岡山
飛行機で国内&海外の観光地巡り第七百十一弾2024年4月13−14日岡山県笠岡市カブトガニ博物館、岡山天文博物館、倉敷市立自然史博物館、倉紡記念館、岡山県古代吉備文化財センター観光
中国地方の岡山県に足を運び、岡山県に位置する笠岡市カブトガニ博物館、岡山天文博物館、倉敷市立自然史博物館、倉紡記念館、岡山県古代吉備文化財センターを観光しました。
13日13:00車で出発、近畿、中国、山陽自動車道経由して岡山インター下車、岡山駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
14日8:00車で出発笠岡方面に向かう。
笠岡市カブトガニ博物館:カブトガニをテーマにした博物館としては世界唯一の施設。国指定天然記念物の「カブトガニ繁殖地」の保護やカブトガニの研究に取り組んでいます。幼生から成体まで、生きたカブトガニを間近に見学できることでも人気があります。
浅口方面に向かう。
岡山天文博物館:プラネタリウム、太陽観察室、展示室から成り、展示室では模型や写真などを使って、一般的な天文学と、隣接する国立天文台岡山天体物理観測所施設について、わかりやすく解説している。博物館からの眺めはすばらしく、瀬戸大橋や四国の山々までが望める。
倉敷方面に向かう。
倉敷市立自然史博物館:化石や岩石、昆虫、植物、動物の標本を展示し、岡山県の自然をわかりやすく紹介しています。ナウマンゾウの動く模型が出迎えてくれます。
倉紡記念館:明治21年(1888年)のクラボウ(倉敷紡績株式会社)創業当時の建造物(原綿倉庫)を、企業博物館としてリノベーションしたもの。文化財にも指定された建造物での趣きのある雰囲気の中で、創業以来のクラボウの歩みを映像、写真、模型、文書などで紹介している。
岡山市方面に向かう。
岡山県古代吉備文化財センター:いにしえに吉備と呼ばれた岡山県には、全国でも屈指の数の遺跡(昔の生活のあと)が残されており、貴重な出土品(昔の道具など)も数多く知られています。
当センターは、そうした地下に埋もれた文化財(埋蔵文化財)の調査・研究を進めて郷土の歴史を明らかにするとともに、地域の財産として大切に保存し、広く活用を図るため、昭和59年(1984年)に設置されました。
15:00終了、帰路に向かう。
今回の旅行、中国地方の岡山県に足を運び、岡山県に位置する笠岡市カブトガニ博物館、岡山天文博物館、倉敷市立自然史博物館、倉紡記念館、岡山県古代吉備文化財センターを観光し楽しみました。
全て初めての訪れでした。
飛行機で国内&海外の観光地巡り第六百六十九弾
2023年6月3−4日岡山県津山科学教育博物館(つやま自然のふしぎ館)、津山郷土博物館、野崎家塩業歴史館、岡山シティミュージアム、岡山県立博物館、吉備路文学館、備前長船刀剣博物館、閑谷学校資料館観光
中国地方の岡山県に足を運び、岡山県に位置する津山科学教育博物館(つやま自然のふしぎ館)、津山郷土博物館、野崎家塩業歴史館、岡山シティミュージアム、岡山県立博物館、吉備路文学館、備前長船刀剣博物館、閑谷学校資料館を観光しました。
3日12:30車で出発、近畿自動車道、中国自動車道経由して津山インター下車
津山科学教育博物館(つやま自然のふしぎ館):展示総数約22,000点!独特な空間がたまらない異色博物館
ワシントン条約発効以前に収集された世界の希少動物800種の剥製を中心に展示する自然史の総合博物館。キンシコウやインドライオン、ウンピョウなどの剥製が、自然を描いたパノラマをバックに活き活きと展示されている様子は圧巻。その他化石や鉱石、貝、昆虫類の標本、創設者本人の人体臓器など、展示数は約20000点にものぼる。
津山郷土博物館:城下町として独特の文化をはぐくんできた津山市の歴史を学べます。
パレオパラドキシア、陶棺、津山城復元模型などの地質、歴史、考古、美術資料などが展示されている。
岡山市内に向かう。
17:30岡山駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
4日8:00車で出発、児島方面に向かう。
野崎家塩業歴史館:旧野ア家住宅(国指定重要文化財)は、江戸時代後期に大規模な塩田を開き、「塩田王国」を築いた野ア武左衛門が建てた民家。約3000坪の敷地内には主屋を中心に6棟もの土蔵群が軒を連ねており、庭のあちこちに茶室が見られるなど、当時の勢いをうかがわせます。
さらに土蔵の中では、塩づくりに関する歴史的な資料や江戸時代からの民具などを展示しています。
岡山市内に戻る。
岡山シティミュージアム:岡山駅西口前のビルで、岡山市の歴史と現在を楽しみながら学びましょう。
JR岡山駅運動公園口(西口)の向かいに位置する博物館。岡山市の歴史と今、そして誇りとなるものを記録、保存、展示、発信し、次世代へ伝えていくミュージアム。
