石川
| 飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十七弾:石川県金沢タウン観光 2012年4月14日ー15日 古都の城下町から日本海、白山山麓と豊かな自然に囲まれた石川県に足を運び、しっとりとした風情と伝統が息づく加賀百万石の城下町、見事な庭園美の兼六園をはじめ、最新の現代アートが楽しめる金沢21世紀美術館、艶やかなひがし茶屋街、おいしい和菓子にすてきな伝統工芸、旅の醍醐味が凝縮されているエリア、金沢タウンを訪れました。 14日13:42大阪駅サンダーバードで出発 16:24金沢駅到達、駅周辺を散策する。 17:30駅付近のホテル到着後近江町市場方面に向かう。 280年の歴史を誇るこの市場は生鮮産品を主体にした「金沢市民の台所」と位置付けられ、市民からは「おみちょ」と呼ばれ親しまれています近江町市場を訪れ海鮮丼を召し上がる。 20:00ホテル到着後就寝。 15日7:00歩いて出発、主計町茶屋街方面に向かう。 19世紀末にエジソンが発明した蓄音器。20世紀半ばまで多くの人々に親しまれてきたが、デジタル化された現代ではほとんど見られなくなった。ここではその歴史やしくみの展示だけでなく、音色を聴くこともできる。蓄音器など540台、SPやLPレコード約2万8000枚を収蔵。サロンでのSPレコード鑑賞会、毎日11時・14時・16時の聴き比べ実演などで温かな音色を楽しめる金沢蓄音器館の前で記念撮影。 石川の菓子文化にふれることができる。江戸時代からの落雁の木型などが展示されているほか、20名以上の団体向けに和菓子作り体験も開催している石川県菓子文化会館を訪れる。 泉鏡花の生家跡に建てられた記念館。幻想的で人情味あふれる作品や、鏡花本人の魅力を体感できる。第1展示室ではこれまで上演されてきた演劇や映画のスチール写真、初版本の挿絵などを展示し、作品に登場する美しい人や本を紹介。第2展示室は旅行鞄やキセルなどゆかりの品々の展示ほか、代表作品の朗読が聴けるサウンドコーナーを設置している泉鏡花記念館の前で記念撮影。 1869年(明治2)に開かれた茶屋街。ひがし・にしともに、大店の旦那衆の社交の場として栄えた。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。浅野川大橋から中の橋までの浅野川南岸に、美しい格子戸の料亭が立ち並んでいる主計町茶屋街を散策する。 ひがし茶屋街方面に向かう。 かつての東の廓。廓といっても伝統と格式を誇り、文人や裕福な商人たちの社交場で、芸妓たちも琴・謡曲・茶の湯など、京都の祇園に並ぶ洗練された芸を身に付けていた。石畳の通りの両側には細かい木虫籠格子のはまった家々が軒を連ね、情緒たっぷり。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定のひがし茶屋街を散策する。 築約190年の規模を誇る大きなお茶屋。金沢市指定保存建造物に選定されている。数々のドラマや映画の舞台にもなっている館内を、昼は一般に広く公開し、夜は今もなお、一見さんお断りで1日に1組だけ華やかなお座敷があげられている懐華樓を訪れる。 1820年(文政3)の建築当時のままに残る、お茶屋の建物。国の重要文化財に指定されている。2階が客間で押入れや物入れを造らず、あくまでも遊芸を主体とした優美で繊細なお茶屋特有の粋な造り。お客が床の間を背にして座ると、その正面が必ず控えの間になっていて、その控えの間が演舞の場となって芸妓が艶やかな舞や三弦などの遊芸を披露する。1階には囲炉裏・石室・井戸なども、江戸時代のままに残る志摩を訪れる。 加賀百万石の前田利家公の守り本尊である、摩利支天をまつる真言宗の寺。日本三摩利支天のひとつで、毎朝護摩修法が行われる必勝祈願の霊場の宝泉寺を訪れる。 一般に七稲地蔵の名で通っているとおり、境内には稲を抱いた7体の地蔵が立っている。1858年(安政5)、地震や長雨による凶作が続き米価が暴騰。飢えた民衆が当時町人入山禁止だった卯辰山に入り込み、米が高くて食べられないと直訴したいわゆる泣き一揆が起こった。7体の地蔵は、この一揆で処刑された首謀者7人を祭ったものの寿経寺を訪れる。 南の方面に向かう。 1階では下絵に丹念に色を挿していく手描友禅の実演をはじめ、制作工程などを紹介。また、地階にはハンカチに型紙を当てて図柄を描き込む友禅の手作り体験コーナーや、加賀友禅のネクタイなどの即売コーナーもある加賀友禅伝統産業会館を訪れる。 赤レンガ造りの瀟酒な建物(重要文化財)は見るだけでも価値あり。1909年(明治42)に旧陸軍兵器庫として建てられ、のちに市立美術工芸大学の校舎に使われた。