宮崎

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百二十一弾:宮崎県九州四十九院薬師巡礼観光
2018年1月27日−28日
 

九州の東南に位置する宮崎県に足を運び、九州は大陸との交易の窓口であり、早くから我が国にもたらされた薬師信仰も、九州各地に深く寝ずいている。全行程1600キロ、九州七県にまたがる薬師霊場巡りは、大自然の生気を吸収して心身ともに癒される旅、九州四十九院薬師巡礼の宮崎県に点在する霊場87か所を訪れました。

27日19:50伊丹空港出発
21:00宮崎空港到達、レンタカーで宮崎駅方面に向かう。
21:35宮崎駅前のホテル到達、就寝。
28日8:00レンタカーで出発、霊場巡り

明星寺:『宮崎市誌』には、建暦2年(1212)松平七郎兵衛尉上総入道景清公の創建。天正11年(1583)徳尭隣公禅師が開山したと伝う。

入道景清といえば、平家の武将、源頼朝に対する怨念を断つため自ら両眼を挟り取り、霧島山中に幽栖した。没後に洞を建ててまつったのが生目神社で、いまも眼病平癒に篤い信仰がある。

降って、寛文3年(1663)清水与右衛門が堂宇を再興、永平寺三十世慧輪永明禅師を請うて中興開山した。

その後、文政3年(1820)七堂伽藍は火災に遭う。明治四年(1872)廃仏の法難により廃寺となるが、同13年、帝沢寺の恭山満堂和尚が復興、法灯を継承して現在に至る。


浄土寺:

幸福寺:

全長寺:

極楽寺:

今山大師寺:

昌龍寺:五百年ほど前、肥後から招来した薬師仏を祀る薬現寺として八戸地区に建てられました。
その百年後、現在地に移り曹洞宗昌竜寺となりました。昌竜寺の十世住職は、聖・如意輪・子安の三観音を迎え、八戸滝(60メートルの大瀑布を誇る名勝)を雨乞いの霊場としました。とくに安産、繁昌、交通安全の霊場としてにぎわっています。
また村中に、約三百年前、延岡用水を開いた恩人の藤江監物(ケンモツ)父子の終焉地があり、菩提寺となっています。
お寺の境内には、監物堂が建てられ、延岡城二の丸書院の絵天井が保存されており、ご本尊には約3トンの石からくりぬかれた不動明王が安置されています。

十年前本堂が再建されましたが、すべての木材が町内の木でまかなわれ、しかも格天井は、多摩美大教授宮いつき先生監修による「絶滅危惧種」が描かれ、全国に紹介されました。薬師霊場となってからは「薬師健康にぎり仏」が、平家伝説の持仏として重宝され、九州中から受けに来られるほどです。
また、心と体を護る「薬師心身健康守り」も大変人気があります。背景に祖母傾国定公園をいただく、高千穂の神々に護られた仏の里で、どうぞ心身を清らかに休めて下さい。


15:30終了、宮崎空港に向かう。
17:00宮崎空港到達。
19:15宮崎空港出発。
20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、九州宮崎県に足を運び、宮崎県に点在する九州四十九院薬師霊場7か所をおとずれ楽しみました。
各々の霊場の規模は中等度で派手さはなく、地味で人も少なく寂れていました。マイナーな霊場巡りですね。
次回は鹿児島県に点在する九州四十九院薬師霊場を訪れる予定です。

 
 






飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百八十九弾:宮崎県小京都&重要伝統的建造物群保存地区&お城・城下町巡り観光
2017年1月28−29日
  

九州の守護大名の伊東氏が権力を持つが、木崎原の戦いで島津氏に大敗を喫すると、豊後の大友氏を頼り、島津氏と大友氏は激しく争い、最終的には豊臣秀吉の九州統一によって争乱にピリオドが打たれた宮崎県に足を運び、比較的マイナーなお城2か所、小京都1か所、重要伝統的建造物群保存地区3か所を訪れました。

28日17:55伊丹空港出発
19:05宮崎空港到達、レンタカーで延岡方面に向かう。
21:05延岡駅前のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
29日8:00レンタカーで出発、歴史的建造物巡り。

延岡城:築城年代は定かではないが中世の縣城(あがた)がその前身である。
近世延岡城を築いたのは高橋元種で、豊臣秀吉による九州征伐により松尾城に封ぜられた豊臣大名である。元種は慶長6年(1601年)に延岡城の築城を開始し、慶長8年(1603年)に完成した。

松尾城:文安3年(1446年)土持宣綱によって築かれたと云われる。
縣庄を本拠として勢力を張った縣土持氏は宣綱の時、松尾城を築いて西階城より移り、康正2年(1456年)一族の財部土持氏とともに都於郡城の伊東氏と戦ったが敗れ、翌長禄元年(1457年)には財部城は伊東氏によって包囲され、開城して財部土持氏は滅亡する。
その後、縣土持氏は伊東氏と門川城、日知屋城などを争って度々戦うが、元亀3年(1572年)木崎原の戦いで島津氏に敗れた伊東氏は瞬く間に衰退し、天正5年(1577年)伊東義祐は都於郡城を捨てて大友氏を頼って落ち延びた。これによって島津氏と大友氏の巨大勢力の狭間に立つこととなった縣土持氏は、島津氏、大友両氏に通じて命脈を保とうとするも、天正6年(1578年)大友氏の大軍に攻撃され落城し滅亡した。
その後、耳川合戦で大友氏を敗った島津氏の所領となったが、天正15年(1587年)豊臣秀吉による九州征伐の後は高橋元種が入封し、慶長8年(1603年)延岡城を築いて移るまでの居城であった。

椎葉村:椎葉村(しいばそん)は、ちょっぴり悲しい平家落人伝説で全国に知られた宮崎県北西部にある東臼杵郡の村です。いまも各地からの観光客が絶えない日本三大秘境のひとつ平家落人伝説の郷。

美々津:江戸、明治時代の白壁土蔵の町並みが残る。昔から海の交易の拠点として歴史を刻み、関西との交流の主役となった廻船問屋の活躍がしのばれ、往時の文化的な遺産を大切にした町づくりが行われている。

飫肥:飫肥は、天正16年(1588)から明治初期までの280年間飫肥藩・伊東氏5万1千石の城下町として栄えたところです。武家屋敷を象徴する門構え、風情ある石垣、漆喰塀が残る町並みは、昭和52年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
昭和53年に復元された大手門を中心に、松尾の丸や藩校振徳堂、伊東家の歴史を綴る貴重な資料が展示されている飫肥城歴史資料館があります。また、 商人町通りには樽を店頭に置いた商家や、格子に壁燈籠、番傘を飾った商家が軒を連ね、町を流れる堀割の清流など、江戸時代を彷彿とさせる町並みが楽しめます。

