岡山

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百七十二弾:岡山県小京都重要伝統的建造物群保存地区観光
2019年3月30−31日
  


中国地方の岡山県に足を運び岡山県に点在する小京都重要伝統的建造物群保存地区9か所を訪れました。
30日12:30車で出発、阪神中国山陽自動車道経由して岡山方面に向かう。

下津:鷲羽山の西麓に広がる港町で備前岡山の南の玄関口。江戸時代中期以降は商港として栄え北前船の寄港地ともなりました。

倉敷:幕府の天領であった倉敷は、倉敷川の水運を利用して米をはじめとする物資の集散地として発展してきた。その後も天領時代の蔵と倉敷川を生かしながら時代の変化に応じた町並みづくりをしてきている。

18:00岡山駅前のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。

31日7:30車で出発。

矢掛: 岡山県小田郡矢掛町は、岡山県の南西部に位置し、人口15,839人(2008年7月末現在)の旧山陽道 の宿場町で知られる町です。矢掛町には街並み保存地区や国指定重要文化財もあり、町の景観にも力を入れています。矢掛本陣は国指定重要文化財です。 当時、大庄屋で酒造業を営む石井家が本陣職にあたりました。参勤交代で大名や公家、幕府役人の宿所に使われた屋敷は建築の粋をこらしており、当時の繁栄を現在に伝えています。本陣の予備にあてられ、当時、宿場の両替商で庄屋役でもあった草家が選ばれました。特に白壁、張瓦の堅固な建築様式が美しいです。本陣から400mの所にあり、本陣と共に国の重要文化財に指定されています。

備中高梁:美観地区の紺屋川筋、庭園の素晴らしい頼久寺は特に見応えがある。江戸時代は水運を利用して発達した町で、タバコの産地である。つい最近までJTの工場もあった。盆地の中にあり、高梁川が昔のたたずまいを残す町を静かに流れている。鎌倉時代に臥牛山に砦が築かれたのが、城下町としての始まりになる。天守閣のあるお城としては日本一高い場所にある備中松山城が町の自慢だが、このお城は江戸時代の城主・水谷勝宗による改修によるもので、ほぼ当時の姿を残している。庭園が美しい頼久寺は足利尊氏の建立したもの。
美観地区の紺屋川筋、城下町らしく武家屋敷沿いの道は、気持ちのいい散策路になっている。見所はいろいろあるが、古いモノなら何でも並べたような郷土資料館が、庶民の生活様式などがわかって面白く勉強にもある。武家屋敷は二百石程度の侍の屋敷だったもの、醤油の製造場でもあった商家資料館もある。

吹屋:銅山とベンガラの町として栄えたころの町並みがよく保存されていることから昭和41年県のふるさと村に指定され昭和52年国の「重要伝統的建物群保存地区に」選定されている。町全体がベンガラ色に染まっているのが印象的。

勝山:出雲街道の宿場町として栄えた勝山。今でも昔ながらの白壁の土蔵、格子窓の商家、古い町並みが残っており、岡山県で最初に「町並み保存地区」に指定されました。今では“のれん”が勝山のシンボルになっていて、町のあちこちで観光客の目を楽しませてくれます。また、室町時代に始まったとされる高瀬舟の発着場跡が、旭川沿い約700mに渡って残り、玉石積みと白壁の景観が往時の賑わいを偲ばせています。

足守:旧出雲街道の宿場町で、三浦藩の城下町です。格子や白壁の美しい商家が並び石州瓦で葺かれた屋根が白壁とあいまった県北らしい町並みです。電線が地中化されてきれいに整備されています。

津山:古くは美作国府・国分寺が置かれた政治・経済の中心にあり、旧出雲街道の要衝として栄えた。街道沿いに歩くと古い町並みが残っている津山。防衛上の拠点として配置された寺院もよく今日まで残っている。津山盆地の中を吉井川が流れ、水運を利用して高瀬船も往来していた。江戸時代の二代藩主の森長継が京都から作庭師を招集して、仙洞御所をまねて造園させたのが衆楽園。長い池に四つの島を配置し、中国山地を借景した名勝として知られる。城跡には天守閣などはないが、鋭い石垣が鶴山公園として残っており、名城らしい面影を見ることができる。特に桜の季節になると美しい姿を見せる。室町時代にもお城はあったが、応仁の乱の余波で廃城となり、本格的に築城されたのは江戸時代に入ってからである。この地を治めた森家は、本能寺の変で織田信長とともに討ち死にした森蘭丸に繋がり、お城も弟忠政が築城したもの。江戸時代に入ると松平家が変わって入城し外様大名を卒業した。市内は武家屋敷町、町人町、商人町と分かれていた地域が、今も面影を少し残している。中でも城東地区一帯がよく残っており、小路も歩いていても楽しい。

大原:旧因幡街道の宿場町大原宿です。参勤交代で鳥取藩主池田侯が宿泊するようになると宿場としてにぎわいを見せました。数寄屋づくりの御殿や唐破風の御成門をもつ本陣、長屋門をもつ脇本陣が残っています。電線が地中化され、きれいに整備された町並みです。

17:30帰路に向かう。

今回の旅行、中国地方の岡山県に足を運び、岡山県に点在する小京都重要伝統的建造物群保存地区9か所を訪れ楽しみました。

今まで何回か訪れたことのある観光名所、大阪から車で走行距離850kmの長距離長時間のドライブ観光でした。



 
















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百十二弾:岡山県お城・城下町巡り観光  5月16−17日  

室町時代に播磨、備前、美作の三国の守護に赤松氏就き、山名氏と激しく競争する。一時は山名氏に三国を奪われるが、応仁の乱を契機に復帰、以後、権力は浦上氏に移るが、宇喜田直家の下克上に合う岡山県に足を運び、比較的マイナーなお城16箇所(三石城、天神山城、金川城、徳倉城、足守陣屋、備中高松城、富山城、撫川城、庭瀬城、常山城、下津井城、猿掛城、成羽城、楪城、高田城、岩屋城)を訪れました。

16日12:30車で近畿名神中国山陽自動車道経由して備前インター下車

三石城:三石城は、正慶2年に三石の地頭伊東大和二郎によって築かれ、鎌倉末期から南北朝期にかけての戦乱で、しばしば攻城戦が行われた。
室町時代は、播磨守護代浦上氏が代々居城し、永正16年、浦上村宗は主家赤松義村に攻められるが、これを撃退してた。 これにより播磨守護赤松氏の勢力を失い、浦上氏は戦国大名へと成長した。
享禄4年、浦上村宗の跡を嗣いだ嫡男政宗は、居城を播磨室津城へと移し、三石城には城番を置いた。
その後、政宗・宗景(天神山城主)・国秀(富田松山城主)の兄弟争いの末、宗景が備前・美作南部を領し、後政宗滅亡後播磨西南部も領有するようになると、三石城の存在価値も薄らぎ自然と廃城になった。

天神山城:天神山城は、享禄5年に浦上宗景によって築かれた宗景一代限りの城である。
浦上宗景は、播磨西部・備前東部を領した三石城主浦上村宗の次男。 父村宗没後、室津城主の兄浦上政宗(浦上宗家相続)と不和になり、富田松山城主の弟国秀と共に備前東部の国人を引き連れ自立した。
浦上宗景は、天文12年に備前守護職赤松晴政(播磨置塩城主)の備前侵攻軍を撃退して、備前での領主権を確立し戦国大名へと成長した。
永禄年間から新興著しい家臣宇喜多直家が、永禄11年に金川城主松田元輝を滅ぼした。 この頃から浦上宗景と宇喜多直家の力関係は逆転し、天正5年に宇喜多直家は天神山城を攻め、数日間の攻防の末に落城。 浦上宗景は城を捨て遁走し、その後の行方には諸説があり定かではない。

岡山方面に向かう。

金川城:金川城は、承久年間に松田盛朝に築城し、松田氏代々の居城であった。 松田氏中興の祖、松田元成は文明12年い居城を富山城から金川城へと移し、城を改築して居城とした。 元成は、備前西半国を領有して自立し、守護赤松氏、守護代浦上氏と対立した。
永禄11年、松田元輝は新興勢力岡山城主宇喜多直家によって攻められ、13代235年続いた松田氏は滅亡した。
松田氏滅亡後、直家の舎弟浮田春家が城主となった。 慶長5年、関ヶ原で敗れた宇喜多秀家は改易となり、小早川秀秋が備前に入国した時、金川城は廃城となった。

徳倉城:徳倉城の築城年代については、諸説があり定かではないが、文明年間に金川城主松田元隆が、金川城の支城として整備したものと考えられ、松田氏の重臣宇垣氏が代々城主であった。
永禄11年に、宇喜多直家(岡山城主)が松田氏を滅ぼすと、直家の家臣遠藤河内守が城主となった。
慶長5年、関ヶ原の役で宇喜多秀家は、西軍に与したため改易となり、備前国は小早川秀秋の領国となり、この頃に徳倉城は廃城となった。 

