福島

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百三弾:福島県お城・城下町巡り観光
2017年7月8−9日
  

東北地方の相馬地方の相馬氏、会津地方の蘆名氏、県北の伊達氏などが力を誇り、さらに安積郡の伊東氏、岩瀬郡の二階堂氏と多数の勢力が覇権を争い、のちに伊達政宗がほぼ手中にした福島県に足を運び比較的マイナーなお城7か所を訪れました。

8日15:45伊丹空港出発
16:50福島空港到達、レンタカーで出発、須賀川方面に向かう。
17:30須賀川駅前のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
9日7:00レンタカーで出発、お城巡り。

猪苗代城:築城年代は定かではないが佐原経連によって築かれたと云う。 佐原氏は三浦氏の一族で黒川城の蘆名氏とは同族であり後に猪苗代氏を称した。佐原経連が最初に築いたのが八手山城と云われ、その後この猪苗代城を築いたという。

天正16年(1588年)鶴峯城に隠居した猪苗代盛国は当主盛胤が蘆名義広に伺候している隙を付いて猪苗代城を乗っ取り伊達氏に内通した。これを機に天正17年(1589年)伊達氏が猪苗代城に入城し、麿上原で蘆名義広を破り会津を手中に治めた。 しかし、伊達氏は小田原合戦後の奥州仕置によって会津を召し上げられ、会津は蒲生氏郷の治める所となり猪苗代氏は伊達氏に従いこの地を去った。

その後、猪苗代城は一国一城令の例外として会津若松の支城として存続し、各大名の城代が置かれ明治を迎える。

神指城:慶長5年(1600年)上杉景勝によって築かれた。 慶長3年(1598年)上杉景勝は越後国春日より会津に転封となり黒川城へと入ったが、ここは小田山に近く大砲による砲撃に弱い為、新城を築く事にしたと云う。この予見は正しく戊辰戦争では黒川城へ小田山より砲撃が行われた。

当初候補地として北田城が挙げられたが水害の危険性から神指城が築かれたという。 築城は直江兼続が担当し3月18日より本丸、5月10日より二の丸の工事が昼夜兼行で行われたが、完成を見る事無く工事は中断された。これは徳川家康による上杉討伐の機運が高まり、それに対する備えとして国境の城の整備を進める為とされる。

結局、徳川家康による上杉討伐軍は石田三成の挙兵により中止され、上方へ戻った徳川軍と石田軍によって関ヶ原の合戦がおこり、戦後上杉氏は米沢に転封となったため、景勝は神指城には一度も入城しないまま米沢へ移った。

向羽黒山城:永禄4年(1561年)葦名盛氏によって築かれた。 盛氏が隠居城として築いたもので、家督を盛興に譲った後、盛氏は一旦向羽黒山城へと移った。しかし、天正2年(1574年)盛興が26歳の若さで嗣子なく没すると、盛氏は盛興の正室(伊達氏)を自分の養女として、二階堂盛隆を養子に向かえて家督を継がせた。盛氏は後見人として黒川城へ再び移ることとなり廃城となったとされる。

しかしながら、現在の遺構は隠居城というには遙かに壮大で、また虎口などは非常に技巧的かつ規模が大きく、連続して存在するなど、蘆名氏の後に会津を領した、伊達、蒲生、上杉の各領主によって改修されたものと思われる。

鴨山城:築城年代は定かではないが南北朝時代に長沼氏によって築かれたと云われる築城年代は定かではないが南北朝時代に長沼氏によって築かれたと云われる。 長沼氏は下野国小山氏の一族で下野国芳賀郡長沼発祥、文治5年(1189年)源頼朝の奥州攻めのに参加して戦功を揚げ南会津に所領を得たものとされる。当初は長沼城を居城としていたが、応永年間(1394年〜1428年)頃に鴫山城を本拠として移ったと見られている。

長禄3年(1459年)山中越中は白河結城勢を密かに導き、長沼氏を鴫山城より追だしたが、長沼氏は葦名氏の力を借りて鴫山城を取り戻したという。

天正17年(1589年)葦名氏が伊達政宗によって滅ぼされると伊達氏に帰属し、先陣として伊達氏に服属しない山内氏や河原田氏を攻めた。天正18年(1590年)豊臣秀吉による奥州仕置き伊達氏が会津から取り除かれると、長沼氏は伊達氏に従って退去した。

その後は会津に入封した蒲生氏郷の家臣小倉作左衛門、ついで上杉氏の家臣大国実頼が城代となり、この頃に大門付近の改修が行われた。再び蒲生氏が会津に入封した時には蒲生主計・蒲生内記が在城したが、寛政4年(1627年)加藤嘉明が会津に入封した後、元和の一国一城令により廃城となった。

久川城:天正17年(1589年)河原田盛次によって築かれたと云われる。 河原田氏は藤原北家秀郷流の下野国小山氏の庶流で下野国都賀郡河原田郷発祥とされる。

河原田盛光が源頼朝に従って奥州合戦で戦功を挙げ、その恩賞として伊南を与えられたのが会津河原田氏の始まりとされる。河原田氏は西館・東館を平治の居館として築き、南背後の駒寄城を詰城として築いたとされる。

天正17年(1589年)葦名義広は摺上原で伊達政宗と戦ったが敗れ、生家である佐竹氏を頼って常陸へ落ちた。政宗は居城を黒川城へと移して所領拡大を計るなか、河原田氏は伊達氏に対抗するために久川城を築いたと云われる。

伊達氏は新たに帰属した鴫山城主長沼氏などを先陣に久川城に攻め寄せたが、攻め落とすことはできず、天正19年(1591年)伊達氏は惣無事令に反したとして会津領は召し上げられ、奥州仕置きによって蒲生氏郷に与えられた。久川城を守りきった河原田氏ではあったが、奥州仕置きにより所領は没収となり、葦名義広を頼って常陸から出羽国角館へ移るもの、帰農して土着したものなど離散した。現在も出羽国角館の武家屋敷群の中に河原田家の武家屋敷があり、この子孫のものである。

会津に蒲生氏が入封すると蒲生郷可、上杉氏の時代には清野助次郎長範、再び蒲生領となると蒲生彦太夫が入城し、慶長15年(1610年)頃に廃城となった。

棚倉城:寛永2年(1625年)丹羽長重によって築かれた。 慶長8年(1603年)立花宗茂が棚倉一万石を領して大名に復帰し、居城としたのは赤館といわれ、宗茂は後に三万五千石に加増され、元和6年(1620年)宗茂は旧領の筑後国柳河へ転封となった。かわって元和8年(1622年)に入封したのが丹羽長重で、常陸国古渡より五万石で入封するとはじめ赤館を居城としていたが、棚倉城を築いて居城を移し赤館は廃城となった。

