石川

飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十七弾:石川県金沢タウン観光
2012年4月14日ー15日
 

古都の城下町から日本海、白山山麓と豊かな自然に囲まれた石川県に足を運び、しっとりとした風情と伝統が息づく加賀百万石の城下町、見事な庭園美の兼六園をはじめ、最新の現代アートが楽しめる金沢21世紀美術館、艶やかなひがし茶屋街、おいしい和菓子にすてきな伝統工芸、旅の醍醐味が凝縮されているエリア、金沢タウンを訪れました。

14日13:42大阪駅サンダーバードで出発
16:24金沢駅到達、駅周辺を散策する。

17:30駅付近のホテル到着後近江町市場方面に向かう。

280年の歴史を誇るこの市場は生鮮産品を主体にした「金沢市民の台所」と位置付けられ、市民からは「おみちょ」と呼ばれ親しまれています近江町市場を訪れ海鮮丼を召し上がる。

20:00ホテル到着後就寝。

15日7:00歩いて出発、主計町茶屋街方面に向かう。

19世紀末にエジソンが発明した蓄音器。20世紀半ばまで多くの人々に親しまれてきたが、デジタル化された現代ではほとんど見られなくなった。ここではその歴史やしくみの展示だけでなく、音色を聴くこともできる。蓄音器など540台、SPやLPレコード約2万8000枚を収蔵。サロンでのSPレコード鑑賞会、毎日11時・14時・16時の聴き比べ実演などで温かな音色を楽しめる金沢蓄音器館の前で記念撮影。

石川の菓子文化にふれることができる。江戸時代からの落雁の木型などが展示されているほか、20名以上の団体向けに和菓子作り体験も開催している石川県菓子文化会館を訪れる。

泉鏡花の生家跡に建てられた記念館。幻想的で人情味あふれる作品や、鏡花本人の魅力を体感できる。第1展示室ではこれまで上演されてきた演劇や映画のスチール写真、初版本の挿絵などを展示し、作品に登場する美しい人や本を紹介。第2展示室は旅行鞄やキセルなどゆかりの品々の展示ほか、代表作品の朗読が聴けるサウンドコーナーを設置している泉鏡花記念館の前で記念撮影。

1869年(明治2)に開かれた茶屋街。ひがし・にしともに、大店の旦那衆の社交の場として栄えた。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。浅野川大橋から中の橋までの浅野川南岸に、美しい格子戸の料亭が立ち並んでいる主計町茶屋街を散策する。

ひがし茶屋街方面に向かう。

かつての東の廓。廓といっても伝統と格式を誇り、文人や裕福な商人たちの社交場で、芸妓たちも琴・謡曲・茶の湯など、京都の祇園に並ぶ洗練された芸を身に付けていた。石畳の通りの両側には細かい木虫籠格子のはまった家々が軒を連ね、情緒たっぷり。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定のひがし茶屋街を散策する。

築約190年の規模を誇る大きなお茶屋。金沢市指定保存建造物に選定されている。数々のドラマや映画の舞台にもなっている館内を、昼は一般に広く公開し、夜は今もなお、一見さんお断りで1日に1組だけ華やかなお座敷があげられている懐華樓を訪れる。

1820年(文政3)の建築当時のままに残る、お茶屋の建物。国の重要文化財に指定されている。2階が客間で押入れや物入れを造らず、あくまでも遊芸を主体とした優美で繊細なお茶屋特有の粋な造り。お客が床の間を背にして座ると、その正面が必ず控えの間になっていて、その控えの間が演舞の場となって芸妓が艶やかな舞や三弦などの遊芸を披露する。1階には囲炉裏・石室・井戸なども、江戸時代のままに残る志摩を訪れる。

加賀百万石の前田利家公の守り本尊である、摩利支天をまつる真言宗の寺。日本三摩利支天のひとつで、毎朝護摩修法が行われる必勝祈願の霊場の宝泉寺を訪れる。

一般に七稲地蔵の名で通っているとおり、境内には稲を抱いた7体の地蔵が立っている。1858年(安政5)、地震や長雨による凶作が続き米価が暴騰。飢えた民衆が当時町人入山禁止だった卯辰山に入り込み、米が高くて食べられないと直訴したいわゆる泣き一揆が起こった。7体の地蔵は、この一揆で処刑された首謀者7人を祭ったものの寿経寺を訪れる。

南の方面に向かう。

1階では下絵に丹念に色を挿していく手描友禅の実演をはじめ、制作工程などを紹介。また、地階にはハンカチに型紙を当てて図柄を描き込む友禅の手作り体験コーナーや、加賀友禅のネクタイなどの即売コーナーもある加賀友禅伝統産業会館を訪れる。

赤レンガ造りの瀟酒な建物(重要文化財)は見るだけでも価値あり。1909年(明治42)に旧陸軍兵器庫として建てられ、のちに市立美術工芸大学の校舎に使われた。館内では古代の蝦夷穴古墳や近代製糸工場の再現など、石器時代から現代までの県の歴史と文化を分かりやすく展示している石川県立歴史博物館を訪れる。

石川県にゆかりのある美術工芸品の宝庫。野々村仁清作の国宝『色絵雉香炉』と重要文化財『色絵雌雉香炉』を常設展示。併設のカフェはパティシエの辻口博啓氏がプロデュースしている石川県立美術館を訪れる。
 
金沢の酒造家であり、茶人でもあった中村栄俊氏が収集した国重要文化財の夢窓疎石墨跡や南蛮蒔絵硯箱、雲井の銘がある青井戸茶碗など茶道美術の名品を中心に、書、絵画、古九谷、加賀蒔絵、加賀象嵌など約700点を所蔵。年4回展示替。毎回約60点を公開。また、1階の休憩室では庭園を眺めながら抹茶で一息つける金沢市立中村記念美術館を訪れる。

兼六園や金沢城公園近くの観光ゾーンにある現代美術館。有料の展覧会ゾーンはここでしか出会うことができない作品も多く、気軽にアートと触れ合うことができる。交流ゾーンは通り抜けも自由というこれまでにないオープンな雰囲気の金沢21世紀美術館を訪れる。

加賀藩前田家が、武家の式楽として保護、育成を図ったことから発展した金沢の能楽の歴史や伝統を紹介。能面や豪華な能装束をはじめ能楽に関する資料を映像や模型なども使って展示している金沢能楽美術館を訪れる。

大正時代の建物の趣はそのままに、2010年(平成22)に旧石川県庁をリノベーション。周辺の総合観光案内や無料の休憩スペースのほか、ポール・ボキューズをはじめ、工芸品のセレクトショップなどが出店する石川県政記念しいのき迎賓館を訪れる。

2008年にリニューアルオープンし、有料ゾーンの石川近代文学館と無料ゾーンの石川四高記念館を併設。石川県ゆかりの文学者の資料や、旧制第四高等学校の資料を展示している石川四高記念文化交流館を訪れる。

にし茶屋街方面に向かう。

1585年(天正13)、前田利家が前田家の祈願所として金沢城付近に建立。その後、3代藩主・利常が幕府からの攻撃に備え、1643年(寛永20)現在地に移築した。本堂に続く庫裏は外観が2階建て、内部が4階7層。23の部屋と29の階段がある。物見台ともとれる本堂屋上の望楼、金沢城への地下道と伝えられる大井戸、隠し部屋や隠し階段、ドンデン返し、抜け穴などもあり、別名・忍者寺ともよばれるほど複雑な構造。巧妙に外敵の目をあざむけるようになっている妙立寺を訪れる。

金沢の地名の由来に登場する芋掘藤五郎が、奈良時代に建立したといわれる寺。本堂に安置される本尊は、国の重要文化財に指定された阿弥陀如来像だ。像高21cmと小さいが、大ぶりな頭や手に重量感がある金銅仏。藤五郎夫婦の像や藤五郎の墓もある伏見寺を訪れる。

