香川

飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百八十八弾:香川県お城・城下町巡り観光
2017年1月21−22日
 

四国の室町時代に讃岐守護に任じられた細川氏の支配下にあり、ただ、守護代として東部を治めた安富氏、西部を治めた香川氏など、同地ゆかりの勢力も力を蓄え、やがて応仁の乱を経て割拠の時代に入る香川県に足を運び、比較的マイナーなお城13か所を訪れました。

21日13:00車で出発、阪神高速、神戸淡路鳴門、高松自動車道経由して引田インター下車、お城巡り。

引田城:築城年代定かではない。 永正年間(1504年〜1521年)頃に昼寝城主寒川元政の家臣四宮右近が城主であった。
元亀3年(1572年)寒川氏は阿波国の三好長治によって大内郡を奪われ、長治の家臣矢野駿河守が引田城主となった。
天正10年(1582年)中富川合戦で長宗我部氏に敗れ、虎丸城に籠城した十河存保を救援するため、秀吉は仙石権兵衛秀久を引田城に派遣して守らせた。
羽柴秀吉の四国征伐によって讃岐国は仙石秀久に与えられ引田城主となったが、九州征伐での戸次川合戦での失態により秀久は改易、替わった尾藤知宣も九州征伐の失態によって改易となっている。
生駒親正が讃岐国を与えられると引田城に入ったが讃岐国の東に偏りすぎていたため、聖通寺城に移り廃城となった。

虎丸城:築城年代は定かではない。
初期の城主は寒川氏で太田郡、寒川郡、小豆島を領し東讃に勢力を張った豪族である。
元亀3年(1572年)寒川元政の時代に阿波国の三好長治によって虎丸城は奪われ、寒川氏は昼寝城へ退き、虎丸城へは三好氏の家臣雨滝城主安富氏が入る。
天正10年(1582年)中富川合戦で長宗我部氏に敗れた十河存保は虎丸城へ逃れる。天正12年(1584年)十河城は長宗我部氏によって落城したが、虎丸城も奮闘するが天正12年(1584年)末頃に落城したと考えられている。

雨滝城:築城年代は定かではないが長禄年間(1457年〜1460年)安富盛長によって築かれたと云われる。 安富氏は播磨国三ケ月郷を領していたが応安年間(1368年〜1375年)頃に細川頼之に従って讃岐国にきた。
元亀3年(1572年)安富盛定の時、三好長治の家臣篠原弾正入道紫雲の女を娶り三好と誼を結んだ。 元亀3年(1572年)東讃に勢力のあった寒川氏は三好氏によって虎丸城を追われ、昼寝城に退くと、虎丸城には盛定が移り雨滝城には家臣六車城主六車宗湛が移った。

十河城:築城年代は定かではない。 十河氏は山田郡を拠点とした植田氏の支流の一つであり西讃の香川氏、東讃の安富氏の二大勢力には及ばなかったが、阿波の三好一族との関係が深まったことでその勢力が大きくなった。
十河景滋の子が早世したため三好長慶の弟が養子となり家督を継いだ。これが十河一存である。一存は子の義継を長慶の養子にして三好を継がせ、義賢の子存保に十河家を継がせるなど三好と十河のつながりをより深めた。
織田信長の勢力が三好に及ぶようになると、三好長治と存保はそれに対抗したが最終的には信長に降った。
長宗我部氏が四国平定の兵を進めていた時、存保は阿波国勝瑞城にあり長宗我部氏の攻撃により落城し存保は虎丸城へと退いた。十河城には三好隼人佐があり良く戦ったが最後は開城し備前へ逃れた。
羽柴秀吉による四国征伐の後、仙石秀久が讃岐へ入り、存保は二万石が与えられ再び十河城主となったが、九州征伐において戸次川合戦で討死した。

喜岡城:建武2年(1335年)高松頼重によって築かれた。 建武3年(1336年)細川定禅との合戦に破れ落城するがその後、高松氏の居城となる。
天正13年(1585年)城主高松頼邑は長宗我部に属していたが豊臣秀吉の四国平定軍約二万に攻められ将兵約200ことごとく討死して落城した。
現在喜岡寺が建てられている所が本丸跡と言われ、その近くには城址碑が建てられいる。
このあたりは周りの地形より一段高くなっておりそれがわずかに城のあった名残と言えるかも知れない。

屋島城:屋嶋城は源平古戦場としても知られる屋島に築かれていた。 長らくその存在が不明であったが、平成10年に地元の研究家によって南嶺の南西斜面部に石積が発見され、それ以降発掘調査などによって北水門、南水門、城門、土塁などが発見されている。城壁は総延長7kmに及ぶとされるが、大半は自然の断崖を利用したもので、それが途切れる谷間に城壁を築いていたようである。南の城門地区の石垣の復元工事が完成して公開されている。窪んでいる部分が城門で下部には暗渠がある。城門へはハシゴを使って登る事を想定しているようで、入ると左へ折れて登っていく構造であった。

18:00高松市内のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。

22日7:00車で出発、お城巡り。

勝賀城:前回ここを訪れた時は登山口がわからず撤退したのだが今回は勝賀城主の居館である佐料城の所から登山口への案内表示があり農道をたどって行くと登山口の駐車場にたどり着けた。
遠望からもわかる通り山頂はかなり広く本丸の周囲をぐるりと取り巻いた土塁が残ってる。
遺構は良く残っているようだが残念なことに本丸以外は草が生い茂っている。

聖通寺城:築城年代は定かではないが応仁年間(1467年〜1469年)奈良元安によって築かれた。 奈良氏は武蔵国大里郡奈良を本貫としていたが元政が貞治元年・正平17年(1362年)の高屋合戦における功により鵜足郡と那珂郡を領した。 天正10年(1582年)長宗我部氏の侵攻により城を捨て阿波国勝瑞城へと敗走したが中富川合戦で討死した。
羽柴秀吉による四国征伐の後、讃岐国を領した仙石秀政が入城したが戸次川合戦の敗戦により失脚した。
その後、尾藤知宣、生駒親正と替わり生駒氏の時に高松城を築き廃城となった。

多度津陣屋:文政10年(1827年)京極高賢によって築かれた。 多度津藩は元禄7年(1694年)丸亀藩主京極高豊の子高通に一万石を分与して多度津藩が成立したが、当初は丸亀城下に藩庁を置いていた。 四代高賢の時、幕府に陣屋建設を願い出て許され、完成したのが多度津陣屋である。

宅間城:城址は埋め立ての為に土を取られたようである。 周りは畑や住宅地となり登ってみたものの矢竹が密集して群生しているため踏み入ることができない。

天霧城:貞治年間(1362年〜1368年)香川氏によって築城された。 香川氏は守護の細川氏の四天王の一人として西讃岐一帯を領していたが長宗我部元親の侵攻により開城する。 その後羽柴秀吉の四国平定に長宗我部氏が降伏すると天霧城も開城し以後廃城となる。

城山城:築城年代は定かではないが屋嶋城と同様、七世紀後半頃に築かれた朝鮮式山城と考えられている。 『日本書紀』によれば天智天皇6年(667年)に高安城、対馬国金田城とともに屋嶋城が築かれたことが記されているが、この城山城については記されていない。東麓には古代讃岐国の国府があったとされ、それに関係するものと考えられている。

由佐城:現在は香南町歴史民族郷土館として櫓を模した建物が建つ。

16:00帰路に向かう。

今回の旅行、四国の讃岐うどん等で有名な香川県に足を運び、香川県に点在する比較的マイナーなお城13か所を訪れ楽しみました。
香川県も観光地で有名、観光名所がたくさんあるため、比較的マイナーなお城は案内板も少なくわかりにくいとことが多く、今回も見つけるのが苦労しました。

山城の天霧城訪れてからの下りの狭い右折の曲がり角で右後方車輪の脱輪を避けるため大回りしたら左前の車輪が溝に落ち脱輪しました。急いでバックしましたが車輪が空回りし動かず、車から出て状態を把握し考え込んでいました。
周りは人はおらず、JAFを呼んでも山の奥、時間がかかる。
もう一度運転席に乗って再度チャレンジ、バックしても動かず、逆にハンドルを右に回して前進を試みたら脱輪した左前方タイヤが溝から道に乗り上げ難なく復帰でき帰れることができました。
下り坂のためバックは車の重みで力が入らず、前進では逆に車の重みで力が入り溝を乗り越えることができました。いい経験勉強になりました。
一人での自動車運転気を付けましょう。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百十四弾:香川県四国別格二十霊場&四国三十六不動霊場巡礼&大島観光
2015年5月30−31日

四国の北東部、瀬戸大橋により本州と結ばれ瀬戸内海に面し、日本で一番小さい県、さぬきうどんで有名な香川県に足を運び、四国別格二十霊場4箇所、四国三十六不動霊場9箇所を訪れました。

30日12:30車で阪神、神戸淡路鳴門高松自動車道経由して津川寒川インター下車

繁昌院:一名一事不動尊と呼ばれ、方位厄難除け、学業向上、病気平癒などに霊力があるとされている。
また、境内には日本一体の石仏である馬鳴菩薩があり、縁結び、衣類の仏様。

浄土寺:一名雷不動尊とも称され、雨をもたらし、落雷除け等の霊力の他に、
衆生に落雷の如くふりかかる厄難を除きたまわらんと厚い仏恩を内蔵する。

高松に向かう。

天福寺:美応山 宝勝院 天福寺。
天平年中(729年〜766年)に行基菩薩が諸国行脚の途中この地に来られ、由佐の音谷を仏法相応の霊地であるとされ、五尺三寸の薬師如来を彫刻し、一堂を建立、安置し、美応山法輪院清性寺としたのが起源である。
その後延暦年中(782年〜805年)に弘法大師がこの寺に来遊され、真言宗の道場となった。そしてこれを信仰して四条天皇は国司橘の公忠に命じて、音谷清性寺を現在の場所に移し、寺号を天福寺と改めた。
天福寺には数多くの宝物が保管されていて、伊勢物語(後鳥羽院)御歌(後醍醐天皇)弥陀六字名号(弘法大師)薬師如来立像(行基菩薩)など、数百点に及んでいる。

不動明院:一名波切不動尊と呼ばれる四国一の立像。
瀬戸内海国鉄宇高連絡線紫雲丸の犠牲者の供養の寺として有名。

香西寺:奈良時代に行基が勝賀山の麓に庵をつくり宝幢を刻んで宝幢山勝賀寺として創建されました。その後弘仁8年(817)弘法大師が現地に移し延命寺蔵菩薩を刻んで安置し再興しました。
 嵯峨天皇(在位809〜823)の時代に勅願寺となり、朱雀天皇(在位930〜945)には僧徒学問所である讃岐談義所となりました。
 鎌倉時代にこの地の豪族香西資村が幕命をうけ堂塔を再建し香西寺と名付けました。その後細川頼之が当寺を本津(香西東町)に移し、十一代香西元資は寺号を地福寺と改称し、天正年間(1573〜1592)には戦火に遭い、国主生駒親正により再建、高福寺と名を変えました。万治元年(1658)、またも失火のため旧寺域(現在の地)へかえることになった。寛文九年(1669)、藩主松平頼重公が堂塔を整え、別格本山・香西寺となりました。その後またも失火で焼失し、現在の建造物はその一部です。寺宝の毘沙門天立像(101cm)は平安中期の作、檜の一本造りで国の重要文化財となっています。