赤館城:築城年代は定かではない。

建武年間(1324年〜1336年)には伊賀国より下った伊賀隆定の二男定澄が赤館城主となり、赤館氏を名乗り、以後代々赤館氏の居城となった。

永禄3年(1560年)寺山館まで勢力を北上させた佐竹氏に対抗するため、白河結城氏は葦名氏に支援を求め、葦名氏によって赤館が改修され、赤館氏は沢井へ領地替えし、上遠野盛秀を城代とした。

天正3年(1575年)佐竹氏は赤館を攻略し南郷を制圧し、赤館・寺山館・羽黒館・東館をもって南郷衆を組織した。

関ヶ原合戦後に佐竹氏が出羽国秋田へ転封となると一時天領となったが、慶長8年(1603年)立花宗茂が棚倉一万石を領して大名に復帰し、そのとき居城したのがこの赤館といわれる。宗茂は後に三万五千石に加増され、元和6年(1620年)宗茂は旧領の筑後国柳河へ転封となった。元和8年(1622年)丹羽長重が常陸国古渡より五万石で入封すると、新たに棚倉城を築いて居城を移し廃城となった。

16:30終了、帰路に向かう。
17:30福島空港到達。
18:10福島空港出発。
19:20伊丹空港到達。


今回の旅行、福島県に点在する比較的マイナーなお城7か所をおとずれ楽しみました。
城跡は現在公園として利用されているところが多く、気持ちよく散策することができました。
道も広く、車も少なく、信号も少なく、ストレスなく気持ちよくドライブお城巡り満喫しました。





















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百七十一弾:福島県お城・城下町巡り観光
2016年9月3−4日
 

相馬地方の相馬氏に、会津地方の廬名氏、県北の伊達氏などが力をほこり、さらに安積郡の伊東氏、岩瀬郡の二階堂氏、白川庄の結城氏と、多勢の勢力が覇権を争い、のちに伊達政宗がほぼ手中した福島県に足を運び、比較的マイナーなお城10か所を訪れました。 

3日15:40伊丹空港出発
16:45福島空港到達、レンタカーで福島市方面に向かう。

小浜城:大内氏は、かつて福井県の小浜に居住していたが、晴継の代である応永年間(1394〜1428)、東安達を統治していた石橋氏の家臣となり当地に移住した。そして、その子宗政が築城した折、地形が本国に似ていることから小浜城と名付けたという。
 その後、戦国の世に弱小の国人領主であった定綱は、大名領主であった伊達・芦名に交互に身を寄せては自分の安全を計っていたが、天正十三年(1585)伊達政宗に背いて芦名に属したことから攻撃を受け敗走した。そして政宗は、畠山氏が居住する二本松城の包囲戦を実行するため、当城に一年ほど在陣している。
 昭和五十六年(1981)三月の発掘調査によって、七棟の掘立柱建物跡が発見された、本丸東側(上段)では小規模な建物跡(物見櫓)を発見、西側(上段)では桁行18.5m・梁行9.2mの南北に庇、西に正方形の付属屋が付く本格的な、政宗の殿舎と推定できる建物跡を発見、軍事の中核拠点であったことが確認されている(『城址説明板』より)
城跡は公園となっており、蒲生氏時代の石垣などの遺構が残る。

19:00福島市内のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

4日7:30レンタカーで出発、時計回りでお城めぐり。

桑拙西山城:築城年代は定かではないが鎌倉時代に伊達朝宗によって築かれたと云われる。 伊達朝宗は藤原氏山蔭流の後裔で仙台藩伊達家の祖である。常陸国新治郡伊佐荘を治めていた豪族で、源頼朝に従って奥州合戦に参加し、その恩賞として陸奥国伊達郡を賜り、常陸国は嫡男為宗が相続し、朝宗と二男宗村が奥州に下向、赤館を築いたという。
応永7年(1400年)伊達大膳大夫政宗は関東公方足利満兼に背き、関東管領上杉氏憲らの攻撃を受けて赤館に籠もり、これを撃退しているが、応永9年(1402年)に降伏している。
天文元年(1532年)伊達稙宗が赤館を改修して西山城を築き、梁川城から居城を移した。 天文11年(1542年)から天文17年(1548年)まで続いた伊達稙宗・晴宗父子による天文の乱では、晴宗は稙宗が鷹狩からの帰路を襲撃し、この桑折西山城へ幽閉している。間もなく小梁川宗朝によって稙宗は救出され石母田城へ逃れるが、天文の乱とよばれる奥州を巻き込んだ伊達家の内訌へと発展していく。
天文17年(1548年)室町将軍足利義輝による仲裁で和睦が成立し、稙宗は家督を晴宗に譲り隠居地として丸山城を築いた。晴宗は米沢へ移り西山城は廃城となった。
延宝7年(1679年)本多忠国が大和郡山から福島藩十五万石に封じられ、西館に築城する予定であったが、天和2年(1682年)播磨国姫路に転封となり実現しなかったと云われる。

梁川城:築城年代は定かではない。築城に関しては伊達氏の祖である伊達常陸介朝宗とか、三代義広であるとか諸説あるが判然としない。ただ九代大膳大夫政宗はこの梁川城で生まれた可能性が高いようである。
天文元年(1532年)伊達稙宗が桑折西山城へ居城を移し、その後は稙宗の八男伊達宗清に与えられ、梁川氏を称した。
天正19年(1591年)小田原合戦の後、伊達政宗は岩出山へ転封となり、梁川は会津に入部した蒲生氏郷領となって蒲生頼郷が城代を務めた。慶長3年(1598年)上杉景勝が会津に入部すると須田長義が梁川城代となる。寛文4年(1664年)上杉氏は十五万石に減封となり、幕府直轄領となった。近世城郭としての梁川城は蒲生氏・上杉氏の時代に改修されたものと考えられている。
その後は本多、松平、白河などの所領となったが文化4年(1807年)に松前領となり、一時幕府領となったが、再び松前領となった後は代々続いて明治に至る。

黒木城:築城年代は定かではないが建武年間(1334年〜1338年)に黒木大膳亮正光によって築かれたと云われる。
黒木氏の発祥は定かではないが、在地土豪説あるいは北畠顕家家臣説があるという。 建武3年(1336年)黒木入道一党が南朝方として挙兵し、霊山城落城後も南朝方の防衛拠点として北朝方の攻撃を防いでいる。
その後、相馬氏に属し黒木弾正信房の頃には中村城に弟黒木大膳義房(中村大膳)を置いて宇多郡をほぼ支配していた。しかし、天文年間(1532年〜1555年)に至り、伊達氏の天文の乱で伊達晴宗に組した黒木氏は伊達稙宗方の田中城を攻めて失敗、天文12年(1543年)同じく稙宗方の相馬顕胤に滅ぼされた。
相馬氏は青田信濃顕治を城代して置いたが、永禄6年(1563年)青田氏一族が離反して伊達氏に走り、代わって相馬三郎胤乗、続いて黒木中務宗元が城代となったが、天正4年(1576年)黒木中務は弟堀内四郎と謀叛を起こして伊達輝宗の元に走った。
その後城代となった門馬上総介貞経は天正18年(1590年)駒ヶ峯城奪還戦で中村城代相馬隆胤などとともに討死し、佐藤丹波信綱が城代となったが後に廃城となった。