前身の西の郭は1820年(文政3)、12代藩主・斉広が公許を与えて妓楼地区を定めたのが始まりで、東の郭(現ひがし茶屋街)とともに誕生した。かつての賑わいにはおよぶべくもないが、今も木造のお茶屋と、大正11年に建てられた検番が当時を偲ばせる。夕方になると軒下に灯がともり、独特の風情を醸し出しているにし茶屋街を散策する。

西の郭で育った異才の作家・島田清次郎が幼い頃移り住み、小説『地上』の舞台ともなった吉米楼をその跡地に再現した資料館。1階は大正時代を彷彿とさせる室内に清次郎の関係資料を展示。2階は客をもてなすための座敷で、太鼓や三味線などが置かれ当時の華やかな雰囲気がうかがえる金沢市西茶屋資料館を訪れる。

泰澄大師(682〜767)を創始とする密教寺院。室生犀星が、幼年期に養子として引き取られた寺として有名だ。彼がその暗い生い立ちを抒情的に書き綴った『幼年時代』は、犀星の出世作として知られている。住職に宛てた書簡・初版本などの貴重な資料を展示する資料室のほか、門前には江戸の文政十年に行方不明の子供をたずねる岩知板の役をつとめた石「まよい子ここへもて来べし…」と刻まれた迷子石がある雨宝院を訪れる。

室生犀星生誕の地に2002年8月にオープンした記念館。犀星の遺品や直筆原稿、書籍などが展示される室生犀星記念館を訪れる。

武家屋敷方面に向かう。

かつては藩主の荷を運んだ水路で、ゴリや鮎もとれたという大野庄用水。その東側の小路に一歩足を踏み入れれば、江戸時代に逆戻りしたかのような武家屋敷跡に入る。両側に土塀が連なる細い道は、突き当たっては曲がる迷路のよう。戦いの際に敵が一気に侵入するのを防ぐ構造になっている。土塀にのった光沢のある瓦は雪や雨の多い北陸地方独特のもので、釉薬をかけて焼いてある長町武家屋敷跡を散策する。

長町で唯一、一般公開されている武家屋敷跡。代々奉行職を歴任してきた加賀藩士・野村伝兵衛信貞の屋敷跡で、格式を重んじた当時の様式を見学できる。特に、加賀藩のお抱え絵師で狩野派の画人・佐々木泉景による山水画をほどこした襖や、総檜造りの格天井、ギヤマン入りの障子戸などは、文化財的な評価も高い。また、庭園には樹齢400年のヤマモモやシイの古木、六尺に及ぶ大雪見灯篭、さくらみかげ石の大架け橋などが配置され、濡れ縁のすぐ下にまで迫る曲水、落水を配した佇まいからは、屋敷と庭園とが調和した造りを感じられる。また、石造りの階段を上ると茶室があり、眼下に庭園を眺めながらお抹茶を頂ける武家屋敷跡野村家[長町武家屋敷跡]を訪れる。

金沢城方面に向かう。

加賀藩祖の前田利家公と、正室お松の方を祀る神社。前田家代々の世嗣が住んだ金谷御殿の跡で、ギヤマンをはめ込んだ和洋折衷の神門(重要文化財)が目をひく。高さ25m。特にギヤマンが夕日に映える頃が美しい。琴や琵琶をかたどった橋や島を配した池泉回遊式庭園、金沢城の遺構である東門も見ておきたい尾山神社を訪れる。

1583年(天正11)、前田利家が金沢城に入城した直後から本格的な城づくりを開始。約30万平方mの敷地に20もの櫓をもつ城だったが、たび重なる火災から石川門と三十間長屋、鶴丸倉庫のみが残った。一時は金沢大学のキャンパスとして使用。現在は金沢城公園として整備され、復元した菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓などが立つ金沢城公園を散策する。

金沢城公園の中にある国の重要文化財。現存の長屋は1858年(安政5)に再建。現在の長さは二十六間半で武器弾薬の倉庫としても使用された三十間長屋[金沢城公園]を訪れる。

金沢城址の北、大手門跡の前にある。1599年(慶長4)に徳川家康との戦いに備えて造られたもの。城の周りにあった百間堀、白鳥堀などが埋め立てられた中で、唯一水をたたえている堀。加賀藩時代の金沢城が偲ばれる外濠公園大手堀[金沢城公園]を訪れる。

金沢城公園の石川門から大手堀方向へと続く散歩道。徳田秋声、室生犀星、泉鏡花の三文豪像や白鳥像など、21体もの彫刻が行き交う人を出迎えてくれる外濠公園白鳥路[金沢城公園]を訪れる。

金沢城公園内。3層3階の菱櫓と、橋爪門続櫓を2層2階建ての五十間長屋でつないだもので、明治以降の木造城郭建築物では最大規模。菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓、橋爪門続櫓は二ノ丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓、五十間長屋は武器などの倉庫だった。2001年(平成13)年に復元の菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓[金沢城公園]を訪れる。

金沢城公園の入り口に立つ、入母屋造の城門(重要文化財)。隠し鉄砲狭間や石落としなどを備え、屋根には鉛の瓦が葺かれた。瓦が白っぽいのもそのため。1759年の宝暦の大火で焼失し、1788年(天明8)に再建された石川門[金沢城公園]を通り兼六園に向かう。

春の桜、初夏のカキツバタ、秋の紅葉、冬の雪吊りなど、四季折々の美しさで知られる名園。1676年(延宝4)、加賀藩5代藩主・前田綱紀の時代に最初の庭が造られて以来、代々の藩主によって今の形に整えられた。総面積は約11万平方m。完成まで実に180年の歳月を要している。名の由来は、中国で名園の条件とされた宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝すべてを兼備するところから、松平定信が命名。池や橋、樹木、茶室などが配された庭園を歩くと、加賀百万石の伝統と美意識に浸ることができる兼六園を散策する。

兼六園内にある噴水。現存する日本最古の噴水と言われ、霞ケ池を水源に自然の水圧で高さ約3.5mまで噴き上がる噴水[兼六園]を訪れる。

兼六園内の霞ケ池西南岸に立つ、内橋亭の背後にある築山。13代藩主・前田斉泰が、霞ケ池を掘り広げたときの土を利用してつくったもの。山頂に向かってグルグルとらせん状の道が延び、それがまるでサザエの殻を思わせることから名付けられた栄螺山[兼六園]を訪れる。

兼六園内にある歴代藩主の別荘。かつては噴水前にあり明治初期に取り壊されたが、2000年(平成12)に復元。ゆったり腰を下ろして庭園を眺めながら、煎茶や抹茶が味わえる時雨亭[兼六園]を訪れる。

兼六園内にある池。中ほどがくびれて、瓢箪の形をしているのでその名がある。霞ケ池から下った水が翠滝となって流れ落ち、中の島には秀吉から贈られたという説もある海石塔が立つ瓢池[兼六園]を訪れる。

兼六園内にある茶室。1774年(安永3)に建てられた、園内で最も古い建物。瓢池の隣にあり、次の間の袖壁に夕顔の透彫りがあるので、夕顔亭と名付けられた夕顔亭[兼六園]を訪れる。

兼六園内に植えられた珍しい黒松。大小40数本もの根が、地面から2mも盛り上がっている。13代藩主・前田斉泰のお手植えといわれ、盛り土の上に松を植えた後、土を取り除いたとされている根上松[兼六園]を訪れる。

兼六園の中央に位置する、園内最大の池。池の周囲には兼六園のシンボル的存在の徽軫灯籠をはじめ、虹橋・唐崎松・栄螺山などの見どころが点在。高台にありながら満々と水をたたえた水面に影を落とす、四季折々の眺めがすばらしい霞ケ池[兼六園]を訪れる。

兼六園内の霞ケ池北岸に立つ灯籠。灯籠の足が、琴の糸を支える琴柱に似ていることからこの名がある。その前に架かる虹橋を琴に見立てた意匠は、兼六園のシンボルとなっている徽軫灯籠[兼六園]を訪れる。

