群馬

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百三十八弾:群馬県お城・城下町巡り観光
2018年6月23日−24日
 

関東地方の北部、源義重を祖とする新田氏が、上野国で勢力を持つが、やがて南朝方として敗戦にまみれる。南北朝の内乱が収束しても、各地で戦いが発生し、幕府は関東管領として上杉氏憲を立てたが、混乱の時代が長く続いた群馬県に足を運び群馬県に点在する比較的マイナーなお城8か所を訪れました。

23日15:50新大阪駅新幹線のぞみで出発
18:23東京駅到達。
18:40東京駅新幹線あさまで出発。
19:33高崎駅到達、駅前のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
24日8:00レンタカーで出発、お城巡り。

小泉城:延徳元年(1489年)富岡直光によって築かれた。 直光は足利成氏が鎌倉公方になったとき、邑楽郡に所領を得て館を構えた。 富岡氏は古河公方に属していたが、後に越後国上杉氏、小田原北条氏に従った。

館林城:弘治2年(1556年)赤井照康によって築かれたと云われるが定かではない。 越後上杉氏が関東に進出すると足利長尾氏が城主となるが後に北条氏の支配するところとなり北条氏規が城主となった。
小田原の役では石田三成が攻め寄せるが落城せず後に開城する。
北条氏滅亡後に関東に入部した徳川家康は榊原康政を十万石で入れた。 榊原氏は3代続いた後、陸奥国小峰に転封となり替わって大給松平氏が入封する。 寛文元年(1661年)3代将軍徳川家光の四男綱吉が二十五万石で入封する。 綱吉が将軍となるとその子徳松が城主となるが徳松の死によって館林城は破却された。
宝永4年(1707年)6代将軍家宣の弟松平清武が二万四千石で入封し築城し直した。 のち太田氏、松平氏、井上氏、秋元氏と入れ替わり明治を迎えた。

白井城:築城年代は定かではないが永享年間(1429年〜1441年)山内上杉氏の被官である長尾景仲によって築かれたと云われる。

景仲の孫景春は関東管領上杉顕定に叛いて古河公方に付き、武蔵国鉢形城に籠った。 顕定は鉢形城を包囲するが、古河公方の援軍もあり、和議となる。 その後も景春は顕定に対抗するが永正2年(1505年)白井城に復帰した。

越後の長尾為景が上杉房能(顕定の弟)を自害に追い込んだ為、永正6年(1509年)顕定と嗣子憲房は為景を討つべく侵攻、景春は為景に応じて白井城で顕定を迎え撃ったが憲房に破れ、柏原城へと退いた。 顕定は一時為景を越中に追いやったが、翌年長森ヶ原合戦で為景に破れ討死、憲房は白井城へと退いたが、さらに景春に破れ平井城に退いた。

天正18年(1590年)豊臣秀吉が北条氏を攻めた小田原の役の時は、北条氏に属していたが、松井田城を攻略した前田利家、上杉景勝の軍勢に攻撃され開城した。

岩櫃城:築城年代は定かではない。建久年間(1190年〜1198年)頃には岩櫃城主として吾妻太郎助亮が登場している。

その後、下河辺行重の孫という行盛が貞和5年・正平4年(1349年)碓氷の里見義時と戦って敗れて自刃し、その子憲行が叔父の安中の斎藤梢基の養子となり、延文2年・正平12年(1357年)上杉憲顕の属して里見義時を討ち、岩櫃城を回復したという。

永禄4年(1561年)頃より武田信玄は西上野に侵攻し、永禄6年(1563年)真田幸隆によって岩櫃城は攻略され、斎藤憲広・憲宗父子は越後の上杉謙信を頼って落ちた。永禄8年(1565年)斎藤憲宗は上杉氏の援軍を得て岩櫃城の奪還を目指したが武田信玄が箕輪城へ着陣した報を受け嵩山城に退いた。その後嵩山城は真田幸隆によって攻略され斎藤氏は滅亡した。

天正2年(1574年)真田隆幸が没し、天正3年(1575年)長篠の合戦で幸隆の長男信綱と次男昌輝が討死すると、武藤氏を継いでいた三男昌幸が真田に復姓した。 天正10年(1582)武田勝頼が甲斐国新府城を捨てて体制を立て直そうとした際に、昌幸は岩櫃城へ勝頼を迎えようとしたが実現せず、勝頼は小山田氏を頼ったが途中天目山にて自刃、武田氏は滅亡した。

関ヶ原合戦の後、真田信之の持城となったが、元和の一国一城令により廃城となった。

長井坂城:長井坂城の築城年代は定かではありませんが、上杉謙信が沼田城の沼田顕泰を攻めた際にこの地に着陣したのが起源とされています。その後、度重なる謙信の関東出陣の際には、沼田城から厩橋城の間を繋ぐ拠点として整備されました。1580(天正8年)年8月には武田勝頼配下の真田昌幸により攻略され、さらに武田氏滅亡後の1582年(天正10年)年10月には鉢形城主・北条氏邦によって攻め落とされました。このとき長井坂城には猪俣邦憲が入り、沼田城攻略の最前線となりました。現在、城址の大半は農地化していますが、沼田街道を取り込んだ縄張り、土塁や堀切などの遺構を確認することができます。

沼田城:天文元年(1531年)沼田顕泰によって築かれた。 天文20年(1551年)関東管領上杉憲政の越後国亡命を追って、小田原北条氏が侵攻し、顕泰はこれに降った。 しかし、永禄3年(1560年)上杉政虎の関東進出により、北条勢は沼田より退去して顕泰は上杉氏に降った。

永禄12年(1569年)顕泰は末子景義に相続させるため、嫡子朝憲を殺したが、沼田衆の攻撃により景義とともに会津に落ち延びた。

上杉謙信没後に勃発した「御館の乱」で景虎が敗れると沼田に残った藤田信吉は武田氏に通じ、城を真田昌幸に渡し、昌幸は叔父矢沢頼綱を城代とした。

天正10年(1582年)武田氏が滅びると、滝川一益は滝川益氏を城主としたが、本能寺の変により退去し再び真田氏の持城となり、嫡子信幸を矢沢頼綱後見のもと城主とした。 天正17年(1589年)昌幸は、北条氏が上洛して羽柴秀吉に面することの条件として、沼田領を北条氏に割譲する条件をのみ、北条方の猪俣邦憲が城代となった。 しかし、邦憲は真田領として残された名胡桃城を奪取、それをきっかけに秀吉は北条氏を討伐することとなった。 小田原の役の後、沼田領は真田信幸に渡された。

関ヶ原合戦では、父昌幸は西軍、信幸は東軍に属し、合戦後信幸は昌幸の旧領を与えられた。
元和8年(1622)年信幸は信濃国松代に移り、後に二男信政に信濃国松代十万石、信利に沼田三万石とした。 沼田真田氏は天和元年(1681年)改易となり、元禄16年(1703年)本多正永が下総国内より入封、享保15年(1730年)駿河国田中に移封となる。 享保17年(1732年)常陸国下館より黒田直邦が入封、寛保2年(1742年)直純の時、上総国久留里に移封となり、替わって駿河国田中より土岐頼稔が入封、以後明治に至る。

名胡桃城:築城年代は定かではないが明応年間(1492年〜1501年)に沼田景冬によって築かれたと云われる。景冬は沼田城主沼田景久の三男で名胡桃氏を称した。

天正7年(1579年)真田昌幸は沼田城攻略のため名胡桃城に入り、翌8年に沼田城を攻略した。その後は真田家の重臣鈴木主水重則が城主となった。

天正17年(1589年)豊臣秀吉の裁定により沼田は北条領となったが、名胡桃城は真田氏の持城として維持することとなった。しかし、沼田城代であった猪俣邦憲が名胡桃城を攻略して奪ったため、秀吉の怒りを買い、小田原征伐の発端となった。

宮野城:築城年代は定かではない。上杉謙信が越山して関東に入るとき、度々この宮野城に入っている。

上杉謙信が没した後は、北条氏や滝川氏そして真田氏などの管理下に置かれた。

16:30終了高崎駅に向かう。
18:15高崎駅到達。
18:39高崎駅新幹線あさまで出発
19:32東京駅到達。
24日19:47東京駅新幹線のぞみで出発。
22:20新大阪駅到達。

