新潟

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百三十七弾:新潟県お城・城下町巡り観光
2018年6月16日−17日


甲信越地方の日本海に東西に細長く位置し、南北朝の内乱で、南朝の軍勢が力を持っていたが、足利尊氏は上杉謙顕を越後守護に投入し、南朝方を破った、やがて上杉謙信の登場で越後は統一され、関東や川中島など、各地へ勢力を広げようとする新潟県に足を運び、新潟県に点在する比較的マイナーなお城16か所 をお城10か所訪れました。

16日17:30伊丹空港出発。
18:35新潟空港到達、レンタカーで新発田方に向かう。
19:20新発田駅前のホテル到達後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
17日5:00レンタカーで出発。お城巡り。

金山城:金山城館遺跡は、奥山荘城館遺跡〔江上館跡・鳥坂城跡・倉田城跡・野中石塔婆群
・小鷹宮境内地・韋駄天山遺跡・蔵王権現遺跡・黒川城跡・臭水遺跡・金山城館遺跡・坊城
館跡・古舘館跡の12地点〕の1つで、「願文山城跡」「館ノ内跡」「高館跡〔下ノ館跡〕
」「蝸牛山城跡」からなる城館遺跡である。奥山荘は現在の胎内市、新発田市に所在した近
衛家の中世荘園を云う。平安末期は城一族、鎌倉期以降は三浦和田一族〔中条氏、黒川氏、
金山氏ら〕が在地領主として支配した。大治年間(1126〜1131年)、城氏の一族金
山氏〔前金山氏〕によって築かれたと云われる。建久年間(1190〜1199年)、金山
氏が追放となり、代わって奥山荘地頭の三浦和田氏が入り、城郭の拡張整備を行い、南北朝
時代、中条政綱の分家金山氏〔本金山氏〕が整備完成させたと云う。1221年「承久の乱
」では、藤原信成の家人酒匂家賢らが願文山城に立て籠もったが、幕府軍の圧勝に終わった
。これを期に勃発したと伝わるが定かではない。その後、戦国末期まで金山氏が続き、15
98年上杉景勝会津移封に伴い、金山氏も移り、廃城になったとされる。

鳥坂城:吾妻鏡に登場する城氏が最後に籠った「鳥坂」に比定されている。 城氏は桓武平氏で秋田城介となった平繁成を祖とする。
その後、中条氏の所領となり、鳥坂城もこの中条氏の時代の遺構が残っている。 中条氏は相模国三浦和田一族で木曽義仲追討で功をあげ、奥山荘の地頭となり、中条氏を名乗った。
中条藤資は永正の乱で守護代長尾為景に属して、上杉方の本庄氏、色部氏と対立した。藤資の娘を娶り中条家を嗣いだ中条景泰は越中国魚津城の城番となり、織田氏に対抗したが柴田勝家に攻められ落城、討死した。
慶長3年(1598年)上杉景勝の会津移封に伴い、中条氏も会津に移り廃城となった。

江上城:建仁元年(1201年)越後の城氏が滅亡した後、治承・寿永の乱で功のあった和田義茂が奥山荘地頭となったのが始まりで、その惣領家である中条氏の館がこの江上館と考えられている。

中条氏は鳥坂城を詰城とし宝治元年(1247年)に鎌倉の三浦和田氏が滅亡した後も越後で勢力を持ち、建治3年(1277年)に中条、南条、黒川氏に分かれた。

中条氏は戦国時代には揚北衆の一員として上杉氏に従い、上杉氏の会津の転封によりこの地を後にした。

平林城:築城年代は定かではないが色部氏によって築かれた。 色部氏は桓武平氏秩父氏の支流で、富士川合戦で功をあげ小泉荘の地頭となり、越後国岩船郡色部条から色部氏を名乗った。
永正の乱では守護方につき、守護代長尾為景に対抗するが敗れ、後にそれに従った。
慶長3年(1598年)上杉景勝の会津移封に伴い、色部氏も金山城に移り廃城となった。

大葉沢城:築城年代は定かではないが鮎川氏によって築かれたと云われる。 鮎川氏は本庄城主本庄氏の庶流である。

天文8年(1539年)鮎川清長は、同族の小川長資とともに本庄城の本庄房長を攻めて出羽国へ追い落とすなど、その地位を高めたが、平林城主色部氏の仲介により和平となった。

永禄11年(1568年)房長の子、本庄繁長は甲斐の武田信玄と通じて上杉謙信に叛き挙兵した。鮎川清長は上杉謙信の要請を受けて本庄氏を攻めたが、本庄繁長もまた大葉沢城を攻めるなど激しく抵抗した。結局本庄氏は葦名盛氏の仲介で嫡子を人質として差し出すことで和議となった。

その後も鮎川氏が続いたが、慶長3年(1598年)上杉景勝の会津移封にともない、鮎川氏も会津に移り廃城となった。

津川城:築城年代は定かではない。建長4年(1252年)蘆名一門で金上氏の祖となる金上館主藤倉盛弘が築いたのが始まりとも云われるが定かではない。越後ではあるが、会津を拠点とした蘆名一門の金上氏が代々居城としており、江戸時代に入ってからも会津領と密接な関係が続いた。

応永26年(1419年)蘆名氏と一門で会津新宮城主新宮盛俊が対立して小河城で合戦しており、これが津川城とみられている。

永正7年(1510年)には越後守護代長尾為景が蘆名家臣松本源蔵の手引きで狐戻城を攻めたが、城主の金上盛信は城に籠もってこれを撃退している。

天正6年(1578年)御館の乱で、金上盛備は上杉三郎景虎を支援し、景勝方の水原氏や下条氏らを攻めた。また新発田重家の乱でも重家を支援している。金上盛備は蘆名氏の重臣として活躍したが、天正17年(1589年)摺上原の戦いで討死、蘆名氏もまた滅亡した。

天正18年(1590年)蒲生氏郷が会津に入部すると、その家臣北川平左衛門が城主となった。蒲生氏に代わって上杉景勝が会津に転封となると藤田信吉が津川城代となって一万五千石を領したが、後に出奔して徳川家康の元に逃れたため、鮎川帯刀が入った。

関ヶ原合戦の後、上杉景勝は会津から米沢へ転封となり、会津に蒲生秀行が入ると、その家臣岡重政が入った。寛永4年(1627年)蒲生氏が断絶となって加藤嘉明が会津に入部すると、幕府の命によって津川城は廃城、その後は津川代官所によって管理された。

