愛媛

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百十七弾:愛媛県伊予十三仏霊場巡り観光
2017年12月9日−10日
 

四国の愛媛県に足を運び、民間信仰として始まり、これが大衆化して全国に広まったといわれる、十三仏信仰、現在でも十三仏像を一尊ずつ本尊として安置し、各寺院は、境内地、堂宇、植生などにそれぞれ違った趣を持ち、四季折々伊予の古刹をめぐる信仰と癒しの小旅行として楽しめる伊予十三仏霊の15か所霊場を訪れました。

9日18:00伊丹空港出発
18:50松山空港到達、レンタカーで松山市内に向かう。
19:30松山市内のホテル到着後?華街を散策し就寝。
10日7:00仏霊場巡り。

太山寺:愛媛県松山市にある真言宗智山派の寺院。瀧雲山(りゅううんざん)、護持院(ごじいん)と号す。本尊は十一面観世音菩薩。四国八十八箇所霊場の第五十二番札所。伊予十三仏霊場の第三番札所。

光音寺:

成願寺:

地蔵寺:

円福寺:

浄土寺:愛媛県松山市にある真言宗豊山派の寺院。山号は西林山(さいりんざん)。院号は三蔵院(さんぞういん)。本尊は釈迦如来。四国八十八箇所霊場の第四十九番札所であり、伊予十三仏霊場の第二番札所である。

極楽寺:

明星寺:

金毘羅寺:

隻手薬師:

道音寺:

西林寺:愛媛県松山市高井にある真言宗豊山派の寺院。清滝山(せいりゅうざん)、安養院(あんよういん)と号す。本尊は十一面観世音菩薩。四国八十八箇所霊場の第四十八番札所。伊予十三仏霊場の第八番札所。

大蓮寺:は愛媛県松山市にある真言宗豊山派の寺院である。山号は青岸山。本尊は十一面観音。伊予十三仏霊場第一番札所(不動明王)。境外仏堂として、四国八十八箇所番外札所の小村大師堂(通称・札始大師堂)がある。

八坂寺:愛媛県松山市にある真言宗醍醐派の寺院。熊野山(くまのざん)、妙見院(みょうけんいん)と号する。本尊は阿弥陀如来。四国八十八箇所霊場の第四十七番札所であり、伊予十三仏霊場第十番札所である。

理正寺:

16:00終了、松山空港に向かう。
18:00松山空港到達。
19:20松山空港出発
20:15伊丹空港到達。

今回の旅行、四国の愛媛県に足を運び、愛媛県に点在する伊予十三仏霊場の15か所を訪れ楽しみました。
ほとんどの霊場が、以前四国八十八箇所霊場巡りで訪れたことのある霊場で立派な霊場でした。
















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百八十一弾:伊予大島八十八箇所&愛媛県お城巡り観光
2016年11月12−13日
 

開創二百年余りの歴史を有する島四国、のどかな瀬戸内の風景を心癒される伊予大島准四国霊場八十八箇所の16箇所と愛媛県のしまなみ海道に位置するお城三か所を訪れました。

12日17:25新大阪新幹線のぞみで出発
18:32福山駅到達、レンタカーで今治方面に向かう。
20:5今治港付近のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。
13日7:00レンタカーで出発、伊予大島に向かう。
8:00伊予大島霊場巡り

牛頭山:
 
昌清庵:
  
櫛野辺堂:
  
万性寺:
 
道場庵:
  
霊仙寺:
 
金剛院:
 
遍照坊:
 
般若庵:
 
大来庵:
 
普光寺:

五光庵:
 
福寿庵:
 
供養堂:
 
紫雲庵:
 
知足庵:
 
蓮台庵:  

12:00しまなみ海道に位置する愛媛県のお城巡り。

甘崎城:天智天皇10年(671年)越智氏によって築かれたと云われ、最古の水軍城とされる。中世には村上水軍の水軍城として来島村上氏の部将村上吉継などが居た。慶長5年(1600年)今治に入封した藤堂高虎は弟の藤堂大輔を城主として城を改修、その死後は菅宇兵衛、桧垣五郎などが在城したという。慶長13年(1608年)藤堂高虎の伊勢国安濃津への転封により廃城となった。

能島城:応永26年(1419年)村上吉房によって築かれたと云われる。 村上吉房は村上義顕の三男で分家し築城した。
村上水軍三家のうち最も四国よりに拠点を構えた来島村上氏は主家河野氏の内紛に乗じて伊予本土にまで次第に勢力を拡大していく。 四代通康は河野通直が寵愛し後継者として指名した程であったが、これには河野家臣団の猛反発を喰らい反対派が来島を攻める第一次来島合戦が起こった。
天正10年(1582年)村上通総のとき、織田信長の部将羽柴秀吉の調略を受けて河野氏を離反し織田氏に付いた。河野氏は毛利氏とともに来島村上氏を攻め、通総は耐えきれずに来島城を脱して秀吉の元に逃れたが、鹿島城主で通総の兄である得居通幸は鹿島城を固く守って攻撃を退けた。
秀吉の元に逃れていた通総も羽柴氏と毛利氏が和睦したのち旧領に戻り、天正13年(1585年)秀吉による四国征伐では小早川隆景の指揮下で先鋒を務めた。この功により風早郡一万四千石が来島通総に与えられ、通総は来島城を廃して鹿島城を居城とした。
慶長2年(1597年)来島通総は慶長の役で討死し、家督は次男の長親が継いだ。 慶長5年(1600年)関ヶ原合戦で来島長親は西軍に属し、豊後国森一万四千石で転封となったが、三島村上氏で唯一江戸時代に大名となり、久留島氏と名を改め明治まで続いている。


来島城:応永26年(1419年)村上吉房によって築かれたと云われる。 村上吉房は村上義顕の三男で分家し築城した。
村上水軍三家のうち最も四国よりに拠点を構えた来島村上氏は主家河野氏の内紛に乗じて伊予本土にまで次第に勢力を拡大していく。 四代通康は河野通直が寵愛し後継者として指名した程であったが、これには河野家臣団の猛反発を喰らい反対派が来島を攻める第一次来島合戦が起こった。
天正10年(1582年)村上通総のとき、織田信長の部将羽柴秀吉の調略を受けて河野氏を離反し織田氏に付いた。河野氏は毛利氏とともに来島村上氏を攻め、通総は耐えきれずに来島城を脱して秀吉の元に逃れたが、鹿島城主で通総の兄である得居通幸は鹿島城を固く守って攻撃を退けた。
秀吉の元に逃れていた通総も羽柴氏と毛利氏が和睦したのち旧領に戻り、天正13年(1585年)秀吉による四国征伐では小早川隆景の指揮下で先鋒を務めた。この功により風早郡一万四千石が来島通総に与えられ、通総は来島城を廃して鹿島城を居城とした。
慶長2年(1597年)来島通総は慶長の役で討死し、家督は次男の長親が継いだ。 慶長5年(1600年)関ヶ原合戦で来島長親は西軍に属し、豊後国森一万四千石で転封となったが、三島村上氏で唯一江戸時代に大名となり、久留島氏と名を改め明治まで続いている。

18:00福山駅到達。
18:59福山駅新幹線のぞみで出発。
20:01新大阪駅到達。

今回の旅行、愛媛県しまなみ海道に足を運び、伊予大島に点在する八十八箇所霊場の16箇所と3個のお城を訪れ楽しみました。

伊予大島の八十八箇所霊場は初心者にはもってこい、険しい場所にはなく、距離も短く、四国八十八箇所霊場を訪れる前の練習の霊場巡りです。

今回3回目で伊予大島八十八箇所すべてを巡ることができました。

昼からは愛媛県のしまなみ海道に点在するお城を巡り、こちらも愛媛県のお城全てを終了いたしました。











 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百七十九弾:愛媛県お城城下町巡り観光
2016年10月29−30日


源平合戦で源頼朝に味方した河野氏が、伊予で一大勢力を築く、応仁の乱以降は、周防の大内氏、豊後の大友氏が接近し、毛利氏も 争乱に絡んでくるが、最終的には土佐の長宗我部元親によつて制圧された愛媛県に足を運び比較的マイナーなお城6箇所を訪れました。

29日14:20伊丹空港出発
15:10松山空港到達、レンタカーで宇和島に向かう。
17:00宇和島駅前のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
30日7:00レンタカーで出発、お城巡り。

河後森城:築城年代は定かではない。 戦国末期の城主は河原淵教忠(渡辺)で土佐一条氏一族の東小路家から政忠の養子となった人物だが重臣芝氏に城を追われる。 芝氏は土佐を統一した長宗我部氏に通じ西園寺氏に敵対した。
豊臣秀吉による四国平定後は城番が置かれ、藤堂高虎が宇和島城を築城した際には河後森城の天守を月見矢倉に移築したと伝えられる。 慶長19年(1614年)伊達秀宗が宇和島に入部すると、付家老桑折氏が七千石をもって居城としたが、元和の一国一城令により廃城となったようである。

大森城:築城年代は定かではないが土居氏によって築かれた。 土居氏は紀伊国牟婁郡土居の鈴木党発祥と称しているが定かではない。 土居氏は西園寺十五将の一人に数えられる。
戦国時代の当主土居伊豆守清宗は天文15年(1546年)石城に籠って豊後の大友氏からの侵攻を防いだ。しかし、永禄3年(1560年)に再度大友氏の来攻を受け石城は落城して土居清宗・長子清定父子は自刃して果てた。
永禄5年(1562年)土佐国一条氏に人質となっていた土居式部大輔清良が大森城主としてこの地に戻った。清良は天正7年(1579年)長宗我部氏によって落城した岡本城の奪還に成功している。

吉田藩陣屋:明暦4年(1658年)伊達宗純によって築かれた。 宗純は初代宇和島城主伊達秀宗の五男で三万石を分地され吉田藩を立藩した。
石城のある御殿山の南麓の低湿地帯を埋め立てて築かれている。
現在は国安川沿いに石垣の一部、少し中に入った所に井戸が残っており御殿風の図書館がなんとなく当時をしのばせる。

黒瀬城:築城年代は定かではないが天文年間頃に西園寺実充によって築かれたと云われる。 西園寺氏ははじめ松葉城を本城としていたが豊後の大友氏や土佐の一条氏に備えるため、居城を移した。
天正12年(1584年)実充の跡を継いだ西園寺公広のとき長宗我部氏に降伏した。公広は豊臣秀吉による四国征伐の後に宇和地方の領主として大洲城へ入った戸田勝隆によって下城を命ぜられ、翌年謀殺された。

