愛知

飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百七十六弾:愛知県小京都&重要伝統的建造物群保存地区観光
2019年5月11日−12日
 

愛知県に点在する小京都&重要伝統的建造物群保存8か所(西尾、犬山、足助、岡崎、有松、尾張大野、常滑、半田を訪れました。

11日12:30車で出発、第二京阪、京滋バイパス、名神自動車道経由して小牧インター下車

犬山:犬山城下町は犬山城の築城に伴い、もともとあった町を整備して作られました。商人や職人の同業者を近くに住まわせて、町の発展を促したとされ、鍛冶屋町・魚屋町などの町名に名残が見られます。また、町の中央部に町人町を置き、それを囲むように侍町を配置したほか、城下町の外周を木戸や堀、土塁等で取り囲む総構えの城下町として守りを固めていました。現在も江戸時代と変わらない町割り(町の区画)がそのまま残り、江戸から昭和までの歴史的な建造物が立ち並びます。そして、なんと言っても国宝犬山城と有楽苑の国宝茶室如庵をお見逃しなく。国宝が一つの町に二つもあるのはとてもめずらしい。

東名高速経由して

足助:足助の町並みは、戦国時代には原型が形成され、江戸初期には今のような町割りが出来上がりました。
現在の町並みは、安永4年(1775)の大火後に、防火を意図して漆喰で軒先まで塗り固めた塗籠造りの町家が建ち並び、今日にその面影を伝えています。
妻入りや平入りの変化に富んだ家並みが約2Kmにわたって続き、平成23年6月、愛知県で初めての国の重要伝統的建造物群保存地区(通称:重伝建)に選定されました。

18:00岡崎方面に向かう。

岡崎:岡崎市は旧三河国のほぼ中央に位置する市で、面積は愛知県第3位。徳川家康が生まれた地として知られており、家康にゆかりのある史跡や寺社などの観光スポットがたくさんあります。また、市内には一級河川の矢作川(やはぎがわ)が流れ、豊かな自然も感じることができる町です。
江戸時代から受け継がれている岡崎の味「八丁味噌」を味わうのも、岡崎観光には欠かせません。とにかく目いっぱい遊びたい!という人にも満足できるスポットが岡崎市にはたくさんあります

岡崎市内のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて終了、し食事を済ませて就職。

12日6:30車で出発、

西尾:西尾市は山・川・海に囲まれた豊かな自然が自慢の土地で、ぜひ訪れてみたい観光スポット満載の素敵な街。忠臣蔵で知られる吉良上野介ゆかりの地でもあり、人気の高いアートの島「佐久島」もあります。
また、西尾市は日本一の抹茶の生産地として知られ、そのルーツは13世紀まで遡ります。江戸時代にはお茶栽培が盛んに奨励され、明治に入って本格的な生産が始まりました。西尾と抹茶は切っても切れない関係!名古屋や浜松からも近いので、ドライブがてら観光をして、お抹茶で一服。

有松:旧東海道の古い街並みが残る有松は、名古屋市街並み保存地区に指定されています。江戸時代にタイムスリップしたかのような長屋が軒を連ね、とても風情がある街です。
名物は400年続く有松絞り。有松絞りの歴史を学べる施設で、絞りを体験して自分だけの記念品を作ったり、旧絞り問屋の蔵の中に設置された石窯で焼かれた素朴で美味しいパンを食べたり、新旧が交わった可愛い有松絞り製品の中からお気に入りを探したり、老舗の絞り屋で大人な色合いの製品に見とれたりして、和の雰囲気に浸る。

尾張大野:大野町はかつて「大野湊(おおのみなと)」と呼ばれて栄えた港町です。川岸には米倉が並び、尾張藩の海運関係の役所も置かれていました。海運により町には富が蓄積され今でも多くの社寺や町々の家並みに繁栄した時代の面影が見られます。

常滑:愛知県常滑市は焼物「常滑焼」で有名な街ですが、やきものの街としての雰囲気や陶芸体験、グルメなど子供から大人まで楽しめる観光スポットがたくさんあります

半田:半?市は、江?時代から醸造業や海運業などで栄え、商業や製造業を中?に発展してきました。こうした歴史を今に伝える4つの象徴的な?所として、半?市の観光は、「??・蔵・南吉・?レンガ」といわれています。また近年では、歴史的な建築物などを?かした、新たなスポットやイベントも年々増加しています。

16:00帰路に向かう。

今回の旅行、愛知県に点在する小京都&重要伝統的建造物群保存8か所(西尾、犬山、足助、岡崎、有松、尾張大野、常滑、半田を訪れました。
今回は城下町の重要伝統的建造物群保存が多く、城めぐりを制覇してからの再度の訪れ、お城より周辺の城下町を重点的に散策し癒されました。

 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百三十弾:愛知健お城・城下町巡り観光
2018年4月14日−15日
 

中部地方の室町時代に尾張の守護・斯波氏に変わり、織田氏が権力を掌握する。三河では今川氏が駿河、遠江から勢力を拡大してきたが」、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に返り討ちに遭うと、急激に衰退した愛知県に足を運び、愛知県に点在する比較的マイナーなお城10か所を訪れました。

14日17:00車で出発、第二京阪、京滋バイパス、名神、新名神経由して豊川インター下車
19:30豊川インター付近のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。

15日7:00車で出発、お城巡り。

田原城:築城年代は定かではなく諸説あるが、文明12年(1480年)戸田宗光によって築かれたと云われる。 宗光は渥美半島を掌握すべく田原へ移り、駿河の今川氏の庇護のもとその支配を広げる。 しかし、今川義忠が塩買坂で討死し今川家中が内乱状態となると宗光は田原城を子の憲光に譲り、宗光自身は二連木城を築いて移った。

二連木城に移った宗光が今川方の舟形山城を落とすなど、戸田氏は今川氏に対抗したが、宗光が没した後は再び今川氏に属した。

戸田氏は今川家へ人質として送られる松平竹千代(徳川家康)を強奪して、織田家へ送ったため、天文16年(1547年)今川氏に攻められ田原城は落ち、一族は没落した。

・天正18年(1590年)池田輝政が入封。
・慶長5年(1600年)輝政は播磨国姫路へ転封。
・慶長6年(1601年)伊豆国下田より戸田尊次が一万石で入封。
・寛文4年(1664年)忠治の時、肥後国富岡へ転封。
・寛文4年(1664年)三河国拳母より三宅康勝が一万二千石で入封。
以後、三宅氏が明治まで続く。

野田城:永正5年(1508年)菅沼定則によって築かれたと云われるが定かではない。

田峯菅沼氏の定忠の三男定則が富永荘の地頭富永直郷の後継となり、野田菅沼氏の祖となった。

天正元年(1573年)武田信玄が東三河に侵攻、野田城に攻め寄せたが思うように落とせず、金山衆を用いて井戸水を抜き落城させたという。

武田信玄の死因の一つとして、村松芳休の笛の音に聞き惚れた信玄が、本陣を抜け出して城に近付いた所を鳥居三左衛門の鉄砲に討たれ、重傷を負って甲斐国に引き上げる途中で亡くなったと云う伝説は、この野田城合戦でのことである。

