兵庫

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百五十八弾:兵庫県お城・城下町巡り&小京都重要伝統的建造物群保存地区観光
2018年12月8-9日
 

摂津・播磨・丹波・但馬・淡路と、それぞれ異なる魅力に溢れる5つのエリアがあります。北は日本海、南は瀬戸内海に接し、変化に富んだ美しい景観を楽しめるのも魅力。世界遺産「姫路城」、雲海に浮かぶ「竹田城」、異国情緒漂う「神戸」、伝説と花の島「淡路島」等、人気観光スポットが数多くある兵庫県に足を運び、兵庫県に点在する比較的マイナーなお城5か所、小京都重要伝統的建造物群保存地区9か所を訪れました。

8日12:30車で出発、阪神高速経由して神戸に向かう。
お城・小京都重要伝統的建造物群保存地区巡り。

伊丹城:築城年代は定かではないが南北朝時代には伊丹氏の居城であった。 南北朝時代には数々の戦が摂津国で行われ、伊丹城でも数々の功城戦が行われ、時には落城している。
天正2年(1574年)織田信長は茨木城主荒木村重に命じて、池田城主池田氏と伊丹城主伊丹氏を攻め滅ぼし、荒木村重を摂津国守護として伊丹城へ置いた。 村重は伊丹城を有岡城と改名して城の大改修を行った。
天正6年(1578年)播磨国三木城主の別所長治が織田信長に叛くと、つづいて村重も織田信長に叛き有岡城に籠城した。この時、黒田孝高が村重を説得するために赴いたが、そのまま捕えられて幽閉された。信長は池田・塚口・食満・加茂・倉橋・原田・刀根山に軍勢を配して有岡城を包囲し、長期戦にはいった。天正7年(1579年)村重は近習を連れて夜陰に紛れて有岡城を脱し、尼崎城へ逃れた。城主が存在しないまま籠城を続けていたが遂に裏切り者が出て、周囲を固める砦が破られ天正7年(1579年)末に落城した。
その後、信長は池田之助を城主に置いたが、天正11年(1583年)美濃国へ転封となり羽柴秀吉の直轄領となって廃城となった。

尼崎城:元和3年(1617年)戸田氏鉄によって築かれた。 古来より近畿と西国を結ぶ要所である尼崎には、戦国時代には細川氏によって城郭が築かれていたという。
豊臣時代からの尼崎郡代である建部氏は、元和元年(1615年)大坂夏の陣の戦功により一万石の加増をうけ尼崎藩を立藩するが、元和3年(1617年)播磨国林田へ転封となった。
代わって近江国膳所より五万石で入部した戸田氏鉄は、幕命により尼崎城を築き、以後譜代大名が続いて明治に至る。

鷹尾城:山城部分を「鷹尾城山城」平城部分を「芦屋城」と区別していうこともある。阿波の細川澄元の畿内進出の防衛最前線基地として、細川高国が「鷹尾山の天険を利用して、早急に山城を築け」と瓦林正頼に命じたと言われている。
鷹尾城は築城後よりすぐに芦屋河原の合戦の中心となり、赤松義村軍の猛攻にあい瓦林正頼らは鷹尾城からおちのびたが、船岡山合戦より赤松義村軍が兵をひいたのを見計らい、瓦林正頼は鷹尾城を改修するとともに越水城を築城しこれを本城とし、鷹尾城は家臣の鈴木与次郎に守らせ越水城の支城とした。その後記録が残っていないので、越水城が廃城となった同時期に鷹尾城も廃城になったと思われる。(

神戸北野:北野・山本地区は明治以来、雑居地として発展してきたことから、異人館と呼ばれる洋風建築と和風建築が混在し、独特の町並みを形成してきました。
エキゾチックで個性的な景観を保全・育成するために、神戸市では明治・大正・昭和初期の33件の洋風建築物と7件の和風建築物を伝統的建造物として認定していますが、これら以外にも異人館をはじめとする伝統的遺産が現存しています。

洲本城:築城年代は諸説あり定かではないが室町時代後期に安宅氏によって築かれた。 天正9年(1581年)安宅氏は羽柴秀吉に破れ降伏する。 天正10年(1582年)仙石秀久が城主となるが天正13年(1585年)脇坂安治が城主となり大改修した。
大坂夏の陣後はその功により阿波徳島の蜂須賀氏に加増され重臣の稲田氏が城代となった。

17:00姫路方面に向かう。
18:30姫路市内のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
9日7:30車で出発。

室津:江戸時代、参勤交代時に諸大名の乗船、下船地として賑わったとか。最盛期には、一ツ屋・薩摩屋・筑前屋・肥前屋・肥後屋・紀伊国屋と呼ばれる六つの本陣があったそうです。通常は一つの宿場町に一つの本陣がほとんどだったと言うので、当時の賑わいはすごいものだったのでしょう。残念ながら今は、本陣跡として「本陣 薩摩屋跡」などの石碑が残っているだけでした。
室津に残る江戸期の建物は回漕問屋「島屋」を資料館にした室津海駅館と海産物問屋「魚屋」を改装した室津民俗館で、これら2軒の商家以外には昔ながらの町並みは残っていませんでした。それでも町屋のほとんどが和瓦の屋根で統一されていてノスタルジックでとても良い雰囲気でした。

坂越:江戸時代から廻船業で栄えた港町。国指定記念物の原生林が茂る生島が目の前に見える。旧坂越浦会所から、国道250号方面へ行く道の両脇に古い街並みが残る。造り酒屋・奥藤家の堂々たる建物や坂越まち並み館(などをゆっくり見学したい。

龍野:播磨の小京都ともいわれる脇坂藩5万3000石の城下町。うすくち醤油に代表される産業の町でもある。鳥かごを伏せたような鶏籠山のふもとに脇坂安政が城を構えたのが寛文12年(1672年)。清流揖保川のほとりには、今も家老門や武家屋敷、醤油蔵がたたずみ、しっとりとした情緒を感じさせる。龍野城跡など見どころが集まる旧市街は道が細いので徒歩が便利。童謡「赤とんぼ」を作詞した三木露風や哲学者の三木清など、龍野ゆかりの文化人の資料館も見ごたえがある。

平福:400年前の景観が今なお残る街並。

街道沿いに建つ家々の格子やウダツといった意匠、佐用川沿いに連なる川座敷や土蔵群など、因幡街道の宿場町として栄えた名残が多く残る街並が魅力の佐用町を代表する観光スポット。また、江戸時代から続く醤油醸造元"たつ乃屋"や、宮本武蔵初決闘の地など、長い歴史を持つ平福ならではの魅力もたくさんある、

竹田:城下町は初代藩主中川秀成(ひでしげ)(1570~1612年)が整備。碁盤の目のように広がる区画は岡藩繁栄の象徴とされ、殿町の武家屋敷通り(歴史の道)は土塀と石垣がある江戸時代の屋敷13軒が並び、築200年の建造物もある。
 市は1979年に旧市街地の町並み保存を目的に「市史跡等環境保存条例」を制定。2016年に「市景観条例」に移行し▽入り母屋・切り妻の和風瓦屋根の推奨▽高さ15メートル以内▽原色は使わない近隣のバランスに配慮した色彩―を定めた。江戸時代~戦前の日本家屋29棟が国や県、市の文化財として登録、指定を受けた。
 市はさらに20棟を登録文化財候補として挙げ、所有者に対して「竹田の財産を残しませんか」と提案、交渉を進める。空き家の場合は、空き家バンクを通じて利用希望者を探している。2年前に地域おこし協力隊として東京都から移住した小笠原順子さん(37)は、殿町にある築88年の木造住宅を購入した。「竹田で子育てをして、趣がある町並みを守りたい」と話す。
 重伝建は城下町や宿場町など建造物群と環境が保存された地区。市町村が都市計画や条例で区域を定め、文部科学大臣が市町村の申し出により、価値が高いものを選ぶ。
 城下町は江戸時代の商家や武家屋敷、明治~昭和の建造物が混在し、建造物群として認められていない。

出石:豊岡市は兵庫県の北東部に位置しています。市域の南東部にある出石は、出石川と東の山塊から流れ出る谷山川との合流部付近に位置し、有子山を背にして北に広がっています。現在の出石は、慶長9年(1604)頃、小出吉英が出石城を築城するとともに城下町を整備したことにはじまると考えられています。
 保存地区は、出石城跡をはじめとして、近世後期における城下町の町割や敷地の間口割をよく残すとともに、近世から近代に建てられた町家や寺社建築、武家屋敷など、但馬地方における城下町の歴史的風致を今日に良く伝えています。

丹波篠山篠山城下:城下町における保存地区の範囲は、国指定史跡篠山城跡とその周囲に町割りされた旧武家町、旧商家町からなり、東西約1,500メートル、南北約600メートル、面積約40.2ヘクタールに及びます。旧武家町は篠山城の外堀に面して上級武士の長屋門を残し、城の西に位置する南北の通り-御徒士町通りには天保元(1830)年の大火直後に建てられたとされる茅葺入母屋造りの武家屋敷を残し、通りに面して土塀と棟門を配します。旧商家町は、江戸時代末期から大正期に建てられた町家を連たんして残します。篠山市篠山伝統的建造物群保存地区は、天下普請による篠山城跡を核とし、武家町や商家町の町割りを残すなど、近世の城下町の基本的構造を良く残すと共に、武家屋敷や近世から近代にかけて建てられた商家及び寺院など、城下町の要素を全体としてよく残し、その歴史的風致を良く今日に伝え、全国でも価値が高い町並みであると評価され、平成16(2004)年12月10日付けで国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に選定され、平成19(2007)年2月には城下町篠山の町並みが美しい日本の歴史的風土100選に選ばれました。

丹波篠山福住:篠山城下から京都に向かう宿場町、福住地区。平成24年12月に国の重要伝統的建造物保存地区に選定されました。丹波地方独特の商家の建物が多くみられ、宿場町の面影が色濃く残る町並み。素朴な雰囲気がお散歩にぴったりです。

三木城:築城年代は定かではないが別所氏によって築かれたと云われる。 別所氏の系図については定かではないが、赤松則村(円心)の弟敦光が別所五郎左衛門を名乗ったのが始まりと云う説や、赤松季則の次男である頼清が、永暦元年(1160年)に加西郡在田荘別所村に移り、別所城を築いて居城とし別所氏を称した説などがある。
史料に登場するのは6代別所則治で、文明15年(1483年)守護赤松政則が山名氏に大敗し国人層の信頼を失い堺に逃亡、翌年には浦上則政に家督を廃された。 この時、別所則治が前将軍足利義政にとりなして家督を安堵させ、文明17年政則に従軍して播磨に入国した。
戦国時代に入ると守護赤松氏の勢力は衰退し、別所氏はしだいに自立することとなり、天文7年(1538年)と翌8年には尼子氏の侵攻にあったが、これを撃退した。 天文23年(1554年)三好氏が有馬重則を助けて播磨に入国し別所氏の諸城を落とすと、別所氏は三好に属した。 しかし三好氏が織田氏によって勢力を削がれると、別所氏は織田氏に通じ三好と対立、天正6年(1578年)には毛利氏に付き、織田軍の羽柴秀吉と対立する。秀吉は三木城を完全に包囲し周辺の諸城を落とした後、別所長治以下一族が自害し落城した。
その後は天正13年(1585年)摂津国茨木より中川秀政が入城するが、朝鮮の役で没した。弟秀成が継いだものの禄高は半減となり、文禄3年(1594年)豊後国岡に転封となった。
慶長5年(1600年)池田輝政が姫路に入部すると、三木城には伊木忠次が三万石で在城したが、元和の一国一城令によって廃城となった。

17:00終了、帰路に向かう。
今回の旅行、兵庫県に足を運び、兵庫県に点在する比較的マイナーなお城5か所、小京都重要伝統的建造物群保存地区9か所を訪れ楽しみました。

今回も地味なお城が多いが洲本城は立派な石垣がしっかり残っており感動しました。
小京都重要伝統的建造物群保存地区は何回も訪れたことがあり再確認しました。
今回で全国のお城1000箇所を訪れ制覇し無事終了しました。
 

















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百八十三弾:兵庫県お城巡り観光
2016年11月26-27日


摂津、但馬、丹波、播磨、淡路と、広大なエリアに多数の国を擁し、山名氏と赤松氏が勢力を誇っていたが、羽柴秀吉の前に屈し、国宝で世界遺産の姫路城は、城郭史において極めて重要な存在である兵庫県に足を運び、比較的マイナーなお城9か所を訪れました。

26日17:00車で出発、阪神中国山陽自動車道経由して赤穂インター下車。
19:30赤穂駅付近のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。
27日7:30車で出発。お城巡り。

白旗城:築城年代は定かではないが元弘3年(1333年)頃に赤松円心則村によって築かれたと云われる。
建武2年(1335年)新田義貞が大軍を率いて白旗城を包囲したが、50日あまりの籠城を耐え抜き落城しなかった。しかし、嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱では山名軍によって落城、赤松氏は城山城で一時滅亡した。

上月城:築城年代は定かではないが、鎌倉時代末期に上月景盛が大平山に上月城を築いたのが始まりとされる。上月氏は赤松氏の庶流で四代続いたが、嘉吉の乱によって滅亡した。天正5年(1577年)織田信長の部将羽柴秀吉が福原城を攻略して上月城を攻めた。上月城は赤松政範が籠もり宇喜多直家が救援に駆けつけたが、高倉山に本陣を構えていた羽柴秀吉によって上月城は落城し、政範は自刃して果てた。尼子勝久を担いで尼子家再興を願う山中鹿之介は織田信長に与し、この上月城を守ったが、天正6年(1578年)毛利の大軍によって落城し、尼子勝久は自刃、山中鹿之介は捕らえられて毛利の本陣へ護送される途中に討たれた。

利神城:貞和5年・正平4年(1349年)別所敦範によって築かれたのが始まりである。 別所氏は嘉吉元年(1441年)嘉吉の乱により赤松氏とともに滅亡したが応仁元年(1467年)別所治定が再興して城主となった。 しかし、天正6年(1578年)上月城の山中鹿之助によって攻められ落城した。
関ヶ原合戦後は播磨国を領した池田輝政の甥にあたる池田由之が城主となり佐用三万石を領した。 完成した城の威容を見た輝政は慶長12年(1607年)三層の天守の破却を命じ由之を退去させ長政を城主としたが期間は3年程であった。
佐用郡は続いて輝政の妻である良正院尼公(徳川家康の女)に化粧領として与えられ4年後には実子である輝興に城主を譲った。
寛永8年(1631年)輝興は赤穂に転封となり廃城となった。
城は山頂に"へ"の字のような形で石垣で固めた曲輪を配しているが、中央に三層の天守をあげた本丸を配し南に二之丸と馬場、西に三の丸を配している。
一般的には南から尾根伝いに登ることになるが尾根まで登るとすぐに幅2m程の道の両側を石垣で固め石段のある番所跡のような所がある。そこから尾根を進むと石垣で固めた空堀に木橋が掛けられ続いて天王社が祭られた横穴が現れる。 それを越えると三の丸まで何もないが三の丸手前の山上にたどり着いたときには山頂に見える崩れかけた石垣の異様な光景に暫し座り込んで見入っていた。

置塩城:文明元年(1469年)赤松政則によって築かれた。 赤松氏は嘉吉の乱によって一時没落していたが、南朝方から神璽を取り戻した功によって、政則の家督相続が認められ加賀半国の守護として復興した。
その後政則は、応仁の乱で細川勝元の命で播磨へ攻め込み、旧領の回復に努め、代々の居城であった白旗城から置塩城へ居城を移した。
天正5年(1577年)赤松則房は羽柴秀吉の播磨平定に従って、天正13年(1585年)の四国征伐に功があり、阿波国住吉に一万石の所領を得て阿波国住吉城に移り置塩城は廃城となった。
羽柴秀吉が姫路城を改修した際に、置塩城の用材を姫路城に転用したといわれる。

八木城:築城年代は定かではない。 八木城は石垣造りの石城と土塁造りの土城があり通常八木城とは石城を指す。
城主八木氏は「山名四天王」のひとりに数えられたが山名氏の勢力が衰えるとしだいに毛利氏に近付くが天正5年(1577年)と天正8年(1580年)の2度にわたる羽柴軍の但馬攻めによって15代八木豊信は降伏する。
降伏した豊信は天正8年(1580年)の羽柴秀吉による鳥取城攻めに従って因幡国若桜鬼ケ城の守備を命ぜられたが毛利氏の攻撃によって落城、豊信は後に日向国佐土原城主の島津家久に仕えた。
天正13年(1585年)別所重棟が一万二千石で入封するが子吉治は関ヶ原合戦で西軍に属した為に改易となった。

此隅山城:築城年代は定かではないが文中年間(1372年~1374年)に山名時義によって築かれたと云われる。山名氏はその全盛期において11ヶ国(山城・和泉・紀伊・丹波・丹後・但馬・因幡・伯耆・美作・隠岐・出雲)の守護を勤め「六分の一殿」と呼ばれる程の一大勢力を誇った。
応仁の乱では山名持豊(出家して宗全)は西軍の総大将として東軍の細川勝元と対峙した。しかし、戦国時代になるにつれ山名氏の守護としての地位は落ち、永禄12年(1569年)羽柴秀吉によって攻められ此隅山城は落城し、城主の山名祐豊は但馬から堺へ逃れた。その後、堺商人の力を借りて但馬に復帰し、天正2年(1574年)に有子山城を築いて居城とした。 このとき、此隅山城の別名子盗を嫌い有子と名付けたと云われる。

有子山城:天正2年(1574年)山名祐豊によって築かれた。 永禄12年(1569年)羽柴秀吉によってそれまでの居城であった此隅山城が落城し、山名祐豊は但馬から堺へ逃れた。その後、堺商人の力を借りて但馬に復帰し、天正2年(1574年)に有子山城を築いて居城とした。 このとき、此隅山城の別名子盗を嫌い有子と名付けたと云われる。
但馬へ復帰した山名祐豊であったが、天正8年(1580年)再び織田軍の羽柴秀長によって攻められ有子山城は戦うことなく開城、城主山名氏政は城を脱して因幡へ逃れ、城内に残った山名祐豊は五日後に病死したと云われる。
天正13年(1585年)前野長康が五万石で入封したが、関白豊臣秀次の処刑に連座して殺された。文禄4年(1595年)播磨国龍野から小出吉政が五万三千石で入封、慶長9年(1604年)小出吉英が山麓に出石城を築いて居城とし、山頂の有子山城は廃城となった。

