鹿児島

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百二十二弾:鹿児島県九州四十九院薬師巡礼&重要伝統的建造物群保存地区巡り観光
2018年2月3日−4日
 

九州地方の南端に位置する鹿児島県に足を運び、鹿児島県に点在する九州四十九院薬師霊場3か所、小京都知覧、重要伝統的建造物群保存地区の入来麓、出水の武家屋敷群を訪れました。

31610伊丹空港出発

17:25鹿児島空港到達、レンタカーで指宿方面に向かう。

19:00指宿手前のホテル到達、周辺を散策し食事を済ませて就寝。

4日7:30レンタカーで出発、霊場、歴史的建造物巡る。

 

光明禅寺:

 

知覧:全国の小京都の中でも最も南に位置する知覧は、江戸期に作られた南国特有の武家屋敷のある町だが、第二次世界大戦中は特攻隊基地があった悲しい歴史を持つことでも有名です。かつての飛行場跡地の近くには「知覧特攻平和会館」があり、特攻隊員の写真と遺品の資料が昭和の負の歴史を今に伝えています。海から引き上げられた当時の零戦、屋外には隊員が寝泊まりした三角兵舎(復元)、観音像には隊員の名前を記した巻物が収められており、街を歩けば、道路に沿ってたくさんの石灯籠があり、歴史を今に伝えています。高倉健主演映画の「ホタル」の舞台にもなったことでも知られています。

知覧に残る江戸時代の武家屋敷は、七戸が一般公開され、一部ではあるものの庭園も見ることができます。これらの武家屋敷は鹿児島城を内城とする外城と呼ばれ、鹿児島城の周囲に衛星のように配置されていました。もちろん、戦時には防衛ラインとなるもので、知覧の武家屋敷郡はその中のひとつ。島津は関ヶ原の合戦においては西軍に属していたため、幕府との戦の可能性もあったことがその背景としてあります。反面、京都から新しい様式を取り入れていたことが伺える一面もあります。

武家屋敷は、石造りの上にイヌマキと呼ばれる生垣があるのが特徴で、庭園では、森邸のみが池泉式庭園で、ほかは水を使わない枯山水式庭園です。遠くに見える母ヶ岳を借景とし、四季を通じて美しさを見せてくれます。

また、知覧は九州一のお茶の産地でもあり、生産量としては静岡に次ぐ規模です。

本通り線まで出ると、鯉の泳ぐ清流溝も見ることができます。

 

妙円寺:

 

鎮国寺:

 

入来麓:入来は、鎌倉時代に地頭職であった関東の渋谷氏がこの地に入り「入来院」と名乗って支配した荘園でした。
昭和4年アメリカのエール大学の教授朝河貫一氏により入来院家に伝わる「入来院家文書」が翻訳され、『入来文書』として刊行されたことによって有名になりました。
現在の入来麓武家屋敷の町並みは中世から江戸期にかけて出来たもので、特徴は樋脇川の石を使用した玉石垣とその石垣の上に植えられた茶やイヌマキなどの生垣。

入来のほぼ中央部に位置する麓地区は、四隣に威を振った薩摩藩随一の堅城(山城)である清色城を中心に川原石を使った玉石垣による整然とした区画割、武家屋敷門(茅葺門)、大手門前の濠や広馬場、下門口を備えたお仮屋跡など多くの史跡・文化財が残っています。
近世になって整備された街路と地割が旧態をとどめ、屋敷割りもよく残っていて歴史的価値が高いとされています。
また現在はほとんどの屋敷跡に民家があり生活感もあります。

立派な長屋門などは残っていませんが、門から敷地をのぞくと玄関までの折れ曲がったアプローチや古木、石倉など当時の面影がしのばれます。
薩摩藩は領地を外城と呼ばれる113の行政区画に分けて統治。
武士団を鹿児島市内の本城に集結させず、領地内に分散して統治し、その統治の中心を麓と呼びました。

入来麓は薩摩藩麓の一つで中世の名残を残す町並みとしてよく保存されていることから、2003年12月に鹿児島県では知覧武家屋敷群、出水麓武家屋敷群に次いで国(文化庁)の重要伝統的建造物群保存地区(武家町)に選定されました。

出水:出水市の麓町を中心とした住宅地一帯は、
平成7年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

出水麓は、出水郷に赴任する薩摩藩士の住宅兼陣地として、
中世山城である出水城の麓の丘陵地帯を整地して作られたところです。
その整地には、関ケ原の戦いの前年(1599年)、本田正親が初代地頭に着任してから、
3代地頭の山田昌巖の治世下まで、約30年かかりました。
出水麓は、薩摩藩内で最も規模が大きく、藩内のほかの麓は、出水に倣ったといわれています。

16:00鹿児島空港に向かう。

18:00鹿児島空港到達。

19:25鹿児島空港出発。

20:35伊丹空港到達。

 

今回の旅行、九州の南端、鹿児島県に足を運び、九州四十九院薬師霊場3か所、小京都知覧、重要伝統的建造物群保存地区、入来麓、出水の歴史的建造物を訪れ楽しみました。

鹿児島城の外城である、知覧、入来麓、出水の武家屋敷群の散策、時に今年の大河ドラマの撮影地知覧は多くの観光客が訪れ賑わっていました。

雪がちらつく悪天候での観光、寒さを耐えながらの武家屋敷群の散策堪能しました。












 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百八十七弾:鹿児島県お城・城下町巡り観光
2017年1月14−15日
 

九州の南端、大隅、薩摩、そして日向の一部で構成され、古くから海外との交易が盛んで、大隅の肝付氏、日向の伊東氏がいち早く合戦に鉄砲を取り入れ、守護の島津氏が同地を支配し、九州全土を席巻した鹿児島県に足を運び比較的マイナーなお城10か所を訪れました。

14日16:25伊丹空港出発
17:40鹿児島空港到達、レンタカーで鹿屋方面に向かう。
19:30鹿屋市内のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
15日7:30レンタカーで出発、お城巡り。

高山城:築城年代は定かではく諸説あるが、 長元9年(1036年)兼俊が大隅国肝属郡の弁済使となって肝付氏を名乗り居城として築いたと云われる。
南北朝時代には北朝方の島津氏に対して、日向国伊東氏・肥後国菊地氏とともに南朝方となって転戦した。 肝付兼久は明応3年(1494年)島津忠昌による高山城攻めを退け、永正3年(1506年)再び柳井谷に陣を置いて攻めてきた島津忠昌を退けた。
戦国時代になると肝付兼続は大隅国一円に勢力を広げ戦国大名となっていったが、良兼・兼亮の時代に島津氏に降伏、高山は安堵されたが他の領地は没収された。 天正8年(1581年)肝付氏は薩摩国阿多へ移封となり廃城となった。

志布志城:築城年代は定かではない。南北朝時代には楡井氏が領していたが、畠山氏と禰寝氏によって攻められ落城し、頼仲は弟頼重とともに胡麻ヶ崎城へと退いたが、弟頼重は討死し頼仲も自害して楡井氏は滅亡した。
楡井氏を滅ぼした畠山直顕は延文3年(1358年)日向国穆佐城にて肥後の菊地氏に敗れて敗走し衰退、志布志城は島津元久が領して新納実久が城主となった。
新納忠続の時、伊東氏の備えとして飫肥城へと移されたが伊東氏に飫肥城を奪われ、改めて志布志城主となる。七代新納忠勝の時には勢力を拡大しようとしていたが都城城主北郷忠相、串間城主島津忠朝の怒りをかって攻められ忠勝は降伏した。新納氏の所領は北郷氏と豊州島津氏で分領となった。その後永禄5年(1562年)頃に肝付兼続が所領としたが、肝付氏が島津氏に降伏すると志布志城は鎌田政近の所領となり、元和の一国一城令によって廃城となった。

恒吉城:築城年代は定かではない。 鎌倉時代には恒吉大膳亮の所領であったといわれる。応永年間(1394年〜1428年)の城主は山田忠道、永享年間(1429年〜1441年)には忠道の兄山田忠尚が城主であった。その後は一時島津忠親の所領となっていたが概ね肝付氏の所領として続き、天正4年(1576年)からは都城の北郷氏の所領となった。北郷氏はその後祁答院へ移り、かわって伊集院氏の所領となった。慶長4年(1599年)庄内の乱で蜂起した伊集院忠真は、恒吉城に一族の伊集院惣右衛門を城主として守らせた。島津方は島津図書頭忠長、志布志地頭の樺山久高、松山地頭柏原左近将監有国の三名が恒吉城を攻め、樺山久高の策によって三日間の攻防で落城した。 その後は寺山四郎左衛門久兼が地頭となったという。

富隈城:築城年代は定かではないが文禄年間初期に島津義久によって築かれた。 島津義久は文禄4年(1595年)家督を譲って富隈城に隠居した形をとって鹿児島から移り、慶長9年(1604年)舞鶴城へ移るまで在城した。

加治木城:築城年代は定かではないが平安時代に大蔵氏によって築かれたと云われる。 大蔵氏は東漢霊帝の血を引く帰化人とされる。
数代目の当主大蔵良長のとき継嗣なく、流罪となってこの地へ流れてきた関白藤原頼忠の三男経平に娘を娶せて大蔵家を継がせ、経平は加治木氏と名乗ってこの地に住んだと云う。加治木氏は以後有力国人としてこの地を治めていたが、明応4年(1495年)加治木久平は帖佐へ侵攻し平山城の南城を占領したが、高尾城に籠った川上忠直に防がれ、加治木侵攻に怒った島津宗忠昌の大軍に攻められ加治木城に帰還した。翌明応5年(1496年)島津忠昌が加治木城に押し寄せ久平は敗れて謝罪し許されたが薩摩国阿多へ移され加治木氏は没落した。
加治木氏の後は伊地知重貞が地頭となったが後に重貞も島津氏に叛いた為、大永7年(1527年)島津忠良が加治木城に攻め寄せ伊地知重貞・重兼父子は城中で自刃して果て、肝付兼演に加治木城は与えられた。
天文23年(1554年)蒲生範清は渋谷一族とともに島津氏に反抗し加治木城に攻め寄せた。島津貴久は加治木城を救援する為、岩剱城の祁答院良重を攻め、加治木城を取り囲んでいた蒲生軍が岩剱城を取り囲んでいた島津氏を討ちに戻ってきた所を激戦の末に打ち破り加治木城を救った。
文禄4年(1595年)加治木・日当山・溝辺のうち一万石が豊臣家の蔵入地となり、肝付兼三は喜入に移封となった。しかし、文禄・慶長の役での島津氏の功によって加治木は島津氏の所領に戻り、島津義弘が平松城より加治木へ移ったが加治木館を新たに築城した為、加治木城は廃城となった。