館内では古代の蝦夷穴古墳や近代製糸工場の再現など、石器時代から現代までの県の歴史と文化を分かりやすく展示している石川県立歴史博物館を訪れる。 石川県にゆかりのある美術工芸品の宝庫。野々村仁清作の国宝『色絵雉香炉』と重要文化財『色絵雌雉香炉』を常設展示。併設のカフェはパティシエの辻口博啓氏がプロデュースしている石川県立美術館を訪れる。 金沢の酒造家であり、茶人でもあった中村栄俊氏が収集した国重要文化財の夢窓疎石墨跡や南蛮蒔絵硯箱、雲井の銘がある青井戸茶碗など茶道美術の名品を中心に、書、絵画、古九谷、加賀蒔絵、加賀象嵌など約700点を所蔵。年4回展示替。毎回約60点を公開。また、1階の休憩室では庭園を眺めながら抹茶で一息つける金沢市立中村記念美術館を訪れる。 兼六園や金沢城公園近くの観光ゾーンにある現代美術館。有料の展覧会ゾーンはここでしか出会うことができない作品も多く、気軽にアートと触れ合うことができる。交流ゾーンは通り抜けも自由というこれまでにないオープンな雰囲気の金沢21世紀美術館を訪れる。 加賀藩前田家が、武家の式楽として保護、育成を図ったことから発展した金沢の能楽の歴史や伝統を紹介。能面や豪華な能装束をはじめ能楽に関する資料を映像や模型なども使って展示している金沢能楽美術館を訪れる。 大正時代の建物の趣はそのままに、2010年(平成22)に旧石川県庁をリノベーション。周辺の総合観光案内や無料の休憩スペースのほか、ポール・ボキューズをはじめ、工芸品のセレクトショップなどが出店する石川県政記念しいのき迎賓館を訪れる。 2008年にリニューアルオープンし、有料ゾーンの石川近代文学館と無料ゾーンの石川四高記念館を併設。石川県ゆかりの文学者の資料や、旧制第四高等学校の資料を展示している石川四高記念文化交流館を訪れる。 にし茶屋街方面に向かう。 1585年(天正13)、前田利家が前田家の祈願所として金沢城付近に建立。その後、3代藩主・利常が幕府からの攻撃に備え、1643年(寛永20)現在地に移築した。本堂に続く庫裏は外観が2階建て、内部が4階7層。23の部屋と29の階段がある。物見台ともとれる本堂屋上の望楼、金沢城への地下道と伝えられる大井戸、隠し部屋や隠し階段、ドンデン返し、抜け穴などもあり、別名・忍者寺ともよばれるほど複雑な構造。巧妙に外敵の目をあざむけるようになっている妙立寺を訪れる。 金沢の地名の由来に登場する芋掘藤五郎が、奈良時代に建立したといわれる寺。本堂に安置される本尊は、国の重要文化財に指定された阿弥陀如来像だ。像高21cmと小さいが、大ぶりな頭や手に重量感がある金銅仏。藤五郎夫婦の像や藤五郎の墓もある伏見寺を訪れる。 前身の西の郭は1820年(文政3)、12代藩主・斉広が公許を与えて妓楼地区を定めたのが始まりで、東の郭(現ひがし茶屋街)とともに誕生した。かつての賑わいにはおよぶべくもないが、今も木造のお茶屋と、大正11年に建てられた検番が当時を偲ばせる。夕方になると軒下に灯がともり、独特の風情を醸し出しているにし茶屋街を散策する。 西の郭で育った異才の作家・島田清次郎が幼い頃移り住み、小説『地上』の舞台ともなった吉米楼をその跡地に再現した資料館。1階は大正時代を彷彿とさせる室内に清次郎の関係資料を展示。2階は客をもてなすための座敷で、太鼓や三味線などが置かれ当時の華やかな雰囲気がうかがえる金沢市西茶屋資料館を訪れる。 泰澄大師(682〜767)を創始とする密教寺院。室生犀星が、幼年期に養子として引き取られた寺として有名だ。彼がその暗い生い立ちを抒情的に書き綴った『幼年時代』は、犀星の出世作として知られている。住職に宛てた書簡・初版本などの貴重な資料を展示する資料室のほか、門前には江戸の文政十年に行方不明の子供をたずねる岩知板の役をつとめた石「まよい子ここへもて来べし…」と刻まれた迷子石がある雨宝院を訪れる。 室生犀星生誕の地に2002年8月にオープンした記念館。犀星の遺品や直筆原稿、書籍などが展示される室生犀星記念館を訪れる。 武家屋敷方面に向かう。 かつては藩主の荷を運んだ水路で、ゴリや鮎もとれたという大野庄用水。その東側の小路に一歩足を踏み入れれば、江戸時代に逆戻りしたかのような武家屋敷跡に入る。両側に土塀が連なる細い道は、突き当たっては曲がる迷路のよう。戦いの際に敵が一気に侵入するのを防ぐ構造になっている。土塀にのった光沢のある瓦は雪や雨の多い北陸地方独特のもので、釉薬をかけて焼いてある長町武家屋敷跡を散策する。 長町で唯一、一般公開されている武家屋敷跡。代々奉行職を歴任してきた加賀藩士・野村伝兵衛信貞の屋敷跡で、格式を重んじた当時の様式を見学できる。特に、加賀藩のお抱え絵師で狩野派の画人・佐々木泉景による山水画をほどこした襖や、総檜造りの格天井、ギヤマン入りの障子戸などは、文化財的な評価も高い。