宮城

飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百七十二弾:宮城県お城・城下町巡り観光第二弾
2016年9月10−11日

東北の宮城県に足を運び、南北時代、奥州探題の?斯波氏が勢力を拡大し、南朝方の葛西氏と戦国の世まで対立した。のちに伊達氏が巨大勢力を作り上げ、同地では、土塁や空堀を備えた拠点を館とよぶのが特徴的な宮城県に点在する比較的マイナーなお城8か所を訪れました。第二弾。

10日16:10伊丹空港出発
17:25仙台空港到達、レンタカーで石巻方面に向かう。
18:30石巻市内のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
11日7:30レンタカーで出発、反時計回りでお城めぐり。

七尾城:文治五年(一一八九)源頼朝による奥州合戦に従軍して大功をたて奥州総奉行に任じられた葛西清重が、北上川防衛のために、ここに城を築いたと伝えられる。
 後、桃生郡主であった山内首藤氏の居城となるが、その時期については明らかではない。主城のほかに、西北に各三つずつ出城があり、あわせて七つの城なので七尾城と称したと言う。
 永正年間(一五一〇年頃)城主であった首藤貞道が、この城に篭って石巻城の葛西宗清と戦った。当時の七尾城は三方を水に囲まれた難攻不落の城で、葛西氏が総力を挙げて攻撃しても陥落せず、最後は兵糧攻めによってついに落城したと言う。
 その後、葛西氏の一族が居住したが、天正十八年(一五九〇)葛西氏が豊臣秀吉に滅ぼされ、以来この城は廃城となった。
 本丸・二の丸・三の丸・空濠・門跡等、当時の遺構が現存している。

寺池城:宮城県登米市(旧登米町)にあった戦国時代の平山城(ひらやまじろ)で、江戸時代には仙台藩21要害の一つとされた。北上川西岸の丘陵の南端部に城跡が残っている。築城年代は不明だが、源頼朝の奥州藤原氏討伐に従軍し、奥州総奉行に任じられた葛西氏により建設された城である。1590年(天正18)の豊臣秀吉の奥州仕置により葛西氏が改易・断絶すると、寺池城は秀吉家臣の木村吉清・清久父子の属城の一つとなったが、翌年の葛西大崎一揆で、一揆勢に攻められ佐沼城(同市迫町)とともに落城。伊達氏の米沢からの国替えに伴い、伊達氏の城となった。この城を重視した伊達政宗(だてまさむね)は1604年(慶長9)、家臣の白石宗直を1万5000石で配し、元和の一国一城令以降も登米要害として存続し、引き続き白石氏が代々城主を務めて明治維新に至った。なお、白石氏は1982年(天和2)に藩主から伊達姓を下賜され、以後の白石氏は登米伊達氏と呼ばれるようになった。城跡は現在、本丸跡は畑、二の丸が裁判所敷地、三の丸が寺池公園(城址公園)になっている。曲輪(くるわ)、土塁、空堀、壇、井戸跡が残り、碑や復元絵図が設けられている。なお、寺池公園内には城の歴史資料が展示されている資料館、樹齢300年以上の赤松の巨木(市指定天然記念物)がある。同城は明治維新後は廃城となり、遺構はほとんど残っていないが、市内の熊谷家に寺池城裏門を移築したとされる門がある。また、城周辺は、城下町の佇まいを伝える街並みが残っている

佐沼城:築城年代は定かではない。一説に文治年間(1185年〜1190年)に藤原秀衡の家臣照井太郎高直によって築かれたと云われる。
南北朝時代には葛西氏の持城であったが、文明年間(1469年〜1487年)頃には佐沼直信が城主であった。天文年間(1532年〜1555年)頃には大崎氏の家臣石川直村が城主となり、石川義誠・石川義広・石川彦九郎と四代にわたって城主となった。
天正18年(1590年)小田原合戦で葛西氏と大崎氏はともに小田原に参陣せず、秀吉の奥州仕置きにより改易となった。旧大崎・葛西領は秀吉の家臣木村吉清に与えられ寺池城を居城としたが、翌天正19年(1591年)旧大崎・葛西家臣を中心とした大崎葛西一揆が蜂起すると、木村吉清・清久父子は寺池城を追われ佐沼城へ逃れた。秀吉の要請により駆けつけた伊達政宗と蒲生氏郷の軍勢により一揆は退散、佐沼城へ押し込められていた木村父子も助かったが、一揆蜂起の責任を取らされ改易となり、蒲生氏郷の客将となった。

一揆の後、旧大崎・葛西領は伊達政宗に与えられ、佐沼城には出羽国大橋城主で重臣の(湯目)津田景康が置かれた。江戸時代に入ると佐沼要害となり、代々津田氏が城主となっていたが、宝暦6年(1756年)津田丹波守定康のとき、故あって改易となり、高清水要害より亘理伯耆守倫篤が佐沼へ移り、以後代々続いて明治に至る。

岩ケ崎城:築城年代は定かではないが南北朝時代に富沢日向守道祐によって築かれたと云われる。 富沢氏は葛西氏の傍系で、正平6年(1351年)岩切城合戦での功によって三迫富沢郷を賜り、鶴丸館を築いて富沢道祐と称した。
富沢氏は道祐を祖として明岩、直家、直綱、直景と五代続いたが、直景は天正18年(1590年)葛西大崎一揆で佐沼城での戦いに加わり、一揆方として戦い討死、富沢氏は滅亡した。
江戸時代になると仙台藩伊達領となり伊達政宗の五男宗綱が三万石を領して岩ヶ崎要害を居城とした。元和4年(1618年)宗綱が嗣子なく没したため、政宗の六男宗信が岩ヶ崎伊達家を継いだが、寛永4年(1627年)宗信も嗣子なく没した。
岩ヶ崎伊達家断絶後は石母田氏、田村氏、古内氏、茂庭氏と続き、元禄7年(1694年)に藤沢から中村氏が入部して以後明治に至る。

岩手山城:築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に氏家弾正によって築かれたと云われる。奥州探題斯波家兼に監司として下向した氏家詮継ははじめ杉の沢館を築いて居城とし、後に岩出山城を築いて移ったとされる。
氏家氏は大崎氏の重臣であったが、天文5年(1536年)には大崎義直に反乱を起こした新田頼遠を助けて岩出山城に籠もり、大崎氏とその援軍としてきた伊達稙宗と戦った。大崎氏と伊達氏は丸山に陣を構えて岩出山城を攻略しようとしたが落城されることができず、和睦となった。
天正14年(1586年)岩出山城主氏家弾正吉継は大崎義隆の寵童であった新井田刑部と対立し、伊達政宗に援軍を要請した。政宗は留守政景を大将として大崎義隆を攻めたが、最上義光が大崎氏に味方して援軍を出し、黒川晴氏の離反などもあって伊達軍は敗退した。
天正18年(1590年)奥州仕置によって大崎氏が改易となると氏家氏も滅び、木村父子の所領となったが、葛西・大崎一揆が起こり、鎮圧後は伊達政宗の所領となった。
天正19年(1591年)伊達政宗は出羽国米沢より転封となり、奥州仕置で下向していた徳川家康が榊原康政に命じて縄張した岩出沢城に入り岩出山城と改名して居城としたが、慶長8年(1603年)仙台城を築いて居城を移し、四男伊達宗泰に一万五千石を与えて岩出山城主とした。岩出山伊達氏は岩出山要害を居城として代々続き明治に至る。

宮崎城:宮城県加美郡加美町(旧宮崎町)にあった戦国時代の城。鳥川と田川の合流点近くの断崖の上に築かれていた。築城は正平年間(1346〜70年)といわれる。戦国時代末期には大崎氏の属城で、家臣の笠原民部の居城となっていた。1590年(天正18)、豊臣秀吉による奥州仕置で大崎氏は滅亡。その後、葛西・大崎両家の旧臣らが蜂起した葛西大崎一揆では、この城は一揆側の最後の拠点となったが、翌1591年(天正19)に、伊達政宗(だてまさむね)の攻撃を受けて落城した。その後、国替えにより旧葛西・大崎領を領地とした伊達家の属城となり、同家の家臣の石母田(いしもだ)氏や古内氏が居城とした。城跡は現在、加美町役場宮崎支所や宮崎小学校の敷地となっているが、城の遺構はあまり残っていない。熊野神社近くに、城跡を示す標柱が立っている。また、近くを流れる土手川(美代川用水路)は、宮崎城の外堀として開削されたものである。

名生城:築城年代は定かではないが南北朝時代に斯波家兼によって築かれたと云われる。 足利氏の流れを汲む斯波高経の弟斯波家兼は奥州探題に任ぜられ下向した。この家兼が大崎氏の祖となり、家兼の二男兼頼が出羽国山形に入部して最上の祖となった。
大崎氏の居城は不明な点が多いが、家兼が当初居城としたのが中新田城、二代直持は師山城、十二代義直と十三代義隆が中新田城に居城し、義隆は後に名生城へ移っている。
大崎氏は奥州探題として広大な勢力を持ったが、度重なる内紛によって没落し、天文年間(1532年〜1555年)頃には実質上伊達氏によって支配されるまでになった。天正16年(1588年)大崎氏の内紛を鎮圧するために伊達政宗が出兵した時 、大崎義隆は最上義光に援軍を要請してこれを追い払うなど、伊達氏からの脱却を目論んだが達成することはできず、天正18年(1590年)小田原城攻めに参陣しなかったため、所領を没収され改易となった。