備中方面に向かう。

足守陣屋:慶長6年、木下家定(豊臣秀吉正室寧子の兄、小早川秀秋の実父)が足守25,000石を与えられた。
2代勝俊は、若狭小浜で62,000石を領していたが、関ヶ原の後小浜を没収され、慶長14年に足守の相続を許されたが、北政所が勝俊にのみ相続させたので、徳川家康の怒りを買い改易された。
その後、幕府直轄領を経て浅野長晟が一時24,000石で入った。 長晟が、紀州和歌山の浅野本家を相続して足守を去り、元和2年に木下勝俊の弟利房が木下家再興を成し遂げて25,000石 を領し、代々相続し明治に至った。

備中高松城:永禄末年に備中松山城主三村氏の重臣石川久式によって、備前との境目の城として築城された。
天正3年に三村氏滅亡後、毛利氏に属した清水宗治が城主となる。 天正10年には、羽柴秀吉による有名な高松城水攻めが行われ、宗治は羽柴・毛利双方の和議の証として自刃する。
その後、高松城には岡山城主宇喜多秀家の領する所となり、花房正成が入城。 関ヶ原以後は、徳川家康の旗本花房職之が居城したが、のち高松城を廃し、別地に陣屋を構えた。

岡山市内に向かう。

18:30岡山駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

17日7:30車で出発。

富山城:富山城は、仁和元年に富山大掾重興が築城した。 本格的な城郭としては、戦国時代になった応仁元年に金川城主松田元隆が攻略し、この城に移ってからである。
永禄13年に宇喜多直家によって松田氏は攻め滅ぼされた。 直家は、弟忠家を城主とした。 その後慶長4年に宇喜多氏の内紛の時、忠家の子信亮は城を捨て大坂に出奔した。 信亮が後の石見津和野城主になる坂崎出羽守直盛である。 城は、慶長6年頃に廃城となり、大手門は岡山城西の丸石山門として移築された。

撫川城:永禄2年に備中成羽の三村家親によって備中と備前の境目の城として築かれた。 三村氏が毛利氏に滅ぼされると、毛利氏の家臣井上有景が城代となった。
天正10年、備中高松城攻防の折りには、羽柴秀吉によって攻められ落城した。 城は、宇喜多氏の所領となり戸川氏が城主となった。
慶長5年、関ヶ原の戦功により戸川逵安が旧領を回復し、撫川城の東に庭瀬城を築いた。 庭瀬の戸川本家改易後、分家戸川逵富が5,000石を賜ってお家再興を許された。 逵富は、撫川城本の丸のみを拝領し、ここに居を構えた。

庭瀬城:慶長5年、元宇喜多秀家の重臣戸川逵安は、関ヶ原の戦功により旧領29,000石で入封して庭瀬城を築いた。 逵安没後、戸川氏は正安−安宣−安風と続いたが、安風に継嗣無く断絶する。
戸川氏断絶後、天和3年に下総関宿から久世重之が5万石で入封、貞享3年には丹波亀山へ移封された。
元禄6年、松平信通が大和興留から入封したが、元禄10年には出羽山上へと移り、元禄12年に上総高滝より板倉重高が2万石で入封して以後、明治まで10代が庭瀬に居城した。

下津方面に向かう。

常山城:常山城は、文明年間に備中松山城主三村元親の重臣上野隆徳によって築かれた。 三村氏は、岡山城主宇喜多直家に追いつめられ、織田信長と結んだ為、毛利氏は小早川隆景を将として三村氏討伐の軍を進めた。 天正3年、ついに常山城も毛利氏に攻められ落城した。
常山城は、岡山城主宇喜多直家に与えられ、重臣戸川秀安が城主となった。 慶長5年、関ヶ原の合戦で宇喜多秀家は改易となった後、岡山城主となった小早川秀秋の重臣伊岐真利が城主となった。
慶長8年、秀秋病没後小早川氏は改易となり、次いで岡山城主となった池田忠継は、常山城を廃城にした。

下津井城:慶長5年、岡山城主となった小早川秀秋は、下津井城を本格的な近世城郭へと改築を開始したが、途中病没したため中断した。
慶長8年、池田忠継が岡山城主となると、赤穂城代だった池田長政に命じて大改築を行い4年後に完成した。
寛永6年、池田光政が鳥取城からから岡山城へと移封され、米子城主池田由成が32,000石を領して、下津井城主となったが、寛永16年に一国一城令によりとなり、由成は天城に陣屋を構えて移った。

備中方面に向かう。

猿掛城:猿掛城は、文和2年に庄資政によって築かれた。 資政は、南朝方北畠顕能に属し北朝方の高師直と度々合戦に戦功を立ている。 その後庄氏は、永享年間には備中守護代として勢力を伸ばした。
戦国時代、天文2年に庄為資は上野伊豆守を滅ぼし備中松山城に居城を移し、猿掛城へは一族庄実近を城代とした。 天文22年、鶴首城主三村家親が毛利氏の支援を受けて猿掛城へ攻めた。 籠城戦の後、庄為資は毛利氏と和睦し、三村家親の長子元祐を養子にして猿掛城主とした。
元亀2年、庄高資が毛利・三村連合軍により居城松山城を攻められ、高資は討死して庄氏は衰退する。 替わって三村氏が備中の覇権を握るが、天正2年に毛利氏によって滅ぼされ、備中全土が毛利氏の領国となると毛利元清が猿掛城主となった。 天正10年、元清は茶臼山城(中山城)を築いて移り、宍戸隆家が城番を務めた。
慶長5年の関ヶ原の敗戦で毛利氏は防長2国に減封となり、慶長9年に花房正成が5千石で城主となったが元和元年の一国一城令で城は廃城となった。

成羽陣屋:成羽陣屋は、元和3年に山崎家治によって築かれた。 家治は因幡若桜から3万石で入封し、鶴首城の麓に新城(陣屋)を築いた。 山崎家治は、その後天草富岡へ転封、更に讃岐丸亀への移る。 山崎氏の移封後、寛永16年に常陸下館より水谷勝隆が5万石で入封、3年後には備中松山へ再度転封する。 
山崎家治の丸亀の遺領を嗣いだ俊家没後、継嗣無く山崎本家は改易となったが、万治元年に山崎豊治に家名存続が許され、5,000石の交代寄合として再度入封した。 明治2年に山崎氏は、新田分も加えて13,000石となり大名に列した。  

楪城:築城年代は定かではないが南北朝時代初期に新見氏によって築かれたと云われる。 新見氏の発祥は詳らかではない。
新見氏はその後尼子氏に属したが永禄9年(1566年)頃に鶴首城主三村元親・元範に攻められ落城した。
その後、三村元範が城主となり、二の丸、三の丸などの増築が行われ松山城につぐ規模の山城となったようである。また楪城の出丸ともいわれる朝倉城に富谷大炊介、粒根城に伊勢掃部入道国寛、竹野城に三村元威、角尾城に三村元高、鳶ヶ巣城に三村親当を配し一族・重臣によって固められた。
備中兵乱によって毛利氏の攻撃を受け、天正3年(1575年)落城し三村元範は高尾の石指まで落ち延びたが多治景春によって討たれた。 その後は毛利氏の家臣今田経高、天野勝元が城主となった。

美作方面に向かう。

高田城:高田城は、三浦貞宗によって築かれたが、築城年代については諸説があるが、嘉慶年間までに築城された。
天文17年、三浦貞勝は尼子氏の重臣宇山久信に攻められ落城したが、永禄2年に三浦貞勝が奪還した。 しかし、永禄8年、備中松山城主三村元親によって攻められ落城、貞勝も自刃した。 高田城は、その後毛利氏と宇喜多氏の争奪戦が繰り広げられた。
江戸時代、明和元年に三河西尾から三浦明次(三浦貞勝とは同祖異系)が23,000石で入封、高田城を修築して勝山城と改名した。 以後三浦氏は、10代続いて明治に至った。 

