熊本

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百六十七弾:熊本県小京都重要伝統的建造物群保存地区巡り観光
2019年2月23−24日
 

九州の熊本県に足を運び、熊本県に点在する小京都重要伝統的建造物群保存地区4か所(山鹿、宇城松合、崎津、人吉)を訪れました。

23日17:20伊丹空港出発
17:20熊本空港到達、レンタカーで熊本市内に向かう。
18:10熊本市内のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。
24日7:30レンタカーで出発、小京都重要伝統的建造物群 保存地区巡り

山鹿:山鹿市は熊本県北部に位置し、福岡・大分の両県と境を接しています。市の北部には美しい山間地域と清らかな渓谷・渓流があり、中央部から南部にかけては、菊池川水系の恩恵を受けた田園地帯が広がる自然豊かな都市です。また、豊富な湯量と良質な泉質で知られる山鹿温泉郷をはじめ、古き町並みを今に伝える豊前街道、国指定重要文化財「八千代座」、国指定史跡「鞠智城」などの多くの文化財を有しています。
毎年、8月15日・16日の2日間にわたり行われる「山鹿灯籠まつり」は、千人灯籠踊りや花火大会、たいまつ行列など盛りだくさんの内容で行われ、全国から多くの観光客が訪れています。和紙と糊だけで作られる伝統工芸品の金灯籠を頭に掲げた女性達が優雅に舞う「山鹿灯籠踊り」は、幻想的な灯りのページェントとして九州を代表する夏の風物詩となっています。

宇城松合:松合は八代海に面する港町。湾岸の富岡往還に沿って古い町家が連なり、そこから内陸に入った春の川沿いの谷に農家が点在する、奥行きのある町並みが特徴的です。松合は江戸時代に舟運の拠点になったところで、文政年間(1818〜30年)に熊本藩が魚介類を取り扱う役職を設置して以降、いっそうの発展を見ました。安政2(1855)年には舟溜まりや防波堤が完成し、明治時代にかけて熊本随一の漁港として賑わいました。町の最盛期は明治30(1897)年ごろで、そのころここには魚屋、船問屋、味噌や醤油の醸造家が軒を連ねていました。しかし明治32年、宇土半島の北海岸に鉄道(三角線)が開通すると、急速に衰退してしまいました。町並みを特徴づけるのは白壁の町家です。谷間の狭い土地にある松合では家屋が密集し、火災も頻発しました。明治時代だけでも24年、26年、42年と、40戸以上を焼失した火災が三度起きています。外壁をしっくいで塗り固めた町家は、防火対策のものだったのです。

崎津:2018年7月に世界遺産登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。その構成遺産のひとつ「崎津教会」は天草下島の小さな漁村の集落にあります。「海の天主堂」とも呼ばれ、日本家屋の漁村らしい風景に突然現れるゴシック様式の教会。クリスマスシーズンには静かな集落のイルミネーションも神聖です。禁教の中、250年もの間信仰を守り抜いたキリシタン。長く信者に守られた教会と、集落です。

人吉:熊本県南部に位置し、市街の中心を東西に日本三急流のひとつ「球磨川」が流れている人吉市。
鎌倉時代から明治になるまでのおよそ700年間、この地を相良氏が統治し、今でもその歴史文化遺産が数多く残る城下町です。
人吉市には、平成20年に国宝指定を受けた青井阿蘇神社や日本三急流での球磨川下り、城下町の風情を味わうことができる石畳の鍛冶屋町通り、気軽に立ち寄ることができる公衆浴場もある人吉温泉など、1年を通して楽しめる観光スポットも多数あります。

17:00終了。
18:00熊本空港到達。
19:05熊本空港出発
20:20伊丹空港到達。

今回の旅行、九州の熊本県に足を運び、熊本県に点在する小京都重要伝統的建造物群保存地区4箇所を訪れ楽しみました。

今まで何回か訪れたことのあるこの地区、歴史を振り返りながらの散策、癒されました。
 












飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百二十五弾:熊本県お城・城下町巡り&九州四十九院薬師霊場観光
2018年2月24日−25日
  

九州の西に位置し、室町時代に、古くから同地で力を持っていた菊池氏が守護になり、阿蘇氏、名和氏、相良氏などが各地を支配するが、争乱で絶えなかった、やがて大友氏が肥後に進出し、龍造寺氏、島津氏と対立することになった熊本県に足を運び熊本県に点在するお城6か所、熊本県にに点在する九州四十九院薬師霊場5か所を訪れました。

24日17:30伊丹空港出発。
18:40熊本空港到達、レンタカーで熊本インター下車、インター付近のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
25日8:00レンタカーで出発、霊場お城巡り。

光厳禅寺:

法泉寺:法泉寺のご本尊は、聖観世音菩薩、脇本尊として薬師瑠璃光如来をお祭りしています。
法泉寺の開創は、1293年(永仁元年)鎌倉時代です。今年から遡ること715年前です。

鐘楼堂は古くなっていたものを終戦50年の平成7年に改修して、戦争の為に供出してなくなっていたものを50年ぶりに「平和祈念梵鐘」として造りました。
午前6時と午後6時に世界中で戦火の犠牲になられた方々のご冥福をと恒久平和を願って鳴り響いています。

西厳殿寺:

菊の池城:築城年代は定かではないが延久年間(1069年〜1074年)に菊地則隆によって築かれたと伝わる。

十六代菊池武政のとき菊池城に居城を移した後は菊池十八外城の一つとして利用された。

守山城:築城年代は定かではないが正平年間(1346年〜1370年)に菊池氏によって築かれたと云われる。 菊池氏は太宰府官藤原政則の子孫とされ、藤原則隆のときに肥後に下向し菊の池城を築いたという。十六代菊池武政のとき、菊の池城から隈部城へと居城を移した。

南北朝時代には南朝の有として肥後国を中心に九州全土にその勢力をのばしたが、北朝方の今川了俊が九州に下向してくるとその勢力は衰退した。

兼朝の時、肥後国守護職を回復し戦国時代に続くが大友氏に破れ嫡流が途絶えた。 菊池氏が滅亡すると赤星氏の勢力下になるが、隈部氏によって追い出され、隈部館から隈部氏が移り居城となる。

隈部氏は北侵する島津氏に降伏したが、豊臣秀吉による九州征伐で秀吉に降伏し本領を安堵された。しかし熊本に入封した佐々成政が検地を行うとこれに反発して挙兵し、成政が菊池城に押し寄せると城村城に籠もってこれに対抗した。これがきっかけとなって肥後国衆一揆が広まり、成政は謹慎の後に切腹、隈部氏もまた嫡流は断絶した。

鞠智城:築城年代は定かではないが7世紀後半に大和朝廷によって築かれた。 天智2年(663年)朝鮮半島白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた大和朝廷は九州・中国・四国地方に山城を築いて唐・新羅連合軍の来襲に備えた。

九州では大宰府を中心に基肄城や大野城を築いて防衛線としており、鞠智城は前衛である大野城などへの武器・食糧の供給基地として築かれたと考えられている。

結局大陸から日本への侵攻はなく、その後は役所として利用され10世紀半ばまで存続していたようである。

隈部館:築城年代は定かではないが隈部氏によって築かれた。 隈部氏は大和源氏宇野氏の末裔で菊地氏に仕え隈部の名字を与えられたと云われる。

隈部氏は菊池家臣団において城氏や赤星氏らと並び重要な地位にあった。菊池氏が没落すると大友氏や龍造寺らと結んで勢力を拡大し、天正6年(1578年)には赤星氏を隈府城から追放し、隈府城を本城として移った。

隈部氏はその後、肥後に入封した佐々成政に従ったが、隈部親永は成政の検地に反発して挙兵する。これが肥後国人一揆の発端となったが豊臣秀吉が派遣した援軍に降り、隈部氏は滅亡した。

相良寺:

金剛乗寺:

田中城:築城年代は定かではない。古代豪族和邇氏の末裔といわれる和仁氏累代の居城である。

天正15年(1587年)佐々成政の検地に対して隈部城の隈部親永が反発して国人一揆が発生すると、和仁氏と坂本城主辺春親行などが田中城に籠城して成政に抵抗した。佐々成政は国人一揆を押さえ込もうとしたが、逆に隈本城に攻め込まれたため撤退し、豊臣秀吉に援軍を求めた。秀吉は小早川・立花・鍋島などの諸将に命じて田中城を攻撃させ、安国寺恵瓊の謀略によって辺春氏が寝返り落城した。

筒ケ嶽城:築城年代は定かではない小代氏によって築かれたのが始まりとされる。 小代氏(しょうだい)は武蔵国入間郡小代郷発祥で武蔵七党の一つ児玉党に属していた御家人で武蔵国小代館に住んでいた。

宝治合戦の功により小代重俊が肥後国野原荘の地頭職に任ぜられ、文永8年(1271年)には鎌倉幕府より蒙古襲来に備えて野原荘へ下向するよう命ぜられ、 小代重泰(重康)らの兄弟が下向したことに始まる。

小代氏は以降、肥後国北部の有力国人として代々続き、はじめ大友氏、ついで龍造寺氏、島津氏に属し、豊臣秀吉の九州征伐では秀吉に従って所領を安堵され、肥後に入国した佐々成政、加藤清正そして細川氏の家臣となって近世まで続いた。

17:00終了、熊本空港に向かう。
17:30熊本空港到達。
19:10熊本空港出発。
20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、九州の熊本県に足を運び、熊本県に点在するお城を6か所、九州四十九院薬師霊場5か所を訪れ癒されました。
山の頂、畑の中、公園の中に位置する、様々な城跡、楽しめました。















飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百十六弾:熊本県お城・城下町巡り観光
2017年12月2日−3日

九州の西に位置し、室町時代に、古くから同地で力を持っていた菊池氏が守護になり、阿蘇氏、名和氏、相良氏などが各地を支配するが、争乱で絶えなかった、やがて大友氏が肥後に進出し、龍造寺氏、島津氏と対立することになった熊本県に足を運び、熊本県に点在する比較的マイナーなお城7か所を訪れました。

