北海道

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百八十三弾:北海道八十八ヶ所ヶ所&北海道三十三観音霊場観光
2019年6月29−30日
  

北海道の北部エリアに足を運びこのエリアに点在する北海道八十八箇所霊場4ヶ所北海道三十三観音3ヶ所を訪れました。

29日15:30伊丹空港出発
16:40羽田空港到達
17:50羽田空港出発
19:25旭川空港到達、レンタカーで士別方面に向かう。
21:30士別市内のホテル到着後就寝。
30日4:15レンタカーで出発、稚内方面に向かう。

成田山真如院:高野山真言宗成田山真如院は、北海道北部日本海側に位置する羽幌町に本院、北海道の中心札幌市清田区平岡に札幌分院を持つお寺です。成田山真如院本院・札幌分院では、瞑想、修行、護摩祈祷及び厄払い、大般若祈祷及び厄払い、十三参り祈祷、水子精霊供養、ペット精霊供養、檀家のご先祖精霊供養、永代精霊供養、永代納骨等ができるお寺です。

教信寺:
当山の開基は小瀬川亮観師です。亮観師は明治14年11月16日佐渡国水津村月布施に生まれ、慶宮寺にて剃髪しました。明治29年4月延命寺住職、函館高野寺役僧を経て明治42年天塩へ、同44年5月説教所を設立しました。大正8年12月16日46歳寂。 第一世教信寺住職は菱川亮道師で昭和29年4月寺号公称。昭和51年11月1日77歳寂。 
第二世教信寺住職伊藤精範師は昭和29年6月住職拝命。 昭和4年3月18日に岩見沢市で生まれ、昭和14年長高寺に入寺します。宗立初瀬専修学院卒業後、昭和27年北海道専修学院幹事、昭和50年には本堂、納骨堂を建立。昭和54年庫裡を建設し同55年に客殿完成。豊山派中央布教会理事、北海道布教会会長、権大僧正を務めています。


真言寺:大正2年、当山開創伊藤智教尼により大師教会稚内支部として現住所に設立。市内クサンルで同じ大師教会支部を開設していた開基第一世紺井英應師が現在地支部を買い受け昭和29年真言寺と寺号公称。昭和40年に中富良野町弘照寺より晋住した第二世岩田光喜師が山号を高野山とし、さらに最北大師という通称を考案し現在に至る。
平成26年開創100年を迎える。

紋別方面に向かう。

大法寺: 霊場開設当初は根室市本城寺に安置されましたが、本城寺の廃寺により、一時根室市「長節湖畔」の33観音霊場の管理お堂に安置されていたようでありました。
 その後本城寺のご子息が見兼ねて昭和56年交流のあった当寺に持参されました。
 ご尊体は長い間雨曝しになって金箔もすっかり剥げ落ちており、京都の仏具店で修復して翌年報恩講法要に併せて入仏法要を嚴修し、昭和60年に霊場が再興されました。

龍光院:宗派 高野山真言宗
所在 北海道紋別郡興部町
本尊 弘法大師

大日寺:開基住職は、愛知県海東郡出身の上林龍恵上人で、明治34年10月網走を経てこの地に布教を開始するとともに、高野山大師教会紋別支部として認可を受け、布教の基礎を確立した
ご本尊は大日如来で新潟県から請来されました
観音霊場本尊聖観音は大正2年5月25日に入仏
現在の本堂は平成12年の開創壱百年の記念事業として建立されました

青龍寺:高野山真言宗青龍寺は、御本尊大日大聖不動明王の護摩祈祷を毎月28日に修しております。 その護摩の炎に御不動様・観音様・龍神などを見いだして頂ければ悩みや愚痴等はたちどころに快癒し、今後の方向づけは密教占星法によって示されることでしょう。 
また、密教の天文暦法に基づく占星法と、御本尊である大日大聖不動明王様の護摩とで、衆生の手助けをと考えます。 
高野山真言宗青龍寺の概要としては、大正4年5月香川県人の牧密道が来町し説教所設置許可を以て始まりとします。 昭和3年5月新四国八十八ヶ所を当山裏山の芝桜群生地に設置し、平成元年5月に現住職赴任第四世に就任しました。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百四十九弾:北海道八十八ヶ所三十三観音&お城観光
2018年10月13−14日
 

北の北海道に足を運び、富良野、帯広、網走、旭川のエリアに点在する北海道八十八ヶ所、三十三観音、お城8か所を訪れました。

13日15:30伊丹空港出発
16:40羽田空港到達
17:55羽田空港出発
19:35旭川空港到達、レンタカーで旭川市内のホテルに向かう。
20:50旭川市内のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
14日5:15レンタカーで出発富良野方面に向かう。

春宮寺:明治38年6月、炭屋実雄が京都から来道し、当現在地に説教所を開設したが、何か理由があったのか、2年後には後任者を決めて、説教所を去ることになる。
 炭屋実雄が後任者の谷澤正道に宛てた手紙が何通が残っており、北海道行きをためらう谷澤正道を説得する苦心の跡がうかがわれる文面である。説教所は神楽岡の高台の続きにあり、離宮造営地として設定されただけあり、上川盆地と大雪山を一望に収める風光明媚の地だった。
 明治44年、辛苦の中で「春宮寺」寺号公称の許可を得た。
春宮寺のいわれは、この辺一帯が御料地であったので、皇族の安泰を祈る気持ちから、皇太子を意味する春宮とした。
 本堂は大正6年の建立。寺近くのアオダモの原生林を払い下げてもらい、用材とした。建築には金釘は1本も使わず、大木を上手に用い、木組みで造られている。

弘照寺: 明治34年頃、開拓で入植した大師信者が当時の上富良野村東中に大師堂を建立し、大師講を組織したのが当寺の前身であり、その後、明治38年富山県出身の岩田實乘が晋住し、真言宗説教所としたのが弘照寺の開創である。その後、寄進のあった現在地に堂宇を建立し、大正8年に移転をした。昭和6年寺号公称が許され、また、岩田實乘が目白僧園にて修行の折、師事をした釋雲照和上から山号を賜り、「慈雲山弘照寺」と称して現在に至る。

富良野寺:富良野寺の開基は前住職宮田戒応師の祖父宮田俊人で佐賀蓮池藩の下級武士宮田儀満の子である。
 俊人がどんな理由で渡道を決意したかは不明だが、古丹別の説教所に空きのあることを高野山普賢院住職から知らされ、そのすすめもあってのことと想像されている。天塩国古丹別は日本海も稚内近くの海岸線から、数キロ山すそに入った小村だった。俊人が「北海道天塩国古丹別説教所担当依(ママ)嘱候事」なる辞令をたずさえ来道したのは明治三十九年、四十歳の夏である。しかし当時の古丹別が辺境の地でありすぎたことや、この土地の将来性などを考え早々に見切りをつけ、開教の適地を上川地方にもとめた。
 上川地方の中心地旭川は軍都景気に沸き立ち人口が急増し、それが近郊にまでおよび各宗の説教所が布教を開始、教線がみごとに拡張されているのをみた。そこで俊人は情報を得るため現金峰寺の前身、真言宗布教所に秋山亮範を訪ね、富良野地方の開教の可能性を知らされた。
 富良野駅に降り立つや俊人は托鉢をしながら市街を一巡すると、一夜の宿のお接待を受ける。
 一介の托鉢の僧に温かくその日の宿をお接待したのは、倉前惣太だった。倉前惣太はしばらく俊人を自宅において面倒をみ、八月盆になると徳島や淡路出身の真言宗徒の家を教えて棚経に歩かせ、それが縁となって開創の気運が高まるのである。
 俊人はここに布教所開創の決意をかため、秋に北海道をいったん離れ翌四十年五月家族と共に再渡道、ただちに仮り住まいの借家で布教活動を開始した。そのとき高野山から下付された弘法大師像は現在脇士として祭られている。大師像の台座の裏には「元文五庚申」(一七四〇)の記録がある。

帯広方面に向かう。

エクエピラチャシ:ユクエピラチャシは道内でも最大級のチャシ跡です。「ユク・エ・ピラ」とはアイヌ語で「シカ・食べる・崖」という意味です。陸別に伝わる英傑でリクンベツ(陸別)の首長、カネランにちなんで「カネランチャシ」とも呼ばれていますが、詳細はわかっていません。また、火山灰で覆われているため、まるで夏でも雪が残っているような白いチャシとしても知られています。

網走方面に向かう。

桂ケ岡チャシ:北海道網走市郊外のニクル丘陵にある北海道の先住民アイヌの築いた砦跡。「桂ヶ岡砦跡」が正式名称。国指定史跡。北海道内にはアイヌ民族が築いたチャシと呼ばれる砦の跡が700以上確認されているが、ニクル丘陵に残る桂ヶ岡チャシは大小2つのチャシからなる北筒式土器などを出土する集落跡をともなった大規模な砦跡で、大小2つの長円形、鏡餅状の郭跡や竪穴住居跡、貝塚などが残っている。アイヌ民族はかつて、この丘の上のチャシでチャランケ(談判)をしたことから「チャランケチャシ」などともよばれる。桜の名所として知られる桂ヶ岡公園内にある。同公園内には網走市立郷土博物館もある。

弘道寺:明治二十七年説教所として開設。以来六代の住職により大師の法燈が受け継がれてきております。
境内地の四脚門をくぐると右手に鐘楼堂・オホーツク曼茶羅(新四国八十八ヶ所)つつじ・石楠花の花園を巡り坂を上りきると修業大師がお迎えを致します。

旭川に向かう。

大照寺:明治28年讃岐(香川県)・伊予(愛媛県)の2団体が開拓に入植すると共に、郷里の雲風山国祐寺(現香川県三豊市)本尊のご分霊である聖観音を祀る小庵を結び、覚動和尚が錫を留め開創。以来、大師信仰を育む寺として信仰を集め、また、不動明王、弘法大師、十一面観音像は、何れも高野山より勧請した霊尊であります。 
昭和62年には現本堂の建立、平成元年には、北海道三十六不動尊霊場第4番札所として、その法灯を輝かせ、1月17日の初本尊大護摩供には老若男女が所願成就を祈念し、多数の檀信徒の参詣があり、厄除招福宝剣加持により、その法縁に浴しています。 当山はオンコ(一位)の寺としても知られ、希望者には種を分けています。

大聖寺:

15:10旭川空港到達
16:20 旭川空港出発
18:10羽田空港到達
19:20羽田空港出発
20:35伊丹空港到達

今回の旅行、北の北海道に足を運び、富良野、帯広、網走、旭川に点在する、霊場、お城8か所を訪れ楽しみました。

走行距離600kmでドライブ観光、自然の中、渋滞なく、真っ直ぐな広い道、広大な敷地、平野の走行、ストレスなく、何回来ても最高の北海道のドライブ観光、満喫しました。  








飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百四十四弾:北海道八十八ヶ所霊場&三十三観音&お城城下町巡り観光
2018年9月1−2日 
 


日本の北端、北海道道東地方に足を運び、道東地方に点在する北海道八十八ヶ所霊場、三十三観音、お城7か所を訪れました。

1日15:30伊丹空港出発。
16:40羽田空港到達。
17:45羽田空港出発。
19:20釧路空港到達、レンタカーで釧路市内に向かう。
18:00釧路市内のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
2日5:00レンタカーで出発、霊場、OK城めぐり。

チャシ:アイヌ語で「柵囲い」を意味し、砦、祭祀の場、見張り場など多目的な用途で使われていたとされます。
北海道内でチャシ跡は500ヶ所ほど確認されており、根室市内には32ヶ所のチャシ跡が残り、うち24ヶ所は「根室半島チャシ跡群」として国指定史跡に指定されています。また、平成19年には日本城郭協会が定める日本100名城のひとつ(お城番号1番)として選定されました。
根室市内のチャシ跡が築かれた正確な年代は不明ですが16〜18世紀頃とされています。
根室市内のチャシ跡は、海を臨む崖上に、半円形や方形の濠を巡らせた「面崖式」(めんがいしき)のチャシ跡が多く、濠を組み合わせた大規模なものが多いことで知られています。
現在、見学先として整備されているのはノツカマフ1号・2号チャシ跡とヲンネモトチャシ跡の2ヶ所です

高野寺:厚岸町の町名の由来はアイヌ語の「アッケケシ」(牡蠣の多いところ)からきているとおり牡蠣が名産の町です。 高野寺の本堂内から見える厚岸湾は絶景であり、お盆過ぎから見え始める夜のサンマ船の漁火は幻想的なほどです。 
開基者は不明ですが様々な行者がこの寺を訪ね修法をなされました。 
本尊は不動明王。そして北海道八十八ヶ所第39番札所として薬師如来をお祀りしています。 
是非とも御参拝者の方々には、境内から「空と海」を眺めながらお大師様と共に自分自身をふり返りながら心の会話を楽しんでいただきたいのであります。

チャルコロミオチャシ:チャシは、1号・2号の二つのチャシから成るとされていますが、両者は一体だった可能性もあります。両者を合わせると長さ220メートルにも及び、既存のチャシの中では最大規模を誇ります。加えて、和人の城郭風にいえば多数の曲輪を海岸沿いに並べ、三重の壕を掘り巡らせた複雑な縄張りをしています。今回色々なチャシを見て回りましたが、その多くは単郭式でせいぜい2つ程度の曲輪しか有していないことと比較して、相当に特徴的です。

清隆寺:明治初め頃より、祖先以来真言宗に帰依するもの当地に移住し、同24年市内に1棟新築寺院創立の準備中、本山等に僧侶の來根を図るに、同25年9月、新義真言宗北海道開教巡教師、細川 憲明(卓静)師来根、請われて住職に就任、創立に着す。
師は、明治に入り、藩学の教育より、福井にて出家、多年に亘り諸師に事教二相を学び時に、師恩に報いんとして、北海道開拓地にての開教を発願、本山よりの認可を得て、兄弟子、久志卓動師(旭川市 真久寺開基)ともども陸路旭川に到り、後、分かれて、陸路石北等を踏破言語を絶する困苦のすえ、30日を費やし根室に到着したものなり、その後、教化布教に努め、次第に壇信徒増え、機熟し、本堂建立、明治27年1月時の新義真言宗管長 高志大了大僧正開教の為に開眼し給う、
本尊 不動明王の御尊像(附両童子)、弘法、興教両大師の御尊像、創立補助金300円を添えて寺号公称の準備を促す、
明治30年3月25日「新義真言宗 護国山 清隆寺」として、寺号公称を許可される。

根室半島チャシ跡群(オンネモトチャシ):離島を除くとは本土の最東端(もちろん、北海道の最東端)でもある納沙布岬(のさっぷみさき)からほど近いところ(約2km)にオンネモトチャシ跡があります。
根室半島チャシ跡群の中で代表的であり、尚且つ観光しやすいのが、オンネモトチャシになります。
冬はもちろん雪深いところで、足がはまったりするので、雪がない季節の訪問がお勧めです。
とは言え夏は、草が茂っていてよく分かりませんので、見学に良い季節は5月とか9月辺りなのではと存じます。
立派な建造物など何一つ何も無いですが、日本百名城のひとつです。

善照寺:大正の初めこの地に入植した奥萬蔵(後に得度し沙弥観廣)が、弘法大師尊像を祀り、大師堂を営んだのが当寺の始まりです。当地は、四国出身の入植者も多く、この大師堂は開拓の人々の心の支えとなっていました。その後、開教の志を持って岡山県より来道した矢吹善照が赴任。昭和14年、多くの篤信者に寄進を頂き本堂を新築、川北説教所として地域の信仰の中核となしましたが昭和19年、心臓発作で遷化。後を継いだ矢吹弘照が、昭和21年「観廣山 善照寺」と寺号公称し、檀信徒強化、環境整備に務め、現在の形を作り上げました。 
今の本堂は、平成元年に新築したものです。銅板葺き入母屋造りの重厚な姿は木々に囲まれ、大変美しく、特に秋の紅葉はみごとです。

波切不動寺:当山は北海道八十八ヶ所中最も東に位置し、弘法大師のお膝元である高野山と同じく、世界遺産である知床の羅臼町にあります。市街地より少し離れたひかりごけ生息地、マッカウス洞窟付近の小高い山の上にあり、霊場本尊である波切不動明王は、本堂へ上がる階段手前右側のお堂に祀られています。羅臼町の基幹産業は漁業で、当山の目前には国後島を挟む根室海峡を航行する船舶が見られます。海上安全などの諸祈願所として約50年前に開かれて以来、町内外の漁業者を中心に信仰されてきました。 
なお、境内の滝にある不動明王は永く知床の海を見守ってきた事を物語っています。 
地域がら落石や野生動物に遭遇する事がありますので十分注意してください。

泉福寺:泉福寺は、道東中標津町市街から15km程離れた計根別にあります。根釧原野が広がる酪農地帯で、武佐岳や標津岳を眺望できる自然豊かなところです。昭和11年、鎌倉の浄光明寺徒弟竹村文榮師が、泉涌寺派開教師を拝受致し、北海道に開教を志し来道。真言宗泉涌寺派布教所を設立。本山は京都・皇室の菩提所御寺泉涌寺。 
泉福寺年中行事の節分では、星供養護摩祈願会を厳修し、御守札や福豆の授与、豆まき、齋食(さいしょく)接待等もあり、多くの参拝者で賑わっています。また、大聖牛王尊像を鐘楼堂石室に安置し、牛の供養と乳牛安全・酪農振興を日々祈念しています。春には、正御影供法要と併せて大聖牛王尊大祭、四国八十八ヶ所霊場お砂踏みを行っています。

14:00終了。釧路空港に向かう。
14:30釧路空港到達。
15:10釧路空港出発。
16:55羽田空港到達。
19:25羽田空港出発。
20:35伊丹空港到達。

今回の旅行、日本の北端、北海道道東に足を運び、道東に点在する霊場、比較的マイナーなお城7か所を訪れ楽しみました。

道は広く真っ直ぐ、車、信号少なく、渋滞もなくストレスのないドライブ観光、何回来ても北海道のドライブは最高、満喫しました。














飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百七十三弾:北海道道東三十三観音&八十八箇所霊場&お城・城下町巡り観光第七弾
2016年9月21−22日


北の北海道の道東地方に足を運び北海道八十八箇所巡り1か所、三十三観音2か所、比較的マイナーお城2か所をめぐりました。

21日15:25伊丹空港出発
17:10新千歳空港到達、レンタカーで帯広方面に向かう。
20:10帯広市内のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
22日7:30レンタカーで出発釧路方面に向かう。

密厳寺:
明治30年代、徳島県出身の開拓者により大師堂が建立されたが、本別川沿いにあったため、明治40年4月の水害で流失。その後、開基住職豊沢文雄を迎え境内地を現在の高台にもとめ、明治42年本堂落成時に寺号公称の許可を得ました。大正4年豊沢文雄は根室本城寺に移り、大正6年二世福家仁龍入山、教線を拡張各地に大師堂を建立します。三世福家龍祥は昭和33年住職拝命し、48年には諸堂を建立し現在の寺観になりました。
平成18年四世福家立雲開基百年事業として諸堂内の大改修を行いました。 
40番御本尊は大正2年開創、昭和60年再興の北海道三十三観音20番千手観音と共に、本堂内に祀られ、巡拝者は本堂内に入ってのお参りを基本としています。


西端寺:明治25年頃、現在の米町に長谷部実玄和尚により開教、その後同33ヵ所霊場の函館の高野寺の住職西端良純和尚、有志の発起により建立される。明治32年8月14日西端寺と公称第四世住職近藤快應の手により市内春採33ヶ所、阿寒88ヵ所霊場を建立。五世住職福田快厳、高野山1150年記念事業として、諸堂、伽藍を新築、その折本山より「準別格本山」の栄を賜り、昭和46年9月管長猊下御親修のもと、本堂落慶、寺格昇格記念大法要を厳修される。

鶴ヶ岱チャランケチャシ:春採湖に突き出た岬の上にあり、二重の空堀をめぐらして構築されている。この地は湖の神線の遊び場という言い伝えが残る。

モシリヤチャシ:丘の上に構築された大きめのチャシ。見た目がお供え餅に似ていることから、このタイプのチャシは「お供え山型」と呼ばれる。

16:00新千歳空港に向かう。
16:30新千歳空港到達。
17:55新千歳空港出発。
19:50伊丹空港到達。

今回の旅行、北の北海道道東地方に足を運び、北海道観音2か所、八十八箇所1か所、お城2か所をめぐり楽しみました。
広大な北海道、特に帯広、釧路地方は平野が広く、真っ直ぐな広い道、地平線を見ながら、ストレスなく、快適なドライブを楽しみながら霊場、お城を巡り満期しました。
 




飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百六十五弾:北海道八十八箇所&三十三観音&お城・城下町巡り観光
2016年7月9−10日
   

北の北海道に足を運び、旭川から北部に点在する北海道八十八箇所10か所、三十三観音1か所、お城1か所を訪れました。

9日15:20伊丹空港出発
17:10新千歳空港到達、レンタカーで旭川に向かう。
20:05旭川駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
10日6:30レンタカーで出発、霊場、お城めぐり。

大阿寺:
小島秀元師が明治37年来道。石狩を経て、当地に錫を留め、翌38年教会を設立し布教活動を始めたのを当山の開創とします。大正4年霊光山大阿寺と寺号公称し、以来第二世秀澄師、第三世秀隆師、第四世真光尚如師と受け継がれ昭和59年より現住職真光昌雄師が就任しました。 市の区画整理で境内が削られた横長の境内に、庫裡と本堂(昭和54年建立)、納骨堂が一列に並びます。 
門を入って右に大師堂があり、本尊子安大師(石像)は、近隣女性の信仰を集め、いつとはなしに花が奉られ、着物が掛けられています。また、当寺は北海道八十八ヶ所霊場札所のほか、朔北七福神霊場になっています。本尊は毘沙門天で、毎年7月7日に七福神まつりを行い多くの信者で賑わいます。