また、庭園には樹齢400年のヤマモモやシイの古木、六尺に及ぶ大雪見灯篭、さくらみかげ石の大架け橋などが配置され、濡れ縁のすぐ下にまで迫る曲水、落水を配した佇まいからは、屋敷と庭園とが調和した造りを感じられる。また、石造りの階段を上ると茶室があり、眼下に庭園を眺めながらお抹茶を頂ける武家屋敷跡野村家[長町武家屋敷跡]を訪れる。 金沢城方面に向かう。 加賀藩祖の前田利家公と、正室お松の方を祀る神社。前田家代々の世嗣が住んだ金谷御殿の跡で、ギヤマンをはめ込んだ和洋折衷の神門(重要文化財)が目をひく。高さ25m。特にギヤマンが夕日に映える頃が美しい。琴や琵琶をかたどった橋や島を配した池泉回遊式庭園、金沢城の遺構である東門も見ておきたい尾山神社を訪れる。 1583年(天正11)、前田利家が金沢城に入城した直後から本格的な城づくりを開始。約30万平方mの敷地に20もの櫓をもつ城だったが、たび重なる火災から石川門と三十間長屋、鶴丸倉庫のみが残った。一時は金沢大学のキャンパスとして使用。現在は金沢城公園として整備され、復元した菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓などが立つ金沢城公園を散策する。 金沢城公園の中にある国の重要文化財。現存の長屋は1858年(安政5)に再建。現在の長さは二十六間半で武器弾薬の倉庫としても使用された三十間長屋[金沢城公園]を訪れる。 金沢城址の北、大手門跡の前にある。1599年(慶長4)に徳川家康との戦いに備えて造られたもの。城の周りにあった百間堀、白鳥堀などが埋め立てられた中で、唯一水をたたえている堀。加賀藩時代の金沢城が偲ばれる外濠公園大手堀[金沢城公園]を訪れる。 金沢城公園の石川門から大手堀方向へと続く散歩道。徳田秋声、室生犀星、泉鏡花の三文豪像や白鳥像など、21体もの彫刻が行き交う人を出迎えてくれる外濠公園白鳥路[金沢城公園]を訪れる。 金沢城公園内。3層3階の菱櫓と、橋爪門続櫓を2層2階建ての五十間長屋でつないだもので、明治以降の木造城郭建築物では最大規模。菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓、橋爪門続櫓は二ノ丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓、五十間長屋は武器などの倉庫だった。2001年(平成13)年に復元の菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓[金沢城公園]を訪れる。 金沢城公園の入り口に立つ、入母屋造の城門(重要文化財)。隠し鉄砲狭間や石落としなどを備え、屋根には鉛の瓦が葺かれた。瓦が白っぽいのもそのため。1759年の宝暦の大火で焼失し、1788年(天明8)に再建された石川門[金沢城公園]を通り兼六園に向かう。 春の桜、初夏のカキツバタ、秋の紅葉、冬の雪吊りなど、四季折々の美しさで知られる名園。1676年(延宝4)、加賀藩5代藩主・前田綱紀の時代に最初の庭が造られて以来、代々の藩主によって今の形に整えられた。総面積は約11万平方m。完成まで実に180年の歳月を要している。名の由来は、中国で名園の条件とされた宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝すべてを兼備するところから、松平定信が命名。池や橋、樹木、茶室などが配された庭園を歩くと、加賀百万石の伝統と美意識に浸ることができる兼六園を散策する。 兼六園内にある噴水。現存する日本最古の噴水と言われ、霞ケ池を水源に自然の水圧で高さ約3.5mまで噴き上がる噴水[兼六園]を訪れる。 兼六園内の霞ケ池西南岸に立つ、内橋亭の背後にある築山。13代藩主・前田斉泰が、霞ケ池を掘り広げたときの土を利用してつくったもの。山頂に向かってグルグルとらせん状の道が延び、それがまるでサザエの殻を思わせることから名付けられた栄螺山[兼六園]を訪れる。 兼六園内にある歴代藩主の別荘。かつては噴水前にあり明治初期に取り壊されたが、2000年(平成12)に復元。ゆったり腰を下ろして庭園を眺めながら、煎茶や抹茶が味わえる時雨亭[兼六園]を訪れる。 兼六園内にある池。中ほどがくびれて、瓢箪の形をしているのでその名がある。霞ケ池から下った水が翠滝となって流れ落ち、中の島には秀吉から贈られたという説もある海石塔が立つ瓢池[兼六園]を訪れる。 兼六園内にある茶室。1774年(安永3)に建てられた、園内で最も古い建物。瓢池の隣にあり、次の間の袖壁に夕顔の透彫りがあるので、夕顔亭と名付けられた夕顔亭[兼六園]を訪れる。 兼六園内に植えられた珍しい黒松。大小40数本もの根が、地面から2mも盛り上がっている。