青森

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百八十六弾:青森県小京都重要伝統的建造物群保存地区観光
2019年7月20−21日
   

東北地方の最北端青森に足を運び青森に点在する小京都重要伝統的建造物群保存3か所と岩木山、20kmに及ぶ桜並木を訪れました。

20日16:20伊丹空港出発
17:50青森空港到達、レンタカーで青森市内に向かう。
18:30青森市内のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。
21日7:00レンタカーで出発小京都重要伝統的建造物群保存を巡る。

金木:青森県北西部,津軽平野北部にある五所川原市北部の旧町域。 1920年町制。 1955年嘉瀬 (かせ) 村,喜良市 (きらいち) 村の2村と合体。 2005年五所川原市,市浦村と合体して五所川原市となった。西部は,江戸時代弘前藩の新田開発によって米作地域となり,東部は津軽山地で大部分が国有林。中心の金木地区は 1930年に五所川原−中里間に津軽鉄道が開通,また太宰治の生家「斜陽館」がある。芦野公園は桜の名所。芦野池沼群県立自然公園に属する。

弘前:青森県の西部に位置し、桜の名所としても有名な青森県・弘前市。津軽藩の城下町として発展した街ですが、明治時代には教会やモダンな洋館なども多く建てられており、現在でも和と洋が色濃く残るハイカラな雰囲気のエリアです。また、城下町の名残が街の様々な場所に残っており情緒あふれるエリアですので、街歩きにもピッタリ。

岩木山:岩木山は、津軽平野南西部に位置する二重式火山で、山容は円錐形、山頂は三峰に分かれ、標高は1625mと県内で一番高い山です。
山麗には温泉が湧出し、昭和41年に8合目まで津軽岩木スカイラインが完通しました。
昭和50年には50番目の国定公園に指定され、9合目付近では6月〜7月頃に岩木山特有の高山植物「みちのくこざくら(別名イワキコザクラ)」が咲きます。
山頂からは、八甲田連峰や津軽半島の権現崎と十三湖、なだらかな弧を描く七里長浜、そして鯵ヶ沢から大戸瀬まで、遠くは北海道の松前崎まで見渡せます。

桜並木:弘前市の西に位置する岩木(いわき)地区。別名「津軽富士」とも呼ばれる美しい霊峰・岩木山(いわきさん)の麓の町に、4月下旬〜5月上旬に見頃を迎える「世界一の桜並木」と呼ばれるスポットがあります。総延長約20kmにわたる県道沿いに約6,500本の桜が咲き誇る様子は、思わずシャッターを切りたくなるほどの迫力と美しさ!そんな桜並木を撮影できるおすすめの絶景スポット。

黒石:黒石駅から10分ほど歩くと中町こみせ通りがあります。一歩踏み入れると江戸時代と錯誤してしまいそうな街並み。こみせというのは、雪よけの屋根のことです。所謂、雁木造と言われるものでアーケードに似ています。夏は熱い日差しを避け、冬は積もる雪から守ってくれる、そんな先人たちの思いが詰まっています。
この中町こみせ通りは、黒石藩政時代から残る歴史的な通路です。そしてこの通りには国の重要文化財の『高橋家』をはじめ造り酒屋、住家などもあります。ほんの数100mの長さに凝縮されている歴史が伝わります。浴衣を着てふらっとお散歩なんて情緒がありますよね。

16:00終了、青森空港に向かう。
16:30青森空港到達。

18:25青森空港出発
19:55伊丹空港到達

今回の旅行、東北地方の最北端青森に足を運び青森に点在する小京都重要伝統的建造物群保存3か所と岩木山、20kmに及ぶ桜並木を訪れ楽しみました。

弘前の町は何回か訪れたことがあり、今回は時間もあり、散策してしっかり町を巡りました。

小京都重要伝統的建造物群保存とは別に1つは12年前訪れた岩木山、前回は天気が悪く、車で行ける8合目では視界が悪く、展望できませんでしたが今回はリベンジ、天候よく、視界よく、澄み切った景色を望むことができました。
2つ目は桜並木、20km及ぶ世界最大級の桜ロード、12年前は植えたばかりで1mぐらいの若木でしたが12年過ぎた今回は立派な大木になり圧巻でした。桜シーズンに訪れたいですね。

















飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百四弾:青森県お城・城下町巡り観光
2017年7月29−30日
  

奈良時代から平安時代に、地域の長が多くの館を築いたエリア、やがて、平泉・欧州藤原氏の支配力が及ぶが、源頼朝に討たれると、南部氏が定着し、戦国時代には南部氏が津軽統一を成し遂げた青森に足を運び青森に点在する比較的マイナーなお城10か所を訪れました。

29日16:15伊丹空港出発。
17:45青森空港到達、レンタカーで青森市内に向かう。
18:20青森市内のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
30日7:00レンタカーで出発、お城巡り。

七戸城:築城年代は定かではない。 建武元年(1334年)北畠顕家の国宜にみえる工藤右近将監がいたと考えられているが定かではない。 建武2年(1335年)南部師行の弟南部政長は新田義貞の鎌倉攻めに馳せ参じて功を挙げ、七戸は政長に与えられた。以後、七戸南部氏の代々の居城となった。

康正2年(1456年)蠣崎蔵人の乱、文明15年(1483年)三戸南部の御家騒動で落城したという。

天正19年(1591年)九戸城主九戸政実が宗家三戸南部信直に謀叛を起こした九戸の乱で、七戸南部家国は政実に味方した。南部信直は豊臣秀吉に援軍を要請し、秀吉が派遣した奥州仕置軍によって乱は平定され、七戸南部氏は滅亡し翌年には廃城となった。

七戸の重要性から浅水城主南直勝が七戸氏の名跡を継ぎ、慶長2年(1597年)にはその子直時が七戸二千石の城主となった。直時が没し、正保4年(1647年)南部利直の五男重信が七戸氏を継いだが、寛文4年(1664年)には南部宗家を継ぐこととなった為、南部直轄地となり、七戸代官所が設けられた。

芦名沢館:

八戸城:寛文4年(1664年)南部直房によって築かれた。寛文4年(1664年)盛岡藩南部重直が嗣子なく没した。通常嗣子なく没すると改易となる時代であったが、四代将軍徳川家綱の命によって新たに七戸重信(重直の弟)に盛岡八万石、中里直房(重直の庶子)に八戸二万石を与えられ、それぞれ立藩した。