本与板城:築城年代は定かではない。 越後守護上杉氏の家臣飯沼氏の代々の居城である。 永正11年(1514年)飯沼頼清は上杉房能と守護代長尾為景が対立すると、房能方に付き敗れて没落した。
その後、直江実綱が入部し後に与板城を築城し居城とした。

与板城:築城年代は定かではないが天正年間に直江氏によって築かれたと云われる。 本与板城飯沼氏が没落した後に入封した直江氏は、本与板城に入城したが後に与板城を築き居城とした。
上杉景勝が会津に移封となると、直江氏もそれに従い廃城となった。

長岡城:慶長10年(1605年)堀直寄によって築城がはじめられたが、完成したのは元和4年(1618年)で牧野忠成によるものである。

坂戸城主堀直寄は、蔵王堂城主鶴千代の後見人となって長岡城の築城をはじめたが、福島城主堀氏の家督相続に纏わる内紛で堀忠俊は改易となり、一族である堀直寄もその影響で信濃国飯山へ転封となった。

堀氏に代わって福島城に松平忠輝が入封すると家臣山田勝重が長岡城主となったが、元和2年(1616年)に忠輝もまた改易となる。再び堀直寄が入封するが、元和4年(1618年)直寄は越後国村上へ転封となった。

元和4年(1618年)越後国長峰より牧野忠成が入封し城を完成させた。 寛永11年(1634年)忠成の二男康成に一万石を分封して与板藩を立藩させ、以後代々牧野氏が続いた。

慶応4年(1868年)戊辰戦争が起こり、家老河井継之助はカトリング砲二門など大量の武器弾薬を購入して帰藩し、5月2日小千谷に陣を張った新政府軍の岩村精一郎と最後の談判が行われたが交渉は決裂し開戦となった。5月19日に長岡城は落城、その後一時長岡城を奪還したものの再び落城して、藩主は会津へ逃れた。

栖吉城:築城年代は定かではないが戦国時代に古志長尾氏によって築かれたと云われる。 古志長尾氏は越後国守護となった上杉房顕に従って越後に入部した長尾景恒が祖で、その子長尾景春が蔵王堂城を居城としていたが、後に栖吉城を築いて居城を移した。

古志長尾氏は長尾景信の時に全盛となり、永録2年(1599年)上杉謙信が上洛して帰国したことを祝う「侍衆御太刀之次第」に一門筆頭として名が記されている。この上洛の際に謙信は河田長親を見出して古志長尾氏を継承させて栖吉城となり、景信は上杉を名乗った。

天正6年(1578年)上杉謙信没後に起こった御館の乱では、上杉景信は上杉三郎景虎方となり府中の戦いで討死、天正8年(1580年)栖吉城は上杉景勝に攻められ落城した。

栃尾城:築城年代は定かではないが南北朝時代に芳賀氏によって築かれたと云われる。 芳賀禅可は宇都宮氏綱の後見として北朝方として戦い、宇都宮氏綱は上野国・越後国の守護職を得た。禅可の子高貞と高家は越後国守護代として越後に入部したが、貞治元年(1362年)に上杉房顕が関東管領となると、足利基氏は宇都宮氏綱から越後守護職を奪って上杉房顕に与える。これによって芳賀高貞・高家兄弟は上杉房顕と戦ったが敗れた。

天文12年(1543年)後に上杉謙信となる長尾景虎が中越地方の国人を統制するために、城主本庄実乃に迎えられた。中越を平定した景虎は天文19年(1550年)兄の晴景に代わって春日山城へ迎えられ長尾家の家督を相続した。

天正6年(1578年)上杉謙信没後に起こった御館の乱では、栃尾城主本庄秀綱は上杉三郎景虎方となり、上杉景勝に攻められ落城した。

慶長3年(1598年)上杉景勝が会津へ転封となると代わって入封した堀秀治の家臣神子田政友が一万石で城主となったが、慶長15年(1610年)堀氏が改易となると廃城となったという。

下倉山城:築城年代は定かではないが戦国時代に築かれたと云われる。

天文年間(1532年〜1555年)頃の城主は福王寺氏が城主で、上条定憲が乱を起こした時には長尾為景方として戦った。

天正6年(1598年)上杉謙信没後に起こった御館の乱では、城主佐藤平左衛門は上杉景勝方となり、三郎景虎方の栃尾城主本庄秀綱らに攻められたが撃退した。

慶長3年(1598年)上杉景勝が会津へ転封となり、かわって堀秀治が入封すると小倉主膳正煕が八千石を領して城代となった。慶長5年(1600年)上杉景勝が越後の旧臣を扇動して一揆を起こすと一揆軍は下倉城に攻め寄せ、これに立ち向かった小倉正煕は討死したが、救援に駆けつけた堀直寄によって鎮圧された。

大井田城:築城年代は定かではないが南北朝時代に大井田氏によって築かれたと云われる。 大井田氏は新田氏の一族里見氏の流れを汲む一族で、南北朝時代は南朝方として活躍した。

大井田氏とその一族とされる中条氏は戦国時代も上杉氏の家臣として名前が残るという。

福島城:慶長12年(1607年)堀秀治によって築かれた。 慶長3年(1598年)上杉景勝が会津に移封となり替わって堀秀治が越前国北庄から四十五万石で入封した。

秀治は越後国一揆を鎮圧した後、新たに福島城を築城し春日山城を廃した。堀氏は秀治亡き後、僅か12歳の忠俊が継いだが後見人の堀賢物直政が亡くなると内紛が起こり、家康によって領地を没収され忠俊は鳥居忠政にお預けとなった。この後、越後国には松平忠輝が入封し忠輝は福島城を廃して高田城を築いた。

柿崎城:築城年代は定かではない。発掘調査によって鎌倉時代末期から室町時代前期までの遺物が確認されている。室町時代後期には上杉謙信の重臣として知られる柿崎和泉守景家の居館であったと考えられ、猿毛城が詰城であったと云われる。

北条城:築城年代は定かではないが室町時代に北条氏によって築かれた。 北条氏(きたじょう)は大江広元を祖とする毛利氏一族で安芸国毛利氏と同族である。
天文23年(1554年)北条高広は武田信玄に内応したがそれを知った上杉謙信によって攻撃され降伏し許された。
謙信亡き後の御館の乱では景虎方に付き坂戸城を攻撃した。 北条景広は御館で景勝方の攻撃を受け討死するが高広は後に武田勝頼の斡旋で上杉家に復属した。