16:00終了、宮崎空港に向かう。

17:30宮崎空港到達。
19:30宮崎空港出発。
20:35伊丹空港到達。
今回の旅行、九州宮崎県に足を運び、比較的マイナーなお城2か所と小京都1か所、重要伝統的建造物群保存地区3か所を訪れ楽しみました。
今回から初の小京都、重要伝統的建造物群保存地区巡り、日本の中世の街並みの散策、癒されますね。
これから全国の中世の街並み散策、楽しみです。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百五十一弾:宮崎県お城・城下町巡り観光
2016年3月12ー13日

九州に足を運び、守護大名の伊東氏が権力を持つが、木崎原の戦いで島津氏に大敗を喫すると、豊後の大友氏を頼り、島津氏と大友氏が激しく戦い、最終的には豊臣秀吉の九州統一によって争乱にピリオドが打たれた宮崎県を訪れ、宮崎県に点在する比較的マイナーなお城・城下町を17箇所巡りました。

12日14:45伊丹空港出発
15:50宮崎空港到達、レンタカーでお城巡り

清武城:築城年代は定かではないが文和年間(1352年〜1356年)清武氏によって築かれた。 清武氏は伊東氏の支族である。 伊東氏四十八城の一つ であったが天正5年(1577年)伊東氏が豊後に逃亡後は島津氏の領地となり伊集院久宣が城主となった。 豊臣秀吉による九州征伐の後は伊東氏の所領となり稲津氏が城主となった。 関ヶ原合戦では稲津氏は宮崎城を攻め落とし佐土原城にも攻め寄せた。

穆佐城:築城年代は定かではないが元弘年間(1331年〜1334年)足利尊氏によって築かれた。尊氏は妻の出である赤橋氏の所領とした。この後、伊東氏、土持氏など南北朝の武将が争った。
応永年間(1394年〜1428年)には薩摩国の島津元久が侵攻し周辺諸城を落として子豊久(後の8代当主)に守らせた。
文安2年(1445年)伊東氏が攻め取り落合治部少輔を置き以後伊東氏が豊後に逃れるまで伊東氏48支城の一つとなった。

綾城:築城年代は定かではないが元弘年間(1331年〜1334年)頃に綾氏によって築かれたと云われる。綾氏は足利尊氏の家臣細川小四郎義門がこの地を領し、その子義遠が収納使として下向、綾氏を称した。綾氏ははじめ内屋敷城を築いて居館とし、後に詰城として綾城を築いたという。
綾氏は義遠以降、義勝、義廉、義郷、義佐、義範、義継、義義と八代続き、伊東氏に従った。その後は伊東氏48城の一つとなり、長倉若狭守、稲津越前守、佐土原遠江守が城主を務めたが、天正5年(1577年)伊東氏は島津氏によって日向を追われ、島津の所領となった。
島津氏の時代になると新納久時、上井秀秋、蒲生清宣、本田新平、新納久時、大野将監と城主が続き元和の一国一城令によって廃城となった。

宮崎城:築城年代は定かではない。建武2年(1335年)に図師随円・慈円父子がこの城を拠点に南朝方として兵を挙げたことが知られる。
慈円は北朝方の縣城主土持宣栄に攻められ落城した。
戦国時代は伊東氏の城で一族の伊東県氏が居たが、文安3年(1446年)島津に内応したことから伊東祐堯がこれを奪い取り、家臣の落合彦左衛門を置いた。
天文3年(1534年)伊東家の家督を継いだ伊東祐吉が宮崎城を居城としたが、天文5年に病没。祐吉の兄義祐が還俗して家督を継ぎ、佐土原城から宮崎城へ一時居城を移したが、都於郡城へ移り、宮崎城には肥田木越前守が守将となり伊東氏48城の一つとなった。
天正6年(1578年)伊東氏が没落すると島津豊後守忠朝、天正8年には上井覚兼が城主となった。
天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐の後は延岡の高橋元種の所領となり、家臣の権藤種盛が置かれた。。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦で、東軍に属していた飫肥の伊東祐兵の部将稲津掃部助は西軍に属した高橋元種の宮崎城を攻め落としたが、高橋氏は東軍に寝返っていたことから宮崎城は高橋氏に返還されるという「稲津騒動」の舞台となった。

19:30宮崎駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

13日7:00レンタカーで出発、お城巡り

日南方面に向かう。

南郷城:慶長6年(1601年)伊東祐慶によって築かれたと云われる。
慶長5年(1600年)関ヶ原合戦で、伊東祐慶は清武城主稲津重政に命じて西軍の大垣城に籠城していた縣城主高橋元種の支城宮崎城を攻め落とさせた。しかし、高橋元種は東軍に寝返って本領安堵となっていたため、宮崎城は高橋氏に返還され、稲津重政は責任を負わされる形で粛正された。
翌慶長6年(1601年)島津氏に対する備えとして築いたのが、この南郷城だと云われる。 しかし、元和元年(1615年)一国一城令によって廃城となった。

目井城:築城年代は定かではないが天文年間(1532年〜1555年)に島津忠広によって築かれたと云われる。
飫肥城主であった島津忠広が支城として築き、家臣の日高源左衛門に守らせたが、源左衛門は伊東氏に降り、その後は度々島津氏と伊東氏によって争われた。永禄11年(1568年)伊東氏が飫肥城を奪取した後はその家臣川崎駿河守が入り伊東氏四十八城の一つに数えられた。

串間方面に向かう。

櫛間城:建武2年(1336年)に野辺盛忠によって築かれたと云われる。
野辺久盛の子盛忠が南朝方に属して櫛間城を居城とした。野辺氏は盛忠のあと、盛房、盛久、盛在、盛仁と続くが、嘉吉元年(1441年)盛仁は足利義満の子の大覚寺義有(義昭)を匿った罪で罰せられ、野辺氏は滅亡する。
野辺氏の後は伊作久逸が城主となった。久逸は飫肥城主の新納忠続と争いとなって伊東氏と結ぶなど島津氏に反旗を翻したが、その後降伏して伊作の地に戻り、櫛間は飫肥城主となった島津忠廉の管理となった。
天正15年(1587年)豊臣秀吉による九州征伐の後、筑前国古処山城より秋月種実・種長が高鍋三万石に転封となり高鍋城へ移った。慶長4年(1597)には櫛間城へ移り居城としたが、慶長9(1604年)に再び高鍋城を居城としたため廃城となった。以後、串間は高鍋藩の飛領地となった。

都城方面に向かう。

都城城:永和元年・天授元年(1375年)北郷義久によって築かれた。 北郷氏(ほんごう)は島津忠宗の六男資忠が戦功をあげ、北郷を所領し北郷氏を称した事に始まる。
北郷氏は2代義久の時、都之城を築き居城として以来、天正15年(1587年)から慶長5年(1600年)までの間に一時伊集院氏の領地となったが、元和の一国一城令で廃城となった後は、都城麓で明治まで続いた。
豊臣秀吉によって九州が統一されると、伊集院忠棟が都之城に入封するが、主家島津氏の転覆を画策した忠棟は伏見の島津邸で成敗された。これを知った子忠真は都之城をはじめ、月山日和城・山ノ口城・勝岡城・梶山城・安永城・志和池城・山田城・野々美谷城・梅北城・財部城・末吉城・恒吉城に兵を入れ徹底抗戦に出た。しかし慶長5年(1600年)徳川家康の仲介で忠真は降り庄内の乱は幕を閉じた。