13代藩主・前田斉泰のお手植えといわれ、盛り土の上に松を植えた後、土を取り除いたとされている根上松[兼六園]を訪れる。 兼六園の中央に位置する、園内最大の池。池の周囲には兼六園のシンボル的存在の徽軫灯籠をはじめ、虹橋・唐崎松・栄螺山などの見どころが点在。高台にありながら満々と水をたたえた水面に影を落とす、四季折々の眺めがすばらしい霞ケ池[兼六園]を訪れる。 兼六園内の霞ケ池北岸に立つ灯籠。灯籠の足が、琴の糸を支える琴柱に似ていることからこの名がある。その前に架かる虹橋を琴に見立てた意匠は、兼六園のシンボルとなっている徽軫灯籠[兼六園]を訪れる。 兼六園の中にある曲水に架かる木橋で、名前のとおり花見には最適の場所の花見橋[兼六園]を訪れる。 兼六園の中にあり、雁が列を作って飛んでいる姿に似ていることから名付けられた。亀甲型の赤戸室石が11枚連なった石橋で、渡ると長生きするといわれるが現在は通行できない雁行橋(亀甲橋)[兼六園]を訪れる。 「衣・食・住・祈・遊・音・祭」のテーマ別に、石川の伝統工芸品を紹介する施設。九谷焼・輪島塗・山中漆器をはじめ、能登上布・牛首紬・加賀毛針など地域に根ざした工芸品が36種類。毎週土・日曜と祝日(冬期は休み)には、伝統工芸士による実演も行う石川県立伝統産業工芸館を訪れる。 加賀百万石前田家を代表する建造物。1863年(文久3)、13代齋泰が12代奥方、真龍院のため、兼六園に造営した。大名の風格と数奇を併せ持つ稀有な書院造で、庭園と共に国の重要文化財。長さ約20m、1本の柱も無いつくしの縁から眺められる庭園や極彩色の花鳥が欄間・障子腰板・ギヤマンに描かれるなど奥方の御殿にふさわしい意匠を凝らした造りの成巽閣を訪れる。 16:00金沢駅方面に向かう。 16:40金沢駅到達。 16:57金沢駅サンダーバードで出発 19:35大阪駅到達。 今回の旅行、何回も訪れたことのある石川県金沢タウン、ひたすら歩いて時計回りで金沢城公園・兼六園周囲の名所を巡ってから閉めは金沢公園・兼六園を時間をかけて巡り、金沢タウン観光を無事終了いたしました。 しっとりとした風情と伝統が息づく加賀百万石の城下町、京都と比べ小規模ですが、町並みは把握しやすく一日観光で十分堪能できる金沢タウン観光旅行でした。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
|
| 飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五十九弾:石川県能登半島&舳倉島観光 2011年9月17−19日 古都の城下町から日本海、白山山麓と、豊かな自然に囲まれた石川県に足を運び、ダイナミックな自然と日本の原風景が残り、新鮮な魚介や渚の温泉地に加え美術館や新名物・能登丼など、新旧の魅力が満載のエリア能登半島、能登半島の輪島港から北へ約48km、万葉集にも詠われた海女の島、最高点でも標高が12.4mしかない平坦な島で、西側は複雑な地形の崖が続き、東側の穏やかな入り江に港や集落があります舳倉島を訪れました。 17日13:14大阪駅サンダーバードで出発 16:10金沢駅到達、レンタカーで輪島に向かう。 18:00輪島到達、市内のホテルに入室後、繁華街を散策し、食事を済ませて就寝。 18日6:30輪島市内を散策する。 10・25日を除き毎日立つ市は、輪島塗りと並ぶ輪島の名物。河井町の朝市通りには、夜明けとともに近在の町から鮮魚や野菜を運んできた人が次々と露店を出し、朝8時頃には200軒近くの店が並ぶ。売り手はいずれも農家や漁師のおかみさんたち。鮮魚や野菜のほか、乾物、洋服、骨董・民芸品など商品も実にバラエティ豊かな輪島朝市を訪れる。 1321年(元亨元)、瑩山紹瑾禅師によって開かれ、永平寺とともに曹洞宗の大本山として栄えた。江戸中期には全国に1万6000余りの末寺を有するほどの勢力を誇っていたが、1898年(明治31)の大火で大部分を焼失。本山は横浜市鶴見区に移され、こちらは祖院となった。現在は焼け残った山門、伝燈院に加え、再建された七堂伽藍が約6万6000平方mの境内に威風堂々と構えている大本山總持寺祖院を訪れる。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
|
