秋田

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百八十七弾:秋田県小京都重要伝統的建造物群保存地区観光
2019年8月3−4日
   

東北地方のきりたんぽや稲庭うどんなど有名グルメが満載、男鹿市のなまはげや横手市のかまくら、大仙市の全国花火競技大会など魅力的なイベントも満載で、県北エリアには伊勢堂岱遺跡や大館城など歴史文化を垣間見ることのできるスポットも豊富で、中央エリアには風の松原や菜の花ロード、県南では法体の滝や川原毛地獄などがあり自然の魅力も充分満喫できる秋田県に足を運び、秋田県に点在する小京都重要伝統的建造物群保存地区5か所を訪れました。

3日16:40伊丹空港出発
17:55秋田空港到達、レンタカーで湯沢方面に向かう。
18:50湯沢駅前のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
4日5:30レンタカーで出発観光。

湯沢:小野小町生誕の地と伝えられる市内には、遺跡も数多くのこり、秋田美人を思わせる奥ゆかしい情緒が漂い、訪れる人を魅了します。また、「湯沢」の名のとおり、市内には小安峡温泉、秋の宮温泉郷などが点在する”いで湯の宝庫”。山あいの秘湯や迫力の大墳湯、多彩な温泉が、この地ならではの旅情を演出します。
そして、湯沢は同時に全国に誇る物産のまち。日本三銘うどんとして有名な稲庭うどん、八百年の歴史をもつ川連漆器、全国に名を知られてた老舗のお酒などが有名です。

増田:江戸時代から商家の集まる町として栄えた秋田県横手市増田エリア。
?蔵の町”として知られるこの町を南北に走る中七日町通りには、数々の木造の町家が建ち並び、レトロな雰囲気を楽しみながら散策できます。

横手:秋田県の南部に位置する横手市。伝統行事の「かまくら」やB-1グランプリの「横手やきそば」で知られる横手市は、歴史上名高い「後三年の役」ゆかりの史跡や桜の名所「真人公園」、伝統的な町並みが続く「増田町」など、見どころも多い街。

六郷:六郷湧水群は昭和60年に環境庁から全国名水百選に選定され、平成7年には国土庁の水の郷に認定されました。また、水源の森百選、甦る水百選、遊歩百選などにも認定され、湧水群が存在する美郷町は水の5冠の街として知られています。秋田県美郷町には奥羽山脈を水源とする小河川が扇状地を形成し、その扇状地ある六郷に清水が湧出しています。昔は水量が豊富なことから百清水と呼ばれていましたが、現在は湧水量が減少して60余りになりました。

角館:角館の今に続く町並みをつくったのは芦名(あしな)氏で、江戸時代のはじめ1620年(元和6年)のことでした。その後は佐竹北家の城下町として栄えました。  
 玉川と桧木内川に沿いに市街地が拓け、三方が山々に囲まれたこの町は、歴史ある武家屋敷と桜並木が美しい、まさに「みちのくの小京都」と呼ぶにふさわしい風情を漂わせた観光名所です。
 町は「火除(ひよけ)」と呼ばれる広場を中心に、北側は武家屋敷が建ち並ぶ「内町(うちまち)」、南側は町人や商人が住む「外町(とまち)」に区分されました。

16:00秋田空港到達
18:30秋田空港出発。
19:55伊丹空港到達。

今回の旅行東北地方の秋田県に足を運び秋田県に点在する小京都重要伝統的建造物群保存地区5か所(湯沢、増田、横手、六郷、角館)、を訪れ楽しみました。

角館は何回か訪れたことのある武家屋敷の町、東北地方では有名な観光名所、外人観光客も多く賑わっていました。時間をかけてゆっくり散策観光予定でしたが余りの暑さで道が広くどこでも車を止めることが来たため車でいくつかの武家屋敷を訪れました。

湯沢、横手の町は秋田県では大きい街ですが、都会と比べるとかなり地味な街、観光名所も多くなく、短時間で巡ることができました。



























飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百六十四弾:秋田県お城・城下町巡り観光
2016年7月2−3日
  

北の東北に足を運び、戦国時代に突入するころ、秋田氏(安東氏)が勢力を拡大したエリア、関ヶ原の戦いが終わり、常盤から佐竹氏が国替えで送り込まれると、秋田氏、戸沢氏、本堂氏など、周辺の大名は反対に常盤へと転封された秋田県訪れ、秋田県の南部に点在する比較的マイナーなお城・城下町9か所をめぐりました。

2日16:55伊丹空港出発
18:15秋田空港到達、レンタカーで秋田市方面に向かう。
18:40秋田市のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
3日7:00レンタカーで出発、秋田県の南部の点在するお城をめぐる。

豊島館:永正3年(1504年)豊島玄蕃頭によって築かれたと云われる。 豊島氏は畠山重忠の末裔と云われ、永正3年(1504年)飛騨国より一門十二家二百人を率いて豊島荘に入ったという。
玄蕃頭の子次郎重村は仁賀保氏から妻を迎えていた。元亀元年(1570年)玄蕃頭は周辺の国人と同調して湊城主安東茂季に謀反を起こした。湊騒動とも呼ばれる内乱であったが檜山安東愛季の援軍もあって玄蕃は敗れ、山根館の仁賀保氏を頼って落ちたが、後に許されて豊島館に復帰したという。
天正16年(1588年)湊城主安東高季が脇本城主秋田実季に謀反した湊合戦では、湊安東氏に従って秋田氏に対したが敗れ、その後は由利十二頭のひとり羽川館赤津尾九郎の弟新内が豊島館に入って豊島殿と呼ばれたという。
一説に湊安東氏を継いだ安東茂季は湊城ではなく、この豊島館にいたとされる。

山根館:築城年代は定かではないが由利氏によって築かれたと云われる。
その後仁賀保氏祖である大井伯耆守友挙が修築して居城とした。 大井氏は信濃国大井城主大井朝光の後裔大井友光の子友挙が応仁元年(1467年)仁賀保に下向し、はじめ待居館に住んだが、翌年山根館を修築して居城としたといい、仁賀保氏は友挙の子挙政が名乗った事に始まるとされる。
仁賀保氏は由利十二頭の一人とされ、矢島氏などと争った。 仁賀保氏は友挙・挙政・挙久・挙長・重挙・挙晴・挙誠と七代に渡り山根城を居城とし、豊臣秀吉からも所領安堵を受けたが、慶長7年(1601年)関ヶ原合戦の恩賞により由利一円が最上氏の所領となったため、仁賀保氏は常陸国武田に五千石で移った。
元和9年(1623年)仁賀保挙誠は由利に戻り塩越城を居城として一万石を領した。

