岩手

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百二弾:岩手県お城・城下町巡り観光
2017年7月1−2日
 

東北地方の世界遺産で有名な奥州藤原氏の支配した平泉があり、その他にも源氏の流れを汲む名門武家、南部氏の遺構が数多く残され、また陸奥土着のさまざまな武家の居城が点在している岩手県に足を運び比較的マイナーなお城9か所を訪れました。

1日17:05伊丹空港出発
18:25花巻空港到達、レンタカーで北上方面に向かう。
19:20北上駅付近のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
2日7:30レンタカーで出発、お城巡り。

九戸城:築城年代は定かではない。白鳥城との別名から安倍頼時の子則任が築城したとの伝承があるが、これを裏付ける史料はない。
九戸氏による築城としては、明応年間(1492年〜1501年)九戸光政によって築かれたとする説や永禄年間(1558年〜1570年)頃に九戸政実によって築かれたとする説などがある。
天正19年(1591年)九戸政実は三戸城主南部信直に対して挙兵する(九戸政実の乱)。政実の反乱は天正8年(1580年)南部晴政・晴継と南部家当主が相次いで没し、その家督を巡って田子信直(後の南部信直)と九戸政実の弟実親が争ったことや、信直が小田原城攻めに参陣して南部宗家の安泰を計るとともに、九戸氏らを家臣として組み込もうとしたことに対する反発などがその発端と考えられている。
九戸氏の反乱に荷担した櫛引城主櫛引清長は三戸方の苫米地館を攻めたがこれを落とせず九戸城に入った。また、久慈城主久慈直治・政則父子も九戸城に入り籠城した。
三戸城主南部信直は九戸氏の反乱を家中でおさめることができず、豊臣秀吉に援軍を求めた。秀吉は豊臣秀次を大将、浅野長政を軍監として奥州再仕置軍を派遣した。奥州再仕置軍が九戸方の姉帯城、根曽利城を攻め落とすと九戸方は全ての支城を捨てて九戸城に立て籠もった。仕置軍が九戸城の堀際まで攻め寄せて城を包囲すると、長興寺の和尚に説得された九戸政実は降伏開城した。
九戸氏が滅亡すると蒲生氏郷によって九戸城は近世城郭として改修され、南部信直に渡された。信直は九戸城を福岡城と改名して三戸城より移り居城とした。このとき松の丸を居所としたと伝えられる。しかし、居城が所領の北に偏っていたため、新たに盛岡城を築きはじめ、寛永10年(1633年)利直の時代に完成し、福岡城は廃城となった。

一戸城:築城年代は定かではないが建長年間(1249年〜1256年)頃に一戸摂津守義実によっで築かれたと云われる。 一戸南部氏は南部光行の長子行朝を祖とする。妾腹のために本家を相続できず野田城を築いて一戸氏を名乗ったという。この行朝の子義実が一戸城を築き移ったと云われる。一戸南部氏の動向は詳らかではないが、周辺には分家を輩出しており、それなりの勢力を持っていたようである。南部晴政の死によって起こった家督相続争いは、三戸南部氏を二分する騒動となり、結局重臣北信愛の推す南部信直が家督を相続することとなったが、これに反発していた九戸政実は密に一戸城主一戸兵部大輔政連を誘って南部信直を亡き者にしようと画策するが政連に拒まれた。天正9年(1581年)九戸政実は政連の弟一戸信濃と謀って政連を暗殺し、政連の子出羽も後に討たれ一戸家は断絶となり、一戸城には政実の腹心一戸図書が入った。 これを知った南部信直はただちに一戸城を襲撃してこれを落とし、北信愛の二男北主馬介秀愛を城主とした。天正19年(1591年)九戸の乱で九戸政実は一戸城に夜襲をかけたが、北秀愛はいち早く南部信直に九戸の反乱を伝えた。乱の後は石井信助が城代となったが文禄元年(1592年)豊臣秀吉の命により廃城となった。

姉帯城:築城年代は定かではない。 城主は九戸南部氏一族の姉帯氏という。天正19年(1591年)九戸の乱で姉帯大学は弟の姉帯五郎兼信とともに姉帯城に籠もり、豊臣秀吉の軍勢と戦ったが大半が討死して落城したという。

浄法寺城:築城年代は定かではないが浄法寺氏によって築かれたと云われる。 浄法寺氏は鎌倉御家人畠山重忠の末裔を称し、重忠の三男重慶を祖とする。
浄法寺氏は十四代浄法寺重恒のときに南部守行の麾下となり、二十五代浄法寺重房のときに三戸南部氏の家臣となったと云われる。
天正19年(1591年)九戸城主九戸政実が反乱を起こしたとき、浄法寺修理は南部信直に従い、豊臣秀吉による奥州仕置き軍として浅野長政の先鋒として九戸城攻撃に布陣している。
浄法寺修理は五千石を領して南部家の重臣であったが、慶長5年(1600年)南部利直の岩崎城攻めで、これに従っていた浄法寺修理は不手際を犯して家名断絶となった。

昼沢城:工藤氏の末裔とされる葛巻氏の築城といわれるが詳細はわかっていない。三重空堀など防御遺構が独特である。

安部館:築城年代は定かではない。安倍館は古来厨川柵と見られ、前九年の役で安倍貞任ら安倍一族が籠城して源頼義・清原武則の連合軍に敗れた場所と考えられていた。しかし、近年の発掘調査によって嫗戸柵(うばと)であった可能性も指摘されているという。鎌倉時代には岩手郡一帯を所領とした工藤行光の居城であった。工藤氏は後に栗谷川氏(厨川氏)を名乗り、天正年間(1573年〜1592年)頃、栗谷川仁右衛門は南部氏に属していた。

雫石城:南北朝時代に戸沢氏によって築かれた。 戸沢氏は南北朝時代に南朝方に属しており、暦応3年・興国元年(1340年)頃には雫石城が南朝方の拠点として築かれ北畠顕信が在城して南朝方を指揮した。
天文年間に入ると南部家への服従を拒否したため石川高信を大将とする南部勢によって攻撃され落城した。

座主城:

高水寺城:建武2年(1335年)斯波家長によって築かれたと云われるが定かではない。 斯波氏は足利泰氏の長男家氏が斯波郡に下向し斯波氏と改名したことに始まる。
戦国時代には南部氏と戦うようになり、天文6年(1537年)には岩手郡を攻略したが、天正年間(1573年〜1592年)頃には南部氏に押され、南部の支族九戸政実の弟弥五郎が入り婿となって高田吉兵衛康実と名乗り高水寺城の出丸として吉兵衛館に住んだ。しかし、天正14年(1586年)高田康実が出奔して南部氏のもとに走ると再び南部と争うようになり、天正16年(1588年)には家臣の岩清水館主岩清水義教らが南部氏に内通するなどし斯波詮直は高水寺城を捨てて大崎氏の元に逃亡、高水寺斯波氏は滅亡した。
その後、南部信直は中野康実(高田康実改め)に高水寺城を与え、郡山城と改称して城主とした。郡山城は南部氏が盛岡城を築城する過程で一時南部氏の居城として利用されたが、寛文7年(1667年)廃城となり資材は盛岡城に転用されたという。

17:20終了、花巻空港に向かう。
18:00花巻空港到達。
18:55花巻空港出発。
20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、東北地方の岩手県に足を運び岩手県に点在する比較的マイナーなお城9か所を訪れ楽しみました。
今回のお城巡り、案内板も少なく、見つけるのに一苦労、跡地が公園である地は比較的まし、こ辺の畑周辺が跡地のところも多くがっかりしたお城巡りでした。










 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百六十三弾:岩手県奥州三十三観音&お城・城下町巡り観光
2016年6月26−27日
 

東北地方の世界遺産で有名な奥州藤原氏の支配した平泉、その他にも源氏の流れを汲む名門武家、南部氏の遺構が数多く残され、また陸奥土着のさまざまな武家の居城が点在している岩手県に足を運び奥州三十三観音5か所、お城7か所を訪れました。

26日17:00伊丹空港出発
18:25花巻空港到達、レンタカーで北上方面に向かう。
19:10北上駅前のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。

27日7:00レンタカーで出発、霊場、お城めぐり。

二子城:築城年代は定かではないが和賀氏によって築かれたと云われる。 和賀氏の出自は定かではないか武蔵七党の一つ横山党の中条氏の後裔とも源頼朝の落胤とも云われる。二子城は和賀郡一帯に勢力を持ち天正18年(1590年)の奥州仕置によって滅亡した和賀氏の本城である。

岩谷堂城:築城年代は諸説あり定かではないが、鎌倉時代に千葉胤道によって築かれたと云われる。南北朝時代以降江刺氏が勢力を伸ばした為、葛西氏との争いが多くなり度々合戦が行われた。 明応4年(1495年)の合戦で江刺氏が敗れると岩谷堂城には葛西政信の孫重胤が城主となる。天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐に参陣しなかった葛西氏は、奥州仕置きによって改易となり、岩谷堂城には木村吉清の家臣溝口外記が入った。しかし、葛西大崎一揆との戦いで外記は討死、一揆鎮圧後は伊達政宗の所領となり、家臣の桑折摂津守が入った。万治2年(1659年)伊達宗規(岩城宗規とも)が岩谷堂要害五千石で転封となり、岩谷堂伊達氏となった。この宗規の時代に大手の移転など大規模な改修があった。その後は岩谷堂伊達氏が代々続いて明治に至る。

柳の御所:奥州藤原氏の「平泉館(ひらいずみのたち)」に比定され、政務の場であったと考えられている。

中尊寺:中尊寺は嘉祥3年(850)慈覚大師円仁を開創とする天台宗の古刹です。昭和33年別格大寺に昇格、天台宗東北大本山の称号が許されています。奥州三十三観音巡りの特別霊場(番外札所)でもあります。その後、12世紀のはいめに奥州藤原氏初代清衡によって大規模な堂塔の造営が行われました。藤原氏滅亡後、度重なる火災によって、多くの堂塔が焼失したなか金色堂だけが当初のまま残り、その堂内には奥州藤原氏のご遺体が納置されています。


毛越寺:岩手県平泉町に天台宗 医王山 毛越寺があります。特別史跡・特別名勝に指定されていますが、奥州三十三観音 特別霊場でもあります。毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、二代基衡から三代秀衡の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されています。

長泉寺:曹洞宗。元は天台宗のお寺であったが、衰退していたのを大原城主の大原広英が再興し、曹洞宗の寺となる。

普門寺:曹洞宗。草創は本山・永平寺より2年古い。開山した記外和尚は三度宗に渡航し、帰国の際に皇帝より宝物を賜り、現在も寺宝として残る。本尊の聖観音もその一つで県有形文化財。

大善寺蛸浦観音:別名「蛸浦観音」。ご本尊は本村小向の佐々木家にて寄贈したものという。尾崎山の麓の海岸にあり神社に祀られている。 

大槌城:大槌城(おおつちじょう)とは、岩手県上閉伊郡大槌町にかつて存在した日本の城(山城)。代々、大槌氏が城主を担当した。室町時代に大槌次郎によって築造されたといわれている[1]。浜崎城とも呼称されていた。規模は東西が700m、南北が100mに及ぶ。

鍋倉城:築城年代は定かではないが天正年間(1573年〜1592年)に阿曽沼広郷によって築かれたと云われる。 阿曽沼広郷は代々遠野保を領し横田城を居城としていたが、猿ヶ石川の度々の反乱に川向かいに住んでいる諸士の往来に不都合であったため、鍋倉山に新城を築いてた。この新城も横田城と称していたが、南部氏の治世となって鍋倉城と改称された。慶長5年(1600年)広郷の子広長のとき、南部利直に従って山形に出陣中に一族で鱒沢城主である鱒沢広勝の謀叛によって遠野を乗っ取られ、以後南部領となった。寛永4年(1627年)八戸から南部直義が遠野に約一万石で転封となり、城を改修して城下町を整備した。このとき横田城から鍋倉城へと改称した。直義は南部家の重臣として盛岡に居ることが多かったため、先代で養母である清心尼が遠野の政治に関わることが多かったようである。以降、八戸南部氏(遠野南部氏)が代々続いて明治に至る。