涌谷城:築城年代は定かではない。中世には大崎氏の一族で百々氏の分流である涌谷氏の居城であったと云われる。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐に参陣しなかったことから、大崎氏は改易となり、葛西大崎一揆の後は伊達政宗の所領となった。政宗は天正19年(1591年)亘理城主亘理重宗に遠田郡への転封を命じ、重宗は最初百々城を居城としたが翌年涌谷城へ移り、家臣の長谷景重を百々城に置いた。
江戸時代に入ってからも涌谷要害として維持され、慶長9年(1604年)亘理重宗が隠居して高清水要害に隠居領一千石をもって移ると、嫡男定宗が家督を継いだ。慶長11年(1606年)伊達政宗の庶子宗根が亘理重宗の娘を娶り、あわせて亘理家の名跡を継ぐこととなったため、定宗には伊達姓が与えられ、これによって涌谷伊達家が興った。以後、涌谷伊達家が代々続いて明治に至る。

17:30仙台空港到達。
18:50仙台空港出発。
20:10伊丹空港到達。

今回の旅行、東北の宮城県に足を運び、宮城県のお城めぐり第二弾、比較的マイナーなお城8か所を訪れました。
平城が多く、山城も比較的標高の高くないところに位置しているものが多く、又跡地が城址公園、公共の施設などで見つけるのが容易、スムーズに訪れることができました。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百六十八弾:宮城県お城・城下町巡り観光
2016年7月30−31日
 

東北の宮城県に足を運び、南北時代、奥州探題の?斯波氏が勢力を拡大し、南朝方の葛西氏と戦国の世まで対立した。のちに伊達氏が巨大勢力を作り上げ、同地では、土塁や空堀を備えた拠点を館とよぶのが特徴的な宮城県に点在する比較的マイナーなお城7か所を訪れました。

30日16:10伊丹空港出発
17:25仙台空港到達、レンタカーで仙台市内に向かう。
18:30仙台市内のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。
31日7:30レンタカーで出発、お城めぐり。

岩切城:築城年代は定かではないが南北朝時代に留守氏によって築かれたと云われる。

正平6年・観応2年(1351年)足利尊氏と直義の対立による観応の擾乱が東北にも波及し、奥州管領の吉良貞家と畠山国氏が対立した。尊氏方についた畠山氏・宮城氏・留守氏は岩切城に籠城し、これを直義方の吉良氏・和賀氏・結城氏が攻め落とし、畠山国氏ら百余名が討死あるいは切腹した。

この戦いで勢力を失った留守氏は、その後大崎氏に従って勢力の回復を計り、戦国時代に伊達氏の勢力が拡がると、大崎氏と伊達氏の狭間で留守氏の内部も分裂していく。永禄10年(1567年)には留守顕宗が伊達晴宗の三男政景を養子に迎える。

元亀年間(1570年〜1573年)留守政景は利府城に居城を移し、岩切城は廃城となった。


若林城:寛永4年(1627年)伊達政宗によって築かれたが、それ以前には国分氏の城があったと云われる。

伊達政宗が隠居城として幕府に願い出て許可されたのが若林城で、寛永4年(1627年)に築城を開始して翌寛永5年に政宗が入城した。寛永13年(1636年)政宗が江戸の屋敷で没すると、若林城は一重の堀を残して廃城となった。


川崎城:築城年代は定かではないが慶長13年(1608年)頃に砂金右兵衛実常によって築かれたと云われる。伊達氏の家臣であった砂金氏が前川本城から川崎城を築いて移ってきた。

一国一城令のなか、川崎要害として存続し砂金氏が住んでいたが、元禄15年(1702年)砂金重常が嗣子なく没して砂金氏は断絶、その後は一時宮床の伊達氏が居たが、伊達村詮が川崎要害を与えられ、川崎伊達氏となり以後代々続いて明治に至る。


船岡城:築城年代は定かではない。正治2年(1200年)芝田次郎は鎌倉幕府からの召し出しに応ぜず、参上しなかったことから、幕府の命を受けた宮城四郎家業によって芝田館を攻撃され、滅亡したという。

天文年間(1532年〜1555年)には伊達稙宗の家臣四保但馬守定朝が居た。定朝の子宗義のときに四保氏から柴田に改称し、文禄2年(1593年)志田郡桑折へ転封となった。柴田氏は慶長8年(1603年)に伊具郡金津、慶長12年(1607年)に胆沢郡水沢、元和2年(1616年)に登米郡米谷と転封したが、天和元年(1681年)の伊達騒動の後、柴田宗意のときに再び舟岡要害へ戻ってきた。

慶長年間(1596年〜1615年)には伊達氏の重臣屋代勘解由景頼が二の丸に住んでいた。元和元年(1615年)原田宗資が桃生郡大瓜から転封となるが、その子宗輔のとき伊達騒動によって原田家は断絶、柴田宗意が舟岡要害に復帰して以降明治まで続く。


角田城:築城年代は定かではないが永禄年間(1558年〜1570年)に田手宗光によって築かれたと云われる。田手氏は伊達崎城主の伊達氏一族で伊達朝宗の六男実綱を祖とする。はじめ伊達崎氏を称し、後に田手氏となり江戸時代は伊達一門となっている。

永禄9年(1566年)隣接する丸森・金山・小斎一帯が相馬氏に侵略されると、田手宗光は伊達氏を離反して相馬氏に従った。天正4年(1576年)以降、伊達氏と相馬氏の争いは激しくなり、天正12年(1584年)に伊達氏が再び支配するようになると、宗光の子で父に従わず伊達氏に従っていた田手宗時が角田城主となった。
田手宗時が討死した後には伊達成実が城主となったが、文禄4年(1595年)成実は突如伊達家を出奔し、角田城は政宗の命を受けた屋代勘解由兵衛景頼によって接収され、これに抵抗した成実の家臣羽田右馬助実景ら三十余名が討死した。

その後しばらく城主が不在となっていたが、慶長3年(1598年)石川昭光が角田城主となり、一国一城令の後も角田要害として石川氏の居城として代々続き明治に至る。

金山城:築城年代は定かではないが永禄年間(1558年〜1570年)頃に相馬氏の家臣井戸川将監によって築かれたと云われる。
丸森・金山・小斎一帯は相馬氏と伊達氏による争いが行われ、永禄9年(1566年)相馬氏がこの辺り一帯を支配し、家臣井戸川将監が金山城を築いて籠もった。

天正年間(1573年〜1592年)に入って伊達氏と相馬氏によって争われたが、天正12年(1584年)に金山城は伊達氏の支配する所となった。この戦いに戦功のあった保原城主中島宗求が、金山・大内・伊手に二千石を与えられ金山城主となった。中島氏は伊達氏家臣として江戸時代を通じてこの地を支配し、一国一城令の後も金山要害として維持された。

亘理城:築城年代は定かではない。天正年間(1573年〜1592年)頃には亘理氏が小堤城より移り居城していたと考えられている。

亘理氏は天正19年(1591年)に遠田郡へ転封となり、始め百々城に入ったが、すぐに涌谷城へ移っている。替わって片倉小十郎景綱が城主となった。関ヶ原合戦の後、慶長7年(1602年)に景綱は白石城へと移り、替わって伊達成実が亘理城主となった。

一国一城令の後も亘理要害として成実を祖とする亘理伊達家が在城し、代々続いて明治に至る。

19:05仙台空港出発
20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、東北の宮城県に足を運び、仙台から南方に点在する比較的マイナーなお城、7か所を訪れ楽しみました。
マイナーなお城を探し見つけるのは苦労を要することが多いが、今回の仙台から南に点在するお城はマイナーなお城にもかかわらず整備され案内板がしっかりして見つけるのが容易でした。そのため時間があまり仙台空港のラウンジ2か所で休憩し、時間をつぶしました。














飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百二十七弾:宮城県東北三十六不動霊場&奥州三十三観音観光第二弾
2015年9月12−13日

松島、蔵王のお釜、笹かまぼこ、牛タンで有名な宮城県に足を運び東北三十六不動霊場3箇所、奥州三十三観音11箇所をめぐりました。

12日14:45伊丹空港出発
16:00仙台空港到達、タクシーで仙台市内に向かう。
16:35勝山館到達、講演会に出席する。
19:00懇親会
20:30仙台モントレイホテルに向かう。
20:45モントレイホテル到着就寝。
13日8:00レンタカーで霊場巡り、栗原方面に向かう。

清水寺:

勝大寺:

一関方面に向かう。

達谷西光寺:大同二年(807年)円珍の開山という。八世紀のはじめ頃から朝廷の政策として進められてきた東北開拓が、蝦夷の抵抗のため渉らない状態だったので、何度かの東征が行われてきた。八世紀末には、この達谷窟に拠った悪路王らの勢力が強大となり、国府などの力ではおさえることができないので、桓武天皇は、坂上田村麻呂公を征夷大将軍にして延暦二十年(801年)遂にこれを征服することができた。将軍は蝦夷平定は多聞天の御加護によるものと、窟の前に九間四面の精舎を建立し、鞍馬寺にならって一〇八躰の多聞天を安置した。毘沙門堂と名付け鎮国の社寺として今日に至っている。

観福寺:大同年間(806〜10)に坂上田村麻呂が一宇を建立し観音像を奉安した。その後、慈覚大師が東祥寺を開創(850)し、幾多の変遷の後1638年現在の地に移った。藤原三代の帰依も深く当時は隆盛を極めた。

円通寺観音寺:

新山観音寺:

徳寿院:観音堂は元禄時代のもので、本尊は地元の小野寺氏の守り本尊であったと云う。明治以降に徳寿院に移された。徳寿院は長禄3年(1459)に再興開山した歴史がある。

大祥寺:開創当事は天台宗の寺だったが、正平9年(1354)月泉良印が再興開山し曹洞宗に属した。月泉良印は気仙沼の出身で黒石正法寺の住持を務めた。

六角堂:観音堂(六角堂)は聖武天皇(726)の頃からで、慈覚大師が金提寺を開創し、その後月泉良印が再興し道慶寺とした。文化5年(1808)皆川家(納経所)の土地に観音堂を建立し現在に至っている。道慶寺(曹洞宗)は観音堂とは少し離れている。

登米方面に向かう。

大慈寺:曹洞宗。藤原秀衛開基で、天台宗・諏訪森大慈寺と称されたが、荒廃したのを永享元年(1429)に中山良用和尚の開基で法輪山大慈寺となった。

華足寺:真言宗。馬頭観音は日本最古・最大のものであり、多くの競馬関係者が参詣に来るらしい。開創は大同2年(807)、坂上田村麻呂がえみしの7大将を討ち、その供養のために建立した7観音の一つとされている。田村麻呂が乗ってきた馬がこの地で倒れ埋めたところ、翌日金色の光が発していて、村人が掘り起こすと馬頭観音の姿になっていたと伝えられている。

気仙沼方面に向かう。

観音寺:往古、この地方は蝦夷と呼ばれた民の勢力範囲であった。和銅年間(709年)藤原宇合が特命大将軍につき蝦夷勢を鎮圧し、その首塚を南流山に建立したのが始まりという。のち天平十五年(742年)行基菩薩が巡錫して自ら観音像を彫刻した。更に喜祥三年(850年)慈覚大師が堂舎を建立して海岸山観音寺と称した。その後、平泉に幽棲していた義経が皆鶴姫を憐み、菩提を弔う為に先の南流山に観音堂を興したが、これを合併して瑞国海岸山観音寺と改称して現在に至る。

補陀寺:寛平2年(890)天台宗柏華山補陀落寺と称し赤坂小沢田に開山された。平泉藤原氏の滅亡とともに衰退したが、文亀元年(1501)細浦藩主熊谷直元公が虚窓良巴禅師を招き細浦に曹洞宗補陀寺として開創した。天文3年(1534)に宝鏡寺周庵和尚が現地に移し中興開山した。

陸前高田方面に向かう。

金剛寺:三陸海岸の南部に位置した陸前高田は、広田湾に面して拓けた漁業の町で、中央部を気仙川が流れます。県下でも比較的温暖なところで湾には白砂の海岸と松林が広がる名勝・高田松原があります。
 如意山金剛寺は、仁和年中、大江千里が当地に下向となり、宥鑁法印(開山第1世)が帰洛を祈願したところ、仁和4年(888年)恩赦を得て帰れたことに感謝して建てられた寺院です。伊達政宗、二代忠宗の地方巡視の際には当時が宿所にあてられ、近郷の末寺30余の本寺として、徳川時代からは常法談林・法談の中心的役割となりました。また、現代でも加行・練行など、真言行者の修行道場としての役割をはたしています。境内右側、山頂に建立された不動堂には、延宝年間(1673年)千葉県の成田山から勧請された不動明王・両童子が祭られています。初詣(元旦)と縁日(8月28日)、納札お焚きあげ(12月26日)には多くの信者の参詣があります。

14:00仙台空港に向かう。

17:00仙台空港到達。
19:00仙台空港出発。
20:15伊丹空港到達。

今回の旅行、仙台の講演会に出席し翌日宮城県の東北三十六不動霊場3箇所、奥州三十三観音11箇所をめぐり楽しみました。
前日大雨で河川の氾濫等で仙台の訪れ心配していましたが、雨の影響はごく一部のエリアだけで問題なくまわることができました。
招待で飛行機はビジネス、ホテルは高級ホテルモントレイ、食事は寿司にヘレ肉、豪華な旅行、満喫しました。
これからも遠方での講演会には積極的に出席し翌日の観光旅行をも楽しみたいと思います。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百十六弾:宮城県東北三十六不動尊霊場&奥州三十三観音巡礼
2015年6月13−14日

東北地方の中心地宮城県に足を運び、山形・秋田・青森・岩手・宮城・福島の東北6県をそれぞれ六波羅蜜の道場に見立て、各県で6つの札所を巡る東北三十六不動尊霊場5箇所、福島・宮城・岩手・の三県にまたがる、西国にならい、由緒や伽藍の規模なども他に誇りを得る寺院が多く、奥州の歴史文化を知る上でも貴重な文化財である奥州三十三箇所観音12箇所を巡りました。

13日15:10伊丹空港出発
16:25仙台空港到達、レンタカーで角田方面に向かう。

愛敬院:愛敬院は聖護院門跡を本山とする修験・山伏の寺院で、阿武隈渓谷自然公園内に境内があり、四季折々の景観を楽しませてくれる憩いの場となっております。
 駒場瀧不動尊の歴史は古く今を去る壱千百年の昔、天台座主の慈覚大師が奥州ご巡錫のみぎり奥州鎮護霊山寺の鬼門の守りとして浄地を選らび、世の平安と人々の幸福を念じて激流岩をかこむここ駒場が滝において、自ら不動尊像を刻み、滝上の岩窟に祀られました。爾来、遠近の参詣者が絶たず、特に行者や山伏の修行の道場とし栄えました。
 また、源平時代、平泉の藤原氏を留まっていた源義経主従が参詣の折、主君の武運を祈って、弁慶が騎馬のまま滝を跳び越え、岩上のくぼみが蹄跡と伝えられている。
 当山では修験の寺院としてお不動さまのご縁日(28日)に修験独自の護摩祈祷、また一般の方を対象にした霊山峰入り修行等を行っています。

斗蔵寺:

19:00仙台市内に向かう。
19:40仙台市内のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。

14日6:45レンタカーで出発、仙台市内の霊場巡る。

名取千手観音堂:増田字柳田 佐藤 功様方に奥州三十三観音霊場 第五番札所に数えられる観音堂があり
寄木造り千手観世音菩薩立像が安置されています。


金剛寺観音堂:

紹楽寺:

秀麓斎:秀麓齋の寺号「齋」というのは全国でも珍しく、日本三齋の一つといわれ、開創は延暦十七年(798年)征夷大将軍 坂上田村麻呂が奥州に蝦夷平定の軍を進めるにあたり戦勝と天下泰平を祈願するため、信仰する西国清水寺の観世音をこの地に勧請したことに始まる。
大同二年(807年)比叡山伝教大師の法子 義 法師を開祖とし、天台宗に属し、大阪、四天王寺の末寺となった。十二世紀奥州平泉の藤原氏隆昌の頃には、その庇護をうけ末寺数十ヵ寺を有し最も栄えたが、藤原氏滅亡後は天台宗自体が衰退していった。
室町期文明年間(1469〜1486)大本山總持寺直末、越後国岩般郡村上の霊樹山耕雲寺四世 瑚海仲珊大和尚を勧請開祖とし天台宗を曹洞宗に改宗した。

西光寺:仙台秋保は温泉で名高く、日本三名瀑の一つに挙げられる秋保大滝がある。霊験あらたかな大滝不動尊はここに坐す。
 縁起は、平安期に慈覚大師が開基された。はじめ秋保温泉の南にある磊々峡を望む長嶺山に一宇を建立しようとしたが果たせず、二口峠を越えて出羽に向かわれ、貞観二年(860年)山寺を創建されたが、その帰路ここに留錫し、大滝の壮観と森厳の気を感得されてた。依って自ら不動明王を刻んで安置されたのが起因であると伝えている。

松島方面に向かう。

五大堂:瑞巌寺は、もと青龍山延福寺と称し天長五年(828年)慈覚大師が開山した天台宗寺院であった。鎌倉期にいたって入宋の法心性西を開山の祖として円福寺という臨済宗の禅林に改められ、戦国末期九十三世実堂の代から妙心寺派となった。
 仙台藩主伊達政宗公のとき師父と仰ぐ虎哉宗乙禅師のすすめで、現在の堂宇を造営し、慶長十四年(1609年)に完成した。次で政宗の遺志をついだ二代忠宗は雲居禅師を招いて中興の祖とした。現存する諸堂は桃山時代を代表する貴重な建造物になっている。
 五大堂は境外に在り、透し橋を架けた島に端正な御堂を映す。縁起は、大同二年に坂上田村麻呂が毘沙門堂を建て、のち慈覚大師がこの地に五大明王を安置して延福寺の守護を願われ、慶長九年に伊達政宗が再建した。

三聖堂:

石巻方面に向かう。

梅渓寺:

箟峯寺:箟峯寺は箟岳観音とよばれ箟岳山の山頂にあり、松島の富山・石巻の牧山と並んで奥州三観音の一つ・奥州三十三観音第九番札所に数えられています。
 宝亀元年(770)、鎮守府将軍大伴駿河麻呂の草創と伝えられ坂上田村麻呂がこの地に堂宇を創建したといわれています。古くは霧岳山正福寺と称していましたが、嘉祥2年(849)に円仁が中興、無夷山箟峯寺と改め、以後天台宗に属するようになりました。殺生禁断・女人禁制の聖地、また奥州鎮護の祈願所として南北朝時代には葛西・大崎の両氏、江戸時代には仙台伊達藩の崇敬を受けていました。往時は21坊をもつ大寺でしたが時代の推移、また二度の火災により衰えていましたが、二代藩主伊達忠宗によって再興されました。