初代南部直房は在任わずか数年の寛文8年(1668年)に没した。この死は盛岡藩南部氏による暗殺とも云われている。

天保9年(1838年)八代藩主南部信真のときに城主格に昇進した。九代藩主は薩摩藩の島津重濠から養子に迎えた信順が継ぎ明治に至る。

三戸城:築城年代は定ではないが永禄年間(1558年〜1570年)頃に南部晴政によって築かれたと云われる。 三戸南部氏は甲斐国巨摩郡南部郷出身で、文治5年(1189年)奥州平泉の藤原氏討伐の戦功によって源頼朝より糠部の地を賜り、本三戸城を居城とした。

天文8年(1539年)24代南部晴政のとき、家臣の赤沼備中による放火で聖寿寺館は焼失する。これにより晴政は三戸城を新たに築いて居城を移し、聖寿寺館は本三戸城と呼ばれるようになった。

天正18年(1590年)26代南部信直は豊臣秀吉による小田原征伐に参陣した功によって、南部七郡(糠部・岩手・紫波・稗貫・和賀・閉伊・鹿角)の領有が認められ近世大名となった。

天正19年(1591年)かねて南部信直とは家督争いなどで不和であった九戸城主九戸政実が反乱を起こした。南部家中随一の精鋭と云われる九戸氏の反乱は南部氏内部では収めることができず、信直は豊臣秀吉に援軍を要請する。秀吉は豊臣秀次を総大将、軍監に浅野長政として奥州再仕置の軍勢を派遣し、九戸政実の乱を鎮圧した。

南部信直は蒲生氏郷が改修した九戸城を受け取ると、福岡城と命名して居城を移した。しかし、居城が所領の北に偏っていたため、新たに盛岡城を築きはじめ、寛永10年(1633年)利直の時代に完成し、以後南部氏は盛岡城を居城として明治まで続いた。
三戸南部氏の居城が福岡城から盛岡城へと移った後も三戸城は城代が置かれ維持されていた。貞享年間(1684年〜1688年)頃までは城代が置かれていたが、その後は代官が支配している。

堀越城:建武3年・延元元年(1336年)曾我太郎貞光によって築かれたと云われる。

元亀2年(1571年)大浦城主大浦(津軽)為信は大仏ヶ鼻城主石川高信と和徳城主小山内讃岐を攻略、その後も津軽地方に勢力を伸ばし南部氏から独立した。

文禄3年(1594年)豊臣秀吉から四万五千石の所領を安堵されると大浦城から堀越城に居城を移し、慶長12年(1609年)二代藩主津軽信枚が弘前城を築いて移るまでの本城であった。

大光寺城:建武3年・延元元年(1336年)曾我太郎貞光によって築かれたと云われる。

元亀2年(1571年)大浦城主大浦(津軽)為信は大仏ヶ鼻城主石川高信と和徳城主小山内讃岐を攻略、その後も津軽地方に勢力を伸ばし南部氏から独立した。

文禄3年(1594年)豊臣秀吉から四万五千石の所領を安堵されると大浦城から堀越城に居城を移し、慶長12年(1609年)二代藩主津軽信枚が弘前城を築いて移るまでの本城であった。

黒石陣屋:建武3年・延元元年(1336年)曾我太郎貞光によって築かれたと云われる。

元亀2年(1571年)大浦城主大浦(津軽)為信は大仏ヶ鼻城主石川高信と和徳城主小山内讃岐を攻略、その後も津軽地方に勢力を伸ばし南部氏から独立した。

文禄3年(1594年)豊臣秀吉から四万五千石の所領を安堵されると大浦城から堀越城に居城を移し、慶長12年(1609年)二代藩主津軽信枚が弘前城を築いて移るまでの本城であった。

大浦城:文亀2年(1502年)南部光信(大浦)によって築かれた。 延徳3年(1491年)光信は安東氏の津軽回復を阻止するため本家三戸南部氏の命によって入部し、種里城を居城とした。

元亀2年(1571年)大浦(津軽)為信は大仏ヶ鼻城主南部高信と和徳城主小山内讃岐を攻略、その後も津軽地方に勢力を伸ばした。

文禄3年(1594年)豊臣秀吉から四万五千石の所領を安堵されると大浦城から堀越城に居城を移し、後に弘前城を築き津軽藩祖となった。

湯口茶臼館:青森県弘前市(旧中津軽郡相馬村)にあった中世の山城(やまじろ)。南北朝時代に、覚応院という寺院の南西にある独立峰の山頂にあった先住民の築いた館跡を利用して築かれ、南朝方の溝口左膳が居城としていた。現在、山上の曲輪(くるわ)のあったところは神社の境内になっているが、その西斜面には、4段の腰曲輪が築かれていた名残がある。◇蝦夷館とも呼ばれる。

浪岡城:築城年代は定かではない。南朝方として活躍した北畠顕家の末裔と云われる北畠氏が浪岡の地に移ったのは文中・応永年間(1372年〜1428年)頃で北畠顕邦のときと考えられている。浪岡城が築かれたのはこの顕邦の子顕義の時代と考えられている。

北畠氏は浪岡氏を称して代々続いたが、永禄5年(1562年)川原御所を再興した北畠具信が浪岡具運を殺害するという内紛が起こり衰退、天正6年(1578年)浪岡顕村のとき、大浦(津軽)為信によって浪岡城が攻撃され顕村は捕らえられ、顕村は西根の寺で自害した。一説に舅の安東愛季を頼って檜山城近くの茶臼館に逃れたとも云われる。

浪岡氏の後は津軽氏の持城となったが後に廃城となった。

16:00終了、青森空港に向かう。
18:20青森空港出発。
19:55伊丹空港到達。

今回の旅行、本州の北端に位置する青森県に足を運び青森県に点在する比較的マイナーなお城10か所を訪れ楽しみました。
関西より気温が低く、涼みながら快適なドライブお城巡り満喫しました。


















 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百二十弾:青森県東北三十六不動霊場&お城・城下町巡り
2015年7月11−12日

本州の最北端、十和田湖、奥入瀬、白神山地で有名な青森県に足を運び、反時計回りで青森市、津軽、深浦、弘前に点在する東北三十六不動霊場6箇所、比較的マイナーなお城・城下町6箇所を訪れました。