不動院:
大正12年5月3日、故阿部昭忠師が現境内の霊水滝前に小堂宇を建立したのが始まりです。
師は不治の病におかされていたところ、明王突然枕辺に現れ「汝の病症は医師の治療のみにては全治するものに非ず、西方の小山の中腹に小滝あり、その水を服用せよ!必ず全治すべし、夢疑う可からず」と告げられたそうです。不思議に思いましたが、そのまま打ちすぎたところ再度同じ夢の示現があり、師は意を決して医師や看護婦の止めるのも聞かず4月7日退院し、友人の力をかり、ついに小滝を探しあて病気も平癒し、師は大いによろこびその霊験あらたかなるを感じ報恩の為小堂宇を建立しました。


実心寺・実心寺観音堂:
当山は明治42年、種野憲如師がこの地に錫を留め観音信仰を広めるために開教に専念。大正13年には本堂、庫裡を建立し、知水山・実心寺と寺号を公称。開基憲如師、第二世暁如師、第三世憲暁師、現住職第四世秀憲師と法灯を継承。 
昭和46年納骨堂、同53年現本堂、庫裡、同59年檀信徒会館を建立。 入所時には奈良県の吉野桜を移植し「さくら」の寺として永く親しまれていましたが、現在は10本程が春に彩りを見せ近隣の人々の心を癒しています。 
境内庭園の中には、十一面観世音菩薩像と西国三十三ヶ所観音霊場があります。
観音堂は、中に十一面観世音菩薩像、弘法大師像を奉安し壇信徒信仰の道場となります。


法弘寺:
人は生きていく上で、様々な煩悩や執着、それらから生ずる苦悩の中に生きておりますが、当霊場17番札所のご本尊のお薬師さまはそういった苦悩を癒すお力を持った仏様です。 また、27番札所の御本尊十一面観世音菩薩さまは、慈悲に満ちた相、衆生を仏道に導かんとする怒りの相などの十一のお顔をもたれる仏さまです。名寄市を含む道北は、冬はマイナス35度、夏は35度と1年の寒暖の差が70度近くになる自然の厳しい地域です。しかし、夏の猛暑、冬の酷寒・風雪に耐え、咲いた花はその強さゆえに美しいものです。 当山は開基住職以来、植物や庭園に造詣が深い住職が続いた事もあり、庭には四季折々・種々様々な花、高山植物が咲き誇り「花の寺」として、参詣者や道行く人々の目を楽しませております。ご参詣になられた際には、お薬師さま・観音さまに手を合わせた後、庭の花々の強さや美しさを堪能され、仏様のいのちの真中に生かされている喜びを感じていただきたく存じます。
第27番札所御本尊「十一面観世音菩薩」さまは、慈悲に満ちた相、衆生を仏道に導かんとする怒りの相などの十一のお顔を持たれる仏さまです。 観音さまの慈悲・怒りなどの様々なお顔は、自然と同じであるといえましょう。植物が秋に花や葉を落とすのはやがて来る冬の寒さに耐えんとするものであり、また次の世代に「いのち」をつながんとするためであります。 当山は植物や庭園に造詣が深い住職が続き、庭には多数の石仏・石塔のそばに種々様々な山野草が咲く「花の寺」であります。 観音さまに手を合わせた後、庭の花々に目と心を癒され、また仏さまの世界をお大師さまとともに歩む喜びとしていただければ幸いです。


光願寺:
光願寺の前身は通称真言宗説教所です。 
堂内に不動明王像並びに弘法大師像を奉安し、町内の信仰を集めていたようです。 
昭和25年此の地に新本堂を建立。 真言宗豊山派真珠山光願寺と公称。 「朔北七福神 寿老人霊場」 「北海道三十六不動尊霊場第八番札所」


弘法寺:
弘法寺のある美深町は人口6千人ほどの町で地名の由来はアイヌ語の「ピウカ」(石の多い河床)からつけられました。弘法寺は明治39年徳島県地蔵寺第24世服部智信により創立されました。 
本尊の弘法大師像は江戸初期の寛文6年、仏師藤原源衛門作が鎮座され、脇仏は平成18年開創の北海道八十八ヶ所霊場本尊薬師如来像と大正2年徳島県出身の女性、山本ラクが観音像奉納により開創した北海道三十三観音霊場第28番札所として本尊聖観世音菩薩像が奉安されています。 
また、本堂左側には文化2年京都大仏師塩釜浄而法橋作の精巧な造りの十一面千手観世音菩薩像も祀られている。


観音寺奥之院:
明治33年にお山の山頂に、人の姿をした木のこぶが発見され、留萌に逗留していた修行僧の夢枕に立ち「我、観世音の化身なり」と言われました。 
そのころ、病に伏せっていた尾作修妙師が同じような夢を見、「我を信仰すれば必ず病が完治するだろう」といわれて以来信仰する様になりました。またその修行僧により入佛開眼されて開基住職となり、尾作修妙尼は悩める人々を救い、現在は孫に当たる康勝師が住職を務めています。本尊天然佛聖観世音菩薩(奥の院)の右横に13番、14番の御本尊を奉安、平成11年に開基百年法要を厳修。 毎年、6月18日当山山頂護摩道場にて火渡り、2月4日節分豆まき法要を行っています。 
札所が山頂にある為、火気の使用はおことわりしています。また、お堂に入ることは出来ません。山頂まで約115段の石段があります。


浜益毛陣屋:浜益村(現石狩市浜益区)は石狩湾の北部、北海道の日本海側沿岸のほぼ中央に位置します。かつてはマシケと呼ばれ、松前藩独特の場所請負制度による益毛場所がありましたが、のちにこの場所を二分し、北方を増毛(現増毛町)、従来の益毛を浜益毛(のちに浜益)としました。
 安政6年(1859)年に荘内藩は幕府に西蝦夷地警備を命じられ、秋田藩領の増毛を除く浜益から天塩までを領地として与えられハママシケに陣屋を作って総奉行をおきました。
 この陣屋は浜益川を天然の堀とし、海岸から500mほど東に入った丘陵部に大手門を設け、5haほどの土地を開いて本陣とし、千両堀といわれる物資輸送のための運河を掘ったそうですが現在は残っていません。
 荘内藩は土地開墾に力を入れ、藩内から1300人余の農民のほか、日常生活に必要な大工・鍛冶・味噌・醤油などの職人に至るまで移住させました。しかし明治維新の際には全員帰国し、田畑は荒れ果ててしまったそうです。

15:00新千歳空港に向かう。

16:30新千歳空港到達。
17:55新千歳空港出発。
19:45伊丹空港到達。

今回の旅行、北の北海道に足を運び、霊場11か所、お城1か所をドライブかねて訪れ楽しみました。
今回も広大な北海道のドライブ巡り、広いまっすぐな道、車が少なく、信号も少ない、ストレスを感じない、爽快なドライブ走行満喫いたしました。
 








飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百六十一弾:北海道八十八箇所霊場&北海道三十三観音霊場&お城巡り観光第5弾
2016年6月11日ー12日
 

北の北海道の道南に足を運び、点在する北海道八十八箇所11か所、北海道三十三観音4か所、お城2か所を巡りました。

11日15:45伊丹空港出発
17:10新千歳空港到達、レンタカーで苫小牧方面に向かう。

望洋寺:
当山は大正13年開基住職吉田守賢師が、この地に来錫し開教を始めた事に濫觴します。昭和2年幸町に不動院教会所を設立し認可を受け、その折、総本山智積院より下付された不動明王(二童子付)が、現本堂に安置の御本尊です。
昭和10年ころ、当初から目標でした寺号公称を目指し寺域創りに奔走します。昭和12年遂に現在地に移転しました。本堂を落成して望洋寺と寺号公称し、爾来、各行事を通じて教化活動も活発に展開し、檀信徒の安らぎの道場として基盤が確立されました。その後、納骨堂、大師堂、護摩堂、客殿等の諸堂が落成し伽藍の輪奐も整ってきました。20数年前より毎月写経会、大師講、護摩供、詠歌講を開催し、また毎年全国の霊場に巡拝し共に感動を味わっています。


白老陣屋:安政3年(1856),幕命により仙台藩が築いた陣屋跡。当時植えた松,土塁,堀がそのまま残されている。

18:30室蘭方面に向かう。

19:00室蘭駅前のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。
12日6:30レンタカーで出発、日高方面に向かう。

日高寺:明治四十三年香川県(三郷郡三野町旧吉津村)出身の琢磨宥文がこの地に説教所を建立したことをもって開山としています。
 宥文は明治四十一年四十歳のときに、北海道開教をすすめられ、香川県からやってきました。おそらく笠谷霊海(亮昌寺)、原田智巌(高野時)らのすすめがあったと思われる。
(北海道三十三観音よみがえった霊場 資延憲英著参照)
大正十五年に建立された八十八ヶ所霊場が、裏山に有り約一時間で巡ってくることができる。
当初は軟石作りの為、痛みも激しくなったので、平成五年九月に新しく八十八ヶ所を御影石にて建立をしました。

龍徳寺:高野山真言宗の末寺で、明治三十六年、旅の僧侶が説教所を建てる。明治四十一年大阪の宝珠院住職少僧都、仙田梁応が布教をはじめ説教所の設置を出願し、翌四十二年許可になった。寺号公称は大正十三年十一月認可となった。
明治四十五年本堂新築、昭和三十二年開創五十周年法会を営む。同四十三年納骨堂新築、五十一年庫裏、会館新築、六十二年山門新築、十五年本堂新築、開創百周年法会を営む。御本尊金大日如来、脇仏は馬頭観音、弘法大師尊像、平成二十六年現在寺歴百十一年である。

シベチャリチャシ:全道のアイヌを率い、和人と戦ったアイヌ民族の英雄シャクシャイン。銅像の建つ真歌公園は、そのシャクシャインが寛文9年(1669)、「寛文九年蝦夷の戦い(シャクシャインの乱)」で最後の砦とした場所である。
シャクシャインの乱とは、交易時の不平等に怒りを募らせたアイヌの長シャクシャインが、全道のアイヌに呼びかけ一斉に蜂起した争い。一時は道南地方(現長万部町国縫)まで攻め寄ったものの、松前藩の鉄砲隊に徐々に後退。最期は和議の申し出という口実のもとに謀殺され、砦も焼き払われたと伝えられている。

円昌寺:明治30年、開基龍長和尚は、神奈川県大磯町西小磯に在った白岩山円昌寺(東寺派)を現在地に移転し、寺号公証。 三石山円昌寺(本尊金剛界大日如来)創立。
明治42年本堂、庫裏新築。
明治45年裏山に、巡路三千米の新四国八十八ヶ所完成。真言宗各宗派連合長者土宜法龍師を導師として開眼法要。
大正4年龍神堂建立。
大正5年北海道三十三観音霊場 三十一番聖観世音像安置。(現在祀られている観音像は昭和53年再安置された聖観世音像である。)
大正15年鐘楼堂完成(現存)。昭和19年大梵鐘供出させられる。
昭和6年三石観音堂入佛開眼(優駿豊平号大印の等身像上に馬頭観音を安置)。
昭和30年堂宇祝融。昭和33年三世住職小笹典之師晋山。
昭和39年本堂再建落慶。昭和47年現梵鐘開眼供養奉修。
平成3年当山開基百年記念慶讃大法会執行。
年中行事:3月10日涅槃会、4月20日正御影供会、7月15日弘法大師降誕会お砂踏み、11月8日十夜法会。 山内のツツジの見頃は五月下旬から六月上旬です。

妙龍寺:妙龍寺は北海道小樽市にある寺院です。
明治15年に開山して以来、北海道の開拓とともに歩んできました。お寺の前には地獄坂という坂があります。
この坂の上には高校・大学があるのですが、その昔は建物が少なく、
山からの吹雪が容赦なく学生達に襲いかかっていました。
その様子を見て、誰が名付けたか地獄坂と呼ばれるようになりました。

地蔵寺:
当山は昭和3年4月40歳にて仏門を志した細川智隆和尚にて昭和5年10月24日高野山真言宗広尾教会を設立。16年10月8日遷化、同年11月千葉憲應師晋山、檀家強化に勤めましたが18年、室蘭市に転寺します。同年林賢修師晋山し、昭和21年5月岩手県に転寺しました。その後昭和21年5月宮下栄厳師が晋山する。27年には宗教法人地蔵寺と寺号公称し、昭和32年広尾新四国八十八ケ所開創のため21日間水だけの苦行断食し寺裏の丸山に開創しました。
春季大祭4月24日、秋季大祭は11月10日に厳修しています。 先代栄厳僧正は42年本堂、52年回向殿納骨堂を建立、境内整備にも努力し、昭和60年11月1日遷化。その後現住栄隆晋山、現在に至ります。祈祷を重点にし各種お払い、特に2月11日の星祭厄払いは盛大です


高野山寺(金剛閣)、高野山寺:
雄大な日高山脈のふもと、江戸時代から純度の高い砂金を産出する清流「歴舟川」が沃野を潤す大樹町。
当山は昭和の大仏師「松久宗琳」入魂の大日如来と不動・愛染両明王が、鎌倉様式を忠実に再現した本堂に鎮座する古刹です。
開基は大正6年、初代住持佐藤密道が、明治の末、遠くインド、ミャンマーを遍歴し、ミャンマーの名刹シェダゴンパゴダで五粒の仏舎利を授かり、当山に奉安したのを濫觴とします。また、開基がその師、高野山奥の院維那、八王子金剛院主「田和諦観大和尚」から伝えられた古佛十一面観世音及び弁財天をも奉安します。 
境内には樹齢二百年にも及ぶ松(一位)と桐が仲良くたたずんでいます


帯広方面に向かう。

新正寺:
明治末、伊藤キク37歳が、受戒し「栄心」と名のり、教会所設立、その後、新正寺となります。 
現本堂は御堂作りで大正2年、竹田忠三郎の寄進にて建立されました。 
古くから、加持、祈祷の寺である44番札所御本尊は、十一面観世音菩薩です。 
五穀豊穣の願いが込められています

真隆寺:
明治39年真言宗説教所として開山。大正15年に北海道開教を志した長谷川真隆和尚が当山説教所主任として着任、日夜真言密教の教えを広め加持祈祷などによる人々の救済に力を注ぎ、またその霊験あらたかでした。 
現在はスキー場のある明野の山に四国八十八ケ所霊場本尊の石仏を奉安し日増しに信徒が増加し永続維持の基盤ができ昭和6年寺号公称の認可を受けて第一世住職を拝命しました。 
真隆和尚遷化後は昭和26年英隆和尚が第二世住職を拝命し本堂、納骨堂など境内整備等は英隆和尚によってなされ、英隆和尚遷化後は隆憲和尚が第三世住職を拝命し現在の庫裏納骨堂、弘真閣は隆憲和尚によってなされました。現在、四国八十八ケ所霊場本尊の石仏は境内の北側に奉安されています。


松光寺:境内は観音。八十八ヶ所石仏があり四季をとおしてありがたい思いをいたします。

高野寺:
大正3年中富良野弘照寺開基住職岩田實乗師により高野山説教所として開基。昭和3年末富山県出身高野山で修学を積み釧路西端寺から来帯した大多賀清洞師夫妻が借地に建てた12坪の大師堂に定住して大師信仰の宣揚に勤めました。 
昭和11年本堂新築、同18年高野寺公称、十勝川温泉協会設立糠平八十八ケ所開創、糠平寺創立。更に昭和46年現在地に移転新築し同58年82歳で遷化の間、生涯を寺門興隆と教化に専念し、二代住職実忍に至ります。
堂内には、日本唯一英霊馬頭観世音菩薩、子安弘法大師、宇賀大明神、タイ国御請来仏舎利と降魔釈迦如来、本堂内に八十八ケ所御尊像が奉安されています。


弘真寺:
当山は大正10年、帯広近郊の川西村美栄に薬師如来を本尊とする利生寺の開基から始まります。
昭和4年には十勝四国八十八ケ所霊場を開創。昭和30年帯広市富士町に本堂を移転改築、昭和34年寺号を日月山 弘真寺に改め、昭和58年帯広市西24条南2丁目(西帯広)に伽藍を移転建立し現在に至っています。
祈願寺・供養寺として地域に根ざし熱心に手を合わせる参詣者がみられます。
十勝四国八十八ケ所霊場の他に、十勝管内6ケ寺院で干支の石を奉安している十勝北斗十二支めぐりでは、「寅」と「卯」を奉安しています


照覺寺、照覺寺(三味堂):
当寺は、昭和10年清水町御影の照明寺住職山本祐澄により当町に大師教会光明支部設置の許可を受け、大師信者である広瀬ヨノ宅にて教線を張ったのに始まり、その後、山本師の弟子前川光榮が引継ぎ高野山芽室教会となりました。 
昭和17年東2条5丁目に本堂を設立、昭和19年、西沼行貫が教会主管代務者となり、同24年寺号公称し開基住職に。 
師は寺門興隆と布教に心血を注ぎ寺院を整え、同45年行貫遷化後、師の妻行基尼は同47年行眞が晋山するまで寺を守りました。行眞は住職就任直後、足掛け6年かけ寺を現在地に移転し普請します。 
当山には行貫の弟子勇弘道が謹刻した千体の地蔵菩薩をおまつりしている御堂があり「北海道十勝北斗十二支 福徳神めぐり」の霊場(全六ケ寺)になっています。そのなかで、「申」と「酉」の守本尊とエトの霊石を奉安しています。
三昧堂は、当寺の施設の中にあるもので、住職が専ら修法する道場で、一般の檀信徒の入堂はできません。
ここの本尊は不動明王でその他、歓喜天、ダキニ天、龍神、聖徳太子などが奉安されています。



15:30新千歳空港に向かう。

17:00新千歳空港到達

17:55新千歳空港出発

20:10伊丹空港到達。

今回の旅行、北の北海道に足を運び、道南に点在する北海道八十八箇所11か所、北海道三十三観音4か所、お城2か所を巡り楽しみました。

広々とした真っ直ぐな道、地平線を見ながらのドライブ、本州では味わえない風景、最高!、何回訪れても素晴らしい、癒されるドライブ霊場巡りでした。

札幌、旭川に点在する寺院は小規模の物が多かったですが、道南に点在する寺院は立派な建物が多く感動いたしました。何らかの歴史的背景によるものなのでしょうか。

何回も訪れたいドライブ観光、爽快で、癒されて、楽しめた北海道道南ドライブ霊場お城巡りでした。















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百四十九弾:北海道釧路SL冬の湿原号観光
2016年2月27ー28日

北の北海道に足を運び、湿原等で有名な釧路を訪れ、釧路と網走を結ぶ線釧網本線、そのうちの釧路湿原を通る釧路寄りの区間で、真冬の間、SL列車が運行される釧路SL冬の湿原号に乗車し釧路から標茶までの48.1kmを走行して釧路湿原の冬の雪景色を車窓から望みました。

27日15:00伊丹空港出発
16:10羽田空港到達
16:55羽田空港出発
18:30釧路空港到達
18:45釧路空港シャトルバスで出発
19:35釧路駅前到達
19:45釧路駅前のホテル到着後、周辺を散策し食事を済ませて就寝。

28日11:08釧路駅SL冬の湿原号で出発

釧路SL冬の湿原号:SL冬の湿原号とは、北海道旅客鉄道(JR北海道)が釧網本線釧路駅 - 標茶駅・川湯温泉駅間にて2000年(平成12年)1月8日から運行している、蒸気機関車牽引による臨時列車である。

12:37標茶到達
13:55標茶SL冬の湿原号で出発
15:29釧路駅到達
16:20釧路駅シャトルバスで出発
17:10釧路空港到達
19:05釧路空港出発
20:55羽田空港到達
21:30羽田空港出発
22:45関西国際空港到達。

今回の旅行、北の北海道に足を運び、湿原等で有名な釧路を訪れ、釧路駅から標茶駅までの48.1kmをSL冬の湿原号に乗車し冬の雪景色の釧路湿原を車窓から望み楽しみました。
このコースは昨年の夏トロッコでも訪れ、夏と冬の釧路湿原の風景を車窓から望み景観の変化を楽しむことができました。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百二十九弾:北海道釧路ノロッコ観光
2015年9月26−27日

最北端北海道に足を運び、日本最大の釧路湿原を訪れ、くろしろ湿原ノロッコ電車で釧路駅から塘路駅までを走行し、釧路湿原駅と塘路駅周辺の釧路湿原を散策しました。

26日15:00伊丹空港出発
16:15羽田空港到達
17:00羽田空港出発
18:40釧路空港到達、
18:55バスで釧路駅に向かう。
19:40釧路駅到達、駅付近のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

27日11:06釧路駅くろしろ湿原ノロッコ号で出発
11:30釧路湿原駅到達。

くろしろ湿原ノロッコ号:釧路駅から塘路駅(10月は川湯温泉駅)まで釧路湿原の中を約40分〜1時間ほどかけて走るトロッコ電車です。車窓に広がる景色は沿線景観日本一と言われるほど。中でも細岡から塘路の間は絶景ポイントです。

釧路湿原:『釧路湿原国立公園』は、昭和62年7月に国内28番目の国立公園として誕生しました。
 当初、広大な湿原部分と湿原東部に位置する海跡湖や周辺丘陵部を含む26,861haが指定され、平成23年9月に28,788haに公園面積が拡大されました。自然環境の保護や適正な公園利用を図るため、公園計画が定められています。
 本地域は、北海道の東部、釧路川に沿って展開する我が国最大の湿原、釧路湿原を中核とする地域である。釧路湿原においては、他の地域では既に喪失してしまっている我が国の平野部の原自然が保存されており、湿原全体を支配するヨシと散在するハンノキ林、蛇行する河川等が構成する自然性の高い広大な水平的景観は、我が国では他に類例のない特異性を持っている。
 高層湿原、中間湿原、低層湿原それぞれに特徴的な植生が見られ、特別天然記念物タンチョウをはじめとする各種鳥類のほかキタサンショウウオ、エゾカオジロトンボ等貴重な動物が生息している。
 また、湿原の主要部は、「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」(ラムサール条約)の登録湿地とされるなど本湿原は国際的にも高く評価されている。
 このように、壮大な景観を有し、貴重な野生生物が分布する本地域は、我が国を代表する傑出した自然の風景地であるので国立公園として指定し、風致景観を保護するとともに、これらの自然の特性を活かした利用の増進を図ろうとするものである。日本で最も広い湿原。