岡山県立博物館:岡山の歴史と文化をテーマに文化遺産を収集・保存
”日本三名園”のひとつに数えられている{岡山後楽園}の外苑にあり、岡山の歴史と文化をテーマに、原始・古代から近世に至るまでの文化遺産を収集・保存している歴史博物館。館内では、県内の遺跡からの出土資料、仏教美術、民俗資料などを時系列に見ていくことができるほか、岡山が誇る伝統工芸である備前焼や備前刀なども見学できます。
吉備路文学館:昭和61年秋、瀬戸大橋時代の黎明にあたり、精神文化の継承と向上に役立ちたいとの中国銀行の熱い思いから、創立50周年を記念して設立、この地はじめての文学カルチャースペースとしてスタートしました。
明治以後の吉備路ゆかりの小説家、歌人、詩人、俳人、映画人などの著書や資料を収集・展示しています。 これらを通して文学者たちに親しみ、その心ばえを偲び、精神を汲みとってください。
吉備路文学館概観また、これらの貴重な文化的資産を次の世代へ伝えていく施設でもあります。 展示以外のスペースを、講座・講演会をはじめコンサート・美術展・朗読会・ミニシアターなど、みなさまにご利用していただくよう提供しています。2階研究 室は、小説や詩の会、短歌、俳句の会などに頃合いの静かなスペースになっています。
文学博物館として、地域の文学・文化向上のため、また生涯学習の格好の場として、みなさまのお役に立つよう心がけています。
長船方面に向かう。
備前長船刀剣博物館:全国でも珍しい日本刀専門の博物館
鉄作りが盛んだった岡山は、古くから刀剣(備前刀)の産地としても有名だ。同館は日本刀専門の博物館で、常時40口程度の実物を公開する。刀剣の世界コーナーではコンピュータのクイズやゲームなどを通して、楽しく刀工の世界が学べるように工夫されている。敷地内には、実際に刀匠が刀身を作る鍛刀場や、刀身彫刻の匠などが仕事をする備前長船刀剣工房などもあり、見学することができる。
備前方面に向かう。
閑谷学校資料館:閑谷学校資料館は、特別史跡旧閑谷学校の西端に位置し、平成7年(1995)に開館しました。この建物は、明治38年(1905)私立中学閑谷黌の本館として建設され、以後県立中学校・高等学校として利用されてきた木造2階建ての明治洋風建築です。内部は、「閑谷学校の創設と沿革」、「池田光政と津田永忠」、「閑谷学校の教育」、「聖廟と釈菜」、「閑谷学校の文化財」、「岡山藩学校の教育」、「学制頒布後の閑谷学校」の7つのコーナーに分けられ、古文書・書籍・絵図・肖像画・祭器・備前焼瓦・模型・写真・ビデオなどの資料により、江戸時代から明治時代までの閑谷学校の教育、岡山の教育をわかりやすく紹介しています
14:00山陽自動車道、中国自動車道、近畿自動車道経由して帰路に向かう。
今回の旅行、中国地方の岡山県に足を運び、岡山県に位置する津山科学教育博物館(つやま自然のふしぎ館)、津山郷土博物館、野崎家塩業歴史館、岡山シティミュージアム、岡山県立博物館、吉備路文学館、備前長船刀剣博物館、閑谷学校資料館を観光し楽しみました。
全て初めての訪れでした。
飛行機で国内&海外の観光地巡り第六百十九弾: 2022年5月28−29日岡山県日生駅、伊部駅、笠岡駅、矢掛駅、備中高梁駅、吉備津駅、備前一宮駅、児島駅散策観光 中国地方の岡山県に足を運び、岡山県に位置する日生駅、伊部駅、笠岡駅、矢掛駅、備中高梁駅、吉備津駅、備前一宮駅、児島駅散策観光しました。 28日13:23新大阪駅新幹線のぞみで出発。 13:51姫路駅到達。 14:04姫路駅出発、播州赤穂で乗り換える。 14:51日生駅到達、散策観光。 日生駅:BIZEN中南米美術館について 多彩な古代アメリカ諸文化のほとんどすべてに亘る遺物が網羅されている。中南米11カ国の諸文化を各時代ごとに比較しながら見ることが出来ることや、建物の外壁が故藤原建氏の製作による16,000枚余りの陶板でおおわれていることが特徴。収蔵品は、古代アメリカ大陸で作られた土器・土偶・石彫・織物を中心に約2100点に及びます。 15:56日生駅出発。 16:13伊部駅到達散策観光。 伊部駅:備前市立備前焼ミュージアムについて 800年以上の歴史を持つとも言われる備前焼について、古備前から現代に至る作品・資料を展示しています。すり鉢や大甕、茶陶、細工物、人間国宝や岡山県の重要無形文化財保持者の作品もご覧いただけます。 備前焼伝統産業会館について 1階は観光情報センターやお土産の販売。2階は備前焼作家のギャラリーとなっており、平成21年秋にリニューアルされ、購入もできる。 全4階。 17:13伊部駅出発。岡山駅で乗り換える。 18:38倉敷駅到達、駅前のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。 29日6:53倉敷駅出発。 7:24笠岡駅到達、散策観光。 