2日17:30伊丹空港出発
18:40熊本空港到達、レンタカーで八代方面に向かう。
20:00八代市内のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。
3日7:00レンタカーで出発、お城巡り。

佐敷城:築城年代は定かではない。現在残る遺構は肥後に入国した加藤清正によって築かれたもので、加藤重次が城代であった。

南北朝時代に築かれた佐敷城は、現在の佐敷城から佐敷川を越えた東側にある佐敷東の城とも考えられているが詳らかではない。

永禄5年(1562年)島津家臣梅北宮内左衛門が佐敷城を攻めたときの城主は佐敷重家であった。天正9年(1581年)島津義久が水俣で相良義陽を敗ると、芦北郡は島津氏に割譲され、島津家臣の宮原景種が地頭として佐敷城主となった。

天正15年(1587年)豊臣秀吉による九州征伐によって島津氏は敗北すると、秀吉の家臣佐々成政、継いで加藤清正と小西行長が肥後に入封し、佐敷は加藤清正に与えられた。

佐敷城を築いた加藤清正は、家臣加藤重次を城代として佐敷城に置いたが、 文禄元年(1592年)の文禄の役に城代の加藤重次が従軍して留守のとき、島津家臣梅北国兼が佐敷城を占拠して挙兵(梅北一揆)した。しかし、一揆は間もなく加藤氏の家臣井上氏・安田氏・坂井氏などによって鎮圧され、梅北国兼は討死した。

慶長5年(1600年)関ヶ原合戦では、加藤清正は東軍、小西行長と島津氏は西軍と分かれた結果、飛領地であった佐敷城は孤立し、島津氏によって攻められた。このとき西軍の敗報が伝わるまでの約30日余り籠城して持ちこたえたという。

元和元年(1615年)一国一城令により廃城となり破却されたが、寛永15年(1638年)島原の乱後に破却不十分として、再び徹底的な破却が行われた。

水俣城:築城年代は定かではないが南北朝時代に水俣氏によって築かれた。 南北朝時代後期には相良氏の支配するところとなったが天正9年(1581年)島津氏が侵攻し落城した。

宇土城:天正17年(1589年)小西行長によって築かれた。
佐々成政が失政により摂津尼崎で自刃すると肥後の南3郡二十四万石で小西行長が入封し、宇土古城の東に新城を築いた。

関ヶ原合戦で西軍に付いた行長は家康に捕らえられ斬首となる。 関ヶ原合戦後熊本の加藤清正によって宇土城は落城、肥後一国に加増された清正は元和2年(1616年)幕命により廃城とする。

宇土古城:永承3年(1048年)に菊池一族によって築かれたと云われるが定かではない。
鎌倉時代末期頃には宇土庄地頭職の宇土道光の居城であった。
文亀4年(1504年)八代の古麓城主であった名和顕忠は相良氏によって追われ、木原城を経て宇土城へと移り、以後、名和氏が代々宇土城主として続いた。
天正15年(1587年)豊臣秀吉による九州征伐で名和顕孝は降伏し所領は安堵された。 その後、肥後に入封した佐々成政に対して勃発した肥後国人一揆では、名和氏は中立の立場であったが、鎮圧後に佐々氏に協力しなかったことを陳謝するため、名和顕孝は弟名和顕輝を城代して上洛した。翌天正16年(1588年)一揆を鎮圧した秀吉の軍勢が、宇土城明け渡しを要求したが、顕輝はこれを拒否して籠城、落城して顕輝は討たれた。

本渡城:築城年代は定かではないが永禄年間(1558年〜1569年)に天草鎮種によって築かれたと云われる。 天草氏は筑前国高祖山城を居城とした原田氏の一族とされ、鎮種の時、河内浦城より本渡城を築いて居城を移したという。

豊臣秀吉の九州征伐以後も所領を安堵されたが、南肥後に入部した小西行長の宇土城普請を天草衆は拒否して天正17年(1589年)小西行長と加藤清正によって攻められた。 この戦では本渡城に客将として迎えられていた赤井城主木山弾正が、五百の兵を率いて志岐城へ向かい仏木峠にて加藤清正と戦い、弾正は清正を求めて単騎敵中に乗り込み清正を組み伏せたが、主君あやうしと駆けつけた弾正の家臣に誤って槍にかかり討死したという。

富岡城:慶長10年(1605年)寺沢広高によって築かれた。 天草一帯は宇土城主の小西行長の所領であったが、関ヶ原合戦によって改易となり、肥前国唐津に入部した寺沢広高の所領となった。 広高は慶長8年(1603年)より富岡城の築城を開始し慶長10年(1605年)に完成させた。

寛永14(1637年)島原の乱が勃発、天草でも一揆が蜂起する。富岡城代であった三宅藤兵衛は一揆勢と本戸合戦で戦って敗れ討死する。勢いに乗じた一揆勢は富岡城に攻め寄せ、落城寸前まで攻め込まれたがなんとか持ちこたえ、江戸幕府が派遣した援軍が来るとの知らせによって一揆勢は囲みを解いて島原半島へ渡り原城に籠城した。島原の乱は鎮圧されたが、寺沢氏は天草の所領を失った。

寛永15年(1638年)備中国成羽より山崎家治が入封すると、百間土手を設けて袋池を作るなど城は改修され規模も大きくなったが、寛永18年(1641年)改修が終ると家治は讃岐国丸亀へ転封となった。

寛永18年(1641年)からは天領となり初代代官を鈴木重成が務めた。重成は四万二千石という石高は過大で、それが一揆の一因であったことを痛感、幕府に石高半減の陳情を続けた。重成は承応2年(1653年)江戸で没しているが、一説に幕府への講義のために自刃したとも伝えられる。天草の石高は重成の子重辰の時代に二万一千石へと半減された。
寛文4年(1664年)三河国田原より戸田忠昌が入封すると、忠昌は城の修築費用が領民の負担となるとして寛文10年(1670年)本丸と二の丸を破却して、三の丸に陣屋を築いた。寛文11年(1671年)戸田忠昌は関東へ転封となり、天草は再び天領となると、陣屋がそのまま代官所となって明治まで続いた。

久玉城:築城年代は定かではないが久玉氏によって築かれたと云われる。 久玉氏は天草氏の支族とされ、明応10(1501年)に天草一揆の一人として久玉氏が出てくるのが初見で、この頃には久玉城が築かれていたものと推測されている。

永禄12年(1569年)には河内浦城の天草氏の支城となっていたが、キリスト教の布教に反対する天草氏一族がこれを占拠し、島津薩衆家の島津義虎や肥後の相良氏の支援を受けて天草尚種に対抗した。しかし、天正2年(1574年)頃には落城し天草氏の支城としてキリスト教の司祭館なども築かれた。

慶長6年(1601年)関ヶ原合戦の後に肥前国唐津へ入封した寺沢氏の所領となり、現在の遺構は寺沢氏によって改修されたものと推測されている。

15:00熊本空港に向かう。
17:00熊本空港到達。
19:10熊本空港出発。
20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、熊本県に足を運び、八代、水俣、天草に点在する比較的マイナーなお城7か所をおとずれ楽しみました。
今回も立派な城跡が多く、感激、堪能しました。
立派な石垣、城址公園見るべきものがたくさんあり満足でした。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百四十六弾:熊本県九州八十八ヶ所巡り&お城・城下町巡り観光
2016年2月10ー11日

室町時代に、古くから同地で力を持っていた菊池氏が守護となり、阿蘇氏、名和氏、相良氏などが各地を支配するが、争乱が絶えなく、やがて大友氏が肥後に進出し、龍造寺氏、島津氏と対立することになる九州熊本県に足を運び、九州八十八ヶ所13箇所、お城・城下町6箇所を巡りました。

10日17:40伊丹空港出発
18:50熊本空港到達、レンタカーで熊本駅に向かう。
19:30熊本駅付近のホテル到着後周囲を散策し食事を済ませて就寝。

11日7:00レンタカーで出発、霊場巡り。

本蔵院:歴史は、阿蘇山から始まります。阿蘇山は本来、阿蘇神社の別当所として隆盛した西巌殿寺(天台宗・最栄読師開創)に総括された修験の山です。 有名な草千里には、かつて西巌殿寺の子院三十七坊が並び、修験の拠点となっていました。
しかし、明治の廃仏毀釈と修験道禁止令で、阿蘇修験は壊滅状態になりました。 西巌殿寺は山麓と山上にそれぞれ本堂を存続させていますが、子院三十七坊はいずれも廃されてしまいました。 後に、三十七坊の一院が熊本市迎町に移転し、真言宗に改宗したのが、満念寺本蔵院です。
さらに、昭和2年(1927)現在の本荘に移りました。 本尊は珍しい北向き不動明王。また、同じく本堂に祀られている弘法大師像は、人形師安本亀八の作です。

金剛寺:市街の中に在り、人々から中将姫の愛称で呼ばれている。創建は慶長年間(1596)斉藤又右門と称する人が開基したと伝えられている。
当初は熊本城の裏鬼門にあたる所にあって、加藤神社の別当を兼ねていたが、明治維新の廃仏毀釈に寺門は衰退していた。 明治25年(1892)増本法秀が現在の地に法灯をかかげ、由緒ある金剛寺を復興して維新の世情に弘法大師の教えを広めた。
しかし、昭和の戦火に焼失したが、寺門の再建に仏心をたぎらせ、新たな法灯を継承した。 以来、昭和58年に現在の秀和尼が本堂を再建して、祈りの道場を構えた。
中将姫の由来は、開基の斉藤又右門が霊示のお告げをうけて勧請したという。 中将姫といえば、奈良の当麻寺で出家した姫は、法如尼と改め阿弥陀如来に祈願していたところ、比丘尼が現れ、当麻曼荼羅を織り上げたと言う伝説がある。