兼六園の中にある曲水に架かる木橋で、名前のとおり花見には最適の場所の花見橋[兼六園]を訪れる。

兼六園の中にあり、雁が列を作って飛んでいる姿に似ていることから名付けられた。亀甲型の赤戸室石が11枚連なった石橋で、渡ると長生きするといわれるが現在は通行できない雁行橋(亀甲橋)[兼六園]を訪れる。

「衣・食・住・祈・遊・音・祭」のテーマ別に、石川の伝統工芸品を紹介する施設。九谷焼・輪島塗・山中漆器をはじめ、能登上布・牛首紬・加賀毛針など地域に根ざした工芸品が36種類。毎週土・日曜と祝日(冬期は休み)には、伝統工芸士による実演も行う石川県立伝統産業工芸館を訪れる。

加賀百万石前田家を代表する建造物。1863年(文久3)、13代齋泰が12代奥方、真龍院のため、兼六園に造営した。大名の風格と数奇を併せ持つ稀有な書院造で、庭園と共に国の重要文化財。長さ約20m、1本の柱も無いつくしの縁から眺められる庭園や極彩色の花鳥が欄間・障子腰板・ギヤマンに描かれるなど奥方の御殿にふさわしい意匠を凝らした造りの成巽閣を訪れる。

16:00金沢駅方面に向かう。
16:40金沢駅到達。
16:57金沢駅サンダーバードで出発
19:35大阪駅到達。

今回の旅行、何回も訪れたことのある石川県金沢タウン、ひたすら歩いて時計回りで金沢城公園・兼六園周囲の名所を巡ってから閉めは金沢公園・兼六園を時間をかけて巡り、金沢タウン観光を無事終了いたしました。

しっとりとした風情と伝統が息づく加賀百万石の城下町、京都と比べ小規模ですが、町並みは把握しやすく一日観光で十分堪能できる金沢タウン観光旅行でした。
















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五十九弾:石川県能登半島&舳倉島観光
2011年9月17−19日


古都の城下町から日本海、白山山麓と、豊かな自然に囲まれた石川県に足を運び、ダイナミックな自然と日本の原風景が残り、新鮮な魚介や渚の温泉地に加え美術館や新名物・能登丼など、新旧の魅力が満載のエリア能登半島、能登半島の輪島港から北へ約48km、万葉集にも詠われた海女の島、最高点でも標高が12.4mしかない平坦な島で、西側は複雑な地形の崖が続き、東側の穏やかな入り江に港や集落があります舳倉島を訪れました。

17日13:14大阪駅サンダーバードで出発
16:10金沢駅到達、レンタカーで輪島に向かう。
18:00輪島到達、市内のホテルに入室後、繁華街を散策し、食事を済ませて就寝。
18日6:30輪島市内を散策する。

10・25日を除き毎日立つ市は、輪島塗りと並ぶ輪島の名物。河井町の朝市通りには、夜明けとともに近在の町から鮮魚や野菜を運んできた人が次々と露店を出し、朝8時頃には200軒近くの店が並ぶ。売り手はいずれも農家や漁師のおかみさんたち。鮮魚や野菜のほか、乾物、洋服、骨董・民芸品など商品も実にバラエティ豊かな輪島朝市を訪れる。

日本でも少ない漆工芸専門の美術館。輪島塗の伝統的な名品をはじめ、人間国宝や芸術院会員などの作品、アジアを中心とした海外の作品なども所蔵。約2カ月に一度の割合で展示替えを行っている石川県輪島漆芸美術館の前で記念撮影。

8:30輪島港到達。
9:00輪島港フェリーで出発、舳倉島に向かう。
10:30舳倉島到達。

輪島港から50kmほど北の海上に浮かぶ、周囲6kmの島。6月上旬〜10月下旬に輪島市海士町が町ぐるみで島に渡り、海藻類・アワビ・サザエ漁を行ってきた。現在、島には約100戸の集落があるが、ほとんどは夏の仮住まい。海で漁をする海士の姿や静かな漁村風景が見られる、観光色を感じさせない離島だ。島全体が野鳥保護地区。バードウォッチャーの訪れも多いほか、周辺の海ではマダイ・石鯛などが釣れる。奥津姫神社、竜神ガ池などの見どころの舳倉島を訪れるが台風の影響ですぐさまリターン。島観光は次回の持ち越しとなりました。

12:30輪島港到達、レンタカーで珠洲方面に向かう。

国道249号を輪島から曽々木に向かう途中、海に向かって広がる約1万2000平方mの斜面に、1000余枚の小さな水田が幾何学模様を描いて並んでいる。階段状に作られたこれらの水田は、耕作地が乏しい土地ならではの工夫が感じられる。棚田に機械が入らないため農作業はすべて地元住民とボランティアによる手作業。道の駅千枚田ポケットパークから見る千枚田と海の眺めがいい白米の千枚田を訪れる。

能登半島最先端の岬。ここを境に、半島は外浦と内浦に分かれる。海上に浮かぶ七ツ島をはじめ、天気のよい日には遠く佐渡島や立山連峰を眺望可。海からの日の出と海に落ちる日の入りを、同じ場所から拝めるところでもある。突端に立つ高さ12mのドーム型の禄剛埼灯台は、日本海航路の重要な道標として1883年(明治16)に初点灯。光は34km先まで届き、「日本の灯台50選」にも選定。ウラジオストック772kmなどの標識が立ち、最果てムードたっぷりの禄剛崎を訪れる。

能登半島の最先端に立つ白亜の灯台。明治16年(1883)にイギリス人技師が設計し、扉や窓のモダンなデザインが異国文化を感じさせる。「日本の灯台50選」にも選ばれている禄剛埼灯台を訪れる。

松林越しに波静かな内浦の海を望む海岸で、海上に能登のシンボルともいえる見附島(別名軍艦島)が浮かぶ。弘法大師が能登へ巡行した際、最初に目に付いたためこの名になったといわれている。頂にだけ帽子を被ったように緑が茂り、側面の白い岩肌を際立たせている。周辺にはレストハウスや野営場、国民宿舎などもある見付海岸を訪れる。

「見附」という島名は昔、弘法大師が佐渡から能登へ渡った際、最初に見つけたことが由来とされている。長さ150m、幅50m、標高28mの無人島で、そのシルエットが岸に迫り来る軍艦のように見えることから軍艦島ともよばれている。引き潮の時間帯には、石積みの道を歩いて島のそばまで行くことも可能。周辺には遊歩道が整備されている見附島を訪れる。

内浦を代表するリアス式海岸の小湾。湾の中にもさらに数多くの入江があるという意味でこの名がある。海岸線には赤松が生い茂り、海に緑の影を落としている。湾の真ん中には弁財天を祭る蓬莱島が浮かび、湾口には日和山公園、湾内には遊覧船が運航する九十九湾を訪れる。

穴水方面に向かう。

海上に4本の丸太を四角錐に組み、その上に人が座り、海中に仕掛けた網にボラの群れが入るのを待つ漁法。10年ほど前までは春から夏にかけて実際にやぐらに乗って待つ人の姿が見られたという。現在は人の代わりに人形を置き、かつての漁法を今に伝える海のモニュメントとなってしまった。根木と中居の2カ所のポケットパークの海上で再現されたやぐらを見ることができるボラ待ちやぐらを訪れる。

門前方面に向かう。

1321年(元亨元)、瑩山紹瑾禅師によって開かれ、永平寺とともに曹洞宗の大本山として栄えた。江戸中期には全国に1万6000余りの末寺を有するほどの勢力を誇っていたが、1898年(明治31)の大火で大部分を焼失。本山は横浜市鶴見区に移され、こちらは祖院となった。現在は焼け残った山門、伝燈院に加え、再建された七堂伽藍が約6万6000平方mの境内に威風堂々と構えている大本山總持寺祖院を訪れる。