黒井城:築城年代は定かではないが建武年間(1334年~1338年)に赤松貞範によって築かれたと云われる。 箱根竹ノ下の戦功によって足利尊氏より春日部荘を得た赤松貞範が築いたとされる。
その後、荻野氏の居城となり、荻野和泉守・荻野伊予守と替わった。荻野氏時代の大手口は東方面とされ、荻野伊予守秋清は留堀城を館城としていたといわれる。
天文11年(1542年)後屋城主赤井時家の次男才丸は朝日城の荻野一族に請われて荻野氏を継ぎ、朝日城主となった。これが丹波の赤鬼と称された荻野(赤井)直正で、天文23年(1554年)叔父の黒井城主荻野秋清を留堀城で殺害し黒井城主となった。
荻野直正は兄の後屋城主赤井家清が亡くなると、その子忠家の後見人として赤井家を取り込み、丹波国のみならず但馬国へも侵攻して勢力を広げ、八上城波多野氏とともに西丹波を支配した。
天正4年(1576年)織田信長の部将明智光秀が丹波攻略を命じられ黒井城を包囲したが、この時は八上城波多野秀治が背反して光秀は近江国坂本へ引き上げた。 天正6年(1578年)荻野直正が病没すると、その子正置(直義)は幼少の為、三尾城主赤井幸家が後見人となった。しかし、天正7年(1579年)明智光秀は八上城を落とし、さらに氷上郡の諸城を落として黒井城を孤立させ、8月9日攻め落とした。
黒井城を攻め落とした光秀は斎藤利三を城主とした。利三は南麓(現興禅寺)に館を構え、ここで春日局が誕生したといわれる。明智光秀が山崎合戦で羽柴秀吉に敗れると、黒井城主として堀尾吉晴が入部するが、天正13年(1585年)堀尾吉晴は近江国佐和山へ転封となり廃城となった。

岩尾城:永正13年(1516年)和田斉頼によって築かれたと云われる。 和田氏は文明3年(1471年)谷基綱が地頭として信濃国南和田より入部(一説にそれより三代前の谷頼綱が至徳年間(1384年~1387年)に入部した説もあり)したのが始まりとされる。 基綱の子頼衡は一族の斉頼を婿として迎えたが、斉頼は養父頼衡を殺害して和田日向守と名乗り、近隣を侵略して井原荘を和田荘と改名したという。斉頼は天文13年(1548年)病没し、師李が城主となったが、天正7年(1579年)丹波へ侵攻した明智光秀に攻められ落城した。天正14年(1586年)近江国木戸より佐野栄有が三千七百五十石で入封すると、岩尾城を近世城郭へと改修した。文禄4年(1595年)佐野栄有は近江国木戸へと移り、その後は前田玄以の属城となって慶長2年(1597年)廃城となった。

16:00終了、帰路に向かう。

今回の旅行、近場の兵庫県に足を運び、比較的マイナーなお城9か所を訪れ楽しみました。
比較的地味で目立った遺跡が少ないお城めぐりでした。
 











行機で国内&海外の観光地巡り第百五十八弾:兵庫県但馬観光
2011年9月10-11日


兵庫県の全国的に知られる城崎温泉や湯村温泉があり、城崎マリンワールドや兵庫県立コウノトリの郷公園などのレジャースポットや、高原でのアウトドアスポーツ、日本海の冬を代表する味覚・松葉ガニや但馬牛、出石の皿そばなどグルメも堪能したい但馬を訪れました。

10日12:30車で出発、近畿中国舞鶴自動車道経由して
14:30和田山到達

朝来市には茶すり山古墳など1600カ所以上もの遺跡があり、それらから出土した貴重な考古資料を展示・収蔵している施設。土器や古墳のパズルなどで遊べるコーナーもある古代あさご館を見学。

ヒメハナ舞ロードを進むと広がる公園。県指定天然記念物であるウツギノヒメハナバチが飛び交い、夏の訪れを告げる場所で、地域住民の憩いの場になっている。全長170mに及ぶローラースライダーや「未来への架け橋」をイメージして造られたヒメハナ橋があり、桜など四季折々の風情を楽しめるヒメハナ公園を散策する。

豊岡方面に向かう。

豊岡市日高町出身の冒険家・植村直己の功績を紹介。グリーンランド単独行で使用した犬ぞりやテント、北極点単独行の際に使用していた装備品、愛用品を展示している植村直己冒険館を訪れる。

特別天然記念物コウノトリの野生への復帰と保護増殖を図る施設。観察施設も併設する兵庫県立コウノトリの郷公園を訪れる。

18:00豊岡駅付近のホテル到達。繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

11日7:00車で出発。

山陰屈指の奇勝。円山川沿いの山裾に、高さ35mの柱状節理が70mにわたって続く。160万年前の火山活動で生じた溶岩が冷却され、五角形や六角形の角柱となった。柱石により形成された大岩壁には、天然記念物の玄武洞(江戸時代の儒学者・柴野栗山が命名)など、古代中国の神獣の名を冠した5つの洞窟が並び、春の新緑、秋の紅葉は特に美しい。京都大学の松山基範博士によって、現在の地磁気の方向とは正反対である「逆転地場」が発見された場所としても世界的に有名な玄武洞を訪れる。

城崎に向かう。

738年(天平10)、道智上人開基と伝わる古刹。和様・唐様・天竺様の折衷様式の本堂(重要文化財)は但馬地方最古の木造建造物である。本尊十一面観音(重要文化財)、十六善神像・宝篋印塔(重要文化財)など寺宝も多い温泉寺を訪れる。

香住海岸・竹野・浜坂方面に向かう。

竹野浜を中心として東西4kmにわたって広がる美しい浜。「日本の渚百選」のひとつにも選ばれている。海岸沿いには豪壮な景観のはさかり岩、切浜北端の岬には神秘的な雰囲気が漂う淀の洞門、遊歩道を整備した猫崎半島など美しい自然景観がみどころ。猫崎半島は兵庫県の最北端にあり、まるでキューピットが仰向けに横たわっているような形をしている竹野海岸を訪れる。

海食崖が続く山陰海岸のなかでも、特に起伏に富むリアス式海岸線が続く景勝地。香住湾を中心に、西は国指定天然記念物である鎧の袖や釣鐘洞門、東は今子浦、旭洞門などの奇岩、洞門が続く香住海岸を訪れる。

745年(天平17)に創建され、天明年間(1781~89)に密蔵・密英の二上人により再建された古刹。江戸中期の画家円山応挙とその弟子たちの手になる襖絵を多数所蔵し、別名応挙寺ともよばれている。有名な『老松孔雀図』をはじめ、一門の障壁画165面すべてと仏像3体が国の重要文化財になっている。2009年4月より、丸山応挙「孔雀の間」「芭蕉の間」「山水の間」三部屋の襖絵は「再製画」になり、お部屋の中まで入ってすぐ近くで襖絵を拝観できるようになった大乗寺を訪れる。

JR山陰本線の鎧駅~餘部駅間に架かる朱色の鉄橋。1912年(明治45)完成。橋の下に駐車場があり、走り抜ける列車を眺めることができる。列車に乗って体験する場合、トンネルを出るとすぐに鉄橋となる下り線ルートがおすすめ。まるで空に飛び出すような気分だ。餘部駅へは急な細い山道が続くため、車では行けない、現在はコンクリート橋に変わっている余部鉄橋を訪れる。

鳥取・兵庫県境のリアス式海岸。但馬御火浦(天然記念物・名勝)を中心に海食された岩礁や洞門が続く。探勝には但馬海岸遊覧船がいい。また、素朴な浜坂温泉郷(海に近い浜坂温泉、少し内陸寄りの七釜温泉の総称)、『夢千代日記』でその名を全国に知られるようになった山陰の名湯・湯村温泉への入り口としても賑わう浜坂海岸を訪れる。

浜坂海岸のうち、浜坂港から香住の伊笹岬に至る約8kmの海岸線。柱状節理が美しい三尾大島、動物の形に似た奇岩のほか、波や風が岩をうがった洞門が多く、なかでも2つの洞門が組み合わさった釣鐘洞門は印象的な但馬御火浦[浜坂海岸]を訪れる。

湯村温泉に向かう。

『夢千代日記』にちなんで、荒湯のすぐ近くに立つ。モデルは主人公を演じた吉永小百合。周辺には出演者の手形が刻まれている夢千代像[湯村温泉]を訪れる。

ドラマ「夢千代日記」に登場した旅館などを再現するほか、昭和30年代の温泉街を再現したコーナーもある夢千代館を訪れる。

16:00帰路に向かう。

今回の旅行、兵庫県の但馬に足を運び、古くから温泉地として知られ、良質な湯や新鮮な日本海の幸、旅情をそそる情緒たっぷりの町並みの城崎、平安時代、慈覚大師によって開湯されたと伝わる由緒ある古湯、ドラマ夢千代日記の舞台としても有名な湯村、豊岡市津居山から新温泉町浜坂までの日本海のエリア、但馬御火浦や余部鉄橋などの絶景が見られるスポットが点在する但馬海岸、国指定の特別天然記念物であるコウノトリの日本最後の生息地として知られ、豊かな自然とともに、数多くの郷土料理や伝統工芸が今も残る豊岡をドライブ観光して満喫しました。

今回でほぼ兵庫県を制覇、全国制覇も近ずいています。頑張ります。











兵庫県家島諸島家島本島観光
2011年6月15日


兵庫県の小さな島も合わせれば、四十四あるとも言われて、名前の由来は、神武天皇が遠出のさいに嵐にあい、避難された時、湾の中に入ると、その嵐が嘘のように静かになり、「まるで家のなかにいるようだ」と言われたことから、なずけられた家島諸島に足を運び、ひなびた離島をイメージして来ると覆されますが急斜面に、ぎっしりと建つ家々を見ていると、まるでここは地中海のように統一性はありませんが、独特の景色をかもしだしています。港は活気あふれ、大きな海運業の船や、漁師船の姿も見られます。入り組んだ迷路のような路地裏を散策するのも楽しい家島本島を訪れました。

12:30車で近畿中国山陽自動車道経由して
13:50姫路港到達
14:00姫路港高速艇で出発
14:25坊勢島到達
14:35坊勢島出発
14:50家島本島到達、散策する。

家島本島の南端にある観音崎にかかる月の美しさを詠んだものです。赤坂清水を発見した法道仙人は観音崎に 住み、観音像を刻んだとも伝えられています。近くには法道仙人にゆかりがあり、形が魚の鰈に似ていることから「鰈岩」と呼ばれている 奇岩があります。この周辺は、変化に富んだ海岸線が楽しめる絶好の景勝地です。 宮港より徒歩で約32分の観音崎を訪れる。

家島本島の宮の南端、観音崎近くの海岸線にある奇岩です。この奇妙な名前はある伝説に由来しています。昔、観音崎に住んでいた法道仙人が、そばを通りかかった船に食べ物を求めたところ、 漁師は食べ残した鰈を与えました。怒った仙人が鰈を海中に投げ捨てると、にわかに嵐が起き、漁船は沈没してしまいました。その後、 鰈を捨てたところに鰈の頭そっくりの岩ができ、鰈岩と呼ばれるようになったということです。鰈岩の周辺は入り組んだ海岸線の奇観が 楽しめます。
宮港より徒歩で約32分の鰈岩を訪れる。

瀬戸内海を飛来する渡り鳥が多く見られ、バードウォッチングが楽しめます。野鳥の森から海底送水管送水 ルートにかけて続く遊歩道を散策するのも一興です。
真浦港より徒歩で約23分の野鳥の森遊歩道を訪れる。

家島事務所から約600m南の破風と呼ばれる地区にある湧水と、櫻谷に降る雪景色を指しています。赤坂清水 は「破風の井戸」の名でも親しまれています。昔、伝説上の人物として知られる法道仙人が島に来遊したときにこの井戸を発見され、どんな干ばつのときにもかれない井戸と伝えられています。ちなみにこの井戸は、水道が引かれるまで地区の貴重な飲み水として利用されてい ました。
真浦港より徒歩で約17分の赤坂清水・櫻谷雪景を訪れる。

家島本島の宮港の入江に船を寄せ、一夜を明かす興趣を指しています。「播磨鑑」の漢詩では、当時の停泊の 様子を「入江のほとりは小さな山に囲まれて、青く澄んだ海は穏やかだ。高い帆柱を横にして小さな流れに舟をつないでいる」と表現して います。 この社はその昔、滋賀県高島町にある白髭神社から勧請されたものと伝えられています。 「播磨鑑」の漢詩は「神のご威光はおごそかで、全ての悩みを助けてくださる。周囲の緑がお霊屋を隠しているが、付近の港を率いているようだ。世の中が順調なのは仏が姿を変えて助けてくださるからだろう。風景は麗しく輝き、年々咲く花も美しい」と意訳されます。 宮港より徒歩で約7分の宮浦夜泊・宮浦神社を訪れる。

家島本島・宮港の東の天神鼻にあり、神社の周囲は島唯一の原生林に囲まれています。平安時代、時の右大臣、 菅原道真公が左遷により太宰府に向かう途中、島に立ち寄り、休憩した跡に小さな社を建て、その後、社殿を新築したと伝えられていま す。また、「続日本後記」には、承和7年(840)に、宮社になったことが記されています。祭神は大己貴命、小名彦命、天満天神で、毎年7月25日に行われ、壇尻船が出る勇壮な夏祭りは、家島神社の例祭です。
宮港より徒歩で約13分の家島神社を訪れる。

家島本島の天神鼻にある家島神社付近の美しい樹林です。その昔、菅原道真が平安京から太宰府に配流される 途中に立ち寄ったと伝えられています。「播磨鑑」の漢詩では「光り輝く道真公の霊廟がある嶮しい崖は晴れわたり、銀色をした入り江は、 冠の紐を洗うことができるほどだ。梅の花はまるで雲のように見え、その香りと色は十分だ。天神の森の評判の高まるのは当然だ」と訳さ れています。
宮港より徒歩で約13分の天満霊樹を訪れる。

海が作り出した自然名勝です。宮港より徒歩で約13分の天神鼻を訪れる。

寛永16年(1639)、海上警備のために江戸幕府が設けた番所(見張所)からの素晴らしい眺めのことで す。家島本島にある清水公園がかつての番所の位置にあたります。「この場所から見る入江の風景は周囲を圧し、夕日にひときわ映える光 景は煙霧の中に見える対岸の姫路城の天守閣だ」と「播磨鑑」には記されています。 宮港より徒歩で約12分の監館眺望を訪れる。

家島本島、宮の山上にあります。苑内には多くの伽藍が並び、無数の地蔵尊が奉納されています。周囲の眺望も 素晴らしく、家島港内はもとより男鹿島や瀬戸内海が一望できます。また、春には桜の名所として親しまれています。
宮港より徒歩で約18分の万体地蔵苑を訪れる。

家島本島・真浦区民総合センターの隣にある亀の形をした岩です。主人の帰りを待ち続けた亀が石になったと 伝えられるこの岩は、水天宮として地元の信仰を集めています。 真浦港下船後すぐのどんがめっさんを訪れる。

家島本島・真浦港の近くにある標高約70mの城山のことを指します。城山という名前は、中世の頃、この山頂 に城郭が築かれていたことに由来します。当時、飯盛山と呼ばれていたこの山に城を築いたのは、苦瓜助五郎本道と伝えられ、現在も構居 (砦)跡と老松数本が往時の様子をしのばせます。ここから見下ろす家島湾の眺望も必見です。 真浦港より徒歩で約5分の城山公園を訪れる。

間浦は、現在の家島本島の真浦です。「間浦古郭」は室町時代、京都の石清水八幡宮の所領だった頃、苦瓜助五郎本道という役人が、家島諸島に赴任し城山(飯盛山)に築いた城跡のことだと伝えられています。ここからの海の眺望には素晴らしいものがあります。 真浦港より徒歩で約5分の間浦古郭を訪れる。

18:15真浦港フェリーで出発
18:45姫路港到達、帰路に向かう。

今回の名所巡り前回の続きで兵庫県の家島諸島に足を運び、家島諸島で最も栄えた家島本島を訪れ点在する自然と歴史的建造物にふれ楽しめました。

離島といえば過疎地、しかし家島本島は姫路から近いこともあり人口が多く、家並みも多く立派でした。他の離島では考えられない若い方が多かったのが驚きです。家島本島内での仕事はたくさんあるのでしょうね。








兵庫県家島諸島坊勢島&男鹿島観光
2011年6月1日


兵庫県の瀬戸内海の東部に位置する諸島、淡路島・香川県の小豆島・本州に囲まれ、本州の姫路市の沖合い 18km に位置し播磨灘の海域に属す。東西26.7km、南北18.5kmにわたり大小40余りの島嶼で構成される家島諸島に足を運び、漁師の島、国内屈指のとても漁師の多い町で、港には至るところで、若い漁師達の力強さを感じとることができる。八月の第一土曜には、ぺーロンフェスタが開催され、各地から多くの参加者が集い、熱戦を繰り広げます。また、展望台からは、360度の風景が見渡せます坊勢島、まるでグランドキャニオンに来たかのような、砕石場の断崖絶壁は圧巻!!また、砕石場の跡地を利用して建てられたダチョウ牧場や鹿公園などもあります。そしてなんと言っても砂浜が綺麗。毎年八月の第一土曜日には、立ての浜海水浴場で地引網も行っています男鹿島を訪れました。

12:30車で近畿中国山陽自動車道経由して
13:50姫路港到達
14:00高速艇で出発、坊勢島に向かう。
14:30坊勢島到達、散策する。

坊勢島奈座港の入り口に、海からぽっかり突き出した岩山で、弁天島とも「神権さん」とも呼ばれて親しまれ、 岩の上には漁師の守護神である弁財天がまつられています。この島は、伝説の島としても知られています。昔、掟破りの漁ばかりする漁師とその娘が、漁に出たところ、珍しく大漁となり、喜び勇んで港を目指しましたが、途中で、激しい嵐に 見舞われ、船が転覆寸前になりました。娘は父に、「嵐は無法な漁のたたりだから、魚を海に返すように」と説得しましたが、父は聞き入れません。娘は自分を身代わりにと、自ら海に身を投じたところ、嵐はおさまり、水煙がみるみる固まって岩になりました。この娘の心が まるで弁天様のようだということから、この岩が弁天島と呼ばれるようになったということです。 坊勢島港よりすぐの神権伝説の島(弁天島)を訪れる。

坊勢島の「海の公園」づくりのために、平成元年に完成しました。 坊勢島港より徒歩で18分の坊勢海水浴場を訪れる。

坊勢島の奈座地区にある坊勢寺跡で往時を偲ぶ漢詩です。その昔、島に比叡山西塔実相院の高僧、覚円が配流さ れました。その後、覚円を慕って比叡山の若い僧が大勢島に渡ってきたと言われています。ちなみに坊勢という島名は覚円にちなむとも、 百済の王子の子孫で、坊勢法師と名乗る海の軍人の首領にちなむとも言われています。 坊勢島港より徒歩で約6分の坊勢寺跡を訪れる。

坊勢島奈座港西端の山頂にあり、瀬戸内の眺望が楽しめます。建立は元慶7年(883)以前と伝えられていま すが、詳しい年次は不明です。蛭子大神を祭神とし、例祭として坊勢の秋祭りが毎年行われます。
坊勢島港より徒歩で約12分の恵美酒神社を訪れる。

瀬戸内に開けた港や灯台など、島ならではの情緒が楽しめます。坊勢島港より徒歩15分の坊崎を訪れる。

16:00高速艇で男鹿島に向かう。
16:09男鹿島到達、散策する。

毎年、海開きの7月初旬を待ちかねるように、美しい海を求めて、京阪神から大勢の海水浴客が家島諸島に 集まります。澄んだ海、白い砂浜に恵まれ、マリンスポーツや、日光浴が楽しめます。 男鹿島港下船後すぐの立ノ浜海水浴場を訪れる。