今回の旅行関東地方の北部に位置する群馬県に足を運び群馬県にt冤罪する比較的マイナーなお城8か所をおとずれ楽しみました。
各城跡は公園に変貌しているところが多く遺残が少なく案内板のみで地味な城跡でした。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百七十七弾:群馬県お城城下町巡り観光
2016年10月15−16日
 

源義重を祖とする新田氏が、上野国で勢力を持つが、やがて南朝方として敗戦にまみれ、南北朝の内乱が収束しても、各地で戦いが発生し、幕府は関東管領として上杉氏憲を立てたが、混乱の時代が長く続いた群馬県に足を運び比較的マイナーなお城11か所を訪れました。

15日13:50新大阪新幹線のぞみで出発
16:23 東京駅到達
16:40東京駅新幹線Maxときで出発
17:30高崎駅到達、駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
16日8:00レンタカーで出発、お城巡り

高崎城:高崎城の前身は和田城で正長元年(1428年)和田義信によって築かれた。 和田氏は関東管領上杉氏に従って永享の乱に従軍した。
戦国時代には上杉政虎、後に武田信玄に属し、長篠合戦にも従軍したが武田氏滅亡後は小田原北条氏に属した。天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で和田信業は小田原城に籠城したが、この時和田城も落城、小田原城も開城となり、信業は紀伊国へ逃れたと云う。
高崎城は慶長3年(1599年)和田城跡に新たに井伊直政によって築かれた。 小田原の役の後に関東に入部した徳川家康は、はじめ井伊直政を箕輪城に置いたが、後に和田城跡に新たに縄張した新城を築かせた。 直政はここを高崎と命名するが慶長5年(1600年)関ヶ原合戦後に近江国佐和山に転封となった。
以後目まぐるしく城主が入れ替わる。
・慶長5年(1600年)井伊直政は近江国佐和山に転封。
・慶長9年(1604年)下総国臼井より酒井家次が五万石で入封、元和2年(1616年)忠勝の時、越後国高田に転封。
・元和2年(1616年)常陸国笠間より(戸田)松平康長が二万石で入封、元和3年(1617年)信濃国松本に転封。
・元和3年(1617年)常陸国土浦より(藤井)松平信吉が五万石で入封、元和5年(1619年)丹波国篠山に転封。
・元和5年(1619年)下総国小見川より安藤重信が五万六千五百石で入封、元禄8年(1695年)重治の時、備中国松山へ転封。
・元禄8年(1695年)下野国壬生より(大河内)松平輝貞が五万二千石で入封、宝永7年(1710年)(大河内)越後国村上に転封。
・宝永7年(1710年)相模国より間部詮房が五万石で入封、享保2年(1717年)詮言の時、越後国村上へ転封。
・享保2年(1717年)越後国村上より(大河内)松平輝貞が七万二千石で入封、以後明治に至る。

倉賀野城:築城年代は定かではないが応永年間(1400年)頃に倉賀野頼行によって築かれたと云われる。 倉賀野氏は武蔵児玉党の一派で、関東管領上杉憲政に従っていたが、城主倉賀野行政が川越付近の戦で討死した。 その子尚行は永禄3年(1560年)上杉政虎の関東進出に従い、翌永禄4年には上杉政虎に従い相模国小田原城に侵攻した。この後、反撃に出た小田原北条氏は、武田氏とともに倉賀野城に攻め寄せたが、これを撃退した。
永禄6年(1563年)上野国に侵攻した武田氏は、木部城を落とし倉賀野城に攻め寄せたがこれも撃退する。
しかし、永禄8年(1565年)に武田氏の攻撃で落城し尚行は上杉謙信を頼って逃れた。 落城に先立って永禄2年(1559年)頃、武田氏に降っていた倉賀野十六騎の一人、金井秀景が元亀元年(1570年)城主となり、倉賀野氏を称した。 秀景は後に小田原北条氏に属し、小田原の役では小田原城に籠城し、降伏開城後に死去した。

平井城:永享10年(1438年)上杉憲実によって築かれたと云われる。 憲実は関東管領山内上杉氏五代当主である。
上杉憲実は室町将軍足利義教と鎌倉公方足利持氏との確執が生じていく中、平井城と金山城は総社城主長尾忠房に命じて密かに築城させていたものだという。永享の乱(1438年)で足利持氏は上杉憲実を討つ為、一色直兼・時家三千騎を派遣し自身も五千騎を率いて武蔵国高安寺に馬を進めた。 憲実は密かに鎌倉を脱し平井城へ逃がれ、室町幕府に急使を派遣して援軍を要請した。 急使を受けた将軍足利義教は上杉持房を将として今川・朝倉・小笠原・山名などに憲実の救援を命じ、越後国からも上杉教朝が三千五百騎の援軍が到着した。 幕府軍は早川尻で持氏方を敗り、持氏は鎌倉へ戻ろうとしたが叶わず幕府軍に降り相模国の弥名寺で剃髪し、上杉憲実は幕府に持氏の助命嘆願行ったが叶わず、持氏は永安寺で自刃した。
享徳3年(1454年)鎌倉公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を暗殺すると、上杉房顕は平井城へ移り、以後関東管領山内上杉氏の本城となった。
天文年間(1532年〜1555年)山内上杉氏は小田原北条氏と度々戦ったが、天文20年(1551年)上杉憲政は平井城を捨てて越後国の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼って落ち延びた。その後、北条幻庵が平井城主となったが天文21年(1552年)長尾景虎の送った軍勢により攻め落とされ、平井城は破却された。

根小屋城:永禄13年(1570年)武田信玄によって築かれた。 箕輪城を攻略し西上野を手に入れた信玄は、山名城と鷹ノ巣城との間に新城を築き、信濃国から信頼のできる武将望月甚八郎・伴野助十郎を城主として、配下に治めた上野の諸将を見張らせた。

国峯城:築城年代は定かではないが小幡氏によって築かれたと云われる。 小幡氏は児玉党の一族で関東管領山内上杉氏に属しており、小幡憲重は箕輪城主長野業政の娘(妹とも)を室に迎えていた。
天文20年(1551年)関東管領上杉憲政が越後の長尾景虎を頼って越後へ落ちると、上杉氏に属していた諸豪族は越後の長尾氏、小田原の北条氏、甲斐の武田氏に別れ、小幡憲重・重定父子は天文22年(1533年)甲斐の武田氏に属した。これに対して長尾氏方へ付いた長野業政は留守中の国峯城を奪って一族の小幡景定を城主とした。
永禄3年(1560年)武田信玄は小幡氏に信濃国大日向で五千貫を与え市川馬之助兄弟などの南牧地衆を付けた。永禄4年(1561年)信玄は西上野に侵攻して国峯城を奪い返し、小幡氏を城主に復帰させた。
天正3年(1575年)長篠の合戦では小幡信真は赤備えの騎馬武者五百騎を率いて従軍している。この信真は小幡重定で、はじめ重定、武田晴信に仕えて信実、勝頼の代で重定、武田氏滅亡後に滝川一益に従って信貞、北条氏に従って信定と名乗りを改めている。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐では、小幡信定父子は家臣庭谷左衛門大夫に庭谷城と国峯城の守備を命じて小田原城に詰めたが、国峯城は上杉景勝の武将藤田信吉によって攻められ落城した。

松井田城:築城年代は定かではない。永禄年間(1558年〜1570年)初期に安中忠政によって築かれたと云われるが、それ以前に築城されていたという。安中忠政は甲斐の武田信玄に備えて松井田城を改修し、嫡子忠成を安中城へ置いて自身は松井田城に籠った。永禄2年(1559年)頃より武田信玄が西上野に侵攻し、度々松井田城を巡った争いがあったが落城しなかった。しかし永禄7年(1564年)安中城主の嫡子忠成は武田氏に降伏し、父忠政はそれでも松井田城に籠って防戦したが力尽きて開城した。 父忠政は自刃または切腹を申し渡されたが、嫡子忠成は所領を安堵され安中城主となり、松井田城は武田氏家臣市川国貞が城代となった。武田氏が滅亡すると織田信長の家臣滝川一益の所領となるが、織田信長が本能寺の変で没すると一益は伊勢へ逃れ、松井田城は北条氏重臣大道寺政繁が城主となる。 この大道寺氏時代天正15年頃に城は拡張され現在の縄張へとなったという。天正18年(1590年)豊臣秀吉による北条征伐では、前田利家率いる北陸勢によって攻められ、4月22日に政繁は降伏開城した。