輪島のホテルに戻る。食事を済ませて就寝。

19日7:00レンタカーで出発、能登金剛方面に向かう。

福浦港から関野鼻までの、断崖絶壁が連なる海岸線。波で穴が開いた巌門や、しめ縄でつながれた機具岩、松本清張の『ゼロの焦点』の舞台となったヤセの断崖など美しい景観が続く。増穂浦には世界一長いベンチもある能登金剛を訪れる。

松本清張の小説『ゼロの焦点』の舞台として映画やテレビドラマに登場し、有名になった断崖。海面からの高さが35mもあり、断崖上に立つと足がすくむヤセの断崖を訪れる。

全長460.9m。なんと約1350人も座れる木製のベンチで、ギネスブックにも掲載されている。増穂浦の海岸線に沿って延々とつながっており、目前の海と空が夕焼けに染まる頃がロマンチックな世界一長いベンチを訪れる。

海の中にどっしりと構える大小2つの岩で、しめ縄で結ばれている。その昔、能登に織物業を広めた渟名木入比め命が山賊に襲われたときに機具を海に投げ込むと、突然2つの岩に変じたという伝説が残る。夕日が沈む頃、海が茜色に染まり、岩のシルエットが浮かび上がる光景は神秘的。伊勢の二見岩に似ているので、別名「能登二見岩」ともよばれ、海岸道路からも眺められる機具岩を訪れる。

日本海の荒波が数千年かけてうがった幅6m、高さ15m、奥行き60mの大きな洞門。日本海の波の力強さと、能登の自然の厳しさを象徴する能登金剛の代表的な存在だ。洞門そばには、源義経が兄・頼朝の追手から逃れて身を潜めていたという伝説が残る大きな洞窟もある巌門を訪れる。

福浦港を見下ろす日和山の一角に、高さ5.2mの木造の灯台が立っている。この地は日本で初めて灯台が造られた場所といわれる。1876年(明治9)に建てられたこの灯台は、1608年(慶長13)、日野資信という人物が暗夜の海を航行する船を守るために火を焚いたのがはじまり。以来、1910年(明治43)に旧福浦村営になるまで日野家が代々守ってきた旧福浦灯台を訪れる。

倶利加羅峠の合戦で破れた平維盛の重臣・平式部大夫はこの地に逃れ、幕府の天領地13カ村を治める大庄屋になった。それがこの平家で、建物もさることながら書院から見る庭園の美しさに定評がある。庭園は2つあり、池泉回遊式の前庭は江戸前期の作庭とされる枯滝を正面に置き、室町時代作という6つの面に六地蔵を彫った石幢がたたずむ。後庭は大正中期の枯山水で深山幽谷の趣の平家庭園を訪れる。

能登島に向かう。

能登半島近海にすむ魚介類を中心に、約500種4万匹の生物が飼育されている水族館。トンネル水槽「イルカたちの楽園」では、長さ22mのトンネル水槽からイルカたちが泳ぐ様子を見ることができる。愛らしいラッコやアザラシ、ペンギン、楽しいイルカ・アシカショーも楽しみ。2010年8月20日にオープンした「ジンベエザメ館 青の世界」では、7月に七尾市佐々波町沖の定置網で捕獲された体長4.8m、体重推定800kgのジンベエザメ1匹のほか、シュモクザメ、マアジの群れ、エイの仲間などを展示しているのとじま臨海公園水族館を見学。

七尾湾を見下ろす高台にあり、色鮮やかな中国清朝のガラス器など、世界のガラス工芸品が収蔵されている。なかでもピカソやシャガールといった美術界の巨匠の原案に基づき、イタリアのエジディオ・コンスタンチーニ工房が制作したガラス彫刻が圧巻。屋外に点在するガラス彫刻も興味深い石川県能登島ガラス美術館を見学。

もと小学校の校舎を利用したガラス工房。作家たちの制作風景が見学できる。ガラス製品の販売のほか、予約すればガラス制作体験も可能のたくみの里能登島ガラス工房を訪れる。

和倉に向かう。

スーパーパティシエの辻口氏が出身地七尾に開いたミュージアム。美術館では、長さ6mもの飴の壁画をはじめ、能登をテーマにしたシュークルダール(砂糖の飴の芸術作品)を鑑賞できる。パティスリーブティックでは、能登のヘルシー素材を使った「ミュゼ」や「のとミルクプリン」などオリジナルスイーツをはじめ、辻口氏の10ブランドの品々を販売。カフェスペースではスイーツを味わいながら、大きなガラス窓から七尾湾の景色も楽しみたい辻口博啓美術館 ル ミュゼ ドゥ アッシュを訪れる。

1階博物館は生活用品が並び、昭和初期の駄菓子屋などを再現している。2階おもちゃ館は貴重なブリキ製ロボットなど多種の玩具を展示する和倉昭和博物館とおもちゃ館を見学。

七尾方面に向かう。

七尾に残る2つの城跡の内の一つ。七尾城は1408(応永15)年室町幕府から守護に任じられた能登畠山氏が、1500年頃築城。城山に本丸、二の丸、三の丸などが築かれ、1577(天正15)年上杉謙信に滅ぼされるまで約170年間能登を統治した。本丸跡からは七尾市外と七尾城が見渡せる七尾城跡を訪れる。

羽咋方面に向かう。

1294年(永仁2)創建の日蓮宗の名刹。3代藩主前田利常の母・寿福院の追善のため70年の年月をかけて建てられた。能登随一の大伽藍をもち、本堂・祖師堂・経堂など10の堂宇は国の重要文化財。なかでも高さ34mの五重塔は、北陸では唯一の木造建築の五重塔で、書院前の庭園から見る姿は秀麗そのものの妙成寺を訪れる。

海を見下ろす高台にあり、厳かな雰囲気の中、国重要文化財の拝殿、神門などが立ち並ぶ。縁結びの大国主命を祭る神社で、創建は定かでないが能登一の宮としての格式を誇る。社殿背後の気多大社社叢(天然記念物)は「入らずの森」とよばれる神域で、シイや椿など常緑の老樹が鬱蒼と茂る気多大社を訪れる。

宇宙開発やUFOなどをテーマとした科学博物館。2階宇宙展示室には、実際に宇宙飛行して帰還した旧ソ連製のヴォストークカプセルなど、宇宙開発に貢献した貴重な資料を展示。世界で目撃されたUFOについての解説も興味深い。3階コスモシアターでは、ドーム型スクリーンに映し出される科学番組、ギリシャ神話にまつわるアニメーションを上映しているコスモアイル羽咋を訪れる。

宝達志水町今浜から羽咋市千里浜町にかけて海岸沿いに約8km、砂浜上のドライブが楽しめる。粒子の細かい砂が海水を含んだことにより、車が通れるほど固くなったドライブウェイは、大型バス、バイク、自転車の通行も可能。春〜秋は浜焼を売る茶店などが並び、夏は海水浴を楽しむ人で賑わう千里浜なぎさドライブウェイを通過する。

加賀百万石を陰で支え、200カ所以上の村を治めていた十村役筆頭の喜多家。茅葺きの十村役門はその象徴。約400年前の姿そのままに保存され、およそ4万2900平方mもの広さの敷地、藩主が訪ねた際の特別な玄関や座敷などを公開している加賀藩十村役喜多家を訪れる。

14:30金沢に向かう。
15:30金沢駅到達。
16:13金沢駅サンダーバードで出発。
19:05大阪駅到達。

今回の旅行、北陸地方の石川県に足を運び、海岸線の険しい大自然と点在する文化遺産、輪島から北50kmに浮かぶ秘境と呼ばれる島、舳倉島を訪れ2泊3日の旅、堪能しました。