長尾城:築城年代は定かではないが承久年間(1219年〜1222年)頃に横川時信によって築かれたと云われる。 以後河内守種氏まで六代続いた。
永禄年間(1558年〜1570年)頃には北原伊勢介が領していたが、永禄5年(1562年)北原氏に内乱があり、一族の多くが島津氏に属した為、伊勢介と子の新助は日向国飫肥の伊東氏に内応して横川城に籠った。島津氏は島津義弘・歳久兄弟が横川城を攻め、北原父子は城内で自刃して果てたと云う。
その後は菱刈重猛の所領となり、一族の菱刈中務が城主となったが、永禄10年(1567年)重猛の弟隆秋が島津氏に叛くと菱刈中務もそれに加わり、島津氏によって馬越城が落城すると横川城を棄てて大口城へ退いたという。

栗野城:天正15年(1587年)島津氏によって築かれたと云われる。天正18年(1590年)島津義弘は日向国飯野城より移って居城とした。
義弘は朝鮮の役にはここから出陣し、帰国後文禄4年(1595年)に帖佐館を築いて移り、城代として川上三河守が在城したという。

出水城:築城年代は定かではないが建久年間(1190年〜1199年)に和泉兼保によって築かれた。 和泉氏は応永24年(1419年)川辺松野城の合戦で島津久豊方に組みしたが戦死し後継なく断絶した。
享徳2年(1453年)島津忠国の弟用久が薩州島津家を興しここを本拠とした。

平佐城:築城年代は定かではないが鎌倉時代末期に薩摩氏によって築かれたと云われる。 15世紀末には入来院氏の所領で12代重朝が一時居城としていた。 元亀元年(1570年)入来院、東郷氏が島津氏に降ると島津義久は直轄地として地頭を置き、天正8年(1580年)頃は桂忠あき(日方)が地頭であった。

清色城:築城年代は定かではないが入来院氏によって築かれた。 入来院氏は鎌倉時代中期に相模国渋谷庄司の渋谷光重が地頭職となり、その子定心が入来院地頭となって入来院を名乗ったことに始まる。
永禄年間(1558年〜1570年)入来院氏は島津氏に降り以後島津氏に従った。文禄4年(1595年)入来院重時は代々所領とした入来院の地を離れ、大隅国湯尾へ転封となった。慶長5年(1600年)入来院重時は島津義弘に従って関ヶ原合戦に参加し討死した。重時には嫡男がいなかったことから島津義虎の子で頴娃家の養子となっていた久秀が重国(後に重高)と名を改め入来院家の家督を継いでいる。
江戸時代に入り、慶長18年(1613年)入来院重国は湯尾から旧領である入来院に転封となり、以後入来院地頭として入来麓に仮屋を構え代々続いた。

16:00終了、鹿児島空港に向かう。

17:00鹿児島空港到達。
18:10鹿児島空港出発。
19:20伊丹空港到達。

今回の旅行、九州南端の鹿児島県に足を運び比較的マイナーなお城10か所を訪れ楽しみました。
広範囲に点在するお城、道も広く、信号も少なく、渋滞もなく、スムーズに訪れることができました。

鹿屋市内の繁華街で夕食を済ませましたが、居酒屋、焼き鳥屋、どこもいっぱいで7件目でやっと席に着くことができました。食事のお店を苦労するは初めてで、人口はそんなに多くなく、観光名所も多くなく、観光客も少ないのに何故こんなに混んでいたのか、お店が少ないのでしょうね。















 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百四十四弾:鹿児島県九州八十八ヶ所巡り&お城・城下町巡り観光
2016年1月30日ー31日

大隈、薩摩、そして日向の一部で構成され、古くから海外との交易が盛んで、大隈の肝付氏、日向の伊東氏がいち早く合戦に鉄砲を取り入れ、守護の島津氏が同地を支配し、九州全土を席巻した鹿児島県に足を運び、九州八十八ヶ所の8箇所、比較的マイナーなお城11箇所を訪れました。

1月30日16:20伊丹空港出発
17:35鹿児島空港到達、レンタカーで鹿児島市内に向かう。
18:20鹿児島市内のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

31日7:00レンタカーで巡る。
不動寺: 美し風景で知られる鹿児島の名所、磯庭園。庭園の目の前には桜島と錦江湾が広がります。その近く、鹿児島市十号線沿いに稲荷町という町があり。この町に不動寺があります。 このお寺のある場所は、かつて真言宗大乗院というお寺が存在した地でありました。不動寺はそのような仏縁の深い場所に築かれています。由来を語ると、大隅半島にある西大寺の鮫島弘明住職が薩摩の地に祈祷道場を求めて行脚していた時、夢に不動明王の霊示を受けたという。急いでこの地を訪ねてみると茂みの中に石仏が放置されていた。鮫島住職はこの石仏を仮に安置し、後の昭和35年に仮道場を興された、これが不動寺の始まりであります。現在は真言密教を広める道場とし、平成8年5月26日に本堂を落慶法要し、寺院として今にいたります。

大歓寺:大歓寺は、昭和45年に建立されたお寺です。御本尊様はお不動さまで、病気平癒、災害除け福徳や煩悩を滅ぼしたり、大変霊験あらたかな仏さまで、これまでもたくさんの信者さんからお不動さまのおかげを授かっておられます例えば鹿児島市で過去あった大水害にみまわれた時もお寺でご祈祷したお不動さまのお札を授かった方の中には、倒壊した道路を通行していたが、お不動さまのおかげで間一髪の所を救われたという方や、床下浸水で畳が浮き上がり、次々と家具が倒れる中、お不動さまのお札を納めたお仏壇だけは微動だにしなかったという信者さんもおられます、霊験談は数えあげるときりがないほどある。
また大歓寺のご利益といえば、安産祈願が有名である。この安産祈願の安産お守りは護摩を焚き、祈りを込めた手づくりのお守りで、このお守りを授かりにくる方も多い。また老若男女の心のより所として開かれたお寺ですので、大いなる活気に満ち溢れています。

東福寺城:暦応4年・興国2年(1341年)島津貞久によって築かれた。 貞久は南朝方の矢上氏と肝付氏の籠る浜崎城(一説に東福寺城の一曲輪とも云われる)を攻め落とし薩摩の拠点とした。
嘉慶元年・元中4年(1387年)島津氏は勢力を伸ばし新たに清水山城を築いて拠点を移した。

清水城:嘉慶元年・元中4年(1387年)島津元久によって築かれた。 島津氏は東福寺城を居城としていたが勢力が拡大するにつれ手狭となり清水城を築いて本拠を移した。
元久が没すると長子犬千代を推す伊集院頼久と元久の腹違いの弟久豊の間で相続争いがあり頼久によって清水城が焼き払われた。

指宿方面に向かう。

光明寺:薩摩半島の一角、縁に囲まれ全国に知られる温泉の里指宿天然砂蒸しは特に有名であります。この地に光明寺があります寺周辺には、そら豆、おくら等畑が多く季節を感じます境内に目を向けますと前面を駐車スペースとして広く取り高齢者の方、身体に障害のある方が安心して御参りができるように設計してあります。又、参拝者の皆様の健康を祈って、観音菩薩蔵を平成18年に建立しました。 堂内に地蔵菩薩を本尊として安置しその側に寺宝で大師ゆかりの密教法具の一つ香炉と如意棒が島津家祖霊の願文とともに奉納してあり年に1回元旦の日にご縁にあう事が出来ます。 当寺は修行はもとより悩みのある方が“笑顔で帰っていただきたい“これを心より望むてらです。『今日を大切に、出会いを大切に、明日を元気よく』

指宿城:指宿市西方外城市字城ヶ崎にある松尾城は、鎌倉時代から江戸時代初期までの約400年間、山城、海城の両方の性格を持つ城でした。指宿五郎忠村(ただむら)が城を建てて以来、歴代の城主は、阿多氏、奈良氏、紀氏、相州島津氏、祢寝氏、薩州島津氏、田代氏などにうつり変わりました。元和(げんな)元年(1615年)の江戸幕府の一国一城令で廃城になるまで、指宿の歴史は、この城を中心に動いていたのです。防御のための空堀(からぼり)や本丸跡などが現在も残っており古城からの眺めはすばらしいものがあります。

頴娃城:応永27年(1420年)頴娃兼政によって築かれた。
頴娃氏には頴娃古城を居城とし、開聞宮下司職と頴娃郡の郡司を兼任した平氏系の土豪の頴娃氏と、それが滅びた後に頴娃氏を称した肝付一族の頴娃氏があり、兼政は後者の初代である。
頴娃城はポルトガル商人J・アルヴァレスによってヨーロッパで紹介された最初の日本の城だという。


知覧方面に向かう。

知覧城:築城年代は定かではない。 島津忠久が入国したとき、頴娃忠信が知覧院郡司職に任ぜられた。その後北朝方の島津氏によって薩摩・大隅・日向が平定されると、島津忠宗の三男佐多忠光が領した。 応永年間(1394年〜1428年)城主佐多親久の留守中に、南朝方として島津氏に反抗していた伊集院頼久の一族によって、攻られ落城したが、応永27年(1420年)頼久が島津氏に降ると佐多氏が再び城主となった。

枕崎方面に向かう。

大国寺:昭和42年に住職によって開山され市民の悩みは台風だったので、百日間の願いをかけ禅をくんだ、すると国見岳が浮かび、観音菩薩の姿が現れた。さっそく手作りで御堂を建て、台風が一番やってくる方向に高さ8mの大日観音菩薩を造立した、すると不思議に大きな台風はあまり来なくなり枕崎市では、お大師様のお力と有名になった。 平成14年11月に佐賀県の七山村に如意輪観音庵を設立し、平成18年3月9日、金剛界大日如来様を建立した所、上空より大日如来の誕生の姿が現れた、写真に撮れた。 またこの大国寺に参拝すると、お茶の代わりに水を勧められる。かつてはこの山には水がなく山下から桶で運んでいた。それが平成5年になって、弘法大師のお陰で湧き出した、この大師の恵みの水も参拝された方々には有り難くいただいてほしい。

