2000年以上の歴史を持つ古都広州のシンボル的な存在で、建築面積は1.4万平方メートル、総合展示館、王墓遺跡、本館の3つの部分から形成されています。

五羊仙庭:五羊石像 は紀元前300年頃
(中国-戦国時代)(日本-弥生時代)、羊に乗った5人の仙人が空から舞い降りて黄金の穂を広州の地にもたらした。その後仙人たちは天に戻ったが、彼らが乗って来た5頭の羊はそのままこの地にとどまり、五穀豊穣のシンボルとなった。この伝説がもとになり、広州は「五羊城」や「穂城」という別称を持つようになった。

蘭園:広州市解放北区、風光明媚な越秀公園の向かいにある公園。元は小さな見本園に過ぎなかったが、長年の丹念な栽培で現在の専門的園芸公園に発展した。蘭圃の全体面積はわずか3万9千㎡だが、園内には200種類以上の植物や一万本以上の蘭が栽培されている。

流花湖公園:流花路の南、東風西路の北に位置する公園で、総面積54万㎡、水域面積は33万㎡。大きな湖3つと小さな湖4つがあり、亜熱帯の景色が特徴的である。湖の東北に南漢の旧跡、流花橋があることからこの名がつけられた。公園内は4つの区域に分かれている。丈の長い草地が広がる北区には、ガジュマルの遊園地、宝象楽園、バドミントンコート、浮丘園、芙蓉洲などの施設がある。また面積3000㎡の鳥島にはたくさんの鷺が飛来し、バードウオッチングのための喫茶コーナーや観察台なども設けられている。東区にはシーサンパンナ様式の庭園や瀑布、浣渓女、ホトトギス園、南海漁村レストランなどがある。ガジュマルや葵が咲く中区には、新光花園レストランや健康ランドなどがある。広州少年宮に隣接する南区には、広大な落羽松林が広がり、蒲林喫茶店、桃源飯店などの飲食施設や、陰性植物園などがあり、静かな雰囲気である。公園の西端に盆栽園、東端には有名な流花鳥苑がある。この数年で蓮などの水生植物を広範囲に植えたため、素晴らしい眺めを楽しむことができる。

メトロ2号線越秀公園駅乗車公園前下車

六榕寺:六榕寺は、中国南北朝時代の梁時代の大同三年(537年)に建設され、もともと宝荘厳寺と呼ばれていたとされています。北宋時代に全焼した後、宋時代の端拱二年(989年)に再建し、淨慧寺に改名されました。六榕寺の名は、北宋の政治家で詩人、書家としても知られる蘇軾(蘇東坡)が広州に左遷され、この寺を訪れた際、境内の六本の榕樹の美しさを賞賛した蘇軾が道琮に請われ「六榕」の書を残しました。蘇軾の貴重な書を尊ぶため、これを横額にして寺の正門に掛けたことから、以後六榕寺と呼ばれるようになったと伝えられています。

光考寺:光孝寺は嶺南地域の一つ目の仏教寺院として当地域の仏教の発祥地でもあります。唐の儀鳳元年(676年)に高僧慧能がこの寺の菩提樹の下で受戒し、南宗を開いたことから、禅宗の第六祖と呼ばれています。慧能はこの光孝寺で「風幡についての論説」を発表したことで、有名になりました。そのほか、慧能がここで髪を剃り落として出家し、その後南宗を代表する人物になったので、光孝寺も名を知られることになりました。西歴749年に、5回目の日本への渡海に失敗して海南島に漂着した鑑真は広州にたどり着き、光孝寺で一春を過ごしたといわれています。

懐聖寺:別名灯台寺院として知られる懐聖寺は1300年も古く、当然、中国でも有数の古い寺とされています。寺院の名前はイスラム教祖モハメットに敬意を表して付けられています。

五仙観:恵福西路に明の洪武10年(1377年)に創建された、伝説上の5人の仙人を祀った廟で、広州市重点文物保護単位に認定されている。

聖心堂:広州石室聖心教会堂は広州市都心部の一徳路にあり、広州で最も立派で、最も特色のある天主堂です。1863年に建て始め、1888年に落成、25年間をかけて建築され、今まで130年あまりの歴史を持っています。教会堂の壁や柱は全部花崗岩で建てられたので、「石室」或いは「石室耶蘇聖心堂」、「石室天主教堂」とも呼ばれています。石室聖心教会堂(Shishi Sacred Heart Cathedral)はフランスのデザインナーによって設計され、中国の匠によって建てられた建築で、「極東のパリノートルダム」という美称が与えられました。教会堂の建築面積は2754平方mに達し、東西は35m、南北は78.69m、地面から頂上までの高さは58.5mです。聖心教会堂はゴシック式の教会堂のすべての要素を集めたとされ、初期ゴシック建築のカラーガラスのバラ窓、ヴォールトなどの要素もあり、盛期、後期ゴシック建築である一対の高くそびえる尖塔があります。東方に聳え立つ本場のヨーロッパ中期の天主堂です。

沙面:沙面島にはユーロッパ風の建物が150箇所以上残され、広州で最も異国風に満ちた建築群です。ここでは木がうっそうとしており、街燈、彫刻、東屋、花壇、木製の椅子、噴水池等はすべて西洋風でのものです。島の緑化はよく、空気もすがすがしく、まるで広州の桃源郷のようです。沙面の生活スタイルやリズムは広州のほかの所と違い、島には交通規制が実施されているため、交通渋滞、大気汚染など問題はありません。道の両側には喫茶店、レストラン、バーが多くあり、歩道街には上品なテーブルがいっぱい並んであり、多くの若者が結婚記念写真を撮るのに大人気です。

メトロ1号線黄沙駅乗車長寿路駅下車

西関大屋:西関、つまり荔湾区は、明清時代の広州市の西門周辺の総称である。西関内は、青い川のそばで、荔枝が並んでいるので、、「荔枝湾」の名誉を呼びれる。西関は、現在の荔湾区に位置し、北は西村、南は珠江と接し、東は人民路、西は小北江と臨んでいる。面積は約16.2平方キーロメートルであり、総人口は、約七万人である。明清時代から、ここは、広州市の貿易中心である。明末には十八甫、十三行があった場所である。西関の代表的なのは、特別の建築だけでなく、美食と衣服商売発達の上下街もとても有名である。

メトロ1号線長寿路駅乗車陳家祠駅下車

陳氏書院:陳氏書院は清代の光諸十四年(1888年)に建設が始まり、光諸二十年に完成しました。当時の広州72県に在住していた陳一族の人々による寄付で建立された、広東省の有名な族祠建築物です。清代末期の嶺南地方特有の建築様式で建てられており、当時の広東地方の民間工芸が良好な状態で多数保存されていることから、現在書院の一部は広東省の民間芸術博物館にもなっています。

メトロ1号線陳家祠駅乗車農講所駅下車

北京路以東:歩行者専用道のショッピングストリートとして整備され、広州一の繁華街。

メトロ1号線5号線経由して西村駅下車

17:30西村駅から歩いて10分のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
12日7:00ホテル出発、徒歩で西村駅到達。
メトロ5号線1号線を経由して体育中心駅到達、天河エリアを散策しながら広州駅東に向かう。

天河エリア:広州東駅と天河体育中心を中心とするエリア、20年前から開発が始まった、今では一大繁華街にふさわしくさまざまな店やビルが建ち並んでいる。

10:37広州駅東香港広州直通電車で出発
12:33香港紅磡駅到達、メトロで香港空港に向かう。
14:30香港空港到達。
16:35香港空港キャセイパシフィック航空で出発。
21:00関西国際空港到達。
今回の旅行、中国の広州に足を運び
2800年余りの歴史があり、すでに紀元前2世紀頃には海外貿易の拠点としての記録が残されているエリアをメトロと歩きで観光名所を巡り堪能しました。

広州駅付近は流花湖公園を中心としたオールドな広州のイメージでしたが広州東駅付近は20年前から開発が始まり高層ビルが建ち並び、広い公園が有り、ショッピングセンターは地下街となっており未来都市のような最先端の街として発展しつつ有り感動しました。

南に位置する沙面エリアは欧米列強が広州を支配していた頃の雰囲気を感じ今なお多くの洋館が当時のまま残っているのは感心いたしました。

尚今回トラブル続出、ホテルはインターネットで日本で事前に予約していました。比較的安価なホテルを選んだのが災いしたのか、ホテルの位置を見つけるのが一苦労でした。香港繁華街に位置するホテルが見当たらない、住所で探したが名前が見当たらない、人に聞くとこのビルの奥にあると言われ奥のエレベーターの案内板にやっとの思い出、予約したホテルを見つけました。このビルの17階がホテルでした。

香港から広州に向かう高速鉄道をインターネットで事前予約していましたが日を間違えて予約しているのに気が付き当日駅でキップを再度購入しました。

2日前の広州のホテルも見つからない、タクシーを呼んでも近いから断られる、お店の人に相談すると、お店の友人が自転車で送てくれました。やっとこの思い出ホテル到着したがホテルの宿泊が予約されていないとのこと、幸い部屋が空いていたので部屋代を支払い宿泊できた。

広州から香港まで高速鉄道のインターネットの予約キップは香港で受け取らなければならない、又も再度キップ購入、残り少ない席でした。

なかなかトラブル続きの中国広州観光旅行でした。
























飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百九十五弾:エチオピア観光  
2014年12月27日-2015年1月3日


東アフリカに足を運び、世界の中で最も歴史のあるキリスト教王国と言われ古代エジプト人はここを神の国と呼び、失われたアークが眠る場所という伝説があり、いまだに多くの謎が残る神秘な国、数十以上の民族に分かれ、それぞれ違った習慣や宗教を持ち南部には少数民族の村も残り、又コーヒーの発祥地として名高いエチオピアを訪れました。

27日16:25関西国際空港ANA航空で出発
18:00上海到達
28日00:35上海空港エチオピア航空で出発

7:45エチオピアアジス・アベバ到達、着後バスでエントット山観光

アジス・アベバ:エチオピアの首都であり、最大の都市、「新しい花」を意味するアジスアベバ。2002年にはアフリカ連合の本部が設置されました。世界最古の人類ルーシーに関する展示がされている国立博物館が見どころです。

エントット山:エントット山は、19世紀皇帝メネリク2世がアジスアベバに遷都した際に、最初の宮殿を建設した由緒ある場所です。山頂付近で首都アジスアベバを一望できるところには、平穏なアジスアベバを見守るようにエチオピア正教の教会・エントット・マリアム教会があります。この教会には、山頂付近の村に住む人々が早朝や日曜日の礼拝に集い、また信仰が生活に根付いているエチオピアでは、門前で十字を切り、祈りを唱える人々が並んでいます。

観光後
11:45アジス・アベバエチオピア航空で出発
12:45バハルダール到達、昼食後、バハルダール観光

バハルダール:ホワイトナイルとともにナイル川の2大支流といわれる青ナイルの源流タナ湖。エチオピア最大の淡水湖であるタナ湖の湖岸にバハルダールの町は広がります。タナ湖クルーズをはじめ、湖岸に建つ美しい壁画の残る修道院巡りなど、エチオピアを代表する観光地となっています。

タナ湖クルーズ:ボートに乗船してミフネット修道院を訪れる。

ウラ・ギダネ・ミフネット修道院:バハルダールからタナ湖を遊覧し訪れることのできるウラ・キダネ・メフレ修道院。木造で静寂の支配する祈りの場です。内部には聖人や聖書にまつわる美しい壁画が数多く残るエチオピア正教の修道院です。

タナ湖での夕日鑑賞:タナ湖でボートの上で夕日が沈むのを鑑賞する。

18:30ホテル到達後夕食、就寝。

29日7:15バスで出発、青ナイルの滝観光

青ナイルの滝:ナイル川源泉のひとつ・青ナイルの滝。現地ではしぶきが煙のようにみえることから、川の煙という意味の「チスアッバイ」と呼ばれています。断崖から流れ落ちるその様は、迫力満点で雄大な景観が広がります。

11:00バスでゴンダールに向かう。

15:00ゴンダール到着後昼食、その後ゴンダール観光

ゴンダール:かつてエチオピア王国の首都であったゴンダール。市内には3つの王宮群が現存します。標高約2,300mのファシルケビの丘には、約200年間続いたゴンダール王朝時代に建てられた城が残っています。

ゴンダール城:標高2300mのファジル・ブルの丘に17~19世紀にかけて約200年間続いたゴンダール王朝時代に建てられた6つの城と12個所の城門が残されている。面積約7m2、城壁の長さは900mもあるこの壁は、アフリカのような地域に中世のヨーロッパのような城だったので、後世になって「不思議の城」と言われれようになった。この城は、ポルトカル・フランス様式を取り入れた建築で、たしかではないがインドの建築家によって建造されたともいわれてる。

デブレ・ベルハン・セラシェ教会:16世紀に建てられたデブレ・ベルハン・セラシエ教会は、街にある教会のなかで唯一、建てられた当時のままの姿を残すものです。石のレンガ造りの建物に草ぶき屋根。神聖な内部は土足厳禁で、天井も壁もフレスコの宗教画で埋め尽くされています。

ファシリダス帝の沐浴場:ゴンダールのティムカット祭の会場となるところです。普段は水がありませんが,「ティムカット祭」が行われる時には,運河から水を引いてくるのだそうです。ティムカット祭の時には,この周りの8つの教会からアーク(のコピーのタルボット)が運び込まれ,ゴンダール中の人々が集まると言われています。
聖職者達の祝福が終わると,群衆が一斉にこのプールに飛び込み,大騒ぎするそうです。

女帝メンテワブの宮殿:女性の趣味で作られたデザインのような宮殿

18:15ホテル到着後夕食、就寝。

30日7:15バスで出発、ゴンダール空港に向かう。
9:15ゴンダール空港エチオピア航空で出発
9:45ラリベラ到達、途中ラリベラの村訪れる。ホテルで休憩、昼食を済ませてラリベラの岩窟教会観光

ラリベラ:かつてはロハと呼ばれ、ザグウェ王朝の首都が置かれていたラリベラ。ザグウェ王朝11代の王の中で最も有名なラリベラ王から、その名がつけられました。イスラム教徒に占領されたことにより、エルサレムへの巡礼が困難になったため、このロハの地に第2のエラサレム建設を試みました。その時の名残がいたるところに残っています。

ラリベラ王は自分の住む村ロハを「ラリベラ」と改称、そしてここの雨期にのみ水の流れる川を、「ヨルダン川」と名付け、その両側にエルサレムそっくりな建造物を作ろうとしたのです。 ヨルダン川の南側にはマドハネアレム(救世主)教会、マリアム(聖母マリア)教会、デナゲル(聖処女の家)教会、マスカル(聖十字架)教会、そしてラリベラ王の墓のあるゴルゴダ・ミカエル教会の5つが、北側にもエマヌエル教会、ガブリエル教会、ラファエル教会、アッバ・メルクリオス教会、アッバ・リバノス教会の5つ、つまり合計10の教会が建造されました。

聖救世主教会を含む第一岩窟教会群

聖救世主教会:エチオピア北部の町ラリベラにある岩窟教会。市街を流れるヨルダン川の北側に位置する。一枚岩を刳(く)り貫いて造られており、ラリベラ最古かつ最大の教会として知られる。アクスムのシオンの聖マリア教会を模して造られたと考えられている。1978年「ラリベラの岩窟教会群」として世界遺産(文化遺産)に登録された。マドハネアレム聖堂。メドハネアレム聖堂。

聖十字架教会:聖マリア教会の北壁に穿たれた小さな祠

聖マリア教会:第一群では唯一、壁画を有する教会で、聖書をモチーフにした壁画が残されている。 境内にはがあり、ここで洗礼を受けると子宝に恵まれるという信仰に結びついている。

聖処女教会:聖マリア教会の南にある小さなチャペル

聖ミカエル教会:聖ゴルゴダ教会と内部で連結している。建築物としての美しさはラリベラ随一と云われる寺院。ラリベラ王の十字架を安置。

聖ゴルゴダ教会:聖ミカエル教会と内部で連結している。ラリベラ王の墓所や、三位一体祠がある(女人禁制)

聖ギオルギス教会:伝説によると、10番目の教会が完成した後、聖ゲオルギウスがラリベラ王の夢枕に現れ、自分にも聖堂を捧げよと求めました。そこで11番目の教会、ゲオルギウス教会が造られたといわれます。

この11番目の教会がラリベラの教会郡の中でも最高傑作です。これらの教会は普通に建築されたものではなく、巨大な一枚岩を掘り貫いて作ったものです。岩塊の上から四辺形の溝を深く彫り下げ、建物全体を浮き出させ、次いで外部と屋根に彫刻を施すという、まさに驚嘆に値する工法といえます。

ラリベラの村:教会の近郊には、すべて円錐形をしたトゥクルと呼ばれる伝統建築が並ぶ集落があります。下の部分が木造、屋根は萱葺きだが、その形はなんとなく南イタリアのアルベロベロにあるトゥルッリに似ています

17:30ホテル到着、

19:00食事を済ませて就寝。

31日8:30ホテルバスで出発、第二岩窟教会群に向かう。

第二岩窟教会群

聖エマニュエル教会:第二群で唯一、岩盤をくり抜いて巡拝できるようになっている教会。

聖マルコリオス教会:ラリベラで二番目に大きな教会。創建当時の十字架を安置。12世紀に描かれた三賢人や十二使途と目されるフレスコ画がある。

聖アバ・リバノス教会: ラリベラ最小の教会。岩に横穴を掘って建立されており、最奥はまだ岩肌のまま。

聖ガブリエル・ラファエル教会:聖ラファエル教会とガブリエル教会と地続き。かつての宮殿跡。

昼食はレストランで。

昼食後ホテルのもどって休養後ナクタラブ教会訪れる。

ナクタラブ教会:ラリベラ郊外の山腹の洞窟の中に作られたナクタラブ教会へ。12世紀に,ナクタラブ王によって造られたのもで,洞窟からしたたり落ちている水は一年中耐えることがなく,聖水とされています。独特の衣装を着た司祭の方が、クロス(十字架)や手書きの本などを見せてくれました。

コーヒーセレモニー:外の清々しい景色をイメージして、青草(ケテマ)や花を床にしきつめます。みなさんに美味しいコーヒーを。という気持ちをこめて研ぎます。炭をつかい、じっくりとこげないように注意しながら焙煎します。コーヒーの味だけではありません。香りもいっしょに楽しみます。お茶に茶菓子。ファンディシャと呼ばれるポップコーンがおつまみです。写真のジャバナをつかってコーヒーを作ります。まずは水を温めます。お湯を温める間に、ムカチャ、ザナザナと呼ばれる道具を使って豆を粉末状にします。粉末状のコーヒーをジャバナに入れて、溢れないように注意しながら沸騰させます。エチオピア人は砂糖が大好きです。カップ3杯が普通です。香りを付けるために花を入れます。お好みでどうぞ。コーヒーをカップに注ぎます。どうぞ召し上がれ。コーヒーは3杯(1.アボル、2.トナ、3.バラカ)が標準です。

18:00ホテル到着

19:00夕食、就寝。

1日7:30バスで出発、ラリベラ空港に向かう。
10:05ラリベラ空港エチオピア航空で出発
10:45アクスム到達、着後古代王国の首都アクスム観光

アクスム:紀元前10世紀、イスラエルのソロモン王とイエメンのシバの女王の間に生まれたメネリク1世がエチオピアに渡り、現在のアクスムを中心とする国が興りました。その後、紀元前5世紀にアクスム王国が建国され、アクスムはその都として一大栄華を築くこととなります。4世紀、エザナ王の治世に王国は最盛期を迎え、また同時期にコプト派のキリスト教が伝来し、王国はキリスト教国となりました。当時、ゲーズ語と呼ばれる独自の言語が使われ、現在でもエチオピア正教の古い聖書にその文字を見ることができます。エチオピアではメネリク1世がエチオピアに渡る際に、十戒を刻んだ石版を納めた「契約の箱(アーク)」をソロモン王から授かり、このアクスムへと持ち帰ったと伝えられています。現在でもこの契約の箱は「シオンの聖マリア教会」に保管されていると信じられています。

オベリスク:紀元4世紀から5世紀にかけて造られたと考えられるオベリスク(石柱)がアクスムには数多く残っています。このオベリスクの目的ははっきりと分かっていませんが、古代のアクスムの支配者達が亡くなった際の墓石ではないかと考えられています。アクスムで2番目の大きさを誇ったオベリスクは、高さ約25m。1937年イタリアの支配時代にムッソリーニの軍隊によってイタリアに持ち去られてましたが、2005年にアクスムに返還されました。このオベリスクはエザナ王のオベリスクと呼ばれ、現在はアクスムのシンボルとなっています。最大のオベリスクは高さ約33m。建設途中に倒れてしまったと考えられ、立ったままであれば世界最大のオベリスクとなっていました。

シバの女王の宮殿跡:紀元前10世紀、現在のイエメンからエチオピアを支配していたシバの女王の宮殿があったとされる遺跡。建物の遺構は3,250k㎡にも及ぶ広大なもので、後にこの上に、キリスト教徒の王の宮殿が建てられたと考えられています。

シオンの聖マリア教会:4世紀の王エザナか6世紀の王カレブによって建てられたが、 その後17世紀の王ファスィリデスによって立て直されて現在に至る教会。 ファスィリデスはゴンダールの城を建てた人で、ここの教会上部もそういわれるとどことなく ゴンダールの城に似ている。教会内は薄暗く高い天井が印象的。宗教画もあるが、これと言って感動する物ではない。女人禁制。

新シオンの聖マリア教会:元祖マリアム シオン教会は女禁の為、1960年代にハイレセラシェが男女かまわず入れる教会を建てた。教会の形はラス ミカエル(17世紀)の王冠を真似てデザインされており、エチオピアに教会多しと言えども 類を見ないほど広いこの教会内では色鮮やかなステンドガラスが壁を覆い、中央には繊細な彫刻が施された 黄金の箱が存在する。まさに皇帝ハイレセラシェの権力の象徴。修道士が開いて見せてくれる聖書は、1000年前に野菜・植物・卵などをインク代わりに使用しヤギの皮に 絵や文字を書き込んだ物。布で丁寧に覆われているため、1000年前とは思えないほど色も美しく 保存状態が良い。

カレブ王の墓:石造りの階段を降りて行くと幾つかの部屋に分かれており、6世紀アクスムを治めたカレブ王の墓が存在する。 しかし現在では石棺があるのみ。ところが興味深いことに、石棺に刻まれた十字架とは異なる 十字架が壁に2つ彫られてある。これは謎の多いテンプル騎士団(十字軍時代の騎士修道会の1つ。)が 残していった足跡と証言されている。地下墳墓の上には石造りの神殿があったはずだが、今では壊れはてトタン屋根で覆われている始末。 現地の人の話によれば当時500頭のゾウによって巨大な石を運び込んで作ったとか。

途中レストランで昼食

18:00ホテル到達、食事、就寝。

2日8:00ホテルバスで出発、アクスム空港に向かう。
9:55アクスム空港エチオピア航空で出発。
11:25アジス・アベバ到達、着後レストランで昼食。
昼食後市内・郊外観光

考古学博物館:有史以前から現在にいたるまでの歴史、エチオピアに暮らす民族、最後の皇帝ハイレ・セラシエに関する展示が充実した博物館。この博物館の中で最も有名な展示は、1974年に発見され、当時は最古の人類と言われた350万年前のアウストラロピテクス"ルーシー"に関する展示です。全身の約40%にあたる骨がまとまって見つかったという貴重さから、世界的にも広く知られています。当時流行していたビートルズの曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」にちなんで名付けられたといいます。残念ながらこの博物館にある"ルーシー"の骨はオリジナルではありませんが、貴重な資料であることに違いありません。

マルカート:アフリカ最大規模の市場。生鮮食品、日用品、電気製品、様々な中古用品を売る店が所狭しと軒を並べる活気溢れる市場です。地元民の生活の中心となる場所であり、毎日多くの人々で賑わっています。

聖ジョージ教会:1896年,時の皇帝メネリク2世がイタリアとの戦争(アドワ戦争という)に勝利したのを記念して建立。エチオピアの守護聖人であり軍神でもある「聖ジョージ」に捧げられてます。今までに,ラリベラでも「聖ジョージ教会」が登場していますが,目的が同じのためです。各所に存在します。教会の全景、八角形をしていて内部は3重構造、内部は、3重に区分されていて,一番外側が「聖歌」と呼ばれ,聖歌隊が太鼓や鈴や杖で音楽を奏でるところです。

夕食は民族舞踏ショーを鑑賞してエチオピア料理

夕食後アジス・アベバ空港に向かう。

23:30アジス・アベバ空港エチオピア航空で出発。

3日15:15上海空港到達。
19:05上海空港全日空で出発
22:00関西国際空港到達。

今回の旅行、アフリカの東部、東アフリカのエチオピアに足を運び、由緒ある5大都市、エチオピアの首都であり、最大の都市、「新しい花」を意味し、2002年にはアフリカ連合の本部が設置されましたアジス・アベバ、ホワイトナイルとともにナイル川の2大支流といわれる青ナイルの源流タナ湖。エチオピア最大の淡水湖であるタナ湖の湖岸に位置するバハルダール、かつてエチオピア王国の首都であり、市内には3つの王宮群が現存します。標高約2,300mのファシルケビの丘には、約200年間続いたゴンダール王朝時代に建てられた城が残っていますゴンダール、かつてはロハと呼ばれ、ザグウェ王朝の首都が置かれていた、ザグウェ王朝11代の王の中で最も有名なラリベラ王から、その名がつけられましたラリベラ、イスラエルのソロモン王とイエメンのシバの女王の間に生まれたメネリク1世がエチオピアに渡り、現在のアクスムを中心とする国が興りました。その後、紀元前5世紀にアクスム王国が建国され、アクスムはその都として一大栄華を築くこととなりますアクスムを訪れ8日間の文化遺産巡り堪能しました。

特に世界的に有名な岩窟教会、小ぶりではあるが他では見られない岩を削り立派な教会群の建造物に深い歴史が刻まれ圧巻でした。
世界遺産第一号にはふさわしい建造物でした。

日本から観光で訪れる人は少ないエチオピアですが発展途上国でインフラはまだまだですが歴史的に興味深い建造物、史跡が数多く存在し世界で最も歴史あるキリスト教王国と言われる歴史勉強になりました。

尚衛生面ではまだまだの国であり、蚊(マラリアなど)ダニ、南京虫が数多く存在し、その対策が必要ですが、十分な対策をしたにもかかわらず、足を数箇所ダニに噛まれ、後が残っていました。
アフリカ旅行は、十分な感染症、虫対策が不可欠ですね。



 





























飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百三十一弾:中国上海観光  
2014年11月22-24日
  

中国に足を運び、中国の最も大きな都市で、アヘン戦争後の1843年に開港し、急速に発展した街、のどかな漁村だったが列強が次々と租界をつくり、独特の文化が生まれた上海を訪れました。

22日16:25関西国際空港全日空で出発
18:00上海浦東国際空港到達、リニアモーターカー、地下鉄で人民広場駅下車
19:20南京東路に位置するホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

23日7:00徒歩で出発、街を散策する。
南京東路
上海一の繁華街、南京路メインストリート、南京路。外灘の和平飯店角から静安寺の西まで続く全長約5.2Kmの大繁華街。老舗の百貨店や食品店を中心に、近代的なショップが入り交じる活気あふれる繁華街“南京東路”。

新天地
上海新天地は、歴史的風貌を持つ都市観光のスポットであり、飲食、ショッピング、ショーが一体化された娯楽スポットである。 新天地広場は、上海の中心地帯にあり、准海中路の小手院外に隣接している。新天地の石庫門の路地に奥深く入れば、青煉瓦と黒煉瓦造りの建物が軒を並べている。 アーチ型の玄関、戸の枠の横木と家の軒、窓台が優美で当時の情緒を今に伝えている。石庫門の中は別の風景が見られる。もともと締め切った戸が全部開けられ、広々とした空間となっている。 そこには、バーや喫茶店、レストランなどのスペースがある。

豫園周辺
豫園:明代に造られた、400年以上の歴史を持つ古典庭園。園内の庁堂楼閣、築山と流泉は、いずれも明・清時代の中国南部の庭園建築芸術を代表するもの。 上海随一の観光スポットとしても有名で、約2万㎡もの面積の中に40ヵ所余りの見どころを持ち、生き生きとした龍壁、曲がりくねった回廊およびさまざまな形をした花窓によって巧みに隔てられている。建物、緑、池の水面、美しい名石とが見事に調和し、中国の古典的な美の世界が堪能できる。

外灘
“中国の窓”と例えられる上海。その“上海の玄関”と呼ばれているのが、外灘(バンド)。南京条約で上海が開港して以降、外灘は『バンド』と呼ばれ租界の玄関口になった。その後各国の商社、銀行などの建物が立ち並び、「東方のウォール街」と呼ばれるまでに繁栄。1940年代以降に中国が開放された後も、それらの建造物は壊されることなく利用され、今ある景観にいたる。新古典主義、アールデコやネオ・バロックなどの建築様式が融合した独特の建造物は、建築群全体が国の重要文化財に指定されている。外灘の夜景は絶景。夜になるとライトアップされ、その輝きはまるで一つの雄大な交響曲が心の中に響いているかのように感じられる。

浦東
中国の特別開発区でもある浦東は「新しい上海」の象徴的スポット。東方明珠塔がそびえ、リニアモーターカーが走る、まさに近未来都市。東方明珠塔からは、対岸にあるクラシックな街並みの外灘を一望でき、未来から過去を眺めているかのような不思議な感覚を味わえる。今も開発は進行中で、デザインもユニークな高層ビルが次々に建設されており、その景色は日々変化している。東方明珠塔、森ビル、金茂大厦、環球中心と巨大な高層ビルが立ち並び、アジアのビジネスセンターとして更なる発展を続けているエリア。
17:30地下鉄陸家嘴乗車し人民広場駅下車ホテルに戻る、繁華街を散策後食事を済ませて就寝。
24日7:00歩いて出発、散策。

南京西路
上海一の繁華街、南京路メインストリート、南京路。外灘の和平飯店角から静安寺の西まで続く全長約5.2Kmの大繁華街。高級ホテルやショッピングモールを中心に、オシャレなカフェやハイソなレストランが並ぶ“南京西路”。

除家匯・衝山路
「素敵な洋館レストランで食事したい!」「旧フランス租界を散策したい!」「上海の夜を満喫したい!」など、観光地めぐりよりもおいしいものを食べながらのんびり過ごしたいと考えている方は、もう「衡山路」をチェックしているのではないでしょうか。静かな公園や素敵なホテルが点在していて、老舗バーやリノベーション系レストランも多い衡山路は、代表的な繁華街よりも上海らしい雰囲気が味わえます。

淮海路
淮海路は南京路と並ぶ、上海最大の商業地のひとつです。全長6Kmの道のりで、東京の「銀座」、ニューヨークの「5番街」、パリの「シャンゼリゼ通り」、シンガポールの「オーチャード通り」などをモデルにしていると言われています。その特徴は、400余りのデパートや店が建ち並んでいることで、「陝西路」から「西藏路」までの2.2Kmがその中心街です。90年代、淮海路は地下鉄の建設とともに商業地としての改造が進み、“国際都市上海”の名に恥じない商業地になりました。淮海路には中国、ヨーロッパの古典的な様式から、現代風の上品な建物まで立ち並び、外見のよさだけでなく、中身も都市型のレジャーに最適の雰囲気を醸し出しています。巴黎春天、伊勢丹を始め、各デパートには世界水準のブランドが集まっています。

15:30地下鉄打浦橋駅乗車、上海浦東国際空港に向かう。

16:55上海浦東国際空港到達。
19:05上海浦東国際空港全日空で出発
22:00関西国際空港到達。

今回の旅行、中国に足を運び、中国で最大都市上海を訪れ、人民公園から南京東路駅まで結ぶ上海きっての繁華街南京東路、伝統的な江南庭園である豫園を中心とした古き中国を感じさせる豫園周辺、共同租界時代の洋館を改装した、レストランやホテルが人気を集めている外灘、経済発展が著しい上海を象徴するように超高層ビルが林立する浦東、大型デパートやブランド店が並び、洗練された雰囲気が漂う南京西路、かつてはフランスの租界地だった場所で、今もお洒落な洋館が点在する除家匯・衝山路、南京路と並ぶ上海の2大ショッピングストリート、租界時代の建物を生かしたクラシックホテルも多い淮海路、2泊3日でひたすら歩き巡りました。

上海の街は、案内板も明確で、迷うことなく目的地にたどり着くことが出来ました。地下鉄も充実、乗車も簡単で、利用しやすいです。

上海まで関西国際空港から2時間あまりで近い、上海を拠点として蘇州、杭州、南京も近い、便利な大都市上海、これからも何回か訪れ周囲の観光名所を巡りたいと思います。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百七十八弾:ロシア観光
2014年8月8日-15日
  