11日16:20伊丹空港出発
17:50青森空港到達、レンタカーで青森市方面に向かう。
18:00青森市内のホテル到着後周囲を散策し食事を済ませて就寝。

12日7:00レンタカーで出発、青森市内の霊場を巡る。

青龍寺:青森市郊外の東寄りに位置した桑原地区は、武兵衛川が北流して平野部を潤す農圃地帯で、山崎の山林に戸崎館趾がある。館主、壘砦の年代は不明とされているが、近年、この近くに日本一を誇る昭和大仏が開眼された。昭和大仏は大日如来で、無限の智恵、無限の慈悲、無限の能力を象徴している。

青森寺:当山の開基は、明治21年9月。ご本尊は大慈大悲のご利益厚き、大聖不動明王である。千葉の成田不動尊詣での為に組織されていた成田講の人々が、青柳に不動堂を建立したのが始まりである。その后年々隆盛を極め明治41年、現在地に本堂を建立、信徒も市内のみならず、八戸、十和田、鰺ヶ沢など県下全域に及ぶに至った。しかしながら、昭和20年7月の空襲で堂宇本尊悉く灰燼に帰した。堂宇再建の為、県内はもとより東北各地のご信者より志納を募り、ついに昭和32年7月、輪奐旧に倍し立派に本堂再建が成った。ついで35年、不動明王ご本尊も目出度く開眼、奉安された。以後鎮守稲荷堂、清瀧権現堂、を建立。更には昭和60年本坊客殿建立。平成2年、生れ年1代尊並びに仁王尊像造立し現在に至る。当山の年中行事で代表的なものは、2月の節分会と7月の灯籠流しである。節分の豆撒きには、厄除祈願の善男善女が多数参集し、その規模は県下一である。又夏の灯籠流しは、川面を幻想的な光で彩り、誠に叙情的で短い青森の夏には欠かせぬ風物詩となっている。

津軽半島に向かう。

尻八館:築城年代は定かではないが安東氏によって築かれたと云われる。暦応2年(1339年)の「曽我貞光申状」に曽我貞光が「尻八楯」の安東四郎道貞(潮潟道貞)を攻めた記録があり、この尻八館に比定する説がある。現地の案内板によれば、寛喜2年(1230年)安東一族がアイヌのチャシを土台として尻八館を築き、貞永元年(1232年)安倍三郎成季が治領代頭役に任ぜられた。正安2年(1300年)安東孫次郎が尻八館城主となり、明徳4年(1393年)安東四郎道貞が尻八館城主となって潮潟四郎と名乗った。応永32年(1425年)道貞の長男重季が鉢巻館より移り、重季は南部義政の女を妻とした。永享7年(1435年)尻八館は南部義政に攻められ落城し、このとき重季の子政季が捕らえられたが義政の女の子であるので八戸で育てられ、成人して旧安東家の知行を継いだ。

中里城:中里城の創建は明らかではないが、発掘調査の結果、遺構は縄文時代前期(約5500年前)まで遡れるという。
城主に関しては、建武元年(1334)の『津軽降人交名注進状』に新関又二郎の名が見える。
他には津軽氏に追われて南部八戸へ逃れた中里半四郎や、また城の西下には高坂修理の居館があったとされる。

福島城:築城年代は定かではないが正和年間(1312年〜1317年)頃に安倍貞李(安藤貞李)によって築かれたと云われる。
藤崎城を拠点として津軽に根付いた安藤氏は鎌倉時代後期頃に十三湊へ移り、蝦夷との公益で栄えていた。永享4年(1432年)安藤康李のとき南部守行・義政父子によって攻められ福島城と唐川城は落城、康李は柴崎城へ逃れた。この戦いは室町将軍足利義教の命によって康李の妹が南部義政に嫁ぐことで和睦がなされたが、嘉吉2年(1442年)再び南部氏に攻められ、安藤氏は津軽を離れて蝦夷島へ逃れた。
十三湊安藤氏は、その後南部氏に捕らわれていた安藤師李(後の政李)が南部氏から田名部を賜り、十三湊安藤氏を相続した。しかし政李は享徳3年(1454年)に田名部から蝦夷ヶ島へ渡り、二年間滞在したのち小鹿島へ上陸、その末裔が檜山安東氏となっていく。

唐川城:築城年代は定かではない。一般的には鎌倉時代末頃に安藤貞李によって築かれてたと云われているが、発掘調査によってそれ以前の平安時代後期に築城されていたことが判明している。
安藤氏は福島城を居館、この唐川城を詰城として築いたが、永享4年(1432年)と嘉吉2年(1442年)に南部氏によって攻められて落城し、安藤氏は蝦夷島へ落ちていった。

弘法寺:津軽半島の中程にある木造町の開拓は比較的遅く、当山の縁起についても、開創等は記録がなく不明な点が多い。
 唯一現存する七代目住職の位牌が六〇〇余年前の物ということである。一時洪水等の天災で寺が消失した時期があったらしく、明治に入ってから再興された。再興後は九十九森寺と呼ばれていたが、昭和に入り、弘法寺と改称された。

種里城:延徳3年(1491年)南部光信(大浦)によって築かれたと云われる。 津軽藩初代津軽為信の祖とされる光信は、延徳3年(1491年)九戸郡下久慈より入部した南部一族と云われる。
文亀2年(1502年)光信は大浦城を築き、子の大浦盛信を置いた。光信は大永6年(1526年)種里城にて没し、以後、大浦氏は大浦城を本城として五代為信の代に至る。この為信は久慈城主久慈信義の弟十郎が津軽郡代の石川高信を頼り後に大浦氏の養子となったという説がある。

深浦に向かう。

深浦城:深浦港の南方500mの沢に挟まれた丘陵端に位置する。南方に5本の空堀があり、他の三方は沢に続く急斜面となっている。曲輪は2つあり、北側の一段高い位置に東西33m、南北88mの主郭がある。二の郭は東西80m、南北100mほどの規模だった。
南部氏によって所領を失った安東氏が当地に来て再起を図り、当城を築いた。その後、葛西頼清が本拠とした。最後の城主は千葉弾正で、戦国時代まで使用されていたものと推測される。

弘前方面に向かう。

最勝寺:東北地方で五重塔のある名刹として知られる金剛山光明寺最勝院は、常陸国桜川の弘信法印開基である。天文元年(1532年)津軽に下向し平賀郡堀越城外の北、荻野という処に伽藍を造営した。
 これが最初とされるが、それ以前の古文書に最勝院という文字が見えることから、創立年代はもっと古いという。