新たな憩いの場をと、町では2番目の鹿公園として平成4年完成しました。 男鹿島港より徒歩で約3分の男鹿島鹿公園を訪れる。

男鹿島の淡賀楯崎の岬から望む播磨灘の眺めれる場です。古来、楯崎は月の眺めが良い場所と言われ、林の中にはお地蔵様がまつられてきました。近年、この場所には島名にちなんで鹿公園がつくられ、新しい観光地になっています。 男鹿島港より徒歩で約3分の淡賀楯崎を訪れる。

男鹿島の北東に位置し、立ノ浜と並ぶ海水浴場です。毎年、海開きの7月初旬になると、美しい海を求めて、京阪神から大勢の海水浴客が訪れます青井ノ浜海水浴場を訪れる。

17:49高速艇で姫路港に向かう。
18:10姫路港到達、車で帰路に向かう。

今回の名所巡り、兵庫県の家島諸島に足を運び、坊勢島、男鹿島の2つの島を訪れ散策し史跡巡りしました。

以前クルーザーで何回も訪れた家島諸島、海水浴兼バーベキューでしたが今回は初めての観光、離島も歴史があり史跡が点在しています、楽しめました。








兵庫県淡路島沼島観光
2011年5月11日

大阪湾、播磨灘、紀伊水道に囲まれた国内第7位の規模の淡路島に足を運び兵庫県淡路島の南方、紀伊水道に浮かぶ島。南あわじ市に属し、淡路島の南方4.6キロメートルにあり、結晶片岩からなり、奇岩と断崖が連続し、瀬戸内海国立公園の一部である。縄文後期からの土器片も出土し、古代の海人族が居住した地とされる。『古事記』の国生み神話にみえる淤能碁呂島とされ、伊邪那岐信仰の厚い漁業専業の島、沼島を訪れました。

12:30車で阪神第二神明淡路鳴門自動車道経由して西淡三原インター下車
14:30土生港到達
15:00土生港フェリーで出発
15:10沼島到達、散策。

元慶四年(880年)に開基された由緒あるお寺です。宮寺であるのでこの寺の僧が、神官とともに沼島八幡神社の守護にあたりました。梶原氏の菩提寺でもあったので、厨子、紺紙金泥経、曼陀羅など、数々の宝物は梶原氏の寄進と伝えられます。本堂の裏の傾斜地を利用し、岩盤を生かした「築山式枯山水庭園」は市指定史跡名勝天然記念物の神宮寺を訪れる。

永享8年(1436)梶原俊景が京都石清水八幡宮の分霊を阿万八幡宮を通じて勧請し創建したと伝えられます。かつては水軍の拠点であり、昔から海を生活のより所としてきた沼島の生活をうかがいしれる絵馬13額が掛けられ、全国的にも珍しい逆羅針盤が天井に奉納されています沼島八幡神社を訪れる。

松香石という特殊な石でつくられている。古くから梶原景時の墓と伝えられており、この塔の造立年代も鎌倉初期のものと見られている 梶原五輪石(梶原景時の墓)を訪れる。

室町時代に10代将軍足利義稙によってつくられたという説が一般的に通っているが、作庭手法や歴史的考察から見て、江戸時代初期ではないかという説もある。沼島の特徴である緑色片岩を利用し、地層を生かして作庭している力強さあふれる石組の庭の沼島庭園(伊藤邸の庭)を訪れる。

沼島庭園の入り口にある井戸。沼島では井戸のことを「川」と呼び、この井戸も別名・王川と呼ばれている。現在も枯れることなくきれいな地下水が湧き、汲みにくる地元の人も多い八角井戸を訪れる。

小高い山の上、まるで天に届くかのようなまっすぐな階段を上ると、到着する。この山全体が「おのころさん」と呼ばれる神体山だ。天地創造の神であるイザナギ、イザナミの二神を祀っているおのころ神社を訪れる。

17:10沼島フェリー乗り場到着
17:40沼島フェリーで出発
17:50土生港到達、車で帰路に向かう。

今回の名所巡り、淡路島の国生み神話に伝わる、神々がつくり出した最初の島「おのころ島」だという伝説が残り、今もなお自然のままの姿を残す、神秘の島・沼島を訪れ点在する社寺と史跡を巡りました。

ヨット、クルーザーで何回か訪れた沼島、マリンスポーツでの楽しみと島周囲の点在する神岩を確認したことがありますが島内部陸地の観光は初めてで、散策して、由緒ある島であり、歴史深い島であることが改めて知ることが出来ました。






淡路島南あわじ観光
2011年2月23日


大阪湾・播磨灘・紀伊水道に囲まれた淡路島に足を運び、淡路島の南端に位置し、四国からの玄関口となるエリアで淡路人形浄瑠璃の発祥地としても知られている南あわじを訪れました。
12:30車で阪神淡路自動車道経由して
14:00淡路南インター下車

淡路島南ICから車で数分というアクセスの良さと、鳴門海峡が目前という景観の良さで人気の海水浴場。泳ぎながら大鳴門橋を望むことができる、という展望は他ではなかなか体験できない。もちろん水質もよく、海水浴場としても美しい。併設するオートキャンプ場も人気があり、リピーターも多い伊毘うずしお村海水浴場を訪れる。

特産品を扱うショップ、鳴門の渦潮を科学的に教えてくれる「うずしお科学館」、重要無形文化財である「淡路人形浄瑠璃館」などが有する施設。うずしお科学館では、3Dの映画を上映しており、子供も楽しめる。また、同施設にあるレストラン「うずしお」では、淡路創作料理コンテストで何度も受賞している料理が頂けるうずの丘大鳴門橋記念館を見学。

平安時代、行教上人によって開かれた寺。本尊の大日如来像は重要文化財に指定されている。祀っているのは七福神の中でも唯一実在した人物がモデル、とされている布袋尊。功徳は家内安全、福徳円満などがある淡路島 七福神霊場 護国寺を訪れる。

宝亀年間(770~781)の創建で、淳仁天皇の御陵を守る僧侶の宿坊として開かれた。祀っているのは七福神の恵比酒神で、その功徳は海上交通安全、漁業・商売守護、無病息災、子孫長久などがある淡路島の七福神巡り情報 万福寺を訪れる。

雄大な鳴門海峡にうず潮、鳴門海峡は魚の宝庫。魚種も多く、四季を通じて釣りができる。大鳴門橋を見ながら、自然条件に恵まれた中、家族連れで安全に釣りが楽しめる南あわじ市浮体式多目的公園(海釣り公園メガフロート)を訪れる。

今から約180年前に付近の漁民が海岸に漂着した球根を山に植えたのが始まりといわれている。繁殖し、今では淡路島の南部、諭鶴羽山から海に続く急斜面の一帯、約7ヘクタールにわたって500万本もの野生の水仙が咲き誇っている。一重咲きの野生の二ホンスイセンが中心で、わずかに八重咲きの花も混じり、1月を中心に12月下旬から翌年の2月下旬まで付近一帯甘い香りに包まれる灘黒岩水仙郷を訪れる。

自然なかたちでニホンザルとふれあうことができる施設。1967年より来より柏原山系に生息していた野生ザルに餌付けを行い、同モンキセンター内でみられるサルは現在約180頭。性格はとてもおとなしく、サル同士で面倒をよくみるなど、仲の良い円満なサル社会を形成している淡路島モンキーセンターを訪れる。

兵庫県淡路島南東部、洲本市由良港の前面にある島。由良港を取り囲むように砂州が南方へ細長く延び、かつては淡路島と陸続きであったが、18世紀末の掘削事業で島となった。由良港は、北部の新川口、南部の今川口によって紀淡海峡へ通じる。砂州は「淡路橋立」とよばれ、瀬戸内海国立公園の一部。島にはハマボウなどの珍しい植物がみられる成ヶ島を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の名所巡り、淡路島の最後のエリア、南端の南あわじエリアを訪れ、自然と文化に触れてきました。

残すは離島、沼島のみとなりました。近日中に訪れたいと思います。







兵庫県淡路島淡路&洲本観光
2011年1月30日


大阪湾、播磨灘、紀伊水道に囲まれた総面積595,84平方キロメートル、国内第7位の規模の島、淡路島に足を運び、花やアートのスポットが多く点在する淡路エリア、かつては城下町で、淡路島で一番大きな町、海岸線には温泉が湧く、洲本エリアを訪れました。

7:15車で阪神淡路自動車道経由して北淡インター下車
8:30西海岸エリア到達。

香りの館・香りの湯・特産館からなる「香り」に特化したテーマパーク。
香りの体験コーナー、和・洋レストラン、日帰り入浴可能な温泉、宿泊施設があり、季節に応じてハーブの摘み取り体験も可能です。香りとふれあう癒し空間で、ゆったりした一日を過ごす事ができますパルシェ香りの館・香りの湯を訪れる。

源義経との悲恋で名をとどめる静御前隠棲の地と言われており、静御前の徳を偲んで、その霊廟を中心に整備された公園。昔からこの地にお参りすると良縁、安産に御利益があると言われており、また舞踊に秀でたことで有名な静御前にあやかってお参りをする人も多い静の里公園を訪れる。

淡路島最大の遊園地がリニューアルオープン、好評のミニチュアワールド、コースを延長したゴーカートコース、新設の芝滑り、その他クラフト体験教室など子供から大人までのんびりと楽しめる施設です。
凱旋門や万里の長城など世界の有名な建物が25分の1サイズで大集合する「ミニチュアワールド」、古代文明で築かれた彫刻や遺跡を展示する「遺跡の世界」、世界の童話から8つのシーンを紹介する「童話の森」、そして大人気のゴーカートや新設の芝滑りなど、11種類の「ライドアトラクション」がある。また、様々なクラフト体験教室なども充実していて、大人から子供まで楽しめる施設の淡路ワールドパーク ONOKOROを訪れる。

国生み神話の主人公である、伊弉諾と伊弉冉の二柱の神を祭る古社。国生みを成し遂げた伊弉諾大神は、ここで余生を過ごしたと伝えられている。境内には2神が宿るという夫婦の大楠があり、夫婦円満や安産を願って夫婦で訪れる参拝者が多い伊弉諾神宮を訪れる。

香りをテーマにしためずらしい公園で、2.9haの敷地に展望台、洋式庭園のハーブガーデン、香りのプロムナード、梅・桜園が設けられ、23種1200本のハーブが植えられ、様々な香りを満喫することができる。また、香りのみならず、ここには桜も多く植えられており、花見の時期には美しい桜が見られる。ハーブや草木をテーマにしたイベントなども時折開催している兵庫県立淡路香りの公園を訪れる。

瀬戸内を望む17万平方m以上の敷地に天然温泉やログハウス、オートキャンプ場、レストランなど、さまざまな施設があるウェルネスパーク五色・高田屋嘉兵衛公園を訪れる。

町名の由来ともなった五色の小石(メノウ、コハク、ルリ、白、斑紋など)が敷きつめられた海水浴場。 五色浜の石は、薄く層状の結晶片岩と珪岩(チャート)からできており、美しいつやのある珪岩が一般に天然記念物といわれる五色石。西浦を走る県道31はサンセットラインとも呼ばれ、海に沈む夕日が美しいことでも有名だが、ここは慶野松原と並んで特に夕日の名所として知られた海岸でもある五色浜海水浴場を訪れる。

南淡路方面に向かう。

日本の白砂青松100選、日本の渚百選、日本の夕陽百選、日本の水浴場55選、日本の水浴場88選、さらに快水浴場百選では、日本で12箇所しかない特選の一つに選ばれるなど、淡路島を代表するというよりも、瀬戸内海を代表するビーチの一つ。白い砂浜に沿って南北に続く松林は井原西鶴も絶賛したほど。海水の透明度、砂浜の美しさともに、島内でも屈指でオススメの海水浴場。また、ビーチの北側には特産のいぶし瓦を活かした遊歩道として、俳句や短歌が刻まれた「万葉の甍道」、愛の誓いが刻まれた「プロポーズ瓦道」などが設置されている慶野松原海水浴場を訪れる。

1300年ほど前に発祥したといわれている淡路瓦。 「南あわじ市産業文化センター」では、淡路瓦のすべてがわかる展示棟がある。世界各国の瓦のほか、瓦産業に関わるものを展示。粘土細工の体験ができる実習棟もあり、実際に粘土をこねて瓦作りの体験もできる南あわじ市産業文化センターを訪れる。

酪農農協が運営する観光牧場。乳搾り体験や、バターの手作り、仔牛にミルクを飲ませたりと、動物とのふれあいが楽しめる。その他、ポニーの背中に乗る本物の「メリーゴーランド」や、ウサギ、鳥など、いろんな動物(主に家畜・小動物)がたくさんいる淡路島牧場を訪れる。

イザナギ・イザナギの二神を祀っている神社。この神社では朱塗りの大鳥居が非常に有名で、境内には高さが21.7mもある大鳥居がそびえ建っている。また、ツガイのセキレイがイザナギ・イザナミの二神に「とつぎ」を教えたという伝承が残る「セキレイ石」もある。春大祭と夏祭りには島内外から多くの参拝者が訪れる。上述した理由により、縁結び・安産などのご利益があるとされるこの神社、おのころ島神社を訪れる。

緑豊かな山間にある公園施設。公園内には、豊かな自然の中での家族のふれあいをテーマにしたレクリエーション施設がある。野外スポーツやイベントが楽しめる「芝生公園」、子供たちに大人気の水上アスレチック「じゃぶじゃぶ池」やアスレチックなどの遊具施設も。その他、テニスコート・ナイター設備のある多目的グラウンド、サウナ付の温泉などもあり、宿泊、各種宴会、温泉、会議、スポーツ等の他、クラブ活動・サークル活動や合宿などにも利用することができるサンライズ淡路 ふれあい公園を訪れる。

洲本方面に向かう。
淡路島の歴史・文化を紹介する博物館。国の重要無形民俗文化財に指定されている淡路人形浄瑠璃、船だんじりなどのほか、美術工芸品や文学作品などを展示している。洲本で幼年期を過ごした南画家、直原玉青の記念美術館もある洲本市立淡路文化史料館を見学。

400年以上の歴史をもつ城跡で三熊山各地にその遺構が残っている。天守台には模擬天守閣が建つ。この模擬天守閣は江戸時代のものを復元したものではないが、模擬天守閣としては日本最古のものである。この洲本城跡は国指定史跡となっており、学術的にも非常に価値の高い石垣などが残る。本丸を構成する石垣は特に見事で、高石垣や、本丸大石段などは個人的にもオススメできる見所。また、全国に三箇所しか残っていないとされる「登り石垣」なども見ておきたい。また、天守台からは洲本市内を一望することができ、非常に美しい景色が眼下に広がる。そのため、ここからの景観は洲本八景の一つに数えられている三熊山・洲本城跡を訪れる。

淡路島では、七福神は各地で信仰を集めており、それぞれの七福神をお祀りする寺院が淡路島全島にまたがっているため、淡路島そのものが七福神乗り合いの宝船と見たてられています。

淡路島七福神の総本院で、大黒天を祀っている。淡路の三大祭の一つである回り弁天発祥の地。創建は室町時代という、歴史のある寺院。心身の裕福を授けるという大黒天を祀っている。功徳は、金運良好、資産増加、開運出世、家内安全、子孫繁栄などがある淡路島 七福神霊場 八浄寺を訪れる。

741年、聖武天皇の勅命を受けた行基が開基したお寺で、古い歴史をもつ。本道には長寿の神様である七福神の寿老人が安置されている。また、境内にある橋を渡ると10年長生きができ、参拝の帰りに頂けるお茶の接待では、これを飲めばさらに10年長生きができる、といわれている淡路島 七福神霊場 宝生寺を訪れる。

寺宝の大般若経には、1351年の銘があるという古い歴史のある寺。七福神唯一の女神である、弁財天を祀っている。もとはインドの水神であったという弁天様。その功徳は、芸術、芸能、文学、弁舌、学問の才、幸運授与、金銀財宝授与などがある淡路島 七福神霊場 智禅寺を訪れる。

淡路島の三大祭の一つ、つかいだんじりで全国的にも有名な寺院。737年、行基がこの寺の基を作ったといわれており、大変古い歴史がある。ここでは元々中国の仙人であった福禄寿が祀られており、その功徳は仏教守護、智恵、開運福徳、出世などがある淡路島 七福神霊場 長林寺を訪れる。

推古天皇の頃(592~628)、聖徳太子の勅詔により創建されたと伝えられる、淡路島最古の寺院。祀っているのは七福神の毘沙門天。病魔や厄災から守ってくれる。その功徳は仏教守護、智恵、開運福徳、出世などがある淡路島 七福神霊場 覚住寺を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の名所巡り、兵庫県淡路島に足を運び、淡路エリアから西淡エリア、洲本エリアの公園とビーチ、歴史的建造物を訪れました。

特に、長寿と幸運を授けてくれると、古来より厚い信仰を集めている七福神巡りは5箇所訪れることが出来ました。各々観光バスも多く観光客で賑わっており、みやげ物のお店も揃っており、寺も手入れが行き届いており、なかなかの淡路島の大きな観光名所だと感じました。

淡路島も残すは、南あわじ、沼島、成ヶ島となりました。近日中に訪れたいと思います。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第百二十弾:兵庫県播磨観光観光
2010年11月22ー23日


日本の中央に位置する兵庫県に足を運び、神戸から西側から岡山県までの広大なエリア播磨を訪れ、播磨最大の都市、世界遺産に登録されている姫路城がそびえる姫路、播磨の小京都の龍野や赤穂浪士ゆかりの城下町赤穂を巡りました。

22日19:30車で近畿中国山陽自動車道経由して龍野西インター下車
21:20相生到達、相生駅付近のホテルで宿泊。

23日6:15車で出発、赤穂方面に向かう。

江戸時代から廻船業で栄えた港町。国指定記念物の原生林が茂る生島が目の前に見える。旧坂越浦会所から、国道250号方面へ行く道の両脇に古い街並みが残る。造り酒屋・奥藤家の堂々たる建物や坂越まち並み館などがある坂越を訪れる。

1832年(天保3)に完成。赤穂藩の茶屋としても利用され、2階には藩主専用の部屋もある旧坂越浦会所を訪れる。

江戸時代から塩田や塩問屋を営んでいた豪商・田淵家が赤穂市に寄贈した美術品、古文書類を収蔵・展示。歴代当主が造詣の深かった茶道具が充実し、季節に合わせた展示を行う赤穂市立美術工芸館 田淵記念館の前で記念撮影。

岩礁や崖が続く景勝地。御崎の先端にある伊和都比売神社の鳥居からは家島群島も見渡すことができ、近くには赤穂温泉の旅館街がある。播磨灘を一望する遊歩道が整備されており、春は桜が美しいことで知られる赤穂御崎を訪れる。

御崎地区の塩田跡につくられた公園。大観覧車や変り種自転車で遊べる赤穂わくわくランドをはじめ、オートキャンプ場やテニスコートなどを整備。塩の国と名づけられた一角には、塩田や製塩作業所が復元されている赤穂海浜公園を訪れる。

大石内蔵助と藤井又左衛門の屋敷跡に1912年(大正元年)に建立された。義士と萱野三平、浅野家、森家を合祀している。境内の義士宝物殿には、内蔵助が討ち入りに使ったという采配や愛刀の備前長船などが展示されている。また、文化勲章受章者・平櫛田中をはじめ一流彫刻家による四十七士の木像を安置する義士木像奉安殿も見逃せない大石神社を訪れる。