西馬音内城:建治3年(1277年)小野寺道直によって築かれたと云われる。 鎌倉時代初期に雄勝郡に入部した小野寺経道の二男道直が由利方面に対する備えとして西馬音内に配され、その後西馬音内氏を名乗った。
天正14年(1586年)最上氏に属した鮭延地方の奪還を目指した有屋峠の合戦では西馬音内茂道も参陣した。
文禄元年(1592年)西馬音内茂道の女を娶って婚姻関係であった由利十二頭の一人八森城主矢島満安が、同じく由利十二頭の一人山根館の仁賀保氏によって八森城を追われ、西馬音内へと逃れてきたが、このことが宗家との間にあらぬ疑いを招き西馬音内氏は満安を自刃させた。このような内紛の中、山形城主最上義光は雄勝郡へ侵攻し文禄4年(1595年)頃には西馬音内氏・柳田氏・松岡氏・深堀氏などが最上方に属した。
慶長3年(1598年)横手城主小野寺氏が湯沢城奪還を目指すと西馬音内氏は再び小野寺氏に属して立ちあがった。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦では上杉氏に呼応して東軍となり、上杉氏が最上領から撤退した後は孤立し、最上氏が雄勝郡へ侵攻すると西馬音内氏は城を焼き払って庄内へ逃れ、横手城主小野寺氏は改易となって石見国へ流罪となった。


八口内城:築城年代は定かではないが八口内氏によって築かれたと云われる。 八口内氏は平将門の後裔を称する。

暦応2年(1339年)小野寺氏に攻められ落城したと云われる。
天正14年(1585年)越後の上杉氏が最上の庄内へ出兵することを知った小野寺義道は、鮭延氏が最上に降って以降失った地を奪い返すべく、山北より最上へ侵攻することを計画し、一族郎党に八口内城へ集結するよう陣触を出した。これを知った最上氏は最上義光自ら軍勢を率いて出陣した。両軍は山北と最上を結ぶ要衝にある有屋峠で八日間にわたり激しく戦い、両軍とも多数の戦死者を出した。(有屋峠の合戦)
文禄2年(1593年)豊臣秀吉による奥州仕置きとして検地を行うため、最上の家臣鮭延秀綱が先導して有屋峠を越え雄勝郡へ侵攻した。八口内城主八口内尾張守貞冬(定冬)は横手城の小野寺氏に注進するものの軍勢は集まらず、貞冬は有屋峠の道を堀切り、大木を切り倒し、逆茂木を引て待ち構え、武者三騎にて敵軍に討ち入り討死した。

稲庭城:築城年代は定かではないが小野寺氏によって築かれたと云われる。 小野寺氏は下野国都賀郡小野寺郷発祥で藤原秀郷流を称す。小野寺道綱・重道父子は文治5年(1189年)の奥州合戦の功により出羽国雄勝郡の地頭職となった。
小野寺氏の雄勝郡入部に関しては詳らかではなく、建久4年(1193年)頃に小野寺重道、または建長年間(1249年〜1256年)の小野寺経道など諸説ある。
小野寺氏はこの稲庭を拠点として大館、西馬音内城、湯沢城などに一族を配して勢力を拡げ、戦国時代には沼館城へ居城を移したが、その後も稲庭城には小野寺氏の一族が居城した。
文禄4年(1595年)雄勝郡に侵攻した最上氏は湯沢城を落とし、岩崎城を占拠した。翌文禄5年(1596年)にはこの稲庭城も最上氏に攻められ落城した。

横手城:築城年代は定かではない。鎌倉時代から城があったとする説もあるが、天文年間(1532年〜1555年)頃に小野寺輝道によって築かれたともいわれる。
小野寺氏は関ヶ原合戦で西軍に属したとみなされ改易となり、小野寺義道は石見国津和野の坂崎出羽守に御預けとなった。
慶長7年(1602年)佐竹氏が秋田に入部すると最上氏より城を受け取り伊達盛重が城代となった。慶長8年(1603年)には須田盛秀が城代となり、寛永2年(1625年)盛秀の子須田盛久が城代となる。
寛文12年(1672年)常陸国戸村城主であった戸村義連が城代となり、以後戸村家が城代として続いて明治に至る。

大森城:文明年間(1469〜1487年)、標高120mの山頂に横手城主小野寺泰道の四男小野寺道高が築いたと云う。1580年頃、小野寺康道が入り、「大森城」と称して、3万石で平鹿西部一帯を支配した。1590年太閤検地の際、上杉景勝が入城し、一時、太閤蔵入地の収納所となる。1591年再び小野寺康道が入り、最上氏との対立で大攻防戦となったが、和睦した。1600年「関ヶ原の戦い」の後、最上氏家臣伊良子将監の居城となる。現在は大森公園、大森神社に変わり、曲輪、土塁などが残る。

本堂城:築城年代は定かではないが天文4年(1535年)頃に本堂氏によって築かれたと云われる。 本堂氏は陸奥国和賀郡に勢力をもった和賀氏の一族で、南北朝時代の頃に本堂に土着し元本堂城を築いて居城としたことに始まる。

天文年間(1532年〜1555年)に本堂城を築いて山城である元本堂城より移ったとされる。戦国時代の本堂氏の系譜は義親・頼親・朝親・忠親・茂親で、義親は戸沢氏と戦って鴬野で戦死、頼親は金沢城主と戦って野口で戦死、朝親も戦死したという。
天正年間(1573年〜1592年)の当主は本堂忠親で豊臣秀吉にの小田原征伐に参陣し、藤田信吉の検地に協力して八千九百八十三石余を領した。
関ヶ原合戦の後、本堂茂親は常陸国志筑八千五百石に転封となり廃城となった。本堂氏は以後交代寄合として明治まで続いた。

角館城:築城年代は定かではない。
応永30年(1423年)角館能登守利邦が小野寺氏に通じて謀反を起こしたため、門屋城主戸沢家盛に攻められ落城、応永31年(1424年)家盛は居城を門屋城より移し、以後代々戸沢氏の居城となったという。
戸沢氏は小野寺氏や安東氏(秋田氏)などと戦って勢力を維持し、天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐に参陣して本領を安堵され、同年藤田信吉による検地が行われ四万四千三百五十石余となった。
慶長6年(1601年)関ヶ原合戦では東軍に属して上杉氏を攻撃した。戸沢氏は慶長7年(1602年)常陸国小河城に四万石で転封、慶長11年(1606年)常陸国松岡へ移り、元和8年(1622年)出羽国新庄へ移り明治まで続いている。
戸沢氏が角館を去ると秋田へ入部した佐竹氏の家臣葦名盛重(義広)が常陸国江戸崎より一万五千石で入部し角館城主となったが、元和6年(1620年)一国一城令によって廃城となった。 葦名氏は三代で断絶し、明暦2年(1656年)佐竹北家の佐竹義隣が出羽国紫島城より角館に入り、「みちのくの小京都」と呼ばれる町並みを整備した。