松葉城:築城年代は定かではないが西園寺氏によった築かれたと云われる。 西園寺氏は鎌倉時代中期に西園寺公経が宇和郡地頭職となり、南北朝時代に下向して松葉城を築き領国支配を行ったとこに始まるとされる。
築城当初は岩瀬城と呼ばれていたが、西園寺家の世継ぎの宴の際に、武将の杯の中に松の葉が落ちた。城主はこれをめでたいことだと喜び、松葉城と呼ばれるようになったと云われる。
西園寺氏は南予における最大の大名であったが、大洲の宇都宮氏、豊後の大友氏、土佐一条そして長宗我部氏などと争い、西園寺実充は天文年間(1532年〜1555年)頃に黒瀬城を築いて居城を移した。

三滝城:築城年代は定かではない。 初代甲之森城主紀実定の時には七枝城の一つとして存在している。 2代紀実平によって本城を三滝城へ移すべく縄張りを行ったが病に倒れ、子実次によって永享年間(1429年〜1441年)に築かれた。 戦国時代には西園寺氏に属し西園寺15将の一人に数えられたが、長宗我部氏によって攻められ落城した。 長宗我部氏による三滝城の攻撃は諸説あり定かではないが、そのうちの一つは天正9年(1581年)通安、天正11年(1583年)親安の時であったという。

17:00松山空港到達。
18:05松山空港出発
18:55伊丹空港到達。

今回の旅行、四国の愛媛県に足を運び、宇和島周辺の比較的マイナーなお城、6箇所を訪れ楽しみました。
お城は地味でしたが案内板がしっかりあり、今回は苦労せず見つけることができました。
愛媛のお城、あとは離島に位置するお城のみとなりました。次回訪れたいと思います。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百三十弾:伊予大島八十八箇所巡り第二弾
2015年10月3−4日

愛媛県しまなみ海道伊予大島に足を運び、伊予大島八十八ヶ所第二弾54箇所をめぐりました。

3日17:35新大阪新幹線のぞみで出発、福山でこだまに乗り換え
18:50新尾道駅到達、レンタカーで今治に向かう。
20:0今治市内のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。
5日7:00レンタカーで出発、伊予大島方面に向かう。
伊予大島八十八ヶ所を巡る。

伊予大島八十八ヶ所:大島島四国88カ所は、島の医師毛利玄得・修験者金剛院玄空・庄屋池田重太の大変な努力により文化4年(1807年)に開創されました。毛利玄得は医者として、日夜医業にいそしんではいたが、一旦僧籍に身をおきながら、途中で仏道をふり捨てて医者に転業したことに対する良心の呵責を感じていた。いろいろと思いつめたあげく、四国88カ所になぞらえて、大島に88カ所の霊場を設けて、世の人々を救う願いをおこし、この考えを当時の庄屋の池田重太、修験者金剛院玄空にうち明けて相談した。すると両人もこの計画に大いに賛同し、互いに協力し合うことを誓い合った。

最勝堂:

地主庵:

善徳寺:

吉祥庵:

極楽寺:

竹林庵:

三角庵:

弥勒寺:

高龍寺:推古天皇4年聖徳太子が道後温泉の帰路、来島海峡で時化にあい千手観音の導きで難を逃れたことに感謝し、千手観音を奉るため伊予の国司に命じて高龍寺を建立したと伝えられています。
昔は亀老山中腹に大規模な伽藍を配していましたが、火災により全焼、能島村上水軍大将、村上武吉によって現在の場所に移されました。高龍寺は村上義弘公の菩提寺です。義弘公は大島を根城に制海権を握り、南朝の忠臣として活躍しました。

 

妙法寺:高龍寺奥の院。堂横に村上義弘公の墓がある。ここから36番に至るへんろ道は、へんろ市間は通行可能。
大変急な下り坂で道も険しく、足に不安のある人は自動車道に迂回したほうがよい。

布留坊:

双深庵:

示現庵:

前札:

仏浄庵:大島島四国の特徴は本四国に似せて創られていることである。この38番札所も本四国同様に西南端の岬にお堂があり「あしずりさん」と呼ばれている。38番仏浄庵は願望成就の仏さまとして島民の信仰を集めている。

宥信庵:

同番:

浄花庵:

海照庵:

證林庵:

蓮花庵:

大聖庵:山の中腹、135段の石段を上がると札所があり、その左手には巨石に掘られた不動明王がある。その横にも人がひとりやっと通れる石穴があり奥にも不動明王の石仏がある。不浄の人は石穴に入ることが出来ないという。
 

證明寺:約450年前、室町時代に能島水軍村上氏の菩提寺として栄えていたがその後廃寺となり、明治6年に取り壊した。今の札所は境内の片隅に堂を建て、證明寺の名を引き継いだもの。堂前から水軍本拠地の能島が見える。

潮音寺:札所近くに村上水軍資料館宮窪漁港近の民家に挟まれた通りの中にある。

宝珠庵:

常住庵:

千光寺:

三光庵:

蜜乗庵:

大慈庵:

利生庵:

善福寺:善福寺の本尊、薬師如来は永仁元年より奥地の薬師山に祀られていたが、江戸時代に当地に移された。脇仏の等身大地蔵菩薩(別名、貝殻地蔵)とともに海難よけ、交通安全の仏さまとして信仰されている。境内脇の宝篋印塔は、嘉暦元年(1326年)7月の刻銘があり、国指定の重要文化財である。  

鶴林寺:

平等庵:

洗厳堂:

三門堂:

光明堂:

釈迦庵:

浄土庵:

五大院:

誕生庵:

不動堂:

西大寺:

千行堂:

福蔵寺:江戸4代将軍家綱のころ、キリシタン対策として檀家とお寺のつながりを強化したという。このとき付近のお寺をまとめてできたのが福蔵寺。現在の本堂は嘉永6年(1853年)上棟、本堂天井内には51面の花鳥図が見事に画かれている。

常楽庵:

光明庵:

西照庵:

永楽庵:嘉永3年、お堂を改築するにあたり屋根にさしかかった榎の大木が、ある夜不思議に起きあがり地上7尺のところにワラジの足跡がはっきりと残されていました。右足の跡は明治28年6月の台風で欠損しましたが、大師のご加護を永久に享受するため保存しています。

薬師堂:

照月庵:

万福寺:

随心庵:

灌潮庵:

16:30新尾道に向かう。
17:40新尾道駅到達。
18:40新尾道駅新幹線こだまで出発、福山でのぞみに乗り換え
20:10新大阪駅到達。

今回の旅行、愛媛県の伊予大島に足を運び、島四国である伊予大島八十八ヶ所第二弾54箇所をめぐり楽しみました。

狭い伊予大島にある八十八ヶ所、車での移動距離は短いですが、山頂、岬に位置する霊場が多く、結構歩かされました。木の茂った狭い道が多く、蜘蛛の巣もいたるところに張っており、体が蜘蛛の巣だらけになり、掃除するのが大変でした。

まだ17箇所残っていますので第三弾として次回は残り17霊場と、伊予大島に位置する城跡をめぐりたいと思います。




















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百ニ弾:伊予大島八十八箇所巡り第一弾&鵜島・津島観光  2015年2月21−22日 

愛媛県しまなみ街道、大島に足を運び四国八十八ヶ所の札所の土砂を持ち帰るなどし別の土地に四国にならった霊場を開創した新四国の中で比較的歴史が古く島の霊場として島四国の部類に入る伊予大島八十八箇所の21箇所を巡りました。

21日13:59新大阪新幹線さくらで出発、福山でこだまに乗り換え
15:19新尾道到達、レンタカーでしまなみ街道大島に向かう。
15:40大島到着、伊予大島八十八箇所巡り。
十楽庵:

岩屋寺:

岩屋寺大師堂:

観音堂:

法南寺:

善女庵:

亀甲庵:

宝幢庵:

利益庵:

西蓮庵:

17:30今治に向かう。
18:10今治駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
22日7:00レンタカーで出発、伊予大島八十八箇所巡り。

正覚庵:

海岸堂:

白光庵:

無量寿庵:

寿気庵:

医王庵:

付属庵:

海南庵:

潮音堂:

9:45宮窪港フェリーで出発
9:50鵜島港到達、散策。

伯方島と大島の間に包まれるように存在する鵜島。潮の流れは鵜島にぶつかり船折瀬戸、荒神瀬戸、宮窪瀬戸と早い流れをつくりだします。
足利義満がつがいの鵜を放しそれが繁殖したことが名前の由来という言い伝えもありますが、当時から村上水軍の拠点になっていました。北浜代官所跡や水軍見張所跡、造船所跡、鵜島城跡などは水軍の名残です。
江戸時代には織田信長の末裔である織田家が島の組頭を勤め、四代目の織田権四郎が1772年(明和9年)に建立したと言われる「お堂」が残されています。
漁業はほとんど行なわれおらず、柑橘類の栽培が主な産業になっています。

12:45鵜島港フェリーで出発
12:50宮窪港到達、幸港に向かう、途中伊予大島八十八箇所巡り。

車南庵:

金光庵:

13:30幸港フェリーで出発
13:40津島港到達、散策。

津島は「しまなみ海道(西瀬戸自動車道)」が通過する越智大島の西約1kmの海上に浮かぶ有人島で、南東には無人島の大突間島を従えています。
周囲5.6km、標高176.6m、来島海峡内に点在する島々の中では一番大きく、大島の吉海港(津倉)の入口にあることから古くは門島と書いて“つしま”と呼んでいました。元亀・天正年間(1570〜92)には河野水軍の田房隼人正の城があり、城主滅亡後は大島や大三島からの入植で北東側の湾内に集落が作られていきました。
島民は真宗の信仰があり、殺生を嫌ったことから漁業は行われず、農業と海運業で発展を見せています。
江戸末期には開墾が進み、稲作と甘藷や麦などの畑作が行われ、明治期になってイチジクやミカンなどの商品作物も栽培されるようになっています。今では幻となった「津島いちじく」は独特の甘味があることからブランド化され高値で取引されたこともあります。
また、海上交通の要衝にあったことから古くから海運業に従事する者も多く、島内の大山祇神社に安全祈願で奉納された天保8年(1837)の絵馬には5隻の大型帆船が描かれています。
明治から昭和にかけて木炭から石炭へと船の積荷は変わり、島の人口は500人を数えたこともありましたが、昭和30年代になり帆船の時代が終わると津島の海運業は衰退。急激に人口減少が進み昭和38年には小学校が廃校となっています。
平成25年10月1日の愛媛新聞に「29年ぶり、みこし復活へ 今治・津島」という記事が掲載されています。昭和59年(1984)以来中止になっていた秋祭りでの神輿運行が復活するというのです。市内のNPO法人の支援企画によるもので、明るさと活気を感じさせてくれます。その時津島で暮らす人の数は16人、平均年齢約83歳とあります。

16:00津島港フェリーで出発
16:10幸港到達、レンタカーで新尾道に向かう。
22日18:27新尾道こだまで出発、岡山でのぞみに乗り換え
19:54新大阪駅到達。