大石神社境内にある内蔵助の屋敷跡。大石家3代が57年間住んだという。長屋門は城内に残る数少ない江戸時代の建築の一つで、主君の刃傷事件を知らせる萱野三平たちがこの門を叩いた。軒先の丸い鐙瓦には大石家の定紋・二ツ巴が見える。庭園を含む屋敷跡は国指定史跡に指定の大石良雄宅跡[大石神社]を訪れる。

1999年4月、大石良雄宅跡長屋門の斜め向かいに解体・復元され一般公開された。源八は藩の重職を務め、大石家と親戚関係だったが、討入りには加わっていない近藤源八宅跡長屋門を訪れる。

復元された本丸門をくぐると、天守台の石垣や大池泉を配した庭園が広がる。建物はないが、発掘調査や古絵図を元にかつての御殿などの間取りが復元表示されている本丸庭園を訪れる。

禅の曹洞宗に属し本山は永平寺。赤穂藩祖浅野長直公によって正保2年に建立された寺であり元禄事変後は、永井家、森家歴代藩主の菩提寺となる。境内には、義士37回忌(1739)に建てられ、遺髪がおさめられていると伝えられる四十七義士の墓・宝物館・義士木像堂などもあり、赤穂義士ゆかりの史跡ともなっている。赤穂城の塩屋惣門を移築した山門は赤穂市指定文化財。新西国第31番、瀬戸内観音第7番の霊場である花岳寺を訪れる。

花岳寺の中にある施設。浅野長矩の位牌と大石家守り本尊・千手観音像を正面に祀り、右側に23人(表門組)と萱野三平の木像を、左側に24人(裏門組)の木像を安置する。いずれも義士33回忌(1735)から作り始められ100回忌に完成、京都の名工の作とされる。すべて赤穂近隣各地からの奉納で、当時を彷彿させるものがある義士木像堂[花岳寺]を訪れる。

花岳寺の中にある施設。浅野家、義士に関する宝物、経巻、書簡、絵画、刀剣、器具など百余点を陳列する。義士連名状・大石良雄筆「達磨の図」・吉良上野介のとどめを刺した「観音妙理剣」・浅野家五代の肖像画。その他、わが国でも大変珍しい生きた教科書とされる甲州流水櫓、天守閣雛形、あるいは大名時計などがある花岳寺宝物館[花岳寺]を訪れる。

主君浅野内匠頭長矩[あさのたくみのかみながのり]の刃傷事件を急報するため、江戸から早かごで四昼夜半を駆け抜いた早水藤左衛門と萱野三平が城に入る前、一息ついたという井戸。赤穂では井戸水に海水が混じるため、江戸初期に千種川上流から水を引いて上水道を整備した。この井戸にも上水道が引かれ、人々の暮らしを支えた。日本三大上水道の一つとされる息継ぎ井戸を訪れる。

室津に向かう。

江戸時代、廻船問屋として栄えた屋号「嶋屋」の建物で、三木半四郎が江戸後期に建てた豪商の遺構。室津を海の駅ととらえて「廻船」「参勤交代」「江戸参府」「朝鮮通信使」の4テーマに分け、資料を展示しているたつの市立室津海駅館を訪れる。

海産物問屋「魚屋」の豪商の遺構。江戸時代、室津が最も栄えていた頃の面影を残す貴重な建物で、玄関は吊り上げ式二重戸。県の重要文化財にも指定されている。革細工、ひな人形、登城かごなどの展示もあるたつの市立室津民俗館を訪れる。

室津開港とともに2000年の昔から祀られてきた賀茂神社は京都上賀茂神社の御厨であった関係から上賀茂神社・下鴨神社とかかわりあいのある神々をあわせて六棟社殿に鎮座し、千年前と現在とまったく同じ境内と社殿が建立されていた。入り江に突き出た半島の山上にあって周囲は海に囲まれ、ここからの眺望はシーボルトの著書「日本」に日本一美しい景色と書かれているほど。御祭神は賀茂別雷神命で開運の神様として信仰されている。又境内に自生している2本の榊の古木が途中で1本になっている(連理)の榊が夫婦の絆、良縁の愛の榊として、御利益があると名物になっている賀茂神社を訪れる。

江戸前期の臨済宗(禅宗)の名僧で、当時生身の釈迦と仰がれた盤珪禅師が郷里の網干に創建。布教活動の拠点とした。建物17棟は姫路市の文化財に指定、県の文化財に指定されている仏像など所蔵している。境内には、同時代の著名な女流俳人で盤珪に帰依した田捨女の墓もある龍門寺を訪れる。

龍野藩主だった京極家は四国丸亀に移封された後も、網干の興浜や浜田など28カ村を飛領として支配し、陣屋を設けた。京極家の紋瓦がある陣屋門は当時のものだが、昔の藩邸などは明治期に取り壊された丸亀藩陣屋跡を訪れる。

1868年(慶応4)、網干出身で勤王の志士として蛤御門の変にも参加した、河野東馬が興した私塾。枢密院出仕の神楽江薫、衆議院副議長を務めた肥塚龍をはじめ、1912年(明治45)の閉鎖まで多くの優秀な弟子を輩出した。播磨林田藩の藩校教授だった河野鉄兜は東馬の兄。もとは草葺の建物で、現在は鉄板葺の平屋造りの誠塾を訪れる。

龍野に向かう。

606年(推古14)に聖徳太子が建立した寺。奈良法隆寺の別院だったが16世紀に焼失し、その後に三重塔(重要文化財)や仁王門、講堂、太子堂などが再建された。宝物館は日光月光菩薩立像(重要文化財)をはじめ多くの文化財を収蔵する斑鳩寺を訪れる。

龍野藩内屈指の大地主で、藩から在郷家臣の待遇を受けた永富家の住宅で、江戸後期の豪農の暮らしを今に伝えている。1822年(文政5)に完成した入母屋造・本瓦葺の主屋は建物だけで500平方m余り。この主屋と長屋門、籾納屋、土蔵5棟、建築時の記録を記した絵図面、普請帳が重要文化財に指定されている永富家住宅を訪れる。

藩主脇坂氏の上屋敷跡。高台にあるので眺めがよく、松平定信がここを訪れた折、眺めのよさを称えて「聚遠の門」と呼んだことから名付けられたと言われている。孝明天皇から拝領したと伝えられる浮堂の茶室を中心に、藩主の御涼所や茶室楽庵、井原西鶴の碑などがある聚遠亭を訪れる。

町を見下ろす鶏籠山の麓に立つ。1672年(寛文12)に脇坂安政が築城した平城を復元した本丸御殿、隅櫓、多聞櫓、埋門が往時を偲ばせる。優美な大屋根を持つ本丸御殿は一般的な城のイメージと違って、入母屋造、瓦葺の平屋建ての造りが特徴で内部の見学もできる。鶏籠山山頂に室町末期の山城跡が残り、かつてそちらを朝霧城、麓の城を霞城と呼んだ龍野城(霞城)を訪れる。

龍野城の敷地内にある資料館。石器時代から近世まで、たつの市の歴史遺産を時代順に展示。弥生時代の壺、白鳳時代の弥勒菩薩像、江戸時代の鎧、武具や城下の絵図などを展示するたつの市立龍野歴史文化資料館を見学。

たつの出身の詩人・三木露風、内海信之、哲学者・三木清、歌人・矢野勘治の4人に関する資料や遺品を一堂に揃えている。霞城館は露風・青潮・清の3つの部屋に分かれ、露風の『赤とんぼ』の肉筆原稿も展示す霞城館を見学。

霞城館に隣接している。龍野出身の歌人・矢野勘治は、一高寮歌『春爛漫の花の色』、『嗚呼玉杯に花うけて』の作詞者。勘治が晩年を過ごした自宅を公開し、1階が展示コーナーになっている矢野勘治記念館を見学。

龍野は関西を中心に広く使われている淡口醤油の産地。ヒガシマル醤油の旧本社を利用したこの資料館では、淡口醤油の歴史やかつての醸造工程を紹介している。見学コースの最初にある釣瓶井戸は江戸時代に造られ、揖保川の地下水を汲み上げたもの。原料蔵、仕込蔵、麹室[こうじむろ]などが再現され、龍野の醤油協同組合各社が保管してきた関連資料も多数展示するうすくち龍野醤油資料館を訪れる。

鶏籠山の西側に広がる山麓一帯が県立公園に指定されている。豊かな緑に包まれた絶好の散策路で、城下町龍野のもう一つの魅力になっている。春は一目3000本という桜の名所だ。聚遠亭から文学の小径を経て童謡の小径へ行く途中には、三木露風の赤とんぼ歌碑がある龍野公園を散策する。

国民宿舎赤とんぼ荘から白鷺山展望台、小動物園を経て、赤とんぼ歌碑を結ぶ道。『夕焼小焼』『月の砂漠』など途中7カ所に童謡歌碑が建てられ、前に立つとそれぞれの懐かしいメロディが流れる。『七つの子』の歌碑はちょうど中間点。同じ白鷺山の南斜面には、三木清にちなんだ哲学の小径がある童謡の小径[龍野公園]を訪れる。

龍野名産の手延素麺を紹介するユニークな資料館。揖保乃糸の歴史や製造工程を楽しく理解できるようシアターや体験装置がある揖保乃糸資料館そうめんの里を訪れる。

姫路方面に向かう。

姫路市出身の元東大寺管長・清水公照の書画、陶芸作品やコレクション、姫路を中心とした伝統工芸品、全国の郷土玩具などを展示。工芸工房には、姫路はりこなど伝統工芸品の製作実演コーナーや体験コーナーがあり、白塗りのお面や人形に絵付けをしたり、白木地のこまに色付けをしたりできる姫路市書写の里・美術工芸館を訪れる。

966年(康保3)、性空上人が開いた天台宗の古刹。西の比叡山とも呼ばれ、法皇や後醍醐天皇が行幸した。室町時代に築かれた大講堂・鐘楼・食堂・常行堂・壽量院など重要文化財も多数。西国三十三所第27番札所で、ロープウェイ山上駅から歩くと道が二手に分かれ、右が西国巡礼の表参道。坂道をしばらく行くと仁王門がある。山内で最も格式の高い塔頭寺院壽量院は、江戸中期の建物で寝殿造。院内で精進料理も味わえる。四天王立像(重要文化財)を安置する本堂の摩尼殿奥には、ハイキングコースも整備されている書寫山圓教寺を訪れる。

白壁土蔵造6棟に、日本と世界150カ国から収集した8万点の玩具や人形などを収蔵。1号館と6号館では季節毎に企画展が開催され、昔懐かしい玩具や人形に、珍しい世界の玩具と、質と量に圧倒される日本玩具博物館を訪れる。

姫路市郊外にあり、初夏と秋に世界のバラ800種が咲き誇る。ピエールドゥロンサール・ロマネスク・パットオースチン等、話題性の多いバラもある姫路ばら園を訪れる。

井原西鶴の『好色五人女』や近松門左衛門の浄瑠璃の題材で有名な、お夏清十郎の比翼塚が姫路市野里の慶雲寺境内にある。無実の罪で刑死した清十郎と狂乱したお夏の悲恋を哀れみ、誰ともなく二つの石を置き、その霊を慰めたのが始まりとされるお夏清十郎比翼塚を訪れる。

1階は体験スペース。仏像の仕組みを模型で学んだり、千両箱の重さを体感できるコーナーがあり、抽選で鎧や十二単の試着もできる。2階は児童文化資料や兵庫の祭り、姫路城などの展示コーナー。日本有数の入江コレクションのほか、姫路城や城下町を精密に再現した模型も見応えがある。白御影石張りの建物は丹下健三氏の設計の兵庫県立歴史博物館を見学。

姫路城を仰ぐ、赤レンガの美術館。シュルレアリズムの巨匠ポール・デルヴォーを中心としたベルギーの画家や、橋本関雪・松岡映丘・酒井抱一ら播磨ゆかりの画家をはじめとする作家の名品を収蔵。芝生を敷きつめた広い庭園には、ブールデル作「モントーバンの戦士」などの彫刻が置かれている姫路市立美術館を見学。

1993年(平成5)、法隆寺とともに日本初の世界文化遺産に登録された、日本を代表する名城。白鷺が羽を広げて舞っているように見えることから、白鷺城の別名がある。羽柴秀吉が中国毛利攻めの拠点として築いた3層の城を、関ケ原の合戦後に入城した池田輝政が1601年(慶長6)から8年の歳月を費やし改築。5層7階の大天守と3つの小天守を渡櫓で結んだ独特の連立式天守閣(国宝)は、石垣や白漆喰総塗籠造の外観とともによく保存されている。櫓・門など、城内74棟の建物が重要文化財の姫路城(白鷺城)を訪れるが、残念ながら天守閣は工事中。

姫路城を借景にした池泉回遊式の日本庭園。発掘調査で確認された、西御屋敷跡・武家屋敷跡などの地割りを生かした大小9つの庭園群で構成され、門や塀をくぐるごとに風景が変わる趣向の姫路城西御屋敷跡庭園 好古園を訪れる。

和辻哲郎、椎名麟三ら姫路を中心とした播磨ゆかりの文人の原稿や生活環境を紹介。安藤忠雄の設計で、播磨の風土や歴史を紹介するコーナーや映像展示室など斬新な演出が新鮮。司馬遼太郎記念室を設けた南館も必見の姫路文学館を訪れる。

手柄山に広がる、総面積39万平方mの都市公園。観覧車などがあるひめじ手柄山遊園、大小2つの温室植物園のほか多彩な文化・スポーツ施設がある手柄山中央公園を訪れる。

奈良時代、聖武天皇の発願で国ごとに置かれた官寺の一つで国指定史跡。発掘調査で、南大門・金堂・塔など壮大な伽藍の配置が確認された。現在はふるさと歴史の広場として一部が整備され、伽藍配置や復元された築地塀などを見学できる播磨国分寺跡を訪れる。

17:30終了、帰路に向かう。

今回の旅行、日本の中心地兵庫県播磨に足を運び、藩主浅野家が治める城下町として栄え、昔から製塩が盛んで知られている赤穂、

龍野城の城下町として栄え、今日でも白壁の屋敷などが当時の名残を見せ、播磨の小京都と呼ばれる情緒ある町並みが続いている龍野、

1346年播磨を支配下に置いた赤松一族によって築かれた山城が、羽柴秀吉時代の城を土台にし池田輝政が慶長6年から8年の歳月をかけて作り上げた播州のシンボルとして愛され続けてきた世界遺産の姫路城が位置する姫路を訪れ、多くの歴史的建造物に触れ、播磨の歴史の深さを感じ取ることが出来ました。

紅葉のシーズン、どこの観光地も紅葉で観光客で賑わっていました。特に姫路城西御屋敷跡庭園好古園は庭園のみならず紅葉がすばらしく一目置きました。季節ごとに訪れたい庭園ですね。

一泊二日で兵庫の西播磨の広い範囲の観光、赤穂、龍野、姫路の点在する文化遺産歴史的建造物巡り、お勧めのドライブ観光旅行でした。



















兵庫県淡路島北観光
2010年11月20日


大阪湾、播磨灘、紀伊水道に囲まれた総面積595,84km、国内第7位の規模の島、兵庫県淡路島に足を運び、国立明石海峡公園や花さじきなど、花のスポットが多く点在し、安藤忠雄が設計した建築物や地元作家のアトリエもあるアートのエリア、淡路島北の淡路エリアを訪れました。

12:30車で阪神第二神明淡路鳴門自動車道経由して
13:30淡路サービスエリア到達、淡路インター下車

淡路島の豊かな自然に囲まれた国営公園。園内は四季折々の草花や木々で彩られ、鳥のさえずりが響き渡る癒しの空間。各季節の大花壇やテーマに沿った散策エリア、多くのイベントが行われる芝生広場などがある。特に、春の約300品種60万球のチューリップ・ムスカリの大花壇は見事。子どもに人気の夢っこランド・子どもの森には花・水・風をテーマにした遊具もあり、家族で休みを満喫できる淡路島国営明石海峡公園を訪れる。

6700平方メートルの規模を誇る植物館。二つの直方体をクロスさせた植物館は、「自然と人間の共生」がテーマ。植物の形、色、香りに焦点をあてたユニークなディスプレーで植物のすばらしさを五感に訴える展示を行っている。3000種に及ぶ珍しい植物だけでなく、世界の花文化を伝える華やかなフラワーショーとおしゃれなガーデニングアイデアが魅力の花々に包まれた癒しの空間の兵庫県立淡路夢舞台温室 奇跡の星の植物館を訪れる。

北淡路高原のなだらかな斜面に広がるフラワーパーク。甲子園球場の4倍にあたる15ヘクタールの園内には、菜の花やブルーサルビア、コスモスなど四季折々の花が一面に咲き誇り、花畑の向こうには大阪湾や明石海峡が望める。地元農産物などの販売所も併設されているあわじ花さじきを訪れる。

園内の野島断層保存館では、兵庫県南部地震で現れた野島断層(天然記念物)約140mを保存。震災体験館では震度7が体験できる北淡震災記念公園を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

近場の兵庫県の島、淡路島に足を運び、お花とアートで有名な淡路島北部、淡路エリアを訪れ、点在するお花畑と美術館を訪れ有意義な日を送り楽しめました。







兵庫県丹波観光
2010年10月6日


日本のほぼ中央に位置し、瀬戸内海と日本海に面し、県の中央には高原が広がり、気候、文化とも多彩な兵庫県に足を運び、豊かな自然で有名な田園都市であり、一時期は人口増加率日本一になるほど人口が急増していた三田、徳川家康の命によって築かれた篠山を含む丹波を訪れました。

12:30車で近畿名神中国自動車道経由して神戸三田インター下車

13:30自然史系博物館は、西日本最大級「人と自然」がテーマの施設。収蔵資料は100万点以上。その一部を「兵庫の自然誌」など5つに分けて常設展示している。丹波市で発掘されている大型草食恐竜の化石、同時に発見されたほかの恐竜の化石やカエルなどの小動物の化石も随時展示。「ひとはく恐竜ラボ」では、恐竜などの化石クリーニング作業を間近に見ることができる。展示だけではなく、図書コーナーや化石などの標本を触れることができるコーナーもある。そのほか、研究員などによるセミナーやイベントも多数実施している兵庫県立人と自然の博物館を見学。

西国三十三カ所観音霊場の番外札所。第65代花山天皇の隠棲の地で、境内の一段高い玉垣の中に御廟所がある。寺は標高418mの阿弥陀峰山頂にあり、眺望がよい花山院菩提寺を訪れる。

三田市北端の静かな山里に広がる花しょうぶ園。6月上旬~7月上旬の開花期間中、3万3000平方mの日本庭園に、約650種300万本のハナショウブが咲き誇る。3月下旬~4月中旬は水芭蕉、4月下旬~5月中旬はぼたんを楽しむことができる永沢寺花しょうぶ園を訪れる。

篠山方面に向かう。

王地山公園の一角にある勝利守護の神様。いくつもの朱色の鳥居が立ち並ぶ。藩主青山忠裕が老中だったころ、領内のお稲荷さんが力士に化けて将軍上覧の大相撲で優勝し、負けきらいの殿様を大いに喜ばせたことに感謝して奉られたのが起こりという王地山まけきらい稲荷を訪れる。