土沢城:慶長17年(1612年)南部氏によって築かれ、縄張は南部家臣野田内匠頭直盛が行ったという。最初の城主は新堀城主江刺隆直で二千石を与えて移駐させたという。南部氏は度々伊達氏と国境を巡って小競り合いがあり、伊達氏が築いた浮牛城に対する備えとして国境に近いこの地に拠点となる土沢城を築いた。江刺氏は葛西氏の重臣であり、奥州仕置きにより改易された葛西氏の旧臣を操る伊達氏を牽制する役目も担っていたとされる。 寛文10年(1670年)の総検地に際して廃城となり、その後も城内小路を統治所として七代続いたが江刺氏は天明元年(1781年)お家騒動によって断絶した。

花巻城:築城年代は定かではない。古くは前九年の役の安倍頼時の磐基駅に擬定されている。花巻城の前身は鳥谷ヶ崎城といい稗貫氏の居城であった。稗貫氏の出自は諸説あるが、鎌倉時代頃に稗貫郡に入部し、はじめ小瀬川館(あるいは瀬川館)を居城とし、ついで本館(十八ヶ城とも)、最後に鳥谷ヶ崎城を居城とした。永享8年(1436年)南部を支援した薄衣氏が稗貫氏の十八ヶ城を攻めた際にここに陣を構えていることから、鳥谷ヶ崎城の築城はそれ以後という。天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐に参陣しなかったため、稗貫広忠は奥州仕置で領地を没収され、鳥谷ヶ崎城には浅野長吉が滞在し、長吉は浅野重吉を目代として置いた。稗貫広忠は和賀義忠が浅野家臣後藤半七の籠る二子城を攻めた際、これに呼応して鳥谷ヶ崎城を攻め落とし奪還に成功した。しかし、天正19年(1591年)には一揆を平定する秀吉の軍勢に二子城・鳥谷ヶ崎城ともに落城し、稗貫広忠は大崎氏を頼って落ちたという。一揆平定後、南部家臣北秀愛が八千石を領して花巻城代となり近世城郭へと改修された。慶長3年(1598年)秀愛が死去すると替わって父北信愛が城代となる。 慶長5年(1600年)南部氏が山形に出陣中のときを狙って和賀忠親が一揆を起こし花巻城へ押し寄せた。一揆軍は本丸まで攻めよせたが、信愛は城内にいた13名の士卒と婦女子だけで持ちこたえ、北十左衛門の援軍が駆けつけ一揆軍を退けた。慶長18年(1613年)信愛が没すると南部利直の次男政直が二万石で城主となった。 政直没後は嗣子なく城代が置かれ、以後明治に至る。

17:00終了。花巻空港に向かう。
17:30花巻空港到達。
18:55花巻空港出発。
20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、東北の岩手県に足を運び、点在する奥州三十三観音5か所、お城7箇所をめぐり楽しみました。
藤原家やその他の武家で歴史的に深い岩手県、立派な霊場、立派なお城が目白押しでした。
ほとんどの城跡は城跡公園と変化し規模の大きさを物語っていました。

世界遺産の平泉は何回か訪れたことがありましたが整備ができすぎ、道路も広く、きれいに仕上げており、観光に力を入れすぎて逆に歴史を感じないような景観のような気がします。
整備しすぎてきれいすぎる、古さを感じない歴史を感じない、改築した建造物がほとんどで現存する歴的建造物は数少ないのは残念です。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百二十六弾:岩手県SL銀河観光
2015年9月5−6日

北海道に次いで2番目の面積を持ち、世界遺産平泉で有名な岩手県に足を運び、C58 239を復元し釜石線・花巻〜釜石間で運行しているSL銀河号に乗車し、岩手の町並み、釜石、遠野、花巻を訪れめぐりました。

「SL銀河」

C58 239を復元し運行する列車は、釜石線・花巻?釜石間を運行。牽引する客車については、釜石線沿線を舞台に描かれた宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を代表的なテーマとして列車全体をプロデュースし、宮沢賢治の世界観や空気感、生きた時代を共有する事で東北の「文化・自然・風景」を感じていただける車内空間となっています。


5日17:00伊丹空港出発
18:15花巻空港到達、バスで花巻空港駅に向かう。
19:00花巻空港駅到達、
19:15花巻空港駅出発、釜石に向かう。
21:55釜石駅到達、歩いて10分のホテル到着後近くの居酒屋で食事を済ませて就寝。
6日9:00出発、釜石周辺を散策。

岩手県の沿岸部に位置する釜石市。
釜石市は、岩手県の南東部、三陸復興国立公園の中心に位置し、世界三大漁場の一つ北西太平洋漁場の一角をなす三陸漁場と典型的なリアス式海岸を持つ市である。
海と山に囲まれた風光明媚で、さらに鉄とラグビーのまち。

10:55釜石駅SL銀河で出発
12:41遠野駅到達、散策。

遠野市は、岩手県内陸部にある都市である。 柳田國男の遠野物語のもととなった町であり、河童や座敷童子などが登場する「遠野民話」で知られる。

13:54遠野駅出発
15:20花巻駅到達、散策。

花巻市は、岩手県の中西部に位置する市である。市の西部に観光地として花巻温泉郷を擁する。 宮沢賢治生誕の地として有名である。

17:00花巻駅タクシーで出発花巻空港に向かう。
17:20花巻空港到達
18:55花巻空港出発
20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、北の岩手県に足を運び、釜石から花巻までの釜石線を走行するSL銀河号に乗車し釜石、遠野、花巻の町並みを訪れ散策し楽しみました。

大阪から岩手県の釜石までは遠く、飛行機で1時間余、空港から釜石までの電車釜石線は普通電車で3時間近くもかかります。釜石のホテルに辿り着いたのは22:00を過ぎていました。遠くて田舎をつくづく感じた岩手県SL銀河での岩手県観光でした。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百十七弾:岩手県東北三十六不動尊霊場&奥州三十三観音巡礼
2015年6月20−21日

東北地方に位置し日本で2番目に面積を持ち、世界遺産平泉で有名な岩手県に足を運び山形・秋田・青森・岩手・宮城・福島の東北6県をそれぞれ六波羅蜜の道場に見立て、各県で6つの札所を巡る東北三十六不動尊霊場4箇所、福島・宮城・岩手・の三県にまたがる、西国にならい、由緒や伽藍の規模なども他に誇りを得る寺院が多く、奥州の歴史文化を知る上でも貴重な文化財である奥州三十三箇所観音4箇所を巡りました。

20日伊丹空港17:00出発
18:25花巻空港到達、レンタカーで盛岡に向かう。
19:00盛岡駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
21日7:30レンタカーで出発、盛岡市内の霊場巡る。