今回の旅行、愛媛県しまなみ街道大島に足を運び、島四国の八十八箇所の21箇所を巡り楽しみました。小規模で小ぶりの寺院が多く其々が比較的集合しており短時間で多くの寺院を巡ることが出来ました。船の便の時間に合わせて2つの島(鵜島、津島)も訪れることができ時間を有効に利用でき多くの名所をめぐることが出来ました。
島四国は全国にいくつかあるみたいです、離島をほとんど制覇していますので島四国をこれから回りたいと思います。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百九十四弾:愛媛県お城・城下町巡り観光  
2014年12月20−21日
 

四国の中心地愛媛県に足を運び比較的マイナーなお城7箇所(荏原城、港山城、恵良城、鷺森城、西条藩陣屋、川之江城、新谷藩陣屋)を訪れました。 

20日14:20伊丹空港出発
15:15松山空港到達、レンタカーで城めぐり。

荏原城:この城跡は、室町時代から戦国期、伊予の豪族河野家十八将の首位であった平岡氏代々の居城跡である。高さ五メートルほどの土塁を周囲に築き、方形の平地で、長さは約東西130メートル、南北120メートル、堀の幅は北側20メートル、西と東は14メートル、南は10メートルで、南側で外とつながっている。四隅に櫓があったらしく西南の隅に石積みがある。矢竹が植えられているのは、この期の城塁に共通する特色である。建武二年(1335)、怱那氏が「会原城」で戦ったという記録が『怱那一族軍忠次第』にあり、築城は、それ以前である。土佐からの侵入を防ぐ拠点であったが、天正十三(1585)年平岡通倚の時、秀吉の四国統一により、道後湯築城とともに落城した。

17:30松山駅付近のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

21日7:00レンタカーで出発、お城をめぐる。

港山城:築城年代は定かではないが建武年間(1334年〜1338年)に河野通盛によって築かれたと云われる。 湯築城を居城とした通盛が海辺を防御するために築いたと城だと云われる。河野本家と予州家による内紛では、予州家の河野通春が拠点としていたが、通春が病没すると攻め落とされた。天正13年(1585年)豊臣秀吉による四国征伐で落城し廃城となった。

恵良城:築城年代は定かではないが治承5年(1181年)以前に河野氏によって築かれたと云われる。治承5年(1181年)河野通清が源氏に味方して高縄山城に挙兵するに及んで、備後国の奴可入道西寂が大軍をもって押し寄せたので、通清は日高・高穴・恵亮(恵良)の砦を守らせて防戦するも賓兵敵せず落城すると「河野家譜」に記されているという。暦応4年(1341年)伊予宮方の土居通世が恵良城に籠って武家方の河野通盛と戦った。室町時代には得能氏の支族得居氏の居城となるが、天文年間(1532年〜1555年)頃より来島村上氏の勢力が伸び、得居氏は村上通康の子通久を養子に向かえた。元亀3年(1572年)毛利氏の攻撃によって落城したが、豊臣秀吉による四国征伐の後も得居通久が三千石を領して居城した。しかし、関ヶ原合戦で来島氏は西軍に属して豊後国森へ転封となったため廃城となった。

鷺森城:水壕で囲む「浮城」・鷺森城は、応永元年(1394年)伊予国守護職河野氏の一族である桑原摂津守通興が築城した。壬生川の入江沼地を利用し、東と南に堀をめぐらし、北は入り江を切り開いて海水を導き、航路を兼ねた堀川を造る。大手口は西側に置き、壕に橋を架け(一ツ橋)、後方に大手門を造った。現在は、城跡の1/3が神社境内で、2/3が住宅地になっている。南西の国道沿いに「森岡さん」と呼ばれる小祠があり、城主の墓所であったと伝えられている。「鷺森城跡記念碑」「鷺森城跡校歌の碑」「松山藩年貢米倉庫跡碑」「壬生川村公会堂跡碑」などがある。

西条藩陣屋: 寛永十三年伊勢神戸城主一柳直盛は、郷国西条へ転封になったが、赴任の途次大阪で病没したため、長男直重が後を継ぎ西条に赴任し、西条陣屋を築造し城下町を開いた。直重の後を継いだ直興は、寛文五年改易となり一柳氏の治政は、三十年間で終った。そのあと、寛文十年紀州から徳川頼宣の次男松平頼純が就封され、その後十代二百年間松平頼英が明治二年版籍を奉還するまで、西条は城下町として繁栄した。現在陣屋跡は、西条高等学校となっているが、校門となっている大手門、門脇の堤、前濠の石崖、お矢来、濠等に昔の面影が偲ばれる。

川之江城:南北朝動乱の頃(約650年前)南朝方、河野氏の砦として土肥義昌が延元二年(1337)鷲尾山(城山)に川之江城を築いた。興国三年(1342)北朝方、細川頼春が讃岐より七千の兵を率いて攻めてきた。義昌は出城の畠山城主由良吉里と共に防戦したが破れ、城を落ちのびて各地を転戦した末、武蔵国矢口の渡で戦死している。細川氏の領有後、河野氏に返され城主は妻鳥友春になった。元亀三年(1572)阿波の三好長治が攻め入ったが、撃退している。こちらは川之江城模擬櫓門  土佐の長宗我部氏の四国平定の力に抗しきれなかった友春は、河野氏に背いて長宗我部氏に通じた。怒った河野氏は河上但馬守安勝氏に命じて城を攻めとらせた。天正七年(1579)前後のことと思われる。河上但馬守は轟城の大西備中守と戦い、打たれたという話も残っているが、天正十年(1582)長宗我部氏の再度の攻撃に破れ、戦死落城している。その時、姫ヶ嶽より年姫が飛び込んで自殺したという悲話伝説も残っている。天正十三年(1585)豊臣秀吉の四国平定に破れ、小早川、福島、池田、小川と目まぐるしく領主が替り、加藤嘉明の時最終的に廃城になった。数々の攻防は川之江が地理的に重要な位置にあった為の悲劇ともいえる。戦国の世も終った寛永十三年(1636)一柳直家が川之江藩28600石の領主になり城山に城を築こうとしたが寛永十九年(1642)病没。領地は没収されて幕領となり、明治に至ったため、わずか六年の「うたかたの川之江藩」で終った。

新谷藩陣屋:寛永十九年(1642)、新谷藩初代藩主となった加藤直泰は、大久保川を付け替えて、藩主や家臣の屋敷・町人住区等の区割りを行い、庭園からの水を防火用にするなど、陣屋の体制を整えた。新谷藩は、武術とともに学問を奨励し、中江藤樹の教えや和算の普及に勤め、廃藩置県(明治四年)まで続いた。この陣屋跡に、学制頒布(明治五年)によって、新谷小学校の前身である「令教小学校」が設立された。「令」の字は、九代藩主加藤泰令の徳をしたってその一字が付けられた。この藩から、和算学者別宮猶重、蘭医鎌田明澄、産業の発展に尽くした岡丈四郎(岡大明神)、儒学者児王輝山・宇都宮龍山、国学者平田(翠川)銕胤(かねたね)、明治維新に活躍した香渡晋(こうどすすむ)、宮脇通赫(みちてる)等を輩出し、学問を重んずる気風が藩の伝統となった。

16:00松山空港に向かう。
17:10松山空港到達

21日19:40松山空港出発
20:35伊丹空港到達

今回の旅行、四国の中心地愛媛県に足を運び比較的マイナーなお城7箇所(荏原城、港山城、恵良城、鷺森城、西条藩陣屋、川之江城、新谷藩陣屋)を訪れ楽しみました。

マイナーな城跡、見つけるのは 一苦労、学校とか市役所に城跡が位置することが多いが、これは平城で見つけやすい、山城はなかなか見つけにくい、案内板があれば容易ですがない場合が多いです。

苦労して巡った愛媛県お城巡り観光でした。

尚長浜港からフェリーで青島に行く予定でしたが悪天候のためフェリーが欠航、次回持ち越しとなりました。








飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百六十四弾:愛媛県今治沖離島(馬島・小島・来島・大下島・小大下島)観光
2014年2月15−16日


愛媛県に足を運び、四国で初めて開港した港町として知られ、かつては今治藩の城下町として栄えた今治の沖の離島(馬島・小島・来島・大下島・小大下島)を訪れました。

15日13:29新大阪新幹線のぞみで出発
14:18岡山駅到達。
14:35岡山駅特急しおかぜで出発
16:44今治駅到達、歩いて今治港付近のホテル到着後、近くの繁華街で食事を済ませて就寝。
16日7:30タクシーで波止浜港に向かう。
7:50波止浜港到達。
8:00波止浜港フェリーで出発
8:20馬島港到達、散策。

来島海峡大橋の中間に位置する島。江戸時代に今治藩が馬の放牧を行っていたことが島名の由来になったとされている。目の前に広がる海峡では、大小様々な船舶が急流に負けじと舵を取る様子が間近で見られ、運が良ければ潜水艦が海面に浮上する場面も見学できるマル秘スポット。島の周囲を来島海峡の激しい潮流が流れており、中でも島の南側に現れる「八幡渦」と呼ばれる渦潮は圧巻の迫力。洞窟の出現する砂浜や白亜の灯台探してを島内探検できる。

10:30馬島港フェリーで出発
10:40小島港到達、散策

小島は愛媛県今治市沖の来島海峡に浮かぶ小さな島です。この小島には日清戦争当時、日露戦争を予感した大日本帝国がロシア海軍の侵攻を防ぐために築いた海岸要塞があります。明治32年から2年間の突貫工事で、当時の30万円の巨費を投じ、砲台や赤煉瓦の兵舎、火薬庫などが作られました。こうした施設が当時のまま残っている貴重な遺跡です。遺跡をまわる約1.8キロの遊歩道には2,500本の椿が植えられており公園としても整備されています。
ビワ首海水浴場や「風の顔ランド」キャンプ場があり、子供達の交流の場として、また釣りのポイントもたくさんあり釣り客も多く訪れています。

12:10小島港フェリーで出発
12:15来島港到達、散策

来島は今治市の波方半島の東側、波止浜港の入口にある周囲1kmの小島です。急流で知られる来島海峡に位置し、戦国時代は瀬戸内海で勢力を振るった村上水軍の島城があったことで知られています。江戸時代になると来島城は廃城となりますが、波止浜で塩田が開かれたことで塩買船や運搬船で賑わい、その後は海運業が盛んな島として発展をみせています。