古川方面に向かう。

松景院:
神寺松景院は、天正19年(1591)実恵法印によって涌谷伊達家の祈祷寺として開山された真言宗の寺院です。開山以来、神仏混合の修験道を修し、御本尊は不動明王(不動尊:お不動さん)、秘仏として大聖歓喜天(お聖天さん)を奉安しております。開山当時は、田尻川と美女川とにはさまれた風光明媚な地に、梅の古木がまじった松林が生い茂っておりました。加えて川端の芽を竹に見立て、「松竹梅茂る目出たき処、ここに厄除開運の寺を建てん」との願いにより、寺の名前を『梅光山松景院』として開山されたと伝えられています。以後、災厄消除・福徳開運を祈る参詣者が絶えず、今に至っております。

登米方面に向かう。

興福寺:南方町の大嶽山には「大嶽の観音さん」と呼ばれ親しまれている「奥州三十三観音大嶽山(おおだけさん)興福寺(こうふくじ)」があります。
度重なる焼失で古い記録もなく由緒は不明ですが、一説では平安時代に一帯を支配していた豪族・大武丸(おおだけまる)を807年に征夷大将軍・坂上田村麻呂が討伐。その亡きがらを葬った塚の上に観音堂を建てたのが始まりと伝えられています。
観音堂の内陣には、伊達家の紋章である「竹に雀」が施され、奥には33年に一度だけ開帳される「本尊・秘仏十一面観音菩薩」がまつられています。また、観音堂外側の板壁には、中国の「二十四孝物語」の彫り物が色鮮やかに刻まれ、休日には多くの観光客が訪れます。
そのほか、観音堂の周囲には、薬師堂、白山堂、鐘楼、六角堂などがあり、それぞれ歴史を感じさせています。

長谷寺:

長承寺:

大徳寺:由来記によると、後白河天皇の御宇、百済国より本吉郡志津川町水戸辺浜に仏像が漂流。三条重信と称する従士が霊感を得て横山「中ノ森」に堂舎を建立して安置す。中ノ森は現地より600メートルの山中で、現在は奥ノ院と称している。当時は明王山金剛寺と号し真言宗の道場であったが、永正元年(1504年)横山村館主男沢蔵人が禅刹に改め、白魚山大徳寺と呼称するにいたった。
 大正十五年に起きた付近の出火に遭って類焼した。像は災禍から免れたが、多少の傷を負ったのが惜しまれる。現在の堂は昭和三年に再建した。本林流宝塔造りという希な建築様式を伝えている。
 参道の小川には、ウグイが群生し、昔から不動尊の御使姫として保護を受けている。ウグイは昭和十年に天然記念物に指定された。

15:10仙台空港に向かう。

17:30仙台空港到達。
18:55仙台空港出発
20:15伊丹空港到達。

今回の旅行、東北宮城県に足を運び、東北三十六不動尊霊場5箇所、奥州三十三箇所観音12箇所を巡り楽しみましたました。

先週の北海道札幌周辺の霊場と比べて、立派な寺院が多く、歴史的にも興味深いものが多く勉強になりました。

次回は岩手県の霊場を巡る予定です


















飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十八弾:宮城県南三陸沖離島巡り
2013年10月12−14日


海と山、息をのむほどの美景あり、東北の中心となる宮城県に足を運び、南三陸沖の離島(出島、江島、気仙沼大島、田代島、網地島)を訪れました。

12日14:30伊丹空港出発
15:55仙台空港到達、レンタカーで石巻に向かう。

石巻市は、宮城県東部に位置する、県内第二の人口を擁する市。広域合併により、市域は北上川下流の仙台平野(石巻平野)から、女川町を除く三陸海岸南端(牡鹿半島)一帯まで広がった。旧北上川河口に中心部を持ち、石巻都市圏の人口は約21万人(2000年国勢調査時点)、世帯数は59,065世帯である(2006年(平成18年)3月末)。金華山沖(三陸沖)では、黒潮(暖流)と親潮(寒流)がぶつかるため世界三大漁場の1つとなっており、漁場に近い本市は全国でも有数の水産都市となっている。市内の万石浦でカキの養殖法が開発され、世界中に広がった。

17:30石巻到達、石巻駅付近のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
13日7:00レンタカーで出発、女川に向かう。
7:30女川港到達。

女川町は、宮城県にあり、太平洋沿岸に位置する町である。日本有数の漁港である女川漁港があるほか、女川原子力発電所が立地することでも知られる。町域は、南三陸金華山国定公園地域に指定されている。北上山地と太平洋が交わるリアス式海岸は天然の良港を形成し、カキ(牡蛎)やホタテガイ(帆立貝)、ギンザケ(銀鮭)などの養殖漁業が盛んで、金華山沖漁場が近いことから、地方卸売市場には暖流・寒流の豊富な魚種が数多く水揚げされる。また、町の南には石巻市とまたがって東北電力の女川原子力発電所がある。

7:45女川港フェリーで出発、江島に向かう。
8:15江島到達、散策する。

江島は牡鹿半島の東側に突き出る寄磯崎から東へ約4kmの沖合いに浮かぶ小島で、二股島、平島、足島などの無人島と列島を成しており、島の北側にある漁港に女川港から高速船が片道25分で往復しています。江島の標高は77mとそれほど高くはありませんが、平地が少なく入り江が多いのが特徴的で、入り江がある島として江島と呼ばれるようになったといわれています。山の斜面に階段状に家々が並び、昔は荷物を頭の上に載せた女性が坂道を昇り降りする姿が島の風景にもなっていました。定住の始まりは不明ですが、平安時代中期頃、陸奥国に勢力があった安倍頼時の子・安倍宗任(鳥海三郎)が魚網を伝えたという話が残っていることからその頃には既に定住があったのかもしれません。また、源義経を匿った罪で頼朝に追われた樋詰(日詰)五郎が逃げ延びた地だとも言われており、久須師神社には島の開祖として樋詰五郎が祀られ、毎年5月5日には盛大に祭りが催されます。その時奉納される「江島法印神楽」は県の重要無形民俗文化財に指定されています。江戸時代には牡鹿半島周辺の島々は仙台藩の流刑地となっていたところが多く、田代島や網地島が比較的軽い罪の者が流されたのに対して江島は重罪人の流刑地になっていました。中には文化人や身分の高い者も多くいたようで、栄存神社には無実の罪で流され、1681年にこの島で亡くなった高僧・栄存法印が祀られています。

11:00江島フェリーで出発、出島に向かう。
11:35出島到達。

宮城県は東北地方でも貝塚が多く分布する県で、この出島の貝塚からは珍しい縄文時代の土器や骨角器類が発見されている。出島付近も黒潮の影響で気候は比較的温暖で釣りファンも大物釣りをめざす。

11:35出島出発、女川に戻る。
11:55女川港到達、レンタカーで気仙沼大島に向かう。
13:30気仙沼港到達。

気仙沼市は、宮城県北東端の太平洋沿岸に位置する都市である。当市域はかつて本吉郡に属していたが、北側に隣接する岩手県沿岸南部の気仙郡地域(大船渡市・陸前高田市ほか)とは古くから一つの地域圏を形成しており、江戸時代には同じ仙台藩に属していた背景から方言も近似する。現在でも県境を越えた交流が深く、当市は三陸海岸南部の商業拠点となっている。また、変化に富んだリアス式海岸の観光も発展している。

14:30気仙沼港カーフェリーで出発。
14:55気仙沼大島到達、ドライブする。

親潮・黒潮の交差する地域で気候は温暖で、春には椿が多く見られる。北部に亀山(235m)があり、展望台から気仙沼湾ののどかな風景が臨める。観光客も多く、キャンプやサイクリング、グラスボートによる海中公園遊覧などが楽しめる。縄文時代の貝塚や遺跡があり、太古の時代にも生活が営まれていた。緑色の花を咲かせる桜の木があるらしい。

16:20気仙沼大島港フェリーで出発。
16:45気仙沼港到達、石巻に向かう。
19:20石巻のホテル到着後、石巻駅前のレストランで食事を済ませてから就寝。
14日8:00レンタカーで出発、石巻港に向かう。
8:15石巻港到達。
9:00石巻港フェリーで出発、田代島に向かう。
9:38田代島到達、散策。

