高知

飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百四十三弾:高知県お城・城下町巡り第二弾
2016年1月16日ー17日

鎌倉時代に地頭を任じられた長宗我部氏が、戦国の世になって、一条氏、香宗我部氏、本山氏、吉良氏、大平氏、津野氏などと競い合った。長宗我部元親の代に土佐を統一し、四国制覇の偉業に乗り出す四国高知県に足を運び、第二弾10箇所のお城・城下町を巡りました。

16日15:35伊丹空港出発
16:20高知空港到達、レンタカーで市内に向かう。
17:35市内のホテルに到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
17日7:00レンタカーで出発、お城巡り。

浦戸城:元となる城は鎌倉時代?室町時代初期に既に砦として存在しており、天文年間(1532年?1554年)には、土佐の豪族・本山氏の支配下にあった。永禄3年(1560年)に長宗我部国親が、本山氏から攻略し、その支配下となる。その後、戦国時代末期、岡豊城を主城としていた国親の子・長宗我部元親は、天正16年(1588年)大高坂山(現在の高知城がある辺り)に城を移したが水害が多く、3年後の天正19年(1591年)、浦戸城をそれまでの海からの防衛を主とした山城であったものから、水陸両面からの防衛を重視した本格的な城郭に改築し、その居城とした。三層の天守を設け、本丸・二の丸・三の丸・出丸で構成されていた。丘陵北部の浦戸湾岸に城下町を置いた。

朝倉城:築城年代は定かではないが大永年間(1521年〜1527年)本山清茂によって築城されたと云われる。 本山城主の本山清茂は岡豊城の長宗我部兼序を攻めてこれを討ち、長浜・浦戸など土佐中央部に領土を拡張し、その拠点として朝倉城を築城した。
永禄3年(1560年)長宗我部国親は本山茂辰の長浜城を急襲して攻め落とし、さらに追撃して浦戸城も落城したが国親が病に倒れ撤退した。国親が没して元親が家督を継ぐと、永禄5年(1562年)には朝倉城に攻め寄せ包囲した。周辺の諸豪族が長宗我部方に降っていったため、 永禄6年(1563年)本山氏は朝倉城を焼き払い本山城へと退いた。

吉良城:築城年代は定かではないが吉良氏によって築かれたと云われる。 吉良氏は源頼朝の弟源希義の後裔と伝えられる。希義は源頼朝の挙兵に呼応して平家打倒の兵を挙げたが、平家の家臣蓮池城主蓮池家綱と平田俊遠によって襲われ年越山で殺された。
吉良氏は土佐七守護の一人に数えられる。吉良宣経は南村梅軒を招いて土佐南学の礎を築いたことで著明である。
天文9年(1540年)吉良宣直が城を明けて仁淀川へ狩猟に出かけた隙に、朝倉城まで進出していた本山茂辰は吉良城に奇襲を仕掛け落城。吉良宣直も本山氏に討たれ吉良氏は滅亡した。本山茂辰は吉良式部小輔茂辰と吉良氏を名乗っている。
永禄3年(1560年)本山茂辰は長宗我部元親と争うようになると次第に不利となり、永禄6年(1563年)拠点であった朝倉城を脱して本山城へ敗走した。このとき吉良城も破棄された。長宗我部元親は弟親貞を吉良城主とし、吉良左京進親貞と名乗らせた。

蓮池城:築城年代は定かではないが嘉応2年(1170年)頃に蓮池家綱によって築かれたと云われる。 蓮池氏は平重家の家臣近藤家綱が蓮池の地に居城を構え蓮池氏を名乗ったことに始まる。
寿永元年(1182年)蓮池家綱は平田俊遠とともに、平家打倒の兵を挙げた源頼朝の弟源希義を年越山で討ちとったが、まもなく伊豆右衛門有綱と夜須行宗によって攻められ討たれた。
建久3年(1192年)藤原国信が蓮池城を居城として大平氏を名乗り、以降大平氏の代々の居城となった。永正5年(1508年)大平元国は本山氏・吉良氏・山田氏などと岡豊城の長宗我部兼序を攻め敗死させた。天文年間(1532年〜1555年)になると一条氏が津野氏に攻め込み天文12年(1543年)一条房基は津野基高を戦った。大平氏は本山氏とともに津野氏に援軍を送ったが敗れ、天文15年(1546年)大平氏は一条氏に降った。
弘治3年(1557年)南土佐に進出してきた本山茂辰は森山城・秋山城を攻略して仁淀川を渡り蓮池城をも奪った。永禄3年(1560年)本山茂辰は長宗我部元親と争うとその隙を付いて一条氏が蓮池城を取り戻したが、永禄12年(1569年)吉良城主吉良親貞が計略をもって蓮池城を奪い、戸波城へ逃れた城兵を追って戸波城をも落とした。
蓮池城は吉良親貞に与えられ、子の吉良親実が城主となった。吉良親実は戸次川合戦で討死した長宗我部信親の後継争いで盛親の家督相続に反対し、元親の怒りをかって比江山親興とともに自刃させられた。