薩摩半島を北上する。

剣山寺:鹿児島県の南にあり、東支那海の見える静かな町の小さなお寺です。廻りの人達はとても人情厚く笑いのたえない所です、お寺の後ろには熊野神社があります。本尊不動明王様は参拝のみなさまのお話しをいつも“ニコニコ”して聞いて下さいます、「あわてるな、急ぐな、あなたはあなたのままでよい」といつも、話かけてくださる様な気がします。境内には慶長九年(約400年前)の三重の塔があります。気軽にどなたでも参拝出来るそんな寺にしたいと思います。

加世田城:治承元年(1177年)別府忠明によって築かれた。 別府氏は桓武平氏良文流で忠明の時に別府を名乗り別府城を居城として代々続いたが、応永27年(1420年)島津久豊に降った。島津宗家勝久の跡目をねらった島津実久は嫡子貴久を勝久の養子として宗家を継がせた島津忠良と激しく対立するが、天文7年(1538年)島津忠良が猛攻を加えて攻め落とした。

伊作城:築城年代は定かではないが南北朝時代に伊作島津氏によって築かれた。 伊作島津氏は久長を祖とし、忠良(日新)の時代に勢力を広げ、子貴久は本家を継いで戦国大名と成長した。義久の時代には九州北部まで進出したが、豊臣秀吉による九州討伐に敗れた。

峰浄寺:境内に足を踏み入れると、坂村真民先生の「念ずれば花ひらく」の真言碑と大きな修行大師さまが優しく出迎えてくれる。本堂奥には緑の散策路が広がり、八十八ヶ所の札所があり、入口には
十二支えと地蔵水子地蔵弁財天堂紺髪観音子安観音などあり四季折々の花が咲き、親子や若い人たちのお参りが絶えない峰浄寺です。

一宇治城:築城年代は定かではないが建久年間(1190年〜1199年)伊集院時清によって築かれたと云われる。
伊集院氏は時清から4代で血脈が絶え島津氏の一族伊集院久親がこれに代わった。
南北朝時代には島津一族で唯一南朝方に属したが島津貞久に破れた。
天文の初めには島津実久の勢力下であったが天文5年(1536年)島津忠良・貴久父子によって攻略された。
忠良・貴久父子はここを拠点として薩摩を統一し天文19年(1550年)貴久は内城を築いて移った。

薩摩薬師寺:奥薩摩の小さな集落の中にある当寺は新寺建立したまだ新しい寺ですが、のどかな環境に囲まれ、故郷に里帰りしたような気軽さでお参りができます。 本尊薬師如来立像は、御身の丈十三センチと小さいながらも、高野山よりお迎えした大変霊験あらたかな仏さまで脇仏の不動明王は、男女の縁はもとより、あらゆる不思議な縁結びの仏様です。
境内奥の八幡神と御神木の梛の木は永年に渡り、世の平和を見守っています。 これから歴史を刻んでいくお寺ですが、たくさんの方々の悩みや病がお薬師さまのお徳により救われることを願い、心のよりどころとなれば有り難いです。

法城寺:桜島が浮かぶ錦江湾の一番奥。美しい景色に囲まれた加治木町に法城院はあります。街中の国道沿いということもあり小さなお寺ですが、御参拝者のお線香の煙が絶えることなくたなびいています。御本尊は、参拝者の願いを叶え、苦しみを取り除いてくださる不動明王(秘仏)です。また、境内では無病息災・長寿祈願の「延命地蔵菩薩」、子供の安全・発育を願う「子安地蔵菩薩」などたくさんの仏様をお参りいただけます。現在、地元では「加治木の高野山」として皆様に親しまれておりますが、はじめてお参りされる方でも気軽に本堂に上がって手を合わすことが出来る、ちょっとした悩みでも話せる、そんなお寺でありたいと願っております。

加治木城:築城年代は定かではないが平安時代に大蔵氏によって築かれたと云われる。 大蔵氏は東漢霊帝の血を引く帰化人とされる。数代目の当主大蔵良長のとき継嗣なく、流罪となってこの地へ流れてきた関白藤原頼忠の三男経平に娘を娶せて大蔵家を継がせ、経平は加治木氏と名乗ってこの地に住んだと云う。加治木氏は以後有力国人としてこの地を治めていたが、明応4年(1495年)加治木久平は帖佐へ侵攻し平山城の南城を占領したが、高尾城に籠った川上忠直に防がれ、加治木侵攻に怒った島津宗忠昌の大軍に攻められ加治木城に帰還した。翌明応5年(1496年)島津忠昌が加治木城に押し寄せ久平は敗れて謝罪し許されたが薩摩国阿多へ移され加治木氏は没落した。
加治木氏の後は伊地知重貞が地頭となったが後に重貞も島津氏に叛いた為、大永7年(1527年)島津忠良が加治木城に攻め寄せ伊地知重貞・重兼父子は城中で自刃して果て、肝付兼演に加治木城は与えられた。
天文23年(1554年)蒲生範清は渋谷一族とともに島津氏に反抗し加治木城に攻め寄せた。島津貴久は加治木城を救援する為、岩剱城の祁答院良重を攻め、加治木城を取り囲んでいた蒲生軍が岩剱城を取り囲んでいた島津氏を討ちに戻ってきた所を激戦の末に打ち破り加治木城を救った。
文禄4年(1595年)加治木・日当山・溝辺のうち一万石が豊臣家の蔵入地となり、肝付兼三は喜入に移封となった。しかし、文禄・慶長の役での島津氏の功によって加治木は島津氏の所領に戻り、島津義弘が平松城より加治木へ移ったが加治木館を新たに築城した為、加治木城は廃城となった。

建昌城:築城年代は定かではないが享徳3年(1455年)頃に島津李久によって築かれたと云われる。 李久は島津忠国の弟で島津氏が平山氏を制した後、帖佐は李久に与えられ瓜生野城を築いたという。
李久の子忠廉は文明18年(1486年)島津忠昌の日向国伊東氏攻めに従軍し、日向国飫肥へ移った為、瓜生野城は廃城となった。
関ヶ原合戦後には徳川家康が加藤清正を先鋒として薩摩に攻め入るとの風聞があり、島津義弘が改修したともいわれ、また島津家久(忠恒)は鶴丸城にかわってこの建昌城を本城にしようとしたという。建昌城の名は明人頴川三官が中国の建昌城に似ているといったことから建昌城「けんしょうじょう」または「たてまさじょう」と呼ばれている。

蒲生城:保安4年(1123年)蒲生舜清によって築かれたと云われる。 蒲生氏(かもう)は、豊前国宇佐神宮の留守職藤原教清と宇佐大宮司の女との間に生まれた舜清が、神領管理のために大隅国垂水を訪れ、保安4年に蒲生・吉田の惣領職に転じて蒲生城を築いて蒲生氏を名乗ったことに始まる。蒲生氏は代々蒲生城を居城として続いたが、十八代蒲生範清のとき、渋谷祁答院良重と結んで島津貴久と戦った。弘治2年(1556年)島津貴久は蒲生氏の家臣中村氏の籠もる松坂城を攻め落とし、蒲生城に軍勢を推し進めた。蒲生氏の援軍として菱刈重豊が大軍を率いて駆けつけ北村に陣取り持久戦となったが、島津義弘が陣頭に立って奮戦するなど激闘となり、菱刈重豊が自刃して菱刈軍は壊滅、籠城していた蒲生氏も城に火を放って祁答院氏を頼って落ちた。蒲生氏の後は比志島美濃守が地頭として入部したという。

17:30鹿児島空港に向かう。
18:10鹿児島空港到達。
18:45鹿児島空港出発
20:05伊丹空港到達。

今回の旅行、九州の南、鹿児島県に足を運び、九州八十八ヶ所の8箇所、お城11箇所を車で巡り楽しみました。

戦いの場が点在する鹿児島県、今は大きな建造物は見受けられないが、昔は大きな建造物が存在していたと思われる、城跡の遺残で想像できる立派な城跡が点在していました。

九州八十八ヶ所の8箇所、お城11箇所、合計19箇所を車で回り堪能した歴史めぐり観光旅行でした。


















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百七十九弾:鹿児島県与論島観光
2012年2月11日ー12日
  

鹿児島県の離島、全島が発達したリーフに囲まれている鹿児島県の最南端の島、ビーチの美しさには定評があり、シュノーケリングやダイビングなどの各種マリンスポーツが盛んな与論島を訪れました。

11日9:15伊丹空港出発
11:30那覇空港到達
12:45那覇空港出発
13:20与論空港到達、レンタカーで観光

ヨロンマラソンのスタート地点でもありゴール地点でもある場所。ミコノス通りの白い壁が特徴です。この壁も一番上を見るとヨロンマラソンの歴代勝者の名前とタイムが刻まれています。またその近くには「王者の椅子」と呼ばれるマラソン勝者のみが座れる椅子がありますが、大会当日以外ならいつでも座れます(笑)。またこの通り近くに茶花海岸があり、その砂浜内にある舞台はまさにヨロンマラソンのための場所のようなもので、完走パーティが毎回ここで行われてランナー達がここで踊りますヨロンマラソンのスタート地点ゴール地点を訪れる。

茶花市街とプリシアや空港方面を結ぶ海岸線の道路沿いにある。コースタルリゾートの向かいあたり。他にもいくつかオブジェがあるエリアですが、これが一番印象的。形状というか名前が・・・。「マーライオン」ならぬ与論島なので「ヨーライオン」。ちょっと笑えるスポットかもしれませんヨーライオンを訪れる。

もちろん与論島には電車はありません。パロディの駅です。駅の「沖縄←与論島→鹿児島」という表示が印象的です。何故ここにあるのかは不明ですが、与論島は鹿児島と沖縄の間にある「県境」の島なので、この駅もなんとなく納得できるかもしれませんヨロン駅を訪れる。

ヨロンマラソンの心臓破りの坂、フルマラソンでは魔の35km地点から見下ろした景色です。フルマラソンの残り7kmの地点なのでめちゃくちゃ辛い時期で、しかも上り坂を登り切ったときに見える景色なので、あまり景色を楽しんだことはないですが、とっても視界が開けていてキレイな景色です。ちなみにハーフの人もこの景色を眺めることができ、ハーフだと余裕を持って見ることが出来るかも?坂の上にはJAL系のキャビンアテンダントがいるエイドステーションがあり、いろいろなものをくれるので、のんびりレースを参加される方にはこの景色の眺めながらレース中のひとときを楽しむと良いでしょう。もちろん、マラソン以外で来ても良い景色を眺められると思います昇龍橋からの景色を望む。