版本の印刷で文字や絵を彫った板を版木と呼ぶが、ここでは全国的にも残存が珍しい漢学書関係の版木1200余枚を所蔵。江戸の歴史と文化が学べる史料も多数ある。中庭の桂園舎は藩主の別邸だった篠山市立青山歴史村を訪れる。

丹波北部に向かう。

1300年の歴史を持つ古刹・五大山白毫寺(天台宗)。広大な寺域には、人間界と仏の世界を結ぶという「太鼓橋」の架かる心字池があり、数百尾の鯉が群れている。山門脇では仏教を守護するとされる孔雀が参詣者を出迎える。四季の草花が見事で、桜・ふじ・せっこく・睡蓮・ハスなどが季節ごとに境内を彩る白毫寺を訪れる。

丹波布は、栗の皮やコブナ草、ヤマモモなどの草木で染めた経糸と緯糸が織り成す美しい縞模様が特徴の織物。明治末まで地元の農家で盛んに織られていた。道の駅あおがき内にあるこちらの施設では、機織場や染色場が設けられており、作業を見学できる丹波布伝承館を見学。

655年(斉明天皇元)創建の古刹。明智光秀の丹波攻めの時にすべての堂宇が失われたが、1648年(慶安元)に再建された。本堂前には、現代築庭の第一人者・重森三玲氏が裏山にある高さ約12m、幅約20mの神格化された巨岩から発想を得て造った日本庭園「四神相応の庭」がある石像寺を訪れる。

17:00終了。
舞鶴中国名神近畿自動車道経由して帰路。

今回の近場の名所巡り、2回目の訪れである丹波を訪ね、以前訪れなかった名所を今回巡りました


豊かな自然で有名な田園都市である三田に位置する兵庫県立人と自然の博物館、徳川家康の命によって築かれた城下町篠山とその周辺の点在する歴史的建造物に接し、有意義な日々を送ることが出来ました。






神戸市六甲観光
2010年8月4日


ハイカラ文化の街として、歴史は1868年(旧暦の慶応3年)神戸港開港から語られることが多いのですが、平安時代には、わずか半年とはいえ日本の首都になった場所であり、そして「一ノ谷」「湊川」「花隈」と日本歴史のターニングポイントになる各合戦が繰り広げられた神戸に足を運び、ドライブコースとして人気の高い緑に囲まれ、六甲山や摩耶山の展望台からの神戸市街・1000万ドルの夜景を眺められる六甲を訪れました。

12:30車で阪神自動車道経由して芦屋インター下車、芦屋ドライブウエイを走行し14:00六甲到達。

高さ880mからの景色が楽しめる展望スポット。異国情緒漂うエリア内には、雑貨や輸入食品を販売するセレクトショップやカフェなどが並ぶ。天気がよければ、テラスや塔からは関西国際空港や淡路島も一望できる六甲ガーデンテラスを訪れる。

年平均気温9度という六甲の冷涼な気候を生かし、世界の高山植物や湿性植物など約1500種を栽培。エーデルワイス・コマクサ・ミズバショウなど、折々に可憐な花が迎えてくれる六甲高山植物園を訪れる。

646年(大化2)インド僧法道仙人により開山された古刹。弘法大師が唐から帰朝した際に奉安された、釈迦の生母・摩耶夫人の像を安置。安産腹帯の発祥霊場として知られている摩耶山天上寺を訪れる。

六甲山系の中央部に位置する標高約700mの山で、山頂の掬星台から見る神戸市街の夜景がすばらしい。弘法大師が釈迦の生母・摩耶夫人の像を祀ったことから、この名が付いたといわれている摩耶山を訪れる。

摩耶山頂の展望台。六甲山より市街地に近く、眺望は抜群。夜はその名のとおり、星のようにきらめくネオンがすくえそうな掬星台を訪れる。

摩耶山頂付近に広がる自然観察園。自然林に散策路が巡らせてあり、豊かな自然にふれることができる摩耶自然観察園を訪れる。

約1200種の世界各地の樹木を、原産地別に植栽され、総面積142.6haの本格的な植物園。なかでもアジサイは国内最大級の規模。ツツジやシャクナゲ、紅葉と季節ごとに楽しめる。多目的広場にはアスレチックもある神戸市立森林植物園を訪れる。残念ながら休園でした。

六甲山系の西寄りにあたる再度山は、市街地から約6kmの距離にある標高469.3mの山。ハイキングコースが整備され、早朝登山の山として親しまれている。その再度山の北側に広がる公園には修法ケ原池があり、池周辺の松は「日本の名松百選」に選ばれている再度公園を散策する。

奈良時代に和気清麻呂が開いたという古刹で、再度山の中腹南斜面に立つ。弘法大師が唐へ渡る前後の2回参拝したと伝わる。本尊の如意輪観音は行基の作とされ重要文化財の大龍寺を訪れる。

約200種7万5000株のハーブや花が植えられたハーブ園。テーマごとの庭園や温室、香の資料館など見どころがたくさん。一面を紫に染める、初夏のラベンダー園は圧巻の新神戸ロープウェー・神戸布引ハーブ園を訪れる。

六甲山に源をもつ布引渓流は、新神戸駅から徒歩15分の散策コース。上流から雄滝、夫婦滝、鼓ガ滝、雌滝の4つの滝で形成されており、なかでも43mの高さから5段になって流れ落ちる雄滝は古くから詩歌にも登場している名瀑の布引の滝を訪れる。

18:00終了。

今日も大阪は猛暑、車で走行中、大阪の外気温は37度、涼みに近場の六甲山に向かいました。
さすがに標高800m以上の六甲山、気温は大阪より10度低い27度、快適な観光巡りでした。

800m以上の六甲山と摩耶山の2つの山からなる緑に囲まれた高地の六甲、ドライブコースとして人気が高く、又点在する展望台からの神戸市街を望み、自然豊かな牧場やオーガニックカフェなどスローな雰囲気が漂う施設やお店が多く揃っているドライブ観光楽しめました。





兵庫県神戸市有馬観光
2010年7月21日


日本のほぼ中央に位置し東経135度の日本標準時子午線が通ることでも知られ、瀬戸内海と日本海に面し、県の中央部には高原が広がり、気候、文化とも多彩な兵庫県に足を運び、日本三古泉のひとつであり、太閤秀吉とゆかりの深いことでも知られる有馬温泉エリアを訪れました。

12:30車で阪神中国自動車道経由して
13:30有馬温泉到達、散策する。

奈良時代に僧行基が開創、落葉山の麓に立つ。現在は曹洞宗の禅寺で、本堂には阿弥陀如来像と、聖徳太子立像(重要文化財)が安置される。黒光りする高さ約70cmの太子像は、鎌倉時代の作風で、運慶4代目の法印湛幸の銘がある。豊臣秀吉が茶会を開き、阿弥陀堂釜も残る。4月上旬には境内に糸桜と呼ばれるしだれ桜が美しく咲く善福寺を訪れる。

炭酸せんべいの原料にもなっている天然の炭酸水が湧き出る泉源。清涼飲料水として地元の人に親しまれている。広場の中で飲むこともできる炭酸泉源広場を訪れる。

秀吉の正室北政所の別邸跡と伝えられる。「沙羅樹園」と呼ばれる庭には樹齢300年といわれる沙羅双樹の大木があり、6月中旬には椿に似た白い花をつける念仏寺を訪れる。

1995年の大震災で壊れた極楽寺の庫裏下から秀吉ゆかりの「湯山御殿」跡とみられる遺構が現れた。蒸し風呂や岩風呂の遺構、出土品などを見ることができる太閤の湯殿館を見学。

724年(神亀元年)創建の有馬で最も古い寺。運慶作といわれる波夷羅大将(重要文化財)などの寺宝を所蔵する温泉寺を訪れる。

天満宮の境内にある、金泉の泉源。勢いよく湯煙を上げている。泉質は含鉄強食塩泉で、神経痛、リウマチ、胃腸病に効能がある。地中では無色透明だが空気にふれて酸化すると赤さび色に変わる天神泉源を訪れる。

黄檗宗瑞宝寺があった跡地。現在は伏見城の遺構という山門だけが残る。秀吉が「いくら見ていても飽きない」と賞賛したという「日暮らしの庭」は燃えるような紅葉の季節が特にすばらしい瑞宝寺公園を散策する。

岩の空洞にあたる音が鼓の音のように聞こえたことから鼓ケ滝の名が付いた。洪水で岩の形が変わり鼓の音は聞こえなくなったが、六甲山の樹木を背景に流れ落ちる姿は壮観の鼓ケ滝公園を散策する。

宝塚・西宮・芦屋など阪神間の諸都市と神戸市の北部を東西約30kmにわたって屏風のようにそびえ立つ標高931mの連峰で、明治初年に外国人が別荘を構えた頃から、保養地としての開発が進み、山上一帯は1956年に瀬戸内海国立公園に編入された。山頂付近は、神戸市街地と比較して10度近く涼しく、山上には、六甲ガーデンテラス、高山植物園、カンツリーハウス、森林植物園、六甲山牧場、フィールドアスレチック、人工スキー場など、楽しみめる施設が数多くある六甲山を六甲有馬ロープウェイで訪れる。

老朽化のため閉鎖された、六甲山山頂の「回る十国展望台」の後継施設として、欧州の山あいにある田舎町をイメージした庭園施設がオープンし、「六甲山の自然と神戸の異国情緒を味わえる、くつろぎの空間」というコンセプトの施設です。約1万2千㎡の敷地には、眼下に神戸の夜景が広がる石造りの展望塔(高さ約11m)、カジュアルなランチやアフタヌーンティーが楽しめる山小屋風カフェレストラン、フェアトレード製品やアクセサリー、菓子類など幅広い品ぞろえの雑貨店などが並びます。また御影石と木製デッキを組み合わせてできた展望スペースもあり、ゆったりとくつろげる六甲ガーデンテラスを散策する。

神戸・六甲山の新しいランドマークとして建設された大木をイメージした高さ約10メートルの支柱に、葉脈状の網目のドームがかぶさった独特の形状の自然体感展望台「六甲枝垂れ」を訪れる。

六甲有馬ロープウェイで有馬に戻る。

17:00終了。

今回の近場の名所巡り、梅雨明けてから一変して猛暑、比較的涼しい標高の高い有馬に足を運び太閤秀吉ゆかりの日本三古泉を散策しました。しかし思ったほど涼しくなく、有馬六甲ロープウエイで六甲山に渡りました。

標高800m以上の山、さすがここまできたら涼しく、涼むことが出来ました。神戸の町並みを眺望できる六甲ガーデンテラスは回る十国展望台からリニューアルし、又今年神戸・六甲山の新しいランドマークとして建設された自然体感展望台「六甲枝垂れ」が完成し、ドームで「枝垂れ」を表現する一方、内部には氷を蓄え、空調を使わずに吹き抜ける風で涼しさを体感できるなど、自然に調和したさまざまな工夫が施されているが驚きでした。

エコ建築物です。これからはやるかもしれませんね。エコカー、エコ家電に続いてエコ建築物、面白そうです。楽しみです。









神戸市須磨観光
2010年6月16日


日本のほぼ中央に位置する兵庫県に足を運び、南部の古くからある市街地と北部の大規模なニュータウンから成る閑静な住宅地、 山と海に囲まれ、白砂青松で気候の温暖な地として、古くから知られ、万葉集では素晴らしい景色に恵まれた場所として詠まれ、源氏物語では寂しい浜辺の情景が描かれ、更に平家物語の終幕を飾る源平合戦の舞台であり神戸市内でも特に数多くの史跡があり、歴史上有名なエピソードと関りの深い町神戸市須磨区を訪れました。

12:30車で阪神第二神明自動車道経由して玉津インター下車
13:40法道仙人によって開かれたという古刹。平安時代、安養尼願西(恵信僧都の姉)によって興された。この一帯は源氏物語「明石の巻」の舞台であり、深山の常行堂や明石入道といった当時の王朝趣味を堂塔のプランに採用しているのが見て取れる。現在は本堂こそなくしているものの、阿弥陀堂(常行堂)は院政時代の建築。三重塔・文殊堂とともに、国の重要文化財に指定されている如意寺を訪れる。

鎌倉時代から室町時代にかけて強大な勢力を誇った、天台宗の古刹。藤原鎌足の長男・定恵が開基、孫の宇合によって716年(霊亀2)に創建されたと伝わる。本堂は神戸市内で唯一の国宝建造物。三重塔、重要文化財の仁王門・阿弥陀如来像も美しい。境内には原生林が広がり、四季折々の美しさを見せる太山寺を訪れる。

豊かな自然に囲まれた丘の上に立つ。ワイン城にはワインの製造工程が見学できるワイン工場やワインミュージアムなどがあり、そのほかバーベキュー場や軽食堂、陶芸館まで揃う神戸ワイナリー・農業公園を訪れる。

886年(仁和2)開基の真言宗の古刹。正式には上野山福祥寺という。境内には義経の腰掛松や敦盛の首塚、弁慶の鐘など源平ゆかりの史跡や芭蕉などの文学碑が数多く点在する。宝物館では敦盛愛用の「青葉の笛」などを展示する上野山福祥寺(須磨寺)を訪れる。

須磨海岸から鉢伏山を中心に広がる広大な公園。源平一ノ谷の古戦場として知られ、園内には「戦の浜」の標石や敦盛塚などが点在する。また、神戸随一の桜の名所としても有名な須磨浦公園を散策する。

鉢伏山から旗振山にかけて広がる山上公園。ロープウェイやカーレーター、リフトを乗り継いで行く。山上には回転展望閣・ふんすいランドなどがあり、瀬戸内海を望むパノラマはすばらしい須磨浦山上遊園を訪れる。

1976年(昭和51)、日本初の海釣り公園としてオープン。須磨海岸から約400m突き出した釣台で、自然釣りが楽しめる神戸市立須磨海づり公園を訪れる。

大阪湾が一望できる噴水公園は、春・秋のバラなど一年中花々が咲いている。植物園もあり、子供の森冒険コースでは28種の遊具でアスレチックを楽しむことができる須磨離宮公園を散策する。

約600種1万3000点の水生生物を飼育・展示する水族館。広大な敷地にはサメ・エイなどがゆうゆうと泳ぐ「大水槽」、水中トンネルから世界最大級の淡水魚ピラルクが見られる「アマゾン館」、2009年秋に屋外のふれあい広場にオープンした「アザラシ・ペンギン館」など8つの展示館が点在する神戸市立須磨海浜水族園を見学。

須磨の海岸沿いに松林が約2km広がる風光明媚な公園。園内には水族園、球技場、テニスコートなどがあり、夏の海水浴をはじめ一年を通じて賑っている。西端には旧和田岬灯台があり、海に沈む夕日は絶景な須磨海浜公園を散策する。

18:00終了。

今回の近場の名所巡り、日本のほぼ中央に位置する兵庫県に足を運び、平家物語の終幕を飾る源平合戦の舞台であり神戸市内でも特に数多くの史跡があり、歴史上有名なエピソードと関りの深い町神戸市須磨区を訪れ、点在する寺社、公園、史跡を巡り、有意義な時間を過ごすことができました。






兵庫県明石観光
2010年5月26日


日本標準時の基準となる東経135度の子午線が通り、タコ、鯛で全国的に知られる明石を訪れました。

12:30車で阪神第二神明を経由して大蔵谷インター下車
13:50明石到達

明石城跡に造られた県立公園で、敷地面積は55万平方mにも及ぶ。明石城は1619年(元和5)、徳川家康の曾孫にあたる小笠原忠真が築城。明治維新で大半は取り壊されたが、白亜の巽櫓(重要文化財)と坤櫓(重要文化財)が残されている。2000年春には両櫓を結ぶ土塀を100年ぶりに復元、美しい姿が蘇った。一帯は桜や紅葉も美しく、野球場やテニスコートなどもあり、市民の憩いの場として親しまれている明石公園を散策する。

「明石の歴史と文化」をテーマに、太古の昔から現代までの明石の歩みを8つのコーナーで紹介。「明石のあけぼの」コーナーでは、200万年前のアカシゾウの骨格模型を展示。明石原人と考えられている骨の謎にも迫っている明石市立文化博物館を見学。

東経135度の日本標準時子午線上に立つ。高さ54mの塔は日本標準時子午線の標識で、明石のシンボル。展望室からは明石海峡大橋をはじめ、360度の眺望が楽しめる。プラネタリウムでの星空も人気の明石市立天文科学館を訪れる。

万葉歌人・柿本人麻呂を祭り、「人丸さん」の通称で親しまれる防火や安産・縁結びの神。境内には人麻呂の歌碑が立つ。山上にあり、境内前庭からは明石海峡が一望できる柿本神社を訪れる。

舞子方面に向かう。

明石海峡大橋の橋げた内部の展望施設。海面から約47mの高さに、回遊式遊歩道や展望ラウンジなどがある。舞子側から一番せり出した展望広場は陸地から150mも離れた海上にあり、ガラス張りの床から海面をのぞくことができる。スリルを体感したい人には、「海上47mの丸木橋」がおすすめの舞子海上プロムナードを訪れる。

明石海峡大橋を中心に、巨大な橋を作る技術を模型や映像、写真などで紹介する。200インチの大型スクリーンで見る3D映像は迫力満点の橋の科学館を見学。

1915年(大正4)に中国人実業家の呉錦堂が建てた別荘で、中国革命の父と仰がれる孫文(孫中山)と神戸の関わりを中心に、著作や遺品などの資料が展示されている孫文記念館(移情閣)を見学。

垂水方面に向かう。

4世紀後半に築造された、全長194mの兵庫県下最大の前方後円墳。明石地方を治めた豪族のものと推定されている。葺石や円筒埴輪などを使って、当時の姿を復元。古墳上からの瀬戸内海、淡路島、明石海峡大橋などの眺めは抜群の五色塚古墳を訪れる。

~5世紀ごろの創建。航海安全、漁業の神として信仰が厚い。毎年10月12日には、神輿をのせた20数隻の船が海上をめぐる「海上渡御祭」が行われる海神社を訪れる。

紀伊水道まで見渡せる海釣り公園。釣り場は東西1400mと広く、四季を通じてさまざまな魚が釣れる神戸市立平磯海づり公園を訪れる。

JR・山陽塩屋駅の山側はジェームス山と呼ばれ、英国人貿易商のアーネスト・ウィリアム・ジェームス氏が、外国人住居住宅として昭和初期に建てた、50軒ほどの洒落た洋館が点在する。ヨーロッパの都市で見られるシンボルのライオン像や、赤い洋瓦、ピンクの壁がひときわ目立つスペイン風の洋館・旧グッデンハイム邸、円型展望塔がある旧ジェームス邸などが有名。北野の異人館とは違い、今も住宅として外国人の親睦の場として利用されており、異国情緒漂う街並みを、のんびりと散策してみるのも楽しい塩屋異人館街を訪れる。

プロ野球が観戦できる野球場や、陸上競技のメッカ「ユニバー記念競技場」、国内外のスポーツ競技が行われる「グリーンアリーナ神戸」などが集合する神戸総合運動公園を散策する。