笠岡駅:旧矢掛本陣石井家住宅について 石井家は江戸時代初期から山陽道矢掛宿の本陣職を務め、宝永5(1708)年以降、代々大庄屋を務めた旧家で、元禄頃から酒造業も営んでいた。御成門を前に玄関、上段の間等威儀正しい構えで、古い宿場町の面影を留める古建築。入母屋造り本瓦葺。武家屋敷としての書院造風に、町家の趣を取り入れた江戸時代の建築である。 8:20笠岡駅バスで出発。 8:55伊原駅到達。 9:10伊原駅出発。 9:35矢掛駅到達、散策観光。 矢掛駅:矢掛宿街並みについて 町の中央を旧山陽道が東西に走り、本陣・脇本陣がともに残っているなど典型的な宿場町としての面影が保たれている。特徴は、入母屋の切妻破風を正面とする妻入と、軒面を正面とする平入の形式が存在することや、意匠的に優れている鬼瓦などである。また、「うなぎの寝床」とよばれる間口が狭く奥行きが長い作りも、町家独特であるといえる。 旧矢掛脇本陣高草家住宅について 金融業で財をなした高草家は江戸時代末期に、本陣をサポートする施設である脇本陣に指定された。脇本陣には、大名や家老が宿泊したといわれ、出格子を構えた屋敷の奥には茶室や白壁の土蔵群が並んでいる。 やかげ郷土美術館について 木造で町家風のたたずまいは、本陣・脇本陣がある宿場町の景観ともよく調和し、ひときわ印象的。書家田中塊堂、洋画家佐藤一章作品ほか。 旧矢掛本陣石井家住宅について 石井家は江戸時代初期から山陽道矢掛宿の本陣職を務め、宝永5(1708)年以降、代々大庄屋を務めた旧家で、元禄頃から酒造業も営んでいた。御成門を前に玄関、上段の間等威儀正しい構えで、古い宿場町の面影を留める古建築。入母屋造り本瓦葺。武家屋敷としての書院造風に、町家の趣を取り入れた江戸時代の建築である。 10:25矢掛駅出発。 11:05備中高梁駅到達散策観光。 備中高梁駅:頼久寺について 暦応2年足利氏創建の禅寺。庭は江戸時代初期に備中の国の政務を執った若き日の小堀遠州が造ったもので、名園として広く知られている。 庭園は国指定名勝で、岡山後楽園、津山衆楽園とともに、岡山三大庭園とされる。 高梁市郷土資料館について 明治37年に建てられた旧高梁尋常高等小学校本館で木造2階建の洋風建築であり、江戸時代から昭和初期にかけての生活用具など3,000点を展示しています。 玄関横には山田方谷の銅像があります。 高梁市商家資料館 池上邸について 落ち着いた雰囲気の本町界隈の中でも目をひく池上家は高梁川水路の船主であり、両替商や醤油製造を営んでいた高梁を代表する豪商。1843年に建てられ、一部は大正時代に改築された。敷地内には、旧商家棟、管理棟、商家資料棟、醤油製造棟があり、江戸時代の旧家の格式を感じさせるたたずまいだ。 豪商の賑わいを今に伝える屋敷 12:05備中高梁駅出発。 12:45吉備津駅到達、備前一宮駅に向かう。 吉備津駅:吉備津神社は桃太郎(鬼退治)伝説の原型となったとされる吉備津彦命(きびつひこのみこと)と温羅(うら)にまつわる伝説が残っています。鬼退治の矢を置いたと伝わる矢置岩、鬼の首を埋めたと言われる御竈殿(おかまでん)など、伝説の舞台を体感できます。釜が鳴る音によって吉凶を占う「鳴釜神事」は多くの人に親しまれています。1425年に再建された本殿と拝殿は全国で唯一の吉備津造り(比翼入母屋造り・ひよくいりもやづくり)という建築様式を採用し、国宝に指定されています。また、本殿から続く360mの美しい廻廊は一見の価値がある歴史的建造物です。 備前一宮駅:吉備津彦神社について 大吉備津彦を祀る。境内にある2基の大石燈籠は高さ11.5m、笠石の広さは88畳あり、日本一ともいわれている。 13:25備前一宮駅出発、岡山駅に乗り換える。 14:05児島駅到達散策観光。 児島駅:旧野崎家住宅について 江戸後期に製塩業で財を成した大庄屋屋敷。3000坪の敷地には、奥行き42mの母屋、土蔵群、茶室、水琴窟があり、国指定重要文化財。 15:10児島駅出発。 15:30岡山駅到達。 15:53岡山駅新幹線さくらで出発。 16:05新大阪駅到達。 今回の旅行、中国地方の岡山県に足を運び、岡山県に位置する日生駅、伊部駅、笠岡駅、矢掛駅、備中高梁駅、吉備津駅、備前一宮駅、児島駅散策観光し楽しみました。 吉備津駅、備前一宮駅は初めての訪れでした。他の観光前所は車で訪れたことがあります。 歩行数43000歩歩行距離29km堪能しました。 |