蓮華院誕生寺:ここでお生まれの「皇円大菩薩様」をおまつりする真言律宗の「九州別格本山」です。 皇円大菩薩様(皇円上人様)は、浄土宗御開祖の法然上人様のお師匠様で、約900年前、肥後の守、藤原重房公の嫡孫として、ここ熊本県玉名市築地に御誕生されました。 幼くして比叡山で修行された皇円上人様は学徳にすぐれ日本三大歴史書の一つ『扶桑略記』を編述されました。 ご入定から六年後の治承元年(1177年)に平重盛が「蓮華院」を建立。そして60年後、法孫、恵空上人が、ご誕生の地に蓮華院浄光寺を再興、関白塔などを建立されましたが、天正十年(1582年)戦乱のあおりを受けて焼失してしまいました。 昭和に入り、川原是信大僧正様がご霊告により昭和5年に蓮華院を再興し、53年に奥之院を建立され、現在に至ります。

金剛寺:荒尾市は、熊本県の北西部に位置する。東に小岱山をいただき、西に不知火で名高い有明海に面し、彼方に雲仙岳を望む。県境の大牟田市とは共に炭鉱で栄えた。 昭和9年赤星精秀和尚が四国八十八ヶ所霊場遍路の後、真言宗寺院のなかった荒尾に、弘法大師御入定千百年御遠忌の記念事業として法雲院を開創した。法燈を継いだ善弘師が昭和35年入山して、法雲院を山号に改め、法雲山金剛寺と改称した。 参道には番号の刻まれた敷石がある。左側が四国八十八ヶ所霊場、右側が西国三十三ヶ所霊場の御砂が収められている。本堂前の観音立像の前には坂東秩父の観音霊場の御砂が収められ合せて百観音の結願となる。 弘法大師入唐1200年、御帰朝1200年それぞれの記念の石塔があり、中には中国赤岸鎮と青龍寺の石砂が収められている。殊に御帰朝記念の石塔には、中国で刻まれた黒御影石の金剛五鈷杵が蓮台の上に安置されている。

大勝寺:当山は千葉県成田市の成田山新勝寺が本山であり、その大本山成田山新勝寺の御本尊南無大日大聖不動明王(弘法大師一刀三礼謹刻開眼)のご分身が当成田山のご本尊であります。
1972年、九州のほぼ中央に位置し眼下に有明海が広がり、雲仙普賢岳、県立公園小岱山を望む自然ゆたかな地と、山門前には、西日本最大のテーマパーク「グリーンランド」を中心にアミューズメント施設等『遊・食・住』を兼ね備えた一大リゾート地が存在するこの有明の地を聖地と定め、本山より成田山の山号を戴き、寺号大勝寺を賜わり交通安全、厄除け現世利益、済世利人の成田山祈願道場として、九州一円熱誠信徒の心の寄り処となっている。

護国山仏性院金剛乗寺:825年弘法大師御開基にて「西の高野」と称される真言の大伽藍なり。
 お大師様九日間談義され、この地を九日町、当山を談義所と呼ぶ。後鳥羽院御勅願寺。 中興の祖恵鏡法印より34世。菊池・細川家など祈祷本坊、多くの信者の当病平癒・所願成弁の 祈願寺として現在に至る。
 1473年山鹿の温泉涸渇の折、当山中興八世宥明法印が硫礦山浄瑠璃寺(現在の薬師堂)を建立、 不借身命の大祈祷により温泉を復活させたのを祝って、山鹿の温泉祭が始められた。 また、法印供養法要の際山鹿庶民の献じた紙灯篭が灯篭祭の始まりとある。 お手植えの弁財天所縁の[童子椿]は法印の再来を待ち、花を開かず蕾のまま散るので有名。

八代方面に向かう。

医王寺:平安中期に創建されたと伝えられ、江戸時代寛文5年(1655)に、現在地に再興されました。歴代、八代城の安全と城主並びに城下、家内の除病息災・子孫繁栄を祈願して以来、八代城主 松井家の祈願寺だったお寺です。 
ご本尊は、薬師如来立像で、平安中期〜室町時代の作で桧の一木造り、高さ63.7cm、明治39年に国の文化財指定を受けました。聖観音は、鎌倉時代の作で桧の寄木造り、県指定重要文化財です。境内には、手足を病気、ケガから御守りいただける、青面金剛を祭神とする足手荒神、約300年も立ち続けた仁王様(石造の仁王像 高さ2m50cm)沢山の仏、神をおまつりしています。

八代城:元和8年(1622年)加藤正方によって築かれた。 熊本城に入封した加藤氏は元和の一国一城令の例外として熊本城と麦島城を残していたが、元和5年(1619年)麦島城は地震によって崩壊した。
熊本城主加藤忠広は幕府に麦島城を廃し新たに八代城を築くことを願い出て許された。 寛永9年(1632年)加藤忠広が改易となると替わって豊前国小倉から細川忠利が入封し、城代として弟立孝を本丸に父忠興を二の丸に置いた。 忠興が亡くなると家老の松井氏が城代となり以後明治に至る。

古麓城・鷹峰城:築城年代は定かではないが内河義真によって築かれたと云われる。 隠岐を脱した後醍醐天皇を伯耆国船上山に迎え、倒幕の兵を挙げた名和長年は、鎌倉幕府が滅亡すると、その功により嫡男義高に肥後国八代庄の地頭職が与えられた。 翌建武2年(1335年)一族の内河義真が代官として八代に下向し、南北朝初期の争乱により城を築いた。これが八代城で現在古麓城と呼ばれている。
「太平記」には建武3年(1336年)に北朝方の一色範氏が内河の城(八代城)を攻めたことが記されている。
長禄3年(1459年)名和義興が十六才のときに殺害されると、幸松丸は元服して名和顕忠と名乗った。文明年間(1469年〜1487年)になると名和氏は相良氏と敵対するようになる。文明14年(1482年)名和顕忠が高田に侵攻するが相良為続に撃退され、翌15年には相良為続が逆に八代へ攻め入り古麓城は落城した。相良氏は一度退いたが文明16年に再び八代に侵攻してくると名和顕忠は古麓城を捨てて逃れた。
明応8年(1499年)相良氏は豊福で菊池能運と戦って敗れると、勢いに乗じて八代へ侵攻した菊池軍に追われ、八代の地は再び名和氏が復帰した。
文亀4年(1504年)相良長毎が八代へ侵攻すると、名和顕忠は古麓城を明け渡し、木原城を経て宇土古城へ移った。天文3年(1534年)には相良義滋(長唯)によって城の拡張と城下町の整備が行われ、自ら移って居城とした。
豊臣秀吉の九州征伐の後、肥後に入封した佐々成政は肥後国人一揆により改易となり、代わって加藤清正と小西行長が入封する。八代は小西行長の所領となり、古麓城は廃され麦島城が築かれた。

人吉方面に向かう。

願成寺:当寺はおよそ770年前、四条天皇天福元年(1233)人吉城主初代相良三郎藤原長頼公の創建で、開山弘秀上人は建久9年遠州常福寺より来られました。 金堂は鎌倉の長勝寿院の大御堂を模造し、1345畳敷と伝わっています。本尊は阿弥陀如来です。 文禄元年、当山13世勢辰上人は大いに功あって、寺録を300石増加され、慶長16年(1611)当山は後陽成天皇の勅願所となりました。塔頭六院を設け諸堂伽藍を経営していましたが、永録15年と更には西南戦争で、古の諸堂伽藍は悉く焼失しました。しかし、国指定重要文化財の阿弥陀如来・県指定重要文化財の不動明王・両界曼荼羅・七重の石塔・相良家の墓地・古文書数千点他安泰を待所蔵。

高寺院:球磨地方は、かつて平家一門の荘園がありました。平家滅亡後、平重盛の家人だった平貞能が、追善菩提のため重盛の念持仏の金造毘沙門天を胎内に納めた尊像を刻み、堂宇を建立したのが高寺院の始まりとされています。また、一説には、永享5年(1433)に快親という僧が開山して、本尊に毘沙門天を安置したとも言われています。江戸時代には、かなりの諸堂が軒を連ねていました。庫裏を兼ねた本堂は、寄棟造の葦葺きで、山村の農家のような感じの建物。外観からはお寺とは思えないが、日本人のふるさとといった雰囲気があります。
本堂の裏手にある入母屋造の収蔵庫に、本尊などの諸仏が安置されています。内部に並ぶ三体の毘沙門天像は、まさに壮観であり威風堂々と立っています。このうち、二体が国指定の重要文化財であります。

観蓮寺:元は観琳寺といい、治承年間(1177〜1181)平重盛菩提のため、矢瀬主馬佑が建立したと伝えられています。その当時は禅宗の一派だったそうですが、大永6年(1526年)当地の内乱「瑞堅の乱」に依り堂宇も焼失してしまいました。慶長年間(1596〜1615)再興しその時から千福寺 観蓮寺と改称し真言宗に改められました。途中数回の無住の時を経て現在に至っています。
青井山高野寺:熊本県南部、清流「球磨川」の流れる街「人吉市」の中心部、国宝「青井阿蘇神社」 門前にお寺を構えます。  大正十五年、初代良戒大和尚により開山せられました。その当時から“お大師さん”や“こうやさん”と 呼ばれ、皆様に親しまれております。 山門を入りまして左手すぐのところに『新四国八十八ヵ所霊場』の八十八体の佛様が御鎮座されておられます。 四季折々の花を見る事が出来る参道を歩けば、正面に『御身堂(おんみどう)』と呼ばれる、当山本尊 「高祖弘法大師(おだいしさま)」のおられます蓮華の花を模した八角堂(本堂)がございます。 本堂入り口の手前右手には、小さな子供たちを抱いた愛らしい「水子地蔵」さまがおられます。