戸波城:この辺りは、土佐中村の一条氏の家臣が治めていました。その後、長宗我部氏が侵攻、長宗我部一族がこの城に入り、戸波氏を名乗りました。この戸波氏は、大坂の陣の後に藤堂藩に仕えて、鍵屋の辻の決闘で有名な剣豪・荒木又右衛門を指導したそうです。

波川城:築城年代は定かではないが天正年間(1573年〜1592年)始めに波川玄蕃頭清宗によって築かれたと云われる。波川玄蕃は長宗我部氏に降伏したのちは重用され、長宗我部元親の妹を妻に迎え、一条氏滅亡後は幡多郡山路城主となった。しかし、伊予国大洲に軍勢を進めた際に伊予河野氏の来援に駆けつけた小早川隆景と和睦を結んで引き上げたことから元親の怒りを買い、山路城を没収され波川城へ戻された。天正8年(1580年)波川玄蕃は秘かに謀叛を企てたが露呈し、阿波国へ逃れたが、阿波国海部で自刃させられた。

姫野々城:築城年代は定かではないが津野氏によって築かれたと云われる。 津野氏は藤原仲平の子山内蔵人経高が伊予より土佐に入り津野山を本拠として津野氏を名乗ったことに始まると云う。津野氏は土佐七雄の一人に数えられる勢力を誇っていたが、永正14年(1517年)津野元実は一条氏の家臣戸波城の福井玄蕃を攻めて敗れ討死した。これによって津野氏の勢力は衰退し、天文年間(1532年〜1555年)には一条氏に降った。元亀2年(1571年)頃になると勢力を拡大していた長宗我部元親の三男親忠を養子に迎えその支配化に入った。津野親忠は長宗我部元親が豊臣秀吉の四国征伐により降伏し、土佐一国を安堵されると秀吉の元に人質となって大坂に送られた。豊臣秀吉による九州征伐で元親の嫡子信親が討死すると、家督相続争いに巻き込まれ、慶長4年(1599年)には元親によって岩村に幽閉された。長宗我部盛親が関ヶ原合戦で西軍について敗れると、親忠は親しかった藤堂高虎を通じて徳川家康に長宗我部家の存続を願い出ていたが、盛親によって殺害された。

久礼城:築城年代は定かではない。 城主は佐竹氏で承久の乱の時、佐竹信濃守と後藤基之が入部したことにはじまる。 南北朝時代には北朝方として戦った。 戦国時代に入ると一条氏に属したが元亀2年(1571年)長宗我部氏の軍門に下り、以後久武氏等とともに転戦した。

四万十方面に向かう。

中村城:築城年代は定かではないが、為松氏の為松城がその始まりといわれる。 応仁2年(1468年)前関白一条教房は、応仁の乱の戦火を逃れるため一条氏の荘園であった幡多庄に下向した。 教房は加久見城主加久見土佐守宗孝の娘を娶り生まれたのが一条房家である。この房家が実質的な土佐一条家の初代である。
戦国時代の土佐は一条氏を別格として、津野氏、大比良氏、吉良氏、本山氏、安芸氏、香宗我部氏、長宗我部氏の七人守護といわれた。
諫言した重臣土居宗珊(宗三とも)を成敗するなどした一条兼定は、天正2年(1574年)羽生、安並、為松の三老臣によって幽閉され、豊後に追放された。これにより一条氏は兼定の嫡男内政(ただまさ)が擁立され、長宗我部元親に後見を頼み大津御所に送られた。元親は中村城主に実弟である吉良親貞を置いて幡多郡を支配させた。
天正3年(1575年)一条兼定は中村城奪還のために、伊予の法華津播磨守らの助勢を得て栗本城に要害を構えて拠点とした。兼定と元親の軍勢は渡川(四万十川)を挟んで戦ったが兼定の軍勢は敗れ、伊予に退き奪還は果たせなかった。

宿毛城:築城年代は定かではない。もとは松田城と呼ばれ松田兵庫の居城であったが、後に依岡伯耆守が城主となり、天正3年(1575年)長宗我部氏によって攻められ落城した。 慶長6年(1601年)長宗我部氏に代わって山内氏が土佐に入部すると、山内一豊の甥山内可氏が六千石で入部し改修したが、一国一城令により廃城となった。

14:30高知空港に向かう。
17:30高知空港到達。
19:10高知空港出発。
19:55伊丹空港到達。

今回の旅行、四国の高知県に足を運び、高知のお城巡り第二弾、10箇所を車で巡り楽しみました。
今回は平城が多く比較的見つけやすく、2箇所の山城のみ時間がかかりました。