宇利城:築城年代は定かではないが熊谷氏によって築かれたと云われる。 熊谷氏は熊谷直実の後裔で、熊谷兵庫頭重実の頃に宇利城を築いたと考えられている。

享禄3年(1530年)熊谷実長のとに松平清康によって攻められ落城し熊谷氏は離散した。この後、宇利城は清康から菅沼定則に与えられ、さらに近藤康用が城主となった。

近藤氏は後に柿本城へ移り、その後の宇利城の動向は定かではない。

古宮城:元亀2年(1571年)頃に武田氏の家臣馬場美濃守信春によって築かれたと云われる。 三河に侵攻して作手の亀山城主奥平氏を降した武田氏が、この地における拠点として築かれたのがこの古宮城で馬場信春の縄張りによるものと伝えられる。

この古宮城には小幡又兵衛、甘利左右衛門、大熊備前守らが城将として駐屯したという。

天正元年(1573年)奥平貞能・貞昌(後の信昌)父子は武田氏を離反して徳川氏に帰属した。このとき古宮城も徳川・奥平氏によって攻められ落城した。

田峯城:文明2年(1470年)菅沼定信によって築かれたと云われる。

菅沼氏は清和源氏で三河国額田郡菅沼郷発祥、定成の時に田峯に移り住んだ。その後、奥三河の地に勢力を広げ、長篠・野田・島田菅沼氏の宗家として田峯菅沼氏と呼ばれた。

天正3年(1575年)長篠合戦で菅沼定忠は武田方として参陣するが大敗、勝頼とともに田峯城へ戻ったものの留守居の叔父定直等の謀反によって入城できず、武節城へ引き上げた。その後奥平氏によって武節城をも追われ信濃国伊那郡へ落ちていたが、天正4年(1576年)定忠は田峯城を急襲してこれを落とし、謀反の一族96人を惨殺した。

足助城:築城年代は定かではない。 南北朝時代に飯盛城主足助氏が築いたとも云われ足助七屋敷の一つとされるが、発掘調査で出土した遺物ではこの時代のものは発見されていない。

明確な最初の城主は足助鈴木氏で三河鈴木氏の支族である。 足助鈴木氏は鈴木忠親・重政・重直・信重・康重と続いた。

鈴木重政は大永5年(1525年)松平清康によって攻められ降ったが、それ以降も離反・従属を繰り返している。元亀2年(1571年)武田信玄の西三河侵攻により真弓山城は落城し、城主鈴木重直は岡崎へ逃れた。これにより一時的に武田方の持城となったが武田信玄が病没すると徳川家康の軍勢が武田氏の軍勢を追い払い、再び鈴木重直が城主となった。

天正18年(1590年)小田原討伐の後、徳川家康が関東へ移封となると鈴木康重は家康に従って関東に移った。しかし、康重は関東での待遇に不満を抱いて直ぐに出奔したという。

飯森城:築城年代は定かではないが鎌倉時代に足助重秀によって築かれたと云われる。 足助氏は源満政の後裔で山田重直の子重長が足助の地に住み足助を名乗った事に始まるとされる。足助重長は黍生城を築いて居城とし、飯盛城は重長の子足助重秀の時代に築かれたとされる。

治承4年(1180年)足助重行は兄山田重満とともに源行家に加担して美濃国墨俣で平重衡と戦って討死した。

元弘元年(1331年)七代足助重範は元弘の乱で後醍醐天皇の要請に応じて笠置山に籠ったが落城、捕らわれた重範は京の六条河原で斬首された。

松平城:築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に松平親氏によって築かれたと云われる。 松平氏の祖と云われる親氏が松平氏館の詰めの城として築いたもので、親氏が信光とともに岩津城へ移ってからは、信広の居城となった。

大給城:築城年代は定かではないが長坂新左衛門によって築かれたと云われる。 やがて岩津へ進出した松平信光が攻略し、岩津城と共に親忠に譲り、親忠は子の乗元へ譲った。 乗元は岩津城主松平親忠の二男で大給城を居城とする大給松平氏の祖となった。

天正3年(1575年)には滝脇の松平乗高に攻められ落城したという。

天正18年(1590年)6代家乗の時に、徳川家康の関東移封に伴い上野国那波へ一万石で転封となり、廃城となった。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の旅行、愛知県に点在する比較的マイナーなお城10か所をおとずれ楽しみました。
今回も史跡公園、立派な石垣等目立った城跡も見かけましたが、大半は地味な城跡でした。


 











飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百八十二弾:知多四国八十八箇所巡り観光
2016年11月19−20日
愛知県知多半島に足を運び、弘法大師ゆかりの愛知県知多半島に開かれた知多四国八十八箇所霊場第二弾の41か所を訪れました。

19日17:00車で第二京阪京滋バイパス新名神高速道路経由して半田の駅付近のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。 
20日7:30車で出発、知多四国霊場巡り。

密蔵院:

安養院:

大御堂寺:

野間大坊:

法山寺:

報恩寺:

曹源寺:

来応寺:

玉泉寺:

安楽寺:

高讃寺:

洞雲寺:

宝全寺:

大善院:

相持院:

中之坊寺:

三光院:

宝蔵寺:

慈光寺:

地蔵寺:

大智院:

慈雲寺:

浄蓮寺:

正法院:

誕生堂:

密厳寺:

正法院:

誕生堂:

密厳寺:

如意寺:

福生寺:

妙楽寺:

妙楽寺:

栖光院:

龍蔵寺:

観福寺:

弥勒寺:

観音寺:

清水寺:

玄猷寺:

地蔵寺:

円通寺:

長寿寺:

興生寺:

16:00終了帰路に向かう。

今回の旅行、愛知県知多半島に点在する知多四国八十八箇所霊場第二弾41か所を訪れ楽しみました。
知多半島の狭いエリアでの八十八箇所巡り、移動に時間がかからず多くの霊場を巡ることができました。
個々の霊場は立派なものが多く、ローカルな新四国にしては素晴らしかった。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百七弾:愛知県お城・城下町巡り観光第一弾  2015年3月28−29日 

室町時代に尾張の守護・斯波氏に変わり、織田氏が権力を掌握し、三河では今川氏が駿河、遠江から勢力を拡大してきたが、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に返り討ちに遭うと、急速に衰退していった愛知県に足を運び、比較的マイナーなお城・城下町17箇所をめぐりました。

28日12:30車で第二京阪京滋バイパス名神経由して小牧インター下車、お城めぐる。

小牧山城:小牧山城は、永禄3年に織田信長によって築かれた。 信長は、ここに清洲城から居城を移し、美濃稲葉山城(後の岐阜城)の斎藤氏と対峙した。 永禄10年、信長は斎藤龍興を滅ぼして、岐阜城に移ると小牧山城は廃城された。小牧・長久手の戦いでは、徳川家康が小牧城址に本陣を置き、城を修築している。 江戸時代には、尾張藩が管理して小牧山への入山は禁止されいた。

楽田城:築城年代は定かではないが永正元年(1504年)頃に織田久長によって築かれたと云われる。 大赤見城主の織田久長が楽田城を築いて居城を移したという。永禄5年(1562年)犬山城主織田下野守信清によって攻め落とされ、犬山城の支城となったが、永禄5年(1562年)信清は織田信長に追われ、楽田城には信長の家臣坂井政尚が守将として入城した。元亀元年(1570年)坂井政尚が近江国堅田で討死すると、奥城主梶川高盛が城主となった。 小牧長久手合戦では秀吉の部将堀秀政が在陣し、さらに秀吉も犬山城から楽田城へ移っている。