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飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五十弾:岡山県津山・美作&高梁・吹屋観光 2011年7月9−10日 岡山県に足を運び、江戸時代、津山藩の城下町として栄えた津山、豊かな自然が多く、宮本武蔵の故郷で知られる美作、備中松山藩5万石の城下町として栄えた高梁、往時を偲ぶ町並みやベンガラの町の吹屋を訪れました。 9日21:00車で阪神中国自動車道経由して津山インター下車 23:00津山市内のホテル到達、就寝。 10日6:30車で津山市内巡る。 世界各地の動物、蝶、昆虫類、貝類、化石・鉱石類の標本を2万数千点展示。中国の珍獣キンシコウのはく製、博物館創設者・森本慶三の内臓実物標本など驚く展示物もあるつやま自然のふしぎ館を訪れる。 1604年(慶長9)、初代藩主・森忠政が築いた津山城。現在は、本丸跡や高さ45mの石垣が残る。一帯は鶴山公園として整備。西日本有数の桜の名所として知られ、桜の名所・歴史公園・名城100選にも選ばれている津山城(鶴山公園)を訪れる。 |
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飛行機で国内&海外の観光地巡り第百四十四弾:岡山県笠岡諸島観光 2011年5月21日ー22日 生きた化石、カブトガニの養殖で有名な岡山県笠岡に足を運び、岡山県の西端、笠岡市に属し、高島・白石島・北木島・真鍋島・小飛島・大飛島・六島の7島で構成されている。主産業は、漁業、石材加工業、観光である。近年、漁業ではノリの養殖が盛んである笠岡諸島を訪れました。 21日12:30車で近畿中国山陽自動車道経由して笠岡インター下車 15:00神島外浦港到達。 15:22神島外浦港フェリーで出発 15:29高島港到達 笠岡市笠岡港から約12km、瀬戸内海の中央に飛び石状に浮かぶ笠岡諸島の最北端に位置し、国の名勝に指定されている風光明媚な島。古くから瀬戸内海航路の要衝として栄え、「古事記」に記されている神武天皇東征の際の高島行宮が置かれたのがこの島という説がある。かつては採石業と海運業が盛んだったが、民宿が増え、今では観光と漁業の島となっている。島の南側には、尾根伝いに延びる遊歩道があり、登っていくと、途中の展望台からは360度、瀬戸内の穏やかな風景が見渡せる高島を散策する。 陰石としては日本屈指の巨石。昔から良縁、子授け、安産、婦人病の霊神として崇められている。山の頂にあり、展望も素晴らしい子はらみ石を訪れる。 笠岡諸島を望みながら、海水浴が楽しめる高島海水浴場を訪れる。 島の南側に瀬戸内海の眺望を楽しみながら散策できる全長2kmの遊歩道がある。途中の展望台からは、晴れた日には瀬戸大橋まで望める遊歩道展望台を訪れる。 神武天皇が高島滞在の折、吉凶を占った山と伝えられ、山頂には「高島行宮遺趾」と題した自然石の巨碑がある。展望台からは笠岡諸島をはじめ、瀬戸内海の大パノラマが広がる。また、神卜山へ向かう遊歩道沿いには、神武天皇が天つ神にお供えする水を汲んだと伝えられる「眞名井」が残っている神卜山を訪れる。 神武天皇が滞在した吉備高島行宮跡と伝えられる神社、高島神社を訪れる。 17:13高島港出発 17:19神島外浦港到達、車で水島方面に向かう。 18:30水島市内のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。 22日6:10車で出発、笠岡港に向かう。 7:00笠岡港到達。 7:25笠岡港高速艇で出発、白石島に向かう。 7:47白石島到達、散策する。 笠岡市笠岡港から約16km、笠岡諸島の中では比較的本土に近い島。花崗岩の地肌が遠くから白い雪をかぶったように見えることから、白石島と呼ばれるようになったといわれており、国の名勝にも指定されている。江戸時代には備後鞆と備前下津井を通る内海の沿岸航路の中継地として栄えた。備後福山藩時代に干拓が行われたため、笠岡諸島の中では平地が多い島となっている。主産業は漁業で、底引網や定置網、ノリの養殖などが営まれている。島には観光資源が多く、海水浴場もあるため、特に夏場には多くの観光客でにぎわう白石島を訪れる。 瀬戸内海国立公園の自然景観美が楽しめる海水浴場、白石島海水浴場を訪れる。 弘法大師が唐から帰朝の途中に立ち寄り、一寸八分の尊像を刻んで島に残した。島民は、尊像をまつる大師堂を建て、笠岡市神島に開いた八十八箇所の奥の院としたという。元暦元年(1184年)、源平水島合戦での平家の戦死者を弔うため、慈眼寺が建立され、寛永2年(1625年)に開龍寺として再建された。昭和43年には、タイ・バンコクの名刹ワットパクナム寺院から仏舎利と釈迦如来像が奉納され、同45年にはタイ式仏舎利塔が日本で初めて建立された弘法山開龍寺を訪れる。 8:45白石島フェリーで出発 9:20真鍋島本浦港到達、散策。 笠岡市笠岡港から約31kmにある島。年間を通して霜のおりない温暖な気候で、秋から冬にかけて穏やかな斜面の畑は、寒菊などの花でいっぱいになる。西行法師の「山家集」に詠まれており、民俗行事もいくつか残っていて、歴史を今に伝える島である。