大圓寺:大鰐温泉郷の中にある大円寺は、もと阿闍羅山千坊と称された高伯寺に由来する。寺伝に依ると、奈良時代、聖武天皇の国分寺建立に始まり、本尊大日如来を阿闍羅山の大安国寺に安置されたことに起こる。
 その後、大安国寺は荒廃し、鎌倉時代建久二年、神岡山の高伯寺に移奉された。のち慶安三年(1650年)津軽三代信義公が高伯寺と本尊を現在の場所に移し、以来津軽家代々の崇敬を受けてきた。
 ところが明治四年、弘前にあった大円寺(現在の最勝院)の寺号を以て高伯寺を大円寺とした。
 本尊大日如来は大正九年に国宝の指定をうけ、昭和二十七年には国定重要文化財となった。


國上寺:当山は人皇第三十四代推古天皇御宇十八年(610年)国家北門鎮護のため、聖徳太子の命を受け泰川勝公が開基。建長六年(1254年)北条時頼公本尊並びに法具を現在地に奉移し、三森山不動院古懸寺とし、鎌倉将軍数代の祈願所とした。
 天正十六年(1588年)津軽右京亮為信公国上山不動院古懸寺と改め鎮護国家、津軽家領域安泰のため、更に仏殿、山門、護摩堂、大師堂などを造営し、寺領地二百町歩、寺録百石を贈り、津軽家歴代の祈願所とした。
 明治二十六年(1893年)旧正月七日火災のため本堂並びに仏堂を焼失、消失をまぬがれた護摩堂を本堂として、昭和五十四年現本堂建立まで寺務を執行した。

16:30青森空港に向かう。

17:10青森空港到達。
18:20青森空港出発
19:55伊丹空港到達。

今回の旅行、本州最北端の青森に足を運び反時計回りで青森市、津軽、深浦、弘前に点在する東北三十六不動霊場6箇所、比較的マイナーなお城・城下町6箇所を訪れ楽しみました。

前回の北海道旅行と同様に、天候晴れ、絶好のドライブ日和、ドライブ兼ねての霊場、お城巡り堪能しました。

やはり東北の霊場、立派な寺院が多いですね。歴史の深さを感じます。

特に青龍寺の巨大な大仏は圧巻でした。日本一大きな大仏でしょうね。

好天に恵まれたドライブを兼ねた霊場、お城巡り観光でした。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第百九十九弾:青森十和田&八戸&三沢観光
2012年7月21ー22日
  

本州の最北端、青森県に足を運び、秀峰八甲田の裾野に拓け、神秘の湖「十和田湖」、千変万化の美しい流れを織りなす「奥入瀬渓流」、近代都市計画のルーツといわれ整然と区画された街並みなど、豊かな自然と近代的な都市機能が調和した美しいまち十和田、青森観光東の玄関口、新鮮な魚介、風光明媚な海岸線で有名な八戸、世界的に重要な湿地としてラムサール条約に登録された「仏沼」を始めとする豊かな自然に恵まれ、全国有数の航空施設がある大空のまちとして、約4万3千人の人口に加え9千人弱の米軍人、軍属及びその家族が暮らし、異国情緒漂う国際都市として独自の発展を続けています三沢を訪れました。

21日16:05伊丹空港出発
17:35青森空港到達、レンタカーで十和田市方面に向かう。
20:20十和田市内のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
22日6:30レンタカーで出発、八戸方面に向かう。

古くから南部氏の加護を受けた南部藩の総鎮守。1222年(貞応元)に遷宮されたといわれている。現在の本殿は1648年(慶安元)南部重直が建立したもので、本殿、旧拝殿、正門、神明社、春日社は国の重要文化財に指定されている。境内の国宝館では、鎌倉末期作の赤糸緘鎧兜(国宝)や、紫糸威肩白浅黄鎧(重要文化財)などを展示する櫛引八幡宮を訪れる。

八戸の考古歴史、民俗資料を展示。市内にある縄文時代後期の風張遺跡で発見された「合掌土偶」は必見。民謡、民話など言葉に関する資料も揃う八戸市博物館を訪れる。

竪穴住居跡や中世の城郭跡などが発見された場所。築城は1334年(建武元)、南部師行による。安土桃山時代の本丸を復元。主殿や馬屋が立ち並び、内部では当時の様子を再現している史跡根城の広場を訪れる。

ウミネコの繁殖地として、国の天然記念物に指定されている島。約4万羽のウミネコが3月ごろ飛来し、8月上旬頃に南へ飛び立つ。遠くから蕪島を見ると、まるで白い花が咲いているかのよう。5月ごろには蕪の花が咲きはじめ、白と黄色のコントラストは見事。間近でヒナを見ることもでき、ウミネコの群れが乱舞する様は圧巻の蕪島を訪れる。

蕪島のすぐ近くにあり、八戸の海やウミネコを紹介している。八戸近海の魚類が泳ぐ大水槽を中心に、ウミネコシアターなどがあり、展望ホールから八戸港が一望できる八戸市水産科学館マリエントを訪れる。

蕪島から南東へ約12kmにかけて続く、美しい海岸線。青々とした天然芝、白浜青松の砂浜、大小の岩が、変化に富んだ景観を作り上げている。春から秋にかけてはハマナスなどの海浜植物が咲き誇り、夏はキャンプや海水浴が楽しめる。国の名勝に指定されている種差海岸を訪れる。

三沢方面に向かう。

宿泊施設だけでなく、四季を感じられる公園めぐり馬車や、イベントが楽しめる広大な公園などが22万坪の敷地内に点在する温泉リゾート。青森3大祭りが楽しめる体感レストラン「みちのく祭りや」や、約80種類の青森の郷土料理が食べられる「のれそれ食堂ぬくもり亭」などの食事処もある。まるで池の中に浮かんでいるような錯覚を覚える露天風呂「浮湯」も好評の古牧温泉渋沢公園を訪れる。

「大空と飛翔」をテーマにした航空科学館。戦後初の国産機YS-11の勇姿が見られる。また、野外展示スペースの大空広場にはF16などの戦闘機も展示されている青森県立三沢航空科学館を訪れる。

小川原湖畔の高台に立ち、三沢で幼年期を過ごした寺山修司の遺品を約1万2000点展示。寺山は詩や演劇、映画などの分野で奇才・天才と呼ばれ、独自の世界を確立し、横尾忠則らと演劇実験室「天井桟敷」を設立した。木製机の引き出しの中に作品資料が収められるなど、展示方法がユニークな寺山修司記念館を訪れる。