13:00来島港フェリーで出発
13:05波止浜港到達、タクシーで今治港に向かう。
14:40今治港フェリーで出発
15:37大下港到達、散策

大下島は瀬戸内海の島々が密集する芸予諸島のほぼ真ん中に位置し、北に広島県の大崎上島、東に大三島、西には小大下島、岡村島と続いています。島全体を花崗岩が覆い、北部のイシ山(203m)を頂点に100m前後の山々が連なり、中部の僅かな平地に集落があります。古くから浄土真宗の信仰があり殺生が嫌われたことから漁は行なわれず、農業、主に柑橘類の栽培が島の経済を支えています。宝亀10年(779)創建とされる早津佐神社はかつて小大下島にあり、明治3年の合祀で大下島の大下神社を早津佐神社としたものです。主祭神は猿田彦命、大気都比売命などを配祀とし代々島を守り続けています。毎年2月の第2土曜日に安全と豊作を願って弓祈祷神事が行われ、9月の第2土・日曜日に秋祭りが催されます。大下の地名は小大下島にあった早(速)津佐神社の祭神だった大気都比売命が由来だとされています。

16:14大下港高速艇で出発
16:21小大下港到達、散策

小大下島は関前諸島の真ん中に位置し、西に岡村島、東に大下島が接っする周囲約3kmの島です。北東と南東が小高く、中央の僅かな平地に集落があります。江戸時代の頃は定住者はなく、西半分を岡村島、東半分を大下島の入会地として薪や木材の伐採、また石灰岩が多く見られたことから江戸時代後期にはその採掘が行われていました。明治期になり近代化が進むと石灰の需要が高まり、第一次大戦後には大手セメント関連企業が進出。そして昭和30年頃の最盛期には旅館やパチンコ屋ができたり、芝居興行が行われるなどの活況を呈していました。しかし、良質の石灰石の枯渇や販売価格低下で次第に採掘は斜陽となり昭和52年8月で工場閉鎖に至っています。一時期600人以上を数えた島の人口は減少の一途を辿り、いつしか過疎と高齢化が進み、草むらに埋もれる工場跡だけが賑やかだった頃の名残をとどめています。

17:42小大下港出発
18:33今治港到達
19:23今治桟橋しまなみライナーで出発
20:57福山駅到達
21:14福山駅新幹線サクラで出発
22:25新大阪駅到達

今回の旅行、愛媛県の今治に足を運び、今治沖の離島(馬島・小島・来島・大下島・小大下島)を訪れ癒されました。

小島には日清戦争当時、日露戦争を予感した大日本帝国がロシア海軍の侵攻を防ぐために築いた海岸要塞があり、砲台や赤煉瓦の兵舎、火薬庫などの施設が当時のまま残っている貴重な遺跡が圧巻でした。

来島は、戦国時代、瀬戸内海で勢力を振るった村上水軍の島城跡を確認でき、当時の村上水軍の偉大さを物語っていました。

各所にみられる歴史的建造物が存在する数少ない離島めぐり観光でした。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百二十三弾:愛媛県宇和海諸島巡り
2013年3月16ー17日


四国の愛媛県に足を運び、伊達十万石の城下町として栄えた宇和島沖の宇和海に点在する諸島(九島、嘉島、戸島、日振島)を巡りました。

16日14:15伊丹空港出発
15:10松山空港到達、レンタカーで宇和島に向かう。
17:30宇和島港到達、
17:40フェリーで宇和島港出発
18:10九島到達

九島とは、愛媛県の宇和島港の西、沖合い約3キロメートル、湾の入り口にたちはだかる形となっている有人島。行政区域としては宇和島市に属する。最高峰 鳥屋ヶ森。山の耕作地は南予特有の「段々畑」で多くは柑橘類などの果樹園で、自動車の通れる農道が整備されている。年間降水量は1800ミリだが、河川が急勾配で保水能力が低い。給水に問題があったが、1973年宇和島市の宮下浄水場から海底送水が始まる。

18:15九島フェリーで出発
18:30宇和島港到達、レンタカーで宇和島市内のホテルに向かう。
18:50ホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
17日6:00レンタカーで出発、宇和島港に向かう。
6:30宇和島港高速船しおかぜで出発日振島に向かう。
7:13日振島到着

日振島は宇和島の西の海上に浮かぶ、歩いて一周しても2時間半あまりの小島。屈曲の多い入江の美しさが絶妙で、磯釣り、一本釣りのメッカとしても知られるほか、海蝕洞や岩礁群などの変化に富んだ景観も楽しめます。特に今注目されているのが、夏のリゾート地としての日振島です。南予レクリエーション都市開発事業による日崎海水浴場は、自然を十分に活かして開発された美しいビーチで、休憩センターやシャワー室、更衣室、休憩室などが完備され、観光日振島の新しい魅力となっています。日振島に隣接する沖の島は、県指定天然記念物ハマユウが群生し、7・8月のシーズンともなれば、5千株もの白い花が島を包みます。

7:32日振島出発
8:10宇和島港到達、宇和島市内を散策する。

7代藩主宗紀が隠居所として1866年(慶応2)に整備した風雅な大名庭園。池泉回遊式庭園には珍しい庭石が配され、竹に雀の伊達家の家紋にちなんだ20種の竹、伊達家遠祖の藤原家ゆかりのフジなど、四季折々の美しさが堪能できる天赦園を訪れる。

伊達家ゆかりの資料を展示する博物館。掛け軸や古文書、金蒔絵が施された化粧道具、9代の正室が輿入れの際に乗った女乗物など、大名ならではの収蔵品がある。豊臣秀吉の肖像画(重要文化財)も所蔵されている宇和島市立伊達博物館を見学。

リアス式海岸の続く海に面し、四国百名山に数えられる1000m級の山々を背に、海抜80mの緑深い城山に白亜の天守がそびえる姿から鶴島城の別称を持つ優美な城。1601年(慶長6)に藤堂高虎が築城し、1615年以降伊達家9代の居城だった。10haの城山は国史跡、天守は現存12天守の1つで国重要文化財に指定されている。400種の草木が繁茂する照葉の森に、苔むす石垣が佇む幽玄の美が楽しめる宇和島城を訪れる。

11:35宇和島港高速船あさかぜで出発
12:28戸島到達

平地は少なく急峻な地形が連なっており、 漁業が中心の島。 特にハマチの養殖が盛んです。龍集寺にはキリシタン大名として知られた一条兼定の墓がある。1574年に長曽我部氏との戦いに敗れこの島に身を隠し、11年後にこの島で亡くなっている。宇和海地方は昔からネズミが多い地域で江戸時代の記録にも残っています。また昭和20〜30年代には戸島にねずみが大量発生し、その駆除は大変だったようです。

12:32戸島出発
12:47嘉島到達出発

この島も畑を作るとネズミが発生するのか、昔あった段々畑も荒れているようです。ハマチなどの養殖が盛んです。この辺り一帯は足摺宇和海国立公園で、景色はすばらしい。

13:15宇和島港到達、レンタカーで松山に向かう。
14:50高校時代を松山で過ごした伊丹十三の記念館。常設展示では、映画監督やエッセイストなどの多彩な才能や、乗り物マニアや猫好きなど趣味人としての一面を13のコーナーで紹介。企画展示室では、仕事や人柄をより深く知ることができるテーマ展示を行なっている。伊丹十三が好んだ飲み物を揃えたカフェ、十三饅頭などのオリジナル商品を販売するショップも併設される伊丹十三記念館見学。

15:30司馬遼太郎氏の代表的長編小説であり、NHKスペシャルドラマとしても2009年から2011年の3年間に渡り放送された「坂の上の雲」。「坂の上の雲」ミュージアムでは、激動の時代を生き抜いた3人の主人公の人生や業績を紹介するだけでなく、小説に込められたメッセージを活かした「新しいまちづくりの拠点」として機能していきます!坂の上の雲ミュージアム見学。

16:00松山空港に向かう
16:40松山空港到達
18:05松山空港出発
18:55伊丹空港到達。

今回の旅行四国の愛媛に足を運び、宇和島沖に点在する諸島(九島、日振島、戸島、嘉島)を訪れ又宇和島市内の観光名所、松山市内のミュージアムを訪れ楽しめました。

宇和島沖の諸島をめぐる足である船の便数が少なくどの島もゆっくり散策できず駆け足で巡りました。

愛媛の島は残り宿毛沖の島と八幡浜沖の島のみとなりました。次回チャレンジします。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百十七弾:愛媛県忽那諸島巡り
2012年12月15ー16日

有人島9島を含む30島以上で構成される愛媛県忽那諸島に足を運び、松山の西約5kmに浮かぶ小島、斎灘と伊予灘を結ぶ交通の要衝であることから、この島に洋式石作りの灯台が明治6年(1873年)に建設された釣島、忽那諸島の南西端にある島、昭和47年(1972年)、世界的権威をもつ地理雑誌「ナショナル・ジオグラフィック マガジン5月号」に26ページにもわたって紹介された二神島、忽那諸島の西部に位置、近海のクダコ付近の海は、誰もが認識する瀬戸内海最大のジギングの難所だがハマチやタイの漁場として有名の怒和島、忽那諸島の西端に位置し、西隣の山口周防大島町の諸島とはわずか700mを隔てるだけの県境の島、かつては瀬戸内海航路の要衝として、参勤交代に向かう松山藩主の御茶屋が港に置かれていた津和地島を訪れました。

15日14:15伊丹空港出発
15:10松山空港到達、タクシーで高浜港に向かう。
16:05高浜港到達
16:55高浜港フェリーで出発
18:33津和地港到達、近くの旅館で食事を済ませて就寝。
16日6:56津和地港フェリーで出発、釣島に向かう。
8:08釣島到達、散策。

釣島は松山港の自然防波堤、興居島の西約2kmに浮かぶ有人島です。周囲3kmほどの小島ですが、標高は152mと小高く、こんもりした感じの島で、北側の僅かな平地に集落があります。周囲の海は好漁場として知られ釣り船の姿をよく見かけ、釣島という名とマッチしていますが、もともとは小学校脇にある明神池(めだか池)に鶴がたくさん飛来していたことから“つるしま(鶴島)”と呼ばれていたようです。昔の明神池はもっと広い潟湖になっていて、小学校の校庭にするため多くの部分は埋め立てられ一部が残ったものです。定住の始まりは、元治元年(1864)、興居島から5人の移住によるものだと伝えられています。興居島は古来より柑橘類の栽培が盛んだったことから、耕作地を求めての移住だったと思われ、現在、釣島の山の斜面にはたくさんのみかん(伊予柑)畑が広がっています。このように農業が島の主産業になっていますが、近海でのアワビやサザエ、天草の採集、タコ漁も盛んです。特にタコは昔から良質なことで知られ、「釣島のタコ」と名指しで取引きされています。
松山市の沖合いに浮かぶ興居島と中島の間は釣島海峡(水道)と呼ばれ、昔から海上交通の要衝として捉えられてきました。そして、釣島はその西側の出口に当たることから明治6年(1873)に灯台が建てられています。明治政府は幕末に幕府と諸外国の間に交わされた条約に基づいて、関東と関西に灯台建設を進めていましたが、その流れでこの釣島にも御影石造りの洋式灯台が建設されたものです。日本の灯台の父と言われるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計によるもので、愛媛県で最も古い洋式灯台です。