16:00秋田空港に向かう。
17:00秋田空港到達。
18:45秋田空港出発
20:10伊丹空港到達。

今回の旅行、北の東北地方に足を運び、秋田県の南部に点在する比較的マイナーなお城9か所をめぐり楽しみました。

今回も田園風景を望みながらのドライブお城めぐり、車が少なく、信号も少ない、渋滞なく、ストレスを感じさせないドライブ走行満喫しました。

比較的地味なお城が多かったが、2つのお城だけ、派手できれいすぎるような景観で歴史を感じさせない人工的な建造物に思われ残念でした。

快適な東北・北海道のドライブお城めぐり、もうすぐ制覇ですね、頑張ります。















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百二十四弾:秋田県東北三十六不動霊場&お城・城下町巡り観光
2015年8月22−23日

東北の秋田県に足を運び東北三十六不動霊場6箇所、お城・城下町9箇所をめぐりました。

22日16:55伊丹空港出発
18:15秋田空港到達、レンタカーで本荘に向かう。
19:00本庄駅前のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。

23日6:00レンタカーで出発、秋田市内に向かう。霊場、お城巡り。

普傳寺:
普傳寺の開基は不明だが、初代、普光上人から数えて、現在義佑和尚まで十三代というが、この場合の初代は中興と考えられる。何故なら天和二年(1682年)尊慶なる僧、大館遍照院六代に赴く、とあり、江戸中期の所在を明らかにし、更に不動明王像は鎌倉期の運慶作という文化的価値を考慮すると、初代の事蹟は中興ということになる。秘宝、不動明王、弘法大師坐像は運慶の作風を伝え、秋田市の指定文化財である。

秋田城・出羽柵:天平5年(733年)の築城と云う。 東北地方における蝦夷への対策として庄内地方に出羽柵が築かれ、これを高清水岡に移し秋田城と改称した。

湊城:築城年代は定かではないが永享8年(1436年)安倍康季が築いたとも云われる。 属にいう安東三城(檜山城・脇本城・湊城)の一つ。その後、湊安東氏の居城として続いたが、天文20年(1551年)安東尭季が没すると、檜山安東氏の安東愛季の弟茂季が湊安東氏の家督を継いだ。元亀元年(1570年)豊島城主豊島玄蕃らが謀反を起こし湊騒動と呼ばれる内乱となると、檜山安東氏の援軍もあってこれを鎮圧した。天正7年(1579年)に茂季が没すると家督を継いだ嫡子高季が幼少であったこともあり、後見人となった安東愛李が事実上湊安東を併合する形となった。天正15年(1587)(秋田)安東愛李が没すると、翌天正16年(1588年)湊安東高李が戸沢・小野寺氏を味方にして謀反を起こした。家督を継いだ秋田実李はいまだ13歳と幼少で脇本城を棄てて檜山城へ逃れて籠城し劣勢であったが、由利十二頭の赤尾津・羽川氏の援助を得て形成は逆転し湊城は秋田実季によって落とされた。秋田氏は湊城を居城として豊臣秀吉に臣従し五万七千石を領していたが、関ヶ原合戦での不手際があり、慶長7年(1602年)安東実李は常陸国宍戸へ転封となり、替わって佐竹氏が秋田に入部すると久保田城を築いて居城としたため廃城となった。

嶺梅院:嶺梅院の縁起は定かではないが、一部に伝わる古文書に次のように記されていた。永福山嶺梅院は無等良雄禅師(南朝の忠臣萬里小路藤房卿と伝えられる)の閑居寺にして、現在の松原・補陀寺の場所に創建した。その後、寺風は荒廃して一宇を残していたが、寛延年中(1748年)蒼龍寺の桂岩極芳和尚が現在地に再興し、後地に補陀寺を移して曹洞禅の教化につとめたということである。

多聞院:多聞院の開山は、慈覚大師・安慧。一説には元禄年間(1688年)の創建ともいう。羽黒山系天台宗から発展した寺院という説もある。松前船・辰悦丸が航路の安全を祈願し、階の石段を寄進している。また、同船の錨は寄進され、境内に置かれている。

男鹿半島方面に向かう。

脇本城:築城年代は定かではないが、一説に元亀・天正年間(15701573年〜1592年)頃に染川城主安東鹿季が築城したと伝えられる。属にいう安東三城(檜山城・脇本城・湊城)の一つ。元亀・天正年間初期の城主は安東修季で湊城主安東友季の後見人であった。天正5年(1577年)檜山城主安東愛季は湊安東氏を併合し、檜山城を長男業季に譲り脇本城を居城とした。安東氏は愛季の時に安東から秋田と改名している。愛季は天正15年(1587年)小野寺氏・戸沢氏と唐松山合戦の後、淀川の陣中で病没すると家督は嫡子実季が継ぐ。しかし、この時12歳と幼少であったためか、脇本城主修季は湊城主安東高季を扇動して謀反を起こした。この湊合戦と呼ばれる戦いで実季は脇本城を棄てて檜山城へ逃れて籠城する苦戦を強いられたが、由利十二頭などが檜山安東氏方となったことで形成は逆転し、湊城を落として終結した。

吉祥院:男鹿は仏教の発祥地、本山、真山、毛無山の三山がそびる、慈覚大師開祖の赤神山日積寺永禅院の信仰の地である。永禅院代五世覚運(953-1007)開基の塔頭寺院で叡山中興の祖、良源の高僧弟子で天台宗であった。明徳2(1392)年の頃、日積寺29世頼叶が高野山龍光院の感化をうけ真言宗に改宗された。幕末の頃、寺門の衰退に加え明治初年の廃仏棄釈で無住となり、幾度となく廃寺を免れ、再度の移転で昭和18年に現在地にその法燈を継承す。文応元(1260)年からの歴史をもつ、岡山県の福泉寺所蔵本奥書日書写、高野山で伝授の開運星祭り北斗護摩祈祷会と、聖天浴油供祈祷会などの行事がある。

玉蔵院:現在、真言宗智山派に属し、その昔、男鹿にあった日積寺永禅院の塔頭の一ヶ寺として創建され、天台宗の寺院であった。南北朝時代の頃に日積寺は真言宗に改宗するが、玉蔵寺も、その時改宗したものと思われる。今から約300年前、元禄の頃と思われるが、鮎川の寺畑(現在地より北方、高台の山林)へ移転、さらに200年前頃、現在地へ移転した。今の本堂は昭和58年に建立。本堂内陣の丸柱は、神代欅を使用。数千年、土の中に埋もれていた欅の丸柱が、神々しい光を放っている。