永福寺:永福寺の創建は南北朝の頃に遡り、もと青森県三戸に創建された。縁起は、後醍醐天皇の詔宣により懐良親王が大聖歓喜天を遷座されたことに創まり、像は「高野大師作」と伝えられる。
 当地に移ったのは元和年間(1615年)藩主利直が居城を盛岡に移したことに依る。この時南部氏累代の祈願寺であった永福寺も移し、新城の鬼門除けとして東北の地に伽藍を建立した。ときに盛岡五山を定めて筆頭に位し、領内社寺の総録として寺領八〇〇石を付与された。

八幡平方面に向かう。

聖福寺:境内に奥州三十三箇所第三十一番所札所白坂観音堂がある。もと鹿角街道沿い七時雨山麓にあったが、大正8年(1919年)観音堂別当南嶽院の還俗によって聖福寺に移されたものである。この堂は、神亀5年(728年)に聖武天皇の勅願により行基が創建したと伝えられ、桂清水(天台寺)、御堂観音(正覚院)とともに、三観音あるいは兄弟観音と呼ばれている。

正覚院:天台宗。「御堂観音」と呼ばれる。開創は坂上田村麻呂が、蝦夷制定の際の犠牲者を供養するために建立したと伝えられる。前九年の役(1051)で、安倍氏に勝利した源義家は、観音堂を改築し護持仏を奉納した。

天台寺:岩手県二戸市浄法寺町にある天台宗の寺院。山号は八葉山。1976年、中尊寺貫主であった今春聴(作家今東光)が特命住職として晋山、本尊十一面観音像(丈六立像)の造立を発念し復興に着手したが、着任まもなく宿阿の結腸癌に斃れた。のち瀬戸内寂聴が住職として後任を勤め復興の責を果たした(現・名誉住職[1])ことで知られる。毎月1回の法話の日には、境内に入りきれない程の参拝客で賑わう。

宮古方面に向かう。

長根寺:長根寺の伝説によると、宮古市小山田に大同年間(807年)坂上田村麻呂が閉伊の蝦夷征討の折に勧請されたと伝える薬師堂があり、その社に保存されている鐘がある。その銘に曰く、黒森に観音長根に弥陀仏を奉祀し三所一体の霊場とする意味のものである。本薬師の勧化帳に嘉永元年(1848年)黒森権現、長根寺共に田村麻呂の草創也とある。

遠野方面に向かう。

福泉寺:
遠野物語で有名な遠野盆地にある福泉寺の寺史はさほど古くはない。大正元年(1912年)佐々木宥尊が開創した。
 一本彫りの大観音像があり、これは日本最大だという。住職自らの力作で、断食行をかさねて、二十年の歳月を要して完成した、総高17メートルの巨大像である。
 また、ここからは遠野盆地が一望でき、絶景の一言につきる。


奥州方面に向かう。

興性寺:興性寺は、元和八年(1622年)宮城県栗原郡より移転し、岩谷堂城伊達氏(岩城氏)の祈願寺として、近隣からも格式高く扱われていたお寺である。移転時の開祖は多門院興性である。はじめ岩谷堂城付近にあったが、岩谷堂城代・藤田但馬守のとき現在地に移った。ちなみに、興性寺の山門は岩谷堂城裏門の遺構である。

黒石寺:国指定の重要文化財 木造薬師如来坐像には貞観4年(862年)の年紀を含む墨書銘が記されていて木彫の仏像では日本最古なそうだ。

16:30花巻空港に向かう。

17:10花巻空港到達。
18:55花巻空港出発。
20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、東北の岩手県に足を運び、岩手県広範囲に点在する東北三十六不動尊霊場4箇所、奥州三十三箇所観音4箇所を巡り楽しみました。

広い岩手県、霊場が散らばっておりほとんど移動に時間を取られました。

東北三十六不動尊霊場は立派な寺院が多く素晴らしかった。

ドライブが主となった岩手県霊場めぐり観光でした。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第六十八弾:岩手県盛岡タウン&八幡平観光
2009年8月1−2日


先月に続いて今年2回目の岩手県の訪れ、今回は北上川、中津川が流れ、水と緑にあふれ、グルメや伝統工芸など岩手の特産物が数多く集まっている盛岡タウンと岩手と秋田の県境にあり、原生林、湿原、高山植物など貴重な自然にあふれて、周辺には秘湯が点在しドライブやトレッキングを楽しめる八幡平・安比高原に足を運びました。

1日14:30伊丹空港出発
15:55花巻空港到達、レンタカーで盛岡に向かう。
16:45盛岡駅付近のホテル到達
17:00盛岡タウン散策

明暦2(1656)年に架設され、盛岡城下の北の玄関口で、藩は材木町に惣門を設け、御番所を置いていた夕顔瀬橋をわたる。

北上川の東岸、旧盛岡高等農林学校へ通った宮沢賢治が歩いた材木町の通り。賢治ゆかりの光原社、南部古代型染といった店が並び、背広姿の賢治が腰掛ける石座など6つの賢治のモニュメントもあるいーはとーぶアベニュー材木町を散策する。

石川啄木が1905年(明治38)に1ヵ月間、節子と両親、妹で暮らした家。節子が愛用した琴などを保存する啄木新婚の家を訪れる。

盛岡地方裁判所前庭にある、巨大な花崗岩の間に育った樹齢約350〜400年のエドヒガンザクラ。国の天然記念物にも指定されており、市内でいち早く花を咲かせる石割桜を見物。

昭和天皇のご成婚を記念して建てられ、昭和2年に完成。日比谷公会堂と同じく佐藤功一氏による設計で、外壁をレンガで飾ったモダンな造りは当時も注目を集めた。地下に、フランス料理の老舗レストラン公会堂多賀がある岩手県公会堂を訪れる。

中津川に架かる上の橋の欄干には、18個の擬宝珠が付けられている。擬宝珠とは手すりや橋の欄干に付ける飾りのこと。青銅製で1609年(慶長14)の銘が残る上の橋擬宝珠を渡る。

盛岡出身の画家・深沢紅子の美術館。花に向かい合った深沢紅子の世界は、多くの来館者に安らぎと癒しの空間として親しまれている。深沢家から盛岡市に寄贈された野の花の水彩画200点を中心に、サムホールから100号までの油彩画を季節に応じて、いろいろなテーマで企画展を開催する深沢紅子野の花美術館の前を通る。