聖代寺:僧西行(俗名 佐藤義清)は、その晩年かつて思いをはせた旧主家徳大寺家の姫君の忘形見、崇徳上皇の菩提を弔うため当地に一宇を建立された。(崇徳上皇は保元の乱に敗れて讃州に配流され1164年におかくれになられている。)
後年、寿永4年(1185年)源平の合戦に敗れた平氏の臣が、当山において合戦に散った将兵の霊を慰めたとも云われている。
当山不動明王は、弘法大師御敬刻の尊像を奉祀する大本山成田山新勝寺のご本尊の分身像で、古来より霊験あらたかな「身代り厄除け不動尊」として知られており、その霊被を蒙る人は数知れない。
境内に至る石段は42段あり、厄除け坂と呼ばれる。

16:30高松駅付近のホテル到着後高松商店街を散策し食事を済ませて就寝。

31日8:00車で出発、高松港に向かう。

9:10高松港高速艇で出発。
9:35大島到達、散策。

大島:もともと2つの島が砂州で繋がり一つの島となったものです。この辺りは源平合戦の戦場になったところで、敗れた平家の墓に植えられた松が800年の時を経て今も残っており「墓標の松」と呼ばれています。源平合戦:歴史的には治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)[1180−1185年)といわれるもので、この辺りの決戦は屋島の戦い(1185年)と言われるもの。この島には「国立療養所大島青松園」の入居者と職員、その家族の方だけが在住しています。

10:30大島高速艇で出発。
10:55高松港到達。車で西に向かう。

海岸寺:宝亀5年(774)弘法大師の母である玉依御前(たまよりごぜん)がこの地に産屋を設けて大師を出産しました。大同2年(807)大師はこの産屋跡に聖観音菩薩像を刻んで安置したのが海岸寺の始まりです。大師の誕生所が第75番善通寺で産屋が海岸寺となっています。
 山門には琴ヶ浜、大豪をモデルにした金剛力士像が立っています。門を入って直ぐに安政3年(1856)再建の本坊本堂がありますが、道路を隔てて西側に奥の院があります。そこには産屋跡や奥の院大師堂があり、大師童形の御姿像、両親の佐伯公夫婦像、四天王像等が祀られていて是非とも訪れなければならない所です。
 他にミニ108ヶ所、巨岩を配したまんだら園、法句碑、四国三十六不動三十一番霊場悪縁断ち不動やお堂があり、ゆっくり参拝されれば1時間以上を要します。又、展望台は瀬戸内海が見渡せる絶景の位置にあります。

不動坊:瀬戸内海に面した屏風ヶ浦海岸に位置する。寺院は本坊と奥の院からなり、本坊と奥の院との間にさぬき浜街道とJR予讃線が通っている。
現在、本坊には山門、本堂、不動堂、鐘楼等があり宿坊と海岸寺ユースホステルを併設している。ここの山門は日本で唯一、仁王像の代わりに実際に昭和期の第二次世界大戦後に活躍した地元出身力士の琴ヶ浜(向かって右)と大豪(向かって左)の像が立っている。
奥の院には山門、大師堂、弘法大師産湯の井戸、大塔、文殊堂、そしてミニ八十八カ所等がある。

寺伝によれば、ここは空海(弘法大師)の母親である玉依御前の出身地とされる。更に空海は奈良時代後期の宝亀5年(774年)に当寺奥の院で生まれたとされており、弘法大師出化初因縁(しゅっけしょいんねん)の霊跡と言われる。
平安時代初期の大同2年(807年)空海が弥勒菩薩を刻み、堂宇を構えたのが当寺院の開創と伝えられている。弘仁6年(816年)には空海が自身の像を刻み、大師堂を建てたことにより奥の院が開かれたとされる。
戦国時代には土佐の戦国大名・長宗我部元親の進攻に遭い天正11年(1583年)には伽藍が焼亡し、天正18年(1590年)より随時再建がなされた。

妙音寺:寺伝によれば、飛鳥時代天武天皇治世の白鳳5年(665年または676年)に創建されたと言われ、讃岐国最古の寺院の一つと伝えられる。 平安時代初期の弘仁年間(810年 - 824年)嵯峨天皇の勅願所となり、空海(弘法大師)によって現在の寺号となったと伝えられている。
戦国時代に入り天正2年(1574年)長宗我部元親軍の侵攻により伽藍は火災に遭った。この時、本尊の阿弥陀如来は自ら雨を降らせて難を逃れたと伝わっている。 天正の戦火で寺院は荒廃した。その後、江戸時代中期の正徳年間(1711年 - 1716年)旭応阿闍梨によって復興された。また、寛政年間(1789年 - 1801年)に清雅恵洞和尚が伽藍を整備した。
当寺院に祀られている不動明王は霊験不動尊と言われ、祈念すると夢の中でお告げがあると言われることから、別名「夢見不動」とも呼ばれている。
境内には交通事故犠牲者の霊を祀る聖観音立像があり、これは彫刻家の北村西望が監修して製作されたものである。

萩原寺:平安初期、平城天皇(在位806〜809)の大同2年(807)に弘法大師が千手観音菩薩と地蔵菩薩を刻み、千手観音菩薩を第66番雲辺寺に安置し、地蔵菩薩を萩原寺に安置しました。不動明王は大師ご自身で霊験あらたかです。朱雀天皇(在位930〜946)の勅願寺となっています。のちに細川勝元公の祈願所にもなっています。
 室町期の応永年間(1394〜1428)には真恵僧正が中興し、阿波、伊予、讃岐に多くの末寺を持つ大寺でした。
 仁王門は室町時代の管領、細川勝元公が戦勝祈願の温座護摩の祈祷を寺に命じその見返りとして奉納したものと伝えられており、屋根は本瓦葺きで門としては珍しい寄棟造りで三間一戸八脚門となっています。本堂は18世紀末の建造であり、客殿は菊の家紋をつけ屋根は茅葺きとなっています。寺宝も急就章、法華曼陀羅図、銅水瓶、金銅塔鈴、金銅割五鈷杵など多数保存されています。
 又、「萩寺」として有名で、数百株の萩は県の自然記念物となっており、見頃は初秋です。

香川県内有数の萩の名所である。境内に約2,000株の萩が植えてあり「萩寺」とも呼ばれる。毎年9月中旬から下旬には、当寺院を中心に周辺の、萩の丘公園、雲辺寺ロープウェイなどの会場で「萩まつり」が開催される。
寺伝によれば、平安時代初期の大同2年(807年)空海(弘法大師)が建立したという。この時、空海は千手観音と地蔵の2体の菩薩像を刻んだといわれる。千手観音は四国八十八箇所六十六番雲辺寺に、地蔵菩薩は当寺院にそれぞれ安置したと伝えられている。
開創から約100年後の延喜3年(903年)醍醐天皇の勅旨談義所となった。天慶2年(929年)朱雀天皇は讃州四箇談義所の一か寺に定めた。
室町時代中期の応永年間(1394年 - 1427年)に真恵僧正が中興し、室町幕府の管領・細川勝元の祈願所となった。明応2年(1492年)の記録によれば讃岐、伊予、阿波に280余寺の末寺を従える大寺であったことが窺える。

不動寺:役行者小角を祖と仰ぐ山岳修験道、不動宗の大本山。
近郷の信者からは河内不動と親しまれ、特に病気平癒に霊験が
あるとされる。亦、願王地蔵尊への参拝者も多い。

神野寺:弘仁12年(821)嵯峨天皇(在位809〜823)の勅命により決壊した満濃池の修築のため、別当に任ぜられ僅か3ヶ月で完成させました。その功績により天皇から褒賞金を賜り、満濃池鎮護の寺として神野寺を建立されました。その後再建を繰り返し栄えていましたが天正9年(1581)焼失し廃寺となりました。昭和9年(1934)弘法大師一千百年御遠忌をむかえ、満濃大師会を結成し、神野寺として堂宇の一部を再建しました。
 文化12年(1815)に、守屋吉左衛門によって作られたミニ八十八ヶ所があり散策コースに石像が並んでいます。
 満濃池は大宝年間(701〜704)に讃岐の国守道守朝臣(みちのかみあそん)により作られた日本最大最古の溜池です。その後幾度も修復され現在は周囲が約20q、面積138f、貯水量1,540万トン、提高32メートル、有効水深約21メートルあり毎年6月中旬に「ゆるぬき」(農業用に放流)が行われています。伝説に龍や大蛇、大鯉の話が伝わっています。
池の一部は現在国営讃岐満濃公園となっています。

14:30帰路に向かう。

今回の旅行、四国の北東部香川県に足を運び、四国別格二十霊場4箇所、四国三十六不動霊場9箇所を訪れました。

又高松沖の源平合戦の戦場になったところで、ハンセン病の国立療養所大島青松園が位置する大島を訪れ散策しました。



















飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百九十九弾:香川県小豆島八十八箇所巡り第二弾(49札所ー88札所)  2015年1月31日−2月1日   

四国香川県のオリーブ、醤油の産出、二十四の瞳で有名な小豆島に足を運び八十八箇所巡りの第二弾(49札所ー88札所)を訪れました。

31日12:30車で近畿中国山陽自動車道経由して姫路港に向かう。
14:35姫路港到達。
15:30姫路港カーフェリーで出発
17:10福田港到達、土庄に向かう。

東林庵:

遊苦庵:

宝幢防:

旧八幡宮:

本覚寺:御本尊は不動明王。本堂は、室町時代の様式をとり入れ、気品があり落ち着いた感じを受けます。何度かの火災に見舞われ、現在の建物が建立されました。昭和30年に完成した一髪観音堂(いっぱつかんのんどう)は、10万人の頭髪で刺繍した聖観世音(せいかんぜおん)が奉られていて、さまざまなご利益(ごりやく)が実話として残っています。また、大正9年、俳人 荻原井泉水(おぎわらいせんすい)が桂子(けいこ)夫人と共に小豆島を訪れ、そのときに詠んだ句が自然石に刻まれています。

宝生院:宝生院(ほうしょういん)といえば国の特別天然記念物に指定されている真柏(しんぱく)が有名です。境内は約二千坪もありゆったりとしていて、小豆島の中では最も広いお寺といえるでしょう。このお寺からはすぐれた僧侶がたくさん出ています。頭脳明晰な僧と知られる増海上人(ぞうかいしょうにん)、享保(きょうほ)時代の大飢饉に人々の生活を守った竜誉上人(りゅうよしょうにん)のほか、是妙(ぜみょう)、恵周(けいしゅう)など、いずれも学徳にすぐれた名僧であったそうです。