神戸総合運動公園にある陸上競技場。収容人数は4万5000人。1985年(昭和60)開催のユニバーシアード神戸大会のメイン会場だった。現在は陸上競技や各種球技大会に使用されるほか、2006年「のじぎく兵庫国体」では開閉会式、陸上競技、サッカー会場として利用されたユニバー記念競技場を訪れる。

神戸総合運動公園にある球場で、オリックスの本拠地。グラウンドレベルで観戦できるフィールドシートもあり、大迫力の野球が楽しめる。定期的に花火ナイターもあるスカイマークスタジアムを訪れる。

17:00終了。

今回の近場の名所巡り、日本の標準時の基準となる子午線が通っていることでも有名で、1998年に舞子浜に世界最大の吊り橋が開通して以来、この地域は淡路島および四国への玄関口になっている明石。

明石海峡大橋の玄関で、たもとには松林が美しい舞子公園がある舞子。

須磨と共に夏には多くの観光客が訪れ、京阪神から最も近い海水浴場がある垂水。

半日で明石・舞子・垂水に点在する名所を訪れました。






神戸タウン観光
2010年5月8日


今回は海と山に囲まれた東西1,5km、南北1kmの神戸タウンに足を運び、異国情緒あふれる異人館が点在する北野、神戸の玄関口である三ノ宮、元町駅前のショッピングセンター、最新トレンドを発信するブランド店が立ち並ぶセレブタウン、旧居留地、青い海、青い空が広がる港町神戸の顔、ベイサイドを訪れました。

12:30車で阪神高速道路経由して生田川ランプ下車
13:30北野到達

多くの異人館を手がけたイギリスの建築家・ハンセル氏が、私邸として1896年(明治29)に建築したもの。公開異人館の中で、実際に人が住んでいることでも知られる。公開されている1階部分のダイニングには、豪華なシャンデリアや優雅なフランス製の家具が配されているシュウエケ邸を訪れる。

大工道具の歴史と変遷、日本の木造建築を支えてきた匠の精神と技術を伝えている竹中大工道具館を見学。

明治期に作庭された池泉回遊式日本庭園(名勝)。戦前には園内に豪壮な本邸その他付属建物があったが第二次大戦により焼失し、旧建物としては欧風スタイルの厩舎(重要文化財)、塀および各門が名残りをとどめている。その後旧ハッサム住宅(重要文化財)、茶室、船屋形(重要文化財)などが建築され、往事にまさる景観が見られるようになった。近隣の人々の憩いの場としても親しまれている。他に春のつつじと秋の菊花展が有名な相楽園を訪れる。

水をテーマにしたユニークな博物館。3Dシアターの映像や水を使った理科の実験見学のほか、水について楽しく遊びながら学習できる展示物が数多くある。建物はドイツルネッサンス風の重厚かつ優美な外観で、建築史上価値ある建物として高く評価。周辺は桜の名所としても有名な神戸市水の科学博物館を訪れる。

小高い丘の上にある公園で夜景の名所。特に、園内の展望台・金星台と8の字形をしたビーナスブリッジからは、神戸市街の夜景が楽しめる諏訪山公園を訪れる。

1574年(天正2)、織田信長が武将・荒木村重に命じて花隈城を築かせたが、後に村重が離反して信長に攻められ、1580年(天正8)に落城。その跡地が公園になっている花隈公園を訪れる。

浄土真宗本願寺派(西本願寺)の神戸別院。鉄筋コンクリート5階建てにアーチ型の屋根、インド風の尖塔など、これまでの日本の仏教建築とは異なるエキゾチックな建築様式から、「モダン寺」と呼ばれ親しまれている西本願寺神戸別院を訪れる。

正面に6本のドリス式半円柱を配した新古典主義様式の建物は、かつての横浜正金銀行。エントランス部分の天井の高さがレトロビルの風格を感じさせる。常設展示では石器時代から近代までの神戸の移り変わりを紹介。日本と海外の交流の歴史も詳しく学べる神戸市立博物館を見学。

生活に欠かせない「あかり」をテーマにした博物館。古代から伝わる松明から、ろうそくや行灯、ガス灯、電気スタンドと、時代の流れとともに進化していった過程を学ぶことができる。なかでも、「文明開化のあかりコーナー」には、美しい外国製のランプがズラリと並べられ、それらは美術品としての価値も高い神戸らんぷミュージアムを見学。

三ノ宮駅からフラワーロードを南へ10分ほど歩いた場所にある、緑あふれる公園。かつてここには外国人専用のグラウンドがあり、さまざまな国のスポーツが行われていた。そのため、ここから日本人に文化が浸透していったともいわれ、日本の近代スポーツ発祥の地だ。園内にはモダンな彫刻や噴水のほか、外国人の社交場だった「神戸レガッタ・アンド・アスレティック・クラブ」をモチーフにしたレストランなどが立つ。阪神・淡路大震災の犠牲となった人々の鎮魂と慰霊を願う、慰霊と復興のモニュメントや希望の灯りなどもある東遊園地を散策する。

1957年(昭和32)、日本で初めて造られた花時計。市役所のすぐ北側にあり、長年人々に親しまれてきたビルの谷間のオアシス的存在だ。直径6m。話題のイベントや風物詩にちなんだもの、公募作品などデザインはさまざま。四季折々の花約3000株を使い、年8~10回程度植え替えられる。傍らには、姉妹都市シアトルから送られたトーテムポールが立つ花時計を訪れる。

JR三ノ宮駅西口から大通りに面した高架下南側に続く、約500mの通り。約15の生地屋が軒を連ねる、神戸一の生地屋街だ。終戦後、闇市として栄えた高架下には、国内有数の貿易港という地の利を生かし、舶来の服地などが大量に入荷。これが一大布地街の始まりの三宮センイ商店街を訪れる。

潮の香りに満ちた臨海公園。神戸港のシンボル・神戸ポートタワーや神戸海洋博物館、豪華客船を思わせる神戸メリケンパークオリエンタルホテルなどが点在。「ルミナス神戸2」をはじめとする、クルージングの出航ポイントでもある。ハーバーランドへと続く海沿いの遊歩道も整備されているメリケンパークを散策する。

メリケンパークの東端・メリケン波止場に面し、阪神・淡路大震災の悲惨さを今に伝える公園。震災で壊滅した岸壁や傾いた街灯に手を加えることなく、当時のままの状態で保存している。園内では、パネル展示により、復興の過程を知ることができる神戸港震災メモリアルパークを訪れる。

神戸港を象徴する、高さ108mの赤い鼓形タワー。地上約100mの展望室からは、神戸の街や六甲山の山なみの大パノラマが一望できる。展望階には360度を約20分で一周する回転喫茶室もあり、神戸空港や淡路島も見える神戸ポートタワーを訪れる。

休日ともなると、家族連れやカップルでひときわ賑わうエリア。お洒落なショップやレストラン、映画館のあるモザイク、ファミリオ、プロメナ神戸など個性的な大型ショッピングセンターが立ち並ぶ。神戸港に面したモザイクガーデンの大観覧車は、港の景色はもちろんのこと、夜のイルミネーションがロマンチックなスポットの神戸ハーバーランドを訪れる。

南北朝時代の武将・楠木正成公を祀り、楠公さんの愛称で親しまれている神社。境内の正面神門右手には、水戸光圀直筆の正成公の墓碑がある。宝物殿には、書画や武具など、正成公ゆかりの品々が展示されている湊川神社を訪れる。

「若手芸術家の育成と地域の活性化」がコンセプトの館内は、ギャラリー、ホール、シアター、スタジオなどで構成。若手アーティストによる企画展や、神戸を拠点に活躍する小劇団の公演、また独自のプログラムによる映像作品の上映など、さまざまなイベントが開催される神戸アートビレッジセンターを訪れる。

18:00終了。

今回は近場の神戸に足を運び前回訪れることが出来なかった、北野、三ノ宮、元町駅前、旧居留地、ベイエリアの皆さんご存知のスポットを訪れ再確認できました。








神戸市灘&三ノ宮観光
2010年4月24日


先月に続いて近場の神戸灘&三ノ宮の名所巡りしてきました。

12:30車で阪神高速経由して土佐堀ランプ下車。
神戸を訪れる前に中ノ島の大阪国立国際美術館でルノアールの特別展示会を見学してから神戸に向かいました。80点のルノワール絵画を鑑賞しました。

14:00阪神高速魚崎ランプ下車。

魚崎郷にあり、秘伝の「もろみ仕込み」をはじめ、歴史ある酒造りの工程が見学できる。実際にもろみが発酵する音が聞けたり、香りをかげたりと、ユニークなコーナーが設けられている浜福鶴吟醸工房を訪れる。

住吉川沿いにたたずむ、文豪・谷崎潤一郎の旧宅。名作『細雪』は、この家で書かれたといわれる。応接室には谷崎作品のほとんどを揃え、自由に閲覧することができるほか、知人らに宛てた直筆の手紙なども展示されている倚松庵を訪れる。「倚松庵」の名は、最愛の妻・松子夫人にちなみ「松に寄りかかる住まい」の意味を込め命名されたもの。

阪急六甲駅のすぐ南、こんもりした緑に包まれた古社。社伝では、平清盛が福原に遷都した1180年(治承4)に京都・石清水八幡宮を勧請したことに始まるという。厄除けで知られ、1月18・19日には厄除大祭が盛大に営まれる六甲八幡神社を訪れる。

8万平方mの敷地で、約140種800点の動物を飼育する動物園。注目は、2000年7月に中国からやってきた2頭のパンダ。愛敬たっぷりのしぐさで親しまれている。インドゾウやコアラも人気の神戸市立王子動物園を訪れる。

神戸市内最大級の異人館。大阪鉄工所(現・日立造船所)を創設した英国人E・H・ハンター氏の旧邸で、1889年(明治22)ごろの建築。もとは北野町にあったが、1963年(昭和38)に王子動物園内に移された旧ハンター住宅を訪れる。

風見鶏の館のすぐ横、石段を登りつめた所にあり、風見鶏の館はもとより、神戸市街を見渡せる絶好の展望名所として有名。北野という地名も、この神社に由来するといわれている。その昔、平清盛公が京都の北野天満宮を勧請して建立したといわれ、学問の神様・菅原道真公を祀る北野天満神社を訪れる。

1931年(昭和6)に建てられた、旧北野小学校の校舎を利用した工房。館内の廊下の両側には、チョコレートショップのゴンチャロフやモロゾフをはじめ、パン・和菓子・靴など、「神戸ブランド」の21の工房が並ぶ北野工房のまちを訪れる。

その昔、清少納言や上田秋成も歌に詠み、『日本書紀』にも登場する由緒ある古社。繁華街に立つ朱色の鳥居が印象的。縁結び・商売繁盛・健康長寿・勝利勝運の神として人々に親しまれ、社の奥にある緑豊かな生田の森は市民たちの憩いの場。神戸の町の守り神として厚い信仰を集めている生田神社を訪れる。

華僑の厚い信仰を集める中国寺院。本尊は『三国志』で知られる蜀の武将関羽で、道教では武の神、財の神として崇められている関帝廟を訪れる。

17:00終了。

今回の近場の名所巡り、東灘から三ノ宮までのベイエリアの名所見物、概ね制覇できました。次回は三ノ宮から西方面のベイエリアを訪れたいと思います。





神戸市灘観光
2010年3月31日


今回は日本三大酒処、兵庫県「灘」、京都府「伏見」、広島県「西条」の「灘香」と呼ばれてる独特の香りと、「甘・辛・ピン」といわれるすっきりとした後味が特徴の灘方面の観光名所を訪れました。

12:30車で阪神自動車道経由して魚崎ランプ下車

魚崎郷にあり、立派な門が目印。原酒とともにカニ料理が楽しめるレストランや、ショップ、展示スペースなどがある複合施設だ。水をテーマにしたディスプレイをはじめ、50年以上前の古酒なども展示している櫻正宗記念館「櫻宴」を見学。

魚崎郷にあり、国の有形民俗文化財に指定されている灘の酒造用具566点のほか、昭和初期の酒造りの映像、昔の美人画ポスターや看板なども見ることができる。記念館限定のお酒や、オリジナルグッズも販売する菊正宗酒造記念館を見学。

六甲アイランド方面に向かう。

六甲ライナーで陸とつながる、近未来的な人工島。島の中心部・アイランドセンター駅付近に、大型ファッションビルやショッピングモールが立ち並ぶ。カネディアン・アカデミーなどの外国人学校やインポートマーケットも多く、国際的な神戸の中でも特にインターナショナルなエリアの六甲アイランドを訪れる。

神戸ファッションプラザ内にある、公立では日本初のファッションをテーマにした美術館。18世紀から現在までの多彩な衣装を所蔵している。ライブラリーには、写真集やビデオなどが充実し、閲覧することができる。ファッションをより身近に感じてほしいというコンセプトで、さまざまな展覧会が催される神戸ファッション美術館を訪れる。残念ながら水曜日は休館でした。

美しく清楚な女性像で知られる、神戸生まれの洋画家・小磯良平氏の作品を所蔵する美術館。約2500点もの作品の中から、常時約50~150点を入れ替えながら展示している。復元された氏のアトリエもある神戸市立小磯記念美術館を見学。

灘方面に戻る。

朝日新聞の創設者、村山龍平氏のコレクションを展示する美術館。絵画や書跡、仏像など東洋美術が中心で、重要文化財に指定された逸品も収蔵。茶道具の収集にも目を見張るものがある香雪美術館を見学。

白鶴酒造の7代目、嘉納治兵衛氏が設立した私立美術館。大伽藍を思わせる豪壮な館内に、国宝2件と重要文化財22件を含む、日本と中国の古美術品1300点を収蔵している。なかでも、殷・西周の青銅器や漢~明時代の陶磁器、奈良時代の経巻、鎌倉~江戸時代の絵画などは見もの。新館には中近東の絨毯コレクションの中から常時約40点が展示されている白鶴美術館を見学。

老舗酒造メーカーのひとつ、白鶴酒造の伝統を紹介、御影郷にあり、大正初期に建てられた本店1号蔵を利用した資料館。昔の酒造りの様子を、蔵人姿の人形を用いてわかりやすく再現している。しぼりたての原酒を味わえる利き酒コーナーもある白鶴酒造資料館を見学。

江戸中期、宝暦元年(1751)創業の清酒「福寿」の醸造元。山田錦や五百万石など地元兵庫県産の米と天与の名水「宮水」を使い、頑なに手造りを守っている神戸酒心館を見学。

全国的な酒造地として知られる灘にあるこうべ甲南武庫の郷では、酒粕で漬け込む甲南漬の製造工程の紹介をするほか、販売店や食事処も揃うこうべ甲南武庫の郷を見学。

「灘の酒」の酒造地として全国的に知られる灘五郷。西郷にあり、「灘の酒造り」の歴史を伝える為、昔の酒造りの工程などを紹介。兵庫県重要有形民俗文化財の酒造道具を展示している沢の鶴資料館を見学。

下1階・地上4階建て、西日本最大の美術館。ガラス張りと御影石の美しい建物は、安藤忠雄氏の設計によるものだ。8つの常設展示室では、小磯良平や横尾忠則など合わせて約8000点の収蔵品を順次公開。国内外の貴重な美術品を取り上げる兵庫県立美術館「芸術の館」を見学。

阪神淡路大震災の経験と教訓を後世に継承し、国内外の災害による被害の軽減に貢献する施設。「1.17シアター」では、特撮とCGで地震の瞬間を再現。地震のすさまじさを知ることができる人と防災未来センターを見学。

ポートピア方面に向かう。

三宮駅とポートライナーでつながる海上都市。1981年(昭和56)、日本初の人工島として誕生した。UCCコーヒー博物館や神戸市立青少年科学館、神戸花鳥園などのスポットはファミリーに人気。ホテルやアパレル関係のビルが多く、食事処も充実しているポートアイランドを訪れる。

科学のおもしろさを体験しながら学べる、テーマパーク型の科学館。情報・環境・生命・創造性など展示室は6つのテーマに分かれ、月面ジャンプ・ハンググライダーなどのアトラクションもある。ドーム型デジタル映像システム使用のプラネタリウムは、約2万5000個の星を投映。臨場感あふれる映像が楽しめる神戸市立青少年科学館を見学。

日本で唯一のコーヒーに関する博物館。館内は6つの展示室に分かれていて、コーヒーの起源や栽培方法、流通や加工からコーヒー文化に至るまでを分かりやすく解説するUCCコーヒー博物館を見学。

17:00終了。

今回は日本三大酒処、兵庫県「灘」に足を運び、多くの点在する酒蔵と美術館を訪れました。
さすが高級住宅街の多い神戸、高尚な美術館、酒蔵が目白押しに点在してますね。






兵庫県小野&加古川史跡巡り
2010年3月13日


今回は兵庫県の東播磨のそろばんの生産が有名で三木市と共に金物でも定評があり、播州鎌は兵庫県の伝統的工芸品に指定されている小野市、織物の街として栄えた加古川市の社寺を訪れました。

12:30車で近畿名神中国自動車道経由して滝野社インター下車
13:45小野市到達

日本の中心点を示す東経135度北緯35度交点石碑が立つ、JR加古川線と加古川に挟まれた公園。石碑の書は、終戦時に首相を務めた鈴木貫太郎によるもの。園内には、にしわき経緯度地球科学館や宇宙っ子ランドもある日本へそ公園を散策する。

磯崎新の設計による、円柱にアーチ型屋根をのせたギリシア神殿風の建物が目を引く美術館。西脇市出身の美術家・横尾忠則の作品を収蔵。半年ごとに企画展を開催。瞑想のためのメディテーションルームもある西脇市岡之山美術館を見学。

北条町の羅漢寺境内にある。境内入口に仁王像石仏が立ち、その奥に並ぶ。素朴な造りだが、一体一体が表情豊か。ややエキゾチックな顔立ちをしていることから帰化人をモデルにしているともいわれるが、作者も造立の意図もわかっていない。制作年代も不明だが、江戸時代以前と推測されている五百羅漢石仏を訪れる。

46haの敷地内に設けられた散策コース沿いに、30万本のチューリップの大花壇、大温室、バラ園、花菖蒲園などが点在。大温室では、モウセンゴケ科やウツボカズラ科など珍しい食虫植物も観察できる兵庫県立フラワーセンターを散策する。

平家による兵火で焼失した東大寺を再建するため、1190年から8年の歳月をかけて荘園の再開発と信仰の拠点として重源上人によって建立された寺。国宝、重文級の文化財が数多く残され、なかでも大仏様(天竺様)の代表的建築といわれる浄土堂(国宝)と、その内部に安置された阿弥陀三尊像(国宝)は必見。鎌倉時代の名仏師快慶作と伝わる三尊像が雲座に立ち、背面の透かし蔀戸を通して射す西日を背景に、西方にあるという極楽浄土からの阿弥陀の来迎を表現している浄土寺を訪れる。

姫路の書寫山圓教寺とともに、播磨屈指の西国観音霊場として知られる第26番札所。御詠歌に「春は花(桜) 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる法の華山」と歌われる花の名所だ。石段の道を登ると平安末期に造られた三重塔(国宝)が優美な姿を見せる。本堂とその後方にある妙見堂、弁天堂、護法堂はいずれも重要文化財の一乗寺を訪れる。