城下町のたたずまいを色濃く残した街並。昔なつかしい望楼のある番屋、白壁と貼り瓦、格子戸の低い軒が続く商家ござ九などが建ち並ぶ。盛岡を代表する南部紫根染の店もある。中津川に面する裏側の土塀、土蔵は川岸の石垣とあいまって、盛岡を代表する景観の紺屋町界隈を散策。

中ノ橋のたもとに立つ、ルネッサンス風赤レンガの建物。明治44年(1911)に旧盛岡銀行本店として建てられた国の重要文化財で、現在も現役の銀行の岩手銀行中ノ橋支店を見学。

繁華街で食事を済ませて床に就く。

2日4:00レンタカーで出発、天候曇りのち晴れ、八幡平方面に向かう。

八幡平温泉と秋田県のトロコ温泉をつなぐ約27kmの道路。アオモリトドマツの樹海や岩手山、高山植物の群生など、雄大な風景が見られる八幡平アスピーテラインを走行。

八幡平温泉内で岩手山などを望むビューポイント。一周約1時間30分の遊歩道があり、ギンリョウソウ、ワタスゲ、ミズバショウなどの湿生植物が見られる。御在所沼や、湖面の色が変化することから五色沼と呼ばれる赤沼もある御在所園地を散策する。

茶臼岳と源太森の間にある湿地。木道があり、片道20分で、軽装でも回ることができる。ミズバショウ、ミツガシワなどの植物が見られる黒谷地湿地を散策する。

八幡平山頂に到達。岩手、秋田の両県にまたがる標高1400〜1600mの八幡平は、山頂まで軽装で登れる。ガマ沼、八幡沼などの火口湖が点在し、穏やかな高原風景が展開する。南に展望が開け、岩手山、秋田駒ケ岳が見渡せる。バス停から山頂・八幡沼・八幡平三大展望といわれる源太森を巡る遊歩道を散策する。

断層によって生まれた窪地に水がたまってできた断層湖。周辺の湿原は高山植物の宝庫で、一周30分の遊歩道も整備されている大沼の周囲を散策する。

後生掛温泉の玄関前から火山活動の博物館のようである。紺屋地獄と,おなめ・もとめ(妾・本妻)という湯元がある。これは一方が蒸気,もう一方が熱湯を噴出している。さらに登っていくとしゃくなげ茶屋があり,水と湯が半分ずつの大湯沼と泥火山とに向かって道が二手に別れている後生掛自然研究路を散策する。

東に戻って八幡平アスピーテラインの見返峠から松川温泉まで延びる約15kmの道路。ブナ、カエデの美しい木立が続く。途中には木々の間から水が流れる涼風の滝や、高温の源泉が湧きだす太古の息吹がある八幡平樹海ラインを走行。

1966年(昭和41)に日本初の地熱発電所として運転を開始。高さ46m、直径45mの巨大な冷却塔から白い蒸気がたちのぼる。松川地熱館では発電の仕組みを解説する松川地熱発電所を訪れる。

ブナ、ナラ、カエデ、モミジなどの落葉樹が多く、新緑から紅葉まで美しい自然が楽しめる松川渓谷を散策。

岩手山北東斜面の標高1200m付近に、幅1.5km・長さ約4kmにわたって広がる熔岩流。一帯には熔岩流観察路が整備され、間近で見ることができる。ゴツゴツとした黒い岩は、江戸時代の噴火で流れ出したマグマが冷えて固まったもの。噴火の激しさを物語っている。保存状態がよく、当時の噴火時間の記録が残るなど学術的にも貴重。国の特別天然記念物に指定されている焼走り熔岩流を散策。

安比方面に向かう。
総面積100haの広大な敷地を持ち酪農を中心とした生産牧場としての一面とアスレチックやファミリーひろば等、観光牧場としての一面を持つ総合牧場です。のんびりとを食む牛や馬を眺めながら様々なプレイスポットが点在し、新鮮な生乳から作られた美味しい牛乳やチーズを楽しむこともできる安比高原牧場を散策する。

安比ゴンドラに乗車しゴンドラ山頂駅からは遊歩道に沿って標高1,305mの前森山山頂へ。気軽にトレッキング気分を味わ、山頂からは眼下に広がるブナの二次林や岩手山・八幡平・七時雨山・姫神山などの大パノラマを楽しむ。

南下して雫石方面に向かう。
以前冬のスキーシーズンに訪れたことのある網張スキー場に到達、夏のスキー場の風景を楽しむ。

ブナ原生林を擁し、変化に富んだ渓流からのダイナミックな流れと、玄武の大岩屋の景観が多くの人を惹きつける。秋にはブナの黄色にモミジやウルシの赤が織り交ざった美しい紅葉が見られる葛根田渓流を散策する。


岩手県にある日本最大の民間総合農場である。盛岡市から西北約12kmに位置し、岩手山南麓に約3,000ヘクタール(900万坪)の広大な敷地面積を誇り、その敷地の3分の2が雫石町に属し、残り3分の1は滝沢村に属する小岩井農場を散策する。

小岩井農場内にある。酪農発祥地の上丸牛舎構内に、歴史と酪農技術を中心とした現在の事業紹介の場として開設された展示資料館を見学。

盛岡郊外に向かう。
盛岡出身者や盛岡にゆかりの深い、政治・産業・学術・芸術など各分野で活躍した130人の遺品や資料を展示。新渡戸稲造、米内光政、金田一京助などの偉業を紹介する盛岡市先人記念館を見学。

大正時代、日本最初の本格的政党内閣を組織。平民宰相と呼ばれた、盛岡市出身の原敬の遺品や書簡などの資料を展示する記念館。生家が保存され、鎌倉の腰越別荘の書斎も移築・復元されている原敬記念館を見学。

標高343mの岩山の山頂にある。盛岡市街や北奥羽連山を一望でき、昼も夜も絶好のビューポイント。山頂周辺は啄木望郷の丘として整備され、啄木詩の道には啄木の詩碑が10基ある岩山展望台を訪れる。

岩山山頂の展望台周辺に広がる、文学ファンや市民に親しまれている公園。昭和57年に石川啄木の没後70年を記念して建てられた啄木の銅像と、啄木・節子夫妻の歌碑がある。また、啄木生誕111年を記念して平成9年に設けられた啄木詩の道は、約200mの散歩道に「ふるさとの山に向かひて言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな」など、一首ずつ自然石に刻んだ詩碑が10基が配されている啄木望郷の丘を散策する。