光明庵:

18:10土庄港付近のホテル到着後周囲を散策し食事を済ませて就寝。

1日7:30車で出発

観音堂:

行者堂:

浄源坊:

西光寺:土庄の賑やかな町中から路地を入ると町中とは思えない静かなところに西光寺はあります。朱塗りの仁王門を入るとイチョウの大樹があり、昭和8年に建立された桃山様式の本堂があります。弘法大師が祀られ、厄難除けのご利益があります。また、毎年4月21日と12月21日には、弘法大師の徳を仰いで開かれた大師市が、西光寺を中心に行われています。大師市には、たくさんの露店や屋台が立ち並び、鐘の音と読経の声が線香の煙の中に絶え間なく聞こえてきます。

奥の院誓願の塔:土庄の町中に三重塔がそびえています。西光寺中興四百年記念事業の一環として建立されたもので、今では土庄のシンボルとなっています。この塔は、西光寺奥の院となっていますが、もとは、俳人・尾崎放哉(おざきほうさい)の終焉の地としても知られる、南郷庵(みなんごあん)が奥の院でした。敷地内には放哉の句碑もあります。

甘露庵:

江洞窟:

浄土庵:

大乗殿:

蓮華庵:

松風庵:

光明庵:

等空庵:

瑞雲堂:

松林寺:石段を登ると正面が本堂で、右に町文化財に指定されている梵鐘(ぼんしょう)があります。寺伝によれば、天平十年(738)に行基菩薩(ぎょうきぼさつ)によって開かれ、そのころ長現寺と号し、その後、豊臣秀吉が朝鮮より献上された虎をこの寺で飼育したことから虎溪寺(こけいじ)と改め、やがて松林寺に改められたといわれています。御本尊である薬師如来は、明暦三年(1657)に小豆島の中島(なかじま)の海中から出現したもので、元来、「眼病及びイボ取りのお薬師さま」として信仰されています。

瑠璃堂:

長勝寺:石橋を渡って門を入ると、正面に本堂、右に庫裡(くり)と大蘇鉄、左に子さずけ地蔵があります。寺は行基菩薩(ぎょうきぼさつ)によって開かれ、御本尊は阿弥陀如来。本堂は播州赤穂の大石内蔵助の邸宅を以って建立されたものです。毎年12月第2日曜日には赤穂義士を偲ぶ会として茶会が盛大に開かれています。現在は、先祖供養の寺として信仰を集めています。

滝の宮堂:

滝湖寺:仁王門を入ると、よく手入れされた植え込みの中央に石畳の参道があり、その参道を進むと正面に本堂があります。周囲を塀で囲まれた静寂な霊場です。御本尊は、弘法大師の作と伝えられています。近代的な信徒会館は設備が整っていて、道中の参籠(さんろう)などお遍路さんの利用が多いお寺です。

奥の院笠ヶ滝:遠方から望む笠ヶ滝はまさに霊地にふさわしく、断崖絶壁の中にお堂があります。第72番札所滝湖時(りょうこうじ)からの登りは、岩壁(いわはだ)を鎖にすがって登らなければなりません。山頂に立つと、南に屋島(やしま)や高松、それに四国の山々、北には中国・山陰の山々が見渡せ、まるで雲の上から眺めているような雄大な景色が広がります。本尊の不動明王の絶大な力は、あらゆる願いをかなえてくれるといわれています。


救世堂:

円満寺:本尊は十一面観世音で、前立に美しい阿弥陀如来があります。もとは、慈恩寺(じおんじ)と言い、現在地より東北に当たる慈恩寺谷にあり、治承(ちしょう)年間、当地に移転のときに寿福院に、元禄年間に円満寺と改められました。お寺の敷地内の真柏は町指定の天然記念物で、第54番札所宝生院(ほうしょういん)の真柏に次ぐ大きさのものです。

大聖寺:大聖寺は寺名のとおり、大聖不動明王を御本尊としています。当時の開基は、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)によって開かれたと伝えられ、貞享(じょうきょう)5年(1688増学上人によって再建され今日に至っています。現在の本堂や諸堂は、天災などで荒廃してしまった建物を近代的に再建したもので、境内は落ち着いた雰囲気が漂っています

金剛寺:瀬戸内の海を見渡せる高台に金剛寺はあり、境内には鐘楼門を構えています。本堂は甍を張った勇壮な建築で、昭和45年に鉄筋で完成しました。本堂と客殿の間には庚申堂(こうしんどう)があって、「みざる、いわざる、きかざる」の三申を祀っています。

三暁庵:弘法大師に関する伝説には水に関わるものが多く残っています。大師(たいし)が巡錫の途中、松の枝に笠をかけ、裏の池で衣を洗おうとしたところ、水があまりにも少ないので小さな井戸を掘り、以来、大師の恵みの水として、年中絶えたことがなく、村人は小さなお堂を建て、9月3日を感謝の日としています。不思議なことに、この日に参拝すれば男女の縁が結ばれるので「縁結びの大師」とも呼ばれていて、未婚の男女で賑わいます。

藤原寺:

観喜寺:門を入ると、重厚な甍と大きな蘇鉄が目につきます。寺伝によると、天平(てんぴょう)年間(729〜)僧行基が開基し、草庵に如意輪観音を謹刻し、安置したのが始まりといわれています。歓喜とは、心身ともに満足したときに起こる喜びのことです。島の北側に面し、瀬戸内海と岡山県を一望できます。

雲胡庵:

薬師庵:

観音寺:山裾の小高いところを切り開いた台地にあり、十数メートルの巨大な稚児大師像に目をひかれます。本尊は幼児を抱きかかえた聖観音菩薩で、女性に「子安観音」の信仰を集めています。また、参拝者には手打ちうどんの接待があり、「うどんの寺」としてたいへん有名です。本堂は、過去2回の火災に見舞われ、焼失しましたが、「うどんの接待」など、精進を重ね、信者の協力もあり、昭和38年に現在の本堂が完成しました。


恵門ノ滝:中国の寺院の桜門を思わせるような鮮やかな色彩の門を入ると、目の前に岩山がそそり立っています。石段を上がり、鉄鎖をよじ登ると香煙のたちこめる本堂に入ります。中には、立派な厄除け不動があり、厄をのがれる人々が多数訪れています。その奥には、30年に一度ご開帳を行う秘仏の本尊不動明王像を安置しています。護摩壇は、弘法大師が100日間こもられ、人々を助けられた祈祷の道場です。

吉田庵:

福田庵:

運海寺:

本地堂:

当浜庵:

海庭庵:

楠霊庵:

今回の旅行、四国香川の小豆島に足を運び小豆島八十八箇所巡り第二弾(49札所ー88札所)を訪れ無事終了しました。

2回にわたっての小豆島八十八箇所巡り、案内板もわかりやすく、其々の寺院は距離は短く、短時間で移動でき訪れることが出来ました。

寺院は小ぶりですが、四国本土の八十八箇所巡りは時間がかかり大変ですが、小豆島は距離も短く、寺院が密集し訪れやすくお勧めです。

気軽に巡れる小豆島八十八箇所巡りでした。



















飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百六十六弾:小豆島八十八か所巡り第一弾(第一札所ー第48札所)
2014年3月8−9日



映画二十四の瞳の舞台として知られ、醤油蔵めぐり、寒霞渓で有名香川県小豆島に足を運び、弘法大師が讃岐から京都へ上る途中や、その帰りに立ち寄ったという伝説があり小豆島霊場巡排が庶民に定着した小豆島八十八か所巡り(第一札所ー第48札所)を訪れました。

8日12:30車で出発、近畿中国山陽自動車道経由して14:40姫路港到達
15:10姫路港フェリーで出発
16:50福田港到達、車で坂手方面に向かう。

第1番札所洞雲山は、坂手港を見下ろすように岩山がそそりたった独立峰で、山岳信仰の地として知られています。この山には、小豆島八十八ヶ所の第1番札所があります。境内には、樹齢300年といわれる根元幹周囲5mにもなる老松や、夏至前後に日の光に照らされると岩肌に観音様が浮かび上がる神秘的な「夏至観音」があります。

小豆島町苗羽の山の上にある碁石山は、島四国八十八ヶ所の第二番札所にあたる霊場です。ここには、神仏習合の名残で金毘羅宮もお祀りされています。境内には、巨大な修行大師の像があり、その前の広場では、毎年11月の第二日曜日、「修行大師柴燈大護摩供」が行われます。また、当日はここで火渡りの儀式も行われます。

18:00坂手港付近のホテル到着、食事を済ませて就寝。

9日6:00車で出発。

奥の院隼山の入り口に位置する第3番札所観音寺。派手なもこもこ龍の階段が迎えてくれる本堂には十一面観音がまつられています。頭痛、めまい、肩こり、不眠に効果あり。孔雀モチーフのライトがとってもキュート。奉納されている弘法大師の顔がなかなかの見ごたえあり。

山道に看板の少ない秘境にあるのは第3番札所奥之院 隼山。不動明王の門を抜けると、天然記念物にも指定されているイスノキが天へ向かってそびえたちます。毎年10月に、鏡内を通って観音様が龍に乗って法華経の世界から出現される「神立風」が吹くという昔話が残されている札所です。小豆島の波打ち際がはっきりと浮かぶ海が望める絶景ポイントのひとつ。

海の見える庵はたくさんありますが、目の前が海岸という庵はこれが初めて。立派な松の木が海岸に立つ第4番札所古江庵。海と庵とのコントラストが気持ちの良いスポット。

車では近くまでしか行けないので要注意。海に面した迷路のような住宅の隙間をすり抜けて、子宝、安産がご利益の妙光如女さんのところへ。路地にひっそりとあるお遍路やじるしも味のある彫刻のようです。裏路地に金魚を飼っている家庭もちらほら。それぞれの日常を眺めながらのおへんろも、山岳霊場とはひと味違った趣が感じられます第5番札所堀越庵。

「二十四の瞳映画村」で有名な田ノ浦岬に第6番田ノ浦庵はあります。二十四の瞳館「岬の分教場」から進んでいくと、神社と併設された庵を発見。

修行度の高い第1番洞雲寺、第2番碁石山の登り口に位置する向庵。古いベンチが並ぶ、バス停風の庵です。
お遍路コミュニティースペースといった感じの第7番札所向庵。

第8番札所常光寺は、小豆島の中でも特に地場産業が盛んな小豆島町の苗羽(地区に位置するお寺です。境内には何種類ものたくさんの桜が植えられ、春には満開の花がお遍路さんを迎えます。中でも境内の一角を彩る『ジョウコウジザクラ』はその名が冠するとおり、ここにしかない早咲きの桜です。常光寺周辺は、”?の郷”と呼ばれる醤油蔵や佃煮工場がひしめく風光明媚な町並みが広がり、訪れる人の眼を楽しませてくれるでしょう。