祝吉館:築城年代は定かではない。 島津氏発祥の地として知られる。 島津忠久は惟宗広言の子で文治元年(1185年)伊勢国須可荘の地頭職と島津荘の下司を得た。さらに薩摩国・大隅国・日向国の守護職を得て鎌倉から下向した。
島津家は多数の分家を排出したが、薩州家は実久の時に相州家忠良に破れ、その子貴久によって一族が統一され、義久の代には九州の大半を制圧するに至ったが、天正15年(1587年)豊臣秀吉に破れ、薩摩国・大隅国と日向国の一部の所領となった。

梶山城:築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)高木氏によって築かれたと云われる。 嘉吉元年(1441年)島津忠朝の所領となったが、明応4年(1495年)伊東氏の所領となった。
大永2年(1522年)山田城主北郷久家が攻め寄せたが、伊東氏が待ち構え久家を討ち取った。
豊臣秀吉によって九州が統一された後は伊集院氏の所領となった。

勝岡城:築城年代は定かではないが文保年間(1317年〜1319年)島津資久によって築かれたと云われる。 資久は島津忠宗の五男で文保2年(1318年)樺山地方三百町を譲られ樺山氏を称した。
明応4年(1495年)には伊東氏の所領となり加江田氏を城主とし、後永正17年(1520年)荒武藤兵衛を城主として改修させ、北郷氏の侵攻を破った。
しかし、天文元年(1532年)には北郷氏に破れ、豊臣秀吉の九州統一後は伊集院氏の所領となったが、庄内の乱の後、元和の一国一城令により廃城となった。

えびの方面に向かう。

加久藤城:築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に北原氏によって築かれたと云われる。
飯野城主の北原氏の城で、徳満城の支城であったが、北原氏に代わって島津義弘が飯野城主となったとき、久藤城に新城と中城を拡張し加久藤城と名付けた。加久藤城には広瀬夫人と長子鶴寿丸を住まわせ川上忠智を城代とした。
元亀3年(1572年)伊東氏が加久藤城の鑰掛口を攻めた「木崎原合戦」の舞台となり、島津軍に敗れ壊滅的打撃を被った伊東氏はその後衰退の道をたどっていくこととなる。

日向方面に向かう。

都於郡城:建武4年・延元2年(1337年)伊東祐持によって築かれたと云われる。 伊東氏は源頼朝の家臣工藤祐経が日向の地頭職を得てその子祐時が伊東氏を称したことに始まる。祐持のとき日向に下って都於郡城を築いたが、その後京都で没し、祐持の子祐重が貞和4年(1348年)に日向に下向、一族の守永祐氏に奪われていた都於郡城を回復して居城とした。
その後、伊東氏代々の居城として続いたが、永正元年(1504年)火災によって焼失し、その後は宮崎城や佐土原城などを居城とすることもあった。伊東義祐は嫡男義益を都於郡城に置いて自身は宮崎城や佐土原城を居城とした。家督を継いだ義益が没すると、その嫡男義賢も都於郡城主となった。
日向一円に勢力を拡げ伊東氏四十八城と呼ばれる勢力を持った伊東氏も、天正5年(1577年)島津氏に敗れ、豊後の大友宗麟を頼って落ちていった。
島津氏の所領となると鎌田政親が城主となり、天正15年(1587年)豊臣秀吉による九州征伐の後は佐土原領となった。

佐土原城:築城年代は定かではないが建武年間(1334年〜1338年)田島氏によって築かれたと云われる。 田島氏は伊東祐時の子祐明が田島庄の代官として居住したため田島氏を名乗ったことに始まる。
伊東義祐は天文21年(1552年)京都金閣寺に模した金柏寺を建立するなどその栄華を誇ったが元亀3年(1572年)木崎原合戦で島津氏に大敗すると天正5年(1577年)一族を率いて豊後国大友氏を頼り落ち延びた。
その後、佐土原城は島津義久の弟家久が城主となったが九州征伐の後に急死した。 家久の子豊久が継いだものの関ヶ原合戦に参戦し義弘の退却戦で殿を勤め戦死、一時天領となった。
慶長8年(1603年)島津以久が三万石で垂水から入封し2代忠興の時、山下に二の丸を移して御殿が建てられた。

高鍋城:築城年代は定かではないが斉衡年間(854年〜857年)財部土持氏によって築かれたと云われる。 財部土持氏は日向一円に広がった土持七頭の一つであったが、長禄元年(1457年)景綱の時、伊東祐尭に小浪川合戦で敗れ滅亡した。
伊東氏は落合民部少輔を城主とし伊東氏48城のうちの一つとなった。
豊臣秀吉による九州統一後は秋月種実の所領となり、慶長9年(1604年)種長の時、串間城から財部城に居城を移した後、明治まで秋月氏の治政が続いた。
慶長12年(1607年)からは城改修を行い、山上に三重櫓が設けられるなど近世城郭へと変貌した。また地名も延宝元年(1673年)三代種信の時、高鍋と改めた。

高城:建武2年(1335年)新納時久によって築かれたと云われる。 新納氏は島津忠宗の四男時久が足利尊氏から新納院を与えられ新納氏を称したことに始まる。新納氏が上京中に富山国長に城を奪われ、後に新納土持氏の所領となったが、長禄元年(1457年)土持景綱が伊東祐尭に敗れると伊東氏の所領となった。伊東氏は野村蔵人佐を城主として伊東氏四十八城の一つに数えられたが、天正5年(157年)伊東氏は島津に敗れて豊後に逃走し、島津氏は山田有信を城主とした。天正6年(1578年)大友宗麟の大軍は松山塁などに布陣して高城を包囲したが、城主山田有信はわずかな兵で島津の援軍がくるまで耐えた。島津義久も軍勢を率いて駆け付け、両軍は高城川で激突し、緒戦は大友軍が押し込んでいたが、次第に島津軍が優勢となり大友軍は敗走、島津の追撃にあい耳川に追い詰められ大敗した。天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐では、羽柴秀長率いる二十万の大軍に攻められた。山田有信はわずかに千五百の兵で籠城して耐えたが、援軍に駆け付けた島津義久の軍勢は白根坂で秀長軍と戦い敗れ撤退、その後島津義久は秀長を経由して秀吉に降伏した。高城が開城したのは義久の降伏であった。