安中城:永禄2年(1559年)安中忠政によって築かれたと云われる。 弘治年間頃より西上野に侵攻してきた武田信玄に備えるため、忠政は安中城を築いて嫡子忠成を置き、自身は松井田城を改修して籠った。
永禄2年(1559年)頃より武田信玄が西上野に侵攻し、永禄7年(1564年)安中城主の嫡子忠成は武田氏に降伏し、父忠政はそれでも松井田城に籠って防戦したが力尽きて開城した。 父忠政は自刃または切腹を申し渡されたが、嫡子忠成は所領を安堵され安中城主となった。
忠成改め安中景繁は天正3年(1575年)長篠の合戦に従軍し、景繁以下尽く討死して安中へ帰るものはなく廃城となって荒廃した。
慶長19年(1614年)井伊直勝が安中三万石を領して安中城を再築城した。直勝は井伊直政の長男で、彦根藩二代藩主となるはずであったが、病弱を理由に弟直孝が彦根藩を継ぎ、安中三万石を分与されて立藩した。
築城当初は陣屋程度の規模で、元禄15年(1702年)に内藤政森が入封し城主格が認められ城として改修している。

前橋城:天文3年(1534年)頃、長野賢忠によって築かれた。 天文3年(1534年)石倉城が利根川の氾濫によって崩れ去り残った三の丸を中心に築城したのが厩橋城の始まりと云われる。
永禄3年(1560年)上杉政虎(後の謙信)が越後から進出し厩橋城を関東進出の足掛かりとして関東管領の権限で兵を動員し北条氏の小田原城を攻めたが落城せず帰国した。
永禄5年上杉輝虎(政虎改め)は北条高広を城主として置いたが永禄9年箕輪城が武田信玄によって攻略されると高広は小田原北条氏に内通する。 武田信玄が駿河今川氏を攻めると上杉氏と北条氏は同盟を結び高広は許されて上杉氏に復帰した。
織田信長によって武田氏が滅亡すると関東管領に任ぜられた滝川一益が入城するが本能寺の変で信長が倒れると伊勢に戻った。
小田原の役の後は三万石で平岩親吉、続いて慶長6年酒井重忠が十五万石で入城、寛延2年(1749年)酒井忠恭が播磨国姫路に転封となり替わって松平朝矩が入封する。
明和5年(1768年)利根川の浸食によって前橋城は廃城となり川越城に移った。
文久3年(1863年)再び前橋城が築城され松平直克が入封して明治に至る。

大胡城:築城年代は定かではないが天文年間(1532年〜1555年)大胡氏によって築かれたと云われる。 大胡氏は藤原秀郷の末裔といわれる。
天文10年(1541年)頃、金山城横瀬氏の勢力により圧迫され、大胡勝行は小田原北条氏を頼って武蔵国江戸の牛込に移り、弘治元年(1555年)牛込氏に改称した。
その後、金山城由良成繁の家臣増田繁政が城代を勤めたが、由良氏は後に上杉輝虎に叛き、輝虎は大胡城を奪って北条高広を置いて金山城を攻めた。
小田原の役の後、関東に入部した徳川家康は、牧野康成を三河国牛久保より二万石で入部させた。牧野氏は元和2年(1616年)五万石で越後国長峯に移封となり、大胡は前橋酒井氏の領地となり城代が置かれた。 しかし、寛延2年(1749年)酒井氏が播磨国姫路に転封となり廃城となった。

山上城:築城年代は定かではないが大永年間(1521年〜1528年)に山上氏によって築かれたと云われる。 山上氏は藤原秀郷の後裔とする藤姓足利氏の一族で、足利俊綱の弟高綱が山上氏を称したことに始まる。山上道及のとき北条氏康によって山上城を追われて下野へ下り、山上城は北条氏の手に落ちたが、後に上杉謙信によって攻め落とされた。その後、大胡民部左衛門、木戸大炊頭などが置かれた。

桐生城:観応元年(1350年)桐生国綱によって築かれたと云われる。 桐生氏は「吾妻鏡」で足利俊綱を殺害した桐生六郎の名が知られる。桐生国綱は桐生氏中興の祖と云われ佐野氏から養子に入った人物である。
桐生氏は桐生助綱のときに全盛を迎える。天文13年(1544年)菱の細川内膳、善因幡守を敗って勢力を拡大し、永禄3年(1560年)には上杉政虎に奉じられて関東入りした上杉憲政の警固をしている。
助綱没すると、佐野氏から養子に迎えていた親綱が家督を継いだ。桐生親綱は家中をまとめることができず内紛状態となり、諫言した里見上総入道を討つなど家臣の離反を招いた。 元亀3年(1572年)由良成繁の軍勢が桐生城を急襲し落城、親綱は佐野氏を頼って落ちた。
由良成繁は桐生城代として横瀬長繁を置き、天正2年(1573年)由良成繁は隠居して金山城を国繁に譲ると、自身は桐生城を居城とした。天正6年(1577年)由良成繁が没すると、桐生親綱が桐生城の奪還を計ったが失敗している。
天正14年(1586年)由良国繁が金山城を追われると桐生城に本拠を移した。天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で国繁は小田原城に籠城させられたが、母妙印尼は嫡男貞繁を率いて松井田城の前田利家に従い各地を転戦した。この功によって戦後、由良国繁は常陸国牛久五千四百石余り、弟渡瀬繁詮は遠江国横須賀三万石が与えられた。
説明

18:22高崎駅新幹線はくたかで出発
19:12東京駅到達
19:20東京駅新幹線のぞみで出発
21:53新大阪駅到達 

今回の旅行、関東地方の群馬県に足を運び、比較的マイナーなお城11箇所を訪れ楽しみました。
案内板もわかりにくく、見つけるのが一苦労、県が史跡に力をいれているところでは比較的案内板がわかりやすく、スムーズに訪れることができますが、都道府県によってはまちまちでわかりやすい都道府県、わかりにくい都道府県がはっきりしています。
観光に力を入れてる都道府県は城跡も案内板がしっかりしていてわかりやすくたどり着くのが容易いです。





















飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百七十九弾:群馬県SL碓氷&碓氷峠鉄道文化むらトロッコ観光  2014年8月16−17日 

本州の中央に位置する群馬県に足を運び、高崎から横川まで走行するSL碓氷、、旧碓氷線の下り線を使って「鉄道文化むら」と碓氷峠の森公園交流館「峠の湯」まで結ぶ碓氷峠鉄道文化むらトロッコを訪れました。

16日13:20新大阪新幹線のぞみで出発
16:05東京駅到達
16:16東京駅新幹線MAXときで出発
17:05高崎駅到達、駅前のホテル到着後食事を済ませて就寝。
17日9:47高崎駅SLレトロ碓氷号で出発

SL碓氷(エスエルうすい)は、1999年(平成11年)4月18日の「碓氷峠鉄道文化むら」の開園に合わせて設定された蒸気機関車D51 498牽引による臨時快速列車で、信越本線高崎駅 - 横川駅間で運行される。2011年の運転からはC61 20も牽引機に加えられ、更に同時に整備が行われた旧形客車を使用したSLレトロ碓氷(エスエルレトロうすい)としての運行も開始された。
元々は「SL碓氷号」であったが、2010年の運転から正式名称が「SL碓氷」に変更されている。
EL碓氷(イーエルうすい)及びDL碓氷(ディーエルうすい)は、2009年から設定された電気機関車またはディーゼル機関車牽引による臨時快速列車で、横川駅 - 高崎駅間で運行される。「SL碓氷」で使用されている客車の高崎寄りに電気機関車を連結して牽引する。2008年運行分までは、回送列車として営業運転はしていなかったが、翌年以降から復路も営業扱いするようになった。