中村城:慶長16年(1611年)相馬利胤によって築かれた。 関ヶ原合戦では相馬氏は中立を保っていたが徳川方からは西軍に付いていたとみなされ慶長7年(1602年)領地を没収され居城であった牛越城を太田原氏に明け渡し三春城の蒲生郷成を頼った。
利胤は申し開きをするため江戸に上洛し家康・秀忠父子にお家再興を願いこれが聞き届けられ慶長8年(1603年)牛越城ではなく前の居城であった小高城を一時的に居城として中村城を築城した。
相馬氏は15代続いて明治に至る。

駒ヶ嶺城:駒ヶ嶺城は、天正年間に相馬盛胤によって築かれ、藤崎摂津が城代となった。 
 天正17年、伊達政宗によって攻められ落城した。 政宗は、相馬氏との境目の城として重視し、黒木備前を城代とした。 その後、城代に桜田玄蕃ら伊達氏重臣が任じられ、江戸中期の享保3年に伊達一族宮内主税が城代となり2千石を領して明治に至った。
 幕末の戊辰戦争では、伊達氏の防衛拠点として浜通りを北上する官軍をこの城で迎え撃ったが、官軍の近代火力の前に落城した。

小高城:嘉暦元年(1326年)相馬重胤によって築かれた。 相馬氏は平将門の子孫であると云われ下総国相馬郡に移り相馬氏を称した。 文治5年(1189年)藤原泰衡の討伐に功があり恩賞として行方郡を領していたが重胤の時、小高城を築いて移った。
慶長元年(1596年)義胤の時、牛越城を築き居城を移したが関ヶ原合戦後に改易となりお家再興を幕府に願い出て聞き届けられると再び小高城を居城とした。 慶長16年(1611年)相馬中村城を築き居城を移したので廃城となった。

平城:滝尻城は諏訪神社の境内に比定されており、この参道入口に石碑が建っている。遺構はこの入口に面して土塁が伸びている程度で、今は堀らしき地形は確認できないが、かつては堀があったという。『福島県の中世城館跡』ではこの諏訪神社とは別に鹿島神社の背後一帯に築かれた山城を滝尻城ではないかとしており、こちらは滝尻城を参照。

須賀川城:須賀川城は鎌倉時代に当地の豪族・二階堂氏によって築かれた城である。二階堂氏は会津の蘆名氏と敵対するが劣勢で、当時の当主・盛義は子の盛隆を人質に出し、蘆名氏と和睦した。その盛隆は後に蘆名家の養子となり、蘆名家の当主となった。天正17年(1589)には伊達政宗の攻撃を受け落城し、須賀川城は伊達家の支配下に入った。

長沼城:築城年代は定かではないが南北朝時代に長沼氏によって築かれたと云われる。 長沼氏は下野国小山氏の一族で下野国芳賀郡長沼発祥、文治5年(1189年)源頼朝の奥州攻めのに参加して戦功を揚げ長沼城を居城としていたが、応永年間(1394年〜1428年)頃に鴫山城へ本拠として移ったと見られている。
永禄年間(1558年〜1570年)頃には葦名・伊達・二階堂などの諸勢力が長沼城を巡って激しく争ったが、最終的には葦名盛氏の所領となって新国貞通が城主となった。天正8年(1580年)盛氏が没して二階堂氏からの養子である盛隆が家督を継ぐと船岡館主松本行輔や貞通の弟笈川館主栗村下総とともに謀反を起こした。
天正17年(1589年)には葦名氏を滅ぼした伊達政宗の所領となったが、翌18年の奥州仕置によって会津に入封した蒲生氏郷の家臣蒲生郷安・蒲生主計が城主となった。 氏郷が病没すると慶長3年(1598年)には上杉景勝が会津に入封し信濃国長沼城より島津忠直が城主となった。慶長6年(1601年)には再び蒲生氏の所領となり蒲生郷治・玉井数馬介が城主となったが元和一国一城令によって廃城となった。

16:40福島空港到達

18:15福島空港出発
19:25伊丹空港到達。

今回の旅行、東北地方の福島県に足を運び、比較的マイナーなお城10か所をめぐり楽しみました。
今回も地味な城跡が多く、見つけるのも苦労を要しました。
相馬からいわきまでの海沿いを走行しましたが、原子力の影響がいまだにねずよく、車も人も少なく、お店も閉まっており閑散としていました。いつになれば以前の姿に戻るのでしょうね。














 
  
飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百六十弾:福島県東北三十六不動霊場&奥州三十三観音霊場巡り観光
2016年6月4日ー5日

全国で3番目に広い面積を誇り、雄大な自然と美味しい食べ物、そしてあたたかい人々が住む県です。 福島は大きく3つのエリアで分かれています。 豊かな大自然と会津藩士ゆかりの名所旧跡が点在する「会津地方」美しい花々とみずみずしい果実がいっぱいの「中通り」太平洋に面し、雄大な景観を眺める「浜通り」風土、文化、気候も違うそれぞれの魅力で訪れる人に驚きと感動を与えます福島県に足を運び、福島県に点在する東北三十六不動尊霊場6か所と奥州三十三観音4か所を巡りました。

4日15:40伊丹空港出発
16:50福島空港到達、レンタカーで郡山に向かう。
17:30郡山市内のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。
5日7:30レンタカーで出発、霊場巡り。

相応寺:
相応寺は大玉村の中心部にあるが、不動堂である遠藤ヶ滝不動尊は安達太良山の麓にある。相応寺は、法相宗の高僧・徳一大師が大同二年(807年)眉岳に開基したが、高地は積雪も多く雷火の炎上も度々あった。応永年間(1394年)亀山の地に移り、更に永禄三年(1563年)実弁法印の代に現在地へ伽藍を造営した。元の寺跡にも石造りが現存する。遠藤ヶ滝不動尊は平安時代の遠藤武者・盛遠に因む。袈裟御前との恋に破れた盛遠が名を文覚と改め仏門に帰依し、若い頃、安達太良山中の瀑布において気を養ったことから冠して、遠藤ヶ滝と称するようになった。以来、遠藤ヶ滝不動尊と敬い人々の信仰を篤くしたが、この別当寺が相応寺であった。