高知市から宿毛までの広範囲に点在する10箇所のお城、400kmのドライブ巡り堪能しました。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百三十八弾:四国別格二十霊場&四国三十六不動霊場&お城・城下町巡り観光
2015年11月29ー30日

四国の高知県に足を運び四国別格二十霊場、四国三十六不動霊場4箇所、鎌倉時代に地頭を任じられた長宗我部氏が、戦国の世になって一条氏、香宗我部氏、本山氏、津野氏などと競いあい、長宗我部元親の代に土佐を統一し、四国制覇の偉業に乗り出す高知のお城・城下町7箇所を巡りました。

29日15:35伊丹空港出発
16:20高知空港到達、レンタカーで市内に向かう。
17:30高知駅前のホテル到着後繁華街を散策し、食事を済ませて就寝。

30日7:30レンタカーで出発

極楽寺:弘法大師霊跡に先住僧師が民衆の幸福、とりわけ航海安全、病気平癒、家内安全などの祈願のため水行の後、一願不動尊として安置したのが由来である。

安芸城:延慶2年(1309年)安芸親氏によって築かれたと云われる。 安芸氏は蘇我赤兄の子孫といわれ、行経のとき安芸氏を名乗った。
戦国時代に入ると土佐七人守護の一人に数えられた。永禄6年(1563年)長宗我部氏が本山氏を攻めに出陣した隙を突いて、一条氏の援助を受けて長宗我部氏の居城岡豊城を攻めたが失敗した。 その後一旦和睦となったものの、永禄12年(1569年)長宗我部氏に岡豊城に招待された国虎はこれを謀略と考え拒否、長宗我部氏に攻められ落城し滅ぼされた。 安芸氏を滅ぼした元親は香宗我部親泰を城主として、後の阿波国への侵攻の拠点となった。

慶長6年(1601年)関ヶ原合戦で長宗我部盛親に代わり山内一豊が土佐に入国すると重臣五島為重を配した。

香宗我部城:築城年代は定かではないが中原秋家によって築かれたと云われる。 秋家は楠目城山田氏の祖となった人物で、香宗我部氏の祖である一条忠頼の子中原秋通の後見人であった。
大永6年(1526年)香宗我部親秀が安芸氏との戦いで敗れ、嫡子秀義が戦死すると弟秀通を養子として家を継がせたが、長宗我部氏が台頭すると長宗我部国親の三男親泰を養子として迎えようと画策する。既に秀通には嫡子がおり、これを拒否したが親秀は秀通を殺して親泰を養子に迎えた。
長宗我部氏が安芸氏を滅ぼすと親泰は安芸城主となり、後に阿波国方面の軍代として活躍する。
豊臣秀吉による朝鮮の役では嫡男親氏が出陣したが戦死し、代わって親泰が出征したものの長門国で病死する。このため親氏の子親和が幼少の身で家督を継いだ。 慶長6年(1601年)長宗我部氏が改易となると親和は肥前国唐津の寺沢氏に仕官した。

山田城:築城年代は定かではない。鎌倉時代に中原秋家による築城とも云われるが、現在残る遺構は戦国時代のものと思われる。
山田氏は中原秋家の後裔で鎌倉時代に香美郡宗我郷・深淵郷の地頭として入部したと云われる。山田氏は後に土佐の七守護の一人に数えられる程の勢力を持った。しかし、天文年間(1532年〜1555年)の当主山田元義(基道とも)は猿楽を好んで武道を好まず、政治を疎かにしていた。重臣である烏ヶ森城主西内常陸・雪ヶ峰城主山田監物はこれを諌めたが、元義はかえってこれを遠ざけてしまった。
岡豊城主長宗我部国親の家臣吉田重俊は謀略を持ってまず西内常陸を討ち、大軍をもって山田城に攻め寄せた。山田監物が江村小備後によって討ち取られると、山田元義は韮生へ逃れ山田氏は滅亡した。

極楽寺:本尊不動明王は、開山喜道和尚感得した霊像にして、身代わり不動尊として信者の崇拝を受けている。境内には、西日本一の霊峰山石鎚山の行場第二の鎖を模した行場を形成。また行の滝もある。

大津城:築城年代は定かではないが天竺氏によって築かれたと云われる。 天竺氏の出自は詳らかではないが、守護職細川氏の一族と考えられている。天竺氏の後は津野氏の城となり、天文15年(1546年)津野基高が一条氏に降って一条氏の家臣が在城した。天文16年(1547年)頃に長宗我部国親が大津城を攻め取り、以降は長宗我部氏の持ち城となった。天正2年(1574年)一条兼定が豊後へ追放されると、長宗我部元親は一条内政を大津城へ迎え大津御所と呼ばれた。