10:49横川駅到達、散策。

上州と信州の国境にある関所跡。当時、江戸を守るために「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まった。門柱2本と門扉、屋根材、台石が当時も使用されていたものの碓氷関所跡を訪れる。

碓氷峠の鉄道文化と歴史を知ることができる「鉄道テーマパーク」。鉄道史料を展示する資料館、歴史的名車両が並ぶ屋外展示場のほか、自然を満喫できるトロッコ列車や園内を一周する蒸気機関車、ミニSL、手漕ぎトロッコなど体験施設が充実。鉄道模型「碓氷峠ジオラマ」演出運転、シミュレーター、電気機関車運転体験コース(要予約)などもあり、小さな子どもから鉄道ファンまで楽しめる碓氷峠鉄道文化むらを訪れる。

トロッコ列車「シェルパくん」は、旧碓氷線の下り線を使って「鉄道文化むら」と碓氷峠の森公園交流館「峠の湯」(約2.6km)を結んでいます
トロッコ列車「シェルパくん」を乗車する。

15:10横川駅DLレトロ碓氷号で出発
16:13高崎駅到達。

17:00高崎駅新幹線で出発
17:50東京駅到達
18:00東京駅新幹線のぞみで出発
20:33新大阪到達

今回の旅行、群馬県に足を運び、SL、トロッコ電車に乗車し碓氷峠周囲の観光名所を車窓と歩いて巡り楽しめました。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百五十三弾:群馬県高崎・水上&SLみなかみ観光
2013年11月16−17日
  

関東地方北西部に位置し、県庁所在地は前橋市、県南部に関東平野、県中北部に自然豊かな山地を有する群馬県に足を運び、江戸時代から中山道の宿場町として発展してきた町高崎、利根川の上流に位置し豊かな温泉地である水上をSLみなかみに乗車し訪れました。

16日13:17新大阪新幹線のぞみで出発
16:03東京駅到達。
16:12東京駅新幹線ときで出発
17:02高崎駅到達、駅付近のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

高崎市は、広大な関東平野の北端に位置する、群馬県を代表する都市です。市の人口は37万人を超え、面積は459.41平方キロメートルに及びます。

17日9:56高崎駅SLみなかみで出発、

快速「SLみなかみ」は今年6月に復活運転を開始した旅客用大型蒸気機関車のC61形20号機や、「デゴイチ」の愛称で親しまれるD51形498号機が牽引する上越線高崎〜水上間を結ぶSL列車。同列車にはブルー車体の冷房付き12系客車または茶色車体のレトロな旧形客車が使用されており、昔懐かしい汽笛の音を聞きながら汽車旅を楽しむことができる。

途中渋沢駅下車

12:04水上駅到達、水上散策。

水上は、関東の北部の群馬県最北に位置し、谷川岳・三国山の麓、利根川の源流域であり「関東の水瓶」と称される自然と温泉が豊かで風光明媚な町です。

15:20水上駅SLみなかみで出発
17:13高崎駅到達。
18:00高崎駅新幹線ときで出発
18:52東京駅到達
19:00東京駅新幹線のぞみで出発
21:33新大阪駅到達。

今回の旅行、関東地方の北西部に位置する群馬県に足を運び、高崎から水上まで利根川に沿って走るSLみなかみに乗車し車窓から奥利根エリアを観光いたしました。

日本各地で何回かSLに乗車しましたが、根強いSL列車、多くのカメラマンが走行するSLのあちこちで見かけ、人気が物語っていました。
 





飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百三十一弾:群馬県尾瀬尾瀬ヶ原観光
2013年6月1ー2日


群馬県に位置する本州最大の湿原を持ち、貴重な高山植物や動物を育み、2007年8月に国立公園に指定された尾瀬に足を運び広大な湿原に咲き誇る高山植物の数々で、5月後半から6月初旬にかけての水芭蕉、6月中旬から7月上旬にかけてのワタスゲ、7月上旬から下旬にかけての日光キスゲがとても見ごたえがあります。そのほかにも100種類以上の珍しい高山植物がそれぞれの季節に咲き、木道を通るハイカーを楽しませてくれます尾瀬ヶ原を訪れました。

6月1日13:50新大阪新幹線のぞみで出発
16:23東京駅到達
16:52東京駅新幹線Maxたにがわで出発
18:07上毛高原到達、宿の送迎
17:00水上温泉郷の藤原湖付近の宿到達、宿で食事を済ませて就寝。
2日7:30宿の車で出発、尾瀬戸倉に向かう。
8:45戸倉到達
8:55戸倉バスで出発
9:30鳩待峠到達、尾瀬ヶ原に向かって散策。

東西6キロ、南北2キロの湿原で何本もの小川が集まり只見川となり、尾瀬の水を全て集めて平滑ノ滝、三条ノ滝となって流れ、奥只見ダムへと続きます。尾瀬の水はその奥只見ダムで自然エネルギーとして発電され首都圏などへ供給されています。 尾瀬ヶ原は、まわり一面湿原で高山植物が豊富です。春〜秋まで私たちの目を楽しませてくれます。 そして大自然のすばらしさは時間によって大きく変化します。

尾瀬ヶ原の見どころはなんと行っても広大な湿原に咲き誇る高山植物の数々で、5月後半から6月初旬にかけての水芭蕉、6月中旬から7月上旬にかけてのワタスゲ、7月上旬から下旬にかけての日光キスゲがとても見ごたえがあります。そのほかにも100種類以上の珍しい高山植物がそれぞれの季節に咲き、木道を通るハイカーを楽しませてくれます。

ヨセ沢橋、テンマ沢、川上橋通過して
10:10山ノ鼻到着
山ノ鼻、牛首分岐部、竜宮、ヨッピ橋、拠水林、牛首分岐部通過して
13:00山ノ鼻に戻る。
山ノ鼻、川上橋、テンマ沢、ヨセ沢橋通過して
14:00鳩待峠に戻る。
14:30鳩待峠バスで出発
15:04戸倉到達
15:12戸倉バスで出発
17:02上毛高原駅到達
17:20上毛高原駅新幹線Maxたにがわで出発
18:35東京駅到達
18:53東京駅新幹線のぞみで出発
21:25新大阪駅到達。

今回の旅行、2回目の訪れである群馬県尾瀬に足を運び、前回は大清水からのルートで尾瀬沼を訪れましたが、今回は鳩待峠ルートで尾瀬ヶ原を散策しました。

尾瀬ヶ原は一面の広大な湿地帯、水芭蕉のシーズンで至る所に水芭蕉を見ることができました。
天気も良く、視界も良く、絶好のコンディション、西に至仏山、東に燧ケ岳がそびえ、手前には水芭蕉生い茂っている光景はたいへん素晴らしいものがありました。

尚今回レンタカーで尾瀬に向かう予定でしたがトラブル発生、自動車免許書を忘れてきたため、宿の車で尾瀬に向かいました。当然帰りは新幹線上毛高原駅まではバスでのルートとなりました。

群馬の山奥に本州一の広大な湿地帯、大自然が存在し、多くの観光客が訪れていたのは感動でしたね。なかなか人気のある群馬県尾瀬尾瀬ヶ原散策観光でした。

尾瀬は大体把握できました。尾瀬ヶ原に行くには群馬鳩待峠ルート、尾瀬沼に行くには福島七入ルート、時間が少しかかりますが尾瀬ヶ原、尾瀬沼両方を訪れるのは群馬鳩待峠ルートから向かい、帰りは大清水に向かってのルートが比較的、楽なコースですね。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第百九十三弾:群馬県伊香保&四万&水上観光
2012年6月2ー3日
   

群馬県の中央南北に点在する温泉郷に足を運び、日本で初めて計画的に造られた温泉街で、大正ー昭和初期には一大リゾート地として栄えた伊香保温泉エリア、豊富な湧出量を誇り、古くから四万の病に効くといわれていた名湯、四万川の清流と山々に囲まれた豊かな自然の中にある四万温泉エリア、水上温泉を中心に、谷川岳のふもとに8つの温泉が点在する水上温泉周辺エリアを訪れました。