細岡展望台:釧路湿原の東側に位置する展望台です。細岡展望台からは、釧路川の大きな蛇行と釧路湿原の広がり、湿原の北側には雄阿寒岳・雌阿寒岳を望むことができます。
 この展望台は、美しい夕日を見ることができる展望台としても知られています。川面に反射する夕日や、赤や薄紫などに色調が少しずつ変化する空のようすを楽しむことができます。

細岡ビジターラウンジ:釧路湿原を一望できる細岡展望台に隣接し、訪れた人々が気軽にくつろぐことのできる施設です。
 館内には湿原の風景や花々の写真が飾られ、軽食や喫茶のコーナーがあります。また、お土産を買うこともできます。湿原展望の後にゆったりとした時間を過ごすことができます。

12:04釧路湿原駅普通電車で出発
12:35塘路駅到達、散策。

サルボ展望台:塘路湖は周囲約17.9km、面積約637ha、最大水深約7mの釧路湿原にある最も大きな海跡湖です。
 塘路湖の北側にサルボ展望台及びサルルン展望台があり、塘路湖と周辺の4つの沼(サルルントー、ポントー、エオルトー、マクントー)で構成される雄大な「湿原と湖沼」の景観を眺めることができます。

塘路湖エコミュージアムセンター「あるこっと」:塘路湖の南岸に設置された施設です。
 館内には、湿原に立つ「ハンノキ」の木立をイメージした解説パネルで、湿原の生命の源である「水」をテーマに、様々な姿に形を変えて湿原を流れる水のようすと、釧路湿原の多様性に富んだ自然や動植物の姿などを紹介しています。
 また、釧路湿原の水中の世界や湿原のしくみ、ヤチハンノキやヤチボウズ、ヤチマナコなどを再現したジオラマやハイビジョン大画面による美しい映像プログラムを見ることができます。

15:14塘路駅くろしろ湿原ノロッコ号で出発。
16:04釧路駅到達
16:40釧路駅バスで出発
17:15釧路空港到達。
18:25釧路空港出発
19:10新千歳空港到達
19:45新千歳空港出発
21:50関西空港到達。

今回の旅行、北海道釧路に足を運び、大自然日本最大の湿原、釧路湿原を縦断するくろしろ湿原ノロッコ号に乗車し下車し、釧路湿原の展望台からの眺望、散策を楽しみました。

釧路川に沿って位置する釧路本線を走行するくろしろ湿原ノロッコ号に乗車し車窓からの釧路湿原の眺望、途中の駅釧路湿原駅下車し細岡展望台からの釧路湿原の眺望、すばらしく、癒やされました。又釧路湿原を縦断するくねくね曲がった釧路川を車窓から眺めるとカヌーでこの川を下りたい気分になります。

北海道は大自然がいっぱい、特に北海道東部は大自然の宝庫、これからも何回も訪れたい、飽きのこない北海道東部観光旅行でした。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百二十五弾:北海道八十八ヶ所霊場&三十三観音巡り観光
2015年8月29−30日

最北端北海道に足を運び、旭川周辺に点在する北海道八十八箇所の14箇所、三十三観音4箇所をめぐりました。

29日15:00伊丹空港出発
16:50新千歳空港到達、レンタカーで札幌に向かう。
18:10札幌市内のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。
30日6:30レンタカーで出発旭川方面に向かう。

遍照寺:遍照寺は、明治27年 徳島県の僧 釋秀辨師(勝浦郡上勝町願成寺住職 後に四国八十八ヶ所二十番奥之院慈眼寺住職)により開基されました。当初、沼貝村(現美唄市)茶志内地区 通称「寺地」に真言宗説教所として創設されました。この地区は、明治政府の北方対策もあり、屯田兵として四国や和歌山などから入植者も多く彼らの求めに応じたものでありました。秀辨師は徳島と北海道の寺院を兼務し、遠隔の地を往還したわけです。

真言寺:明治31年、真言宗高野派の説教所設立をもって開基とする。明治35年香川県出身の屯田兵らの懇請を受けて資延行晃が着任し、明治41年寺院内外の環境を整備して寺格(寺号公称)を得た。
 当寺には霊場開創者山本ラクが生前所持していた「弘法大師付与状―大師教会本部発行」「当霊場本尊マンダラの板木」が所蔵されている。なお本堂余間にはタイ王国ワットパクナム僧院から贈られた「釈迦如来座像」を安置する。

丸山寺:寺号の基となった「丸山」は、明治28年この地に屯田入植した人達が「原生林を伐採して丸山を初めて発見した」とのエピソードを残す程の、お椀を伏せたような海抜114mの小さなお山である。
明治41年四国出身の弘法大師信者が発起人となり、このお山に新四国霊場を開基したことをもって、丸山寺の開山となる。
四国霊場1番から山服を右に巻いて、八十八番を経て山頂に達すると、奥の院がある。
ここの石仏には八十八ヶ所のご本尊に付随して大師像が安置してあり珍しい。
熱心な大師信仰の表れであろう。
今の本堂は平成11年に、開山百年を記念して丸山中腹に新築された。

金峰寺:明治三十年代、開拓の日浅い北海道上川旭川の地に、富山県より移住し開拓に従事された谷口與三翁は、明治三十八年、妻テイ女との死別に会い、全私財を「弘法大師の寺・真言宗の寺・吾等が菩提寺」の建立のために寄進し、篤く弘法大師を慕う百数十名の人々と共に真言宗寺院創建の基を築かれた。
 明治四十二年十一月二十一日、総本山金剛峯寺より「金峰寺」の寺号を授与せられ、檀信徒一同は無上の光栄として喜び感激した。

眞久寺:久志卓動(法名 憲吽)は上川郡旭川村(現旭川市)2条9丁目に草庵を建て、新義本山根嶺(ねごろ)別院(眞久寺の前身)の開基となる。久志卓動は、当時汽車の通ってない滝川まで、徒歩で出札すること数度、時の北海道長官 北垣国道氏に寺院の必要性を訴え、上川郡旭川村に寺院用地として5町歩の無償交付を受ける。その内、5条4丁目を眞久寺の境内地とし、他の用地は他宗の寺院に無償で分与した。

旭山廟: 旭山廟は、全天候型霊園として、宗教や宗派、宗旨を問わない霊園として、また後継者の心配のいらない永代供養の霊園として、おかげさまで平成11年より多くの皆様にご好評をいただきながら、年々多くの方々にお参りをいただいております。
 道北初の霊廟として、廟内には墓石型、納骨壇型、仏像型のお墓があり、どんなご要望にもお答えできる霊園です。

春光の丘寺:春光台にある緑に囲まれたお寺管理の外墓地

真勝寺:
開基住職、冨士川傳澄は終戦後芦別に布教の地を求めて寺院建立に着手していました。
この地に不動明王を修め、その利益を広めようと発願して全国行脚の托鉢修行を行い、昭和25年その念願叶い寺院建立と不動明
王の奉安が成し遂げられ、当時真言宗豊山派本山教学部長の宮崎識栄僧正導師により開眼法要が厳修され、茲に御本尊を不動
明王と定め寺号を真勝寺とし、開基第一世住職に冨士川傳澄が就任しました。

 その後、境内には馬頭観音・水子地蔵などの仏様が奉安されました。
創立以来2月の第1日曜日には大護摩祈祷法要が厳修され、多くの壇信徒が参詣に訪れ1年で最も境内を賑わせる一日となってい

ます。


大照寺:
大正3年8月宮田静機を開基とし御室派説教所として発足しました。 
昭和22年2月前田儀導により寺号公称。同39年10月20日桜ヶ丘公園を造成。寺宝は新明国上(雲照律師書)不動明王及び脇童子。 
年中行事には修正会、初大師、星供、春秋彼岸会、新四国山開、山閉、青葉祭、盆会、永代経、納大師があります。


光元院:
光元院は芦別市の郊外に位置し、四季折々の風景が堪能できる場所にございます。さて、当院の歴史は尊きものがあり、開祖された三浦せん師は数多くの信者に尊ばれ、多くの信者様をお救いした人でもありました。 
このような方の名を受け、後継者となられたのが現住職三條妙節師であり現在に至っております。現住職の理念は常におせん様を尊敬致し、信者様の日々を案じつつ、私財を投じ本堂並びに護摩堂等の建設に当り、また宿泊施設、庭園等も整備され、平成16年すべての工事が完了至し、現在の光元院として開院されたのです。 
また、院内には現住職が師と仰ぐ「おせん地蔵」を設立致し、「なぜ仏」として奉安され永遠の威徳を偲び毎年2月7日と8月27日には報恩講大祭を行い、毎月7日は月のお参りを行っているのが現在の住職三條妙節師でございます。


千体山観音寺:
本堂の玄関に入ると正面に仏像がハッキリと見えます。
壁には、壱千七百体余りの観音様を奉安しています。 護摩の火にお不動様が立たれた写真を掲げています。


弘徳寺:
当地には、既に大正4年新義真言宗豊山派弘法教会が設立されていましたが、昭和20年当教会を廃寺して高野山真言宗和教会と合併しその後、弘徳寺と寺号を公称し、現在に至ります。

丸山寺:
丸山寺のお大師様は 現世平安 来世往生のお大師さまです。深川市は母なる石狩川が流れる北空知平野の中心田園都市である。この広大な田畑を作りあげたのは屯田兵であつた。   明治28年29年に屯田兵千個が入植した。その中に四国出身の弘法大師信者がかなりいた。その人たちが集まって明治40年新四国霊場八十八ケ所を開山したのが丸山寺の始まりである。 
丸山はこの地に入植した人々が原生林を伐採してその先に丸山を発見したというエピソードが残っているほどのお椀を伏せたような海抜114mのお山である。 
このお山に新四国霊場は1番から山腹を左に沿って一周し88番を参り「奥の院」のある山頂に到着する、約2Kの霊場である。 
丸山霊場の八十八ヶ所の各霊場ご本尊石仏に必ず大師象の石仏が付属し安置されている。このような形は他に例を見ないもので゛大変熱心な大師信仰の現れであろう。 
以来北海道内多くの信者達の信仰対象となり大正、昭和の戦前の全盛期には春の大祭には道内各地から約2万人位のお参りがあり、丸山を黒山と称されるる程の賑わいであつた。 
開基以来熱心な信者の方々の奉納奉仕により多くの信仰施設が創られた。現在の丸山寺もそのひとつである。又山頂までの石段。境内地の延命地蔵。近年においても、丸山寺本堂-会館―鐘楼堂-山頂救世観音―ご霊水施設-霊園6地蔵と丸山霊場には数多くの信仰施設が祭られ、一宗一派を超え、その時代時代と共に人々の祈りと共に歩んだ,北海道では数少ない歴史をもった霊場である。


金剛寺:金剛寺は明治29年に四国八十八ヶ所霊場第20番奥之院慈眼寺住職の釈秀弁和尚によって開創されました。当時は遍照院という説教場でしたが、和尚の熱意により、本堂および庫裡の設備も整い、明治40年12月には寺号公称の認可もおり、金剛寺と称しました。大正3年には、本四国八十八ヶ所霊場の御本尊様の石像を境内に奉安し、鶴沼新四国八十八ヶ所霊場を開創、近隣の人々の心の拠り所として、信仰心の高揚に果たしました。
現住職は4代目で、本堂、会館、納骨堂、庫裡を新築し、施設の充実をはかりました。また、子どもの信仰心を養うために、寺小屋修行を行ったり、サハリンに残留している日本人のために、支援する活動を行っています。

郷芳寺:
開基木曽智順は明治18年に生まれ、兵庫県瑠璃寺を経て高野山大学林を卒業の後、大正6年旭川金峰寺2代目住職を拝命しました。開教師として活躍し、滝川町に説教所を設け、大正10年大師教会滝川支部として公認されました。昭和11年から13年にかけて境内に本四国霊場から持ち帰った各札所の浄砂を埋めて石仏を安置し、滝川新四国八十八ヶ所霊場を設立しました。
昭和20年寺号公称の認可をうけて開基の書の雅号である郷芳を寺名としました。現在の建物は平成2年に本堂庫裡を改築し、納骨堂は平成18年に新築したばかりです。


眞弘寺:
開基阿部眞道師は農家の後継者とし生まれますがリュウマチの難病にかかり農家を断念。
お大師さまに身を委ねて四国八十八ヶ所の旅路に出たのが齢三十歳の頃。
幽谷の大自然の中に身を投じ、み仏の冥護を感ずるところあり。
心に信火を灯し、ついに僧侶となる決心をする。 高野山にて修行を積み、北海道開教の特命受けて網走へ向かう。
時、開墾の鍬が入り未だ日が浅い、永山村字トウマの屯田開拓の地に一夜の宿を得、
その折、同郷同信の屯田兵等に囲まれて永住を墾請され、現在地の当麻に止まることに余儀なしとす。以来、この地を開教の地を定める。
本山より授かった本尊弘法大師に日夜墾念し、布教の熱弁は人々の胸を打ち恩徳を受 ける人の数は知れません。
二世真城師も先代師匠と同等の活躍で布教道に専念し、諸堂宇庫裡の輪奐を美しく整 え今に至る。


眞弘寺大師堂:

14:30新千歳空港に向かう。
15:40新千歳空港到達。
18:00新千歳空港出発
19:50伊丹空港到達。

今回の旅行、最北端北海道に足を運び
旭川周辺に点在する北海道八十八箇所の14箇所、三十三観音4箇所をめぐり楽しみました。

北海道の霊場、以前と同じく、建物が新しく、歴史を感じさせない霊場建築物が多く、本州の霊場とは異様観を感じさせられますが立派な寺院も多く見られました。

北海道の霊場は明治以降に建立した寺院ですので皆比較的新しさを感じます。

広大な北海道、広くて真っ直ぐな道、車も少なく、爽快で地平線を見ながらドライブ走行、北海道でなければ体験できない、北海道ドライブ霊場めぐり満喫しました。



















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百二十ニ弾:北海道八十八箇所・北海道三十三観音&お城・城下町巡り観光
2015年7月25−26日

北の北海道に足を運び、夜景や教会群、赤レンガで有名な道南の函館エリアの北海道八十八箇所の2箇所、北海道三十三箇所観音2箇所、比較的マイナーなお城・城下町8箇所を巡りました。

25日15:30関西国際空港出発
17:10函館空港到達、レンタカーで霊場めぐり。

高野寺:明寺初年に函館港の発展に伴って本州からの移住が日を追って増加し、随って真言宗を信仰する人も増え、檀信徒の間に寺院設立の声が高まり明治16年に真言僧が布教来函の時に後に総代になる遠藤吉平氏が主となって相談して一寺建立の義纏まり、同年9月に大塔再建勧奨の為に本道を巡教されていた高野山真言管長獅岳快猛大僧正に新寺建立の願いを申し述べて、新寺建立の許可を得て、翌17年東川町に本山より下付された大日如来を本尊として一宇を建立したのが本寺の創りです。後青柳町に移転、大正3年の大火に類焼のため現在地住吉町に移転するも、昭和9年の大火で再び類焼、当時の第9世原田智厳師はその時代の寺院建設には考えられなかった鉄筋コンクリート建本堂(現在の本堂)を昭和12年に落成する。
本尊大日如来は2度の大火とも運び出して難を逃れ、昭和42年国指定重要文化財に指定される。

善導院:当院は昭和六十二年に開山主恵晃師が大聖不動明王を御本尊とし、当地、山の手の高台に本堂を建立しました。 以来、宗祖弘法大師の御教えを伝燈すると共に、真言密教の護摩修法により、災厄、霊障に悩まれる方々をお救いし今日に至っております。又、平成十九年には、北海道八十八ヶ所霊場第六十四番札所として、霊場御本尊「阿弥陀如来」を奉安し、菩提の道場として多くの巡礼者が参拝されております。

神山教会:明治33年、篤親家室本幾太郎翁が神山村の山中に四国八十八ヶ所の石仏を安置する。
明治36年、室本翁より境内地の寄進を受け小山智道僧正「真言宗神山説教所」開山。
昭和17年、「真言宗神山教曾」と改称。
昭和29年、開山50年にあたり、中興丸山哲應僧正堂宇を現在地に移転改築する。
昭和63年、弘法大師御入定1,150年と開山88年を記念して堂宇を新築する。
平成14年、開山100年記念法要厳修

大宝寺:

18:30江差方面に向かう。
19:40江差市内のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。

25日7:30レンタカーで出発、お城巡り

舘城:明治元年(1868年)、箱館戦争の直前に松前藩により渡島国檜山郡の館(現在の厚沢部町)に建造された日本の城である。従来の本拠である松前城に対し、新城とも言う。完成直後に旧幕府軍の攻撃を受け、落城した。国の史跡に指定されている。 蝦夷地を支配する松前藩は松前城を本拠としていたが、明治元年7月に起こった正義隊のクーデターにより尊王派に転じた後、旧幕府軍の攻撃に備えて、内陸部に新城を建設することとし、9月1日、箱館府に築城を願い出るとともに、工事に着手した[2]。
松前城は艦砲射撃を受けるおそれがあること、従来の漁業・交易経済からの転換を図るため厚沢部川流域開墾の拠点とすること、が館城築城の目的であった。工事を突貫で進めた結果、10月末には一応の完成を見た。

花沢館:源頼朝は、文治5年(1189)に奥州藤原氏を滅ぼすと、津軽に東北北部や北海道の「蝦夷」を支配する「蝦夷管領」を設置し、俘囚安倍氏の系譜を引く安藤氏を配した。
安藤氏は、十三湊を拠点に北方との交易を行なうが、15世紀半ばに南部氏との争いに敗れ、道南へ逃れた。その後も、本州最北部では豪族間の争いが続き、享徳3年(1454)には、下北半島田名部の安東(藤)政季が、内紛で若狭武田氏を出奔した武田信広らを伴い渡島半島に渡った。
こうした状況を反映して、当時の渡島半島には、和人、和人系渡党、アイヌ系渡党、アイヌなど多様な人々が住んでおり、その中から交易などで富を得た小豪族らが館(たて)を築いていった。
花沢館もそうした館の一つであり、道南には東の志苔館から西の花沢館まで12の館が築かれた

勝山館:築城年代は不明だが、館北端にある館神社の創建が文明5年(1473年)と伝えられているため、この頃の築城と推定されている。蠣崎信広あるいはその子光広以降、蠣崎氏の本拠地とされていたが、光広の時代の永正11年(1514年)に松前の徳山館に本拠を移転して以降は、主要な副城として脇館転じて「和喜の館」と称され一族を配した。
夷王山の中腹、南から北へと伸びる斜面を利用して長さ270メートル、幅100メートルで総面積20.9万平方メートルの規模を有する。さらに城の背後から山頂に向かって中世和人の墳墓群(夷王山墳墓群)が存在する。
戦後、夷王山墳墓群の調査が先行され、館そのものの本格的調査は昭和52年(1977年)の史跡指定後の昭和54年(1979年)になってからである。その結果、15世紀後期から16世紀後期にかけての陶磁器・金属器・漆器・骨角器など7万点におよぶ遺物が出土しており、主要な遺物921点が国の重要文化財に指定されている[2]。

松前方面に向かう。

松前大館:松前大館はもともとは津軽を本拠として蝦夷地もその領有下としていた安東氏の蝦夷地の拠点として作られたようです。コシャマインの戦いの時も、安東氏の同族である下国定季と相原政胤が守将となっていましたが、アイヌの攻撃に抗しきれず陥落しました。しかしすぐ回復し、下国氏が守護していましたが、定季の子恒季は非法が多く、秋田安東氏によって滅ぼされ、相原季胤・村上政儀が守将となりました。
 永正9年(1512)、アイヌの攻撃により陥落、両守将は戦死しましたが、これは蠣崎氏二代光廣の策謀によるものと言われています。そして同11年(1514)光廣は上ノ国から大館に移り、徳山館と名を改め安東氏の代官として蝦夷地支配をを進めました。その後もアイヌの攻撃がありましたが、慶長11年(1606)に福山館(松前城)に移るまで蠣崎氏政権の拠点でした。その後は万一の場合の隠し砦としてそのまま保存され、現在に至っています。
 大館跡は発掘調査が行われておらず謎がまだ多いようですが、天然の要害を利用した大規模な山城だったようです。

函館方面に向かう。

茂別館:鎌倉時代から室町時代中期にかけて、道南地方には和人の館が12あり、茂別館(もべつだて)も、そのうちの1つであった(*道南12館)。
嘉吉3年(1443)津軽十三湊城主・安東太郎盛季が館を造ったのに始まるといわれ、南の大館と北の小館から成っている。
大館は、西は茂辺地川岸に面し、南と北は自然の沢で切られ、東は空濠を巡らしている。
また、小館は、西は茂辺地川左岸の崖地で、他の三方は、自然の沢を利用し、更に土塁を設けている。
康正2年(1456)のアイヌ人の蜂起(*コシャマインの乱)があった時も、花沢館とこの茂別館の2つだけが最後まで落城しなかった。