岡豊城:岡豊城跡は、四国を平定した長宗我部氏の居城として知られる中世の城跡です。長宗我部氏は鎌倉時代に地頭として土佐へ入国したと伝えられており、それ以後、長岡郡を中心に勢力を広げ、戦国大名へと成長していきました。
 岡豊城の築城は発掘調査の結果、13〜14世紀ころと考えられています。「土佐物語」によると16世紀の初頭に一度落城したと伝えられており、その後、国親により1516(永正十三)年に再興され、1588(天正十六)年に元親が大高坂城(現在の高知城)へ移転するまでの、約70年間にわたり居城として使われていたといわれています。
 岡豊山は、香長平野に突き出した丘陵であり、標高97mの頂上部(詰)に立てば、眼下に香長平野をおさめ、遠く太平洋も望むことができます。南には国分川が流れ、自然の要害の地でありました。
 城跡は、詰を中心とする本城といわれる部分と西の伝厩跡曲輪、南斜面の伝家老屋敷曲輪の二つの出城からなる連郭式の構造となっています。本城は、詰と掘切によりへだてられた二の段、詰の南から西にかけて周囲を取り巻く三の段、四の段からなり、虎口(城の中心となる出入口)は西部に造られています。
 発掘調査の結果、詰・詰下段・三の段では礎石建物跡や土塁の内側に石積みが発見されています。また、多量の土師質土器とともに青磁、白磁、染付と呼ばれる輸入陶磁器、瀬戸、備前、常滑などの国産陶器、渡来銭、小刀、また武器として火縄銃の部品(火鋏)や弾丸などの遺物が出土しています。
 岡豊城の整備にあたっては、発掘調査の成果をもとに詰、詰下段、二の段、三の段の土塁や礎石建物跡などを復元しています。

本山城:築城年代は定かではないが本山氏によって築かれたと云われる。 本山氏の出自は詳らかではなく、清和源氏吉良流の八木氏、平氏、但馬国造八木氏など諸説あり定かではない。
戦国時代土佐七雄の一人に数えられた本山氏は、天文年間(1532年〜1555年)本山茂宗の頃には高知平野へ進出し、朝倉城を拠点として一大勢力を築くまでに至った。しかし、茂宗の子本山茂辰の代になると一条氏の庇護を受けて岡豊城主に復帰した長宗我部国親との争いが本格化し、永禄6年(1563年)には高知平野の拠点である朝倉城を破棄して本山へ退くまでに圧迫された。その後も長宗我部元親によって攻め込まれ、本山城も破棄して瓜生野に逃れたが最後は長宗我部氏の軍門に降った。

宗安禅寺:当不動尊は鏡川上流領家郷から洪水で流され、現在地の大藤に掛り、安置された伝承から川上不動の名がある。弘法大師の木像で、彩色持国天、増長天の二天像とともに、国の重要文化財に指定されている。

泰泉寺城:築城年代は定かではないが鎌倉時代に吉松播磨守光義によって築かれたと云われる。 吉松氏は源義賢の子淡路冠者義久らが平教経と戦って戦死した功により、義久の子松若が源頼朝によって秦泉寺の領主となり、播磨守光義と名乗ったことにはじまるという。
その後、吉松氏は高知平野に進出した本山城主本山氏に属していたが、弘治2年(1556年)に長宗我部国親、永禄3年(1560年)には長宗我部元親の攻撃を受けて城主吉松掃部頭茂景は降伏した。
茂景は万々城へ移され、替わって中島大和が城主となり、秦泉寺大和と称した。「土佐軍記」によればこの秦泉寺大和は天正16年(1588年)に農民の私闘のことから元親の怒りに触れ、秦泉寺大和・掃部父子はともに滅ぼされたという。一方「古城伝承記」には秦泉寺城は天正16年には「荒城」と記されている。

大善寺:弘法大師四国八十八カ所御開創の砌、須崎の入海はきわめて広く、今の大師堂の地点は海に突き出た岬とっていた。当時は山越しに行くのを常としたが干潮の時はこの二つ石岬の端を廻って行くことができた。ところが同地は波浪いつも岩をかみ「土佐の親しらず」といわれ、波にさらわれて海の藻屑となるものも多く海難が多発し、そのうえ同地点は伊予石鎚山の末端に当たるので身に不浄あるものは時々怪異に出会うといっておそれられていた。
大師は、そのことを聞いて海岸にたつ大岩の上で海難横死者の菩提のため、海上・陸上の往来安全を祈願して祈祷を行い、一寺を建立したのが今の大師堂の起源である。それ以来難儀も軽減したので、誰言うともなく「二つ石のお大師さん」と呼ばれるようになったという。
二つの大岩は長年波荒く打ち寄せる波の力で磯になり丘になり、遂に昭和の初め防潮堤ができ、今はその姿を留めていない。寺伝によれば宝永四年(1707年)の大変までは古市町にあり八幡山明星院大善寺といい、法印職の住する中本寺格として八幡神社の別当職として末寺十七カ所寺を擁していたが(寺地境内は六反十二畝三歩・寺は三間に二十四間だったという記録がある)津波で流失し古城山のふもとに移ったものらしい。
後に明治の廃仏毀釈により廃寺となり、明治二十九年(1896年)大師の霊跡を惜しむ里人の手で再興され現在地に移転し寺の再建を計って今日に至っている。
尚、本堂前境内よりのながめは太平洋を眼下に一望でき「二つ石の上でお大師様」が今もみなさま方の幸せをとこしえに御祈願されております。