生憎台風が近ずいており、舳倉島へのフェリーが島到着後すぐさまリターン、舳倉島には上陸できましたが、島内の観光は出来ず、次回持ち越しとなりました。

能登半島の殆ど全域が鉄道が無く、移動は車かバス、へき地を感じましたが、結構民家も人も多く、交通手段が遅れているのは不思議なぐらいです。

今回で石川県のほぼ全域を制覇、着々と全国制覇に近ずいています。頑張ります。




















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百四十三弾:福井・石川県武生&越前&加賀温泉郷観光
2011年5月14日ー15日


福井県から石川県南部まで足を運び、白壁の続く蔵の辻散歩を楽しみたい武生、眼鏡生産で有名な鯖江、話題のグリーンツーリズムが盛んな今立、越前ガニ、奇岩で有名な越前、山代、山中、粟津、片山津の4つの温泉地が揃う加賀温泉郷を訪れました。

14日12:30車で第二京阪京滋名神北陸自動車道経由して
14:30今庄インター下車、今庄に向かう。

京都と北陸、若狭と越前をつなぐ交通の要衝として、また、江戸期には北国街道の宿場町として栄えた。JR今庄駅の西側を南北に延びる道沿いには、大名や幕府役人など位の高い人が宿泊した江戸後期建築の本陣や商家、旅籠など往時の面影が色濃く残っている。なかでも、京藤甚五郎家は、赤みの強い越前瓦の屋根と卯達が、ひときわ異彩を放っている。通りのあちこちに史跡や建物の特徴を解説した立て札がある今庄宿を散策する。

今立方面に向かう。

開創は719年(養老3)。檜皮葺屋根の本殿は入母屋と唐破風が重なった造りで、国の重要文化財にも指定されている。背後の山には、大滝神社奥の院と並んで、1500年前にこの里に紙漉きの技を伝えた川上御前を全国で唯一紙祖神として祭る、岡太神社の本殿もある大滝神社を訪れる。

鯖江方面に向かう。

親鸞の孫の如覚上人が1279年(弘安2)に開基した寺で、浄土真宗越前四箇寺本山の一つに数えられる。みどころは左甚五郎作と伝えられる駆け出しの竜が彫られた寺内最古の山門。あまりの精巧さに、鳥が恐れて近寄らないことから鳥不棲門とよばれている鯖江本山誠照寺を訪れる。

鯖江市のほぼ中央の丘陵地に広がる約56万平方mの公園。日本歴史公園百選に選定されている。ツツジの名所でもあり、5月上旬には約4万3000株ものツツジが園内を彩り、華やか。また、桜や花菖蒲、紅葉なども美しく、四季折々の自然を楽しめるのも魅力。敷地内にはレッサーパンダで人気の「西山動物園」があるほか、デートスポットとして注目の「結びのチャイム」があり、ここから市街地が一望できる西山公園を訪れる。

瓜生家は1129年(大治4)以来、神明社の宮司を務めた由緒ある家柄。その住宅を神明社境内に移築したものだ。1699年(元禄12)に建てられた建物は入母屋妻入りの茅葺きで、柱や梁は木割が太く、堂々とした造り。福井県内に現存する民家では最古級といわれ、国の重要文化財に指定されている旧瓜生家住宅を訪れる。

武生方面に向かう。

武生内のホテル到着後武生市街地を散策する。

1488年(長享2)に建立された、天台真盛宗別格本山。十六羅漢や滝上りする鯉など、彫刻が施された総ケヤキ造りの山門は一見の価値がある。広々とした境内には笏谷石に彫られた30体の石仏、高さ3mもある不動明王と地蔵菩薩があり、寺宝として鎌倉時代に書かれたという『往生要集』を所蔵している引接寺を訪れる。

「おそんじゃさん」とよばれて親しまれている越前国の総社。古代の国司の仕事に、その国にある主な神社を毎年巡拝するというのがあったが、総社は神々を一ヵ所に集めて祭り、そこを参拝することで国内巡拝に代えようとしたもの。国府のあるところには必ず置かれていた神社で、境内には越前国府の石碑が立つ。古来から越前の代表的な神社として信仰を集め、その賑わいの様子は鎌倉時代の『一遍上人絵伝』に描かれている総社大神宮を訪れる。

父の藤原為時の赴任に伴い、武生で1年半を過ごした『源氏物語』の作者紫式部にちなんで造られた公園。平安時代の貴族の住居を模した全国で唯一の寝殿造庭園で、日野山をバックに池や築山が配されている。隣接の藤波亭では、十二単衣の着付け体験可。朱塗りの橋、黄金の紫式部像などが調和する優雅な雰囲気の中を十二単衣で散歩できる紫式部公園を散策する。

食事を済ませてホテルに戻り就寝。

15日6:30車で越前に向かう。

北前船の船主として栄華を極めた右近家の屋敷を利用した館内には、船幟や八幡丸の模型、航海に使われた道具などが展示されている。1901年(明治34)に建てられた母屋は、上方風切妻造瓦葺き2階建て。建築資材は北前船が各地から運んだものを使用している。屋敷裏には別荘の西洋館があり、ここから眺める日本海がすばらしい北前船主の館・右近家を訪れる。

越前ガニのすべてを紹介する施設。カニに関する立体映像を見られる海中シアターや、越前沖のカニや魚がすむトンネル水槽、潜水艦に乗った気分で越前ガニの生態を見ることができる海図ホールなど、カニ情報が詰まっている越前がにミュージアムを訪れる。

土のもつ素朴な温かみと使いやすさ、飽きのこないデザインで人気の越前焼。紐状の粘土を積み上げていく独特の技法が特徴で、1986年(昭和61)に伝統的工芸品の指定を受けた。越前焼の始まりは古く、800年前にさかのぼる。平安時代の末期から焼かれ、現在までに約200基の古窯が見つかっている。越前陶芸村は越前焼の発祥地といわれる越前町小曽原にあり、越前焼の魅力にふれることができる。中心となるのは福井県陶芸館で、そのほか陶芸家たちの作品を展示販売する直売所や、越前焼のオブジェが点在する広場、宿泊施設などがある。村内の食事処や喫茶店では、越前焼の器で料理やお茶を楽しめる越前陶芸村を訪れる。

越前陶芸村の中心的存在で、平安末期の古越前から現代の作品まで約200点と関係資料を展示。越前焼の茶碗で抹茶が飲める、茶苑がある福井県陶芸館[越前陶芸村]を訪れる。

強い風と荒波が岸壁を浸食してできた海食洞が多い越前海岸。なかでもトンネル状になった呼鳥門は高さ約15m、幅30mと、規模が大きい。周囲には遊歩道が整備され、間近に見ることができる呼鳥門を訪れる。

越前水仙とは、越前海岸に咲く日本水仙の総称。越廼の居倉町は、越前水仙の発祥の地でもあり、群生地として名高い。その居倉の海岸沿いに造られた公園で3つの施設からなり、可憐に咲く水仙の花を一年中楽しめる越前水仙の里公園を訪れる。

加賀温泉郷に向かう。

大聖寺川が造る渓谷で、黒谷橋から情緒ある総檜造りのこおろぎ橋の間の約1.3kmをいう。遊歩道が整備され、水面に映える新緑、秋の紅葉など四季折々の変化に富んだ景観を見せている鶴仙渓を散策する。

鶴仙渓遊歩道をたどってこおろぎ橋まで来たら、そこから少し坂を上って無限庵にも立ち寄ってみたい。加賀藩の家老・横山家の書院を移築したもので、当時の建築技術の粋を集めた武家書院造といわれている。加賀蒔絵や古九谷、また、千利休ゆかりの茶道具なども展示され、静かな空間を演出している無限庵を訪れる。

天正年間(1573〜92)から続く山中漆器。越前からこの地に移住した木地師が京都から塗りや蒔絵の技術を取り入れ、今日に至っている。ここではロクロ挽きの技術をビデオで上映。わずか3mmの間に10本以上の線を挽く千筋、木目の間が透けて見えるほどの薄挽きといった技が見られる。山中出身の人間国宝・川北良造作の盛器・盆・棗の展示、日常漆器などの販売も行う山中漆器伝統産業会館を訪れる。