松山塁:天正6年(1578年)佐伯宗天によって築かれたと云われる。
天正6年(1578年)豊後の大友宗麟の軍勢は日向へ侵攻し、高城を攻めるため野久尾陣、松山陣(惣陣)、田間陣、河原陣、松原陣の五箇所に陣を構えた。この松山陣には佐伯宗天が布陣した。この高城合戦で敗れた大友軍は敗走する中でさらに多くの将兵を失い、以降衰退していく。天正15年(1587年)豊臣秀吉による九州征伐では羽柴秀長の軍勢が高城を攻めたときにも活用された。

18:00宮崎空港到達
19:30宮崎空港出発
20:35伊丹空港到達。

今回の旅行、九州宮崎県に足を運び、宮崎に点在する比較的マイナーなお城17箇所を巡りました。

城跡は際立った遺残が少ないところが多いが、今回は櫓有り、石垣有り、石碑ありと城跡を想像できる歴史的建造物が多く確認できました。又位置を見つけるのも容易でした。

宮崎北部の延岡方面以外の城を制覇出来た宮崎県ドライブ城跡巡りでした。
















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百八弾:九州八十八箇所巡り観光第三弾  2015年4月11−12日 

九州八十八箇所巡り第三弾、九州南東部に位置する日本の県。県庁所在地は宮崎市。 県木「フェニックス」に代表される南国情緒豊かな気候から、1960年代には日南地区を中心とした新婚旅行のメッカだった。現在も春季のプロ野球などのキャンプ地として知られる宮崎県の霊場12箇所をめぐりました。

11日14:35伊丹空港出発
15:40宮崎空港到達、レンタカーで日南方面に向かう。

潮満寺:潮満寺は日南市を一望する津ノ峰の麓、油津港が眼下に見える高台にある。「日南地誌」「近世飫肥史稿」によれば、飫肥藩では最も猛烈に廃仏毀釈を実行したと伝えている。潮満寺は長満寺と称し願成就寺第6世重翁法印が1636年に再興し願成就寺の隠居寺とした。碑名に中興法印重翁とあり当初の創建年代は不詳である。明治5年の廃仏毀釈で廃寺となり。明治33年(1900)第27世俊照法印は廃寺再建に奔走、明治41年7月油津に大師堂を建立し大正5年(1916)現在地に移転、本堂・護摩堂を建立した。昭和9年(1934)28世俊範法印は願成就寺の廃寺となった末寺13ヶ寺と建(見)法寺を合わせて現本堂を再建し、寺号を潮満寺と改称して総本山金剛峯寺直末となった。
中本山春日山願成就字は、日南市飫肥に天正年間に藩主伊東祐兵が飫肥城の鬼門の守護と戦勝祈願の意味を込め、僧勢誨を開基として創建し禄高150石を以て遇した。明治5年3月18日付け廃仏毀釈の令が元飫肥藩庁から発令され、他の全ての寺院と共に廃棄された。幸いにも唯一談義所と称された願成就寺の本堂だけが焼失されなかった。願成就寺は28世俊範法印の実弟が継承した。 潮満寺の本尊は波切不動で一願成就を祈願し、厄除け、福徳息災、海上安全、大漁祈願の仏として、また、身代わりの仏として日夜に済度の働きをされている。その霊験に多くの信仰をあつめている。

西明寺:港の入り口に、虚空蔵菩薩を奉る児島山を有する遠洋漁業の基地の港町、目井津。その町の西の山腹に40番札所、西明寺はあります。西明寺のご本尊は不動明王ですが、霊場のご本尊としては、勝軍地蔵菩薩をお奉りしています。このご本尊、廃仏毀釈以前は南郷町内榎原神社に奉られていた仏様で、信仰深い方のおかげで難を逃れ、西明寺にてお奉りすることになった仏様です。西明寺の境内には、JR日南線が通っております。ご参拝の際には、十分気をつけて下さい。先述の虚空蔵菩薩様は、奥の院になっております。100mほどの石段になっております。

17:30宮崎市内に向かう。

長久寺:山号は蓬莱山。本尊は六観音を祀っている。蓬莱山城跡の山麓に位置し、創建年代は未詳だが、室町末期に作られた木造観音像6体と弘法大師像1体が残っている。像の頭部内面や台座に永禄6年(1563年)、奈良宿院仏師源次などの墨書銘がある。
また、天正15年(1588年)在銘のある六地蔵幢、同16年在銘の板碑がある。江戸期の寺歴は未詳だが、慶長6年(1602年)の板碑は残っている。明治4年神仏分離により廃寺となった古城町の今福寺の寺号を称したが、大正14年長久寺と改め現在に至る。

香泉寺:6番貫川寺さまより、車で1時間弱。国道から少し入ったところに香泉寺はあります。近隣にはマンションや商業ビルもあり、宮崎市街の賑わいを感じつつも、決して広くない境内に一歩足を進めると、その喧騒を忘れてしまうような野鳥のさえずりも耳に出来ます。開基については歴史的詳細は明らかではありませんが明治後期に高野山より回教で訪れた龍雲和尚が、近隣のお堂にあったお大師さまを現在地に移遷して香泉寺を建立し、既に大正末には『丸山の高野山』『江平のおだいっさん』として多くの方の信仰を集めていたようです。現在の本堂は昭和55年6月に落成。

18:30宮崎市内のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
12日7:00レンタカーで出発、日向・延岡方面に向かう。

貫川寺:延岡より日向灘を望みながら、国道10号線を南下し宮崎に向かう途中の国道沿いに、第36番貫川寺はございます。 本尊は十一面観世音菩薩。 立像と坐像がございます。 立像は、その昔、九州連山の尾鈴山に祀られておりましたが、昭和の初期に当寺のご本尊としてお迎え致しました仏像であります。 
坐像は、黎明の時代とされる21世紀を迎え、人々の魂の目覚めを念願し、黎明十一面観世音菩薩と名付けて、平成16年に安置致しました左手に金剛鈴を持つ仏像であります。 境内には、三界萬霊の供養処として、水掛六地蔵尊・十一面観世音菩薩・水子地蔵尊、安産と子供の健やかなる成長を願う子育大師像を安置しております。

行真寺:当山は大正十三年に行真和上によって開山されました。現在の本堂は平成10年に完成。先代住職順教和上の設計をもとに現住職が建立。宝塔をイメージした八角形をしています。南東方位を正面とし。朝日が本尊に当るようになっています。一階は空手道部の練習場として使用。二階が本堂となっています。行真寺は尾鈴山脈を背景に日向灘を望む高台に在り、朝夕6時の梵鐘の響きに、朝は日向灘の陽光に鳳凰の舞いを顕現し、夕は何事もなかったかのように地球を愛しく包み憩いと安らぎの世界へと誘います。 思想、宗教、国境を越え宇宙真理に生きる。全ての命は皆一つ、霊性(本性=神性の愛、仏の慈悲)を開発したい。自らの生命の要求に応えたい。等々。今この瞬間に胸のときめきを覚える方は行真寺の門をたたいてみて下さい。