観音寺:
福島県桑折町に、奥州三十三観音第十二番札所  浄土宗 大悲山観音寺があります。観音寺は宝治元年(1247)伊達家四代桑折西山城主政依が父義弘公の菩提を弔うため、京都・鎌倉にならい伊達五山の1ケ寺として建立された寺です。創建当初は天台宗であったが、真言宗の時代もあったといわれています。寛永13年(1636)に宗門改めの際、当時の住職が浄土門の出であったので、浄土宗に改宗、磐城専称寺の末寺となりました。

大聖寺:
福島県桑折町に 奥州三十三観音第13番札所  明王山 大聖寺があります真言宗豊山派のお寺です。

天王寺:
福島県飯坂に 臨済宗妙心寺派 香積山 天王寺があります。奥州33観音 第11番札所です。天王寺は大阪、谷中、富国の天王寺とともに日本四天王寺の一寺といわれ、用明2年(587)用明天皇が開基したと伝えられています。

医王寺:
福島市飯坂に 真言宗豊山派 瑠璃光山 医王寺がある。平安時代天長3年(826)に開基したお寺であり、奥州三十三観音 特別霊場であります。弘法大師作の薬師如来をおまつりし、霊験あらたかで数多くの人々の信仰を集め鯖野も薬師と呼ばれ親しまれております。また、佐藤家の遠祖、一族の菩提寺でもあります。

太龍寺:縁起によると、「当寺は寛永二十年(1643年)会津藩主保科正之公の開創なり。機外昭鑑禅師を開山とし百石(元禄年中墓地と振替、五十石となる)を賜る藩士の家中寺として栄えた」という。不動明王像は当初成就院にあったが、明治維新の神仏分離で成就院は吾妻山神社と改まり、仏像の多くは大龍寺十七世太宗玄義和尚が当寺に移した。そして不動講などを組織して信仰を鼓吹し、殊に信者の内に長寿の者が多くなり、いつしか長寿不動尊と崇められた。

会津薬師寺:当寺は天台宗医徳山薬師寺と号し、今より千二百余年に遡る。宝亀十年(779年)千寿院として草創された。のち嘉祥元年(848年)慈覚大師円仁が開基したと伝えられる会津屈指の古刹である。その後、平泉藤原氏が滅亡の際、藤田式部忠重の氏族、佐藤清純が平泉高館に祀ってあった薬師像を持ち帰り、建久元年(1190年)円鑁沙門が寺構を再建して薬師堂を造営し、これより薬師寺と称するようになった。
 近年に護摩堂を興して、希有の車不動尊を勧請した。


圓養寺:当寺は戊辰の役により荒廃し、人心が傷悴していた折り、及川照龍律師(明治四十年十月十七日没)が末広講を結成し成田山新勝寺の御分霊を勧請され明治二十一年十月二十八日、円養院として開基されたと伝えられています。第二世照輪師は弘敬講社を結成せられ信者の教化に尽力された。昭和九年に第三世金沢誠仁中僧正が晋山し、布教を重ねて昭和二十八年、円養寺と改め現在の山容に整えられた。

徳善寺:霊験あらたかな不動尊として広く世に知られている、山本不動尊の御本尊は弘法大師の御持仏といわれ渓流を眼下に50米の巨巖の洞窟に安置された世にも稀れな霊場で平城天皇大同二年(809)弘法大師の御開創であると伝えられています。御縁起によりますと弘法大師勅命により湯殿山開基の為東北へあんぎゃの途上当地方八溝山(1022米)系鬼頬山(701米)に住む悪鬼調伏祈願の為同山々腹に護摩坦(現在)を築き37日の不動護摩の秘法を修行せしに霊験空しからず結願に悪鬼退散し以来住民安穏なることを得て生業にいそしむことが出来たと云われます。弘法大師はこの地こそ不動明王有縁の地なりと感得し尊像奉安の霊地を当山の霊窟に求められたと伝えられます。この尊像は大師にお供して来た道隔阿闍梨がこの地に留まり草庵を結び、日夜供養と修法に精進致しましたので登山参拝の人々にて賑い諸堂宇の建立と相待って貴賤の耳目を驚かすと記録されております。爾来1170余年霊窟の不動尊として世に知られ賑わっております。

常福寺:天平六年(734年)東北地方に大地震あり、次いで疫病流行し病に臥すもの日夜相次ぎ、惨状目も当てられず。大和国鷲峰山の住僧源観上人はるかにこの悲報をききて憐み、善無畏三蔵伝来の秘仏薬師如来を護持して当地に来る。不動堂は開山以来いく度か山火事に遭い、現不動堂は明治四十八年に建立された。

18:15福島空港出発
19:25伊丹空港到達。

今回の旅行、東北地方の福島県に足を運び、福島県に点在する東北三十六不動尊霊場6か所と奥州三十三観音4か所を巡り楽しみました。

今回も立派な霊場が多く、田園風景を見ながらドライブを楽しみ、霊場巡り癒されました。

 









飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十一弾:福島県会津エリア観光
2013年8月24ー25日


海あり山あり広い福島の会津エリアに足を運び、会津エリアの中心地、白虎隊ゆかりの地会津若松、ラーメンで有名なレトロな町喜多方、自然豊かでのんびりとした雰囲気、大内宿や曲家集落などタイムスリップしたかのような懐かしい風景を見ることができる南会津を訪れました。

24日14:50伊丹空港出発
16:05福島空港到達、レンタカーで会津若松方面に向かう。
17:00会津若松到達。

漆器・絵ローソク・焼物・桐工芸品など1階は伝統工芸品をはじめ、地産商品を展示販売し、2階の展示室では地域グループでの作品展示発表の場となっている。また、ミニ喫茶のドリップコーヒーも大好評。会津まちなか観光の拠点として気軽に立ち寄ることができる会津町方伝承館を訪れる。
葦名、伊達が居城した城は1591年(天正19)、蒲生氏郷によって7層の天守閣が造られ、名前も鶴ケ城と改められた。天守閣は1874年(明治7)、陸軍省により壊されたが、1965年(昭和40)に復元。壕や土塁なども残り、城郭全体が国の史跡に指定されている鶴ケ城公園を訪れる。

復元された鶴ケ城の内部は「お城ミュージアム」として公開されている。1階には新島八重の生涯を映像で分かりやすく紹介するCGシアターが、2階はお姫様やお殿様の衣装に着替えることができるスペースがある。5階からは会津23万石の城下町が一望できる若松城天守閣[鶴ケ城公園]を訪れる。