9:50釣島フェリーで出発、二神島に向かう。
10:43二神島到達、散策。

忽那諸島の有人島の一つで、怒和島や津和地島から見るとひょうたん島と呼びたくなるような形をしています。もともとは松がたくさん茂っていたため松島と呼ばれていたようですが、いつの頃から二神島と呼ばれるようになったのか定かではありません。14〜15世紀に長門国(山口県)の豊田氏の支流がこの島に移り住み水軍として勢力を誇ったことにより注目されていました。二神氏(水軍)の拠点の島です。現在は小規模な漁業とだんだん畑での柑橘類の栽培が行なわれており、ミカンや伊予柑が島の経済を支えています。二神港の近くにビャクシンの自生が見られ県の天然記念物に指定されています。またその近くの民家には高さ5mを超える巨大サボテンもあります。

12:21二神島高速艇で出発
12:54上怒和港到達、散策。

怒和島は松山市の北西海域に点在する忽那諸島の有人島の一つで、津和地島中島の間に位置しています。東側に上怒和、西側に元怒和と2つの集落があり、それぞれ「陶器の里」、「レモンの里」というキャッチフレーズがあるようです。全体的に山がちで斜面ではレモンやみかん等の柑橘類の栽培が行われ、北側の宮ノ浦の平地には畑があります。かつてはこの宮ノ浦に集落がありましたが、耕地を増やすために住家を南側に移し、比較的なだらかな北側の土地を耕作地として広げたようです。平成12年に宮ノ浦で行われた発掘調査では、奈良時代から平安時代にかけての土器や中世の遺構などが見つかっており、古くからこの地に集落があったことを窺わせています。産業は柑橘類の栽培と漁業が主で、周囲の海は釣りのポイントとして知られており、入り江を生かしてヒラメやアワビの養殖も行われています。

14:23元怒和港フェリーで出発


14:34津和地港到達、散策。

西側はすぐに山口県の諸島、情島、屋代島と続く。津和地島は県境の島です。江戸時代には風待ち・潮待ちの港として幕府御用船や朝鮮通信使も寄港し栄えていました。当時、港には接待所として松山藩の「御茶屋」が置かれ、現在は御茶屋跡の碑が建てられています。島の産業はミカン栽培、漁業はタコ、タイ、ヒラメなどが水揚げされています。この島出身に金子正次(1949〜1983年)という人がいた。脚本家・俳優。33歳の時に自主映画「竜二」を完成させ、ブルーリボン賞、日本アカデミー新人俳優賞を受賞。同映画公開中に胃癌性腹膜炎により、松田優作らに看取られながら33歳の若さで死去した。

16:29津和地島高速艇で出発
17:23高浜港到達、タクシーで松山空港に向かう。
17:58松山空港到達
19:25松山空港出発
20:15伊丹空港到達。

今回の旅行、愛媛県の忽那諸島の4つの島(釣島、二神島、怒和島、津和地島)に足を運びました。

松山に近い島でもあり、フェリーが整備され、本数も多い、それぞれの島には住民も住居も多く、他の瀬戸内海の島々と違って活気に満ちていましたが観光名所はほとんどなく、ただ歩くのみの島めぐりとなりました。

昨年は忽那諸島の他の島を訪れ、今回で忽那諸島を制覇しました。

今までの旅行中の宿は、ほとんどビジネスホテルで食事は近場の居酒屋のパターンでしたが、今回は津和地島の旅館、宿泊費は庶民的で安価でしたが料理は素晴らしい、お造り、鍋、てんぷら、鯛の塩蒸し焼き、美味しかったですね。これからの宿の選択、見直さなければいけないですね。但し当たり外れがありますね。今回は大当たりでした。最後に出た一匹の鯛の塩蒸し焼き、柔らかくて最高でしたね。

食事も楽しめた愛媛県忽那諸島巡りでした。
















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百七十二弾:愛媛県松山沖忽那諸島観光
2011年12月17−18日


四国の北西部に位置し、北側は瀬戸内海、南側は西日本最高の石槌山がそびえる愛媛県に足を運び、四国最大の人口を擁する松山タウンの沖の忽那諸島、興居島、野怱那島、睦月島、中島を訪れました。

17日14:30伊丹空港出発
15:25松山空港到達、シャトルバスで松山に向かう。
16:00松山駅到達、駅付近のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

18日6:00タクシーで高浜港に向かう。
6:10高浜港到達。
6:15高浜港フェリーで出発
6:35興居島由良港到達

その昔、和気姫がこの地で三つ児を授かり、その子供の末娘が「母のいる島」と言ったことから「母居島」と呼ばれていました。
後にそれが現在の「興居島」と言われるようになりました興居島を散策する。

興居島のほぼ中央(船越地区)にあり、島の氏神様として守護神である「和気姫」(品陀和気命、息長帯命、玉依比売命)を祭り、毎年10月の松山地方の秋祭りにあわせて島全体をあげて祭礼が営まれます和気比売神社を訪れる。

中予地方島諸部における代表的な暖帯海岸樹林の中に、周囲34m高さ5mの花崗岩の巨岩を岩神様として信仰してきました。
大三島「大山祗大神」の長女「磐長姫命」を祭り、海上安全、五穀豊穣、戦いの神としてあがめられています岩神神社を訪れる。

9:30興居島由良港フェリーで出発
9:45高浜港到達
10:25高浜港フェリーで出発
11:12野怱那島到達。


2003年映画『船を降りたら彼女の島』で、 主人公(木村佳乃)が 生まれ育った島「瀬の島」 と なっているが、 そのモデルになっている島である。 島は、みかんの栽培などが盛ん。 島の沿岸は白砂の浜が多く、 海がきれいな島である
野怱那島を散策する

港のすぐ近くに登り口があって、71mの頂上まで登って行くと、瀬戸の島々を見渡せるすばらし眺望がある。映画『船を降りたら彼女の島』では何度も出てきたシーン。頂上には戦時中の監視所の一部も残っている皿山展望台を訪れる。

島で一番大きな神社。島の芸術家、石崎嘉吉の絵馬がある宇佐八幡宮を訪れる。

12:37
野怱那島高速艇で出発
12:47睦月島到達

忽那諸島の中心、 中島のすぐ東にある島は、 古くは、反物を売り歩く行商の島として栄えていた。 今はみかんの生産が盛んな島。 古い家が立ち並び、 集落の景観もきれいな島である睦月島を散策する

集落のはずれにある神社。梅雨時の境内には見事なアジサイの花が咲くという。乃木大将による記念碑がある當田八幡神社を訪れる。

伊予かすりの行商で栄えた睦月島では、昔、海岸沿いには豪邸が建ち並んでいたという。その名残か、今でも、睦月島の家は立派な長屋門を持つ家が多い睦月島の長屋門を訪れる。

神・仏の慈悲に心洗われる睦月島。集落の通り道に大きな鳥居が立っている。

14:08
睦月島高速艇で出発
14:30中島大浦港到達

忽那諸島の中心となる島。 他の忽那の島々へ渡るための、 ハブの役割をした島ともなっている。島はみかんなど、農業が盛ん。のどかな景観が楽しめるが、 島の散歩をするには面積が広くたいへんかも知れない。 トライアスロンで有名な島でもある中島を散策する。

忽那氏の祖、藤原親賢によって建立された寺、長隆寺を訪れる。

町指定文化財のある寺、真福寺を訪れる。

図書館、会議室などあるイベント施設、中島総合文化センターを訪れる。

総合スポーツ施設B&G海洋センターを訪れる。

17:05
中島大浦港高速艇で出発
17:30高浜港到達、タクシーで松山空港に向かう。
17:45松山空港到達
19:25松山空港出発
20:15伊丹空港到達

今回の旅行、四国愛媛県松山沖の忽那諸島、興居島、野怱那島、睦月島、中島の4つの島を訪れ、離島の素朴で自然いっぱいの風景を楽しんできました。

訪れた離島はかなりマイナーで観光名所もほとんど無く、地元松山の方もあまり訪れない島々であり、ただただ散策する、歩き回るのみとなりました。地元の人の住居のみでほとんど観光するところはありませんでした。当然関西の方は訪れないでしょうね。

一番大きな中島は道路が広くて整備され、学校、病院は新築で立派な建物でしたが人が少ない、車が少ない、お店、食堂、スーパー、すべて閉まっていました。寂しい限りです。

飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六十八弾:愛媛県宇和島&高知県足摺観光
2011年11月5−6日


四国の西南地区に足を運び、伊達十万石の城下町として栄え、市の中心部に宇和島城をはじめ名所旧跡ヶ多く、城下町の面影と伊達家の歴史を伝え、又鯛めしやじゃこ天など宇和海の新鮮な魚を使った郷土料理や、伝統行事の闘牛などの独特な文化も注目を集めている愛媛県宇和島、足摺宇和海国立公園に属し、風光明媚な海岸線が続き、目を奪われる断崖や洞窟が黒潮に洗われる景観が見事な高知県足摺を訪れました。

5日14:30伊丹空港出発
15:35松山空港到達、レンタカーで宇和島に向かう。
18:10宇和島到達、駅前のホテル到達後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

6日6:00レンタカーで出発、宇和島の名所を巡る。

リアス式海岸の続く海に面し、四国百名山に数えられる1000m級の山々を背に、海抜80mの緑深い城山に白亜の天守がそびえる姿から鶴島城の別称を持つ優美な城。1601年(慶長6)に藤堂高虎が築城し、1615年以降伊達家9代の居城だった。10haの城山は国史跡、天守は現存12天守の1つで国重要文化財に指定されている。400種の草木が繁茂する照葉の森に、苔むす石垣が佇む幽玄の美が楽しめる宇和島城を訪れる。

宇和島の中心部の緑深い城山の頂にそびえる。国の重要文化財で現存12天守の一つ宇和島城天守を訪れる。

達家ゆかりの資料を展示する博物館。掛け軸や古文書、金蒔絵が施された化粧道具、9代の正室が輿入れの際に乗った女乗物など、大名ならではの収蔵品がある。豊臣秀吉の肖像画(重要文化財)も所蔵されているが、展示期間は限定されている宇和島市立伊達博物館の前で記念撮影。

7代藩主宗紀[むねただ]が隠居所として1866年(慶応2)に整備した風雅な大名庭園。池泉回遊式庭園には珍しい庭石が配され、竹に雀の伊達家の家紋にちなんだ20種の竹、伊達家遠祖の藤原家ゆかりのフジなど、四季折々の美しさが堪能できる天赦園の前で記念撮影。