ヨーロッパともアジアともいえない国、10世紀の建国以来、波乱に満ちた歴史の中で、思想、文学、芸術など様々な面で世界に大きな影響を与え続けてきた、ギリシア正教の継承者、バレエの育て親、ロシア文学発祥の地、そしてマルクス・レーニン主義など種々のストーリーから紡ぎだされる、広大で奥深い魅力のロシアに足を運びました。
ヨーロッパとアジアにまたがる世界最大の国ロシア。首都モスクワや、「北のベニス」と称せられたサンクトペテルブルクには、壮大な歴史と文化が色濃く残っています。モスクワのシンボルである世界遺産「クレムリン」、世界三大美術館「エルミタージュ美術館」、琥珀の間で有名な「エカテリーナ宮殿」など、今にもピョートル大帝とエカテリーナ2世が築いたロマノフ王朝の奇跡に出会えそうです。

8月8日9:30関西国際空港、大韓航空で出発
11:20ソウル到達。。
13:30ソウル大韓航空で出発
17:50モスクワ到達
バスでホテルに向かう。
20:30ホテル到達、就寝。
9日8:30ホテルバスで出発

モスクワ観光:ロシア連邦の迫力ある首都。数々の歴史の舞台となりました。

聖ワシリー寺院:民衆に尊敬され、イワン雷帝にも多大な影響を与えたワシリー修道僧にちなんで名づけられました。中心の高い礼拝堂はキリストを表しているとされており、その周囲にある8つの礼拝堂は配置が不均衡であるにもかかわらず、不思議な調和がとれているのです。

赤の広場:赤の広場の「赤」とは色のことではなく、ロシアの古い言葉で「美しい」という意味です。クレムリン城壁の東側、国立歴史博物館やワシリー寺院に囲まれた、7万3000平方メートルの広場。旧ソ連時代には、メーデーや革命記念祭のパレードなどが行われました。

グム百貨店:グム百貨店、通称「グム」は、 赤の広場を挟んでクレムリンと向かい合って建っています。
オープンは1893年。 建物自体、歴史建造物の一つとして数えられています。 
中は3階まで吹きになっていて、ガラス天井から外の光が入って、とても明るく広々とした雰囲気です。

無名戦士の墓で衛兵交代:アレクサンドロフスキー公園で、無名戦士の墓の前で衛兵の交代式が行われていました。無名戦士の墓は、第二次世界大戦で戦死した兵士たちを弔うために1996年につくられました。

国立歴史博物館:赤の広場に面して建つ、モスクワを代表する博物館。1872年にアレクサンドル2 世の命によって設立され、1883 年にアレクサンドル3 世の戴冠式に合わせて開館した。企画展にも力を入れており、時期によってさまざまな企画展や美術展が開かれている。なお、現在のところ革命以後の歴史についての常設展示はない。

昼食:串焼き(シャシリク (Шашлык) はロシアで人気のあるロシア風バーベキュー、肉の串焼き、焼肉料理、ロースト料理。起源はカフカス地方のケバブが、サハリンを含む旧ソ連各地域・各国など全域に広がったとされる。
共通する特徴は、酢やワイン、オリーブオイルなどを混ぜたものに、ニンニク、タマネギ、黒胡椒、クローブなどの香辛料やハーブ、塩などを調味料として長時間漬け込んだものを用いるところ。)

クレムリン:「城塞」を意味し、ロシアの多くの都市にあるが、その中で最も最大かつ有名なモスクワのクレムリン。
ロシアの政治、軍事の中心として繁栄してきた姿を見ることができます。中でも見どころは、武器庫、ダイヤモンド庫。ロシアの歴史を物語る宝物の数々を展示しています。

武器庫:ロシアの国立博物館で,装飾品の収蔵で知られる。16世紀にモスクワのクレムリン内に創設された武器の製造場兼収蔵庫を前身としている。17世紀にはイコンのアトリエとしても用いられた。18世紀初頭ロシアの首都がペテルブルグに移ってからは,帝室所有の貴重品を収める宝物殿となり,1813年に博物館として発足した。現在ここには武器,防具類のほか,キエフ・ロシア時代の王冠をはじめ,代々のツァーリの玉座や衣服や馬車,金・銀製の食器,金糸と真珠をちりばめた高位聖職者のための僧衣などが数多く収められている。

ウスペンスキー寺院: クレムリンの中心に建つ大聖堂。かつてロシア帝国の国教大聖堂とされ、ロシア皇帝が戴冠式に臨み、モスクワ総主教が葬儀に付された場所である。大聖堂の壁と屋根はイコンとフレスコ画で飾られているが、イコンをここに描き残した僧の数はおよそ1000 人に及ぶ。かつて「ウラジーミルの聖母」もこの大聖堂に保存されていた。

ノボデビッチ修道院:世界遺産に登録され、ロシアを代表するバロック様式であるノヴォデヴィッチ修道院は、1524年にポーランド・リトアニアとの国境紛争の記念として公爵ヴァシーリイ3世によって創立されました。

19:30ホテル到着、就寝。
10日8:00バスで出発、ウラジミールに向かう。

昼食:ロシア風水餃子(ペリメニはロシア風の水餃子と言われています。ですが、もともとはロシア料理ではありません。ウラル地方・モンゴルから伝わった料理と考えられています。その土地を訪れていたロシア人が現地住民のブリヤート族からバンシー(パンの耳)という料理を教わったのが始まりなんですよ。私たちがよく知っている中国の餃子とは違って、ペリメニは具を皮で帽子型に包むのが特徴的と言えるでしょう。)

ウラジミール観光:モスクワの北東に環状に点在する「黄金の環」と呼ばれる古都群。その代表都市であるウラジーミルとスーズダリは、12世紀ロシアで最大の勢力を誇ったウラジーミル・スーズダリ大公国の中心地でした。往時の繁栄を伝えウラジーミルの象徴となっている黄金の門、外壁の精緻な彫刻から「石のカーペット」と称されるドミトリエフスキー聖堂など、8つの白亜の建造物が世界遺産に登録されています。

黄金の門:ロシア連邦西部、ウラジーミル州の都市ウラジーミルにある城門。12世紀半ばに城壁の一部として、アンドレイ=ポゴリュープスキーの命によりキエフの黄金の門を模して建造された。門の上部に礼拝堂があり、現在は13世紀のモンゴル侵略に関する歴史博物館として公開されている。1992年、ウスペンスキー大聖堂やドミトリエフスキー聖堂とともに「ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録。

ドミトリーエフスキー寺院:ウスペンスキー聖堂と並び、中世ウラジーミルを代表する歴史的建築物の1つがドミトリエフスキー聖堂である。2つの聖堂は共にウラジーミル中心部に位置しているのだが、外見がかなり似通っている上にドミトリエフスキーの方が小振りで、観光客には見過ごされがちかもしれない。しかし、この聖堂にも足を運んで見るべきものがあることはもちろんである。

 ドミトリエフスキー聖堂を建設したのは、12世紀後半から13世紀初頭にかけてウラジーミルを支配したフセヴォロド大公である。フセヴォロドはルーシ全土に威を振るい、また多くの子供に恵まれたため大巣公の通り名で知られている。ちなみに、フセヴォロド大巣公はウスペンスキー聖堂を築いたアンドレイ・ボゴリュープスキーの弟で、2人の父が北東ルーシの初代支配者ユーリー・ドルゴルーキーなのである。

ウスペンスキー大聖堂:1158年建立当初から、ロシアのメイン教会となすべく計画され、15世紀までは、ウラジーミルばかりでなくモスクワ大公などの戴冠式まで総てここで執り行われていました。小高い丘に建つ姿は非常に美しく、後に建立されたモスクワのウスペンスキー寺院はこれを真似て建てられたものです。内部壁面にはフレスコ画が描かれ、金の彫刻を施した豪華な額縁に非常にたくさんのイコンが飾られています。

展望台からウラジミールの街並みを望む。

バスでスズダリに向かう。

途中ボクロバ・ナ・ネルリ教会を遠景

ボクロバ・ナ・ネルリ教会:人里離れた河岸の草原にぽつりとたたずむこの教会は、その優雅さから「白鳥」「白衣の花嫁」に例えられている。その姿に魅了されることだろう。この時代特有の白石建築で、ダビデ王やライオンなどの浮き彫りが外壁に施されている。また、駅のすぐ近くにはバガリュープスキー公の宮殿と修道院がある。

スズダリ観光:スズダリはモスクワの北東220kmにあります。歴史に現れるのは1024年、それ以前から人々が住んでいたと言われている古都です。

クレムリン:聖地スズダリの中心的存在クレムリン。11世紀、三方をカメンカ川が囲む地にクレムリンが築かれ、内部の建物は、五つの円屋根に金色の星を散りばめた聖母生誕大聖堂や木造建築の教会など歴史的建造物の世界遺産を堪能できます。

ラジジェストベンスキー聖堂:ラジジェストヴェンスキー聖堂は13世紀に建てられたスーズダリで最も古い建築物です。白石建築の聖堂は浮き彫りが施された教会下部のみが13世紀のもので上部は16世紀に立て直されています。この教会の13世紀の扉は聖書の物語が金メッキで描かれていて入り口近くに展示されていました。

ボクロフスキー修道院:ここは1510年から8年かけて最初は木造で建築されたのだが、その後の改修で白い石造りになった女性修道院。敷地は広く、右端に見える17世紀に出来た鐘楼は、何処のものよりも太目にみえたが、白くて美しい形をしている。

スパソエフィミエフスキー修道院:1352年、カメンカ河畔の高台に建設された修道院。周りを囲む壁の高さは平均8m、長さは1160mにもおよぶそうです。

17:30ホテル到着
19:00夕食
就寝
11日8:30バスで出発、セルギエパサートに向かう。

昼食:キエフ風カツレツ(伝統的なウクライナ料理です。「キエフ」はウクライナ首都のキエフのこと。この料理の一番の特徴はキチンカツの中にハーブやガーリックを混ぜたバターが入っていること。)

セルギエパサート観光:セルギエフ・ポサートはモスクワの北北東70kmに位置し、中部ロシア平原の丘に建つ街です。15世紀の学問と宗教の中心として栄えた街で、地名の由来でもある14世紀の貴族セルギー・ラドネシスキーが、この地に修道の場として小屋と聖堂を建てたのが始まりです。

トロイツェ・セルギエフ大修道院:街の中央には、ロシアのバチカンとも呼ばれる世界遺産「トロイツェ・セルギエフ大修道院」があり、16世紀に建造された城壁に囲まれています。大修道院の中には、1422年建立の「トロイツキー聖堂」、1477年建立の「ドゥホフスカヤ聖堂」、1584年にイワンIII世により建立された「ウスペンスキー聖堂」などがあります。

モスクワに向かう。

夕食:ピロシキ(小麦粉の皮で肉や野菜をつつんだロシア料理の一種。語源的には〈小さなピローグ〉(ピローグはパンのこと)を意味するが,料理品目としてはほとんど独立している。外皮にはイーストを入れて発酵させた練粉を用いるのがふつうで,詰物としては味つけをした牛や豚のひき肉,魚肉,あるいはゆで卵,米,キノコ,キャベツなどが使われる。天火で焼いたものと油で揚げたものの2種類に大別される。家庭における惣菜にも,正式な食事での前菜(ザクースカ)にも使われるが,ロシアの都市では四季を通じて街頭でつくり立てのピロシキが立売りされ,歩きながらほおばる市民の姿が見られる。 )

ロシア芸術鑑賞の夕べ:サーカスを鑑賞する。
23:40モスクワ寝台特急グランドエキスプレスにてサンクトペテルブルクに向かう。
12日8:35サンクトペテルブルク到達
到着後レストランにて朝食

専用バスでサンクトペテルブルク観光:文化・芸術の中心地、眩いばかりのロマノフ皇帝の遺産が残っています。

血の上教会:公式名はハリストス復活大聖堂。「血の上の教会」という名前は、アレクサンドル2世が暗殺された場所に建てられた為、名づけられたそうです。

ネフスキー大通り:西の旧海軍省から東のアレクサンドル ネフスキー修道院まで延びるメインストリート。石造りの重厚な建物が立ち並び、カザン大聖堂、ストロガノフ宮殿などの見どころに加え、西端からは宮殿広場とエルミタージュ美術館まですぐ。ガスチーニィ・ドゥヴォールなどでのショッピングも楽しめる。運河を渡る橋のたもとには、運河巡りの遊覧船の発着場も。作家であるゴーゴリはこの通りを絶賛して『ネフスキー大通り』という作品を書いた。

巡洋艦オーロラ号:ピョートル小屋博物館の近く、ペトログラード川岸通りにグレーの船体をしたオーロラ号が係留されている。日本海海戦にも参加した3本の煙突を持つ6000トンの巡洋艦。1917年10月、革命の始まりを合図するために大砲を放った。現在は博物館として公開されている。

スーパーマーケットで買い物をする。

昼食:つぼ焼き料理(ロシア料理の定番メニューに、スープの入ったカップをパイ皮生地で覆った”つぼ焼き”があります。”グリヴィー”とか”ガルショーク”と呼ばれています。ロシア語でキノコは”グリーブ”。グリヴィーの中にはキノコのクリームシチューが入っています。)

運河クルーズ:水上からサンクトペテルブルクの街並みを眺望する。

聖イサク寺院:街の中心部にある聖イサク広場にそびえ立つドーム型の寺院で、ロシア正教の聖堂の中で、世界で3番目の大きさです。寺院の名称はピョートル1世の守護者とされるビザンチンの修道士イサーキィ・ダルマーツキイに由来します。内装は聖書にモチーフを取った場面や聖人の絵(イコン画)が描かれており、絵画・聖壇に劣らず破風のレリーフなど絢爛豪華な装飾に目を奪われます。

元老院広場(旧デカブリスト広場)青銅の騎士像:1825年、専制政治と農奴制に反対する青年貴族が蜂起した、デカブリストの乱の舞台となった広場。隣接する元老院にちなんでその名がついた。サンクト ペテルブルグでいちばん眺めのよい広場といわれ、ネヴァ川寄りにピョートル大帝の騎馬像(青銅の騎馬像)が立っている。

17:30ホテル到着
夕食
就寝
13日9:30バスで出発

ピョートル大帝夏の宮殿観光:フランスのベルサイユ宮殿をモデルとしたと言われる、ピョートル大帝の宮殿テラスからは、フィランド湾が望めます。庭園は、「上庭園」と「下庭園」とから成り、無数の噴水が、訪れる人の目を楽しませてくれます。夏時期だけご案内できる庭園です。

昼食:ボルシチ(ボルシチはロシアを代表する料理の一つです。ピロシキやビーフストロガノフに並んで世界中に知れ渡っているロシア料理とされています。しかし、ボルシチは正確に言えばロシアではなくウクライナの料理なのです。

ロシアとウクライナは隣接していることもあって、文化を共有している国々なのです。ですので、ここではボルシチはロシア料理の一つとして扱います。ボルシチは、他のスープ料理に比肩するものが無いほどに赤い色合いをしているのが最大の特徴です。

この赤さは、ボルシチには欠かせない甜菜の一種であるテーブルビート(日本ではビーツ)が持つ色素によって染め上げられているのです。

テーブルビートに含まれている色素のうち、赤色のベタシニアンが酸性に近いスープの中で強く発色することで、ボルシチ独特の赤さを生み出しているのです。)

エカテリーナ宮殿観光:エリザヴェータ女帝の命により、18世紀、イタリアの建築家ラストレッリによって建てられた夏の離宮。バロック調の華麗な宮殿は、落ち着きのある青色を基調にした外壁に白い円柱のコントラストが映え、窓には精緻な彫刻が施されている。2003年に復元された琥珀の間も見逃せない。

夕食:フォークロアディナーショウ:ロシア民謡を聴きながら、飲んで食べ、そして、私も踊る。
20:00ホテル到着
就寝

14日8:30ホテルバスで出発

ポクロフスカヤ教会:サンクトペテルブルク郊外にある鉄釘を使わないロシア伝統かつ独特の木造教会建築

昼食:ビーフストロガノフ

エルミタージュ美術館:ロシアのサンクト・ペテルブルグにある国立美術博物館。18世紀に建てられたバロック様式の豪華な大理石宮殿(冬宮)と,増設された三つの離宮と劇場から成るかつての王宮を,1917年の革命後国有化。400余室を展示室,他を付属研究所等に使用している。収蔵品の歴史は,1764年エカチェリナ2世がベルリンの画商ゴツコウスキーから225点の絵画を購入したのに始まる。女帝はこれらを隣接の離宮〈エルミタージュ(フランス語で隠れ家の意)〉に収容した。

宮殿広場

夕食:デザートはブリヌイ(ロシア風パンケーキ)直径13cmから18cm位の薄いクレープやパンケーキに類似するロシアの料理の1つである。

18:30空港に向かう。

21:50サンクトペテルブルク空港大韓航空で出発

15日11:40ソウル到着
15:20ソウル大韓航空で出発
17:05関西国際空港到達。

今回の旅行、世界最大の広い面積を持つロシアに足を運び、西ロシアに位置する2つの主要な町、モスクワとサンクトペテルブルクを訪れ、世界遺産を含めて多くの歴史的建造物を巡り、美術館、博物館、サーカス等芸術をも鑑賞し、又ロシア風の個性的な食事をいただき8日間の旅、満喫しました。
ロシアを訪れて発見したのは主要な町は西ロシアに集中し、中央から東ロシアにかけての広大な地域は人も少なく未開発地域が大半占めていました。広いロシアですが実質活動していているのは西ロシアの
狭い地域だけのように思われます。その点でロシアはヨーロッパの影響を受け、発展した国なのでしょうね。

実は6月中旬、転倒して左足腓骨を骨折し、6週間のギプス固定を強いられ、そのため7週間はどこにも行けず、久々の旅行が今回のロシア観光でした。左足首の筋肉が硬化しており動かしにくく歩くのがぎこちなくスムーズに歩けない状態でしたが8日間のロシア旅行でかなりの距離を歩き、結果的にはいいリハビリになり、最終日にはかなりスムーズに歩くことができました。
リハビリを兼ねたロシア観光でした。

































 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百七十四弾:ギリシア&エーゲ海クルーズ観光
2014年4月29日-5月6日
    

この地で生れた文化が世界に及ぼした影響は計り知れないほど大きく、アルファベットや単語の多くは古代ギリシアから発生し、西洋哲学や歴史学、学問、演劇などの文化、そして民主主義の礎を築き上げた国でもあり、一方で、エーゲ海やイオニア海に浮かぶ島々の存在も忘れてはならない。歴史・文化的に重要な遺跡の数々、そして透き通ったブルーの海に照り付ける太陽、そんな魅力がつまったギリシアに足を運び、首都であり政治・経済・文化の中心地であるアテネ、ピンドス山脈の裾野に広がるテッサリア平原に20-400mに及ぶ奇岩群メテオラ、ギリシア本土の東側、トルコとの間に横たわる、独特の深い青色を持つエーゲ海に点在する島(ミコノス島、パトモス島、サントリー島、クレタ島)を訪れました。

29日23:05関西国際空港カタール航空で出発
305:45(時差?6時間)ドーハ到達
7:30ドーハカタール航空で出発
12:30アテネ到達、バスでマラトンに向かう。

13:45マラトン到達。

マラトン:オリンピックの花「マラソン」はギリシアの古代オリンピックから行われていたのではない。近代オリンピックはフランスのクーベルタンの提案で始められ、1896年にギリシアのアテネで第1回大会が開催された。その第1回近代オリンピックを開催するにあたって、フランスの言語学者のミシェル・ブレアルが紀元前490年にアテネ軍がペルシア軍をマラトン(英語読みではマラソン)の野で破った時の話をもとにして「マラソン競争」をしようと提案したのである。
マラトンの戦いとは、ギリシアを征服しようとしていたペルシア王ダレイオスが、600隻の軍艦でアテネに攻め入りアテネの東北にあったマラトンの野に上陸し、アテネ側は1万人の重装歩兵でこれを迎え撃った。ペルシア軍は、アテネ軍の10倍以上だったといわれているが意外にもアテネ軍の勝利に終わり、ペルシア軍に6千人の戦死者があったのに比べて、アテネ軍の戦死者は200人にも満たなかった。
この勝利を伝えるために、ある男がアテネまで走らされた。この男はアテネに着くと「喜べ、勝った」と怒鳴ったが、疲れのため死んでしまったというのである。これが「マラソン競技」の起源になった事件で、マラトンとアテネ間の距離が今日のマラソンの距離になっているといわれている。
しかし、マラソンの起源には様々な謎がある。第1に、「ペルシア戦争」の歴史を書いたギリシアの有名な歴史家のヘロドトスは、面白い話なら逃さず著書に載せているのに、この話は伝えられていない。第2に、マラソン競技の距離である。1927年に国際陸上競技連盟がマラトン・アテネ間の距離の調査を依頼した時には、36.75キロとだいぶ短かったのである。
実はマラソン競技の距離、42.195キロはマラトン・アテネ間の距離ではなくて、1908年にロンドンで第4回近代オリンピックが開催された時の、ウィンザー城からロンドンのスタジアムまでの距離だったのである。この後この距離が、マラソンの距離と決められたのであるのを訪れる。

14:30マラトンバスで出発
20:10カランバカのホテル到着後夕食を済ませて就寝。
5月1日9:00バスでメティオラに向かう。
9:15メテイオラ到達。

メティオラ:メテオラとは「宙につりあげられた」という意味。ピンドス山脈から流れ出るピニオス川によってカルスト大地が浸食され、20mから高いものでは600mもある不思議な岩の塔ができあがった。その数は60あまり。その奇岩群の頂上に、バルカン半島に侵攻してきた異教徒からの迫害を免れるため、修道院が建てられたのが始まりとされる。
ギリシャ正教の聖地として、代々の国王の保護を受け発展し、15~16世紀の全盛期には24もの修道院が岩の塔の上に建っていた。しかし、18世紀以降衰微し、今日ではメガロ・メテオロンほか4つの修道院に数十人の修道士、修道尼が住んでいるにすぎない。
20世紀になるまで、岩山に登る階段もなかったというから、まさに地上と隔絶された世界だ。
ちなみに修道院とは、イエス・キリストの精神に倣って、修道士が祈りと労働の共同生活を営むための施設。男女別になっており、修道士、修道女は生涯独身を守る。
メテオラは、その文化的価値と、すばらしい自然環境の両方が評価され、1988年に世界遺産の複合遺産(文化、自然の両方の価値がある遺産)として登録されている。

アギオス・ステファノス修道院:ギリシア北西部、テッサリア地方の北端、カランバカ(Kalambaka)郊外の奇岩の山中にある、ギリシア正教の修道院群メテオラ(Meteora)の、現存する6つの修道院のうちの一つ。カランバカは、首都アテネから列車で4時間半ほどの場所にある。カランバカの町から唯一見える修道院である。この修道院がある場所は、比較的早い時期から修道士が活動していた場所だが、創建は1367年で、現在は女子修道院(尼僧院)となっている。主聖堂には聖ハラランボスの聖遺物が安置されているほか、元食堂につくられた展示室にイコン、写本、木彫りの十字架などが展示されている。なお、メテオラは世界遺産(複合遺産)となっているを訪れる。

メガロ・メテオロン修道院:ギリシャ中部、テッサリア地方のメテオラにある修道院。メテオラの中で最も大きく、また重要な修道院として知られる。14世紀に同地出身の修道士アサナシオスにより創設。高さ613メートルの岩山の頂に建てられ、内部には16世紀建造の教会、図書館、食堂(現在は博物館)などがある野を訪れる。

ヴァルラーム修道院:ギリシア北西部、テッサリア地方の北端、カランバカ(Kalambaka)郊外の奇岩の山中にある、ギリシア正教の修道院群メテオラ(Meteora)の、現存する6つの修道院のうちの一つ。大メテオロンの隣にある。14世紀にこの地で活動していた隠修士ヴァルラアムの居所に、ヨアニナ出身のセオファニスとネクタリオス修道士兄弟が現存する修道院を建てた。修道院内部にはフランゴス・カテラノスによるフレスコ画が残っている。同修道院は、現在、橋で道路と結ばれているが、1536年に建造された塔にある巻上機とロープは、現在も物資の運び上げに使われているのを望む。

ルサーヌー修道院:ギリシア北西部、テッサリア地方の北端、カランバカ(Kalambaka)郊外の奇岩の山中にある、ギリシア正教の修道院群メテオラ(Meteora)の、現存する6つの修道院のうちの一つ。垂直に切り立った岩の上に、3層建ての修道院の建物が建っている。1288年にこの地に教会が建てられ、1545年に修道院として改修された。1950年以降は女子修道院となった。建物内には、1560年にクレタ派の画家によって描かれたフレスコ画がある。入り口には橋がかけられ、メテオラの修道院群の中では、カランバカから最も訪れやすい修道院であるのを望む。

アギオス・ニコラス修道院:ギリシャ中部、テッサリア地方のメテオラにある修道院。通称アギオスニコラオス修道院。14世紀に創設。16世紀前半に現在の修道院が建造された。クレタ派の画家テオファネスが描いたフレスコ画があるのを望む

アギア・トリアダ修道院:ギリシア北西部、テッサリア地方の北端、カランバカ(Kalambaka)郊外の奇岩の山中にある、ギリシア正教の修道院群メテオラ(Meteora)の、現存する6つの修道院のうちの一つ。カランバカは、首都アテネから列車で4時間半ほどの場所にある(交通の便はよくない)。カランバカからは、急峻な山地を徒歩で約30分ほどの道程になっている。至聖三者(アギアトリアダ)に捧げられた修道院で、1458~1476年にかけて修道僧ドメティウスにより創建された。◇日本では「至聖三者修道院」とも翻訳されている。四方を断崖絶壁に囲まれた岩山の頂上に建っている。1925年に下から修道院へ登るための階段が設けられるまでは、梯子(はしご)や巻き上げ機が用いられていた。なお、メテオラは世界遺産(複合遺産)となっているを望む

昼食

バスでアテネに向かう。

アテネのホテル到着後夕食を済ませて就寝。

5月2日8:15バスで出発

11:00アテネのピレウス港クルーズ船で出港
18:00ミコノス島到達、散策

「エーゲ海に浮かぶ白い宝石」と呼ばれているミコノス島。
白い家とかわいらしい花々、石畳で続いている町並みは絵本のようにかわいらしく、歩くだけでも十分に楽しめます。 ミコノスタウンの迷路のような町並みを心ゆくまで散策したり、エーゲ海を見渡す美しい白砂のビーチでのんびりしたり、フェリーでデロス島へ遺跡散策に行ったり、ミコノス島はさまざまな過ごし方を提案してくれます。 ホテルは施設・設備が充実しているホテルが多く、快適にご滞在いただけます。
真っ白な建物と色とりどりの扉や窓枠、いたるところに咲き乱れる花々、細い石畳の小道が迷路のように続いているミコノス・タウン。
町を散策するとかわいらしい風車や教会、ボートやヨットが浮かぶ港、ミコノスタウン名物のペリカン・ペドロに出会えます。 路地にはかわいらしいジュエリーショップやお土産屋さん、レストランもたくさんあり、いくら時間があっても足りないほど。 絵本のようにかわいらしいタウン内に入ると迷い込んでしまいますが、それも楽しみのひとつです。 ミコノスタウンからは美しいサンセットを眺めることもできます。

考古学博物館、アノ・ミリの丘の風車、ミコノス・タウンのメインストリート(マトギア二通り、エノプロン・ディナメオン通り、イプロウ通り)、エーゲ海洋博物館、6つの風車、ローマン・カトリック教会、パラポルティア二教会、民族博物館、セント・ニコラス教会を訪れる。
20:30船内到達

23:00ミコノス島出航、船内泊

3日7:00トルコのクダシャスに入港、散策。

クダシャス:エフェソスの古代都市遺跡の玄関口、トルコのエーゲ海岸有数のリゾート地で、エーゲ海クルーズの寄港地として急速に発展。

エフェソス古代遺跡:エフェソス(エフェス)は古代ローマ時代を彷彿とさせる遺跡の町。エーゲ海に接する地の利から、その昔は地中海貿易で栄えました。ローマ遺跡を代表する神殿や劇場、図書館など破壊や修復をくりかえし、現在になるまでその姿を残していますを訪れる。

聖母マリアの家:聖母マリアはキリストの磔刑から4年の後に、聖ヨハネとともにエフェソスを訪れた。そして聖マリアはキリストの死に傷つき、深い悲しみを背負ったままさまよい、やがてオリーブの茂るパナヤカプルの丘にたどり着き、小さな小屋を建て、そこで余生を送ったと言われているのを訪れる。

ギュベルジン島:トルコ語で「鳩の島」の意 トルコ西部、エーゲ海に面する町クシャダスの沖合に浮かぶ島。14世紀にジェノバ人が築いた要塞がある。現在は本土と陸路で結ばれるのを訪れる。

12:00クダシャス出航
16:00パトモス島入港、散策

パトモス島は、エーゲ海南東部に浮かぶ島。ローマ時代は流刑地で紀元94年、聖ヨハネが流刑中に福音書と黙示録を著した。島の高台にある中世の街ホラに城塞のようにそびえ立つ聖ヨハネ修道院は、11世紀にクリストドゥロス修道僧により、聖ヨハネを記念して創建されたもの。
1080年に、東ローマ帝国コムネノス王朝のアレクシオス1世は、正教会のクリストドゥーロスにパトモス島を下賜した。これがきっかけとなり、1088年から丘の上に神学者聖ヨハネ修道院の建造が行われた。
カトリコン(Katholikon, 身廊)、中央教会、資料館、聖マリア礼拝堂などからなる修道院で、周辺を黒みがかった城壁に囲まれている。16世紀になると、創立者クリストドゥーロスの聖遺物を納めたクリストドゥーロス礼拝堂も建てられた。
黙示録の洞窟は、ホーラとスカラ(港)の間の斜面にある、聖ヨハネが啓示を受けたとされる洞窟で、彼が啓示を受けたとされる場所や神の声が下ったときに割れたとされる岩などが残っている。

聖ヨハネが暮らした洞窟、聖ヨハネス修道院を訪れる。

21:00パトモス島出航、船内泊

4日7:00クレタ島到達、散策

ギリシャ共和国南方の地中海に浮かぶ同国最大の島。古代ミノア文明が栄えた土地で、クノッソス宮殿をはじめとする多くの遺跡を持つ。また、温暖な気候や自然景観から地中海の代表的な観光地でもある。クレタ島は島全体で、ギリシャ共和国の広域自治体であるペリフェリア(地方)を構成する。首府はイラクリオ(イラクリオン)。

クノッソス宮殿跡:クノッソス (Κνωσ??、Knossos、Knossus、Cnossus、Gnossus)はギリシャのクレタ島にある青銅時代最大の遺跡。ミノア文明下で、儀式や政治の中心であったと考えられている。100平方メートル以上もある、後のミケーネ文明のものを遥かに凌ぐ規模を持つこの宮殿の最大の特徴は何よりも中央広場で、この広場とそれを囲むようにして重要な施設が配置されている宮殿の構造は、高度な官僚機構と強い王権の存在を示している。また、巨大な倉庫を備えていたのも重要な点で、ここから宮殿が支配領域内の物資を集積して再分配する機能を持っていたと考えられているのを訪れる。
紀元前1200年頃からギリシャ本土のミケーネ文明による侵略を受けて急激に衰退したが、致命的な破壊をもたらしたのはその後のサントリーニ島の噴火であるとも考えられている。
1900年にイギリスの考古学者サー・アーサー・エヴァンズによって発掘された。このとき、宮殿の遺構と共に線文字Aと線文字Bの両方を記した粘土板が出土した。クノッソス宮殿から出土した物は、大部分がイラクリオン市内にある考古学博物館に保存されていて、実際に発掘された場所には、複製品がある。
クノッソス宮殿は、ミノタウロス伝説でも知られている。実際、この入り組んだ構造をもつ宮殿の壁という壁にはラブリュスと呼ばれる双頭斧が彫刻されており、まさしくラビリンスの語源に相応しいと言える。

エテルテリアス広場、考古学博物館、モロシニの噴水、ペ二ゼル広場、エル・グレコ公園、聖マルコ大会堂
、聖ミナス教会、クレタ歴史博物館、ヴェネチア時代の要塞を散策し訪れる。

11:30クレタ島出航

16:30サントリー二島寄港、散策

サントリーニ島について

紺碧の海から垂直に切り立つ赤茶けた断崖絶壁。その頂上に白い建物が折り重なり、遠目には雪が積もっているように見える。南エーゲ海に浮ぶサントリーニ島は、世界有数の絶景ポイントがそこかしこに点在する奇跡の島だ。島の中央が火山の噴火で吹き飛び、外縁部分が大きなリングのように青い海を取り囲む。「大きなリングのような」と記述したが、それはイメージしやすいようにやや誇張した表現で、実際は完全なリング状ではない。「リング」の右半分は原型をとどめているが、左半分は切れ切れに繋がっている状態。「サントリーニ島」とは、噴火で残った外輪山の残骸からなるいくつかの島の総称。一般的に「サントリーニ島」と呼ばれている三日月型をした右半分の島は、正式には「ティラ」という名称だ。
サントリーニ島の歴史は古く、海中に沈んだ幻のアトランティス大陸の一部ではないか、という説を唱える人もいる。紀元前3000年頃にはキクラデス文明が栄え、島の南端付近にある古代遺跡アクロティリは、エーゲ海で最も保存状態が良い先史時代の遺跡とされる。