2日13:50新大阪新幹線のぞみで出発、東京駅で新幹線ときに乗り換え
17:26高崎駅到達、繁華街を散策し食事を済ませて高崎駅前のホテルで就寝。

6:00レンタカーで出発、伊香保方面に向かう。

シャンソン歌手・芦野宏氏が館長を勤めるミュージアム。衣装・愛用品・楽譜など、シャンソンに関する資料を展示。週末と祝日にはライブを開催している。敷地内には画家クロード・モネの自宅の庭を再現。四季折々の花も楽しめる日本シャンソン館の前で記念撮影。

20世紀初頭のアール・ヌーヴォー期に活躍したエミール・ガレのガラス工芸品や、ルイ・マジョレルの家具を展示する美術館。ガラス絵付け、シルバーアクセサリー体験もできる群馬ガラス工芸美術館を訪れる。

現代日本画を中心に、竹久夢二の作品や木彫などを広い館内でゆっくり鑑賞できる。現代日本画には伊香保もみじ広場を題材に描いた小泉智英作の『秋の抄』や松本哲男作の『タージマハル』をはじめ、彩り豊かな風景や草花を描いた作品を展示。木彫では、NHK連続人形劇『プリンプリン物語』の人形美術を制作担当した友永詔三の木彫を展示する。大正〜昭和の幻のデザイン画家として近年話題の多い、小林かいちの絵葉書・絵封筒も展示する伊香保 保科美術館を訪れる。

竹久夢二伊香保記念館のひとつで、白壁土蔵造の建物。夢二の作品1万6千点を所蔵。夢二が伊香保を知るきっかけを作った少女からの手紙を常設展示するほか、2ヵ月ごとに展示替えを行い、企画展を開催している大正ロマン夢の館[竹久夢二伊香保記念館]を訪れる。

広大な雑木林、大正ロマンの森に、竹久夢二の作品を展示する大正ロマンの館やアンティークオルゴールの演奏が聴ける音のテーマ館、日本の江戸、明治、大正のガラスを展示する義山楼、喫茶店、食事処など各種施設があり、1日かけて竹久夢二の世界に浸れる竹久夢二伊香保記念館を訪れる。

明治の文豪・徳冨蘆花の生涯と、作品の軌跡を展示紹介する記念館。代表作『不如帰』の初版本をはじめ、書簡や当時の写真などが見学できる。展示館とは別の木造建築の記念館は、蘆花の定宿で、臨終を迎えた旅館・千明仁泉亭の離れを移築したものもある徳冨蘆花記念文学館を訪れる。

360段の石段の頂上にある神社。温泉や医療、子宝などに御利益があるといわれる。古来より富岡の貫前神社、赤城山の赤城神社とともに、上野国三之宮として親しまれている伊香保神社を訪れる。

戦国時代末期から400年以上も続く伊香保温泉のメインストリート。伊香保御関所近くの入口から頂上の伊香保神社まで続く300m、約360段の石段には、旅館や公共の湯処、みやげ店が立ち並ぶ。4カ所ある小間口観覧所からは、源泉の流れをガラス越しに見ることができる石段街を訪れる。

源泉湧出口観覧所の近くにある、鮮やかな朱塗りの太鼓橋。周囲を木々に囲まれており、新緑や紅葉、冬期の雪景色など四季折々に美しい景観が見られる。紅葉シーズンには、夜間ライトアップされる河鹿橋を訪れる。

榛名のシンボル的存在。東西4km、南北2kmの火口原のほぼ中央には、美しい円錐型をした標高1391mの榛名富士と火口原湖榛名湖がある。榛名富士山頂へは榛名山ロープウェイ)が利用できる榛名山を訪れる。

榛名山のカルデラに生じた火口原湖。東西1km、南北1.3kmの湖面には、榛名富士の優美な姿が映し出される榛名湖[榛名山]を訪れる。

榛名山のほぼ中央に位置する榛名火山の中央火口丘。榛名湖の東にそびえ、美しい姿を湖面に映す。麓の榛名高原駅から榛名山ロープウェイで2分50秒、山頂の頂上駅には展望台と榛名富士神社があり、展望台からは谷川岳や赤城山ばかりでなく、遠く富士山や筑波山、関東平野と360度の視界が望める。榛名富士山神社は古くから縁結び・安産の神として信仰され、かつての山開きの日には参拝者が列をなした榛名富士[榛名山]を訪れる。

用明天皇(585〜587年)の時代に創建されたといわれる古社。雨乞いの神社として、また修験者の霊場として古くから榛名山信仰の参拝者を集めてきた。荘厳な雰囲気の漂う境内には戦国時代、武田信玄が箕輪城攻略の際、矢を立て戦勝を祈願した矢立杉(天然記念物)のほか、本殿の背後には御姿岩とよばれる巨岩もある榛名神社を訪れる。

四万方面に向かう。

吾妻川の急流が両側の山肌を深く侵食してできた渓谷で、国の名勝に指定。雁ケ沢橋から八ツ場大橋までの約3.8kmにわたって、両岸に奇岩や滝など変化に富んだ景観が続く。そのうち、八ツ場大橋から鹿飛橋までの約1.8kmには遊歩道が整備されていて、片道約40分ほどのハイキングを楽しめる吾妻渓谷を散策する。

川原湯温泉の鎮守さま。境内には与謝野鉄幹の歌碑もある。湯かけ祭りはここの例祭。参道石段下に新しい源泉が湧く川原湯神社を訪れる。

1995年に制作された映画『眠る男』の撮影拠点だった場所。廃校だった旧第四中学校を改装したもので、敷地内には映画のシーンに使ったセットが移築されているほか、中之条町でロケをして1996年に制作された『月とキャベツ』の衣装や小道具などが展示されている伊参スタジオ公園を訪れる。

約26万平方mの敷地に広がるハーブと薬草の公園。約350種の薬草と薬木、ハーブを栽培する栽培展示園、体脂肪測定など健康チェックのできる薬王館や健康茶の試飲ができる売店などが点在。自然豊かな園内の散策とともに東洋医学に親しめる。工芸体験村では、木工・草木染・陶芸などの体験もできるJA沢田薬王園を訪れる。

川底で石が何万年もの間、急流にもまれるうちに岩盤を削ってできた穴のことで、四万川には大小8つある。最大は直径、深さとも約3m。国道353号から近くまで下りられ、間近で見られる甌穴群を訪れる。

約400年前に建てられた堂。三間四方の茅葺き屋根に唐風様式の建築は、重厚な雰囲気。堂内には温泉で病気を治す祈願を込めた薬師如来が安置されている日向見薬師堂を訪れる。

平成11年に、四万川ダムが完成したことにより誕生した人工湖。四万温泉郷の最奥にあり、一周4kmの周遊道路や展望所などがある奥四万湖を訪れる。

水上方面に向かう。

女流歌人与謝野晶子に関する資料を展示する文学館。『みだれ髪』から『白桜集』まで晶子の歌を紹介しながらその生涯をたどる。しばしば群馬を訪れた晶子の旅の歌や愛用の机、香炉、猿ケ京へ旅するきっかけとなった三宅克己の絵画などを常設展示。企画展示も行われる。ミュージアムショップやティールームもある三国路与謝野晶子紀行文学館(椿山房)を訪れる。

温泉街を沿うように流れる利根川が造った爽快な渓谷。湯原橋や水上橋などの上から眺められる水上峡を訪れる。

月夜野矢瀬公園内にある施設で、矢瀬遺跡からの出土品を中心に古代から現代までの歴史資料を展示している。月夜野地区の梨の木平遺跡から発掘された土器や矢瀬遺跡の木柱根、弥生時代の装身具や古墳時代の埴輪、装身具など、希少な遺物も多い。江戸〜昭和期に使われた生活用具も興味深いみなかみ町月夜野郷土歴史資料館を訪れる。

2000年前のローマングラス、アール・デコの名品を展示するグラスアート美術館やガラス工場見学、体験工房、ショップなど、ガラスを見たりガラスを楽しんだりできる月夜野びーどろパークを訪れる。