中野寺:はまぐり碁石の里あたりから赤岩川に沿って右岸をさかのぼり寺標を左へ、急な坂を上った所に中野寺はあります。 
山門を入り境内には不動明王・地蔵菩薩・慈母観音などたくさんの仏様をお参りいただけます。
御本尊は阿弥陀如来です。春にはたくさんの桜が参拝者をお迎えしてくれます。 

永願寺:門川町は、延岡市と日向市の間にあり、当、永願寺は日豊海岸国定公園である遠見半島、細島半島、乙島を見下ろす高台にあります。創建は、平安時代にさかのぼり、嘉祥元年(848)に江田城主草野大膳弘利が四海安徳を祈願して、能円了孝和尚によって開山しました。
御本尊「薬師如来像」は奈良時代の高・行基の作とも伝えられています。薬師如来は修行中、人の生存をまっとうし、衣食住の生活を安穏にし、病苦不具などを祓うとしてこの12の大願をたてた、この事から万病を治し、人の寿命を延ばし、医薬を司る仏として信仰されてきましたが、まさに現在も多くの人々に敬拝されています。

龍仙寺:当山は、今から約400年前、大和国より訪れた谷山覚衛門により、修験の道場として開かれました本尊に鎌持ち大黒天(右手に鎌を持つ)、荼吉尼天を安置し、農家の方の篤い信仰を受け、また藩主の祈願所として加持祈祷に専念したものと聞いております。現在でも修験の教えは着々と受け継がれ法螺貝の心地よい音色が、森林に響き渡っております。

光明寺:延岡は旭化成の企業城下町であります。延岡が県と呼ばれていた時代、土持栄綱相模守が、延岡で最初の城となる井上城を築きました。古城町という地名は、この井上城に由来します。養和元年(1181)豊前国宇佐郡から智賢法印を招き、鬼門除けとして光明寺を創建しました。
境内には西国三十三ヶ所の観音像が並ぶ、石仏龕(これは当山南に位置する愛宕山山麓にあった光福寺[明治4年廃寺]にあったもので藩主内藤氏の寄進によるもの)、淡島神社の祠等があります。 本堂内には本尊阿弥陀三尊立像、弘法大師像、九州三十六不動霊場11番札所本尊の不動明王、勝軍地蔵菩薩像、水子地蔵菩薩像などが安置されております。 

12:30都城方面に向かう。

天長寺:天長寺は天文7年(1538年)、都城島津家第8代領主・島津忠相公により島津家の祈願道場として創建されました。現在天長寺があるあたりは、かつて千尺の老松が生い茂り、流水の絶えない場所であったと記録に見え、そのため山号を松林山(しょうりんざん)と号しています。創建以来、都城随一の寺院として隆盛を誇っていましたが、明治元年の廃仏毀釈によって破壊され、堂舎と共に多くの法物を失ってしまいました。
その廃仏毀釈の難をかろうじて逃れた石仏群は、現在都城市の有形文化財に指定されています。静かにたたずむ阿弥陀如来・不動明王・地蔵菩薩や歴代住職の墓石等は、かつての隆盛を伝えると共に、現在も信仰を集める仏様の力強さを見せてくれます。

14:00えびの方面に向かう。

弘泉寺: 当山は、霧島山麓を臨む八幡山の頂上に大正12(1923)年、高野山恵光院近藤本玄師の表敬開山を機に玄融和尚により飯野布教所として興りました。大正15(1926)年に現在地へと移転し、昭和24(1949)年、宗教法人となり、高野山真言宗弘泉寺と改称し現在に到ります。また本尊の大日如来さまは牛の上に座すという非常に珍しいお姿でお祀りされております。
開基・玄融和尚より法灯が脈々と受け継がれ、先祖供養・水子供養など各種追善供養、開運厄除・交通安全など所願成就加持祈祷の寺であります。さらに高野山金剛流御詠歌や真言瞑想法阿字観、御写経も体験できます。

15:30宮崎空港に向かう。

16:30宮崎空港到達。
19:20宮崎空港出発。
20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、九州八十八箇所巡り第三弾、九州南東部に位置する日本の県、宮崎県の霊場12箇所をめぐりました。














飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十九弾:宮崎県沖離島(大島・島野浦島)巡り
2013年10月19−20日
 

九州の宮崎に足を運び、宮崎県沖の離島、目井津港から見えるひょうたん島ような形の島の大島、延岡市の中心部からは北東へ約12km。島の中心には標高約185mの遠見場山があり、山頂に灯台がある島野浦島を訪れました。

19日15:35伊丹空港出発
16:40宮崎空港到達、レンタカーで宮崎駅付近のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
20日6:00レンタカーで出発、日井津方面に向かう。
7:10日井津港到達
7:30日井津港旅客船で出発
7:40大島小浜港到達、散策。

目井津港から見えるひょうたん島ような形の島が大島。昭和50年くらいまでは300人ほど島民がいて、小学校や中学校の分校もあったようだが、今ではほとんどお年寄りばかりになり人口20〜30人になってしまった。島の中ほどにアドベンチャーキャビンがあり、宿泊できる。島には亜熱帯性の植物が繁り、季節にはあちらこちらでハイビスカスの花を見ることができる。奇岩なども多く、ダイビングやキャンプに訪れる人も年々増えている。産業は漁業が中心だが、釣り客や島を散策に来るひとのための民宿もある。

10:20大島小浜港旅客船で出発
10:30日井津港到達、レンタカーで延岡方面に向かう。
13:45浦城港到達
14:55浦城港高速船で出発
15:05島野浦島浦港到達、散策

延岡市の中心部からは北東へ約12km。島の中心には標高約185mの遠見場(とんば)山があり、山頂に灯台がある。島全体が切り立った地形で、岩場が多く磯釣りが楽しめそう。日豊海岸国定公園の一部でリアス式海岸も美しい景観を見せている。 かつては伊予水軍が付近で活躍していた。水産業と水産加工業で活気に満ちた島。

15:30島野浦島島浦港高速艇で出発
15:40浦城港到達、レンタカーで宮崎空港に向かう。
18:00宮崎空港到達
18:50宮崎空港出発
19:55伊丹空港到達。

今回の旅行九州の宮崎県に足を運び、数少ない宮崎県沖の離島、大島、島野浦島を訪れ癒されました。

2つの島とも近距離に位置していましたが波が高く、うねりが強く、渡船がかなり揺れながら走行してなんとかたどりつきました。

大島は家も、住民も少なく、寂しい島でしたが散策する道は整備されハイキングにはもってこいの島ですね。最端の灯台まで散策し、10km楽しく歩くことができました。

一方島野浦島は家も住民も多く、賑わっていました。残念ながら十分な時間を取れなくて島浦港周囲のみの散策でした。

宮崎県沖離島(大島・島野浦島)巡り満喫しました。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十八弾:宮崎県霧島・えびの・小林観光
2012年4月21日ー22日
 