島の中心集落は、カルデラ東側中央の断崖上に位置するフィラ。フィラの北にはフィロステファニ(Φηροστεφ?νι、行政上はフィラの一部だが、しばしばフィラと区別して考えられる)、フィロステファニの北にはイメロヴィグリ(Ημεροβ?γλι)の集落があり、カルデラに面した奇観で知られている。カルデラ北側にはイア(Ο?α)の集落がある。人口約760人のイアは、島北部のイア地区(旧イア村)の中心集落で、「ブルードーム」と通称される教会や風車で知られる。
カルデラ側とは反対側、島の東南部には、ビーチリゾートとして知られるカマリやペリサ(Περ?σσα)の集落があり、カマリの北方の平野に空港が設けられている。島の南部にはエンボリオの集落が広がっている。島の西南部にはアクロティリ(Ακρωτ?ρι)の集落がある。

イア村:サントリーニ島の西端、イアという村は、細い道沿いに高台から海と火山を直に見下ろせるベランダが魅力の、カフェやレストランが並びます。階段を上り下りしてロマンチックな雰囲気いっぱいの村を散策すると、お土産ものやサントリーニ島の景色を描いた絵画のギャラリー、そして、貴金属を扱ったアクセサリーの店がたくさん並びますイア村を訪れ散策する。

21:00サントリー二島出航、船内泊
5日6:00アテネピレウス港下船、バスでアテネ観光

世界遺産アクロポリスの丘:ギリシア古代遺跡のハイライトといえば、アテネのアクロポリスだ。アクロポリスとは「高い丘の上の都市」という意味で、古代には神殿が建てられた聖域、さらにポリス(都市国家)防衛の要塞として二重の役割を果たしていた。
現代から2500年以上も前の古代へ、そして古代から現代へとタイムスリップできる不思議な都市アテネ。それを体験するには、ゆっくりと街並みを見ながらアクロポリスに入っていくのがいい。特に、オモニア広場から現代のアゴラである中央市場のあるアティナス通りを進み、古代アゴラを抜けて行くルートが楽しい。

パルテノン神殿:古代ギリシア時代にアテナイのアクロポリスの上に建設された、アテナイの守護神であるギリシア神話の女神アテーナーを祀る神殿(en)。紀元前447年に建設が始まり、紀元前438年に完工、装飾等は紀元前431年まで行われた。パルテノン神殿はギリシア古代(en)建築を現代に伝える最も重要な、ドーリア式建造物の最高峰と見なされる。装飾彫刻もギリシア美術の傑作である。この神殿は古代ギリシアそして民主政アテナイ(en)の象徴であり、世界的な文化遺産として世界遺産に認定されているを訪れる。

イロド・アティコス音楽堂 Odeon of Herodes Atticus:今も古典劇などが上演される音楽堂を訪れる。アッティカの大富豪イロド・アティコスがアテネ市に寄贈したもので、161年に建築された。6000ほどある観客席は最近修復されたもので、夏の間さまざまな演劇、コンサート、オペラ、ギリシア古典劇などが上演されている。

ディオニソス劇場 Theatre of Dionysos:ギリシア最古の劇場、酒と演劇の神ディオニソスの聖域に造られたギリシア最古の劇場で、毎年ここで“ディオニソス祭”が行われていた。1万5000人の観客を収容できる大きな劇場で、最前列は貴賓席になっていたといわれている。ローマ期に大改築されたので、古典期の姿はあまりとどめていないが、今でも背もたれのある大理石の席が現存。そして半円形の舞台後方には、ディオニソスの一生をテーマにした見事な彫刻像とレリーフが残っている。

アドリアノス門:アマリアス大通りの南の終点にある。空港からのバスでアテネに入ると、ゼウス神殿とともに最初に目に入る遺跡。ローマ時代、2世紀に建てられた門だ。高さ約18m、幅13.5m。遠くからでもよく見える。まるで現代アテネの中心地シンタグマ広場の前門のように、どっしりとした姿で建っているのを訪れる。

ゼウス神殿:アドリアノス門のすぐ南にある、ゼウス神の聖域にある神殿跡。かつての神殿は、計104本ものコリント式の柱が並び、それは美しく、威厳ある姿であったという。現在ではそのうち15本しか残っていない。この神殿は2世紀に、ローマ皇帝アドリアノスの時代に完成した。実はそれ以前、最初は紀元前515年にアテネの僭主ペイシストラトスが着工したが、彼の失脚と同時に工事も中断されてしまった。そして紀元前2世紀、再び工事が始められたのだが、このときも工事推進者の死とともに神殿工事も挫折してしまったという経緯があるのを訪れる。

第一回オリンピックスタジアム:第1回・近代オリンピック会場、この会場は、パナティナイコ・スタジアムと呼ばれています。1896年、この競技場で第1回近代オリンピックが開かれたのです。この競技場は、紀元前331年、2337年も前の大昔に作られたそうで、ギリシャの歴史には驚くほかありません。
その頃は観客席はなく、見物人は皆、土手の斜面に立ったまま競技を見ていたそうです。2300年以上も大昔の事が語りつがれているのです。現在の競技場は、第1回近代オリンピックが開かれる前の年に、エジプトのアレキサンドリアの富豪の援助を受けて、古代の競技場に近い形に復元されたものだそうです。スタジアムの前の広場には、富豪の胸像がありました。大理石で作られた座席数、約5万・・・トラックは馬の蹄の形をしていて、大昔のものを復元したものなのでしょうを訪れる。
2004年8月に、アテネ・オリンピックが開催されたのは、記憶に新しいところですが、マラソン競技のゴール地点となったのは、このパナティナイコ・スタジアムです。

国立考古学博物館
クレタ島を除く、ギリシア各地にある遺跡からの出土品のほとんどは、ここ国立考古学博物館に収められている。ギリシア各地へ旅立つ前に、もしくは各地の遺跡を見て回ったあとに、ぜひ立ち寄ってもらいたいところだ。世界でもこれほど充実した考古学博物館は数少ないので、できるだけじっくり見ようを訪れる。

アテネ空港に向かう。

19:15アテネ空港カタール航空で出発
23:45ドーハ到達
6日1:35ドーハ空港カタール航空で出発
17:25関西国際空港到達。

今回の旅行、東ヨーロッパに位置する、世界に及ぼした計り知れない文化を築き上げたギリシアに足を運び、
ギリシアの首都、古代遺跡と近代建物が混在する都市アテネ、ギリシア中部に位置し奇岩群の頂に聳え立つ修道院群が点在するメテオラ、神話や伝説、古代遺跡が残り、独自の生活文化も見られるエーゲ海に点在する島(ミコノス島・パトモス島・クレタ島・サントリーニ島)、トルコのエフェソスの古代都市遺跡の玄関口クダシャスを訪れ8日間の旅行楽しめました。

日本の島はほとんど訪れましたが、エーゲ海の島々、個性的でハイカラ、遺跡も多く、散策観光にはいくら時間があっても足りないぐらい中身が濃いですね。エーゲ海に数千もある島、数年間住み着いてできるだけ訪れてみたい夢を叶いたいですね。

今回の島以外にも多くの楽しめる島がありそうです。次回期待したいですね。
歴史探究とリゾートバカンス、ギリシアの古代遺跡とエーゲ海のクルーズ観光でした。


































飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百五十九弾:マカオ&香港観光
2014年1月11-13日
 

中華人民共和国の南東に位置する特別行政区である16世紀にポルトガル人が初めて上陸して以来、東洋と西洋の文化が共存してきた街並みが2005年に世界遺産に登録され、1999年ポルトガルから中国に返還されたマカオ、19世紀半ば頃までは清王朝が支配していたが対外戦争での相次ぐ敗北によってイギリスの統治下に移り、20世紀には貿易港として急速に経済発展を遂げ、1997年には中華人民共和国に返還された香港を訪れました。

1月11日18:25関西空港キャセイパシフィック航空で出発
21:45香港空港到達、エアポートエクスプレスで青衣駅到達、タクシでホテルに向かう。ホテル到着後就寝。
12日7:00出発、タクシーで青衣駅に向かう。
青衣駅MTRで出発、香港駅到達、歩いてマカオフェリー乗り場に向かう。

8:15香港上環フェリーターミナル高速艇で出発
9:05マカオフェリーターミナル到達、時計回りでマカオ半島を散策する。

フィッシャーマンズワーフ、マカオのカジノ王、スタンレー・ホーが20億香港ドルを出資をして作られました。総面積111,500平方メートルの敷地にショップ、レストラン、ホテル、コンベンション&エキシビション施設などが入る総合娯楽施設です。大きなゲームセンターもあるので、マカオを訪れる子供連れのファミリーにとっては名所です。

2010年1月に新口岸のウォーターフロントにオープンした科学館。体験型で科学や環境エコが学べる施設となっています。入り口はいって一番最初は中国の有人宇宙飛行ミッション、神舟7号の模型ですマカオ科学館を訪れる。

マカオ半島のウォーターフロントにある、高さ20メートル、重さ50トンのブロンズ製の観音像です。3000万パタカを投資し、1999年3月に落成しました。観音像の土台は蓮の花を模したドーム型の建物で、内部は仏教文化センターになっています。仏像や仏教関連の展示物があるほか、観音像のミニチュアなどの記念品も売ってます観音像を訪れる。

高さ338m。東京タワー(333m)よりも高く、マカオ半島の南岸にそびえるこのタワーは、2001年の完成以来、21世紀マカオのシンポルとして親しまれている。変貌激しい街を一望にできる展望台やレストラン&バーも充実。さらにギネスに認定されている233mから行うバンジージャンプなど、スリルあふれるアトラクションも人気のマカオタワーを訪れる。

媽閣廟があるバラ岬は、ポルトガル人が最初に植民を行った場所と信じられていて、「媽閣」の広東語読みがマカオの名前の由来になったとされています。阿媽は海の女神で、台湾や中国南方で信仰されている神様です。媽閣廟にある4つある廟のうち、3つに阿媽が祀られています。毎年、旧暦3月23日に阿媽の誕生日を祝う祭りが行われます媽閣廟を訪れる。

イタリア人の建築家、カッスートによって設計され、1874年に落成しました。元はマカオの警察部隊を補強するためにインドのゴアから派遣されたムーア人兵士の宿舎でした。現在は港務局のオフィスビルとして使われています。建物の三方面は回廊に囲まれ、風通しがよく、湿気や雨の多いマカオの気候に向いた設計となっています港務局ビルを訪れる。

1622年にペンニャの丘にオーガスティン派の修道士によって建てられたこの教会は、船乗りの守護者であるペンニャ・デ・フランサに捧げたものです。1620年にオランダ人と海で戦ったポルトガル人が無傷であったことから、この教会を建立しました。教会のファザードの上部にフランサ像がたっており、前庭にあるのはルルドの聖母像です。教会の正面にはマカオタワーやマカオ市内の街並みが見渡せますペンニャ教会を訪れる。

リラウとはポルトガル語で山からでた湧き水のことです。昔、ここはマカオの貴重な水源のひとつで、ポルトガル人が早くから居住していた地区でした。当時の民謡に「リラウの水を飲んだ者はマカオを決して忘れない。マカオで家を持ち、マカオに帰るだろう」という歌があり、ここから湧き出る水はそれほどポルトガル人によって貴重でした。現在ではこの井戸はマカオ政府によって、ふさがれていますリウラ広場を訪れる。

中国近代の思想家、鄭觀應の故居で1811年に建てられました。西洋の建築手法を取り入れた、初期のマカオの中国建築といわれています。敷地面積は4000平方メートルもあり、多い時で300名ほどが住んでいました。2002年からの修復で、長い間、公開されていませんでしたが、2010年2月に修復を終え、一般公開されるようになりました鄭家屋敷を訪れる

1558年から1560年に間に建立された、マカオ三大古堂のひとつ。昔、この教会から海が見え、帆船時代は風の善し悪しが航海の安全につながったので、ポルトガル人はここからよい風が吹くようにと祈っていました。それで、この教会は「風順堂」と呼ばれるようになりました。教会内部には聖ローレンスと聖母伝説のステンドグラスもあります。庭にはかつて共同墓地があり、「1627」「1811」と刻まれた十字形の墓碑も残されていますローレンス教会を訪れる。

1746年から1758年にかけてイエズス会によって建築された教会。イエズス会の修道士が追放された後、ラザロ派の聖職者たちに引き継がれ、1800年には「レアル・セミナリオ」と呼ばれるようになりました。ドーム型の美しい天井には、「IHS」というイエズス会のシンボルが書かれ、フランシスコ・ザビエルの上腕部の遺骨も祀られています。地元の人は「三巴仔」と呼んでいます聖ヨセフ修道院及び聖堂を訪れる。

1586年にスペインから来たオーガスティン派の修道士たちによって創建された修道院がもとで、現在の建物は1874年に再建されたものです。何度か修復された時に、資金がなくなったためにワラを使ったことがあり、ワラが龍の髭に見えたことから、地元の中国人が「龍の髭寺院」と呼ばれたこともありました。主祭壇にある十字架を担いだキリスト像は、毎年四旬節の最初の日曜日に「キリスト受難行列」の儀式の中で、いったんカテドラルに運ばれた後、翌日にこの教会に戻されます聖オーガスティン教会を訪れる。

マカオ街歩きのランドマークであるセナド広場の真向かいに建物で、現在はマカオの地方自治局があります。最初の建物は1584年に完成したとされており、その後、何度か改築されたが、マカオの市政はずっとここで管理されてます。中庭へ行く途中の壁にはポルトガルの青いタイル(アズレージョ)が美しく飾られていて、中庭にはポルトガルの詩人ルイス・カモンエス、作家ジョアン・デ・デウスの胸像、ポルトガルの大航海時代を彷彿とさせる天球儀を表した石像などが見られます民政総署ビルを訪れる。

セナド広場(議事亭前地)はポルトガル統治時代の名残を色濃く残す美しい石畳や建物に囲まれ、周囲にはマカオのシンボル聖ポール天主堂跡や旧マカオ市政庁、仁慈堂など数々の観光名所が点在し、マカオ観光の拠点でもあります。

セナド広場の一角に建つ、白が美しい新古典主義様式の建物。現在は公証役場として使われていますが、もともとは1569年にカルネイロ司教によって設立された仁慈堂の施設です。仁慈堂とはポルトガルのレオノール女王が1498年に本国で創設した慈善福祉団体。建物向かって右側にある入口から階段をあがったところにある博物館には、カトリックゆかりの宗教画、陶器などの展示品があります。博物館の奥のテラスからはセナド広場の景観を見ることができます仁慈堂大楼を訪れる。

1792年に建てられた関帝を祀る廟。関帝は三国志の英雄で、マカオでは加護と安定をもたらすとして多くの人が家庭や職場、そしてカジノでも関帝を祀っています。この廟はかつての「三街会館」で、付近にある營地大街、関前正街、草推街の商店会の役割を果たしていました。1912年にマカオ中華総商会という団体ができてからは三街会館としての役割は終わりました三街会館(関帝廟)を訪れる。

セナド広場を奥に入り、突き当たり左に現れる教会です。1587年にメキシコのドミニコ会の修道士によって創建されました。かつては木造だったので「板樟堂(板造り堂)」と呼ばれました。バロック式の祭壇には聖母子像が祀られており、毎年5月13日に行われるファティマの巡礼では、午後6時にここから聖母像がペンニャ教会まで運ばれます。教会奥の鐘楼には約300点の宗教品が展示される美術館になっています聖ドミニコ教会を訪れる。

中国広東省出身の商人だった、盧華紹の1889年に建てられた邸宅です。盧華紹は18世紀半ばにマカオに移り住み、銀行業などで財を築きあげました。建物はレンガ使いの2階建てで伝統的な中国式の住居ですが、西洋様式や風水設計も取り入れた芸術性の高いものになっています。定期的に中国の民間工芸のワークショップも開催されています盧家屋敷を訪れる。

1622年に建てられた大聖堂で、聖母マリア誕生に捧げられ、マカオのカトリック教会の中心的役割を担っています。昔は周りに高層ビルがなかったため、それから海を眺めることができたので、船乗りの妻たちはこの教会で夫が帰ってくるのを見ていました。そのため「望人寺(人待ち寺)」とも呼ばれていました。「キリスト受難行列」の儀式もここで行われますカテドラルを訪れる。

海抜52メートルの丘の上に、1617年から1626年の間にイエズス会の修道士によって築かれた要塞。敷地面積は8000平方メートルで、四方を防壁が囲んでいますが、中国に近い北側の部分は、中国人の要求によって低く改造されました。1965年から1995年の間には、ここに気象庁の建物がおかれましたが、その後、1998年にマカオ博物館が完成しましたモンテの砦を訪れる。

聖ポール教会はイエズス会によって1602年に創建された教会で、すぐ横にはアジア初の大学になった聖ポール大学がありました。1835年の火事で教会の前壁と68段の階段だけが残されました。ファザードの彫刻は見事で、「石の説教」と言われるほどに宗教的な意味が彫られています。ファザードの下から2段目のキリスト教の4名の聖人像にはフランシスコ・ザビエルを見ることができます。裏手地下にある天主教芸術博物館には宗教美術品が展示されています聖ポール天主堂跡を訪れる。

ナーチャ廟は聖ポール天主堂跡のすぐ横にある、1888年創建の小さなお寺。ナーチャとは暴れん坊の男の子で、孫悟空にも登場します。武芸の達人で、疫病退治の神様として有名です。ナーチャ廟に隣接して、同じく世界遺産に認定された旧城壁があります。この壁は17世紀初期にポルトガル人が外敵を防ぐために築いたもの。材料はシュナンボーという、土砂、わら、牡蠣の貝殻を混ぜたもので出来ています。

元になった小さな礼拝堂は16世紀に建てられたものですが、最初に石造りの建築が作られたのは1638年のことで、庭に「1638」と記された十字架が残っています。教会は何度か火事にあっていますが、現在の建物は1930年に完成したものです。内部は白い壁にクリーム色の天井が落ち着いた雰囲気を醸し出しています聖アントニオ教会を訪れる。

なだらかな小高い丘全体が公園になっていて、イギリスから招聘した庭師たちが植えたという、中国、マラッカ、ジャワ、マニラ、インド産の植物が生い茂っています。巨大な岩でできた祠の中に、ポルトガルの詩人、ルイス・カモンエスの胸像が安置されています。カモンエスは1557年から1559年にかけてマカオに滞在し、その間に「ウズ・ルジアダス」という叙事詩の一部を書きましたルイス・カモンエス公園を訪れる。

1770年代に建てられた、ルイス・カモンエス公園とプロテスタント墓地の間にある庭園と洋館。もとは地元の富豪であったマヌエル・ペレイラの別荘でした。のちに東インド会社がここを借入れ、スタッフを駐在させていました。その後はマカオ政府の財産になり、現在では東方基金会という財団のマカオ本部として使用されていますカーサ庭園を訪れる。

1821年に作られた、マカオで初めてのプロテスタント墓地です。マカオ在住のイギリス人画家、ジョージ・シナリーやマカオに来た初めての宣教師であるロバート・モリソンのお墓があります。モリソンは聖書の中国語訳を作ったことでも有名です。墓地の入口にはモリソンに敬意を表して名付けられたモリソン礼拝堂があり、そのステンドグラスには中国語で「太初有道(初めに世界ありき)」と書かれてありますプロテスタント墓地を訪れる。

1627年に完成した中国寺院。入ってすぐの伽藍には四大天王の石像があり、奥に進むと6つの仏殿が構えています。大雄宝殿には三宝佛、観音殿には觀音菩薩、韋駄天、十八羅漢など。地蔵殿には地蔵王、閻魔様など。武帝殿には関帝、馬大将などが祀られています。寺の奥の庭には、1844年、清国とアメリカとの間の通商条約が交わされたという石のテーブルがあります観音堂を訪れる。

1911年に中華民国をうちたてた孫文は、辛亥革命以前、マカオの鏡湖医院で西洋式の眼科医として働いていました。この記念館は厳密にいうと孫文が住んでいた家ではありませんが、彼の息子が1918年に建てたもので、現在では孫文の写真や家具などの遺品を展示しています。建築様式はムーア式とアールデコ調の混合となっています孫文記念館を訪れる。

1622年から1638年にかけてポルトガル人によって築かれた、マカオ半島で一番高い場所(海抜91メートル)にある要塞。ここには、1622年に建てられたとされる、聖母マリアを祀るギア教会があります。かつてポルトガルの船がマカオの近くで台風に遭遇したとき、丘の上から数本の光線がでて、進路を導いてくれました。それで船乗りたちは自分達を助けてくれたのは聖母マリアのご加護だとして、その丘の上に礼拝堂を建てた、という逸話があります。また、1865年には灯台も建てられ、台風の警告シグナルもここに掲げられますギア要塞、ギア灯台、ギア教会を訪れる。

マカオグランプリ歴代の優勝マシンの博物館、ポルトワインの試飲。マカオの文化を知るのにうってつけの博物館、「グランプリ博物館(大賽車博物館)」と「ワイン博物館(葡萄酒博物館)」です。2つは隣接していて、両方の博物館を見ることができる。

18:30マカオフェリータミナル高速艇で出発
19:25香港上環フェリーターミナル到達、歩いて香港駅に向かう。香港駅MTRで出発、青衣駅到達。タクシーでホテルに向かう。就寝。
13日7:30ホテルをタクシーで出発、青衣駅到達、MTRで東涌駅に向かう。
8:10東涌駅到達、バスで寶蓮寺に向かう。
9:05寶蓮寺到達、散策する。

1924年に完成した寶蓮寺は、規模の大きさから歴史が浅いにも関わらず、「南天仏国」と呼ばれ、香港四大禅林の中で一番有名な寺とされています。元中国仏教会会長の趙樸初氏からも称賛され、「一佛四菩薩」の5番目の大名山とも言われました。寶蓮寺の前には広場があり、その中に北京天壇圜丘をモチーフにした三層円形の祭壇があります。これはちょうど向かいにある天壇大仏と一直線に見え見事に調和しています。
お寺の前には4本の石柱でできた牌坊が立ち、ここを通り過ぎると入り口につながる道が見えます。左右には緑がいっぱいで穏やかな雰囲気が漂い、まるで聖地を訪れているような平和な気持ちになります。寶蓮寺の左前には数十メートルの小さな山があり、木魚の形をしているため、「木魚峰」と呼ばれているそうです。

スペースシャトルからでもよく見える地球上の建築物といえば、万里長城。飛行機で香港上空からよく見えるものといえば、ランタオ島中西部、標高520メートルにある昂坪高原、木魚峰の上に鎮座する天壇大仏!?奈良東大寺の慮遮那仏と鎌倉長谷高徳院の阿弥陀仏も有名ですが、天壇大仏は世界最大だそうです。

寶蓮寺を過ぎ、山道を進み、およそ20分ほどで目指す心経簡林が見えてきます。般若心経が彫られた柱が見えてくると、なんともその神秘的な外観に心の中の重いものが何かにすーっと引き出され、無の境地になったような感覚がしました。少しずつ階段を上り、一つ一つの般若心経を読んでいると、すごく尊い教えがそこにはあり、頭の中がすっきりとするような気分にもなりました。全部で38本の木の柱が並んでいてそれぞれに般若心経が彫られています。その柱を、「空」を意味する八の字に並べているのには風水上の理由からと言われていますが、まさに気の流れにより、心の中の悪いものが外へと出ていき、新しいパワーをもたらされたような感覚です。

11:30寶蓮寺ロープウエイ昂坪360で下山する。

昂坪360は全長5.7キロ、終点の昂坪駅まで約20~25分の空の旅です。車両はヨーロッパアルプスのケーブルカーと同じタイプを使い、全部で112車両あります。1時間に最大3,500人を乗せることができるそうですよ。スタートから終点の昂坪駅の間に8つの鉄塔があり、そのうち5本は公園の中にあります。鉄塔と鉄塔の距離が比較的長いため、大型のケーブルカーを使用することができるそうです。ケーブルカーの内部に座席は10席あり、車椅子用のスペースも用意されています。案内によると一つのケーブルカーの定員は17人。エアコンはありませんが、窓の上部を開けることができるため、運行中は外から強風が入ってきて、夏でも寒いくらいです。

12:05東涌駅到達、MTRで青衣駅経由してエアポートエクスプレス香港空港に向かう。
13:30香港空港到達、昼食を済ませて
16:35香港空港キャセイパシフィック航空で出発
21:00関西空港到達。

今回の旅行、一般的にはカジノで有名なマカオ、今回は2回目の訪れでカジノとは縁の遠い、ポルトガル文化と中国文化が融合したマカオ半島に位置する世界遺産に指定された歴史市街地区を時計回りで歩いて訪れました。一方急速に進化している大都市香港、3回目の訪れで今回は郊外のランタオ島に足を運び全長5.7キロの昂坪360ロープウエイで高台に上り巨大仏、寶蓮寺の大雄宝殿、パワースポットの心経間林を訪れ癒されました。

次回は香港の郊外の観光地、マカオの南に位置するタイパ、コタイ、コロアン島を訪れたいと思います。

 


























飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百五十八弾:中近東ヨルダン・イスラエル・パレスチナ自治区・ドバイ観光
2013年12月28日ー2014年1月4日

中近東に足を運び 、アラビア半島北西部にある立憲君主国。国土の大部分が砂漠。西はイスラエルと国境を接し,南端部はアカバ湾に臨む。一六世紀以来オスマン帝国に支配されていたが,第一次大戦後イギリスの委任統治領となり1946年独立。リン鉱石を産する。住民はアラブ人で,イスラム教徒。首都アンマン。面積8万9千平方キロメートル。人口570万のエルダン、地中海に面し、その魅力は多彩だ。聖書の舞台となった土地として、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれが聖地としているエルサレムがある。また、最近人気の死海エステ、ダイナミックな地球の息吹が感じられるネゲヴ砂漠、サンゴと熱帯魚が揺らぐ紅海、地中海沿岸のローマ遺跡、北部に広がる豊かな自然など、面積は四国ほどの小さな国ながら、たくさんの見どころが詰まっているイスラエル、イスラエルに住んでいるパレスチナ・アラブ人が、独立をして自分達の国家を作りたいという考えに基づいて、とりあえず作ることができた国家内の国家、つまり自治権のパレスチナ自治区、アラビア半島の最大の商業都市であり石油資源に乏しく、早くからリゾート開発や、外資系資本の誘致に力を注いでいた。冬はヨーロッパからの避寒地としても有名。その目覚しい繁栄ぶりと、戒律の厳しいイスラム教国の中ではめずらしく開放的な雰囲気を持ち合わせているため、「中東の香港」などと呼ばれたりもするドバイを訪れました。


12月28日23:40関西国際空港エミレーツ航空で出発
12月29日5:45(時差-5時間)ドバイ空港到達
7:55ドバイ空港エミレーツ航空で出発
9:35(時差-7時間)アンマン・クイーンアリア空港到達、バスでペトラ方面に向かう。
途中レストランで昼食
14:00リトルペトラ到着、リトルペトラを散策する。

シーク・アル・バリド、通称リトルぺトラは車でわずか10分離れたペトラの北に位置しています。ミニチュアシークの中に古典的な寺院があり、古代のキャラバンのルートだったワディアラバ砂漠とガザ、そしてエジプトと地中海沿岸を結ぶ点にあるペトラの街の重要な拠点となっていました。リトルペトラの中にある350m ほどの道なりに、墓や寺院、トリクリウム、水路や貯水槽が現在残っている。特に注目すべきなのは紀元1世紀に壁に描かれたフレスコ画の跡です。

16:30ペトラ市内のホテル到着
19:00ホテルのレストランで食事を済ませて就寝。

30日8:30バスで出発、ペトラ遺跡に向かう。

8:45ペトラ遺跡到達、散策。

ペトラ遺跡は19世紀前半、スイス人イスラム学者によって発見されたものだが、たいへん謎の多い遺跡である。まず、この遺跡を築いたナバタイ人というものがよくわからないらしい。もともとは砂漠の遊牧民であったが、交易の要衝をおさえ、隊商の保護を保証する代わりに税を徴収して財政をまかなうようになったと考えられているようだ。このナバタイ人の国の首都であったのがペトラで、1世紀から3世紀くらいまで商業や交通の要地として、また神聖な場所として栄えたらしい。カズネ・ファルウン(ファラオの宝物庫)やエッディル(修道院)などをはじめ、ペトラの建造物は基本的には岩を掘ったり削ったりしたものであり、何の目的で作られたかもはっきりしないものが多い。

古代世界の 8 番目の不思議とも称されるこのペトラ遺跡は、ヨルダンが世界に誇る貴重な宝であり、観光の最大の目玉となっています。 2000 年以上前にこの地に定住した勤勉なアラブ人の一族ナバテア人は、切り立つ岩壁を削り、他に類を見ない大都市を建立しました。こうして誕生したペトラは、中国、インド、アラビア南部とエジプト、シリア、ギリシャ、ローマを結ぶ、絹や香辛料などの交易都市に発展しました。

都市にはシークを通って入ります。シクは、両側に高さ 80 m の絶壁がそびえ立つ、1 km を超える狭い通路です。 シクを歩いて通るだけでも貴重な経験になります。 岩の色や形は、目のくらむようなすばらしさです。 シクの出口に到達すると、エルカズネ(宝物殿)が見えてきます。エルカズネは畏敬の念を抱かせるような建物です。 やや暗いピンク色の切り立つ岩壁を削ってできた幅 30 m、高さ 43 m の正面は際立って大きく、周囲のものが小さく見えます。 これはナバテア人の偉大な王の墳墓として 1 世紀初頭に造られたもので、いにしえの人々の高度な技術をうかがうことができます。

ペトラ峡谷に入ると、その自然の美しさと見事な建築物に言葉を失うことでしょう。 岩から精巧に削りだされた何百もの墓には複雑な彫刻が施されています。これらの墓は、多くが地震で崩壊した住居とは異なり、来世まで持ちこたえるよう頑強に造られており、現在でも 500 ほど残っています。墓の中は空ですが、暗い入口が並ぶ前を通っていくと不思議な気分になります。 3,000 人を収容できるローマ様式のこの劇場もナバテア人の巨大な建造物です。 3,000 人を収容できるローマ様式のこの劇場もナバテア人の巨大な建造物です。 オベリスク、寺院、犠牲祭壇、列柱のある通りがあり、はるか上には峡谷を見渡す感動的なエドディル修道院が建っています。岩を削って造られた 800 段の階段を上がるとエドディルに辿り着きます。
ここには、ペトラ考古学博物館とペトラ・ナバテア博物館という 2 つのすばらしい博物館もあります。ペトラ地域で発掘されたものが展示されており、ペトラの鮮やかな過去に思いを馳せることができます。シャラー山地のアーロン山の頂上には、マムルーク朝のスルタン、アル・ナシール・ムハンマドがモーセの兄アーロンの死を悼んで建立した 13 世紀の聖堂が見えます。

16:00ペトラ遺跡バスで出発、ホテルに向かう。
16:30ホテル到着、ホテルのレストランで夕食を済ませて就寝。

31日7:00ペトラのホテルバスで出発、死海に向かう。
9:00死海到達、浮遊体験を経験する。

ヨルダンとイスラエルの国境を流れるヨルダン川が行き着く、地球上で最も低い地点にある湖。南北75km、東西15km、最大水深426mあり、海抜はマイナス400m。死海は塩分濃度が平均25%もあるので浮力が強く、容易に体を浮かせることができる。また気候は暖かく、肥沃な土はミネラルが豊富で、ここに来れば病気が治癒するといわれる。

レストランにて昼食後ヨルダンとイスラエルの国境に向かう。

国境を2時間かけて通過、イスラエルのエルサレムに向かう。

16:30エスサレムのホテル到着、ホテルのレストランで夕食を済ませて就寝。

1日6:40バスで出発
7:00エルサレム旧市街地到達、散策

1981年に登録された世界遺産(文化遺産)で、ヨルダン川に近い要害の地にある城郭都市。世界三大宗教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地として知られる。城壁に囲まれた旧市街には、紀元前965年、ソロモン王によって創建され、前20年、ヘロデ王によって改築され、後70年、ローマ軍によって破壊された「嘆きの壁」(ユダヤ教徒の聖地)と呼ばれる神殿の壁をはじめ、キリスト教徒の「聖墳墓記念聖堂」、イスラム教徒の「岩のドーム」(聖なる岩を安置する、現存する最古のイスラム建築。この岩が、イスラム第3の聖地)などがある。歴史上重要な建造物として評価され、世界遺産に登録された。1982年、民族紛争などから、危機遺産リストに登録された。ヨルダンによる申請遺産。

旧市街を取り囲む城壁には8つの門が設けられています。内部を四分するキリスト教徒地区、イスラム教徒地区、ユダヤ人地区、アルメニア人地区それぞれと外部をつなぐ生命線として、いずれの門も他にはない独特の表情と雰囲気を持っています。

神殿の丘はユダヤ民族栄光の第二神殿がローマ帝国によって滅ぼされた後、その至聖所があった丘の上の同じ場所に、イスラム教徒は自らのモスクを建てました。喜びと憎しみ、慈愛と不寛容、祈りと剣。1km四方の中にあらゆるものが同居するエルサレム旧市街の、まさに原点がここなのです。

ユダヤ教の聖地:旧約聖書によれば、ユダヤ人の始祖アブラハムはこの丘で息子イサクを神に捧げようとしました。その後ダビデ王が都を置き、その子ソロモンの時代には壮麗な神殿が築かれ王国は栄華の絶頂を誇ったとされています。ローマ帝国によって神殿が破壊された後、長い苦難の歴史を乗り越えてイスラエルが建国されましたが、ユダヤの人々の究極の望みは今なおこの丘に神殿を再建することにあるのです。1948年の戦争後はヨルダン領となり、ユダヤ人の立ち入りが禁止されていましたが、1967年の戦争の結果、西の壁はユダヤ人の手に戻りました。