勘代寺:日本三代急流 球磨川の上流 奥球磨 美しい田園風景の中にございます多良木町に勘代寺はあります。寺暦は鎌倉時代中期からの歴史を有し、諸代相良家の祈願所とし栄え現在は地域の方々の心のよりどころとして、日々お香のたえることのないお寺です。ご本尊様は、秘仏十一面観世音菩薩さま 内陣には、等身大以上のお大師様 薬師如来 孔雀明王 不動明王 をおまつりしておりまた 境内には、修行大師 弥勒菩薩を中心に石像十二支守護本尊八体佛 疳封じ地蔵 水子地蔵 子安観音裏門からは 厄払いの男坂四十二段・女坂三十三段をのぼると、厄除け不動尊をおまつりしており、毎月のお大師様報恩日(21日)には、たくさんのお参りのかたがたに大数珠まわしをしていただき、護摩祈祷を修しております。

生善院:寛永2年(1625年)に創建され、熊本県南部に位置する真言宗智山派の寺院です。
 謀反の疑いで非業の死をとげた普門寺第5代住職盛譽法印と後を追って死んだその母玖月善女を 祀るために人吉藩主相良長毎公により建立されました。本堂には盛譽法印の影像である阿弥陀如来が、 観音堂には母玖月善女の影像である千手観音がそれぞれ納められています。 言い伝えでは、盛譽法印の母玖月善女は、その息子の死を怨み相良氏を呪いその愛猫「玉垂」とともに、 茂間ヶ崎淵(湯山ごしんさん)に身を投じました。その後、この猫が相良氏のもとに化けて出たため、 この猫の供養も兼ねて生善院が建てられたと伝えられており、この化け猫の伝説により生善院は 通称「猫寺」と呼ばれています。

鍋城:築城年代は定かではないが鎌倉時代に上相良氏によって築かれたと云われ、 以後代々上相良氏の居城となった。
南北朝時代には上相良氏は南朝方となり、人吉の下相良氏は北朝方として対立するようになる。その後南朝方に属した上相良氏は形勢が不利となって下相良氏に帰順し、相良氏惣領の座は下相良氏へと移った。

熊本市方面に戻る。

御船城:築城年代は定かではない。 阿蘇惟長によって日向国に追われた阿蘇惟豊は、甲斐親直(宗運)の助けで惟長を追って復帰する。その後、阿蘇惟豊の命で御船城主御船房行を討った甲斐宗運は、御船城主となった。宗運は御船城を居城として勢力を持ち、大友氏と阿蘇氏の間に立って重要な役目を果たしたが、耳川の合戦で大友氏の勢力が衰えると、島津氏の命で攻め寄せた相良義陽を響ヶ原で討ち取るなどの戦功をあげた。宗運が亡くなると島津氏が北上して益城郡の諸城を落とし、御船城主甲斐親乗は城を捨てて退散した。

岩尾城:築城年代は定かではないが貞応年間(1222年〜1224年)頃に阿蘇惟次によって築かれたと云われる。 阿蘇氏の浜の館の詰城として築かれたものである。
天文21年(1552年)に岩尾城で火事があったことが「八代日記」に記されているという。

18:10熊本空港到達。
19:20熊本空港出発。
20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、九州熊本県に足を運び、九州八十八ヶ所13箇所、お城・城下町6箇所を巡り楽しみました。

天候快晴、久々のドライブ日和、気温も比較的暖かく、気持よく、霊場・お城を回るこtが出きました。

九州の八十八ヶ所、お城巡り、徐々に制覇し続けています。明後日は長崎の霊場、お城巡りを予定しています。


















飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百三十弾:熊本県くま川鉄道田園シンフォニー観光  
2014年11月15−16日
 

熊本県人吉に足を運び球磨川に沿って位置するくま川鉄道の人吉から湯前までを走る観光列車田園シンフォニーに乗車し走行し球磨川沿いの美しい田園地帯を車窓から景観しながら訪れました。

15日17:05伊丹空港出発
18:15熊本空港到達、バスで熊本駅に向かう。
19:30熊本駅到達、近くのホテル到着後周辺の繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
16日8:28熊本駅特急くまがわ1号で出発
10:00人吉駅到達。
11:11人吉駅くま川鉄道田園シンフォニーで出発

観光光列車「田園シンフォニー」はJR九州の寝台列車「ななつ星in九州」などで知られる水戸岡鋭治氏がデザインし,平成26年3月に運行開始したばかりの新型豪華車両です。速度を落として運転するので、沿線の景色をゆっくり楽しめます。車内は人吉球磨産のヒノキを使用し、明るくやわらかな雰囲気です。駅停車時などに、地元のあたたかいおもてなしも楽しめます。

12:18湯前到達
12:31湯前くま川鉄道田園シンフォニーで出発
13:15人吉到達
14:00人吉JR肥薩線で出発
15:12八代到達、バスで熊本空港に向かう。
16:05熊本空港到達
18:45熊本空港出発
19:50伊丹空港到達。

今回の旅行、熊本県人吉に足を運び球磨川に沿って走るくま川鉄道観光列車田園シンフォニーに乗車し車窓から球磨川周辺ののどかな田園風景を望み楽しめました。




飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百八十八弾:熊本県トロッコ南阿蘇鉄道ゆうすげ号観光  
2014年10月18−19日
  

九州の中央に位置する熊本県に足を運び、大規模な噴火で形成された阿蘇カルデラ内に、雄大な風景が展開する阿蘇の南に走行する南阿蘇鉄道立野駅から高森駅を走るトロッコ列車ゆうすげ 号に乗車し、南外輪山と田園風景に囲まれ、高さ約60mの渓谷に架る橋など風光明媚なシーンが展開する風景を訪れました。

18日14:30伊丹空港出発
15:45熊本空港到達、
16:00熊本空港バスで出発
17:05熊本駅到達、駅前のホテル到着後周囲を散策し、食事を済ませて就寝。
19日9:00ホテル出発。
9:51熊本駅豊肥本線で出発、肥後大津経由して
10:51立野駅到達。
11:25立野駅トロッコゆうすげ号で出発

ゆうすげ号:立野から南阿蘇を廻り、高森に至る南阿蘇鉄道。 トロッコ列車は、南阿蘇鉄道の路線を4月〜10月の土・日・祝日(夏休み期間中は毎日)走ります。 全国一小さな機関車を前後に連結して走りますので、まるで遊園地のかわいい列車の様です。 客車部分には、天井はありますが、窓ガラスなどはなく、風が吹き抜けます。阿蘇の涼しい風がトロッコ列車の中を吹き抜け、阿蘇高原の爽やかな風が頬を撫でます。高森〜立野駅までの17.7kmを55分間かけてガタゴトとゆっくり進みます。 阿蘇の雄大な景色も堪能することができます。 この白川渓谷にかかる白川鉄橋の上では最徐行しますので、ゆっくりと渓谷の景色を楽しむことができます。かなりスリリングです。阿蘇の大パノラマを満喫できます

12:22高森駅到達。
12:53高森駅普通で出発
13:21立野駅到達。
13:32立野駅出発三段式スイッチバックで

三段式スイッチバック:高低差が激しく、列車が一気に上り下りできない場所で、折り返し進むように、ジグザグに運転すること。「スイッチバック」 は  赤水駅 − 立野駅 間。日本でも有数の 三段式「スイッチバック」。

14:10阿蘇駅到達。
14:45阿蘇駅出発。
15:35肥後大津駅到着、シャトルバスで熊本空港に向かう。
16:05熊本空港到達。
17:20熊本空港出発
18:25伊丹空港到達。

今回の旅行、九州の中央に位置する熊本県に足を運び、雄大な風景が展開する阿蘇の南に位置する南阿蘇を訪れ、南阿蘇鉄道立野駅から高森駅を走るトロッコ列車ゆうすげ 号に乗車し、南外輪山と田園風景に囲まれ、高さ約60mの渓谷に架る橋など風光明媚なシーンが展開する風景を楽しみました。又立野駅から三段式スイッチバックで阿蘇駅を訪れ散策し、大規模な噴火で形成された阿蘇カルデラ内に、雄大な風景が展開する阿蘇を望みました。

全国のSL、トロッコを数か所おとずれ乗車しましたがSLはSLに乗ることが楽しみですがトロッコは乗ることだけでなく風光明媚なエリアを走行し車窓からの景観を楽しむことができます。









 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百七十一弾:熊本県天草沖離島(御所浦島・牧島・横浦島・湯島)観光
2014年4月12−13日
  


九州の中央に位置する熊本県に足を運び、県の南西に広がりをみせるシーサイドエリアで、大小120あまりの島々が天草橋でつながり、16世紀にキリシタン布教活動が広がり、西洋風建築の教会や文化施設が異国を漂わせる天草諸島の離島(御所浦島・牧島・横浦島・湯島)を訪れました。


12日14:30伊丹空港出発
15:50熊本空港到達、レンタカーで天草方面に向かう。
18:30天草下島本渡内のホテル到着後近くのレストランで食事を済ませて就寝。
13日7:00レンタカーで出発、棚底港に向かう。
7:45棚底港到達。
8:10棚底港フェリーで出発
8:55御所浦港到達、散策


御所浦島:御所浦島をはじめこの周辺の島々は地層が古く、昔から貝の化石などがよく見つかっていました。そして平成9年に白亜紀の地層から大型恐竜の化石が発見されたことで「恐竜の島」、「全島まるごと博物館」をテーマとした町おこしが行なわれるようになりました。白亜紀資料館の近くには化石採掘場があり採掘体験ができるようになっています。運が良ければ恐竜の化石を見つけることができるかもしれません。ただし貴重なものは持ち出し禁止になっていますので注意が必要です。小島が点在する地形を活かして鯛やトラフグの養殖が盛んに行なわれ、また温暖な気候はミカンの栽培にも適しており、島の経済を支えています。もちろん不知火海(八代海)に浮かぶ島々の景色は素晴らしく、標高442mの烏峠展望所からは360度のパノラマが望めます。御所浦という地名は、景行天皇が西国巡幸の時にこの島に行宮が置かれたという言い伝えが由来になっています。