| 飛行機で国内&海外の観光地巡り第百四十三弾:福井・石川県武生&越前&加賀温泉郷観光 2011年5月14日ー15日 福井県から石川県南部まで足を運び、白壁の続く蔵の辻散歩を楽しみたい武生、眼鏡生産で有名な鯖江、話題のグリーンツーリズムが盛んな今立、越前ガニ、奇岩で有名な越前、山代、山中、粟津、片山津の4つの温泉地が揃う加賀温泉郷を訪れました。 14日12:30車で第二京阪京滋名神北陸自動車道経由して 14:30今庄インター下車、今庄に向かう。 京都と北陸、若狭と越前をつなぐ交通の要衝として、また、江戸期には北国街道の宿場町として栄えた。JR今庄駅の西側を南北に延びる道沿いには、大名や幕府役人など位の高い人が宿泊した江戸後期建築の本陣や商家、旅籠など往時の面影が色濃く残っている。なかでも、京藤甚五郎家は、赤みの強い越前瓦の屋根と卯達が、ひときわ異彩を放っている。通りのあちこちに史跡や建物の特徴を解説した立て札がある今庄宿を散策する。 今立方面に向かう。 開創は719年(養老3)。檜皮葺屋根の本殿は入母屋と唐破風が重なった造りで、国の重要文化財にも指定されている。背後の山には、大滝神社奥の院と並んで、1500年前にこの里に紙漉きの技を伝えた川上御前を全国で唯一紙祖神として祭る、岡太神社の本殿もある大滝神社を訪れる。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
|
| 飛行機で国内&海外の観光地巡り第七十二弾:金沢&五箇山&白川郷観光 2009年9月5−6日 今回は加賀百万石の城下町、伝統文化と最新アートがクロスする金沢、世界遺産の村、合掌集落の白川郷と五箇山、日本三霊山に数えられる白山の裾野から海岸までを含む広大なエリア、白山に足を運びました。 5日13:12大阪駅雷鳥で出発 16:04金沢駅到達、レンタカーで兼六園に向かう。 16:30兼六園到達。 春の桜、初夏のカキツバタ、秋の紅葉、冬の雪吊りなど、四季折々の美しさで知られる名園。1676年(延宝4)、加賀藩5代藩主・前田綱紀の時代に最初の庭が造られて以来、代々の藩主によって今の形に整えられた。総面積は約11万平方m。完成まで実に180年の歳月を要している。名の由来は、中国で名園の条件とされた宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝すべてを兼備するところから、松平定信が命名。池や橋、樹木、茶室などが配された庭園を歩くと、加賀百万石の伝統と美意識に浸ることができる兼六園を散策する。 兼六園の中央に位置する、園内最大の池。池の周囲には兼六園のシンボル的存在の徽軫灯籠をはじめ、虹橋・唐崎松・栄螺山などの見どころが点在。高台にありながら満々と水をたたえた水面に影を落とす、四季折々の眺めがすばらしい霞ケ池を訪れる。 六園内の霞ケ池北岸に立つ灯籠。灯籠の足が、琴の糸を支える琴柱に似ていることからこの名がある。その前に架かる虹橋を琴に見立てた意匠は、兼六園のシンボルとなっている徽軫灯籠を拝見。 兼六園の中にあり、雁が列を作って飛んでいる姿に似ていることから名付けられた。亀甲型の赤戸室石が11枚連なった石橋で、渡ると長生きするといわれるが現在は通行できない雁行橋(亀甲橋)を拝見。 3代藩主・前田利常の命で、金沢城の防火用水として城内に水を引き入れるためつくられた、辰巳用水の一部を庭づくりに生かしたもの。岸に植えられた桜やツツジ、水辺のカキツバタが美しい曲水を拝見。 兼六園の中にある曲水に架かる木橋で、名前のとおり花見には最適の場所の花見橋を訪れる。 兼六園内に植えられた珍しい黒松。大小40数本もの根が、地面から2mも盛り上がっている。13代藩主・前田斉泰のお手植えといわれ、盛り土の上に松を植えた後、土を取り除いたとされている根上松を拝見。 兼六園内の霞ケ池西南岸に立つ、内橋亭の背後にある築山。13代藩主・前田斉泰が、霞ケ池を掘り広げたときの土を利用してつくったもの。山頂に向かってグルグルとらせん状の道が延び、それがまるでサザエの殻を思わせることから名付けられた栄螺山を訪れる。 兼六園内にある池。中ほどがくびれて、瓢箪の形をしているのでその名がある。霞ケ池から下った水が翠滝となって流れ落ち、中の島には秀吉から贈られたという説もある海石塔が立つ瓢池を訪れる。 兼六園内にある噴水。現存する日本最古の噴水と言われ、霞ケ池を水源に自然の水圧で高さ約3.5mまで噴き上がる噴水を拝見。 兼六園内にある茶室。1774年(安永3)に建てられた、園内で最も古い建物。瓢池の隣にあり、次の間の袖壁に夕顔の透彫りがある夕顔亭を拝見。 兼六園内にある歴代藩主の別荘。かつては噴水前にあり明治初期に取り壊されたが、2000年(平成12)に復元した時雨亭を訪れる。 兼六園の冬の風物詩・雪吊りは、雪の重みから庭木を守る作業。支柱を立てて頂上から円錐状に縄を張るりんご吊りと呼ばれる手法が代表的で、格別の美しさ。なかでも唐崎松が見事の雪吊りを拝見。 1583年(天正11)、前田利家が金沢に入った直後から本格的な城づくりを開始。約30万平方mの敷地に20もの櫓をもつ城だったが、たび重なる火災から石川門と三十間長屋のみが残った。一時は金沢大学のキャンパスとして使用。