松前藩戸切地陣屋:北斗の町から北西に4kmほど、大野平野の西の外れに松前藩戸切地陣屋跡がある。箱館開港に伴う外国船渡来による不測の変に備えて幕府は松前藩に七重浜から木古内までの守備を命じ、1855年にこの戸切地陣屋が構築された。陣地は蘭学の築城書による四稜堡で広さは4.3ヘクタール。東南部の稜堡に6門の砲座を配置した。郭内には17棟の建物があり約120人で守備していたが、1868年の箱館戦争時、榎本武揚率いる旧幕府残党に追われて相手方に陣屋が使われないよう建物に火をつけ焼払って敗走した。この陣屋は建物こそ焼失しているが保存状態が極めてよく、幕末における北辺の国際情勢や西欧風の影響を知る資料として築城史上価値ある史跡である。表御門跡と裏御門跡には大手門と搦手門が復元され、門から入ると広い郭内には大砲入跡、筒入跡、蔵跡、備頭・目付詰所跡、足軽長屋跡、武器庫跡などがあり、石で基礎を再現して跡地を表示している。1904年に日露戦争を記念して陣屋跡までの800mの一本道に585本の桜の木が植えられた。以後この松前藩戸切地陣屋跡は桜の名所として知られるようになり、5月上旬〜5月中旬にかけて桜並木が見頃を迎える。

四稜郭:箱館戦争の際に蝦夷共和国(箱館政権)が、明治2年(1869年)に現在の北海道函館市に築城した堡塁。新台場、神山台場、新五稜郭などとも呼ばれる。四稜郭の名称は4つの突起を持つ事に由来する。幅2.7m、深さ0.9mの空堀に囲まれ、土塁の規模は東西約100m、南北約70m、幅5.4m、高さ3mである。土塁の四隅には砲座が配置されている。南西側に門口があり、その後方に幅0.9mほどの通路が設けられている。郭内には建物は建設されなかったと考えられている。面積は約2万1,500平方メートルを有する。
五稜郭を援護する支城として、また東照宮を守護する為に北東約3キロメートル離れた丘陵上に洋式築城法により築かれた。建設を指揮したのは大鳥圭介あるいはブリュネ大尉といわれている。建設には旧幕府兵卒200人および近隣住民100人が徴用され、昼夜兼行の突貫工事で造り上げたと言われる。しかし、堡塁としては脆弱であり、立て篭もるには手狭で井戸等の設備も存在しなかった。星形要塞であるものの、実際には野戦築城に近いものである。四稜郭以外に当時造られた要塞としては七飯町の峠下台場がある。こちらは漫画の吹き出しのような七稜形(Tenaille:欧米では星形要塞とは区別される形態の築城方式)である。
昭和9年(1934年)国の史跡に指定された[1]。当時は周囲が耕作地になるなどして土塁が一部崩されていたが、昭和48年(1973年)に元の形に修復された。

志苔館:北海道函館市に所在する中世城館跡(日本の城)。小林氏によって築かれたとされる道南十二館のひとつ。国の史跡に指定されている。館跡は、自然地形を活かし、四方に土塁と薬研(やげん)または箱薬研状の空堀が巡らされ、全体でほぼ長方形の形状を呈している。内部は東西約70-80メートル、南北約50-65メートルで、約4,100平方メートルの広さがあり、曲輪の内部では掘立柱建物跡や井戸が確認されている。土塁の高さは、北側で約4.0-4.5メートル、南側で約1.0-1.5メートルであり、土塁の外側にあたる北側と西側には幅約5-10メートルの空堀が設けられ、最も深い所で約3.5メートルの深さをもつ。
発掘調査では、15世紀前半ごろを主体とする青磁・白磁・珠洲焼・越前焼・古瀬戸などの陶磁器が出土している。これらの遺物の年代は『新羅之記録』に記された長禄元年のコシャマインの戦いにおける志苔館陥落の時期(1457年)と矛盾しない。

15:20函館空港に向かう。
17:45函館空港出発。
19:40関西国際空港到達。

今回の旅行、北海道の道南地方に点在する、北海道八十八箇所の2箇所、北海道三十三箇所観音2箇所、比較的マイナーなお城・城下町8箇所を巡り楽しみました。

霊場は前回と同様に寺院に似つかない建物も有りましたが、立派な寺院風の建物も多く見られました。

一方お城は北海道らしく公園のような広々とした敷地面積の広いお城後が殆どでゆっくり散策することがで来ました。

今回感じたことは函館では外人さんにはあまり出会いませんでしたが(マイナーな霊場、お城のためか)、関西空港に向かうはるか、関西国際空港内、帰りの空港バスには多くの外人を見かけ、外国観光客が急速に増えているのがわかります。日本も観光大国になったのでしょうか。














飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百十九弾:北海道ハ十八ヶ所霊場&北海道三十三観音巡り第二弾
2015年7月4−5日

日本の最北端北海道に足を運び、札幌から反時計回りで小樽・余市・倶知安・岩内・室蘭までの北海道ハ十八ヶ所霊場11箇所&北海道三十三観音8箇所を巡りました。

4日15:00伊丹空港出発
16:50新千歳空港到達、レンタカーで札幌に向かう。
18:00札幌市内のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

5日6:15レンタカーで出発、小樽に向かう。

精周寺:1884年、湯殿山大日坊八十三世大網精周は、北海道巡教の折、小樽市に懸錫所を創設した。1889年、精周は弟子を派遣し、1890年寺号公称した。1893年本堂を建立、1911年現在地に解体移築。本尊大日如来(慶長以前の作)は総丈十尺で、元羽黒山の本尊で1885年湯殿山に遷座後、精周寺に請来。

不動院:霊場のご本尊様は毘沙門天です。毘沙門天は、四天王の一人、多聞天の別名です。日本では財宝や福徳を与える神様としてお奉りされ
七福神のお一人としてお奉りされています。また、吉祥天の夫ともされ信仰を集めました。特に、戦勝を祈願する神として武士階級の人々の信仰を集めたようです。

日光院:日光院は明治初頭までは、高野山の塔頭寺院でしたが諸事情により増福院に合併されていました。それを開教僧の鷹尾了範師の尽力と小樽の大師信者の「自分達のお寺が欲しい」との熱烈な願いによって明治二十四年に移転という形で小樽に再興されたのです。
 大正十四年、現本堂が落慶なった時、高野の地から往時の御本尊(聖観世音菩薩)が請来されました。それから百二十数年、石狩湾を望む丘の上から大師のみ教えを伝えています。

余市に向かう。

仁玄寺:仁木町入植開墾当時、開基住職戒存大和尚が二間四面の小さな大師堂から出発した当山も、明治39年には本堂建立とともに寺号公称をするに至り、戦中戦後の混乱期にあっても布教活動を後退する事無く、宗祖弘法大師の教風宣揚の場として一心に信仰を集め現在に至っております。
その時代毎に伽藍も一新し、鐘楼堂や香楼堂が建立寄進されるなど、境内の新四国八十八ヶ所霊場や復興した北海道三十三観音霊場の第6番札所(千手千眼観世音菩薩)として、その時々の熱き大師信仰、巡礼の道場となってきました。
境内のケヤキの大木は、当時の徳島県からの入植者たちが故郷を偲んで植えたもので、今では町の天然記念物として指定されています。

考徳寺:当山は昭和16年開基住職関孝道和尚の真言宗説教所開設が始まりで、26年孝徳寺に寺号公称。34年に全焼しましたが本尊弘法大師様だけ焼け出され、その不思議ゆえに「火伏せ大師」・「銀山大師」として信仰されています。
また、八十八ヶ所開創記念に開眼した不動明王様には節分会柴燈護摩のご祈祷でたくさんのご利益をいただいています。
当山で特筆すべき事は信仰厚い檀家様が先祖代々供養の為に書いた天井の仏画です。一筆一筆心が込められていて、大日如来を中心に曼荼羅世界を表現しています。畳の上に大の字になり天井画を見つめれば、八十八ヶ所参りの自分と仏様が一体になれると実感するでしょう。田舎の小さな寺ですが、同行二人の心でご家族・ご友人お誘い合わせ、どうぞお参り下さいますように。

密厳寺:明治31年開山、米沢から来道し庵を結ぶ普及所となる。昭和11年に本堂を再建し、寺号公称する。総本山は長谷寺。ご本尊は十一面観音、秘佛歓喜天、大日如来、脇には大聖不動明王。開基住職清道大和尚三十三回忌に当り開山堂を建立。江戸時代後期の作と云われる文殊菩薩(台座から77cm)を祀る。山門脇に左右三体ずつの六地蔵が並び、聖観音堂では、交通安全などの祈祷が行われる。

倶知安に向かう。

金剛寺:開山は明治31年頃かと思われます。35年に石井理源が着任。

岩内に向かう。

本弘寺:本弘寺の開基は肥田盛道で彦根藩士松本常人の次男である。
明治三十年高野山管長より北門開教の重責の特任を得て、当山本弘寺の新寺建立の信徒より嘆願があり、この地に留錫する。明治三十年十二月十日本堂建立落慶し、寺号公称の許可を得る。真言宗連合宗会議員その他役職を歴任し、五十三歳で大正九年十一月二十八日遷化する。
第二世松山実應は三州浦郡市薬證寺の長男で昭和二年七月二十四日遷化する。
第三世肥田密禅愛知県豊川市威宝院三男で昭和五十二年九月九日遷化する。
昭和二十九年九月二十六日台風十五号で大火災が発生し、町の八割が被災。本弘寺も全焼する。
第四世肥田諦明は現住職である。第三世、四世代全伽藍再建する。

菩提院:第三番菩提院の観音様は本院より約二五キロ行った黒松内町の「観音山奥之院」に祭られています。奥之院は菩提院で管理し、普段無人となっております。お参りされる方は菩提院へお問い合わせください。納経帳の宝印は奥之院・菩提院どちらにも用意してあります。
 奥之院へは十一月から五月頃まで雪があり登れないので菩提院で納経の御宝印を押印いたします。
 奥之院の春は「カタクリ」が郡生しております。連休前後が見頃となっております。

遍照寺:
当山は明治41年、瀧澤善澄和尚に依って開基開山されました。寺院公称は大正2年。
ご本尊は五穀豊穣を祈念する不動明王、脇仏に弘法・興教大師を奉安します。今のご本堂は大正6年に建立された六間四面宮殿造り。
昭和8年、四国霊場61番香園寺より授かった安産・子育てのお大師さまの子安大師を祀る大師堂があります。
境内は石仏の八十八ヶ所霊場となっており、大木や松やイチイ、桜、ツツジ、シャクナゲなど草花が多数植えられています。大正時代に福井県より移植された三間四面もある珍しい白藤の大木が大きな房を付けて咲きます。見頃は6月初旬。4月下旬より10月下旬まで庭園を楽しむ事ができます。天気が良ければ、野立てでお茶の接待を致します。


亮昌寺:虻田地方は、北海道の中では古くから開けた温暖の地で、文化二年(1805)に徳川幕府により四千頭の馬を飼育した官営牧場が置かれた北海道牧場発祥の地であります。
 亮昌寺はこの地に明治二十五年、越後の人村山亮昌によって開かれ、遠方のため本山に修行に行けない寺院子弟の道場の役割も果たした、自然豊かな山の寺であります。

壮栄寺:開山大西琢道師が明治26年3月に真言宗説教所を創設。明治28年8月に説教所が認可され、明治31年3月壮栄寺としての本堂を新築しました。同年10月説教所を廃し寺号公称を出願し明治32年2月、如意山金剛院壮栄寺、寺号公称認可されます。宗祖弘法大師御入定千百年記念事業として裏山2町歩に、新四国八十八ヶ所を建立しました。
明治38年より39年に西国三十三霊場の観音を洞爺湖畔に建立し、最後の札所として第33番観音仏を境内に建立しました。

不動寺:明治13年草創。明治24年平田学仙和尚開基。昭和10年法正和尚開山。
昭和59年秋に御遠忌記念事業成就法会を森寛紹前管長猊下の御親修を仰ぎ厳修。昭和60年夏に高野山南院住職内海有昭僧正の御配意を賜り、同院ご本尊波切不動明王を原寸大に複製し勧請。平成14年龍昭和尚市内弄月町に不動寺別院開基。 
北海道三十六不動尊霊場25番札所、北海道十三仏霊場10番札所、北海道八十八ヶ所霊場では第56番札所として衆生の苦しみをお救い下さる地蔵菩薩を奉安しております。

室蘭に向かう。

清瀧寺:天神山不動尊清瀧寺(以下清瀧寺)の起源は明治14年(1881年)にさかのぼります。本堂にはお大師様(弘法大師)、お不動様(不動明王)、その他日々私たちをお守りくださるたくさんの神様や仏様がお祀りされています。
又、敷地内につづく山には昭和29年(1954年)、四国八十八か所を模し、札所一番「霊山寺」釈迦如来さまが建立奉納され、昭和54年(1979年)25年目にして札所88番「大窪寺」薬師如来さまが建立されたことにより四国八十八か所すべてのほとけ様が安置されました。

大正寺:開基了山は、明治37年3月本山の命により北海道開教の巡教師として来道、大正六年大正寺公称を受ける。大正寺の寺名は大正時代の公称を記念したものである。
本堂は駐車場から七十五段の(厄除け階段)を登った上にある札所唯一の難所であるが、境内からは室蘭港を一望できるロケイションは最高である。
市内には北海道の自然100選1位の地球岬があり、近郊には登別温泉、洞爺湖温泉がある。

千光寺:当山は明治26年大藤経全和尚代に説教所創設、昭和7年寺号公称認可、昭和40年に本堂を新築し、ご本尊大日如来を勧請、脇仏として弘法大師、不動明王、千手観音、愛染明王を奉安。
なかでも、弘法大師、阿弥陀如来、般若菩薩、不動明王の四躯は、京都松本明慶大仏師謹刻によるものです。 山号の幌別山は「ポロペツ」という、アイヌ語に基づくもので「大きな川」という意味。また、登別という字名は、アイヌ語「ヌプルペツ」で「色の濃い川」の意味があります。

瀧泉寺:
当山の開創は大正6年3月。平成19年九十周年を迎えました。 
大本山成田山新勝寺直末。お寺の庫裡を利用し宿坊「菊永」を併設しています。


13:30新千歳空港に向かう。


今回の旅行、北の北海道に足を運び札幌から反時計回りで小樽・余市・倶知安・岩内・室蘭までの北海道ハ十八ヶ所霊場11箇所&北海道三十三観音8箇所を巡り楽しみました。

今回も前回と同様で寺院に似つかない民宿風の建物が多く驚きました。

一方梅雨の時期にもかかわらず、天候は快晴、絶好のドライブ日和、広大な北海道を気持ちよくドライブが出来、広くて真っ直ぐな道、地平線を見ながらの運転、周辺は山あり、川あり、点在する霊場巡りしながらのドライブ観光満喫出来ました。
北海道のドライブ最高ですね、本土では味わえない爽快で快適なドライブ兼ねた霊場めぐりでした。
















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百十五弾:北海道八十八箇所霊場&北海道三十三観音巡礼
2015年6月6−7日

北の北海道に足を運び、札幌から北は石狩、東は美唄に及ぶエリアに点在する北海道八十八箇所の23箇所(明王寺、蜜修寺、招福寺、弘法寺奥の院、浄徳寺、吉祥院、弘聖院、善福寺、八葉峰寺、雷音寺、覚良寺、長高寺、弘仙寺、大心寺、高徳寺、龍光寺、孝恩寺、観照寺、観霊院、真如院札幌別院、大照寺)北海道三十三観音(新栄寺、立江寺、弘清寺)の3箇所を巡りました。

北海道八十八ヶ所霊場は平成18年10月15日に開場されました。
今より1200年前、「四国八十八ヶ所霊場」が真言宗開祖 弘法大師 空海上人(以降御大師様)によって開かれて以来、鎌倉時代以降は修行としての巡拝が一般的になり、現在では全国各地50箇所以上の霊場が開場され、観光も含めて多くの方が参拝されています。

北海道三十三観音霊場は大正2年(1913)徳島市の山本ラクさんが北海道の33箇所の真言寺院に本西国霊場と同じ33体のご本尊を縮小模刻し配納することによって開創されました。

6日15:00伊丹空港出発
16:50新千歳空港到達、レンタカーで札幌に向かう。
18:20札幌市内のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。
7日6:30レンタカーで出発、札幌市内の霊場巡る。

新栄寺:明治18年に仮堂を建設。 大本山成田山新勝寺から、ご本尊不動明王のご分身を勧請して開創されました。成田山札幌別院新榮寺の公称は明治22年からです。旧本堂の建立は明治42年でしたが、惜しくも昭和39年に焼失致しました。旧本堂規模 表口12間(21.6b)、奥行き5間(9b)初代住職は、大本山成田山新勝寺中興第14世貫首 三池照鳳猊下。

蜜修寺:当寺院は、悟りの境地(菩提心)に近づくための密教の修行道場という意味を込め『菩提山 密修寺』と名付けられました。
初代住職奥村弘淳が、少女期に病を癒すべく観音信仰に深く帰依したことが起源で、昭和59年現在地に大日如来をご本尊に奉迎し、寺院を建立するに至りました。
不動明王、地蔵菩薩、観世音菩薩、金毘羅大権現、毘沙門天、愛染明王、釈迦如来、弘法大師をお祀りし、
「四国八十八ヶ所お砂踏み霊場」もございます。
また、月に5回以上護摩を厳修しております。

善福寺:

吉祥院:吉祥院は水子供養・先祖供養、交通安全祈願、厄払いや護摩祈祷のお寺として広く信仰を集めております。
人生相談・心霊写真などでお困りの方、また菩提寺が無い遠い方、毎月の廻向・年回忌の廻向でお悩みの方も、お気軽にお寺にお問い合わせ下さい。
お寺には、納骨堂もございますので納骨・永代供養・一時預骨…
水子さまの遺骨の永代供養・一時預骨についてもお気軽にお寺までお問い合わせ下さい。

石狩方面に向かう。

弘聖院:一軒家を改築して勤めております。お参りは敷地内に霊場本尊を安置している大師堂があり、外からの参拝になります。普段、月忌参りに勤めておりますので、不在の時もありますがご自由にご参拝下さい。
また、おいづる希望の方は事前にご連絡下さいますようお願い申し上げます。

立江寺:覚王山 立江寺は、北海道石狩市にある高野山真言宗の寺院で、北海道33観音霊場の第10番札所です。ご本尊は「地蔵大菩薩」を、霊場ご本尊には「千手観世音菩薩」が祀られております。

札幌南部方面に向かう。

明王寺:

招福寺:当山は弘法大師1150年の御遠忌の報恩行として、夕張市より西村聖峰師が来札・開教のため昭和61年堂宇を建立した寺です。
境内には2つの池があり、鯉・金魚を飼っています。また、5m程の滝があり滝行もできます。寺宝を集めた博物館もあり、中高生
が阿字観(座禅)写経、写仏の修養に来ます。夏休みには小中校生のキャンプの寺子屋を開設しています。また、法要毎にボケ防
止の皿灸をしています。尚北海道三十六不動尊33番札所、北海道七観音第1番札所になっています。

浄徳寺:当山はもともと旭川市末広町に開基龍覚師により設立されました。のちに第二世龍敬師(小樽・龍照寺、北海道三十六不動尊霊場第29番札所)が兼務したものの本尊・仏具も全て消失しており、その後、平成9年に札幌市簾舞へ寺務所を移転。平成11年には、第三世敬胤師が就任。平成14年、二世龍敬師の発願により本堂兼薬師堂を建立しました。お堂には霊場本尊の聖観音座像と薬師如来、両脇侍には日光・月光両菩薩が奉安され、訪れた参拝者の所願成就をお守りして下さる事でしょう。現在は小樽龍照寺札幌別院浄徳寺として布教活動を行っています。

弘法寺奥の院:弘法寺は大正14年8月27日に開基黒岩貞通と貞道が祈祷所を建立、昭和6年3月30日に教会設立の許可を得ます。 
昭和36年に前市議高橋岩太郎氏及び有明有志の承認を受けて、鱒見の滝行場近くに本堂を建立して弘法寺奥之院と定め、本尊大日如来、不動明王、弘法大師を奉安しました。
柴燈護摩を毎年7月第一日曜日11時に鱒見の滝お不動さんの場所で厳修しておりましたが、国営滝野すずらん丘陵公園の造成により現在の場所に移転。古いお堂は昭和60年雪害により解体。現在のお堂は平成10年7月5日落成法要を営み本尊如意輪観音にしました。

観照寺:大正10年開基住職の佐々木観照が二十歳の時、病院に入院。病気は重い肺結核でした。日々、南無阿弥陀仏と唱えて、数年が経ち日に日に元気になり病気が治りました。
ありがたい事は多くの人に教えていかなければと思い、昭和7年佐々木家は浄土真宗の為にいかにしたらいいかと尋ね回っていた時、現在の狸小路で一人の易者の老人に会いました。その老人は札幌の真言宗国分寺派浅草寺の住職、黒田観聖僧正でした。これまでの事を全て話すと、加持祈祷のある真言宗国分寺派の弟子として入門を許され、昭和10年10月18日、現在の西岡に十畳一間の本堂を建立し、本尊に南無仏勅妙法観世音菩薩像を奉安しました。
平成10年に新本堂を建立し、同年、真言宗国分寺派の別格本山となり、平成17年には観照寺開基70周年法要を終え、今日に至っています。

観霊院:開基は終戦直後、陸軍演習地を開拓として入植。うっそうたる草木や熊笹が茂る未開の地に9尺2間の茅葺きを住居とし朝な夕な礼拝していました。 開墾にいそしむ日々を重ね昭和24年4月8日、「我、大勢至菩薩なるぞ、この地を聖地と定め人々の迷心の雲を払いのけてはくれまいか」との菩薩の霊告を信じ勢至菩薩を奉安しました。病める人、苦しむ人、悩む人々の心の支えとなるべく誓願を深く心に秘め青森、四国、高野山と行脚し精進を重ね、信徒と共に堂宇を建立しました。 
信徒の熱意溢れる力強い後押しや高祖弘法大師、諸仏・諸菩薩の広大無辺のご加護とご法縁により85番札所聖観世音菩薩を迎え、さらに四国八十八ヶ所のお砂踏みも整え、毎月12日の例祭では法話、護摩祈祷などを行い今日に至っています。
皆様のご参拝心よりお待ちいたしております。