牧島:天草地方は戦国時代、志岐氏・天草氏・上津浦氏・栖本氏・大矢野氏の5豪族が支配していました。天草5人衆と呼ばれています。この牧島は5人衆の栖本氏の牧場があったところから牧島と呼ばれるようになったといわれています。御所浦周辺は地層が古く、昔からたくさんの貝やアンモナイトの化石が見つかっていましたが、2004年12月に日本最古の大型哺乳類「コリフォドン」の化石が見つかり話題を呼びました。周囲の島々でも巨大肉食恐竜の歯や足跡の化石が見つかっており、御所浦町では「島まるごと博物館」として町おこしに力を入れています。牧島にはたくさんの化石や恐竜のモニュメントが展示されているニガキ化石公園や直径60cmもあるアンモナイトの化石が展示してあるアンモナイト館などがあります。産業は入り江を利用した真珠の養殖やタイ・ブリなどの生簀(いけす)が主で、島の経済を支えています。


11:50御所浦港高速艇で出発、与一ヶ浦港経由して


横浦島:横浦島は天草上島の竜ヶ岳町大道と御所浦島の間に浮かぶ島で御所浦町に含まれます。弁慶岳(標高198m)には源平の合戦で敗れた平家の落人7人の位牌が祭られているといいます。また、与一ヶ浦という地名は弓の名人として知られる“那須与一”が由来のようですが、その与一ヶ浦と横浦の間の峠を「頼朝越え」と呼びます。秘境と言われるところには平家の落人伝説が多く語られますが、この横浦島の地名からはあたかも義経がこの地に逃げのび、頼朝の命により義経を追ってきた那須与一がこの地に現れたかのような話が聞こえてきそうです。どうして源氏方の地名があるのかは分かりませんが、珍しいことだと思います。かつては沿岸漁業が盛んに行なわれていましたが、現在は養殖と近海漁業、大型船による運搬業などが島の産業になっています。横浦島には豊漁と安全を祈願してたくさんの恵比寿様が祀られています。


12:20棚底港到達、レンタカーで江樋戸港に向かう。
13:00江樋戸港到達。
13:15江樋戸港商船で出発
13:40湯島港到達


湯島:島原半島の南東端にある原城跡から天草を眺めても、天草四郎のふるさと大矢野島の西端から島原を眺めても、海の真ん中には長閑に浮かぶ湯島が望めます。湯島はお椀を伏せたような台形をしています。昔の人が弓を横にした形を連想し“弓島”と呼び、いつの間にかそれが変化して“湯島”となったと言います。そして史上最大のキリシタン一揆「天草・島原の乱」の作戦が練られたのがこの島で、後に「談合島」とも呼ばれるようになりました。


16:00湯島港商船で出発
16:25江樋戸港到達、レンタカーで熊本空港に向かう。
17:50熊本空港到達
18:25熊本空港出発
20:00伊丹空港到達。


今回の旅行、悪天候の中日本のジオパークに認定された、島のあちこちで太古の地層や化石に触れることができる御所浦島と牧島、島原の乱のとき天草四郎と50人からなるキリシタン信徒たちが反乱の謀議をしたことから談合島との異名をもつ湯島を訪れ楽しめました。

横浦島は時に際立った観光名所もなく上陸せず船からの眺望のみとなりました。実は上陸予定でしたが船長が乗客の確認を怠り、横浦島を寄らず通過して御所浦島に向かったため帰りの便で今回の船からの眺望になりました。
田舎の船はのんびりしています、よくある間違いですね、通りすぎるのを確認したらすぐさま船長に抗議することで回避できます。気負つけてください。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百三十四弾:熊本県SL人吉&人吉観光
2013年6月22ー23日


九州の西中央に位置する熊本県に足を運び、熊本駅から人吉駅までの87.5kmを走る蒸気機関車、SL人吉に乗車し、約700年にわたり相良藩の城下町として栄え、日本三大急流の球磨川が走る市内には、今も城跡や御用蔵が残り、九州の小京都と呼ばれる風情がある人吉を訪れました。

22日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
16:14博多駅到達
16:22博多駅新幹線さくらで出発
17:01熊本駅到達、駅近くのホテル到着後駅前のレストランで食事を済ませて就寝。
23日9:44熊本駅SL人吉で出発

「SL人吉」の客車を牽引する「蒸気機関車ハチロク(8620形)」58654号機は、1922(大正11)年に製造されました。最初は長崎の浦上機関庫に配置され、長崎本線をはじめ九州各地で50年ほど活躍して引退しました。その後は、熊本県の矢岳駅前の人吉市SL展示館で保存されていましたが、1988(昭和63)年に『SLあそBOY』として復活し、阿蘇の大自然を走る観光列車として人気を博しました。
肥薩線を颯爽と走るSL人吉 2005(平成17)年には、老朽化のため再び引退しましたが、肥薩線全線開通100周年を迎えた2009(平成21)年に、多くのファンに後押しされ『SL人吉』として2度目の復活を遂げました。以来、美しい車窓が楽しめるレトロ感たっぷりのSL人吉は、九州を代表する人気の観光列車となっています。

12:13人吉駅到達、散策

人吉駅前にある人吉城をイメージした「からくり時計」です。 人吉城のお殿様が城下見物を行うという物語が、民謡「球磨の六調子」の音楽をアレンジした曲にのせて展開されます。 人吉市のシンボル「人吉駅前からくり時計」を見学。

大同元年(806)創建。現存する建物は、江戸時代初期に一連で再建されたものです。中世人吉球磨地方の独自性の強い建築様式の中に、彫刻や彩色などにおいては華麗な桃山期の装飾性を取り入れているのが特徴です。神社が国宝指定されたのは47年ぶりで国指定重要文化財の青井阿蘇神社(本殿・廊・幣殿・拝殿・楼門)の五棟社殿群が熊本県に現存するものとしては初めて国宝に指定され、国内でも最南端で茅葺の社寺建築としては全国で初めての国宝となります国宝 青井阿蘇神社を訪れる。

ゆうれい寺として知られ、この寺の創立者 実底和尚が描かれたと言われる『ゆうれいの掛軸』が残されています。ほかに、境内には人吉・球磨地方で最も古い五重石塔(現在四重)がある。また、明治 10年の西南戦争の際 西郷隆盛の本陣として滞在。その時に本堂などが焼失したため明治24年に再建されている曹洞宗 永国寺を訪れる。

純米焼酎「繊月」で知られる焼酎蔵。米・米麹・水だけを材料に、甘味料や香料など添加物を一切加えずに作られる焼酎には、明治36年の創業時からの伝統が息づいている。工場内は一般開放され、スタッフが案内してくれる。見学後は試飲・購入も可能だ。工場限定の商品もあり、見逃せない焼酎蔵(繊月酒造)を見学。

人吉城跡にある「人吉城歴史館」には、人吉城の立体模型や相良氏ゆかりの史料などがわかりやすく展示され、楽しく歴史に触れることができます。なかでも他に例のない石積みの地下室遺構が復元展示されており、歴史館の目玉となっています。また、この場所が関ヶ原の戦いなどで活躍した重臣・相良清兵衛の屋敷跡であったことから、歴史館は「相良清兵衛屋敷」とも呼ばれるようになりました人吉城歴史館を訪れる。

相良家700年の居城・人吉城は別名繊月城と呼ばれていました。球磨川と胸川を天然の外堀とした中世の山城の形態。水の手橋付近の石垣のはねだし(武者返し)の建築様式は、全国的にも珍しいので国指定史跡に指定され日本百名城に選ばれています人吉城跡を散策する。

創業から続く、自家製天然もろみこだわって、醤油・味噌を醸造している。およそ100メートル続く蔵は、醤油やもろみの室や、2メートルの圧力釜、味噌を寝かす石造りの室などを見学できる。見学後は、お茶がふるまわれ、醤油や味噌を使った佃煮・みそ漬けなどを試食できる。売店を兼ねた休憩処がある建物は大正時代のもので、桜の木が使われ、創建当時のままの姿を保っている釜田醸造所を見学。


14:38人吉駅SL人吉で出発
17:13熊本駅到達
18:02熊本駅新幹線つばめで出発
18:52博多駅到達
18:55博多駅新幹線のぞみで出発
21:17新大阪到達。

今年3回目の訪れである熊本県に足を運び、今回は熊本駅から人吉駅までSLに乗車し人吉を観光してきました。今まで全国のSLを何回か乗ったことがありますが、人気ありますね、定員いっぱいでどこも運行しています。

レトロで迫力のある蒸気機関車人気ですね。

1泊2日の旅、人吉で2時間ほど散策した以外はほとんど電車の中、総13時間車両に乗車した熊本SL人吉観光旅行でした。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百二十八弾:熊本県天草諸島巡り
2013年5月11ー12日


九州の中央に位置し、阿蘇カルデラを有する阿蘇、肥後藩の城下町として栄えた熊本、日本三大急流の一つ球磨川が流れる人吉、紺碧の海に面した天草の大きく4つのエリアに分かれる熊本県に足を運び、県の南西に広がりをみせるシーサイドエリアで、大小120あまりの島々が天草五橋でつながり、16世紀にはキリシタン布教活動が広がり、西洋風建築の教会や文化施設が異国情緒を漂わせる天草にある諸島(戸馳島、野釜島、野牛島、維和島、永浦島、樋合島、前島、通詞島、獅子島、椚島、樋島、下須島)訪れました。

11日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
16:14博多到達
16:22博多新幹線さくらで出発
17:01熊本駅到達、レンタカーで天草諸島に向かう。

宇土半島と戸馳島の間はモタレノ瀬戸と呼ばれていますが、そのモタレノ瀬戸に架けられた橋長300mの朱色の戸馳大橋を渡ると戸馳島です。全体的に平坦な島のようですが、きれいに舗装された道路を車で進んでもそこそこ上り坂があります。そして左右に分岐している路を東へ1kmほど行った所に花の学校「みすみフラワーアイランド」があります。「胡蝶蘭の里」というネーミングがされているように蘭の栽培が有名で、毎年4月の終りにはフラワーフェスタが開催されています。もちろん蘭だけではなく四季折々の花々を楽しむこともできます戸馳島を訪れる。