16:00終了、新潟空港に向かう。
17:40新潟空港到達。
19:05新潟空港出発。
20:20伊丹空港到達。

今回の旅行、甲信越地方の日本海に東西に細長く位置する新潟県に足を運び新潟県に点在する比較的マイナーなお城16か所お訪れ楽しめました。

比較的案内板がしっかりしており、城跡は史跡公園に変貌しているところも多く、又車が少なく、信号も少ない、真っ直ぐな広い道、田園風景を見ながらドライブ観光、渋滞なくストレス感じなく楽しめました。























飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百十一弾:新潟県お城・城下町巡り観光
2017年10月14日−15日
  

甲信越地方の日本海に東西細長く位置し南北朝の内乱では、南朝の軍勢が力を持っていたが、足利尊氏は上杉憲顕を越後守護に投入し、南朝方を破った、やがて上杉謙信の登場で越後は統一され、関東や川中島など、各地へ勢力を広げようとする新潟県に足を運び、新潟県に点在する比較的マイナーなお城9か所を訪れました。

14日17:30伊丹空港出発。
18:30新潟空港到達、レンタカーで三条市内に向かう。
17:40三条駅前のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
15日6:30レンタカーで出発、お城巡り。

根知城:根知城(上城山城)は、姫川と根知川が合流する地点の南東に聳える、標高525.2mの城山山頂に築かれている。

山頂の主郭は東西二段で標柱が建っている。西に続く尾根には数条の堀切が設けられ、いずれも竪堀として南へ伸びている。東へ降りていくと、鞍部に空堀が設けられ、西側に土塁が付いている。空堀は南側が東へ曲がっている。空堀の東側はやや平坦な面が続いているが曲輪としては不明瞭で、その先は北東へ尾根が延びているが自然地形になっている。

勝山城:築城年代は定かではない。一説に天正10年(1582年)に上杉景勝による築城とも云われる。

城将は須賀盛能、秋山伊賀守定綱、荻田主馬などが務めた。また天正13年(1585年)羽柴秀吉と上杉景勝がこの城で会見したとも伝えられる。

上杉城:築城年代は定かではないが弘治年間(1555年〜1558年)に上杉謙信によって築かれたと云われる。 天文21年(1552年)関東管領上杉憲政は上野国平井城から上杉謙信を頼って越後に逃れた。この憲政の住まいとして築造されたのが御館である。

天正6年(1578年)上杉謙信が急死すると上杉景勝と上杉三郎景虎との間で越後の諸将を二分した家督相続争いが起こる。これが「御館の乱」である。いち早く春日山城の本丸を占拠した景勝に対して、三郎景虎は春日山城を脱しこの御館に籠もって防戦する。天正7年には景勝軍の御館への猛攻撃が開始されると三郎景虎は支えきれず、和睦の使者として関東管領上杉憲政と三郎景虎の長男道満丸は景勝の元へ訪れようとしたが景勝軍に囲まれ討ち果たされた。三郎景虎は出自の小田原北条氏を頼って落ちる途中、鮫ヶ尾城に立ち寄ったが城主堀江宗親はすでに景勝方に内応しており、三郎景虎はここで自刃して果てた。しかし、御館の乱はこれで終結せず、本庄秀綱などは最後まで抵抗し天正8年(1580年)になってようやく終結した。

鮫ケ尾城:築城年代は定かではない。

鮫ヶ尾城の名が史料に現れるのは天正7年(1579年)の上杉景勝書状で、堀江宗親が城主であった。上杉謙信の急死によって跡目相続争いが起こり、謙信の養子であった上杉景勝と上杉三郎景虎によって越後を二分する争いとなり『御館の乱』と呼ばれた。

天正7年(1579年)三郎景虎は上杉景勝の攻撃によって御館を逃れ、生家の小田原北条氏を頼って落ち延びようとした。ようやく味方であった堀江宗親の鮫ヶ尾城に到着したが、このとき既に堀江宗親は景勝方へ靡いており、景虎は城内で自刃して果てた。

直峰城:南北朝時代に南朝方の風間信濃守信照によって築かれたのが始まりとも云われるが定かではない。

直峰城は上杉氏の番城で、吉田英忠、竹俣清綱、長尾伊賀守などが番将を勤めた。 天正6年(1578年)御館の乱が勃発した時には三郎景虎方の吉益伯耆守が守っていたが、上杉景勝に攻められ落城した。

その後は樋口惣右衛門が在城したが、慶長3年(1598年)上杉景勝が会津に転封となると、代わって福島城に入封した堀秀治の一族堀光親が城主となった。しかし、慶長15年(1610年)堀忠俊の時に改易となり直峰城も廃城となった。

箕冠城:築城年代は定かではない。城主は大熊氏で長尾為景の時代には大熊備前守政秀が段銭方などの要職を務め、上杉謙信の時代には大熊備前守朝秀が父同様に重用された。しかし、弘治2年(1556年)朝秀は上杉氏に叛いて武田氏に内通して挙兵、敗れた朝秀は越中へ逃れ、後に武田信玄に仕え、山県昌景の与力となって信濃国根古屋城主となった。

大熊氏が越後から去った後も春日山城の支城として存続したが、後に廃城となった。

荒戸城:天正6年(1578年)上杉景勝によって築かれた。 上杉謙信没後、景勝と景虎の間に「御館の乱」という相続争いが起こった。 景虎の父は北条氏康であるから、景勝は関東からの援軍を阻止する目的で三国街道を見下ろす要所に築城した。
天正6年(1578年)北条氏によって落城したものの、翌天正7年(1579年)景勝によって奪還された。

樺沢城:築城年代は定かではない。 はじめ坂戸城長尾氏の番城であったが、上杉謙信の越後平定により春日山城の番城となり、関東進出の宿城となった。
謙信没後「御館の乱」が勃発し上杉景勝と上杉景虎が相続を争うようになると、小田原北条氏が荒戸城と樺沢城を攻略した。
しかし北条氏は厳冬期を前に一部の将兵を残し、関東へ帰陣する。 翌年初旬に景勝方により攻められ落城した。