真如院札幌別院:高野山真言宗成田山真如院は、北海道北部日本海側に位置する羽幌町に本院、北海道の中心札幌市清田区平岡に札幌分院を持つお寺です。成田山真如院本院・札幌分院では、護摩祈祷及び厄払い、大般若祈祷及び厄払い、十三参り祈祷、水子精霊供養、ペット精霊供養、檀家のご先祖精霊供養、永代精霊供養、永代納骨等ができるお寺です。

大照寺:昭和48年 寺号公称本堂を建立し開教。
昭和53年 現在地札幌の交通の要衝、大谷地に移転。
平成2年  北海道三十六不動尊霊場34番札所となり交通安全祈願所として発展。 境内には本堂、庫裡、鐘楼堂、三十三観音霊場等、七堂伽藍を擁し、特に本尊不動尊、脇仏三十六童子、不動尊三千体像、地蔵尊三千体像、観音像三百体像の荘厳を成しています。
平成18年  北海道八十八ヶ所霊場第八十八番結願札所となり全国からのご信徒をお迎えしています。仏教精神と弘法大師の教えに従い、広く檀信徒及び地域住民の憩いの場と癒しの心に基づいた活動、更なる信仰と和の世界観を発展して行くことを特色としています。

江別方面に向かう。

八葉峰寺:昭和初期。覚念法師が弘法大師様をご招来し、弘法大師温灸を始めましたことが開教の始まりです。 
当時は病気を治しますのも針灸に頼ることが多く、たくさんの信者が集まりました。 
昭和11年第一世正博和尚が高野山より帰山し此処を江別教会とし、昭和24年には本堂も建立され八葉峰寺と寺号公称致しました。現在の本堂は平成元年に改築されたものです。脇仏として不動明王様、愛染明王様が奉安されております。平成8年石狩川左岸にありました石狩川水難者を供養致します子安観音菩薩様が境内に移転奉安されました。

雷音寺:20年前のある夜に「北海道を密厳国土にしなさい・・・」とお大師様が夢枕に御立ちになった事に発します。
当山名称の由来となった天鼓雷音佛は胎蔵界曼荼羅中台八葉の北方に位置し、悪鬼を調伏し病を治す得を持ち、金剛界曼荼羅の阿しゅく如来(あしゅくにょらい)と同体です。
阿しゅく如来は薬師如来と同体ですので、当山に霊場本尊として薬師如来が来られたのは仏縁なのでしょう。まだ当山は開基6年目でプレハブの仮本堂でございますので巡拝者の方々には至らない点もありますが何卒ご容赦願いたく思います。

覚良寺:当山は、江別駅東南徒歩20分千歳川の下流堤に沿って木立に囲まれた江別煉瓦発祥の地にあります。
明治後期京都より初代覚良和尚が現在地に拠り、布教に専念し、昭和初期に寺院を建立しました。
山号を遍照閣と称し寺号を覺良寺と定めました。本堂に向かって右に事務室、庫裏、離れて納経所(煉瓦工場施設あと)、大師堂、左に納骨堂、大日如来坐像、不動尊像を置き参道左手に修行大師像を迎えています。
奥まって観音立像(下に無縁佛の納骨堂にしています)を中心に西国三十三観音を配置し巡拝路を設け、当時、高名な彫刻家高村光雲作の薬師如来像が加持室に奉安されております。
また住職手作りの切り絵「ホウライ」は本山へ送りまた近郷の寺院檀家に配布し好評を博しています。

岩見沢方面に向かう。

龍光寺:列車が志文駅に近づいた時、駅のすぐそばに龍光寺のお堂が見えてきます。平成10年、現在地を浄域として本堂を建立。災難身代わり、悪魔降伏の意を含めて不動明王を本尊とし、宗祖弘法大師を祀ります。 
平成18年に北海道八十八ヶ所霊場第82番に定められ、札所本尊千手観世音菩薩を奉安し、お遍路さんをお迎えしています。この不動尊のお守りとして、海・陸の身代り守は、影の形に随うが如くよく護られ、お守りの他、厄除、安産、自動車のお清めなどの多くの方が祈願に参詣されます。

長高寺:当寺本尊十一面観音様は開創者奥田師が大和国長谷寺から請来してきました。開基住職近藤精高師の時に寺号を長高寺と改め現在に至っています。また、第二世住職の近藤精識和尚の時代には伽藍整備を行い、子弟教育のために専修学院・事相専門道場を開設し多数の僧侶を世に送りました。
平成11年には全日本仏教教会会長であった真言宗豊山派管長 濱野堅照猊下お迎えして開創百年法要を3日間にわたり勤修し本尊様に報恩謝徳の誠を捧げました。
当寺境内を彩る百株余の牡丹は檀徒寄贈によるものですが観音様を篤心されたお礼と聞いています。観音様の霊験は遠近の方によって帰依を頂いており、大変御利益があると知られていますが現在は秘佛となっています。

高徳寺:明治30年長州の人、長尾泰寛師により開創。昭和3年高徳寺の寺号公称。初代、高田智得が大正9年に萩の山に新四国八十八ヶ所霊場建立し、参拝道の入口には修行大師像があります。
平成19年5月1日、本尊「不動明王」(総丈約3メートル)、北海道八十八ヶ所霊場札所本尊「千手観音」入仏開眼。 
本堂左手には大観音様(総丈約12メートル)あります。参道左手に握手大師(等身大)があり、お大師様と握手の後、本堂へいらして下さい

美唄方面に向かう。

大心寺:昭和26年10月、開基住職荻原湛然僧正は、弘法大師を本尊として大心寺を建立しました。翌年27年境内に新四国八十八ヶ所霊場を開設、同年7月17日、京都総本山醍醐寺座主、三宝院門跡、岡田戒玉大僧正猊下を屈請して入仏開眼の大法要を奉修、以来、大師信仰の道場として知られ、真言醍醐の教義に基いた教化活動が行われています。本堂には本尊の他、不動明王、愛染明王がまつられ、また、境内には修行大師像、子安大師像、八十八ヶ所の石仏が並ぶミニ霊場があり、弘法大師の偉徳を慕い巡拝する方も多くいらっしゃいます。 平成18年、北海道八十八ヶ所霊場開創のとき、札所本尊、千手観世音菩薩を安置し、第80番札所と定められました。

弘仙寺:明治初期から幌内炭鉱、幾春別炭鉱などいくつかの炭鉱が開鉱され活況を呈するなか、明治32年福井県から移住した山内家12代目により弘法大師像(元福井県大安寺蔵)を幾春別錦町に奉安したのが寺の濫觴。
開基は13代目山内善七。第一世妙識法尼の霊験談によれば、善七の四女ミヨは幼少の砌にわかに失明、家族共々絶望の淵に沈むも、毎夜ミヨの枕元に立つ僧侶に促されて大師堂脇の湧水で身を浄め、ひとり弘法大師に詣ずること6カ月、奇跡的に開眼しました。 医師に匙を投げられた視力を回復したミヨは、その後得度して名を妙識と改め弘仙寺第一世となる。 境内には西国三十三観音をまつっています。現在、湧水は残っていません。

栗山方面に向かう。

孝恩寺:当山は裏山に「新四国八十八ヶ所」と称して八十八体の石仏を奉安しています。
春秋二期にそのお山の山開きと山閉いとを行う法要を開催していますので、ご来山の折にはぜひ一度お山のご参拝もしていただきたいと存じます。

弘清寺:和光山 弘清寺は、北海道33観音霊場の第11番札所です。
ご本尊は「十一面観世音菩薩」を、霊場ご本尊には「准胝観世音菩薩(じゅんていかんのんぼさつ)」が祀られております。

15:20新千歳空港に向かう。
16:30新千歳空港到達。
18:00新千歳空港出発。
17:50伊丹空港到達。

今回の旅行、北の北海道に足を運び、札幌、その周辺に点在する北海道八十八箇所の23箇所、北海道三十三観音3箇所を巡り楽しみましたました。

北海道の寺院は関西の寺院と比べると比較的小規模の建物が多く、民宿のような建物、タイル張りの近代的な建物も有り、寺院としての建物に似つかないものも多く驚きました。

レンタカーが24時間2000円の格安車を予約しましたが車は問題なかったがナビのディスプレイが小さく見難く、又電話設定しても見つからないいのが多く、住所で設定しても番地まで設定できず、目的地にたどり着くのに苦労しました。
今回のように寺院巡り、頻繁にナビ設定が必要な旅行は、車だけでなく、ナビの機能も予め調べておくほうが懸命ですね。


























飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百三弾:北海道流氷ノロッコ観光  2015年2月28−3月1日  

北の北海道に足を運び、オフォーツク海沿岸の網走から知床斜里までの37,3kmをその名も流氷ノロッコ号として走るトロッコに乗車し流氷観光を楽しみました。

28日15:30伊丹空港出発
16:30東京羽田到着
17:35東京羽田出発
19:40女満別到着、バスで網走に向かう。
18:30網走到達、駅前のホテル到着後近くのお寿司屋さんで食事を済ませて就寝。
3月1日10:25網走駅流氷ノロッコで出発

流氷ノロッコ:シベリアから流れてきて、日本では1月下旬頃から姿を見せる“流氷”。『流氷ノロッコ号』は、その景色を間近に見ることができるJR釧網線の特別列車で、知床斜里駅から網走駅間を一日二往復する。乗車時間は約1時間、約37kmを走行。

11:22知床斜里到達
11:57知床斜里流氷ノロッコで出発
12:57網走駅到達、バスで女満別空港に向かう。
14:00女満別空港到達。
15:00女満別空港出発
17:10東京羽田空港到達
17:30東京羽田空港出発
18:40伊丹空港到達。

今回の旅行、北の北海道に足を運び、網走から知床斜里まで走行するトロッコ電車に乗りオフォーツク海沿岸を走行し、車窓から流氷を観察し楽しんできました。

運良く前日までは冬型で南風が強く猛吹雪、海は6m名の波で大しけでしたが、今日は風もおさまり流氷は細かく砕けていましたが海岸沿いには多くの流氷が流れてきて観察することが出来ました。

次回は網走港から出港する流氷観光砕氷船に乗り真近で流氷を観察したいと思います。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百八十五弾:北海道旭川富良野・美瑛ノロッコ号観光  
2014年9月27−28日
 

北海道の中心に位置する旭川に足を運び、ラベンダー畑で有名な富良野・美瑛を旭川から富良野まで走る富良野・美瑛ノロッコ号に乗車し訪れました。

27日15:45関西空港出発
17:40旭川空港到着、シャトルバスで旭川駅に向かう。
18:30旭川駅到達、駅前のホテルに到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
28日9:55旭川駅富良野・美瑛ノロッコ1号で出発
11:40富良野駅到達、散策。

北海道の人気観光地として有名なこのエリアは、夏〜秋は、車を借りて花畑や紅葉スポットをドライブするのがオススメ。雪の積もった独特の冬の景観も魅力があり、四季を通して楽しめる。また、地元産の美味しい食材が自慢の宿泊施設や飲食店も多く、大地の味を堪能できる。TVドラマやCM、映画の舞台になった数々のスポットも外せない見どころ。

14:00富良野駅富良野・美瑛ノロッコ4号で出発
15:03美瑛駅到達、散策

15:54美瑛バス停ラベンダー号バスで出発
16:16旭川空港到達
18:15旭川空港出発
20:30関西国際空港到達。

今回の旅行、北海道の中央に位置する旭川に足を運び、ラベンダー畑で有名な富良野・美瑛を富良野・美瑛ノロッコ号で訪れ楽しみました。
ラベンダーの時期でなかったため華やかな景色を見ることができませんが、のんびりとノロッコの車窓から景色を楽しみ、また富良野・美瑛を散策でき満喫しました。

尚旭川駅がリニューアルして大きくなり、立派になっていましたが人通りが少なくさびしく感じました。又旭川の北側はビルが立ち並び広くて整備された道路が目立っていましたが、反対側の南側は家並みはなく水田が広がっており対照的な景観で驚きました。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百八十四弾:北海道SLニセコ号観光  
2014年9月20−21日
    

北の北海道に足を運び、中心地札幌を訪れ、札幌から89.1kmの蘭越まで走行するSLニセコ号に乗車し函館本線沿いの石狩湾沿いの海と山の風景、又余市を過ぎると山中の険しい峠道を含む景色を車窓から望みました。

20日15:50関西国際空港出発
17:45新千歳空港到達、地下鉄R快速エアポートで札幌に向かう。
18:35札幌駅到達、地下鉄南北線で中島公園駅到着、付近のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
21日7:30出発、地下鉄南北線で札幌に向かう。
8:31札幌駅SLニセコ号で出発

北海道旅客鉄道(JR北海道)が函館本線札幌駅 - 蘭越駅(当初はニセコ駅)間にて2000年(平成12年)10月7日から運行している蒸気機関車牽引による臨時列車である。運転区間が2001年(平成13年)9月8日に延長された。1988年から1995年に函館本線にて運行されていた『C62ニセコ号』の後を引き継いでいる。

12:27蘭越到達
12:32蘭越SLニセコ号で出発
12:55ニセコ到達、散策
13:35ニセコ普通車で出発
15:29小樽駅到達
15:34小樽駅JR快速エアポートで出発
16:46新千歳空港到達
18:15新千歳空港出発
20:25関西国際空港到達。

今回の旅行、北の北海道に足を運び、札幌から小樽、余市、ニセコを経由して蘭越までの89.1kmをSLニセコ号に乗車し走行して車窓から石狩湾の海と山の景色、余市からの山中の険しい風景を望み楽しめました。
ニセコは冬のスキーシーズンには何回か訪れたことがあります。夏の風景も素晴らしいものがありました。
SLニセコ号での車窓からの観光でした。





 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百八十弾:北海道札幌&函館路面電車観光  2014年8月23−24日 

日本の最北部北海道に足を運び、札幌と函館を訪れ、路面電車で各都市を車窓から望み観光しました。

23日15:50関西国際空港出発
17:45新千歳空港到達、JR快速エアポートでで札幌に向かう。
18:40札幌到達、地下鉄豊東線で新道東駅下車、ホテル到着後食事を済ませて就寝。
24日6:00出発、
地下鉄豊東線新道東駅から大通駅到達
札幌市交通局市電西4丁目から乗車、すすきの下車

札幌市交通局市電:1909年(明治42年)に建築用石材として需要が急増した「札幌軟石」の輸送線として山鼻 - 石切山間に敷設され、1912年(明治45年)からは路線網を市街地まで拡張した札幌石材馬車鉄道(のち札幌市街馬車軌道)を基とし、1918年(大正7年)に札幌電気軌道として開業、1927年に市営化された。以後、現在に至るまで長期に亘り札幌市民の足として利用されている。最盛期には札幌市内の東西南北を結ぶ総延長25km余りの路線を有していたが、利用客の減少や地下鉄の建設により縮小され、現在の西4丁目 - すすきの間が残るのみとなった。

地下鉄南北線で札幌駅に向かう。

8:36札幌駅JR特急北斗6号 で函館に向かう。
12:35函館駅下車

函館市企業局交通部函館駅前から乗車

函館市企業局交通部市電:1897年に下湯川村の一商人であった佐藤祐知などが起こした亀函馬車鉄道(きかんばしゃてつどう)が、東京馬車鉄道と小田原馬車鉄道(現・箱根登山鉄道)の技術指導により開業した馬車鉄道を起源とし、1913年にその路線を引き継いだ電力会社、函館水電(現・北海道電力)が電化して北海道初の路面電車として運転を開始した。その後いくつかの電気事業者の手を経て、1943年、電力統制のため鉄軌道事業を道南電気軌道に譲渡。同年、陸上交通事業調整法により、函館市が譲り受けた。道南電気軌道はバス事業も運営しており、バスも同時に市営となっている。

湯の川下車、バスで空港に向かう。

17:20函館空港出発
19:50関西国際空港到達

今回の旅行、北の北海道に足を運び、札幌と函館の路面電車に乗車し車窓から各都市を望み観光し楽しめました。

今回で全国路面電車を制覇できました。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百七弾:北海道夕張&大沼&日高観光
2012年9月22ー23日
 

北の北海道に足を運び、道央の山間に位置しかつて日本を代表する炭鉱の町として栄え、最近は映画の町として知られる観光地、平成19年に財政再建団体となったことでも話題になった夕張、駒ヶ岳の噴火によってできた堰止湖、駒ヶ岳のすそ野に大沼、小沼、じゅんさい沼の三つの沼が広がる国定公園、大沼には大小100を超える島が浮かぶ大沼国立公園、広大な牧場でのんびり草をはむサラブレッドと出会う日高サラブレット街道が位置する日高を訪れました。

22日8:45伊丹空港出発
10:35新千歳空港到達、レンタカーで夕張方面に向かう。

高倉健、桃井かおり主演映画「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地。シンボルにもなった黄色いハンカチや炭鉱住宅などが、ロケ当時の姿のまま公開されている。炭鉱住宅の中には、壁一面に訪れた人達が記念に書き残していった黄色いメッセージカードが張り巡らされている幸福の黄色いハンカチ想い出ひろばを訪れる。

国内最大の炭鉱ミュージアム。石炭の誕生やどのように使用されたか。炭鉱時代の生活や仕事は?石炭と炭鉱の歴史に触れて学べる夕張ならではの体験型博物館。実際の坑道と石炭層をキャップランプの明かりで臨場感たっぷりの坑内見学は必見の石炭博物館を見学。

施設は外観は1920(大正9)年に建設された旧北炭「夕張工業学校」校舎を復元しており、昭和30年代の夕張炭鉱住宅街のパノラマ模型や炭鉱住宅内の再現など炭鉱の生活関連資料を展示している炭鉱生活館を見学。 

十勝北部に向かう。

アウトドア体験が人気の周囲13.8kmの静かな湖。然別湖ネイチャーセンターで、カナディアンカヌーやエアトリップなどが楽しめる然別湖を訪れる。

層雲峡を通過して旭川を経由して札幌に向かう。

22:00札幌市内繁華街のホテル到達、就寝。

23日6:00レンタカーで大沼に向かう。

面積約9083ha、駒ケ岳の裾野に広がる国定公園。園内は最も大きな大沼をはじめ、小沼、蓴菜沼などの湖沼群からなる。大沼は駒ケ岳の噴火によって生じた泥流が、渓流をせき止めてできた周囲24km、水深13.6mの湖。大小126の島があり、その小島を結ぶ18の橋と散策路が設けられている大沼国定公園を散策する。

噴火による爆発によって吹き飛ばされた鋭い山頂部と、なだらかな稜線を持つ独立峰。大沼公園のシンボル的な存在でもある秀峰だ。稜線部には標高892mの隅田盛、標高1113mの砂原岳、標高1131mの剣ケ峰の3つのピークがあり、火口も3つある。1998年(平成10)に火山活動が始まり、現在は入山規制中の駒ケ岳を望む。

日高方面に向かう。

アイヌ民族の貴重な文化を伝える衣類や狩猟道具、祭具などを展示紹介している。また、口承文芸として伝えられるカムイユカラ(神話)や、古式舞踊を観賞できるビデオコーナーもある平取町立二風谷アイヌ文化博物館を訪れる。

二十間(約36m)の幅をもつ道路。田原から御園にかけて7kmにわたり、エゾヤマザクラ等およそ3000本が道沿いに並ぶサクラの名所だ。満開時にここを訪れた人は必ず感嘆の声を上げると言われるほど、その風景は美しい。開花は5月上旬から中旬で、この時期に合わせて「しずない桜まつり」が催される。柔らかい光のなかで花びらが風に揺れながら舞い散る見ごとな光景を求めて、毎年、多くの花見客が訪れている二十間道路桜並木を通過する。

新千歳空港に向かう。

17:05新千歳空港到達
18:15新千歳空港出発
20:05伊丹空港到達。

今回の旅行、北の北海道に足を運びまだ訪れれたことのない夕張・大沼・日高を訪れました。

この3つのエリアはかなり離れており、北海道独特の広大で自然いっぱい、道路は渋滞なく車は空いており、信号も少なく車の運転のストレスを感じさせず、まっすぐな広い道路、地平線を追いかけてのドライブ、走行距離が多くても苦にならない北海道長距離ドライブ観光堪能しました。

北海道のドライブ素晴らしいですね、時間を忘れいくらでもドライブできますね。何回も訪れたい北海道ドライブ観光でした。

尚2日間で1350km走行しました。観光めぐりよりもドライブが主でした。北海道ドライブ全然疲れておりません。本州でしたら疲労困憊ですね。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第百十一弾:北海道札幌&小樽積丹&室蘭登別支笏洞爺湖観光
2010年9月18ー20日


日本国の最北端に位置する地方公共団体で、札幌市を道庁所在地とする北海道庁の管轄下にあり、今日における日本全国1都1道2府43県中唯一の「道」である。ただし、北方領土はロシアが実効支配をしており、道庁が実質的に管轄出来ていない国土が存在する北海道に足を運び、明治時代に開拓使が置かれて以来、北の都として発展し歴史的な建築物や市街地に広がる緑溢れる見所がいっぱいの札幌、明治初頭以来、海岸の埋め立て工事を繰り返しながら港が形作られ、往時の面影を残すロマンチックな運河とその周辺のレトロなスポットが点在する小樽、2つのカルデラ湖の周囲に多くの観光名所が点在する支笏洞爺湖エリアを訪れました。

18日札幌行き飛行機の便が関西国際空港17:45発の遅めの出発のため大阪城周辺を散策し時間を費やしました。

OBPパナソニックタワーとMID[えむあいでぃー]タワーの2つのビルで構成される、OBPの中でもひと際目立つ双子ビル。MIDタワー38階には美しい夜景を眺められるレストランがあるツイン21を訪れる。

大阪城の周辺は緑が茂る大阪城公園として整備され、春には花見で賑わう。大手門・千貫櫓・焔硝蔵など、13基が国の重要文化財に指定。園内には、大阪城ホールもある大阪城公園を散策する。

西日本最大級のキャパシティを誇る最大収容人員1万6000人の多目的ホール。最新の音響、照明設備を備え、年間180を超えるステージでは国内外のトップアーティストのコンサート、スポーツ、見本市などさまざまなイベントを開催。また、ほかにもコンベンションホール、城見ホール、サブホール等が併設されており、そこでも多彩な催しが行われている大阪城ホール[大阪城公園]を訪れる。