イスラム教の聖地:イスラム教の預言者ムハンマドは、大天使ジブリール(ガブリエル)に連れられ、天馬に乗ってこの丘から昇天したと伝えられており、今もムハンマドの足跡が残るという岩が安置されています。。この伝承に基づき、7世紀にエルサレムを征服したウマイヤ朝は、金色に輝くドームとイスラミックブルーのタイルで飾られた、八面体の壁を持つモスクを建設しました。同じ敷地に、対照的な黒いドームを持つエル・アクサ寺院が隣接しています。これらふたつの施設の存在により、今ではメッカ、メディナに次ぐイスラム教第3の聖地となっています。

嘆きの壁:神殿は西の壁だけが2000年の時を超えて現存しています。入口は男女別に分かれ、男性は帽子着用が条件です。ユダヤ教徒に混じり、壁に手を触れてみました。

嘆きの壁の脇にあるアーケードを抜けてイスラム教徒地区をしばらく行くと、ヴィア・ドロローサ、すなわちイエスが十字架を担いで歩いた道にぶつかります。時のローマ総督ピラトの官邸から、磔にされたゴルゴタの丘(現在の聖墳墓教会)まで続く約1kmの道のりには、新約聖書の伝承に基づいて「ステーション」と呼ばれる14のポイントが設けられており、キリスト教徒にとって最も大切な巡礼の道となっています。

聖墳墓教会という名に偽りがないよう、一応イエスの墓があり、その内部はこんなふうになっています。でも、当然のことながらここには遺体はありません。

シオンの丘:マッサダ陥落以来、2000年にわたる流浪と迫害の歴史に耐え続けてきたユダヤ人にとって、伝統的にエルサレムやイスラエルを意味する「シオン」という言葉には、特別な感情を呼び起こす響きがあり、「シオニズム」の語源にもなっています。そんな記念すべき名を持つこの丘には、なぜかシナゴーグではなくキリスト教会が多く建っています。

鶏鳴教会:弟子のペトロが自己保身のため「私はイエスを知らない」と3度嘘をついたところ、イエスの予言通り鶏が鳴いたといいます。今も昔も人間は弱い生き物なんですね。

最後の晩餐の部屋:最後の晩餐はキリスト教のミサの原型になりましたが、その舞台はイスラム教のモスクやユダヤの王ダビデの墓があるなど、宗教複合体というべき造りをしています。

旧市街の東に位置するオリーヴ山は、山というより小高い丘といった感じです。山頂の展望台からはエルサレム市街が一望できる。

ゲッセマネの園:万国民の教会の裏にあるこの園のオリーヴの樹は樹齢2000年を超えると言われています。イエスが最後の夜に祈りながら流した涙を知っているのです。

万国民の教会:できることなら十字架刑から逃れたい。だがそれが神の御心であるのなら、甘んじて受け入れるのが私の務めのはず。それはわかっているのだが…。最後の晩餐の後、残り少ない時間の中で、「人の子」イエスは信仰と現実のはざまに悩み苦しみます。新約聖書のクライマックスの舞台です。

17:00エルサレムのホテル到着、ホテルのレストランで夕食を済ませて就寝。

2日7:00バスで出発、パレスチナ自治区のベツレヘムに向かう。
7:30ベツレヘム到着。

エルサレムの南10kmにある町。人口約3万2000。ヘブライ語で〈パンの家〉を意味する。アラビア語ではバイト・ラフムBayt La?mとよばれる。ダビデ王の生地。後にメシア信仰の象徴となる。イスラエルを救うメシアはダビデの子孫の中から出てくるからである(《ミカ書》5:2)。キリスト教の伝承によれば,イエスの父はダビデ家の子孫であり,イエスはベツレヘムで生まれた。4世紀にコンスタンティヌス大帝が降誕教会を建設,ヒエロニムスのラテン語訳聖書(《ウルガタ》)は,この教会の地下の一室で生まれた。

10:00再度イスラエルとヨルダンの国境に向かう。

国境通過後レストランで昼食

15:00アンマン・クイーンアリア空港到達
16:55エミレーツ航空で出発
21:40ドバイ空港到達。
23:00ドバイ市内のホテル到着後就寝。
3日7:00バスで出発
世界一高いバージュカリファーを登りドバイを一望する。
ドバイ旧市街地に向かう。
一昔前のドバイの風景を、そのまま切り取った場所がバスタキアエリアです。ドバイの歴史を残そうとドバイ政府が中心となり、この地区の整備に力を入れています。このエリアには、風を利用し室内の温度を下げるウインドタワーなど、アラブの伝統的な建築方法で建てられた家が並びます。
バスタキアには、ドバイの市内ツアーでは定番となっているドバイ博物館もあり、ベドウィン(遊牧民)の生活スタイル、日本の養殖真珠が世界を席巻する前まで(日本がドバイの真珠産業に大きなダメージを与えた)ドバイの産業のひとつであった真珠産業の様子など、ほんの30分程度で勉強することができます。

現在のように近代化される前のドバイで、貿易産業の中心として栄えたのがこのデイラエリア。今でも多くのスーク(市場)がこのエリアに現役で残っていて、観光スポットになっています。

お土産選びに人気なのは、貴金属を扱う店が軒を連ねるゴールドスーク。場内に一歩足を踏み入れたら、見渡す限り黄金一色。各種アクセサリーが所狭しと陳列され、思わず目移りしてしまうのでは……。自分の名前をアラビア語にし、ペンダントヘッドを作ってくれたりするお店もあって、外国人を含むドバイ在住者から高い人気を集めています。また、いろいろな種類の香辛料を購入することができるスパイススークも人気。ターメリック(ウコン)は、日本で買うよりはるかに安いということで、大量買いする日本人旅行者もいるほどです。

16:00ドバイショッピングモールに向かう。

16:30ショッピングモールを散策、途中世界一の噴水ショー、ドバイファウンテンを鑑賞する。

夕食後ドバイ空港に向かう。
21:00ドバイ空港到着

4日3:00ドバイエミレーツ空港出発
16:50関西空港到達。

今回の旅行、中近東に足を運び、謎の巨大遺跡ペトラのあるヨルダン、イスラム教・ユダヤ教・キリスト教の聖地であるエルサレムのあるイスラエル、イスラエルに住んでいるパレスチナ・アラブ人が、独立をして自分達の国家を作りたいという考えできた国家内の国家、パレスチナ自治区、アラビア半島の最大の商業都市、「中東の香港」などと呼ばれたりもするドバイを訪れ7泊8日の旅満喫しました。

ドバイは3回目の訪れで新鮮身は欠けていましたが復習を兼ねて再認識致しました。
巨大遺跡ペトラは圧巻でエジプトのアブシンベルを思い出しました。
イスラム教:ユダヤ教・キリスト教の三大宗教の聖地、イスラエルの首都エルサレムは丘の上にある城壁で囲まれた城塞、周囲は谷間、周辺は山で囲まれ、歴史深い古代の街、多くの歴史が刻みこまれた聖地、圧巻で感動致しました。数多くの戦争が絡んだエリア、これからもまた起こるかもしれません、戦場地でない今訪れることができたのは幸いでした。これからも平和を祈りたいですね。

中近東のそれぞれ異なった4か国観光旅行でした。

























飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十弾:クロアチア&スロベニア&ボスニア・ヘルツェゴビナ観光
2013年8月12ー19日
  

南ヨーロッパの旧ユーゴスラビアの国、中央ヨーロッパの国であり、アルプスの東側、アドリア海の北東端に位置するスロベニア、 鋭い鎌のような形をしており、南西部はアドリア海に面し、北西はスロベニア、北東はハンガリー、東はセルビアとモンテネグロ、南東はボスニア・ヘルツェゴビナに接するクロアチア、北と南西はクロアチアに、東はセルビア、モンテネグロに接し、わずかにアドリア海に面しているが、実質的には内陸国に近いボスニア・ヘルツェゴビナの旧ユーゴスラビアの3カ国の国を訪れました。

12日22:30関西国際空港トルコ航空で出発
13日5:35イスタンブール到着
8:15イスタンブールトルコ空港で出発
9:45ベネチア到達、専用バスでリュブリャナに向かう。
途中レストランで食事
15:00リュブリャナ到達観光

スロベニア共和国の首都。ドイツ語名ライバッハLaibach、イタリア語名リビアナLybiana。人口26万4269。リュブリャニッツァ川が市中を流下する。そこに架かる三肢橋や、16世紀の大地震後、丘陵上に建てられた古城、詩聖プレーシェルン像に対面する聖告教会、ロッバ作の噴泉近くに立つ市庁舎、聖三位一体教会などバロック様式の建造物が古都をいろどっている。リュブリャナ大学(1919創立)、科学技術アカデミー、オペラ劇場、博物館、文化の大殿堂「ツァンカレウ・ドム」などが人目をひく。機械、電気・化学、薬品・食品などの諸工業が発展し、文字どおり政治、経済、文化の中心地である。スポーツ施設や遊歩道の美しいチボリ公園、郊外には国際空港もある。

ローマ時代は駐屯地でエモナEmonaといわれ、アルプス、パンノニア平原、アドリア海を結ぶ中間点であった。5世紀に東ゴート人に破壊され、スラブ人によって再建された。スラブ語名リュブリャナ、12世紀にドイツ語名ライバッハが文献にみえる。1335年ハプスブルク家の支配下に入り、1849年ウィーンと鉄道で結ばれてから急速に発展、1918年セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(後のユーゴスラビア王国)に編入された。以後、スロベニアが旧ユーゴスラビアを構成していた時代も、1991年に旧ユーゴスラビアからスロベニアが独立した後も、スロベニアの首都となっている。

市街を見下ろす丘の上に建っている。城の周辺は紀元前1200年以来、絶え間なく人が居住している。 城の見張り塔は1848年に遡り見張り番が住み込み、火事の警告や重要な来訪者や出来事を大砲で知らせる義務があり、現在でも続いているが今日では観光客の呼び物となっている。文化的な行事や結婚式などがこの城では行われる。2006年からケーブルカーによって市街と丘の上の城が結ばれたリュブリャナ城を訪れる。

1940年代設立の、のんびりとした青空市場、大聖堂裏のリュブリャニツァ川沿いをブドニコブ広場まで、愛らしい花々や新鮮な野菜や果物を並べた露天が出る中央青果市場を訪れる。

リュブリャナ大司教区により管理されている。緑のドームと2つの塔により簡単に見分けることが出来、キュリロスとメトディオス広場に面したリュブリャナ中央市場や市庁舎近くに位置する。リュブリャナ教区は1461年に設立された。1701年から1706年にかけてイエズス会の建築家アンドレア・ポッツォによりバロック様式の教会と2つの両側の礼拝堂の十字架の形で設計された。ドームは1841年に中央部に造られている。内装はバロック様式のフレスコにより1703年 - 1706年と1721年 - 1723年にイタリアのフレスコ画家ジュリオ・クアーリョにより描かれた聖ニコラオス大聖堂を訪れる。

リュブリャニツァ川に架かっている橋であり、スロベニアの首都リュブリャナのシンボルの1つである。リュブリャナ中心地に位置する。
1280年からこの位置に木製の橋が架けられていた。そして1657年の火災の後、再建された。この橋は、1842年にイタリア人の建築家ジョバンニ・ピッコによって設計された新しい橋に取り替えられた。ジョバンニ・ピッコが設計した石のアーチ橋は中央部に設けられている。そして、1929年にスロベニア人の建築家ヨジェ・プレチュニック(1872 - 1957)歩行者専用の橋を両側に付け加える設計をした。この設計では中央と両側、計3本の橋があるので三本橋と呼ばれるようになった。この仕事は1932年に完成された三本橋を訪れる。

スロベニア首都リュブリャナの中心広場である。広場の中心地には、非常に有名なスロベニア人の詩人フランツェ・プレシェーレンと彼のムーサの銅像が建っている。広場の北にはバロック様式のフランシスコ教会が建っているプレシェーレン広場を訪れる。

プレシェーレン広場に面して建っているピンク色の教会。イタリアの影響を受けたデザインと装飾品がすばらしい。1646年から1660年の間に建てられたもので、後の1736年には彫刻家のによって祭壇が造られ、19世紀半ばにはアーチ型の天井に彩色を施した。日曜にはリュブリャーナ市民が礼拝のために訪れるフランシスコ教会を訪れる。

3本橋から伸びるストリートと交差する。その真ん前に時計台の尖塔が立つリュブリャナ市庁舎がある。玄関口にはユーロ、スロベニア、リュブリャナの3本の旗がひらめいている市庁舎を訪れる。

18:00ホテル到達
19:45夕食、就寝。
14日7:00朝食
9:00専用バスで出発、ブレッドに向かう。

スロベニアのゴレンスカ地方に位置する市である。ブレッドは、ドイツ王ハインリヒ2世が司教・ブリクセンのアルブイン へブレッドを授与したときに(1004年4月10日)初めて記述された。その後、1996年に地方行政区画としての市になるまで、統治者が何人も変わった。ブレッド城、教会ブレッドは、スロベニアを代表する観光地にもなっている、氷河により出来たブレッド湖で有名である。湖のそばには、岩で出来たブレッド城がある。また、ドイツのクリームケーキが元となった、kremna rezinaやkrem?nitaと呼ばれるケーキでも有名である。

ブレッドは温暖な気候のため、ヨーロッパ中の貴族が訪れていた。今日では、ブレッドは幅広いスポーツ活動(ゴルフ、釣り、乗馬)を享受する観光客の中心地となっており、そして、近隣の山を登山する人達の出発地にもなっている。また、重要な会議が開催されることもある。

ブレッド島と聖マリア教会ブレッド湖の中にはブレッド島があり、pletanaと呼ばれるボート、カヌーなどで行く。ブレッド島には聖マリア教会がある。聖マリア教会を訪れた人は、「鳴らすと願いが叶う」という伝説がある鐘を鳴らそうとする。しかし鐘を鳴らすためには、鐘とつながっている紐をかなり強い力で引っ張らないといけないので、全員が鳴らせるわけではない。先史時代の人間の痕跡が島に見られて、教会より前には愛と繁殖のスラブ人の女神である?ivaの聖地があった。ブレッド島は、教会への98段の階段があり、伝統的な結婚式では新郎は新婦を担いで98段を昇ることになっている。その間、新婦はずっと沈黙しなければならないブレッド観光する。

昼食:豚のペチェンカ

ポストイナに向かう。

実に20キロに及ぶ世界第二位の鍾乳洞、ポストイナトリ、エステ間に広がるカルスト地方はすり鉢状にゆがんだ穴、割れ目、鍾乳洞地下水脈、間欠湖など独特の地形で形成されている。ピカウ川が7000万年もかけ石灰岩が雨水で溶け作り上げた造形美は圧巻。スロベニアは元祖カルストの国。ポストイナの見学は5、2キロ、1時間半程かかりますが2キロ間はトロッコ電車が走っています。最も古い鍾乳洞は1818年に発見されましたが地下道の壁に残るサインにより13世紀には人が探険をしていたことがわかる。発掘された物から古代人もここを訪れていたらしい。絶滅した動物の骨などもしばしば発見されているとか。色素が無くなった類人魚(ホライモリ)のホルマリン漬等も置いてあります。現在は多くの地下道が発見され洞窟鉄道は複線化、また色々なルートにも鉄道が施設されていました。内戦終了後は観光客も戻って年間30~40万人以上とかのポストイナ鍾乳洞観光する。

リュブリャナに戻る。

夕食:サルマとギバニッツッア

就寝

15日7:30専用バスで出発、途中昼食を済ませる。

13:00ボスニア・ヘルツェゴビナ国境に近いプリトヴィツェ湖群市に位置するプリトヴィツェ湖群国立公園は、ディナル・アルプス山脈の山間に点在するカルスト地形のひとつです。山間から流れ出る水が、高さの異なる16の湖に流れ込み、複雑で美しいいくつもの滝が形成されています。白雲岩と石灰岩のカルストから成る地質が、この特徴的な地形を生み出す要因となっているとのこと。コケや藻の光合成によって数千年をかけて蓄積されたトラバーチン(石灰質化学沈殿岩)によって形成された天然のダム。至る所から水が流れ込み、またほかの湖に流れ出して行きます。湖群は最も高い地点で標高636mから、最も低い地点で503m。幅約8kmに渡って、南北方向に水が流れています。最も大きい滝は、70メートルの落差を持っているとのことのプリトビッツェ湖群国立公園を散策観光。

16:45ホテル到着
夕食はマスのグリル
就寝

16日8:00専用バスで出発
11:00シベニク到達

クロアチア共和国南西部の都市。ダルマチア地方中部、クルカ川が流入する細長い湾の湾口に位置する商港都市。人口5万1553(2001)。トルコの抑圧から逃れたウスコック(海賊)によって建設されたともいわれている。ベネチア、ハンガリーの支配ののち、1918年までオーストリアに支配された。一時イタリア領となり、1922年ユーゴスラビア王国領となる。第二次世界大戦後はユーゴスラビア社会主義連邦共和国に属し、91年クロアチアが独立した。電力はクルカ川の滝から供給され、それを利用したアルミ精錬のほか、石油精製、鋳鉄、織物、染色処理などの工業が盛ん。町の背後の丘の上に12~13世紀のサンタ・アナ要塞(ようさい)がそびえ立つシベニクを観光。

クロアチアのシベニクにあるカトリックの大聖堂であり、シベニク司教座がおかれている。大聖堂は2000年にユネスコの世界遺産に登録された。レンガや木の補助を全く使わず建てられた石造建築の教会としては、世界で一番大きいシベニクの聖ヤコブ大聖堂を訪れる。

12:30昼食
13:30シベニク出発

15:00スプリットはカシテラ湾とスプリット海峡の間にある半島に位置するクロアチア第二の都市です。 温暖な地中海の魅力に包まれたスプリットは、歴史的建造物も多く1979年にはユネスコの世界遺産にも登録されており見所は豊富です。 スプリットは地中海性気候で、暑く乾燥した夏期と温暖で湿潤な冬期に分けられ、ヨーロッパでも有数の日照時間を誇っています。 スプリットはこの地方の広域交通の中心であり、ザグレブ―スプリットハイウェイに加え、アドリア海沿岸の主要道路は全てスプリット市内を通過します。 カシテラ空港はクロアチア第三の空港で旅行者も多い世界遺産スプリット観光する。

キリスト教徒を迫害したことで知られるディオクレティアヌス帝の居城。 宮殿の中に建物を増築する形で町が築かれ、古代・中世の建物が混在した独自の街並みが楽しめますディオクレティアヌス宮殿を訪れる。

かつて倉庫などとして使われていた地下室で皇帝が使用していたと言われるローマ時代のテーブルなどが残っています宮殿の地下を訪れる。

夕食:シーフード
20:00ホテル到達、就寝。

17日8:30専用バスで出発
13:00ドブロブニク到着

昼食:シーフードリゾット

14:00クロアチア最南端の街で、13世紀以降に地中海交易の拠点として栄えた歴史を持ちます。 その影響か、ゴシック、ルネッサンス、バロック様式の教会や僧院、宮殿、噴水などドブロブニクは、美しい街並みを誇っています。 ドブロブニクの目抜き通りストラドゥン石畳は、何百年ものあいだ人々の通行により磨かれ、滑らかに輝いています。 ドブロブニクの旧市街を取り囲む全長約2キロの城壁は遊歩道となっており、塁壁の上の見晴らしは素晴らしくエラフィテ諸島の島々が一望できます。 ドブロブニクの夏は旧市街全体で祭典が催されドブロブニク旅行の目玉の一つとも言えます世界遺産ドブロブニク観光する。

かつてはドブロブニクの玄関口だった旧港ですが、現在は近郊の島へ向かうエクスカーション用の船の発着地となっています。 観光シーズンには、旧港で船を待つ観光客が行列を作っています旧港を訪れる。

1667年の震災に合い、のちに1713年に再建され現在の建物として完成しました。 ルジャ広場の南端に建つバロック様式の建物で、宝物室には聖ヴラホの遺骨があったり、他にも財宝などがあります。 大理石を使った祭壇が素晴らしいうえに、その奥の「聖母被昇天」は息をのむくらい迫力ある見応えある絵がある大聖堂を訪れる。

ドブロブニク旧市街、プラツァ通りを真っすぐ歩いて行ってぶつかる広場がルジャ広場。 この旧市街の中心になる広場は、かつて青空市場が開かれていました。 ルジャ広場にはオノフリオの小噴水、鐘楼の時計、広場中心にはオルランドの柱があり、広場の東に立つ鐘楼の壁面の時計は、毎時30分ごとに鐘を鳴らされます。 広場の周囲にはスポンザ宮殿、聖ヴラホ教会などが囲まれていて、非常に華やかな雰囲気がしますルジャ広場を訪れる。

ピレ門の入り口から中心部ルジャ広場まで約200m続くドブロブニクの目抜き通りのプラツァ通り。 通りの両側にはカフェや銀行やお土産屋さんなどが軒を並べていて賑わっています。 狭い路地が網の目のように延びていて、地元の生活音が耳に届き、はるかな昔にタイムスリップしたように感じました! ちょっと観光に疲れた方は、プラツァ通りでお土産を探したり、カフェでのんびりお茶することができるプラツァ通りを訪れる。

オノフリオ大噴水と向かいあってあるのが、フランシスコ修道院。 クロアチア最古の薬局があり、現在も営業しています。 また、ロマネスクの回廊や修道院にまつわる宝飾品などが展示されている博物館もありますフランシスコ修道院を訪れる。

オノフリオの大噴水は、ナポリのオノフリオ・デッラ・カヴァが1438年に造った大きな噴水で、12km離れた源泉から水を引いて市内の2か所に設けられています。 16面の顔のレプリカ(地震で少し欠けていますが)の口から、水が噴き出していて飲料水となっていますオノフリオの大噴水を訪れる。

ピレ門が造られたのは16世紀で深い堀にかけられた橋は、木製の跳び橋だったといわれています。 侵入者を防ぐため、あるいは夜間の出入りを制限するため橋はしばしば上げられていたようです。 現在の橋は木製にかけ替えられていますが、こちらでも門に似合っていて風情を醸しだされています。 ピレ門近くにはインフォメーションがあり、旧市街のメインゲートになっていますピレ門を訪れる。

夕食:フォークロアディナー

20:00ホテル到達、就寝。


18日7:30専用バスで出発
10:30モスタル到達

モスタル(ボスニア語: Mostar、クロアチア語: Mostar、セルビア語: Мостар) は、ボスニア・ヘルツェゴビナの都市およびそれを中心とした基礎自治体で同国を構成する構成体のうちボスニア・ヘルツェゴビナ連邦に属する。また、ヘルツェゴビナ・ネレトヴァ県の県都でヘルツェゴビナ地方の最大の中心都市で、ボスニア・ヘルツェゴビナでは5番目に大きな都市である。市内をネレトヴァ川が流れている。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争期には事実上独立したヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国の首都と定められていた(ただし政治情勢によって、事実上の首都はモスタル近郊のグルデであったモスタルを観光する。

昼食:チェバプチッチ
12:30専用バスで出発
14:30サラエボ到達

サラエヴォ(ボスニア語:Sarajevo、クロアチア語:Sarajevo、セルビア語:Сара?ево)は、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都であり、同国で最大の人口をもつ都市である。2011年8月の推計では、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエヴォ県に属する4つの自治体の人口は併せて311,161人である。サラエヴォはまた、ボスニア・ヘルツェゴビナを構成する2つの構成体(エンティティ)のうちの一つであるボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の首都でもあり、サラエヴォ県の県都でもある。サラエヴォはボスニア地方のサラエヴォ渓谷のなかにあり、ディナール・アルプスに取り囲まれ、ミリャツカ川周辺に広がっている。サラエヴォの町は宗教的な多様性で知られており、イスラム教、正教会、カトリック教会、ユダヤ教が何世紀にもわたって共存してきたサラエボを観光する。

20:35サラエボ空港トルコ航空で出発
23:30イスタンブール到達
19日00:50イスタンブールトルコ航空で出発
17:55関西国際空港到達

今回の旅行、南ヨーロッパの旧ユーゴスラビアの国、中央ヨーロッパの国であるスロベニア・クロアチア・ボスニア・ヘルツェゴビンナの3か国を訪れました。

今最も人気のあるクロアチア含め3か国ツアー、中世のきれいな町並み、歴史も興味深く、世界遺産にも指定された文化遺産に圧倒され、またそれぞれの個性豊かな街並みにも感心いたしました。
地方には大自然のブレッド湖、ポストイナ鍾乳洞、プリトビィッツェ湖群国立公園など見どころいっぱいの観光旅行、8日間の旅楽しめました。

ヨーロッパ人のリゾート地、クロアチア等の国々、多くの観光客で賑わっていました。
又訪れてみたいスロベニア・クロアチア・ボスニア・ヘルツェゴビンナの3か国観光旅行でした。

























飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百二十七弾:南アフリカ・ジンバブエ・ボツワナ・ザンビア観光
2013年4月27日ー5月6日


アフリカ大陸南部地方に足を運び、インド洋と大西洋に挟まれたアフリカ大陸最南端の国、広大な地には地球のダイナミズムを感じさせる純朴な自然が広がり、複雑な歴史的背景に裏打ちされた独自の民族文化が息づく南アフリカ、各地に石器時代の遺跡が残り、200万年前から古代人が暮らしていたとされてる地、国土の大部分はサバンナ地帯で、野生動物も多く、ジンバブエとの国境にあるビクトリア・フォールズが有名なザンビア、19世紀後半から20世紀半ばは南ローデシアと呼ばれ、イギリスの南アフリカ会社の支配下、およびイギリスの植民地であり、又野生動物が生息する国立公園なども多いジンバブエ、北はザンビア、東はジンバブエ、南は南アフリカ、西はナミビアと四方に囲まれた内陸の国、19世紀後半から1966年に独立するまではイギリス保護領、近年ダイヤモンドの生産地として経済力を高めるボツワナを訪れました。

27日18:05関西国際空港キャセイパシフィック航空で出発
21:00香港到着
23:50香港キャセイパシフィック航空で出発
28日7:20ヨハネスブルク到達
10:05ヨハネスブルク南アフリカ航空で出発
12:05ケープタウン到達

南アフリカ随一の観光地ケープタウン。市内では中心部やウォーターフロントと呼ばれるエリアがにぎやかで観光客も多い。観光名所は郊外にある。ロープウェイで上った頂上から市内や湾を一望できるテーブルマウンテン、アフリカ最南端の喜望峰とケープポイント、ペンギンが生息するボルダーズビーチ、オットセイを観察できるドイカー島、アフリカ固有の種も多くあるカーステンボッシュ植物園、南アフリカ有数のワイナリーなど。

ケープタウンのシンボル,山の上がテーブルのように平らであることから、その名が付けられました。標高1,067mの頂上まで360°回転式のケーブルカーで登れば、息をのむ絶景が広がりますテーブルマウンテンを観光する。

町の西側にあるふたつの丘は、ライオンが横たわっているようにも見えるので、ライオンズ・ヘッド(Head=頭、標高669m)とライオンズ・ランプ(Rump=尻、標高350m)と呼ばれる。ランプのほうは平日の正午に号砲を発する大砲があるため、一般にシグナル・ヒルと呼ばれる。シグナル・ヒルの斜面には、政府高官邸などの高級住宅やマレー人の霊廟が建つ。頂上に展望台があり港や町の夜景がいいライオンズ・ヘッド、シグナル・ヒル望む。

ケープ・マレイの人たちは、主に17世紀オランダが南アとインドネシア周辺を植民していた頃、奴隷として連れてこられた人々、加えて政治的な理由での亡命や移民してきた人々の子孫です。特徴はなんと言ってもカラフルなおうち!18世紀からのかなり古いスタイルの家がそれぞれ明るい色に塗られています。ケープマレー地区散策。

16:00ケープタウンのホテル到着
18:00ホテルで食事、就寝
29日8:30バスで出発

ケープ半島の数あるビーチの中で最も美しいと評判のビーチ。テーブル・マウンテンとそれに続く山々が、南東から吹く強い季節風をさえぎるため気候は穏やか。1年中リゾート客で賑わっている。高級ホテルやレストラン、カフェが建ち並び、ハリウッド・スターの別荘もあるとか。クリフトン・ビーチ&キャンプス・ベイ訪れる。

オットセイ(Cape Fur Seals)の生息するドイカー島・シールアイランドへのクルーズがこの漁港から出発する。島には上陸しないが、島周辺をゆっくりとまわってくれるので、元気いっぱいに生息するオットセイをたっぷりと間近に観察する事ができる。クルーズの所要時間は約1時間。船でハウト湾出発、シールアイランド・ドイカー島巡る。

南アフリカ固有の植物が、約528ヘクタールにもおよぶ広大な敷地に集められた植物園、南アフリカ固有の植物を多数展示しているたいへんに有名な植物園である。しかも、世界自然遺産の「ケープ植物区系保護地域(Cape floral regionprotected areas)」の中にある植物園という意味では世界にも例のない存在である。528haの広大な園内は、26のセクションに分かれおり、1日で歩けるようなスケールではない。そして、南アフリカ固有の植物を一堂に集めているということからも見応えが十分にある。カーステンボッシュ植物園を訪れる。

南アフリカ共和国南部,ケープ・タウンの南郊,フォールス湾に臨む軍港。人口6000(1970)。ケープ・タウン市民の海水浴場であり,漁港でもある。海軍の造船・修理工場がある。1741年オランダによって創設された港で,1814年イギリス南アフリカ艦隊の拠点となった。1957年にイギリス海軍はこの基地を南アフリカに移譲したが,なおこの基地を利用する権利を保留しているサイモンズ・タウンを訪れる。

今も世界で唯一、近くに接近してアフリカペンギンを見ることができる場所です。ケープタウンのペンギン観察は、海岸を横切って作られた遊歩道と、南アフリカ国立公園によって管理されている案内所が設置されていることで、より簡単に楽しめるようになりましたボルダーズビーチを訪れる。

海岸に小高い岩山が見えます“ケープ・オブ・グッドホープ/喜望峰”です。1488年大嵐にあいこの岬に接岸したポルトガルの航海者ディアスは『嵐の岬』と名付けましたが帰国後、国王ジョアン2世が喜望峰と改名しました。1497年、ヴァスコ・ダ・ガマはこの岬を回ってインドに向いました喜望峰を訪れる。

喜望峰の東側にあるケープ半島の先端、ケープ・ポイントに向かうケーブルカー歩いても行ける距離ですが強風を避けて乗車する人々も多いようです。ケーブルカーを降りると、喜望峰が眼下に見えます。ここが、南アフリカの、旅の終着点、この海の先は南極です。ケープポイント観光する。

ライオンズ・ヘッドの中腹にあるシグナル・ヒルから見る夜景はまるで宝石箱。澄んだケープタウンの空気でより輝きを増しますケープタウンの夜景を鑑賞する。

夕食中華料理
21:00ホテル到達
就寝
30日7:50バスで出発

かつて刑務所島であったロベン島には、ネルソン・マンデラ氏も収容されていましたロベン島観光

昼食

ケープタウンから約1時間、ワインランドのステレンボッシュ、を訪れ、ワインセラーにて試飲を楽しみました。

ケープタウンの旧港を再開発した一大ショッピングスポット。活気溢れる港町からは、テーブルマウンテンが見えます。ウオーターフロント地区散策

サーロインステーキ夕食
就寝。

5月1日5:30バスで出発
7:00ケープタウン飛行機で出発
9:00南部アフリカにある南アフリカ共和国のハウテン州に存在する、南アフリカ最大の都市名である。 ヨハネスブルク到達。

南アフリカ最大のタウンシップ(旧黒人居住地区)、アパルトヘイト時代の記録を残した様々な博物館やネルソン・マンデラやデズモンド・ツツなどのノーベル賞受賞者も住んでいたストリートがありますソウェト地区観光する。

反アパルトヘイト運動により反逆罪として逮捕され27年間に渡り刑務所に収容された。釈放後、アフリカ民族会議(ANC)の副議長に就任。その後、議長。デクラークと共にアパルトヘイトを撤廃する方向へと南アフリカを導き1994年に大統領に就任。民族和解・協調政策を進め、経済政策として復興開発計画(RDP)を実施した。1999年に行われた総選挙を機に政治家を引退したネルソン・マンデラ大統領の元住居を訪れる。

南ア・ヨハネスブルグのソウェト蜂起(1976年6月16日)において、13歳の少年、ヘクター・ピーターソン君は警察の流れ弾に倒れ、呆然とする姉に付き添われながら抱きかかえられる。この記念碑と隣接する博物館は、反アパルトヘイト運動により命を落とした多くの人々を追悼するために建てられた。ヘクター君の命日は、今は「Youth Day (青少年の日)」として南アの祝日になっているヘクターピーターソン記念碑を訪れる。

昼食

ヨハネスブルグの北西約35kmのところにあるスタークフォンテン洞窟へ向かう。ここは300万年以上昔の初期の人類アウストラロピテクスの頭蓋骨がレイモンド・ダートにより1924年に発見された場所、人類発祥の地と考えられる場所であるスタークフォンテン洞窟を巡る。