坂戸城:築城年代は定かではない。 室町時代に長尾宗景が上杉憲顕より上田荘を与えられ入部した。
上田長尾氏は長房、政景、景勝と続き、景勝は上杉謙信の養子となり春日山城に移ったので、栗原、登坂、深沢など景勝に近い武将が在城した。
謙信没後「御館の乱」が勃発し上杉景勝と上杉景虎が相続を争うようになると、小田原北条氏が荒戸城と樺沢城を攻略したが、その侵攻を坂戸城で食い止めた。
上杉氏が会津へ移封となると、堀秀政が福島城に入封となり、坂戸城には家臣堀直寄が三万石で入城した。
堀氏が改易となると、直寄は信濃国飯山へ移封となり、廃城となった。

16:00終了、新潟空港に向かう。
17:00新潟空港到達。
19:05新潟空港出発
20:05伊丹空港到達。

今回の旅行、甲信越地方の日本海に東西細長く位置する新潟県に足を運び、新潟県に点在する比較的マイナーなお城9か所をお城を訪れ楽しみましたました。
今回は比較的地味ですが案内板がしっかりあり迷うことなく訪れることができました。次回は新潟の東方面の訪れたいと思います。








飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百五弾:新潟県越後八十八箇所霊場巡り観光第四弾
2017年8月5−6日
   

日本海に東西細長く面した政令都市新潟県に足を運び、新潟県に点在する越後八十八箇所霊場の第四弾涅槃のエリアの22か所の霊場を訪れました。

5日17:35伊丹空港出発
18:35新潟空港到達、レンタカーで三条方面に向かう。
19:20三条駅前のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
6日7:00レンタカーで出発、霊場巡り。

法明寺:

寶生寺 :

龍蔵寺 :

宝光院 :

極楽寺 :

真福寺:

慈眼寺:

證光院 :

五智院 :

弘誓寺 :

不動院 :

龍徳寺:

圓福寺 :

遍照寺 :

普光寺 :

寶蔵寺 :

法音寺:

寶珠院:

養智院:

大福寺:

泉盛寺 :

薬照寺:

16:30終了、新潟空港に向かう。
17:20新潟空港到達
19:05新潟空港出発
20:15伊丹空港到達。

今回の旅行、日本海に東西細長く面した新潟県に足を運び、越後八十八箇所霊場第四弾涅槃のエリアの22か所の霊場を訪れ楽しみました。

霊場は立派に活気のある霊場と寂れた霊場とにはっきり分かれ力の入れようの違いがよくわかりました。

今回で越後八十八箇所霊場の88か所すべてを巡り終了いたしました。











 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百九十八弾:新潟県越後八十八箇所霊場巡り観光
2017年5月27−28日


甲信越地方の東西に細長く日本海に面した新潟県に足を運び越後八十八箇所霊場の第三弾発心の道場23か所を巡りました。

27日17:40伊丹空港出発
18:40新潟空港到達、レンタカーで柏崎方面に向かう。
20:00柏崎駅前のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
28日7:30レンタカーで出発、霊場巡り。

光明院 :

実相院:

最勝寺 :

大泉寺:

蓮光院 :

多聞寺 :

明蔵寺:

長福寺:

極楽寺 :

密蔵院 :

密乗院 :

報恩寺 :

金泉寺:

十楽寺 :

善照寺 :

宝蔵寺 :

円満寺 :

般若寺:

西光寺 :

華蔵院:

真蔵院 :

形蔵院 :

正法寺 :

16:00終了、新潟空港に向かう。
17:00新潟空港到達。
19:10新潟空港出発
20:20伊丹空港到達。

今回の旅行、新潟県に点在する越後八十八箇所霊場の発心の道場23か所を巡り楽しみました。
中等度の規模の寺院が多く、数か所は整備されず、傷んでいた寺院が見られました。
お参りに来られる方も少なく寂れていました。

次回は最後のエリア、浬槃の道場エリアを訪れる予定です。















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百七十五弾:新潟県越後八十八箇所霊場巡り観光第二弾
2016年10月1−2日
 

日本海に沿って東西細長く位置する新潟県に足を運び、越後八十八箇所霊場巡り第二弾、三条を中心とした菩提の道場第40番ー65番までの霊場26か所を巡りました。

1日17:40伊丹空港出発
18:45新潟空港到達、レンタカーで三条に向かう。
19:30三条駅前のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。
2日7:30レンタカーで出発、霊場巡り。

越後八十八ヶ所霊場めぐりは四国八十八ヶ所霊場の写し霊場として作られたそうです。歴史は「越後三十三ヶ所観音霊場」から比べるとずいぶんと新しいようです。弘法大師ゆかりの霊地をめぐるので宗派は真言宗となってます。本尊は「観音菩薩」から「大日如来」に「地蔵菩薩」、さらには「聖徳太子」と様々です。

泉薬寺:

安養寺:

乗福寺:

海蔵院:

如法寺:

本都寺:

宝積院:

妙圓寺:

華蔵院:

遍照院:

阿弥陀院:

妙楽院:

宝光院:

慈眼寺:

不動院:

総持寺:

西福寺:

延命寺:

徳聖寺:

圓福寺:

寛益寺:

法華寺:

根立寺:

正円寺:

普談寺:

福隆寺:

16:30終了。
17:00新潟空港到達。
19:15新潟空港出発。
20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、日本海沿いの新潟県に足を運び、越後八十八箇所巡り第二弾菩提の道場第40番ー65番までの26か所の霊場を巡りました。
のどかな田園風景を望みながらのドライブ霊場巡り満喫しました。
 










飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百五十八弾:越後八十八箇所霊場巡り観光
2016年5月21日ー22日


日本海に沿って東西に細長い県、新潟県に足を運び、玉瑞和尚)が1866年にここを巡礼して地域の人が幸せになるよう祈り15年かけて造った霊場です。玉瑞和尚は羅漢さんとも言われ親しまれています。ここは地すべりによって巨大な岩がどんどん転がって来てできた岩場でまさにジオ!自然の大地を感じることができる越後八十八箇所霊場の16カ所を巡りました。

21日17:40伊丹空港出発
18:45新潟空港到達、レンタカーで新潟駅前に向かう。
19:15新潟駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
22日7:30レンタカーで出発、霊場巡り。

薬師寺:

延命寺:

如法寺:

萬善寺:

照明寺:

西生寺:

国上寺:

本覚院:

青龍寺:

仙城院:

不動院:

真城院:

悉地院:

法光院:

乙宝寺:

法音寺:


18:00新潟空港到達
19:15新潟空港出発
20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、日本海に沿って位置する新潟県に足を運び、越後八十八箇所の16か所をめぐり楽しみました。

比較的立派な霊場が多く感動いたしましました。

広々とした田園の中をまっすぐな道に車も人も少なく気分よく爽快にドライブしながら16か所の霊場巡り満喫しました。








飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百三十八弾:新潟県新潟タウン&三条・燕観光
2013年7月20ー21日


東西に細長く日本海に面する新潟県に足を運び、政令都市で信濃川と萬代橋がシンボルの新潟タウン、県のほぼ中央に位置し、800年の歴史がある金属産業の町、金属洋食器の町として世界に知られている三条・燕を訪れました。

20日14:10伊丹空港出発
15:15新潟空港到達、レンタカーで巡る。

弥彦方面に向かう。

弥彦山の東麓、杉・ケヤキの森の中に社殿を構えた越後国一ノ宮。越の国に製塩・漁労・農耕の技術をもたらした天香山命を祭り、古くから信仰を集めている。現在の社殿は1916年(大正5)の再建。弥彦山を背にした荘厳なたたずまいを見せる彌彦神社を訪れる。

18:30燕三条駅付近のホテル到着後市内を散策し食事を済ませて就寝。

21日8:00レンタカーで出発

出雲崎方面に向かう。

橘屋ゆかりの虎岸の丘に立ち、良寛の遺墨や文献、関連の書や絵画を展示する良寛記念館を訪れる。

良寛の生家である橘屋の屋敷跡の中央に立つ。橘屋は、代々出雲崎で名主を務めてきた家柄で、1758年(宝暦8)この地に生まれ、光照寺に入るまでの18年間を過ごした。良寛の母の国、佐渡島を背景にして海に浮かんで見え、素朴で優美な建物。1922年(大正11)築の良寛堂を訪れる。

道の駅越後出雲崎天領の里内にある展示館。幕府の直轄地時代の御奉行船の模型、出雲崎の代官所などを再現している。江戸情緒あふれる当時の凧屋・絵ろうそく屋・紙風船屋を再現した町並みでは、紙風船づくりの体験可。石油記念館のほか、レストランや物産館も併設の天領出雲崎時代館[道の駅越後出雲崎天領の里]を訪れる。

良寛が18歳のとき仏門に入る決心をし、住職玄乗破了和尚により剃髪を受けた寺。名を良寛と改め大愚と号し、備中玉島の円通寺へ旅立つまでの4年間をここで過ごした光照寺を訪れる。

新潟タウンに向かう。

1895年(明治28)の建築で、明治末期から大地主伊藤家(北方文化博物館)の別邸となった。建物は日本建築と洋館の2棟。晩年の會津八一が住んでいた関係で八一の作品を展示し、枯山水の庭園には歌碑も残されている。館内には2つの茶室と、掛軸など良寛の書も展示する北方文化博物館新潟分館を訪れる。

大正時代の町家を再生した画廊。絵画をはじめ、ガラス、写真など、さまざまなジャンルの企画展やイベントが開催されている。小物のアート作品の販売コーナーもある。土壁や美しい格子など、建物そのものも見ごたえがある新潟絵屋を訪れる。

1852年(嘉永5)から1891年(明治24)の北前船全盛期に、和船模型を奉納し海上安全を祈願した神社。当時、船をつくると実物そっくりの模型もつくり、船を守る神社に納めた。いまでは貴重な資料となった精巧な模型28隻は国の重要文化財の金刀比羅神社を訪れる。

17:00新潟空港到達
18:40新潟空港出発
19:55伊丹空港到達。

今回の旅行、7回目の訪れである、東西に広い日本海に面した新潟に足を運び、金属洋食器の町として世界に知られている三条・燕、江戸時代、佐渡の金銀が荷揚げされた越後一の繁栄を誇った良寛の生誕地、出雲崎、万葉集にも歌われ弥彦神社を中心にした温泉街、弥彦、政令都市で水の都の歴史と文化、日本海の幸を満喫できる新潟タウンを訪れ楽しめました。

新潟タウンを散策し、特にに古町通りを北から南まですべてを歩き、長い長い商店街をまわり堪能しました。大阪には日本一長い商店街天神橋筋商店街がありますが、匹敵する長い商店街でした。
 








飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百二十九弾:新潟県上越観光
2013年5月18ー19日


新潟県の西部エリア上越に足を運び、夜桜で有名な高田公園の高田、さわやかな高原の自然を満喫でき、温泉も豊かな妙高、ヒスイの産地としてしられ、かつては港に北前船が往来し、塩や海産物を信濃へ運ぶ陸路の玄関口として賑わった糸魚川を訪れました。

18日13:42大阪サンダーバードで出発
17:06富山駅到達、レンタカーで上越春日山に向かう。
19:00春日山のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
19日7:00レンタカーで出発、上越の観光地を巡る。

松平忠輝が築いた高田城跡を利用した都市公園。4月中旬は桜、8月上旬には外堀一面にハスの花が咲く。園内の高田城三重櫓、石垣ではなく土塁を巡らせた外堀などは、高田城図間尺などに基づいて再現。三重櫓内の展示室には高田城略年譜、甲冑や陣笠などを展示している高田公園(高田城跡)を訪れる。

親鸞によって創建された名刹。御本廟には親鸞聖人の頂骨を納めている。入母屋造の本堂は間口29m、県下最大規模の浄土真宗寺院建築となっており、国の重要文化財に指定されている。宝物館では貴重な文化財を多数展示する浄興寺を訪れる。

「人間の科学」と「雪の科学」をメインテーマに展示を行う科学館。館内は9つのゾーンで構成。人類の進化やからだのしくみなど、展示物にふれたりしながら楽しく学ぶことができる。ボールプールやすべり台のあるチルドレンパーク、屋外には自然の中で科学を体験できるサイエンスプレイパークもある上越科学館を訪れる。

100羽のペンギンや40種2000匹の魚が泳ぐ巨大水槽など、400種1万点を展示。餌づけ中のダイバーと観客がワイヤレスで会話できるショーもある。7月中旬〜8月下旬にはイルカショーも開催する上越市立水族博物館を見学する。

天平年間(729〜749)に創設された越後の国分寺。1562年(永禄5)上杉謙信の再興と伝わる。1856年(安政3)建立で、高さ25mの三重塔には十二支の彫刻が施され、伽藍は未完ながら県の文化財に指定。本堂は焼失したが、平成9年に再建された。境内には親鸞聖人が流罪生活を送った竹之内草庵があり、自作の等身大の木像が安置されている五智国分寺を訪れる。