十和田市に戻る。

現在の十和田市の礎を築いた南部盛岡藩士・新渡戸傳の偉業を紹介する記念館。1855年(安政2)、傳は不毛の原野だった三本木原の開拓に着手し、私財を投じて奥入瀬川の水を引き入れ、田を拓いた。また、明治から昭和にかけて国際平和に貢献した孫の稲造に関する資料や、開拓に使用した道具類、新渡戸家に伝わる武具や蔵書も展示する十和田市立新渡戸記念館を訪れる。

国内外12カ国・21名の作家による22点の作品を常設展示。大きな特徴は、作品それぞれがこの美術館のために制作されており、設計段階から館内の空間全体を使って表現した作品が多いこと。作品は巨大な女性像であったり、外観を照らす照明であったりと楽しい。「官庁街通りという野外空間を舞台に、通り全体を美術館に」という計画も進んでいる十和田市現代美術館を訪れる。

市街中心部の国道102号から西へ1.1km、幅36mの道に156本の桜と165本の松が植えられている。車道より歩道が広く、桜の開花時期の4月下旬〜5月初旬にはライトアップされ、幻想的な夜桜を楽しめる官庁街通り(駒街道)を訪れる。

八甲田山方面に向かう。

蔦温泉の北に点在する神秘的な沼。少し離れた赤沼以外の6沼を結ぶ自然教育路は1周約1時間。付近は蔦野鳥の森になっている蔦七沼[蔦温泉]を訪れる。

標高1040mの傘松峠のすぐそばにある。高山植物の宝庫で、6月上旬にはミズバショウが一面に咲くほか、10月には紅葉が見られる睡蓮沼を訪れる。

約200万年前の火山活動でできたカルデラ湖の跡。一帯はさまざまな植物が群生し、市の天然記念物に指定されている。6〜7月にはヒメシャクナゲ、ワタスゲ、レンゲツツジなどが花を咲かせる。夏にはニッコウキスゲ、ネバリノギラン、8月にはウメバチソウが咲く。湿原の中には3つの木道が整備されている田代平湿原を訪れる。

1902年(明治35)1月に、旧陸軍の青森歩兵第5連隊第2大隊210人が吹雪に遭い八甲田山で遭難。その際、捜索隊の目印になるよう雪のなかに仮死状態で立ち続けた後藤房之助伍長の像。周囲にはダケカンバが広がり、大岳を望むことができる雪中行軍遭難記念像を訪れる。

八甲田山は南八甲田、北八甲田両連峰の総称。青森市街から見えるのは1585mの大岳を主峰とする北八甲田だ。田茂萢[たもやち]岳にはロープウェーがかかる。ブナやミズナラの天然林は新緑、紅葉が美しい八甲田山を訪れる。

青森空港に向かう。

16:50青森空港到達
18:05青森空港出発
19:30伊丹空港到達。

今回の旅行、4回目の訪れである、本州最北端の青森県に足を運び、風光優美な八戸の海岸線をドライブし、全国有数の航空施設がある大空のまちとして有名な三沢市、豊かな自然と近代的な都市機能が調和した美しいまち十和田市、大岳、赤倉岳などの北八甲田連峰と櫛ヶ岳、駒ヶ嶺などの南八甲田連峰の総称で、森や湿原など、豊かな自然が広がっている八甲田山を訪れ満喫しました。

大阪は猛暑、こちらは20度前後の気温で過ごしやすい、避暑を兼ねてのドライブ観光楽しめました。





















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百十三弾:青森県青森タウン&津軽半島観光
2010年10月2ー3日


東北地方の北部に位置する本州最北端の県で、県庁所在地は青森市、南に岩手県、秋田県が隣接し、津軽海峡を渡った北に北海道が位置し、東に太平洋、西に日本海が面する青森県に足を運び、青森県の県庁所在地、東北新幹線新青森駅開業に向けての観光都市として発展がますます期待される青森タウン、津軽出身の小説家太宰治の足跡があり、青森市から松前街道、高野崎という景勝地を経て半島最北の竜飛岬に到達する津軽半島を訪れました。

2日17:47大阪駅夜行寝台車での遅出の出発のため、大阪市内の数箇所の名所をめぐり時間を費やしました。

13:00地下鉄長堀鶴見緑地線で鶴見緑地駅到達。

1990年(平成2)に開催された、花と緑の博覧会跡地を利用。2600種の植物が生育する咲くやこの花館や、世界各国59の国際庭園が点在する。緑地内にはプールや乗馬苑などもある鶴見緑地(花博記念公園)を散策する。

地下鉄長堀鶴見線で鶴見緑地駅乗車、長堀で堺筋線に乗り換え淡路駅下車。

アジアとの交流の場として活動を続ける図書館。アジア諸国をはじめ、アフリカ・ラテンアメリカなどの発展途上国の文化理解に役立つ文献を約30万冊収蔵。民族音楽のコンサートやエスニック料理教室、アジア映画会などのイベントほか、アジア20か国の語学講座を開催しているアジア図書館を訪れる。

阪急電車淡路駅乗車、南方下車

レンガ造りと御影石の西洋建築。1914年(大正3)に建てられた配水ポンプ場を改装し、1995年(平成7)にオープンした。天然記念物のイタセンパラをはじめ、琵琶湖淀川水系の淡水魚を展示するほか、大阪市の水道の仕組みを楽しく学ぶことができる水道記念館を見学。

歩いて天神橋6丁目に向かう。

近世〜現代の大阪の暮らしを紹介するミュージアム。大阪市立住まい情報センターの8〜10階にあり、実物大のスケールで復元された江戸時代の大坂の町並みの中を実際に歩くことができる。近代の大阪の住まいもジオラマで上映している大阪くらしの今昔館を見学。

日本一長い商店街。堂島川にかかる天神橋たもとの1丁目から北端の7丁目まで、総延長が約2.6km、600軒ほどの店が所狭しと立ち並ぶ大商店街を散策して時間を費やす。

17:00環状線天満駅で乗車、大阪駅到達。
17:47大阪駅夜行寝台車日本海で出発、青森に向かう。

3日8:34青森駅到達、レンタカーで津軽半島に向かう。

青函トンネルは構想から完成まで42年間を要した。その間の歴史をふりかえり、トンネルの姿を知るためのメモリアル施設。作業坑として使われた海面下140mに展示ゾーンがある青函トンネル記念館[竜飛海底駅]を訪れる。