ヨハネスブルグ郊外にあるライオンパークでは、かわいらしいライオンの赤ちゃんに触れ、一緒に写真を撮ることができます。公園内にはチータやジャッカルなどもいて、ドライブ中サファリ気分も味わうことがでますライオンパークを訪れる。

18:30日本食夕食

就寝

5月2日8:00ホテルをバスで出発
10:50ユハネスブルグ空港出発
12:35ビクトリア・フォールズ到着、バスでジンバブエのビクトリア・フォールズのホテルに向かう。

ホテル到着後、日の傾くのを待ちザンベジ川(Zambezi)サンセット・クルーズに出発。船着場はロッジの近くにあり、瀑布から数km上流の西岸に位置する。ザンベジ川は南アフリカ一の大河。クルージングする付近は中流域に当たり、ザンビアとジンバブエの国境を隔している。流れはゆったりとしており、下流数kmに幅1800m、落差100mもの巨大な滝が口を開けていることなど想像もできない。クルーズ用小型観光船は野生動物の影を求めて夕暮のザンベジ川を右へ左へと周航する。遭遇した動物はワニ(crocodile)、ゾウ(elephant)、カバ(hippotamus)、インパネ、シカ、イノシシなどが見られたザンベジ川のサンセットクルージングを体験する。

19:00ホテルで夕食
就寝

5月3日
7:30バスで出発

ボツワナのボツワナ北部にあるオカバンゴデルタと隣接し、ナミビアとの国境を流れるチョベ川沿いの地域がチョベ国立公園で広大な面積を有し一大生態系をなしている。チョベ川は源流のアンゴラから3度も名を変え、チョベ国立公園からチョベ川となり、下流でザンベジ川と交わり、ボツワナ、ザンビア、ナミビア、ジンバブエの4国がその川を国境としている。ビクトリアフォールズから近く、カサネがその入口。チョベ川のサンセットクルーズやボートサファリでチョベ川の川沿いにはさまざまな動物を見ることが出来る。ジンバブエからボツワナに入国する時は口蹄疫予防に靴や車のタイヤを消毒しないと入国出来ない。ボツワナ政府は チョベ川に沿って国土の17%当たる地域11700k㎡を国立公園と自然保護区に指定し乱開発を阻止しているチョベ国立公園に向かう。

4WDに乗ってチョベ国立公園の陸からのゲームドライブを楽しむ。アフリカゾウ、ライオン、アフリカンバッファロー、インパラ、イボイノシシ、クドゥ、キリン、カバ、ワニ、オオトカゲ、ヒヒ、ホロホロチョウ、エジプトガン、アフリカヘビウ、サギに出会う。

昼食ロッジ

チョベ国立公園を川からのボートサファリを楽しむ。アフリカゾウ、アフリカンバッファロー、インパラ、イボイノシシ、クドゥ、カバ、ワニ、ヒヒ、サギに出会う。

サファリ終了後動物の木彫りの民芸品などが販売されているクラフトマーケットによる。

夕食は南アフリカ野生動物お肉のバイキング・ボマディナー
就寝。

5月4日
8:00バスで出発

世界三大瀑布の1つ、ビクトリアの滝をジンバブエ側、ザンビア側の両側より望む。

アフリカ南部を流れる大河ザンベジ川の中流、ジンバブエとザンビアの国境にビクトリアの滝はあります。南米のイグアス、北米のナイアガラと並んで世界三大瀑布と称される滝は、現地の言葉で「モシ・オア・トゥンヤ(雷鳴とどろく水煙)」と呼ばれています。その名の通り水量が多い雨季には、1分間に5億リットルの水が落下。巨大な水煙が舞い上がって、その姿を覆い隠してしまいます。幅1700メートル、落差110メートルという滝の全貌は、乾季にならないと見ることができません。
ビクトリアの滝は長い年月をかけ下流から上流へと移動してきました。滝の上流は穏やかな大河ですが、滝を挟んで下流側は一転して、険しい峡谷がジグザグ状に続いています。これは、かつての滝の跡なのです。この一帯は複雑な地殻変動により、固い台地の上に亀裂が走り、そこに柔らかい堆(たい)積岩が埋まっています。そこを川が流れ、滝ができました。川が堆積岩を浸食することによって、滝の位置が徐々に上流へ上流へと移動していったのです。今も、滝の下流には20万年前、最初の滝の跡を見ることができます。現在の滝は8番目の滝ですが、浸食は今も進んでおり、上流には数千年後に次の滝になる割れ目ができています。ビクトリアの滝は壮大な旅を続ける滝なのです。

13:00レストランで昼食

ヘリコプターで上空からビクトリアの滝を望む。

ビクトリアフォールズ上空をヘリコプターにて遊覧し、その絶景に迫ります。1,700mの最大幅と108mの落差を持つ滝はまさに圧巻。ヘリコプターに乗り込めば、地上では見えない滝の全景が見渡せます。

19:00ホテルで夕食

5月5日
現地の人々が生活している村で学校訪問または一般家庭訪問する。

ビクトリアフォールズ空港に向かう。
13:25ビクトリアフォールズ空港出発
15:10ヨハネスブルグ到達
17:00ヨハネスブルグ出発
6日12:25香港到達
16:20香港出発
21:05関西国際空港到達

今回の旅行アフリカ大陸南部地方に足を運び、インド洋と大西洋に挟まれたアフリカ大陸最南端の国、南アフリカ共和国、国土の大部分はサバンナ地帯で、野生動物も多く、ジンバブエとの国境にあるビクトリア・フォールズが有名なザンビア、19世紀後半から20世紀半ばは南ローデシアと呼ばれ、イギリスの南アフリカ会社の支配下、およびイギリスの植民地であり、又野生動物が生息する国立公園なども多いジンバブエ、19世紀後半から1966年に独立するまではイギリス保護領、近年ダイヤモンドの生産地として経済力を高めるボツワナを訪れ10日間の旅、満喫しました。

最初の訪れである、南アフリカのケープタウン、街を南北に分断するように連なり、上部は平らになった神秘的な形は、巨人や神々のテーブルのようなテーブルマウンテン、アフリカ大陸の最西端にあたるケープ半島の南端のおなじみの喜望峰を観光。

次にアフリカ最大の経済都市まで成長した南アフリカの玄関口ヨハネスブルグ、人類の歴史と野生の動物に触れ、旧黒人居住区をたずねる刺激的な観光。

ボツワナのチョベ国立公園内での野生の宝庫を陸上からと水上からの両方のサファリを楽しめた観光。

ジンバブエとザンビアの国境にある世界三大瀑布の一つビクトリア・フォールズをジンバブエ側とザンビア側からの遊歩道を歩いての鑑賞とヘリコプターに乗り上空からのビクトリア・フォールズの全景の鑑賞、圧巻でした。

大自然有り、歴史有り、盛りたくさんの南アフリカ南部エリア観光、10日間の旅楽しめました。
今回のコースお勧めですね、皆さんに広めたいと思います。































飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百十九弾:アルゼンチン&ブラジル&ドバイ観光
2012年12月29ー2013年1月6日


飛行機で30時間かかり、日本から最も遠い南米に足を運び、北は亜熱帯から南は寒帯まで、南北数千kmにわたり、南部はパタゴニアの大氷河、膨大な水に圧倒されるイグアスの滝、アンデス山脈のさまざまな景観を魅了するアルゼンチン、広大な面積とさまざまな地勢をもち、南米の大部分を占め想像を超えたスケールの大きな自然があり、大瀑布、大河、大湿原、大砂漠とが位置するブラジルを訪れました。

29日23:40関西国際空港エミレーツ航空で出発、ドバイに向かう。
30日5:45ドバイ到達
7:10エミレーツ航空でドバイ出発、アルゼンチンに向かう。
19:30エミレーツ航空リオデジャネイロ経由してアルジェンチンブエノスアイレスエセイサ国際空港到着、バスで市内のホテルに向かう。
21:05ホテル到達、ホテルで夕食を済ませて就寝。
31日9:30ホテルバスで出発、ブエノスアイレス市内観光。

都市圏人口1300万人を誇る、南米有数の大都市。スペイン様式や、フランス様式の建物が多く見られ、南米のパリとも呼ばれる美しい町並みが続きます。2005年には、ユネスコの世界デザイン都市に選定されましたブエノスアイレスを訪れる。

ブエノスアイレスは、48区にわけられ、魅力あふれる地区(バリオ)が多くあります。それぞれのバリオで、雰囲気や町並みに大きな違いがあります。モンセラート地区、サンニコラス地区からなるセントロ(中心街)。レティロ地区、レコレータ地区、パレルモ地区などからなる、北部の地域。サンテルモ、ボカ地区など、セントロから南方面の地域と分けられ、その他、再開発されているプエルト・マデロ地区も見どこ。

ブエノスアイレスでは、アルゼンチン発祥の音楽 タンゴ を鑑賞でき、毎年8月には、タンゴの世界選手権も行われます。そのほか、熱気あふれる アル ゼンチンサッカー をご覧いただ くことも可能。ボカ・ジュニオールスや、リバー・プレートなどのチームが有名です。また、アルゼンチンの美味しい肉料理や、ワインをお楽しみいただけるレストラン、歴史のある雰囲気の良いカフェ、レコレータやパレルモなどでセンスの良いお店をめぐるのも、ブエノスアイレスの過ごし方の一つ。モンセラート地区は、ブエノスアイレスの中心部にあります。5月広場の周りには、大統領府(カサ・ロサダ)、カビルド、カテドラル(大聖堂)の3つの重要な建物があります。そのほか、国会議事堂などの政府関係機関の建物も多くあります。その他にも、5月大通り沿いやなどを中心に、この地区を散策されれば歴史のある建物 や、古くからの教会など、昔からのブエノスアイレスの姿をご覧出来ます。サン・ニコラス地区は、ブエノスアイレスの中心部に位置します。オフィス、商店などが立ち並び、ブエノスアイレスの経済、商業の中心となっております。観光名所といたしましては、世界3大劇場のひとつ、コロン劇場をはじめ、セルバンテス劇場をはじめ多くの劇場があります。商店の並ぶフロリダ通り、映画館の並ぶラバジェ通り、劇場、本屋の並ぶコリエンテス通り や、レストランなどが多くならぶ、レコンキスタ通りなどの重要な通りがあります。ボカ地区は、ブエノスアイレスの南部にある、昔からある港湾地帯です。19世紀終わりごろには、大勢の移民たちでにぎわいました。そのとき生まれた音楽は、タンゴとして 多くの人々に親しまれています。サッカーチーム、ボカジュニオールスの本拠地でもあります。 見どころとしましては、カラフルな色の建物がならぶ、カミニート通りがあります。レコレータ地区には、ブエノスアイレス北部に位置する、高級住宅地で、高級マンションなどが立ち並び、センスの良いレストランや、お店なども多くございます。レコレータの中心にある、レコレータ墓地にはエビータの墓をはじめとして、アルゼンチンの歴代大統領のお墓もあります。そのほか、国立美術館や、ピラール教会などの見所があります。

ブエノスアイレスでも有数の高級住宅地にあるこの墓地には、アルゼンチン史上著名な権力者や大富豪一族が眠っている。上品に立ち並ぶ石造りの、まるでチャペルのようなお墓や彫刻の数々は、建築学また芸術的観点から見ても価値が高いといわれる。この墓地の一角に、「エビータ」の愛称で知られているエバ・ペロンは葬られており、現在でも彼女を慕う人々によって絶えることなく花が捧げられているレコレータ墓地を訪れる。

世界でもっとも音響効果の良い劇場の一つといわれ、ヨーロッパがシーズンオフとなる5~11月には世界的に有名なオーケストラや音楽家が訪れ、公演を行う。また、コロン劇場自体も国立オーケストラや国立バレエ団、舞台装置や衣装を作る工房などを有しており、まさにブエノスアイレスの高い文化レベルの象徴的存在である。当初、五月広場の一角に位置していたが、1880年代の移民増加を機に、現在の建物が新設された。建設は約20年の歳月を経て1907年に完成。1908年5月25日、ヴェルディのオペラ『アイーダ』でこけら落としとなって以来、ルシアーノ・パバロッチ、マリア・カラスなど数々の有名オペラ歌手、有名オーケストラがその舞台を踏んでいる。正面玄関から入ると白大理石のモザイクがほどこされた床、紅大理石や黄大理石の荘厳な手すりや柱、色鮮やかな天井のステンドグラスと、玄関ホールの美しさに息をのむ。大ホールは、真紅の垂れ幕に縁取られた舞台を正面に、蹄型に7階建ての観客席が広がり、定員は2450名、立ち見を合わせると約3000名を収容できるようになっている。天井ドームにはラウル・ソルディによって描かれた歌い手や役者、踊り子、楽器を表現した壁画があり、その中央には直径7mになる巨大なシャンデリアが輝くコロン劇場 を訪れる。

アルベアール通り周辺には、昔からの屋敷や、格式の高いホテルやレストランなどが多く位置します。まるきっかけとなった「五月革命」(1810年5月25日)に由来する。大統領府、カビルド、大聖堂などの史的重要建築物に囲まれ、しばしば抗議デモの中心部ともなる。大統領府正面にある、旗を持ち馬にまたがった勇士の像は、10ペソ札の肖像でも親しまれているマヌエル・ベルグラーノ将軍で、アルゼンチンの国旗は彼によって創られた。広場中央には「五月のピラミッド」と呼ばれる、五月革命1周年を記念して1811年に建てられた白い塔があり、バラ色の大統領府に重なって涼しげなコントラストを生んでいる。広場の西側からは五月通りが大統領府と国会議事堂間を結んでおり、同広場から通りを進んでいくと、まっすぐ続く道の向こうに悠々たる国会議事堂が見えてくる五月広場を訪れる。

1862年から現在まで歴代大統領の行政の場として役割を果たしてきた。建物がバラ色に塗られた理由は、サルミエント大統領が、国のまとまりの象徴として、当時の2大政党、連邦主義派と中央集権主義派のイメージカラー(それぞれ赤と白)を合わせたバラ色を選んだことによるという。しかし当時は非常に塗料の種類が少なかった時代。苦心の末、石灰と牛の獣脂、血を混ぜて紅茶色ともつかぬバラ色を作り出した。その後塗りかえられて現在の色はオリジナルではないが、青いブエノスアイレスの空に映えて立つバラ色の大統領府は独特の華やかさを湛えている大統領府 別名「カサ・ロサーダ(バラ色の家の意)」を訪れる。

市内で最も歴史ある建物の一つ。コロニアル調のシルエットが美しい建物である。ブエノスアイレスが市として機能するようになった1580年代から1800年代まで市議会として、数々の重要決定がここでなされた。1810年5月25日、五月革命の舞台となったのも、ここである。もとは左右それぞれに五つのアーチを持ち、五月広場の一画全てを占めるほど大きな建物だったが、1880年代、五月通りをつくる際に一部が取り壊され、その後も縮小されて現在の大きさになった。現在は博物館として植民地時代の家具、調度品等が展示されているカビルドを訪れる。

1593年に原型となる聖堂が造られ、幾度にも渡る立て直しの末、現在の建物が1827年に完成された。同大聖堂には、アルゼンチンを独立へと導いたサン・マルティン将軍の眠る霊廟が安置されており、多くの観光客がそれをひと目見るため訪れる。大聖堂入り口に毅然と並ぶ12本の円柱はイエス・キリストの12使徒を表現し、その上壁にほどこされた彫刻は、エジプトの総督となったヨセフとその父ヤコブの対面という旧約聖書の一場面を表している。また、入り口向かって右側の壁に掲げられている「永遠の炎」はサン・マルティン将軍を記念して燃え続けているものである。中に入ると、ひんやりと静寂な空気が身を包み、広い会堂が天窓から差しこむ淡い光の中おごそかに浮かび上がる。主祭壇からは黄金色に輝く荘厳な「我らの聖母ブエノスアイレス」が祈りに来る人たちを優しく見下ろしている大聖堂 を訪れる。

国会議事堂前に広がる大広場。国会議事堂の正面にあるモニュメントは、「二つの国会の記念碑」と呼ばれ、奴隷制を廃止した1813年の憲法制定議会と、スペインからの独立を宣言した1816年のトゥクマン国会の2つを記念したもの。また広場の反対側には、世界に6つしかないと言われるロダンの彫刻「考える人」のレプリカがある。この「考える人」のそばにある一本石の碑は、"ゼロキロメートル地点"を示しており、ブエノスアイレスから始まる国道はこの地点から距離を数え始める国会議事堂広場の前を通過する 。

アルゼンチンの立法最高機関。8年もの年月を経て建築され、1906年にフィゲロア・アルコルタ大統領によって落成された。そのグレコ・ローマン様式は民主主義の恒久価値を表し、建物中央上部の銅像は国家権力を象徴する。ドームの緑色は建築当初の予定にはなかったが、青銅製であるため時が経つにつれて現在の色になっていったという。内部は、大理石や銅の彫刻、赤い絨毯、絹のカーテンに彩られた絢爛な造りになっており、南に上院、北に下院がある。中でも素晴らしいのが、ドームのちょうど真下に位置する中央ホール「青の広間」と、「足跡の間」。青の広間にある重さ2トンのシャンデリアはガラスと銅でできており、アルゼンチンの各州を表現している。また、同建物内には図書館もあり、一般の人も利用可能となっている。この図書館は約2百万冊もの書物を有し、アルゼンチンで最も在庫図書数のおおい図書館の一つである国会議事堂の前を通過する。

大統領府と国会議事堂を結ぶ五月通りと交差して市の中心を走る大通り。南北4km、最大幅約140m、16車線の規模を誇る。アルゼンチン人曰く、世界で一番幅の広い道路であり、1回の青信号で渡り切るのは難しい。その名はアルゼンチンが独立を果たした1816年7月9日に由来する。同通りができる以前、この一帯にはフランス様式の家々が立ち並んでいたが、1936年、この通りを作るためそれらは全て取り壊された。唯一フランス大使館のみが取り壊しを免れ、通りがリベルタドール通りに合流する部分に今でも美しくそびえ立っている7月9日通り を通過する。

7月9日通りとコリエンテス通りの交わる部分に位置。1936年にブエノスアイレス創設400周年を記念して建てられた、ブエノスアイレスの視覚的シンボルである。高さ68m、底辺7mX7m。オベリスクが立つ広場は共和国広場といい、しばしば市民の集会の場となるオベリスクの前を通過する。

ブエノスアイレスでもっとも歴史ある地区の一つ。石畳の通りや古めかしい家々が一昔前のブエノスアイレスの人々の生活を彷彿させる。 同地区は18世紀当時、市場のあった五月広場からリアチュエロ川沿いの倉庫へと向かう商人たちの休憩の場として栄えた。その後、19世紀初めには裕福な人々が家を並べるようになり、高級住宅区となった。しかし、1870年代、黄熱病の大流行があり、多くの住民はブエノスアイレスの北の地域へ逃げ移った。現在は、サン・テルモ地区が高級住宅区であった時代の調度品や家具をおく骨董屋が軒を並べ、毎週日曜日にはドレーゴ広場を中心に骨董品や古美術品の露天市が華やかに行われる。また有名なタンゴ・ショーの店が多いことでも知られているサン・テルモ地区のスーパーマーケットを訪れる。

一説にてタンゴ発祥の地といわれるこの地区は、市中心部から南に位置する旧港町である。一角には、タンゴ不朽の名作「カミニート(Caminito-小路の意)」に関連づけて画家キンケラ・マルティンが創作したという、カラフルな家々にはさまれた100mほどの小路があり、観光名所となっている。キンケラ・マルティンはボカ地区に育ち、ボカ港や労働者の生活の様子を描き続けた。力強い筆致、鮮やかで大胆な色遣いが非常に特徴的な画家である。このキンケラ・マルティンの影響もあり、毎週週末になると、小路「カミニート」周辺には蚤の市がたち、地域の画家たちがそれぞれの作品を売りに出す。キンケラ・マルティン美術館で様々な絵画を見ることが出来る。また同地区には、ブエノスアイレスで圧倒的な人気を誇るサッカーチームの一つ、ボカ・ジュニアーズのホームグランドがあり、その競技場はこぢんまりとした規模から愛称「ボンボネラ(ボンボンの小箱の意)」と呼ばれる。1986年のサッカー・ワールドカップでアルゼンチンを優勝に導いたディエゴ・マラドーナも同チームの出身であるボカ地区を訪れる。

昼食はアルゼンチン名物のアサードを召し上がる。

14:30ブエノスアイレスエセイサ国際空港空港到達
16:45ブエノスアイレスエセイサ国際空港空港出発
18:30イグアス空港到達、
20:30バスでホテルに向かう。
21:00プエルトイグアスのホテル到達
22:00ホテルで食事
23:30就寝
1日8:30ホテルバスで出発

アルゼンチン・ブラジル・パラグアイの3国国境地帯モニュメントを訪れる。

9:30イグアス国立公園入り口到達

イグアスの滝はアルゼンチンとブラジル、パラグアイの国境に接する世界有数の大瀑布。イグアスとは先住民グアラニー族の言葉で「大いなる水」という意味。滝の数は大小合わせて300以上あり、世界遺産に登録されている。おすすめは最大落差80m以上もある瀑布「悪魔の喉笛」。ボートで滝壷に近寄るツアーもある。イグアス国立公園にはジャガーやアメリカバクを始め、様々な鳥類や蝶が多数生息している。
ものすごい水量が落ち込んでいく、滝の迫力はもちろん、ジャングルの緑との素晴らしい調和の風景を作り上げております。イグアス の滝周辺は、アルゼンチン側、ブラジル側ともに、国立公園に設定されており、滝とともに、周囲の自然環境が守られております。1984年には、 アルゼンチン、両側の国立公園が、ユネスコの世界自然遺産に登録されました。イグアスの滝観光には、通常、アルゼンチン側で1日、ブラジル側で半日かかります。アルゼンチン側では、イグアスの滝を、すぐ近くから観察でき、非常に迫力があります。また、遊歩道も多く、観光に時間がかかります。ブラジル側では、イグアスの滝の全景を眺めることが出来ます。。イグアスの滝へは、アルゼンチンのプエルト・イグアスの町、もしくは、ブラジルのフォズ・ド・イグアス市を基点として行うのが一般的です。

カタラタス駅でトロッコ列車に乗車して悪魔の喉笛に向かう。

悪魔の喉笛駅トロッコ列車下車し、遊歩道で悪魔の喉笛を訪れる。

最大落差80m以上もある瀑布「悪魔の喉笛」を展望台から望む。

トロッコ列車で戻り、カタラタス駅下車、滝の上の遊歩道を散策する。展望台からイグアスの滝とサン・マルティン島を望む。

13:30昼食。

14:30滝の上の遊歩道を散策し、スピード・ボート乗り場に到達。

スピード・ボートに乗船して、イグアスの複数の滝を望め、又滝壺にボートが飛び込む体験をする。

15:00オープントップの4WD車(グラン・アベントゥラ)に乗車してジャングル内8kmを走行して国立公園入り口に向かう。
15:30国立公園入り口到達
16:00立公園入り口をバスで出発
17:00ホテル到達
19:00夕食、就寝。

2日9:30プエルトイグアスのホテルをバスで滝遊覧飛行のヘリポートに向かう。

10:30ヘリコプターでイグアスの滝遊覧飛行し、イグアス滝の全景を上空から望む。

11:00バスでイグアス滝に向かう。

11:30遊歩道を散策していくつかの展望台からイグアス滝をブラジル側から望む。

12:30レストランで昼食

13:00バスでフォス・ド・イグアス国際空港に向かう。

15:15フォス・ド・イグアス国際空港出発

17:13リオデジャネイロ空港到達、バスでホテルに向かう。
ホテル到着後ホテル内で夕食、就寝。
3日8:30バスで出発、オデジャネイロ市内観光。

リオ・デ・ジャネイロは、世界的に有名なリオのカーニバル 。リオのカーニバルはサンバの大きなパレードで、サンボドロモというサンバパレードのための会場で行われます。リオ・デ・ジャネイロの名前の由来ですが、ポルトガル語で 【 RIO 】リオ ( 川 )、【 DE 】デ ( ~の )、【 JANEIRO 】ジャネイロ ( 一月 )となり、 リオ・デ・ジャネイロは《 1月の川 》という意味になります。
この名前の由来はポルトガル人のGASPAR DE LEMOSが1502年の1月にリオ・デ・ジャネイロの広大な湾に入ったときに、そこを川と間違ったことに発します。 フランスも1555年にリオのGUANABARA湾にANTARCTIC FRANCEという移住地を作りますが、1560年にはポルトガルによって撃退されます。 リオ・デ・ジャネイロはそれから黒人奴隷を使ったサトウキビのプランテーションによって大きな港町に発展していきます。 18世紀にはミナス・ジェライス州のゴールドラッシュによって益々発展していきます。 1763年には人口は5万人を超えて、サルバドールからリオ・デ・ジャネイロに首都が移転されます。 19世紀までに、コーヒーブームなどの影響でヨーロッパからの移民が増えて、人口は80万人まで膨れ上がります。 現在のリオの人口は600万、700万といわれています。 1920年代から1950年代にリオは黄金時代を迎えます。1960年にブラジリアに首都が移ってからも、リオは文化と観光の中心地となっています。 観光面ではリオのカーニバルだけでなく、 GUANABARA湾は世界三大美港のひとつといわれ、 30メートルのキリスト像が立つ、標高710メートルの コルコバードの丘からの眺めは絶景です。 また、突起状に突き出したポン・ジ・アスーカルの光景も一見の価値があるでしょう。 美しい砂浜とブラジル女性の美尻で有名な コパカバーナビーチもリオで忘れてはならない観光地です。 高級ホテルが立ち並んだコパカバーナですが、現在は庶民化が進み、イパネマビーチのほうが人気があるようです。

標高710メートルの位置に、台座が8メートル、像の大きさだけで30メートルという巨大なキリスト像が頂上に立っています。 世界的に有名な観光地なので誰もが一度はテレビや本で見たことがあるかもしれません。 このコルコバードの丘に登るとリオ・デ・ジャネイロの町を全て見ることができます。 非常にすばらしい景観なコルコバードの丘を訪れるが残念ながら雨で視界悪くリオ・デ・ジャネイロの町を全て見ることができませんでした。

リオ・デ・ジャネイロのコルコバードの丘につぐ観光地です。コルコバードの丘は夜7時までと早い時間に終わってしまいますが、ここは夜10時までなので、リオの夜景を充分に楽しむことができます。リオの夜景はすばらしいので、恋人と一緒にいってロマンティックな気分を楽しむというのがよいかもしれません。しかし、注意しなくてはならないのは天候です。 カーニバルの時期は雨期なので、登ったまではよかったが雲のような霧に隠れて何も見えなかったというのでは涙がでてしまいます。 ポン・ジ・アスーカルへの観光は雨期は天候と相談となります。 内容としては、ゴンドラは2段階になっており、まずプライア・ベルメーリャ駅から、575メートルの距離を海抜220メートルのウルカの丘までの登ります。 その次にゴンドラを乗り換えて、海抜396メートルの突起部の頂上まで登ります。ポン・ジ・アスーカルを訪れるが 雨で視界悪く残念でした。

12:30昼食

リオ・デジャネイロは1763年から、1960年にブラジリアに首都が移るまで、ブラジルの首都でした。ということで、セントロ ( カリオカ駅を中心に )にチラデンチス宮殿などの見所があります。 セントロで、面白い建物、それはCATEDRAL ( 大聖堂 )です。円錐形の先端部を切り取った建物でとても、教会には見えません。 ピラミッドのような形から、大きな劇場のようで外側はまるでビルのようなかんじですが、中側は紫色のステンドグラスの輝き、綺麗なメトロポリタン大聖堂を訪れる。

コパカバーナと同様に多くのものを提供していますがどちらかというと観光地としてではなくファミリーや同性愛者など地元の人々が多く訪れます。ここではサッカーもよく行われ、ビーチ全体にわたって飲料や軽食を出しているスタンドが賑やかな板道の後ろに並んでいますイパネマビーチを訪れる。

高級ホテルが立ち並び、昔はかなり美しい海岸として人気があったようです。現在はかなり庶民化しています。 家族連れなどもいるということです。 現在は主流はイパネマ海岸のほうだといいますが、まだまだ旅行者には人気のあるコパカバーナビーチを訪れる。

収容人数11万5000人を誇る巨大サッカースタジアム、1950年、リオで開催された第4回ワールドカップのために造られたマラカナン・スタジアムを訪れる。

リオ・デ・ジャネイロは、世界的に有名なリオのカーニバル 。リオのカーニバルはサンバの大きなパレードで、サンボドロモというサンバパレードのための会場で行われます。その会場を訪れる。

19:00夕食
20:00ホテルのロビーでゆっりして
21:00リオデジャネイロ空港に向かう。
4日3:10リオデジャネイロ空港出発、ドバイに向かう。
22:50ドバイ到着、バスでホテルに向かう。
ホテル到着後就寝。
5日12:00ホテル出発
12:30昼食
14:00ドバイ観光

観光情報ビーチと砂漠の町ドバイ。ビーチ沿いには7ツ星ともいわれる豪華リゾートが軒を連ね、小さな町の中だけでも5ツ星ホテルが30件以上も存在する。ビーチリゾートから1時間も車を走らせれば、そこは砂漠の世界。ラクダの背に揺られながら砂漠をトレッキングしたり、サンドボードで砂漠をスノーボードのように滑ったり、4WDで砂漠の中を駆け抜けるデザートサファリを楽しんだりと、遊び方はさまざま。敬虔なイスラムの国のため黒いマントに身を包む女性たちや、東西貿易の中継地点として栄えた背景から各国の色が混ざっているアラブ料理、地元の人々が集まるスーク(市場)など、アラブの雰囲気を味わえるのもドバイの魅力のひとつ。2000年前半から始まったドバイの大型プロジェクト、建設ラッシュ、インフラ整備……。その中でも日本人の確かな技術を中東世界にも認知させたのが、全長75kmのドバイメトロプロジェクト。三菱重工、三菱商事、大林組、鹿島建設など日本の企業4社とトルコの企業1社が作り上げたドバイ初の鉄道です。2005年夏に着工し2009年9月9日にドバイ首長のモハメッド殿下を乗せ初運行、あっと言う間にこれまでタクシー社会だったドバイの交通インフラを180度改善するきっかけを作りました。ドバイメトロの各駅は、地球・水・火・空気と4つのテーマを持ちデザインされています。地球をイメージした駅は、こげ茶色にコーディネートされ、水は青と白、火はオレンジと赤、空気は緑となっています。日本の駅と違って、テーマパークに来たのかしらと思わせるワクワクするデザインは観光要素としても一見の価値アリ! それぞれの駅に到着したら、「この駅のテーマは●●だな!」と楽しめるドバイメトロを利用して移動。

バスでオールドドバイに向かう。

真の旅情緒が味わえる魅力的な場所であり、特別で貴重な経験となるでしょう。マクトゥーム橋北側のクリークの河岸沿いに美しく伸びる、歴史情緒あふれる波止場では、キーキーと音を立てる無数のダウ船が昔からの方法で係留され、あらゆる地域からの多種多様な積荷の積み下ろしが行われています。河岸では雑然とした中に秩序を保ちながら、ありとあらゆる商品や食料品を載せたパレットが次々と運ばれ、すべてがドバイを中継として最終目的地に向けて入荷または出荷されていきます。色、活動、個性が爆発するダウ波止場地区は、ドバイの初期の時代から損なわれずに残る暮らしの原点のドバイのダウ波止場を訪れる。

最初は何の秩序もなさそうな印象を受けますが、この波止場でのゆっくりとした満ち引きのような活動は昔ながらの慣習から生まれたものです。親切な船員が船上での美味しいお茶やダウ船でのツアーに招待してくれるので、徒歩で訪れることをお勧めします。よい写真を撮るチャンスはダウ波止場地区でも沢山ありますが、伝統的なアブラ船やクリークのフェリーに乗ってみると、さらにすばらしい写真を撮ることができるアラブ船乗船を体験する。

特にドバイ・ゴールド・スークと昔ながらの多様な電化製品、魚、食肉、野菜、香水、スパイスなどのスークは必見です。これらすべてのスークは、活気にあふれたドバイのデイラ地区に集まっています。以前と比べると迷路のような雰囲気は薄れましたが、歴史的に有名な市場であるスークでは親切な取引や好意的な交渉が今でも行われています界的に有名なドバイのスークを訪れる。

感覚に対する真の攻撃です。この世で思い浮かべることができるありとあらゆるスパイスの袋がはじけて狭い通りにこぼれ落ちていますスパイス・スークを訪れる。

ドバイと金を切り離すことはできません。実際、多くの人々がこのスークのためにドバイを訪れます。どの店のウィンドウにも目を見張るようなディスプレーが飾られていますゴールド・スークを訪れる。

メトロ、バスでニュードバイに向かう。

2008年11月にオープンした、世界最大級! 東京ドームが23個入ってしまうほどの広さ111.5万平方メートルの敷地内(屋内面積55万平方メートル)にデパート、ショップ、レストラン、カフェ、スパ、エンターテイメント施設など約1,200店舗が出店しています。オープン当初は工事の遅延やテナントとの契約の関係で開店していなかったお店も続々とオープンし、2012年現在では空港以外の施設で、ドバイ一の集客率を誇るほど。平日でも地元の人間や観光客で大賑わい。駐車場も14,000台が収容できるほどのドバイモールを訪れる。