1583年(天正11)、石山本願寺の跡に豊臣秀吉が天下統一の拠点として築城を始めたのが大坂城。大坂夏の陣で落城し、徳川政権下で再築されたが落雷で天守閣を焼失、1931年(昭和6)築の現在の天守閣は3代目だ。内部は歴史資料や、ジオラマ、ビデオなどでさまざまな角度から大阪城を楽しめる。巨石を組み込んだ壮大な石垣、大手門やいくつもの櫓など、城内のみどころは多い大阪城天守閣[大阪城公園]を訪れる。

戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えるために、府と市が共同出資して設立した平和資料館。ガラス張りの床の下に空襲を受けて廃墟となったミナミの街並みの模型や映像、写真などを展示。満州事変から第二次世界大戦までの戦争の歴史を紹介する。平和に関する図書の閲覧や映像ブースで、ビデオ・DVDが視聴できる大阪国際平和センター(ピースおおさか)[大阪城公園]を訪れる。

15:03大阪城公園駅から乗車、関西国際空港に向かう。
16:20関西国際空港到達。
17:45関西国際空港出発。
19:30新千歳空港到達、レンタカーで札幌に向かう。
18:30札幌駅付近のホテル到着後繁華街散策して食事を済ませて就寝。
19日5:00札幌市街地を散策する。

南中島公園方面に向かう。

札幌中心部のオアシスとして親しまれている自然豊かな公園。園内にはボートを楽しめる菖蒲池や、子供たちが水遊びを楽しめる鴨々川がある。豊平館など、歴史的建築物も保存されている中島公園を散策する。

中島公園にたたずむ、1880年(明治13)建築の風格ある建物。かつては貴賓用ホテルとして使用されていた洋館で、国の重要文化財に指定されている。内部は一般公開され、見学が可能。室内楽のコンサート会場や結婚式場としても人気を博している豊平館[中島公園]の前で記念撮影。

小説『失楽園』など、数々のベストセラーを生み出してきた北海道出身の作家・渡辺淳一。その文学・生い立ち・日常を紹介する文学館。建物は世界的建築家・安藤忠雄の設計で、雪原に片脚で立つ白鳥をイメージしたもの。館内には、渡辺淳一の全著作や安藤忠雄の作品集、趣味の本が揃った図書室、喫茶コーナー、オリジナルグッズの販売コーナーもある。地下の講義室では、渡辺淳一の講演会やコンサート・演劇など多彩なイベントが行われるエリエール スクエア札幌 渡辺淳一文学館の前で記念撮影。

新札幌にある、札幌市青少年科学館が管理する天文台。日中には、ドーム内にある20cm屈折望遠鏡で太陽の観測ができる札幌市天文台[中島公園]前で写真撮影。

中島公園にあり、有島武郎や小林多喜二など北海道にゆかりのある作家の直筆原稿や資料を展示・保存する北海道立文学館[中島公園]の前で記念撮影。

札幌駅方面に戻る。

札幌の母なる川・豊平川と、水路として作られた創成川を結ぶ川。川沿いにはヤナギの木が立ち並び、大歓楽街ススキノにひと味違った趣を添えている。札幌駅前通りと交差するススキノの南端には、コイも放流されている鴨々川沿いを歩く。

大通の南、南4〜8条の南北と西2〜8丁目の東西にかけて広がる東京以北最大の歓楽街。このエリアに総数4000軒とも5000軒ともいわれる店が集中し、週末ともなると明け方まで客足が絶えない。郷土料理店をはじめ、居酒屋・クラブ・バー・カラオケ店・ショーパブ・ラーメン店など、さまざまなニーズに応える幅広いジャンルの店がひしめきあっている歓楽街は全国的にも珍しく、比較的治安が良いことでも知られている。周辺には地下街やデパートなどが立ち並び、昼間でも多くの買い物客で賑わいを見せている。市電の始発停留所もあるすすきのを訪れる。

南2条と3条の間の通りで、東西約1kmにわたって続く商店街。1873年(明治6)頃、開拓使の官舎が西5丁目に建てられたのをきっかけに誕生した。現在も約200店舗が営業し、市場や金物屋など、生活感あふれる店が並ぶ。またほぼ全域にアーケードがあり、雨や雪でもゆっくり買い物ができる狸小路商店街を訪れる。

西1丁目から12丁目まで東西約1.5kmに伸びる大通公園には、花壇や噴水のほか、世界的な彫刻家・故イサム・ノグチのブラック・スライド・マントラなど、さまざまな彫像や記念碑が設置されている。公園全体には92種類約4700本の木々が植栽されており、ライラック、ハルニレ、ケヤキ、ハマナス、ツツジなどが鑑賞できる大通公園を散策する。

大通公園の東端に立つ高さ147.2mのタワー。1957年(昭和32)に電波の受信・発信のポイントとして建設されたが、現在は360度のパノラマが楽しめる展望台としても利用されている。地上約90mの高さにある展望台からは、西に手稲山や大倉山シャンツェ、東には豊平川や石狩平野を一望。札幌でも有数の展望スポットとして人気だ。館内には、人気のキャラクター「テレビ父さん」グッズも販売するみやげ売場やレストランもあるさっぽろテレビ塔[大通公園]を訪れる。

北海道大学の前身である旧札幌農学校の演武場として、1878年(明治11)に建築された。1881年(明治14)、塔の4面にボストン・ハワード社製の振り子式時計が設置された。1世紀以上も時を刻み続けた時計は、毎正時に澄んだ鐘の音色を響かせて札幌市民に時を告げる。1階には、写真パネルを使って時計台の歴史を紹介する展示コーナーを設置。2階では、明治時代そのままに演武場が再現されていている。国の重要文化財の札幌市時計台を訪れる。

1888年(明治21)に建てられたネオバロック洋式の歴史的建築物で、国の重要文化財に指定されている。赤レンガ造りの外観も美しいが、重厚な装飾が施された内装も必見だ。館内には北海道立文書館があり、1870年代の札幌の町並みを再現したジオラマや資料などを展示。開拓当時から残されてきたポプラの大木が茂る前庭は、花壇が配されるなどオフィス街のオアシスとして市民に親しまれている北海道庁旧本庁舎を訪れる。

1886年(明治19)、国内で2番目の近代的植物園として開園。園内のおよそ4000種類にも及ぶ植物群がみものだ。ハルニレやハンノキ、高山植物などが豊かで、新緑の季節は特に美しい。園内には1882年(明治15)に、北海道開拓使札幌博物館として建てられた博物館もあり、すでに絶滅したエゾオオカミのはく製なども見学できる北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園の前で記念撮影。

日本初の農学に関する高等教育機関としてスタートし、農業の分野だけでなく北海道開拓にも大きな役割を果たした。キャンパスは国立大学の中で最も広く、学生たちが構内の移動に自転車を利用するほど。敷地内には、歴史的な建築物も数多く残されており、特に古河記念講堂に近い農学部は一見の価値あり。ハルニレやポプラの大木など、豊かな自然に囲まれているのも特徴で、構内を散策するだけでも独特の雰囲気を充分味わうことができる北海道大学を散策する。

北海道大学の前身・札幌農学校の初代教頭は「ボーイズ・ビー・アンビシャス」の名言を残したクラーク博士。古河記念講堂のそばに、北海道大学の精神のシンボルとしてクラーク博士の胸像が設置されている。人気の記念撮影のスポットで、待ち合わせ場所にもなっているクラーク博士の胸像[北海道大学]を訪れる。

北大の教育研究の成果を、広く社会へ還元することを目的に開設された施設。400万点にも及ぶ貴重な学術標本の展示公開や各種公開セミナーの開催など、子どもから大人まで楽しめる博物館になっている。併設のミュージアムショップでは、館内に展示されているデスモスティルスの骨格標本をデザインしたタオルなど多彩なグッズを販売。旧理学部を利用したモダンゴシック様式の趣ある建物も見どころの一つの北海道大学総合博物館[北海道大学]の前で記念撮影。

北海道大学総合博物館の裏にあるポプラ並木は、絵葉書などでおなじみ。2004年の台風で半数近くが倒壊し、現在は幼木が植えられ再生中だ。北13条のイチョウ並木は、10月中旬から11月上旬にかけてが黄葉の見ごろのポプラ並木とイチョウ並木[北海道大学]を散策する。

ホテルに戻り朝食を済ませてからレンタカーで札幌周辺を巡る。

世界的な彫刻家、故イサム・ノグチ氏が基本設計した施設で、公園全体が氏の集大成ともいえる作品だ。面積189万平方mと東京ドーム40個分の広さを誇り、太陽の光に輝くガラスピラミッドや丘の稜線を走る白い道など、そのひとつひとつが大地を彫りだした彫刻作品のよう。氏の資料が閲覧できるギャラリーや屋上展望回廊のほか、道産の新鮮な食材を使ったフレンチが味わえるレストランもあるモエレ沼公園を訪れる。

約60万平方mの敷地に、ミズナラやカツラなどの原始林が茂る円山原始林(特別天然記念物)や、野球場、テニスコートなどスポーツ施設が整備され、休日は大勢の市民で賑わう。札幌有数の桜の名所としても知られる円山公園を散策する。

開拓の神を祭るため、明治政府によって建立された。境内には樹齢数百年を越えるハルニレの大木が見られ、バードウォッチングのメッカでもある。春には桜の花が咲き花見客で賑わう。また6月14〜16日にかけて行われる「札幌まつり」は、北海道に夏を告げる風物詩としても有名の北海道神宮を訪れる。

札幌中心部の西約3kmに位置する、円山公園内にある動物園。動物だけでなく熱帯鳥類館やハ虫類館があり、約170種の生物を飼育・展示している札幌市円山動物園前で記念撮影。

1972年(昭和47)に開催された、冬期オリンピック札幌大会の舞台となった場所。ジャンプ台の最上部までを結ぶリフト(2人乗り)があり、展望ラウンジからは札幌の町並みが望める。また敷地内には、スキージャンプを始めとする各種シミュレーターや、貴重な資料を展示している「ウィンタースポーツミュージアム」もある大倉山ジャンプ競技場を訪れる。

大倉山ジャンプ競技場敷地内にあるミュージアム。札幌オリンピックの記録のほか、手稲山にあった日本初の西洋式山小屋「パラダイスヒュッテ」の懐かしい写真などを展示。臨場感が楽しめるシミュレーターも人気で、ボブスレー滑走・クロスカントリー・フィギュアスケートのスピン体験など、ウィンタースポーツを疑似体験できる札幌ウィンタースポーツミュージアム[大倉山ジャンプ競技場]を訪れる。

札幌市街を一望できるビュースポット。展望台へはロープウェイか藻岩山観光自動車道を利用する藻岩山展望台を訪れる。

ゆるやかに広がる丘陵地で羊が草を食む牧歌的な風景が魅力。展望台には、クラーク博士の像が立ち、記念撮影スポットととして人気だ。展望台からは、札幌ドーム・札幌市街はもちろん石狩平野までを見渡せる。ジンギスカンが味わえるレストランのほか、さっぽろ雪まつり資料館やウェディングパレスもあるさっぽろ羊ケ丘展望台を訪れる。

札幌市内南東部に位置する全天候型屋内ドーム。コンサドーレ札幌、北海道日本ハムファイターズのホームスタジアムで、サッカーや野球の試合のほか、スポーツ・コンサートなど各種イベントも行われる札幌ドームを訪れる。

札幌・定山渓方面経由して小樽に向かう。

俳優、歌手として絶大な人気を誇った不世出の大スター・石原裕次郎の素顔を紹介する。実際に撮影で使用された衣装をはじめ、愛車のベンツ、ロールスロイス、キャデラックなど、貴重な展示物が並ぶ。映画のワンシーンを再現したコーナーもある石原裕次郎記念館を訪れる。

280隻のヨットやモーターボートが係留された、道内最大級のマリーナ、小樽港マリーナを訪れる。

小樽を代表する景観で、全長1140m、幅20〜40m。御影石が敷き詰められた道を歩きながら運河沿いを散策でき、小樽の歴史をテーマにしたレリーフやモニュメントが運河沿いに立つ。今でこそ観光名所の一つとなっているが、もともとは1923年(大正12)に、ハシケとよばれる小型船が、港に停泊している本船から貨物を運び往来するために造られたもので、小樽の商業の発展に貢献してきた運河ともいえる。夜になると63基のガス燈が灯され、趣のある雰囲気を演出する小樽運河を散策する。

小樽の歴史や自然に関しての資料、約2000点を展示。1893年(明治26)築の石造り倉庫を利用した、博物館自体が貴重なものだ。明治・大正期の街並みを実物大で再現したコーナーは特に見ものの小樽市総合博物館 運河館を見学。

小樽運河の浅草橋から国道5号に向かう道沿いに立つ。文学館では小樽にゆかりの深い作家の小林多喜二や伊藤整、歌人・石川啄木などの貴重な直筆原稿や遺品などの資料を紹介。美術館には日本を代表する風景画家・中村善策や、版画家・一原有徳などの作品を収蔵している市立小樽文学館・美術館を訪れる。

約120年前に建てられた酪農会館を利用した建物に、食事処やカフェ、宿泊施設が集まるスポット。スケソウダラの白子を使ったかまぼこ、たちかまを使った料理が名物の食事処惣吉、古民具で大正を再現したカフェ雨情、2階には御宿櫻井がある。広場奥にある組み木細工の店、成木屋も一見の価値ある小樽出世前広場を訪れる。

18世紀のネオ・クラシック様式の宮殿をモデルにした館内で、数々のヴェネツィアングラスを鑑賞することができる美術館。1階はミュージアムショップ。2・3・5階には10の展示室があり、家具やシャンデリア、装飾品が彩り鮮やかに並んでいる北一ヴェネツィア美術館を訪れる。

1906年(明治39)建築されたルネッサンス様式の石造りの建物で国の重要文化財に指定されている。一流建築家がこぞって優れた建造物をつくりあげた時代の象徴の一つ。竣工間もなく、日露国境画定会議の舞台にもなったことで有名だ。内部は建設当時の姿に復元されており、貴賓室、会議室の壁紙「金唐革紙」や豪華なシャンデリアなど、随所に華やかな明治時代の面影が残る旧日本郵船株式会社小樽支店を訪れる。

本物の蒸気機関車を展示する、スケールの大きな博物館。ドーム型のスクリーンによるプラネタリウム、科学展示室など幅広い展示内容だ。なかでも鉄道関係の資料は充実。SLの運行もある小樽市総合博物館 本館を見学。

北の海や川、湖の生き物を中心に、250種5000点を展示。北海道初展示の「ノコギリザメ」を公開。人気のネズミイルカとゴマフアザラシが一緒に泳ぐ「ほのぼのプール」に魚たちも加わった。イルカやオタリア、ペンギン・アザラシ・トドのショーも連日開催している。遊園地が併設されており、家族揃って楽しめるおたる水族館を訪れる。

余市方面に向かう。

日本人で初めて、スコットランドからウィスキーの製造技術を身につけた竹鶴政孝氏が1934年(昭和9)に建設。以来、伝統的な製法でモルト原酒を作り続けている。赤い屋根と軟石造りの工場や美しい芝生や樹木が茂る風景は、ウィスキーの故郷・スコットランドを思わせる。ウィスキー博物館も必見のニッカウヰスキー北海道工場 余市蒸溜所を訪れる。

積丹半島に向かう。

高さ100〜200mに切り立った海岸段丘で、荒々しい海岸線と紺碧の海、積丹岳や余別岳を見渡せる。駐車場から小さなトンネルを抜けると、透き通るようなマリンブルーの海水に巨大な岩々が浮かぶ島武意海岸が現れる。周辺は日本の渚百選に選定の積丹岬を訪れる。

積丹半島西北端に突出する高さ80mの岬。先端へは「チャレンカの小道」とよばれる散策路が通じていて、沖に立つ巨大な神威岩には、源義経を慕って後を追ってきたアイヌの娘チャレンカが海へ身を投じ、その姿がやがて岩と化したという伝説が残っている。かつては海路の難所で、舟に女性を乗せると海が荒れるという言い伝えがあり、1855年(安政2)まで女人禁制の岬だった神威岬を訪れる。

ニセコを経由して室蘭に向かう。

20:30東室蘭駅付近のホテル到達、市街地を散策し食事を済ませて就寝。

20日5:00レンタカーで出発。

「室蘭八景」の一つにも選ばれている景勝地。「トッカリショ」とはアイヌ語で「アザラシの岩」を意味し、海面80mの断崖と奇岩が580mにわたって連なるトッカリショを訪れる。

「北海道の自然百選」や「新日本観光地100選」などで得票1位に選ばれた景勝地。絵鞆[えとも]半島の最南端から太平洋に突き出た岬で、海面から約120mの断崖上にある展望台からの眺めはまさに絶景だ。地球の丸さを実感できる大パノラマが広がり、晴れた日には遠く駒ケ岳や青森県の下北半島まで望める。運がよければ春から秋にかけて回遊するイルカやクジラが見えることもある。また岬にある灯台は、沿岸を航行する船舶の目標として重要な役割を果たしている。周辺に森林浴コースや散策路もある地球岬を訪れる。

室蘭港に架かる、白くて大規模な吊り橋。その名の通り、ハクチョウが翼を広げたような柔らかなフォルムが印象的だ。ライトアップは、長さ1380mのメインケーブルに渡る作業用の手すりに取り付けた無電極放電灯と、海面からまっすぐ延びる2本の主塔のメタルハライドランプによるもの。これらのライトが夕闇にスワンホワイトの光を放ち、美しいフォルムを浮かび上がらせる。特にフェリーが橋の下を通る風景が美しい白鳥大橋を通過する。

登別方面に向かう。

直径450m、面積約11haの大きな爆裂火口の跡。赤茶けた岩肌、黄灰色の岩丘の裂け目からは火山ガスが噴出。硫黄の臭いがあたり一帯を包み、まさに地獄の谷の様相の地獄谷を訪れる。

洞爺湖方面に向かう。

周囲43km、中央に4つの中島を浮かべるカルデラ湖で、湖の南側には昭和新山や有珠山、洞爺湖温泉などがあり、道内屈指の観光地として賑わう。湖の中央に浮かぶ中島には野生のエゾシカが生息する洞爺湖を訪れる。

1943年(昭和18)12月に始まった群発地震をきっかけに、1944年(昭和19)6月、地割れとともに一帯の麦畑や松林が隆起し、忽然と生まれた。学術的にも貴重な山(特別天然記念物)で、最高地表温度が約300度の活火山だ。標高398mの半円形の火山の溶岩塔部分は茶褐色で、岩肌から今も水蒸気を上げる。有珠山ロープウェイからも望める昭和新山を訪れる。

標高737mの活火山。過去300年間でも10度の噴火活動を観測し、最近では2000年3月31日の大爆発が記憶に新しい。同年8月には観光安全宣言が表明され、噴煙を上げる有珠山の自然のエネルギーを体感できる。山頂へは有珠山ロープウェイを利用、中島が浮かぶ洞爺湖の全景を見渡せる有珠山を訪れる。

洞爺湖全体を見渡すことができるビュースポット。対岸に、有珠山・昭和新山と洞爺湖温泉街も見えるサイロ展望台を訪れる。

洞爺湖方面に向かう。

樽前山の噴火によって流れ出た火山岩の割れ目が冷えて固まり、数万年の年月を経て少しずつ侵食されてできた渓谷。狭い通路の両サイドにそそり立つ岩壁には約30種類の苔がびっしりと生え、緑のビロードに覆われたような美しい景観の苔の洞門を訪れる。

緑豊かな原生林に囲まれた、周囲約40.3kmの大カルデラ湖。約4万年前の激しい噴火活動によってでき、最大水深は約363mと日本で2番目。透明度が高く、水質では日本一に輝いた実績をもつ。周囲は恵庭岳、風不死岳、樽前山などに取り囲まれ、支笏湖観光遊覧船に乗船すれば湖上から景観を満喫できる。支笏湖とその南西に位置する洞爺湖一帯は支笏洞爺国立公園に指定。湖畔には落ち着いた風情の支笏湖温泉街がある支笏湖を訪れる。

新千歳空港に向かう。

17:00新千歳空港到達。
18:00新千歳空港出発。
19:45伊丹空港到達。

今回の旅行、今年2回目の日本国の最北端に位置する北海道に足を運び、明治時代に開拓使が置かれて以来、北の都として発展し歴史的な建築物や市街地に広がる緑溢れる見所がいっぱいの札幌をスタートし、

反時計回りで物資輸送の重要な拠点として発展し、かつて多くの船が行き交い、、経済の中心地となった街は当時の姿を留めつつ、運河沿いにショップや飲食店が並ぶ観光スポットとなっている小樽、

日本海の先に突き出た半島は、荒々しくも美しい海岸線が続き、岬から眺めるシャコタンブルーと呼ばれる紺碧の海は絶景の積丹半島、

2つのカルデラ湖と点在する火山がそびえ、温泉と大自然に接することができる支笏洞爺湖の2泊3日ドライブ観光、堪能しました。

北海道は夏と雪山シーズンを含めて18回訪れ、ほぼ観光地は制覇しました。

北海道は道も広いし真っ直ぐ、車も少なく、ストレスなく気持ちよくドライブを楽しむことが出来ます。多くの観光名所、どこも良く整備され、観光客がいっぱいで賑わっています。

なかなか観光名所の多い、飽きの来ない、何回も訪れたい、北海道ドライブ観光旅行でした。





























飛行機で国内&海外の観光地巡り第百四弾:北海道道東観光
2010年7月17ー19日


北海道の東に位置する原生林や湿地帯が豊かな姿を今に留め、火山活動も活発なブロックである道東に足を運び、オホーツク沿岸に広がる漁業主体のエリア、海岸沿いの砂丘にはいくつもの原生花園が連なる網走・サロマ湖・紋別、オホーツク海に突き出るように横たわる半島、険しい地形に守られ、ヒグマの生息密度は世界有数、今なお原生の自然を残す野生動物の楽園である世界自然遺産に登録された知床半島、火山によって生まれた屈斜路・阿寒の大カルデラを中心とするエリア、原生林に包まれた阿寒湖・摩周湖・屈斜路湖の雄大な眺めと道内屈指の温泉郷が待っている阿寒国立公園を訪れました。