聖徳太子創建の寺と伝わる。718年(養老2)に七堂伽藍が整い、太子信仰が高まった鎌倉・室町の全盛期には300カ坊を数えた。鶴林寺公園の緑に囲まれた境内に立ち並ぶ国宝の本堂、太子堂、重要文化財の常行堂、鐘楼・行者堂、護摩堂は平安~室町期に造られたもの。宝物館には白鳳時代の聖観音立像(重要文化財)など数々の寺宝を展示する鶴林寺を訪れる。

17:00終了。

今回の社寺巡り、兵庫県の東播磨エリアの三木、小野、加西、加古川の広い範囲わたっての歴史的建造物巡り、なかなか立派なお寺が点在し満足のできる社寺巡りでした。




神戸異人館&旧居留地&南京町観光
2010年1月16日


今回は近場の異国情緒あふれる港町、北野異人館や旧居留地、南京町などの異国の香り漂う場所が点在する神戸に足を運びました。

13:20三ノ宮駅到達、散策する。

北野方面に向かう。

異人館の中でも建築の古さは屈指。堀、壁、窓枠に至るまで、明治35年建築当時のまま残されている。かつて英国の狩猟家ベン・アリソンが住んでいて、彼が世界各地で射止めた動物の剥製が展示されている。 その中には撲滅寸前の貴重な動物や珍獣が多い。 さながら 「小さな博物館」といった趣で、剥製といえ見ごたえ十分のベンの家を見学する。

2件が左右対称に建つ風変わりな建物。元は外人向けのアパートだったが、現在は展示品をフランスの美術や調度品で統一している。なかでも、アール・ヌーヴォの花形作家エミール・ガレやドーム兄弟らのガラス工芸は、選りすぐった佳品ぞろい。 壁にはエコール・ド・パリの藤田嗣治、シャガールらの小品が、 さりげなく掛かっている。 一方、バックの人気ブランド、ルイ・ヴィトンの草創期のトランクが珍しい。部屋の一隅に置かれた骨董品だ。フランスのエスプリに満ちた館内である洋館長屋仏蘭西館を見学。

イギリス人が建て、イギリス人が住み続けた洋館。西部劇でもおなじみの典型的なコロニアル様式だ。建物の内外はイギリス紳士のライフ・スタイルが濃厚に残っている。
バロックやビクトリア時代の家具・装飾品・バーカウンターなどは、アンティークで値の高いものばかり。庭の一隅には、レトロ調のロンドン・タクシーが停まっていて、それを背景に衣装を借りて記念撮影も楽しめる。そんなムードを生かして、夜はバーに変身。世界の名酒を、バカラのグラスで味わうのだが、それでいてリーズナブルと好評。パーティーにも、よく利用されている英国館を見学。


最初に公開された異人館で、国指定登録文化財。外国人向けの高級借家として建てられた。 建物の外壁と多い天然石のスレートが魚のうろこに似ているところから“うろこの家”の愛称が生まれ、親しまれている。館内のインテリアも昔のまま。アンティークな家具や置物の逸品のほか、欧州の王室が愛用していた豪華な陶磁器などが燦然と輝いている。隣接のうろこ美術館は絵画の宝庫。おもにヨーロッパとロシアの近・現代絵画を収集。マチス、ユトリロ、キスリング、ビュッフェ、トロワイヨン、ワイエスら高名な画家の佳作が展示されている。同館3階は、ロシア絵画の展示場だが、そこから港中心の神戸市街が一望できるので、展望台としての人気も高いうろこの家、うろこ美術館を見学。

塔状の家屋が3つ連なる風変わりな建築(チューダー様式)で入口上部のステンドグラスの美しさは格別。館内は近代彫刻の父ロダン、ブールデルの名作が並び、一室には東アフリカ、マコンデ族の異色の木彫や原始美術がたくさんある。壁には、バロック時代の巨匠レンブラント、ドイツ・ルネッサンスの代表的な画家デューラー、18世紀イギリスの風刺画家ホーガースらの版画を展示。2階には、ガンダーラやタイなど日本の仏像のルーツとなる仏陀や菩薩像が厳かに鎮座。彫刻と版画と仏像を3本の柱にした名観で、芸術の香り高い館の山手八番館を見学。

開港当初、外国人居留地に建ち、外国人たちの社交場として賑わっていた。その名残は、暖炉や豪華な家具調度品にとどめている。それらは、ブルボン王朝やビクトリア王朝のこる、貴族が使っていたものが多い。神戸の文明開花の流れを写真で見せる「神戸開花ストーリー」は、明治、大正、昭和の3代にわたる神戸の街の風景や風俗が活写されていて、興味深い。屋外には欧風庭園が広がり、一角にはしょうしゃなミニチャペルが建つ。また横穴式井戸も珍しく、見落とせない北野外国人倶楽部を見学。

中国の政治家・王兆銘 (1883~1944年) が1940年、南京に親日政府を樹立したとき、中国領事館として神戸に建てた。家具調度品、置物、美術品など中国製で統一され、当時をしのばせる。なかでも美術品は、西周時代の古文化財から、現代の水墨画まで及び、芸術的にも、唯一オリエンタルムードに包まれている旧中国領事館を見学。

当美術館は、震災で傷ついた異人館ホワイトハウス(旧米国領事館官舎)を修復し、1996年11月から新たに美術館としてスタートしました。現時は、兵庫県出身のイラストレーターで絵本作家、永田 萌さんの作品を、原画中心に常設展示しています。永田 萌さんは、京都に製作拠点を置き、広く国内外で活躍する人気作家ですが、その特徴はカラーインクという珍しい画材を使いこなし、その特製である透明感のある美しい色彩と日本的な「ぼかし」の技法で独自の画布を作り出していることです。館内5部屋のうち3部屋に常時50点の原画を展示、1部屋は高級複製画、1部屋はオリジナルグッズの 販売コーナー。原画は毎月全作品が入れ替わります。また、別棟でカフェとショップを併設しています神戸北野美術館を訪れる。

建物は大正4年(1915年)に建築されましたが、木造二階建下見板張りオイルペンキ塗りで、開放されたベランダ、ベイ・ウィンドなど、明治時代のいわゆる異人館の様式をそのまま受け継いでます。昭和53年の一般公開の際にこの館の愛称を公募した結果、「ラインの館」となりました。先の震災では、煙突の落下や内部の壁のひび割れなどの被害を受けたため、修復工事を行ないました。現在は、1階に休憩室・展示室・お土産物コーナーを配置し、2階には北野異人館街の歴史や震災関係の展示などを行うラインの館を見学。

白亜の壁に緑の柱や桟が映える建物は、元パナマのカルロス領事の執務室であり、生活空間でもあった。食堂、寝室、書斎、サンルームが連なっている。各所に領事のライフスタイルがにおう。 一方、展示場には、マヤと中央アンデスで発掘された土器や土偶のコレクションがいっぱい。学術的にも貴重な文化財だ。 別館ギャラリーで、地元の画家たちによる異人館スケッチの原画展と、阪神震災写真展を公開。館入口の彫像「シーホース」は、この頭にさわると願いことが叶うといわれ、人気が高い旧パナマ領事館を見学。

明治36年(1903年)アメリカ総領事ハンターシャープ氏の邸宅として建築されました。木造2階建て、下見板張りの異人館で、2つの異なった形のベイ・ウインドー(張り出し窓)を始め、アラベスク風模様が施された階段、重厚なマントルピースなど、贅沢な意匠が随所に見られます。その後、昭和19年(1944年)に小林秀雄氏(元神戸電鉄社長)の住宅となりました。昭和55年(1980年)に国の重要文化財に指定され、長らく“白い異人館”と呼ばれていましたが、62年(1987年)からの修理で建築当時の淡いグリーンの外壁に復元されて、この名が名付けられました。2階のベランダからは、神戸港まで見渡せる素晴らしい眺望が広がります萌黄の館を見学。

建築の設計に当たったのはドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデ(G.de Lalande)で、明治30年代後半から大正初期にかけて日本で活躍した有能な建築家でした。 この館は、昭和58年12月より 昭和60年3月にかけて本格的な保存修理を行い、復元できるところは可能な限り元の姿に戻しています。この館はかつて神戸に住んでいたドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマス氏(G・Thomas)が自邸として建てた建物です。 北野・山本地区に現存する異人館のなかで、れんがの外壁の建物としては唯一のもので、色鮮やかなれんがの色調、石積みの玄関ポーチ、2階部分のハーフ・ティンバー(木骨構造)など、他の異人館と異なった重厚な雰囲気をもっています。また先頭のうえに立つ風見鶏はよく知られ、今では北野町の象徴として欠かせない存在になっています。風見鶏はその名の通り風向きを知る役目をもっていますが雄鳥は警戒心が強いことから魔除けの意味や、またキリスト教の教勢を発展させる効果があるといわれてきました。
旧トーマス住宅は、1階に玄関ホール、応接間、居間、食堂書斎があり、2階は夫妻の寝室子供部屋、客用寝室、朝食の間などがあります。 室内の意匠は部屋によって変えておりますが全体にドイツの伝統様式を採りいれながら、19世紀末から20世紀初頭にかけての新しい芸術運動(アール・ヌーヴォ)の動きを感じさせるものがあります。1階各入口扉に付いている把頭飾り、応接間のシャンデリア、書斎腰板の風刺画などにその傾向が伺えます。また食堂は中世城館風の天井小梁、飾り戸棚、暖炉飾りなど見ごたえのある意匠をみせています風見鶏の館を見学。

旧居留地方面に向かう。

神戸港開港と同時に生まれた居留地は、各国の貿易商たちの居住区として、当時のヨーロッパの区画割をもとに街作りがすすめられた。建物には区画番号が付けられ、現在も15番館、38番館といったビル名に、その名残が見られる。南正面に配されたイオニア式の円柱がレトロな旧居留地38番館、アメリカンルネッサンス様式の商船三井ビルは美しさを誇る。1880年(明治13)、米国領事館として建てられた旧居留地15番館(重要文化財)、旧居留地127番館は、それぞれレストランとして活躍。海岸ビルなど、外観を眺めるだけでも楽しい旧居留地を散策する。

第二次世界大戦後いち早く配給物資のセメント材料を確保し、1949年に新築ビルとして建設されました高砂ビルを訪れる。

1982年秋に開館。以前からあった市立南蛮美術館と考古館を統合し、あたらしい人文系の博物館として発足しました。1935年建築の旧横浜正金銀行(現・東京三菱UFJ銀行)神戸支店ビルを改装増築し、正面にドーリア様式の円柱が建ち並ぶギリシャ神殿風の重厚な外観となっています。「国際文化交流-東西文化の接触と変容」を基本テーマに、常設展示室では、東アジアとの交流を中心にした原始・古代・中世と欧米との交流に重点をおいた近世・近代の諸相を探ります。館蔵品を中心とした企画展や、特別展では大規模な海外との交流展を開催するなど、テーマに沿った展覧会を行っています。また、国宝「桜ヶ丘銅鐸・銅戈群」をはじめ市内から出土した考古資料、南蛮・紅毛美術と古地図のコレクション、神戸に関する歴史資料や芸術家の作品なども収蔵しています神戸市立博物館を訪れる。

旧居留地内に残る唯一の居留地時代からの商館で、1881(明治14)年頃の建設といわれています。アメリカ領事館として使用されていたこともあり、国の重要文化財にも指定されています。阪神・淡路大震災で相当なダメージを受けましたが見事に復活した旧居留地十五番館(旧ノザワ本社)を訪れる。

ジェイ・ヒル・モーガンの設計で、チャータード銀行(Chartered Bank)神戸支店として1938年に竣工した。今日の神戸旧居留地海岸通を代表する近代建築の一つになっているチャータードビルを訪れる。

1929(昭和4)年竣工の、鉄筋コンクリート造3階建ての銀行建築です。かつてはナショナル・シティ・バンク・オブ・ニューヨーク神戸支店として建てられたものです。南側の正面にイオニア式の円柱を4本並べ、その両端が目地を目立たせた石積みで引き締めたアメリカン・ルネッサンス様式の建物。現在はLIVE LAB WESTとしてショップ、カフェなどが入ってます旧居留地38番館を訪れる。

国道2号線(海岸通り)沿いにあるビルは、大正7年(1918)、三井物産神戸支店として建設されました。阪神淡路大震災により全壊認定を受け新たに建て替え、4階から15階建てのオフィスビルとなって再建されました海岸ビルを訪れる。

南京町に向かう。

横浜中華街長崎新地中華街とともに日本三大チャイナタウンの一つに数えられ、東西約200m、南北110mの範囲に100あまりの店舗が軒を連ねる。店頭の路上で点心スイーツ、食材、記念品などを売る店も多く、休日は地元の買い物客や観光客で賑わう。 「南京町」という用語はかつて中国人街を指す一般名称であった。しかし、そのほとんどは戦後に改称したため、現在では事実上神戸のこの地区のみを指す固有名詞となっている。 南京町の中央通りは、十字路になっていて中央の広場には「あずまや」、東は「長安門」、西は「西安門」、南は「南楼門」という名前の門があり、北は元町商店街につながる南京町を散策してここで食事を済ませる。

18:30終了。

今回の近場の名所巡り、異国情緒あふれる港町、北野異人館や旧居留地、南京町などの異国の香り漂う場所が点在する神戸に足を運び、三宮から山手側、北野界隈に、明治から大正にかけて居留地から移り住んだ外国人の洋館が点在し、異国の雰囲気が色濃い周辺の散策を楽しめる北野異人館エリア。

明治から戦後にかけて建てられたレトロなビルが多く残り、落ち着いた佇まいの、古き良き神戸の居留地エリア。

約130年の歴史を誇るチャイナタウン、テイクアウトグルメを片手に、点心の屋台や中国雑貨のお店が所狭しと並ぶとおりを散策して異国パワーに触れる南京町エリア。

を訪れ、散策観光して再確認できました。

なかなか盛りたくさんなお洒落な神戸の町、全国から観光客がたくさん集まる、あらためて納得できました。






















兵庫県伊丹市観光
2009年12月16日


今回は近場の意外と皆さん知らない有馬温泉の東20km位の所にあり、大阪国際空港が位置し、酒造りの町としても知られており、江戸時代の雰囲気を今に伝える酒蔵や町屋などが点在し、一方では、美術館や昆虫館などの文化施設もあり、ご家族連れにオススメの観光スポットに恵まれている伊丹市の史跡巡りに足を運びました。

13:00JR伊丹駅到達。

歩いて史跡巡りする。

戦国末期1574年に、荒木村重が伊丹城の城主となり、大改築した上で、有岡城と改称しました。東西0.8km、南北1.7kmの堀と土塁で侍屋敷と町屋を囲んだ惣構えの城で、日本最古(1520年)の天守台があります。織田信長に対し謀反を起こしたため織田の大軍に攻められ、1579年に落城、1583年に廃城となりました。JR伊丹駅の直ぐ西側にある城跡は、1979年に国指定の史跡となり、「有岡公園」として整備されています。史跡の整備に伴って築かれた石垣の上には、本丸の礎石建物跡と二つの井戸跡が復元されています。また、本丸の西側には、土塁と自然石を積んだ野面積みの石垣が保存されています有岡城址を訪れる。

清酒「白雪」でよく知られている小西酒造が築後約200年の酒蔵を改装し、オープンした複合施設です。地ビールと清酒の醸造場、地ビール・レストラン、日本酒ミュージアム、関連グッズの売店コーナーに分かれています。醸造酒の文化と酵母菌の不思議な活躍を実感していただけます。清酒発祥の地に相応しい伝統的な酒造り道具類を130種類、200点以上展示している他、江戸時代の酒造りの様子を映像で紹介する「マジカルシーン・ビジョン」などもあるブルーワリビレッジ長寿蔵を訪れる。

猪名野神社の門前町に当たる地域が宮ノ前です。伊丹郷町館(旧岡田家住宅、旧石橋家住宅、新町家)、柿衞文庫、市立美術館、市立工芸センターなど多彩な施設が集まる伊丹市の文化ゾーンとして、2001年から一般公開されています。江戸時代の商家や酒蔵などの文化財や日本庭園などを常時見学できます。また、各施設の行う展示事業や各種講座、イベントなどに気軽に参加できるみやのまえ文化の郷を訪れる。

有岡城の落城の後、その城下町が酒造りの町として発展しました。当時の伊丹村は27町からなり、伊丹郷町と呼ばれていました。そういう由来から、旧岡田家酒蔵の解体・復元、旧石橋家住宅の解体・復元・移築と併せて、総合管理棟として町家形式の「新町家」が設けられた際に、これらの建物の総称の伊丹郷町館を訪れる。

伊丹の町家としては、最も古い旧岡田家が伊丹郷町の中心部の米屋町にあります。棟札によると、旧岡田家の店舗は、1674年に松屋によって建てられたもので、店舗の北側の酒蔵は1715年ごろに増築され、酒造りを行ったようです。1729年に鹿島屋が酒蔵を買収し、店舗の東隣に酒蔵を増築し、酒造りの最盛期には千石蔵を増築しましたが、明治の初めに廃業しました。1900年に岡田正造が購入し、大規模な改造を行った結果、広大な敷地に、店舗・臼屋・酒蔵・千石蔵・居宅・庭園が立ち並ぶようになりました。その後、伊丹市の所有となり、店舗・酒蔵を除いて取り壊されました。1992年には、旧岡田家の店舗と酒蔵が国指定重要文化財に、店舗と酒蔵をつなぐ釜屋および洗い場が附指定となりました。1995年の阪神・淡路大震災によって、店舗の大屋根や酒蔵の西壁が崩壊するなど大きな被害を受けたため、解体・復元工事が行われ、2001年から一般公開されています旧岡田家酒蔵を見学。

元は、猪名野神社の門前通り(北少路村)にあった町屋ですが、江戸時代の商家の造りが良く保存されていたので、解体調査後に旧岡田家住宅の隣に移築され、2001年から一般公開されています。母屋の正面は、厨子二階の塗り込めの軒裏と虫籠窓、出格子窓、正面中央の摺り揚げ大戸やバッタリ床几など、江戸後期の商家の店構えが見られます。また、茶室や水禽窟もあり、郷町の旦那衆が風流をたしなんでいた様子がうかがえます。石橋家は、明治以降、紙と金物の小売業の傍らで酒造業を営んでいました。1996年に伊丹市の文化財に、2001年には兵庫県の文化財に指定され、現在地に移築された後、一般公開されている旧石橋家住宅を見学。

旧石橋家住宅のかつての店舗部分に、全国の工芸作家の作品を展示販売しているクラフト・ミュージアムショップがあります。ここには、工芸センターにゆかりの作家や伊丹国際クラフト展に入選された方々の創作による、陶器・ガラス・木工・織物・ジュエリーなど様々な種類の作品が並んでいる伊丹郷町クラフトショップを訪れる。

江戸時代の伊丹は、酒造りで繁栄したため、富裕層が増え、俳諧文化が華やかに開花しました。岡田家当主の故岡田利兵衛氏(俳号=柿衞)は、実業家、国文学者、伊丹市長として多方面で活躍しましたが、俳諧文化について多年研究し、数多くの文献や資料を収集しました。彼から寄贈された貴重な文化遺産を下に1984年に「柿衞文庫」が発足しました。著名な俳人の直筆資料を約6千点、「奥の細道」を含む俳書・俳画などを約5千点所蔵しており、東京大学図書館、天理大学附属天理図書館とともに日本三大俳諧コレクションと評価されています柿衞文庫を見学。