16:00高知空港に向かう。

17:00高知空港到達。
19:10高知空港出発
19:55伊丹空港到達。

今回の旅行、四国の高知県に足を運び、点在する霊場4箇所、お城7箇所を巡り楽しみました。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第百三十八弾:高知県香南&安芸&室戸観光
2011年4月2ー3日


南は太平洋、北は四国山地と豊かな自然に囲まれた高知県に足を運び、のどかな田園風景が広がり藩政時代に商都として栄えた面影を残し、絵金ゆかりの地である香南、弘法大師が修行を積んだ地たされ、周辺にゆかりの名所が点在し、古い町並みが残る吉良川・安芸、ユズの村馬路、荒波に削られた岸壁がそそり立つ室戸岬の室戸を訪れました。

2日15:50伊丹空港出発
16:35高知空港到達、レンタカーで出発、香南方面に向かう。

坂本龍馬の33年の生涯を180体のリアルなろう人形で再現した歴史館。生涯を26の場面に分け、誕生から暗殺までを年代順に追い、龍馬を取り巻く人々やエピソードでつづり、迫力満点。ほかにJ・F・ケネディなど、世界の偉人のろう人形も展示する龍馬歴史館を見学。

フェラーリ、ポルシェ、アルファロメオ、ランチア、ランボルギーニ他、国内外の名車・バイクを約70台展示。クルマ好きには夢のような博物館。日本車もトヨタ2000GTなど、時代を築いた名車が一堂に。バイクのコレクションもすばらしい四国自動車博物館を訪れる。

人と動物をさえぎる檻や柵がほとんどなく、植物や岩などで動物の生息地に近い環境を再現した動物公園。温帯の森、熱帯の森、アフリカ・オーストラリアゾーン、ジャングルミュージアムなどのエリアに分かれた園内には、約100種類約1500匹の動物が暮らしている。キリン、レッサーパンダ、ペンギンなどの人気動物のほか、世界的にも珍しいドウグロタマリンなども見られる高知県立のいち動物公園を訪れる。

18:00高知空港の近くのホテル到着後、周囲を散策し食事を済ませて就寝。

3日7:00レンタカーで出発、安芸方面に向かう。

1834年(天保5)に生まれた、三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の生家。生け垣を巡らした屋敷内に茅葺の母屋や、2階建て土蔵が残る当時の代表的な中農の造り。土蔵の鬼瓦には、岩崎家の紋で、後の三菱のマークの原型といわれる三階菱が見られる。また、庭には少年時代に弥太郎が造ったという日本列島の形をした石組みの石庭がある岩崎弥太郎生家を訪れる。

1887年(明治20)、当時の庄屋畠中源馬が自宅の屋根に作った櫓時計で、安芸のシンボル。時計に興味をもった源馬は、独学で原理を学び、分銅や歯車もすべて自作した野良時計を訪れる。

安芸城主五藤氏の家臣たちが集まり住んだ武家屋敷の町並み。ウバメガシの生け垣、土用竹の垣根や塀に囲まれた武家屋敷は、今も住み継がれている。屋敷群の中ほどにある野村家のみ内部見学ができる土居廓中武家屋敷を訪れる。

安芸城跡に立つ資料館。館内では五藤家・人物・歴史などのコーナーに分かれ、安芸の歴史を紹介。なかでも土佐藩家老を務めた五藤家に伝わる武具・甲冑、美術工芸品が充実している。安芸出身の岩崎弥太郎、『浜千鳥』を作曲した弘田龍太郎の資料なども展示する安芸市立歴史民俗資料館を訪れる。

1982年(昭和57)、全国初の公立書道専門美術館として開館。全国を代表する書家や第一線で活躍する書家の作品を豊富に展示。安芸は藩政時代から書道が盛んな地で、川谷横雲・川谷尚亭・手島右卿など、日本書壇を代表する書家を輩出している安芸市立書道美術館を訪れる。