第9番札所庚神堂は、醤油工場の香りが立ち込める民家を抜けてたどり着きます。老朽化が進みすぎて、なんと本堂が45度傾斜!不動明王もびっくりの崩壊寸前札所です。

もろみ一徳庵向かいにある札所。近所の方の集会場にもなっている第10番西照庵は、縁結びの愛染寺でも登場した愛染明王が奉られています。

第11番札所観音堂は高さ51m、円輪5m、世界一の高さと、世界最古の歴史を誇る銀杏の木は、観音堂のランドマーク。本堂は、世界遺産である珍しい「いたち観音」。こちらの本尊は鐘を2つきすることがルール。

安産祈願、六地蔵菩薩が奉られる第12番札所岡ノ坊は、田園の中にひょっこりあらわれます。小さな札所を回っていると、本当に地域の方々のコミュニティースペースなのだということを実感します。

第13番札所栄光寺は見どころがいっぱい。恵心僧都作と伝わる無量壽如来が安置された本堂客殿庫裡、三十三体の観世音菩薩が祀られている観音堂、行基菩薩作の薬師如来が祀られた薬師寺が立ち並んでいます。本堂前には亀に乗った賽銭箱。住職さんのお話では「カメが玉手箱を乗せている」とか。貯まりそうです。

第14番札所清滝山は、第13番札所 栄光寺の奥之院で、地蔵堂とも呼ばれています。本尊は岩窟のなかにあり、本尊に安置されている地蔵菩薩は、安産延命に効果があると言われており、行基菩薩作と伝えられている。

滑り台とブランコのある岩宮神社の大木を目印に進んでいくと、第15番札所大師堂に到着。小さなお堂でも、静かにこれまで巡ってきた道のりを思い出すのに最適な札所。

小豆島で唯一、宿坊があるのがこの第16番札所極楽寺。山門前では、迎え大師様が「ようおまいり」と出迎えてくださいました。心の中で「はーい。」と返事して山門をくぐります。境内には、ちょっといかつい顔のお大師さん。一歩前に出ているのも特徴です。

デザインチックで、スタイリッシュで、お洒落なカフェでお茶をしても、なんだか落ち着かない感じがする貴方にお勧め。そう、第17番札所一ノ谷庵は赤を基調としてスタイリッシュにしたかったんんだろうなぁという、気合いだけは、バシバシ伝わってくる秘宝館的パラダイス。

かつて弘法大師が岩穴に籠もり、護摩修行を行ったと伝えられる当寺第18番札所(石門洞)の境内は、そそり立つ岩の絶壁に守られるように設けられ、本堂は岩窟の中に埋め込むようにして建立されていました。境内の石灯籠にろうそくの明かりはともるものの、人の気配はなく、ただ野猿の声がうっそうとした森の中にこだましています。

第19番札所木ノ下庵は、弘法さんの思い出の地。「庵」はだいたい小さな社務所っぽい雰囲気です。太めの銀杏の樹があります。

第20番札所佛ケ滝は、寒霞渓への途中です。本堂は洞窟にあり、寺と岩肌が一体化されています。岩肌から煙突が出てたりしています。御加持石は不思議な霊徳を授かる碁石として、難病から救われたり、十余年間子宝に恵まれぬ人が子を授かり、縁の遠い人が良縁に恵まれたりなど、念力の手形も加持力を一身にうける霊場であるといわれています。

第21番札所清見寺は、お寺なのになぜかアート作品がいっぱいの清見寺。寒霞渓の山並みに抱かれた風景の中にも、なぜかしっくり溶け込んでるのが不思議です。

草壁港から10分、第23番本堂から徒歩5分、小豆島の静かな住宅の路地をすり抜け、郵便局をこえて歩いて行くと第22番札所峯之山庵に到着。墓地になっている坂を登って行く時、草壁港と造船工場が目の前に広がります。

第23番札所本堂は、180センチの白い象がいます。小学校横の近所のお寺としてマンガに登場しそうな立地の本堂。紅葉に囲まれた階段が、春には桜の階段になるとのこと。

お寺の周りをぐるっと囲む練塀と、大きな椿が美しい第24番札所安養寺。安養とは、阿弥陀仏の極楽浄土のことで、仏の浄土へ安心して往生する心を養うという意味だそうです。

第24番安養寺から、250mということで、ミカン畑をくぐり歩いて行くと、途中から木に覆われたトトロの道の気配が。札所を巡っているうちに「ここから修行度が上がるな」というカンがはたらくようになりました。250mのうち、200mは案の定昇り山道に。登り切ると、そこは静かな静かな第25番誓願寺でした。本堂裏からお遍路道がつづいているので、第26番阿弥陀寺まで歩くのもよいかもしれません。

オリーブ園に近い阿弥陀寺。無量如来がまつられる、比較的ゆったりとしたスペース。本堂には常光寺のように、花々が描かれた天井に奉納されています。逆立ち獅子の瓦や、狸の像もあり、凛とした空間の中にユニークさを持ち合わせています。梵鐘横の水場がハート型になっているのも、チェックポイントの第26番阿弥陀寺。

第26番阿弥陀寺から山側へ登って行くと、第27番櫻ノ庵へ続きます。このお遍路途中には、たくさんのオリーブ畑に囲まれています。葉が二つにわかれたハート型の「幸せオリーブ」を探すのに最適な場所。売店などで販売もされているそうですが、自力で見つけた方が思い入れもひとしおです。庭の椿が紅色に咲き誇る季節にまた来たくなる庵でした。

薬師如来が奉られる第28番薬師堂。「長崎のしし垣」近くに建てられ、最近、土地の寄贈と共に山の中から移転されたお堂。

「風をあつーめてー♪風をあつーめてー♪」byはっぴいえんどが、途中山道のテーマソングでした第29番風穴庵風穴寺。なんと、冷たい風が吹く穴があるとのこと!!真相を探りにいきました。本堂から更に山道を登って、噂の穴に到着。30センチ四方の小さな岩穴で、手を入れてみると…確かに、風の気配が??

第30番正法寺の山門をくぐると左手にソテツがあり、その奥に納経所、そこから境内をコの字で囲むように入母屋造りの伽藍、本堂、そして伽藍の正面には鐘楼が建つ。かなり歴史を感じる古い建物です。本尊は恵心僧都作と伝わる大日如来像。平安時代後期に造られたようです。構造は平安時代初期に多い一本彫成で、材質は檜。像高32.8cmと小柄です。

パンチのあるソテツ、と言ったら良いでしょうか。樹齢千年以上、小豆島の温暖気候で巨大に成長したソテツが出迎えるのは第31番誓願寺。本堂に行くまでに、「大黒天様」が浮かび上がってきた自然岩や、子授けご利益があるというセットで見れる「女岩&男岩」も見物できます。ここの本堂、梁が豪華なんです。モチーフが何か分からないくらいに豪華なんです。孔雀の羽根や昇龍に、植物や花がコラボレーションしまくっています。

ふるさと村の近くにあります第32番愛染寺。かなり歴史を感じるお寺です。弘法大師が京に上る途中、荒天候のためこの地に上陸し、愛染明王を描き、国民の息災と安穏を祈念したと伝えられる。本尊 愛染明王は縁結びの仏として良縁を求める善男、善女のお参りの多い所であります。と書かれていました。

第33番長勝寺に到着したら、本堂ご挨拶前に「女人地蔵」を優しく抱き上げてみましょう。「ご婦人の病気をなおしてくださるお地蔵さんです。だきあげてご利益をいただいて下さい」だそう。冷え症が治るかもしれません。お土産を横目に、階段をずんずん登って本堂へ。枯山水に見事に手入れされた庭が広がる広い寺内。十一面観音が奉られる、豪華系本堂です。

小高な丘に建つ第34番保寿寺庵。窓からは弁天島が望めます。公園のような休憩所になっているので、ここで一服をお薦めです。

第35番林庵は、一見民家風、だが、パリの蝋人形館など比ではない恐怖。阿弥陀如来の前に、供養人形が100体位山積み。宇山あゆみのフランス人形も無造作に置かれ、目が虚ろに。

第36番釈迦堂は、もと高宝寺の釈迦堂だったもので、正面三間奥行き四間の寄棟造り本瓦葺の建物です。大永二年(1522年)春に着工、天文二年(1533年)春に完成、明治40年に国の重要文化財に指定されました。

第37番明王寺にはご本尊の不動明王様のほか、地元漁師さんの信仰が厚い弁財天様と毘沙門天様(別名を金毘羅神)がお祀りされています。長勝寺の本地仏といい、明王寺の釈迦堂といい、小豆島にはすごく身近な、誰にでも見ることのできる場所に国宝が存在します。

第38番光明寺ここは、池田平野の中央に位置しています。昭和36年に山津波に会い、建物は崩壊的な打撃を受けたが、本尊、高祖大師、稲荷大明神は損傷を受けなかったようです。御本尊は来世において極楽浄土へ導いてくれるという阿弥陀様というので特にお年寄りの人々の信仰があついようです。

ここ第39番松風庵は墓地の中といってもいいほど、お墓に囲まれている。その昔 「捨往来」(すておうらい)という手形があった。霊場巡拝などに発行され行き倒れに関するもので、江戸小日向福蔵寺が天保15年(1845)に発効した捨往来によれば、檀徒の栄吉なる者が巡拝の途中病死したら、役人立ち会いの上、何宗でもよいから葬られ、忌日戒名だけ関係者へ知らせて欲しいとある。栄吉は江戸より小豆島へ渡り、安田の地で亡くなっている。一方、行先で倒れたら、知らせる必要はないという手形もある。1844下総国(千葉県)の平兵衛は、やはり巡礼中、安田で亡くなったが、無縁仏として葬られている。そういった巡礼途中で亡くなった方の墓地でもある。 はてさて、江戸から小豆島へわざわざ巡礼をするのには何か訳でもあるのであろうかと思う。 江戸の近くの坂東34観音霊場(記録によると、1560年に書かれた「杉本寺縁起」には、法皇ご順礼の勅命を得て、第一番札所となったとある)、秩父霊場、関西では西国観音霊場もあり、小豆島であれば、近くの四国霊場があるはずなのに、なぜ小豆島なのだろうか?