北灘湾に注ぐ岩松川沿いに開けた津島町の中心地。江戸時代から昭和初期まで内海航路の港として栄えていた。かつての大通りには、蔵造りの商家など、当時の面影を今に残す。作家獅子文六が愛した町で、小説『てんやわんや』の舞台となった岩松の町並みを訪れる。

約15万平方mの広大な敷地。3万株の花ショウブ、3万6000株のサツキ、1万匹の池の鯉と、四国屈指の大規模な日本庭園。各所に風情ある休憩所がある。四季折々の花が咲き、梅祭りや夏休みの風鈴祭りと毎月のようにイベントが開催される南楽園を訪れる。

宇和海方面に向かう。

平城天皇の勅願により、弘法大師が1本の霊木から薬師如来、阿弥陀如来、十一面観世音菩薩を刻んで開基。1番札所から一番遠いため四国霊場の裏関所とよばれる平城山観自在寺を訪れる。

外泊地区にある小さな集落。入江に面した急斜面に、周囲に石垣を高々と巡らした約50軒の民家が山の中腹まで続き、独特の家並みを形成する。軒に達するほどの石垣は、外洋からの強風や塩害から家を守るために造られたもので、その景観から石垣の里として知られている外泊・石垣の里を訪れる。

本で最初に指定を受けた海中公園。色とりどりのサンゴや熱帯魚の楽園で、スキューバダイビング、釣り、海水浴などのポイントも多く、南宇和の美しい海の魅力を堪能できる。リアス式の海岸線や高茂岬、亜熱帯植物が繁茂する鹿島など景勝地も点在する宇和海海中公園を訪れる。

足摺方面に向かう。

片島から大島橋を渡った、大島の先端にある海浜公園。春は桜の花見、夏は海水浴客で賑わう。公園の沖に浮かぶ咸陽島は、干潮時には歩いて渡ることができる。光の屈折によって沈む太陽が2つに見える「だるま夕日」でも知られ、11月中旬から2月中旬に見られる咸陽島公園を訪れる。

宿毛の沖合い24kmの太平洋上に浮かぶ四国西南端の島。島の周囲を断崖絶壁が取り囲み、海はサンゴの宝庫で、ダイビングや釣りのメッカとして知られる。また、夏は島を訪れる多くの海水浴客で賑わう沖の島を眺望する。

宿毛の南、大月半島先端部南側にあるリアス式海岸。高さ120〜140mの断崖が十数kmに渡ってそそり立ち、紺碧の海とのコントラストが魅力。途中の展望台からは九州の山々も遠望できる大堂海岸を訪れる。

海上にそびえる高さ30mの細長い巨岩。かつては沖を航行する船に灯台のように光を送り、安全な航路を照らしだしたという言い伝えもある観音岩を訪れる。

水深7mの海の様子を観察できる海中展望塔。らせん階段を下りていくと、直径60cmの丸窓から熱帯魚が泳ぐ海の世界が楽しめる。併設のレスト竜串では、海を見ながら軽食を。特産品を取りそろえた土産コーナーもある足摺海底館を訪れる。

土佐湾に生息する、約150種3000匹の海の生物を紹介する水族館。メインは、1〜2階を貫く直径9m・高さ6mの巨大な円筒形の水槽。カンパチなど、黒潮をすみかとする約50種類の魚に出合える。ヤドカリなど、小さな海の生物に直接触れられるタッチングプールもある高知県立足摺海洋館を訪れる。

1967年(昭和42)、珍しい貝を収蔵する貝類展示施設としてオープン。土佐沖に生息する貝類を中心に世界中から収集された収蔵品は数万点にもおよび、学術的に貴重な物もある。建物は日本を代表する建築家、林雅子氏の設計によるものの海のギャラリーを訪れる。

砂岩が波食や風食を受けて形成された海食台地。土佐清水市街の西約8kmに位置する。大竹・小竹は、巨大な竹を何本も横倒しにしたように見え、随所に節のような割れ目さえある。地層の中に残された古生物の足跡や排泄物、糞石など、地質学的に貴重なものも多い竜串海岸を散策する。

万次郎は日本人として初めてアメリカの歴史に名を刻んだ人物。万次郎がアメリカで得た経験・知識は龍馬や岩崎弥太郎など多くの幕末の志士に影響を与えた。大河ドラマ関連の資料なども展示している土佐清水ジョン万次郎くろしお社中を訪れる。

足摺半島の西につき出した岬で、日本列島のなかで唯一黒潮の本流が接岸する場所といわれる。断崖の上には臼碆埼灯台や展望台、豊漁祈願の神を祭る竜宮神社の祠がある臼碆を訪れる。

足摺岬の西、松尾海岸西端に突き出た断崖に立つ。黒潮が直接陸地に接近する数少ない場所で、磯釣りのメッカ。展望台からは東に足摺岬や西に竜串や叶崎を遠望でき、夕刻には海が茜色に染まる臼碆展望台を訪れる。

巨岩に大きな穴がぽっかり開いた奇勝。長い年月の間、絶え間なく打ち寄せる荒波や石に削られてできたもので、典型的な海蝕洞門として知られる。高さ16m、幅17mもあり、花崗岩の海蝕洞門としては日本有数のスケール。県道から波打ち際まで遊歩道が延びている。海の荒れた日の風景は一層ダイナミック。高知県の天然記念物に指定の白山洞門を訪れる。

1914年(大正3)の点灯で、1960年(昭和35)に改修された白亜の灯台。岬のシンボルになっている。地上〜頂上部は18.1m、水面〜灯火の高さは60.6m。220万カンデラの光度は日本最大級といわれ、光達距離は38kmの足摺岬灯台を訪れる。

松山空港に向かう。

16:35松山空港到達
17:25松山空港出発
18:10伊丹空港到達

今回の旅行、四国の西南エリア、愛媛県の宇和島、高知県の足摺を訪れました。

歴史深い、宇和島の伊達家城下町に点在する名所旧跡の散策と海岸線の断崖・洞窟など黒潮に洗われて出来た自然の名所が数多くある足摺を車で巡り、走行距離500kmを超えた広範囲のドライブ観光、堪能しました。























飛行機で国内&海外の観光地巡り第百四十六弾:愛媛県松山道後&石槌四国カルスト観光
2011年6月4日ー5日


四国の北西部に位置し、北側は瀬戸内海、南側に西日本最高の石槌山がそびえる愛媛県に足を運び、四国最大の人口を擁し松山城や坊ちゃん列車など観光資源の多い松山タウン、日本最古の温泉といわれる道後温泉、西日本最高峰を誇る石槌山や面河渓などの豊かな自然が広がる石槌、石灰岩台地が広がる四国カルストを訪れました。

4日14:25伊丹空港出発
15:25松山空港到達、レンタカーで出発、松山タウンに向かう。

市制100年を記念して造られた公園。松山市街の眺めを楽しめる絶好のビューポイントで、標高126mの大峰ケ台全体が公園として整備されている。ヨーロッパの古城を思わせる松山総合公園を訪れる。

山口県生まれの自由律の俳人、種田山頭火の終の住処。山頭火の句にちなんだ樹木が植えられた庭には、4基の句碑が立つ。1年を通して庵の外観見学は自由。庵に隣接して新設された休憩所には、山頭火に関する資料を展示する一草庵を訪れる。

小林一茶とも交友のあった、江戸時代の俳人・栗田樗堂が1800年(寛政12)に結んだ庵。樗堂52歳の時に、市中の隠を楽しむために作った俳諧所。昭和24年に愛媛県の史跡に指定、平成12年から3年間をかけて改修・復元された庚申庵史跡庭園を訪れる。

正岡子規が17歳まで暮らした家を復元した記念堂。子規の菩提寺である正宗禅寺境内に立つ。直筆原稿や遺墨、遺品などの展示品から筆まめで鋭敏な子規の性格を感じとることができる。愛用の机や座布団もみもの。境内には子規埋髪塔や漱石が小説の中で「マッチ箱のような汽車」と評した通称坊っちゃん列車の客車もある子規堂を訪れる。

松山タウンにあるホテル到着後、市街地散策。

標高132mの勝山山頂に立つ松山城(史跡)は、大天守に複数の小天守が連結する連立式天守をもつ平山城。1627年(寛永4)、加藤嘉明によって完成。乾櫓、野原櫓、隠門など築城当時から残るものはすべて重要文化財に指定されている。1854年(安政元)に再建された天守(重要文化財)からは、石鎚山から伊予灘までが一望。小天守内部には松山城の歴史を展示している松山城を訪れる。

松山城藩主の邸であった二之丸邸の間取りを流水や草木で表現した庭園。表御殿跡の柑橘草花園と奥御殿跡の流水園を中心に林泉庭や大井戸遺構、3つの茶室などみどころも多い松山城二之丸史跡庭園[松山城]を訪れる。

国内外の優れた作品を収蔵する美術館。年間4〜6回、企画展を開催。常設展示室では、地元作家の作品を中心に、2〜3カ月ごとにさまざまなテーマを設けて展示している。企画展に合わせて講座も開催。参加創造型の美術館として親しまれている。展望ロビーから見える松山城もおすすめの愛媛県美術館を訪れる。

食事を済ませてホテルに戻り就寝。

5日7:00レンタカーで出発、道後温泉に向かう。

横山大観や小磯良平など、近代・現代画家の作品約80点を展示する小さな美術館。6つある部屋のうち、ロダンの部屋にあるオーギュスト・ロダンの彫刻『ファウナ(森の妖精)』はぜひ見ておきたいセキ美術館の前で記念撮影。

松山出身の正岡子規の資料や作品、遺品などを展示している博物館。道後・松山の歴史、子規とその時代、子規のめざした世界と3つのコーナーで構成され、松山の風土や子規の交友関係などを詳しく紹介する。愚陀仏庵の一室も再現されている松山市立子規記念博物館を訪れる。

創建は平安時代にさかのぼる古社。現在の社殿は1667年(寛文7)に当時の藩主松平定長が江戸城で行われた流鏑馬の必中祈願成就のお礼に建て替えたもの。京都の石清水八幡宮を模したもので、金箔貼りの柱と細密な彫刻が施された総檜皮葺の本殿など八幡造りの社殿(重要文化財)は、安土桃山時代の建築様式を現代に伝えている。重要文化財の太刀も所蔵する伊佐爾波神社を訪れる。

665年(天智天皇4)創建と伝わる古刹。時宗の開祖、一遍上人の誕生地として知られ、本堂には室町時代作の一遍上人立像(重要文化財)がある。境内には、子規が詠んだ「色街や 十歩はなれて 秋の風」の碑が立つ宝厳寺を訪れる。

3,000年の歴史を誇る日本最古の道後温泉。明治27年に建築された木造三層楼の建物で国の重要文化財に指定されています。夏目漱石の「坊っちゃん」に登場して、一躍有名になった。泉質はアルカリ性単純泉で神経痛や筋肉痛に効く道後温泉本館を訪れる。