山代温泉の守護寺。観音堂には平安時代初期作の十一面観音菩薩が祭られているほか、境内には五十音図の創始者・明覚上人を供養した国の重要文化財の五輪塔がある薬王院温泉寺を訪れる。

北陸屈指の真言宗の古刹。717年(養老元)、泰澄大師が岩窟に千手観音を安置したのが始まりという。苔むした境内には、本尊千手観音を安置する本堂、十二支や牡丹などの彫刻を施した護摩堂、檜皮葺きの三重塔など、国重要文化財の堂宇が立ち並び、厳かな雰囲気に包まれている。そそり立つ岩に春の桜や初夏の新緑、秋の紅葉が彩りを添える奇岩遊仙境は見ごたえ充分。小堀遠州の指導のもとに作庭された庭園(名勝)や、前田利常の休憩所として建てられた書院も見ておきたい。本殿の岩屋内は胎内くぐりの聖地である那谷寺を訪れる。

森の中に立つ赤レンガ、ゴシック風の建物で、クラシックカーをはじめ、二輪車やトラックなど国産車300台、外車200台の自動車が展示されている。これだけの自動車の展示は国内でも最大級。黎明期から第二次世界大戦後までの自動車を見ることができ、その歴史も学ぶことができる日本自動車博物館を訪れる。

朝日や夕日をうけて1日に7度も湖面の色を変える周囲約7kmの湖。湖中央には高さ70mまで吹き上げる大噴水、湖畔には竜神と娘の伝説にちなむ浮御堂うきうき弁天がある柴山潟を訪れる。

世界で初めて人工的に雪の結晶を作った中谷宇吉郎の業績を、映像やパネルで紹介し、人口雪の実験装置を展示している。また、雪や氷の実験コーナーがあり、楽しく学べる。ティールームからの眺望は美しく、柴山潟から望む雄大な白山は見ごたえがある中谷宇吉郎雪の科学館を訪れる。

歌舞伎『勧進帳』の舞台として有名。源頼朝の追っ手を逃れて奥州に逃げ延びる義経一行は、ここで守護の富樫の尋問に合う。芝居を打って白紙の勧進帳を読み上げ、義経を打擲して主人の身を守ろうとする弁慶。それに心打たれた富樫は一行を通したという。源義経・弁慶・富樫左衛門尉の像が立ち、近くには勧進帳ものがたり館や安宅住吉神社、休憩・飲食施設を備えた安宅ビューテラスもある安宅の関を訪れる。

九谷焼の美術館や資料館をはじめ、工房や技術研修所からなる。制作現場に近いところで九谷焼を鑑賞できる。九谷焼卸団地では16のショールームが軒を並べ、ゆっくりとショッピングを楽しめる九谷陶芸村を訪れる。

九谷陶芸村内にある美術館。能美市出身で、文化勲章も受章している陶芸家・故浅蔵五十吉の作品を展示している。五十吉は自然をテーマにした色絵を焼き続け、常に新しい作風にチャレンジしてきた作家。作品は全体の色遣いが昭和20年代は明るい黄色だったのが、やがて渋い黄色、緑、銀彩、1993年からは白釉と年代によって変化していて興味深い。「全国公共建築百選」に選ばれた建物にも注目したい浅蔵五十吉美術館[九谷陶芸村]を訪れる。

湯湧温泉方面に向かう。

竹久夢二の世界を彼が愛した旅、女性、聖書をテーマに紹介。彼を取り巻くたまき、彦乃、お葉といった女性たちや金沢に関わる資料、夢二の作品なども多数展示する金沢湯涌夢二館を訪れる。

湯ノ川をせき止めて造られた1周約500mの小さな湖。湖畔には数千株のミズバショウと菖蒲が植えられ、格好の散策コースになっている玉泉湖を訪れる。

16:30終了、帰路に向かう。

今回の旅行、福井県の武生・鯖江・越前海岸から石川県の南部、加賀温泉郷までの広い範囲の自然と歴史的建造物に触れて1泊2日のドライブ観光堪能しました。

福井県は人も車も少なくのんびりしている町のようです。車では時間のロスは少なく多くの観光名所を訪れることが出来ました。

一方石川県は観光地としては有名で全国各地から観光客が訪れ賑わっていました。

対照的な北陸地方福井・石川県ドライブ観光でした。















飛行機で国内&海外の観光地巡り第七十二弾:金沢&五箇山&白川郷観光
2009年9月5−6日


今回は加賀百万石の城下町、伝統文化と最新アートがクロスする金沢、世界遺産の村、合掌集落の白川郷と五箇山、日本三霊山に数えられる白山の裾野から海岸までを含む広大なエリア、白山に足を運びました。

5日13:12大阪駅雷鳥で出発
16:04金沢駅到達、レンタカーで兼六園に向かう。
16:30兼六園到達。

春の桜、初夏のカキツバタ、秋の紅葉、冬の雪吊りなど、四季折々の美しさで知られる名園。1676年(延宝4)、加賀藩5代藩主・前田綱紀の時代に最初の庭が造られて以来、代々の藩主によって今の形に整えられた。総面積は約11万平方m。完成まで実に180年の歳月を要している。名の由来は、中国で名園の条件とされた宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝すべてを兼備するところから、松平定信が命名。池や橋、樹木、茶室などが配された庭園を歩くと、加賀百万石の伝統と美意識に浸ることができる兼六園を散策する。

兼六園の中央に位置する、園内最大の池。池の周囲には兼六園のシンボル的存在の徽軫灯籠をはじめ、虹橋・唐崎松・栄螺山などの見どころが点在。高台にありながら満々と水をたたえた水面に影を落とす、四季折々の眺めがすばらしい霞ケ池を訪れる。

六園内の霞ケ池北岸に立つ灯籠。灯籠の足が、琴の糸を支える琴柱に似ていることからこの名がある。その前に架かる虹橋を琴に見立てた意匠は、兼六園のシンボルとなっている徽軫灯籠を拝見。

兼六園の中にあり、雁が列を作って飛んでいる姿に似ていることから名付けられた。亀甲型の赤戸室石が11枚連なった石橋で、渡ると長生きするといわれるが現在は通行できない雁行橋(亀甲橋)を拝見。

3代藩主・前田利常の命で、金沢城の防火用水として城内に水を引き入れるためつくられた、辰巳用水の一部を庭づくりに生かしたもの。岸に植えられた桜やツツジ、水辺のカキツバタが美しい曲水を拝見。

兼六園の中にある曲水に架かる木橋で、名前のとおり花見には最適の場所の花見橋を訪れる。

兼六園内に植えられた珍しい黒松。大小40数本もの根が、地面から2mも盛り上がっている。13代藩主・前田斉泰のお手植えといわれ、盛り土の上に松を植えた後、土を取り除いたとされている根上松を拝見。

兼六園内の霞ケ池西南岸に立つ、内橋亭の背後にある築山。13代藩主・前田斉泰が、霞ケ池を掘り広げたときの土を利用してつくったもの。山頂に向かってグルグルとらせん状の道が延び、それがまるでサザエの殻を思わせることから名付けられた栄螺山を訪れる。

兼六園内にある池。中ほどがくびれて、瓢箪の形をしているのでその名がある。霞ケ池から下った水が翠滝となって流れ落ち、中の島には秀吉から贈られたという説もある海石塔が立つ瓢池を訪れる。
兼六園内にある噴水。現存する日本最古の噴水と言われ、霞ケ池を水源に自然の水圧で高さ約3.5mまで噴き上がる噴水を拝見。

兼六園内にある茶室。1774年(安永3)に建てられた、園内で最も古い建物。瓢池の隣にあり、次の間の袖壁に夕顔の透彫りがある夕顔亭を拝見。

兼六園内にある歴代藩主の別荘。かつては噴水前にあり明治初期に取り壊されたが、2000年(平成12)に復元した時雨亭を訪れる。

兼六園の冬の風物詩・雪吊りは、雪の重みから庭木を守る作業。支柱を立てて頂上から円錐状に縄を張るりんご吊りと呼ばれる手法が代表的で、格別の美しさ。なかでも唐崎松が見事の雪吊りを拝見。