太宰の『津軽』には、小泊小学校の運動会で太宰と子守の越野タケが再会する場面がある。この小学校を望む丘に記念館が立ち、太宰とタケの年譜や写真、映像などを展示している。2人の像も立つ小説「津軽」の像記念館[小泊岬]を訪れる。

中世、十三湖の開口部にある十三湊が日本海海運の拠点として栄えた。国立歴史民俗博物館の発掘調査によって、十三湊の遺構や安東水軍の活躍が明らかになった十三湖を訪れる。

芦野湖畔に広がる、約80haの自然公園。太宰治が幼いころよく遊んだところで、太宰の文学碑が立つ。見どころは1300本の松や全長265mの芦野夢の浮橋など。2200本の桜も植えられ、「日本さくら名所100選」にも選ばれている芦野公園を訪れる。

1596年(慶長元)開祖。太宰治が幼いころ子守りに連れられて遊んだ場所で、作品『思ひ出』の中に登場する十王曼陀羅(地獄絵)がある雲祥寺を訪れる。

明治の大地主だった津島家の屋敷で、青森ヒバ中心の2階建て19室という大邸宅。太宰は中学入学までここで過ごした。以前は旅館だったが1998年(平成10)に記念館となり、直筆原稿や愛用品などを展示している太宰治記念館「斜陽館」を訪れる。

仁太坊を始祖とする津軽三味線の歴史や弦楽器、郷土芸能などを紹介している。舞台では1日4回(冬期間は3回)、30分の生演奏があり、津軽三味線の音色を堪能できる。仁太坊最後の弟子である津軽三味線の名手・白川軍八郎の生誕100年を迎え、展示室では白川軍八郎特別展も開催している津軽三味線会館を訪れる。

毎年8月4〜8日に行われる立佞武多は、五所川原の夏の一大イベント。年ごとにテーマが決められ、それに沿ってねぷたが作られる。ここでは、4階まで吹き抜けの展示室で、高さ22mの巨大な立佞武多を展示。製作現場見学のほか、スクリーンで祭りの映像も見ることができる立佞武多の館を訪れる。

カルコとは、「Kamegaoka archaeology collection(亀ケ岡考古館)」の略。亀ケ岡遺跡や石神遺跡から出土した土器などを展示している。遮光器土偶のレプリカ、籃胎[らんたい]漆器は必見。館内には竪穴式住居も復元されているつがる市縄文住居展示資料館カルコ[亀ケ岡遺跡]を訪れる。

遮光器土偶[しゃこうきどぐう]の出土で知られる亀ケ岡縄文遺跡の展示館。目が、北方民族の使うサングラスに似ていることから名づけられた遮光器土偶のレプリカをはじめ、縄文時代の出土品を収蔵、展示するつがる市縄文館を訪れる。

青森タウンに戻る。

県立図書館の中に併設。佐藤紅緑、秋田雨雀、石坂洋次郎、太宰治、寺山修司、三浦哲郎、長部日出雄をはじめ、青森県出身の大勢の文学者の作品や書簡などを展示する青森県近代文学館を訪れる。

青森自然公園の中、大型ねぶた8台と弘前ねぷた1台が常設されている。青森ねぶた下絵館もある。大型ねぶたを実際に運行する「ねぶた運行体験ショー」も毎日開催されており、ショーのねぶたに参加することもできる青森自然公園ねぶたの里を訪れる。

青森市に生まれた世界的板画家・棟方志功の文化勲章受章を記念して昭和50年に開館。棟方が世に出るきっかけとなった代表作『大和し美し』『釈迦十大弟子』などの板画のほか、倭画、油絵、書など年4回展示替えをしながら順次紹介。独自の境地を切り開いた棟方志功の画業を鑑賞することができる棟方志功記念館を訪れる。

森と木と人間との関りを考える博物館。青森ヒバ材を使ったルネッサンス式建築の建物は、森の中にいるような雰囲気を演出している。バードカービングなどのほか、2階には雪とスキー、青森とヒバの展示もある青森市森林博物館を訪れる。

日本初の鉄道連絡船ミュージアム。かつての発着場に、当時の面影を残しながら係留・保存されている。操舵室やエンジンルーム、鉄道車両を運んだ広大な車両甲板など本物の迫力は圧巻。青函連絡船の歴史や船の構造などを、楽しみながら学び体験できるように展示されている。煙突展望台からは青森港が一望できる青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸を見学。

ベイエリアの一角に立つ、木造漁船の博物館。漁船の博物館としては日本最大規模を誇り、重要有形民俗文化財の漁船67隻を中心に和・洋の実物船が展示されている。岸壁には帆船が係留され、高さ30mの展望台からは陸奥湾や青森市街が展望できるみちのく北方漁船博物館を訪れる。

17:30青森空港に向かう。
18:00青森空港到達。
18:50青森空港出発。
20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、東北地方の北部に位置する本州最北端の県で、世界遺産白神山地を有し、景勝地十和田湖をはじめ八甲田山、岩木山、下北半島の仏ヵ浦などの自然環境が数多く残され、中央部には奥羽山脈が縦走し、西側の津軽地方と東側が南部地方(三八地方・上北地方・下北地方)ではそれぞれ異なる歴史や気候、文化、風土をもつ青森県に足を運び、

津軽出身の小説家太宰治の足跡があり、青森市から松前街道、高野崎という景勝地を経て半島最北の竜飛岬に到達する津軽半島、

青森県の県庁所在地、東北新幹線新青森駅開業に向けての観光都市として発展がますます期待される青森タウンを訪れ、又交通手段として行きは、あえて飛行機を使わず夜行寝台車で訪れました。

現地の観光だけでなく、行きかえりの交通の乗り物も変化させて楽しみことが出来ました。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第六十六弾:青森県下北半島&津軽半島観光
2009年7月11−12日


昨年に続いて3回目の訪れの青森県、今回は高野山、比叡山と共に日本三大霊場の一つされる恐山が位置する本州最北端の下北半島、青森市から松前街道、高野崎という景勝地を経て半島最北の竜飛崎に到達する津軽半島に足を運びました。

11日13:00JR東西線大阪城北詰駅下車、徒歩で元男爵の藤田傳三郎氏から2代にわたって集められた古美術品を鑑賞できる。世界に3つしかない曜変天目茶碗など、国宝9点、重要文化財50点、重要美術品2点を含む約5000点を収蔵する藤田美術館による。