島名は、真南辺の島、つまり備中国小田郡の南端にある島という意味で、後に真鍋の字をあてたと考えられている。平安時代末期に藤原氏の一族が水軍の根拠地を置いて真鍋氏を名乗り、全盛期には付近の島々をことごとく支配下に治めていたという。島には、源平合戦で平家方に属した真鍋氏の城趾や供養のために建てたと伝えられる石造宝塔などの史跡がある。港には石積みの堤防があり、のどかな漁村の佇まいを残している島として、岡山県が「ふるさと村」に指定しており、「瀬戸内少年野球団」など映画のロケ地にもなっている真鍋島を訪れる。 花の広場とフィールドアスレチック。花畑と展望休憩施設もある真鍋島ふれあいパークを訪れる。 笠岡市北木島や飛島をはじめ、福山市の島々を一望できる天神鼻展望台を訪れる。 天神鼻にある菅原道真公をまつる神社。境内からは弥生式土器が出土している天神社を訪れる。 延暦14年(795年)に弘法大師が開いたと伝えられる真言宗の古刹、円福寺を訪れる。 真鍋島の鎮守社で、応神天皇・神功皇后のほか三女神をを祭神とする。元禄時代(1688年から1703年)の創建と伝えられる八幡神社を訪れる。 11:00真鍋島本浦港フェリーで出発 11:15北木島大浦港到達、歩いて豊浦方面に向かう。 笠岡市笠岡港から約26kmの笠岡諸島の中央に位置する、笠岡諸島の中で最大の島。島のほぼ中央の笠岡諸島最高峰の葩栗山を中心に急峻な山々が連なっている。かつては柴島と呼ばれていたが、「柴」の字を「北木」の2字に置き換えたのが島名の由来といわれる。戦国時代には真鍋島の真鍋氏の支配下にあり、江戸時代には備後福山藩の所轄となった。古くから「北木御影石」で知られる「石の島」として有名で、江戸初期の大阪城修築の際には、大量の石垣石を送り出している。明治以降、石材の採掘が本格化し、東京の日本銀行本店、三越本店、日本橋、靖国神社大鳥居をはじめ、多くの構築物に北木石が使用されている北木島を訪れる。 東京オリンピックの時、代々木第2体育館の地下回廊を飾る彫刻を製作するために来島した彫刻家・水井康雄氏が島に残した作品で、北木中学校の校庭にある北木島山水を訪れる。 北側・南側に砂浜があり、中央部には松林が広がる。楠海水浴場・キャンプ場がある松原の白砂青松を訪れる。 元和6年(1620年)に始まった大阪城修築工事にあたり、石垣に用いる巨石が切り出された跡。大岩の下半分のみが波に洗われる状態で残っている矢倉の磯を訪れる。 北木石を使った彫刻作品を展示する第1回石彫シンポジウムの作品のひとつメビウスの輪を訪れる。 15:45北木島豊浦港フェリーで出発 16:05小飛鳥経由して 16:10大飛鳥洲港到達 笠岡市笠岡港から約30kmにある島。大飛島、小飛島をあわせて「飛島」と呼ぶことが多い。笠岡諸島は古くから瀬戸内海の交通の要衝で、中でも大飛島付近は瀬戸内海の東西の潮が離合する場所といわれ、往来する船がこの地で潮待ちをしていたと考えられている。奈良時代から平安時代にかけての祭祀遺跡が発見され、おびただしい数の奉献品が出土したことからも、重要な地であったことがうかがえる。平安時代から真鍋島の豪族・真鍋氏の支配下にあったとされ、元禄時代(1690年代)に移住したのが開拓の始まりといわれている。かつては、大飛島の南東にある大浦港の近くから、東に砂洲が鳥のくちばしのように小飛島に向かって延び、大飛島と小飛島を結ぶ海中の架け橋ともいわれていたが、潮流の変化もあって、現在ではほとんど見ることができない小飛島・大飛島を訪れる。 小飛島にある飛島の氏神様、嶋神社をフェリーから望む。 干潮時には小飛島に向かって幅30m、長さ350mの砂洲が現れていたが、最近は昔のように立派な砂洲は現れなくなった。笠岡市指定の天然記念物の大飛島の砂洲を訪れる。 昭和37年、飛島中学校の生徒が土器片数個を発見し、発掘調査で奈良三彩の壺、宋銭、銅鏡、装身具など、奈良時代から平安時代にわたる数百点の遺物が出土した。国指定重要文化財。海路の安全を祈願した祭祀遺跡とみられている。笠岡市指定の史跡の大飛島洲の南遺跡を訪れる。 17:00大飛鳥洲港フェリーで出発。 17:57笠岡港到達、車で帰路に向かう。 今回の旅行、得意な離島巡り、岡山県笠岡に足を運び、岡山県の西端、笠岡市に属し、高島・白石島・北木島・真鍋島・小飛島・大飛島・六島の7島で構成されている笠岡諸島を訪れ、意外と歴史深い史跡が点在しもっぱら散策して巡り楽しめました。 残念ながら船の便の時刻に合わず六島を訪れることが出来ませんでした。次回期待したいと思います。 いつもながら素朴でのどかな離島、今回も同様で村人は若い人は皆無、老年の方のみしかお会いできない。島内では仕事が無いので若い方は都会に向かい島から出て行く有様。年々人口が減り過疎地となる。離島の将来はどうなるんでしょうね。心配です。 |