十一面観音が奉られる第40番保安寺は小気味よくコンパクトにまとめられた空間、という雰囲気。江戸時代末期奈良の西大寺建築にも貢献した「ヒラガ ミノスケ」大工が建設したそう。庭に植えられたモッコク、椿、桜とも建物同様長生き老木です。

二王(金剛力士像)が出迎える第41番佛谷山は、薬師如来が祭られています。柴を焚き暖めた洞窟内に海から引きあげた海藻を敷き詰め、 病人を寝かせて病の治療をしたという歴史から、「石守り」を頂くことができます。 洞窟内にはかわいらしく、ころころとした色とりどりの「石守り」がいっぱい。

弘法大師が二匹の龍を岩窟に閉じ込めたといわれる山岳霊場第42番西ノ瀧です。見晴らしがよく小豆島の夕日スポットのひとつ。タイミングが合えばエンジェルロード(天使の散歩道)に出会えるかも。

第43番浄土寺のこの辺りは、すごく素敵な風景。棚田が広がっている。きっと季節が良かったら、もっとずっとキレイだっただろうなぁと思いながら参道へ。山門をくぐって正面に茅葺きの庫裏。庫裏を右に見て奥へ進むと立派な本堂が構える。本堂手前右に45番地蔵寺堂があり、境内をともにしている。

いつも千枚田を写しているポイントがこの寺第44番湯船山です。蓮華寺と言っていたようですが、廃寺後 湯舟山と言うようになったようです。ここは境内に古杉、クスノキの大木があります。この辺りの湧水は、日本の名水百選に選ばれています。どんな日照りにもかれることのない、貴重な水源で、千枚田と呼ばれる急斜面の水田の灌漑用水などとして昔から大切に利用されているようです。そして島内の遠くからこの水を飲料用にもらいに来ているようです。

第45番地蔵寺堂は浄土寺の敷地内にあります。ハスの花のアーチがアクセントです。

大きな墓地の下に寺が見えてきます。護法山と書かれた額がかかった鐘楼門を入ると右に庫裏があり、左に地下へ続く階段があります。そこは不動堂であり毎月28日には祈祷護摩を厳修しております。不動堂を抜け、地上に上がるとすぐ本堂の前に出ます。第46番多聞寺は寺伝によれば行基菩薩の開創と言われています。寺はもと東林坊と称し、苗手四望というところにあり、文亀年間に現在地に移転し、多聞寺と改称した。鐘楼門にある梵鐘は、この地の離宮八幡にあって治承年間に多聞寺の住職をつとめた瓢海上人が勧請したものという。他に300年の伝統を持つ「虫おくり」と言う行事が行われ、数多くの人々でにぎわっている。また「農村歌舞伎」の舞台も残されており、毎年5月3日に離宮八幡宮で奉納されている。

第47番栂尾山、ここは山の中にある。春日神社辺りから山側の道に入り登っていくと、案内板が左手に出ている。その案内板の真横を左に下りていく。普通に舗装された道路から、びっくりするくらい細い山道を行くので、本当に車で行けるのか不安になるほど。車を停めて歩いて本堂へ。岩壁に門が組み込まれ、本堂は岩窟の中にある。戸を開けて入る。猿がいたずらするので、扉の開閉をきちんとしてください・・・と言うよな張り紙あり。本堂に入り後ろを振り返ると、入口の外に中山の集落が小さく見える。外の門につられた小さな鐘楼もステキ。本堂から少し離れたところに大師堂が建っていて、大師堂までの参道は、ウッドデッキのように整備されているので、歩きやすい。

なぜかいびつな階段を降りていくと、第48番毘沙門堂に出ます。天平年間(729〜)に僧行基が開基したと伝えられ、本尊は左甚五郎作と伝わる毘沙門天像、脇侍に木造青面金剛像と木造金剛童子像。この童子像は、県下屈指の庚申像だそうです。

14:30福田港に向かう。
15:05福田港到達。
15:30福田港フェリーで出発。
17:10姫路港到達、車で帰路に向かう。

今回の旅行、香川県の離島、瀬戸内海で淡路島に次ぐ2番目に大きな島小豆島に足を運び、小豆島八十八か所巡りの(第一札所ー第48札所)を訪れ楽しめました。

四国の八十八か所霊場と違って小ぶりで庵が51か所ですが29のお寺は皆立派な建造物でした。
又山岳霊場が13もあり四国には無いものがあり、見るべきものが沢山あり、予想を裏切って感動しました。
比較的距離も短く、まわりやすい小豆島八十八箇所巡りお勧めですね。
次回は後半を巡る予定です。期待したいですね。







  

























 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百十五弾:香川県瀬戸内海沖離島(櫃石島、岩黒島、伊吹島、高見島、佐柳島)観光
2012年11月17ー18日


四国の北東部、瀬戸大橋により本州と結ばれた日本で一番小さな県、香川県に足を運び、瀬戸内海沖の離島(櫃石島、岩黒島、伊吹島、高見島、佐柳島)を訪れました。

17日13:00車で近畿中国山陽瀬戸中央高松自動車道経由してさぬき豊中インター下車、
観音寺に向かう、途中瀬戸大橋下の2つの島(櫃石島、岩黒島)を訪れました。

備讃瀬戸の最北端、坂出北ICから瀬戸大橋を通って12km、岡山側の児島ICからは、3.9kmの海上にあり、岡山県下津井港のすぐ南に位置する。主産業は潜水による立貝採取と底引網漁業である。王子神社の境内で催される「ももて祭」は、小笠原流弓術によって豊凶を占うもので県指定の無形民俗文化財となっている櫃石島を訪れる。

坂出北ICから瀬戸大橋を通って10.2kmの海上に位置する。主産業は、刺網漁業と撒き餌釣りを中心とした浴岸漁業。昭和63年4月、瀬戸大橋の開通で一方通行ながらループ線で緊急自動車などが進入できるようになり、バス停も設けられ陸上交通が確保されている。また、前方には景観を考慮した雄大なトラス斜張橋・連続トラス橋がそびえる岩黒島を訪れる。

16:30観音寺駅付近のホテル到着後市街地を散策して食事を済ませて就寝。

18日7:00車で観音寺港に向かう。
7:50観音寺港渡船で出発。
8:15伊吹島到達、散策。

観音寺港から西約10kmの燧灘のほぼ中央に位置する香川県西端の有人島。 安山岩などからなる台地状の島で、台地上に平地が開け、島の周囲は急崖が海岸を取り巻いていて、人家は島の南から北にかけての鞍部(あんぶ)に密集している。神恵院に残る『十巻弘化録』の弘法大師にまつわる伝説に、異木の漂着した島とあり、約1200年前にすでに数10人が住んでいたようである。 豊かな漁業資源に恵まれ、カタクチイワシ漁を背景とする煮干しイワシ生産が島の経済を支えている伊吹島を散策する。

9:00伊吹島渡船で出発
9:25観音寺港到達、車で出発。

明治の建築で旧陸軍第11師団初代師団長乃木将軍の執務室やゆかりの品々をはじめ、旧陸軍関係の資料を展示する乃木館を訪れる。

真言宗善通寺派の総本山で、四国霊場第75番札所。弘法大師(空海)の誕生の地として有名で、京都の東寺、和歌山の高野山金剛峯寺とともに空海の三大霊跡の一つ。広大な境内は東西2つの院に分かれ、東院には五重塔、金堂、常行堂などが立ち並ぶ。誕生院とも呼ばれる西院は、御影堂に戒壇巡りの暗い地下道が設けられ、奥殿は大師誕生の場所とされる。宝物館には、地蔵菩薩立像や吉祥天立像(ともに重要文化財)をはじめ数々の寺宝が展示してある善通寺を訪れる。

善通寺すぐ裏にある香色山に作られた、四国巡礼と同じご利益が得られるという1.8kmのミニ遍路コース。善通寺駐車場前の五智院をスタートし、江戸時代に作られた八十八体の石仏を巡る香色山ミニ八十八ヵ所を訪れる。

14:00多度津港フェリーで出発
14:25高見島到達。

瀬戸内海のほぼ中央、多度津港の北西7.4kmの海上にある。塩飽諸島の最高峰でもある龍王山を中心に南北に細長い円錐型の島。 建久年間(1190〜1199年)に備中児島からの移住が集落の始まりと伝えられる。南部の浜浦、北端近くの板持の3集落があり、中心は浜・浦集落である。浦集落は標高50mほどの所を中心に、約25度の斜面に家が建ち並び、自然石の乱れ積み石垣が残っている高見島を訪れる。

14:50佐柳島到達、散策。

瀬戸内海のほぼ中央、多度津港の北西14.8kmの海上にある。 標高249mの高登山を中心とした南北に細長い島で、山裾が海岸まで迫っている。古くは佐那岐・佐名木・佐奈木・真木・早凪などとも書かれていた。南に本浦、北に長崎という2集落がある。日本の葬制を知る上で貴重な「両墓制」が残り、特に長崎集落の「埋め墓」は、海岸沿いにあるという点で全国的にも珍しい。 島の開発は、高見島の住人が移り住んだとも、備前の武士によって始められたともいわれる。島名の由来は、足利第3代将軍義満が厳島参詣の途中強風に遭い、この島に避
難すると風が和らいだので、早凪と呼んだのが変化したという説がある佐柳島を散策する。

15:25佐柳島フェリーで出発。
16:15多度津港到達、帰路に向かう。

今回の旅行、香川県瀬戸内海沖の5つの島(櫃石島、岩黒島、伊吹島、高見島、佐柳島)を訪れました。

瀬戸大橋下の櫃石島、岩黒島はゲートを通過しないと入れない、島の住民のみ許可書認められ。残念ながら内部を訪れることができず入り口で望んだのみでした。

宿泊した観音寺駅付近はコンビニも居酒屋も見当たらない、大きなイオンが1店舗目っていました。さぬきうどん店が一軒ありましたが17:00にクローズ、食事するのに苦労しました。
観音寺は結構有名ですが町はひっそりして人も車も少なく田舎の印象が強い。

高見島、佐柳島も瀬戸内海の離島ですね。人影も少なく、有名な名所もなく素朴でのんびりした島でした。

香川県5つの瀬戸内海沖の離島めぐり癒されました。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十四弾:香川県瀬戸内海諸島女木島・男木島&粟島・志々島観光
2012年3月24日ー25日


四国の北東部、瀬戸大橋により本州と結ばれた日本一小さな県、香川県に足を運び、備前瀬戸に点在する鬼が島とも呼ばれる女木島、映画の舞台になった灯台が佇む男木島、水軍ゆかりの地で、無人島を含む大小28の島からなる塩飽諸島の粟島・志々島を訪れました。


24日12:30車で出発、近畿中国山陽瀬戸中央高松自動車道経由して
16:00善通寺インター下車、善通寺駅付近のホテル到達、到達後繁華街散策し食事を済ませて就寝。

25日5:30車で出発、須田港方面に向かう。
6:10須田港到達
6:20須田港粟島汽船で出発
6:35粟島港到達、船を乗り換え
6:55粟島港出発
7:25志々島港到達、散策する。