桜ノ宮橋を越えて1871年(明治4)、アイルランド人技師・ウォートルスによって設計。大阪最古の洋風建築物で、国の重要文化財にも指定されている。もとは造幣局の応接所として建築。コロニアル様式の建物内には、シャンデリアや暖炉、化粧鏡など19世紀の優れた英国風室内装飾が施されている泉布観に寄る。

学問の神様で有名な、菅原道真を主祭神に祭る天満宮。受験シーズンには、合格祈願に多くの受験生が訪れる。度々の戦火に見舞われながらも、大阪町人の信仰と遊興の中心地として発展。日本三大祭の一つ天神祭りは、毎年7月に行われる大阪天満宮を訪れる。

日本一長い商店街。堂島川にかかる天神橋たもとの1丁目から北端の7丁目まで、総延長が約2.6km、800軒ほどの店が所狭しと立ち並ぶ大商店街、天神橋筋商店街を散策する。

毎年1月9〜11日に行なわれる十日戎が有名。ミナミの今宮と並び称され、祭礼の当日は数十万人の商売繁昌を願う人々で大混雑する。商売繁昌と福徳円満の神として、大阪人からえべっさんと慕われる神社、堀川戎神社を訪れる。

扇町通の南沿いに立つ真言宗の寺。821年(弘仁12)弘法大師による創建と伝わる。朝廷や武将からの信仰が厚く、かつては広大な寺域を所有していた。不動堂に安置されている不動明王は一願不動と呼ばれ、一願成就のご利益があるとされる。境内には芭蕉の句碑や、淀殿の墓という六重石塔がたたずんでいる太融寺を訪れる。

近松門左衛門の曽根崎心中で有名になった、お初天神。毎月第1・3金曜に開催される骨董市が人気だ。キタのビルの谷間にあり、多くの人が安らぎの場として訪れる。商売繁盛、交通安全、縁結びの社でもある露天神社(お初天神)を訪れる。

地下鉄新御堂筋線で本町下車、1694年(元禄7)5月中旬、江戸を発った松尾芭蕉は京や伊賀上野を経て、同年9月大坂に入ったが、体調を崩した。容態が悪化した10月5日に南御堂の門前にあったといわれる花屋仁左衛門宅に病床を移したが、10月12日夕刻に51歳の生涯を閉じた。今は御堂筋の緑地帯にその終焉地として碑が残されている。また、近くの南御堂境内には病床で詠んだ枯野の句碑がある芭蕉終焉地を訪れる。

反正天皇元年(406)の創建と伝えられ、仁徳天皇、素盞嗚尊、倉稲魂尊を祭る神社。文楽を広めた植村文楽軒の人形芝居を行ったという歴史をもち、境内には稲荷社文楽座跡の碑が立つ。樹齢400年以上という楠もあり、都会のオアシスとして親しまれている。また、博労町のおいなりさんとして親しまれる稲荷神社、金刀比羅神社も境内にある難波神社を訪れる。

地下鉄御堂筋線で新大阪駅下車、奈良時代の天平年間(729〜748)の創建といわれる。嘉吉の乱で将軍足利義教を殺した赤松満祐が、義教の首をこの寺へ葬った。その後、管領細川持賢が義教を弔うとともに細川家菩提寺として再興。また境内で起こった、大和郡山藩の遠城兄弟と生田伝八郎との果たし合い仇討崇禅寺馬場も有名だ。結果は、伝八朗の弟子たちに返り討ちにされたという。境内には主人公・遠城兄弟の墓、足利義教の首塚、細川ガラシャ夫人の墓がある崇禅寺を訪れる。

15:35新大阪駅出発、空港バスで伊丹空港に向かう。
16:05伊丹空港到達
17:10伊丹空港出発
18:45青森空港到達、レンタカーで青森市内に向かう。
19:30青森市内のホテル到達後、繁華街を散策して食事を済ませて床に就く。

12日5:00レンタカーで出発、天候晴れ、絶好の観光日和、下北半島に向かう。

高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場のひとつ。8つの外輪山と宇曽利山湖一帯を総称する名前。湖畔には、862年(貞観4)に慈覚大師が開いたという恐山菩提寺がある。一帯は、地獄谷や賽ノ河原などと呼ばれる白茶け、荒涼とした風景が広がる恐山を散策する。

下風呂漁港に隣接し、満潮時には海水が流れこむ人工池のある公園。中央に奇岩・二見岩があり、海上安全と大漁を祈願する恵比須様を祭った小さな祠と鳥居が立っている。園内には、小説海峡を執筆するために下風呂に滞在した井上靖の碑や、対岸の北海道を望む展望台がある海峡いさりび公園を散策する。

本州最北の町のさらに最北端の大間崎には、こゝ本州最北端の地と刻まれた碑や大間名物のマグロをかたどったモニュメントが立つ。晴れれば直線距離17.5kmの海峡をはさんだ函館の市街まで見え、フェリーで渡ることも可能な大間崎を訪れる。

約2kmにわたって、風雨と荒波で浸食された白緑色の凝灰岩が続く海岸。如来の首、五百羅漢、十三仏、蓮華岩などと名づけられ、恐山奥の院といわれている仏ケ浦を訪れる。

川内町の中央を流れる川内川は、下北半島で最も水量豊富な川。瀬や淵、滝など、変化に富んだ渓谷美が楽しめる川内川渓谷を散策する。

青森市を経由して津軽半島方面に向かう。
陸奥湾を一望できるランドマークタワー。108段のら旋階段を上ると、地上30mの展望スペースへ。1階は下北半島へのカーフェリーの乗船窓口トップマスを訪れる。

海抜40mの小高い丘に広がる緑豊かな公園で、陸奥湾の向うに下北半島、遠くは北海道まで望める。作家・太宰治も小説津軽執筆のために訪れ、山頂には太宰治文学碑が立つ。遊歩道が整備され、沿道には風の町をテーマに町が主催する川柳大賞の受賞作品が刻まれた石碑が立ち並ぶ観瀾山公園を散策する。

津軽国定公園に指定され、津軽半島随一の景勝地として知られる。切り立った断崖と岩礁が3kmにわたって続き、先端の高野崎には高野埼灯台が立つ。ここからは下北半島、龍飛崎、さらに北海道松前半島まで一望できる袰月海岸を通過。

源義経が津軽海峡から北海道へ逃れた伝説を伝える寺で、義経が祈りを捧げた観音像が安置されている。近くには海を静めるために座った厩石や、海神に捧げるために甲を沈めた甲岩などがある義経寺を訪れる。