利根川の流れが刻んだ渓谷。水上温泉街の中心に位置するのが水上峡で、夜にはライトアップされて幻想的なムードが漂う。その下流の諏訪峡は、清流に断崖や奇岩が映える水上第一の見どころ。温泉街近くの紅葉橋から銚子橋まで、約1時間の渓流沿いの散策が楽しめる諏訪峡を訪れる。

温泉街を沿うように流れる利根川が造った爽快な渓谷。湯原橋や水上橋などの上から眺められる水上峡を訪れる。

三国峠から清水峠にかけて広がる谷川連峰の中心。高さは2000mに満たないが、アルプスのような山容が登山家の人気を集めている谷川岳を眺望する。

16:30高崎に向かう。
17:30高崎到達。
18:00高崎駅新幹線あさまで出発
18:50東京駅到達
19:00東京駅新幹線のぞみで出発
21:30新大阪到達。

今回の旅行、群馬県の中央部南北に位置する数か所の温泉郷に足を運び、周辺の自然と文化を訪れました。

河川の渓谷、カルデラ湖、険しい山々等の大自然と寺院等の文化遺産、博物館、美術館等のアートを巡り、ドライブ観光楽しめました。

今回で群馬県はほぼ制覇できましたが、来年はミズバショウ群生が綺麗な時期に尾瀬を散策したいと思います。















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百二十一弾:群馬県前橋周辺観光観光
2010年11月27ー28日


昨年に続いて3回目の群馬県、前橋周辺に足を運び、赤城山の中腹に位置し、県庁所在地であり、畜産業が盛んな街でもある前橋、榛名山、妙義山と並ぶ上毛三山の一つで日本百名山にも数えられる赤城山、昔から西の西陣、東の桐生と謳われる織物の町の桐生、鎌倉幕府倒幕の立役者・新田義貞ゆかりの地、大田、大小の沼が点在し、利根川と渡良瀬川の流域に辺り、豊富な水源に恵まれた町、館林を訪れました。

27日13:17新大阪新幹線のぞみで出発
15:53東京駅到達
16:12東京駅Maxときで出発
17:03高崎駅到達、駅付近のホテル到達後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
28日6:30レンタカーで出発、前橋に向かう。

前橋公園のすぐ南側にある地上33階建ての建物。32階の展望室からは、上州、日光から信州の山々まで、すばらしいパノラマが見渡せる。31階には展望レストランもあり夜景も見事の群馬県庁新庁舎を訪れる。

前橋出身の萩原朔太郎をはじめ、前橋と関係の深い文学者を紹介。2階の朔太郎展示室には『月に吠える』の草稿などのほか、自らデザインした机、旅行カバンなどの遺品や撮影した立体写真も展示され、多彩な才能にも触れられる。ほかに、北原白秋、室生犀星、草野心平ら前橋とゆかりのある詩人の作品も展示する水と緑と詩のまち 前橋文学館の前で記念撮影。

赤城山に向かう。

標高1828mの主峰、黒檜山をはじめとする外輪山と中央火口丘地蔵岳からなる二重式火山の総称。裾野の広さは富士山に次ぐ面積を誇る赤城山を訪れる。

赤城山の中央河口丘と外輪山の間に水が溜まってできたカルデラ湖。原生林に囲まれ、湖畔に遊歩道があり1周約1時間の散策が楽しめる。赤い啄木鳥橋を渡った小鳥ケ島には、赤城神社が鎮座し、社殿のそばには志賀直哉の碑が立つ。湖ではボート乗りや釣りが楽しめ、冬は氷上のワカサギ釣りができる大沼[赤城山]を訪れる。

関東一円および、新潟・福島・宮城などに約300余の分社をもつ赤城神社の総本社。古代、東国を開拓した神々、農耕を司る山の神霊を尊祟する自然信仰の対象として赤城山を祭ったのが始まり。延喜式神名帳に、上野国三大神社の一つとして挙げられる古社。境内には樹齢1000年を超える3本のたわら杉をはじめ樹木が鬱蒼と茂り、静謐な空気が漂う赤城神社を訪れる。

赤城山にある、周囲0.5kmほどの小さな湿原。大沼の南東に位置する。周りを囲んで木道が整備され、1周30分ほどのハイキングが楽しめる。4月末〜7月にかけて様々な種類の高山植物が咲き、秋は紅葉が美しい覚満淵[赤城山]を散策する。
赤城山を背に、18万4000平方mの敷地に広がる花の公園。フラトピア大花壇を中心として、日本庭園やイングリッシュガーデンなど、さまざまなエリアでカラフルな季節の花が楽しめる。ランや熱帯花木、季節を先取りしたイベント温室など、1棟ごとにテーマを設定した観賞温室5棟も見応えがあるぐんまフラワーパークを訪れる。

渡良瀬方面に向かう。

日光の山中に源を発する渡良瀬川が流れる渓谷。高津戸橋からはねたき橋にかけて川沿いに全長453mの遊歩道があり、渓谷美を楽しめる高津戸峡を訪れる。

事故で首から下の体の自由を失い、筆を口にくわえて絵や文字を描くみどり市出身の画家・星野富弘氏の水彩画を展示している。木や花など地元の植物の絵に添えられた、星野氏の言葉にも感動する富弘美術館を訪れる。

栃木県足尾方面に向かう。

江戸幕府直轄の銅山として始まり、1973年(昭和48)の閉山まで約400年間続いた足尾銅山。明治時代には全国の40%という産出量を誇り、東洋一といわれた銅山の作業の様子を等身大の人形で再現し、その歴史と仕組みを紹介している。全長1234kmの坑道のうち、およそ700mを公開。入口から390mまでは、トロッコ列車に乗って見学する足尾銅山観光を訪れる。

戻って桐生に向かう。

1878年(明治11)に建てられた擬洋風建築で、和風の小屋組と洋風の外観装飾が特徴的。明治時代には群馬県衛生所・医学校として使用されていた。1階の談話室には、明治時代のカメラや大正時代のピアノ、黒漆塗りの家具などアンティークな品々が展示されている。2階中央は貴賓室となっており、黒漆塗りに金蒔絵を施した豪華な家具を見ることができる桐生明治館を訪れる。

桐生出身の故・大川栄二氏のコレクションを中心に、国内外の近代洋画約7000点を収蔵する。特に昭和10年代に活躍し夭折した画家・松本竣介、野田英夫の絵が充実。海外のコーナーではピカソ、ブラック、ベン・シャーンらの作品を展示する大川美術館を見学。

1717年(享保2)に創始した矢野商店がかつて使っていた醸造蔵。酒類・味噌・醤油を醸造していた建物はレンガ・土蔵造で、明治・大正時代の建築。ほとんど手を入れず保存されている12棟の蔵群は市の重要文化財。現在は、コンサートなど文化・芸術活動の場として利用されている桐生市有鄰館を訪れる。

桐生織物の歴史を展示と体験を通して紹介している。明治から昭和にかけての資料約1200点などを展示。なかでも3人がかりで織る日本一大きい明治時代の木製高機は興味深い織物参考館・紫を訪れる。

太田方面に向かう。

学術研究所を兼ねた施設で、50〜60種類のヘビをみることができる。シマヘビやマムシを自然環境に近い状態で放し飼いしている園内野外放飼場、コブラなどの毒ヘビをガラス越しに見られる温室のほか、休日には採毒実演を行う採毒室、ヘビに関する資料を展示した資料室などがあり、ヘビの生態を詳しく知ることができるジャパンスネークセンターを訪れる。

1613年(慶長18)徳川家康公が先祖とする新田義重公の菩提を弔うために建立した寺。山門の精緻な彫りものが見事。初代住職に迎えられた呑龍上人は、貧しい民の子供を弟子という名目で養育したことから「子育て呑龍様」として親しまれ、現在でも多くの親子連れが参拝に訪れる。本堂の後ろに新田義重公と呑竜上人の墓が立つ大光院を訪れる。

館林方面に向かう。

館林市出身の宇宙飛行士、向井千秋さんにちなんだ科学館。他で見ることのできない向井さんゆかりの貴重な資料が充実。5つの展示室では、科学の原理を利用した様々な展示や月の重力を体験できる「ムーンウォーカー」など、身近な自然や科学、宇宙についてわかりやすく紹介している向井千秋記念子ども科学館を訪れる。