江戸中期の築庭で、歴代藩主の保養所として利用されたもの。「御薬園」の名は、今では会津の特産になっている薬用人参をはじめ、薬草を栽培していたことから付けられた。園内には400種類の薬用植物が栽培される薬用植物園、茅葺き数寄屋造りの御茶屋御殿、心字の池などがある。秩父宮妃殿下ゆかりの重陽閣では紅茶とデザートも楽しめる会津松平氏庭園 御薬園を訪れる。

白虎隊士19名の最期の地となった飯盛山。スロープコンベアを利用し、残りの45段の石段を登れば、山頂の墓と自刃の地に至る。自刃の地からは鶴ケ城を眺望可。毎年4月24日と9月24日、墓前では慰霊祭が開かれる。麓には白虎隊記念館がある飯盛山を訪れる。

白虎隊に関する史料をはじめ、会津藩主・松平家が実際に使用していた調度品、また、会津藩を援護した新選組や、討幕派である薩摩藩・長州藩に関する資料など、約5000点を収蔵。また、八重の桜の特別展として、本物のゲベール銃を手で触れる事が出来る。八重の人形(等身大)と共に展示されている白虎隊伝承史学館を訪れる。

飯盛山スロープコンベアの上り口にある施設。白虎隊をはじめ、新撰組や倒幕派など、戊辰戦争に関する約1万2000点の衣服や武器、写真などを収蔵。近藤勇ら旧幕府軍、板垣退助ら倒幕派の資料、戦争の様子を再現したジオラマもある白虎隊記念館[飯盛山]を訪れる。

飯盛山にある、二重螺旋6角3層の旧正宗寺・円通三匝堂。さざえに似ていることから、さざえ堂と呼ばれる。階段がない螺旋状の坂を登っていくと、いつの間にか下りになっているという不思議な回廊。国の重要文化財に指定されているさざえ堂[飯盛山]を訪れる。

白虎隊士最期の場所。白虎隊士が鶴ケ城を望む姿を再現した石像も立ち、当時の彼らの心情を考えると感慨深い。ここから南西の方向に目をやると、3kmほど先に鶴ケ城が望める白虎隊士自刃の地を訪れる。

飯盛山の石段を上った左手に、19基の小さな墓が一列に並んでいる。切腹した20名のうち1名は奇跡的に助かり、この悲劇が広く伝わった。墓から鶴ケ城方面へ下りたところに自刃の地がある白虎隊士十九士の墓を訪れる。

会津若松駅付近のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

25日6:00レンタカーで出発喜多方方面に向かう。

県内一の米穀商だった、松崎家の蔵座敷を無料開放。建物内では、会津木綿や桐下駄の展示・即売もしている蔵屋敷あづまさ[うるし美術博物館]を訪れる。

明治12年(1879)創業の老舗・笹屋旅館に併設された美術館。3代目が画商を兼ねていたため、竹久夢二や小川芋銭、酒井三良など、ゆかりの画家による絵が多数残されている。日本画や旧華族家の飾り棚など約100点を展示している喜多方蔵座敷美術館を訪れる。

蔵の街・喜多方の蔵に関する知識と情報を提供する。店蔵、座敷蔵、穀物蔵など8棟の蔵と、福島県指定重要文化財の郷頭[ごうがしら]屋敷、肝煎[きもいり]屋敷の2棟の曲がり家が立つ。個々の蔵の使い方や、喜多方地方の郷土資料などを展示する喜多方蔵の里を訪れる。

会津ゆかりの芸術家の作品を中心に展示する、地域密着型の美術館。建物は煉瓦蔵をイメージ。こじんまりとした中にも落ち着きがあり、隣接する蔵の里とともに周囲の町並みに調和している喜多方市美術館を訪れる。

喜多方は桐製品の産地。鼻緒をつける前の桐下駄を、庭に山のように輪積みした光景も見られる。ここでは世界中の桐工芸の歴史や製造工程などの資料が見られる。桐下駄のトンネルをくぐって入館すると、桐の香りが一杯の桐の博物館を訪れる。

807年(大同2)、空海が磐梯山の噴火を鎮めるために開基、約600年前に源翁[げんのう]禅師が再建したと伝わる古刹。本堂をはじめ源翁作といわれる木像を安置した開山堂、千手観音が置かれた観音堂などがひっそりと佇む。境内には明治のナイチンゲールといわれた瓜生岩子の像などもある護法山示現寺を訪れる。

只見方面に向かう。

会津出身の版画家・斎藤清は、1951年(昭和26)、サンパウロ・ビエンナーレで日本人賞を受賞したのをはじめ、油彩、墨画など技法の幅を広げながら世界的なアーティストとなった。美術館には、ライフワーク『会津の冬』シリーズほか90点が常時展示されるやないづ町立斎藤清美術館を訪れる。

1200年前、只見川の懸崖の上に徳一大師が創建。千葉県小湊町の能満虚空蔵尊、茨城県東海村の大満虚空蔵尊と並ぶ日本三大虚空蔵尊といわれる。境内には室町中期に建てられた奥之院弁天堂(重要文化財)、圓蔵寺庫裡、霊宝殿などが点在。祀られている福満虚空蔵尊は弘法大師作と伝わる圓蔵寺を訪れる。

越後長岡藩の軍事総督として、北越戊辰戦争を指揮した河井継之助。継之助終焉の間が移築され、面影を偲ぶことができる。当時最新鋭だったガトリング砲のレプリカの展示のほか、奥会津での戊辰戦争の様子なども紹介している河井継之助記念館を訪れる。

「只見町ブナセンター」の付属施設である「只見ブナと川のミュージアム」では、只見町のブナと自然をテーマにした常設展示(パノラマシアター)や、映像の上映、只見町に生息する動植物の標本を展示。そのほか、年に4回企画展が2階ホールで行われているただみ・ブナと川のミュージアム(ただみ ぶなとかわのみゅーじあむ)を訪れる。

南会津方面に向かう。

国道289号の針生から駒止峠への道に入ると、山頂近くに駐車場があり看板が立つ。入口から山道に入って10分も歩けば湿原に出る。ミズバショウ・ワタスゲ・マルバモウセンゴケなどの植物やハッチョウトンボなど、いずれも湿原性の種類が見られ、国の天然記念物となっている駒止湿原を訪れる。

檜枝岐川沿いの8万平方mの敷地に高層湿原エリア、高山草原エリア、高山礫地など、尾瀬の自然が再現され、尾瀬に咲く草花が観賞できる。「夏の思い出」の詩・譜碑も立てられている。管理棟には、自然保護運動の草分けとなった武田久吉博士のメモリアルホールや、山岳写真家白籏氏の白籏史朗尾瀬写真美術館、福島県の書人・丹治思郷氏の「尾瀬書美術館」もあるミニ尾瀬公園を訪れる。