奈半利方面に向かう。

坂本龍馬とともに近江屋で非業の死を遂げた中岡慎太郎の、人生や夢を再現した歴史記念館。映像やパネル、資料で生涯を紹介する中岡慎太郎館を訪れる。

フランス印象派の巨匠、クロード・モネの庭園を再現したフラワーガーデン。モネの名を冠したバラや青い睡蓮の花が咲く。モネの作品のレプリカなどを展示したギャラリーのほか、地元の食材を生かした料理が味わえるレストランやパン工房も併設する北川村「モネの庭」マルモッタンを訪れる。

室戸方面に向かう。

かつて捕鯨が盛んだった室戸では、今なおクジラ料理の伝統が残る。クジラの尾の身を使った刺身やたたき、竜田揚げ、さえずり(舌)の酢味噌あえが付く鯨御膳は大満足の内容のキラメッセ室戸 食遊鯨の郷を訪れる。

807年(大同2)弘法大師の創建と伝えられる古寺で、四国霊場第26番札所。広い境内に本堂、大師堂、護摩堂などが立ち並び、遍路の姿が絶えない。本堂横に正倉院様式の霊宝殿(拝観は要予約)があり、平安時代末期の木造阿弥陀如来坐像、銅造観音菩薩立像、板彫真言八祖像などの重要文化財を収蔵する金剛頂寺を訪れる。

室津港を見下ろす小山に立つ四国霊場第25番札所。807年(大同2)弘法大師の開基と伝わり、125段の階段を登ると竜宮城を思わせる白壁に朱塗りの鐘楼門がある。本尊の楫取地蔵菩薩は弘法大師作といわれ、海上守護仏として信仰を集めている津照寺を訪れる。

807年(大同2)弘法大師の開基と伝わる古刹で、室戸岬頂上にある四国霊場第24番札所。俗に金剛頂寺を西寺と呼び、ここを東寺と呼ぶ。宝物殿には平安末期の作とされる仏像3体(重要文化財)と足利時代の作である3つ足丸盆1対(重要文化財)があるが、なかでも如意輪観音半跏像は大理石でできた非常に珍しいもの。弘法大師自らが刻んだといわれる、ご本尊の虚空蔵菩薩は秘仏。境内には空海の七不思議、鐘石と喰わずの芋がある最御崎寺を訪れる。

乱礁遊歩道の入口に立つ像。現在の安芸郡北川村に生まれた慎太郎は、陸援隊隊長として幕末に活躍した尊攘の志士。1867年(慶応3)11月15日、海援隊隊長の坂本龍馬と共に、京都の近江屋で暗殺された。このとき慎太郎30歳。その目線は、遠く太平洋に注がれている中岡慎太郎像を訪れる。

1899年(明治32)の完成で、今も現役。紺碧の大海原を背景に立つ白亜の灯台は、ビューポイントとして人気だ。地上から灯台頭部までの高さ15.4m。直径2.6mのレンズは日本有数の大きさを誇り、光達距離は49kmにも及ぶ室戸岬灯台を訪れる。

弘法大師が悟りを開いた2つの洞窟。向かって右が、三教指帰の悟りを得たとされる神明窟。もう一方の寝起きしたとされる御厨人窟には、五社神社がある。ここから見える空と海に感銘を受け、自ら空海を名乗ったといわれる御厨人窟・神明窟を訪れる。

太平洋を望む室戸岬の高台に立つ大師像は、台座部分をあわせると高さ21mにもなる巨大な像。ここは19歳の弘法大師(空海)が、悟りを開いたとされる地で、台座には大師の一生を表したレリーフがある。台座内部には、八十八カ所各寺院の本尊を描いたステンドグラス胎蔵界曼陀羅を展示するほか、木片に残された大師の手形も安置されている。大師像の背後に横たわる金色の涅槃像も見逃せない室戸青年大師像を訪れる。

17:00終了。帰路に向かう。
18:30高知空港到達
19:10高知空港出発
19:55伊丹空港到達。

今回の旅行、四国の太平洋と四国山地に囲まれた自然豊かな高知県に足を運び、のどかな田園風景が広がり藩政時代に商都として栄えた面影を残し、絵金ゆかりの地である香南、

高知市と室戸市の間にある町、歴史が刻まれた野良時計や藩政時代の面影を残す武家屋敷が建ち、しっとりとした風情に包まれ、童謡作家の引田龍太郎を輩出し、龍太郎の偉業をたたえる曲碑が点在する安芸、

深い森に抱かれた林業の村でユズで一躍有名になった馬路村、

薪や木材の集散地として栄えた豪商の屋敷が数多く残っている吉良川の町並み、

ダイナミックな景色が広がる四国東南端の地、周辺には弘法大師ゆかりの名所が点在する室戸を訪れ、雄大な太平洋の海岸線を望む景勝地などの自然有り、四国八十八札の寺社の点在有り、武家屋敷の歴史的建造物有り、ドライブ観光楽しめました。