昇竜橋の途中にある広場に2010年ぐらいから突如現れた牛のオブジェです。しかも何故か金色。どうして金色なのかは謎ですが、でも屋外にあるオブジェなので台風などで徐々に金色ではない色に変わっていきそうな気がします牛オブジェを訪れる。

与論城跡にある神社で、島では最もメジャーと思われる神社。新年の際には初詣に訪れる人も多い。隣接して地主神社もあるがこの2つの区分はよく分かりませんが、2つとも参拝するのが良いと思います。社務所もあっておみくじも行えますし、何より与論島の高台にあるのでこの神社の中からの景色は抜群。茶花市街を含めた与論島西部を一望できます琴平神社を訪れる。

与論城跡や琴平神社に隣接してある神社。神社へ上るための木製デッキが神社の手前に広がっています。この神社の境内では与論十五夜踊りが奉納されるらしいです。琴平神社がすぐ隣りにありますので一緒にお祈りすると良いかもしれません地主神社を訪れる。

与論島の最も高い場所にあるかもしれない施設。サザンクロスセンターというくらいなので、星空に関係する施設かなっと思ったらあまり星空には関係ないらしく、与論島の歴史や民俗の資料館となっています。中には展望台もありますが、基本的に入場有料です。与論島の歴史や文化に興味ある方には良いかもしれません。特に景色は360度のパノラマ風景を望めると思いますのでおすすめのサザンクロスセンターを見学。

琴平神社周辺に広がる城跡でどこからどこまでが城跡なのがわかりにくいが、神社から翔龍橋方面へ向かう石積みの城壁部分とその反対側のサザンクロスセンターの裏にある城壁もその一部かと思われる。ただ双方は神社によって分断されているので相互を往来するには神社前を通過する必要がある。個人的には城壁よりもサザンクロスセンター裏の方が城址らしく感じる。一部に沖縄のプズマリのような石積みの遠見台的な場所もあり、吾妻屋もあるのでサザンクロスセンター裏の方もいろいろ楽しめる与論城跡を訪れる。

赤崎鍾乳洞へ行く途中の道の傍らにありました上城跡を訪れる。

鍾乳洞にはありがちな鳥居がある神社。沖永良部にある昇龍洞と同じ神社の名前。ゆかりはわかりませんが、ここでも賽銭を置いて行かれる方が多いようです。鍾乳洞の比較的序盤にありました赤崎鍾乳洞を訪れる。

東区の赤崎海岸までのまっすぐな道沿いにある施設。民族村のすぐ近く。ヨロンマラソンのコース上にあります。ここではオーガニック栽培したウコンを粉末に精製し、様々な健康食品を造っているらしいです。ネットにもショップがあるらあしいです。ウコン以外にも黄金酢や与論黒糖や島の塩などを作っているようですヨロン島自然薬草本舗を訪れる。

与論島の古民家や風土の雰囲気を感じることができるものを様々見ることができます。他にも染め物や黒糖作りの体験など様々なことができるようです。与論島観光では外せない場所かもしれません与論民俗村(民族村)を見学。

与論島人類渡来発祥の地。ここで水を発見したことにより与論島に人が住み始めたという。場所は赤崎海岸入口近くで石碑がある。しかしその石碑の横に獣道があるが、このアマンジョウはその先にはなく、むしろ中に入らないで舗装路のすぐ脇にある。ガードレールから下をのぞき込むとその様子がうかがえる。近くまで行くのはやや厳しそうなのでこの道路から見下ろすのがおすすめのアマンジョウを訪れる。

与論島の東南でメジャーなビーチ。施設も揃っていて、シーズンには売店なども出ています。ビーチ自体はそこそこ広く、隣接する麦屋漁港との間には防波堤もありますので、ちょっと整備されているかも?与論島の南側では最も観光化されていてるビーチ、赤崎海岸を訪れる。

赤崎海岸をちょっと奥に歩いていくと、がけの上に灯台があるのが分かります。与論島の南東を守る灯台みたいです。与論島では一番大きい赤崎灯台を訪れる。

与論島で最もメジャーなビーチ。島の東側に砂浜が延々続く場所で、沖には有名な「百合ヶ浜」が現れる場所としても有名。ビーチがあまりに広いので、北の部分をクリスタルビーチ、南の部分をシーマンズビーチと呼ぶこともありますが、大きい範囲としての大金久海岸を訪れる。
クリスタルビーチから北に少し上がった場所、サトウキビ畑の中に作家「森瑶子」のお墓と別荘があります。別荘は一般の人は立ち入ることができず、ツアーか何かでしか行くことができないようです。お墓は道路に面した部分にあるので、見ることはできます。この場所からはキレイな海の色が望め、与論島を愛した森瑶子さんの気持ちが少し分かった気がしました。最近はその別荘の庭を使って結婚式なども行われるようになったらしいです。南国の青い海を見ながら挙げる式は格別かもしれません作家「森瑶子」のお墓と別荘を訪れる。

百合ヶ浜の北にあるビーチで、基本的に港がメインの海岸かもしれません。ここから百合ヶ浜ツアーの船や、各種マリンスポーツなども行われているみたいです。マリンジェットが走り回る姿も見受けられました。ですので、海水浴って感じではないかもしれませんが、防波堤でのんびりするには良いかもしれません。干潮時には地元の方が磯で魚などの海産物を採りに来たりしています。のどかな海かと思います皆田海岸を訪れる。

島の中央やや東側。古里エリアにある工房。といっても島の周回道路からはやや山側に入った場所にある。島の東西を結ぶ道路沿いに案内板があるのでそれを目印に行けばたどり着けると思います。ここの工房は体験もできますが、焼き物は他の店舗でも取り扱っているようです。確認できた限りではプリシアの中にある売店で取り扱っていました。与論島で天気がイマイチな時などはこの工房へ行って体験してみるのも良いかもしれませんゆんぬ あーどぅる焼窯元を訪れる。

黒花海岸に並ぶ与論島北側のメジャーなビーチ。白い砂浜がとってもきれいです。サラサラの砂浜で広さをほどよく、人が来なければプライベートビーチとしては最高のコンディションかもしれません。そんな感じなので、映画「めがね」のメインのロケ地としても使われたらしいです。この浜でメルシー体操が行われていたらしい寺崎海岸を訪れる。

ビーチは砂浜がとてもキレイで砂もきめ細かい。海はやや深さがあるのか青のグラデーションがとてもキレイでした。時間によってはフェリーが行き交う様子も望めるかもしれませんし、西向きなので海に沈むサンセットを見ることが出来るかも?茶花市街からもそんなに遠くないので気軽に行けると思います品覇海岸を訪れる。

ウドノスビーチへ行く際、茶花漁港側からではなくギリシャ村側から行くとたどり着ける入口。このビーチ入口には青い海を見渡せる場所にテーブルとベンチがあって海を眺めてのんびりすることができますウドノスビーチ休憩所を訪れる。

茶花市街から島中央の上り坂を進んでいくと、途中に案内板が出ており、脇道に入った先にあります。やや場所は分かりにくい。でもその案内板を目印に行けばたどり着けると思います。ここは基本的に植物園というか亜熱帯植物を主体にした小さなテーマパークみたいなもので、季節によって様々な花々やそこによってくる蝶々などを見ることが出来るかもしれませんユンヌ楽園を訪れる。

以前は島の周回道路から脇道に入った高台にあったのですが、現在は周回道路沿いにある模様。大島紬の工房。奄美の大島紬としては与論島が奄美諸島で南端なので最南端らしいです。施設では藍染めや紬織の体験ができるらしく、また紬や藍染めの商品も購入できるらしい本場大島紬 いっちゅう本館を訪れる。

17:00東区にある宿に到達。
18:00車で茶花方面に向かい、居酒屋で食事を済ませる。
20:00宿に到達、就寝。
12日9;00レンタカーで出発、海岸線道路、循環道路を各一周し昨日の訪れた観光名所を復習する。

13:00与論空港到達
13:45与論空港出発
14:25那覇空港到達
15:40那覇空港出発
17:25関西空港到達。

今回の旅行、鹿児島県の最南端の離島、与論島に足を運びました。
与論島は学生時代以来2度目の訪れで、以前は神戸港からフェリーで38時間かけて訪れました。
当時は道路は舗装されていなくでこぼこ道、百合が浜付近の宿に泊まりましたが記憶が無いのか今回その宿を見つけることができませんでした。残念です。

当時コバルとブルーの海、リーフに取り囲まれた島、感動の離島でしたが今回も冬季の訪れであるが素晴らしく美しい海岸線が島周辺に点在していたのは感無量です。

懐かしの離島与論島観光旅行でした。














飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六十二弾:鹿児島県出水・川内&桜島観光
2011年10月1−2日


鹿児島県に足を運び、海沿いに海鮮グルメスポットや立ち寄り湯が点在し、美しい夕日が望め、ツルの飛来地として有名で武家屋敷群などの見所のある出水・川内、霧島屋久国立公園に指定され、現在も活動続ける活火山、裾野を一周する道路の周りはほとんど溶岩で迫力ある景色が続く桜島を訪れました。

1日15:10伊丹空港出発
16:30鹿児島空港到達、レンタカーで隼人に向かう。

天照大神の孫・瓊瓊杵尊を祭った神社。高さ23mの大鳥居をくぐり、杉木立の参道を上ると、朱塗りで入母屋造の社殿(重要文化財)と拝殿(重要文化財)が立つ。元は高千穂峰の山頂近くにあったが、度々の火山の爆発により約500年前にこの地に移築された。現在の社殿は1715年(正徳5)に、21代薩摩藩主・島津吉貴が寄進の霧島神宮を訪れる。

18:00隼人駅付近のホテル到達後、繁華街を散策、食事を済ませてから就寝。

2日6:00車で出発、水俣(熊本県)方面に向かう。

環境問題について正しい理解と認識を深め、環境に優しい行動を推進していくための「環境学習」「環境情報提供」の拠点として、平成5年8月、水俣市に設置された。館内には、大画面の映像が観られる環境シアターや、環境学習ができる学習ルーム、9000冊の環境関係書籍を備えた情報プラザ、暮らしと環境の関わりが学べるエコロジーハウス等の設備がある。また、環境指導員による環境学習も行っている熊本県環境センターの前で記念撮影。