杉謙信の祖父長尾能景[よしかげ]が、長尾家の菩提所として創建した寺。謙信はここで学問を修め、禅を学んだ。上杉氏後の春日山城主堀氏、高田城主松平、榊原氏の菩提所ともなって、宝物館には謙信の遺品や上杉軍旗一式、その他各城主縁のものを展示している林泉寺を訪れる。

童話作家小川未明の父、旧高田藩士小川澄晴が浄財を募り、上杉謙信をまつるため創建した神社。神明造の社殿は1901年(明治34)の建築。境内の宝物館では、軍旗「毘」など謙信の遺品や、小川未明の資料などを展示する春日山神社を訪れる。

戦国時代の名将・上杉謙信公が城を構えた春日山。標高180mにある本丸跡からは上越市街地と豊かな上越の自然が一望できます。越後守護代・長尾為景が修築してから城郭となり、謙信公が大改修を行って名実ともに天下の名城と呼ばれるようになりました春日山城跡を散策する。

妙高に向かう

関川の本流にかかる滝。妙高高原東側、新潟県と長野県の県境にあり、玄武岩の岩壁に四季折々に色を変える山の木々と滝の白さのコントラストが美しい。「日本の滝百選」にも数えられている苗名滝を訪れる。

妙高高原の西南に位置。笹ケ峰牧場を中心に、ドイツトウヒの森やキャンプ場、多彩な遊歩道が整備され、施設も充実している。気候は夏でも涼しく、年間平均気温は15度。雨も少ない笹ケ峰高原を訪れる。

1927年(昭和2)に造られた、約20万平方mもの広大な湿原地帯にある小さな池。ミズバショウやミツガシワなど湿性植物の群生が楽しめる遊歩道での散策がおすすめのいもり池を散策する。

糸魚川に向かう。

姫川の上流、小滝川にあるヒスイ原産地。山全体が石灰岩から成る明星山を削る渓谷で、流れの中にヒスイの原石が見られる。日本で最初にヒスイが発見された地といわれ、青海[おうみ]地区の橋立ヒスイ峡とともに、国の天然記念物の指定を受けている小滝川ヒスイ峡を訪れる。

天下の険として有名な親不知、子不知海岸。北陸本線親不知駅を中心とする青海駅、市振駅間約15kmの総称で、親不知駅・市振駅の間が親不知、親不知駅・青海駅の間が子不知と呼ばれています。地名の由来はいくつかあり、北陸道最大の難所で、断崖絶壁と荒波が旅人の行く手を阻み、波打ち際を駆け抜ける際に親は子を忘れ、子は親を顧みる暇がなかったことから親知らず・子知らずと呼ばれるようになった親不知子不知を訪れる。

富山駅に向かう。

17:20富山駅到達。
17:56富山駅サンダーバードで出発。
21:22大阪駅到達。

今回の旅行、5回目の訪れである新潟県、過去4回は飛行機で訪れましたが、新潟の西部エリアもあり、電車サンダーバードで富山に着き、レンタカーで上越にたどり着き、観光しました。

上杉謙信ゆかりの上越、冬季スキーで何回も訪れたことのある妙高の春景色、ヒスイの産地と塩や海産物を信濃へ運ぶ陸路の玄関口として賑わった糸魚川ドライブ観光楽しめました。

富山から糸魚川・上越の日本海沿いのドライブ、春景色の妙高の大自然内のドライブ癒系の観光でした。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第百九十弾:新潟県長岡&柏崎&出雲崎観光
2012年5月12日ー13日
 

日本海沿いに東西横に長い政令都市に指定された新潟県に足を運び、江戸時代に長岡城が築かれ、城下町として発展、戊辰戦争の敗北後、藩士・小林虎三郎が米百俵の精神で町復興の礎を築いたことで有名な長岡、日本の渚百選の一つに数えられる鯨波など、景勝地の多く、高柳地区のかやぶきの里など、見どころが多い柏崎、江戸時代、佐渡の金銀が荷揚げされて越後一の繁栄を誇り、北国街道沿いに軒を連ねる妻入りの家々の美しさで知られる出雲崎を訪れました。

12日16:20伊丹空港出発
17:25新潟空港到達、レンタカーで長岡に向かう。
18:30長岡到達、市内のホテル到着後、市街地を散策し食事を済ませて就寝。

13日6:00レンタカーで出発、長岡を観光する。

千秋が原ふるさとの森の一角に立つ県立美術館。コレクションの柱は、日本の近代美術に影響を与えた「世界の美術」、明治以降の近代美術を主とした「日本の美術」、県出身作家を主とした「新潟の美術」。クロード・モネの『コロンブの平原・霜』、横山大観の『早春』を含む約6000点を収蔵。約100点を常設展示している新潟県立近代美術館の前で記念撮影。

魚沼方面に向かう。

1797年(寛政9)に建てられた県内指折りの豪農の住宅。二重梁や約24cm四方の上屋柱など豪雪地帯の住まいの特徴が見られる目黒邸を訪れる。

十日町方面に向かう。

松口の丘陵地に広がる、樹齢約80年の若いブナ原生林。すっと延びた幹の美しい姿が訪れる者を魅了する。特に、残雪の中、萌黄色の新芽が映える春と、秋の紅葉期の美しさは見事、野鳥の宝庫でもある美人林を訪れる。

ブナ林の中に立つ小さな美術館。館名は収蔵品の核である3人の作家の作品、星襄一の木版画『星の森』、藤巻秀正の彫刻『森の詩』、人間国宝・天田昭次の刀剣『七星剣』にちなんでつけられた。版画や刀剣など、年4回企画展を開催する星と森の詩美術館を訪れる。

柏崎方面に向かう。

美しい日本庭園で知られる松雲山荘内にあり、寒香庵木村重義翁が生涯をかけて集めた古書画、陶器、茶器類などを季節ごとに展示。黒楽茶碗長次郎焼、赤楽茶碗空中作などの名品を鑑賞しながら、風雅なひとときを過ごすことができる木村茶道美術館を訪れる。

出雲崎方面に向かう。

良寛が18歳のとき仏門に入る決心をし、住職玄乗破了和尚により剃髪を受けた寺。名を良寛と改め大愚と号し、備中玉島の円通寺へ旅立つまでの4年間をここで過ごした光照寺を訪れる。