大矢野島の西側に接していて、昭和55年に完成した野釜大橋(295m)で結ばれています。
野釜大橋を渡り終わるとすぐに右折、そして道なりに進んで行くと唐船島や黒島が間近に見える唐船ヶ浜海水浴場が広がります。遠くに雲仙普賢岳、そして有明海には島原の乱の談合島として知られる湯島が望めます。昔から鯛釣りが有名な湯島周辺には、小さな漁船が浮かんでいます野釜島を訪れる。

大矢野島と維和島の間にある島で、大矢野島とは西大維橋(238m)、維和島とは東大維橋(380m)で結ばれています。昭和30年代には数人の住人が居たようですが、昭和43年には無人島になっています。島には隠れ家的な宿が1軒あります野牛島を訪れる。

維和島の周辺、特に西側はクルマエビ養殖の生簀がたくさんあります。明治38年に維和島で天然稚エビの蓄養が開始され、その後はクルマエビ養殖の本場として全国に知られるようになり、東京など大都市にも高級食材として出荷されています維和島を訪れる。

19:30本渡のホテル到達後繁華街を散策して食事を済ませて就寝。
12日7:00レンタカーで出発中田港に向かう。
7:40中田港到達
8:10中田港フェリーで出発
8:40獅子島片側港到達、レンタカーで島巡る。
9:40獅子島片側港フェリーで出発
10:10中田港到達、レンタカーで牛深方面に向かう。
11:05牛深到達

牛深は天草下島の南端にあり、熊本県最大の漁港の町です。そして牛深港の南側を形作っている島が下須島で、天草下島とは通天橋と牛深ハイヤ大橋の二つの橋で結ばれています。通天橋は1971年に開通し、橋長は125.4m、赤いパイプが印象的なアーチ橋です。車がやっとすれ違うことができるくらいの橋ですが、天草下島と陸続きになったことの意義は大きなものがありました。橋のたもとには通天公園があり、牛深港の様子や周辺の島々が一望できます下須島を訪れる。

11:15通詞島に向かう。
12:05通詞島到達

天草下島の北端にある島で、昔は瀬戸の狭い所を手漕ぎの渡し舟が行き来をする長閑な島でした。昭和50年に通詞大橋が開通したことで随分便利になり、車で島を訪れる人も増えましたが、天草灘の美しい景色と長閑さは昔のまま残されています通詞島を訪れる。

樋島に向かう。

天草諸島周辺から、続いては旧龍ヶ岳町区間の椚島で対岸に樋島と坊主島を臨む柳瀬戸です。椚島を通過する。

天草上島の南部にある龍ヶ岳町に属する島です。上島と樋島の間には椚島と坊主島があるため、見る位置によっては陸続きのようにも見えていました。しかし実際には人の移動、物の運搬などは船を頼らざるを得ない離島で、架橋は島民の悲願でもありました。そして昭和47年9月に樋島大橋が開通し、天草上島と陸続きになり、さらには天草五橋を通じて九州本土と繋がった樋島を訪れる。

天草松島は宮城県の松島、長崎県の九十九島と共に日本三大松島として美しい景観を誇っています。昭和41年の天草五橋開通、そしてその後には温泉開発が進み、多島美を一望できる前島には旅館やホテルが立ち並び天草観光の拠点になりました前島を訪れる。

天草五橋の2号橋(大矢野橋)と3号橋(中の橋)の間にあるのが永浦島です。島の周囲は浅瀬が多く、干潟にはハクセンシオマネキが群棲しています。シオマネキというのはカニの種類のことで、片方の鋏だけが大きく、その鋏を揺らす仕草が潮を招いているように見えるためにそういう名が付けられました。しかし、鋏が大きくなるのはオスだけで、その大きな鋏を振るのはメスの気を引く為の求愛行動だそうです。普通のシオマネキは鋏の色が赤いものが多いのですが、この島の浜で見かけるハクセンシオマネキのハクセンとは白扇のことで、大きな鋏が白色をしています永浦島を訪れる。

永浦島の舗装された道路をそのまま進んで橋を渡ると樋合島に到着します。永浦島と樋合島は60mほどの瀬で隔てられていますが、車で移動すると同じ島のような感じがします樋合島を訪れる。

16:05熊本駅に向かう。
18:08熊本駅到達
18:44熊本駅新幹線みずほで出発
21:44新大阪駅到達。

今回の旅行、熊本県の天草に足を運び、点在する多くの離島、橋で本土続きの島が多く、橋を車で通過して数多くの島を巡りました。
唯一フェリーで渡った獅子島、快晴で波も穏やか、気候抜群、気持ちよく船旅を楽しむことができました。

天草は2回目の訪れで、熊本は6回目、過去は飛行機と夜行列車、今回は新幹線、みずほで新大阪から3時間、早いですね、熊本へは飛行機はいらない、新幹線で直ぐです。
天候・気温抜群、波も穏やか、新幹線は快適で早い、絶好のコンディションでの熊本県天草諸島巡り楽しめました。














  
飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百二十四弾:熊本県球磨川上流エリア観光
2013年3月23ー24日


九州の中央に位置し阿蘇カルデラや肥後藩の城下町として栄えた熊本県に足を運び、球磨川上流エリア五家荘と山都周辺を訪れました。

23日17:05伊丹空港出発
18:30熊本空港到達、レンタカーで熊本駅に向かう。
19:20熊本駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
24日7:00レンタカーで出発、山都方面に向かう。

1854年(嘉永7)にできた日本最大の水道橋(重要文化財)で、長さは75.6m、高さは20.2m。石橋中央部の放水口から水がアーチ型に豪快に噴き出す姿がよく知られている。橋近くの通潤橋史料館では立体模型や映像で橋の構造を紹介している通潤橋を訪れる。

文楽は人形と浄瑠璃を組み合わせたお芝居。三味線の調べに合わせ、三人の遣い手により人形が操られます。人と人形が一体となっておりなす義理と人情の世界は見る人の心を打たずにいられません。清和文楽は山都町の清和地区で郷土芸能として受け継がれている農村芸能であり、江戸時代の末(嘉永年間1848〜53)、阿波・淡路系旅回りの人形浄瑠璃一座から伝えられ、浄瑠璃の好きな村人たちが、農作業の合間に習い覚えて春の祈願、秋のお祭りに自ら奉納を始めたのが興りと言われています清和文楽館を訪れる。

阿蘇の南外輪山に連なる標高550mの高原にあり、五ヶ瀬川が長年にわたって侵食してできた渓谷です。高千穂渓谷の上流に位置しU字型の渓谷の幅は200mから300mで深さも150mから200mもあり、切り立った絶壁は約13kmも続いている「九州のグランドキャニオン」と呼ばれており渓谷沿いに遊歩道も整備されています蘇陽峡を訪れる。

五家荘方面に向かう。

五家荘とは、椎原・久連子・葉木・仁田尾・樅木の5つの集落の総称。平家落人伝説を今に伝える山里だ。左座家、テーマ施設・平家の里は見学できる。梅の木轟公園吊橋からの眺望は抜群の五家荘を訪れる。

この石段は、1200年の歴史を秘めた由緒ある釈迦院の表参道である御坂に日本一の石段を建設し本邦屈指の観光施設とすることはもちろん、世紀の文化遺産として後世に残すと共に町の活性化を図る為の新しい観光の目玉づくり、町おこしのシンボルを担ったものであります。石段建設は、昭和55年1月から着手し、昭和60年11月には山形県羽黒山の2,446段を抜いて名実とも日本一の座に着き昭和63年3月に完成し総段数3,333段であります。この石段には全国各地の名石のほか、中国、韓国、インド、ロシア、ブラジル、アメリカ、南アフリカなど世界各国の御影石を使用し、国際親善並びに友好の絆を結ぶとともに歴史の探究及び健全な観光レクリエーション施設としての利用を図るものであります御坂遊歩道『日本一の石段』を訪れる。

熊本空港に向かう。
17:30熊本空港到達。
18:35熊本空港出発。
19:40伊丹空港到達。
 
今回の旅行、九州の中央部に位置する熊本県に足を運び、球磨川上流のエリア、日本最大の水道橋(重要文化財)
通潤橋、「九州のグランドキャニオン」と呼ばれている蘇陽峡が位置する山都周辺、椎原・久連子・葉木・仁田尾・樅木の5つの集落の総称。平家落人伝説を今に伝える山里の五家荘、総段数3,333段であります御坂遊歩道『日本一の石段』を訪れ楽しめました。

日本一の石段は多くの方がチャレンジして登っていましたが、時間の都合と体力面でパス、南側から車道があり車で頂上までたどり着きました。体力を消耗した多くの若い人々は私を見て元気すぎるのが異様に見ていたようでした。車で登りましたので体力はぜんぜん消耗していません。次回体力と時間を作ってこの総段数3,333段の日本一の石段をチャレンジしたいと思います。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第百四十七弾:熊本県熊本タウン&山鹿・菊池観光
2011年6月11−12日


九州の中央に位置する熊本県に足を運び、県のほぼ中央に位置する都市、江戸時代に肥後54万石の城下町として栄え、日本三名城の熊本城がシンボル、九州を代表とする商業都市でもある熊本タウン、800年以上の歴史を誇る温泉街、明治期の芝居小屋や大正期の銀行などが建つレトロな雰囲気が漂う山鹿、自然休養林に指定されている菊池渓谷をはじめ、豊かな自然が残るエリア、菊池を訪れました。

11日熊本行き飛行機が17:00発と遅出の為、リニューアルしてビッグになった大阪駅周辺を散策して時間を費やしました。

駅整備とまちづくりの視点に立って、「抜本的な駅改良」「広場・通路の整備」「新北ビルの開発」「アクティ大阪増築」を4つの柱としています。「駅とまちがひとつに。感動と発見にあふれた、新しい大阪駅の創造」を目指す大阪ステーションシティを訪れました。