現在は金沢城公園として整備され、復元した五十間長屋や菱櫓などが立つ金沢城公園を散策する。 金沢城公園の入り口に立つ、入母屋造の城門(重要文化財)。隠し鉄砲狭間や石落としなどを備え、屋根には鉛の瓦が葺かれた。瓦が白っぽいのもそのため。1759年の宝暦の大火で焼失し、1788年(天明8)に再建された石川門を訪れる。 金沢城公園内。3層3階の菱櫓と、橋爪門続櫓を2層2階建ての五十間長屋でつないだもので、明治以降の木造城郭建築物では最大規模。菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓、橋爪門続櫓は二ノ丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓、五十間長屋は武器などの倉庫だった。2001年(平成13)年に復元した菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓を訪れる。 金沢城公園の中にある国の重要文化財。現存の長屋は1858年(安政5)に再建。現在の長さは二十六間半で武器弾薬の倉庫としても使用された三十間長屋を訪れる。 金沢城址の北、大手門跡の前にある。1599年(慶長4)に徳川家康との戦いに備えて造られたもの。城の周りにあった百間堀、白鳥堀などが埋め立てられた中で、唯一水をたたえている堀。加賀藩時代の金沢城が偲ばれる外濠公園大手堀を訪れる。 金沢城公園の石川門から大手堀方向へと続く散歩道。徳田秋声、室生犀星、泉鏡花の三文豪像や白鳥像など、21体もの彫刻が行き交う人を出迎えてくれる外濠公園白鳥路を訪れる。 長町武家屋敷跡方面に向かう。 早道飛脚足軽の組屋敷地であった旧早道町(現幸町周辺)に残されていた高西家、清水家の2軒の足軽屋敷を移築し、内部を公開している。足軽とは身分の低い歩兵のことだが、加賀藩の足軽は、小さいながらも庭付きの一戸建てに住んでいた。また、間取りも接客空間を重視した武家屋敷の流れをくむ。職務、武術、世襲など足軽関係の文献資料も公開している金沢市足軽資料館を見学。 かつては藩主の荷を運んだ水路で、ゴリや鮎もとれたという大野庄用水。その東側の小路に一歩足を踏み入れれば、江戸時代に逆戻りしたかのような武家屋敷跡に入る。両側に土塀が連なる細い道は、突き当たっては曲がる迷路のよう。戦いの際に敵が一気に侵入するのを防ぐ構造になっている。土塀にのった光沢のある瓦は雪や雨の多い北陸地方独特のもので、釉薬をかけて焼いてある長町武家屋敷跡を散策する。 加賀初代藩主前田利家が金沢城に入場した際、直臣として従った加賀藩士・野村伝兵衛信貞の屋敷跡。総檜造りの天井やギヤマン入りの障子戸に歴史を感じる。樹齢400年以上のヤマモモの木やシイの木、曲水、落水の名石を配した格式ある庭園は見応えがある武家屋敷跡野村家に寄る。 兼六園や金沢城公園近くの観光ゾーンにある現代美術館。展覧会ゾーンはここでしか出会うことができない作品も多く、気軽にアートと触れ合うことができる金沢21世紀美術館を見学。 ひがし茶屋町付近のライトスポットをあびた梅の橋を拝見してから 17:00金沢駅付近のホテル到達後繁華街を散策して食事を済まして床に就く。 6日6:00レンタカーで出発、天候快晴、絶好の観光日和 3つの茶屋町を早朝散策する。 文政3年(1820)に加賀藩が、この近辺に点在していたお茶屋を集めて整備した茶屋街です。石畳の道の両側に紅殻格子のお茶屋が軒を連ね、藩政時代の情緒が色濃く残っているひがし茶屋町を散策する。 1869年(明治2)に開かれた茶屋街。ひがし・にしともに、大店の旦那衆の社交の場として栄えた。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。浅野川大橋から中の橋までの浅野川南岸に、美しい格子戸の料亭が立ち並んでいる主計町茶屋街を散策する。 前身の西の郭は1820年(文政3)、12代藩主・斉広が公許を与えて妓楼地区を定めたのが始まりで、東の郭(現ひがし茶屋街)とともに誕生した。かつての賑わいにはおよぶべくもないが、今も木造のお茶屋と、大正11年に建てられた検番が当時を偲ばせる。夕方になると軒下に灯がともり、独特の風情を醸し出しているにし茶屋街を散策する。 1585年(天正13)、前田利家が前田家の祈願所として金沢城付近に建立。その後、3代藩主・利常が幕府からの攻撃に備え、1643年(寛永20)現在地に移築した。本堂に続く庫裏は外観が2階建て、内部が4階7層。23の部屋と29の階段がある。物見台ともとれる本堂屋上の望楼、金沢城への地下道と伝えられる大井戸、隠し部屋や隠し階段、ドンデン返し、抜け穴などもあり、別名・忍者寺ともよばれるほど複雑な構造。巧妙に外敵の目をあざむけるようになっている妙立寺を訪れる。 