岩屋城:岩屋城は、嘉吉元年に山名教清によって築かれた。 教清は、嘉吉の乱の戦功により美作守護職を与えられ際に岩屋城を築き、叔父山名忠政が鶴山城(津山城の前身)を築いて在城した。
応仁の乱が起こると山名政清は一族山名宗全に味方して京へ出陣、山名忠政が岩屋城を守将となったが、忠政もまた京へと出陣する。 この隙に赤松政則は美作に侵攻し岩屋城を落とした。
永正17年、備前三石城主浦上村宗は赤松氏の美作の本拠岩屋城を攻め落とし、家臣中村則久を城主とした。 その後、岩屋城を巡って、尼子氏・浦上氏・宇喜多氏が争う。
毛利氏が勢力を拡大させると美作でも毛利対宇喜多の抗争が続き、天正9年には毛利方の中村頼宗が岩屋城主となった。
天正10年、備中高松城を攻めていた羽柴秀吉は、本能寺の変が起きると毛利輝元との間に和議が結ばれ、備中川辺川以東は宇喜多氏領と定められた。 これを不服とした毛利方の中村頼宗は岩屋城開城に応じなかった。
天正12年、宇喜多氏は荒神山城主花房職秀を大将にして岩屋城を攻めたが、城を落とせず、前将軍足利義昭の調停により和議が結ばれ岩屋城は開城した。
長船貞親が新城主となったが、天正18年に野火いにより全焼してしまい、岩屋城は廃城となった。

16:30帰路に向かう。

今回の旅行、中国地方の岡山県に足を運び、比較的マイナーなお城16箇所を巡り楽しみました。

平城は比較的見つけやすく、城跡に公園、学校、役所が立ち並ぶことが多い、山城は登山口を見つけるのが第一歩でそれから山道で頂の城跡までたどり着くのが一苦労を要します。今回も同じでした。

なかなか見つけるのが苦労を要したお城巡りドライブ観光でした。

























  
飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五十弾:岡山県津山・美作&高梁・吹屋観光
2011年7月9−10日


岡山県に足を運び、江戸時代、津山藩の城下町として栄えた津山、豊かな自然が多く、宮本武蔵の故郷で知られる美作、備中松山藩5万石の城下町として栄えた高梁、往時を偲ぶ町並みやベンガラの町の吹屋を訪れました。

9日21:00車で阪神中国自動車道経由して津山インター下車
23:00津山市内のホテル到達、就寝。

10日6:30車で津山市内巡る。

世界各地の動物、蝶、昆虫類、貝類、化石・鉱石類の標本を2万数千点展示。中国の珍獣キンシコウのはく製、博物館創設者・森本慶三の内臓実物標本など驚く展示物もあるつやま自然のふしぎ館を訪れる。

1604年(慶長9)、初代藩主・森忠政が築いた津山城。現在は、本丸跡や高さ45mの石垣が残る。一帯は鶴山公園として整備。西日本有数の桜の名所として知られ、桜の名所・歴史公園・名城100選にも選ばれている津山城(鶴山公園)を訪れる。

津山城跡の南から東にかけての旧出雲街道周辺の古い町並みが、町並み保存地区に指定されており、なまこ壁、防火用の袖壁、卯建のある家が軒を並べている。敵が侵入してきた時に行き止まりと思わせて欺くために整備された鍵型に折れて続く道沿いには、作州城東屋敷、箕作阮甫旧宅の史跡や城東むかし町家などのみどころがある。また、映画『男はつらいよ』をはじめ、ロケ地としても知られる城東町並み保存地区を訪れる。

1657年(明暦3)、津山藩主森長継が別邸を建てたところに京都仙洞御所を模して造った池泉回遊式大名庭園。当時は今よりも3倍ほど大きく、他藩の使者をもてなすための接待所としても使われていた。中国山地を借景としており、南北に長い池には中之島、蓬莱島、紅葉島、霧島と4つの島が浮かび、風月軒と清涼軒が立つ。優雅な景観は国の名勝に指定されている衆楽園を訪れる。

勝山方面に向かう。

保存地区は駅の北側、城山・太鼓山を背に広がる。高田神社、化生寺といった寺社群をはじめ郷土資料館、武家屋敷館、大正時代末頃まで鉄や農産物の輸送に使われていた高瀬舟の発着場跡などとみどころが多い。民家の軒先に下げられた草木染めのれんが風情を感じさせる。第二次大戦中疎開してきた文豪・谷崎潤一郎もこの地を愛した。特産品に高田硯や勝山竹細工などがある勝山町並み保存地区を散策する。

高梁方面に向かう。

与謝野晶子が『奇に満ちた洞』と詠んだことから命名された。最奥の洞内湖にかかる竜宮橋がみどころの満奇洞を訪れる。

日本三大鍾乳洞の一つで、全長は1200m。高さ240mの石灰岩がそびえる麓に入口があり、芸術的な鍾乳石(県指定天然記念物)の世界が広がる井倉洞を訪れる。

成羽町の中心から北へ約15kmにあり、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。江戸時代から明治にかけて銅とベンガラで栄えた町。メインストリートにあたる吹屋街道沿いには、ベンガラ格子に赤銅色の石州瓦が印象的な商家・町屋が約300mにわたって軒を連ねており、みどころも多い吹屋ふるさと村を散策する。

江戸末期、銅山とベンガラで巨万の富を築いた豪商の邸宅。城郭を思わせる立派な構えに当時の繁栄ぶりがうかがえる。2階建ての母屋、3棟の土蔵、桜門、長屋、石垣は1810年(文化2)の建築。庭園には水琴窟もある。映画「八つ墓村」のロケ地になったところとしても有名。ベンガラ館から広兼邸へ行く途中には、笹畝坑道があり、銅山を掘った跡もみることもできる広兼邸を訪れる。

ベンガラは、江戸中期に全国で初めて吹屋で生産されて以来、大正時代まで陶磁器や建築などに使用されていた赤色顔料。明治時代のベンガラ工場を復元した資料館で、吹屋ベンガラの製造工程を見学できる。隣接する陶芸館ではベンガラを使って陶器の絵付けなども体験できるベンガラ館を訪れる。

1879年(明治12)に建てられた吹屋商人の屋敷。館内では当時の生活史料などを展示している吹屋ふるさと村郷土館を訪れる。

郷土出身の洋画家・児島虎次郎(1881〜1929)の遺作絵画を中心に約50点を展示。彼が外遊中に収集した古代エジプトなどの遺物や、成羽地区から産出した約1億8千万年前(中生代三畳紀)の日本最古の植物群の化石なども見ることができる成羽町美術館を訪れる。

1904年(明治37)建設の旧高梁尋常高等小学校の本館を利用し、オルガンや蓄音機といった江戸時代から昭和初期の生活用具などを展示。階上の講堂は桃山風の二重折上格天井で、明治の気風を伝える見事な出来ばえの高梁市郷土資料館を訪れる。

足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つ。本尊は聖観世音菩薩で、備中西国第5番瀬戸内観音第13番の札所でもある。1604年(慶長9)頃に造られたという庭園(名勝)は、小堀遠州作の蓬莱式枯山水様式で、愛宕山を借景に白砂敷きの中央に鶴島、後方に亀島を置き、サツキの大刈り込みで青海の波を表現している。座敷に座って鑑賞することができ、サツキが満開になる5月下旬から6月上旬がいちばんの見頃だが、雪をかぶった冬の景観も美しい。毎年秋には小堀遠州を顕彰するお茶会が催される頼久寺を訪れる。

市内に残る武家屋敷の1つ旧折井家は、天保年間(1830〜43年)に建てられた漆喰壁をもつ屋敷。母屋は格式のある書院造。中庭の池や庭石、踏み石などは当時のまま残っており、その中庭に面して資料館がある。もう一つの旧埴原家は、江戸時代中期から後期にかけて、近習役や番頭役などを務めた武士の住宅。松山城下の武家屋敷としては寺院建築や数寄屋風の要素を取り入れた珍しい造りで、市の重要文化財に指定されている高梁市武家屋敷を訪れる。

足守方面に向かう。

足守地区約300戸のうち約100戸が、漆喰壁・虫籠窓などをもつ江戸時代の伝統的家屋の姿をとどめており、今も陣屋町の面影が残る。侍屋敷や豪壮な旧足守商家藤田千年治邸、備中足守まちなみ館など見どころも多い足守の町並みを散策する。

白壁の長屋門と土塀に囲まれた家老杉原家の旧邸宅。江戸中期の建築と推定され、長屋門、御成門、土塀、庭園などどれもがよい保存状態で、武家の生活様式を知る資料としても貴重な存在だ。母屋は伝統的な武家書院造。寄棟、茅葺き、総檜平屋建ての組合せは、今日の和風住宅の原型ともいわれている旧足守藩侍屋敷遺構を訪れる。

旧藩主木下家の庭園。近くを流れる足守川の水を引く池泉回遊式庭園で、池畔に京都御所を築く際の残材で建てられた数寄屋造の吟風閣がある。この地ゆかりの歌人・木下利玄の歌碑や、マリア灯籠もある近水園を訪れる。

岡山中国自動車道経由して美作に戻る。

建築家・磯崎新氏のプロデュースにより、「作品=空間」というコンセプトのもとで建築された美術館。荒川修作+マドリン・ギンズ『遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体』、岡崎和郎『HISASHI-補遺するもの』、宮脇愛子『うつろひ』などが見もの。美術館ギャラリーでは企画展も開催している奈義町現代美術館(NAGI MOCA)を訪れる。