17日15:20伊丹空港出発
17:15旭川空港到達、レンタカーで旭川市街地に向かう。
18:00旭川駅付近のホテル到達後、繁華街を散策して食事を済ませて床に就く。
18日5:00レンタカーで出発、紋別方面に向かう。

本有数のシバザクラの名所。5月中旬〜6月上旬にかけて、10万平方mもの広大な丘の斜面一面にピンクのシバザクラが一斉に咲き誇る景観はみごとな滝上公園を訪れる。

沖合い1kmに位置する展望塔。夏はエメラルドグリーンのオホーツク海、冬は流氷に覆われた白い海を見ることができる。流氷の妖精といわれるクリオネを常時展示している氷海展望塔オホーツクタワーを訪れる。

さまざまな角度から流氷を紹介する施設。なかでも、360度のドームいっぱいに映像が映し出されるアストロビジョンは必見だ。マイナス20度に保たれた厳寒体験室では真夏でもオホーツクの冬を体感でき、本物の流氷や氷漬けの魚が水族館のように展示されている。ほかに流氷観測室や流氷プレイランドもある北海道立オホーツク流氷科学センター「ギザ」を訪れる。

サロマ湖方面に向かう。

約20kmもの長大な砂州によってオホーツク海と隔てられた、周囲約91kmの汽水湖。北海道では最大、日本でも琵琶湖、霞ケ浦に次いで3番目に大きい湖で、独特の美しい湖面の青色は「サロマンブルー」と呼ばれている。観光の拠点となる栄浦の湖岸から見る夕日もすばらしいサロマ湖を訪れる。

周囲約91kmのサロマ湖は北見市常呂町、佐呂間町、湧別町の3つの町にまたがる大きな湖。約20kmにも及ぶ細長い砂州によってオホーツク海と区切られている。湖の南側に位置する幌岩山の山頂付近にある展望台は、広大な湖のほぼ全景を望むことができる希少なビュースポットのサロマ湖展望台を訪れる。

龍宮街道にある海浜植物の群落で、日本最大級の原生花園。ハマナス、エゾスカシユリ、センダイハギなど300種以上の色とりどりの花々が一面に咲く6〜8月がみごろ。園内は自然保護のため、車の乗り入れは禁止だが、約4kmの遊歩道が設けられ、レンタサイクルや観光馬車で自然散策が楽しめるサロマ湖ワッカ原生花園[龍宮街道]を散策する。

南湖畔の最深部に北海道屈指のサンゴソウの群落地がある。これはアカザ科の一年草で、10cmほどの背丈の茎だけの植物だ。9月になると紅葉したサンゴソウが湖岸の湿地帯全体を真っ赤に染める能取湖を訪れる。

網走方面に向かう。

網走市街の南西に位置する、周囲43kmの海跡湖。東湖畔の中央部から突き出す呼人半島には、バードウオッチングや散策に最適な全長7kmの遊歩道が整備されている。この半島の付け根周辺にはミズバショウの群生地があり、4月下旬から5月上旬にかけて湖畔に咲く白い花々を見ることができる。夕陽が湖面を真っ赤に染め上げる夕景もみごとの網走湖を訪れる。

網走川のほとり、かつての番外地に今も残る現役の刑務所。前身は網走囚徒外役所で、1890年(明治23)、北海道の道路開削のため、全国各地の監獄から移送した重罪犯受刑者を収容する目的で設置された。1922年(大正11)築の重厚なレンガ造りの門は、刑務所内の土を焼いて作られたレンガでできている。この赤レンガの門は、記念撮影スポットして多くの観光客が訪れている。もちろん、現役の刑務所なので所内に入ることはできないが、正門前まで近づくことができる網走刑務所を訪れる。

網走刑務所の旧建築物群を移築・復原した野外博物館。館内には放射状に繋がる5棟の舎房をはじめ、浴場や教誨堂など、さまざまな建築物群が並ぶ。教誨堂、五翼放射状平屋舎房、二見ケ岡農場は登録有形文化財に指定されている。各施設には人形が配され、当時の生活をリアルに分かりやすく再現している博物館網走監獄を見学。

流氷をテーマにした展示館。マイナス18度に保たれた流氷体験室には、本物の流氷が置かれ、年間を通して厳寒のオホーツクの冬を体感できる。「流氷の天使」とも呼ばれるクリオネ、フウセンウオ、イクオネなども飼育展示しているオホーツク流氷館を見学。

アイヌをはじめ、ロシアやアメリカ、カナダ、北欧諸国、中国など北方に暮らす諸民族の文化がわかる国内唯一の北方民族専門博物館。常設展示室には900点を超える貴重な資料が、衣食住などのテーマ別に展示されている。アザラシの腸で作られた衣服や白樺樹皮製の船など、北方民族の知恵や技術がわかる実物資料に加え、コンピューターによる展示機器も設置。網走のモヨロ貝塚に代表されるオホーツク文化のコーナーも充実している北海道立北方民族博物館を見学。

国道244号沿いのオホーツク海と濤沸湖に挟まれた細長い砂丘に広がる原生花園。5月下旬〜9月の開花期は約70種類の野生の花々が咲き誇り、色鮮やかな花畑を散策できる。エゾスカシユリやエゾキスゲ、ハマナスなど、代表的な花が咲きそろう6月中旬から7月中旬が見ごろの小清水原生花園を訪れる。

砂州を挟んでオホーツク海と隔てられている潟湖。砂州の上をJR釧網本線と国道244号が走り、浜小清水と北浜の間は、両側を海と湖に囲まれている濤沸湖を訪れる。

知床ウトロ方面に向かう。

オホーツク海に面した海岸の砂丘に広がる原生花園。ハマナスやハマエンドウなど野生の花々が咲き乱れる夏場の風景はみごと。とくに6月下旬から7月に見られるエゾスカシユリの群落は圧巻の以久科原生花園を訪れる。

双美の滝とも呼ばれ、途中から二股に分かれて豪快に流れ落ちる様は涼味満点。国道沿いの駐車場から見学できるオシンコシンの滝を訪れる。

深い原生林に抱かれた溶岩台地にある5つの小さな湖の総称が知床五湖。遊歩道でめぐるそれぞれの湖に固有の名称がなく、時計回りに第一湖から第五湖までの番号で呼ばれる。貴重な野生生物が多く生息し、駐車場の近くには展望台もあり、ここからの眺めも絶景の知床五湖を散策する。

知床横断道路を走行し羅臼方面に向かう。

半島のウトロと羅臼を結ぶ知床横断道路は、全長27kmの曲がりくねった峠道。知床峠はその道路の再頂部、真正面に羅臼岳、眼下に深緑の大樹海、彼方には根室海峡と、そこに浮かぶ国後島を望む大パノラマが楽しめる知床峠を訪れる。

標高1661m、知床連峰の最高峰。夏も雪渓が多く残り、雪解けの早い場所から多彩な高山植物が咲き乱れるお花畑は7月下旬が見ごろだ。登山口は斜里側と羅臼側にあり、山頂から望む大パノラマは遠く国後島まで見晴せて圧巻の羅臼岳を眺望する。

羅臼市街を見下ろす海抜167mの高台にある眺望スポット。展望塔からは、港や羅臼岳をはじめとする知床の山々、そして北方領土の国後島まで一望できる。展望塔の1階では、北方領土に関するさまざまな資料を展示。また映像室では、知床と国後島の空撮やCGを中心に、北方領土問題についても映像で紹介している羅臼国後展望塔を訪れる。

18:30終了、網走に戻る。
20:00網走駅付近のホテル到達後、市街地を散策して食事を済ませて床に就く。

19日4:15レンタカーで出発、摩周湖方面に向かう。

屈斜路湖の北部にそびえる、標高1000mの小高い山の途中にある展望公園。屈斜路湖とその周辺を見渡す絶好のポイントの藻琴山展望駐車公園を訪れる。

裏摩周展望台から北へ3kmほど進んだ場所にある、周囲わずか220mの小さな池。摩周湖の伏流水が湧き出しているといわれ、ここから一日に湧出する水の量はなんと1万2000トン。多量の水が湧き、冬でも凍ることはない。澄んだ水は天候などによって、エメラルドグリーンや淡い青に変色する。「神からの贈り物」と敬称され、「神の子池」という名が付いたといわれる神の子池を訪れる。

摩周湖の北東、弟子屈町と清里町の境に位置する穴場的展望台。第一・第三展望台より標高が低く湖の北側にあるため、霧が出やすい夏場でも、他の展望台に比べて湖面の見える確率が高いといわれる裏摩周展望台を訪れ摩周湖を眺望する。やや雲が掛っていました。

野付半島方面に向かう。

標高271mの小高い丘の上にある展望台。眼下に広がる緑の根釧原野は、はるか彼方で地平線にとけこみ地球の丸みに沿って緩やかな弧を描く。根室海峡、知床連山、そして北方領土の島影も霞む雄大な風景を望めるほか、北海道遺産に認定された格子状防風林も見ることができる開陽台を訪れる。

サケの生態を楽しみながら学べる施設。世界のサケ科魚類約30種類を、稚魚から成魚まで観察できる。標津川の側面をガラス越しに観察する人口魚道は必見の標津サーモン科学館に寄る。

野付とはアイヌ語で「あご」の意味。エビが背を曲げたような形で根室半島に突き出している。地学的には分岐砂嘴といい、川が排出した土砂を海流が運んで造りあげた陸地。日本最大で付け根から突端までは約28kmもある。半島一帯は原生花園になっており、春と秋には野付湾に北海シマエビ漁の打瀬舟が浮かぶ。平成17年11月にはラムサール条約に認定された野付半島を訪れる。

野付半島ネイチャーセンターの建物裏手からトドワラルートと呼ばれる自然探勝路があり、この先にトドマツが海水の浸食と潮風によって朽ちたトドワラがある。かつては立ち枯れた木が一面に見られたが、現在は大半が風化のため倒木している。野付半島のほぼ中央には、ミズナラが立ち枯れたナラワラもあるトドワラ・ナラワラを訪れる。

摩周湖・阿寒湖方面に向かう。

周囲約20km、最大水深212m。湖には流入する川も流出する川もなく、有機物が出入りしづらい。夏場でも14℃前後と年間を通して水温が低いため、植物も含めてあらゆる生物が生息しにくい環境にある。これらの要因から湖水に不純物の発生する条件が少なく、高い透明度を保っている。中央にはカムイッシュ島が浮かび湖面にアクセントを加えている。アイヌの人々がカムイトー(神の湖)と名付け、まさに神の住む領域としてあがめてきたが、神秘的なたたずまいはその名にふさわしい摩周湖を訪れる。

通称表摩周と呼ばれる、摩周湖南側の外輪山を走る道道沿いにある展望台。もっともポピュラーなのが第一展望台だ。物産センターを兼ねた大型レストハウスや大型駐車場が整備され、いつも多くの人で賑わう摩周湖第一展望台から眺望する。

摩周第一展望台から北に約4km。第一展望台に比べて標高が高く、訪れる人も少ないので、静かに湖の眺めを楽しむことができる摩周湖第三展望台から眺望する。

川湯温泉の南側にある、標高512mの小高い活火山。茶色の地肌がむき出しの山麓から山頂にかけて無数の噴気孔があり、硫黄分を含んだ白煙が上がっている。裾野はエゾイソツツジの大群落があり、6月中旬から7月上旬には純白の花が一斉に咲き誇る硫黄山を訪れる。

周囲57kmの屈斜路湖は、阿寒国立公園で最大、道内でもサロマ湖に次ぎ2番目に大きい。アイヌ語で湖が川になり流れ出すところを意味するクッチャロが語源。南岸に和琴半島が突き出し、湖上に中島が浮かぶ屈斜路湖を訪れる。

かつてはパンケトー、ペンケトーとともに古阿寒湖というひとつの湖だったが、約6000年前に起こった雄阿寒岳の噴火により現在の3湖に分かれたといわれている。湖上には大小4つの島が点在。南岸には阿寒湖温泉が湧き、道内屈指の人気観光地。マリモ(特別天然記念物)が生息し、ヒメマスの原産湖として有名な阿寒湖を訪れる。

道東自動車道経由して富良野から旭川空港に向かう。

17:00旭川空港到達。
17:50旭川空港出発
19:20伊丹空港到達。

今回の旅行、北海道の東に位置する原生林や湿地帯が豊かな姿を今に留め、火山活動も活発なブロックである道北に足を運び、流氷観光の町として知られる紋別、

オホーツク海と全長20kmの砂しによって区切られて出来た北海道最大の湖・サロマ湖、日本有数のホタテやカキの養殖地として知られ、又ワッカ原生花園は300種以上の草花が生息する海岸草原が位置するサロマ湖エリア、

オホーツク海を望む港町、有名な網走刑務所のが存在する網走、

北半球で流氷が到達する南限の地、流氷に始まり、海と川と陸が有機的につながっていて、多くの野生動物が暮らす聖地を原生のまま残している世界自然遺産に登録された知床半島、

北海道東部に広がる起伏の少ない台地が果てしなく続く根釧台地、荒涼とした風景が広がるトドワラがある野付半島がある中標津、

火山によって生まれた屈斜路・阿寒の大カルデラを中心とするエリア、原生林に包まれた阿寒湖・摩周湖・屈斜路湖の雄大な眺めと道内屈指の温泉郷が待っている阿寒国立公園

2泊3日のドライブ観光堪能しました。

関西は梅雨明け宣言でしたが、さすが北海道、まだ梅雨は明けておらず、はっきりしない天気でした。18日19日とも朝晩は雨、時々猛烈な雨が降りましたが運よく昼間は晴れて大自然の風景を視界良く、クリアに美しく望むことが出来ました。特に知床半島の五湖、阿寒国立公園の摩周湖・屈斜路湖・阿寒湖は美しさは圧巻でした。

特に摩周湖は3回目ですが今回の訪れは今までにないすばらしく美しい神秘的な摩周湖を望むことが出来、感無量でした。

何回訪れても飽きの来ない北海道の風景、広大ですが、遠方には険しい山並が聳え、道路は広くて、真っ直ぐ、車も少なく、渋滞知らず、ストレスのないドライブを楽しむことが出来ます。

2泊3日で走行距離1320km、飽きの来ない疲れを感じさせない北海道ドライブ、本州とは全く違った地形、これからも時間が取れれば何回も訪れたい北海道ドライブ観光でした。

















飛行機で国内&海外の観光地巡り第六十七弾:北海道旭川&天売島&焼尻島&富良野観光
2009年7月18−20日


今回は北海道第二の都市旭川、100万羽の海鳥が生息する天売島、オンコの森と一面の牧草が大地を覆う焼尻島、広大なラベンダー畑で有名な富良野・美瑛、自然が繰り成す大迫力の景観、大雪山麓の層雲峡に足を運びました。

18日15:00神戸空港から出発
16:55新千歳空港到達、レンタカーで道央自動車道経由して旭川方面に向かう。
19:00旭川到達、市街地を散策して食事を済ませてから床に就く。
19日4:00レンタカーで出発、羽幌方面に向かう。天候曇りのち雨
途中、留萌のかつてニシンの見張り台でもあった岬は、夕陽に映し出されたニシンの群がきらきらと黄金色に輝きながら岸をめがけて押し寄せたことから呼ばれた黄金岬を訪れる。

日本海岸線沿いを北上し 日本最北端の国指定重要文化財、平成13年には北海道遺産にも認定され、明治38年頃に建築され、道内で現存する番屋では最大の規模を有し、当時雇い人が200人を超えた大鰊漁家。道の駅を併設し、年間を通じて公開されている旧花田家番屋を訪れる。

約3500uのバラ園と約7000uの芝生からなる広々とした開放的な空間。北方系も含め300種類以上、約2000株の花々が6月から9月まで咲き誇るはぼろバラ園を散策する。

道北西海岸の地平線と水平線を堪能でき、日本とは思えない光景を感じさせてくれる場所。遠く浮かぶ利尻富士をを染めながら落ちる夕陽を求め毎年訪れる人がいるみさき台公園を散策する。

道の駅富士見裏に広がる、41ヘクタールの敷地を持つ公園です。キャンプ場やバーベキューハウス、野外ステージ、遊歩道が整備されているほか、特色ある3コースが自慢のパークゴルフ場もあり、アウトドアレジャーを楽しむことができる富士見ヶ丘公園を散策する。

8:00羽幌港から高速艇で天売島に向かう。
9:00天売島到達、レンタカーで島巡り。
北海道留萌管内苫前郡羽幌町にある羽幌港の西30kmの日本海に浮かぶ。島の東側に並んで浮かぶ焼尻島とともに羽幌町に属している。面積5.50km2、人口は398人の天売島。

多数のオロロン鳥の繁殖地であった天売島。そのシンボル・赤岩は、海中から突き上げる鋭い矢尻の形をした、海抜48メートルの垂直岩です。周辺は赤岩の展望台として整備され、赤岩を望む険しいルートは階段に取り付けられ、赤岩が間近に迫る展望台から海鳥観察ができます。赤岩の展望台一帯の斜面は直径20センチほどの穴を掘って巣を作るウトウや草地に営巣するウミネコの繁殖地で、5〜7月には海鳥たちの子育てが間近で観察できるチャンスがある赤岩展望台を訪れる。

島の最高点に近接していて、西海岸の壮大な断崖絶壁群のスタート地点であり、海鳥繁殖地の中心ポイントに設けられています。海鳥の繁殖期は4月から8月までるシーズン中、観察舎内に設置つれている50倍の無料望遠鏡を覗くと断崖の岩棚ではウミウの子育て、海岸にちりばめられた岩礁で遊ぶ赤い足をしたケイマフリなどを見ることができる海鳥観察舎を訪れる。

断崖絶壁の終点が観音岬展望台で海鳥の繁殖地の終点でもあります。島内きってのウミネコの繁殖地で、カモメが空を覆い尽くすその数の多さと鳴き声に圧倒される百数十メートルの断崖絶壁群を恐々覗く観音岬展望台を訪れる。

最新情報がつまった天売島ウォッチングの拠点施設、海鳥だけでなく花や渡り鳥などの最新情報の天売島海鳥情報センター、海の宇宙館を見学。

10:30天売港フェリーで出発、焼尻島に向かう。
11:00焼尻島到達、観光ハイヤーで島巡り。

百年の計をたて、森を譲った焼尻人の先人たち。空を覆う自然林と、野鳥、野生の花の宝庫の焼尻島。

848年(嘉永元年)米国捕鯨船の船員ラナルド・マグドナルド(24歳)が鷹巣付近に漂着しました。その後単独で利尻島に渡り、松前藩に引き渡されます。松前藩から長崎に引き渡され、密入国者として監獄生活を送りながら役人に英語を教え、7ヶ月後に本国へ帰されます。英語を習った役人は、後の黒船来航の折りには通訳として活躍しました。日本初の英語教師のマクドナルドの漂流地を訪れる。

島の西南部の岬に広がる草原で、さえぎるものは何もない開放的な空間です。目の前には武蔵水道を挟んで約4キロ離れた天売島、東は手塩山系が連なり、南に暑寒別岳と雄冬岬の海岸線が走っています。そして北は、利尻島が陽炎のように水平線に揺れるなど、北の海全体が見通すことができる鷹の巣園地を訪れる。

道指定有形文化財の旧小納家をそっくり焼尻郷土館として解放しています。明治33年の建造で、外観はモダンな洋風の木造建築が見事です。小納家は石川県出身で、漁業、呉服、雑貨商などを営み、郵便・電信局の許可を受けていました。展示物には小納家の家具や生活用品の他、当時の逓信機器などが残されている焼尻郷土館を見学。

焼尻島の森は本道の森とは趣を異にしています。一部の樹木は天高く延びずに、上から押しつぶされたように得たが横に広がった匍伏型樹形や風圧に押されたように風下に傾いたまま成長した風衝型樹木。希有性森林相と言うのだそうで、この自然の力を素直に受け入れた樹木はミズナラやイチイに多く見られます。大陸からの強く激しい季節風や、雪の重みによるものだといわれ、森が深いために、若木は陽光を求めて木漏れ日を探しながら成長したためだと言われています。特に普通だと高さ15メートルに成長するオンコ(イチイ)が焼尻島のオンコの荘は高さわずか1メートル、その枝の広がりは直径10メートルを超える末広がりの巨木ぞろいなのオンコの荘を散策する。

13:10高速艇で焼尻島出発
14:10羽幌港到達、レンタカーで旭川に向かう。
17:00旭川到達、市街地を散策して食事を済ませて床に就く。

20日4:00出発、天候晴れ、層雲峡方面に向かう。
石狩川の上流、24kmに渡り柱状節理の断崖絶壁が続く渓谷。雪渓からは多くの滝が流れ落ち、周囲の原生林とともに見事な景観を見せている。かつてアイヌ語でソウウンベツ(滝の多い川の意)と呼ばれていたことから、1921年(大正10)、評論家・随筆家の大町桂月によってなずけられた層雲峡を訪れる。

温泉街から大函・小函へ行く途中にある滝で、流星の滝は約90mの落差を激しく流れ落ち、銀河の滝は120mの落差を水が白糸のように穏やかに落ちる様子から、男滝・女滝とも呼ばれている2つの滝を訪れる。

銀河・流星の滝から約2kmの所に柱状節理の岩が作り出す約160mの高さにまで及ぶ大迫力の絶壁が続く小函があります。小函からさらに2.5km進むと柱状節理でもより巨大な岩の断崖が続く大函があり、地球的規模の自然が創り出す圧巻の光景をまのあたりにすことができます。