17:00伊丹空港出発
18:05熊本空港到達、レンタカーで熊本タウンに向かう。
19:00熊本市街地のホテル到着後、市街地を散策し食事を済ませて就寝。

12日6:30レンタカーで熊本タウン周辺を巡る。

かつて藩主細川家の菩提寺泰勝寺だった場所が、市民の憩う公園になっている。歴代当主やガラシャ夫人の御廟のほか、細川家ゆかりの宮本武蔵の供養塔がある。茶室仰松軒は寄棟造の茅葺屋根。園内は老木が鬱蒼と生い茂り静寂が保たれている立田自然公園を訪れる。

室町期に元の高僧によって創建された雲巌禅寺の奥にある洞窟。洞窟内に石造りの岩戸観音が祭られている。宮本武蔵が籠もり、兵法書『五輪書』を書いた所でもある霊巌洞を訪れる。

玉名・荒尾方面に向かう。

古くから港町として栄えた玉名の歴史と文化を紹介する。館内には、貿易に関する古文書や肥後米の積出しに使った千石船の模型、約1600年前の舟形石棺などを展示している玉名市立歴史博物館こころピアを見学。

真言律宗別格本山蓮華院誕生寺の奥之院。五重塔内で写経や座禅ができる。素焼の皿を投げ、厄を落とす厄皿投げの展望台もある蓮華院誕生寺奥之院を訪れる。

山鹿方面に向かう。

方保田東原遺跡(史跡)と湯の口横穴群から出土した遺物を中心に、旧石器時代から近世までの資料を展示。敷地内には移築復元しためがね橋や、1840年(天保11)に建てられたかや葺き民家、菊池川流域に多い装飾古墳壁画の実物大レプリカがある「古墳の森」など、野外展示施設もある。1500年前の装飾古墳・チブサン古墳(史跡)、近くにオブサン古墳、鍋田横穴もある山鹿市立博物館を見学。

1910年(明治43)に建てられた国の重要文化財。江戸時代の歌舞伎小屋の様式を今に伝える。斜め向いに立つ資料館夢小蔵では明治期の芝居の小道具やチラシなど貴重な史料を多数展示する八千代座を訪れる。

温泉街の中心に立つレトロな建物に金灯籠や宮造り、座敷造りなどさまざまな種類の灯籠を展示。制作工房では灯籠の製作過程を見学できる山鹿灯籠民芸館を見学。

菊池方面に向かう。

1870年(明治3)、明治天皇の勅命で菊池氏の居城跡に創建された。境内に立つ菊池神社歴史館には、松囃子能(重要文化財)など貴重な文化財を収蔵する菊池神社を訪れる。

菊池渓谷の近く、標高650mの菊池高原に広がる花の楽園。50万平方mの広大な敷地には、春は芝桜・チューリップ・ポピー・バラ、夏はヒマワリ・ユリ、秋はダリア・コスモスと、季節ごとにさまざまな花々が咲き誇るフラワーヒル菊池高原を訪れる。

17:00終了、熊本空港に向かう。
17:40熊本空港到達、
19:20熊本空港出発
20:25伊丹空港到達

今回の旅行、九州の中央に位置する熊本県に足を運び、城下町熊本タウンから北部のエリア、800年以上の歴史を誇る温泉街、明治期のレトロな雰囲気が漂う山鹿、豊かな自然が残るエリア菊池を訪れドライブ観光楽しめました。

熊本は最近では4回目の訪れ、訪れたことの無い熊本北部を重点的に回りました。

生憎大雨で河川の氾濫、がけ崩れを心配しながらリスクの高い危険な場所をあえて避け、比較的安全な場所を選んで巡りました。

これで熊本県はほぼ制覇できました。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第九十四弾:熊本県人吉観光
2010年4月17ー18日


九州の中央に位置する熊本に足を運び、約700年にわたって繁栄した相良藩の城下町、難攻不落といわれる石垣が残る人吉城跡、藩の御用蔵だった武家蔵や醤油蔵などが現存し、東西に走る日本三大急流の一つのである球磨川が存する人吉を訪れました。

17日14:05伊丹空港出発
15:15熊本空港到達、レンタカーで人吉方面に向かう。

17:00人吉到達。

1199年(正治元)改修後、相良氏700年の居住だった城跡。かつては繊月城と呼ばれた。現在は石垣を残すのみだが、石垣の上に長塀、角櫓、多聞櫓を復元。多聞櫓の中には天保時代の絵図(複製)等が展示されている。高台に立つ城跡からは、球磨川や人吉の町並みを一望。隣接して、地下遺構を保存・展示する人吉城歴史館もある。日本百名城の一つの人吉城跡を散策する。

18:00人吉駅付近の旅館到達後市街地を散策して食事を済ませてから床に就く。

18日5:30レンタカーで観光巡り。

人吉駅前広場にある、人吉城をイメージして作られたからくり時計。9〜18時の間に8回、約3分間、人吉地方の民謡にあわせて、9体の人形が、殿様の城下見学を表現し、8体の人形が勇壮な臼太鼓踊りを披露するからくり時計を見学。

人吉・球磨地方の宗社として信仰されてきた。阿蘇神社の分霊を勧請、806年(大同元)創建と伝わる。寄棟造の茅葺き屋根をのせた、重厚な楼門(重要文化財)は球磨民謡にも歌われている。神殿の彫刻には桃山建築の特徴もうかがわれる青井阿蘇神社を訪れる。

別名ゆうれい寺。迫力ある『ゆうれい掛軸』が常時開帳されていることで有名。寺を創建した実底和尚が、夜な夜な境内の池に現れる幽霊を描いたもので、これを幽霊に見せるとあまりの自分の醜さに驚き、以後現れなくなったと伝えられている。その池は寺の裏にあり、夏はスイレンが美しい。また、西郷隆盛が西南戦争の際に本陣として利用したことでも知られている永国寺を訪れる。

JR人吉駅から西人吉駅までの約3km間には6つの蔵が点在。人吉の伝統や文化を見ることができる。釜田醸造所のみそ・しょうゆ蔵は、昔ながらの製法の無添加味噌・醤油の製造工程が見学可能。繊月酒造の焼酎蔵では酒造見学ができる。築300年の武家屋敷が特徴の武家蔵、お茶の五木園のお茶蔵のほか、伝承蔵ではきじ馬や花手箱の見学・体験ができる。御用蔵では郷土料理の鮎や鯉、イノシシ料理も楽しめる九州相良蔵めぐりする。

日本三大急流の球磨川を川下りする。球磨村渡外園から球泉洞まで1時間30分で下る。

石灰岩が3億年という歳月をかけて浸食されてできた、九州最大の鍾乳洞。全長4.8kmのうち一般ルートは約1km。珍しい石柱や石筍など、自然が造り上げた造形を楽しめる球泉洞を訪れる。

椎原・久連子・葉木・仁田尾・樅木の5つの集落の総称。平家落人伝説を今に伝える山里。左座家、テーマ施設・平家の里は見学できる。梅の木轟公園吊橋からの眺望は抜群の五家荘を訪れる。

15:00熊本空港に向かう。
17:00熊本空港到達。
18:00熊本空港出発。
19:05伊丹空港到達。

今回の旅行3回目の訪れとなる九州の中央に位置する熊本に足を運び、日本三大急流の城下町、約700年にわたり相良藩の城下町として栄え、日本三大急流の球磨川が走る市内には今も城跡や御用蔵が残り、九州の小京都と呼ばれる風情がある人吉を訪れました。

三大急流の球磨川の川下り、九州最大級の鍾乳洞球泉洞の探索、歴史的建造物巡り、楽しめました。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第六十弾:熊本県熊本タウン&阿蘇観光
2009年5月16ー17日


今回は県のほぼ中央に位置する都市、江戸時代に肥後54万石の城下町として栄え、日本三名城の熊本城がシンボル、九州を代表する商業都市でもある熊本タウン、阿蘇・くじゅう国立公園に属する自然豊かなエリア、大規模な噴火で形成されたカルデラ内に、雄大な風景が展開する阿蘇エリアが存する熊本県に足を運びました。

16日13:50伊丹空港出発
15:00熊本空港到達、レンタカーで熊本タウンに向かう。
16:00熊本公園内にあり熊本城三の丸内に立ち、有明海のムツゴロウの標本や、泉村・五家荘のジオラマ、ステゴドン臼歯化石・模型などの展示で熊本の自然と歴史を解説、プラネタリウムも併設している熊本市立熊本博物館を見学。

熊本公園を散策して熊本城に向かう。
日本三名城のひとつといわれ、国の特別史跡に指定されている。加藤清正が1601年(慶長6)から7年の歳月をかけて築城。城郭は広さ約98万平方m、周囲5.3kmにも及ぶ。1877年(明治10)の西南戦争の際、大部分を焼失したが、石垣や宇土櫓(重要文化財)をはじめとする各櫓が往時を伝える。今の3層6階の天守閣は1960年(昭和35)に再建され、加藤清正や細川氏らの歴代藩主や西南戦争に関する史料や遺品を展示している熊本城を訪れる。

細川家三代(肥後藩初代)忠利の弟、刑部少輔興孝が興した、細川刑部邸の別邸。全国有数の上級武家屋敷としての格式をもっている。市内の子飼にあったものを熊本城三の丸に移築復元する旧細川刑部邸を見学。

水前寺公園として親しまれる池泉回遊式庭園。総面積約7万平方mの広さに東海道五十三次を模した風景が広がる。中央の水前寺富士は庭園のシンボル。京都御所から移築された重要文化財「古今伝授の間」では、抹茶やお菓子を味わえる水前寺成趣園を散策する。