近代史上で人々の興味と好奇心をかき立てる建築物は、いまだかつてありませんでした。ブルジュ・ハリファの「アット・ザ・トップ」に足を運べば、そのわけも納得です。世界一の超高層ビルの124階にある展望台から、この驚異的な現代建築技術の粋がじかに体感できます。この圧倒的な高さから世界を見渡す快感をご自身の目でぜひ実感できる。「アット・ザ・トップ」訪問は、ドバイ・モールの1階にあるレセプション・エリアから始まります。展望台に上る間、ドバイの魅力的な歴史や、ブルジュ・ハリファの建築にまつわる興味深い物語を紹介する、マルチメディア技術を駆使したプレゼンテーションが紹介されます。この驚愕的なテクノロジーを駆使した建築物とともに、ドバイの街を発展させてきた人々の卓越した洞察力に深い英知を感じるブルジュ・ハリファを訪れる。

世界最大のアクリルパネルの水槽でギネス世界記録を達成した、巨大な水族館です。ドバイショッピングモール内にあるのですか幅32.88メートル、高さ8.3メートル、厚さ75センチ、重量約245トン。これまでのギネス世界記録である日本の沖縄美ら海水族館の幅22.5メートル、高さ8.2メートル、厚さ60センチを大きく上回ったらしい。3万3000種以上のお魚たちがいますドバイ水族館を見学。

長275メートル(ラスベガスの噴水より25%大きい)、最高で150メートルの高さまで上がる水柱が、音楽に合わせ華麗に形を変化させる。オペラやアラブのヒットソングなどそれぞれ5分程度、7種類のレパートリーがあり、夜6時から10時(または11時)まで20~30分毎に行われる。ドバイ・モール、Souk Al Bahar、The Palace-Old Town、The Address Downtown Burj Dubai、Burj Dubaiから鑑賞することができるラスベガスで有名なベラッジオホテルの噴水ショーを手がけたカリフォルニアの会社「WET」による噴水ショー。Burj Dubai(高さ800メートル以上の超高層ビル)の麓にある池「Burj Dubai Lake」にて毎日夜に開催される迫力満点なこのショーは、ドバイに来たら必見のバイ・ファウンテン(噴水ショー)を見学。

21:20バイショッピングモール内での夕食後メトロ、バスでホテルに戻り荷物を確保してからバスでドバイ国際空港に向かう。
21:40ドバイ国際空港到着
6日3:00ドバイ国際空港エミレーツ航空で出発
16:50関西国際空港到達

今回の旅行、ペルーに続いて2回目の訪れである南米に足を運び、日本からは最も遠い、飛行機で30時間かかるアルゼンチン、ブラジルを訪れ9日間の観光旅行楽しめました。

アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスに点在する歴史的建造物の訪れ、アルゼンチンとブラジルの境に位置する世界三大瀑布の一つイグアスの滝を2日間に掛けてアルゼンチン側からの遊歩道散策でのイグアスの滝の眺望、ブラジル側からの遊歩道散策でのイグアスの滝の眺望、ヘリコプター遊覧飛行でのイグアスの滝の上空からの眺望圧巻で堪能いたしました。

ブラジルの歴史的意義の深い都市リオデジャネイロの訪問は、生憎天候が悪く、コルコバードの丘とポン・ジ・アスーカルの山頂からの町並みの眺望は視界が悪く確認できず残念でした。

ドバイ観光はドバイは2回目の訪れですが、前回は6時間しか滞在できず、十分な観光はできませんでしたが、今回は1泊してゆっくりオールドドバイとニュードバイの観光名所を納得のできる観光となりました。

南米アルゼンチン首都ブエノスアイレス、イグアスの滝、ブラジルの歴史的意義のある都市、リオデジャネイロ、急速に進化している未来都市ドバイ、9日間の観光旅行満喫しました。
















































飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百二弾:ドイツ・ベルギー・オランダ観光
2012年8月12ー19日
   

ヨーロッパに足を運び、文化の異なる9つの国に囲まれ、一極集中の都市を持たない、自由都市や小さな領邦国家の集まりだった中世からの歴史が個性的な地方文化をもたらした各地の独立国家が集まってできた国、ドイツ、欧州の中心的役割を担う国際都市から、中世の面影を色濃く残すかわいらしい都市まで、見所たくさんのベルギー、風車、花、運河がキーワード、貿易で繁栄し、人口の10%が外国人で、自由で寛容な気質の国、オランダを訪れました。

12日9:40関西国際空港ルフトハンザ航空で出発
14:30(時差-7時間)フランクフルト空港到着、バスでラインの真珠とよばれるワインで有名な小さな町リューデスハイムに向かう。
16:00リューデスハイムのホテル到着。
17:30リューデスハイムを散策。

カトリック教会、市庁舎を訪れる。

ゴンドラで1871年のドイツ統一を記念して、1883年に建てられたゲルマニアの女神の立派な記念碑がライン川を見下ろして立っているニーダーバルトに向かう。到着後ニーダーバルトの森を散策する。

ゴンドラで戻りつぐみ横丁、ブレムザー館、アスバッハブランデー工場、リューデスハイム駅を訪れる。

19:00ホテルに戻る。
19:30夕食
21:00就寝。

13日7:30朝食

8:40バスで出発、隣のガイセンハイムにてワイナリーを訪問する。

9:30父なる河ラインの両岸に点在する古城やローレライの岩を眺めながらリューデスハイムからライン河クルーズする。

ビンゲン、ねずみの塔、アスマンハウゼン、ブファルツ城、シュターレック城、シェーンブルク城、ラインフェルス城、ザンクト・ゴアール、ローレライ、ねこ城、ねずみ城を望む。

12:30ザンクト・ゴアルスハウゼン到着後、昼食はマスのムニエル(フォレレ・ミュレリン)を召し上がる。

14:00バスでリンブルクに向かう。
15:00人口3万5千人。ラーン川の段丘の上に建つ街。フランクフルトから約1時間。クルツポルト伯爵家の所領で10世紀初めには居城があったリンブルク到着。

白い壁に赤く縁取りの彩り豊かなリンブルク大聖堂を訪れる。

16:00ケルンに向かう。

18:00ローマ帝国によってローマ植民市として建設されたライン川中流の古市であり、ケルンの名はラテン語で植民市を意味する Colonia に由来する。現在では国際的な見本市や展示会が行われる産業都市の側面も持つ。ユネスコ世界遺産に登録されているケルン大聖堂が町のシンボルであり、ドイツ最大のカーニバルが開催されることでも知られるケルン到達。

世界最大級のゴシック建築であり、完成まで632年を要したドイツの世界遺産。そのコンセプトは「天」。神の国へ一歩でも近づこうとひたすら高さを求めたケルン大聖堂を訪れる。

18:30夕食は豚スネ肉のローストポークナックルを召し上がる。

20:30ホテル到達、就寝。

14日8:30バスでブリュールに向かう。

ドイツロココ様式の贅をつくした建物と美しい庭園が広がる世界遺産アウグストゥスブルク城を訪れる。

ケルンに戻り世界最大のゴシック建築世界遺産のケルン大聖堂の内部を見学し階段533段の最上階に登る。

昼食はケルンの地ビールと名物ソーセージ。

ドイツ、ノルトライン・ヴェストファーレン州の都市。ドイツ・ベルギー・オランダ3ヶ国の国境近くにある歴史的・文化的都市で温泉街としても有名。また、大聖堂はユネスコの世界文化遺産に登録されているアーヘンを訪れる。

大聖堂と同じ広場にアーヘンのゴシック様式で、見るからに厳しい感じのする建物で、カール大帝の宮殿だった所の市庁舎を訪れる。

カール大帝が礼拝堂として、9世紀初頭に建てたもので、八角形の丸屋根をもつ大聖堂、ロマネスク様式とゴシック様式が混在している世界遺産アーヘン大聖堂を訪れる。

大聖堂の西側にあるカール大帝の大きな金の胸像など、カール大帝とその帝国の栄光が偲ばれる品々が並ぶ宝物館を訪れる。

夕食はオランダ名物ニシンの酢付け(ハーリング)

20:30ホテル到達、就寝。

15日8:30ホテル出発、マーストリヒトに向かう。

オランダのリンブルグ州の州都で、ベルギーとドイツに囲まれた南東端にある。人口は約11万人で、古くからマース川の河川交通の要所として発展。1991年、ここでEU統合の条約の調印が行われたことで知られる (マーストリヒト条約)マーストリヒトを訪れる。

オランダで最も古い教会の一つ、その歴史は6世紀にまでさかのぼる。聖人セルファティウスを祭った教会で、彼自身は384年にマーストリヒトに到着した直後、亡くなり、この地に葬られた、といわれている。その後、何世紀にも渡って彼の聖人としての偉業が本や人々の口から伝わり、本日に至っている聖セルファース教会を訪れる。

マーストリヒト旧市街の中心にあり、古い石畳や緑豊かな木々が生い茂る美しい広場です。周辺には、素敵なレストランやカフェがずらりと並びます。素晴らしい宝物殿を誇るロマネスク様式の聖セルファース教会も、この広場に面していますフライトホフ広場を訪れる。

13世紀から16世紀にかけて三度にわたって築かれ、今は旧市街の南端に部分的に残っています。国境の街として、幾多の戦場にならざるを得なかった歴史を物語っています。今はこの付近一帯は公園として整備され、市民の憩いの場となっています城壁を訪れる。

10:30バスでフェンローに向かう。

11:30フェンロー到達。

世界中から花や草木、環境に優しいガーデン、花のバビリオンなどを楽しめるフロリアード2012を見学。

15:30ブルージュに向かう。

18:45「北のヴェネツィア」「屋根のない美術館」「水の都」の異名をとるベルギーの世界遺産「ブルージュ歴史地区」。階段状のかわいらしい破風で飾られた家並みを歩き、船で優雅に運河を漂い、「愛の湖」で白鳥を眺めるブルージュを訪れる。

19:00ホテル到着、夕食、就寝

16日8:45出発、ブルージュ観光に向かう。

水の都、文書の記録にも9世紀ごろから残っているヨーロッパでも有数の古都。かつて水運を通じて北海ともつながり、ハンザ同盟の町として毛織物の交易で栄え、その頂点を15世紀に迎えています。中世以来時の流れを止めてしまったこの街は、ベルギー有数の観光地ですが、霧に閉ざされた冬の風景は、今もG.ローデンバックの小説世界そのまま。世界遺産にも登録されていますブルージュを散策する。

運河クルーズでブルージュを巡る。

13世紀から15世紀にかけて建てられ、高さ122メートルの塔が偉容を誇っています。内部には、マリー・ド・ブルゴーニュの墓や、「十字架上のキリスト」を描いたヴァン・ダイクの絵、ミケランジェロ作の「聖母子像」など、秀作がそろっています聖母教会 を訪れる。
市の中心となる広場(グランプラス)。ギルド・ホールの偉容とその上にそびえる鐘楼が、かつての繁栄ぶりをしのばせます。東側の建物は、西フランドル州庁舎があるマルクト広場を訪れる。

13世紀に建設されたものですが、その後拡張されています。鐘楼は高さ83メートル。366段の階段を登る途中で、総重量27トンというカリヨン(ここでは4オクターブ47個の鐘)や、自動演奏装置が見られますギルドホールと鐘楼 を訪れる。

ゴシック様式の建物に囲まれた広場。かつてのフランドル伯の館(ブルグ)があったところ。4つの建物(市庁舎、古文書館、裁判所、聖血礼拝堂)に囲まれていますブルグ広場 を訪れる。

十字軍が持ち帰ったという聖血(キリストの流した血)がまつられています。下部は聖バシリウスをまつった12世紀ロマネスク様式の礼拝堂ですが、上部の聖血礼拝堂部分は15世紀にゴシック様式に改修されました。聖血をおさめる厨子は別室に陳列されています。「聖血の行列」はブルージュ最大の行事です聖血礼拝堂 を訪れる。

1537年完成のルネッサンス様式。正面に正義、左にモーゼ、右にアーロンの像があります古文書館を訪れる。

1376年に着工、1420年に完成したフランダース最古の市庁舎。2階の「ゴシックの間」は、天井がオーク材のアーチの市庁舎を訪れる。

1250年ごろのゴシック様式を中心にして、19世紀の新ロマネスク様式までが見られます。見事なタペストリーやオルガンは18世紀初期のものの救世主大聖堂を訪れる。

中世に始まったベギン会は、一人の指導者のもとに質素で敬虔な生活を送る婦人たちの集団で、会院(ベゲインホフ)の中で起居していました。ブルージュのベギン会は、1245年にフランドル伯夫人によって設立されたものですが、現在の建物は17世紀以降のものです。白い建物が緑の中庭を取り囲んで、静穏な雰囲気をただよわせています。現在はベネディクト会女子修道院として利用されていますベギン会院 を訪れる。

昼食はワーテルゾーイ(クリームシチュー)

ケントに向かう。

「青い鳥」の作者メーテルリンクの故郷。16世紀の神聖ローマ皇帝カール5世も、この地で生誕。彼の庇護の下に黄金時代を迎えたこの町は、ブルージュと並ぶ北方ルネサンス発祥の地でもあります。聖バーフ大聖堂にあるファン・アイクによる門外不出の祭壇画「神秘の子羊」はフランドル美術の最高傑作です。近年は臨海工業地帯として発展し、西フランダース地方の中心都市に生まれ変わりました。現代と中世が美しく調和した、人口25万の「花の都」のケントを訪れる。

16世紀の建造ですが、ゴシック様式とルネッサンス様式がつなぎ合わされています。「ゲントの和約」の会場の市庁舎を訪れる。

13世紀ごろにギルドによって建てられたもので、高さ91メートル。東隣には、15世紀に建てられた 繊維ホール(ラシャ取引所)Lakenhalleがあります鐘楼を訪れる。

地上部はゴシック様式。中に入ると、高い天井、豪華な装飾に目を奪われます。極めつけは、ファン・アイク作(兄弟合作とも)の祭壇画「聖なる子羊の礼拝(神秘の子羊)」。象徴性豊かなフランドル絵画の頂点に立つ作品がある聖バーフ大聖堂を訪れる。

レイエ川にかかる橋。そこから眺める鐘楼、聖バーフ大聖堂、聖ニコラス教会はこの町を代表する風景です。また、河岸のグラスレイGrasleiとコレンレイKorenleiに並ぶ古いファサードも見事なシント・ミヒール橋 を渡る。

フランドル伯アルザス家のフィリップが1180年に造った城塞、フランドル伯の城 を訪れる。

ブルージュに戻る。

夕食は中華料理

19:30ホテル到達、就寝。

17日8:00バスでアントワープに向かう。

15世紀後半にブルージュを追い越してフランダースの毛織物交易の中心地となり、さらに16世紀にはスペインやポルトガルが植民地から仕入れた品物をさばいて隆盛をきわめました。一時スペイン領となって衰えましたが、現在は活気のある臨海工業地帯として、バロック芸術の花開いた芸術の都として、ダイヤモンドの町として、そしてファッションの町として国際的に知られています。日本人にはとくに名作「フランダースの犬」の舞台の町として有名でなアントワープ観光を観光。

聖母マリアに捧げられ、名付けられた教会堂である。ノートルダム (Notre-Dame, 英語ではOur Lady) はフランス語で「私達の貴婦人」という意味で、聖母マリアを指してい
る。ノートルダムを冠した教会堂は世界各地のフランス語圏の都市に建てられてきたノートルダム大聖堂を訪れる。

アントワープの伝説の英雄ブラボー、昔、スヘルデ川に住む「巨人」アンティゴンが暴威をふるい、アントワープの人々を困らせていました。ローマ兵士ブラボーは、この巨人を退治して手を切り落とし、スヘルデ川へ投げ入れたのでした。噴水の像を良く見ると切った手首を投げようとしているのが分かります。手(ant)を投げる(Werpen)。これがこの街「Antwerpen」の名の由来となりました。またブラボーは「ブラバント」の名の由来のブラボー噴水を訪れる。

アントワープの中心にある広場で、まわりを取り囲む市庁舎やギルドハウスの眺めは圧巻です。市庁舎Stadhuisは1561年から1564年にかけて建造されたルネサンス様式の建物。中心には1887年のジェフ・ランボー作のブラボー像の噴水があります。ブラボーBraboとは、ブラバントという名の紀元となった古代ローマの兵士の名で、スヘルデ川で暴威をふるっていた巨人アンティゴーンの手(ant)を切り取って投げた(werpen)という伝説に登場する英雄です。この伝説はアントウェルペンという地名の由来といわれていますグローテマルクト広場を訪れる。

昼食はカルボナード(牛バラ肉のビール煮込み)デザートにワッフル

ブリュッセルに向かう。

中世の香りただよう石畳のグランプラス広場からスタート。市庁舎、王の家、小便小僧、ガルリ・サンチュベール、プチ・サブロン広場、聖ミシェル聖ギュデュル大聖堂、王立美術館、王立美術歴史博物館、王宮、楽器博物館、王立中央アフリカ博物館、ラーケン王宮、アトミウム、グラン・サブロン広場、月曜を除く毎朝の花市、週末の骨董市とクラフト市、毎日の蚤の市、アール・ヌーヴォー建築の巨匠オルタの住まい兼アトリエだったオルタ美術館など、見どころいっぱいです。ブリュッセルでは沢山の美術館、博物館だけでなく、カフェで地ビールを楽しんだり、メトロでルイーズ通りの高級ショッピング街を歩いたり、トラムに乗って郊外まで足を伸ばすことにもチャレンジしてみましょう。人々の暮らしにふれるのも、小さな町だからこそ可能なブルュッセル観光する。

7世紀にJ. デュケノワによって作られた可愛らしい彫像。マヌカン・ピスとかプチ・ジュリアンと呼ばれているブリュッセルの最年長市民です。今までに2度盗難に遭っています小便小僧を訪れる。

市の中心となる広場で、中世には馬上槍試合も行われました。1695年、ルイ14世率いるフランス軍の砲撃に遭い、広場を取り囲む建物のほぼ全てが破壊されましたが、5年後にはもとの姿を取り戻しました。現在は毎日花市が立つほか、さまざまなイベントの会場として利用され、いつも人々で賑わっています。かつてヴィクトル・ユゴーは「世界で最も美しい広場」と呼び、ジャン・コクトーは「絢爛たる劇場」とたたえました。市庁舎を中心にギルドハウスが立ち並ぶ眺めは圧巻のグランプラス広場を訪れる。

ブリュッセルを代表する建造物のひとつ。15世紀に建てられたフランボワイヤン(後期フランス・ゴシック)様式の建物で、中央の塔の高さは96メートルあります。先端の像は、ブリュッセルの守護聖人である大天使ミカエルの市庁舎を訪れる。

夕食はベルギー名物(ムール貝のワイン蒸し)

19:30ホテル到達、就寝。

18日8:00ホテル出発、ブリュッセル空港に向かう。
11:05ブリュッセル空港出発
12:15フランクフルト到達
14:00フランクフルト出発
19日7:50関西国際空港到達。

今回の旅行、ヨーロッパの北西部に足を運び、各地に集まった独立国家が集まってできたドイツの全長1320kmに及ぶ大河、その中流域は世界遺産に登録されており、美しい古城が点在するライン川エリアと世界最大のゴシック大聖堂のあるケルン、

海抜が低く水との闘いから国土を築き上げ、ゆったりと流れる運河やのどかな風車、咲き誇れる花々、自然と調和したオランンダの南東部、リンデンブルグ州の州都、オランダ最古の町の一つで、古くからヨーロッパの十字路として栄えたマーストリヒトと10年に1度、オランダで開催、今年はフェンローで行われたフロリアード2012、

4か国と国境を接しヨーロッパの交通の要衝に位置するベルギーの15世紀に運河の沈泥で街が閉ざされ、中世の風景がそのまま残ったブルージュ、世界のダイヤモンドの中心地、芸術の都であり、ファッションの発信地として有名なアントワープ、交易や毛織物で発達した産業都市で、花の祭典が開かれる花の都、ケント、華麗な建築物が歴史を感じさせる一方、EUやNATOの本部も置かれるベルギーの首都、ブリュッセルを訪れ7泊8日の旅、満喫しました。

国土の85%が緑に覆われ、自然の中に調和した多くの点在する古城等の歴史的建造物が位置する北西ヨーロッパ3か国、改めて歴史の深さを感じたヨーロッパのドイツ・ベルギー・オランダ観光旅行でした。

ベルギーはほぼ有名な観光名所を訪れることがができましたが、ドイツとオランダはごく一部しか回れず、次回持越しで、2回目の訪れを期待したいと思います。


























飛行機で国内&海外の観光地巡り第百九十八弾:中国大連&旅順観光
2012年7月14ー16日
 

中国東北地方に足を運び、北方の香港と呼ばれる東北有数の先進地域で、港湾都市でもあり、東北隋一のビーチリゾート金石灘にはテーマパークもあり、経済技術開発区には日本の企業も多く進出している、旧ロシア人街や旧日本人街などがあり、帝政ロシアの不凍港として町ができた大連、日露戦争の激戦地である旅順を訪れました。

14日16:30関西国際空港中国国際航空で出発
18:00大連周水子国際空港到達、タクシーで大連中心部に向かう。
18:30大連駅近くのホテル到着、後繁華街を散策し海鮮料理を召し上がってから就寝。

15日7:00市街地を早朝散策する。

ロシア占領時代につくられた広場。当時は「ニコライ広場」と呼ばれ、その後の日本占領時代に「大広場」となった。解放後、革命家・孫中山を記念して「中山広場」と命名された。直径200メートルの円形で、広場を中心に10本の道が放射状に走る。周囲には欧州の雰囲気を伝える建築物が並んでいる中山広場を訪れる。

周囲の建造物のなかで、重厚なたたずまいを見せているのが旧大連大和ホテルの大連賓館。1914年の建設。館内には日本料理店もある大連賓館を訪れる。

中国工商銀行大連分行、中国銀行大連分行、中信銀行中山支行、交通銀行大連市分行、花旗銀行大連分行、大連市郵政局、中国工商銀行中山広場支行、大連人民文化倶楽部、大連金融大厦、大連満鉄旧跡陳列館を訪れる。

水晶球を中心にしたロータリー。中ソ友好の象徴としてつくられた友好広場を訪れる。

大連駅の正面一帯に広がるショッピングゾーン。勝利広場は2つの円形ビルの間にあるローマ式広場で、台湾と大連の合資でつくられた。さらに南側には大きな百貨店街が続く。日中合資のマイカルもその一つで、香港合資で建てられた「百年商城」とともに高級店となっている。平日でも買い物客でにぎわい、週末にはファッションショーやバンド演奏なども行われる勝利広場を訪れる。

ロシア占領時代の1903年に建設され、当時は支線の小さな駅に過ぎなかった。現在の駅舎は日本占領時代の1937年、上野駅を模して建てられ、路線も東北地方の各都市や天津、北京、上海と結ばれた。年々、乗降客が増加して手狭になったため、2001年から増改築工事は始まり、100周年の2003年8月に完成した。面積は2.4万平方メートル、駅舎の収容人数は6000人の大連駅を訪れる。

8:00ホテルに戻る。
8:15観光バスで旅順に向かう。
9:00旅順到達

旅順口区市街の東北部に位置して、この山は鶏冠に似ているために東鶏冠山と呼ばれています。日露戦争の時、ここは帝政ロシアの旅順東側の陸防御線としての重要な工事となっており、主に北側の土地を制御していました。士官室や兵舎・食堂・弾薬庫などを設けています。当時の構造がそのまま残されており、壁は砲弾・銃弾の弾痕が残っており、当時の戦いの激しさを物語っています東鶏冠山を訪れる。

東鶏冠山から望台山砲台を望む。

旅順の白玉山は海抜が130メートル、もともとの名前は"西官山"ですが、李鴻章が醇親王と旅順口を視察する時、旅順には「黄金山」があるため、「白玉山」もあるべきだと言い、その後この山を白玉山と呼ばれてきました。山頂には蝋燭のような形をした「白玉山塔」があります。この塔は日露戦争が終結後、日本海軍大将東郷平八郎と陸軍大将乃木希典の提案で造った「表忠塔」で、当時2万人の労力を用いて、1907年6月に着工し、1909年11月に完成しました。「表忠塔」の高さは66.8mで、塔内には24階の旋転階段があり、21個の窓を設けられました。塔の基盤に使った石は殆ど乃木希典の故郷である山口県徳山から運んできた花崗岩です。現在は「表忠塔」は『白玉山塔』と改称されました。山を曲がりくねった南北2本の道路があり、また、山の東坡側に、山頂に直行する496級であるセメント石段が1本あります。南麓側には、山頂に直行する空中ロープウエーもあり、山頂で旅順口軍港と市街区の風景を一望できます白玉山塔
を訪れる。

旅順新市街に位置しています。1955年9月3日に落成しました。ちょうど前ソ連軍が旅順から撤退する年、第二次世界大戦終戦10周年にあたる年で建てられました。塔高は45メーターで、1945年の終戦記念をイメージしています勝利塔を訪れる。

白玉山景区西部に位置する旅順駅は、特別な造りの駅舎で、ロシアの風格を持つ建築物です。市級文物保護単位に指定されています。麦わら帽子のような楕円形の屋根、羽毛のような細かさで嵌め込まれた小さなタイル、精巧な細部の彫刻、ロシアスタイルの白い壁、緑の窓など独特な外観は、異国情緒を感じさせます。1898年、帝政ロシアが旅順と大連を借りうけた際、軍港を拡張し、鉄道を敷設しました。旅順駅は、帝政ロシア占領時代の南満州鉄道支線の終点でした。1903年から運行を始めました旅順駅を訪れる。

旅順博物館は歴史博物館です。この建物はもともと帝政ロシア時代に「将校クラブ」として使われていたものです。1917年に関東都督府によって「関東州満蒙物産館」が設立しました。1954年になって、「旅順博物館」と改称されました。旅順歴史博物館という題字は郭沫若先生がしました。今の総面積は2.5万平方メートル、建築面積は6000平方メートルの旅順博物館を見学。

日露戦争中、203高地は旅順西部の最激戦地です。海抜206m、軍事地図の中で203番なので、「203高地」と呼ばれています、一説では、戦争前の海抜は206メータで、戦争により3メータが削られ、高さは203メータになった、そこから、203高地で命名されました。203高地はロシア軍後方防衛線の西側の最高陣地です。この山の頂上から旅順港の全体が見えます203高地を訪れる。

日露戦争が終了、1905年1月5日、乃木大将とステッセル将軍が水師営にてロシアの降伏調印を結びました。ここの家はもともと劉さんという農民の家で、現在復元しているこの家の屋根の上に草がぼうぼうと生えてます。入り口の小部屋とその左右両側に部屋が二つあります。左側の部屋で、1905年1月5日、乃木希典とステッセルの間で会見が行われました水師営会見所を訪れる。

14:00大連に戻る

14:30日本占領時代の1909年に開設され、解放後に観光、水泳、療養、娯楽などの総合型公園として市民に開放された。面積は16万平方メートル。海水浴場は長さ800メートル、多いときには10人の観光客、市民が訪れる。高さ55メートルの塔から水面に降下するバンジージャンプ、長さ510メートルの海上を渡るリフトもある。水族館「聖亜海洋世界」も併設する星海公園を散策する。

大連を代表する広場。広さは12.5万平方メートルもあり、緑鮮やかな芝生は4万平方メートルにも及ぶ。北側の正面には市人民政府、東西には法務院、検察院、公安局が配置され、行政の中心部になっている。広場の南側には噴水が備え付けられ、毎日12、19、20、21時に30分間、見事な水の芸術を見せてくれる。名物になっているのが、中央を横切る中山路で交通整理をする婦人警察官。さっそうとした姿は、格好の被写体の人民広場を訪れる。

旧日本橋と言われた橋です。この橋を渡るとロシア街で今もロシア建築物が多く残っています。橋の下は鉄道の線路となっており、手前側が大連駅となります勝利橋を通過する。

ロシアが大連を占領した1897年冬以降、市内各地にロシア様式の建物が建てられた。当時、ロシアは市内を欧
州区、行政区、中国区の3地区に分けて整備。ロシア街の勝利橋北側一帯は当時の行政区として、ロシア市政府など各行政機関が集中立地された。大連市人民政府は歴史、文化を守るため、2000年9月に古い建物を保存し、新たな建物を復元したロシア街をオープンさせた。総工費は1.8億元の旧ロシア人街を散策する。

16:30ホテル到達、休んでから市街地散策、食事を済ませて就寝
16日8:00大連中心部を散策。

戦前中国東北部(満州)への玄関口として活躍しました。現在では工業都市でもある大連の輸出入港で中国有数の貿易港の一つでもあります大連港を訪れる。

ロシア人が1898年に開設、当時は「西公園」と呼ばれた。その後の日本占領時代にゴルフ場、相撲場、プール、乗馬倶楽部がつくられ、「中央公園」に。現在は、大連市中心部で最大の公園となり、面積は102万平方メートル。一各種植物が植栽されているほか、ゴルフ場、テニス場、スケート場もある体育と娯楽施設もある。さらに小動物園、遊園地もある労働公園を散策する。

労働公園の南側、山頂に位置し、海抜280mの展望台からは大連市内を一望できます。日本の鉄鋼メーカーの協力により建てられました大連観光タワーを眺望する。

南山の北側一帯の住宅街。ロシア占領時代は欧州区となり、日露戦争後の日本占領時代に日本人街となった。ロシア占領時代の建物を使うなどしたため、純日本風というより、欧州の雰囲気を残した地区となった。2000年に新たな保存地区として整備され、石畳の両側には日本占領時代を復元した豪邸が建ち並んでいる。総面積は9万平方メートル、道の長さは700メートル。地区内には別荘80棟、商店30棟がある旧日本人街(中山区南山路)を散策する。

10:00ホテルタクシーで出発
10:20大連周水子国際空港到達
12:20大連周水子国際空港出発
15:30関西国際空港到達

今回の旅行、中国東北地区に足を運び、1898年に帝政ロシアが清朝からこの地を租借したことから始まり、1905年の日露戦争以降、日本の租借地となり、市内にはロシアと日本の統治時代の遺構が今も数多く残っている大連、日露戦争の激戦地になったことで印象深い場所、その舞台となった203高地へと向かう日本旅行客は今も後を絶たない旅順を訪れ、歴史学習できました。

広い中国大陸、東北区にも経済成長著しい大連、人口600万人、いたるところで高層ビル建設ラッシュ、道路の整備拡張、延長、線路の延長、日増しに町が急速に発展変貌している様子がうかがえます。

数年前までは自転車が交通手段の主力でしたが、今は自転車、バイクはほとんどみられず、軽自動車も少なく、多くの普通自動車が走っているのが目に移り、まだまだ高度成長の真っただ中と感じられた中国大連・旅順観光旅行でした。


























飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十九弾:モロッコ観光
2012年4月28日ー5月5日
 

ベールをかぶった神秘的な女性、メディナ(旧市街)やスーク(市場)の喧騒。アトラス山脈の大自然、果てしなく続くサハラ砂漠、アフリカ大陸の北西部に位置し、チュニジアやナイジェリアと共にマグレブ地方(日の沈む国)と呼ばれ、日の出づる国日本に住む私たちにとって遠く、そして魅惑に満ちた国といえるモロッコを訪れました。

28日23:40関西国際空港エミレーツ航空で出発。
5:10ドバイ到達、乗り継ぎで
29日:35ドバイエミレーツ航空で出発
11:55モロッコカサブランカ到達、バスでカサブランカ観光。

モロッコの玄関口で最大の都市、近代都市とモロッコの古い文化が交じり合うモロッコ観光の出発地点にふさわしいカサブランカを巡る。

大西洋沿岸に、今やカサブランカのシンボルであり、1986年から8年がかりで1993年に完成したモロッコ最大、世界で5番目に大きいモスク、ハッサン2世モスクを訪れる。

噴水のある大きな広場、広場の隣には市庁舎、裁判所、そして広場を囲むように中央郵便局PTTやシティホール、劇場など町の中枢機関が集中しているムハンマド5世広場を訪れる。

バスでマラケシュに向かう。
20:30マラケシュ到達。

北から、大西洋岸から、そしてサハラ砂漠から、あらゆる土地の人々がやってくる。集う人間も、売買される品物も、交わされる情報も、あまりのバラエティ豊かで、その数もあふれんばかりのマラケシュを巡る。

夕方になると屋台が出て、あらゆる大芸能や人並みで毎日お祭り騒ぎになり、モロッコといえばマラケシュ、マラケシュといえばフナ広場というほどの象徴的な光景が見られる場所、ジャマア・エル・フナ広場を訪れる。

21:30マラケシュ市街地内のホテル到着、夕食を済ませて就寝。

30日8:00バスで出発。マラケシュ市街を巡る。

12世のムワッヒド朝時代に造られた広大な庭園、中央に貯水池があり、その周りをオリーブの林が囲んでいる。貯水池に面しているパピリオンは、19世紀に修復されたもので、スタルタンたちのデートスポットでもあったというメナラ庭園を散策する。

昔も今もメディナの西に聳え立つマラケシュのシンボル、クトゥピア・モスクの高さが約77mの美しいミナレット、サハラの玄関に向かって見張り番のように建ち、ナツメヤシの森と旧市街を両方見下ろすクトゥビアを訪れる。