武蔵の生家跡や墓、武蔵ゆかりの讃甘神社などに加え、武蔵資料館、クアガーデンなど多彩な施設がある武蔵の里を訪れる。

武蔵の里にある資料館。非凡な芸術家としても知られる武蔵の「達磨頂相図(複製)」や、自作の「瓢箪鯰図鍔」(重要文化財)などを展示する武蔵資料館[武蔵の里]を訪れる。

武蔵の里にあり、武蔵が少年期を過ごしたところ。1942年(昭和17)に焼失し、現在の建物は瓦葺。隣接する平尾家は武蔵の姉おぎんの次男が住み、武蔵家を相続したという宮本武蔵生家[武蔵の里]を訪れる。

武蔵の里にある武蔵神社の一角、林の中にひっそりと眠る。武蔵が晩年を過ごした熊本から分骨したと伝えられる。隣には父、無二斎の墓もある武蔵の墓[武蔵の里]を訪れる。

ヨーロッパのものを中心とした玩具、アンティークオルゴールを展示する博物館。おもちゃツアーやオルゴールコンサートが毎日開催されている。他にミュージアムショップやおもちゃで遊べるプレイルーム、購入した工作キットを組み立てることができるアトリエ(工作室)がある現代玩具博物館・オルゴール夢館を訪れる。

19:30終了、帰路に向かう。

今回の旅行、岡山県の中国道に接する山間部のエリア広範囲に訪れ、点在する歴史的建造物、自然に接し、ドライブ観光楽しめました。

津山藩の城下町、津山、宮本武蔵の故郷、美作、歴史の息づかいを伝える静かな町並み足守、武家屋敷が続く風情ある城下町、高梁、ベンガラ町、吹屋、奥深い歴史に接することが出来た歴史学習観光でした。














飛行機で国内&海外の観光地巡り第百四十四弾:岡山県笠岡諸島観光
2011年5月21日ー22日


生きた化石、カブトガニの養殖で有名な岡山県笠岡に足を運び、岡山県の西端、笠岡市に属し、高島・白石島・北木島・真鍋島・小飛島・大飛島・六島の7島で構成されている。主産業は、漁業、石材加工業、観光である。近年、漁業ではノリの養殖が盛んである笠岡諸島を訪れました。

21日12:30車で近畿中国山陽自動車道経由して笠岡インター下車
15:00神島外浦港到達。
15:22神島外浦港フェリーで出発
15:29高島港到達

笠岡市笠岡港から約12km、瀬戸内海の中央に飛び石状に浮かぶ笠岡諸島の最北端に位置し、国の名勝に指定されている風光明媚な島。古くから瀬戸内海航路の要衝として栄え、「古事記」に記されている神武天皇東征の際の高島行宮が置かれたのがこの島という説がある。かつては採石業と海運業が盛んだったが、民宿が増え、今では観光と漁業の島となっている。島の南側には、尾根伝いに延びる遊歩道があり、登っていくと、途中の展望台からは360度、瀬戸内の穏やかな風景が見渡せる高島を散策する。

陰石としては日本屈指の巨石。昔から良縁、子授け、安産、婦人病の霊神として崇められている。山の頂にあり、展望も素晴らしい
子はらみ石を訪れる

笠岡諸島を望みながら、海水浴が楽しめる
高島海水浴場を訪れる。

島の南側に瀬戸内海の眺望を楽しみながら散策できる全長2kmの遊歩道がある。途中の展望台からは、晴れた日には瀬戸大橋まで望める遊歩道展望台を訪れる。

神武天皇が高島滞在の折、吉凶を占った山と伝えられ、山頂には「高島行宮遺趾」と題した自然石の巨碑がある。展望台からは笠岡諸島をはじめ、瀬戸内海の大パノラマが広がる。また、神卜山へ向かう遊歩道沿いには、神武天皇が天つ神にお供えする水を汲んだと伝えられる「眞名井」が残っている神卜山を訪れる。


神武天皇が滞在した吉備高島行宮跡と伝えられる神社、高島神社を訪れる。

17:13高島港出発
17:19神島外浦港到達、車で水島方面に向かう。
18:30水島市内のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
22日6:10車で出発、笠岡港に向かう。
7:00笠岡港到達。
7:25笠岡港高速艇で出発、白石島に向かう。
7:47白石島到達、散策する。

笠岡市笠岡港から約16km、笠岡諸島の中では比較的本土に近い島。花崗岩の地肌が遠くから白い雪をかぶったように見えることから、白石島と呼ばれるようになったといわれており、国の名勝にも指定されている。江戸時代には備後鞆と備前下津井を通る内海の沿岸航路の中継地として栄えた。備後福山藩時代に干拓が行われたため、笠岡諸島の中では平地が多い島となっている。主産業は漁業で、底引網や定置網、ノリの養殖などが営まれている。島には観光資源が多く、海水浴場もあるため、特に夏場には多くの観光客でにぎわう白石島を訪れる。

瀬戸内海国立公園の自然景観美が楽しめる海水浴場、白石島海水浴場を訪れる。

弘法大師が唐から帰朝の途中に立ち寄り、一寸八分の尊像を刻んで島に残した。島民は、尊像をまつる大師堂を建て、笠岡市神島に開いた八十八箇所の奥の院としたという。元暦元年(1184年)、源平水島合戦での平家の戦死者を弔うため、慈眼寺が建立され、寛永2年(1625年)に開龍寺として再建された。昭和43年には、タイ・バンコクの名刹ワットパクナム寺院から仏舎利と釈迦如来像が奉納され、同45年にはタイ式仏舎利塔が日本で初めて建立された弘法山開龍寺を訪れる。

8:45白石島フェリーで出発
9:20真鍋島本浦港到達、散策。

笠岡市笠岡港から約31kmにある島。年間を通して霜のおりない温暖な気候で、秋から冬にかけて穏やかな斜面の畑は、寒菊などの花でいっぱいになる。西行法師の「山家集」に詠まれており、民俗行事もいくつか残っていて、歴史を今に伝える島である。島名は、真南辺の島、つまり備中国小田郡の南端にある島という意味で、後に真鍋の字をあてたと考えられている。平安時代末期に藤原氏の一族が水軍の根拠地を置いて真鍋氏を名乗り、全盛期には付近の島々をことごとく支配下に治めていたという。島には、源平合戦で平家方に属した真鍋氏の城趾や供養のために建てたと伝えられる石造宝塔などの史跡がある。港には石積みの堤防があり、のどかな漁村の佇まいを残している島として、岡山県が「ふるさと村」に指定しており、「瀬戸内少年野球団」など映画のロケ地にもなっている真鍋島を訪れる。

花の広場とフィールドアスレチック。花畑と展望休憩施設もある真鍋島ふれあいパークを訪れる。

笠岡市北木島や飛島をはじめ、福山市の島々を一望できる天神鼻展望台を訪れる。

天神鼻にある菅原道真公をまつる神社。境内からは弥生式土器が出土している天神社を訪れる。

延暦14年(795年)に弘法大師が開いたと伝えられる真言宗の古刹、円福寺を訪れる。

真鍋島の鎮守社で、応神天皇・神功皇后のほか三女神をを祭神とする。元禄時代(1688年から1703年)の創建と伝えられる八幡神社を訪れる。

11:00真鍋島本浦港フェリーで出発
11:15北木島大浦港到達、歩いて豊浦方面に向かう。

笠岡市笠岡港から約26kmの笠岡諸島の中央に位置する、笠岡諸島の中で最大の島。島のほぼ中央の笠岡諸島最高峰の葩栗山を中心に急峻な山々が連なっている。かつては柴島と呼ばれていたが、「柴」の字を「北木」の2字に置き換えたのが島名の由来といわれる。戦国時代には真鍋島の真鍋氏の支配下にあり、江戸時代には備後福山藩の所轄となった。古くから「北木御影石」で知られる「石の島」として有名で、江戸初期の大阪城修築の際には、大量の石垣石を送り出している。明治以降、石材の採掘が本格化し、東京の日本銀行本店、三越本店、日本橋、靖国神社大鳥居をはじめ、多くの構築物に北木石が使用されている北木島を訪れる。

東京オリンピックの時、代々木第2体育館の地下回廊を飾る彫刻を製作するために来島した彫刻家・水井康雄氏が島に残した作品で、北木中学校の校庭にある北木島山水を訪れる。