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飛行機で国内&海外の観光地巡り第百三十弾:岡山県倉敷&笠岡&吉備路観光 2011年2月10ー11日 中国地方の岡山県に足を運び、白壁となまこ壁の建物が立ち並ぶ昔町、岡山県一人気の観光地、倉敷美観地区、瀬戸内海に面した風光明媚な港町、タコでもおなじみの児島・鷲羽山、天然記念物のカブトガニで有名で隠れラーメン王国の笠岡、田園地帯に古代吉備王国の史跡が点在、桃太郎の伝説も伝わる吉備路を訪れました。 10日19:30車で近畿中国山陽自動車道経由して 22:00倉敷駅付近のホテル到達、宿泊。 11日6:30車で出発、鷲羽山・児島方面に向かう。 江戸時代に北前船が寄港し、讃岐金比羅参りの旅人で賑わった港町の風情を今も色濃く残している。海の守り神として崇められてきた祇園神社から吹上漁港にかけての旧街道沿いは、町並み保存地区に指定されており、なまこ壁のニシン蔵や格子窓の商家、玉垣などに往時の面影を見ることができる下津井の町並みを訪れる。 |
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飛行機で国内&海外の観光地巡り第九十六弾:備前・日生&小豆島観光 2010年5月15ー16日 瀬戸内方面に足を運び、日本六古窯の一つ、素朴な風合いが魅力の備前焼の里である備前、昔ながらの漁師の町、新鮮な海の幸の宝庫、日生、オリーブと醤油の島、映画二十四の瞳のロケ地として有名な瀬戸内海2番目に大きな面積を持つ小豆島を訪れました。 15日12:30車で近畿中国山陽自動車道経由して備前インター下車 14:30 1670年(寛文10)、岡山藩主・池田光政が創設した学問所。日本最古の庶民のための学校として開設され、ここでは武士も庶民も平等に教育を受けた。国宝の講堂や唐風の石塀、伊部から陶工を呼びよせて焼いたという備前焼の屋根瓦などが印象的の旧閑谷学校を訪れる。 1701年(元禄14)の建立。国宝に指定されている。入母屋造の堂々とした構え、磨き抜かれた内部の床板はまさに儒学の殿堂にふさわしい。藩主が使用していた数寄屋造の小斎、習芸斎、飲室、文庫は重要文化財の閑谷学校の講堂を見学。 閑谷学校内にあり、社殿8棟は重要文化財に指定。閑谷学校の創設者、池田光政を祀っている閑谷神社を訪れる。 旧閑谷学校の入口・校門(鶴鳴門)の正面に立つ。内部に朱塗りの厨子があり、孔子像が安置してある。聖廟11棟は重要文化財に指定されている聖廟を訪れる。 閑谷学校の石塀で、延長765m。かまぼこ型をしており、重要文化財に指定されている石塀を訪れる。 日生方面に向かう。 マヤ文明をはじめ、中南米の貴重な文化遺産約1600点を収蔵。土器・土偶・石彫・織物など11カ国に及ぶ展示品は研究者の評価も高く、ユニークな展示が評判となっているBIZEN中南米美術館を見学。 江戸時代、幕府や大名の船の御用を勤める加子浦だった日生ならではの郷土館。漁具や航海用具を展示した資料館と文芸館がある。文芸館は作家・里村欣三、作曲家・岡千秋など日生出身者の資料や、正宗白鳥など日生を訪れた著名人の作品を展示の加子浦歴史文化館を見学。 備前焼の人間国宝の一人、藤原啓の記念館。おおらかで素朴な作風を示す年代ごとの代表作や、彼が影響を受けた古備前を展示している。併設のギャラリーでは、藤原三代の作品を展示藤原啓記念館を見学。 備前方面に向かう。 1000年の歴史を持つ、備前焼の作品・資料を展示公開している。1階は備前焼入門展で、採土から窯出しまでの制作工程や多彩な窯変についてパネルで説明。2階は古墳時代の須恵器の製法から変化し、奈良・平安時代に熊山山麓で生活雑器の生産がはじまった頃から、江戸時代の彩色備前など貴重な作品も展示する古備前名品展。3階では人間国宝代表作品展、4階は物故作家代表作品展と備前焼を時流にそって見られる岡山県備前陶芸美術館を見学。 18:00備前市内のホテル到達後、備前焼のお店が多数立ち並ぶ伊部駅周辺を散策し食事を済ませてから床に就く。 16日6:00車で出発、日生港に向かう。 6:35日生港フェリーで出発、日生諸島に向かう。 7:00大多府島港到達。 日生諸島最南端の島で、江戸時代に池田藩の番所が置かれた。国の文化建造物に指定された元禄防波堤、御用船に飲水を提供した六角大井戸、1986年(昭和61)に復元された燈籠堂などの史跡が残る。南海岸の遊歩道には勘三郎洞窟などの洞窟や奇岩が続く大多府島を散策する。 8:20フェリーで出発、鴻島に向かう。 8:40鴻島到達、古くは甲島、香島と書かれたここ鴻島は、往時、鴻が多く生息してことから、現在の名前に変わったと言われています。古墳や土器が出土していることから、太古から人が生活していたことが分かっています。