レトロな和製ガラスを集めた、懐かしい雰囲気の美術館。江戸時代のびいどろ・ぎやまんから、明治時代のランプや大正時代の色鮮やかなカップまで約300点を展示している。日没後は、玄関や中庭の幻想的なイルミネーションも楽しめる道後ぎやまんガラス美術館を訪れる。

道後温泉駅前にある放生園のシンボルになっているカラクリ時計。道後温泉本館の振鷺閣を模したもので、道後温泉本館100周年を記念して、平成6年に作られた。8〜22時の1時間ごとに、定時になるとせり上がり、小説『坊っちゃん』の登場人物の20体の人形が次々に現れる。春・夏休みと年末年始は30分ごとに人形が出る坊っちゃんカラクリ時計を訪れる。

石槌山方面に向かう。

石鎚山や面河渓の成り立ちのほか、登山の歴史などが学べる博物館。2階は周辺に生息する昆虫の標本や高山性植物の模型を展示。哺乳類や鳥類はジオラマで紹介。3階は石鎚山の山岳信仰や登山の歴史を紹介。細密に作られた、面河の地形模型も興味深い面河山岳博物館を見学。

深山に展開する四国最大の渓谷で、県内きっての観光名所。清冽な流れを取り巻く大樹海の間には、いたるところに断崖が突出。アーチ橋が美しい五色河原、高さ100m、幅200mの深層花崗岩・亀腹岩までは車で行くことも可能。ここから本流ルートと鉄砲石川ルートの2つの遊歩道が分岐する面河渓を散策する。

日本七霊山に数えられ古くから信仰登山が続く、西日本最高峰。一般登山ルートは、バス停:石鎚土小屋から尾根伝いに歩く土小屋コースと、西条市側から石鎚登山ロープウェイ山頂駅から頂上まで歩く表参道コース。二ノ鎖小屋で合流し、2つの鎖場を登ると石鎚神社の頂上社がある山頂の弥山(1974m)。ここからは瀬戸内海や中国、九州の山々を見渡せる。最高峰天狗岳(1982m)まではさらに15分の石鎚山を訪れる。

石鎚国定公園に含まれる標高1897mの名山。石鎚山(天狗岳1982m)の眺めは、瓶ケ森の女山からが最も美しいといわれている。登山口から右へ登ると約20分で男山の山頂。子持権現山見下ろせる。左の女山(主峰)へは登山口から所要1時間10分。稜線に笹原が広がり貴重な高山植物も多く見られる。笹原を西に下ると瓶ケ森ヒュッテがある瓶ケ森を訪れる。

四国カルスト方面に向かう。

東西約25km、南北約3kmのカルスト台地は、ハンカイソウなどの高山植物が群生するところや貴重な石灰岩植物が見られるところもある四国カルストを訪れる。

四国カルスト中央に位置する生之越の周辺をいう。比較的平坦な山頂部の見渡す限り広がる牧草地では、春から秋まで牛の放牧が行われ、牧歌的な風景を楽しめる。夏には高山植物の花も咲く姫鶴平[四国カルスト]を訪れる。

四国カルスト中央に位置する姫鶴平から石灰岩の風景を楽しみながら歩いて行ける高原。頂点は五段城とよばれ、標高1456m。天気がよいと石鎚山や土佐湾全域が見渡せる。近くには巨人の足跡という大小のドリーネ(くぼ地)もある五段高原[四国カルスト]を訪れる。

四国カルスト中央に位置する五段高原から東に歩いて行ける平原状の草原。標高1485mは四国カルストの最高地点。国民宿舎天狗荘の周辺はシラカバやアカマツの自然林が生い茂り、放牧地となっているほかのエリアとは違った景観を見ることができる。尾根筋の道路にある天狗トンネルを抜けると高知県。四国カルスト台地の東端も近い天狗高原[四国カルスト]を訪れる。

四国カルスト台地西端にある大野ケ原高原南部の尾根筋をいう。標高1402mの頂点付近は石灰岩のカーレンが点在している。源平合戦のころ、逃れ着いた源氏の落ち武者を追ってきた平家軍が、石灰岩を白馬に乗った源氏の大群と間違えて退散したという故事から名付けられた。県境にある山頂には、四国カルスト大師という石像が安置されている源氏ケ駄場[四国カルスト]を訪れる。

四国カルスト台地の西端にある高原酪農地帯。1950年(昭和25)から開拓され、現在は公共牧場も置かれている。数軒の店舗も点在し、自家製アイスクリームや牛乳を販売。羅漢穴(県指定天然記念物)など、ドリーネと呼ばれるくぼ地が発達した鍾乳洞が多いが、観光地化はされていない大野ケ原高原[四国カルスト]を訪れる。

松山に戻る。

約180種900点を飼育する大規模な動物園。生息地や種類ごとに10のゾーンに分かれ、順路通りに進むと動物の国の世界一周ができる。檻ではなく、堀を使ったパノラマ展示で見るライオンやトラは迫力満点。日曜と祝日には、動物とふれ合える週替わりのイベントもある愛媛県立とべ動物園を訪れる。

高校時代を松山で過ごした伊丹十三の記念館。常設展示では、映画監督やエッセイストなどの多彩な才能や、乗り物マニアや猫好きなど趣味人としての一面を13のコーナーで紹介。企画展示室では、仕事や人柄をより深く知ることができるテーマ展示を行なっている。伊丹十三が好んだ飲み物を揃えたカフェ、十三饅頭などのオリジナル商品を販売するショップも併設される伊丹十三記念館を訪れる。

18:00松山空港到達。
19:15松山空港出発。
20:15伊丹空港到達。

今回の旅行、四国の愛媛県に足を運び、かつて松平十五万石の城下町として栄えた、市内には3000年の歴史を持つ名湯・道後温泉があり、夏目漱石をはじめとする多くの文人墨客が訪れていることでも有名。「チンチン電車」の愛称で親しまれるレトロな路面電車も市民の足として活躍している。その一方で、四国を代表する近代都市としての顔を持っているのも魅力の松山・道後、

標高1982メートル、西日本一の高さを誇る名山。古くから信仰登山で開け、修験道の聖地として親しまれてきた石槌山。石鎚の山々に源を発する面河川の上流は、変化に富んだ景観が展開する名所。アーチ橋が美しい五色河原をはじめ、亀腹岩、蓬莱渓、紅葉河原など、岩と清冽な水が織りなす渓谷歩きが楽しめる面河渓、

高知県との県境に広がる標高1200〜1500mの日本最大級のカルスト台地。中心部の姫鶴平から五段高原、天狗高原にかけては羊の群のような石灰岩が点在し、牛がのどかに草をはむ牧歌的な雰囲気が楽しめる四国カルスト、南北に広範囲の文化有り、自然ありのドライブ観光楽しめました。

あいにく天候が芳しくなく四国カルストは霧が多く全景を望むことが出来ず、部分的にか確認できず残念でした。
次回天候のよい視界が鮮明なとき、再度訪れたいと思います。

文化の町松山からスタートして、南の大自然の石槌山・面河渓、四国カルストまでの広範囲のドライブ観光楽しめました。


















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百二十四弾:愛媛県東予&今治観光
2010年12月22ー23日


四国の北西部に位置し、北側に瀬戸内海、南側に西日本最高の石槌山が聳える愛媛県に足を運び、四国のほぼ中央に位置し、瀬戸内屈指の工業地帯、別子銅山の名残りを留める新居浜市、紙の町四国中央、などの東予、四国で初めて開港した港町として知られ、かつては今治藩の城下町として栄えた今治を訪れました。

22日13:29新大阪新幹線のぞみで出発
14:21岡山駅到達
14:35岡山駅しおかぜで出発
16:10新居浜駅到達、駅付近のホテル到達後、市街地を散策し、食事を済ませて就寝。

23日7:00レンタカーで出発、別子銅山方面に向かう。

別子銅山の資料が充実した記念館。鉱山坑内を彷彿させる半地下構造で、展示物は文献や採掘道具など約300点。屋外には、別子1号機関車などの車両が6車両展示されている別子銅山記念館の前で記念撮影。

別子銅山跡地にあるレクリエーション施設。端出場エリアの目玉は、鉱山鉄道と徒歩約20分の観光坑道と砂金採り。温泉施設マイントピア別子温泉も併設。端出場から車で25分の東平エリアには、鉱山の歴史や生活風景を紹介する東平歴史資料館と貯鉱庫跡などの鉱山遺跡があるマイントピア別子を訪れる。

標高892mの翠波峰の山頂付近に広がる高原。春は菜の花、夏から秋にかけてはコスモスが咲き乱れる。コスモス展望台からは金砂湖や瀬戸内海、四国山地も望める翠波高原を訪れる。

四国中央に向かう。

天平年間(729〜749年)に行基が聖武天皇の勅願によって開創した四国霊場第65番札所。815年(弘仁6)に弘法大師が三角形の護摩壇を設け21日間の護摩秘法を修めたというのが名前の由来。本尊の檜一木造十一面観世音菩薩は、60年に一度御開帳の秘仏の三角寺を訪れる。

市内各地で生産される紙製品の展示即売、紙の原料と行程、不織布・機能紙コーナーなどがあり、紙に関連したカルチャー教室や企画展も随時開催している紙のまち資料館を訪れる。

西條に向かう。

自然館・科学技術館・産業館の3つの常設展示室、ギネスブックに掲載された直径30mの巨大プラネタリウムなどからなる参加体験型の博物館。4階の自然館にある巨大な恐竜の可動模型は、1時間毎に大きく動く愛媛県総合科学博物館を訪れる。

今治に向かう。

日本一のタオル生産地、今治ならではのタオルの美術館。カラフルなタオルアートを展示するギャラリーのほか、四国みやげが手に入るショップ、レストランやカフェ、ヨーロピアンガーデンなども併設している。製造工程の見学可のタオル美術館ICHIHIROを訪れる。

玉川町出身の故徳生忠常氏が寄贈した、田園の中の小さな美術館。黒田清輝や菅井汲らの洋画や、ピカソ、シャガール、アンディ・ウォーホルの作品など、近現代美術史上重要な作品が350点収蔵されている。美術館収蔵の国宝は春・秋定期公開。朝倉響子やダリなどの彫刻作品もある玉川近代美術館を見学。

1602年(慶長7)藤堂高虎が着工し、2年後に完成。海水を引き入れた三重の堀をもつ海岸平城は、全国でも珍しい。当時のまま残るのは城塁や内堀だけだが、明治維新前までの規模は現在の10倍と記録に残る。5層6階建ての天守閣は、1980年(昭和55)に市制60周年を記念し再建。2〜5階は展示室で、武具・甲冑・刀剣など約250点を常設展示。御金櫓、山里櫓は美術品の展示館になっている。2007年(平成19)には鉄御門を再建。築城当時の雄姿を再現している今治城を訪れる。