大邸宅の周囲に広大な庭園を巡らし、豪華な個室が並んでいる。アルハンブラ宮殿に負けない芸術作品、周囲の建物は、4人の妃と24人の側女たちの部屋だったというバヒア宮殿を訪れる。

バスでオート・アトラス方面に向かう。

アトラス山脈は、モロッコを大きくふたつの顔に分けている。北側のマラケシュ、フェズといった大都市を城壁とメディナの世界とすれば、南側の地域は、サハラ砂漠へ続くカスバとオアシスの世界である。延々と広がる乾いた大地に点在する、緑豊かなオアシスの村々、静寂、広大さ、解放感のあるオート・アトラスを訪れる。

ワルザザード方面に向かう。

マラケシュからオート・アトラスを越えると、サハラの入り口、何もない広い土漠のなかに、いきなり開ける明るい町並み、ワルザザードを訪れる。

日干しレンガ造りの古いクサル(要塞化された村)の一つで、特別な歴史があるわけでもなく、その現実離れした不思議な風貌は、迫力ある空間芸術といってもいいほど壮観であるアイト・ベン・ハッドゥを訪れる。

ワルザザードは世界中の映画関係者が、ロケ地として今も熱い視線を注いでいる場所、過去にも何本もの有名映画の撮影が知られている。そうしたセットを利用して、見所が登場したアトラス・コーポレーション・スタジオを訪れる。

19:00ワルザザートの市街地内にあるホテル到着、夕食を済ませて就寝。

5月1日8:00バスで出発、カスバ街道走行する。

ワルザザートからティネリールを経てエルラシディアを結ぶ東西のルートをカスバ街道と呼び、カスバとは城壁で囲まれた要塞のこと、この街道沿いには、土レンガで造られた大小のカスバが数多く残っている。

ワルザザートの西8kmほどの所にある美しいカスバ、かつてグラウイ家が所有していた住居で、映画アラビアのロレンスのロケにも使われ、映画の中にこの建物が登場しているティフルトゥトのカスバを訪れる。

かつてはグラウィなる人物が住んでいたカスバで、1990年製作の映画シェルタリング・スカイの舞台になったことで有名なタウリルトのカスバを訪れる。

ワルザザートからダデス谷行きの道は、荒涼とした景観が広がる大地を通り、日によっては横風と砂嵐がひどく、視界が悪くなる。

ダデス谷行きの道にバラ栽培で有名で、近くにはバラ水を蒸留する工場があり、それを売るみやげ物店も多いエル・ケラア・ムグナの村を訪れる。

イミルシルの方面へ内陸に入っていくとダデス峡谷があり、峡谷まではさらに60km以上の距離があり、独特の景観美を誇っているブーマルン・ダデスの村を訪れる。

ワルザザートとエルラシディアのほぼ中間、トドラ川を横切るところにあり、人口1万5000人、もとはワルザザートと同様、フランス軍のサハラ前線基地として造られ、現在は、いまだに伝統的色が色濃く残るこのエリアに住むベルベル人たちの中心的存在としてにぎわう町となっているティネリールを訪れる。

街道沿いの数多いカスバのなかでも、最も大きなものの一つ、マラケシュの司令官だったグラウイの住居でもあったグラウイのカスバを訪れる。

ティネリールの町から、トドラ川の方に道を下ると、そこには切り立った岩壁が立ちはだかる峡谷がある。これがカスバ街道きってのスペクタクルな景勝地、トドラ渓谷を訪れる。

エルフード方面に向かう。

1917年にフランス軍の駐屯地として造られ、基盤の目のような真っ直ぐに道路が通っており、町中の建物もどことなく四角で画一的な印象である、ここはサハラ砂漠への入り口であると同時に、タフィラルトの中心的なオアシスでもあるエルフードを訪れる。

18:30市街地内のホテル到着後夕食を済ませて就寝。

2日4:30 4DWで出発。メルズーガに向かう。

5:30メルズーガ到達、砂丘前のカフェに着く。ラクダに乗って砂漠の日の出を見に行く。
6:32砂丘の上から日の出を鑑賞する。

7:30砂丘前のカフェから4DWでホテルに戻る。
8:00ホテル到着、朝食を済ませて
9:30バスでフェズ方面に向かう。

メクネスとタフィラルト(ズィズ川オアシス地域)エルラシディアを訪れる。
ズィズ渓谷を訪れる。

切り立った雪の山脈アヤシ山が現れ、その山脈を背後に従えた町ミデルトを訪れる。

モワイヤン・アトラス山脈の中腹に、およそモロッコとは思えない町があり、杉の林にうっそうと囲まれ、小川が流れ、池に木漏れ日がきらめく、町は驚くほど静かで美しく、ヨーロッパ風のたたずまいを見せているイフレンを訪れる。

19:00フェズ到達。フェズ市内のホテル到着後夕食を済ませて就寝。
3日7:30バスで出発。フェズ市内観光。

世界一複雑な迷路の町、モロッコ最初のイスラム王朝の都でムーレイ・イドリス1世が興した城壁で囲んだ町フェズを訪れる。

世界で一番大きな迷路といわれ世界遺産に指定され、周囲10km以上といわれる旧市街を歩くと中世の暮らしがそのまま残されておりいまだに車は内部に入ることができず、ロバが貴重な輸送手段となっているメディナを散策する。

フェズ・エル・ジェディドの中央の広大な敷地を占有して、かつてのスルタンの居城であり、スルタンの兵士たちの駐屯地でもあった王宮を訪れる。

メディナの入り口にあるフェズ最大の門、1913年に建造され、外面は幾何学模様に彫刻され、青色や緑色のタイルで彩られているブー・ジュルード門を訪れる。

フェズ川のほとりにあるなめし革染色職人街、スーク・ダッバーギーンを訪れる。

9世紀に、チュニジアのカイルアンから移住した裕福な商人の娘、ファーティマ・フェヘリーヤによって建てられ、祈りの場所から、学問の場所マサドラになり現在大学として登録されているカラウィーンモスクを訪れる。

香料、香辛料、香水などを売る店が集まったスーク、アッタリーン・スークを訪れる。

メディナの北、城壁の外の小高い丘に、マリーン朝のスルタンたちが埋蔵されている墓地、かつては大理石の見事な墓碑が並んでいたマリーン朝の墓を訪れる。

ヴォルビリス遺跡方面に向かう。

メクネスから北に約30km、ゼルフーン山を取り囲む平原には肥沃な大地が広がり、オリーブ、果樹、ワイン畑、常緑樹戸等、緑の絨毯の中にぽっかりと蜃気楼のように現れる古代遺跡、ヴォルビリス遺跡を散策する。
40ヘクタール以上の広大な敷地にすばらしい保存状態を誇る遺跡の一つとして、モロッコにおけるローマ都市の遺構では唯一、ユネスコ世界遺産に登録されている。
ヴィーナスの家、ゴルディニアス帝の宮殿、ディオニソスと四季の家、ヘラクレスの功業の家、騎士の家、ギリシア青年の家、カラカラ帝の凱旋門、デザルターの家、フォーラムとバジリカ、キャピトル、ガリエヌス帝の浴場、オルフェウスの家を訪れる。

メクネスから北へ約22km、なだらかな丘陵地を上っていくと、ザルホーン山にへばりつくように白い家並みが広がっている。これが聖者の町といわれる古都ムーレイ・イドリスをバスから望む。
標高約522m、果樹園やオリーブ畑の広大な農場地帯が周囲に広がり、10世紀ごろ、ベルベル系メクネッサ族がメクネッサ・ターザに次いでこの都市を造り、気候のよさと水のおいしさでは有名なメクネスを訪れる。

スークを含む重要な文化遺産が点在するメディナを散策する。

北アフリカで最も美しく、有名な門の一つ、エディム広場に面した巨大な門で王都のエリアへのメインゲートマンスール門を訪れる。

メディナのヘソに当たる広場、中央に大きな噴水が3つありその周辺には雑貨屋、ピーナッツ売り、果物屋があるエディム広場を訪れる。

壮大な王都建設を夢見て、その完成をまたぬままにこの世を去った王、ムーレイ・イスマイルの墓が安置されているムーレイ・イスマイル廊を訪れる。

4日8:45バスで出発、ラバドを観光。

モロッコの行政上の首都であり、静かで落ち着いた雰囲気を持つ町で、庭園都市という別名がふさわしく、ヤシの並木が続く通りや、緑豊かな公園が広がっているラバドを訪れる。

現国王モハメッド6世とその家族が住む王宮、1864年に建てられ、白い壁に緑の屋根がひときわ鮮やかな建物、王宮を訪れる。

11:20カサブランカ空港到達
14:20カサブランカ空港エミレーツ航空で出発
5日1:10ドバイ到達
3:00ドバイエミレーツ航空で出発
17:10関西国際空港到達。

今回の旅行、アフリカ大陸の北西端に位置し、ベールをかぶった神秘的な女性、メディナ(旧市街)やスーク(市場)の喧騒。アトラス山脈の大自然、果てしなく続くサハラ砂漠、チュニジアやナイジェリアと共にマグレブ地方(日の沈む国)と呼ばれ、日の出づる国日本に住む私たちにとって遠く、そして魅惑に満ちた国といえるモロッコに足を運び、緑豊かな農村風景に驚き、親しみやすい人柄に感動をし、他の国にはないメディナやスークのとりこになる人と自然が織り成すモザイクの国であり、

モロッコの玄関口で最大の都市、近代都市とモロッコの古い文化が交じり合い、シンボルであるミナレットの高さが210m、最大2万5千人が同時に礼拝できるというアフリカ最大のモスク、ハッサン2世モスクが位置するカサブランカ、

旧市街が世界遺産に指定され、昔は公開処刑場だったといわれるが今では夕方になると食べ物や飲み物の屋台、猿回しや蛇使いなどの大道芸人が集まる一大アミューズメントパークと変貌するジャマ・エル・フナ広場、王宮であるバヒア宮殿などが位置するマラケシュ、

エル・ラシーディアからワルザザートまでの道、通り沿いには大小さまざまなカスバを見ることのでき、200mもの絶壁が迫る迫力あふれる観光地、赤茶けた岩肌をアトラス山脈の雪解け水が削ってできた景勝地、トドラ峡谷、ワルザザート近郊には世界遺産のアイト・ベン・ハッドゥをはじめとしてタウリルト、ティフルトゥトなどのカスバが点在するカスバ街道、

エルフードから4輪駆動車で1時間ほどで南東へ行くとメルズーガの砂丘に行き着き、ここからラクダに乗りサハラ砂漠のピンク色の砂丘からの日の出鑑賞、

世界で一番大きな迷路と言われているメディナは世界遺産に指定され、周囲10km以上といわれる旧市街を歩くと中世の暮らしがそのまま残されているようでいまだに車は内部に入ることができず、ロバが貴重な輸送手段となっており、野菜、果物、洋服、肉、パンなどの専門店街の市場スークを形成する街フェズ、

旧市街メディナは世界遺産に指定され、メディナ内には最初の王であるムーレイ・イスマイルの霊廟があるメグネス、すぐ近くにはローマの遺跡があり、神殿などのほかにモザイクも残され、モロッコでも貴重なローマ時代の遺跡であるヴォルビリス、

モロッコの首都であり国王の住まいになっている王宮があるラバトを訪れ8日間の観光旅行堪能しました。

日本とまったく異なった文化遺産、5つの世界遺産を訪れ文化の違いと奥の深い歴史を学び、また大自然の広大なサハラ砂漠にラクダに乗って訪れ、日の出の鑑賞感動いたしました。

5つの世界遺産と大自然のサハラ砂漠での日の出の鑑賞、8日間のモロッコ観光旅行満喫しました。























飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十三弾:フィリピンマニラ観光
2012年3月18日ー20日
   

東洋の真珠といわれ、7000以上の島からなる共和国、面積が約30万キロ平方メートル、人口が約8310万人、95%がマレー系のフィリピンに足を運び、フィリピンの首都で最大の都市、高級ホテルやショッピングセンターが立ち並び、ひっきりなしに車や人々が行き交じり、又イントラムロスには歴史的建造物が点在するマニラを訪れました。

18日10:10関西空港フィリピン航空で出発
13:40フィリピンマニラ到達、友人の車ででメトロマニラのホテルに向かう。
14:30メトロマニラホテル到達、繁華街を散策する。
18:00夕食を済ませてからカラオケバーに招待される。
21:00ホテル到達、就寝。
19日10:00マニラを観光を友人の自動車で巡る。
イントラムロス方面に向かう。

マニラの中心部に位置する、緑豊かな公園で、その名はフィリピン独立運動の指導者、ホセ・リサールに由来している。総面積は58万km2もあり、敷地内には池や子供の遊園地施設、さらに日本庭園もある。公園東端はアグリフィナ・サークルと呼ばれ、政府観光省、財務省、少し離れてマニラ水族館があり、西はマニラ湾まで続いていて、湾に沈む夕日が美しいことでも有名なリサール公園を訪れる。

リサールは1861年、ルソン島ラグナ州のカランバで、富裕なメルカド家の7番目の子供として生まれた。サント・トーマス大学で詩・医学・哲学を学んだ後21歳でスペインに留学。そこで自由な思想と新しい理念を学んだリサールは、処女作「ノリ・メ・タンヘレ(我に触れるな)」を著し、スペインによる祖国への弾圧を批判しフィリピン人自身による改革を訴えた。その後スペイン政府によりミンダナオ島に流されるなど、激しい弾圧を受けながらも活動を続けるが、1896年フリピン革命が起きると先導者として逮捕され、12月30日に銃殺刑に。公園入り口の正面に位置する記念碑は彼の処刑跡で、その地下には遺体が埋葬されており、警備員によって常時警護されているリサール記念碑を訪れる。

マニラ最大の観光スポット。1571年に初代総督レガスピが外敵の侵入を防ぐために建造した城砦都市跡。外壁が全長4.5km、内面積約64haのイントラムロスはスペイン語で「壁に囲われた街」という意味で、城壁内には、総督官邸をはじめ病院、大学、教会、修道院などが立ち並び、それらはスペイン文化の影響を受けたロマネスク風建築であった。そのほとんどは度重なる戦争で破壊されたが、戦後から徐々に修復、再現され、スペイン統治時代の面影をいまに色濃く残す地区として、多くの観光客を集めている。北側に位置するサンチャゴ要塞と、南のカーサマニラ周辺にに見どころが集まっているイントラムロスを訪れる。

1571年から150年もの年月を費やして作られた、イントラムロス北西に残る要塞跡でマニラ湾の動向が容易に視認できる位置に築かれている。スペイン統治以前も外敵を防ぐ重要な砦であったが、スペイン時代に本格的な軍事要塞として補強された。アメリカ統治時代には軍司令部、第二次大戦中は日本憲兵隊本部が置かれ、地下には捕虜収容所となっていた地下牢の跡も残っているサンチャゴ要塞を訪れる。

サンチャゴ要塞中央の広場には、フィリピンの国民的英雄ホセ・リサールが1896年12月30日にスペイン当局によって処刑される直前まで幽閉され、遺書を書いたといわれる記念館がある。その時書かれた有名な遺書が、別れの詩「Mi Uitimo Adios-わが最後のわかれ」。館内には、リサールの多彩な経歴を物語る多くの遺品が展示されている。室内の壁には白井勢似子という和服姿の日本女性の肖像画が掛けられているが、この女性は彼がヨーロッパへの渡航途中に滞在した日本で恋に落ちた人だといわれていますリサール記念館を訪れる。

マニラ大司教が本拠を置いており、マニラで最も重要な教会とされる1581年に竹で創建されて以降、台風や地震、戦争などで、破壊と再建を繰り返し、現在あるのは1958年に再建された6代目。その再建に関してはバチカンからの援助があったといわれている。彫刻やステンドグラスの美しさも一見の価値があるが、中でも見逃せないのがアジア最大といわれるパイプオルガン。ローマ広場に面し、ベルタワーはイントラムロスのランドマーク的存在のマニラ大聖堂を訪れる。

イントラムロス内にあるフィリピン最古のバロック様式の石造教会。戦争や地震による破壊を免れ現在に当時の姿を残している。創建は1587年で、基礎工事から完成までに20年を要したといわれている。14ある礼拝堂はそれぞれの天井にイコンが描かれ、当時のシャンデリアやステンドグラスが残っている。古い修道院を利用した博物館も併設されている。世界遺産のサン・オウガスチン教会を訪れる。

フィリピン国有鉄道のマニラ市パコ駅の前に「プラザ・ディラオ比日友好公園」という小さな公園があり、その中に高山右近の銅像が立っている。右近は安土桃山時代の大名で、キリスト教信仰の為に秀吉や家康に迫害され、マニラに追放された。当時パコにあるプラザ・ディラオには3000人以上のに日本人がいて、右近は敬虔なクリスチャン大名としてマニラにも知れ渡っており、スペイン総督をはじめ地元要人の大歓迎を受けた。しかし右近はマニラ到着40日後には熱病に侵され、一ヵ月半のイントラムロス暮しの後、63年の生涯を終えた。銅像はマニラ市美化婦人委員会によって1977年に設置された高山右近像を訪れる。

マカティ方面に向かう。

1960年に太平洋戦争で命を落としたアメリカ兵のために整備された。広大な土地に白い十字架が整然と並び、17,206人のアメリカ人が眠っている。アメリカ本土以外では、最大規模の米人墓地。墓地中央には記念館があり、戦争の記録や資料があるアメリカ記念墓地を訪れる。

20日11:30ホテルを友人の車で出発、マニラ空港に向かう。
12:00マニラ空港到達
14:40マニラ空港フィリピン航空で出発
19:20関西空港到達。

今回の旅行、治安に不安感じていてなかなか訪れられなかったフィリピンマニラにようやく足を運びました。
運よくフィリピン人親子に知り合いができ、この方の案内でマニラを安全に且つスピーディに巡ることができました。

1日目はマニラの飛行場に迎えに来ていただきホテルに直行、その後マニラの繁華街を散策し、レストランを紹介していただき、後にカラオケバーで楽しんでからホテルに戻り就寝。
2日目はメトロマニラに点在する数多くの名所を車で案内していただき、夕食はハーバービューレストランで食事を済ますことができました。
3日目もホテル周辺を散策し昼ごろにマニラ飛行場に送っていただきました。

今までの旅行と違った海外旅行、日本人は目立ちやすく狙われやすい、日本人が一人で散策するには危険いっぱいのマニラ観光、地元の方のエスコートで安全で問題なく楽しく観光旅行できました。

日本でたくさんの友達を持つだけでなく世界中にも多くの友達を持つことが大事だと感じた旅行、今までの旅行とは全く違った地元の方のエスコートでの2泊3日フィリピンマニラ観光旅行楽しめました。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第百七十五弾:香港観光
2012年1月7日ー9日
   

九龍半島および香港島など多数の島からなり、ビクトリアハーバーを挟んで繁華街が広がる香港に足を運び、1842の南京条約でイギリス領となった島、中心となるのは北部の海岸沿いで、巨大なオフィスビルやショッピングモールが林立、上環や灣仔には風情溢れる町並みが残る香港島エリア、1860年の北京条約によってイギリスに割譲されたエリア、ネイザン・ロードを中心に発展した町並みはレトロで華やか、ナイトマーケットも人気が高い九龍エリアを訪れました。

7日18:25関西国際空港キャセイパシフィック航空で出発
21:45(時差ー1時間)ホンコン国際空港到達
22:30送迎バスで香港島炮台山駅付近のホテルに向かう。

23:30ホテル到達、宿泊。
8日7:30歩いて香港タウンを散策する。

銅鑼灣方面に向かう。

トラムが通るヘネシーロード中心にショップ、レストランがずらりと並ぶ活気のあるところ。少し南(山側)に行くと競馬場でお馴染みのハッピーバレーがあります。大都市の中のこの小さなエリアは住み心地満点のエリア銅鑼灣を散策する。

香港島の代表的な繁華街、銅鑼灣(コーズウェイベイ)のすぐ隣にありながら、落ち着きを感じさせるエリアにあり、2000年から2002年の間に全面リニューアル工事が行われ、現在では5500株もの樹木が植えられた、香港島では最大の公園となっていますビクトリアパークを散策する。

毎日正午に鳴らされるという伝統の大砲儀式です。現在では英国植民地時代初期の唯一の遺物であり、世界史の授業にも出てきた、あのジャーディン・マセソン社(怡和行)が行っている儀式、ということで、香港の歴史の一面を象徴する儀式としても一見の価値ありの怡和午砲(ヌーン・デイ・ガン)を訪れる。

湾仔方面に向かう。

返還式が行われた香港會議展覧中心(コンベンションセンター)、警察總部、入境事務大樓、税務大樓などハーバー側に政府のビルが建ち並ぶ一方、路面電車道の1本裏通りに入ると香港庶民のエネルギッシュな生活が覗けます湾仔を散策する。

ビクトリア湾にせり出した流線型がつならなる近代的な建物、1997年7月1日、香港返還式典が執りおこなわれた香港コンベンション&エキシビジョンセンター(=HKCEC 香港会議展覧中心)を訪れる。

国際的な商業都市として高層ビルが連立し、様々な人種が行き交う現代的なイメージなのは香港島サイドです。でもそんな香港島サイドの湾仔に、昔ながらの青空マーケットが繋がっている賑やかな通りがあります。最近は都市開発が進み、斬新な設計の高層ビル建設が相次ぐ環境の中、そこに根付いて生活している人の汗や息使いまでが直接伝わってきそうなナマの香港が感じられるところ、『太原街市集(Tai Yuen St Market)』を訪れる。

この小さな通りには、世界的有名店の隠れ家的ショップや、こだわりを持ったオーナーたちが手がけるハイセンスなブティックやレストランが並んでいます。地下鉄の駅からもほど近く、湾仔の下町にも歩いていける距離にあるため、香港リピーターの間で人気急上昇のエリアの星街(スターストリート)を訪れる。

金鐘方面に向かう。

はビジネス街中環、庶民的な商店街と官庁街が入り混じる湾仔にはさまれた地区である。香港政府の本部があり、英国をはじめとする各国領事館が多く、ピークトラムの下の乗り場はここにある。香港島を代表する都市公園である香港公園もある金鐘を散策する。

香港島の高層ビルの谷間にある大きな公園、周りの高層ビルを見ながらぶらっと歩くのに最適で、公園内には、茶具博物館や結婚登記所や噴水、イベント用の広場もあり、休日になると多くの人であふれている香港公園を散策する。

中環方面に向かう。

香港島金融の中心、超高層のビル群が立ち並び、香港一で世界で3番目に高い88階建てのTWO IFC(INTERNATIONAL FINANCE CENTRE)ほか洗練された国際都市を感じさせます。九龍側からの見える夜景はこの地区が中心。すぐ山手にはピーク、高級住宅街も。ランカイフォンやSOHOに代表されるように香港でも西洋人人口の多いところの中環を散策する。

1896年に、ビクトリア女王の銅像が建てられた場所。現在銅像はビクトリア公園に移されましたが、その後は噴水と木々がある、憩いの公園として、旅行客や周辺に勤める人たちに利用されています。中でも、日曜祭日などには香港で働くフィリピンやインドネシアからの住み込みのメイドが集まるところとして有名です。また、近年はクリスマスや新年などのデコレーションも施され、注目スポットになっています。広場は、HSBCメインビルや立法会ビル、和平記念碑などに囲まれ、写真撮影スポットでもあります皇后像広場を訪れる。

お酒を片手にスポーツを観戦したり、音楽を聞いたり、気の置けない友人達とおしゃべりに花を咲かせたりと、ナイトライフをエンジョイするという欧米間感覚から発展した、ナイトライフのメッカといえるランカイフォン蘭桂坊を訪れる。

都会的な香港のイメージとは裏腹に、面白グッズや印鑑、お土産物などを扱う露店が、石畳の坂道の左右に並んだ名物ストリート。特にハロウィンやクリスマスなどのパーティーグッズやイベントに必要なものが何でも揃います。ウィッグやグロテスクなマスク、そして奇抜なコスチュームは、見ているだけでも楽しいポッティンガー・ストリートを訪れる

ニューヨークやロンドンと同じく、香港在住のデザイナー、アーティストのアトリエやブティックが点在し、香港の流行の発信地としても注目されています。また、インターナショナルなレストランやオープンテラスのカフェ、隠れ家風のバーなどストリートに軒を連ね、周辺エリアにもその波は広がっていますSOHOを散策する。

上環方面に向かう。

中国からの移住者が最初に住み着いたといわえるエリアであり、キャットストリートやハンコ横丁に香港最古の道教寺院「文武廟」など古きよき中国を感じさせてくれた上環を散策する。

辛亥革命を指導したことにより「革命の父」「国父」という呼び名で仰がれる孫文の生誕140年を記念したミュージアム、広東省中山市出身の孫文は、香港で医学を学び、また、革命の思想を懐胎したとも言われています。日本では孫文と呼ばれますが、香港では日本へ亡命後に名乗るようになった「孫中山」という呼び名で広く知られています香港孫中山紀念館を訪れる。

香港がイギリスにより植民地化された後、1847年に中国人の盧阿貴、譚阿才という実力家によって建てられた、道教のお寺です。文武廟という名前の通り、文学の神と武道の神が祀られたお寺です。文学の神である文神「文昌帝君」と三国志の英雄で関羽として知られている武神「関聖帝君」が祀られています文武廟を訪れる。

この道路の歴史はとても古く、香港が開港した当初からある大きな道路。車がない頃には馬が走っていたそうなんです。通りを中ほどまで進んでいくにつれ、通りの左右にはずらーりと骨董品屋さんが軒を連ねています。中国の古い家具や装飾品、大きな彫刻や仏像など、種類も値段も様々な専門店があちらこちらにありますハリウッドロードを訪れる。

アンティークというより、ガラクタ?といった感じのバッタものから、キッチュでかわいいチャイニーズグッズ、ヒスイや水晶などのアクセサリー、大型の家具や仏像まで、お宝いっぱいの通りのキャットストリートを訪れる。

1906年に建築されたレンガ造りの重厚な建物は、なんと香港で最も古いビルの1つ。その美しい建築様式は、ビクトリア朝後期様式だそうです。現在、規模を拡大して1991年 の終りにリニューアルオープンしたウェスタンマーケットを訪れる。

地下鉄上環駅から九龍半島に向かう。

尖沙咀到達

中国と陸続きの九龍半島。ペニンシュラホテルを筆頭に有名ホテルが立ち並び、ショッピングアーケードも充実した商業の町。ビクトリアハーバーを渡るスターフェリーもこの尖沙咀ピアから運行。雑踏の中のオアシス、九龍公園の緑にほっとし、東側、中国に繋がる九広鉄道の北京、上海行きの鉄道の出発駅のある紅ハム。また紅ハムのコロシアム(体育館)は香港の有名な歌手のコンサートやさまざまなイベントが開催されるところです。ハーバー沿いにさらに東に進むと香港在住の日本人も多く住む高級マンションもある尖沙咀を散策する。

尖沙咀の彌敦道に立ち、時代の流れと共に変化を続けるこの雑居ビル重慶大廈(重慶マンション)を訪れる。

1989年11月に正式オープン。香港政府が設計建築を担当した、香港を代表する文化芸術ホールです。コンサートホール、グランドシアター、スタジオシアター、エキジビションギャラリー、ホヤーエリアなど、パフォーマンスのできるホール部分が5か所、集結しています。また、リハーサルルームや、ミーティングルーム、露天エリアなど、すべて合わせて5.2ヘクタール、82.231㎡の面積を誇ります。また九龍の先端に位置し、周辺の環境もビクトリアハーバーを眺める絶好の撮影スポットとして、毎日大勢の観光客で賑わっています香港文化中心を散策する

香港と言えば、『アジアのハリウッド』と呼ばれ、ブルース・リー、ジャッキー・チェンと言った本物のハリウッドでも有名な香港スターのアクション映画のみならず、男同士の友情や裏切りを表現したハードボイルドや黒社会(ヤクザ)もの、突出したキャラクターの人気俳優によるコメディー、個性あふれる監督によるスタイリッシュな作品と、香港映画の代表作品も枚挙にいとまがないくらい。世界中に熱狂的な香港映画ファンがたくさんいることでしょう。そんなファンのために、2004年4月尖沙咀の先端にある『尖沙咀海濱長廊(プロムナード)』の一部に、オープンしたアベニュー・オブ・スターズ(星光大道)を訪れる。

九龍半島の最南端、海辺のプロムナード。尖沙咀(チムサーチョイ)の時計台からホテル・ニッコー付近までを結ぶ道で、香港島側の美しい景色が一望できます尖沙咀東部海濱公園を散策する。

1962年に開館した「香港博物美術館」を前身とし、その後1975年に美術館と分割、移転などを経て、1998年に香港政府の出資で17,500平方メートルに規模を拡大、現在地に開館しました。「香港の文化の保存と、発揚」を主な目的とし、有史以前から1997年の中国返還までの民族文化や生活様式などの歴史をわかりやすく紹介しています香港歴史博物館を訪れる。

尖沙咀の中でも、若い人達で深夜まで賑わい、お手頃価格のカジュアルファッションがいっぱいの加連威老道(GRANVILLE ROAD)を訪れる。

『24時間眠らない街』と称される香港の目抜き通り。常に多くの人であふれ、賑やかで活気のある通りを歩けばきっと香港を実感でき、かつて『ゴールデンマイル』と呼ばれたことのあるネオン輝く通り彌敦道(ネイザン・ロード)を訪れる。

1830年代、ビクトリア港が理想的な良港であることが西洋人によって発見されました。その当時、現在にあたる場所は港に面した軍事上の重要地点で、1861年に九龍半島がイギリス軍によって占領された際、ウィットフィールド基地と名づけられました。1970年5月24日、当時の香港総督ディビッド・トレンチ卿によって正式に開かれ、1989年に、当時のロイヤル・ホンコン・ジョッキー・クラブ(現在のホンコン・ジョッキー・クラブ、日本で言うところの中央競馬会)によって3億香港ドル(約46億円)の費用をかけて現在の形にリニューアルされました九龍公園を散策する。

佐敦・油麻地方面に向かう。

下町風情も漂う賑やかな町並み、雑多な看板、専門店、そこで買い物をする人々と、地元の暮らしが伺えるエリア、佐敦・油麻地を訪れる。

ネイザンロードを西に4本入った通りで、地図上の名前は、『廟街『Temple St』なのですが、男性向けのアイティムを扱う露店が多いので、『女人街』に合わせて対照的な通称がつけられました男人街(広東語でナンヤンガーイ)を訪れる。

油麻地(Yau Ma Tei)付近、香港在住の日本人奥様方もクッキンググッズのショッピングに来るという台所用品のショップが集まるエリア、上海街を訪れる。

旺角・太子方面に向かう。

ネイザンロードを挟み、東側には多数の商店街、西側にはショッピングモールがる、ディープでローカルな香港を体験できる旺角・太子を訪れる。

九龍中心を南北に走るネイザン・ロードを挟んで、東西に延びているストリート。どんな時間帯でも、人の流れが激しい旺角にあって『花園街』『女人街』『西洋菜南街』などのお買いものストリートの南の行き止まりに当たり、とても賑やかな通りです。ネイザンロードを挟んで西側は、新宿の歌舞伎町を思わせる!?繁華街で、ピンクのネオンならぬ黄色いネオンが輝きます。反対の東側は、香港B級グルメの定番メニューや台湾式の飲み物、デザートなどのお店が並んでいて、いつも行列がいっぱい。ブティックやショッピングモールもあります登打士街を訪れる

九龍で最もにぎわう繁華街の旺角エリアにあるナイトマーケットですが、正確な通りの名前は『通菜街』で、九龍の中心を走る大きな彌敦道(ネイザンロード)から、東へ2本入ったところにあります。その通りの亜皆老街と交差するところから登打士街に突き当たるまでの1キロくらいの道筋に、びっしりと露店が軒を連ねている女人街を訪れる。

九龍の中心『ネイザンロード』を一本東に入った、広いストリート。両サイドには、電化製品や激安コスメのチェーン店の大型店舗があちこちに見られ、ド派手でビッグな看板がいっぱい。また、連立する雑居ビルの上階には、専門書を扱う書店や、小さいブティック、喫茶店などローカルにしかわからないこまごましたスポットもあります。平日の夕方や休日には通りの一部が歩行者天国になり、ダンスや演劇などパフォーマンスをする人や、商品をコマーシャルする人等で、ますます通りはごった返し、にぎわいは夜遅くまで続く西洋菜南街を訪れる。

有名ブランドからノンブランドのお店まで、スニーカーショップが多数立ち並ぶエリアです。また、スニーカーのほか、今はやりの、トレッキングや、ウォーキングシューズ、また、アウトドア用の商品全般がなんでもそろっている、アウトドア・ファンにはたまらないエリアスニーカー街を訪れる。

花園街のすぐ西隣の道です。金魚や鯉、熱帯魚など観賞用のペット魚やエサや水槽など、それに関するさまざまなショップが軒を連ねています通称金魚街、正式名は通菜街を訪れる。

300mほどの長さの花墟道(Flower Market Rd.)。道の南側にお花屋さんがずらりと並び、歩道にまで売り物の花を並べている様子はなかなかの迫力のフラワー・マーケットを訪れる。