羅漢堂に安置されている五百羅漢はすべて木彫りの漆塗。1731年(享保16)から、京都の仏師9人により4年の歳月をかけて造られたといわれる。マルコポーロやフビライといわれる像もある報恩寺を訪れる。

境内にある巨岩には鬼の手形が残り、鬼が二度とこの地には来ないと誓ったという伝説が残る。3つの岩は岩手山噴火の際に飛んできたともいわれ、残った手形から岩手、二度と来ないと誓ったことから盛岡を別名不来方こずかたと呼ぶようになり、さらに鬼が来なくなって村民が喜び、踊ったのがさんさ踊りの始まりだとされている三ツ石神社を訪れる。

花巻空港に向かう。

17:30花巻空港到達
19:00花巻空港出発
20:30伊丹空港到達。

今回の旅行、中津川、北上川、雫石川が流れ込む水の都、川沿いには四季折々に情緒あふれる風景が広がり又盛岡冷麺、じゃじゃ麺、わんこそばの3大麺で有名な盛岡タウン。

岩手と秋田の両県のまたがる広大な火山台地・八幡平、国定公園に指定される台地には湿原や湖沼群が点在し、四季ごとにスケールの大きい美しさを見せ付けてくれる八幡平のドライブ観光。

自然と歴史ある建造物の多い岩手県観光堪能いたしました。

当日曇りで天候は芳しくなかったですが比較的低い雲が多く、1000mを越える山頂では雲が下に存在し、八幡平、安比高原からの360度のパノラマ眺望を十分楽しむことが出来ました。

安比高原と網張り高原は冬のスキーシーズンには訪れたことがありましたが、夏の全く違った風景を楽しめたことに、四季折々にいろんな楽しみ方が出来ることを痛感しました。















飛行機で国内&海外の観光地巡り第六十五弾:岩手県平泉&釜石&遠野観光
2009年7月4−5日


今回は北海道に次いで日本では二番目の面積を持つ岩手県の世界遺産登録間近の平泉、陸中海岸南部の鉄の町、港町あふれる釜石、カッパ探しの旅に出かけようで有名で民話や伝説が残る町遠野に足を運びました。

4日14:30伊丹空港出発
15:55花巻空港到達、レンタカーで江刺方面に向かう。

奥州藤原氏第3代、藤原秀衡が過ごした豊田館近くに、平成5年の大河ドラマ炎立つロケのために建設された歴史公園。20ヘクタールの広大な敷地に国内唯一の寝殿造をはじめ平安時代の建築物を大小合わせて117棟が再現されており、まさに壮観。大河ドラマシリーズ、陰陽師などその後も多くのロケに使用されているえさし藤原の郷を散策する。

北上川の舟運に支えられ、交易の要衝として栄えてきた江刺市には、今でも100棟余りの土蔵が残る。白壁土蔵が集中する中町地区には、蔵を改装した黒壁ガラス館、蔵ギャラリーや飲食施設が軒を連ねる蔵まちモールがあり、歩行者専用道路も整備されている蔵の町江刺を散策する。

水沢方面に向かう。
水沢城主・留守氏に仕えた、内田家旧宅を中心とした施設。薬医門を表門に、主屋、塀重門、庭が残されている。敷地内の武家住宅資料センターでは、江戸時代の水沢城下の町並みが手にとるように分かる地図をはじめ、甲冑や火縄銃などの武具や生活道具を展示する奥州市武家住宅資料館を訪れる。

水沢出身の後藤新平(1857〜1929)は、東京市長、内務大臣、鉄道院総裁などを歴任し、大風呂敷の異名をとった政治家。後藤新平文書など、多くの資料を保存・展示する後藤新平記念館を訪れる。

斎藤實(1858〜1936)は昭和恐慌のなか、第31代内閣総理大臣に就任し、挙国一致内閣を組閣したが、2・26事件の凶弾に倒れた。生地に本人が建てた住居が保存、公開されている斎藤實記念館を訪れる。

水沢公園の一角にある記念館。幕末の蘭学者、高野長英(1804〜1850)の肖像画や夢物語、獄中で記した角筆詩文、鳥の鳴聲、高野長英の手紙などの遺品を展示。58点は国の重要文化財に指定されている高野長英記念館[水沢公園]を訪れる。

1348年(貞和4)、無底良韶禅師によって開創された曹洞宗の古刹。奥の正法寺の名で広く親しまれている。現在73カ寺の末寺を有し、その歴史と格式にふさわしい寺宝や伽藍を数多く保存。茅葺き屋根の本堂・庫裡・惣門の三棟は、国の重要文化財の奥の正法寺を訪れる。

水沢駅付近のホテル到着後水沢繁華街散策し食事を済ませてから床に就く。

5日6:00レンタカーで出発。天候曇りのち晴れ、時々小雨、平泉方面に向かう。

栗駒山を源とする磐井川両岸に、約2kmにわたって奇岩の連なる渓谷が続く。険しい灰色の岩と清流の織りなす川岸は、春は桜、初夏にはツツジ、秋は紅葉に彩られる。東屋では対岸から籠で運ばれてくる郭公だんごが味わえる厳美渓を散策。

原始から現代までを扱った一関のあゆみ、日本刀の源流舞草刀と刀剣、江戸時代の蘭学者大槻玄沢と蘭学、日本初の国語辞書編纂者大槻文彦と言海、江戸時代の数学一関と和算の5つの常設展示室からなり、それぞれ映像等を交えて紹介する一関市博物館に寄る。

安倍宗任の娘である藤原基衡の妻が建立したもの。境域は東西120m、南北約180mで西域に土塁の一部が残る。浄土庭園には大・小の阿弥陀堂が建っていたといわれている。現在ではその跡に発掘に基づいて舞鶴ケ池が復元され、芝生の広場が広がっている。池の東岸には鐘楼、普賢堂と伝えられる跡がある旧観自在王院庭園を散策する。

藤原秀衡が京都・宇治の平等院鳳凰堂にならって建てたという無量光院の跡。平等院よりも大きかったと言われるが、度重なる火災で消失してしまった無量光院跡を散策。ここから中尊寺へ向う前に4〜5分東へ道をそれると、秀衡の政庁であった平泉館跡(史跡)といわれる柳之御所跡を散策する。