北側・南側に砂浜があり、中央部には松林が広がる。楠海水浴場・キャンプ場がある松原の白砂青松を訪れる。

元和6年(1620年)に始まった大阪城修築工事にあたり、石垣に用いる巨石が切り出された跡。大岩の下半分のみが波に洗われる状態で残っている矢倉の磯を訪れる。

北木石を使った彫刻作品を展示する第1回石彫シンポジウムの作品のひとつメビウスの輪を訪れる。

15:45北木島豊浦港フェリーで出発
16:05小飛鳥経由して
16:10大飛鳥洲港到達

笠岡市笠岡港から約30kmにある島。大飛島、小飛島をあわせて「飛島」と呼ぶことが多い。笠岡諸島は古くから瀬戸内海の交通の要衝で、中でも大飛島付近は瀬戸内海の東西の潮が離合する場所といわれ、往来する船がこの地で潮待ちをしていたと考えられている。奈良時代から平安時代にかけての祭祀遺跡が発見され、おびただしい数の奉献品が出土したことからも、重要な地であったことがうかがえる。平安時代から真鍋島の豪族・真鍋氏の支配下にあったとされ、元禄時代(1690年代)に移住したのが開拓の始まりといわれている。かつては、大飛島の南東にある大浦港の近くから、東に砂洲が鳥のくちばしのように小飛島に向かって延び、大飛島と小飛島を結ぶ海中の架け橋ともいわれていたが、潮流の変化もあって、現在ではほとんど見ることができない小飛島・大飛島を訪れる。

小飛島にある飛島の氏神様、嶋神社をフェリーから望む。

干潮時には小飛島に向かって幅30m、長さ350mの砂洲が現れていたが、最近は昔のように立派な砂洲は現れなくなった。笠岡市指定の天然記念物の大飛島の砂洲を訪れる。

昭和37年、飛島中学校の生徒が土器片数個を発見し、発掘調査で奈良三彩の壺、宋銭、銅鏡、装身具など、奈良時代から平安時代にわたる数百点の遺物が出土した。国指定重要文化財。海路の安全を祈願した祭祀遺跡とみられている。笠岡市指定の史跡の大飛島洲の南遺跡を訪れる。

17:00大飛鳥洲港フェリーで出発。
17:57笠岡港到達、車で帰路に向かう。

今回の旅行、得意な離島巡り、岡山県笠岡に足を運び、岡山県の西端、笠岡市に属し、高島・白石島・北木島・真鍋島・小飛島・大飛島・六島の7島で構成されている笠岡諸島を訪れ、意外と歴史深い史跡が点在しもっぱら散策して巡り楽しめました。

残念ながら船の便の時刻に合わず六島を訪れることが出来ませんでした。次回期待したいと思います。

いつもながら素朴でのどかな離島、今回も同様で村人は若い人は皆無、老年の方のみしかお会いできない。島内では仕事が無いので若い方は都会に向かい島から出て行く有様。年々人口が減り過疎地となる。離島の将来はどうなるんでしょうね。心配です。















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百三十弾:岡山県倉敷&笠岡&吉備路観光
2011年2月10ー11日


中国地方の岡山県に足を運び、白壁となまこ壁の建物が立ち並ぶ昔町、岡山県一人気の観光地、倉敷美観地区、瀬戸内海に面した風光明媚な港町、タコでもおなじみの児島・鷲羽山、天然記念物のカブトガニで有名で隠れラーメン王国の笠岡、田園地帯に古代吉備王国の史跡が点在、桃太郎の伝説も伝わる吉備路を訪れました。

10日19:30車で近畿中国山陽自動車道経由して
22:00倉敷駅付近のホテル到達、宿泊。
11日6:30車で出発、鷲羽山・児島方面に向かう。

江戸時代に北前船が寄港し、讃岐金比羅参りの旅人で賑わった港町の風情を今も色濃く残している。海の守り神として崇められてきた祇園神社から吹上漁港にかけての旧街道沿いは、町並み保存地区に指定されており、なまこ壁のニシン蔵や格子窓の商家、玉垣などに往時の面影を見ることができる下津井の町並みを訪れる。

北前船の回船問屋、高松屋(中西家)の母屋やニシン蔵などを復元した文化施設。江戸後期から明治期の暮らしを再現し、母屋では実際に使われていた道具類を展示。中庭を囲んで、観光ポイントをビデオなどで紹介するいんふぉめーしょん館や蔵造りのみやげ物店、瀬戸内の味を楽しめる食事処などがあるむかし下津井回船問屋の前で記念撮影。

瀬戸内海を望む標高133mの山。鷲が羽根を広げたような山容からこの名があり、瀬戸内海国立公園特別地域に指定されている。駐車場から歩いて10分の第2展望台や鷲羽山レストハウスからは、瀬戸内の島々や四国の山並みが一望できる鷲羽山を訪れる。

江戸後期、製塩業を新田開発で財を成した野崎武左衛門が、天保4年(1833)頃から建築した大庄屋屋敷。約3000坪の敷地には、枯山水の庭園、約42mの奥行きがある主屋、表書院、土蔵、茶室などが点在。水琴窟の音色も楽しめる。雄大な規模の上層民家で屋敷全体の構成も貴重なため、国の重要文化財に指定。併設の野崎家塩業歴史館では、塩業資料や民具を展示している旧野崎家住宅を訪れる。

笠岡に向かう。

カブトガニ型ドームの館内ではカブトガニのはく製や資料の展示のほか、ビデオでその進化や生態をわかりやすく紹介。実際に水槽の中で泳ぐ姿も観察できる。博物館近く、神島水道のカブトガニ繁殖地は国の天然記念物に指定。隣接の恐竜公園は、ティラノサウルスなどの実物大恐竜模型が8体並ぶ笠岡市立カブトガニ博物館を見学。

笠岡市出身の日本画家で文化勲章を受章した小野竹喬[おのちっきょう]の作品を中心に約2000点を収蔵している美術館。竹喬の作品には、瀬戸内海など郷里の自然や日常の風景を題材にしたものが多く、なかでも神島の穏やかな景色を描いた『島二作』は見ごたえがある。京都や岡山の近代日本画も収蔵しているほか、年に2回特別展覧会も開催している笠岡市立竹喬美術館の前で記念撮影。

赤松を使い、伝統工法で建築された町屋風美術館。矢掛出身の書家・田中塊堂の『春水』『賀歌』、洋画家・佐藤一章『霧の朝』、『残雪の駒ケ岳』などの作品や宿場町関係の郷土資料を展示。高さ16mの水見櫓は、美術館のシンボルとなっており、最上階からは町並みを見渡すことができるやかげ郷土美術館を訪れる。

参勤交代の大名が利用した宿泊施設で、酒造業を営む豪商・石井家が本陣職を務めていた。敷地には大名が出入りした御成門や本陣屋敷、酒造関係の建物が当時のまま残っている旧矢掛本陣石井家を訪れる。

倉敷に戻る。

国の重要伝統的建造物群保存地区。白壁や格子窓の町家や蔵が並び、昭和34年に復元した常夜灯や、1926年(大正15)に架け替えられた今橋などがしっくりとなじんでいる。美観地区の歴史やみどころを詳しく知ることができるボランティアガイドあり。夜間は倉敷川河畔を中心に景観照明を実施。ほのかな明かりに包まれ、幻想的に浮かび上がる町並みを楽しめる美観地区を訪れる。

蔦で覆われた赤レンガの建物が印象的。1889年(明治22)に建てられた倉敷紡績発祥工場を再開発した複合文化施設だ。施設内には同名のホテルもあり、レトロな雰囲気が人気の倉敷アイビースクエアを訪れる。

倉敷アイビースクエア内にある施設。倉敷紡績の明治時代のオフィスを利用した館内に、アンティークオルゴールを展示。1日7回、コンサートも楽しめるオルゴールミュゼ・メタセコイア[倉敷アイビースクエア]を訪れる。

倉敷アイビースクエア内にある。画家であり、大原コレクションの収集にも功績のあった児島虎次郎の作品を収める児島室、古代オリエントの美術品約500点を展示するオリエント室からなる大原美術館児島虎次郎記念館[倉敷アイビースクエア]を訪れる。

倉敷アイビースクエア内にある施設。白壁土蔵造の旧原綿倉庫を利用して、倉敷紡績の明治時代からの歩みを紹介している倉紡記念館[倉敷アイビースクエア]を訪れる。

江戸末期の商家の米蔵を利用した白壁となまこ壁の建物。吉備路を中心とする、県下で発掘された石器・土器などの出土品や生活用具など約700点を時代別に展示。古代ペルーのアンデス文明の考古資料も見られる倉敷考古館を訪れる。

新田や塩田開発で財を成し、幕末には庄屋も兼ねていたほどの豪商だった大橋家。主屋は五本格子の倉敷窓を持つ厨子2階建てで、国の重要文化財。代官所の許可がなければ建てられなかった長屋門を構えていることから格式の高さを感じとれる大橋家住宅を訪れる。