日本は八百万の神々、たくさんの神様が祀られていますが、猫神様も全国的にちらほらと散見されます。祀られている猫はネズミ退治で活躍する猫、福を呼ぶ招き猫、化け猫等々色々です。田代島には昔いたずら好きの山猫がいて、漁の魚を盗んだり、人間に危害を加えたり化かしたり、悪さの程がひどかったので、それを鎮めるために猫を祀ったという伝説があります。それがいつの間にか猫は大漁を招くと言われ、大切にされるようになったのだと思います。そして猫の天敵である犬は敬遠され、猫が多いというより犬が居ない島になってしまいました。島の中ほどにある猫神社には招き猫が祀られています。田代島は牡鹿半島の西側に位置し、南三陸金華山国定公園に含まれます。砂浜は少なく島の周りはほとんどが断崖になっていて奇岩が多く、波が絹糸のように岩に纏わりつき、それが日光に曝されキラキラと美しかったことから、昔は“多曝島”と呼ばれていたと言います。漁業が中心の島で、幕末から明治の初め頃は大型定置網の大謀網が盛んで、宮城県でも有数の漁場でした。北に大泊、南に仁斗田と二つの集落がありますが、普段はどちらも人影は疎(まば)らで、人より猫の数が多いと言われる過疎化と高齢化が進む島でもあります。島の周りはほとんど岩場ですが、仁斗田港の近くに人工海水浴場の田代島ポケットビーチがあります。島では唯一安心して海に足をつける事ができる場所かもしれません。仁斗田港を徒歩で15分ほど南下するとマンガアイランドがあります。宮城県は漫画家石ノ森章太郎の出身地でもあることから、石巻市をマンガの街にしようという構想が持ち上がり、その一環として田代島にマンガアイランドが造られました。漫画家の“里中満智子”さんや“ちばてつや”さんがデザインしたロッジがあることで知られています。南端にある三石観音というのは、昔この地に金に輝く十一面観音が流れつき、それを島民が祀り信仰したと言われているもので、ここには古ぼけたお堂があります。巨大な岩が三つあるので三石と呼ばれていますが、その岩の上を観音様が馬に乗って上陸した時に付いたと言われる窪みがあります。西側にある「音が洞」は、洞窟に波がかぶると音が鳴るというので名が付いたようですが、島の乙女がここで大タコを見つけて足を一本づつ持ち帰ったという伝説もあります。イマイチよく分からない伝説ですが。北側にある二鬼城崎は“にげしろざき”と読みます。平安時代後期に起こった前九年の役(1051年〜1062年)に敗れた安倍氏の残党が逃げ隠れ住んだと言われるところで、“逃げ城”とも呼ばれています。また、教育センターの裏手にある“八兵衛壇”というのは、10基前後の塚がある所で、安倍氏の残党が貴重な品を埋めたという伝説もあり、そこを掘り起こすと祟りがあると地元の人から恐れられている場所です。

13:04田代島フェリーで出発、網地島に向かう。
13:24網地島到達、散策。

網地島は牡鹿半島の先端・黒崎の南西約2kmにある島で、かつては遠洋漁業の基地として栄え、昭和30年代には人口が3,000人を超える活気のある島でした。しかし、現在は人口も500人前後に減り、高齢化が進み、漁業も近海での漁が中心になっています。北側に網地浜地区、南側に長渡浜地区と2つの集落があり、島の半分くらいの人が阿部姓で、阿部さんと呼びかけると皆が振り返るそうです。また田代島と同じく猫がたくさん居る島でもあります。黒潮の影響で気候は温暖で暖帯性植物が群生し、海水浴やサイクリング、釣りなどリゾート地として人気を集めています。ベーリング海峡を発見したロシアのベーリングが派遣した探検隊が1739年(元文4年)に上陸、交易を行なったという記録があり、それを記念したベーリングの銅像があります。島の南端に赤と白のストライプがきれいなドワメキ灯台があります。「ドワメキ」は漢字で書くと「渡波滅生」と書き、岬の先端のところが波の中に消えたり、また現れたりする様を「渡波滅生」と表したそうです。特産品は生ウニ、アワビ等の海産物。

14:00網地島フェリーで出発
15:00石巻港到達。レンタカーで仙台空港に向かう。
17:30仙台空港到達。
19:10仙台空港出発。
20:30伊丹空港到達。

今回の旅行、東北の中心である宮城県に足を運び、南三陸沖の離島(江島、出島、気仙沼大島、田代島、網地島)を訪れ2泊3日の旅、癒されました。

今回訪れた市(石巻、女川、気仙沼)と離島(江島、出島、気仙沼大島、田代島、網地島)は震災後の復興工事が至る所で行われ、完全に戻るには、まだまだ時間がかかりそう、震災の影響の凄さを物語っていました。

各島は、離島特有ののどかさ、過疎地化し、住民はほとんど高齢者、離島に共通する言葉ですね。
今回訪れたエリアは復興現在進行形で数年後立派な新都市として蘇るのでしょうね。数年後又訪れてみたい、宮城県南三陸沖離島巡りでした。


 














 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百三十弾:宮城県浦戸諸島観光
2013年5月25ー26日


東北の中心地仙台が位置する宮城県に足を運び、塩釜の沖に点在する浦戸諸島(桂島、野々島、寒風沢島、朴島)を訪れました。

塩釜港から船に乗り約30分、日本三景の松島湾に点在する浦戸諸島は、大小様々な島からなり、波により侵食された奇岩と松林で構成されたみごとな景観が広がっています。また、桂島、野々島、寒風沢、朴島には、のどかな集落があり、歴史と豊かな自然に培われてきた人々の暮しが息づいています。

仙台市中心部からでも約1時間で来ることができる浦戸諸島では、離島独特のゆったりとした時間の流れの中で、自然や文化を楽しみながらの「島歩き」をお勧めします。

25日16:00伊丹空港出発
17:25仙台空港到達、レンタカーで塩竈方面に向かう。
18:15本塩竈駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
26日6:30レンタカーで出発、塩竈港に向かう。
7:15塩竈港市営汽船で出発、桂島に向かう。
7:42桂島到達、散策。

浦戸諸島の西部にあたり、塩竈本土から最も近く、市営汽船で塩釜港から桂島漁港までは約23分。地形は東西に長く、西側は桂島集落を中心とした桂島地区。東側は石浜集落を中心とした石浜地区があります。島の西海岸は断崖が続き、周辺の大藻根島、小藻根島、仁王島などの島々、遠景には奥羽山脈が望める風光明媚な景観を楽しむことができます。太平洋を望む南海岸には桂島海水浴場があり、島の東部は浦戸諸島で最も標高が高い津森山(標高61m)があります。産業は漁業が中心で、特に栄養豊富な湾内で養殖される海苔や牡蠣は味が良いことで有名です。シラウオ漁も盛んで、春先の夜の海にはシラウオ漁の漁火が美しく輝き、浦戸諸島の春を告げる風物詩となっています。また、島の畑では最近、食用ホオズキの栽培など、新たな産業として取り組まれています。

10:08桂島市営汽船で出発、野々島に向かう。
10:15野々島到達、散策。

浦戸諸島のほぼ中央に位置し、塩竈市役所の支所で宿泊研修施設でもある浦戸諸島開発総合センター(ブルーセンター)が置かれ、隣には浦戸診療所もあり、生活面でも中心的な島です。島の高台には、諸島内唯一の小学校と中学校(併設)があります。
野々島は、熊野神社のキリシタン仏、謎の洞穴群、内海長者の伝説など多くのミステリーや、椿のトンネルや陰田島など神秘的な景観が魅力です。また、島内では野々島フラワーアイランド構想としてボランティアによる、ラベンダーなどのハーブを中心とした植栽活動が盛んに行われています。

11:36野々島市営汽船で出発、寒風沢島に向かう。
11:50寒風沢島到達、散策。

野々島から寒風沢水道を渡ると、浦戸諸島で一番大きな寒風沢島があります。この島もまた数々の歴史が語り継がれています。日本人で初めて世界一周をした津太夫の出身地でもあります。また、江戸時代には伊達藩の江戸廻米の港として栄えていました。当時の港の繁栄を今に伝える、日和山の十二支方角石や縛り地蔵、伊達藩が建造した日本最初の洋式軍艦「開成丸」の記念碑(造艦の碑)、砲台跡などの興味深い歴史の話がさらに島歩きの楽しみをかきたててくれます。また、島の奥に進むと、懐かしい田園の風景、さらに先に進めば、太平洋を独り占めできる美しく穏やかな砂浜に辿り着きます。

13:51寒風沢島市営汽船で出発、朴島に向かう。
13:59朴島到達、散策。

浦戸諸島の有人島では一番小さい島ですが、この地では珍しいタブ林が存在するなど、豊かな自然が残る魅力的な島です。また、春に見る菜の花畑はとても美しく見ごたえがあります。名前の由来も、伝説の鳳凰がいたとか、烽火を上げたことから烽島とも言われ、また江戸時代に伊達藩の軍用金や貴重な宝物が隠されていたという伝説があり、宝島と呼ばれていたものが朴島になったという伝説もあるくらい謎めいた島です。主な産業は牡蠣養殖などの漁業ですが、菜の花の種も“松島白菜”の種として出荷されています。

14:10朴島市営汽船で出発、塩竈港に向かう。
15:09塩竈港到達、レンタカーで多賀城跡に向かう。
15:30多賀城跡到達、散策する。

多賀城は神亀元年(724)、大野東人によって創建された奈良・平安時代の陸奥国の国府であり、行政の中心地でした。また、奈良時代には鎮守府も置かれ、軍事の中心でもありました。仙台湾や仙台平野を一望できる丘陵上に立地し、一辺が1q前後のいびつな四角形に塀で囲い、南・東・西に門が開かれていました(北門は未確認)。ほぼ中央に重要な政務や儀式、宴会などが行われた政庁があり、城内の各所に実際の行政事務を行う役所や兵士の住居などが配置されていました。

多賀城史遊館を見学。

埋蔵文化財調査センター体験館「多賀城史遊館」は、さまざまな見学や体験を通して、多賀城市の歴史を学ぶことができる施設です。多賀城市の縄文時代から江戸時代までの歴史を紹介する展示室や、昔の人々のすぐれた技などを体験できる体験学習室を備えています。