今回で高知県はほぼ制覇できました。














飛行機で国内&海外の観光地巡り第百二十五弾:高知県四万十観光
2010年12月25ー26日


南は太平洋、北は四国山地と豊かな自然に囲まれた高知県に足を運び、豊かな自然が残る県西部エリア、日本屈指の清流四万十川エリアを訪れました。

25日14:00伊丹空港出発
14:50高知空港到達、レンタカーで観光、土佐に向かう。

横浪半島に抱かれた半島北側の浦ノ内湾は、約12km(3里)に渡って深い入江が続く風光明媚な海岸。波がおだやかで、横方向に波紋を描くところから横浪三里とも呼ばれ、半島を縦走するドライブウェイが走る。周辺には、くろしお展望公園や五色ノ浜など観光スポットが点在する横浪黒潮ラインを走行する。

伊野に向かう。

土佐和紙の歴史資料や道具の展示、紙漉きの見学・体験ができる紙専門の博物館。千年もの伝統をもつ土佐和紙は、国の伝統工芸品にも指定。ここでは、その歴史がパネルや模型でわかりやすく解説されている。土佐和紙の保護と職人の育成にも貢献。作業場では紙漉き風景が見られるいの町紙の博物館を訪れる。

17:00高知に向かう。
17:30高知駅付近のホテル到達後、繁華街散策し食事を済ませて就寝。

26日6:00レンタカーで出発、四万十に向かう。

延長196km。四国一の長さを誇り、日本最後の清流として知られる。四国山地の不入山に源を発し、四万十市内を貫流して太平洋に注ぎ込んでいる。上流にダムがないため水質が非常によく、四国随一の鮎漁場としても有名。流域には欄干がなく、増水時には水に沈む沈下橋が支流を含め47本架かり、独特の景観を作り出している。遊覧船も運航。移りゆく両岸の風景を見ながらの川下りは旅情あふれる四万十川を訪れる。

山内一豊の弟・康豊の居城であった中村城跡に建つ城の形をした資料館。桜の名所「為松公園」の一画に、愛知県の犬山城をモデルに建築されており、天守閣風の館からは、四万十川、東山を臨め、市街地を一望することができる。館内には、七星剣(日本に4本しか見つかっていない貴重な古剣)、土佐一條家、中村山内家、幕末の志士・坂本龍馬らと親交があった樋口真吉、明治を代表する中村出身の社会主義者・幸徳秋水の資料などが展示されている四万十市立郷土資料館[為松公園]を訪れる。

土佐藩山内家の家老・野中兼山が開発した用水路(四ケ村溝)から、水田に水を汲み上げるために設置されたもの。現在は観光用に14基の水車があり、周辺は公園として整備されている安並水車の里を訪れる。

四万十川西岸にある、約5.5haの自然公園。「社団法人トンボと自然を考える会」が世界自然保護基金(WWFJ)などの支援を受けながら設けたもので、園内では76種のトンボが確認されている。トンボと淡水・汽水魚の資料を集めた、あきついお(四万十川学遊館)もある四万十・トンボ自然公園を訪れる。

トンボ自然公園入口にある自然史博物館。世界のトンボ標本が約1000種もあるとんぼ館と、四万十川の魚をはじめ世界の淡水魚、汽水魚約300種を飼育展示するさかな館からなる。世界最大の淡水魚ピラルクーをはじめとする古代魚や、眼ナシ魚など珍しい魚もいる四万十川学遊館[四万十・トンボ自然公園]を訪れる。

入野海岸を美術館に見立てた独創的な美術館。建物はなく、砂浜で一年を通じてユニークな作品を展示する。毎年5月のTシャツアート展では、公募で集まったさまざまなデザインのTシャツ1000枚以上を海辺に吊って展示。11月には潮風のキルト展が開催される砂浜美術館を訪れる。

帰路に向かう。

15:20高知空港到達。
17:10高知空港出発。
19:55伊丹空港到達。

今回の旅行、今年カヌーで2回、3回目の訪れである高知県に足を運び、四国屈指の大河、流域の豊かな自然を満喫し、沈下橋が架かる風景はこの川ならではの風情を醸し出している四万十川エリアをドライブ観光してきました。

カヌーでは何回も訪れた四万十川、観光は今回が初めて、四万十川上流から下流までの流域をくまなくドライブ観光して堪能しました。
そして四万十川のすべての沈下橋を制覇しました。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第四十七弾:高知観光
2008年11月29−30日


土佐24万石の城下町として栄え、中心部には高知城がそびえ立ち、南部には太平洋に面した景勝地桂浜があり、幕末のヒーロー坂本龍馬の像などが見所の四国高知に足を運びました。