高速で五箇山方面に向かう。 蓮如上人の高弟、赤尾道宗が室町時代末期に開いた浄土真宗の寺院。併設の赤尾道宗遺徳館では、道宗ゆかりの品や棟方志功等の作品を展示する行徳寺を訪れる。 約300年前に加賀藩の塩硝上煮役を務めた家で、五箇山合掌造り最大の家屋。建物は間口26.4m、奥行12.7m、高さ14mの威容を誇る。内部は総ケヤキ造りの5階建てで、3〜5階は養蚕作業場。明治時代までは35人もの大家族が暮らした。1階には、加賀藩の巡視役人が宿泊した書院の間などもある岩瀬家を見学。 庄川の谷あいにせり出した平坦地にあり、三方を庄川に囲まれ、もう一方は雪持林の茂る急斜面となっています。集落には現在12棟の家屋があり、そのうち9棟が合掌造り家屋です。これらの合掌造り家屋は江戸時代末期(19世紀前期〜中期)に造られたものが2棟、明治時代に建てられたものが6棟、最も新しいものは大正14年(1925)に建てられていて、このころまで合掌造りの家が建築されていたことがわかる南砺市世界遺産菅沼合掌造り集落を散策。 世界遺産に登録された菅沼集落に残る合掌造り家屋を資料館として公開。食器や衣類、ワラジなどの生活用品のほか、養蚕、紙漉きの道具を約200点展示している五箇山民俗館に寄る。 かつて菅沼集落は火薬の原料となる塩硝の生産地だった。その原料の採取から出荷までの製造工程をジオラマや影絵コーナーでわかりやすく解説する塩硝の館に寄る。 1578年(天正6)の建築とみられる、4階建ての合掌造民家(重要文化財)。一向宗門徒と織田勢が戦った石山合戦のころに建てられたと伝えられる。囲炉裏を囲んで、当主が五箇山の歴史やこきりこ唄などについて詳しく話してくれる村上家に寄る。 御縮小屋といい、江戸時代に加賀藩の流刑地として8ケ所あった流刑小屋の一つ。1963年(昭和38)の豪雪で倒壊したため、現在あるのは、1965年(昭和40)に復元されたもので、間口2.8m、奥行3.6mの小さな茅葺き造り。入口の柱には、20cm角の食事差し入れ口が開けられ、ここから食料を罪人に与えていた流刑小屋を訪れる。 庄川からやや離れた段丘上に位置し、北東にゆるく傾斜する細長い台地に広がっています。この集落にある32戸の住宅のうち20戸が合掌造り家屋となっています。合掌造りとは、日本有数の豪雪地帯で知られる白川郷・五箇山地方で、特徴的に見られる急傾斜の切妻造り・茅葺きの民家のことです。1階は大工の手で造られ、屋根を構成する合掌部分は村人が自分達で造ったものです。広い屋根裏では養蚕が行われていました。現存する合掌造り家屋の多くは、江戸時代末期から明治時代に建てられたものですが、最も古いものは17世紀にさかのぼると考えられる世界遺産相倉合掌造り集落を散策する。 菅沼集落とともに世界遺産に登録された相倉集落の人々の暮らしぶりを紹介する2棟の合掌造民俗資料館、相倉民俗館に寄る。 旧尾崎家住宅を、そのままの形で利用。内部は、土間、居間、寝室などが田の字型に仕切られた典型的な合掌造家屋の様式になっている。展示は、自給自足の生活を続けてきた村人たちの民具や農具が中心。かつての主要産業であった塩硝[えんしょう]や養蚕の道具類などもある。屋根裏部屋では、釘を一切使用せず、縄やネソと呼ばれる木で組み立てた合掌造の構造が見られる相倉民俗館の1号館に寄る。 1号館から小道を少し下った旧中谷家住宅を利用。屋内では、相倉地区で盛んに製造されていた和紙の生産工程や道具、和紙工芸品の数々が見学できる。和紙の染紙や和紙の造花など、多岐にわたる工芸品に目をみはる相倉民俗館の2号館に寄る。 利賀方面に向かう。 仏の悟りの世界を表現した、曼荼羅と仏画を紹介する施設。瞑想の館は、4m四方の2枚の曼荼羅画と2枚の仏画を展示。この館には、世界に数点しかない胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅がある。いずれもネパールの曼荼羅絵師サシ・ドージ・トラチャン氏によるもので、極彩色で精緻な描写が特徴の瞑想の郷を訪れる。 毎年夏に開催された世界演劇祭で知られる利賀。南砺市利賀行政センター前の高台に集まっている4つの文化施設の総称の飛翔の郷を訪れる。 飛翔の郷の資料館。道を切り口に利賀の歴史、文化、民俗、産業に関する資料を紹介している。ユニークな建物はスペインの建築家セザール・ポルテラの設計の道の資料館を見学。 飛翔の郷の美術館。書道家・関根薫園氏の作品や、中国の古書、硯に墨といった書道具コレクションを展示する関根薫園書道美術館を見学。 飛翔の郷の民俗館。200年前に建てられた合掌民家を利用。養蚕、紙漉き、林業などの道具類、山里の生活用具を3000点余り紹介している利賀民俗館を見学。 飛翔の郷の展示館。富永氏が利賀を訪れたのをきっかけに創設された。