清洲城:清洲城は、応永12年頃に尾張守護斯波義重によって築城された。 その後、慶長15年に名古屋城築城にともなう「清洲越し」が行われるまでの200年の長きに渡って、尾張の府城であった。城は、織田信長が城主となって以来、整備拡張が続けられた。 天正10年、織田信雄によって大天守・小天守が築かれ、三重の堀もめぐらされた。織田信雄改易後、秀吉の時代には豊臣秀次・福島正則が城主となった。 関ヶ原の戦功により福島正則が安芸広島に移され、家康の4男忠吉、ついで9男義直が城主となった。

勝幡城:勝幡城は、永正元年頃に織田信定によって築かれた。 信定は、下尾張四郡の守護代清洲織田家の老臣(三奉行の一人)で信長の祖父にあたる。織田信定の子信秀は、勢力を拡大して他の奉行を圧倒、主家織田達勝を傀儡化して実権を握った。 天文3年、信秀は今川氏の尾張経営の拠点那古屋城を今川氏豊から奪った。 この那古屋城で信長が誕生れる。 その後、信秀は古渡城、末森城と築いて居城を移し、この過程で勝幡城は廃城となった。

一宮方面に向かう。

18:30一宮駅付近のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

29日7:00車で出発、お城巡り。

小幡城:大永2年(1522年)岡田重篤によって築城された。天文4年(1535年)岡崎城主松平清康が尾張に侵攻するがこの地で家臣の阿部弥七郎に殺された。その後、織田信光が城主となるが弘治元年(1555年)殺され廃城となったが天正12年(1558年)小牧長久手合戦において徳川家康は三河との連絡路を保つため、この城を修築し本多広孝に守備させた。小牧長久手合戦後は再び廃城となった。現在は宅地化され遺構はよくわからないが片隅に案内板が建っていた。

那古野城:那古野の地には今川氏の庶流那古野氏がいたとされるが、城との関連は不明である。一般には、今川氏親が大永年間(1521〜28)に尾張に進出した際の拠点として築いた、「柳の丸」に端を発するとされる。この柳の丸には、氏親の末子で義元の弟にあたる今川氏豊(系譜には異説あり)が封じられた。柳の丸がいつから那古野城と呼ばれるようになったかは明らかでない(以下那古野城)。天文元年(1532)、勝幡城の織田信秀が那古野城を奪い氏豊を追放した。このとき信秀は、連歌を通じて氏豊に接近し、あるとき那古野城内で急病と偽って倒れ、心許していた氏豊が信秀の家臣を城内に招きいれたところ、信秀の手勢が城を占拠したと伝えられている。天文三年(1534)生まれの信長は、この城で誕生したとされている。しかし、近年、信秀の那古野城奪取は天文七年(1538)とする説が有力となっている。この場合、信長は勝幡城で生まれたと考えられる。信長が生まれてまもなく、信秀は古渡城を築いて移り、幼い信長が那古野城主となった。その信長も、弘治元年(1555)に清洲城に居城を移した。那古野城には一族の織田信光や家老林秀貞などが入ったが、やがて廃城となった。廃城後の那古野は忘れられたように寂れたが、関ヶ原の戦いの後、徳川家康が那古野の地に新城築城を計画すると、旧那古野城址は新生名古屋城の一部として取り込まれた。

末森城:末森城は、天正17年に織田信長の父織田信秀が築城し、それまでの居城古渡城から移った。末森城の築城は、守山城の弟織田信光と連携して三河への防衛のためと考えられている。 天正20年、織田信秀はこの城で病死し、信長が織田家の家督を嗣ぎ、末森城は信長の同母弟勘十郎信行が城主となった。弘治3年、信行は重臣達に擁されて信長に対抗したため、信長によって清洲城にて謀殺された。 末森城は、翌年に廃城となり破却された。

岩崎城:岩崎城は、天文7年に丹羽氏清によって築かれ、その後、氏清−氏識−氏勝−氏次と4代に渡って居城した。天正12年、豊臣秀吉と徳川家康が戦った小牧・長久手の戦いでは、岩崎城主丹羽氏次は、家康に従い小牧に出陣し、城は弟の氏重が守った。氏重は、岡崎城を奇襲するため南下した池田恒興らと戦い戦死、岩崎城は落城した。 その後、岩崎城主丹羽氏は徳川譜代大名として存続して、播磨三草を領して明治に至っている。

沓掛城:沓掛城は、応永年間に藤原義行によって築城されたと言われている。 室町時代の明応元年前後から近藤右近が城主となり、以後近藤氏の居城となった。永禄3年、今川義元の上洛の際、織田信長との戦い「桶狭間の合戦」で城主近藤景春は戦死して、城は空城となった。
その後、織田信長の所領となり、簗田政綱、織田信照、川口久助らが居城したのち廃城となった。 

鳴海城:応永元年、安原宗範によつて成海神社跡地に築かれたが、宗範の死後廃城となった。
戦国時代、織田信秀が修築して山口教継を守将として配置した。 信秀の死後、信長に不信を抱いた教継が今川義元に寝返り、後に教継は信長によって暗殺された。 今川義元は、山口教継の死後に岡部元信を鳴海城に入れ織田方に備えた。永禄3年、今川義元が桶狭間で信長に討たれると、城将岡部元信は信長に降らず、今川義元の首級と引き替えに城を明渡した。 その後、天正3年まで佐久間信盛が居城した後、廃城となった。

丸根砦:丸根砦は、永禄2年に織田信長が今川義元の尾張侵攻に備えて、今川方の大高城に対峙し、鷲津砦共々築いた。永禄3年、桶狭間の合戦の時、大高城に無事に兵糧を搬入した松平元康(徳川家康)が、佐久間大学盛重が守る丸根砦を今川勢の先鋒として攻めた。佐久間盛重以下織田勢は奮戦するが、小勢のため砦は落城し、守将佐久間盛重も討ち死にした。

大高城:大高城の築城年代は定かではないが、永正年間には花井備中守が居城し、天文・弘治年間には水野忠氏父子が居城した。永禄2年、今川方に寝返った鳴海城主山口教継は、沓掛城・大高城を攻略した。永禄3年、桶狭間の合戦の時、今川義元は大高城へ兵糧の搬入を松平元康(徳川家康)に命じたことで有名だ。桶狭間の合戦後、戦略価値の無くなった大高城は廃城となったが、元和2年、尾張藩家老志水忠宗が1万石を領して、館を設け明治まで代々続いた。

刈谷城:刈谷城は、天文2年に徳川家康の外祖父水野忠政によって築かれた。 忠政は、それまでの居城尾張緒川城へは嫡男信元を置き、自らは刈谷城へと移った。以後一時、岡部長教、佐久間信盛が入るが、寛永9年に三河吉田城へ移封されるまで、水野忠政−信元−忠重−勝成−忠清と代々水野氏が父祖伝来の地にあった。水野氏移封後、松平(深溝)、松平(久松)、稲垣、阿部、本多、三浦氏と譜代大名が居城する。 延享4年、土井利信が23,000石で三河西尾より入封、以後8代続いて明治に至った。 尚、刈谷土井家3代利制の時に所領の一部を陸奥湯野に移されている。