1583年(天正11)、前田利家が金沢に入った直後から本格的な城づくりを開始。約30万平方mの敷地に20もの櫓をもつ城だったが、たび重なる火災から石川門と三十間長屋のみが残った。一時は金沢大学のキャンパスとして使用。現在は金沢城公園として整備され、復元した五十間長屋や菱櫓などが立つ金沢城公園を散策する。

金沢城公園の入り口に立つ、入母屋造の城門(重要文化財)。隠し鉄砲狭間や石落としなどを備え、屋根には鉛の瓦が葺かれた。瓦が白っぽいのもそのため。1759年の宝暦の大火で焼失し、1788年(天明8)に再建された石川門を訪れる。

金沢城公園内。3層3階の菱櫓と、橋爪門続櫓を2層2階建ての五十間長屋でつないだもので、明治以降の木造城郭建築物では最大規模。菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓、橋爪門続櫓は二ノ丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓、五十間長屋は武器などの倉庫だった。2001年(平成13)年に復元した菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓を訪れる。

金沢城公園の中にある国の重要文化財。現存の長屋は1858年(安政5)に再建。現在の長さは二十六間半で武器弾薬の倉庫としても使用された三十間長屋を訪れる。

金沢城址の北、大手門跡の前にある。1599年(慶長4)に徳川家康との戦いに備えて造られたもの。城の周りにあった百間堀、白鳥堀などが埋め立てられた中で、唯一水をたたえている堀。加賀藩時代の金沢城が偲ばれる外濠公園大手堀を訪れる。

金沢城公園の石川門から大手堀方向へと続く散歩道。徳田秋声、室生犀星、泉鏡花の三文豪像や白鳥像など、21体もの彫刻が行き交う人を出迎えてくれる外濠公園白鳥路を訪れる。

長町武家屋敷跡方面に向かう。

早道飛脚足軽の組屋敷地であった旧早道町(現幸町周辺)に残されていた高西家、清水家の2軒の足軽屋敷を移築し、内部を公開している。足軽とは身分の低い歩兵のことだが、加賀藩の足軽は、小さいながらも庭付きの一戸建てに住んでいた。また、間取りも接客空間を重視した武家屋敷の流れをくむ。職務、武術、世襲など足軽関係の文献資料も公開している金沢市足軽資料館を見学。

かつては藩主の荷を運んだ水路で、ゴリや鮎もとれたという大野庄用水。その東側の小路に一歩足を踏み入れれば、江戸時代に逆戻りしたかのような武家屋敷跡に入る。両側に土塀が連なる細い道は、突き当たっては曲がる迷路のよう。戦いの際に敵が一気に侵入するのを防ぐ構造になっている。土塀にのった光沢のある瓦は雪や雨の多い北陸地方独特のもので、釉薬をかけて焼いてある長町武家屋敷跡を散策する。

加賀初代藩主前田利家が金沢城に入場した際、直臣として従った加賀藩士・野村伝兵衛信貞の屋敷跡。総檜造りの天井やギヤマン入りの障子戸に歴史を感じる。樹齢400年以上のヤマモモの木やシイの木、曲水、落水の名石を配した格式ある庭園は見応えがある武家屋敷跡野村家に寄る。

兼六園や金沢城公園近くの観光ゾーンにある現代美術館。展覧会ゾーンはここでしか出会うことができない作品も多く、気軽にアートと触れ合うことができる金沢21世紀美術館を見学。

ひがし茶屋町付近のライトスポットをあびた梅の橋を拝見してから

17:00金沢駅付近のホテル到達後繁華街を散策して食事を済まして床に就く。

6日6:00レンタカーで出発、天候快晴、絶好の観光日和

3つの茶屋町を早朝散策する。

文政3年(1820)に加賀藩が、この近辺に点在していたお茶屋を集めて整備した茶屋街です。石畳の道の両側に紅殻格子のお茶屋が軒を連ね、藩政時代の情緒が色濃く残っているひがし茶屋町を散策する。

1869年(明治2)に開かれた茶屋街。ひがし・にしともに、大店の旦那衆の社交の場として栄えた。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。浅野川大橋から中の橋までの浅野川南岸に、美しい格子戸の料亭が立ち並んでいる主計町茶屋街を散策する。

前身の西の郭は1820年(文政3)、12代藩主・斉広が公許を与えて妓楼地区を定めたのが始まりで、東の郭(現ひがし茶屋街)とともに誕生した。かつての賑わいにはおよぶべくもないが、今も木造のお茶屋と、大正11年に建てられた検番が当時を偲ばせる。夕方になると軒下に灯がともり、独特の風情を醸し出しているにし茶屋街を散策する。

1585年(天正13)、前田利家が前田家の祈願所として金沢城付近に建立。その後、3代藩主・利常が幕府からの攻撃に備え、1643年(寛永20)現在地に移築した。本堂に続く庫裏は外観が2階建て、内部が4階7層。23の部屋と29の階段がある。物見台ともとれる本堂屋上の望楼、金沢城への地下道と伝えられる大井戸、隠し部屋や隠し階段、ドンデン返し、抜け穴などもあり、別名・忍者寺ともよばれるほど複雑な構造。巧妙に外敵の目をあざむけるようになっている妙立寺を訪れる。

高速で五箇山方面に向かう。

蓮如上人の高弟、赤尾道宗が室町時代末期に開いた浄土真宗の寺院。併設の赤尾道宗遺徳館では、道宗ゆかりの品や棟方志功等の作品を展示する行徳寺を訪れる。

約300年前に加賀藩の塩硝上煮役を務めた家で、五箇山合掌造り最大の家屋。建物は間口26.4m、奥行12.7m、高さ14mの威容を誇る。内部は総ケヤキ造りの5階建てで、3〜5階は養蚕作業場。明治時代までは35人もの大家族が暮らした。1階には、加賀藩の巡視役人が宿泊した書院の間などもある岩瀬家を見学。

庄川の谷あいにせり出した平坦地にあり、三方を庄川に囲まれ、もう一方は雪持林の茂る急斜面となっています。集落には現在12棟の家屋があり、そのうち9棟が合掌造り家屋です。これらの合掌造り家屋は江戸時代末期(19世紀前期〜中期)に造られたものが2棟、明治時代に建てられたものが6棟、最も新しいものは大正14年(1925)に建てられていて、このころまで合掌造りの家が建築されていたことがわかる南砺市世界遺産菅沼合掌造り集落を散策。

世界遺産に登録された菅沼集落に残る合掌造り家屋を資料館として公開。食器や衣類、ワラジなどの生活用品のほか、養蚕、紙漉きの道具を約200点展示している五箇山民俗館に寄る。

かつて菅沼集落は火薬の原料となる塩硝の生産地だった。その原料の採取から出荷までの製造工程をジオラマや影絵コーナーでわかりやすく解説する塩硝の館に寄る。

1578年(天正6)の建築とみられる、4階建ての合掌造民家(重要文化財)。一向宗門徒と織田勢が戦った石山合戦のころに建てられたと伝えられる。囲炉裏を囲んで、当主が五箇山の歴史やこきりこ唄などについて詳しく話してくれる村上家に寄る。

御縮小屋といい、江戸時代に加賀藩の流刑地として8ケ所あった流刑小屋の一つ。1963年(昭和38)の豪雪で倒壊したため、現在あるのは、1965年(昭和40)に復元されたもので、間口2.8m、奥行3.6mの小さな茅葺き造り。入口の柱には、20cm角の食事差し入れ口が開けられ、ここから食料を罪人に与えていた流刑小屋を訪れる。