倉敷紡績の2代目社長・大原孫三郎が1930年(昭和5)に開館した日本初の西洋近代美術館。画家・児島虎次郎に委嘱して収集した西洋の名画を中心に約3000点の作品を収蔵し、常時約1500点を展示。17世紀のエル・グレコや19世紀の印象派の名画、現代美術品など、いずれも世界的にも水準の高いコレクションの大原美術館を見学。

大原美術館の本館で、ギリシア神殿風の建物入口正面にあるロダンの彫刻『説教をする聖ヨハネ』と『カレーの市民』をはじめ、この美術館の目玉であるエル・グレコの『受胎告知』やゴーギャンの『かぐわしき大地』などを展示している。新展示棟ではマティス、ピカソなどの現代美術にふれることができる本館[大原美術館]を見学。

大原美術館の分館で、岸田劉生の『童女舞姿』、梅原龍三郎の『紫禁城』をはじめ、青木繁、藤島武二といった近代日本の洋画を展示。また、前庭の地下には現代美術室があり、現在活躍中の作家の作品も見られる分館[大原美術館]を見学。

大原美術館の工芸・東洋館。工芸館は浜田庄司、河井寛次郎、富本憲吉らの陶芸作品や、棟方志功の版画、芹沢けい介による型染の作品などを展示。東洋館は、児島虎次郎の中国古美術コレクションに戦後収集したものを加え、先史時代から唐代までの東アジアの古美術を中心に展示している工芸・東洋館[大原美術館]を見学。

建物は江戸時代後期の米蔵を改装したもの。地元倉敷のほか、国内外から集めた陶磁器や漆器、木・石工品、織物など、衣食住に関する民芸品を常時約500点展示している倉敷民藝館を訪れる。

『森の唄』で知られる倉敷出身の文化勲章受章日本画家・池田遙邨の作品を中心に、寺松国太郎、満谷国四郎ら郷土ゆかりの作家の作品を多数所蔵。常設展で見ることができる倉敷市立美術館を見学。

江戸時代後期の米蔵を利用した館内には、凧やカラクリ人形など、全国で作られた郷土玩具約5000点を都道府県やテーマ別に展示。企画展を行うギャラリーやカフェ、ショップを併設している日本郷土玩具館を訪れる。

吉備路に向かう。

吉備国の一宮で祭神は吉備津彦命。三間社流造の本殿は元禄年間(1688〜1704)に再建したもの。高さ11.5mの大きさを誇る2基の常夜燈や神池と中島で構成された三島式庭園もみどころ。夏至の日には太陽が随神門正面から昇り、社殿の後ろに沈むことから朝日の宮とも呼ばれている吉備津彦神社を訪れる。

吉備津彦命を祭神とする古社。入母屋造の屋根を二つ並べて一つにした特異な比翼入母屋造の本殿(国宝)と拝殿(国宝)、南・北随神門(重要文化財)など見どころが多い。本殿西側の斜面は4月はボタン、5月はサツキ、6月にはアジサイが360mもの長い回廊に沿って咲き誇る。御釜殿では温羅伝説に基づく鳴釜神事を行う吉備津神社を訪れる。

古墳時代中期のものと推定される前方後円墳(史跡)で全長350m、高さ24mの大きさは全国4位。墳丘に登ることができ、頂上には荒神社が祭られている。古代吉備国の首長の墓と推測されるが、埋葬者はいまだ解明されていない造山古墳を訪れる。

毛利氏の戦国武将・清水宗治の居城跡。1582年(天正10)、羽柴(豊臣)秀吉の水攻めで落城した。城跡内には、自害した宗治の首塚と辞世の歌碑が残る高松城跡を訪れる。

6世紀後半に築造されたといわれる、全長約100mの前方後円墳。発掘調査時、暗い石室内にはたくさんのコウモリが住んでいたことからこの名が付けられた。飛鳥の石舞台古墳に匹敵する規模をもつ巨大な横穴式石室には、一枚岩をくり抜いた家形石棺が納められているこうもり塚古墳を訪れる。

奈良時代、国家鎮護を祈願する聖武天皇によって建立されたが、南北朝時代に焼失。現在の建物は江戸時代中期に再建されたもの。境内西にそびえる五重塔(重要文化財)は吉備路のシンボル的存在。高さ34m、3層目までがケヤキ、4〜5層目は松を主体に造られている備中国分寺を訪れる。

備中国国府が置かれた時に、備中国の304社の神を合祀して創設されたと伝わる。1980年に再建された本殿以外はすべて江戸時代に建てられたもの。古い様式を伝える三島式庭園と本殿を巡る長い回廊が美しい調和を見せる総社宮を訪れる。

室町時代の画聖雪舟が幼い頃に修行し、涙でネズミの絵を描いたという伝説で有名。境内には禅宗式の七堂伽藍が完全な形で残されており、特に県下で2番目に古い三重塔は南北朝時代の様式を今に伝える貴重なもので、国の重要文化財に指定されている井山宝福寺を訪れる。

17:30終了、帰路に向かう。

今回の旅行、岡山の県一番の観光地、江戸時代に、江戸幕府の天領として栄え、倉敷川は物資の運輸に利用され、川沿いには蔵が数多く建てられ、往時を彷彿たさせる風景が残っている倉敷

国産ジーンズの発祥地として注目の児島、懐かしい町並みが残る下津井

生きた化石、カブトガニの繁殖地で、ラーメンでも有名な笠岡

秀吉の水攻めで有名な高松城や吉備津彦命と温羅伝説の舞台となった吉備津周辺、備中国分寺や總社宮など、歴史ロマンの宝庫、吉備路を訪れ、岡山の西部を制覇しました。

観光名所の多い岡山県、前回は岡山・日生・牛窓・備前の岡山東部方面を訪れ、今回は岡山の西部訪れ、残すは北部の山沿いの名所と、南部の瀬戸内海の島々となりました。
近日中に訪れたいと思います。


















飛行機で国内&海外の観光地巡り第九十六弾:備前・日生&小豆島観光
2010年5月15ー16日


瀬戸内方面に足を運び、日本六古窯の一つ、素朴な風合いが魅力の備前焼の里である備前、昔ながらの漁師の町、新鮮な海の幸の宝庫、日生、オリーブと醤油の島、映画二十四の瞳のロケ地として有名な瀬戸内海2番目に大きな面積を持つ小豆島を訪れました。

15日12:30車で近畿中国山陽自動車道経由して備前インター下車
14:30 1670年(寛文10)、岡山藩主・池田光政が創設した学問所。日本最古の庶民のための学校として開設され、ここでは武士も庶民も平等に教育を受けた。国宝の講堂や唐風の石塀、伊部から陶工を呼びよせて焼いたという備前焼の屋根瓦などが印象的の旧閑谷学校を訪れる。

1701年(元禄14)の建立。国宝に指定されている。入母屋造の堂々とした構え、磨き抜かれた内部の床板はまさに儒学の殿堂にふさわしい。藩主が使用していた数寄屋造の小斎、習芸斎、飲室、文庫は重要文化財の閑谷学校の講堂を見学。

閑谷学校内にあり、社殿8棟は重要文化財に指定。閑谷学校の創設者、池田光政を祀っている閑谷神社を訪れる。

旧閑谷学校の入口・校門(鶴鳴門)の正面に立つ。内部に朱塗りの厨子があり、孔子像が安置してある。聖廟11棟は重要文化財に指定されている聖廟を訪れる。

閑谷学校の石塀で、延長765m。かまぼこ型をしており、重要文化財に指定されている石塀を訪れる。

日生方面に向かう。

マヤ文明をはじめ、中南米の貴重な文化遺産約1600点を収蔵。土器・土偶・石彫・織物など11カ国に及ぶ展示品は研究者の評価も高く、ユニークな展示が評判となっているBIZEN中南米美術館を見学。

江戸時代、幕府や大名の船の御用を勤める加子浦だった日生ならではの郷土館。漁具や航海用具を展示した資料館と文芸館がある。文芸館は作家・里村欣三、作曲家・岡千秋など日生出身者の資料や、正宗白鳥など日生を訪れた著名人の作品を展示の加子浦歴史文化館を見学。
備前焼の人間国宝の一人、藤原啓の記念館。おおらかで素朴な作風を示す年代ごとの代表作や、彼が影響を受けた古備前を展示している。併設のギャラリーでは、藤原三代の作品を展示藤原啓記念館を見学。

備前方面に向かう。

1000年の歴史を持つ、備前焼の作品・資料を展示公開している。1階は備前焼入門展で、採土から窯出しまでの制作工程や多彩な窯変についてパネルで説明。2階は古墳時代の須恵器の製法から変化し、奈良・平安時代に熊山山麓で生活雑器の生産がはじまった頃から、江戸時代の彩色備前など貴重な作品も展示する古備前名品展。3階では人間国宝代表作品展、4階は物故作家代表作品展と備前焼を時流にそって見られる岡山県備前陶芸美術館を見学。