水俣病の経緯を整理し、水俣病の歴史と現状を正しく認識し、悲惨な公害を二度と繰り返してはならないという切なる願いと、貴重な資料が散逸しないよう収集保存し、これを後世への警鐘としていくことを目的としている。館内では、写真・パネル・映像によって水俣病の歴史等を紹介しています。その他、水俣病の患者さんらから直接その体験を聴講する、語り部制度もある水俣病資料館の前で記念撮影。

出水方面に向かう。

ツルの越冬地で有名な出水市荒崎の田園地帯の一角にある。ツルが飛来する秋からシベリアへ旅立つ春先までオープン。約1万羽が訪れる出水市ツル観察センターを訪れる。

国の重要伝統的建造物群保存地区。麓とは、江戸時代に防衛上の必要から薩摩藩の外城として造った武家屋敷兼陣地のこと。なかでも出水麓は肥後との国境にあり、最大規模を誇った。石垣や武家門や蔵が復元された竹添邸のほか、武宮邸が一般公開されている出水麓武家屋敷群を訪れる。

川内方面に向かう。

城門から一歩足を踏み入れるとそこはもう武将の世界。勇壮な戦国時代の威風堂々の光景と遠き時代に想いをはせ、幕末・維新をリードした薩摩人「西郷 隆盛」の歴史的場面との二部に分けて人形や武具・甲冑などを使ってセット再現。しばしのタイムトラベルを満喫いただけます川内戦国村を訪れる。

串木野方面に向かう。

串木野金山の歴史と本格焼酎について紹介する産業観光スポット。坑道を利用した焼酎の仕込み蔵や貯蔵庫が見学できるほか、売店、食事処「ほたる庵」などがある焼酎蔵 薩摩金山蔵を訪れる。

九州自動車道経由して鹿児島港到達。
13:00フェリーで桜島に向かう。
13:15桜島到達。

鹿児島市街の対岸に位置し、今も噴煙を上げる標高1117mの海上火山。ホマーテ型の複式火山で有史以来30数回の噴火を繰り返し、1914年(大正3)の噴火で大隈半島と陸続きとなった。鹿児島港からフェリーで15分。島内には噴火を物語る史跡が点在する。なかでも火山灰や軽石に埋もれてしまった高さ3mの黒神埋没鳥居は上部分1mだけを残し、その噴火の威力を感じさせる桜島を訪れる。

桜島の入口、桜島ビジターセンターから錦江湾沿いに続く約3kmの遊歩道。溶岩と海が入り組んだ海岸線からは鹿児島の市街地も見渡せ、終点には烏島展望所がある溶岩なぎさ遊歩道を訪れる。

桜島中岳の中腹標高373m地点にある展望所。ここから仰ぎ見る南岳の山容や噴煙を上げるさまはまさに圧巻。眼下には鏡のように穏やかな錦江湾と鹿児島の市街地、南は開聞岳まで一望できる県内随一の景勝地の湯之平展望所を訪れる。

16:00鹿児島空港に向かう。
17:30鹿児島空港到達。
19:05鹿児島空港出発。
20:20伊丹空港到達。

今回の旅行、鹿児島県に足を運び、鹿児島空港付近の隼人から反時計回りで鹿児島北西部(出水、川内、串木野)巡ってから鹿児島港からフェリーで桜島に渡り観光してきました。

由緒ある武家屋敷が点在する出水を主とする鹿児島県に西部の海岸線のエリアと今尚活動続ける活火山の島、桜島の広範囲のドライブ観光楽しめました。

尚桜島に上陸すると火山灰がいっぱい、周囲は溶岩で覆われ、家も道路も火山灰が積もり、何処に行くにも火山灰が被り、気道に悪影響を及ぼしそうです。

住民の方は畑仕事と生活、かなり苦労されてるようです。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第百三十六弾:鹿児島県甑島観光
2011年3月19ー21日


日本本土最南端、総面積は9,187平方キロメートルで、薩摩半島、大隅半島の二つの半島と多くの離島を有し、南北およそ600キロメートルに及ぶ温暖で広大な県土の中に、桜島などの火山や、屋久島をはじめとする特色ある島々、個性ある歴史・文化に加え、豊富な温泉など、多彩な観光資源に恵まれた日本でも有数の観光県、鹿児島に足を運び、東シナ海に位置し、鹿児島県薩摩川内市に属する列島、北東から南西に連なる上甑島・中甑島・下甑島の主な3島と、付属するいくつかの島から構成される甑島を訪れました。

19日13:59新大阪新幹線さくらで出発
18:01川内駅到達
18:31川内駅鹿児島本線で出発
18:45串木野駅到達、駅前のホテル到着後繁華街を散策し、食事を済ませて就寝。
20日7:15タクシーで串木野港に向かう。
8:10串木野港高速艇で出発
9:00甑島里港到達、レンタカーで上甑島巡る。

里港の目の前にあり、船の帆をイメージした半円柱型の客室棟は全室オーシャンビューとなっており、天然温泉の大浴場でリフレッシュした後は、甑島の新鮮な魚介類を使った料理をご堪能できる甑島館を訪れる。

小高い丘の上に残され、承久の変で戦功のあった鎌倉方の武将小川太郎季能の子季直が地頭とし築城したと言われています。南方の丘には甑隼人の城であったという鶴城跡があり、
両者合わせて[鶴亀城]と呼ばれています亀城跡を訪れる。

江戸時代の郷士たちが住んでいた武家屋敷のあったところです。数百メートルに渡り丹念に積まれた玉石垣は保存もよく、訪れる者をいにしえの世界へといざないます武家屋敷跡を訪れる。

藩政時代には薩摩藩において真宗の信仰が厳禁されていました。天保か文久の時代にかけて大弾圧を受けた際に、里村の信徒たちが仏像や経文をここに隠し、隠れ念仏の場所として難を逃れたと言われています
隠山を訪れる

きめ細かい砂と澄んだ遠浅の海が広がる里町北端のビーチ。野島や筒島など大小の島々を望む素晴らしい風光の中で海水浴やマリンスポーツを楽しめる
市の浦海岸を訪れる

海底や沿岸流によって運ばれた砂や石が、波の作用によって水面に現れたもので、一般に堆積した場合は、細長く、高さは低くなります。里村のトンボロ地形の全長は、南北に約1500mで、最大幅1000m、最小幅250m、高さ2.3mの陸繋砂州(トンボロ)を眺望する。

長目の浜湖沼郡、浜堤は里村地域内の湾曲に富む海岸線の一部を形成しています。海との境が比較的小粒な礫であるため海水が通りにくく、殆ど淡水でウナギやボラなどを産する池とされています須口池を訪れる。

長目の浜湖沼郡、浜堤は里村地域内の湾曲に富む海岸線の一部を形成しています鍬崎池を訪れる

なまこ池と接している貝池は、面積0.16・、周囲2.6km、最大水深12mです。この池には30億年前に出現したバクテリア「クロマチウム」が生息し、幾重にも層を造り、世界でもバルト海沿岸と貝池だけと言われ学術的にも貴重な湖となっています貝池を訪れる 。

甑島最大の湖で面積0.56・、最大水深22.6mの半淡水湖です。これは浜堤を通し海水の出入りがあるためで、海水面と湖水面は時間差が生じ干満を繰り返し、いつも高低差がありますなまこ池を訪れる。

左から「鍬崎池」、「貝池」、「なまこ池」「はまゆう」で仕切られた海岸線を境に右側は、東シナ海の大海原を
長目の浜展望所からの眺望する。

シャワーや更衣室を備えた海水浴場はもちろんのこと、釣り桟橋までの釣り、海上遊歩道、テニスコート、パターゴルフなどが楽しめる多目的広場、また、キャンプ場、バンガローなどの施設も整っています。
キャンプ場は、テントサイトもありテントの持込も可能。また、甑島周辺の海は魚の宝庫。釣り桟橋では、大海原を目前に本格的な釣りが楽しめます上甑県民自然レクレーション村を訪れる。

中甑島方面に向かう。

上甑島と中甑島の間に架かる全長420mの橋です。架橋地点の
ヘタの串には、甑(せいろ)の形に似た大岩をご神体とする「甑大明神」が祭られており「甑島」地名の発祥地と言われています甑大明神橋を通過する

アーチ構造の橋の美しさだけじゃなく、外洋にマッチし、その橋の両側に広がる海は素晴らしいの一言の
鹿の子大橋を通過する

中甑島のほぼ中心に位置し、甑島全島、東シナ海の大海原によって形造られた奇岩や断崖は、雄大な景観が心を魅了します帽子山展望台を訪れる。

里港に戻る。
12:40フェリーで里港出発
14:35下甑島長浜港到達、レンタカーで観光

手打方面に向かう。

瀬尾川上流にある緑に囲まれた美しい滝で、滝壺までの高さが55mあり三段になって落ちています。周辺は観音三滝公園として休憩所、展望所、 花の広場などが整備され、村人の憩いの場として愛されています観音三滝公園を訪れる。

下甑を代表する海岸の一つで、約2kmに渡る美しいビーチで海水浴が楽しめます。6月には、ウミガメも産卵の為に上陸します
手打海岸(海水浴場)を訪れる

玉石を積んで作られた石垣が、当時の面影をそのまま語ってくれます武家屋敷跡を散策する。

歌手:森 進一さんの歌「おふくろさん」を記念して建てられた歌碑です。甑島は、おかあさんの古里です「おふくろさん」歌碑を訪れる。


手打港に近いところにあり、江戸時代の公儀支配において 船舶の出入り監視や取り締まりのため、手打津口(港)に配置された番所を再現した建物の津口番所跡を訪れる。

藩政時代には信教の自由が認められず、寛永5年(1638年)頃キリスト教信者が捕らえられ、この地で処刑されたといいます。美しい海を見下ろす釣掛崎には、信仰のため命を捧げた人々が眠っているキリシタン殉教地記念碑を訪れる。

17:00ウミガメが来ることにちなんで、浦島太郎の昔話に出てくる竜宮城のように夢のある村作りを目指そうと言う計画の一端として建築された施設で、入り口付近には浦島太郎の像があります竜宮の郷に到着宿泊。