藤原三代を中心とした平泉文化をはじめ、周辺市町村の歴史や文化を紹介。屋外には花立庵寺跡が公園化されており、そこから平泉の町並みが見渡せる平泉郷土館を見学。

850年(嘉祥3)に慈覚大師によって開かれた、天台宗の東北大本山。14世紀に金色堂と経蔵を残して焼失したが、その後さまざまな堂塔が再建されている。表参道の月見坂の入口で弁慶の墓と伝えられる五輪塔を見て、約1kmの坂を上る。中腹の東物見台からは、束稲山と北上川が一望。さらに鬱蒼と茂る杉木立の中に点在する堂塔を見るうちに金色堂に至る中尊寺を訪れる。

中尊寺月見坂入口から徒歩5分のところにある。1826年(文政9)の再建で、本尊の勝軍地蔵や弁慶衣川立往生の等身木像などがある弁慶堂(愛宕堂)を訪れる。

中尊寺月見坂入口から徒歩10分のところにある宝物館。平安時代の仏像や経典、藤原氏三代の棺と副葬品など、山内17カ院3000点余の国宝・重要文化財の多くを収蔵している讃衡蔵を訪れる。

中尊寺境内にある、藤原氏4代の廟所。1124年(天治元)、清衡と女性3人の建立と伝わる。鉄筋コンクリートの覆堂で保護された堂の内外は漆に金箔が押され、柱や須弥壇には金銀珠玉がちりばめられている。須弥壇の中には、中央に清衡、向かって左に基衡・右に秀衡の遺体を安置。秀衡の側に4代泰衡の首級を納める。壇上には本尊阿弥陀如来を中心に、黄金に輝く33体の仏像が安置されている金色堂を訪れる。

中尊寺東方には、藤原秀衡を頼って落ち延びた源義経の館があった場所。山頂の義経堂には、義経公の尊像が安置されている。芭蕉が夏草や兵共が夢の跡と詠んだ地でもあり、入口の階段を上った右側には芭蕉や曽良の句碑が立つ。眼下に弁慶が立往生した衣川、北上川も眺望できる高館義経堂を訪れる。

850年(嘉祥3)、中尊寺と同じく慈覚大師が開いた天台宗の別格本山。藤原基衡・秀衡の時代、金銀をちりばめ、紫檀、赤木をつぎ、万宝を尽くしたといわれる伽藍や堂塔40、僧坊500が建ち並んでいた。吾妻鏡に霊場の荘厳吾朝無双なりと記され、中尊寺をしのぐ華麗さを誇ったといわれるが、1226年(嘉禄2)の大火を初めとする相次ぐ兵火や野火で焼失。現在は再建された本堂や常行堂などが立つ毛越寺を散策する。

毛越寺境内にある宝物館。国の重要無形文化財に指定されている「延年の舞」に使われる道具、支院の仏像などの宝物を収蔵・展示している宝物館を見学。

毛越寺一山の根本道場。平安様式の建物で、1989年(平成元)に再建された。本尊は平安時代作の薬師如来。両脇には日光・月光菩薩、さらにその周りには本尊を守護する四天王が安置されている本堂を訪れる。

毛越寺境内に2代藤原基衡が造園した、日本最古の浄土庭園。州浜や築山、出島石組と池中立石が配された大泉ケ池を中心に、浄土を地上に表現したといわれる。平安時代の作庭様式を伝える貴重な遺構の遣水は、池に水を取り入れるための水路。玉石を底に敷きつめ、水の曲がり角や池への注ぎ口には石組みが配されている。毎年5月第4日曜、平安貴族の装束をまとった歌人たちが遣水に盃を流し、和歌を詠む曲水の宴が優雅に行われる。国特別史跡、特別名勝。毛越寺庭園を訪れる。
毛越寺境内にある天台宗修法道場。現在の建物は、仙台藩主・伊達吉村の武運長久を願い、1732年(亨保17)に再建されたもの。宝形造りで、須弥檀中央に本尊の宝冠を被った阿弥陀如来、両側に四菩薩、奥殿に摩多羅神が祀られている常行堂を訪れる。

毛越寺と厳美渓を結ぶ県道沿いにある。801年(延暦20)、農民たちを苦しめていた悪路王らがこもっていた窟といわれ、これを討った坂上田村麿が、戦勝の御礼として108体の毘沙門天を祀る精舎を建立した。1946年(昭和21)の火災により焼失したが、1961年(昭和36)に再建され、現在も27体の毘沙門天が残る。堂の左側の岩壁には、11世紀に刻まれた北限の磨崖仏とされる岩面大仏がある達谷窟毘沙門堂を訪れる。

砂鉄川が北上山地の岩肌を侵食してできた渓谷。川の両岸には約2kmにわたり、高さ30〜100mの奇岩が連なるげいび渓を舟下りして観光する。

気仙沼方面に向かう。
宮城県の唐桑半島東岸の2つの岬。巨釜は湯が煮えたぎるように波が巻き、高さ16mの大理石の折石が立つ。半造は海食洞が多く、トンネル岩、潮吹岩などがある巨釜・半造を散策する。

太平洋側を北上して気仙川の河口から広田湾に沿って、2km続く砂浜海岸。背後には、寛文年間(1661〜73)に砂防林として植えられたという数万本の黒松・赤松が茂る。松原の中には、石川啄木歌碑や高浜虚子句碑が立つ高田松原を散策する。

釜石方面に向かい、近代製鉄発祥の地を物語る記念館。日本最古の洋式高炉原寸大模型は高さ14.1mで、断面が見られる。幕末の鉄づくりの模型もある。展望テラスから釜石湾を眼下にできる釜石市立鉄の歴史館を見学。

釜石湾を見下ろす、高さ48.5mの鉄筋コンクリート製の魚籃観音像。胎内は13階に分かれ、地上38mの展望台からは左に馬田岬、右に尾崎半島が見渡せる釜石大観音を上る。

西の遠野方面に向かう。
常堅寺境内の裏を流れる小川。ここにはカッパが多く住んでいて、人々を驚かしていたといわれている。岸辺にはお乳の神様・カッパ神も祭られている。裏手の一帯は安倍貞任一族の屋敷跡カッパ淵[常堅寺]を訪れる。