18:00備前市内のホテル到達後、備前焼のお店が多数立ち並ぶ伊部駅周辺を散策し食事を済ませてから床に就く。

16日6:00車で出発、日生港に向かう。

6:35日生港フェリーで出発、日生諸島に向かう。

7:00大多府島港到達。

日生諸島最南端の島で、江戸時代に池田藩の番所が置かれた。国の文化建造物に指定された元禄防波堤、御用船に飲水を提供した六角大井戸、1986年(昭和61)に復元された燈籠堂などの史跡が残る。南海岸の遊歩道には勘三郎洞窟などの洞窟や奇岩が続く大多府島を散策する。

8:20フェリーで出発、鴻島に向かう。

8:40鴻島到達、古くは甲島、香島と書かれたここ鴻島は、往時、鴻が多く生息してことから、現在の名前に変わったと言われています。古墳や土器が出土していることから、太古から人が生活していたことが分かっています。そして平安朝の都人が往来したと伝えられている、歴史のある島を散策する。

9:30フェリーで鴻島出発、頭島に向かう。

9:40頭島到達、日生諸島では人口が最も多い。周遊道が整備され、磯釣りやミカン狩り、海水浴に多くの人が訪れ、底引網の体験も行う頭島を散策する。

頭島から橋で渡れる周囲28km、岡山県でも最大の島。島半分は特別鳥獣保護区で野生の鹿やキジが生息している鹿久居島を散策する。

11:25フェリーで鹿久居島出発。
11:35日生港到達。
12:35カーフェリーで日生港出発、小豆島に向かう。
13:45小豆島大部港到達、車で島を巡る。

風雨の浸食作用が造りあげた奇岩怪石が続き、瀬戸内海を眼下に見下ろす小豆島屈指の景勝地。春のツツジ、初夏の新緑も美しいが、特に渓谷を錦繍に染める秋の紅葉は格別。遊歩道も整備されているが、切り立った岩壁の間をすり抜けるロープウェイから見事な景観を楽しめる寒霞渓を訪れる。

小豆島は全国有数の醤油の産地。1907年(明治40)創業のマルキン醤油の工場に隣接した合掌造の館内では、醤油の製造工程をわかりやすく説明している。昔の醤油作りの道具や江戸期の醤油製法を記した巻物など、貴重な資料も展示するマルキン醤油記念館を見学。

1952年(昭和27)に出版され、ベストセラーになった『二十四の瞳』。その舞台が田ノ浦にある苗羽小学校田浦分校だ。木下恵介監督の同名映画のロケ地にもなった。1971年(昭和46)に廃校になったが、校舎は当時のままの姿で保存・公開する岬の分教場を見学。

1987年(昭和62)、田中裕子主演で再映画化された、『二十四の瞳』のオープンセットを利用した観光施設。海に面した約1万平方mの敷地には、昭和初期をイメージした民家や漁師の家などが軒を連ね、ノスタルジックな雰囲気が漂う。奥には岬の分教場も再現され、ボンネットバスが停まっている。壺井栄文学館や松竹映画館をはじめ、1950年代の映画ギャラリーを備えたキネマの庵、駄菓子屋や食事処、喫茶、みやげ物店なども揃っている二十四の瞳映画村を見学。

二十四の瞳映画村内にある。壺井栄の原稿や愛用品を中心に、夫で詩人の壺井繁治とプロレタリア文学の作家である黒島伝治の書簡や遺品類も展示してある壺井栄文学館を見学。

内海湾を見下ろす丘の上に、オリーブ畑やハーブガーデン、ギリシア風車など地中海沿岸のような風景が広がる。オリーブ栽培を紹介したオリーブ記念館、ハーブのリースやポプリ作りが楽しめるハーブクラフト館がある。8種類の温浴施設があるサン・オリーブ温泉など屋内施設も充実の小豆島オリーブ公園を散策する。

放浪の俳人・尾崎放哉の記念館。彼は、晩年を土庄にある西光寺の奥の院、南郷庵で過ごした。その南郷庵を往時のままに復元し、放哉直筆の短冊、書簡類などを展示している小豆島尾崎放哉記念館を見学。

19:00大部港到達。
19:40大部港カーフェリーで出発。
20:40日生港到達、帰路。
22:30大阪到達。

今回の旅行、岡山と香川が挟む瀬戸内に足を運び、伊部駅周辺に多数の店が立ち並ぶ、渋い色合いが魅力的な備前焼の街、備前

昔ながらの漁師の町、旬の海の幸やが豊富な日生

瀬戸内海に浮かぶ大小13の島からなり、温暖な気候に恵まれ、一年を通 じて豊富な魚介類や、季節の果物を愉しむことができます。多島美を一望できる風景は、まさに大自然の素晴らしい贈り物です。野生鹿やアオサギをはじめ多くの動物が生息し、訪れる人々を出迎えてくれます日生諸島

クルーザーでは何回か訪れたことはありますが観光は初めてのオリーブと醤油の島、映画二十四の瞳のロケ地として有名な瀬戸内海2番目に大きな面積を持つ小豆島

1泊2日の瀬戸内島巡りドライブ観光楽しめました。

小豆島は多くの観光名所が点在し観光化し整備され多くの方が訪れていますが、日生諸島は人も少なく観光化されてなく自然そのものの素朴な島々ですね。本土の近い島ですのでもっと観光化されてもいいかもしれませんね。

一番目に訪れた大多府島には史跡巡りの遊歩道が整備されていました。
二番目に訪れた鴻島には多くの別荘の家々が立ち並んでいたのが目立っていましたね。
三番目に訪れた頭島は日生諸島の中では人も多く目立っていました。
四番目に訪れた鹿久居島は人も家も少なく自然そのものでした。

対照的な瀬戸内島々観光巡りでした。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第八十八弾:岡山県岡山タウン&牛窓観光
2010年2月20ー21日


江戸時代、池田氏32万石の城下町として栄え、今も岡山城や後楽園がシンボルになっていて郊外には自然が溢れ、テーマパークや観光農場、温泉などが点在する岡山、気候温暖で瀬戸内の多島美が楽しめ、日本のエーゲ海と呼ばれているリゾート地、江戸時代には潮待ち港として栄え歴史を偲ばせている古い町並みも残る牛窓に足を運びました。

20日18:00から大学の新年会に出席するためそれまで時間が空き、宇治の歴史的建造物を散策巡りして時間を費やしました。

12:30車で宇治方面に向かう。
13:30宇治到達。

どちらかといえば小ぢんまりした神社だが、平安後期の本殿(国宝)は日本最古の神社建築。檜皮葺きの覆屋の中に、一間社流造の内殿3社が鎮まっている。中央に応神天皇、向かって右にその皇子の菟道稚郎子、左にその兄の仁徳天皇の3神を祭る。菟道稚郎子は兄に皇位を譲るため自殺したと伝わる皇子。鎌倉時代の拝殿(国宝)も優美な建築。古都京都の文化財の一つとして、1994年(平成6)世界遺産に登録の宇治上神社を訪れる。

朝日山の麓にあり、琴坂と呼ばれる緩やかな坂道を進むと中国風の山門に行き着く。春は桜やヤマブキ、秋は紅葉が美しいこの道は、両側を流れる細いせせらぎが琴の音のように響くといわれその名が付いた。曹洞宗開祖の道元が伏見深草に建てたが兵火で焼失。1648年(慶安元)に淀城主の永井尚政により現在地に再興された。禅の修行道場であり、伏見城の遺構という本堂や禅堂、開山堂などが静かに佇む興聖寺を訪れる。

江戸時代、幕府や朝廷の御用茶師を務めていた宇治茶の老舗、上林春松家が開いている茶に関する資料館。将軍家のお茶壺道中に使われた茶壺などさまざまな茶道具、豊臣秀吉や千利休が上林家に宛てた書状などを展示。天下第一の名声を誇った宇治茶の歴史を垣間見ることができる宇治・上林記念館を見学。

神宝に平安時代の鐙(重要文化財)や男女2体像(馬頭天王と弁財天)があり、男神が馬頭を戴いていることから「馬の神様」として競馬ファンの信仰も篤い。672年(弘文元)の壬申の乱前夜、大海人皇子がこの社の社頭に柳の枝を挿して戦勝祈願。天皇となった後、「柳大明神」の名を与えたという勝運を授る神でもある。本殿(重要文化財)は三間社流造。室町時代の建築で、向拝の蟇股には馬と柳が彫刻されているのもおもしろい許波多神社を訪れる。