21日7:30レンタカーで出発。

片野浦方面に向かう。

西海岸の造形美あふれる片野浦地区にあり、東シナ海に沈む夕日の景観は見る者を圧倒する美しさがあります
片野浦海岸(キャンプ場)を訪れる

瀬々野浦方面に向かう。

「往診の 道すがら見し しんきろう」の句が刻まれた歌碑のある丘です。これは下甑村青瀬の医師(故)平田 清氏が「往診の道すがら、しんきろうを見たことを 詠んだものです。」ここに立つと、はるか異郷のエキゾチックな情景が見えてきそうですしんきろうの丘を訪れる。

東シナ海を正面に左に鷹ノ巣、右にナポレオン岩と屈指の景観が魅力です。釣り人が愛してやまない場所となっています瀬々野浦を訪れる

瀬々野浦断崖の豪快に切り立った海食崖の中に、突然海上に突き出る高さ127mの大岩です。横から見ると人の顔に見えるのが、由来のようです
チュウ瀬(ナポレオン岩)を眺望する

瀬々野浦にあり、町並みはもちろんのこと、ナポレオン岩や鷹の巣などの奇岩を一望できる前の平展望所を訪れる。

鹿島方面に向かう。

島西岸のダイナミックな海岸線が展望できます。鹿島の山並みや中甑島、海を隔てた薩摩半島がはるか彼方に望め、心も解放されそうな八尻展望台を訪れる。

鹿島の町と鹿島断崖が一望にできる展望台。イスに腰掛けて鹿島港に入港する  フェリーを見下ろすと、まるで甑島を渡る鳥になったようなそんな錯覚さえします。甑の表と裏が見渡せる気持ちのいい藺落展望台を訪れる。

波に洗われる岩山の男性的な景観が見る者を圧倒します。御物瀬、池屋崎、人形瀬、鶴穴など自然が作り出した奇岩、大岩が点在する豪壮な景観の中を群をなしてウミネコが飛ぶさまは幻想的でさえあります鹿島断崖を訪れる。

下甑島の北端に位置し、紺碧の海をはさんで向こう側に中甑島を眺望できる展望台です。この周辺は、鹿の子百合の自生地としても有名で、初夏には、甘い香りを漂わせる美しい鹿の子百合の群生が見られます烏の巣展望台を訪れる。

14:20長浜港到達
14:50長浜港フェリーで出発
16:40串木野港到達、送迎バスで串木野駅に向かう。
17:00串木野駅到達
17:46串木野駅鹿児島本線で出発
18:05川内駅到達
18:23川内駅新幹線さくらで出発
19:54博多駅到達
20:00博多駅新幹線のぞみで出発
22:35新大阪駅到達

今回の旅行、関西ではあまり知られていない鹿児島県の甑島に足を運びました。
上甑島、中甑島、下甑島の3つの島からなり、素朴な大自然が残っている島を二泊三日でドライブ観光楽しめました。

あまり宣伝も無く、観光客も少ない島ですが道は整備され、観光案内のプレートもしっかり確認でき、迷わず観光名所を訪れることが出来ました。


















飛行機で国内&海外の観光地巡り第五十一弾:鹿児島タウン&指宿観光
2009年1月24−25日


今回は多くの歴史的人物の足跡をたどり、ショッピングやグルメなどの幅広いジャンルのお店が揃う鹿児島タウン、砂むし風呂、大河ドラマで有名な篤姫のゆかりの場、指宿、特攻隊の歴史を学べる知覧、かつお節で有名な枕崎に足を運びました。

24日14:30伊丹空港出発
15:40鹿児島空港到達、レンタカーで九州自動車を経由して鹿児島タウンに向かう。

1602年に島津家久が築き、甲突川、稲荷川を外堀に利用した城跡で現在は石垣しか残っていない鶴丸城跡を散策する。

完成にまで10年の歳月を費やし、高さは台座まで入れると8m、作者は東京渋谷の忠犬ハチ公像を作った鹿児島県出身の彫刻家・安藤照の西郷隆盛像を見学。

第28代薩摩藩主・島津斉彬公を祭った神社、大きな鳥居は見事、神社に隣接する探勝園は島津家の庭園がある照国神社を訪れる。

西南戦争時、政府軍の総攻撃を受けた薩軍がたてこもった場所、西郷が別府晋介に介錯されるまでの5日間を過ごしたといわれる洞穴や薩軍本陣跡の碑などがあり、山頂の展望所は錦港湾に浮かぶ桜島を眺められる城山展望台を訪れる。

市街地のホテルに到達、市街地を散策して食事を済ませて宿に就く。

25日7:00レンタカーで出発、天候小雨のち晴れ。

幕末偉人出生率高の鹿児島タウンの加冶屋町に向かう。
西郷や後に海軍大臣や内務大臣を務めた弟、西郷従道などが生まれ育った場所、又この辺りは下級士族の居住区として発展した地で近くには大山厳、東郷平八郎などの誕生地が点在している西郷隆盛・従道誕生地を訪れる。

JR鹿児島中央駅前にある1865年にヨーロッパに向けて出発した留学生たちを記念した銅像、若き薩摩の群像を訪れる。

鹿児島中央駅東口面から延びる全長約700mのナポリ通りを通過して指宿スカイラインに向かう。
今日は冬型の気圧配置、標高の高い位置に存するためか指宿スカイランを走行すると驚いたことに、周りは雪景色一色でした。速度を落として知覧インター下車、知覧方面に向かう。

麓川に沿って走る県道23号から一本入ると、江戸時代にタイムスリップしたかのような歴史的な町並みが広がり、およそ750mにわたってのびる武家屋敷通り、知覧武家屋敷庭園群を散策する。
武家屋敷の直ぐ手前には自然の磯石の上に架けられた片眼鏡の橋、矢びつの橋、中世の山城であった亀甲城跡を訪れる。

太平洋戦争末期に特攻の基地が置かれた知覧町を訪れる。
特攻隊員たちから母親のように慕われていた鳥濱トメさんの食堂を資料館として復活、彼女と特攻隊員とのふれあいの遺品や写真などが並ぶホタル館富屋食堂を見学。

沖縄戦の際、知覧や南さつま市の万世、都城などから出撃し散っていった1036人の陸軍特攻隊員の遺影や遺品、当時の戦闘機などを展示する知念特攻平和館を見学。

太平洋戦争で戦場が沖縄に移り、連合軍の爆撃機が姿を見せるようになったため急遽山砲が配置された場所、山砲座跡、管制官の役目を果たした場所、戦闘指揮所跡を訪れる。

加世田方面に向かう。
幻の特攻基地とも言われていた、旧陸軍最後の特攻機地、万世飛行場跡に平和への願いをこめて建てられた資料館、万世特攻平和祈念館を見学。

西に向かい薩摩半島最西端の笠沙の自然を満喫できる施設、笠沙と海の魅力一杯海を学び、海を遊ぶ冒険館、笠沙恵比寿を見学。

西岸線を南下し、かつて日本三津のの一つに数えられ、九州西南端の対外要港として栄えた坊津の貴重な文化遺産展示収蔵され、国の重要文化財に指定されている絹本著色八相涅槃図を保管している南さつま市坊津歴史資料センター輝津館を見学。

薩摩半島の南岸を東に向かって走行、かつお節で有名な枕崎を通過して指宿方面に向かう。

薩摩富士とも呼ばれるどの角度から見ても美しい秀峰、標高924m、360度の円錐形の山で、池田湖や知覧など南薩の各地からその美しい稜線を眺められる開聞岳を訪れる。

開聞岳の北麓に鎮座する薩摩一ノ宮、本殿は1600年島津義弘が建立した枚聞神社を訪れる。

開聞岳の噴火によって池田火山が陥没して形成され、周囲15km、最高水深233mのカルデラ湖、体長1,8m、胴回り50cmもの大ウナギが生息し、謎の怪物、イッシーが棲むという噂もある池田湖周囲を散策する。

薩摩半島の最南端にある景勝地、東シナ海の絶境が目の前に広がる長崎鼻を訪れる。

東海岸沿いを北上し、はるか古代の歴史や文化を見て触って楽しむスポット時遊館COCCOはしむれを見学。

JR薩摩今和泉駅の周辺は篤姫が幼少期を過ごしたといわれる今和泉家別邸や、実父が眠る今和泉家墓地など、篤姫ゆかりのあるスポットを散策する。

縄文時代から江戸時代までの鹿児島の歴史を、掃除山遺跡を再現した大型模型や出土品他でわかりやすく紹介する鹿児島市立ふるさと考古歴史館を見学。

谷山インターから九州自動車道経由して鹿児島空港に向かう。
18:00鹿児島空港到達。
19:55鹿児島空港出発。
21:00神戸空港到達。

今回の旅行、ショッピングやグルメなど、幅広いジャンルのお店が揃い、多くの歴史的人物の足跡をたどれる鹿児島タウン。
太平洋戦争末期、沖縄戦の劣勢を挽回するため展開された特攻作戦、平均21,5歳、最年少は17歳という青年たちが、爆弾搭載の飛行機もろとも肉弾となり、体当たりで突撃するという人類史上類の見ない作戦で帰らぬ人となった若き特攻隊の想いを語り継ぐ町、知覧。
かつお節で有名な枕崎。
砂むし風呂や薩摩富士と呼ばれるどの角度から見ても美しい秀峰、開聞岳、九州最大のカルデラ湖、池田湖、大河ドラマで有名な篤姫のふるさとともいえる今和泉などが存する指宿。
薩摩半島の南半分をほぼ制覇しました。

鹿児島は今回で3回目、歴史的建造物、自然遺産も豊富に存在する地域、霧島エリア、鹿児島タウン桜島エリア、今回の指宿エリアなど見るべきものがたくさんあり十分に満足のできる鹿児島観光で、観光客も多く、賑わっているのが感じさせられました。
これからも又訪れてみたい観光スポットの多い鹿児島観光旅行でした。








飛行機で国内&海外の観光地巡り第四十五弾:鹿児島喜界島&奄美大島&沖永良部島観光
2008年11月1−3日


連休を使って飛行機を6回乗り換え、奄美諸島の3つの島、地殻の変動により大陸から分離したといわれる奄美大島、海底のサンゴ礁が隆起してできたといわれる喜界島、沖永良部島を2泊3日で巡りました。