九州南東に位置する宮崎県に足を運び、宮崎と鹿児島県にまたがるエリア、霧島連山のふところに広がるえびの高原や生駒高原のドライブ観光、ゆったり温泉に浸かる霧島温泉郷を訪れました。

21日17:10伊丹空港出発
18:15宮崎空港到達、レンタカーで宮崎駅付近のホテルに向かう。
19:00ホテル到着後市街地を散策し食事を済ませて就寝。

22日7:00レンタカーで出発、綾方面に向う。

綾城の隣りにある、町内の工芸家たちの作品を展示・販売する施設。陶器や木工品、竹細工、染織物などが並ぶ。体験実習館では、陶芸や織物染めなどの教室が開かれている綾・国際クラフトの城を訪れる。

約670年前の綾氏の山城を再現した、木造3層建ての城。1・2階は古文書や甲冑などを展示し、3階天守閣は展望楼になっている綾城を訪れる。

綾川渓谷に架かる高さ142m、全長250mの吊橋で、遊歩橋としては世界規模の高さとされる。近くには綾の照葉樹林に関する資料などを展示した照葉樹林文化館がある綾の照葉大吊橋を訪れる。

えびの方面に向かう。

宮崎と鹿児島の県境に位置する、標高1200mの高原。韓国岳や甑岳を望み、白紫池・六観音御池・不動池・大浪池と4つの火口湖をもつ。春から夏にかけてはミヤマキリシマやノカイドウ、秋はススキの群生や山を染めあげる紅葉、冬は樹氷と、四季折々にみごとな景観を見せる。ハイキングを楽しむなら、周囲約5kmの池めぐり自然研究路を散策。えびのエコミュージアムセンターではえびの高原の情報を提供。パソコンで動植物も検索できるえびの高原を訪れる。

霧島連峰の最高峰で標高1700m。登山口近くに広がるのは賽の河原の荒涼とした風景。ここから山頂へは約1時間30分。登山ルートでは初夏はミヤマキリシマ、秋はススキなどが眺められる。直径900m、深さ300mの火口をもつ山頂からは霧島の峰々や、大浪池、桜島や開聞岳[かいもんだけ]が一望。果ては韓国まで見渡せそうなほど眺望が良いことからこの名が付いたという韓国岳を望む。

霧島山の北東麓の標高550mにある広さ12万平方mの高原で、花の名所として知られる。3月中旬〜4月中旬は約35万本の菜の花、4月中旬〜5月中旬は約15万本のアイスランドポピー、9月下旬〜10月上旬は約100万本のコスモスが見渡す限り高原を埋め尽し、多くの観光客が訪れる生駒高原を訪れる。

都城方面に向かう。

幅40m・高さ18mの大滝と、優雅に流れ落ちる男滝、女滝の3つからなり、「日本の滝百選」の一つにも選ばれている。滝の上流には長さ600m・最大幅80mと世界有数規模の甌穴(水流が川底の石や岩石の破片を回転させてできる穴)群が広がり、国の天然記念物にも指定。雄大な自然がつくり出した、迷路のような甌穴の間をくぐる清らかな流れは一見の価値がある関之尾の滝 甌穴群を訪れる。

人形操り・三味線・語りが一体となり、物語を演じる古浄瑠璃。江戸時代の藩士が人形操作を伝え、今に受け継がれている。3・6・9・11月の第3日曜14時〜の定期公演は定評あり。人形の保存状態がいいのも見どころのひとつの山之口麓文弥節 人形浄瑠璃資料館 人形の館を訪れる。

16:30宮崎空港方面に向かう。
18:00宮崎空港到達
18:50宮崎空港出発
19:55伊丹空港到達

今回で3回目の宮崎旅行、宮崎タウンから西の方面に向かい、鹿児島県境のえびの高原、霧島温泉郷を訪れドライブ観光楽しめました。

大自然のえびの高原からの霧島連山の眺望、圧巻でした。

ほぼ宮崎も制覇し九州は残りは離島のみとなりました。
徐々に制覇していきます。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第九十二弾:宮崎県北部観光
2010年4月3ー4日


今回は九州の南国、宮崎県に足を運び、話題の県庁とご当地グルメの宮崎タウン、日豊海岸に面しながら背後に山河を持つ、海と山両方の魅力が揃い、趣きある歴史のまちの延岡・日向、スピリチュアル度満点の神話の舞台の高千穂・日之影・五ヶ瀬を訪れました。

3日14:20伊丹空港出発
15:35宮崎空港到達、レンタカーで市内観光

115種1400点の動物を飼育する動物園。アフリカ園・アジアゾウ展示場・ラクダ園・類人猿舎などがあり、ヤギなどとふれ合えるこども動物村も設置。キリン・ダチョウ・シマウマを混合飼育しているのが珍しい宮崎市フェニックス自然動物園を見学。

黄泉の国から戻ったイザナギノミコトが、汚れを祓うために禊はらいをしたという池。シーガイアにほど近い市民の森公園の一角にあるみそぎ池を訪れる。

10世紀に編纂された延喜式神名帳に記された、日向四座のひとつでもある由緒ある神社。祭神は、イザナギノミコトとイザナミノミコトの江田神社を訪れる。

緑に囲まれた、宮崎県総合文化公園内にある美術館。ピカソやマグリットなど、世界的芸術家の作品を多数展示している。宮崎出身で日本前衛美術の先駆者、瑛九の作品も必見の宮崎県立美術館を見学。

狭野杉で作られた神明流造の社殿には、神武天皇とその父母を祭る。ここには神武東征以前、都が置かれていたとされる宮崎神宮を訪れる。

市街地や日向灘を見渡す、高台にある公園。高さ37mのシンボル平和の塔のほか、展望台やアスレチック広場、人工草スキー場、自然散策路などが点在している平和台公園を散策する。

太陽の光を浴びて輝く、宮崎らしい明るさに満ちた県政の顔
宮崎県庁を訪れる。

18:00県庁近くのホテル到着後、市街地を散策して食事を済ませてから床に就く。

4日5:30レンタカーで出発、延岡方面に向かう。

江戸から明治期にかけて関西地区との交易港として栄え、今も建物や土壁、石畳などに往時の面影を残す。旧回船問屋の日向市歴史民俗資料館、町家を利用した美々津軒、呉服屋だった美々津まちなみセンターは、内部見学可の日向市美々津重要伝統的建造物群保存地区を散策する。

日向灘に突き出た、柱状節理の断崖絶壁が続く日向岬。なかでも一番のみどころは、馬ケ背展望所から望む断崖絶壁で高さが70mもあり、そこからの迫力ある眺めは圧巻だ。岬の突端にある展望所までは歩いて5分。まさに馬の背のような遊歩道を進むと、そこからは日向岬のリアス式海岸と真っ青な海が広がり360度の展望が見渡せ、地球が丸いことを実感できる馬ケ背を訪れる。