バス停龍飛漁港から龍飛崎灯台までの総延長388.2mの道は、日本で唯一の階段状の国道。間違って、国道と記載されたものがそのまま残っている。段数は362段、階段国道を訪れる。

津軽半島の北端。太宰治が小説津軽でここは本州の袋小路だと表現した。岬には文学碑がある。徒歩5分の断崖の上には高さ13.7mの白亜の龍飛埼灯台が立つ龍飛岬を訪れる。

青森市方面に戻る。
1992年に発掘され、忽然と姿を現した日本最大級の縄文集落遺跡。出土品から遠方との交易が行われ、漆器などの技術者がいたことが推定されている。広大な土地に縄文前期から中期(約5500〜4000年前)の大型堅穴住居や高床倉庫を復元。クリの丸太を組んだ高さ14.7mの大型掘立柱建物などもある三内丸山遺跡を散策する。

18:00青森空港到達
18:50青森空港出発
20:25伊丹空港到達

今回の旅行、伊丹空港の出発便が17:10、比較的ゆっくりでしたので大阪市内の史跡を数箇所巡って時間を費やしてから青森に向かいました。

青森では北部に突き出た2つの大きな半島、下北半島と津軽半島をドライブ観光して両半島の最北端、下北半島の大間崎、津軽半島の竜飛崎を訪れ本州の2つの北端を制覇しました。

下北半島の高野山、比叡山とともに日本三大霊場の一つされ死者の霊が集まってくる場所といわれ、宇曽利山湖を望む火山性地形が独特の風景をもたらす恐山、約2kmにわたって奇岩怪石の風景が連なり、風雨や波浪が長い時間をかけて白緑色の凝灰石を削り上げた自然の造形美で、高さ90mを越える断崖は迫力満点の仏ヶ浦、世界的に貴重な発掘が見られる遺跡、住居なども復元して縄文遺跡公園に整備されている特別史跡三内丸山遺跡を訪れ、550kmをドライブ走行して自然、文化に接し堪能しました。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第三十二弾:青森白神山地&十和田湖観光
2008年6月14−15日


今回は10年ぶり2回目の訪れとなりました青森に行ってきました。

14日16:55大阪伊丹空港出発、18:25青森空港到達。
レンタカーで青森付近のホテルに到達後、市街地を散策して食事を済ませてから宿を取る。

15日5:00レンタカーで出発。

青森県のシンボルとして親しまれている三角形の観光物産館、青森県観光物産館アスパムと青森ベイブリッジを背景に写真を撮ってから世界的に貴重な発掘が見られる遺跡、住居なども復元して城門遺跡公園に整備されている特別史跡三内丸山遺跡を訪れる。

南に向かい東北自動車道を経由して弘前に到達。

1611年に築城、天守や櫓などが築城時の形態のまま残されて、東北では唯一、当時の天主が現存する弘前公園を散策する。
隣接する明治期、青森県で初めて開校した私立学校に招かれた外国人教師の住宅、旧東奥義塾外人教師館、明治期に建てられた木造洋風3階建ての建物、ルネッサンス様式を基調としながらも随所に和風様式を取り入れている旧弘前市立図書館を見学。
本州で最も北にある国指定重要文化財五重塔、津軽藩創設以来の戦死者を敵味方なく供養するために建立された最勝院五重塔を訪れる。

西に向かい弘前市内から西へ走る県道3号線を中心に、約6500本の桜が20kmにわたって続く世界一長い桜並木を通過して岩木山方面に向かう。

780年に創設された歴史ある神社、岩木山神社を訪れる。

津軽富士と呼ばれる岩木山の8合目まで上っていけるつづら折れのドライブコース、津軽岩木スカイラインを走行、北海道の松前半島や津軽の十三湖、日本海などの眺めが楽しめる。
但し今回は霧が強く満足のできる眺望を楽しむことが出来ませんでした。

北西から日本海沿岸方面に向かう。

1792年大地震の際に地盤が隆起して出来た岩棚が、長い年月にわたる波の浸食作用によりライオン岩などの奇岩怪石となっり、その独特の光景は約12kmにわたる千畳敷海岸を訪れる。

沿岸を南下して太宰治が訪れた旅館を改造した太宰の宿、ふかうら文学館、坂上田村麻呂が創建した古の寺、薬師堂内厨子、最古の船絵馬及び髷額等106点を展示していて、国重要文化財に指定されている円覚寺、奇岩ガンガラ穴と沖合いの小島を合わせた景色が美しい森山海岸を訪れる。

いよいよ今回の主である世界遺産白神山地に抱かれる大断崖、侵食崩壊によりむき出しになり、どこか日本離れしたダイナミックな風景を展開する日本キャニオン、白神山地西麓のブナの森の中に点在する大小33の湖沼郡の総称で300年前の地殻変動の際に出来た十二湖を訪れる。
十二湖沼群の中で最も神秘的な青池はすばらしかった。

海岸線を南下して能代から東に向かい十和田湖方面に走行。

高さ約60mの名瀑、七段の滝で、滝を見ながら散策できる七滝を訪れる。
十和田湖到達、正面に十和田湖外輪さんが、後方には南八甲田の櫛ヶ峰が望める好立地にある展望台、発荷峠展望台からの十和田湖の眺望は大変美しくてすばらしかった。

十和田湖の子ノ口から蔦川へ合流するまでの約14kmの流れ、豊かな樹木や大小の滝、巨大な岩、切り立った崖などが彩りを添える奥入瀬渓谷を散策する。

北に向かい傘松峠の近くに点在する湖沼群、鏡のように澄み切った沼の水面には八甲田の山々が映る、睡蓮沼を散策。
山頂展望台から津軽半島から下北半島までの雄大な景観を一望できる八甲田ロープウエイの前を通り過ぎてから青森空港に向かう。

17:30青森空港到達。
18:25青森空港出発。
19:45大阪伊丹空港到達。

今回の旅行、世界遺産の白神山地の日本キャニオン、十二湖、残念ながら、雲がかかって8合目からの十分な眺望が出来なかった津軽富士と呼ばれる壮大な岩木山、城下町の弘前市、北東北随一の観光地であり2回目の訪れとなる十和田湖と奥入瀬渓谷と八甲田山へ南のアプローチ、観光地が多く、自然いっぱいの堪能できる青森観光旅行でした。

観光を満喫できる青森、次回は津軽半島、下北半島をチャレンジしたいです。