明治時代、英語教師として熊本に赴任し、『知られざる日本の面影』『東の国から』を執筆した地としても有名な小泉八雲の最初の住居を見学。

教師として4年3カ月を熊本で過ごした漱石。6回の転居のうち5回目の家が現在資料館になっている夏目漱石内坪井旧居を見学。

935年(承平5)創建。平将門・藤原純友の乱において、九州鎮護のために京都の石清水八幡宮を歓請して建立したと伝えられる。境内には朱塗りの楼門や社殿があり、応神天皇・相殿に神功皇后・住吉三神を祀る藤崎八旛宮を訪れる。

19:00JR熊本駅付近のホテルに到達後、JR熊本駅付近を散策して居酒屋で熊本名物の馬肉と辛子れんこんを頂きました。

21:00ホテルに戻り床に就く。

17日6:00レンタカーで出発、天候曇り、風強い、阿蘇方面に向かう。

阿蘇五岳の一つ・杵島岳の麓にある鉢を伏せたような美しい形の寄生火山。標高954mの草で覆われた小山は、阿蘇の神・建磐龍命が積み上げた米の山だという伝説が残る。頂上の窪みは火口跡だが、建磐龍命が貧しい人々に米を分け与えた跡だともいわれている米塚を訪れる。

阿蘇五岳の一つ、烏帽子岳の北麓に広がる火口跡にある78万5000平方mの大草原。ここにある池は雨水が溜まってできたものだとか。煙を上げる中岳を背景に放牧された牛や馬が草を喰んでいる風景に出会うこともある草千里ケ浜を訪れる。

下山して、立野の火口瀬にあり阿蘇外輪山が北向谷原生林で切れ阿蘇谷からの黒川が60メートルの落差でおち、日本滝100選に含まれる数鹿流ヶ滝を訪れる。

阿蘇山麓を東に向かい、日本一長い駅名、南阿蘇水の生まれる里白水高原駅に寄ってから 阿蘇山と南外輪山に囲まれた南阿蘇村は、至るところから大小さまざまな水が湧き出し、水の生まれる里と呼ばれている。南阿蘇鉄道のSL観光トロッコ列車が走るエリアで、沿線には阿蘇連山の広大な景色が広がり、九州を代表する観光スポットの一つとなっている水の神様をまつる白川吉見神社の森の中の境内にあり、白川総水源として崇められている白川水源を散策する。

トンネルを掘っている最中に地下水が出てきてしまい、工事を中止することになりましたが、現在ではそのトンネルを水源地や公園として活用して、中には歩道が整備されていて、奥には流れ出る水玉が落ちたり登ったりと不思議な動きをするウォーターパールがある高森湧き水トンネル公園を訪れる。

再度阿蘇山山頂に向かい。隋書倭國伝にもその名が見える、世界有数の活火山。硫黄の匂いが立ちこめ、南北約1km、東西約400m、周囲約4kmの火口が噴煙を上げる様を間近に見ることができ、活火山だけに、周囲には退避壕が点在する阿蘇中岳噴火口を散策する。

世界の火山や阿蘇の自然を紹介している博物館。中岳火口に設置した2台のテレビカメラを手元のボタンで操作しながら、火口の様子を見ることができる。幅30m、高さ4mの5面マルチスクリーンで阿蘇の大自然も楽しめる阿蘇火山博物館を見学。

下山し北に向かう。
流出した溶岩によってできた峡谷。5月上旬から中旬にかけて約5万株のミヤマキリシマがいっせいに花開く。地名もその花の香に仙人さえ酔ったという伝説にちなんでいる仙酔峡を訪れる。

日本全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社。創建紀元前281年と伝えられ、現宮司は91代目という。楼門や神殿など多くの伽藍が国の重要文化財に指定。境内の松は縁結びの松とよばれ、良縁に恵まれるといわれている阿蘇神社を訪れる。

阿蘇山から国道212号を北上したところにある外輪山の最高峰。標高936mの展望台から眺める阿蘇五岳が連なる姿を一望できる大観峰を訪れましたが、この頃から雨風が強くなり視界も悪くなり遠方を眺望することは出来ませんでした。

日本の名水100選に選定される湧水で、九重連山を源として毎分30トンという豊富な水量に恵まれ、また上質な水は多くの観光客と水汲み客で賑わうメジャースポットである池山水源 を散策する。
近くのお食事処山の里で阿蘇の名物あか牛ステーキを頂く。

黒川温泉の西に位置し、熊本緑の百景第1位に選ばれた標高1000mの位置に広がる草原。四季折々に行われる野焼き、放牧などのんびりとした風景を楽しむことができる瀬の本高原を訪れましたが視界が悪く、360度のパノラマ眺望は残念ながら見ることが出来ませんでした。

黒川温泉や田の原温泉を流れてきた田の原川と小田温泉を流れてきた小田川が合流する地点にあり、田の原川の滝が男滝(高さ15m)で小田川の滝が女滝(高さ12m)です。ここで2つの川は合流し田の原川1本となり、下流で筑後川となり、そして有明海に注ぎます。この2つの滝、夫婦滝を訪れました。

逆三角形のユニークな外観、小国町の情報発信スポット特産物を取り揃えた販売所や休憩所、ギャラリー等を設置。イベント・温泉・観光・のレジャー情報のほか小国町のさまざまな情報を提供しています。「道の駅」とは、休憩のためのパーキングであるとともに、その地域の文化や歴史、名所や特物などの魅力を紹介する情報発信の場、道の駅小国ゆうステーションを訪れる。
西の菊池方面に向かい、阿蘇外輪山から湧き出る地下水が4kmにわたって造り出した渓谷。名勝竜ケ淵、四十三万滝や遊歩道、森林広場、50種類以上の野鳥の観察ができる野鳥の森などがある。渓流沿いには九州自然歩道があり、渓流歩きを楽しめる菊池渓谷を散策する。

山鹿市から南阿蘇へと通じる国道325号沿いにあり、3つのメロンの屋根が目印で、館内には地元の農産物がずらり。中でも「光センサー」による糖度検査をパスしたメロンが自慢です。他にもメロンのうまみを凝縮したメロンゼリー、メロンパン、メロンヨーグルト等の加工品も豊富で、色々な加工品が店内に所狭しと陳列されています道の駅 七城メロンドームを訪れる。

泗水町のシンボル、中国の儒教家・孔子の生誕の地である中国泗水県にちなんで命名されたもの。園内は中国宮廷建築を取り入れた、回廊・万亭・展示館や資料館などの建築物が並ぶ中国文化と孔子思想のテーマパーク孔子公園を訪れる。

17:00熊本空港に向かう。
17:30熊本空港到達。
18:25熊本空港出発。
19:30伊丹空港到達。

今回の旅行、商業、文化、観光の中枢を担う都市、市内には肥後藩主の居城だった熊本城が構える一方、シティホテルや大型デパートが連なり、馬肉料理、辛子れんこん、いきなり団子などの郷土色の濃い食文化も特徴的な熊本タウン、熊本県東部に位置し、東西約18km、南北約25kmにおよぶ世界最大級の阿蘇カルデラを中心としたエリア、一帯には阿蘇五岳を筆頭に雄大な自然景勝地が展開する阿蘇エリア観光満喫しました。

しかし当日天気予報は芳しくなく雨で強風とのことでしたが、阿蘇の主要な観光名所は早朝に訪れ雨もまだ降らず十分な阿蘇の広大な景観を望み味わうことが出来ました。
雨の多い阿蘇、水の豊富なエリアでも有り、多くの水源、滝が存し、雨が降ってからの昼からの観光は雨天のときの方が迫力のある渓谷、湧き水水源、滝を見ことが出来ました。
随時天候に合った名所を選んで訪れたのは賢明だったのかも知れませんね。

又食文化も有名な熊本、名産の馬肉料理、辛子れんこん、いきなり団子、赤牛ステーキをしっかり頂き、堪能した日々を送ることが出来ました。



















飛行機で国内&海外の観光地巡り第十一弾:熊本天草諸島観光
2007年11月10−11日


今回は天草四郎で有名な熊本県天草諸島に行ってきました。

10日20:47大阪駅を夜行寝台車なはで出発
11日7:36熊本駅到達、天候晴れ、レンタカーで天草諸島に向かう。

9:00天草諸島の玄関口の近くの本土にある百年の歴史のある明治三大築港に数えられ重要文化財に指定されているレトロの三角西港を訪れてから1号(天文橋)、2号(大矢野橋)、3号(中の橋)、4号(前島橋)、5号(松島橋)と天草5橋を通過して天草諸島に入る。
16歳と言う若さで島原の戦いの指導者となり幕府と戦って原城で討たれた天草四郎の記念館、貴重な歴史資料も展示する天草四郎メモリアルホールを見学してからあまくさ海遊の郷内にあるドーナの形をした海に浮かぶ水族館わくわく海中水族館シードーナツを訪れる。
天草諸島上島に入ってから有明海を望む道の駅、リップルランド、下島に入って本渡市街を一望できる見晴らしのよい高台にある公園、天草氏の居城、本戸城があった場所で、天草島原の乱の殉教者を祭る殉教戦千人塚、キリシタン墓地などがある殉教公園を訪れる。
北に向かい船で天草諸島周辺に生息する野生のイルカを見学できる天草イルカウォッチングセンターに到達し実際およそ30頭の野生のイルカを見ることができました。
最北端の富岡半島にある富岡城跡にある天草の歴史や文化、自然についての情報を発信している富岡ビジターセンターを訪れる。
南下して日本渚百選の一つ、100mほどの断崖が続く海岸線が豪快な景観を描いている妙見浦、優雅な白亜の外観や館内のステンドグラス、大木版画のある大江天主堂、優美のゴシック様式の教会、崎津天主堂を訪れてから帰路に向かう。
18:10熊本空港到達、19:20ジェット機で出発、20:30伊丹空港到達。

今回の旅行、前回旅行した島原半島の島原の乱で総大将である天草四郎の生まれ育った場所で島原天草の乱にも関与した天草諸島の歴史ある史跡、自然、優美な教会、天草の島々を一望できる五つの橋を通過する天草パールライン、1日の旅行でしたが十分堪能できた観光旅行でした。