道の駅越後出雲崎天領の里内にある展示館。幕府の直轄地時代の御奉行船の模型、出雲崎の代官所などを再現している。江戸情緒あふれる当時の凧屋・絵ろうそく屋・紙風船屋を再現した町並みでは、紙風船づくりの体験可。石油記念館のほか、レストランや物産館も併設の天領出雲崎時代館を訪れる。

橘屋ゆかりの虎岸の丘に立つ「良寛記念館」には、良寛の遺墨や文献、関連の書や絵画を展示する良寛記念館を訪れる。

良寛の生家である橘屋の屋敷跡の中央に立つ。橘屋は、代々出雲崎で名主を務めてきた家柄で、1758年(宝暦8)この地に生まれ、光照寺に入るまでの18年間を過ごした。良寛の母の国、佐渡島を背景にして海に浮かんで見え、素朴で優美な建物。1922年(大正11)築の良寛堂を訪れる。

17:10新潟空港に向かう。
18:15新潟空港到達。
19:15新潟空港出発。
20:30伊丹空港到達。

今回の旅行、日本海沿い東西に長い新潟県に足を運び、ほぼ中心から西部にかけてのエリア、長岡・柏崎・出雲崎を訪れ、自然と文化に触れ楽しめました。

地震の多い小千谷、柏崎方面を走行中、山道がところどころ崩れており、地震のすごさを物語っていました。

面積の広い新潟県、4回目の訪れですが、東方から中西部までは訪れることができました。次回は最西部の上越・妙高・糸魚川エリアを訪れたいと思います。








飛行機で国内&海外の観光地巡り第九十九弾:新潟県粟島・村上・阿賀野観光
2010年6月5ー6日


上越地方・中越地方・下越地方及び、離島である佐渡地方・粟島(岩船郡)からなり、面積は日本の都道府県では第5位だが、可住地面積で比べると北海道に次いで第2位である。通常の区分では「北陸地方」に分類されることが多いが、富山県・福井県・石川県のいわゆる北陸三県からは、北陸地方ではないとみなされることがある新潟県に足を運び、北限地の茶どころで町屋建築の町並みの村上、村上沖、35kmに浮かぶ周囲約23kmの素朴な豊かな自然の粟島、自然とライン船下りの阿賀野川エリアを訪れました。

5日16:05伊丹空港出発
17:10新潟空港到達、レンタカーで新潟郊外の名所を巡る。

19:00新潟駅前のホテル到達後、市街地を散策して食事を済ませて床に就く。

6日5:00レンタカーで出発、新発田方面に向かう。

新発田藩主溝口氏の下屋敷で、寄棟造りの数寄屋建築。簡素でほとんど装飾を施していない建物に、幕府への政治的配慮がなされた当時の下屋敷の面影を偲ぶことができる。庭園は中央に草書体の「水」の字を型どった大泉池を配した回遊式の清水園を訪れる。

清水園と川を隔てた道筋に立つ、江戸末期の足軽の組屋敷。茅葺平屋建で8軒が同居していた。土間、6畳2間、台所だけの質素なもので、当時の下級武士の暮らしがうかがえる足軽長屋を訪れる。

1598年(慶長3)溝口秀勝が築城。現在は平成16年に復元された三階櫓、辰巳櫓を含め、堀と石垣、表門、旧二の丸隅櫓が残る。表門と隅櫓はナマコ壁で国の重要文化財。周囲にアヤメがたくさん咲いていたことからアヤメ城ともよばれている新発田城址を訪れる。

村上方面に向かう。

もとは鮮魚商で、一歩中に入ると江戸時代に戻ったような商家をギャラリーにした。ところどころ魚屋さんの造りが見られる。国の有形登録文化財にも指定されている町屋のギャラリーやまきちを訪れる。

標高135mの
臥牛山に築かれた城で、築城年代は不明、16世紀前期には城が存在していたものと考えられます。戦国時代には本庄氏の本拠地として、永禄11年(1568年)の上杉謙信との篭城戦など、幾たびも戦いが繰り広げられました。江戸時代に入ると、村上氏・堀氏・松平氏らの城主によって城の改造と城下町の建設が行われ、北越後の中心拠点として整備されました村上城を訪れる。

9:30岩船港から高速艇で出発、手つかずの自然が残る周囲23kmの島。岩船港からの定期船が発着する内浦と西海岸の釜谷に、それぞれ民宿や海水浴場、キャンプ場がある粟島に向かう。

10:25粟島到達、レンタサイクルで島巡り。

14:00粟島高速艇で出発。
14:55岩船港到達、レンタカーで阿賀野川方面に向かう。

毎年、5月3日に行われる「つがわ狐の嫁入り行列」をテーマにした施設。つがわ狐の嫁入り行列を紹介した映像のほか、狐の面づくり体験や狐のメーク体験も楽しめる狐の嫁入り屋敷を訪れる。

17:00阿賀野川沿いを走行し、渓谷美を眺めながら新潟空港に向かう。
18:00新潟空港到達。
18:50新潟空港出発。
20:05伊丹空港到達。

今回の旅行、日本海に面し、東西に細長い新潟県に足を運び、江戸時代には新発田藩の城下町として栄えた。その面影は今も街の随所に見られ、三階櫓と辰巳櫓が復元された「新発田城」、下級武士の住居だった「足軽長屋」などが残り、国の重要文化財に指定されている。県内有数の米どころでもあり、菊水酒造や市島酒造などの蔵元があり、うまい地酒が豊富にそろう新発田エリア。

村上藩5万石の城下町として栄えてきた村上。その面影は、曲がりくねった路地や昔ながらの町名にも色濃く残っている。日本海の情緒あふれる景観や、海原に臨む瀬波温泉、三面川のサケ料理など見どころ、味どころも満載。絢爛豪華な19台のオシャギリ(屋台山車)が練り歩く村上大祭は、夏の風物詩となっている村上エリア。

村上の西35kmの日本海に浮かぶ細長い島で、岩船港から船が通う。真っ赤に焼いた石を入れるわっぱ煮で有名な粟島。

阿賀野川の下流には越後平野が広がり全国に名を馳せる「米どころ・新潟」を支えている。うまい米からできる銘酒、新鮮な海の幸など食の宝庫。阿賀野川エリアは、川沿いに温泉地や観光スポットが点在し、四季折々の違った表情を持つ自然を楽しめる阿賀野川エリア。