舘岩川に面して立つ集落。現在も14戸が曲り家で、昔ながらの風情を残している。L字形の間取りが特徴の曲り家は、馬と人間がひとつ屋根の下で暮らすために作られた家屋。現在も人が住んでいる前沢曲家集落を訪れる。

国の天然記念物に指定されている塔のへつり。「へつり」とは、方言で「川に沿った断崖、急斜面」のこと。100万年以上という長い年月の浸食と風化によって大川の断崖が削られてできた奇岩、怪石の景観だ。象塔岩、獅子塔岩、鷲塔岩など名がつけられた12の岩(塔の岩)があり、吊橋のたもとに虚空蔵菩薩が祭られている。岩の下には遊歩道がつくられ、吊橋を渡って侵食された部分を巡ることができる塔のへつりを訪れる。

全国でも珍しい茅葺き屋根の民家風の駅舎。改札口の横には囲炉裏がしつらえられ、真夏以外は火が入っている湯野上温泉駅を訪れる。

会津若松と日光市今市を結ぶ会津西街道沿いに栄えた宿場町・大内宿。昭和56年(1981)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、街道筋が当時の雰囲気によみがえった。約500m続く道沿いに、40軒ほどの茅葺屋根の古民家が立ち並ぶ。それぞれの建物は、郷土料理を提供する食事処やみやげ物店になっており、懐かしい雰囲気の中でくつろげる大内宿を訪れる。

大内宿中央にある。本陣を復元したもの。藩主が篭のまま出入りする乗り込み玄関、休憩室や寝室に利用された上段の間などが備わり、写真や生活用具など1300点余を展示。囲炉裏では1年中、まきがたかれる大内宿町並み展示館を訪れる。

16:00福島空港に向かう。
17:30福島空港到達。

19:05福島空港出発
20:15伊丹空港到達。

今回の旅行、4回目の訪れである福島県に足を運び、まだ訪れたことのない喜多方、南会津方面を巡りドライブ観光楽しめました。

大河ドラマの舞台となった会津、なかなか観光客で賑わっていました。震災後観光客がさっぱりでしたが元に戻りましたね、活気がありました。

会津若松から喜多方、南会津までの広範囲な観光めぐりでした。


 
 

















飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百五弾:福島県福島タウン&相馬観光
2012年9月8ー9日
   

阿武隈山地・奥羽山脈を隔てて、いわき・相馬のある太平洋側の浜通り、福島・郡山がある中心地の中通り、会津・喜多方など歴史ある町が多い会津の3つのエリアに分けられ、海あり山ありの広い福島県に足を運び、福島県の県庁所在地で、吾妻連峰や阿武隈高地に囲まれた福島盆地に位置する福島タウン、江戸時代に相馬中村藩6万石の城下町として栄えた相馬を訪れました。

8日14:30伊丹空港出発、
15:55福島空港到達、レンタカーで二本松方面に向かう。

1643年(寛永20)、初代二本松藩主・丹羽光重が築いた二本松城跡を整備した公園。入口の巨大な箕輪門は、1982年(昭和57)に復元されたもの。江戸時代の茶室「洗心亭」では、茶会なども催されている。春には1700本の桜が咲き乱れ、秋には「二本松の菊人形」の会場となる霞ケ城公園を訪れる。

詩人・高村光太郎の妻、智恵子の生家である造り酒屋を修復・公開している。併設された記念館では、智恵子が生前に残した油絵や紙絵、光太郎が家族にあてた書簡などを展示する智恵子の生家・智恵子記念館を訪れる。

福島タウンに向かう。
18:20福島駅前のホテル到着後、市街地を散策し食事を済ませて就寝。

9日6:00レンタカーで出発、福島タウン・福島郊外を観光する。

信夫山西麓にある大型美術館。福島県出身の版画家・斎藤清や関根正二をはじめ、国内外の芸術家の作品を常設展示している福島県立美術館の前で記念撮影。

さまざまなガラス製品、輸入雑貨が展示販売されている。2階展示室には明治・大正期のガラス美術品、ヴィクトリアン・グラスや色鮮やかな小鉢、コンポートなどを展示し、喫茶コーナーもある飯坂明治大正ガラス美術館の前で記念撮影。

826年(天長3)の開基という。弘法大師作の薬師如来が祭られ、鯖野の薬師ともよばれ、病を癒す仏として親しまれてきた。源義経に随従した佐藤継信、忠信兄弟の菩提寺で、義経一行が奥州行で立ち寄ったことを伝える弁慶の笈が宝物殿に残され、境内には「笈も太刀も五月に飾れ紙幟」と詠んだ芭蕉の句碑がある医王寺を訪れる。

文化財の古民家保存、および教育施設として造られた施設。約11万平方mの敷地には、国の重要文化財に指定されている芝居小屋・旧広瀬座や、江戸中期から明治初期頃の茅葺農家など9棟が並ぶ。生活用具や大工道具など民具の展示もある福島市民家園を訪れる。

芝生と池の庭園にレンガ造りの建物が立ち並ぶ農村公園。レストラン、地元の農産物の販売施設、ガラス工房、こけし工房などの体験施設が揃っている。こけしやガラスの絵付けが体験できる四季の里を訪れる。

サクラやレンギョウの花木を栽培している農家が昭和34年(1959)から一般開放。2月にはロウバイ、3月にはウメ、4月にはサクラが見ごろを迎え、20万人以上が訪れる。「桃源郷」と呼ばれるほどの華やかさの花見山を訪れる。

その形から「古代ピラミッド説」や「UFOの基地説」も語られるという、ミステリアスな山・千貫森にある多目的施設。1Fでは迫力の3D館をはじめ貴重な世界のUFO情報を展示。2Fにはパノラマ風呂と休憩室が完備されている福島市飯野UFOふれあい館[千貫森公園]を訪れる。

震災の跡形を残した相馬・南相馬方面に向かう。

13:00福島空港に戻る。

15:20福島空港到達。
16:40伊丹空港到達。

今回の旅行、震災・原子力で被害を被った福島県に足を運び、霞ケ城の城下町二本松、福島県の県庁所在地福島タウン、相馬中村藩6万石の城下町として栄えた相馬を訪れドライブ観光楽しめました。

震災・原子力で被害を被った相馬・南相馬の海岸線は民家が殆どなく、いたるところで道路の補修工事、震災の影響を物語っていました。

南相馬を南下していわきに向かう途中、原子力の影響で通行止め、仕方なく戻って南相馬の街から山越えしていわきを断念して福島空港に向かいました。

震災後の修復、原子力の安全性、まだまだ時間かかりそうな福島ドライブ観光でした。







  
飛行機で国内&海外の観光地巡り第六十三弾:福島県郡山タウン&白河&いわき観光
2009年6月13−14日


今回は全国で3番目に大きい面積を誇り、2つの大きな山脈、阿武隈高地、奥羽山脈を境目として3つのエリアに分けられる福島県のほぼ中央に位置する県内随一のターミナルエリア、郡山タウン、かつては道の奥と呼ばれた東北の玄関口、白河、東北有数のテーマパークが揃っているいわきに足を運びました。