馬ケ背から車で3分の場所にある展望台から見えるのは、巨大な岩礁が十字に切り裂かれた海。地元では昔から「十文字」と呼ばれていた。すぐ横にある岩場と合わせれば「叶」という文字にも見え、願い事をすると叶えられるという伝説があり、「願いが叶うクルスの海」と呼ばれることもあるクルスの海を訪れる。

1603年(慶長8)、初代藩主・高橋元種が築いた延岡城跡を整備した公園。日本三大ヤブツバキ群の一つとして知られる園内は、冬になると鮮やかな色合いの花が咲きほころぶ。重厚な北大手門をくぐると見えてくる高さ22mの苔むした石垣は、一つの礎石を外すとすべての石が崩れ落ちるといわれ、「千人殺しの石垣」と呼ばれている。丘陵頂上部の広場からは日向灘を一望できる延岡城址・城山公園を散策する。

延岡城西ノ丸跡地に立つ歴史資料館。旧延岡藩主内藤家が所蔵していた武具や甲冑、書や絵画など、延岡藩の歴史を伝える貴重な美術・工芸資料をはじめ、延岡市内の古墳や延岡城跡から出土した資料、明治〜昭和初期に使用されていた生活用具や農機具なども展示している内藤記念館を見学。

国指定遺跡の南方古墳群に隣接する、8.7haの植物公園。春は菜の花、秋はコスモスなど、四季折々に楽しめ、市民にも憩いのスポット。木製遊具コーナーや自然林の中を歩く遊歩道、芝生広場、大小の花壇、みかん園などがあり、ファミリーで遊ぶことができる延岡植物園を散策。

高千穂方面に向かう。

日之影川沿いの山間にひっそりと佇む、戸数7戸の静かな集落。今も田を守り、住民の生活の場でもある。記録が残っている中で最も古い石垣は、1854〜59年(嘉永〜安政年間)に築かれたといわれている。日本一を誇る高さ11mの石垣もあり、この景観は「日本の棚田百選」「遊歩百選」にも選ばれている、整然と組まれ、苔むした棚田に先人達の智恵と苦労が偲ばれる石垣の村 戸川地区を訪れる。

祭神は天照大神で、東本宮と西本宮からなる。西本宮側を流れる、岩戸川の対岸の中腹にあるのが天岩戸の天岩戸神社を訪れる。

天岩戸神社西宮の東約500mのところにある岩盤をいう。天照大神が岩戸へ隠れた時に、神々が集い相談したところとされる天安河原を訪れる。

阿蘇山の火山活動で噴出した溶岩を、五ケ瀬川が侵食して作った渓谷。高さ80〜100mもの断崖が、7kmに渡って続いている。一番のみどころは、御橋のすぐ上流にある日本の滝百選の一つ・真名井の滝周辺。17mの高さの岩肌を清流が滝に勢いよく落ちる様子は壮観の高千穂峡を散策する。

玉垂の滝の湧水を利用し、五ケ瀬川水系に生息するヤマメやドンコ、チョウザメから、ブラジル、アフリカ諸国の淡水魚約100種を展示する高千穂淡水魚水族館を見学。

今から約1900余年前、垂仁天皇の御代の創建と伝えられる神社で、高千穂八十八社の総社。鎌倉時代後期の作と伝えられる社宝の鉄造狛犬一対(重要文化財)や、拝殿脇の奥まったところにある本殿の彫刻は必見の高千穂神社を訪れる。

戻って西都方面に向かう。

西都市街の西方にある古墳群(特別史跡)。東西2km、南北4kmに及ぶ台地に311基もの古墳が点在している。なかでも有名なのが、ニニギノミコトの御陵とされる男狭穂塚と、その妻のコノハナサクヤヒメの御陵とされる女狭穂塚。男狭穂塚は墳長175mで後円部の高さ18mの列島最大の帆立貝式古墳。女狭穂塚は墳長180mで後円部の高さ15mで、九州では最大規模。どちらも宮内庁の管轄で立ち入り禁止となっている。鬼の窟は国内で唯一完全な形で残っている横穴式石室古墳で、中に入ることができる。古墳群一帯は公園として整備され、菜の花・桜・ミツバツツジなどの花の名所でもある西都原古墳群を散策する。

西都原古墳群内にある博物館。景観を損なわないように建てられており、館内には子持家形埴輪や船形埴輪の複製をはじめ、宮崎県内から出土した考古資料など約300点が展示されている宮崎県立西都原考古博物館を見学。

木花開耶姫を祭る神社。高天ケ原[たかまがはら]から降りてきた瓊瓊杵命が姫を見初めたことから、縁結びの神として、またこの姫が3つ子を無事出産したことから安産の神としても知られる都萬神社を訪れる。

17:00終了、宮崎空港に向かう。

17:40宮崎空港到達、
19:10宮崎空港出発
20:20伊丹空港到達。

今回の旅行、南国九州の宮崎県に足を運び、宮崎のメインストリート、話題の県庁など宮崎の魅力が凝縮されたホットなエリア、宮崎タウンと大小311基もの古墳群や、神話ロード記紀の道など神秘的な古代ロマンあふれる町、西都。

県北最大の都市、海川山の幸に恵まれている延岡と雄大な太平洋を望む日豊海岸国定公園内にあり、景勝地が多い日向。

天岩戸や高天原などの神話に登場する地名が今も残る神々のふるさとと躍動的かつ神秘的な渓谷美をいろんな角度で楽しめる高千穂をレンタカーでくまなく訪れました。

宮崎県の北部エリア、神話的歴史建造物、雄大で美しい自然の景観、十分楽しむことが出来ました。

尚桜のシーズンで当日は訪れたエリアの桜はほとんどが満開で、同時に桜見物も楽しめました。
特に西都原古墳群公園の桜は本数といい、色鮮やかといい、最高の桜名所でした。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第五十三弾:宮崎日南&都城観光
2009年2月21−22日


今回は南九州の南国宮崎を象徴する温暖なムードのドライブコースが続き、道路沿いにはフェニックスが連なり青島から都井岬まで約100km続く日南海岸、鹿児島市と宮崎市の中間地点にあり、南九州の中核都市として発展、霧の都とも言われる都城に足を運びました。

21日13:00宮崎行きのフェリーが夕刻出発のため大阪市の中ノ島エリアの観光名所を散策する。
JR東西線大阪天満宮駅下車、南方面の中ノ島に向かう。

1891年に大阪市で初めて誕生した都市公園、堂島川と土佐堀川にはさまれた中州を中心に、のんびりできる開放的な公園、中ノ島公園を散策する。
明治時代築の証券会社のビルをリノベーションしたティーサロン、北浜レトロ、和素材を使用したスイーツが好評なレトロな歴史建築、五感北浜本館を訪れる。

中ノ島を西に向かう。
世界的にも有名な東洋陶磁の宝庫、安宅コレクションを住友グループ21社より寄贈され、1982年大阪市が設立した美術館、大阪市立東洋陶磁美術館を見学。