16:30仙台空港に向かう。
17:30仙台空港到達。
19:00仙台空港出発
20:20伊丹空港到達。

今回の旅行東北の中心地宮城県に足を運び、塩竈の沖に点在する浦戸諸島(桂島、野々島、寒風沢島、朴島)を訪れ、散策しました。

どの島も震災の爪痕を残し、至る所で復旧工事が見られました。島めぐりは観光標識がしっかり作られ、迷うことなく、島めぐり観光できました。

宮城県は今回で6回目、東北地方では最も多い離島が点在しています。今回4つの島を訪れましたが残りは五島、次回訪れたいと思います。

昨年2回宮城県を訪れましたが今回は震災の復興工事が進み、かなり変貌し街並みらしくなっていました。

宮城県浦戸諸島巡り観光、楽しめて癒されました。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百一弾:宮城県秋保&作並&登米観光
2012年8月4ー5日
  

東北地方の大都市仙台が位置する宮城県に足を運び、川のせせらぎと渓谷の緑に包まれながら露天風呂でゆったりできる広瀬川の湖畔にある作並温泉、名取川の湖畔にある秋保温泉、藩政時代は伊達一門の城下町として、明治維新後は北上川の舟運の拠点として栄え、武家屋敷や土蔵、ハイカラな洋風建築が数多く残る町並みはみやぎの明治村と呼ばれている登米を訪れました。

4日15:45伊丹空港出発、仙台空港上空で霧のため着陸できず、山形空港に向かう。
18:20山形空港到達、バスで仙台駅に向かう。
20:15仙台駅到達。
20:30仙台駅東口付近のホテル到着後繁華街を散策し、食事を済ませて就寝。
5日8:00レンタカーで秋保方面に向かう。

万華鏡を集めた美術館。アメリカの万華鏡コレクター所有の1800年代の万華鏡をはじめ、世界中の珍しい万華鏡を多数展示。2階展示室では万華鏡を実際にのぞくことができる。陶芸の万華鏡を製作してきた陶芸家・辻輝子氏の作品も展示する仙台万華鏡美術館の前で記念撮影。

温泉街入口にかかる覗橋の上・下流に約1kmにわたって深さ20mの渓谷が続く。奇岩・怪石が磊々と続くことから名付けられた。渓谷沿いには遊歩道がある磊々峡を散策する。

山形県山寺(立石寺)の奥の院といわれる大滝不動堂の境内にある。名取川の全水量が瀑布となって落ち込む(高さ55m、幅6m)雄大な滝、秋保大滝を訪れる。

作並方面に向かう。

広瀬川上流にかかる、大小無数の滝の総称。それぞれの滝の流れが奏でる水音は、弱く清らかな音から、周囲に響き渡るような大きな音までさまざま。昔の人はこの音を伝説の鳥・鳳凰の鳴き声にたとえたことから名付けられた鳳鳴四十八滝を訪れる。

山形県の県境近く、広瀬川と新川川のふたつの清流に恵まれ、異なるタイプのモルトウイスキーづくりを目的として、1969年(昭和44年)に竣工された第二のモルトウイスキー蒸溜所のニッカウヰスキー仙台工場を訪れる。

縁結び・子授け・安産にご利益のある寺。平家滅亡の際に源氏の追討を逃れた平貞能が、阿弥陀如来を安置したのが起源という。本堂は宝形造で正面に唐破風をもつ珍しい造り。五重塔や由来に関する資料を展示する資料館がある西方寺(定義如来)を訪れる。

登米方面に向かう。

明治の廃藩置県で、1871年(明治4)に建てられた和洋折衷建築。その後、小学校、治安裁判所などに使われた。建物は明治中ごろの姿に復元され、上段と土間に仕切られた法廷が人民調所として再現してあって、当時の裁判の様子もうかがえる水沢県庁記念館を訪れる。

1888年(明治21)に建てられた旧登米高等尋常小学校校舎を利用した資料館。白いバルコニーがあるハイカラな洋風建築で、国の重要文化財。明治以後の教育史や各時代の教科書を展示。明治時代の授業風景を再現した教室もある教育資料館を訪れる。

旧寺池城址に登米町出身の渡辺政人氏の寄贈によりつくられた。伊達政宗、狩野探幽、江月和尚合作の掛け軸や、伊達政宗公着用の儀式用鎧などの武具や刀剣などの貴重な文化財130点を展示する登米懐古館を訪れる。

味噌・醤油の醸造元・海老喜[えびき]が1908年(明治41)まで清酒「君が代」を造っていた酒蔵を公開している。蔵の中には酒の仕込み専用に使われた井戸や酒母室がそのまま残る蔵の資料館を訪れる。

1894年(明治27)に建てられ、現在も営業中の伊新薬局。土蔵を利用した資料館を併設している。明治初期から現代までの大衆薬と度量衡器など、明治・大正・昭和初期が偲ばれる品々を展示。薬局の看板やポスターなども並び、館内はレトロ感たっぷりのアンティーク資料館を訪れる。

1889年(明治22)に建てられた旧登米警察署庁舎。明治中期の擬洋風建築で、日本で唯一の警察資料館。玄関屋根下の白壁に大きな金色の警察紋章が輝く警察資料館を訪れる。

武家屋敷の中で唯一公開されている旧鈴木家住宅。80人収容の無料休憩所を兼ね、囲炉裏を囲んだ喫茶コーナーがある春蘭亭[武家屋敷]を訪れる。

佐沼城跡の鹿ケ城公園内に立つ博物館。主に、武士と庶民のくらしをテーマに展示している。初代亘理宗根の母、香の前が豊臣秀吉から下賜された甲冑などを収蔵。佐沼城最後の当主・亘理隆胤が住んでいた亘理邸、民具展示館も併設する登米市歴史博物館を訪れる。

『仮面ライダー』、『サイボーグ009』などの代表作をもつ、中田町出身の漫画家・石ノ森章太郎の記念館。常設展示室ではトキワ荘を再現し愛用品などを展示、図書やビデオなどで作品も閲覧できる。ほかに企画展示室があり、近くには、石ノ森章太郎の生家がある石ノ森章太郎ふるさと記念館を訪れる。

ラムサール条約登録湿地である伊豆沼・内沼の生態系の中の「水」をテーマに、伊豆沼・内沼がもつ豊かな生態を生み出した動植物を展示。専門的な情報を提供し、自然教育の拠点となっている登米市伊豆沼・内沼サンクチュアリセンター[伊豆沼]を訪れる。

面積約4平方kmの湖沼で、南西にある周囲約4kmの内沼とともに国の天然記念物に指定。ラムサール条約指定地でもあり、学術的価値は高い。夏になると湖面にハスの花が咲き、遊覧船も運航する伊豆沼を訪れる。

仙台方面に戻る。

富沢遺跡で発見された、2万年前の旧石器時代の森林跡と人間の生活跡を見ることができる施設。発掘されたままの状態で保存・公開している地底の森ミュージアムを訪れる。

大正15年(1926)の開業から昭和51年まで、仙台市民の足として活躍した仙台市電に関する資料などを展示する。創業時の木造の1号車や昭和後期のワンマンカーなど、実際に利用されていた車両を見ることができるほか、ビデオ上映などを行っている仙台市電保存館を訪れる。

17:30仙台空港到達。
19:00仙台空港出発。
20:20伊丹空港到達。

今回の旅行、東北の宮城県に足を運び、宮城県の代表的な2つの温泉、秋保温泉、作並温泉、歴史ある建造物をめぐってノスタルジック気分になる藩政時代の伊達一門の城下町、登米を訪れドライブ観光楽しめました。

ほぼ宮城県は制覇できましたが太平洋側に点在する離島が残っています。
次回訪れたいと思います。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第百九十一弾:宮城県鳴子&栗駒山麓&大崎観光
2012年5月19日ー20日
  

日本三景である松島を筆頭に、ドライブに最適石巻・女川・気仙沼の海沿いのライン、お釜が迎える蔵王、トレッキングが楽しめる栗駒高原と見応え十分のポイントがある宮城県に足を運び、宮城・秋田・岩手にまたがる秀峰・栗駒山は高山植物を眺められる世界谷地や滝と秘湯が楽しめ栗駒山麓、1100年以上の歴史の名湯がある鳴子温泉が位置す鳴子、広大で肥沃な平野・大崎耕土を有するエリアで、宮城を代表とする米の産として知られ大崎を訪れました。

19日16:00伊丹空港出発
17:25仙台空港到達、レンタカーで仙台市内に向かう。
18:30仙台市内のホテル到着後、市街地を散策し食事を済ませて就寝。
20日6:00レンタカーで出発、栗駒方面に向か。

標高1627mの休火山。中腹には温泉が湧き、ブナの原生林や湿原など手つかずの自然が残る。栗駒山を中心に、周辺の自然景観が国定公園に指定されている栗駒山を訪れる。

鬼方面に向かう。

鬼首の荒雄岳の南山麓、吹上沢の周辺にある間けつ泉。その中でも一番のスケールを誇るのが弁天で、10〜15分間隔で轟音とともに、15〜20mの熱湯を吹き上げる。この現象は地底の空洞に水がたまり、地熱などによって熱せられ、そこから生じた水蒸気が圧力によって噴出するという説と、垂直の穴に流れ込んだ水が熱せられて吹き出すという2つの説があるかんけつ泉弁天を訪れる。

鳴子方面に向かう。

鳴子温泉と中山平温泉を流れる大谷川の渓谷。深さ100mもある渓谷には、急峻な断崖絶壁が続く鳴子峡を訪れる。

鳴子峡入口近くの鳴子公園内にあるこけし専門の展示施設。童話作家でこけし研究家の深沢要氏のコレクションを中心に、東北各地のこけしや高松宮殿下秘蔵のこけしなど約5000体を展示している日本こけし館を訪れる。