そして平安朝の都人が往来したと伝えられている、歴史のある島を散策する。 9:30フェリーで鴻島出発、頭島に向かう。 9:40頭島到達、日生諸島では人口が最も多い。周遊道が整備され、磯釣りやミカン狩り、海水浴に多くの人が訪れ、底引網の体験も行う頭島を散策する。 頭島から橋で渡れる周囲28km、岡山県でも最大の島。島半分は特別鳥獣保護区で野生の鹿やキジが生息している鹿久居島を散策する。 11:25フェリーで鹿久居島出発。 11:35日生港到達。 12:35カーフェリーで日生港出発、小豆島に向かう。 13:45小豆島大部港到達、車で島を巡る。 風雨の浸食作用が造りあげた奇岩怪石が続き、瀬戸内海を眼下に見下ろす小豆島屈指の景勝地。春のツツジ、初夏の新緑も美しいが、特に渓谷を錦繍に染める秋の紅葉は格別。遊歩道も整備されているが、切り立った岩壁の間をすり抜けるロープウェイから見事な景観を楽しめる寒霞渓を訪れる。 小豆島は全国有数の醤油の産地。1907年(明治40)創業のマルキン醤油の工場に隣接した合掌造の館内では、醤油の製造工程をわかりやすく説明している。昔の醤油作りの道具や江戸期の醤油製法を記した巻物など、貴重な資料も展示するマルキン醤油記念館を見学。 1952年(昭和27)に出版され、ベストセラーになった『二十四の瞳』。その舞台が田ノ浦にある苗羽小学校田浦分校だ。木下恵介監督の同名映画のロケ地にもなった。1971年(昭和46)に廃校になったが、校舎は当時のままの姿で保存・公開する岬の分教場を見学。 1987年(昭和62)、田中裕子主演で再映画化された、『二十四の瞳』のオープンセットを利用した観光施設。海に面した約1万平方mの敷地には、昭和初期をイメージした民家や漁師の家などが軒を連ね、ノスタルジックな雰囲気が漂う。奥には岬の分教場も再現され、ボンネットバスが停まっている。壺井栄文学館や松竹映画館をはじめ、1950年代の映画ギャラリーを備えたキネマの庵、駄菓子屋や食事処、喫茶、みやげ物店なども揃っている二十四の瞳映画村を見学。 二十四の瞳映画村内にある。壺井栄の原稿や愛用品を中心に、夫で詩人の壺井繁治とプロレタリア文学の作家である黒島伝治の書簡や遺品類も展示してある壺井栄文学館を見学。 内海湾を見下ろす丘の上に、オリーブ畑やハーブガーデン、ギリシア風車など地中海沿岸のような風景が広がる。オリーブ栽培を紹介したオリーブ記念館、ハーブのリースやポプリ作りが楽しめるハーブクラフト館がある。8種類の温浴施設があるサン・オリーブ温泉など屋内施設も充実の小豆島オリーブ公園を散策する。 放浪の俳人・尾崎放哉の記念館。彼は、晩年を土庄にある西光寺の奥の院、南郷庵で過ごした。その南郷庵を往時のままに復元し、放哉直筆の短冊、書簡類などを展示している小豆島尾崎放哉記念館を見学。 19:00大部港到達。 19:40大部港カーフェリーで出発。 20:40日生港到達、帰路。 22:30大阪到達。 今回の旅行、岡山と香川が挟む瀬戸内に足を運び、伊部駅周辺に多数の店が立ち並ぶ、渋い色合いが魅力的な備前焼の街、備前 昔ながらの漁師の町、旬の海の幸やが豊富な日生 瀬戸内海に浮かぶ大小13の島からなり、温暖な気候に恵まれ、一年を通 じて豊富な魚介類や、季節の果物を愉しむことができます。多島美を一望できる風景は、まさに大自然の素晴らしい贈り物です。野生鹿やアオサギをはじめ多くの動物が生息し、訪れる人々を出迎えてくれます日生諸島 クルーザーでは何回か訪れたことはありますが観光は初めてのオリーブと醤油の島、映画二十四の瞳のロケ地として有名な瀬戸内海2番目に大きな面積を持つ小豆島 1泊2日の瀬戸内島巡りドライブ観光楽しめました。 小豆島は多くの観光名所が点在し観光化し整備され多くの方が訪れていますが、日生諸島は人も少なく観光化されてなく自然そのものの素朴な島々ですね。本土の近い島ですのでもっと観光化されてもいいかもしれませんね。 一番目に訪れた大多府島には史跡巡りの遊歩道が整備されていました。 二番目に訪れた鴻島には多くの別荘の家々が立ち並んでいたのが目立っていましたね。 三番目に訪れた頭島は日生諸島の中では人も多く目立っていました。 四番目に訪れた鹿久居島は人も家も少なく自然そのものでした。 対照的な瀬戸内島々観光巡りでした。 |