公園があるエリアは、「雀仔街(バード・ストリート)」と呼ばれ、昔から観賞用の小鳥やエサ、鳥かごなどを扱う商店が集まる場所でした。旺角周辺の再開発に伴い、新しく公園が造成されましたが、70あまりあった商店も園内に移転し、営業を続けています。お店の軒先にはいくつもの鳥かごが並べられ、世界各地から訪れる観光客の目を楽しませてくれます。小鳥のさえずりが響き渡る、美しく整備された中国式の庭園は、まさに都会のオアシスバードガーデンを訪れる。

17:20地下鉄太子駅からホテルに戻る。
18:20炮台山駅到着、ホテルにもに戻る。食事を済ませて就寝。

9日7:00送迎バスでホンコン国際空港に向かう。
8:10ホンコン国際空港到達
10:20ホンコン国際空港キャセイパシフィック航空で出発
14:40関西国際空港到達。

今回の旅行、大学生以来、2回目である香港に足を運び、香港タウンをひたすら歩いて観光してきました。

昔の記憶に残る香港と違って、経済成長著しく、、ビクトリアハーバーを挟んで両岸に高層ビルが立ち並び、近代的な大都会に変貌していました。

以前の訪れ時は貧困な地域なのか治安が悪く、あちこちでスリを見かけましたが、今の香港は経済が安定し、治安もよく、住み心地がよさそうです。
物価はいまだ日本の半分ぐらいですが、狭い地に多くの人々が住み、人口密度が大変高いため土地が急騰し3DKのマンションが1億円以上するらしいです。
物価は安いが住まいが課題ですね。

東京の秋葉原、大阪の日本橋ような電気店が密集しているエリアの地区を見かけ、電気店のみならず、スニーカ店、骨董品店、金魚店、はんこ店、調理食器店、フラワー店、バード店、翡翠店、男性のグッズ店、女性のグッズ店、野菜果物の露天店、などの同種の専門店が集合しているエリアが数多く点在しているのが興味深かったです。買い物には便利ですね。

滞在日が少なく、短い時間でしたが2泊3日の香港タウンひたすら歩いて観光楽しめました。次回はもう少し時間を作って香港の郊外、マカオを訪れたいと思います。




























飛行機で国内&海外の観光地巡り第百七十四弾:インド観光
2011年12月28日-2012年1月4日
   

日本の約9倍の面積を誇り、人種、言語、文化においても多様な顔をもっており、紀元前2300年ごろに興ったインダス文明が起源とされる歴史も深く、見所も多い、多彩な魅力のあるインドに足を運び、インドの首都、主要なエリアは開発が進むニューデリー、昔ながらの活気が残るオールドデリー、新しいショッピングや世界遺産が点在するサウスデリーに分かれる、デリー、デリーとコルカタの中間に位置する交通の要衝、ヒンズー教の聖地として知られ、ガンジス河の沐浴や祈りの光景は神秘的なバラナシ、バラナシから北へ約10km、ブッダが初めて説法をしたとされる仏教の聖地、19世紀から発掘が始まり、現在は遺跡公園として整備されているサルナート、デリーの南東約350km、9-13世紀に中央インドで盛大な勢力を誇示していたチャンデーラ王国の都として栄えた街、見事な彫刻が施された、世界遺産の寺院群がみどころのカジュラホ、デリーから南東へ約200km、アグラ城、タージ・マハールといった世界遺産がみどころでインド観光には欠かせない街、アグラ、デリーの南西約260kmにあるラジャスタン州の州都、赤い城跡に
囲まれているため、別名ピンクシティと呼ばれるジャイプールを訪れました。

28日13:25関西空港エアインディア315便で出発、香港を経由して
21:35(時差ー3時間30分)デリー、インディラ・ガンジー国際空港到達、送迎バスでニユーデリー市内のホテルに向かう。
バスのトラブルもあり23:50ホテル到達、就寝。

29日8:00バスでホテル出発
8:20インディラ・ガンジー国際空港到達
10:45インディラ・ガンジー国際空港出発
12:05バラナシ空港到達、サルナートにバスで向かう。

12:50バラナシから北北東に10キロメートルの場所にブッダガヤでの成道後、最初の説法(初転法輪)をかつての修行仲間(5名)に対して行われた地サルナート到達、観光。

ブッダ・ガヤーで悟りを啓いたブッダが仏教の説法を行った初転法輪の地、サールナートの遺跡公園の入口には、5人の修行者“五比丘”がブッダを迎えたといわれる場所があり、そこには迎仏塔といわれるチャウカンディ・スツゥーバを訪れる。

サールナート・鹿公園入口の南にあるサールナート一帯で出土した仏像などを展示する博物館考古学博物館を見学。

インド最初の統一王朝であるマウルヤ朝(B.C4世紀末~B.C2世紀初頭)の全盛期の王、アショカ王(B.C3世紀)は熱心に仏教を保護し、多くの石柱を立てました。そのうちの一つがここにあるアショカ王の石柱を訪れる。

サルナートは、その昔、この地に鹿が住んでいたということで、鹿野苑とも呼ばれます。その鹿公園を訪れる。

グプタ朝時代(4世紀~6世紀)に建立されたものです。この地で釈迦が弟子に初めて教えを説いたとされています。初転法輪の記念の地に建っているダメーク・ストゥーバを訪れる。

17:00バスでバラナシに戻る。

途中シルク店でショッピング。

18:00インドの人力車リクシャに乗ってガンジス河の畔、ダシャーシュワメードガートで行われる幻想的なプージャ見学。
19:00リクシャ、バスでホテルに向かう。
20:00ホテル到達、夕食を済ませてから就寝。

30日5:30バスでダシャーシュワメードガートに向かう。
6:00ダシャーシュワメードガート到達
6:30ガンジス河の朝日鑑賞ボートクルーズ出発、ダシャーシュワメードガートからマニカルカーガートの区間での沐浴風景など早朝のガンジス河の風景を楽しむ。

7:30下船後、路地の一角にあるヴィシュワナート寺院です。シヴァ神を祀るヒンドゥー教寺院。シカラ(尖塔)が金ぴかなのでゴールデン・テンプルとも呼ばれ、バラナシのシンボルとして参拝者が絶えない寺院を訪れる。

ベナレス市街の南側に大学があります。約100年ほど前に設立され、歴史のある規模の大きな国立大学。
校舎だけでなく、住居、お店、畑などが点在しており、ちょっとした町のような雰囲気。ゴミゴミしたベナレス市内とはうってかわって、緑豊かでのんびりとした雰囲気に包まれたキャンパスには、いくつかの見所がありますベナレスヒンズー大学を訪れる。

ベナレスヒンズー大学内に新しく建てられた寺院はカーストや宗教に関わりなく、全ての人に解放されています。海外からの留学生も多く、日本をはじめ、韓国、アメリカ、イタリア、ケニア、ジンバブエ、ドイツなど世界中から多くの学生がここに学びにやって来ますビシュワナート寺院を訪れる。

真っ赤に塗られたヒンドゥー教の寺院は、猿が多いので別名「モンキー・テンプル」とも呼ばれている。
ドゥルガーとは、破壊神という恐ろしいシバ神の妻・ドゥルガー神のことで、やはり恐ろしい神だというドゥルガー寺院を訪れる。

途中バラートマター寺院を訪れてから、

9:30ホテルに戻り、朝食
10:30バスでバラナシ空港に向かう。
11:00バラナシ空港到達

デリー、インディラ・ガンジー国際空港からバラナシ空港行きの飛行機が霧のため遅延、大幅に出発が送れ
17:20バラナシ空港出発
18:10カジュラホ空港到達、19:00ホテル到着、ホテルで食事を済ませて就寝。

31日7:15バスで出発、世界遺産カジュラホ寺院群に向かう。

カジュラホは9-13世紀に中央インドを統治したチャンデラー王朝の都市、当時85の寺院があったとされるが、現在はおよそ25の寺院が残るのみ。東西・南の寺院群に別れ、特に有名なのは西の寺院と呼ばれる一角で見事な彫刻に覆われた寺院が集まっている世界遺産カジュラホ寺院群を訪れる。

12:15カジュラホをバスで出発
16:45ジャンシー到達
18:11ジャンシーインド特急車にてアグラに向かう。

20:40アグラ到達、バスでホテル到着、宿泊

1日8:00バスで出発、世界遺産タージマハルに向かう。

インド北部アグラにある総大理石造りの霊廟。ムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーン(1592?1666)は妃ムムターズ・マハルに並々ならぬ愛情を注ぎ、かたときも側を離れることはなく戦場にさえ伴うほどでした。しかし、幸福な日々は長くは続かず、妃は14番目の子供を出産した後この世を去ります。王は深く嘆き悲しみ、愛する妻の記憶を永遠に留めるために霊廟の建設に没頭。22年の歳月と一日2万人の労働力をかけて造営したのが、世にも壮大なこの“愛の記念碑”のタージマハルを訪れる。

ヤムナ川岸に建つ、ムガール帝国第3代皇帝アクバルによって1564年から築かれた城です。高さ約20mの無骨な城壁に囲まれていますが、内部には華麗な宮殿やモスクが美しい緑の中に建ち並んでいます。アグラ城ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)は、晩年の第5代皇帝シャー・ジャハーンが息子アウラングゼーブによって幽閉された場所。理由はタージマハール建築での莫大な浪費でした。結局皇帝は塔の中から7年間タージマハールを眺め、その生涯を閉じました。ヤムナ川越しに望むタージ・マハールは美しく、印象的です。そのアグラ城を訪れる。

「ラール・キラー」の赤い城壁と並んで、この寺院のモスクの大ドームと高い塔はムガル時代のデリーを象徴する建造物だった。「ラール・キラー」とこの寺院はタージマハールを建設した皇帝シャー・ジャハーンの命により建てられ、1658年に完成した。このモスクはインドで最大だけあり立派だった。赤い砂岩と白い大理石の組み合わせは美しいジャマーマスジェットを遠方から望む。

ジャイプールに向かう。

アーグラの中心から南西37kmにあるムガル帝国第3代皇帝アクバルが3kmX1.5kmの城壁で囲んで造った都です。当時、跡継ぎに恵まれなかったアクバル帝でしたが、この地に 住むイスラム教聖者シェーク・サリーム・チシュティーが王子の誕生を予言し、翌年その通りに なったため、記念として5年をかけて、ここに新たな都を造り、1571年に首都をアーグラーから 遷都しました。巨万の富と権力が生んだ王宮は、都の中央の丘に壮大な回廊に囲まれている。ムガル帝国はイスラーム王朝でありながら、ヒンドゥー世界の木造建築の要素を取り入れ、赤砂岩を使用して建られた王宮です。城は水不足と猛暑のため、わずか 14年間しか使われず見捨てられ廃墟となった幻の都です。よって王宮は痛みが少なく綺麗に残されています。1986年に世界遺産に登録されましたファティプールシクリを訪れる。

民族舞踏ショウを見ながら夕食、就寝

2日8:00バスで出発、ジヤィブール観光に向かう。

1799年に、ジャイプル5代当主プラタプ・スィン(Maharaja Sawai Pratap Singh)により建てられたジャイプルのシンボル的な建物です。当時、イスラムの影響を受け、外を歩くことができなかった宮廷の貴婦人達が、宮殿から続く細いトンネルを通って風の宮殿に来ては、世間の目に触れることなく街路で繰り広げられる祭やパレードを眺めていたと伝えられています風の宮殿を訪れる。

ジャイプルの北東11kmの丘の上にあり、16世紀にはこの地を支配したカチワーハ家の王国(アンベール王国)の首都となっていました。内装が美しく勝利の間(Jai Mandir、別名:鏡の間)は、壁面に鏡を散りばめた幾何学模様で飾られています。一般謁見の間(Diwan-i-Am)からはジャイプル市街を見渡すことも出来ますアンベール城を訪れる。

ジャイプルを建設したサワーイ・ジャイ・スィン2世によって造られた天文台です。ペルシャやヨーロッパの書物を調べ、中央アジアのウルグ・ベグ天文台なども参考としてインド各地(デリー:1724年、ジャイプル:1728年、ウッジャイン:1737年、バラナシ:1737年、マトゥーラ:1738年)に天体観測儀を集めた天文台を建設しました。規模が大きく観測儀も多く1901年に修復したジャンタル・マンタル天文台を訪れる。

旧市街の中心にあるヒンズーとイスラムの混交建築様式の宮殿。ジャイプルの城郭都市を建設したマハラジャ、サワーイ・ジャイ・スィン2世により1726年に建て始められました。現在も敷地内にはマハラジャの子孫が住んでおり、その住居以外の建物は宮殿博物館として一般に公開されています。展示品は、歴代のマハラジャとその家族等が使用していたものが中心です。膨大な武器コレクション、細密画、象牙、金、青磁器、ガラス製品などジャイプルの王朝風な昔日を物語る品々を見ることが出来ます。またこの博物館には、王子が船で渡英したときに、ガンジスの聖水を入れて運んだという、ギネスブックにも載っている世界最大の銀製の壷があるシティ・パレスを訪れる。

ジャイプルの水がめとして利用されている湖に浮かび、マハラジャの夏用別荘として建てられた宮殿です。ジャイプル旧市街から北東へ約5キロメートルの場所(位置的には旧市街とアンベール城の中間地点)にあるジャル・マハル湖の中に建っています水の宮殿(ジャル・マハル)をバスから望む。
  
13:00昼食

14:30宝石店、インド更紗店立ち寄る。

16:00アンベール城から徒歩で30分ほどの山上にがあります。1036年に出来た要塞で山の下にあるアンベール城ができるまでは、マハラジャが住んでいました。一度も兵火に掛かることが無かったために、よい保存状態です。砲身8m・射程20kmの世界最大の車輪付き大砲(Jaya Vana)も一見の価値がありますジャィンガル要塞を訪れる。

インド家庭を訪問する。

18:30ホテル到達、
19:30夕食、
21:00就寝

3日6:00バスで出発、デリーに向かう。
12:00デリー到達、

デリー観光

奴隷王朝ハルジー朝時代の歴史建築が残るインド最古のイスラム遺跡群、ヒンズー教徒に勝利した記念として奴隷王朝の創始者アイバクと、その後継者イルトゥミシュによって造られた尖塔クトゥブ・ミナールが最大のみどころ、ヒンドゥー教寺院を破壊した石材で造られたイスラム教寺院跡も見逃せない世界遺産クトゥブ・ミナールと複合建築群を訪れる。

13:00中華料理の昼食

14:00広大な庭園に立つ。赤砂岩と大理石のコントラストが見事な建築物。ムガール帝国第二代皇帝フマユーンの霊廟で、ペルシャ出身のフマユーン妃ハージー・ベーガムが建築を指示し1565年の9年の歳月を経て完成した世界遺産フマユーン廟を訪れる。

激戦を極めた第一次世界大戦の戦死者を弔うため、1929年に建てられた門、高さ42mの門柱には9万人に及ぶ戦没者の名前が刻まれているインド門をバスから望む。

1948年1月30日に暗殺された民族運動の指導者マハトマ・ガンジーの慰霊碑が立つラージガートを訪れる。

タージ・マハールを築いたムガール帝国の5代皇帝シャー・ジャハーンが要塞として建築させた優美な城世界遺産レッドフォートを訪れる。

17:00装飾品のショップ、紅茶のショップに立ち寄る。

19:20インディラ・ガンジー国際空港に向かう。
20:00インディラ・ガンジー国際空港到達
23:00インディラ・ガンジー国際空港エア・インディア314便で出発
4日11:50関西国際空港到達

今回の旅行、初めての訪れである広大で世界で2番目の人口の多いインドに足を運び、インド北部の主要な都市を訪れ7泊8日の旅堪能しました。

数多くの世界遺産、歴史の深さを感じる文化遺産、見るものがたくさんありました。

噂では聞いていたインドの国、経済成長が著しいが地方都市はまだまだ発展途上の状態であり、人は多いが、道路は整備されておらずほこりぽく、ゴミが散乱し、動物の排出物が散らばっていました。衛生的に大変問題がある国だと痛感しました。

人間と動物の共存、動物を大事にするインド人、牛、犬、サル、ヤギ、鹿があちこちに出没し交通の妨げにも生じていますが動物を大事にするのか丁寧に動物を避けながら人々は行動していました。

冬のインドは霧が多く、早朝は特に濃霧で飛行機の出発時間の遅延等、交通手段に妨げになること多いです。

一般的にインド人はのんびり気分、交通機関は定刻時に出発は少なく、大概は遅れ勝ち、時間的余裕を持った行動が必要ですね。

アクシデント続出、初日の28日デリー、インディラ・ガンジー国際空港到達後、送迎バスでホテルに向かうとき送迎バスが動かない30分掛けて修理しやっと動いたがスピードがでない、のろのろ運転で走行、又ホテルまでの道のりを間違い、高速道路をバックして側道に入り漸くホテル到着

29日飛行場のエスカレーターに乗っているときエスカレーターが急に動かなくなる。

30日私たちが乗るデリー、インディラ・ガンジー国際空港からバラナシ空港行きの飛行機がデリーで霧のため遅延、大幅に出発が送れたためバラナシ空港からカジュラホ空港に向かう飛行機が5時間遅れで出発。

31日アグラに向かうジャンシーインド特急車の出発が1時間遅れる。

1日ジャイプールに向かうバスが他の車の交通事故で道が渋滞、到着が30分遅れ。アクシデント続出の毎日でした。

まだまだ発展途上国なのか、驚きと面白みのあるインド観光旅行でした。
 



























飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五十五弾:中欧4カ国観光
2011年8月9-16日


ヨーロッパの中央に位置する中欧に足を運び、アジア系の騎馬民族マジャル人を先祖に持ち、ヨーロッパでは有名な温泉天国、紀元1000年に建国し、母なるドナウと歴史が育んだ誇り高き街ブダペストを首都に持つハンガリー、日本の約8分の1の大きさの国土を持ち、ヨーロッパのほぼ中心地に位置し、黒海とバルト海を結ぶ南北の交易路と、ロシアとボヘミアを結ぶ東西の交易路が交差し、交通の要衝として古くからさまざまな人々や文化が行き来し、それぞれに影響を残していったスロバキア、1000年の歴史を持ち、20世紀初頭のハプスブルグ帝国崩壊以降の激動の歴史を克服し、近年では観光にも力を入れ、世界一美しい古都といわれる街プラハを首都に持つチェコ、約640年間に及ぶハプスブルク統治時代の遺産が数多く集まる旧市街地区、最大の観光地シェーンブルン宮殿、国立オペラ座や大作曲家ゆかりの名所など、音楽の都として見所豊富なウィーンを首都とするオーストリアを訪れました。

9日23:55関西国際空港カタール空港で出発
10日5:15ドーハ国際空港到達
8:25ドーハ国際空港出発
14:55ハンガリーフェリヘジ空港到達 、ブダペスト観光

ドナウを背にアンドラッシイ通りを直進すると突き当たりに位 置する。1986年、建国1000年を記念して造られた広場で、1929年に完成したモニュメントの中央にそびえる高さ36mの円柱の上には天使ガブリエルの像がおかれ、その下には建国の英雄アルパード王と6人の有力部族の王達、左右に広がる列柱には彼等に従った王達の像が配されている。更に、この雄大なモニュメントの手前には無名戦士の墓標が横たわっている。美術館とアートギャラリーはこの英雄広場をはさんで左と右に位 置する英雄広場を訪れる。

英雄広場のすぐそば。諸外国の画家による作品が多く集められている。ラファエロ、レンブラント、ルーベンス、ベラスケス、ゴヤ、ブリューゲルなど名だたる巨匠が勢揃い。なかでもエル・グレコのコレクションはスペイン国外で最大規模を誇る西洋美術館の前で記念撮影。

この大聖堂はペストに高くそびえ立ち、20世紀前半に完成しました。中央の新古典主義の丸屋根は2つの巨大な鐘楼によって配置され、この1つの鐘楼は9トンの重量のある鐘が含まれ、ハンガリーで最大級のものです。右側の聖なる礼拝堂の内部にはバシリカ聖堂を訪れる観光客はセント・スティーブンス自身のミイラ化された握りこぶしを見ることができます。素晴らしいブダペストの一望を見るために、丸屋根の最上階まで146段の階段を昇ると、他で見られない全景を見ることができます聖イシュトヴァーン大聖堂 を訪れる。

1884年、ネオ・ルネッサンス様式で建てられたヨーロッパで一二を誇る美しいオペラ座。内部は有名なハンガリー人画家達の描いたフレスコ画で飾られ、世界の大音楽家達の彫像が並んでいる。客席数1200、 冬期は殆ど毎日公演が行われ12月31日にはオペラボールが、8月にはブダペスト・オペラフェスティバルが開催されるオペラ座の前をバスで通過する。

王宮方面に向かう。

1849年、セーチェーニ・イシュトヴァーン公爵の非常な努力と熱意により完成。設計はイギリス人クラーク・アダム。 この橋が造られる以前はペストとブダは渡し船で繋がれていたく
さり橋を通過する。

この地に初めて王宮が建てられたのは13世紀半ば頃。15世紀のマーチャーシュ1世の時代には、イタリアから呼び寄せられた職人や芸術家によりルネッサンス様式に改築された。しかし、1686年のハプスブルク軍とトルコの戦いにおいて、完全に破壊されてしまう。その後、バロック様式で新たに建てられたものの、大火災や二度の世界大戦で破壊され、現在見られる姿は1950年代に入ってから完成した王宮を散策する。

中世から現代にわたるハンガリー美術を一堂に鑑賞することができる。特に後期ゴシック期の木造聖壇、ムンカーチ・ミハーイ(1844~1900)やパール・ラースロー(1846~1879)らによる19世紀の絵画などは必見の国立美術館の前で記念撮影。

13世紀半ばにロマネスク様式で建てられたのが基だが、後にゴシック様式に改築された。トルコによる支配時にはフレスコ画が塗り込められモスクに変えられたり、第2次世界大戦では破壊されたりといった歴史を乗り越えてきたマーチャーシュ教会を訪れる。

マーチャーシュ教会の裏手にあるこの砦からは、ドナウ川越しにペスト地区が一望でき、まさに絶景! 砦といっても、町の美化計画の一環として、建築家シュレック・フリジェシュにより20世紀初頭に造られたもの。ネオロマネスク様式の7つの塔と回廊から成っている。マーチャーシュ教会との間に勇ましく立つのは、ハンガリー初代国王聖イシュトヴァーンの像がある漁夫の砦を訪れる。

建築家シュテインドル・イムレの設計で1885~1902年に建てられた。バロックとネオゴシックが混じった折衷様式が壮観の国会議事堂を漁夫の砦から眺望する。

第二次大戦で破壊されたあとに1964年に再建された吊り橋。皇帝フランツ・ヨーゼフの妃、エルジェーベト王妃の名にふさわしい優美な橋エルジェーベト橋を望む。

アールパード橋とマルギット橋に挟まれてドナウの中州に位 置する長さ2.5km、幅は最も広い所で500mの島。島全体がブダペストで一番美しい公園になっている。13世紀の教会や修道院の遺跡、彫像公園、数百年を経た大木、バラ園、日本庭園があり、7・8月にはオペラやバレー公演が行われる野外劇場、そして プール、パラティヌス浴場、温泉ホテルなどが営業しているマルギット島を望む。

19:00ブダペスト市街地のレストランで夕食

20:00ブダペストの夜景を楽しみながらホテルに向かう。

20:30ブダペスト市街地のホテル到着、就寝。

11日8:30バスでドナウベント地方に向かう。

11:30ドナウベント地方到達。

ヴィシェグラードとはスラブ語で高い城という意味、 ドナウ川が ちょうど直角に曲がる所に有ります。328mの丘の上にあり、内部は昔の生活の様子を蝋人形などで再現してます。拷問の道具なども展示するヴィシェグラードを訪れる。

初代ハンガリー王イシュトヴァーンに寄ってキリスト教が進められ  トルコ人によって破壊された王宮跡に 教会が建てられた。 以来ハンガリー・カトリックの総本山として現在に至っている。1241年モンゴル来襲までハンガリーの首都として、その後も町は文化的に繁栄を続けているエステルゴム大聖堂を訪れる。

昼食を済ませてからスロバキアに入り首都ブラチスラバに向かう。

15:00ブラチスラバ到達、市内を散策観光する。

ドナウ川沿いの小高い丘の上から市内を見下し、四角い建物の四隅に塔があるという独特の外観をもつ。12世紀には石造りの城が建っていたというが、その後ゴシック様式の城に立て替えられ、17世紀にオスマン・トルコの侵入に備えて4つの塔が付け加えられた。18世紀にはハプスブルク家の女王でマリー・アントワネットの母でもあるマリア・テレジアの居城ともなっていた。場内には歴史博物館や楽器・音楽博物館もある。また城から眺めるプラチスラバの街並みやドナウ川の流れも素晴らしいプラチスラバ城を訪れる。

旧市街に向かう。

旧市街を囲む城壁に付いていた 4つの門のうち、現存する唯一の門。マリア・テレジアがこの街のさらなる発展を考えて 18世紀後半にこのミハエル門を除いて全て撤去しました。外門に通じる石橋は、昔お堀の上を渡していたはね橋の代わりに 18世紀に造られたもので、ヤン・ネポムツキー(チェコの聖人、橋と川の守護聖人でもある)と大天使ミハエルをあしらったバロック式の銅像がありますミハエル門を通過する。

14 世紀初頭から約 200年間かけて建てられた教会。 1563年から 1830年まで歴代ハンガリー王の戴冠式が行われたところとして知られており、 1741年にはマリア・テレジアもこの教会で戴冠しました。教会の尖塔には金色のハンガリー王冠のレプリカが飾られており、中央祭壇の後方のステンドグラ スにも戴冠式を象徴する王冠が描かれています。司祭席の壁にはこの教会で戴冠した王とその妻の名前が記されており、当時のブラチスラバの華やかさを物語っ ています。もともとはロマネスク様式の教会で、それから後期ゴシックの天井やバロックの礼拝堂等が加えられるなど、時代と共に変遷しますが、 19世紀にはネオ・ゴシックスタイルに改築されました聖マルティン教会を訪れる。

中 世より市の中心広場として使われた広場です。様々な市の催しや集会・処刑などが行われ、また市場が立ちました。広場の中心にある噴水は「ロランド噴水」と 呼ばれ、 1572年、当時のオーストリア皇帝マクシミリアン 2世の命を受けて作られたブラチスラバ最古の公共水汲み場です。その中心に立つ騎士像は皇帝マクシミリアンですが、中世都市の保護騎士ロランドであるとの 風説もあります。噴水の反対側にあるのが 旧市庁舎で現在は博物館となっています。広場は夏にはカフェや土産物の屋台で賑わい、クリスマスの時期には飾りや民芸品、ホットワインや軽食を売る市が立 ち、年中賑わっています。広場に特設舞台ができて催し物が行われることもしばしばです。また日・仏・希の大使館の他、政府迎賓館もあります中央広場を訪れる。

1777 ~ 1781年に建てられたこの宮殿は、ブラチスラバで最も華麗な宮殿の一つとされています。もともとハンガリーのエステルゴムに置かれている大司教の冬の宮 殿として建設され、ハンガリー王国時代は王族が戴冠式の際にこの宮殿で盛大な晩餐会を催したとも言われています。また、 1805年のアウステルリッツの戦いでは、この宮殿の「鏡の間」でナポレオンがプレスブルク平和条約に署名、 1848年の市民革命に際しては農奴制廃止の協定の署名が行われ、 1968年の「プラハの春」 1か月前にはチェコスロバキア内政への不介入合意が一旦はソ連との間で行われるなど( 1か月後にワルシャワ条約軍は全土に侵入した)、この地域の歴史に重要な役割も果たしました大司教宮殿 を訪れる。

日 本人には極めて発音しにくい名前のこの広場には国立オペラ劇場、カールトン・ホテル、ダニューブ・ホテル、ジェヴィーン・ホテル、米・独・チェコの各大使 館があります。名前はスロバキアの詩人 Orszagh Hviezdoslavにちなんで付けられ、彼の座像が広場中心にどっしり構えています。広場周辺の建物は中世の町の外壁、見張り塔などの上に建築されており、民主化後の所有権返還により改築が行われた家では地下に遺跡が発見されることがよくありました。ブラチスラバの新しい名所のフビエズドスラボボ広場を訪れる。

18:00市街地のホテルに向かう。
18:30ホテル到達
17:30夕食、就寝。
12日7:40バスで出発、チェコ チェスキー・クルムロフに向かう。
12:30チェスキー・クルムロフ到達、昼食を済ませてから散策。

1992年にユネスコの世界遺産に加えられた、世界で最も美しい町のひとつで、大き屈曲して流れるバルタバ川に優しく抱かれて、現代までその美しさを保ち続けてきたこの街は、13世紀に南ボヘミアの豪族ビートコフ家によって城が築かれたのが始まり、14世紀初頭にビートコフ家は断絶し、以後ロジェンベルク家がこの地方の支配者となり16世紀に最盛期を向かえ、その後、エッゲンベルク家、シュバルツェンベルク家へと支配が移り変わったチェスキー・クルムロフを散策する。

旧市街の中心広場、周囲の建物はルネッサンス様式から初期バロック様式まで見ることができるスボルノステイ広場を訪れる。

チェスキー・クルムロフおよび、南ボヘミアン地方の歴史、民族、キリスト教美術、民芸工芸などがてんじされている地域博物館の前で記念撮影。

ボヘミアン地方では、プラハ城に次ぐ大きなお城、13世紀に創建され、その後次々に新しい建物が付け加えられ、それぞれの時代の様式が見事に調和した、巨大な複合建築となったチェスキー・クルムロフ城を散策する。

16:30バスでプラハに向かう。
19:30プラハ市内のホテル到着、夕食を済ませて
21:30就寝。
13日7:55バスで出発、プラハ観光。

プラハ城内にある、聖イジー教会の隣に併設された修道院の内部を利用した美術館。建物の構造を活かしてゴシックからバロックに至る中世のイコンやキリスト像など、多数の宗教作品が展示されている。教会はロマネスク様式を代表する建物で、夕方からコンサートが開かれることもある国立美術館・ボヘミアバロック部門の前で記念撮影。

プラハ観光のハイライトであるプラハ城。その城内で最も高くそびえ、第2の中庭から第3の中庭へ抜けると目の前に姿を現す。壮大なゴシック様式の姿はカレル4世の時代から増改築が繰り返され、1929年に完成したもの。ステンドグラスから差し込む光が、幻想的な空間を作り出している。入口から左3番目のステンドグラスは、チェコが生んだ偉大な芸術家であるアルフォンス・ムハ(ミュシャ)の作品の聖ヴィート大聖堂を訪れる。

第3の中庭の東側にある旧王宮。入ってすぐのヴラディスラフ・ホールVladislavskysalは、長さ62m、幅16m、高さ13mという、当時としては最大級のホール。1493~1503年にかけて造られ、ボヘミア王の選出や即位式などに使われた。花びらのような幾何学模様を描く天井は、ルネッサンス様式とゴシック様式が融合した、世界の建築史に残るもの。ヴラディスラフ・ホールに続くバルコニーから望む、“百塔の町”プラハの景色もすばらしい旧王宮 を訪れる。

プラハ城内の東側にある一画のこと。間口の小さな家が軒を連ね、まるで童話の世界に迷い込んだような雰囲気だ。黄金小路という名は、皇帝ルドルフ2世が錬金術師を住まわせていたという話から付けられたが、実際は衛兵のための住まいだったといわれている。現在はどの家もみやげ物屋となっていて、観光客がそぞろ歩く。なかにはプラハ出身の作家、フランツ・カフカが一時期使用していた家もある黄金小路を訪れる。

建築家ペトル・パルレーシュの設計、100年以上の月日を費やして15世紀はじめに完成した。重厚なゴシック様式の橋には、左右合わせて30体の聖人像が据えられ、後にローマのサンタンジェロ城に架かる橋のモデルとなったといわれている。西岸から数えて左側の8番目にある聖ヤン・ネポムツキー像の台座部分のレリーフに触ると、幸運が訪れると伝えられ、多くの観光客を集めているカレル橋を渡る。

歴史的なプラハのもっとも意義ある広場になる。12世紀に造られ、この広場はたくさんの歴史的なイベントを記念した。旧市街市庁舎とティーン教会とともにバロック様式の聖ミクラーシュ教会、ロココ様式のキンスキー宮殿、石の鐘の家と彫刻家のヤン・シャロウンによるヤン・フス記念碑は広場の代表的な記念物になる旧市街広場を訪れる。数世紀かけて増築を重ねられ、異なる装飾が連なる複合建築物。塔の上からはプラハの町並みが眺められる。南側の壁にある天文時計は、15世紀に造られたもの。9:00~21:00の毎正時になると時計のからくりが作動し、キリストの12使徒が文字盤の上部に次々と顔をのぞかせる旧市庁舎を訪れる。

プラハバロックの最も重要な建築(建築家ディーンツェンホーファー、ルラゴ1704-1756)のひとつ。インテリアの装飾もピークバロック様式(クラッケル、シュクレータ)のものになる。プラハ滞在の際にモーツアルトはこちらのオルガンを演奏した聖ミクラーシュ教会を訪れる。

13世紀の構成;現在の形は約1893年から1913年の間に、プラハで何百年もの歴史を持ったユダヤ人の記念物をわずか残し、衛生的に改修されたもの。にもかかわらず、プラハのユダヤ人