標高461mの胡桃ケ岳の麓にあるカルデラ湖。天候などによって、湖面の色がエメラルドグリーンに変わる。湖畔1周30分の遊歩道もある潟沼を訪れる。

大崎方面に向かう。

見る、聞く、ふれるなど、人間の五感をテーマにした体験型ミュージアム。ダイアローグゾーン(身体感覚空間)とモノローグゾーン(瞑想空間)の2つのゾーンに分かれた館内には、こよりで作られた「香りの森」など、イマジネーションをかきたてる展示が散りばめられている感覚ミュージアムを訪れる。

1677年(延宝5)頃、岩出山伊達家2代宗敏の隠居所として、現在地に建てられたといわれる。寄棟茅葺き書院造りの簡素な佇まいで、後には学問所として使用された。庭園は、仙台藩茶道頭・石州流三代清水道竿の作庭。岩出山城本丸の断崖を借景として、池中に島を配した廻遊式池泉庭園だ。樹齢300年以上の樹木もあり、四季折々の変化が楽しめる。国史跡・名勝の旧有備館・庭園を訪れる。

民本主義を唱えた大正デモクラシーの理論的旗手である吉野作造。1878年(明治11)に旧古川市に生まれた作造の生涯と、政治学者、国際主義者、社会運動家としての彼の活動やその功績などが館内にある100インチの巨大スクリーンでわかりやすく紹介されている。作造愛用のコーヒーカップや家族や友人に宛てた書簡などが展示されている。また、エッセイなど彼の作品の朗読が聞けるコーナーもある吉野作造記念館を訪れる。

酒蔵をイメージした白壁の建物で、昔酒づくりに使われていた桶や樽、酒の歴史や種類・特徴など酒に関する資料を展示している。映像コーナーでは、ヤマタノオロチ退治をモチーフにしたアニメを上映。お酒のミニ知識を学べる大崎市松山酒ミュージアムを見学。

原始から現代の文化遺産を展示。古墳時代の遺跡発掘品や松山領主の茂庭家に伝わる徳川家康から拝領した中白鳥毛槍、刀匠・法華三郎信房作の刀と脇差(大和伝)などを展示している大崎市松山ふるさと歴史館を見学。

奈良時代の産金と東大寺大仏建立の技術などについて紹介する歴史館や、涌谷の郷土料理・おぼろ豆腐を味わえるレストランがある。砂金採り体験も楽しめる天平ろまん館を訪れる。

16:30仙台空港向かう。
17:30仙台空到。
19:00仙台空港出発。
20:20伊丹空港到達。

今回の旅行、震災の影響で久々の訪れである東北の中心県、宮城県に足を運び、まだ訪れたことのない、北部の山麓地帯、栗山高原、鳴子温泉郷、鬼首温泉郷の大自然に接し、広大な平野お米で有名な山崎の歴史的建造、資料館訪れドライブ観光楽しめました。

依然、震災遺残がところどころあっていくつかの観光名所が閉鎖していたのが残念でした。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第百二弾:宮城県塩釜・多賀・松島・南三陸観光
2010年7月3ー4日


東北地方の中心地、宮城県に足を運び、奈良時代東北全域の拠点の古代都市多賀、日本一の寿司タウン塩釜、松島湾の絶景、伊達家ゆかりの建造物が点在する松島、リアス式海岸が絶景の南三陸を訪れました。

3日14:20伊丹空港出発
15:35仙台空港到達、レンタカーで多賀・塩釜方面に向かう。

合展示室では旧石器時代から近現代まで、東北地方全体の歴史を時代別に展示。埴輪武装男子半身像、白長覆輪太刀、田柄貝塚出土骨角器など多くの国指定重要文化財が収蔵されている。そのほかに、テーマ展示室や映像展示室がある。敷地内には、江戸時代中期の民家・今野家住宅(県指定有形文化財)も石巻市から移築、復元されている東北歴史博物館を訪れる。

多賀城跡の一角にある。2万平方mの敷地に、250種約200万本のアヤメやハナショウブなどの花が咲き乱れている。毎年6月24日から7月上旬まで「多賀城跡あやめまつり」が開催される多賀城跡あやめ園[多賀城政庁跡]を訪れる。

多賀城政庁跡の多賀城南門跡のすぐ近くに立つ。高さ約2m、最大幅94cmの石碑で、当時の主要な国界から多賀城までの距離、大野東人が多賀城を創建したことなどが刻まれている。群馬県多胡碑、栃木県那須国造碑とともに、日本三古碑の一つ多賀城碑[多賀城政庁跡]を訪れる。
724年(神亀元)、陸奥の国府、鎮守府として置かれた多賀城の中核部分。面積は約102haにもおよび、平城宮跡・大宰府と並んで日本の三大史跡の一つに数えられている。築地塀で囲まれた中央部に政庁が置かれ、正殿・東西脇殿などがあり、重要な儀式や事務が行われていた。現在は史跡の平面整備が進み、政庁の基石や正殿などの基壇が残るのみ。国特別史跡の多賀城政庁跡を訪れる。

多賀城政庁跡の北にある、周囲約4kmの沼。江戸時代には堤防をつくり用水池とされた。春には桜、秋には紅葉、冬には白鳥、鴨などの渡り鳥が訪れ、四季を通じて多くの人で賑わう加瀬沼を訪れる。

文化創造を目的として建てられた施設で、国際村ホール、水に浮かぶ野外劇場などがある。七ケ浜の漁業の歴史がわかるギャラリー海物語や、姉妹都市であるアメリカのプリマス市の歴史や風土を紹介するプリマスハウスも併設している七ケ浜国際村を訪れる。

東北鎮護・奥州一宮として、古くから信仰を集めてきた鹽竈神社。創建は不詳だが、平安初期にはすでに東北最大の神社として厚い崇敬を受けていた。現在の社殿は伊達家五代藩主・吉村公の時代、9年の歳月をかけて建設され1704年(宝永元)に竣工されたもので、国の重要文化財に指定。5月上旬が見頃の鹽竈ザクラ(天然記念物)、葉書の語源とされるタラヨウなど境内には珍しい植物が多い鹽竈神社を訪れる。

19:00本塩釜駅付近のホテル到達後市街地を散策して床に就く。

4日5:00レンタカーで出発、松島方面に向かう。

松島海岸の南に突き出ている岬の丘。頂上の展望台からは、塩釜湾と松島湾の双方が望めることから、双観山と名付けられた。遠く牡鹿半島や金華山の向こう側から昇る朝日は素晴らしく、荘厳で華麗な美しさの双観山を訪れる。

松島四大観の一つ「幽観」。双観山の裏手にある標高55.8mの小高い山で、松島湾の入り江が扇のように浮かんで見えることから「扇谷」と呼ばれる。松島の全景が眺められるポイントでもあり、紅葉時期にはカエデが訪れる人の風情をかきたてる扇谷[松島四大観]を訪れる。

世界各地から集められた魚類や海に生息する哺乳類などを見られるマリンピア松島水族館に寄る。

島海岸の南に浮かぶ小島。島へは渡月橋と呼ばれる朱塗りの橋を渡っていく。108の岩窟があったといわれる雄島は、かつて僧侶の修業場でもあった。現在でも島のあちこちに、仏名・仏像などを刻んだ洞窟が残っている。歌枕の一つで、島内には松尾芭蕉や曾良の歌碑もある雄島を訪れる。

伊達政宗が豊臣秀吉から拝領した伏見桃山城の茶室を、2代藩主忠宗が江戸より移築したもの。外観は簡素だが、室内の極彩色の障壁画は重要文化財に指定されている観瀾亭・松島博物館に寄る。

807年(大同2)、坂上田村麻呂が東征の折りに建立し、後に慈覚大師が五大明王像を安置したことから五大堂と呼ばれる。現在の建物は、伊達政宗が桃山式建築手法の粋をつくして再建したもの。33年に一度五大堂の中に安置された五大明王像が一般公開される五大堂を訪れる。

瑞巌寺五大堂の北東に浮かぶ島で、陸地とは全長252mの朱塗りの橋で結ばれている。自然植物園の指定を受けた島には、250種余りの植物が自生している福浦島を訪れる。

戦国乱世の奥羽を制した伊達政宗の波乱に満ちた生涯を誕生から初陣、仙台城築城など史実に基づき、250体ものロウ人形で25シーンを再現。みちのく偉人館では、棟方志功や太宰治、宮沢賢治、野口英世など、幕末から平成に至るまでの東北を代表する偉人50名のロウ人形が展示されいるみちのく伊達政宗歴史館に寄る。

828年(天長5)、慈覚大師によって開創された伊達家の菩提寺。本堂(国宝)内の孔雀の間は極彩色の彫刻で彩られている。現在の建物は1609年(慶長14)、政宗が5年の歳月をかけて完成させた。御成門と中門は重要文化財の瑞巌寺を訪れる。

瑞巌寺の西隣りにある。二代藩主忠宗の次男・光宗の霊廟。庭の奥には三慧殿という御霊屋(重要文化財)が立ち、内部に安置された家形厨子には、馬上に束帯姿の光宗像が納められている円通院を訪れる。

松島四大観の一つ「麗観」。松島湾を北から見下ろす標高116.8mの山で、杉・松・樅の大木に覆われた静寂な趣の中、東南西の三方の島々を望める。山頂には富山観音が祀られており、眺望の美しさは四大観の中でも1、2を争う富山[松島四大観]を訪れる。