西尾城:天正13年、徳川家康は配下の武将達に命じて、かつては西条城と呼ばれていたこの城の大修築を行った。 天正18年に城主酒井重忠は、家康の関東移封に従い、替わって田中吉政の持ち城となる。 吉政は、三の丸を拡張して櫓門などを増築した。寛永18年、城主太田資宗は外郭の築城工事を始め、次に入封した井伊直好によって明暦元年完成した。譜代大名が目まぐるしく立ち替わり入封するが、明和元年に三浦明次が美作勝山へ移封となり、替わって出羽山形から6万石で松平(大給)乗祐が入封して、明治まで代々大給松平氏は他に移ることなく居城した。

桜井城:文明年間に松平信光が岩津城から安祥城へ進出して、この地も松平氏の所領となった。松平信定が叔父親房の養子となり、桜井松平氏と祖となった。 桜井城は、この松平信定によって城として整備されたと思われる。信定−清定−家次と桜井松平氏は、岡崎城の松平宗家に対して、しばしば反攻的な行動をとる。しかし、桜井松平4代忠正以降は、宗家徳川家康に忠節を尽くした。(子孫は、摂津尼崎城主として明治に至る) 天正18年、家康の関東移封に従い、6代家広は武蔵松山へ移り、桜井城は廃城となった。

安祥城:文明11年に岩津城主松平信光は、織田方の安祥城を奪取して、ここを松平氏の本城とした。信光−親忠−長親−清康(家康の祖父)まで代々居城し、その間に庶家を西三河各地に分封して松平氏の勢力拡大につとめた。大永4年、松平清康は本拠を岡崎城に移し、一族安祥長家を安祥城代とした。天文9年、尾張の織田信秀が安祥城を攻めて落城させ、安祥をその支配下に置いた。天文18年、今川義元は松平氏を庇護下におさめると、織田信広の守る安祥城を攻め、城主信広を捕らえた。 織田信長の元にあった松平竹千代(家康)と信広との双方の人質交換が行われた。 この事件後、安祥城は廃城となった。

14:00帰路に向かう。

今回の旅行、愛知県に足を運び、比較的マイナーなお城17箇所を巡り楽しみました。
愛知県は歴史的に重要なエリア、過去の日本の変動を物語っています。
歴史深い尾張のお城巡りドライブ観光でした。

 















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百一弾:知多四国八十八箇所巡り第一弾  2015年2月14−15日  

2000年近い歴史をかさねる地方の代表的霊場、四国八十八箇所を本四国と呼ぶのに対し、こちらを新四国と呼ぶ弘法大師ゆかりの知多半島の知多四国八十八ヶ所の50箇所を訪れました。

14日12:30車で第二京阪名神新名神東名阪伊勢湾岸自動車道経由して大府インター下車。
知多四国八十八ヶ所をめぐる。

01 曹源寺:

02 極楽寺 :

03 普門寺:

04 延命寺:

06 常福寺:

07 極楽寺:

08 伝宗寺:

09 明徳寺:

10 観音寺:

11 安徳寺:

外 東光寺: 

54 海潮院:

12 福住寺:

13 安楽寺:

14 興昌寺:

15 洞雲院 :

16 平泉寺:

17 観音寺:

18 光照寺 :

外 海蔵寺:

19 光照院:

20 龍台院 :

21 常楽寺 :

22 大日寺:

23 蓮花院 :

24 徳正寺:

25 円観寺:

外 葦航寺:

外 影現寺:

26 弥勒寺:

27 誓海寺:

外 誓海寺禅林堂:

28 永寿寺:

29 正法寺:

30 医王寺:

31 利生院:

32 宝乗院:

33 北室院:

34 性慶院 :

35 成願寺:

36 遍照寺 :

高速艇で篠島に向かう。

38 正法禅寺:

外 西方寺:

39 医徳院 :

高速艇で日間賀島に向かう。

37 大光院 :

高速艇で師崎港に向かう。

外 浄土寺:

40 影向寺:

41 西方寺:

42 天龍寺:

43 岩屋寺:

外 奥の院:

45 泉蔵院:

46 如意輪寺:

44 大宝寺 :

47 持宝院 :

48 良参寺:

49 吉祥寺:

56 瑞境寺:

今回の旅行、愛知県知多半島に足を運び、2000年近い歴史をかさねる地方の代表的霊場、四国八十八箇所を本四国と呼ぶのに対し、こちらを新四国と呼ぶ弘法大師ゆかりの知多半島の知多四国八十八ヶ所の50箇所を訪れ楽しみました。

比較的平坦な地に密集して位置し訪れやすい、山奥の険しい場所には存在はなく回りやすい知多四国八十八ヶ所巡りでした。残りの札所は近いうちに訪れたいと思います。















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五二弾:愛知県三河諸島観光
2011年7月23−24日


愛知県の今や世界一の自動車メーカートヨタの本拠地である豊田市や、抹茶の名産地である西尾市、八丁味噌の郷である岡崎市など産業が活発な地域、三河湾に望む美しい景観の渥美半島、風光明媚な蒲郡付近の山麓など、山海の自然に恵まれた三河に足を運び、愛知県の離島の三河大島、日間賀島、篠島、佐久島を訪れました。

23日12:30車で出発、第二京阪、京滋、名神、新名神、東名自動車道経由して音羽蒲郡インター下車

14:45蒲郡港到達
15:00蒲郡港高速艇で出発
15:15三河大島到達、散策

蒲郡の沖合3km、竹島海岸から船で約15分のところに浮かぶ無人島。毎年7月1日?8月31日の間、海水浴場が開設され、蒲郡や渥美半島を眺めながら無人島で泳ぐことができる。海水浴シーズンには竹島埠頭から定期船が運航し、リゾート気分が味わえる。ビーチは幅50m、長さ200mで、温水シャワーや海の家などが完備。全島を暖帯樹林が覆いトロピカルムードも満点で、海岸は、断崖や洞穴など変化に富み、島の北東には天然記念物のナメクジウオが生息している三河大島を散策する。

16:20三河大島港高速艇で出発
16:35蒲郡港到達、車で岡崎に向かう。

17:15岡崎到達、東岡崎駅付近のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

24日6:40車で出発、一色方面に向かう。
7:30一色港到達
7:40一色港高速艇で出発、佐久島に向かう。
8:10佐久島西港到達、散策する。

一色港の南沖合約5qに浮かぶ三河湾最大の島。他の島に比べ歴史が古く、約40の古墳が島内に散在する。釣り・海水浴・潮干狩・史跡めぐり・ハイキング・海の料理等年中楽しめるレジャーアイランド佐久島を散策する。

崇運寺は、徳川家康ゆかりの寺とされる歴史あるお寺。海や西地区一帯を一望する小高い丘の上に建ち、境内に上るだけでも十分にいい気分になれるけれど、その一隅に設置された「ガリバーの目」(木村作品)を通して周囲を眺めると、もっと楽しい!こうやってのぞきこむと、3D画像のような不思議な世界が現れるガリバーの目&崇運寺を訪れる。

平成7年に佐久島出身者から寄付された民家を修復したもので、「弁天海港佐久島」構想に基づく活動拠点として、平成10年12月にオープンしました。この施設は弧を描いて港を望む西集落の顔に当たる場所に位置し、そこから奥に広がる家並みや小路は、人の心を癒す印象的な景観を形成しています弁天サロンを訪れる。

黒壁の家々を縫うようにして曲がりくねった路地を歩くと、こんなところに観音様が! かつてお店のウィンドーだったスペースに、「大和屋観音」(松岡作品)が鎮座ましましている。