利賀をテーマに色鉛筆で描かれた作品約50点を展示している富永一朗とが漫画館を見学。 白川郷方面に向かう。 五箇山と共に、世界遺産に登録されている白川郷 合掌造り集落。圧川を挟み、集落の対岸にある合掌造り民家園は、大小25棟の合掌造りからなる野外博物館。 一部の建物は、床や柱が建てられた当初のまま保存されている。白川郷最古の合掌造り旧山下家は、なんと江戸時代中期に建てられたものがある白川郷野外博物館合掌造り民家園を散策する。 荻町を見下ろす高台にある。約400年前、室町8代将軍足利義政の命令で信州松代から白川郷へ進出した、内ケ島為氏の家臣山下氏勝の居城だった場所。今はその面影もないが、新緑、紅葉、雪景色の合掌集落を一望できる絶好のポイントとなっている荻町城跡展望台を訪れる。 野外博物館合掌造り民家園内の建物の中で、もっとも規模の大きい合掌造り。明治後期の建築で、社の上をはしるウシノキは豪壮で目をみはる。建物内では白川村にあった離村集落の貴重な写真パネル50点を展示している中野義盛家住宅に寄る。 荻町最大の合掌造り住宅。江戸中期の建築とみられ、国の重要文化財にも指定されている。1573年(天正元)以来、和田家は、代々弥右衛門の名を継ぎながら名主を務めた。火薬の原料となる塩硝[えんしょう]の取引も許され、式台付きの玄関などに格式の高さがうかがえる。囲炉裏の間や仏間があり、昔、実際に使われていた生活用具や民具、農具のほか、婚礼時や祝い事に使用された赤漆の食器などが展示されている和田家住宅を訪れる。 白山方面に向かう。 未開発森林資源の開発を目的に特定森林地域開発林道として、昭和52年開通した日本を代表する山岳道路。石川県側の中宮料金ゲートから、終点の岐阜県馬狩料金ゲートまで全長33.3km。途中の観光ポイントに寄りながらドライブを楽しみヘアピンカーブや急勾配の上りがある白山スーパー林道をドライブする。 白山スーパー林道沿い、標高1400m地点にある駐車場。豊かな原生林が一帯に広がり、樹海越しに白山連峰の最高峰・御前ケ峰の美しい姿を望むことができる。向かいには、展望台のある瓢箪谷上園地への登り口があり、白山連峰の雄姿が目の前に広がるとがの木台駐車場を訪れ展望する。 白山スーパー林道沿いにある、蛇谷渓谷随一の大滝。落差86mのその流れは豪快で、水量の多い時は水しぶきが観瀑台まで飛んで来るふくべの大滝を訪れる。 白峰方面に向かう。 骨格レプリカ,貝化石,植物化石。日本初,体長28mのディプロドクスの骨格レプリカの展示や恐竜の世界を9面マルチシアターで体験できます。また,化石発掘体験もでき,見つけた化石は1個持って帰ることができます白山恐竜パーク白峰を見学。 80年(昭和55)に完成した、土と岩石を積み上げてできたロックフィル式ダム。高さは東京霞ケ関ビルと同じ153mで日本3位、左右は420m。ダム湖は山々に囲まれ、エメラルドグリーンの湖水をたたえている手取川ダムを訪れる。 手取峡谷方面に向かう。 手取川は狭い河岸段丘下に深い谷を刻み、美しい峡谷となる。黄門橋から対山橋間は、徒歩約1時間30分。峡谷を望めない部分もあるが、途中には御仏供杉や飛龍岩、不老峡、五色滝、綿ケ滝などの景勝が眺められる。特に、黄門橋や不老橋から見る景観は見事の手取り峡谷を訪れる。 賀一向一揆をわかりやすく知ることができる資料館。鳥越城跡・二曲城跡から発掘された貴重な出土品の展示や、映像シアターや立体映像が見られるマジックビジョンも備えている白山市立鳥越一向一揆歴史館を見学。 鶴来方面に向かう。 全国に約3000社を数える白山神社の総本宮。崇神天皇7年(紀元前91)の創建と伝えられる。祭神は白山比め大神、伊弉諾神、伊弉冉神。前田利家をはじめ歴代藩主の信仰が篤く、現存する本殿は10代藩主・重教の寄進によるもの。県の有形文化財に指定されている。境内の宝物館では、鎌倉後期の作で国重要文化財の木造狛犬など多くの宝物を展示する白山比め神社を訪れる。 金沢に向かう。 17:30金沢駅到達。 18:42金沢駅サンダーバードで出発 21:27大阪駅到達。 今回の旅行、加賀百万石の歴史文化に彩られた北陸エリアの中心都市、藩政時代の面影を残し、町並みや和の伝統文化をを満喫できる街、金沢。 世界遺産の村、家屋や田畑、すべてが昔話の舞台のような独特の民俗や食にふれる岐阜県の白川郷、富山県の五箇山の2つの合掌造り集落。 日本三霊山に数えられる白山の裾野から海岸までを含む広大なエリア、白山。 石川県、富山県、岐阜県の3つの県に渡るドライブ観光堪能しました。 今回のコースなかなかお勧めですね。 かなり内容が豊富で新鮮で充実した観光旅行でした。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
|