能代方面に向かう。

檜山城:築城年代は定かではないが14世紀中頃に安東忠季によって築かれと云われる。 安藤氏は安倍貞任の子高星丸が津軽に逃れ、後に藤崎城を居城としたことに始まる。安藤氏はその後十三湊へ移ったが、南部氏によって一時滅亡、南部氏に捕らわれていた師季(政季)が田名部の地を与えられ、安藤氏を再興した。政季は田名部から蝦夷ヶ島へ渡り、康正2年(1456年)に湊安藤堯季の支援を受けて小鹿島へ渡った。忠季のとき檜山へ移り、檜山城の前身となる檜山屋形を築いたという。檜山安藤氏(安東)は愛季のとき、湊城主湊安藤氏を併せて勢力を拡大していく。愛季の子実季のとき秋田氏に改称し、慶長7年(1602年)実李は常陸国宍戸へ転封となった。慶長7年(1602年)佐竹氏が秋田に入部すると小場義成や多賀谷氏の居城となったが元和6年(1620年)一国一城令によって廃城となり、多賀谷氏は麓に居館を築いて移った。

大館方面に向かう。

遍照院:
大館盆地に位置する遍照院の開基は、小場義成(後に佐竹姓を名乗った)であるという。「大館城と関係社寺」から由来を抜粋すると、『常陸国那珂小場県遍照院開山は至徳三年(1386年)小場大炊助義躬が小場城外に一宇建立。本尊に薬師如来を安置する故に医王山長久寺遍照院と号す』とある。小場氏に随いて秋田に下向し、慶長十五年(1610年)大館に移建して三十石を付与されたという。

十狐城:築城年代は定かではないが永正年間(1504年〜1521年)に浅利則頼によって築かれたと云われる。
浅利氏は甲斐国浅利郷を発祥とする甲斐源氏で文治5年(1189年)源頼朝による奥州藤原討伐に参陣し比内の地頭職を得た。南北朝時代には北朝方に属し南朝方であった南部氏の鹿角の諸城を津軽の曽我義氏らと攻めている。その後の動向は詳らかではないが、永正年間(1504年〜1521年)に浅利則頼が十狐城を築き、小大名ながら一勢力を築いた。この則頼の出自は定かではなく「浅利軍記」などによれば甲斐国より比内に下向したとある。天文19年(1550年)浅利則頼が没すると長子則祐が家督を継いだ。浅利則祐は安東氏に属し、永禄年間(1558年〜1570年)はじめには南部氏の長牛館を攻撃したが、永禄5年(1562年)則祐は安東氏との不和により攻められ長岡城で自刃して果てた。則祐の跡を継いだのは弟勝頼で、中野城より十狐城に移り、さらに長岡城に移っている。天正2年(1575年)浅利勝頼は独立を計り、田代町山田で安東愛季と戦い(山田合戦)花岡城主浅利定頼が討死するなど大敗を喫した。しかし、その後も浅利氏は安東氏とたびたび戦っている。天正11年(1583年)安東愛季は和睦交渉と偽って勝頼を呼び寄せ謀殺させた。勝頼の子頼平は津軽為信を頼って比内より逃れ、比内は安東氏の所領となった。天正17年(1589年)大館城代五十目兵庫秀兼が南部氏に内通して比内が南部氏に奪われると、翌年秋田実季は津軽為信と結んで比内を奪還する。このとき津軽氏に身を寄せていた浅利頼平は為信の斡旋により再び比内に戻り秋田氏に従って太閤蔵入地となった大館一帯を支配した。しかし蔵入米や文禄の役での金子の未納などの問題で再び浅利氏と秋田氏は対立し、慶長3年(1598年)浅利頼平は上洛中に大坂にて没し、浅利氏の残党は秋田氏に討たれ十狐城は破却され浅利氏は滅亡した。

大湯館:築城時期は不明。館主は鎌倉中期、地頭職として鹿角に入部した武蔵武士団横山党奈良氏の嫡流大湯氏とされます。入部以降、大湯氏は大湯川流域に勢力を扶植し、庶子家(小枝指氏・新斗米氏等)を各地に分知して惣領支配していたと思われますが、詳細な事績は不明。永禄9(1566)年、檜山城主安東愛季の鹿角侵攻が開始されると大湯四郎左衛門昌次は安保衆とともにこれに加担したとされ、また天正19(1591)年 「九戸の乱」が勃発すると四郎左衛門は九戸政実方に加担して鹿倉館に籠りましたが、大光寺正親勢の攻撃を受けたため鹿倉館をあきらめ九戸城に遁れました。しかし九戸城は奥州仕置軍の攻撃を受けて降伏し、四郎左衛門は九戸政実等とともに捕縛され、栗原郡三迫で処刑されました。乱後、大湯氏の所領は信直方に加担した四郎左衛門の兄五兵衛(彦六)昌忠に宛がわれましたが、天保年間(1644−48年) 昌忠のあとを継いだ門之助昌邦が死去したため大湯氏は改易となり、代わって毛馬内靭負範氏が大湯に入部しました。明暦3(1657)年、範氏が死去すると赤尾又兵衛が大湯代官に任ぜられ、寛文5(1665)年 赤尾氏が南部家を退去すると北九兵衛宣継が小軽米から所替で大湯に入封し、北氏が明治維新まで大湯館に在城しました。

小枝指館:小枝指館は七ツ館とも呼ばれるように七つの曲輪で構成された館である。 日本城郭体系に掲載されている縄張図には第一館から第七館として名称をふり、個々の名称は不明となっているのだが、たまたま畑仕事をしていた方と話した所、ここは○○、あっちは××と館の名称を呼んでいたようである。空堀の一部は道路などに転用されているものの、多くの空堀と曲輪群は良好に残っているようである。

石鳥谷館:

大里館:

15:00秋田空港に向かう。

16:50秋田空港到達。
18:50秋田空港出発。
20:10伊丹空港到達。

今回の旅行、東北の秋田県に足を運び東北三十六不動霊場6箇所、お城・城下町9箇所をめぐり楽しみましたました。

今回も東北の霊場、立派な寺院が多く、素晴らしかった。広く、真っ直ぐな道が多く、人も車も少なく、ドライブ気分で楽しむことが出来ました。

お城は、館と名のつくお城は、確認が難しく、広く田園風景に位置するのが多かったです。

東北秋田県に位置する霊場、お城ドライブ観光巡りでした。














飛行機で国内&海外の観光地巡り第百九十五弾:秋田県白神山地&能代&大舘&鹿角観光
2012年6月16ー17日
  

東北地方の奥羽山脈西側にあり、北は青森県、南は山形県、西は日本海に面している秋田県に足を運び、広大なブナの原生林がありのまま残っており、屋久島とともに1993年に世界遺産に登録された白神山地、米代川河口の交通の要衝として栄え、いまも日本海沿岸北部や県北への起点となる能代、比内地鶏ときりたんぽの本場大舘、明治時代に鉱山の町として栄え、当時のハイカラな雰囲気を今も残す町並みの小坂町、十和田湖と八幡平の2大観光スポットに挟まれ、夏の夜を彩る花輪ばやしや、かつての国内最大級銅山跡などがある鹿角を訪れました。