波打ち際にそびえる、ちょっと奇妙で美しい黒い箱。こりゃいったい何だ?「おひるねハウス」と名付けられたこの作、用途はお昼寝だけじゃない。訪れた人の数だけ遊び方があるおひるねハウスを訪れる。

築100年、空き家になって50年の民家です。歴史好き、小説好き、映画好きの人は、ここで空想に浸ろう。イマジネーションの宝庫だ! 古い民家のたたずまいが歴史を感じさせるだけでなく、家全体が作品化されているせいか、何やら神聖な印象すら与える。台所のくど一つとっても物語が創れそうの大葉邸を訪れる。

東地区の路地も、西地区に負けない風情がある。この正念寺かいわいもなかなか味がある。歴史を刻んだお寺や神社が点在していて、古くからの民間信仰の神様に見守られているみたいな気分になる。正念寺に腰を据えた「海神さま」(松岡作品)もそんな神様のひとつ。この辺り一帯に、宮崎駿アニメの世界のような異空間的雰囲気が漂っているの正念寺の海神さまを訪れる。

10:00佐久島東港、高速艇で出発
10:30一色港到達、車で知多半島南端師崎に向かう。

11:45師崎港到達
12:05師崎港高速艇で出発、日間賀島に向かう。
12:15日間賀島東港到達、散策する。

知多新四国八十八ヶ所の霊場のひとつ。天候にも左右されますが、冬場の晴れの日、風があり、空気が乾燥している時に、なんと富士山が見えることがあります大光院を訪れる。

「タコの島 日間賀島」の由来ともなった蛸阿弥陀如来がご本尊。漁師の網に掛かり、引き上げられた如来様を大ダコがしっかりと守っていたからと言われています。法話と民話も聞けます安楽寺を訪れる。

昔のサメ漁から現在のタコ漁まで、様々な漁具を展示しています。日間賀島を知る早道です日間賀島資料館を見学。

反時計回りで島を一周し
13:40日間賀島東港高速艇で出発
13:50師崎港到達、篠島行きの高速艇に乗り換え出発
14:00篠島港到達散策

大小10数ヶ所の島々で、昔より「東海の松島」と呼ばれ渥美半島、 志摩半島を望む景観は風光明媚な島です。 特に松島に沈む夕日は、日本の夕日・朝日百選に選ばれています。また、古くから伝わる、歴史的な史跡が多く存在しています篠島を散策する。

今から1200年前、伊勢神宮の土之宮を観請し、造営されました。現在も神宮の古財が下賜されつくられています神明神社を訪れる。

義良親王(のちの後村上天皇)が嵐の中、篠島に漂着され親王の飲用にと掘られた井戸、帝井を訪れる。

篠島の照浜より引きあげられたといわれる薬師如来がまつられる寺院。八王子社のこま犬が薬師如堂の前に安置されている医徳院を訪れる。

鎌倉時代中期、正応元年(1288)伊勢の箕曲大社より観請された犬嫌いで知られる神社、八王子社を訪れる。

名古屋城築城の為、岩の切り出しに来島した加藤清正公が運び出しのため、枕をかったまま運び残した巨岩の清正の枕石を訪れる。

万葉集の歌碑が建てられています。展望台もあり、清正の枕石・日本夕日百選に選ばれた松島が見え、遠くには、鳥羽・神島など見えます歌碑公園を訪れる。

島の最南端にある公園、遠くに鳥羽や神島、伊良湖まで望むことができる。ここからの景色が島の中で一番という人も多い牛取公園を訪れる。

16:00篠島港到達
16:15篠島港フェリーで出発
16:30師崎港到達、車で帰路に向かう。

今回の旅行、関西の方はあまり知らない、訪れたことの少ない、三河湾に浮かぶ4つの島、三河大島、佐久島、日間賀島、篠島二足を運び、点在する社寺と史跡を訪れ、又自然に接し、一泊二日の旅、有意義な日々を送ることが出来ました。

離島は一般的に空いて行って、ひっそりしていますが、今回訪れた4つの島は海水浴シーズンもあって有り、多くの人が訪れ、活気に満ち溢れていました。

私と同様に海水浴客と違って観光を目的とする旅行客も多く、賑わっていました。
大都市名古屋の近場の離島ならでわのものでしょう。

又各々の離島は多くの観光客を呼ぶためアート有り自然有り史跡有り、なかなか工夫を凝らしているのがよくわかった三河湾4島離島巡りでした。














飛行機で国内&海外の観光地巡り第百三十四弾:愛知県名古屋周辺観光
2011年3月5ー6日


愛知県の中核である名古屋周辺に足を運び、モンキーパークや明治村などレジャースポットが集まる犬山市や、138タワーパークがそびえ立つ一宮市など家族でも楽しめるスポットが多い尾張エリア、鮮やかな紅葉が山全体を染める足助町の香嵐渓、牛の放牧やバーベキュー、冬はスキーが楽しめる茶臼山などの奥三河エリアを訪れました。

5日12:30車で第二京半名神新名神自動車道経由して
14:30名古屋西到達

須佐之男命を祀る、天王社の総本社。毎年7月第4土・日曜日に行われる、尾張津島天王祭が有名の津島神社を訪れる。

一宮に向かう。
18:00一宮到達、駅付近の宿に到着後繁華街を散策し食事を済ませてから就寝。

6日6:30車で出発、犬山方面に向かう。

1537年(天文6)、織田信康により築城。天守閣の美しさは荻生徂徠が李白の詩を引用し、「白帝城」と讃えたほど。展望台からは濃尾平野を一望できる国宝・犬山城を訪れる。

654年(白雉5)に創建されたと伝わる厄除けの千手観音霊場で、もみじ寺と呼ばれるほど、秋の紅葉がすばらしい。また、つづら折りの石段の脇には石仏がたたずむ姿も見られ、静かな山寺の情緒を味わうことができる。境内には縁結びの弁天様や願いが叶うという「願いの鐘」があり、自由に撞くことができる寂光院を訪れる。

織田信長の実弟で茶人の織田有楽斉が隠居所としていた京都建仁寺の塔頭[たつちゅう]、旧正伝院の書院(重要文化財)や茶室・如庵(国宝)などを庭園内に移築の有楽苑・如庵を訪れる。

私たちの地球には、さまざまな民族が暮らし、独自の文化を創造し、発展してきました。近年、「国際交流」、「異文化理解」などの言葉をよく耳にしますが、こうした中、世界のさまざまな民族の文化に触れ、理解を深めることがますます求められています。愛知県犬山市と岐阜県可児市にまたがる緑ゆたかな愛岐丘陵の中に、123万平方メートルの敷地を有し、世界で初めての野外民族博物館として昭和58年3月に開館しました。世界各地から集めた4万点の民族資料と22カ国、31施設の野外展示家屋を有し、『生きた博物館』として、世界の生活や文化に手軽に触れ、学ぶことができ、そのすばらしさを味わうことができますリトルワールドを訪れる。

時代の流れの中で取り壊されていく明治時代の建築物など文化財の保存、歴史資料の収集・保存・管理を行ない、建築物は解体されていくものの中でも特に価値のあるものを選び、その配置も文化財としての価値が最もよく発揮されるように考慮されている。季節によって美しく変わる景観に包まれた明治村の建築物と数々の展示からは明治時代の人々の前向きな精神が伝わってくる明治村を訪れる。