1987年に「柿衞文庫」を増築して共同利用する形でオープンしました。主なコレクションは、19世紀のフランス絵画を代表するオノレ・ドーミエの1800点以上の諷刺版画、49点の彫刻、4点の油彩です。さらに、彼と同時代の諷刺画家の作品や、イギリスのウィリアム・ホガース、ジェイムズ・ギルレイ、ジョージ・クルックシャンクなどの諷刺版画、明治初年に来日したフランスのジョルジュ・ビゴーの諷刺版画などを所蔵しています。その他にもベルギーのジェームズ・アンソールの油絵 版画、ドイツのケーテ・コルヴィッツの版画などもあります。その他に、ラウル・デュフィの代表的油彩「海の女神」など、アメリカ現代作家の大作版画や日本の現代作家の絵画・彫刻もあります伊丹市立美術館を見学。

「伊丹郷町館」東側にある工芸センターでは、全国の優れた工芸品を展示する企画展や、国際公募のクラフト展などを開催しています。また、手織りや陶芸など各種工芸品の講座を常設しています。旧石橋住宅内の「伊丹郷町クラフトショップ」での工芸品の展示・販売や、「伊丹ジュエリーカレッジ」においてジュエリー工芸のプロの育成も行っています伊丹市立工芸センターを見学。

江戸時代の伊丹郷町の氏神で、祭神は須佐乃男命です。「野ノ宮」、「天王ノ宮」、「牛頭天王」と呼ばれていましたが、1869年の神仏分離令により改称しました。904年の創建という言い伝えがありますが、本殿が建てられたのは1686年です。境内には、酒造家や豪商が寄進した97基もの石灯篭が並んでいます。1703年以降、"お渡り"という祭礼が行われていたことが、伊丹市の指定民俗文化財である「猪名野神社神幸絵巻」に描かれています。また、戦国時代に、有岡城の惣構の北端を防御する「岸の砦」が置かれていた所です。今も、境内の西側に土塁が残っており、有岡城跡とともに国の指定史跡となっています。境内のムクロジは、樹高が約13.5mもある巨木で、1986年に伊丹市の指定文化財となりました猪名野神社を訪れる。

奈良の法隆寺と同じ伽藍配置なので、世紀初め頃の建築と推測される寺院跡があります。大規模な寺院であったようですが、当時の文献には全く記載されていないので、寺の名前も来歴も不明です。1958年に基壇の一部を発見し、発掘調査が行われ、66年に国の指定史跡となりました。金堂の基壇や朱塗りの北門などが復元されており、史跡公園として整備されています。創建当初からの瓦、水煙や風鐸などの銅製品も出土し、兵庫県の指定文化財として市立博物館に展示されています伊丹廃寺跡を訪れる。

緑豊かな昆陽池公園の中にあり、関西で最大規模のドーム型のチョウ温室があります。日本最大のオオゴマダラなど15種類、約1000匹のチョウが亜熱帯の花と緑の中を飛び交っている様子を一年中ごく間近に観察できます。また、ナナフシやバッタ、タガメ、ゲンゴロウなど生きている昆虫を展示している生態展示室、身近な昆虫の世界を10倍に拡大したジオラマ、珍しい世界の昆虫標本、昆虫の生態に関するAV資料、特別展、各種の昆虫講座、図書コーナーなどもあり、親子で昆虫の生態について楽しく学べる伊丹市昆虫館を見学。

奈良時代の名僧、行基上人が731年に築造したと伝えられる農業用の溜め池でした。伊丹市が1968年以来、この池を順次整備し、広さ27.8ha(そのうち自然池12.5ha、貯水池4.5ha)もある公園にしました。関西でも屈指の渡り鳥の飛来地として有名で、都会には稀な野鳥のオアシスとして人気を集めています。正面入り口の右手にある昆陽池センターには、展望室があり、日本列島を象った人口島など、公園全体を一望できます。1999年に池の水質浄化対策として、水鳥に餌をやるための給餌池(きゅうじいけ)および、池の中に突き出た野鳥観察橋を新たに設けました。この観察橋から野鳥の生態が間近に観察できる昆陽池公園を散策する。

正式には、崑崙山昆陽寺という名称の高野山真言宗の寺院です。奈良時代の名僧、行基上人が貧民救済のために731年に創建した昆陽施院の後身です。行基上人が創立した畿内49院の一つで、昆陽里バス停から東300mにあり、地元では「こやでら」、または「行基さん」として親しまれています。1579年に荒木村重と織田信長の戦いで全ての伽藍を焼失しましたが、江戸時代に入ると、遍照院や一乗院など周辺の塔頭(たっちゅう)も含めて再興されました。ご本尊は、行基上人の自作と伝えられている薬師如来像です。朱塗りの山門と境内の観音堂が1969年に、山門内にあった広目天・増長天立像が1998年に、それぞれ兵庫県の指定文化財となっています昆陽寺を訪れる。

17:00終了。

今回の史跡巡り、近場の伊丹市に足を運び、JR伊丹駅からスタートし左回りでひたすら4時間歩いて、地元の人でも意外と知らない史跡を巡り、歴史学習できました。












兵庫県尼崎史跡巡り
2009年10月7日


今回は近場の兵庫県東の端、大阪との境に位置する尼崎に足を運び、古墳、社寺、歴史的建造物の史跡巡りしました。

12:30車で阪神高速経由で尼崎方面に向かう。

13:00尼崎市の東北端、標高7m、猪名川左岸に営まれた弥生時代(2300-1700年前)の集落跡です。遺跡は東西約110m、南北120m以上の広さがある田能遺跡を訪れる。

国史跡田能遺跡の上に立地しており、田能遺跡から出土した遺物を収蔵・展示しています。資料館は、遺跡の保存が決定された後、昭和42年から整備工事が進められ、昭和45年7月25日に開館しました田能資料館を見学。

猪名川のほとりにあり、四季折々に花が咲き乱れる花と緑の公園です。春は梅、桜、牡丹、初夏には薔薇、花菖蒲、あじさい、夏にはヒマワリ、秋にはコスモスと四季それぞれの季節を代表する花々が栽培され、手入れも行き届いているため美しい花を見ることが出来る尼崎農業公園を散策する。

尼崎市と大阪府豊中市の境界をはさんで広がる大きな公園で、周辺に貴重な自然林が残っており、緑がたくさん繁っています。砂場やアスレチックなどがあり、自然の中で体を動かすことができる猪名川公園を散策する。

武田勝親の父は、武田信玄の子勝頼といわれています。天正10年(1582)の天目山の戦いで敗死したため勝親は甲斐国から逃げ、富田(現在地)の地に住みついて亡くなったと言われている武田勝親の墓を訪れる。

猪名寺廃寺は、塔と金堂が東西に並び、講堂がその北側に配されている「法隆寺式」伽藍配置の白鳳時代の寺院跡です。大正年間に塔跡から運び出された巨大な塔心礎が庫裏の東側に置かれています。昭和27年と33年に発掘調査が行われ川原寺式の軒瓦や鬼瓦・鴟尾のほか、鎌倉時代・室町時代の瓦も見つかっています。この寺は織田信長勢による荒木村重の居城「在岡城(有岡城)」攻略の時焼失したと考えられています猪名寺廃寺跡を訪れる。

全長約45m、後円部径約24mの周囲に濠を巡らした6世紀代の前方後円墳です。昭和初期土取り作業によって破壊されましたが、木棺を埋葬した粘土槨と木炭層をもった竪穴式土壙から五鈴鏡・鉄刀・鉄鏃・馬具・工具・玉類・土器などが出土しました。現在約二分の一に縮小して公園内に復元しています大塚山古墳を訪れる。

東西に主軸をおく全長約60m、高さ約3mの古墳時代中期の前方後円墳です。墳丘が御園地区の墓地になっています。昭和初期の墓地整理のときに石棺が発見され、保存処理を施して、現在墳丘上覆屋内に置かれている御園古墳を訪れる。

近松の墓がある広済寺、近松記念館を中心に、近松の風情を感じられるように整備しているのが「近松の里」です。この辺りは古くから開けたところで、古墳や由緒ある神社もあり、歴史と文化にふれあう憩いのスペースの近松公園を散策する。

尼崎市にある日蓮宗の寺。九五七年(天徳一)多田満仲が妙見菩薩を勧請して創建したと伝え、のち荒廃。一七一四年(正徳四)日昌が堂宇を建立。近松門左衛門の墓がある。俗称、近松寺、広済寺を訪れる。

近松門左衛門は音曲の名人竹本義太夫と協力して、江戸時代の初めに始まった人形浄瑠璃を空前の盛況に発展させた脚本家で、多くの名作を残しました。広済寺再興の開山講には近松も名を連ねたり、母の供養を行うなど広済寺とは深いつながりが窺われます国指定史跡「近松門左衛門墓」を訪れる。

平安時代、源氏の棟梁多田満仲の勧請により建立されたと伝えられています。江戸時代に刊行された「摂津名所図会」には、広い境内を持つ当時の様子が描かれています須佐男神社を訪れる。

延長5年(927)に編まれた「延喜式」のなかの神名帳に記された摂津国河辺郡七座の第一の神社で、市内では唯一の式内社の伊佐具神社を訪れる。

神崎町の梅ヶ枝公園にある神崎五人遊女塚の墓碑。法然上人と五人遊女の説話にゆかりの塚、遊女塚を訪れる。

領有関係が複雑であった尼崎藩の領地の範囲を示すために設置された石碑で、この領界碑は、昭和60年に西川八幡神社の注連柱(しめばしら)の移設中に発見さた尼崎藩領界碑を訪れる。

真言宗善通寺派の寺院で、寺伝によれば宗祖弘法大師がこの地に立ち寄り創建したといわれています浄光寺を訪れる。

境内は、樹齢千年という楠の大木がうっそうと繁っている。御本殿は、元和年間(十七世紀)に造営されたもの。末社に、稲荷神社を配し、境内右手に「子安の池」といって、この池の水の呑めば安産するという言い伝えられた池もある。神功皇后をおまつりしてある杭瀬熊野神社を訪れる。

長洲御厨(京都鴨社の社領)と深い関係のある貴布禰社(貴船社)の分社で、現在西本町にある貴布祢神社の元宮といわれています長洲貴布祢神社を訪れる。

阪神大物駅の北側にある公園で、県立尼崎病院の北隣にあります。かつて九州や山口県で活躍したという蒸気機関車が静態保存されています大物公園を散策する。

往古、尼崎の海岸線は現在よりも北であった。神崎川と武庫川に挟まれた三角州尼崎は海ヶ崎であり、海土ヶ幸であったが、水害の地であり、海運の要衝であるとともに難所でもあった。『平家物語』などにも語られ、源義経、弁慶ら主従が大物浦から船出するも大風に流されたとある。当社はこのような土地の守護神として古くから祀られていた大物主神社を訪れる。

明治33年(1900)尼崎では最初の大工場である尼崎紡績会社(現在のユニチカ)の本社事務所として建設された建物で、市内に現存する最も古い洋風建築です。煉瓦造り2階建て、設計は日本人によるものと思われますが、外壁を覆う赤煉瓦はイギリスからの輸入品と伝えられています。現在は、2階を展示室として公開し、創業当初からの貴重な資料が展示されていますユニチカ記念館を訪れる。

尼崎城は、元和3年(1617)に5万石の大名として赴任してきた戸田氏鉄によって、現在の北城内・南城内の約300メートル四方、三重の堀をもち、甲子園球場の約3.4倍に相当する敷地に築かれました。このように、5万石の大名の城としては大きすぎる城を幕府が作らせたのは、尼崎城に大坂城をの西を守る役割を期待したためでした。現在の庄下川も西側の外堀として利用され、沖からみると城全体が海に浮かんでいるように見え、美しく水に写る姿は「琴浦城」の名称で親しまれていました。城は本丸・二の丸・松の丸・南浜・西三の丸・東三の丸と渦巻き状に外へと広がり、中心の本丸には本丸御殿や4層の天守閣が建てられていました。明治6(1873)年に廃城が決まった後、城の建物は売却されたり取り壊され、堀も次第に埋められていったために、今では全くその姿を見ることはできなくなりましたが、発掘調査により遺構や遺物が発見されている尼崎城跡を訪れる。

明治38年に開業した阪神電鉄ですが、明治41年には配電事業をも開始し、尼崎火力発電所は御影発電所と共に配電事業の中枢でした。その尼崎火力発電所の建物が今なお尼崎車庫の一角に残っています。阪神電車に乗って尼崎駅に進入する直前、車庫の西側に煉瓦造の建物が見える阪神電車旧尼崎発電所を訪れる。

17:30終了。

今回の史跡巡り、近場の兵庫県尼崎に足を運び、意外と知らない、古墳、社寺、歴史的建造物に触れました。

伊丹市や川を挟んで大阪府豊中市と接する園田地区には、古代遺跡や古墳などがたくさんあり、特に有名な弥生時代の大集落、田能遺跡。

京都の公家に仕えるが、浄瑠璃・歌舞伎作家となり曽根崎心中で有名になる近松門左衛門と尼崎との関わりの晩年の10年の近松の里。

尼崎市立図書館横にある小さな公園、ここはかつて尼崎城があった場所で、土塀や石垣、日本庭園風の植栽、石畳の遊歩道が整備され、当時の面影を感じることが出来る尼崎城址公園。

尼崎の多くの史跡巡り、歴史学習できました。










兵庫県東部史跡巡り
2009年8月22日


今回は近場の兵庫県東部の西宮、芦屋、宝塚の由緒ある馴染みのある社寺、美術館、公園に足を運びました。

12:30車で阪神高速経由して武庫川インター下車、西宮方面に向かう。

13:00商売繁盛の神様として信仰されているえびす様を祭る、全国の総本社。室町時代に造られた250mの大練塀、1604年(慶長9)に豊臣秀頼の寄進で建立された表大門はともに国の重要文化財に指定されている西宮神社を訪れる。

実業家、大谷竹次郎氏から美術品と邸宅の寄贈を受けて開館。横山大観や梅原龍三郎、クールベの作品など約1000点を所蔵する。恒例のイタリア・ボローニャ国際絵本原画展など、企画展示も見応え。緑豊かな日本庭園では散策が楽しめる西宮市大谷記念美術館を見学。

芦屋方面に向かう。

歴史・美術部門からなる総合ミュージアム。1階では主に芦屋周辺の自然、原始・古代から近代に至るまでの芦屋の歴史を紹介している。2階ではコレクションの企画展示、芦屋ゆかりの美術家を中心に近代・現代の作品の展覧会などを開催。庭園内には芦屋に縁深い小出楢重のアトリエを復元し、愛用の画材などを展示している芦屋市立美術博物館を見学。

芦屋市立美術博物館の東隣。芦屋は文豪・谷崎潤一郎が1934年(昭和9)から3年余りを過ごした土地で、細雪の舞台でもある。館内には谷崎の自筆原稿や書簡、愛用したすずりなどを収蔵、展示している。また、京都の住まいにあった日本庭園を模した中庭や、純和風の建物なども趣深い芦屋市谷崎潤一郎記念館を見学。

昔の携帯用筆記具である矢立を中心に、江戸期の浮世絵、美術工芸品などを展示する美術館。矢立の収蔵数は約1500点で、そのうち約150点を常設展示している。材質や意匠にも凝り、単なる道具だけでなく美術品としての価値も高い。ほかに根付、煙草入れ、刀装具や、女性の髪油を入れるための髪油壺など約400点を収蔵している俵美術館を見学。

帝国ホテルの旧本館の設計でも有名なフランク・ロイド・ライトが、灘の酒造家・山邑太左衛門の別荘として設計した。鉄筋コンクリートの4層造りで、外壁や内装に使われている大谷石が、どっしりとした重厚な印象を受ける。自然光を取り入れた2階の応接間、欄間を銅板で装飾したハイカラな3階の和室や、暖炉を中心に左右対称のデザインになっている最上階などみどころが多い。国の重要文化財のヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)を訪れる。

西宮の北部方面に向かう。

故堀江光男氏が個人で収集した、世界のオルゴール300点以上を展示。ロシア最後の皇帝ニコライ2世が所有したという、貴重なオルゴールもある堀江オルゴール博物館を訪れる。

門戸の厄神さんの通称で知られる。弘法大師が開基とされ、名は祭られている薬師如来の住む浄土東方浄瑠璃世界から光を発せられる寺という意味で、境内の厄神堂に祭られた厄神明王は日本三躰厄神の一つで、唯一現存する貴重なものの門戸厄神東光寺を訪れる。

春の桜花賞をはじめ、宝塚記念やジャパンカップダートなどのレースを開催。場内には遊具のある広場や西洋庭園も備わり、レースのない平日は無料で開放されている阪神競馬場を訪れる。

宝塚方面に向かう。

宝塚ファミリーランド跡地に立つ施設。英国風ナチュラル庭園や約50頭の犬とふれあえるペットパークを中心に、ペットショップやレストランなども備えている宝塚ガーデンフィールズを散策する。

鉄腕アトム、ジャングル大帝など、数々の名作を残した漫画家・手塚治虫の記念館。宝塚で育った手塚氏の肉筆原稿や初版本を含む単行本558冊が展示されている。アニメ工房では、自分の描いた絵で、初歩のアニメ制作を体験することができる宝塚市立手塚治虫記念館を見学。

華麗なステージで魅了し続ける宝塚歌劇団のホームシアター。花・月・雪・星・宙[そら]の5組が交替で公演を行い、各組の男役トップスターを中心に華やかな芝居やショーが繰り広げられている。上演される作品は、オリジナル作品を中心に海外ミュージカルやレビューなどバラエティ豊かな宝塚大劇場を訪れる。

地元の人たちに荒神さんの名で親しまれている寺。正式は清荒神清澄寺。896年(寛平8)、宇多天皇の勅願寺の一つとして創建されたもので、火の神、台所の神様としても知られている清荒神清澄寺(清荒神)を訪れる。

聖徳太子が創建したと伝えられる古寺で、西国三十三カ所第24番札所。本堂や山門などの堂宇は、豊臣秀頼が造営したものといわれる。約800体の羅漢像が並ぶ羅漢堂は壮観。本尊の十一面観音(重要文化財)は安産の観音様として知られる中山寺を訪れる。

南の方面に戻る。

甲山山麓に広がる83ヘクタールの広大な県立森林公園。ハイキングや森林浴に最適。野外彫刻の展示もある甲山森林公園を散策する。

阪神香櫨園駅から阪急苦楽園口駅まで、夙川沿いに約2.8km続くオアシスロード。藤棚やベンチが配置され、憩いの場となっている。春は両岸に並ぶ約1700本のソメイヨシノが咲き誇り、4月上旬には西宮さくら祭を開催する夙川公園を散策する。

18:30終了。

今回は近場の由緒ある馴染みの深い社寺、美術館、公園を訪れました。

海外を制覇するのはなかなかですが国内は今のペースでしたら数年内に制覇出来そうです。

アウトドアスポーツの趣味から今は旅行しながら地理、歴史を学習していますが最終的には最も奥の深い芸術にはまるかも知れませんね。
今はぜんぜん知識がありませんが、芸術の美術館、博物館が主の名所巡りでした。