『蒲団』や『田舎教師』を執筆し、近代日本の自然主義文学の先駆者となった田山花袋は館林の出身。館内では自筆原稿や、書簡、日記、愛用品などを展示。東京代々木の自宅の書斎も再現されている。文学館の向かいには花袋が7〜14歳まで過ごした旧居が立つ田山花袋記念文学館を訪れる。

高さ5mに及ぶ古木をはじめ、推定樹齢800年を越えるヤマツツジの巨樹が見られるツツジの名所。城沼のほとりにある12.6haの園内に、50余品種1万株ものツツジが植えられている群馬県立つつじが岡公園を散策する。

1426年(応永33)開山された古刹で、巌谷小波の童話『文福茶釜』のモデルとなった伝説のある寺。総門から茅葺きの朱門までの参道には、表情や姿形の異なる25体の狸の像が並び、参拝者のほほえみを誘っている。茅葺きの本堂では、周囲1.2m、重さ11.3kgもある伝説の分福茶釜を見学できる茂林寺を訪れる。

16:00高崎に戻る。
17:30高崎駅到達。
18:04高崎駅ときで出発
19:00東京駅到達
19:10東京駅新幹線のぞみで出発
21:38新大阪駅到達。

今回の旅行、3回目の訪れである、群馬県の前橋周辺に足を運び、赤城山の中腹に位置し、中心部の西側を利根川が流れ、県庁所在地であり、畜産業が盛んな街でもある、豚肉の生産量は県内一の前橋タウン

榛名山、妙義山と並ぶ上毛三山の一つで日本百名山にも数えられ、山頂にはカルデラ湖の大沼があり、山麓には自然を生かしたテーマパークや公園などが点在する赤城山

昔から西の西陣、東の桐生と謳われる織物の町で昔ながらの土蔵や洋館などが保存・活用されていて、古きよき時代の面影を感じさせられる桐生

鎌倉幕府倒幕の立役者・新田義貞ゆかりの地、新田氏を祭るために徳川幕府が建立した大光院のお膝元として発展し、神社や史跡が多く残る太田

利根川と渡良瀬川の流域に辺り、豊富な水源に恵まれた町、昔から上質の小麦が生産され、市内の名所や旧跡の多くが待ちの中心にあり、城沼の周辺には日本を代表とするツツジの名所がある館林を訪れ一泊二日の観光旅行楽しめました。

自然・温泉の多くて有名な群馬県、一方歴史的建造物も多く点在しているエリアでも有り、自然と文化、両方楽しめるエリアでもありました。残りは有名な温泉街がいくつか残っています。来年チャレンジしたいと思います。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第六十四弾:群馬県高崎タウン&草津観光
2009年6月27−28日


今回は昨年の尾瀬以来、夏シーズンは2回目の群馬県。上毛三山の赤城山、棒名山、妙義山や、日本百名山のひとつの谷川岳など、美しい山々に抱かれ、平野部に県都前橋や高崎といった商業都市が位置し、山間部には草津や伊香保に代表される温泉が湯煙を上げ、県境には、尾瀬国立公園の豊かな高層湿原をはじめ、トロッコ列車が走る渡良瀬の自然が残り、群馬県の上毛三山の一つ、妙義山や世界遺産登録に向けて人気の富岡製糸場はじめ絹文化の歴史が香る地や観音山やだるま弁当で有名な高崎に足を運びました。

27日13:04東海道新大阪新幹線のぞみで出発
15:47東京駅到達
16:00東京駅上越新幹線MAXときで出発
16:50高崎駅到達、レンタカーで高崎タウン観光

平成10年に完成、高崎一の高さを誇る。一般公開されている21階の展望ロビーからは、市街はもちろん観音山、上毛三山などが一望でき、夜景も楽しめる高崎新市庁舎を訪れる。

江戸時代初期に井伊直政が築城。現在は乾櫓・東門の遺構が復元されているほか、外堀は桜の名所として親しまれている高崎城址を散策する。

市庁舎の南側に隣接しm明治9年、旧高崎城南西の頼政神社に隣接した大染寺の跡地に造られ、明治33年に市制施行された時に高崎公園と呼ばれるようになり、昭和30年、近隣公園として都市計画決定された高崎では2番目に古い公園の高崎公園を散策する。

1936年(昭和11)に建立された高崎のシンボル。高崎市街の西方、観音山丘陵にあり、高さは約42m。肩の部分まで登ることができる。周辺は3000本の桜が植えられた桜の名所となっている高崎白衣大観音を訪れる。

1697年(元禄10)、中国の渡来僧・心越禅師が開山。方位の方災を除くという北斗星を神格化した、北辰鎮宅霊符尊と達磨大師を祀っている。縁起だるまとして有名な高崎のだるまは、9代目住職が生活に苦しむ農民の副業としてだるま作りを教えたのが始まりの少林山達磨寺を訪れる。

19:00高崎繁華街を散策し食事を済ませてから床に就く。

28日6:00天候晴れ、レンタカーで18号線、上信越自動車道経由して西の鹿沢方面に向かう。

湯の丸高原と鹿沢温泉の間に桟敷山から染み出た水が滝になっています。苔むした岩を、沢の水が幾本もの白い絹糸を束ねたように流れ落ちているたまだれ(玉簾)の滝を訪れる。

北に向かい万座ハイウエー、浅間白根火山ルート経由して活火山の噴気活動が間近に見られるスポット。地面から滲みこんだ雨水や地下水が、噴火口跡である空吹から水蒸気となって、硫化水素ガスと共に吹き出している空吹を訪れる。

志賀草津高原ルートから気軽に訪れることができる活火山。那須火山帯に属し、度重なる噴火によって白い山肌をさらけ出している。最初の噴火は不明だが、1882年(明治15)には山の木々を立枯れにさせるほどの大噴火があった。草津・万座温泉の源でもある草津白根山を訪れる。

白根山頂にある世界有数の強酸性火口湖。直径約300m、水深30m。乳緑色の水をたたえ、底から湧き出す硫黄泉のため冬期でも凍結しない。湖面が覗ける釜のふちの展望台へは、遊歩道が整備されている湯釜を訪れる。

草津白根山にある火口湖の一つ。周囲800m。志賀草津道路側から坂を上って全体が見渡せる場所に出ると、築山のような先の尖った蓬莱岩があり、西側の一帯は湿原になっている。木道沿いに、モウセンゴケなどの湿生植物を観察しながら巡ることができる弓池を訪れる。

近付くと強烈な硫黄臭が鼻をつく、旧火山の活動現場。志賀草津高原ルートの道路脇に眺められる。近くの道路には駐停車禁止と表示されるほど有毒ガスが充満する危険地帯だが、測定器が設置され、立ち入り禁止区域にはロープが張られているので安心して見学できる殺生河原を訪れる。

殺生河原では無数の噴気孔から臭いの強い硫化水素の蒸気が噴き出し、周りには硫黄の自然結晶が見える。硫黄に含まれる有毒ガスで小鳥や小動物が死んでしまうことから名付けられた。ロープウェイは殺生河原と逢の峰までを約8分で結ぶ空中散歩。冬はスキーに利用される白根火山ロープウェイに乗り殺生河原を眺望する。

2000m級の山々に囲まれた標高1514mに位置するダム湖。周囲には約300種の高山植物が自生している。なかでも、夏のノゾリキスゲの群落は見事。湖畔を巡る遊歩道をはじめ、周辺でのハイキングや、湖での釣りを楽しめるほか、北岸側にはロッジとキャンプ場も整備されている野反湖を訪れる。

南下して再び浅間白根火山ルートを走行してホテルグリーンプラザ軽井沢にある教会で、数ある軽井沢の教会の中でも抜群のロケーションを誇る。澄みきった青空に真っ白い教会が見事にマッチした軽井沢白樺高原教会を訪れる。