1日15:10伊丹空港出発
16:35鹿児島空港到達、空港高速バスで鹿児島市内に向かう。
17:30鹿児島市内のホテルに到達後、鹿児島タウンを散策して食事を済ませて宿を取る。

2日天候晴れ
6:10空港高速バスで鹿児島空港に向かう。
8:05鹿児島空港出発
9:20喜界島空港到達、レンタカーで島巡り。

喜界島空港近くの約18万uの敷地内にスギラビーチ、多目的広場、ミニゴルフ場などが設置している空港臨海公園を散策する。

1177年平家討伐を画策した鹿ヶ谷事件により俊寛が鬼界ヶ島へ流されたと伝えられ俊寛の像が立つ 僧 俊寛の墓を訪れる。

西の海岸に向かい、いろいろな形をしたサンゴ礁の間をぬって遊歩道が延びる夕日の散歩道といわれる荒木・中里遊歩道を散策する。

南に向かい標高130mにある公園、隆起サンゴを形成する海岸線を望める中西公園を散策する。

東に向かい奄美諸島に多く見られるサンゴを積み重ねた石垣、阿伝集落のサンゴの石垣を見物。

島の中央に向かい標高約200m、約700uを誇る隆起サンゴ礁の台地、奄美十景のひとつに数えられる百之台公園から喜界島360°を眺望する。

北東に向かい1165年源為朝が雁股の矢を放ち、それを抜き取ると湧き出たといわれている雁股の泉を訪れる。

小野津にある公園で奄美民謡で有名なムチャ加那節の主人公であるムチャ加那という娘をしのんで建立された碑があるムチャ加那公園を散策する。

14:30喜界島空港出発
15:00奄美大島空港到達、レンタカーで巡る。
奄美大島は昨年来2回目で前回周れなかった北東方面を中心に巡りました。

空港から東海岸に沿って北に向かい島を代表するサンゴ礁の海を眺めることが出来る土盛海岸を散策する。
奄美本島東北端の太平洋上に突き出た岬、起伏する地形が綾織りの鞠に似ていることから呼ばれたあやまる岬を散策する。

太平洋と東シナ海を一望する海抜120mの高台にある公園、蒲生崎観光公園を散策する。

名瀬の市街地に向かいホテル到着後、名瀬タウンを散策して食事を済ませて床に就く。

2日6:30レンタカーで出発、天候は雨のち曇り
名瀬から西に向かい日本の渚百選に数えられる海浜公園、園内には奄美海洋展示館がある大浜海浜公園を散策する。

サンゴでできた白砂のビーチ、国直海岸に寄ってから群倉とは穀物の貯蔵庫として使われた高倉で、釘を一本も使わずに梁や桁を組み合わせた組み合わせた造りは貴重な建造物とされている大和村の群倉を訪れる。
近くには奄美の動植物のすべてがわかる奄美野生生物保護センターが存する。

東に戻り大島北部にソテツの群生地とバショウの自然林が山を覆うほど自生する珍しいソテツ・バショウ群生地を訪れる。

バードウオッチングや昆虫観察に最適な奄美自然観察の森を訪れる。

奄美空港に向かい
10:30奄美空港出発
11:05沖永良部島空港到達、レンタカーで島巡り

サンゴ礁が東シナ海の荒海で侵食されて出来た洞窟、ダイナミックな水柱が立つフーチャを散策する。

エラブユリの歴史や生態を解説する和泊町歴史民俗資料館によってから西北端に向かう。

沖永良部島にはカルスト地形が多く見られるが、最も大規模で地元ではヤグニヤ岬と呼ばれ地面一面を覆う、なだらかな芝生の斜面を海の方向へ下りていくと、高さ40mの垂直な断崖絶壁や、サンゴ石灰石の奇岩怪石群が一面に点在して、海が穏やかな日には、ウミガメの遊泳する姿が見られることもある田皆岬を散策する。

島の中心部に向かい島にある300あまりの鍾乳洞のなかで最大規模を誇る昇竜洞を散策する。

近くにある海抜245mにある公園で与論島や沖縄を一望できる大山植物公園を散策する。

南に向かい、海岸線に沿って東に走行、亜熱帯植物が生い茂る海岸線、ライトブルーのサンゴなど美しい眺めが続く屋子母海岸を散策する。

海岸線に傘のような奇岩がいくつも切り立つ自然がつくりあげた景勝地、ウジジ浜を散策する。

北東に向かい沖永良部島へ流罪されたのち、島民に飢餓の備えを教えたといわれる西郷隆盛を祀る神社、南州神社を訪れる。

16:30沖永良部島空港到着
17:05沖永良部島空港出発
18:10鹿児島空港到達
19:15鹿児島空港出発
20:25伊丹空港到達

今回の旅行、2泊3日で飛行機を6回乗り換え、まだ訪れたことのない奄美諸島の喜界島、沖永良部島をめぐりました。(奄美大島は2回目です。)
2島ともサンゴ礁が隆起して出来た島、奄美大島のような大きな派手さのある名所は少なく、人も住居も車もまばら、地味ですが所々に自然・文化・歴史の名所があり、海の綺麗さ、海岸線の綺麗さはバツグンで、のどかで自然一杯の島々、リラクゼーション出来、島巡り満喫しました。

これから寒くなります。来年の春までは本州より暖かい九州、沖縄方面を攻めていきたいと思います。








飛行機で国内&海外の観光地巡り第二十六弾:鹿児島大隅観光
2008年4月26−27日


今回は本土の最南端、鹿児島県大隅半島に行ってきました。

26日18:00大阪南港からダイヤモンドフェリーさんふらわあで出発。
27日9:40鹿児島県、志布志港到達、レンタカーで大隅半島を巡る。

東海岸線を南下して昭和45年、日本最初の人工衛星おおすみ以来26もの衛星や探知機を打ち上げている最新の衛星も打ち上げる本土最南端のロケット発射場、内之浦宇宙空間観測所を見学、ここから本土最南端の佐多岬に向かう。

青い海がどこまでも広がる正真正銘の絶景ポイント、九州本島最南端、北緯31度線上に位置し、太平洋と東シナ海、錦江湾をまたぐその景色はまさに海の青一色のパノラマを一望できる佐多岬を訪れる。

西の海岸線を北上してかのや霧島ヶ丘公園内にあり、800mの広大な敷地では4000種、5万株のバラを鑑賞でき、色や形ごとに分けられた花壇、バラのトンネルや温室がある国内最大規模のかのやばら園を訪れる。

海軍航空隊に関する史料の他、零式艦上戦闘機53型の復元機などを展示、第二次世界大戦で戦った特攻隊の遺品や遺影もあり、戦争の悲惨さを今も伝えている鹿屋航空基地史料館を見学。

北上し帰路に向かう。18:00鹿児島空港到達、19:15出発、20:30伊丹空港到達。

今回の旅行、天候は快晴、気温も暖かく、絶好の観光日和、広い大隅半島の数少ない観光ポイント、本土最南端に位置する内之浦宇宙空間観測所、太平洋と東シナ海、錦江湾をまたぐその景色を一望できる佐多岬、国内最大規模のかのやばら園、海軍航空隊に関する史料の他、零式艦上戦闘機53型の復元機などを展示している鹿屋航空基地史料館等を1日で巡り観光しました。


飛行機で国内&海外の観光地巡り第二十弾:奄美大島&徳之島観光
2008年2月16−17日


今回は雪山イベント急遽中止により暖かい場所、奄美諸島の奄美大島、徳之島に行ってきました。

16日15:15伊丹空港出発、16:40鹿児島空港到達、17:15鹿児島空港出発、18:15奄美空港到達、バスで名瀬市街地に向かう。
19:05名瀬市街地到達、食事を済ませてから宿を取る。

17日天候曇り、気温肌寒い、7:00バスで奄美空港に向かう。
8:30飛行機で出発、徳之島に向かう。
8:50徳之島到達、レンタカーで島巡り観光。

南に向かい厳しい自然環境の中で暮らしてきた島の人々の歴史や文化などを紹介するユイの館を見学。
強風や波の浸食を受けた断崖、奇岩が約1km続く犬の門蓋を訪れる。
南下して琉球石灰石の海食崖が続く奄美十景のひとつ、一面に自生する高麗芝のスロープ地帯には昭和20年に沖合いで撃沈された戦艦大和の慰霊塔が建つ、犬田布岬を訪れる。

南端にある魚類や鳥類の剥製をはじめ、農漁業に関する資料のほか、約2000年前の弥生時代の骨も保存している伊仙町立歴史民俗資料館を見学。

東海岸を北上して横綱朝潮太朗記念像、徳之島小唄記念碑、ちゅっきゃい節記念碑に寄ってから現在の天皇陛下が皇太子の時代に美智子妃殿下とビーチを散策されたことから名が付く1,5kmほどの白砂が続くビーチ、畦プリンスビーチ海浜公園を訪れる。

果樹が約110種を栽培する亜熱帯果樹園、徳之島フルーツガーデンを散策してから北東端に位置する巨大なソテツが長さ数百mのトンネルを作っている金見崎ソテツトンネルをくぐる。

西北端に向かって隆起サンゴの地形が多い奄美諸島には珍しく150mにわたって花崗岩が広がる岩石がムシロを敷き詰めたように見えるムシロ瀬を訪れる。

高橋尚子がマラソンの練習を行った尚子ロードを走り南下して徳之島に500年以上前から伝わる闘牛大会の大会場によってから西郷隆盛上陸記念碑を訪れる。

15:45徳之島空港出発、16:35鹿児島空港到達、17:45鹿児島空港出発、18:55伊丹空港到達。

今回の旅行奄美諸島で2番目の面積を誇る、100歳を超える人が多い長寿の島として知られ、伝統的な闘牛大会が行われ活気にあふれ海岸線には荒々しい奇岩の景勝地が展開している徳之島、なかなか観光旅行楽しめました。




飛行機で国内&海外の観光地巡り第十五弾:奄美大島観光
2007年12月15−16日

今回は奄美群島の奄美大島と加計呂麻島に行ってきました。

15日14:00伊丹空港からジェット機で出発、15:10鹿児島空港到達、16:25鹿児島空港出発、17:25奄美空港到達、レンタカーで奄美の中心地、名瀬に向かい名瀬内で宿泊。