庄川からやや離れた段丘上に位置し、北東にゆるく傾斜する細長い台地に広がっています。この集落にある32戸の住宅のうち20戸が合掌造り家屋となっています。合掌造りとは、日本有数の豪雪地帯で知られる白川郷・五箇山地方で、特徴的に見られる急傾斜の切妻造り・茅葺きの民家のことです。1階は大工の手で造られ、屋根を構成する合掌部分は村人が自分達で造ったものです。広い屋根裏では養蚕が行われていました。現存する合掌造り家屋の多くは、江戸時代末期から明治時代に建てられたものですが、最も古いものは17世紀にさかのぼると考えられる世界遺産相倉合掌造り集落を散策する。

菅沼集落とともに世界遺産に登録された相倉集落の人々の暮らしぶりを紹介する2棟の合掌造民俗資料館、相倉民俗館に寄る。

旧尾崎家住宅を、そのままの形で利用。内部は、土間、居間、寝室などが田の字型に仕切られた典型的な合掌造家屋の様式になっている。展示は、自給自足の生活を続けてきた村人たちの民具や農具が中心。かつての主要産業であった塩硝[えんしょう]や養蚕の道具類などもある。屋根裏部屋では、釘を一切使用せず、縄やネソと呼ばれる木で組み立てた合掌造の構造が見られる相倉民俗館の1号館に寄る。

1号館から小道を少し下った旧中谷家住宅を利用。屋内では、相倉地区で盛んに製造されていた和紙の生産工程や道具、和紙工芸品の数々が見学できる。和紙の染紙や和紙の造花など、多岐にわたる工芸品に目をみはる相倉民俗館の2号館に寄る。

利賀方面に向かう。

仏の悟りの世界を表現した、曼荼羅と仏画を紹介する施設。瞑想の館は、4m四方の2枚の曼荼羅画と2枚の仏画を展示。この館には、世界に数点しかない胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅がある。いずれもネパールの曼荼羅絵師サシ・ドージ・トラチャン氏によるもので、極彩色で精緻な描写が特徴の瞑想の郷を訪れる。

毎年夏に開催された世界演劇祭で知られる利賀。南砺市利賀行政センター前の高台に集まっている4つの文化施設の総称の飛翔の郷を訪れる。

飛翔の郷の資料館。道を切り口に利賀の歴史、文化、民俗、産業に関する資料を紹介している。ユニークな建物はスペインの建築家セザール・ポルテラの設計の道の資料館を見学。

飛翔の郷の美術館。書道家・関根薫園氏の作品や、中国の古書、硯に墨といった書道具コレクションを展示する関根薫園書道美術館を見学。

飛翔の郷の民俗館。200年前に建てられた合掌民家を利用。養蚕、紙漉き、林業などの道具類、山里の生活用具を3000点余り紹介している利賀民俗館を見学。

飛翔の郷の展示館。富永氏が利賀を訪れたのをきっかけに創設された。利賀をテーマに色鉛筆で描かれた作品約50点を展示している富永一朗とが漫画館を見学。

白川郷方面に向かう。

五箇山と共に、世界遺産に登録されている白川郷 合掌造り集落。圧川を挟み、集落の対岸にある合掌造り民家園は、大小25棟の合掌造りからなる野外博物館。 一部の建物は、床や柱が建てられた当初のまま保存されている。白川郷最古の合掌造り旧山下家は、なんと江戸時代中期に建てられたものがある白川郷野外博物館合掌造り民家園を散策する。

荻町を見下ろす高台にある。約400年前、室町8代将軍足利義政の命令で信州松代から白川郷へ進出した、内ケ島為氏の家臣山下氏勝の居城だった場所。今はその面影もないが、新緑、紅葉、雪景色の合掌集落を一望できる絶好のポイントとなっている荻町城跡展望台を訪れる。

野外博物館合掌造り民家園内の建物の中で、もっとも規模の大きい合掌造り。明治後期の建築で、社の上をはしるウシノキは豪壮で目をみはる。建物内では白川村にあった離村集落の貴重な写真パネル50点を展示している中野義盛家住宅に寄る。

荻町最大の合掌造り住宅。江戸中期の建築とみられ、国の重要文化財にも指定されている。1573年(天正元)以来、和田家は、代々弥右衛門の名を継ぎながら名主を務めた。火薬の原料となる塩硝[えんしょう]の取引も許され、式台付きの玄関などに格式の高さがうかがえる。囲炉裏の間や仏間があり、昔、実際に使われていた生活用具や民具、農具のほか、婚礼時や祝い事に使用された赤漆の食器などが展示されている和田家住宅を訪れる。

白山方面に向かう。

未開発森林資源の開発を目的に特定森林地域開発林道として、昭和52年開通した日本を代表する山岳道路。石川県側の中宮料金ゲートから、終点の岐阜県馬狩料金ゲートまで全長33.3km。途中の観光ポイントに寄りながらドライブを楽しみヘアピンカーブや急勾配の上りがある白山スーパー林道をドライブする。

白山スーパー林道沿い、標高1400m地点にある駐車場。豊かな原生林が一帯に広がり、樹海越しに白山連峰の最高峰・御前ケ峰の美しい姿を望むことができる。向かいには、展望台のある瓢箪谷上園地への登り口があり、白山連峰の雄姿が目の前に広がるとがの木台駐車場を訪れ展望する。

白山スーパー林道沿いにある、蛇谷渓谷随一の大滝。落差86mのその流れは豪快で、水量の多い時は水しぶきが観瀑台まで飛んで来るふくべの大滝を訪れる。

白峰方面に向かう。

骨格レプリカ,貝化石,植物化石。日本初,体長28mのディプロドクスの骨格レプリカの展示や恐竜の世界を9面マルチシアターで体験できます。また,化石発掘体験もでき,見つけた化石は1個持って帰ることができます白山恐竜パーク白峰を見学。

80年(昭和55)に完成した、土と岩石を積み上げてできたロックフィル式ダム。高さは東京霞ケ関ビルと同じ153mで日本3位、左右は420m。ダム湖は山々に囲まれ、エメラルドグリーンの湖水をたたえている手取川ダムを訪れる。

手取峡谷方面に向かう。

手取川は狭い河岸段丘下に深い谷を刻み、美しい峡谷となる。黄門橋から対山橋間は、徒歩約1時間30分。峡谷を望めない部分もあるが、途中には御仏供杉や飛龍岩、不老峡、五色滝、綿ケ滝などの景勝が眺められる。特に、黄門橋や不老橋から見る景観は見事の手取り峡谷を訪れる。

賀一向一揆をわかりやすく知ることができる資料館。鳥越城跡・二曲城跡から発掘された貴重な出土品の展示や、映像シアターや立体映像が見られるマジックビジョンも備えている白山市立鳥越一向一揆歴史館を見学。

鶴来方面に向かう。

全国に約3000社を数える白山神社の総本宮。崇神天皇7年(紀元前91)の創建と伝えられる。祭神は白山比め大神、伊弉諾神、伊弉冉神。前田利家をはじめ歴代藩主の信仰が篤く、現存する本殿は10代藩主・重教の寄進によるもの。県の有形文化財に指定されている。境内の宝物館では、鎌倉後期の作で国重要文化財の木造狛犬など多くの宝物を展示する白山比め神社を訪れる。

金沢に向かう。

17:30金沢駅到達。
18:42金沢駅サンダーバードで出発

21:27大阪駅到達。

今回の旅行、加賀百万石の歴史文化に彩られた北陸エリアの中心都市、藩政時代の面影を残し、町並みや和の伝統文化をを満喫できる街、金沢。

世界遺産の村、家屋や田畑、すべてが昔話の舞台のような独特の民俗や食にふれる岐阜県の白川郷、富山県の五箇山の2つの合掌造り集落。

日本三霊山に数えられる白山の裾野から海岸までを含む広大なエリア、白山。

石川県、富山県、岐阜県の3つの県に渡るドライブ観光堪能しました。

今回のコースなかなかお勧めですね。
かなり内容が豊富で新鮮で充実した観光旅行でした。