遠野地方の農家の生活形態を再現し、重要文化財の菊池家曲り家、柳田國男に昔話を話した佐々木喜善に関する資料館などがある伝承園を訪れる。

遠野物語の話し手・佐々木喜善の生家裏手の丘陵。ここは60歳になった村人が捨てられたという伝説が残る。非生産者とみなされた老人たちは、ここで自給自足の生活を送ったといわれる。また、死者の霊が通る場所ともいわれているデンデラ野を訪れる。

遠野物語の第11話に出てくる、幅7m、奥行5mの石に厚さ2mの巨岩が乗っている巨石遺構。古代人の墓とも、武蔵坊弁慶が持ち上げて作ったともいわれている。近くの羽黒神社にも巨石・羽黒岩がある続石を訪れる。

約200年前に建てられた豪壮な南部曲り家。昔は、作男15人を含め、25人の家族、馬20頭が同じ屋
根の下で生活していた。建物の一部を展示室として公開する南部曲り家千葉家を見学。

花巻方面に向かう。
18:00花巻空港到達。
19:00花巻空港出発。
20:30伊丹空港到達。

今回の旅行、観光で有名な岩手県、特に花巻から南の方面を訪れました。
世界遺産の話題で注目を集める平泉、蔵の町並みが残る江刺、自然の見所が点在する厳美渓・猊鼻渓、リアス式海岸で有名な陸中海岸の南部の製鉄で有名な釜石、カッパ淵や民謡などで話題の多い、懐かしの風景や自然が今もまだ残っている遠野をドライブ観光し自然と文化の新しい発見に有意義な日々を送ることが出来ました。

岩手県は観光の町です。車の数の割には道路は整備され渋滞もなく、ストレスの掛らない快適なドライブを味わうことが出来ます。観光地も整備されニューリアルして新鮮で気持ちよく周ることが出来ました。

しかし今話題の世界遺産登録間近の平泉、大変整備されていて、新しく綺麗ですが文化遺産の建物のほとんどが明治以降の再建であり、純粋に当時の現存する建物はごくわずかなのは残念です。度重なる火災で焼失したのですね。残念でなりません。
残念ながら世界遺産の登録が延びているのがなんとなくわかるような気がする観光旅行でした。















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三十弾:岩手三陸海岸観光
2008年5月31日−6月1日


今回は東北の岩手にあるリアス式海岸、三陸海岸に行ってきました。

5月31日17:00関西国際空港出発、
18:25花巻空港到達、レンタカーで盛岡に向かう。
19:00盛岡駅の近くのホテル到達、盛岡市街地を散策して食事を済ませてから宿を取る。

6月1日5:00出発、天候曇り時々雨。

盛岡市内の不来万城とも呼ばれた盛岡城の跡地を整備した公園、南部藩20万石の居城であったその面影は、巨大な花崗岩を積んだ石垣に残され、市民の憩いの場とされている盛岡城跡公園(岩手公園)を訪れる。
近くに盛岡タウンのシンボル的な存在で、赤レンガの壁と緑のドームが印象深い建物、国の重要文化財に指定されている岩手銀行中ノ橋支店を見学。

東、三陸海岸方面に向かう、途中、北上山地中央部に脈々と受け継がれる山仕事の民具、山村生活道具などを多数展示、北上山地川井村の山村生活用具コレクション1345点が、国の重要文化財に指定されている川井村北上山地民俗資料館を通り過ぎてから宮古に向かう。

宮古の海岸線にノコギリの歯のような形に浮き出た奇岩が海面から突き出している浄土ヶ浜を訪れる。

海岸線を北に向かい、高さ50mの男岩を中心に、女岩、太鼓岩という3つの巨岩が海面から聳え立つ三王岩、茂師海岸と小本海岸の中間に位置する海食洞、海に突き出した岬の形が熊の鼻ににている熊の鼻展望台、高さ約200mの絶壁が弧を描いてそそり立っている鵜の巣断崖、約700mの断崖が8kmにわたって屏風のように連なる豪快な絶壁、その雄大さから海のアルプスと称される北山崎、黒崎岬の先端に建つ、日本の灯台50選の一つに選ばれた白亜の灯台、黒埼灯台、紫の小豆砂が弧を描く陸中海岸国立公園内の海岸、十府ヶ浦海岸、断崖と赤銅色の岩礁の海岸でつりがね洞やかぶと岩などの奇岩も多い、小袖海岸を訪れる。

久慈に到達、石油備蓄基地を利用した地下水族館、もぐらんぴあを見学後、北の八戸方面に向かう。

数百種類におよぶ希少な植物の宝庫でもある種差海岸、砂のきれいな白浜海水浴場、面積約10万4000mの海の見える自然公園、貴重な山野草が群生しているプレイピア白浜、国指定の名勝地種差海岸の一角にあり、180度以上太平洋を見渡せ、晴れた日には遠くの下北半島を眺めることが出来る葦毛崎展望台、ハイテクを使って楽しく遊びながら学べる科学館、八戸水産科学館マリエント、昭和18年に埋め立てられ、陸続きになった小島、島の頂上には漁民の守り神、蕪島神社があり、大正11年にウミネコの繁殖地として天然記念物に指定された蕪島を訪れる。

八戸市内に向かい、建武元年に南部師行によって築城された根城、本丸や主殿などが堂々とした姿で復元されている八戸市史跡根城の広場を訪れる。

八戸自動車道、東北自動車道経由して花巻インター下車。

詩集春と修羅や童話銀河鉄道の夜、注文の多い料理店など多くの作品を遺した宮沢賢治、農民、科学者としての側面もまじえ、信仰、芸術、科学などの分野からその生涯を紹介する宮沢賢治記念館、賢治情報を気軽に検索、賢治について学べる施設、賢治の広場を見学する。

18:00花巻空港到達、19:00出発。
20:20大阪伊丹空港到達。

今回の旅行、岩手県は冬のスキーシーズンには2回訪れたことがありましたが夏の岩手は初めて、日本で一番広い面積を持つ県で盛岡から宮古、三陸海岸を北上して久慈、青森の八戸まで足を延ばし、豪快な迫力のある三陸海岸の自然遺産を巡り堪能しました。

但し、今回、天候が芳しくなく標高の高い北山崎、鵜の巣断崖は霧が濃く十分な眺望を見渡すことが出来ませんでした。