滋賀県方面に向かう。

滋賀県境までわずかという、宇治田原の山間にある曹洞宗の寺。ひなびた雰囲気がいい山寺で、宝物殿には均整のとれた本尊の十一面観音立像(重要文化財)をはじめ、四天王立像(重要文化財)、日光・月光菩薩立像(重要文化財)、文殊菩薩騎獅像(重要文化財)など藤原時代の優れた仏像を安置。境内の防災壁には、高さ8m・長さ40mに及ぶ大涅槃図の壁画が描かれている禅定寺(上堂)を訪れる。

近代日本画や滋賀県ゆかりの芸術家の作品、国内外の現代美術を展示する郊外型の美術館。横山大観や速水御舟、大津市出身の女流画家・小倉遊亀など1000点以上の作品を収蔵の滋賀県立近代美術館を見学。

17:00名神自動車道で大学の新年会会場、吹田方面に向かう。
吹田インター下車、
18:00教授の自宅で新年会に出席。
21:00終了、車で名神中国山陽自動車道経由して岡山インター下車
23:00岡山駅付近のホテル到達、宿泊。
21日6:30車で出発、瀬戸内方面に向かう。

岡山市最南端部、玉野市との境界に位置する標高403mの山で、頂上にはテレビ塔アンテナが林立していますが、眺望が特に素晴らしいため、瀬戸内海国立公園第2種特別地域に指定されています。スカイラインが整備され、山頂まで車やバイクで来て瀬戸内海のパノラマや夜景を楽しむことができる金甲山をおとずれ360°の眺望を楽しむ。

牛窓方面に向かう。
7:45宝伝港到達、
8:00フェリーで犬島に向かう。
8:10犬島港到達

犬島は、岡山県南東部の宝伝から南に約2.5km、定期船で約8分ほどの瀬戸内海国立公園内に位置し、岡山県岡山市に属しています。面積は約0.54平方km、周囲3.6km。6つの島からなる犬島諸島のうち唯一の有人島です。諸島のうちのひとつ、犬ノ島にはうずくまった犬の形に似た巨石「犬石様」があり、犬島の名の由来となっています。良質な花崗岩(犬島みかげ)の産出で知られ、古くは江戸城、大阪城、岡山城の石垣、明治以降では大阪港礎石の切り出し場となるなど、全国各地で犬島の石が珍重されています。犬島精錬所が開設、営業されていた最盛期10年の間には住民は3000人を越えましたが、精錬所閉鎖と採石業の衰退により現在の人口は55人となっています。現在島内には海水浴場、「自然の家」などにより島独自の自然に四季を通して親しむことができます犬島を散策する。

フェリーで戻り車で走行、牛窓到達。

歴史の中で、大名行列や朝鮮通信使の一行が立ち寄り、ひと時の休息を求めたということは、町はその賑わいの中に経済や文化を発展させていった、ということ。格子窓のある家、白壁の土蔵、大きな井戸や焼板の塀、造り酒屋の豪商家など、そんな今も残る生きた歴史に、往時の繁栄の面影がしのばれます。おそらく、かつてはここには商家が並び、その向こうでは行きかう旅人の声々があふれていたと思われるしおまち唐琴通りを散策する。

1347年(正平2)に創建された法華宗の古刹。港が一望できる高台にあり、江戸時代には客殿が朝鮮通信使の宿舎にあてられた。客殿内の謁見の間にある、長さ4.5mの欅の一枚板でできた床板は必見。本堂・中門・番神堂は国の重要文化財、三重塔と祖師堂は県の重要文化財に指定されている。国内唯一といわれる海辺の三重塔は、海側からの眺めもよい本蓮寺を訪れる。

カーフェリーで前島に向かい、

人口183人外周約8kmの島で、牛鬼伝説の舞台でもある。かつて石切丁場跡があり、安土桃山時代 大阪城の築城の際に石垣に使用するための石を切り出す、石切り場の一つだった。現在、大阪城築城残石群などが残っている。ここに設けられた展望台は夕日の名所とされ、「日本の夕陽百選」にもなっている。島にあるアマモの森が島の宝100選に選ばれている。主な産業は、観光、漁業である前島を一周する。

カーフェリーで牛窓に戻り

瀬戸内の島々を見渡す丘陵に2000本のオリーブが茂る。6月初旬にはオリーブの白十字の花の香りが漂い、緑の実をつける10〜11月頃には収穫祭が行われ、収穫体験ができる。また園内にはギリシア神殿風の建物や展望台オリーブパレスなどがあり、異国ムードも満点の牛窓オリーブ園を散策する。

大正浪漫の旗手、竹久夢二が16歳まで過ごした家。茅葺の平屋は、往時のまま保存されている。入口には夢二の良き理解者であった有島生馬[いくま]の筆による「竹久夢二ここに生る」の碑が立ち、内部では作品や資料が展示されている。少年山荘は、1924年(大正13)に夢二自らの設計で東京に建てたアトリエで、生誕95年を記念して1979年(昭和54)にこの地に復元された。館内では写真やパネルで夢二と交流のあった人々を紹介している夢二生家・少年山荘[夢二郷土美術館(本館)]を見学。

岡山方面に戻る。

岡山後楽園の外苑に立つ博物館。県内各地に残されている数多くの歴史資料や文化遺産を収集。館内を4つの展示室に分け、岡山の美術工芸品や、石器時代から近世にいたる資料を展示している。収蔵品は、国宝赤韋威鎧をはじめ、弥生・古墳時代の土器や近世の屏風、文書、民俗資料、備前焼、刀剣など幅広い岡山県立博物館を見学。

日本三名園の一つ。約13万3000平方mの回遊式庭園。藩主・池田綱政が津田永忠に命じて造らせたもので、14年の歳月を費やし、1700年(元禄13)に一応の完成をみた。備前富士と呼ばれる芥子山や操山、岡山城も借景に取り入れており、春は梅や桜、ツツジ、夏は花ショウブやハスが美しい岡山後楽園を散策する。

1573年(天正元)、宇喜多直家が築城。息子の秀家が完成させ、後に池田氏の居城となった。外壁は黒塗りの下見板で、烏城[うじょう]の別名を持つ。不等辺5角形の天守閣は再建されたものだが、西丸西手櫓と月見櫓は創建当時のままで重要文化財に指定されている。1〜4階が郷土資料博物館、5・6階が展望台の岡山城(烏城)を訪れる。

かつての岡山城の旧二の丸屋敷対面所跡に立ち、実業家故林原一郎のコレクションを展示。常設展はなく企画・特別展を年6〜7回開催。特に国宝の刀剣や、池田家伝来の調度品、重要文化財の能装束などがみものだ。中国・朝鮮の古美術品も充実の林原美術館を見学。

オリエントの歴史と文化を一堂に紹介する美術館。中近東から出土した土器や陶器、ガラス、モザイク、装身具などを展示している。なかでも紀元前9世紀のアッシリア・レリーフは必見の岡山市立オリエント美術館を見学。

雪舟の水墨画や文人画家・浦上玉堂、アメリカを代表する画家の一人となった国吉康雄、抽象画の坂田一男などの代表作約100点が展示されている岡山県立美術館を見学。

後楽園の北側に、竹久夢二生誕100年を記念して建てられた美術館。『立田姫』『秋のいこい』といった代表作をはじめ、表紙や挿絵を担当した『婦人グラフ』などの雑誌、夢二の装幀本などあわせて約100点を常設展示している夢二郷土美術館(本館)を見学。

3万平方mの敷地に400品種1万5000株が植えられた、日本最大級のバラ園。1番の見ごろは、100万本が咲く春の5月中旬〜6月中旬と秋の10月中旬〜11月中旬ごろ。ウメ・桜・ボタン・ハナショウブなど、バラ以外の季節の花々も観賞できるRSKバラ園を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

山陽中国阪神自動車道経由して
20:30大阪到達。

今回の旅行、岡山藩2代目藩主、池田綱政公の命で造られた偕楽園、兼六園と並ぶ日本三大名園の一つ岡山後楽園、岡山カルチャーゾーンと称される世界的にも有名な美術館が点在し、ジャンルも様ようで、名園を散策後アート三昧を楽しめる岡山後楽園の周辺。

2008年4月にオープンし、大きな話題となっている岡山市沖約2kmの犬島の精錬所跡地を利用したミュージアム、近代化産業遺産と現代アート、エコロジカルな建築が一体化した、かつてないアートスポットの犬島アートプロジェクト精錬所。

港町として賑わった江戸時代から昭和30年代の面影を残す古い町家が連なる通りには、江戸時代に朝鮮通信使の接待所として使われた本蓮寺などがあるしおまち唐琴通りの散策、牛窓。

アートあり、名園あり、歴史的建造物あり、盛りたくさんの岡山観光堪能しました。