印象的な赤レンガの外観と青銅のドーム、華やかな外観は、西洋文化が流行した大正時代の建築、中ノ島のシンボル的存在の大阪市中央公会堂、100年前開館した、ギリシャ神殿のような雰囲気の図書館、大阪府立中ノ島図書館、大阪市役所の向かいに立つ、東京駅なども手かげた、辰野金吾氏らが設計し、ベルギーの国立銀行をモデルにしたといわれている異国の風を吸い込む宮殿のような佇まい、日本銀行大阪支店、施工当時は大阪で最大規模、企業の力が注がれた銀行建築、三井住友銀行大阪本店ビルを訪れる。

天生年間に堂島常安が蔵屋敷が連なる北浜の路上で米の取引を行い、その後、1697年に堂島に移転、当時、全国の米相場の中心地として、大きく繁栄した跡地、堂島米市場跡を訪れる。

現在美術品を数多く収蔵する完全地下型美術館、国立国際美術館、宇宙やエネルギーをテーマにした科学館、さまざまな科学現象を専門スタッフが実験、解説し、遊びながら科学を学ぶことが出来る大阪市立科学館を訪れる。

南に向かい、オフィス街のオアシスとして親しまれている公園、靱公園を散策する。
知ればもっと楽しくなる、科学の不思議をテーマに、最新の科学技術を展示する大阪科学技術館を見学。

日本料理店、吉兆の創業者、湯木貞一氏のコレクションを収蔵する湯木美術館、明治23年、発明特許品の普及販売を目的として事業をスタートさせた伊藤喜商店が、100年の歴史のなかで、オフィスと事務の近代化に貢献する様々な商品を育ててきた史料館、イトーキ史料館、薬業界の守護神として、また健康祈願の神として神農さんとして親しまれている少彦名神社、道修町は、くすりの町として知られ、現在でも製薬会社が集まる歴史的な町です。そんな道修町の歴史的な資料や少彦名神社の歴史を見ることができる資料館、くすりの道修町資料館を訪れる。

福沢諭吉や大村益次郎など多くの先覚者を輩出した、幕末の蘭学者、緒方洪庵が開いた学塾跡、敵塾、大阪を舞台に活躍した企業家107名の事績をゆかり品々とともに紹介するミュージアム、大阪企業家ミュージアム、を見学する。

1694年、江戸を発った松尾芭蕉は京や伊賀上野を経て、大坂に入ったが、体調を崩し、容態が悪化し南御堂の門前にあったといわれる花屋仁左衛門宅に病床を移し、51歳の生涯を閉じた。今は御堂筋の緑地帯にその終焉地として碑が残されて、近くの南御堂境内には病床で詠んだ枯野の句碑がある芭蕉終焉地、五柱の御祭神を総称して坐摩神といい、昔から住居守護の神、旅行安全の神、安産の神として信仰される神社、坐摩神社を訪れる。

17:30地下鉄中央線、ニュートラム経由してフェリーターミナル下車
19:10大阪南港からフェリーで出発
22日8:30宮崎港到達、シャトルバスで宮崎駅に向かう。
9:00レンタカーで観光地巡り、天候曇りのち雨。青島、日南海岸方面に向かう。

WBCの練習場所で有名な宮崎県総合運動公園のサンマリンスタジアムを通過して、川や海を生かしてユニークな地形、広大な敷地でゆっくり楽しめる青島リゾートこどものくにによってから周囲1,5km、国の天然記念物である亜熱帯植物群落覆う島で、巾着島までの約8kmの海岸線には1500−3000万年前に海中で侵食された水成岩が隆起し波に洗われ出来た鬼の洗濯板が広がる青島を散策する。

標高60mの高さから太平洋を望む日南海岸屈指のビューポイント、堀切峠を訪れる。

世界で唯一、イースター島から許可された完全復刻のモアイ像が大迫力のサンメッセ日南、断崖の洞窟に社殿がある伝説に彩られた神秘の神社、鵜戸神宮を訪れる。

複雑に入り組んだリアス式海岸が印象的で美しい油津周辺を訪れ、情緒あふれる町並みが残り、飫肥杉を運ぶ町を潤した運河、堀川運河、大正時代の面影をそのままに港町の歴史を知る貴重な建物、油津赤レンガ館を見学。

飫肥方面に向かい九州の小京都と呼ばれる飫肥藩伊藤家五万一千石の城下町、飫肥城跡、大手門、松尾の丸、豫章館を散策する。

南端の都井岬方面に向かう。
日南海岸を代表するほどの景観の美しさを誇る猪崎鼻の中にある公園、猪崎鼻公園内の展望台からの七つ八重と呼ばれる奇岩や島々の眺望はすばらしい。
眺望の良さが特徴的な日南海岸の中でも透き通った海が魅力の栄松ビーチを散策する。

御崎馬と呼ばれる野生馬が現在、約120頭生息して天然記念物に指定されている都井岬を訪れ、都井岬の自然や、御崎馬のことを紹介する都井岬ビジターセンターうまの館を見学。

串間市方面に向かい、有形文化財として登録され高度な建築技術が見られ、串間市に関する歴史資料も展示する旧吉松家住宅を見学。

北の都城方面に向かう。
都城島津家第2代の北郷久義の城郭跡地にある資料館で、都城島津家の古文書などを展示する都城歴史資料館を見学。
5つの鑑賞池や、万葉集に詠まれた草花148種類を集めた万葉植物園がある早水公園を散策する。
17:00宮崎自動車道経由して
18:00宮崎空港到達。
19:15宮崎空港出発
20:45伊丹空港到達。

今回の旅行、21日(土)午前中は仕事、昼から宮崎行きのフェリーが夕刻のため時間が有り、大阪の中ノ島エリア、淀川の支流の大川、天満のあたりで堂島川と土佐堀川に分岐しその中州にある中ノ島、大阪市役所をはじめ、大阪のビジネス、行政の中枢がこの中ノ島を中心に東西南北へと広がり、この周辺は、江戸時代に栄えた商いの精神を生んだ街、学問の街、そして繊維産業の街と知られ、そのなかで育まれてきた大阪の歴史、文化、芸術を感じることが出来る多くの施設を散策して巡りました。

21日の夕刻からフェリーで遠方九州の宮崎に足を運び、22日朝から車でドライブ観光、南国宮崎を象徴する道路沿いはフェニックスが連なり、温暖なムードのドライブコースが続く日南海岸を南下し天然記念物の御崎馬と出会える都井岬まで訪れ、途中静かな山間にある九州の小京都に浸る飫肥の城下町散策し、帰路は志布志から鹿児島と宮崎市の中間地点にあり、南九州の中核都市として発展した霧の都とも言われる都城を訪れ宮崎南部をほぼ制覇しました。

自然遺産有り、歴史遺産有り、道路も整備され、観光もしやすい南国宮崎、今、旬な宮崎観光堪能しました。

次回は宮崎タウンから北方面の日向、延岡、高千穂方面を考えています。