16日天候晴れ、6:30レンタカーで出発、奄美大島を南下し、入り組んだリアス式海岸の様相をみせる大島海峡と、その向こうに浮かぶ加計呂麻島の全容を見渡すことができる標高483,6m油井岳山頂付近にある油井岳展望台を訪れる。

古仁屋港に到達、8:10カーフェリーで加計呂麻島に向かう。8:30加計呂麻島生間港到達、諸鈍長浜の海沿いを彩る、樹齢300年以上のディゴ並木を見物。
第二次世界大戦時、敵を迎え撃つ拠点として使われ現在も要塞にまつわる戦跡が残されていて、砲弾跡や弾薬庫を当時もまま見ることができる安脚場戦跡を訪れる。
白い村と呼ばれる美しいビーチ、スリ浜に寄ってから海軍の第18震洋隊長としてこの地で終戦を迎え、その後、死の棘などの作品で知られる作家としての道を歩み始めた島尾敏雄の文学碑を訪れる。
透明度抜群のサンゴや石垣、亜熱帯植物などが見られる実久海岸に寄ってから瀬相港から10:55カーフェリーで奄美大島古仁屋港に向かう。11:20到達。

瀬戸内で発掘された縄文時代の土器や、伝統的な民具などを展示している瀬戸内海の歴史や文化を深く知る瀬戸内町立郷土館を見学。
海岸の石は打ち寄せる波に洗われ、ころころとした玉石化して、海岸には、人が立って入れるほどの空洞を持つ岩が立つホノホノ海岸を訪れる。

北上して奄美や南国諸島などの歴史や文化をひもとく施設、敷地内にはアジアの農具、民具、民族衣装などを展示している原野農芸博物館や世界の亜熱帯植物が鑑賞できる植物園、又動物園や水族館も併設している奄美アイランドを訪れる。

海水と淡水が混じりあう場所に生育する熱帯、亜熱帯地域の樹木群、マングロープの原生林、黒潮の森マングロープパークを散策する。

奄美のさまざまな伝統文化を体験できる施設、奄美体験交流館に寄ってから名瀬方面に向かう、奄美の歴史、文化を紹介、作家の島尾敏雄さんの年表や写真、歴史や民俗に関する展示、自然科学展示室でジオラマで原生林を再現する奄美市立奄美博物館を見学してから奄美・沖縄諸島の蛇や世界中に生息する毒蛇など、およそ40種類500匹の蛇を飼育している奄美観光ハブセンターを訪れる。

1958年50歳で奄美に移住し、亜熱帯植物や島の魚などをモチーフにした作品を描き続けた画家で1977年69歳で障害を閉じた田村一村の晩年を過ごした民家、田村一村終焉の家に寄ってから約1300年の歴史を持ち、藩政時代には献上品とされていた大島紬、シャリンバイ染め、泥染めを繰り返し、手織りする作業は全500工程に及び、完成まで約一年かかる大島紬発祥の地とされる龍郷町の奄美大島紬村を訪れ製造工程を見学する。

島唄、郷土料理、民族衣装等を体験でき島人になりきる奄美民俗村を訪れる。
ハブの生態や遭遇したときの対処法などを解説しハブを楽しく学べる原ハブ屋奄美に寄ってから奄美の自然、歴史、文化を紹介するドーム型をした奄美の郷、島の生活や風景上映するシアターや実物大模型を使って島の暮らしを紹介する総合ホール、屋外にアダンやソテツなどの亜熱帯植物が茂る遊歩道や園内を見下ろす展望台が立つ、又島の風景を描き続けた田中一村記念美術館の施設からなる奄美パークを訪れ奄美空港に向かう。

17:00空港到達、18:00出発、18:45鹿児島空港到達、19:15鹿児島空港出発、
20:30伊丹空港到達。

今回の旅行、離島では全国で3番目の面積を誇り、熱帯植物が彩る島内は常夏ムードに包まれサンゴ礁の海と亜熱帯植物の森が対照的なカラーを描いている奄美諸島の主島、奄美大島と加計呂麻島を巡り、広大なマングロープ原生林と約1300年の歴史を持つ大島紬の世界、島最南端、大島海峡、、瀬戸内を挟んで浮かぶ加計呂麻島のパノラマなど自然と文化の豊富な奄美大島群島観光、堪能しました。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第十四弾:屋久島観光
2007年12月8−9日

今回は世界遺産の島、九州の屋久島に足を運びました。

8日14:00伊丹空港、ジェット機で出発、15:10鹿児島空港到達、16:55鹿児島空港出発、17:30屋久島空港到達、空港の近くで宿を取る。

9日天候曇りのち晴れ、レンタカーで8:00出発。
島を反時計回りで周遊して観光、
まずは宮之浦港から島の中心に向かい宮之浦川の支流、白谷川の上流に位置する標高600mから900mにおよび、照葉樹林から屋久杉林へ移行帯にある白谷雲水峡を散策する。
戻って宮之浦内の屋久島の自然と島民の暮らしの歴史について学べる上屋久町歴史民俗資料館を見学、館内では昔の島民の生活や屋久杉の伐採方法、はえなわ漁などの資料を展示、農具や漁船、写真などの実物資料が豊富で当時の風景をしのばせている。

平安時代の延喜式神名帳に登場する古社で疫病の退散を祈って寄進された益城神社仁王像や島津藩から派遣された有村壮一が奉納した手水鉢の貴重な文化財が残る益救神社、屋久島の自然、暮らしなどを学べる施設で吹き抜けの展示ホールでは海、里、山をジオラマや写真、パネルなどで解説、縦14m、横20mの大型映像ホールでの解説がある屋久島環境文化村センターを訪れる。

島の北方に向かい馬の尾のような根が垂れ下がりジャングルを思わせる森を形成する亜熱帯植物、ガジュマルやアコウが密生する志戸子ガジュマル公園、落差50mの布引の滝がある布引の滝公園を訪れる。

毎年5月から7月にウミガメが産卵のため上陸する永田いなか浜、ウミガメの生態調査や保護を行う団体の資料館で館内では長年におよぶ調査記録を写真や標本などを使って紹介する屋久島うみがめ館を訪れる。

ここから島の中心に向かって永田岳登山道の途中にある渓谷、岩盤と渓流が織り成す景勝地、横河渓谷を訪れる。

中間川の下流沿いに生息するガジュマル群、なかでも樹齢300年を越えるといわれるアーチ状の屋久島最大の中間ガジュマル見学。

屋久島の近海を守り続ける灯台、永田岬の先端に立ち、周囲は180°の大パノラマが広がる屋久島灯台に寄ってから約20kmにわたり原生林が続きヤクジカ、ヤクザルなどの動物に出会える西部林道を南下してから日本の滝百選に数えれれる名瀑、200以上ある屋久島の滝を代表する落差88mの巨大な滝、大川の滝を訪れる。

約3万5000uの敷地に熱帯の果樹や植物800種類を植栽、休憩所で取れた手のフルーツを試食できる屋久島フルーツガーデンを訪れてから南方に向かう。

背景にモッチョム岳が聳える全国では珍しい海に落ちる滝、トローキ滝、島の南東を流れる鯛之川の上流にある400×200mという巨大な花崗岩の一枚岩のV字形のくぼみを流れる落差60mの千尋の滝を訪れる。

東に向かい安房から島の中心部に走り樹齢数千年の巨木がさまざまな生き方をみせる屋久杉の楽園、ヤスクニランドを訪れ、千年杉、くぐり杉、双子杉を見物しながら散策する。

屋久島が世界遺産に登録されたことを記念に環境省が建てた施設、屋久島の森の生態や世界遺産などについて、パネルでわかりやすく紹介する屋久島世界遺産センター、屋久島、屋久杉お紹介する資料館、屋久杉伐採に使われた全長2mの超チェーンソーなどを展示し大迫力のハイビジョンシアターで学び、つくば展に出展した樹齢2000年の大株が見学できる屋久杉自然館を訪れる。

屋久島空港に向かう。17:00屋久島空港到達、17:55出発、18:25鹿児島空港到達、19:15出発、20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、九州の最高峰の宮之浦岳を主峰とする世界自然遺産の島、島内9割を森林が占め、樹齢数千年の屋久杉、巨大な瀑布、清らかな渓流など、深く美しい自然が展開する屋久島を訪れて自然を愛するアウトドア派には興味深い島もあり又愛され亜熱帯から冷温帯までの植物が分布するなど特異的な生態系が非常に興味深く、何度も足を運びたい島です。

尚今回は日程も少なく車での観光でしたが、次回は3日間かけてトレッキング、登山等で散策し縄文杉登山で縄文杉、ウイルソン株、その他の屋久杉、宮之浦岳山頂の花崗岩アート、、白谷雲水峡原生の森等を十分に見学したいです。




飛行機で国内&海外の観光地巡り第二弾:種子島観光
2007年7月28−29日

28日14:25伊丹空港をプロペラ機で出発、種子島に15:55到達、天候晴れ、風は強い、
早速レンタカー借りて観光に向かう。

初日は日没まで3時間、飛行場の南の方面を巡る。
熊野海水浴場、種子島宇宙センター、宇宙科学技術館、たねがしま赤米館、宝満の池、宝満神社、ドラメルタン号漂流の碑、鉄砲伝来紀功碑の門倉岬等を訪れました。
その夜は種子島の中部域の中種子町で宿を取る。

二日目は朝早くからレンタカーで北に向かって島一周、途中雄龍雌龍の岩、ガジュマル防潮林、日本甘藷栽培初地の碑、わかさ公園、種子島開発総合センター鉄砲館、あっぽーらんどいこいの森、浦田海水浴場、喜志鹿埼灯台、鉄浜海岸、アメリカ船カシミア号漂流の地、馬立の岩屋、犬城海岸、歴史民俗資料館、太陽の里、ふれあいの里、大ソテツ、種子島こりーな、古市家住宅、熊野神社、千座の岩屋等を訪れました。

二日間にかけて種子島の観光地をほぼ制覇しました。

尚種子島は道路が整備している割には車も人も少なく、観光場所でも人は少なく時間のロスが少なく多くの観光地を回ることができました。
海も綺麗で空いていて特に島の最北端にある浦田海水浴場はすばらしく綺麗です。

大阪から直行便の飛行機で1時間20分でたどり着けます。
まだまだ自然がいっぱい、穴場的離島でした。