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飛行機で国内&海外の観光地巡り第八十八弾:岡山県岡山タウン&牛窓観光 2010年2月20ー21日 江戸時代、池田氏32万石の城下町として栄え、今も岡山城や後楽園がシンボルになっていて郊外には自然が溢れ、テーマパークや観光農場、温泉などが点在する岡山、気候温暖で瀬戸内の多島美が楽しめ、日本のエーゲ海と呼ばれているリゾート地、江戸時代には潮待ち港として栄え歴史を偲ばせている古い町並みも残る牛窓に足を運びました。 20日18:00から大学の新年会に出席するためそれまで時間が空き、宇治の歴史的建造物を散策巡りして時間を費やしました。 12:30車で宇治方面に向かう。 13:30宇治到達。 どちらかといえば小ぢんまりした神社だが、平安後期の本殿(国宝)は日本最古の神社建築。檜皮葺きの覆屋の中に、一間社流造の内殿3社が鎮まっている。中央に応神天皇、向かって右にその皇子の菟道稚郎子、左にその兄の仁徳天皇の3神を祭る。菟道稚郎子は兄に皇位を譲るため自殺したと伝わる皇子。鎌倉時代の拝殿(国宝)も優美な建築。古都京都の文化財の一つとして、1994年(平成6)世界遺産に登録の宇治上神社を訪れる。 朝日山の麓にあり、琴坂と呼ばれる緩やかな坂道を進むと中国風の山門に行き着く。春は桜やヤマブキ、秋は紅葉が美しいこの道は、両側を流れる細いせせらぎが琴の音のように響くといわれその名が付いた。曹洞宗開祖の道元が伏見深草に建てたが兵火で焼失。1648年(慶安元)に淀城主の永井尚政により現在地に再興された。禅の修行道場であり、伏見城の遺構という本堂や禅堂、開山堂などが静かに佇む興聖寺を訪れる。 江戸時代、幕府や朝廷の御用茶師を務めていた宇治茶の老舗、上林春松家が開いている茶に関する資料館。将軍家のお茶壺道中に使われた茶壺などさまざまな茶道具、豊臣秀吉や千利休が上林家に宛てた書状などを展示。天下第一の名声を誇った宇治茶の歴史を垣間見ることができる宇治・上林記念館を見学。 神宝に平安時代の鐙(重要文化財)や男女2体像(馬頭天王と弁財天)があり、男神が馬頭を戴いていることから「馬の神様」として競馬ファンの信仰も篤い。672年(弘文元)の壬申の乱前夜、大海人皇子がこの社の社頭に柳の枝を挿して戦勝祈願。天皇となった後、「柳大明神」の名を与えたという勝運を授る神でもある。本殿(重要文化財)は三間社流造。室町時代の建築で、向拝の蟇股には馬と柳が彫刻されているのもおもしろい許波多神社を訪れる。 滋賀県方面に向かう。 滋賀県境までわずかという、宇治田原の山間にある曹洞宗の寺。ひなびた雰囲気がいい山寺で、宝物殿には均整のとれた本尊の十一面観音立像(重要文化財)をはじめ、四天王立像(重要文化財)、日光・月光菩薩立像(重要文化財)、文殊菩薩騎獅像(重要文化財)など藤原時代の優れた仏像を安置。境内の防災壁には、高さ8m・長さ40mに及ぶ大涅槃図の壁画が描かれている禅定寺(上堂)を訪れる。 近代日本画や滋賀県ゆかりの芸術家の作品、国内外の現代美術を展示する郊外型の美術館。横山大観や速水御舟、大津市出身の女流画家・小倉遊亀など1000点以上の作品を収蔵の滋賀県立近代美術館を見学。 17:00名神自動車道で大学の新年会会場、吹田方面に向かう。 吹田インター下車、 18:00教授の自宅で新年会に出席。 21:00終了、車で名神中国山陽自動車道経由して岡山インター下車 23:00岡山駅付近のホテル到達、宿泊。 21日6:30車で出発、瀬戸内方面に向かう。 岡山市最南端部、玉野市との境界に位置する標高403mの山で、頂上にはテレビ塔アンテナが林立していますが、眺望が特に素晴らしいため、瀬戸内海国立公園第2種特別地域に指定されています。スカイラインが整備され、山頂まで車やバイクで来て瀬戸内海のパノラマや夜景を楽しむことができる金甲山をおとずれ360°の眺望を楽しむ。 牛窓方面に向かう。 7:45宝伝港到達、 8:00フェリーで犬島に向かう。 8:10犬島港到達 犬島は、岡山県南東部の宝伝から南に約2.5km、定期船で約8分ほどの瀬戸内海国立公園内に位置し、岡山県岡山市に属しています。面積は約0.54平方km、周囲3.6km。6つの島からなる犬島諸島のうち唯一の有人島です。諸島のうちのひとつ、犬ノ島にはうずくまった犬の形に似た巨石「犬石様」があり、犬島の名の由来となっています。良質な花崗岩(犬島みかげ)の産出で知られ、古くは江戸城、大阪城、岡山城の石垣、明治以降では大阪港礎石の切り出し場となるなど、全国各地で犬島の石が珍重されています。犬島精錬所が開設、営業されていた最盛期10年の間には住民は3000人を越えましたが、精錬所閉鎖と採石業の衰退により現在の人口は55人となっています。現在島内には海水浴場、「自然の家」などにより島独自の自然に四季を通して親しむことができます犬島を散策する。 人口183人外周約8kmの島で、牛鬼伝説の舞台でもある。かつて石切丁場跡があり、安土桃山時代 大阪城の築城の際に石垣に使用するための石を切り出す、石切り場の一つだった。現在、大阪城築城残石群などが残っている。ここに設けられた展望台は夕日の名所とされ、「日本の夕陽百選」にもなっている。島にあるアマモの森が島の宝100選に選ばれている。主な産業は、観光、漁業である前島を一周する。 |