16日15:00伊丹空港出発
16:35秋田空港到達、レンタカーで秋田市内のホテルに向かう。
17:20秋田市内のホテル到達後、市街地を散策し食事を済ませて就寝。

17日6:00レンタカーで出発、能代方面に向かう。

東北電力能代火力発電所に併設しているエネルギーPR館。廃熱を利用した、東南アジアの自然を再現した熱帯植物園があり、鳥や獣の効果音を聞きながら約460種類3300本もの熱帯植物が観賞できる。能代の祭や文化を紹介する能代ねぶながし館や全天候型のテニスコートなども完備されている能代エナジアムパークを訪れる。

日本最大級のクロマツ林の砂防林。天の橋立・虹の松原・三保の松原・気比の松原に並ぶ、松原の一つに数えられている。厳しい海風や飛砂の被害を防ぐため、江戸中期に植栽されたのが起源。約700万本の松林が最大幅1km・総延長14kmに渡って海岸沿いに続き、森林浴やバードウォッチングが楽しめる。「21世紀に引き継ぎたい日本の名松100選」「残したい日本の音風景100選」などにも選定の風の松原を訪れる。

明治天皇が東北巡幸の折、長旅を気遣う皇后からの手紙が一行を迎えたことから名付けられた。公園のシンボルは、巨大な岩が連なる迫力ある屏風岩。桜、紅葉と四季折々の景観が楽しめる。眼下に広がる米代川の雄大な流れと原生林の七座山も見どころ。桜とツツジの名所として知られ、5月中〜下旬には「つつじ祭り」が開催されるきみまち阪県立自然公園を訪れる。

白神山地方面に向かう。

世界遺産地域の普及啓発を推進するために整備された施設です。各国の世界遺産や"白神山地"について、さまざまな情報を得ることができます。ゆとりあ藤里の下にあり、模型やハイビジョン、パソコンなどで白神山地の自然情報や多様な生態について楽しく学ぶことができます。また白神山地周辺のフィールド情報についても提供しています白神山地世界遺産センター(藤里館)を訪れる。

県道沿いの峨龍親水公園では、峨龍大滝を見ることができ、またさらにここから滝ノ沢林道に入りますと白糸二段の滝があり、両壁に切り立った地形には薬草や草花をみることができます峨龍峡を訪れる。

駒ヶ岳山腹の湿原で、春はブナの新緑と湿原に咲くミズバショウ、リュウキンカ、夏はニッコウキスゲ、秋はブナの紅葉が楽しめる田苗代湿原を散策する。

大館方面に向かう。

道の駅たかのす内の大太鼓専門の展示施設。大太鼓展示場には、直径3.71mのギネスブック認定の世界一の大きさの大太鼓や世界各国の太鼓などを展示。体感ゾーンでは150インチの大型スクリーンに映しだされる大太鼓の演奏が楽しめる大太鼓の館を訪れる。

国内唯一の単一犬種の博物室。国の天然記念物・秋田犬に関する資料を収集。秋田犬の系譜、秋田犬が活躍するマタギ猟の様子、忠犬ハチ公に関する写真や資料が展示されている秋田犬会館を見学。

小坂方面に向かう。

鉱山の成り立ちや鉱山の歴史、町の文化を中心に資料を展示する。小坂町の自然をグラフ、写真、ジオラマなどを使って分かりやすく紹介する小坂町立総合博物館・郷土館を訪れる。

1910年(明治43)、小坂鉱山従業員の厚生施設として建てられた日本最古の木造芝居小屋。建築様式は外観が洋風、内部が和風の和洋折衷造りの康楽館を訪れる。

明治38年(1905)に建築された洋館は、小坂鉱山の全盛期を象徴するような建物。もとあった場所から平成13年に移築、復元し一般公開されている。玄関ホールから3階まで続くケヤキ造りの螺旋階段をはじめ、格調高いドーマーウインドーなど、モダンな装飾は見ごたえありの小坂鉱山事務所を訪れる。

鹿角方面に向かう。

野中堂と万座の2つの環状列石を中心とする、約4000年前の縄文時代の遺跡。1931年(昭和6)に発見されたもので、野中堂環状列石は直径44m、万座環状列石は直径52m。それぞれ、内帯・外帯とよばれる二重の円を形作っている。近くにある大湯ストーンサークル館では出土品を展示。土器作り体験もできる大湯環状列石(大湯ストーンサークル)を訪れる。

道の駅かづの内にある、鹿角の歴史や文化を紹介する施設。花輪ばやしの屋台を展示する祭り展示館、鹿角の観光を映像で紹介するシネラマ館、鹿角の食と文化が体験できる手作り体験館などがある鹿角観光ふるさと館あんとらあを訪れる。

1300年の歴史をもつ尾去沢鉱山の採掘現場を、人形を使ってリアルに再現。全長約1.7kmの観光坑道を歩いて見学できる。砂金取りも人気だ。近代化産業遺産の史跡尾去沢鉱山を訪れる。

15:00秋田空港に向かう。
17:15秋田空港到達
17:50秋田空港出発
19:15伊丹空港到達。

今回の旅行、東北地方の奥羽山脈の西に位置する秋田県に足を運び、米代川河口の交通の要衝として栄え、いまも日本海沿岸北部や県北への起点となる能代、屋久島とともに1993年に世界遺産に登録された白神山地の秋田県からのアプローチ、比内地鶏ときりたんぽの本場大舘、明治時代に鉱山の町として栄え、当時のハイカラな雰囲気を今も残す町並みの小坂町、十和田湖と八幡平の2大観光スポットに挟まれ、夏の夜を彩る花輪ばやしや、かつての国内最大級銅山跡などがある鹿角をドライブ観光楽しめました。

青森から白神山地のアプローチは以前成し遂げ、今回は秋田県からのアポローチ、どちらもブナ林の原生林が残る癒しスポット、大自然に接し感無量でした。

天候がよくなかっのもあり、前回の宮城県観光同様に観光客が少なくどちらの観光名所もさみしく感じました。震災の影響ですね。早く活気を取り戻してほしいですね。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第百十弾:秋田県・秋田市周辺・角館観光
2010年9月11ー12日


東北地方の奥羽山脈西側にあり、北は青森県、南は山形県、西は日本海に面し、歴史上の人物で、絶世の美人で平安の歌人としても知られる小野小町が有名で、それぞれの地域の名物を歌った音頭がある秋田県に足を運び、秋田藩主佐竹氏の城下町として栄えた秋田市、芦名義勝によって造られた城下町、南北に武家と商家の住まいが分かれていて今も当時のままの武家屋敷が残されている角館を訪れました。