詫間港の北西5.5kmの海上にある標高100m余りの島。 島の頂上まで開墾され、良好な漁場にも恵まれて明治以降漁業も繁栄してきた。しかし、高度経済成長に伴い次第に衰退し、200戸1000人を数えた住民も昭和30年代から激減、今では、40人足らずとなった。現在は花き栽培が営まれている。島名は十握剣(とつか)を納めて神霊島、また京都の紫宸島、また西行法師が行脚の途中でこの島を見て「獅々に似たる島」として獅々島と名付けたといわれている志々島を散策する。

この島の自慢は樹齢1,200年といわれる大楠木。県指定の天然記念物になっている。 映画「男はつらいよ寅次郎の縁談」(平成6年)のロケ地になり、また平成16年の映画「機関車先生」(伊集院静原作、廣木隆一監督、音楽:井上揚水)のロケ地にもなりました。

8:50志々島港出発
9:05粟島上新田港到達、粟島を散策する。

地図を見ても分かるように、もともと3つの島が砂州で繋がって一つの島になったようです。浦島太郎伝説は国内でもいろいろな所に残されていますが、伝説の亀の霊が祭られているという亀戎社(かめえびすしゃ)や乙姫が身を寄せたと言われる姫路などが伝説ゆかりの地です。詫間町の庄内半島の先端は昔は浦島と呼ばれていた島になっており、浦島太郎伝説ゆかりの名所がたくさんあります粟島を散策する。

粟島海洋記念公園内にある、海の宿らしく船をイメージした建物。明るくゆったりとしたエントランスホールや浴場があり、周辺にはテニスコートやキャビンも整備されているル・ポール粟島を訪れる。

明治30年、粟島に誕生した日本初の海員養成学校校舎跡。昔の船舶機器や模型など多くの資料を展示。庭に設置された古い錠や艦鍵もノスタルジック。映画「機関車先生」のロケ地にもなった粟島海洋記念館を見学。

11:15粟島港出発
11:30須田港到達、車で高松港に向かう。
12:30高松港到達
14:00高松港フェリーで出発、女木島に向かう。
14:20女木島港到達。

高松市の北約4kmに浮かぶ島。 北部が円錐形、南部は緩やかな溶岩台地になっており、中央部の東西側に集落がある。就業者は、第1次産業が半数強、次いで第3次産業が4割弱。島の中腹に巨大な洞窟があることから、別名「鬼ケ島」と呼ばれ多数の観光客で賑わう。 白砂青松に恵まれた美しい島なので、夏には海水浴客も多い。源平合戦で那須与一が射た扇のこわれた残りが流れ着いた、ということから「めぎ(めげた=こわれたの意)」という島名がついたともいう女木島を散策する。

桃太郎伝説を残す大洞窟は、島の中央、鷲ケ峰の中腹にぽっかり口をあけています。広さ4,000平方m・奥行き450mに及ぶ大洞窟で、洞窟の中は夏でもひんやり。約186uもの大広間や居間、婦女子の監禁室、溜井戸の跡、番人の控室まであり、何やら怪しげな気配。暗がりの中から鬼たちの哄笑が聞こえてきそうな女木島大洞窟を訪れる。

島の集落には,民家の屋根まですっぽり覆うほどの高さの石垣「オオテ」が防風防潮用に築かれ、独特の島風景を描きだしています。写真愛好家や画家たちの創作意欲を刺激するノスタルジックな島の暮らしがあります。

世界の七不思議,イースター島のモアイ像。女木島のモアイ像は,高松市に本社を置く建設重機メーカーが,イースター島のモアイの再建時(1995年)吊り上げテスト用に使った模刻像で,高松市に寄贈されたものです。

16:20女木島港出発。
16:40男木島港到達。

鬼ケ島から船で20分で男木島へ。段々畑のように密集する民家の間を縫って連なる石段は、瀬戸の小島ならではの風情。島の最北端に立つ男木島灯台は、映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台になったところで、明治の洋風建築の宿舎跡は、灯台資料館として活用され、ノスタルジックな気分を誘います男木島を訪れる。

島全国でも珍しい灯台資料館で、館内では、全国・瀬戸内海の主な灯台の位置、海上保安庁の役割り、男木島灯台の仕組みなどを説明したパネル、電光掲示をはじめ、模擬灯台からの沖の風景、そして男木島の歴史・生活・観光の紹介、また映画のことなど幅広く説明しています男木島灯台資料館

男木島遊歩道上に位置し,男木島の観光名所である桃太郎伝説で鬼の副大将が逃げ込んだと言われている洞窟「ジイの穴」や,高松市指定文化財・天然記念物の通称タンク岩を見ることができます男木島水仙郷。

17:00男木島港出発。
17:40高松港到達。

今回の旅行、四国の香川県の瀬戸内海に点在する離島に足を運びました。

粟島、女木島、男木島はヨット&クルーザーで訪れたことはありますが島の観光は今回初めてです。

女木島、男木島は家並も多く、村の人々もそこそこおられますが粟島・志々島は数十人の人口でほとんどお年寄りとのことです。この地区も過疎化が起こっていますね。日本の離島に共通する現象です。

素朴で自然いっぱいの癒し系の離島観光旅行でした。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十弾:香川県諸島本島&さぬき広島観光
2012年2月18日ー19日


香川県の離島、塩飽諸島に足を運び、塩飽水軍の本拠地として栄えた本島、塩飽諸島のほぼ中央部に位置するさぬき広島、塩飽の歴史ロマンを伝える名所が多いこれらの離島を訪れました。

18日12:30車で出発、近畿中国山陽瀬戸自動車道経由して
15:20丸亀港到達
15:30カーフェリーで本島に向かう。
16:05本島港到達、車で巡る。

丸亀の沖に浮かぶ塩飽諸島の中心、雄大な自然に囲まれた周囲16kmのこの島には、
古い町並みや数多くの文化遺産が残されています。それは遠い昔、塩飽水軍とともに繁栄した本島の証であり、海にひたむきに生きた塩飽の男達の足跡なのです。その本島を観光する。

丸亀の夏は本島から始まります。旧暦の6月1日、本島泊地区にあり、夏の虫を追い払い、
その年の豊作と無病息災を祈願する「虫送り」が行われます。この行事は、虫送り祈願の百万遍ともいえる、ご覧の大数珠送りから始まり、念仏を唱えながら、8畳敷きほどの大きな数珠をグルグルと回していきます。途中、自分の手元に回ってきた大きな珠を額に当てるようにして拝むことで、今年一年の無病息災を祈願しているのです。その木烏神社を訪れる。

織田、豊臣、徳川時代と300年にわたって塩飽諸島の西部を取り仕切っていた、今は国の史跡に指定されており、ここには咸臨丸の遺品や、信長、秀吉、家康からの朱印状など、当時の貴重な資料が展示されています塩飽勤番所を訪れる。


時が止まったようにたたずむ路地。ここは、国の伝統的建造物群保存地区の選定を受けているです。漆喰塗りの白壁やなまこ壁、千本格子の窓をあしらった町並みは、実にどっしりとしたたたずまいを演出しています笠島集落を訪れる

島の人たちから「山寺さん」と呼ばれ、親しまれている。ここでは毎年7月に、修験者達による大護摩供養が行われています。真言宗醍醐派の大本山であるここ正覚院は、弘法大師と並ぶ讃岐五大師の一人「理源大師」誕生の地と言われています。その境内で繰り広げられる夏祭りの光景は、まさに真言密教の世界そのもの・・・。不動真言を唱える修験者たちの声は、打ち振られる錫杖やほら貝の響きと混じり合い、見る人を神秘の世界へと誘い込みます正覚院を訪れる

16:52本島港客船で出発、牛島に向かう。
16:58牛島港到達、写真撮影。

丸亀市の北7.7km,塩飽諸島中4番目に小さな島。 里浦と小浦の2集落があり、ノリ、ワカメを中心とした養殖漁業と、瀬戸内の温暖な気候を利用した温州ミカンの栽培が主要産業となっている。江戸時代には「内海の海上王」といわれた丸尾五左衛門の廻船の本拠地となっていた牛島を訪れる。

17:00本島に客船で戻る
17:10本島客船で出発
17:40丸亀港到達、車で坂出に向かう。
18:10坂出のホテル到達、周辺を散策しさぬきうどんを食べてからホテルに戻り就寝。

19日7:00車で丸亀港に向かう。
7:20丸亀港到達
7:40丸亀港客船で出発
8:01さぬき広島江の浦港到達、散策する。

丸亀港からフェリーで40分、瀬戸内海に浮かぶ、その名の通り、塩飽諸島最大の島です。
豊かな自然と美しい海に囲まれたこの島には現在294世帯、569人が暮らしています。最大の産業は石。青木石で知られる花崗岩の採掘は、島の発展に大きく関わってきましたさぬき広島を訪れる。

ここ広島町では、1月9日、5月9日、9月9日の3日間を山の神の日とし、石の採掘を休み、
地元の人達は、山の神様に感謝の気持ちを捧げています。その山の神様を祭っているといわれる神社。毎年、年の初めの山の神の日である1月9日に、ここで百々手祭りが開かれています。この日は早朝から地元の人達が境内に集まり、祭りの準備をはじめていました山の神神社を訪れる。

慶応2年(1866年)、瀬戸内海を調査中の英国測量船セルビア号の船上で病死した英国士官レキの墓。島の人たちの手のよって守られてきた。明治29年(1896)にセルビア号が再び広島に寄港、船長から島の人たちに感謝状が送られたという。広島中学校近くの川のほとりにあるレキの墓を訪れる。

ヤシの木に囲まれた南国ムードの海水浴場。旧暦8月15日、「月見の宴」が開かれる。潮騒をバックにお月見を楽しむ江ノ浦海水浴場を訪れる。

標高312m。瀬戸内の多島美を楽しめる。ハイキングに最適の王頭山を望む。

11:32江の浦港客船で出発、小手島、手島方面に向かう。

11:55小手島到達。写真撮影。

丸亀市の北15kmの海上に浮かぶ塩飽諸島の中でもっとも小さい島。備讃瀬戸海域の中心的漁場の近くにあり、タコ・カニ・イカナゴ漁がとくに盛んである。若い漁業後継者も多い。豊かな自然環境と瀬戸内の活魚料理は逸品。また、高台からの瀬戸内海前面の景色が非常に美しい小手島を訪れる。

12:05手島到達。写真撮影。

丸亀港の北21kmの海上に位置する。平家の落人が住みついて集落ができたと伝えられている。本島と同じく人名)の島だった。瀬戸内の温暖な気候を利用した農業が主体である。かつてタイ網漁で賑わった豊かな漁場があり、市内外からやってくる釣り客に親しまれている。また、手島供養踊り、新霊踊り、やっとこせ踊りなど芸能・民俗も豊富の手島を訪れる。

12:10さぬき広島に戻る。
12:43さぬき広島到達
12:45フェリーでさぬき広島出発
13:30丸亀港到達、車で岐路に向かう。

今回の旅行、香川県の塩飽諸島に足を運び、塩飽水軍の本拠地として栄えた本島、塩飽諸島のほぼ中心に位置するもっとも大きいさぬき広島、その他牛島、小手島、手島を訪れ日ごろの雑踏の中からのがれ、田舎の素朴な雰囲気に癒されリフレッシュできました。