瀬戸に向かう。

「せともの」の生産工程で不要になったタナイタやエンゴロなどの窯道具で築かれた壁や塀の幾何学模様が美しい小径が400mほど続く。かつて製品を積んだ荷車や窯焼き職人が行き交うメインストリートとして賑わった幅一間ほどの狭い通りは、今は情趣漂う静かな散策路になっている。そこかしこに見え隠れする往時の面影を偲びながら歩くことができる窯垣の小径を散策する。

明治初期の窯元宅を改修した資料館では、焼き物に関する貴重な資料を展示し、町の歴史や文化を紹介。特に、国産タイルの原形といわれる本業タイルで装飾した浴室やトイレは必見。また、地元の洞町文化会に所属するボランティアによる素朴なおもてなしがうれしい窯垣の小径資料館[窯垣の小径]を訪れる。

ギャラリーと工房を備えた陶芸やガラスをテーマにした施設。ユニークな企画展を開催する展示棟、研修生の創作の場・工房棟、地元作家の作品などが並ぶ交流棟がある新世紀工芸館を訪れる。

長久手に向かう。

2005年(平成17)に開催された、愛・地球博(愛知万博)長久手会場の跡地に整備された都市公園。昭和30年代の暮らしを再現した超人気スポット「サツキとメイの家」(要予約)はもちろん、万博の感動をシアターや展示物などでもう一度思い起こせる愛・地球記念館、子どもたちに人気だったさまざまな遊具を備えた森・風・水の3エリア、名古屋市街を一望できる東海地区最大級の高さ88mの大観覧車、通年楽しめるアイススケート場、日本の伝統と文化に触れる日本庭園や茶室など、子どもから大人まで楽しめるバラエティに富んだ公園、愛・地球博記念公園(モリコロパーク)を訪れる。

国産・欧米車140台を展示する博物館。ガソリン車が誕生した、19世紀末から20世紀までの自動車の歴史をわかりやすく紹介している。新館では、日本のモータリゼーションの歴史のほか、生活文化資料約2000点を展示。自動車関連図書1万5000点が並ぶ図書室などの施設もある。ミュージアムショップではミニチュアカーのほか、車をかたどったネクタイピンなども販売するトヨタ博物館を見学。

足助に向かう。

東海地区を代表する紅葉の名所。毎年11月中〜下旬頃、飯盛山を中心に足助川と巴川の合流する巴橋から約1km上流の香嵐橋付近まで、約4000本のモミジが紅葉。見事な景観を見せ、多くの観光客で賑わう。もみじまつり期間中、夜はライトアップが行われ、幻想的な雰囲気が味わえる香嵐渓を訪れる。

明治から昭和初期の豪農を再現し、山村の暮らしや手仕事の技術を紹介。約3000平方mの敷地内には長屋門・母屋・土蔵・作業小屋が並び、紙漉きや機織り、鍛冶屋などの職人の実演が見られる。紅葉時期以外は各種体験可。昭和30年代のまちを再現した萬々館もある三州足助屋敷を訪れる。

来足助は、尾張三河と信州方面を結ぶ伊奈街道(明治以降は飯田街道)の要地で、中馬街道とは飯田街道の別称。三河湾で作られた塩を山間部へ運ぶための、「塩の道」として発展したといわれる。中馬とは、今でいう運送業者のことをいう中馬街道を訪れる。

中馬街道の中でも、黒い板壁と白い漆喰の土蔵が続くのがマンリン小路。小路には土蔵の書店マンリン書店がある。店の奥には、土蔵を改装した蔵の中ギャラリーを併設するマンリン小路を訪れる。

標高301mの真弓山頂上に立つ足助城は、戦国時代に鈴木氏が居城し、真弓山城とも呼ばれる。旧足助町が町制100周年の際に再建したもので、本丸からは足助の町並みや飯田街道が一望できる。また、周辺は城跡公園として整備されている城跡公園足助城を訪れる。

奥三河に向かう。

標高1415mあり、県内最高峰の茶臼山は、愛知県と長野県の県境に位置する。山腹に広がる茶臼山高原では、愛知県には珍しい高原の雰囲気のなか、四季を通じてアウトドアが楽しめる。ロッジやレストラン、キャンプ場、休暇村などがあり、やばす池でのボート遊びやゴーカートが楽しめる。自然あふれる高原道路も多く、ドライブにも最適。冬期は茶臼山高原スキー場がオープンし、多くのスキーヤーで賑わう茶臼山高原を訪れる。

17:30帰路に向かう。

今回の旅行、愛知県の名古屋周辺に足を運び、西から北、東、奥三河と広範囲に巡り、歴史的建造物の城や社寺、レジャースポットのモンキーパークや明治村、焼き物ショップや窯が集まる瀬戸、レトロな町並みの足助、県内最高峰の茶臼山などを訪れ満喫しました。

今回で愛知県はほぼ制覇しました。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第百十七弾:愛知県知多半島&西三河&東三河観光
2010年11月2ー3日


豊かな自然の中でリフレッシュ、歴史に彩られた町の散策、文化や工芸の体験など、楽しみ方の無限大の愛知県に足を運び、世界への玄関口、中部国際空港セントレアがあり、窯の町、常滑焼きの産地でもある知多半島、愛知を代表とする味、八丁味噌のふるさとで徳川家康生誕の地でもある岡崎や西尾の抹茶などの産業観光が多い西三河、温泉やマリンスポーツが楽しめる蒲郡や温暖な気候を生かした花や果物のハウス栽培が盛んな渥美半島などの東三河を訪れました。

2日19:30車で第二京阪名神新名神東名阪伊勢湾岸知多半島道路を経由して
22:00半田到達、半田駅付近のホテルにて宿泊。

3日6:00車で出発、半田市街地を巡る。

酒粕を原料にした酢造りを1804年(文化元)に始めた、ミツカングループの工場内にある博物館。ミツカンで実際に使用していた古い酢造りの道具や、半田の粕酢と関わり深い江戸前にぎりずしの屋台などを展示。酢の効用や使い方を映像やパネルで紹介している博物館酢の里を訪れる。

常滑方面に向かう。

窯場やレンガ造りの煙突など、焼き物の町・常滑を感じることができるモデルコースやきもの散歩道を散策する。

世界各国の装飾タイルを集めた世界のタイル博物館、土管を焼いていた窯の内部を公開する窯のある広場・資料館、土・どろんこ館や陶楽工房など5館からなる文化施設。土・どろんこ館では、光るどろだんご作りなど、土を使った体験ができる。窯のある広場・資料館は国の登録有形文化財に指定のINAX ライブミュージアムを訪れる。

INAXライブミュージアムの施設の一つ。1921年(大正10)に建てられた大煙突のある黒い建物で、かつて土管を量産していた倒焔式角窯を見学できる。窯の中は飴色に輝く釉薬の跡が残り、神秘的な雰囲気が漂う。建築装飾材「テラコッタ」をはじめ、明治から昭和初期に作られた染付古便器なども展示されている。国の登録有形文化財の窯のある広場・資料館[INAX ライブミュージアム]を訪れる。

INAXライブミュージアムの中核施設。地域・文化・時代により、さまざまな美しさや用途をもつ装飾タイル1000点を展示した館内は、まるで宝石箱のよう。紀元前にエジプトでタイルが生まれ、世界に広まっていく歴史の流れを代表的な地域や国ごとに空間を再現し紹介する、日本唯一のタイル博物館である世界のタイル博物館[INAX ライブミュージアム]を訪れる。