29日14:40伊丹空港出発
15:20高知空港到達、レンタカーで桂浜方面に向かう。
高知市の南、太平洋に面した浦戸地区にある景勝地、白砂青松の風光明媚な浜で、日本の渚百選の一つ、一帯は桂浜公園として整備される桂浜を散策する。
桂浜公園内には坂本龍馬の生涯をたどる資料を数多く集めた坂本龍馬記念館を見学。
桂浜の龍頭岬にある銅像、和服姿で、右手を懐に太平洋を見つめて堂々と立つ坂本龍馬像を訪れる。
土佐湾に生息する海水魚や幻の巨大魚、アカメなどの水生生物を飼育する桂浜水族館を見学。
幕末から明治にかけて行われていた闘犬が観戦できる施設、土佐闘犬センターによる。

高知タウンに向かう。
ホテルに到着後高知タウンを散策して食事を済ませて宿に就く。

30日天候晴れ、6:30レンタカーで出発、北東に向かう。
徳島県境近くの紅葉の名所、剣山国定公園内の物部川源流域に広がる渓谷、長い年月をかけて侵食された石灰岩が切り立ち、四季を通じて美しい景色が広がる別府峡を散策する。

日本の滝百選に名を連ねる落差約82mの三段の滝、轟の滝を訪れる。

香美方面に戻り、約1億7500万年の歳月を重ねてできた鍾乳洞で、天然記念物に指定され、総延長4kmのうち約1kmを公開する龍河洞を訪れる。
龍河洞内に珍しい鶏の産地として知られる高知県、天然記念物に指定されているオナガドリをはじめ、鳴き声が美しい東天紅、大軍鶏などの珍鳥約30種類が見学できる龍河洞珍鳥センターによる。

香南方面に向かい、野生動物が生息している環境を再現したバイオーム展示を行う動物園、高知県立のいち動物公園を散策する。
幕末を駆け抜けた坂本龍馬の生涯を約180体のろう人形で綴った施設、龍馬歴史館を見学。

オナガドリは土佐犬と並ぶ高知県の珍しい生き物で、特別天然記念物、オナガドリに関する雑誌や写真などの資料を展示する長尾鶏センターを見学。
土佐の国庁が置かれていたとされる県の史跡、土佐国衙跡、土佐の国司だった紀貫之が930年から約4年間居を構えた紀貫之跡を訪れる。

高知県における原始・古代から現代までの歩みを紹介する歴史系総合博物館、高知県歴史民俗資料館を見学。又一帯は戦国武将長宗我部氏の居城跡で、岡豊山歴史公園として復元、保存されている場を散策する。

高知タウンの中心地に向かい、高知市の中央に建つ典型的な平山城、1601年山内一豊が築城をはじめた高知城を散策する。
土佐の文学に親しむための施設、土佐ゆかりの文豪を紹介する高知県文学館を見学する。

江戸初期の豪商、播磨屋宗徳と櫃屋道清が両家を往来するためにかけたもの、よさこい節に歌われ、悲劇の舞台としても有名なはりまや橋を渡る。

坂本龍馬が生まれた高知市上町に建つ記念館、龍馬が生まれ育ったころの町並みを再現し、歴史や文化、龍馬にかかわった人々を紹介する龍馬の生まれたまち記念館、龍馬の本家にあたる土佐屈指の豪商の屋敷、才谷屋敷跡、龍馬の生家の近くに建つかつての遊び場だった神社、秋葉神社、国道33号沿いに立つ龍馬誕生地を示す記念碑、坂本龍馬誕生地の碑を散策しながら訪れる。

大政奉還に尽力した幕末の藩主、山内豊信の下屋敷跡に建つ、全国的にも数少ない本格的な武家長屋の一つで重要文化財に指定されている旧山内下屋敷長屋、初代土佐藩主の山内一豊から豊範まで16代にわたる土佐山内家に伝わる品々を展示する資料館、土佐山内家宝物資料館を見学する。

物理学者、随筆家として知られ、4歳から19歳まで過ごした邸宅の主屋や勉強部屋、茶室などを復元し、寅彦ゆかりの品々を展示している寺田寅彦記念館、唯一、江戸時代の建築様式を残した建物、藩政末期の武家屋敷を復元し、蔵造りの資料館を併設する大川筋武家屋敷資料館を見学する。

高知空港に向かう。
17:30高知空港到達。
19:25高知空港出発。
20:10伊丹空港到達。

今回の旅行、4年前四万十川をカヌーで下って以来3回目の訪れとなる高知県、高知タウンを主として巡り、山内一豊が築いた高知城を中心とする城下町で、高知でも有数の名所、日本の渚、百選の一つである桂浜を散策し、坂本龍馬の軌跡をたどりながら、ゆかりの名所、史跡を巡る歴史旅、自然と文化の豊富な高知県の観光旅行堪能しました。