本島とさぬき広島はクルーザーで訪れたことがありますが寄港しただけで、観光は今回初めてでした。

素朴な離島の癒し観光旅行リフレッシュできました。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六十九弾:香川県直島&豊島観光
2011年11月22−23日


岡山県玉野市沖約3kmの香川県に点在するアートの島に足を運び美術館はもちろん、港や海岸、路地裏にまで現代アートが散りばめられている。自然と融合した独自のアートを体験したい直島、美しく変化する自然と人の営みの中にある食と現代アートの島、豊島を訪れました。

22日20:00車で出発、近畿中国山陽自動車道経由して岡山インター下車
22:10岡山駅付近のホテル到達、就寝。

23日7:00車で出発、宇野港に向かう。
7:55宇野港到達
8:22宇野港フェリーで出発
8:42直島宮浦港到達、車で巡る。

島の南端、琴反地海岸線沿いにふるさと創生事業の一環として建てられた施設。13棟からなる「邑」を形成し、ふる里の豊かさと喜びを体感できるよう、町内外に広く開放。島の子供たちが島外の子供たちとともに集団生活を体験することもできます。また、施設的には直島町ゆかりの崇徳上皇と若山牧水の歌碑が建てられていますふるさと海の家つつじ荘を訪れる。

香川県直島を舞台に展開されているアート活動の総称であり、直島の自然や地域の固有の文化の中に現代アートや建築を置くことによって、どこにもない特別な場所と経験を創造しようとする試みです。中核施設である「ベネッセハウス」は、安藤忠雄氏設計による宿泊施設を併設した現代美術館ヶあるベネッセアートサイト直島を訪れる。

ベネッセハウスと同じく建築家・安藤忠雄氏が設計。建築そのものが芸術作品となっています。クロード・モネの「睡蓮」と、直島に長くかかわってきた現代を代表する美術作家ジェームズ・タレルとウォルター・デ・マリアの作品が永久設置されています地中海美術館を見学。

ベネッセハウスミュージアム、野外展示、地中美術館などのある南側エリア、東へ車で10分程度で、本村地区があります。古い民家だけでなく城跡、寺、神社などもあり、空家なった民家などを利用してアートを展示しています家プロジェクトを散策する。

12:45直島宮浦港フェリーで出発
13:05宇野港到達
13:40宇野港フェリーで出発
14:20豊島家浦港到達、島巡る。

家浦港より南西方向に約2,9q行くと、遠くに大小の島影が浮かぶのどかな瀬戸内海の風景を間近に見渡せる浜、この地名の由来は「古事記」「日本書紀」に登場する海神)の娘である豊玉姫命)がこの地で鵜の羽を集めて造った産屋で鵜草萓不合命)を出産したと言う伝説から神の子の浜、神子ヶ浜と呼ばれるようになったと言われています神子ヶ浜を訪れる。

瀬戸内海を望む豊島唐櫃)の小高い丘に建設されるアーティスト・内藤礼と建築家・西沢立衛による美術館。休耕田となっていた棚田を地元住民とともに再生させ、その広大な敷地の一角に、水滴のような形をした建物が据えられます。広さ40×60m、最高高さ4.5mの空間に柱が1本もないコンクリート・シェル構造で、天井にある2箇所の開口部から、周囲の風、音、光を内部に直接取り込み、自然と建物が呼応する有機的な空間です。内部空間では、一日を通して「泉」が誕生します。その風景は、季節の移り変わりや時間の流れとともに、無限の表情を伝えます豊島美術館を見学。

豊島唐櫃地区王子ケ浜の瀬戸内海に面した松林の中にひっそりと建つ小さな美術館です。ここでは、世界中の人々の心臓音を集めて心臓の鼓動に連動して電球が明滅するインスタレーションにより、「一人一人の人間存在に固有性はありがらも、死とともに消滅してしまう」という生と死の対照性をあらわしています。訪れる方々一人ひとりが、この場所で自身の過去の経験や体験にもとづいて自分自身を発見し、感動を覚えるような場所であってほしいと願っていますクリスチャン・ボルタンスキー「心臓音のアーカイブ」を見学。

16:40豊島家浦港フェリーで出発
17:19宇野港到達、帰路に向かう。

今回の旅行、クルーザーボートで何回も訪れたことのある香川県のアートの島、直島、豊島を訪れ、点在するアートの建築物と美術館を訪れ楽しめました。

岡山県と香川県に挟まれた瀬戸内海に点在する島、世界的にもアートの島として親しまれ国内海外問わず、多くの観光客が訪れています。

アートプロジェクトの瀬戸内の直島、豊島、犬島、小豆島、女木島、男木島、大島の点在するアート今注目されています。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第百二十九弾:香川県丸亀&西讃観光
2011年1月22ー23日


四国の北東部、瀬戸大橋により本州と結ばれ、日本で一番小さな県、瀬戸内海に面し、一年を通じて穏やかな気候に恵まれる香川県に足を運び、歴史と文化の薫るまち、江戸時代から盛んだったうちわずくりは、現在では全国シェア約90%を誇る丸亀、こんぴらさんで知られる金刀比羅宮や弘法大師空海誕生の地である総本山善通寺や海辺の町、銭形砂絵と勇気溢れるちょうさ祭りで知られる観音寺を訪れました。

22日12:30車で阪神淡路高松自動車道経由して
14:30高松檀紙インター下車、丸亀、綾川方面に向かう。

雨の少ない讃岐地方に数多い溜池の一つで周囲約20km、貯水量1540万トンと全国最大規模を誇る。毎年6月の中旬には、農業用水を放出するイベント、満濃池のゆる抜きが行われる。池の東側には大規模なオートキャンプ場などが整備された国営讃岐まんのう公園、南西側にはアスレチックや森林浴などが楽しめる香川県満濃池森林公園があり、北側には野球場・多目的グラウンドなどがあるかりんの丘公園がある満濃池を訪れる。

18:00丸亀駅付近のホテル到着後、市街地を散策し食事を済ませて就寝。
23日7:00車で出発

平山城。内堀から天守閣へ幾重にも積み上げられた石垣は、扇の勾配と呼ばれる美しい曲線を描く。現在の城の大部分は、1641年(寛永18)に丸亀藩主になった山崎家治が造営。その後、明治維新まで城主だった京極家に受け継がれた。天守、大手一の門は国指定文化財、二の門と東西の土塀は重要文化財。天守は全国に現存する12の木造天守のうちの一つである丸亀城を訪れる。

ビルの名「モトリス」のイニシャルMをかたどった前衛的な外観デザインが印象的。丸亀新聞放送会館の1〜3階にあり、日本にあまり紹介されていない1990年代以降のスペイン中堅・若手作家の作品を展示する丸亀平井美術館の前で記念撮影。

金毘羅参りのみやげとして考案されたという丸亀うちわは、江戸時代から続く丸亀の代表的地場産業。館内には江戸期から現代までの丸亀うちわや全国の有名なうちわなどを展示。実演コーナーでは、竹を使ったうちわ作りの伝統技を見学できるうちわの港ミュージアムの前で記念撮影。

丸亀で少年時代を過ごした国際的な洋画家、猪熊弦一郎の作品など約2万点を収蔵。本人が美術館建設に立ち会い、自然光が注ぐ空間でゆっくり鑑賞できるよう配慮されている。画伯が収集した、世界各国の玩具や生活用品の展示コーナーも設置する丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の前で記念撮影。

1688年(貞享5)、丸亀藩2代目藩主・京極高豊が築庭。園の名称は森羅万象にちなんで付けられた。約5万平方mの庭は、琵琶湖を模した八景池を中心に近江八景になぞらえた8つの島を配し、橋で結んだ池泉回遊式。茶室近くの大笠松は必見。ミレーやコローなどのフランス絵画を集めた「絵画館」やオリエントの陶器やガラス器を展示する「陶器館」、ひな人形を集めた「ひいな館」からなる丸亀美術館も併設する中津万象園を訪れる。

中津万象園内にあり、コロー、ミレーなどの名画を展示した絵画館、古い雛人形があるひいな館、オリエント陶器やガラス器を展示する陶器館で構成される丸亀美術館[中津万象園]を訪れる。

弘法大師の母、玉依御前が大師出産のための産屋を建て、807年(大同2)に大師が七堂伽藍を建立したという。奥の院に産湯の井戸があるほか、奥の院境内のまんだら園で、萩やヤマツツジなども観賞したい四国別格二十霊場番外札所の海岸寺を訪れる。

善通寺方面に向かう。

真言宗善通寺派の総本山で、四国霊場第75番札所。弘法大師(空海)の誕生の地として有名で、京都の東寺、和歌山の高野山金剛峯寺とともに空海の三大霊跡の一つ。広大な境内は東西2つの院に分かれ、東院には五重塔、金堂、常行堂などが立ち並ぶ。誕生院とも呼ばれる西院は、御影堂に戒壇巡りの暗い地下道が設けられ、奥殿は大師誕生の場所とされる。宝物館には、地蔵菩薩立像や吉祥天立像(ともに重要文化財)をはじめ数々の寺宝が展示してある善通寺を訪れる。

善通寺出身で、讃岐漆芸を代表する作家の一人、大西忠夫氏の作品が鑑賞できる。1階の大西忠夫記念室では、漆を塗り重ねて研ぎ出す、氏の彫漆作品や創作活動の足跡を紹介。1・2階のギャラリーは、市民美術館として広く市民に開放されている善通寺市美術館を訪れる。

海の神様、金毘羅さんの門前にふさわしく、海と船が展示テーマ。映像とさまざまな展示を通して過去から現在、未来にかけての海と人と船の関係を楽しみながら学べる。1階では、江戸時代の船着場に百石積の弁財船を展示。3階は深海の様子を、4階は海の雰囲気を味わいながら船と人との関わりを映像でわかりやすく紹介する。屋上には、ラジコン船コーナーや動くブリッジもある海の科学館を見学。

標高521m、象頭山の中腹に鎮座し、祭神は大物主神(大国主命)。12世紀の保元の乱で都を追われ、讃岐にとどまった崇徳天皇を合祀している。創建は明らかでないが、江戸時代には「金毘羅参り」が盛んになり、今日に至るまで海の守護神として広く信仰を集めている。宝物館や表書院の文化財も見逃せない金刀比羅宮を訪れる。

建物は、香川県産の花崗岩を使った入母屋造の二層建て。平安時代初期の作とされる十一面観音立像(重要文化財)をはじめ、刀剣や富岡鉄斎の扇絵など、時代も作品もバラエティに富んでいる金刀比羅宮宝物館[金刀比羅宮]を訪れる。