派手な観光施設はないが、素朴な漁村に豊かな自然、美しい海が広がる粟島のレンタサイクでの島巡り観光を主として、城下町の村上、新発田、阿賀野川エリアの歴史的建造物をも訪れ、点在する自然と文化を接し、満喫しました。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第三十一弾:新潟湯沢&奥只見観光
2008年6月7−8日


今回は昨年の佐渡島以来2回目の新潟に行ってきました。

7日15:20大阪伊丹空港出発、16:25新潟空港到達。
レンタカーで新潟市街地に向かう。

新潟市の歴史や文化を紹介し、堀などを再現した敷地内には本館、旧新潟税関庁舎、旧第四銀行住吉町支店の建物が並ぶ新潟市歴史博物館みなとぴあを見学。
西に向かい、旧日本銀行新潟支店長役宅を保存、公開、ギャラリーになっている蔵では、企画展を開催する砂丘館、360度のガラス張りの回転式展望台の日本海タワー、約450種類、2万点の水生生物に会えるマリンピア日本海を訪れる。

南に向かい、日本初の都市公園、園内には明治の豪商、齋藤家の邸宅を移築した燕喜館がある白山公園を散策。
東に向かい、側面に御影石の化粧版を施した、6つのアーチを持つ信濃川に架かる全長306,9mの橋、萬代橋を通過して、地上125m、日本海側随一の高さから眺望を楽しめる展望室、朱鷺メッセ展望台に上り、眼下に広がる新潟の街と日本海を望む。

新潟駅付近のホテルに到達、街を散策して食事を済ませて宿を取る。

8日5:00レンタカーで出発、天候晴れ、絶好の観光日和。

北陸関越自動車道経由して小出インター下車、奥只見方面に向かう。
奥只見シルバーラインのトンネルを抜けて秘境奥只見へ、国の天然記念物イヌワシも生息する自然の宝庫である。

南の方面、湯沢に向かう。
世界最大級の166人乗りの湯沢高原ロープウエイの終着駅の先にある高山植物、標高1000mに広がる公園に幻のケシなど、1000種類もの植物が群集する湯沢高原アルプの里を訪れる。

北に向かい、富山県黒部峡谷、三重県大杉峡谷と並ぶ国内有数の渓谷、柱状節理の美しさと自然の雄大さが見事で、絶景を鑑賞しながら散策できるトンネルのある精津峡を散策。
縄文文化に触れられる体験見学施設、館内には縄文土器を展示、屋外には竪穴式住居2棟を復元する農と縄文の体験実習館なじょもんを見学。

南、秋山郷方面に向かう。
鈴木牧之が訪れた頃の面影を残す仁王門がある天台宗の寺院、見玉不動尊、中津川渓谷に架かる橋、清流と岸壁、仰ぐ山々が織り成す幽玄な美しさに酔う見倉橋、マタギの生活や風俗習慣を紹介する資料館、200年前のマタギの家の内部が復元されている秋山郷総合センターとねんぼ、築150年以上の秋山郷の典型的な民家、雪国し様の茅葺き屋根や太い柱が特徴的な秋山郷保存民家を訪れる。

北に戻り通年水温7℃の清水があちこちから豊富に湧き出す池、12万uの池の水が毎日入れ替わるといわれている清冽な水をたたえる美しい水面に、周りに生い茂る樹木が映し出されて幻想的な雰囲気が漂う、名水百選竜ヶ窪を散策。

新潟市街地方面、帰路に向かう。遊びながら学べる、体験型の総合科学館、二足歩行ロボットや、プラネタリウムが人気の新潟県立自然科学館を見学。

新潟空港に向かう。17:30新潟空港到達。
19:00新潟空港出発。
20:15大阪伊丹空港到達。

今回の旅行、冬のスキーシーズンには何回も訪れた新潟、越後湯沢駅、湯沢高原の夏の風景は初めて、長い長いトンネルでやっとたどり着ける、手つかずの自然が残る秘境奥只見、2007年4月に政令指定都市となった新潟市、日本海と信濃川との水の都の歴史と文化、日本海の幸も満喫できるなど、新潟観光旅行でした。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第一弾:佐渡ヶ島観光
2007年7月14−16日

台風から逃れるように14日23:27大阪駅夜行寝台車きたぐにで出発、久々の寝台車、結構快適に過ごせて睡眠を十分とれることができました。
15日5:50直江津駅に到達、天候は小雨で風は強くない、台風の影響はなさそう、歩いて直江津港に向かう。
7:00のフェリーに乗る予定でしたがこの地域の海面は台風の影響があり欠航、9:00以降の便に待たないといけないとのこと、時間が無駄になるため直江津駅に戻って快速で新潟に向かう。
9:00過ぎ新潟駅到達。10:00高速艇ジェットフォイルで佐渡の両津港に向かう。
11:00両津港到達、昼食を済ませてから12:40からの観光バスで陶芸苑、白雲台、大佐渡スカイライン、佐渡銀山、尖閣湾楊島遊園遊覧船、七浦海岸、夫婦岩等を観光する。
17:00佐和田下車、近くの宿に宿泊。
16日はレンタカーで島一周、途中佐渡歴史伝説館、佐渡博物館、ゴールドパーク、たらい舟、二ツ亀等を観光。
15:35佐渡空港で10人乗りのセスナ機で新潟に向かい17:05大阪行きのジェット機に乗り換え18:00伊丹空港到達しました。

離島佐渡ヶ島観光、行き帰りのいろんな乗り物、盛りたくさんで二泊三日の旅、満喫しました
今回の旅行飛行機で国内&海外の観光地巡り第一弾、台風から避けるような旅行で現地での観光だけでなく行き帰りの交通手段も楽しもうと10種類の乗り物で二倍楽しむことができました。これからも現地観光だけでなくいろんな乗り物に乗って楽しみながらの移動で旅行を行いたいと思います。
尚16日10:13新潟に大きな地震が発生しましたが運良くその時刻はレンタカーで佐渡観光めぐりしていましたので地震を感じず気がつかず、あとでテレビを見てびっくりしました。
 
今回の交通手段:夜行寝台車きたぐにー快速電車くびきの1号ージェットフォイルー観光バスー尖閣湾楊島遊園遊覧船ー佐渡路線バスーレンタカーー10人乗りセスナージェット機ー航空バス