知多半島を南下する。

水族館・芝生公園・遊園地が一つになった、総合海浜公園。定番のイルカ・アシカショーのほか、ふれあいタイムが人気。イルカやペンギンにタッチしたり、エサをあげたりできる。おもちゃのテーマパーク「南知多おもちゃ王国」では、リカちゃんハウス・トミカプラレランドなど、9つの体験パピリオンと12のアトラクションが楽しめる南知多ビーチランド&南知多おもちゃ王国を訪れる。

知多半島を北上し西三河方面に向かう。

赤味噌の代表ともいえる八丁味噌は大豆・塩・水のみでつくられ、風味を落とさず長期保存が可能なため、重宝されたといわれる。この味噌が名古屋・三河地方の代表的名物料理、味噌煮込み、味噌カツ、味噌おでんなどの味噌料理の原点となっている。ここでは、その八丁味噌に関する資料を展示。現在も仕込みに使っている直径6尺もある仕込み桶が100本並び圧巻。仕込み用の蔵を利用した史料館では、江戸時代から戦前まで受け継がれた仕込みの様子を紹介。試食もできる八丁味噌の郷を訪れる。

岡崎城址周辺に整備された公園。春になると約1700本の桜が咲き誇る桜の名所としても知られる。園内には、岡崎城天守閣をはじめ、家康が浸かったといわれる産湯の井戸や遺言碑など家康ゆかりの史跡が残る岡崎公園を散策する。

岡崎公園内にある、徳川家康出生の城として知られる名城。1531年(亨禄4)に家康の祖父・松平清康が入城して以来岡崎城と称されるようになり、家康の天下統一の拠点となった。明治時代に取り壊された天守閣は1959年(昭和34)に復元され、歴史資料館になっている岡崎城[岡崎公園]を訪れる。

三河湾に浮かぶ、面積約1万9000平方mの小さな島。キノクニスゲ・タブノキなど多種類の暖地性植物が生い茂り、島全体が国の天然記念物に指定されている。頂上にある竹島弁天を祭った八百富神社は、日本七弁天の一つ。島へは竹島橋を渡って行くことができ、橋からすぐの場所には竹島水族館が立つ。志賀直哉の作品に登場することでも知られる竹島を訪れる。

東三河方面に向かう。

石垣と復元された隅櫓が往時を偲ばせる、吉田城跡につくられた公園。緑豊かで、市民の憩いの場となっている。毎年「豊橋まつり」のメイン会場になり、「炎の祭典」なども開催。園内には豊橋市美術博物館のほか、陸上競技場や野球場がある豊橋公園を散策する。

1920年(大正9)に建てられたビザンチン様式の教会。白壁に緑の尖塔屋根のコントラストがエキゾチックで美しい。木造建築の聖堂としては県下最古といわれ、聖堂内のイコン(聖像画)は、帝政ロシア時代のものや、一部には聖像画家、山下りんによるものもあり、県の有形文化財に指定されている豊橋ハリストス正教会を訪れる。

渥美半島に向かう。

愛知県の南端、渥美半島の最先端に立つ白亜の灯台。1929年(昭和4)に建てられて以来、海の安全を見守っている。ここからは三島由紀夫作『潮騒』の舞台になった神島まで見渡せ、灯台から遊歩道もある。目の前に広がる青い海と白い灯台とのコントラストが美しく、晴れた日の夕日が沈む頃はロマンチックなムード。デートスポットにもなっている。2006年には、恋路ケ浜とともに「恋人の聖地」に選定の伊良湖岬灯台を訪れる。

17:00伊良湖港到達。
17:40伊良湖港フェリーで出発
18:35鳥羽到達。伊勢西名阪自動車道経由して帰路に向かう。

今回の旅行、関西から車で第二京阪新名神開通で近くなった大都市愛知県に足を運び、中部国際空港セントレアの開港により、人の往来が盛んになり、海に囲まれた地域のため、新鮮な海の幸を使った料理や、マリンレジャーが人気で江戸時代から酢などの醸造業で栄え、歴史的建造物も多い半田、日本六古窯のひとつで常滑焼の産地である常滑などが位置する知多半島

抹茶の生産量全国有数の地で、江戸時代には松平氏の城下町として発展、現在でも昔名がらの風情が残る町並みや旧跡のほか、伝統や文化も受け継がれている西尾、水運に恵まれ、後に八丁味噌や石製品が全国に広まり、徳川家康誕生の地でもある岡崎などの西三河

天然記念物に指定されている竹島を始め、古くから文人墨客らに愛され、景勝地として親しまれてきた蒲郡、三河湾と遠州灘に挟まれた中心都市、かつては吉田城の城下町として栄え、今も城跡などの史跡が残る豊橋、三河湾の大アサリやメロン、海や畑の恵みがいっぱい、灯台や花畑などの名所が存する渥美半島などの東三河を1泊2日のドライブ観光で楽しめました。

大都会の愛知県、しかし知多半島、渥美半島など、まだまだ田舎でのどかなエリアが数多く残っています。

今回は太平洋側の愛知県エリアをくまなく巡り、地理、歴史を勉強し、堪能できました。












名古屋タウン観光
2009年12月23日


今回は早朝からの日帰りで愛知県の中核である名古屋タウンに足を運び、草薙神剣を祀る熱田神社で有名な金山エリア、縁日で賑わう日泰寺の参道沿いを中心にレトロなお店が点在する覚王山エリア、名古屋最大の繁華街、栄エリア、老若男女を問わず、幅広い層が集まる下町情緒漂う大須エリアを散策しました。

7:22新大阪新幹線のぞみで出発
8:07名古屋駅到達、東海道線に乗り換え熱田駅下車

三種の神器の一つである草薙神剣をご神体として祀り、古くから皇室より伊勢の神宮に次ぐ崇敬を受けている由緒ある大宮。約19万平方mにおよぶ境内には本宮・別宮をはじめ、8つの摂社と18の末社が鎮座。主な祭典・神事だけでも年間70余りが行われ、5月4日の酔笑人神事など、古式ゆかしく珍しい神事もある。古くから「あつたさん」とよばれて親しまれ、初詣や七五三詣など、一年を通じて多くの参拝者が訪れている熱田神宮を訪れる。

熱田神宮にある昭和41年に建てられた校倉造り風の文化殿の内部にあり、国宝1件、重要文化財27件をはじめとして、約4000点におよぶ宝物を収蔵し、一部を公開している熱田神宮宝物館を見学。

東海道の宮の宿(現在の熱田)は、桑名へ渡る七里の渡しの渡船場として、船の出入りや客の往来も多かった。その航海の安全を見守る役目として置かれた常夜灯が、今でもひっそりと残っている。火災により焼失したため、現在のものは、1791年(寛政3)に再建された七里の渡しを訪れる。

地下鉄名城線熱田西駅で乗車、八事駅下車

1686年(貞享3)、二代藩主・徳川光友の創建による由緒正しい寺。約30万平方mもの緑豊かな境内は、秋には紅葉の名所にもなっている。高野山を模して造られたため尾張高野とも呼ばれ、1808年(文化5)建立の五重塔は国の重要文化財に指定。境内の山の上には、高さ3.6mの巨大な銅造大日如来坐像が安置されている八事山興正寺を訪れる。