11日伊丹空港秋田行きが16:05の遅出の出発のため梅田近辺を散策して時間を過ごしました。
地下鉄西梅田駅の西側一帯に広がる、「人との交流」をコンセプトとした複合都市。ザ・リッツ・カールトン大阪とハービスPLAZAが入る地上40階の高層ビル・ハービスOSAKAを中核に構成された、近代的な街並みが特徴。周辺にはユニークな外観が目を引くコンピュータ総合学園HAL・大阪モード学園や、ホテルモントレ大阪・ハートンホテル西梅田をはじめ、インテリジェントビルが林立。華やかなムードを醸し出しているオオサカガーデンシティを訪れる。

JR梅田貨物駅の西側に広がる、地上173m・40階建ての梅田スカイビルとウェスティンホテル大阪のある一帯の総称。空中庭園展望台、滝見小路、中自然の森、新・里山などがあり、都会の中のオアシス的存在の新梅田シティを訪れる。

大阪・キタのまん中にそびえ立つ、2棟連結の近未来的超高層ビル「梅田スカイビル」。浪速の凱旋門とも呼ばれている。その最上階部分に、天空に向けて開放された日本有数の360度開放型屋上展望台。「日本の夕陽百選」に選ばれた美しい夕日、100万ドルの夜景などすばらしい眺望が楽しめる空中庭園展望台[新梅田シティ]を訪れる。

新梅田シティのウェスティンホテルと梅田スカイビルの間に、約50種類2100本の木々が植えられた開放的な空間が広がっている。毎年6月頃には蛍鑑賞でき、その生育環境の維持にも努め続けている。ビル北側一帯には、雑木林や田畑を配置した日本の原風景である「里山」があり、都会の中心で自然との共生と人との交流を図りながら、心が和む癒しスポットになっている中自然の森[新梅田シティ]を訪れる。

新梅田シティの梅田スカイビル地下にある、昭和初期の大阪の下町をイメージした食堂街。狭い石畳の路地、ボンプ汲上げ式の井戸や稲荷神社、郵便局などが配されたレトロな街並に、「くいだおれの街・大阪」にふさわしい約20軒の飲食店が並ぶ滝見小路[新梅田シティ]を訪れる。

古書のまちは阪急電鉄の高架下、狭い通路の左右に美術書、歴史書、洋書など13軒の古書店が集まるゾーン。かっぱ横丁は、さらにその奥に広がる飲食店街。ラーメン、居酒屋、イタリアン、串カツ、お好み焼など気楽に入れる店がバラエティ豊かに並ぶ阪急古書のまち・かっぱ横丁を訪れる。

アプローズタワーにある客席898席の中規模劇場。ストレートプレイを中心に、人気劇団や宝塚歌劇、ミュージカルの公演も上演する梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ[アプローズタワー]を訪れる。

アプローズタワー内にある、約1900席の収容人数を誇る大劇場。最新鋭の舞台装置を備え、大型ミュージカルからクラシックコンサートまで多彩なラインアップを取り揃えている梅田芸術劇場メインホール[アプローズタワー]を訪れる。

梅田ロフト地下1階にある映画館。車イスでもシアター内に入れるバリアフリー対応のテアトル梅田[梅田ロフト]を訪れる。

JR大阪駅東側の高架下にある飲食店街。狭い空間の1、2階に約100店舗が集まり、居酒屋を中心におでん、お好み焼、中国料理、洋食など気さくな雰囲気の店が軒を連ねている。立飲みスタイルの店も多く、夕方になると会社帰りのサラリーマンで賑わいをみせる新梅田食道街を訪れる。

14:35空港バスで伊丹空港に向かう。
15:05伊丹空港到達
16:05伊丹空港出発
17:25秋田空港到達、レンタカーで秋田市内に向かう。
18:20秋田駅付近のホテル到達、繁華街を散策し食事を済ませてから就寝。
12日5:00レンタカーで出発、秋田市周辺を巡る。

全国の三吉神社・太平山講の総本宮。673年(白鳳2年)5月、役の行者小角の創建と伝えられる。古来より勝利成功、事業繁栄の守護神として崇敬を集め、「みよしさん」「さんきちさん」の愛称で親しまれている。毎年1月17日には、「ぼんでん」と呼ばれる依代を中心に荒々しく先陣争いを繰り広げる特殊神事、梵天祭が行われ、県外からの参拝客も多い太平山三吉神社を訪れる。

奈良時代に最北の守りとして創建した地方官庁の遺跡。秋田城解明の重要な手がかりとなる木簡をはじめ出土品も多く、一帯が国の史跡に指定されている。1998年(平成10)に東門、2008年(平成20)に古代水洗トイレが復元の秋田城跡を散策する。

セリオンと呼ばれる総ガラス張りのタワーで、秋田港のシンボルになっている。ビル内にはショッピングゾーンやレストラン、イベントホールなどを備え、地上100mの展望台からは360度の展望が楽しめる。周辺には屋内緑地公園やマーケット、ホテル、鮮魚直売センターもある秋田市ポートタワー(セリオン)を訪れる。

北秋田方面に向かう。

1893年(明治26)、市内・米内沢に生まれた作曲家、成田為三の功績をたたえて建てられた記念館。県内で教師生活を送り、東京音楽学校在学中に山田耕作[やまだこうさく]に師事し、『浜辺の歌』や『かなりや』などの名曲を生み出した。館内には自筆楽譜や著作書籍などが展示され、リスニングルームでは彼の作品をはじめ、日本の代表的な童謡や歌曲を鑑賞できる。2階の出会いのステージではピアノの自動演奏で彼の曲が流れ、ステージ上の椅子に座った為三そっくりの人形が音楽について語る浜辺の歌音楽館を訪れる。

山深い森吉山南麓で狩猟を中心に生活していた、阿仁マタギの文化や生活を紹介する資料館。館内には彼らの生活用具や珍しい狩猟用具、動物のはく製などが展示されているマタギ資料館を見学。

1637年(寛永14)に発見された阿仁鉱山が、閉山されるまでの歴史と繁栄を紹介している。阿仁鉱山の内部の模型や絵図、古文書などを展示。また、押し絵屏風や源平落人が根子番楽に使ったといわれる能楽面、工芸品なども展示する北秋田市阿仁郷土文化保存伝承館を見学。

1882年(明治15)、鉱山技師として招かれたドイツ人の宿舎として建てられた洋館。ルネッサンス風の煉瓦造りの建物内にはピアノやビリヤードなどの調度品が置かれ、当時の生活が偲ばれる。「阿仁郷土文化保存伝承館」とは地下道でつながっている旧阿仁鉱山外国人官舎異人館を見学。

角館方面に向かう。

角館町出身の近代日本画の巨匠、平福穂庵・百穂父子を記念した美術館。旧制角館中学校跡地に立ち、建物は伝承館と同じく大江宏氏が設計。隣接する武家屋敷群と調和する洋風建築となっている。館では、郷土ゆかりの多くの画人を顕彰するとともに、現役作家の発表の場として広く活用されている平福記念美術館を訪れる。