標高1984m。5合目までロープウェイで7分、さらに7合目まではペアリフトで約15分で上がることができ、6月中旬〜8月には目の前に花畑が広がる黒岳を訪れる。

大雪山西方に向かう。
天津岩、涙岩、七福岩などさまざまな形の忠別川が造った柱状節理の断崖絶壁が続く渓谷、天人峡を訪れる。

天人峡の温泉街から忠別川の上流に向かい、探勝路を600mほど歩くと見えてくる天人峡最大のみどころ。落差は270mと北海道第一位を誇り、日本の滝百選にも選ばれている。断崖を7段にわたって岩肌をつたい落ちる繊細できめ細かい滝の流れは、その名の通り天女の羽衣を連想させる羽衣の滝を訪れる。

標高2291m。大雪山連峰の主峰で、北海道最高峰。高緯度にあるため本州の3000m級の環境があり、天女ケ原の湿原特有の植物、姿見の池やその周辺に咲く40数種類の高山植物などが観賞できる。日本では大雪山系だけにいるウスバキチョウ(天然記念物)、天然記念物に指定されている6種類の高山蝶、エゾナキウサギやエゾシカなど、多くの昆虫や動物が生息している旭岳をロープウエイで登り散策する。

旭川方面に戻る。
動物を自由に見せる、独自の行動展示で全国から注目の動物園。トンネル型の通路から空を飛ぶように泳ぐペンギンを見ることができるぺんぎん館や、300kgの巨体がダイビングし泳ぎ回るほっきょくぐま館、水槽とつながった円柱水槽(マリンウェイ)をアザラシが自由自在に行き交うあざらし館、地上17mの空中散歩を見られるおらんうーたん館など人気の施設が多い。新施設オオカミの森もオープンした旭川市旭山動物園を訪れる。

富良野・美瑛方面に向かう。

国道237沿いの丘のうえにあり約3,000本のラベンダー・ひまわり・ポピーが咲き誇ります。か・香・遊ゼルブだそうです。丘の上の広い芝生で人生の骨休みできるゼルブの丘を散策する。

十勝岳を背にスッと立つポプラの木、何かとてもかっこいいですね、スカイラインのCMで使われたことで有名なケンとメリーの木を訪れる。

1977年(昭和52)、日本たばこのマイルドセブンのCMに使われた丘。豊かな黒土に新緑のアクセントが美しい春、紫色のラベンダーや白いジャガイモの花が咲き誇る夏、黄金色の小麦が揺れる実りの秋、丘一面が白一色に染まる冬。四季折々に表情を変える丘の風景は、まるで生きている絵画のよう。防風林に沈む夕陽も美しく、人気のシャッターポイントになっているマイルドセブンの丘を散策する。

美瑛の丘を見下ろす高台にあり、その2階からは視界を遮るものがない絶景の風景を眺められる。天候に恵まれれば大雪山連邦や、北側には水沢ダムも望める千代田の丘 見晴台を散策する。

小学校の校舎を再利用し、風景写真家・前田真三の作品が展示されているギャラリー。美瑛の美しい風景を日本中に知らせることとなった多くの作品をじっくりと鑑賞することができ、前田氏自身が撮影したハイビジョン映像も放映されている拓真館を見学。

大雪山系の眺望がすばらしく、東京ドームの約3倍の広さに春から秋まで数十種類の草花が見られる四季彩の丘を散策する。

総面積は15万m2で沿線最大規模の花畑。ラベンダーよりもジャーマンアイリスが有名なフラワーランドかみふらのを散策する。

人気ドラマ北の国からの貴重な資料を、歴史を感じさせる大きな倉庫を改装して展示しています。思い出のあのシーンが、鮮やかによみがえる北の国の資料館を見学。

富良野市の開基80周年を記念して造成したラベンダー園。3万4,000平方メートルにも渡って広がるラベンダーの花畑は、あまりの広大さにラベンダーの海と呼ばれているほどのハイランドふらのラベンダー園を散策する。

三笠方面に向かう。
別名化石の博物館とも言われ、天然記念物エゾミカサリュウ化石をはじめ、アンモナイト等1000点以上の展示物があります。また、北海道初の炭坑のまちとして栄えた歴史を刻んだ資料や、三笠の豊かな自然を知ることができる屋外博物館なども整備されている三笠市立博物館を見学。

道央自動車道経由して
18:00新千歳空港到達、食事を済ませてから
19:40新千歳空港出発
21:50関西国際空港到達。

今回の旅行、北海道の離島でまだ訪れていない100万羽の海鳥が生息する天売島、オンコの森と一面の牧草が大地を覆う焼尻島に足を運び、北海道の離島はすべて制覇しました。残念ながら当日天気が悪く、海が荒れ帰りの船便が欠航の恐れがあるため2島とも観光時間を短縮して巡り、予定より早く北海道本土の羽幌に戻りました。しかし運よく2島とも一周12kmの小さな島、レンタカー、観光ハイヤーを使って十分な名所巡りできました。

翌日は一転して天候がよくなり、絶好の観光日和、夜明けと共に出発し大雪山連峰を東と西とから攻め、高さ200mほどの断崖絶壁が連なる眺めは壮観の一言の層雲峡と2つの滝、西麓に抱かれる大雪山連峰の最高峰旭岳をロープウエイで登り、山頂からの360度の雄大な景色と群生する高山植物に目を向けて楽しめました。
又天人峡の日本の滝100選にも選ばれている落差270mの羽衣の滝は圧巻でした。

富良野・美瑛に向かい、いたるところにラベンダーを主とする広大は農園、お花畑の美しさはすばらしいものがありました。

2泊3日の北海道中央から北西のエリア、2つの離島を含めてドライブ観光旅行堪能しました。

北海道、本州と違って広大な平野、地平線を目の前にしてのドライブコース、そして険しい山脈、何回訪れても飽きのこないすばらしい景観を魅了させられます。
これからも頻繁に訪れてみたい北海道ドライブ観光旅行でした。


















飛行機で国内&海外の観光地巡り第四十弾:北海道帯広&釧路&根室観光
2008年9月13−15日


今年2回目の北海道旅行で今回は道東の牧場が点在する帯広、大湿原の釧路、北方領土を一望できる本土最東端の納沙布岬のある根室に足を運びました。

13日14:55神戸空港出発、
16:45新千歳空港到達、レンタカーで帯広に向かう。
20:00帯広市街地のホテル到達、市街地を散策して十勝名物十勝産豚の厚切りロース肉の炭焼きの食事を済ませてから宿を取る。

14日天候快晴、絶好の観光日和、7:00レンタカーで出発。
近代的で斬新な帯広駅を写真に収めてから南に向かう。
愛の国から幸福へで有名な旧国鉄広尾線の駅で、現在は交通記念館として、当時使用していた切符やSLなどを展示する旧愛国駅交通館、旧国鉄広尾線の幸福駅が当時のまま残されている幸福鉄道公園を見学。

1万8000坪もの敷地に約2500種類の花が植えられている紫竹ガーデン遊華に寄ってから壮大な十勝平野を一望する展望台のある公営牧場、八千代公営成牧場を散策。

広さ6万坪、樹齢50年の小柏原生林の中に、十勝ゆかりの画家や彫刻家の作品が展示されたミュージアム、中村内美術村に寄ってから旧虫類村で1969年に発見された全長4,3mのナウマン象の復元骨格や化石を展示する虫類ナウマン象記念館を見学。

日高山脈を突っ切るような広尾、浦河間を結ぶ国道236号、途中の全長4232mで道内最長の野塚トンネルを存する天馬街道を通過して若いサラブレッドのトレーニングを見学でき、展望台から場内を一望できるJRA日高育成牧場、自然の中で観光乗馬などを体験できるうらかわ優駿ビレッジAERUを訪れる。
競走馬に関する資料や有名レースのビデオ、馬具や馬車などを展示している馬事資料館、隣接する浦河町立郷土博物館を見学。

海岸線に沿って襟裳方面に向かう。
白亜の灯台がシンボルで風速10km以上の日が年間290日以上もあるという風の強い岬、岬から続く岩礁地帯はゼニガタアザラシの生息地として有名な襟裳岬を訪れる。風がテーマのミュージアム、風速が25mの強い風を体験でき、眼下の岬にすむゼニガタアザラシを館内から観察できる襟裳岬風の館を見学。

北に向かいえりも町から広尾町までの国道336号は太平洋の荒波が押し寄せ、迫力満点の黄金道路を通過して海岸線に沿って東方面釧路に向かう。

タンチョウを自然のままに放し飼いしている自然公園、絶滅の危機にあるタンチョウを保護する釧路市丹頂鶴自然公園を散策。
釧路市街地に入り釧路市の中心部北大通から対岸の南大通りまでをつなぐ橋、橋梁には4体のブロンズ像を配置する幣舞橋を通過して明治から大正時代にかけて湾港を中心に栄えた釧路市の歴史を学べる資料や釧路ゆかりの歌人、石川啄木の関連資料を展示した資料館、港文館を見学。
釧路市発祥の地、米町にある釧路港を一望できる公園、米町公園を訪れる。

19:00釧路駅近くのホテルに到達、釧路市街地を散策して炉端焼き発祥の地である釧路の炉端店で食事を済ませてから宿を取る。

15日天候快晴、2日間とも共天候に恵まれる。6:00レンタカーで出発。
釧路駅を写真に収めてから根室方面に向かう。

厚岸湾を一望でき、鐘を鳴らせば愛が実るとされる愛の鐘ベルアーチがある愛冠岬を訪れる。
チンベの鼻と呼ばれる海に突き出た台地にある原生花園あやめヶ原を散策、広大な霧多布湿原の広さを楽しめる展望台、湿原を蛇行しながら流れる琵琶瀬川を一望し、湿原の反対側は馬が放牧された草原、その向こうには大海原が広がる琵琶瀬展望台を訪れる。
約3200haという広さを誇る湿原、一面に花が咲き乱れる原生花園、霧多布湿原を散策する。

根室半島から納沙布方面に向かう。
北方領土の存在を目のあたりにできる本土最東端の岬、周辺は望郷の岬公園として整備されている納沙布岬を訪れる。
北方領土関係の古地図や写真などの資料が展示され、又歯舞群島や国後島を見れる展望室のある北方館・望郷の家を見学。
雄大な納沙布岬において、ひときわ目立つ存在の白い塔で高さ約100mもあるノサップ岬平和の塔の最上階の展望台に上がり岬を一望する。

根室市内に向かう。
北海道で2番目に古い牧場の跡地を利用した公園で園内には3基のレンガ造りのサイロがある明治公園を散策。
最東端の駅、東根室駅、根室線の終点の駅、根室駅に寄ってから北方四島の歴史や生活、返還運動に関することを、資料や映像で紹介する北海道北方四島交流センターを見学。

釧路方面に戻る。
動植物を育む日本最大の湿原、釧路湿原の横断道路、釧路湿原農道を通過して1階は写真パネル、2階は湿原の生い立ちや動植物、遺跡、地形などの資料が展示され3階は展望室となっている釧路市湿原展望台に到達、見学。
見学後約2kmの展望台コースを散策。

5キロほど北に向かい釧路湿原の生の姿に触れられる、約4kmの温根内木道コースを散策。

16:00釧路空港に向かう。
16:30釧路空港到達。
17:55釧路空港出発。
20:05関西国際空港到達。

今回の旅行、牧場が点在する日高山脈や激しい自然が生み出す地の果ての光景、濃霧が立ち込める風の断崖岬でゼニガタアザラシが生息する襟裳岬や太平洋の荒波が押し寄せ、迫力のある黄金道路が位置する帯広地域、動植物を育む日本最大の湿原が存する釧路地域、北方領土の存在を目のあたりにできる本土最東端のノサップ岬が存する根室地域、2泊3日で走行距離1000km超えてのドライブ観光、広大な北海道の大自然に接して堪能しました。

尚出発前に台風と地震に懸念された道東旅行、当日はまったく問題なく天候は2日間とも快晴で気温も高く、絶好の観光日和、多くの観光名所を訪れ散策して自然に接することが出来、又グルメでは帯広の十勝名物十勝産豚の厚切りロース肉の炭焼き、釧路では炉端焼き発祥の地である釧路の種々の炉端焼きを頂き満足できました。

しかし根室方面に向かう海岸線道路を通過中、周辺は野生のシカが住み着いておりシカに注意の看板がところどころ見受けられ、運悪く、走行中、シカが猛スピードで横切ろうとし、避けるために私の車を急ブレーキかけ減速してかろうじて軽く接触しただけで難を逃れました。
動物の突然の飛び出し、以前も何回かは経験したことがありますがシカのような大きな動物は初めてで、まともにぶつかっていればどうなってたんでしょうか、皆さんも動物にはくれぐれも注意してくださいとの経験、体験談でした。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第三十五弾:北海道函館&奥尻島観光
2008年7月19−21日


今回は北海道に足を延ばして異国情緒あふれる観光地函館と、うにの名産で有名な奥尻島に行ってきました。

19日14:55関西国際空港出発
16:45新千歳空港到達、レンタカーで江差に向かう。
道央自動車道経由して9:00江差の宿に到達。
近くの居酒屋で食事を済ませてから床につく。

20日5:00レンタカーで早朝、江差周囲の観光名所を訪れる。
天候晴れ、ニシン漁で栄えた歴史的町並みを散策、漁業や廻船問屋で財を成した由緒あるニシン御殿、横山家、国指定の重要文化財、旧中村家住宅を見学。
16世紀前半に上の国で創立し江戸時代に江差に移転した法華寺、東洋のグランドキャニオンと呼ばれる白亜の断崖、館の岬、幕末にオランダで建造された幕府軍艦開陽丸をオランダに残っていた設計図をもとに復元した開陽丸青少年センターを訪れる。
ニシン漁と北前船の交易で栄えた江差、その拠点となった天然の港があった島、かもめ島を散策する。

7:00江差港からフェリーで奥尻島に向かう。
9:10奥尻港到達、レンタカーで島巡り。

南に向かい、鍋の取っ手に似ていることから名がつけられた奥尻島のシンボルともいえる鍋釣岩、奥尻島の特産物キタムラサキウニをモチーフとした、高さ13mの巨大なモニュメント、トゲの数は120本あり、夜になるとトゲの一本一本が光り輝くうにまるモニュメント訪れる。
南端に存する北海道南西沖地震での記憶、奥尻島の歴史を展示スペースや映像ホールで知ることの出来る奥尻島津波館を見学。
近くにある北海道南西沖地震への慰霊碑、時空翔を見学、中央にあるくぼみは震源の南西に向いていて、震災のあった7月12日には、夕日がそのくぼみへ沈むようになっている。

西に向かって北上して16haの敷地に5体の石像が点在する北追岬公園を訪れる。

北端に向かい海難犠牲者や幼少死亡者の慰霊地として信仰されてきた道南五霊場の一つで大小の石を積み重ねた無数の塔がその悲しみを物語る賽の河原を訪れる。
南に向かい江戸時代、島人は海の福の神弁天様の社を建てて大漁を祈願した宮津弁天宮を訪れる。

15:45奥尻港出発
18:00江差港到達、江差市街地を散策して食事を済ませてから宿を取る。

21日5:00レンタカーで出発、天候曇り

松前氏初代・武田信弘が1470年ごろ築いたとされる上之館勝山館跡を散策、海岸線を南に向かって走行。

1854年に築城された日本最後にして最北の日本式城建築、松前城跡、蝦夷地での交易を独占し、全盛期を迎えた松前藩の城下町を再現している松前藩屋敷を見学。
東に向かい北緯41度23分、北海道最南端にある白神岬、1492年建立の川濯神社に植栽されたご神木で根元の部分が膨れ上がっている形から命名された乳房桧を訪れる。
福島町出身の二代横綱である千代の山、千代の富士の記念館に寄ってから1896年フランスから数名の修道士が来日して創設した灯台の聖母トラピスト修道院を散策。
男爵イモの生みの親、川田龍吉男爵の記念館で明治から大正時代に欧米より取り寄せた所持品5000点を展示、日本最古の車ロコモビル蒸気自動車も展示する男爵史料館を見学。

函館方面に向かう。
香港、ナポリとともに世界三大夜景に数えられる函館山に上り昼間の左側の函館港、右側の津軽海峡に挟まれて函館市街が広がり、その先には駒ケ岳や横津岳などの山々が連なる風景を一望する。

下山して、文明開化の古き良き時代の面影を残す元町を散策。
函館市旧イギリス領事館と基坂を隔てて立つペリー提督の像、1859年の函館開港と共に設置された領事館、ペリー来航時の船の模型を展示し、当時の資料や立体映像などによる開港時の町の様子を紹介する函館市旧イギリス領事館、元町公園内には明治から昭和にかけて道南の政治の中核を担った場所、旧北海道庁函館支庁庁舎、国の重要文化財に指定されている1910年築のコロニアル様式の洋館、旧函館区公会堂、坂の上に函館八幡宮があったことが名前の由来で、元町の坂の中で特に眺めが良く、函館港と市街を一望できる八幡坂、1859年ロシア領事館附属聖堂として建てられた白い壁に緑色銅板張りの屋根と6個のクポーラがのったビザンチン様式のギリシャ正教会、函館ハリストス正教会、英国国教会の教義を説く日本最古の聖公会の教会、函館聖ヨハス教会、六角形の屋根に乗った風見鶏が目印のゴシック様式建物、カトリック元町教会を見学する。

函館港を目の前に存する赤レンガ倉庫が立ち並ぶベイエリアを散策してから幕末の激動の舞台となった五稜郭に向かう。

高さ107mの五稜郭タワーに上り五稜郭の星型の眺望をはじめ、函館山や津軽海峡、市街の北に連なる横津連峰の山並みを眺める。
タワーを降りてから五稜郭を散策。
箱館戦争の舞台となった五稜郭は北方警備強化のため建てられた要塞で西洋の最新城理論を取り入れた。

西に向かい1898年フランスから派遣された8人の修道女たちによって創設された女子観想修道院、トラピスチヌ修道院を散策する。

南岸線を西に向かい津軽海峡を望み北海道と本州を結ぶ最短地点がある恵山道立自然公園を訪れる。

北に向かい千歳方面、帰路に向かう。

18:00新千歳空港到達。
19:00新千歳空港出発。
20:40神戸空港到達。

今回の旅行、ニシン漁で栄えた豪商の歴史的建造物が立ち並ぶ江差。
北海道南西沖地震で被害を受け日本中知れ渡り又キタムラサキウニでも有名な奥尻島でウニ丼をお腹一杯いただき、数多くの奇岩等の自然遺産観光、地震の被害と教訓を伝えてくれる施設見学。
世界三大夜景の一つの函館山からの昼間の風景を眺望。
文明開化の古き良き時代の面影を残す、異国情緒あふれる函館のまちの散策、ニ泊三日の旅、満喫しました。








飛行機で国内&海外の観光地巡り第六弾:北海道利尻&礼文&稚内&宗谷観光
2007年9月15−17日


今回の観光旅行は日本の最北端、北海道利尻・礼文・稚内・宗谷に行ってきました。

15日14:40ジェット機で関西空港出発、16:50稚内空港到達、天候小雨、シャトルバスで稚内駅に向かう。17:30稚内駅に到達、駅付近で宿を取る。夕食は宿の近くの有名な郷土料理のお店で自慢のタコシャブ等郷土料理をしっかりいただきました。又お店で埼玉県からの旅行客男性2人女性2人と意気投合して4時間あまりもお話が進み、旅行の情報交換等で盛り上がりました。

16日天候は前日と打って変って快晴、風も弱い、稚内は年間を通して風が強い日が多いが今日は運良く風弱く、波も穏やか、7:00フェリーで利尻島鴛泊港に向かう。快適な船旅でした。

8:40鴛泊港に到達、レンタカーで島観光、ペシ展望台、夕日ヶ丘展望台、野塚展望台で海岸線を眺望してから富士見野園を散策、利尻山に向かって甘露泉水、見返台園地を訪れてから沓形岬公園、仙法志御崎公園、南浜湿原、をも訪れ、利尻町立博物館、、利尻島郷土資料館を見学、又2つの湖オタトマリ湖、姫湖は利尻富士を背景とした風景はすばらしかった。利尻島は北海道の利尻礼文サロベツ国立公園にある小さな島ですが標高1721mの大きな利尻山(利尻富士)が聳え立っておりどこからもそのすばらしい景色を望むことができました。

14:15利尻島鴛泊港出発、14:55礼文島香深港到達、レンタカーで観光、桃岩、猫岩、地蔵岩、高山植物センター、久種湖、西上泊、スコトン岬を訪れました。礼文島は他に名所がたくさんありますが車ではいけない場所が多く、多くの観光客はトレッキングを楽しみながら観光巡りされていました。当然時間は掛かり歩いて礼文を満喫するには2日間は必要でした。
18:00礼文島香深港近くで宿を取る。宿泊客は皆さん一人旅で利尻、礼文両島は一人旅の方がたいへん目立っていました。

17日天候曇り、風強い、9:05礼文島香深港出航、稚内港10:55到達、レンタカーで観光。稚内港北防波提ドーム、稚内公園、稚内市開基百年記念塔、ノシャップ岬、を訪れてから利尻礼文サロベツ国立公園にある日本海オロロンラインを経由してサロベツ原生花園見学、その後大沼バードハウスを訪れてから日本海オロロンラインを経由して日本の最北端宗谷岬到達、宗谷岬平和公園、宗谷丘陵を訪れて帰路の稚内空港に向かう。
16:00稚内空港到達、17:25ジェット機で出発、19:55関西国際空港到達。

今回の旅行、日本の最北端岬、最北端宿、最北端レストラン、最北端ガソリンスタンド等、最北端ずくしで、又利尻の壮大なすばらしく綺麗な利尻富士、礼文の高山植物の貴重な群落、利尻礼文サロベツ国立公園に存在する、すばらしく綺麗な海岸線と高山植物の群集の山並みの風景を見ながらドライブできる日本海オロロンライン堪能しました。