金刀比羅宮内にあり、江戸初期の万治年間(1658〜1661)に建てられた表書院と奥書院の2棟(重要文化財)からなる。表書院は、円山応挙筆の襖絵があることで有名。なかでも『遊虎図』『遊鶴図』は応挙晩年の傑作といわれ、重要文化財に指定されている。奥書院は一般公開をしていないが、岸岱筆などの襖絵を所蔵の表書院・奥書院[金刀比羅宮]を訪れる。

1837年(天保8)、金刀比羅宮に金堂として建立された。二重入母屋造、銅板葺の堂々とした建物は国の重要文化財。上層の屋根裏から建物の側面に至るまで巻雲や鳥獣、人物、花卉などの巧みな彫刻が施されている旭社[金刀比羅宮]を訪れる。

「こんぴらさん」の名で親しまれる金刀比羅宮の御本宮は、檜皮葺の大社関棟造。拝殿の格子天井に蒔絵が施され、向拝には菊花の紋章が付けられている。本宮前の広場からは讃岐平野の眺望が広がる御本宮[金刀比羅宮]を訪れる。

観音寺方面に向かう。

琴弾山一帯に広がる公園で、展望台から眺める銭形砂絵が有名。これは寛永通宝をかたどった東西122m、南北90m、周囲345mの巨大な砂の芸術で、1633年(寛永10)高松藩主・生駒高俊の領内巡視を歓迎するため一夜で造ったという琴弾公園を散策する。

銭形砂絵にちなみ、日本と世界の貨幣約2000点を展示。慶長大判や江戸時代の藩札、ヤップ島の石貨などがみものの世界のコイン館を見学。

標高352m、荘内半島の最高峰。浦島太郎が開けた玉手箱の煙が、紫の雲になってたなびいた山という伝説が残る。山頂展望台からは、瀬戸内海や四国山系、本州まで見渡せる。展望台近くにある紫雲出山遺跡館では、山頂一帯で発見された弥生時代の出土品などを展示する紫雲出山を訪れる。

16:00終了、帰路に向かう。

今回の旅行、四国の北東部香川県に足を運び、歴史と文化の薫るまち、江戸時代から盛んだったうちわずくりは、現在では全国シェア約90%を誇る丸亀、

綾川が流れる水と緑の豊かな町、さぬきうどん発祥の地という説もあり、さぬきうどん店が多く見られる綾川

こんぴらさんと親しまれる金刀比羅宮の門前町として賑わう琴平町

日本一のため池、満濃池を擁するネイチャータウン、まんのう町

弘法大師空海誕生の地で門前町として栄えた善通寺

金比羅舟が着き四国発の鉄道が走るなど、昔から交通の要衡地、多度津

弘法大師が琴弾八番宮を
の神宮寺に観音像を祭り寺号を観音寺と改めたことに由来する観音寺

浦島伝説の残る風光明媚な景勝地、三豊市

一泊二日のドライブ観光満喫しました。

はじめての金比羅山、785段の階段を恐れていましたが、所々に平坦なところがあり、意外とすんなり登ることができました。

又善通寺の西の方向に平坦な土地に屏風を立てたような山並が続く讃岐五岳山、なかなか他では見られない風景、山の眺め、山からの眺めもすばらしい香川県西讃の観光でした。















飛行機で国内&海外の観光地巡り第九十一弾:香川県高松&東讃観光
2010年3月27ー28日


四国の北東部、瀬戸大橋により本州と結ばれた日本で一番小さな県、さぬきうどん、こんぴら参り、小豆島を始めとする瀬戸内の島々など、さまざまな魅力がある香川県に足を運び、香川県の県庁所在地、政治、文化、経済の中心地であり、香川県随一の都会、栗林公園や高松城など歴史的観光名所の多い高松、瀬戸内海に臨み、自然条件がよく、海や山のレジャーが盛んで、風の港引田の古い町並みの東讃を訪れました。

12:30車で阪神第二神明淡路高松自動車道経由して
14:30引田インター下車

中世から瀬戸内海を往来する船の風待ちの港と呼ばれる古い町並みの引田を散策する。

ホワイトタイガーと猛獣ショーの開催が人気の動物園、約50種類150頭の多くを触ることが出来る白鳥どうぶつ園を訪れる。

自然に親しみながら、オールシーズン楽しめるレジャーランドです。多彩なイベントが行われ、賑わいが絶えることがありません。園内には野球場、サッカー場、テニスコート、キャンプ場、ログハウス、バーベキューハウス、ちびっこランド、アスレチック、等々、スポーツ&レジャーの施設がいっぱいです。花木園では250種、1万6千株の花木が四季折々の花を咲かせますみろく自然公園 を散策する。

門入湖の周囲に公園と石の砦のような椿の城が点在するダムと温泉と山の中にある芸術的な建築物という、奇妙な取合わせにまずは驚く門入の郷を訪れる。

大串半島に広がるレジャーゾーン。テニスコート、ワインを試飲できるさぬきワイナリー、グリーンヒル大串、オートキャンプ場などが揃う大串自然公園を散策する。

江戸中期に本草学者、戯作者として活躍した平賀源内は志度の出身。館内には江戸の人々を驚かしたエレキテル(摩擦起電機)をはじめ、源内焼の陶器、絵画、戯作、遺品などを展示。 別館では薬草園、銅像、旧邸などが見られる平賀源内記念館を見学。

高松方面に向かう。

高松駅付近のホテル到達後市街地を散策して食事を済ませてから床に就く。

6:30高松市内を散策する。

桃山〜江戸時代に生駒家4代、松平家11代の藩主が居城とした高松城(玉藻城)跡に整備された公園。三方の堀に海水を引き入れ、城の守りと水運を兼ねた全国でも珍しい水城。往時の面影を伝える着見櫓、艮櫓は重要文化財。海水の導入口や内苑御庭、披雲閣、松平家ゆかりの品を展示した陳列館もある玉藻公園を散策する。

車で巡る。

紫雲山東麓にある国指定特別名勝の庭園。約75万平方mの広大な園内は、池泉回遊式大名庭園の南庭と近代的に改修された北庭に分かれている。南庭は讃岐領主・生駒家が築庭に着手。以降、初代高松藩主の松平頼重に引き継がれた。松平家5代、100年余の歳月を費やして完成。紫雲山を背景に6つの池と13の築山で構成されており、松をはじめとする各種樹木や石組みを巧みに配し、四季折々に風情ある表情を見せる栗林公園を散策する。

四国各地の民家33棟を移築復元した屋外博物館。農村歌舞伎舞台、こうぞ蒸し小屋、砂糖しめ小屋など四国を特色づける建物が立ち並ぶ。四国村ギャラリーでは、ルノワールなどの西洋絵画、彫刻、仏像など幅広い美術品が鑑賞できる四国村を散策。

8世紀に唐僧・鑑真が創建したと伝わる、四国霊場第84番札所。朱塗りの本堂と本尊の十一面千手観音坐像は、国の重要文化財に指定されている。宝物館には源平合戦の絵巻や屏風絵などを展示する屋島寺を訪れる。

全国でも珍しい山上に立つ水族館。瀬戸内海はもちろん、世界の魚とイルカ、アシカなどを飼育。人魚のモデルといわれるマナティーや不思議なプールを泳ぐゼニガタアザラシもいる新屋島水族館を見学。

『平家物語』の17の名場面をリアルな蝋人形約300体で再現。1階の四国の偉人たちコーナーには坂本龍馬、正岡子規、大平正芳、水原茂など各界の著名人たちの人形40体が並ぶ高松平家物語歴史館を見学。

歴史博物館と美術館、2つの機能を合わせもつミュージアム。香川の歴史を資料や映像、実物大に復元された建物などで紹介する歴史展示室がある。またイサム・ノグチ、猪熊弦一郎、平山郁夫、小林萬吾など香川県ゆかりの作家の作品を中心とした彫刻、日本画、洋画などを所蔵し、これらの作品を活かした展示を行っている香川県立ミュージアムを見学。

イサム・ノグチ、岡本太郎、横尾忠則など戦後日本の現代美術と、香川の漆芸・工芸を中心にコレクション。香川出身の人間国宝・磯井如真、音丸耕堂の漆工芸作品も収蔵している高松市美術館を見学。

高松市に生まれ、『父帰る』などの作品で知られる菊池寛の記念館。自筆原稿や愛用品などのほか、東京・雑司ケ谷の書斎を復元展示している。菊池寛が創設した、芥川賞・直木賞の歴代受賞者を紹介するコーナーも見逃せない菊池寛記念館を見学。

菊池寛記念館と同じビルの4階にあり、高松市に関する歴史・民俗資料約4万点を収蔵。大名が参勤交代に使った御座船・飛龍丸の5分の1スケール模型、レプリカなどを常設展示している高松市歴史資料館を見学。

塩業で栄えた、坂出市の塩作りに関する資料や道具を展示。往時の入浜式塩田をパノラマで再現。ビデオやパネルで製塩作業の手順、製塩技術の歴史などを紹介している坂出市塩業資料館を見学。

壁面に金色のハーフミラーを使った高さ158mの展望タワー。地上127mの展望室からは瀬戸大橋や瀬戸内海の大パノラマが広がり、子どもが安心して遊べるプレイパーク、わんわんランド、ボウリング、カラオケ、ビリヤード・デジタルダーツなどアミューズメント施設もあるプレイパーク ゴールドタワーを訪れる。

瀬戸大橋の開通を記念し、橋のたもとに整備された公園。入口から瀬戸大橋記念館まで、噴水で瀬戸大橋の吊橋や斜張橋を表現したプロムナードが続き、芝生広場や池、滝なども設けられている瀬戸大橋記念公園を散策する。

瀬戸大橋記念公園内にある展望タワー。100人乗りの展望室が、回転しながら地上108mまで上昇。360度の眺望が楽しめる瀬戸大橋タワーを訪れる。

瀬戸大橋記念公園内にあり、着想から100年を要した瀬戸大橋の全貌を映像や模型で紹介する瀬戸大橋記念館を見学。

瀬戸大橋が結ぶ5つの島の中で唯一パーキングエリアがあって、一般車やバスで降りられる。第1駐車場の与島プラザ2階には瀬戸大橋架橋展示ホールがあり、近くの展望広場から瀬戸大橋の雄姿を眺められる。第2駐車場前には、瀬戸大橋フィッシャーマンズ・ワーフがある与島を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

瀬戸大橋山陽中国阪神自動車道経由して
21:00大阪到達。

今回の旅行、四国の瀬戸内に面した香川県に足を運びました。

四国の瀬戸内に面した多くの港はクルーザーで何回も訪れ、海からの地理は詳しいですが、陸から山麓にかけてのエリアはまだまだ知らないところが多く、今回は車で大きな有名な名所ではないが穴場的観光名所をくまなく巡り、高松から東の東讃エリアを制覇しました。

次回は香川県の中讃から西讃方面を攻めてみたいと思います。