火除け広場から北の内町は往時の武士の町であり、600mの武家屋敷通りには昔のままの薬医門、黒板塀などと枝垂れ桜が見事に調和する武家屋敷がつづく。6軒が残り、一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。町内で400本を越え、うち152本が国の天然記念物の枝垂れ桜は、佐竹北家二代の奥方が輿入の際、京都から持参した苗木を繁殖したといわれている内町武家屋敷通りを散策する。

内町武家屋敷通り北端にある、佐竹北家用人を務めた家柄の石黒家の屋敷。現存する武家屋敷では最も古く、唯一座敷内に上ることができる。座敷・苔を水に見立てた庭園などに格式が見られる。薬医門には、1809年(文化6)の棟札がかかっている。現在も住みながら、維持・保存している武家屋敷石黒家[内町武家屋敷通り]を訪れる。

内町武家屋敷通りにある、佐竹北家・芦名家に仕えた青柳家の屋敷。広大な敷地には築200年の母屋をはじめ、武器蔵や文庫蔵などが残り、江戸時代の史料などを展示するミニミュージアム、秋田郷土館、武家道具館なども立つ。春には、日本に1本しかないという八重紅枝垂桜が咲く角館歴史村青柳家[内町武家屋敷通り]を訪れる。

秋田県ゆかりの建築家・大江宏が、角館の古い建築様式を取り入れ設計。樹齢300年を越える枝垂桜とも調和している。展示室では武家道具などが展示され、樺細工の製作実演も見られる。200年以上の伝統を持つ樺細工は、武士の手内職として始まったもの。伝統的工芸品の指定を受けている角館樺細工伝承館を訪れる。

ルネ・ラリックのガラス作品が鑑賞できる個人美術館。約400点のコレクションから、常時約80点を展示している。手拭や和紙、ガラスなどの作品を販売するギャラリーショップ、自家焙煎のエスプレッソやクッキーが味わえるカフェもある大村美術館を訪れる。

内町武家屋敷通りにある、芦名氏譜代の家臣・岩橋家の屋敷。木羽葺き、切妻型の屋敷は中級武士の典型的な形を残している。庭園では、樹齢260年余りのカシワの木が見られる岩橋家[内町武家屋敷通り]を訪れる。

館町の内町武家屋敷通りにある。米蔵を改装した資料館には、佐竹北家に伝わる武具、衣服、調度品、古文書などを展示。打掛けや化粧箱には京風の装飾が見られる角館武家屋敷資料館[内町武家屋敷通り]を訪れる。

内町武家屋敷通りにある、芦名氏譜代の家柄・河原田家の屋敷。苔を敷いた内庭など、庭園は藩政時代そのままの姿を残す。母屋は明治中期の建築だが、この地方の書院造りの典型的な様式となっている河原田家[内町武家屋敷通り]を訪れる。

内町武家屋敷通りにある、秋田蘭画で有名な小田野直武一族の屋敷。門から玄関まで約20mも続くドウダンツツジ、前庭一面に植えられた笹などが見事の小田野家[内町武家屋敷通り]を訪れる。

内町武家屋敷通りにある、幕末の頃に建てられた下級武士の屋敷。門柱を2本建てて柴垣で囲んだ簡素な造りで、杉皮葺きに置き石の屋根は町家にも多い形式の松本家[内町武家屋敷通り]を訪れる。

商家が並ぶ外町の一角、田町の武家屋敷通りに佐竹本家の直臣・今宮家家臣団の武家屋敷があった。西宮家が残り、公開されている田町武家屋敷通りを散策する。

田町武家屋敷通りにある、今宮家家臣団の中の家柄・西宮家の屋敷。地主として最も繁栄した、明治後期から大正時代にかけて建てられた文庫蔵、北蔵5棟の蔵と母屋では古文書や貴重品を展示するあきた角館西宮家[田町武家屋敷通り]を訪れる。

大曲方面に向かう。

平安時代の初め、大和政権がこの地方の統一を進めるために造ったといわれる役所跡(史跡)。87万平方mの広大な敷地内からは多数の遺物が出土。1994年(平成6)には、遺跡の正面玄関ともいえる外柵南門が復元された払田柵跡を訪れる。

美郷町の六郷地区に点在する60カ所あまりの湧水の総称。年間通して水温12〜15度の水が湧き、清水の里として知られる。湧水のなかにはユニークな名前のスポットも多く、かつて鷹狩りに訪れた佐竹の殿様が、料理水に使ったことから名付けられた「御台所清水」や、近くに久米という家があり、自家の水屋のように使っていたことからその名が付いた「久米清水」などがある六郷湧水群を散策。

高畑古四王際地区にある神社で、1570年(元亀元)に、7代目冨樫左衛門太郎勝家が飛騨の名工甚兵衛に造らせたものといわれる。本殿(重要文化財)は一間社入母屋造で、和・唐・天竺様を融合した建築様式が特徴だ。建物には細部まで優美で繊細な彫刻が施されている古四王神社を訪れる。

秋田の農業が楽しく学べるスポット。本館展示室ではジオラマなどを使い、農業の歴史やバイオテクノロジーをはじめとする先端技術についてわかりやすく紹介。隣接する熱帯温室ではさまざまな熱帯植物を観察できる。広大な芝生広場やバラ園、果樹園のほか、敷地内には曲屋も移築されている。そのほか、季節ごとの各種企画展、園芸教室や親子で参加できる教室も開催している秋田県立農業科学館を訪れる。

大仙市神岡地域は、少年野球発祥の地。1903年(明治36)、学校教育に野球を取り入れた。2階にある嶽の球史館で、少年野球から学生、社会人野球、プロ野球に至るまで様々な野球資料を常設展示しているかみおか嶽雄館を訪れる。

秋田空港に向かう。
17:00秋田空港到達
18:05秋田空港出発
19:30伊丹空港到達。

今回の旅行、3回目のおとずれである東北地方の奥羽山脈西に位置し歴史上人物で小野小町、秋田おばこ節、ドンバン節などの秋田音頭で有名な秋田県に足を運び、秋田藩主佐竹氏の城下町として栄えた秋田市周辺、芦名義勝によって造られた城下町、南北に武家と商家の住まいが分かれていて今も当時のままの武家屋敷が残されている角館を訪れ、避暑を兼ねて観光巡りしてきました。

当日大阪はまだ猛暑、避暑を兼ねて東北地方秋田県に足を運びましたが、天気予報で東北地方は前線が停滞し大雨強風とのこと、覚悟して訪れましたが11日は雨、12日は運よく午前中は晴れ、昼から曇り時々小雨で天候には問題ない観光巡りで避暑しながら楽しむことが出来ました。