13日14:40伊丹空港出発
16:00仙台空港到達、レンタカーで磐梯高原に向かう。

高湯温泉と土湯峠を結ぶ、全長約29qの観光有料道路。最高標高1,622mの吾妻連峰を縫うように走る、眼下には福島市から伊達郡へと続く信達平野が広がり、吾妻八景に代表される景勝地が続き、日本の道百選にも選ばれ、春の雪の回廊から秋の紅葉まで、季節毎に雄大で変化に富んだ様々な景色を展開してくれる
磐梯吾妻スカイラインを走行。

標高1600m。福島市と磐梯高原を結ぶ磐梯吾妻スカイラインの中間に位置。土湯温泉や高湯温泉から溶岩が堆積した山肌をみてのぼってくると、一息平坦になる場所。東に吾妻小富士、北に噴煙をあげる一切経山が見られ、吾妻小富士探勝の起点となる浄土平を訪れる。

磐梯吾妻スカイライン最大の見どころ。火山の噴火でできた山で、ビジタセンター隣のレストハウス前から急斜面の階段を15分ほどのぼると、標高1707mの火口壁。中央の噴火口が摺り鉢状に口を開けているのが見られる。火口に沿って1周すると360度のパノラマが広がり、福島市街や安達太良、蔵王なども見渡せる吾妻小富士を訪れる。

磐梯吾妻スカイラインと磐梯高原を結ぶショートカットルート。金堀〜剣ケ峰間13.1kmで磐梯山を望み、秋元湖・小野川湖を眺め、中津川橋から中津川渓谷を見下ろして檜原湖までの磐梯吾妻レークラインを走行。

猪苗代湖方面に向かう。

周囲55.32km、最大深度93.5m、日本で4番目に大きく、透明度も世界有数の湖だ。標高514mと、湖一帯が比較的高地にあり、気温の変化で霧が発生し、会津若松市の近くまで包んでしまうことも少なくない猪苗代湖を訪れる。

20:00郡山駅付近のホテル到着後郡山タウン散策して居酒屋で食事を済ませて床に就く。

14日7:00レンタカーで出発、天候曇り、郡山南西の羽鳥湖、甲子高原方面に向かう。

会津地方に注ぐ鶴沼川をせき止めて造られた人造湖。屈曲に富む湖岸からは那須連峰が望める。高山植物や野鳥、昆虫の宝庫として知られ、ミズバショウの群生地やモリアオガエルが棲息する湿地帯が点在する羽鳥湖を訪れる。

英国の小さな村をそのまま再現したホテル兼疑似体験型研修センター。ここは本場英国の洗練された情緒・文化・教養を心から愉しめるBritish Hillsを散策。

コテージタイプのホテル。那須連峰の北、羽鳥湖高原に広がる通年型アウトドアレジャーリゾート羽鳥湖高原レジーナの森を散策。

阿武隈川の源流域近くに広がる、原生林と草原に囲まれた高原。シャクナゲやカタクリなど高山植物が多いことでも知られる。川沿いに西の郷遊歩道と新甲子遊歩道があり、滝や奇岩など変化に富んだ散策が楽しめる甲子高原を散策。

新甲子温泉の奥にある樹齢320年、樹高35mの桂の大木。根元から何本も分かれて立つ姿は霊験あらたかな木として信仰を集め、かたわらには祠が祭られている剣桂を訪れる。

阿武隈川の源流に近い雪割渓谷に架かる、アーチ型の赤い鉄橋。長さ81m、谷底からの高さは約50mある。冬の時期に橋から眺める一面の雪景色を、渓谷の流れが割ったように見えるので名がついた雪割橋を訪れる。

東の白河方面に向かう。

1340年(興国元)築城。江戸時代に大改修が施され、1632年(寛永9)白河初代藩主・丹羽長重が完成させた。その後、戊辰戦争で大部分を焼失。石垣と水濠が残るのみだったが、史実に基づき三重櫓と前御門を忠実に復元。復元に使用された杉材は戊辰戦争の激戦地・稲荷山のもので、床や柱に当時の弾痕も見られる白河小峰城を散策。

1915年(大正4)に建築された、ビザンチン様式のギリシャ正教会。堂内にあるイイスス・ハリストス(=イエス・キリスト)やマリアの聖像画50点は貴重なもので、茨城県出身の山下りんのイコン画像7点も含まれる白河ハリストス正教会を訪れる。

1801年(享和元)、藩主・松平定信が築造した日本最古といわれる公園。湖畔に松・楓・桜などを植え、身分の区別なく領民に開放したという南湖公園を散策する。

7世紀なかばに置かれた念珠、勿来と並ぶ奥州三古関のひとつ。隣接して白河関の森公園がある白河の関跡を訪れる。

元和元年(1622年)、常陸国古渡より 棚倉に移封された丹羽長重は、幕府より築城の命を受け寛永元年(1624年)近津明神(都々古別神社)を馬場の地に遷宮し、翌2年その跡地に棚倉城の築城に着手し寛永4年(1627年)完成した。慶応4年(1868年)戊辰戦争で落城するまでの240余年に8家16代の城主交代があった。お濠に住む大亀が水面に浮かぶと決まって殿様が転封されたということから、別名亀ヶ城ともいわれた
棚倉城跡を散策する。

いわき方面に向かう。

紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師といった、馴染み深い歌人が和歌に呼んだ歌枕で、多くの文学作品にその名が残されている。太平洋を見下ろす丘陵には、歌碑をはじめ文学碑が10数基ある。周辺一帯は県立自然公園に指定されている勿来の関跡を散策する。

太平洋側を北上し、体験プログラムが豊富な、見て触れて楽しめる水族館。建物全体がガラスで覆われ、館内に自然光が降り注ぐ。メイン水槽の潮目の大水槽では、世界で初めて採用された三角トンネルを境に、福島県沖の豊かな潮目の海を表現。動物だけではなく植物の展示もあり、多様な生き物を見ることができる環境水族館アクアマリンふくしまを見学。