16:30新居浜に戻る。
17:00新居浜到達。
17:36新居浜駅しおかぜで出発
19:05岡山駅到達
19:23岡山駅新幹線のぞみで出発
20:05新大阪到達。

今回の旅行、2回目の愛媛県に足を運び、四国のほぼ中央に位置し、瀬戸内屈指の工業地帯、別子銅山の名残りを留める新居浜市、紙の町四国中央、などの東予、四国で初めて開港した港町として知られ、かつては今治藩の城下町として栄えた今治を訪れ、ドライブ観光してきました。

さすが四国の中央部に来ますと、数少ない家並みの点在、障害物が少なく、広々としていました。車も少なく、観光名所も観光客が少なく、ひっそりしていました。おかげで渋滞なく、時間のロスが少なく、巡ることができました。

石槌山の石槌スカイラインが12月から3月まで閉鎖のため訪れることが出来なかったのは残念です。

次回に持越しです。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第七十九弾:愛媛県佐田岬&南予観光
2009年11月14−15日


今回は四国の北西部に位置し、北側には瀬戸内海、南側に西日本最高の石槌山がそびえ、瀬戸内海、宇和海には200余りの島が浮かび、海山里の自然に恵まれ、温暖な気候風土ゆえに山海の幸が豊かで、穏やかな県人気質を作り出している愛媛県に足を運び、ぼってりした白磁に青い呉須が特徴の砥部焼きで有名な砥部、長い海岸線を持つ佐田岬半島、レトロの町並みが美しい内子、大洲、宇和を訪れました。

14日15:40伊丹空港出発
16:30愛媛松山空港到達、レンタカーで松山市内に向かう。
松山駅付近のホテルに到着後、国内外の優れた作品を収蔵する美術館。年間4〜6回、企画展を開催。常設展示室では、地元作家の作品を中心に、2〜3カ月ごとにさまざまなテーマを設けて展示している。企画展に合わせて講座も開催。参加創造型の美術館として親しまれている。展望ロビーから見える松山城もおすすめの愛媛県美術館を見学。

松山タウン繁華街を散策して食事を済ませてから床に就く。

15日6:30レンタカーで佐田岬半島に向かう。

長さ50kmに及ぶ佐田岬半島の尾根部分を走る国道197号。八幡浜から伊方町三崎までの38.9kmがメロディーラインで、快適なドライブが楽しめるメロディーラインを走行する。

海峡を隔て九州を望む四国西端の岬。車で行ける駐車場から遊歩道を約20分歩くとキャンプ場に出る。その先に50段の階段があり、登り切ると高さ19mの佐田岬灯台がある。対岸の佐賀関までは豊予海峡を挟んでわずか13.5kmだ。海が夕日に染まる日没のころの景観は特に美しい佐田岬を散策する。

戻って保内地区を流れる宮内川沿いには、旧東洋紡績の赤レンガ倉庫や洋館の並ぶ町並み、レンガ塀が続く赤レンガ通りなどが残っている。擬洋風建築の旧白石和太郎洋館や、国立銀行に使われた宇都宮邸、海運倉庫など近代化遺産が多く残されている明治のまちなみを散策する。

宇和方面に向かう。

宇和島藩唯一の宿場町として栄えた当時の町並みが残り、白壁の商家などが300mほど続く。白壁や卯建、出格子、半蔀のある家などが幕末から明治の面影を伝える。シーボルトの高弟・二宮敬作の住居跡や高野長英の隠家跡などもある卯之町の町並みを散策する。

5000点もの生活用具を集めた暮らしの博物館。履物・古時計・番傘・雑貨から芝居小屋の看板や鬼瓦など、展示物の内容は広範囲に及ぶ。膨大なコレクションがところ狭しと並び、宇和町ばかりでなく、日本の生活文化史を知る上で必見の博物館、宇和民具館を見学。

1882年(明治15)に建築された、アーチ型の窓をもつ擬洋風のモダンな校舎。2階には当時の教室が再現され、明治初期の教材「掛図」などを展示している開明学校を見学。

先哲とは過去の偉人や賢者の意。この記念館では、幕末から昭和に活躍した宇和町ゆかりの人々を紹介している。二宮敬作やシーボルトの娘で日本初の女医、楠本イネなどの資料を展示する宇和先哲記念館を見学。

原始時代から現代まで愛媛の歴史と文化を紹介する。広々とした館内に、竪穴式住居、中世の一般住宅、なまこ壁の民家、昭和初期の県内最大の繁華街など、各時代の建物が実物大で再現され、それぞれの生活がリアルに分かる愛媛県歴史文化博物館を見学。

1928年(昭和3)建築の旧宇和町小学校校舎を移築し、米に関する展示をしている。長さ109mの木造廊下が見ものの宇和米博物館を見学。

大洲方面に向かう。

江戸時代からの町割りがそのまま残る大洲の旧城下町の一角で、1966年(昭和41)に放映されたNHK朝の連続テレビドラマ『おはなはん』の舞台となった通り。洋館やなまこ壁の家、腰板張りの土蔵群などが並ぶ。通りの東端を曲がると明治時代に建てられた家々も並んでいるおはなはん通りを散策する。

町の東端にある肱川の景勝地・臥龍淵に立つ山荘で、大洲一番のみどころ。明治時代に4年の歳月をかけて建てられた数寄屋造の名建築。冨士山を借景にした庭園に立つ母屋の臥龍院、茶室の知止庵、不老庵の3棟がみものの臥龍山荘を訪れる。

1901年(明治34)、大洲商業銀行として建てられた和洋折衷建築を再建したおおず赤煉瓦館を訪れる。

慶長年間(1596〜1615)の築城とされ、後に大洲藩主・加藤氏が13代居城した。町の西の高台にあり、天守閣は1888年(明治21)に取り壊されたが、高欄櫓、台所櫓が残る。市内の芋綿櫓、南隅櫓とともに重要文化財に指定の大洲城を訪れる。

内子方面に向かう。

道後温泉本館と並び愛媛県を代表する木造建築。正面に太鼓櫓を据えた入母屋造の木造瓦葺2階建てで、1916年(大正5)に建てられた。1950年(昭和25)に映画館に改造され、1985年(昭和60)に建築当時の芝居小屋の姿に戻った。花道やお囃子のいた黒簾など歌舞伎劇場の形式が興味深い。現在も不定期で芝居や文楽の公演が行われている内子座を見学。

1921年(大正10)ごろの薬商の暮らしをマネキン人形で再現した博物館。建物は明治時代からの薬局の店舗と家屋を利用。棚に並ぶ薬や雑貨などはほとんどが当時の商品で見飽きない。主人家族と丁稚の食事風景や女中の洗濯、大旦那の退屈そうな表情など、ユニークなマネキン人形が、生活の一コマを語るセリフにも聞き耳を立てたい商いと暮らし博物館を見学。

内子のメインストリート、本町通りの伊予銀行内子支店を山手に曲がった一帯。江戸中期から明治にかけて建てられた商家や土蔵が軒を連ね、木ろう生産で繁栄した町の面影を残す。大村家住宅(重要文化財)、本芳我家住宅(重要文化財)、内部見学可能な上芳我邸(重要文化財)など、90軒にも及ぶ町家群の集まる通りは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている八日市・護国の町並みを散策する。

八日市・護国の町並み保存地区にある資料館。1793年(寛政5)に建てられた町家を公開。厨子と呼ばれる低い2階建ての造りは、当時2階に部屋を造ることが禁止されていたため。虫籠窓と呼ばれる明かりとりの窓や大戸、蔀戸がすべて開けられる設計は江戸時代の建物の典型だ。内部では、昔の民具を展示している町家資料館を見学。

木蝋製造で内子随一の名家となった、芳我家の分家屋敷。鬼瓦やなまこ壁の建物は1894年(明治27)の建造で重要文化財。客間・座敷・炊事場などから、当時の隆盛を極めた暮らしぶりを感じることができる。隣接する収蔵庫には、芳我家の財を築く手段となった木蝋生産の用具類(重要有形民俗文化財)も収蔵(非公開)。展示棟では、木蝋の製造工程をビデオや用具類の模型を使って紹介している木蝋資料館上芳我邸を見学。

砥部方面に向かう。

砥部焼の作品を展示する施設。砥部焼は、1775年(安永4)に大洲藩主・加藤泰候が磁器焼成を命じ、杉野丈助が2年後に白磁を焼き上げたことに始まると伝えられる。砥部焼の歴史を知る上でも最初に立ち寄りたい。展示室の中では、歴史的作品が並ぶ伝統的しつらえと、実用的で美しい現代作品が並ぶ現代的しつらえのコーナーが必見の砥部焼伝統産業会館を見学。

砥部焼伝統産業会館から砥部町陶芸創作館へ向かう途中にある、約500mの遊歩道。地元の陶工による陶板が敷き詰められ、丘の斜面には陶壁も見られる。陶祖ケ丘の頂上には、砥部で初めて磁器の焼成に成功した杉野丈助の碑が立ち、砥部の町並みが遠望できる陶板の道を散策する。
松山空港に向かう。

18:00松山空港到達。
19:05松山空港出発。
20:00伊丹空港到達。

今回の旅行、四国の北西部に位置し、海山里の自然に恵まれ、温暖な気候風土ゆえに山海の幸が豊かで、穏やかな県人気質を作り出している愛媛県に足を運び、

豊後水道に突き出した全長約50km、西日本一細長い半島のドライブ観光、突端にある佐田岬灯台までの散策コースのある佐田岬半島。

宇和島藩の在郷町、宇和島街道の宿場町として栄えた宇和町、宇和町の中心に広がる卯之町、江戸時代から続く老舗旅館や蔵元をはじめ古い商家が数多く残っている宇和。

清流肱川沿いに広がる水郷の中心部は伊予大洲六万石の城下町の面影が色濃く残り、伊予の小京都と呼ばれ大洲城やおはなはん通り、明治の家並みなど、城下町の風情を伝える名所に加え、おおず赤煉互館や臥龍山荘といった明治の名建築が存する大洲。

江戸から明治にかけて木?と和紙の製造で栄えた歴史を持つ町、町家通り八日市・護国地区や大正時代の芝居小屋内子座をはじめ昔の栄華を物語る必見スポットなどみどころたくさんの内子。

約230年の歴史を持つぽってりとした白滋に紺色の素朴な絵付けで親しまれてきた砥部焼出有名な砥部。

松山郊外の点在するレトロな町並みの散策、満喫しました。

松山郊外の観光、多くの名所があり、観光客も多く、観光で有名な愛媛県、再確認できた観光旅行でした。