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三十六弾:秋田横手&本荘観光
2008年8月2−3日


今回は昨年続いて2回目の秋田県に行ってきました。主に秋田の南部、横手、本荘を主として巡りました。

2日16:55関西空港出発
18:15秋田空港到達、レンタカーで横手に向かう。
19:00横手駅の近くのホテルに到達、市街地を散策して食事を済ませて宿を取る。

3日5:00レンタカーで出発、天候雲り時々晴れ、横手の町を巡る。
1年を通じてかまくらを楽しめる施設、横手市ふれあいセンターかまくら館、青春小説、青い山脈などで知られる石坂洋次郎の自筆原稿や遺品が展示されている石坂洋次郎文学記念館に寄ってから1554年小野寺輝道によって築かれた横手城、現在は城跡が公園となり市内を一望できる横手公園を散策する。

湯沢横手道路から南に向かう。
戦前の映画やポスターやスターのブロマイドなど、懐かしい品が並ぶ秋乃宮博物館によってから国道108号線の愛称仙秋サンラインを通過して宮城県方面に向かう。

スイスのイメージで統一されたオニコウベスキー場、ほぼ15分に一回、約20mもの高さまで熱い湯柱が吹き上げる奇観、鬼首かんけつ泉、鬼首温泉の源泉地帯で地獄沢とも呼ばれる、蒸気が吹き上げる渓谷沿いを散策できる地獄谷、昭和32年に完成した東北初のアーチダム、鳴子ダム、大谷川が刻んだV字渓谷、高さ100mほどの断崖絶壁が2km以上にわたって続く鳴子峡、鳴子こけしの歴史を知る岩下こけし資料館、仙台藩が出羽街道に設けた旧関所跡、尿前の関を訪れる。

古川方面に向かう。
伊達政宗が仙台城へ移るまでの12年間を過ごした居城の跡、城山公園、身体感覚空間、瞑想空間、移行空間で構成された不思議な世界が広がる、人間の五感をテーマにしたユニークな美術館、感覚ミュージアム、1692年岩出山伊達家が家臣に儒学や式学を学ばせるために開設した学問所、旧有備館を訪れる。

西の山形県の酒田方面に向かう。
明治26年に建造、今も活躍する倉庫群で米を高温多湿から守るための工夫が随所に施されている、酒田のランドマーク的スポット、山居倉庫、1813年、この地に北国廻船の航海安全を祈って常夜燈を立て、日本最古級の木造灯台や干石船の復元モデル等の見所多い、日和山公園を散策する。

西海岸を北に向かい走行、鳥海ブルーラインの入り口に近い吹浦海岸の岩に羅漢と仏様が22体彫られ、吹浦海禅寺21代寛海和尚が航海の安全を発願し1868年完成した、十六羅漢岩を訪れてから全長35km、標高1000mの山岳観光道路、鳥海ブルーラインを通過、長い年月をかけて地中にしみこんだ伏流水が岩からしみ出すように流れ落ちる元滝伏流水、鳥海山の雪解け水が轟音を響かせて流れ落ちる、豊富な水量を誇る大滝で国の名勝のひとつに選ばれている奈曽の白滝を訪れる。

鳥海山の北麓に広がる標高500mの高原、仁賀保高原を散策、下山して潟時代の象潟を再現した模型や象潟の旧景が描かれた屏風絵など、象潟の景観や歴史を解く貴重な資料を展示している、にほか市象潟郷土資料館、853年慈覚大師によって開山され、後に天正のころ曹洞宗寺院となり、松尾芭蕉も絶賛した蚶満寺、境内からはかつては小島の多い入り江状の潟で、松島と並ぶ美景を誇っており、1804年の大地震で海底が隆起し陸地となった象潟九十九島を望む眺めは絶景。

北に向かい日本で初めて南極大陸を探検した旧金浦町出身の白瀬中尉とその隊の偉業を紹介する白瀬南極探検隊記念館を見学。

本荘市内に向かい1613年最上家の家臣、本城豊前守満茂が築いた本荘城の史跡公園、本荘公園を散策。

日本海沿いを走る道、新潟市から青森市までを走るおばこ・おけさラインを走行して岩城地区の歴史や文化資料を保存する歴史伝承施設、天鷺村を訪れる。
秋田空港方面、帰路に向かう。

17:30秋田空港到達。
18:55秋田空港出発。
20:15伊丹空港到達。

今回の旅行、昨年に続いて2回目の秋田、かまくらで有名な横手の町に宿泊、翌日南秋田の地方から宮城、山形に足を延ばし観光地巡りしました。

特に出羽富士とも呼ばれる鳥海山は、日本海沿いの独立峰で秋田と山形にまたがり5合目までの鉾立までの山岳ドライブは大海原を見ながら登りつめていく感覚を楽しめ、2つの有名な滝、元滝伏流水奈曽の白滝にも訪れることも出来ました。

又かつては小島の多い入り江状の潟で、松島と並ぶ美景を誇っており、1804年の大地震で海底が隆起し陸地となった歴史深い象潟九十九島を眺望でき、一泊二日の旅、日本の自然と文化の奥深さに感心させられ堪能した観光旅行でした。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第五弾:秋田男鹿半島&田沢湖観光
2007年9月1−2日

天候雲り時々小雨、夜行寝台車日本海で出発予定でしたが7月の新潟地震で運休中、交通手段変更、飛行機の利用を考えましたが便数が少ないため時間が合わず、しかたなく新幹線で7時間かけて秋田に向かいました。

1日13:56新大阪駅で新幹線のぞみで出発、16:56東京駅で新幹線こまちに乗り換え21:00秋田駅到達、大阪の天王寺駅ぐらいの規模の秋田駅でした。駅の近くで宿を取る。
2日8:00レンタカーで出発、秋田市内の千秋公園、赤れんが郷土館を訪れてから男鹿半島に向かう。
男鹿半島の標高355mの寒風山で男鹿半島の360°の大パノラマを眺望する。
ゴジラ岩、男鹿西海岸、男鹿水族館を訪れてから男鹿半島最北端、入道崎到達、
又展望スポット八望台に上ってから秋田の有名なまはげの歴史を紹介するなまはげ館を見学。

12:00出発、八郎潟の大潟村直線道路、秋田自動車道を経由して田沢湖に向かう。
14:00田沢湖到達、日本最深のカルデラ湖のひっそりとした湖畔の雰囲気を味わってから田沢高原に向かう、秋田駒ケ岳を眺望し、田沢湖を見下ろす。
15:00田沢湖周遊道路を走行しながら田沢湖の湖畔と湖面の景色を望み、途中田沢湖シンボルであるたつこ像を見物してから帰路秋田空港に向かう。
17:00秋田空港到達、18:25ジェット機で出発、19:40大阪伊丹空港到達。

今回の旅行、初めての秋田、時間の都合で八幡平は訪れることができませんでしたが男鹿半島、田沢湖の観光スポットを十分見学でき堪能しました。
前回の宮城、今回の秋田で東北はまだ訪れていないのは夏の岩手、福島のみとなりました。来年企画します。