地下鉄名城線八事駅乗車、本山駅下車

織田信長の舎弟・信行公が父信秀公の菩堤を弔う為建立し、信行公も共に祀られている。木彫聖観世音菩薩を安秩、境内は5千余坪を有し楓桜樹など名木数多く美しい竹林などと共に庭園美を競っている。又露座の名古屋大仏も有名である。別名名古屋弁天といわれる桃巌寺を訪れる。

明治33年にシャム国皇帝から贈られた釈迦の遺骨を奉安するために明治37年に創建された。本尊は、この遺骨とシャム王室寺院伝来の釈尊像。日本で唯一の超宗派の寺院である。寺内の茶室草結庵は県指定文化財の名席。境内周辺には、明治44年ごろ出来たという八十八ヶ所霊場がある。毎月21日の弘法縁日には市がたち賑わう日泰寺を訪れる。

地下鉄東山線で栄方面に向かう。

栄の中心、久屋大通公園の東側、約1万9000平方mの広大な敷地に整備された公園。地上14mの水の宇宙船がシンボル。空中に浮かぶガラスの大屋根には水が流れ、外周にめぐらされた回路で空中散歩が楽しめる。吹き抜けの地下にある銀河の広場周辺には、約30の飲食店やショップがズラリ。自然光を取り入れた明るい半地下にはバスターミナルがあり、栄の交通の要所となっているオアシス21を訪れる。

愛知芸術文化センター内の美術館で、ピカソ・クリムトなど20世紀初頭〜現代の絵画を中心に展示している。随時企画展も開催。10室の貸しギャラリーやラウンジ、彫刻作品が展示された屋外展示スペース、自然光が差し込む天井の高い展示室もある愛知県美術館を訪れる。残念ながら休館でした。

昭和29年(1954年)6月、日本ではじめての集約電波鉄塔として開業した、高さ180mのテレビ塔。平成17年(2005年)7月にはタワーとして全国で初めて国の登録有形文化財に指定され、平成20年(2008年)10月には恋人の聖地に選定、カップルのデートスポットになっている。塔内にはレストランやギャラリーもあり、90mのスカイデッキ、100mのスカイバルコニーからは名古屋の街並みが一望できる古屋テレビ塔を訪れる。

近代科学の解説とプラネタリウムで星や宇宙の投影を行う。全体は理工館、天文館、生命館の3つにわかれており、実際に見たり触れたり体験しながら学ぶことができる。プラネタリウムのある天文館では、季節ごとの天体について紹介する名古屋市科学館を見学。

ナディアパークにある、デザイン全般に関するさまざまな展示や情報発信を行う施設。4階に1930年代アメリカのデザイン作品を中心に、歴史的側面からデザインを取り上げるミュージアムや、企画展を開催するギャラリー、また6階には資料が閲覧できるライブラリーを持つ国際デザインセンターを見学。

ラン生産日本一の愛知県。その愛知県産のランを中心に世界のラン約250種類を集めた都心のミニ・テーマパーク。ランの美しいディスプレイを展開するアトリウムや、色々な花の飾り方を提案する花かざりモデル展示棟、ランの原種を展示する小温室などなどがあるランの館を訪れる。

市内唯一の演芸場。1・2階合わせて250席を持ち、演目は落語・漫才・講談・粋曲と幅広い。1965年(昭和40)のオープン以来常設の寄席として親しまれ、かつてはビートたけしなども舞台に立った。現在は、地元の若手芸人の自主興行や、東京・大阪からの興行を中心に行っている大須演芸場を訪れる。

正式名を北野山真福寺宝生院といい、南北朝時代に今の岐阜県羽島[はしま]市に創建されたが、1612年(慶長17)に現在の場所に移転された。地元の人たちからは「大須の観音さん」として親しまれ、節分会や人形供養など年間通じて行われる催し物の際には、多くの人で賑わう。日本最古の古事記写本(国宝)や将門記(重要文化財)をはじめ、和漢の古文書約1万5000点を収蔵する真福寺文庫(大須文庫)もある北野山真福寺宝生院を訪れる。

地下鉄鶴舞線で名古屋城方面に向かう。

金鯱で有名な城。1612年(慶長17)、徳川家康が築城。天守閣と本丸御殿が隅櫓・多聞櫓で囲まれた豪壮堅固な造りで、尾張徳川家約六十二万石として栄えた。1945年(昭和20)の空襲で大部分が焼失し、1959年(昭和34)に天守閣と正門を再建。三つの隅櫓(重要文化財)と表二之門(重要文化財)・石垣は、ほぼ原型を残している。再建された天守閣は、1〜5階が旧本丸御殿の障壁画などを観賞できる展示室で、最上階は展望室。本丸東側には季節の花が楽しめる二之丸庭園(名勝)がある名古屋城を訪れる。

1922年(大正11)、当時の名古屋控訴院地方裁判所区裁判所として建設。現在は市政資料館として館内を公開し、名古屋市政に関する資料等も保存・公開している。レンガ造りの建物は国の重要文化財に指定の名古屋市市政資料館を見学。

尾張徳川家の邸宅跡地を改修した、池泉回遊式の日本庭園。地下水を水源とする「龍仙湖」を中心に、「虎の尾」「龍門の瀧」など変化に富んだ景観のほか、新緑や紅葉、ボタン・ハナショウブなど四季を通じてさまざまな植物が楽しめる徳川園を訪れる。

尾張徳川家に伝わる遺品や大名道具を展示する私立美術館。家康の遺愛品など、その数は約1万数千件にも及び、国宝9件、重要文化財57件、重要美術品46件。世界的に有名な源氏物語絵巻(国宝)も収蔵。質・保存状態の良さは他の追随を許さない。常設展では尾張藩主の公的生活の場であった名古屋城二ノ丸御殿の鎖の間と広間の一部、能舞台、猿面茶席を復元の徳川美術館を訪れました。残念ながら休館でした。

1650年(慶安3)、二代藩主・光友が建立した尾張徳川家歴代の菩提寺。本堂裏には、権現造の御霊屋がある。創建時の姿を留める三間一戸様式の重層の山門は、往時をしのばせている建中寺を訪れる。

17:00地下鉄桜通線で名古屋駅に向かう。
17:15名古屋駅到達
17:45新幹線のぞみで出発
18:37新大阪到達。

今回の旅行、車を使わず、電車と歩きで名古屋タウンを散策して観光名所を巡りました。

深い緑に包まれた広大な境内をもつ、由緒正しき神社、三種の神器の一つ草薙神剣を祀る熱田神社で有名な金山エリア。

縁日で賑わう、タイ王国より贈られた釈迦の遺骨を安置するために建立された寺院、日泰寺の参道沿いを中心にレトロなお店が点在する覚王山エリア。

名古屋市内最大の繁華街、ラウンドマーク的存在の名古屋テレビ塔のスカイバルコニーからの眺める街の景色を楽しめる栄エリア。

地元の人に観音さんの名で親しまれている大須のシンボル、大須観音が位置し老若男女を問わず、幅広い層が集まる下町情緒漂う大須エリア。

早朝からの日帰りでほぼ名古屋タウンを制覇しました。

しかし、残念ながら訪れたすべての美術館は休館でした。

地元の方に聞きますと、名古屋のほとんどの美術館は年末は休館とのこと。
次回美術館巡りのイベントで訪れたいと思います。