島を一望できる松島四大観の一つで、松島湾最大の島・宮戸島の中央に位置する標高105.8mの山。松島の形状を箱庭のように見られることから、「壮観」と呼ばれる。山頂からは日本三大渓・嵯峨渓と松島湾が望める大高森[松島四大観]を訪れる。

松島湾に浮かぶ260余島の島々を一望できる、東西南北4つのビューポイント。文政年間(1820年頃)、仙台藩の儒学者・舟山万年が紹介した。「麗観」「偉観」「壮観」「幽観」を総称して、「松島四大観」と呼んでいる。

九州の耶馬渓と陸中の猊鼻渓とともに、日本三大渓の一つに数えられている景勝地。太平洋の荒波と風雨に浸食された断崖絶壁が50m近く続く。遊覧船に乗れば、奇島や岩の割れ目から生えた松が屏風絵のような屏風岩など間近で見られる嵯峨渓を訪れる。

石巻方面に向かう。

「仮面ライダー」などで有名なマンガ家石ノ森章太郎作品を中心にした日本最大級のマンガミュージアム。石巻駅〜萬画館の石巻マンガロードにはキャラクター像が立つ石ノ森萬画館を見学。

現存する木造教会堂では国内最古級。1880年(明治13)に建てられた和洋折衷様式。手摺や土台には、塗り潰してから木目を書き入れる、「木目塗」という明治初期の洋風建築の意匠が施されている旧石巻ハリストス正教会教会堂を訪れる。

男鹿半島方面に向かう。

支倉常長ら慶長使節一行が訪れた、イタリアの庭園をモチーフとした公園。慶長使節の歴史的業績を、映像やパネルなどで紹介する宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)がある。復元された木造帆船サン・ファン・バウティスタの内部の見学や、シミュレーションシアターでは航海の様子を体感できるサン・ファン・バウティスタパーク&サン・ファン館を見学。

かつて捕鯨基地として賑わった鮎川港にある。1階では、3つの展示室でクジラの生態や捕鯨の歴史を説明、2階のホエールシアターでは迫力の映像で捕鯨の様子を紹介する。屋外には捕鯨船も展示されているおしかホエールランドを訪れる。

江戸時代には仙台藩の唐船番所が置かれていた場所で、金華山と牡鹿半島が眺望できる。園内には無料施設の展望台や遊歩道、アスレチックがあり、バードウォッチングもできる御番所公園を訪れる。

女川町浦宿から牡鹿半島突端の山鳥渡までの全長30kmの観光道路。両側に太平洋と石巻湾が広がり、駐車できる展望台がある牡鹿コバルトラインを通過して南三陸方面に向かう。

南三陸町と石巻市北上町の境にある岬。海中に突き出した岬は、村境の争いを仲裁した神が割ったものとも伝わる。奇岩の間から太平洋の怒涛が流れ込む様子は迫力の神割崎を訪れる。

16:00仙台空港に向かう。
17:50仙台空港到達
19:05仙台空港出発
20:25伊丹空港到達。

今回の観光旅行、東北の中心となる宮城県に足を運び、奈良時代の創建以来、陸奥国府が置かれ、東北全域の拠点古代都市として栄えた多賀城、塩竃神社の門前町として栄え日本有数の漁港があり寿司店の町でもある塩竃、天橋立、宮島と並んで日本三景に数えられ、仙台藩主・伊達家ゆかりのスポットが点在する松島、旧北上川の河口に位置し、石森章太郎のマンガキャラクターモニュメントが点在している石巻、リアス式海岸が美景の南三陸海岸を訪れ、一泊二日のドライブ観光満喫できました。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第三十四弾:宮城県蔵王&白石&七ヶ宿観光
2008年7月12−13日


今回は東北の宮城県で有名な宮城蔵王、城下町白石、歴史的建造物に触れ合える七ヶ宿に行ってきました。

12日14:25伊丹空港出発。
15:40仙台空港到達。レンタカーで仙台市街に向かう。

約400年前、仙台藩祖、伊達政宗が城を築いた場所で城郭は残っていないが石垣に当時の面影が残り、杜の都、仙台市街を見晴らす青葉山上に位置する仙台城跡を訪れる。又城跡に存する青葉城資料展示館で往事の仙台城を知ることが出来ました。

仙台駅付近のホテルに到着後、市街地を散策して食事を済ませてから宿を取る。

13日7:00レンタカーで出発、天候晴れ、蔵王方面に向かう。

蔵王エコーラインを通り、三階滝など、蔵王連峰の自然を遠望できるビュースポット、落差181mを誇る三階滝は細く3段で流れ落ちる様子は見事で、日本の滝百選にも選ばれ、水量が多くダイナミックな流れの不動滝や澄川渓谷なども見られる滝見台を訪れる。
真っ赤な炎を背にした蔵王不動尊像を見学して、ここから蔵王山中一の大きさを誇る不動滝を間近に望む。
火山荒原に咲く高山植物が鑑賞できるスポット、なかでもコマクサの群集地として有名な駒草平を散策。
火山の噴火によって出来た直径約325mのカルデラ湖で、蔵王のシンボル、釜状の形をしているお釜を訪れる。

蔵王ラインを通過して約30haの広大な高原、蔵王坊平高原に寄ってから蔵王温泉駅から鳥兜まで続く蔵王温泉スキー場のロープウエイに乗り、高原植物等の様々な景色、蔵王の自然を上空から眺める。

明治天皇行在所をはじめとした貴重な建物5棟からなり、屏風や掛軸などの美術品や皇室ゆかりの品々を展示する歴史と文化の美術館、わらべの里を見学。

約850種の野草や木が植えられている山形市野草園を散策。

南の七ヶ宿方面に向かう。
白石川上流部にある高さ約10m、横約30mの躍動感のある滝、滑津大滝を訪れる。
西に向かい七ヶ宿の国道113号線はかつて出羽(日本海)と陸奥(太平洋)を結ぶ山中七ヶ宿街道と呼ばれ、陸奥・出羽の13大名の参勤交代や輸送の要路として賑わった街道を訪れる。
人造湖七ヶ宿湖にあるダム百選に認定されるほどの大規模なダム施設、七ヶ宿ダムを道の駅七ヶ宿ビューランドありやから眺める。
又水力発電用の貯水湖で青く澄んだ湖面に不忘山の姿を映す様子は見事な長老湖を散策。
白川沿いにある水と石との語らいの公園には国の天然記念物・特別名勝に指定されている材木岩を望む。

北西の白石方面に向かう。

1602年から約260年にわたり、伊達家の重臣・片倉家が代々居住し、明治維新後城は解体され平成7年には三階櫓の天守閣や大手門などが忠実に復元され、最上階からは白石市街や蔵王連峰を一望できる白石城を訪れる。
又片倉家に仕えた中級家中の屋敷で、伊達家家臣の暮らしぶりを知ることが出来る旧小関家武家屋敷を見学。

西に向かい阿武隈観光交流センター発着の阿武隈ライン舟下りをたっぷり1時間楽しんでから帰路仙台空港に向かう。

18:00仙台空港到達。
19:00仙台空港出発。
20:20大阪伊丹空港到達。

今回の旅行、冬のスキーシーズンには訪れたことのある蔵王、夏のシーズンは初めてで、宮城は昨年の松島観光以来2回目、天気に恵まれ絶好の観光日和。
仙台城跡を含め仙台タウンの散策、松島とともに宮城で有名な観光コース、蔵王、歴史と美景の七ヶ宿と白石、阿武隈川でのライン下り、朝5:00から夕方18:00までの13時間十分楽しめました。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第四弾:宮城松島&牡鹿半島観光
2007年8月18−19日


18日13:27新幹線のぞみで大阪駅出発、16:00東京駅到達、東北新幹線やまびこに乗り換え16:02出発、18:20仙台到達。仙台駅の近くで宿を取る。

初めての仙台、予想以上に大きな町、梅田に匹敵するぐらい大きなビルが密集していました。

19日8:00レンタカーで観光巡り、9:00松島の五大堂に到達、遊覧船で260以上ある松島の島々を巡る。帰港してから端厳寺、円通寺、雄島、マリンピア松島、福浦島を訪れる。

11:30レンタカーで出発牡鹿半島に向かう。13:00牡鹿半島先端の鮎川港到達、おしかホエールランドを見学してから13:50のフェリーで金華山(島)を訪れ黄金神社でお参りしました。

15:10のフェリーで帰港し、レンタカーで仙台空港に向かう。男鹿半島のもうひとつの有名な島、網地島は時間の都合で訪れることができず半島から眺望するのみでした。又牡鹿スカイラインはがけ崩れのため通行止め残念でした。

17:30仙台空港到達、19:05ジェット機で大阪に向かう。20:30伊丹空港到達。

今回の旅行、飛行機、新幹線(のぞみ、やまびこ)、レンタカー、フェリーを利用しての移動、奥の細道の紀行文の場所となった松島、大小260以上の島々からなり何回訪れても把握するのが難しいたくさんの島、又フェリー乗船中絶えずたくさんのカモメの群れ、なかなかの観光地です。
牡鹿半島の金華山、野生のシカが住み付いて広島の宮島を思い出しました。

天気予報は曇りのち雨で気温が少々低くなるとのことでしたが天気は晴れ、気温もかなり上昇して暑い暑い観光旅行となりました。