浅間山北麓に東西2km、南北5.5kmにわたって黒々と広がる不気味な景観の奇勝。鬼押出しの溶岩群の中を歩いて見学できる。間近に見る巨大な溶岩は迫力満点。中央の高台には大噴火の犠牲者を供養する浅間山観音堂が立ち、ここから鬼押出しや浅間山はもちろん、浅間高原から白根山に至る大パノラマが楽しめる鬼押出し園を散策する。

溶岩台地の好展望地にある鬼押出し浅間園のメイン施設。浅間山や世界の火山活動のしくみや歴史が、映像や立体模型で楽しみながら理解できる。一番のみどころは、マグマのうず巻く地底世界を疑似体験できるロストワールド。コンピューター制御によって、溶岩流や地鳴りがリアルに再現されている浅間火山博物館を見学。

軽井沢方面に向かい、軽井沢の名所として知られる滝。高さは3mほどだが、幅が70mもあり、岸壁のそこかしこから流れ落ちる地下水が白い絹糸のカーテンのような美しい景観を造り出している。この滝の水源は浅間山の伏流水なので、滝の上に川はなく、目を凝らして見れば、黒い岩肌から水が湧き出すのがわかる白糸の滝を散策する。

褐色の外壁に白いアーチ型の窓枠が印象的な2階建ての洋館。明治38年(1905)に実業家・山本直良が純西洋風木造ホテルとして建築し、翌年に営業を開始。当時、軽井沢の鹿鳴館として軽井沢の一大社交場となった。利用していた著名人には、近衛文麿・有島武郎・大隈重信などそうそうたるメンバーが名を連ね、政財界の注目の場であったことがうかがわれる。館内は一般公開され、幾何学模様のガラス窓や天井の意匠、有島生馬デザインによる三笠のマークをあしらった洋ダンス、猫足型のバスタブなど華やかな時代を偲ぶことができる。国重要文化財、旧三笠ホテルを訪れる。

1892年に完成したレンガ造り4連アーチ式の鉄道橋は、国重要文化財に指定されています。今は、JR横川駅から旧信濃本線の線路跡を通って往復できる約10kmのアプトの道が整備されているめがね橋の愛称で知られる碓氷第三橋梁を訪れる。

日本三大関所のひとつです。中山道最大の難所といわれた碓氷峠には、箱根とならび称された関所があった。江戸時代に「入鉄砲と出女」を取り締まるために設けられ、碓氷峠のふもとの地形をうまく利用し、徳川幕府維持のために大きな役目を果たした。元和9年に江戸幕府が設置し、明治2年に廃関された。現在は横川駅の近くに復元され当時の面影を感じ取ることが出来る碓氷関所跡を訪れる。

妙義山の主峰、白雲山[はくうんさん]の山麓に建つ、創建約1500年の歴史を持つ神社。明治初めまで神仏習合で、妙義山信仰の霊地として徳川家にも深く信仰された。宝暦6年(1756)に建てられた黒漆塗銅葺入母屋造の本殿と銅葺平入の唐門、総門は国の重要文化財に指定されている妙義神社を訪れる。

白雲、金洞、金鶏の三峰からなり、標高1104m。切り立った奇岩・怪石がつくり出す独特の山容は日本有数の奇勝として知られ、1923年(大正12)には国の名勝指定を受けた妙義山を訪れる。

東の富岡方面に向かう。1872年(明治5)、富国強兵・殖産興業のスローガンの下、輸出品の主力だった生糸の生産量・品質を向上させるため、明治政府が設立した器械製糸工場。明治政府がつくった官営工場の中で、1万5000坪の敷地やレンガ造りの工場施設がほぼ完全な状態で残っているのは富岡製糸場のみ。建物外観の他、生糸を作る器械が置かれていた繰糸場など、建物内の一部が見学できる富岡製糸場を散策見学する。

17:30高崎駅到達。
17:58高崎駅上越新幹線あさまで出発
18:50東京駅到達
19:00東海道新幹線のぞみで出発
21:48新大阪到達

今回の旅行、スキーシーズンに何回か訪れたましたが、夏のシーズンは昨年の尾瀬以来2回目の訪れの群馬県。
観音山に立つ白衣大観音の内部から高崎市街地が一望できる好展望地、高崎市庁舎21階展望ロビーからの眺めは秀悦、少林寺達磨寺のだるま市や名物駅弁のだるま弁当の知名度は全国区の高崎エリア。
草津のシンボルは湯畑、その周辺には、標高1800mに湧く万座温泉など、効能豊かな温泉が湧き、噴煙を上げる浅間山麓に広がる湯釜や鬼押し出し園など迫力の観光名所が多い草津エリア。
日本近代化産業の発祥地として知られる富岡製糸場を中心に絹産業遺産群が世界遺産登録暫定リストに登録した富岡エリアを訪れました。

多くの広大な自然名所と数多くの文化遺産が存する群馬県、2回目の訪れですがすべてを把握、制覇するには時間がかかり何回も訪れないと理解できない奥の深い群馬の観光名所、これからも何回か訪れて徐々に制覇していきたいと思います。















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三十八弾:群馬尾瀬観光
2008年8月30−31日


今回は標高2000m級の山々がそびえ尾瀬国立公園として日本を代表とする大湿原、群馬県尾瀬に足を運びました。

30日14:30伊丹空港出発
15:40羽田空港着、レンタカーで首都高速、関越自動車道経由して
18:00前橋駅付近のホテル到達、前橋市街地を散策して食事を済ませて宿を取る。

31日5:00レンタカーで出発、天候曇り、関越自動車道経由して沼田インター下車
6:00尾瀬、大清水到達、車をおいて尾瀬沼に向かう。
約4kmの林道を歩いて通過して、一の瀬休憩所でしばらく休んでから、勾配のきつい上りの木道を3kmを通過。
8:30尾瀬沼三平下方面に到達、この頃から天気も回復し青空が見えるようになり尾瀬沼から至仏山の眺望はすばらしかった。尾瀬沼休憩所で休んでから尾瀬沼周囲を散策、尾瀬沼ビジターセンターに寄ってから、ニッコウスゲが肩を寄せ合うほどの埋め尽くされた大江湿原を訪れる。

10:00来た道を戻る、帰りは下り道のためスムーズに下山、1時間30分で大清水到達。
レンタカーで丸沼方面に向かう。

日光白根山の溶岩によりせき止められた湖、周囲6kmの丸沼を散策、丸沼から白樺とブナの原生林を抜け、全国有数の透明度を誇り、清水、弁天、北岐の3つの沼がくびれたような形をした菅沼を散策。

沼田方面に向かう。
豪快な水の流れと、その形から東洋のナイアガラと呼ばれ、清流によって長い年月をかけ川底が侵食されたことにより、あたかも巨大な岩が吹き割れるように見えることから名ずけられた吹割の滝を散策する。

関越道、首都高速経由して帰路に向かう。

18:00羽田空港到達。
19:25出発。
20:30伊丹空港到達。

標高2000m級の山々がそびえ、春はミズバショウ、夏にはニッコウスゲが咲き誇り尾瀬国立公園として指定され日本を代表する花盛りの大湿原、尾瀬のルートは群馬から2ルート、新潟、福島からはそれぞれ1ルートがあります。

今回は尾瀬沼にいける群馬からの大清水のルートを選びましたが勾配のきつい上り坂で距離も7kmで結構あり、尾瀬沼にたどり着くのには一苦労でした。
尾瀬沼へは福島からのルートが勾配もゆるく手軽に楽しめるコースのようです。
次回は群馬からのもう一つの鳩待峠コースから大湿地帯、尾瀬ヶ原を訪れたいと思います。
尾瀬を散策後、帰り道に神秘的な丸沼、透明度が全国でも指折りの菅沼、東洋のナイアガラと呼ばれている吹割の滝をも訪れ無事に観光旅行終了いたしました。

又複雑な首都高速、今回は羽田からレンタカーを借りたのは大都会東京の町並みを首都高速を走行して眺望を希望していたためでしたがあまりにも複雑な首都高速道路、左右両方から合流、ランプがあり、事故も、工事車線も多く、ところどころに渋滞が発生、通過時間を予測できない有様です。時間を有効に使う必要のある旅行では首都高速は避けたほうが賢明でしょうね。