磐越自動車道を経由して北西に向かい、およそ8,000万年という歳月をかけて創られた大自然の造形美。全長約600mの洞内は、天井から大きく下がる鍾乳石や床下からタケノコのように堆積してできる石筍など千変万化の神秘の世界が続いています。したたり落ちる地下水が自らの溶食作用によって創りあげる様々な造形美にはそれぞれに名前が付けられ、訪れる人を魅了します。三層に分かれる洞内で最大のホール滝根御殿では、クリスタルカーテンやボックスワーク、シールド、洞穴サンゴなど、ここでしか見ることのできない貴重な鍾乳石を間近に鑑賞することができ、また、竜宮殿や月の世界、樹氷、クリスマスツリー、石化の樹林など、見る人を感動させてやまない大自然の神秘が続いているあぶくま洞を散策する。


福島空港に向かう。
18:00福島空港到達
19:00福島空港出発
20:10伊丹空港到達

今回の旅行、全国で3番目に大きい面積を誇り、2つの大きな山脈、阿武隈高地、奥羽山脈を境目として3つのエリア、いわき・相馬のある太平洋側の浜通り、福島・郡山がある中心部の中通り、会津・喜多方など歴史ある町の多い会津に分けられる福島県のほぼ中央に位置する県内随一のターミナルエリア、郡山タウン。
那須連峰の東山麓に広がる阿武隈川の源流地帯、原生林におおわれた山々と険しい渓谷が、四季折々の自然景観美を作り出す羽鳥湖高原、甲子高原。
5世紀頃に白河の関が設置され、かつては道の奥と呼ばれた東北の玄関口、江戸時代には松平定信が藩政を治めた歴史ある城下町白河。
東北有数のテーマパークが揃い、新鮮な魚介類を味わえるエリア、いわき。
福島の多くの自然名所と歴史的建造物を巡り堪能しました。

尚今回出発は14:10伊丹空港発、福島空港行きの便に搭乗予定でしたが、航空機の機器トラブル発生のため欠航、急遽14:20伊丹空港発、仙台空港行きの便に変更し、30分遅れで仙台に向かいました。
ana航空会社の航空機トラブル責任のため仙台空港から福島までの交通費を負担していただき、又幸い13日の行程は福島空港の北、磐梯方面のドライブ予定でしたので仙台空港からのアプロ−チも距離的、時間的にも差がなく仙台空港でレンタカーを手配して福島空港で乗り捨てのプランを立て、乗り捨て料金はana航空会社が負担した福島までの交通費でお釣りが出るほどの金額でラッキーでした。
観光も1時間ほど郡山に着くのが遅れましたが予定通り磐梯高原、猪苗代湖を観光ドライブでき満足に過ごすことができました。

旅はいろいろとアクシデントがありますが今回は結果的には問題を生じなかった運のよい観光旅行でした。

次回、これからはどんなアクシデント、ハプニングが起こるのでしょうね。又報告します。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第二十九弾:福島磐梯山&猪苗代&会津若松観光
2008年5月17日−5月18日


今回は東北の福島盆地を遠望する、猪苗代湖畔に抜けるドライブコース磐梯高原と城下町会津若松を訪れました。

5月17日14:20伊丹空港出発、15:25福島空港到達、レンタカーで福島駅に向かう。ホテルに到達後、福島駅市街地を散策、食事を済ませてから宿を取る。

18日天候快晴、絶好の観光日和。
前日からレンタカー借りていたため早朝の日の出と共に5:00出発、磐梯吾妻方面に向かう。

磐梯吾妻スカイライン到達、奥羽山脈の主峰、吾妻連峰を縦断する眺望抜群のスカイラインを通過して、高湯温泉の硫黄臭が鼻をつく、深く切れ込んだ不動沢に向かって、木々が迫るように茂る風景のつばくろ谷を訪れる。
標高1580m、周囲は荒涼とした景色が続いている浄土平訪れ、周囲約1,5kmの火口が口を開けるコニーデ型の小火山、まさにミニ富士を散策。
幾重にも重なる山の尾根沿いに深い木々が陰影を残す風景、天風境に寄る。

磐梯高原の桧原湖、小野川湖、秋元湖の3つを見ることができる磐梯吾妻レークライン通過、秋元湖に流れ込む中津川の標高差1000m以上の急流が作り出した中津川渓谷を訪れる。
磐梯吾妻レークライン随一の景勝地で桧原湖、小野川湖、秋元湖のすべてを見ることができる三湖パラダイスに寄ってから磐梯山噴火100年を記念して建てられた磐梯山の噴火の模様と動植物に与えた影響を模型などで紹介する磐梯山噴火記念館を見学。

磐梯山の西側中腹を磐梯高原から猪苗代に抜ける磐梯山ゴールドラインを通過、途中から雄大な猪苗代湖が一望しながらドライブ。

猪苗代湖に到達、湖岸に沿って移動、野口英世の生家で人類のために大きな貢献をし、世界的な医学者」となった野口英世の数々の功績を身近に観れる野口英世記念館を見学。

西の会津若松方面に向かう。

城下に立ち上る黒煙を見て自刃した白虎隊市一九士の墓が森厳な木立てに囲まれて並ぶ飯盛山を登る。

市内に向かい鶴が翼を広げた美しさと称えられる名城、戊辰戦争の激しい攻防で廃墟となり、昭和40年、市民の熱望で再建された鶴ヶ城を訪れる。

南に向かい川の流れや風雨によって侵食を繰り返してできた奇岩怪石が河岸にそそりたつ塔のへつりを訪れる。

西に向かい明治18年に建築された擬洋風木造建築で一部2階建ての内庭式、昭和46年に現在地に移築され調度品もそのままに当時を再現した郡長室、田島で出土した縄文土器などを展示する旧南会津郡役所、会津と越後の交易路だった八十里越に置かれた番所跡で現存する茅葺きの大屋根の曲がり家は寛政10年1798年築と伝えられ、奥会津地方最大規模の古民家で福島県指定の重要文化財でもある叶津番所跡を見物。

北に向かい国道252号の傍らをゆったりと流れる会津地方きっての大河、只見川に沿って走行、5000年以上前にできた山上のカルデラ湖、沼沢湖によってから1200年の歴史があり門前町として栄えてきた、柳津に存する日本三大虚空蔵尊のひとつとしていわれる福満虚空蔵尊圓蔵寺を訪れる。

16:30福島空港に向かう。
18:00福島空港到達。
19:00出発。
20:10伊丹空港到達。

今回の旅行、初めて東北福島県に足を延ばし、福島市街地から、山越え、峠越えの山岳道路を走り、猪苗代湖畔に抜ける颯爽としたドライブルート、福島盆地を遠望し、磐梯高原に下り湖岸道路を周回して猪苗代の地へ、又戊辰戦争の悲話も残る城下町、会津若松から山深い西会津地方や奥会津の大自然と歴史を訪ねるドライブルート。

朝の日の出の5:00から夕方18:00までの13時間、走行距離500km越え堪能したドライブ観光でした。